十七史百將傳巻八 唐 李孝恭

現代語訳

Kindle版『現代語訳 十七史百將傳 2 巻六〜巻十』(全2巻の第2巻)として出版する予定です。

要約

李孝恭は若くして識量があった。高祖が京師を定めると山南招慰大使となり、三十余州を下した。

朱粲を破ると諸将は坑めにせよと言ったが、孝恭は、殺せば後に降る者がなくなると言って縦り、檄を騰げた所は下った。

蕭銑が江陵に拠ると図る策を進めた。趙郡王とされ、李靖の謀に倚って江陵を図り、荊湘道総管として水陸十二軍を統べ、銑の二鎮を破った。

戦艦を江に縦つと諸将は賊を資けると言ったが、孝恭は、銑の鎮戍は船を見れば銑が敗れたと思うだろうと言った。救いの兵は巴陵で疑い進まず銑は降った。

輔公祏が反くと行軍元帥として討った。杯の酒が血と変じて坐は色を失ったが、孝恭は、賊臣が首を授ける祥しだと言って飲み尽くし、衆の心は安んじた。壁を堅くして奇兵で餉道を絶ち、翌日、羸い兵に挑ませ祖尚は精騎で待った。賊は逃げる兵を追って祖尚の軍に遇い、大敗した。走る公祏も禽にして江南は平らいだ。

貞觀の初め、礼部尚書となり河間王とされ、急に薨じた。隋が亡んだ後の賊はみな太宗が討ち定めたが、ただ孝恭だけが一方面の功で自らを見わしたのだという。

孫子はいう、之に形を示せば敵は必ず之に従う、祥を禁じ疑いを去る、利をもって之を動かす、と。船を江に縦って援軍を疑わせ、杯の血を吉祥とし、羸い兵に挑ませたのが、これである。

原文(底本)
李孝恭,少沉敏有識量。高祖已定京師,拜山南招慰大使,徇巴蜀,下三十餘州。進擊朱粲,破之,俘其眾。諸將曰:"粲徒食人,摯賊也,請坑之。"孝恭曰:"不然。今列城皆吾寇,若獲之則殺,後渠有降者乎?"悉縱之。繇是騰檄所至輒下。蕭銑據江陵,孝恭數進策圖銑,帝嘉納。進王趙郡,乃大治舟艦,肄水戰。會李靖使江南,孝恭倚其謀,遂圖江陵,盡召巴蜀首領子弟收用之,外示引擢而內實質也。俄進荊湘道總管,統水陸十二軍發夷陵,破銑二鎮。縱戰艦放江中,諸將曰:"得舟當濟吾用,棄之反資賊,奈何?"孝恭曰:"銑之境南際嶺,左薄洞庭,地險士眾。若城未拔而援至,我且有內外憂。舟雖多,何所用之?今銑瀕江鎮戍,見艫舳蔽江下,必謂銑已敗,不即進兵,覘候往返,以引救期,則吾既拔江陵矣。"已而救兵到巴陵,見船,疑不進。銑內外阻絕,遂降。帝悅,遷荊州大總管,詔圖破銑狀以進。輔公祏反,寇壽陽,詔孝恭為行軍元帥討之。引兵趨九江,李靖、李績、黃君漢、張鎮周、盧祖尚皆稟節度。將發,大饗士,杯酒變為血,在坐皆失色。孝恭自如,徐曰:"禍福無基,唯所召爾!顧我不負於物,無重諸君憂。公祏禍惡貫盈,今仗威靈以問罪,杯中血乃賊臣授首之祥乎!"盡飲罷,眾心為安。公祏將馮惠亮等拒嶮邀戰,孝恭堅壁不出,遣奇兵絕餉道。賊飢,夜薄營,孝恭臥不動。明日,使羸兵扣賊壘挑之,祖尚選精騎陣以待。俄而兵卻,賊追北且囂,遇祖尚軍,薄戰,遂大敗。惠亮退保梁山。孝恭乘勝破其別鎮,賊赴水死者數千計。公祏窮,棄丹陽走,騎窮追,生禽之,江南平。貞觀初,為禮部尚書,改王河間。暴薨。隋亡,盜賊遍天下,皆太宗自討定,謀臣驍帥並隸麾下,無特將專勛者,惟孝恭獨有方面功以自見雲。

孫子曰:"形之,敵必從之。"孝恭縱船江中以疑賊援。又曰:"禁祥去疑。"孝恭以杯血為授首之祥,而眾心安。又曰:"以利動之,以卒待之。"孝恭使羸兵挑賊,而待以精騎是也。