東周列國志第十一回 宋の荘公、賄賂を貪って兵を構える/鄭の祭足、娘婿を殺して主を逐う (宋莊公貪賂搆兵 鄭祭足殺壻逐主)

宋の貢納催促と鄭の対応

  • さて、宋の荘公は使者を遣わして即位を祝う書を送るとともに、三城の割譲と、白璧・黄金・毎年の穀物の貢納を求めてきた。
  • 鄭の厲公は祭足を召してこの件を相談した。
  • 厲公は言った。「当初、急いで国を得ようとして、その要求のままに従い、命に逆らわなかった。だが今、寡人はようやく即位したばかりであるのに、早くも償いを求めてきた。もしその言葉どおりにすれば、府庫は空になってしまう。まして即位したばかりで三城を失うようでは、隣国の物笑いになるのではないか。」
  • 祭足は言った。「『人心がまだ定まっておらず、土地を割けば変事を招くおそれがある。三城からの貢納と税をもって代わりに宋へ納めたい』と辞退なさるとよいでしょう。白璧と黄金は、ひとまずその三分の一だけを与え、残りは婉曲な言葉で辞退するのです。毎年の穀物の貢納は、来年からということにいたしましょう。」
  • 厲公はこの言葉に従い、返書をしたためた。まず白璧三十対、黄金三千鎰を先に納め、三城からの貢納と税については冬の初めに納めることを約束した。
  • 使者が戻って報告すると、宋の荘公は大いに怒って言った。「突(厲公)は死ぬところを我が生かしてやり、突は貧賤の身であったのを我が富貴にしてやった。ささやかな約束の品にすぎぬものは、もとは子忽(昭公)のものだ。突には何のかかわりもないのに、どうして出し惜しみするのか。」
  • その日のうちに、また使者を鄭へ遣わして座り込んで催促させ、必ず約束どおりの数を出させようとした。しかも三城の引き渡しを強く求め、貢納と税での代納は認めようとしなかった。
  • 厲公はまた祭足と相談し、さらに穀物二万鍾を貢納した。
  • 宋の使者は一度帰ってからまたやって来て、「もし約束の数量に満たなければ、祭足自らが出向いて返答せよ」と伝えた。
  • 祭足は厲公に言った。「宋は我が先君(荘公)の大恩を受けながら、少しも報いていません。それなのに今、君を立てた功をたのみとして、貪欲に求めてやまず、その上言葉遣いも無礼です。聞き入れるべきではありません。臣、斉・魯に使いして、うまく取りなしを求めましょう。」
  • 厲公は言った。「斉・魯が鄭のために動いてくれるだろうか。」
  • 祭足は言った。「かつて我が先君が許を伐ち、宋を伐った時も、斉・魯と行動を共にしなかった戦役は一つもありませんでした。まして魯侯(桓公)が即位できたのは、我が先君の尽力によるものです。たとえ斉が鄭に厚くしなくとも、魯には断る理由がありません。」
  • 厲公は言った。「取りなしの策とは何か。」
  • 祭足は言った。「かつて華督が君(殤公)を弑して子馮(荘公)を立てた際、我が先君と斉・魯はともに賄賂を受け取り、その事を成就させました。魯は郜の大鼎を受け取り、我が国も商彝を受け取りました。今、斉・魯に訴え、商彝を宋に返還いたしましょう。宋公は昔のことを思い返せば、必ず恥じて自ら要求をやめるでしょう。」
  • 厲公は大いに喜んで言った。「寡人、卿の言葉を聞いて、夢から覚めた思いだ。」
  • ただちに使者に礼物を持たせ、斉・魯二国へ分かれて遣わし、新君の即位を告げるとともに、宋人が恩を忘れて背き、際限なく賄賂を求めていることを訴えさせた。
  • 使者が魯に着いて事情を告げると、魯の桓公は笑って言った。「昔、宋君がわが国に賄賂を贈った時は、鼎一つだけであった。今や鄭からの賄賂をすでに多く得ていながら、まだ満足しないというのか。寡人が自ら引き受け、今日にも宋へ赴いて、そなたの君のために取りなしてやろう。」
  • 使者は礼を述べて別れた。

斉への働きかけと厲公の懸念

  • さて、鄭の使者が斉に着いて事情を告げると、斉の僖公はかねて戎を敗った子忽(昭公)の功を高く評価し、次女の文姜を娶らせて縁を結ぼうとしたほどであった。子忽が固く辞退したとはいえ、結局のところ斉侯の心には、なお子忽を贔屓する気持ちが残っていた。
  • 今、鄭国が忽を廃して突を立てたことに、斉侯は当然快く思わなかった。
  • 使者に向かって言った。「鄭君に何の罪があって、廃立などということになったのか。そなたの君のためには、これはまことに難しいことになろう。寡人はみずから諸侯を率いて、城下で相見えるつもりだ。」
  • 礼物はすべて受け取らなかった。
  • 使者は帰って厲公に報告した。厲公は大いに驚き、祭足に言った。「斉侯がこう咎めるからには、必ず干戈の事があろう。どう対処すればよいか。」
  • 祭足は言った。「臣に兵をととのえ戦車を整備させ、あらかじめ備えをさせてください。敵が来れば迎え撃つまでのこと、何を恐れることがありましょう。」

宋公と魯侯の扶鍾の会見

  • さて、魯の桓公は公子柔を宋へ遣わし、会見の日時を取り決めさせた。宋の荘公は言った。「魯君がすでに約束の言葉を寄せてくださったからには、寡人が自ら魯の国境まで参るべきだ。どうしてわざわざ君を遠く煩わせることがあろうか。」
  • 公子柔は復命した。魯侯は再び人を遣わして約束を取り交わし、両国のちょうど中間の地を選んで扶鍾で会見することとした。時は周の桓王二十年秋九月であった。
  • 宋の荘公は魯侯と扶鍾で会見した。魯侯は鄭に代わって謝意を述べ、あわせて寛大な処置を求めた。
  • 宋公は言った。「鄭君が寡人の恩を受けたことは深いものであった。たとえて言えば鶏の卵のようなもので、寡人が抱いて温め孵したのだ。約束した報酬は、彼自身の本心から出たものであった。それが今、帰国して位を篡奪し、ただちに約束を反故にしようとしている。寡人がどうして忘れることができようか。」
  • 魯侯は言った。「大国が鄭に与えた恩を、鄭がどうして忘れましょうか。ただ位を継いでまだ日が浅く、府庫が空虚なため、一時に約束どおりにできないのです。しかし遅かれ早かれ、決して約束を裏切ることはありません。この事は寡人が力を尽くして保証いたします。」
  • 宋公はまた言った。「金や玉の品は、府庫が満ちていないことを口実にしているのだろう。だが三城の引き渡しならば、ひと言で決められることではないか。なぜ決着させないのか。」
  • 魯侯は言った。「鄭君は代々守ってきた領土を失い、列国の物笑いになることを恐れているのです。それゆえ賦税をもって代納したいと願っているのです。すでに穀物一万鍾を納めたと聞いております。」
  • 宋公は言った。「二万鍾の納入は、もともと毎年の貢納分に含まれるものであって、三城とは関係がない。まして約束した諸物も、まだ半分にも達していない。今日でさえこの有様なのに、日が経てば事が冷めて、寡人は何をあてにできようか。ただ君にお願いしたい、早く寡人のために取り計らってほしい。」
  • 魯侯は宋公があまりに頑なであるのを見て、憮然としたまま会見を終えた。

商彝の返還と穀邱の会盟

  • 魯侯は帰国すると、ただちに公子柔を鄭へ使わし、宋公が譲歩しなかった旨を伝えさせた。
  • 鄭伯はまた大夫の雍糾に商彝を捧げ持たせて魯侯に献上させ、こう言わせた。「これは宋国のもとの品物です。わが君はあえて留めおくことができず、宋の府庫に納め返し、三城の代わりといたします。さらに白璧三十対、黄金二千鎰を進呈し、君侯の善き取りなしを求めます。」
  • 魯の桓公はやむを得ず自ら宋国に赴き、宋公と穀邱の地で会見することを約した。
  • 両君が会見の礼を終えると、魯侯はまた鄭伯に代わって不安の意を伝え、白璧・黄金を数のとおり進呈した。
  • 魯侯は言った。「君は、鄭が約束した諸物がまだ半分にも達していないとおっしゃった。寡人は正しくこの点を鄭に責め立て、鄭はそれゆえ力を尽くして納めたのです。」
  • 宋公は謝意を述べず、ただ「三城はいつ引き渡すのか」とだけ尋ねた。
  • 魯侯は言った。「鄭君は先人が代々守ってきた土地であることを思い、私恩のために軽々しく領土を捨てることはできぬとして、今ひとつの品を奉り、それに相当させようとしています。」
  • そう言うと、左右の者に黄色い錦の袱紗で包んだ品物を高く捧げさせ、跪いて宋公の前に献上させた。
  • 宋公は「私恩」の二字を聞いて眉を微かにひそめ、すでに不快の色を見せていた。袱紗を開いて見ると、それが商彝であると分かった。かつて宋国が鄭に賄賂として贈ったものであると気づき、色をなしたが、知らぬふりをして「これは何に用いるものか」と尋ねた。
  • 魯侯は言った。「これは大国の旧蔵の宝器です。鄭の先君荘公は、かつて貴国に力を尽くし、貴国からこの重器を賜って世々の宝として蔵しておりました。跡を継いだ君はあえて私しようとせず、貴国に返還いたします。どうか昔の交誼を思い、鄭の領地徴収をお免じください。鄭の先君は皆その賜を受けたのです。跡を継いだ君だけのことではありません。」
  • 宋公は昔のことを持ち出されて、思わず両頬を赤らめ、「昔のことは寡人はもう忘れた。帰って府庫に問おう」と答えた。
  • ちょうど議論している最中、「燕伯が宋に朝見に来られ、穀邱に到着された」と知らせがあった。
  • 宋公はすぐに燕伯を魯侯とともに引見した。燕伯は宋公に「わが国は斉に隣接しており、たびたび斉国の侵伐を受けています。願わくは君のお力添えを賜り、斉と講和して社稷を保ちたく存じます」と訴えた。宋公はこれを許した。
  • 魯侯は宋公に言った。「斉と紀とは代々の仇敵で、紀を襲おうとする気持ちを常に抱いています。君が燕のために講和を求めてくださるなら、寡人も紀のためによしみを求め、それぞれ和睦を修めて干戈を免れましょう。」
  • 三君はそこで穀邱でともに盟を結んだ。魯の桓公は帰国したが、秋から冬にかけて、宋国からは何の返答もなかった。

魯・鄭の連合と宋への出兵

  • 鄭国は宋の使者が財貨の催促を絶え間なく続けてくるので、また魯侯に助けを求めた。
  • 魯侯はやむを得ずまた宋公と虚龜の地で会見して鄭の件を決着させようとした。宋公は現れず、使者を遣わして魯にこう伝えた。「わが君と鄭とはすでに取り決めがあります。君はご関心を持たれる必要はありません。」
  • 魯侯は大いに怒り、罵って言った。「匹夫でさえ貪欲で信のない者は許されぬものを、まして一国の君においておや。」
  • そこで進路を転じて鄭に至り、鄭伯と武父の地で会見し、共同で宋を伐つことを約束した。
  • 髯翁(作者の評者)の詠んだ詩にこうある。(詩:忽を追い出した者も隠公を弑した者も、ともに元兇である。悪人同士は自然と求め合い、その意気投合もおのずと深い。宋の荘公の貪欲さと詐術のせいで、魯と鄭が兵を興すことになったのだ、という趣旨)

宋の睢陽での防戦

  • 宋の荘公は魯侯が怒りを発したと聞き、和睦の続かないことを予感した。また斉侯が突を助けようとしないと聞き、そこで公子游を斉に遣わして誼を結ばせ、子突が徳に背いた事情を訴えさせた。「わが君は心に悔いており、君と協力して突を攻め、旧君忽の位を回復させたいと願っております。あわせて燕伯のために和平を求めます。」
  • 使者がまだ戻らぬうちに、宋の国境守備の官吏から「魯・鄭の二国が兵を興して来襲しており、その勢いは鋭く、まもなく睢陽に迫っています」との報せが入った。
  • 宋公は大いに驚き、諸大夫を召集して迎撃の策を協議した。
  • 公子御説が諫めて言った。「軍の気力が衰えるか盛んになるかは、こちらに理があるかどうかにかかっています。我が国は鄭の賄賂を貪ったうえ魯の好誼まで捨てたのですから、相手には言い分があります。罪を認めて和を求め、兵を収めて戦を止めるのが上策です。」
  • 南宮長萬は言った。「兵が城下に迫っても矢の一本も放って自らを救おうともしないのでは、弱さを示すことになります。それで国を保てましょうか。」
  • 太宰の督は言った。「長萬の言葉が正しい。」
  • 宋公はそこで御説の言葉を聞き入れず、南宮長萬を将に任じた。長萬は猛獲を先鋒に推挙し、戦車三百乗を出した。
  • 両軍は陣を張り合った。魯侯・鄭伯は並んで車を進め、陣前に停めて、宋君を陣前に呼び出して直接談判するよう求めた。宋公は内心恥じ入り、病を口実に出てこなかった。
  • 南宮長萬は遠くに旗が翻るのを望み見て、それが両国の君であると知った。猛獲の背を撫でて言った。「今日そなたが功を立てぬなら、いつ立てるというのか。」
  • 猛獲は命に応じ、鉄の点鋼矛を握り、車を進めた。魯・鄭の二君は猛々しい勢いを見て、車を少し退けた。
  • 左右から二人の上将が出た。魯は公子溺、鄭は原繁で、それぞれ戦車を進めて対峙した。まず名を尋ねると、「我こそは先鋒の猛獲である」と答えた。
  • 原繁は笑って言った。「名も無き雑兵ごときが、我が刀斧を汚すには及ばぬ。正将を替えて一戦を決せよ。」
  • 猛獲は大いに怒り、矛をもってまっすぐ原繁に突きかかった。原繁は刀をふるって迎え戦った。公子溺は魯軍を指揮し、鉄の板のように包囲するように攻めかからせた。
  • 猛獲は二将を相手に力戦し、まったく怯むことがなかった。魯将の秦子・梁子、鄭将の檀伯が一斉に加わった。猛獲は力尽き、梁子の放った矢が右腕に当たって矛を持てなくなり、手を束ねて捕えられた。
  • 兵車も甲士もすべて捕虜となり、逃げ延びたのはわずか歩卒五十余人であった。
  • 南宮長萬は敗報を聞いて歯を食いしばり、「猛獲を取り返さずして、どの面下げて城に入れようか」と言った。
  • そこで長子の南宮牛に命じて戦車三十乗を率いて挑戦させ、「わざと負けたふりをして敵軍を誘い西門まで追わせよ。自分に策がある」と言った。
  • 南宮牛は命に応じて出陣し、戟を横たえて「鄭突の道に背いた賊め、みすみす死にに来おって、なぜ速やかに降伏せぬのか」と大声で罵った。
  • ちょうど弓弩を持った数人を従えて戦車一台で陣を巡回していた鄭将に出くわし、南宮牛が若いのを見くびって応戦した。三合と戦わぬうちに南宮牛は車を返して逃げ、鄭将はこれを追い、退かずに追いすがった。
  • 西門近くまで来ると、砲声が大きく鳴り響き、南宮長萬が背後から遮り、南宮牛も車を返して両側から挟み撃ちにした。
  • 鄭将は矢を連射したが南宮牛には当たらず、内心慌てたところを南宮長萬に車に躍り込まれ、片手で生け捕られた。
  • 鄭将の原繁は、自軍の偏将が戦車一台で敵に赴いたと聞いて、失敗を恐れ、檀伯とともに軍を急がせて前進した。すると宋国は城門を大きく開き、太宰の華督が自ら大軍を率いて城を出て呼応して救援した。
  • こちらでは魯将の公子溺も秦子・梁子を率いて助戦した。両軍はそれぞれ松明を掲げて入り乱れて戦い、鶏鳴の頃まで殺し合いが続いた。宋軍の損耗は甚大であった。
  • 南宮長萬は捕えた鄭将を功として献じ、宋公に使者を鄭の陣営へ遣わし、鄭将と猛獲との交換を願い出させた。宋公はこれを許した。
  • 宋の使者が鄭の陣営に至って交換の事を告げると、鄭伯は応諾し、それぞれ檻車を陣前に押し出して互いに交換した。鄭将は鄭陣に帰り、猛獲もまた宋城へ帰った。この日、両軍とも休戦して戦わなかった。

宋の斉への働きかけと斉僖公の条件

  • さて、公子游が斉に赴いて事情を告げると、斉の僖公は言った。「鄭の突が兄を追い出して自ら立ったのは、寡人の憎むところである。だが寡人は今、紀の事にかかりきりで、そちらに手を割く暇がない。もし貴国が寡人を助けて紀を伐つ兵を出してくれるなら、寡人もあえて鄭を伐つのを助けぬことがあろうか。」
  • 公子游は斉侯に別れを告げ、宋公のもとへ復命に戻った。

紀国からの救援要請と撤兵

  • さて、魯侯と鄭伯は陣中で宋を攻める策を協議していたが、突然「紀国から急を告げる者あり」との知らせが入った。
  • 魯侯が召し入れると、国書を捧げて言った。「斉の兵が紀を攻めることはなはだ急で、滅亡は目前です。婚姻の代々の誼をお思いくださり、一軍をもって水火の急よりお救いください。」
  • 魯の桓公は大いに驚き、鄭伯に言った。「紀君の急を告げに来たからには、孤(自分)は救わぬわけにはいかぬ。宋の城も急には落とせぬので、いっそ兵を退くべきであろう。おそらく宋公もまた再び賄賂を求めては来まい。」
  • 鄭の厲公は言った。「君がすでに兵を移して紀を救われるなら、寡人もまた全軍を挙げて従いたく思います。」
  • 魯侯は大いに喜び、すぐに命令を発して陣を撤し、紀国へ向けて進発した。魯侯が先に三十里行き、鄭伯が軍を率いて殿を務めた。
  • 宋国は先に公子游の返答を得て、その後に敵陣が移動したことを知ったが、他に誘いの計略があるのを恐れて追撃せず、ただ間者を遠く探らせた。報告が戻り、「敵兵はすでに国境を出て、確かに紀国へ向かった」と分かって、ようやく安心した。
  • 太宰の華督が奏上した。「斉がすでに鄭を攻めるのを助けると約束したからには、我が国もまたその紀攻めを助けるべきです。」
  • 南宮長萬は「臣、参りましょう」と言った。宋公は戦車二百乗を発し、また猛獲を先鋒として、夜を日についで斉を助けに向かわせた。

斉・衛・燕の紀国包囲

  • さて、斉の僖公は衛侯と会し、あわせて燕の兵を徴発した。衛は兵を発しようとしていたところ、宣公がちょうど病で薨じた。世子の朔が即位し、これが恵公である。恵公は喪中であったが、あえて辞退せず、戦車二百乗を遣わして助けた。
  • 燕伯は斉に併呑されることを恐れ、これを機に誼を修めようとして、自ら兵を率いて会に参じた。
  • 紀侯は三国の兵が多いのを見て出戦しようとせず、ただ堀を深くし塁を高くして堅く守り抵抗の機を待った。
  • ある日、「魯・鄭の二君が紀を救いに来た」との知らせが届いた。紀侯は城壁に登って望み、心中大いに喜び、呼応して城を出て挟み撃ちにする手はずを整えた。

六国の乱戦

  • さて、魯侯が先に到着し、斉侯と陣前で相まみえた。魯侯は「紀はわが国代々の縁戚です。貴国に罪を得たと聞き、寡人自ら参ってお赦しを請いに参りました」と言った。
  • 斉侯は言った。「我が先祖の哀公は紀の讒言によって周に烹殺された。今に至るまで八代、この仇はまだ報いられていない。君は姻戚を助けようとし、我はその仇を報じようとする。今日のことは、戦うほかあるまい。」
  • 魯侯は大いに怒り、すぐに公子溺に出撃を命じた。斉将の公子彭生がこれを迎え撃った。彭生には万夫も敵わぬほどの勇があり、公子溺はとても敵う相手ではなかった。秦子・梁子の二将が力を合わせて前に出たが勝つことができず、ようやく防ぎとどめるのが精一杯であった。
  • 衛・燕の二君は斉と魯が交戦したと聞いて、これも加わって共に攻めかかった。
  • ところが後陣にいた鄭伯の大軍がすでに到着し、原繁が檀伯ら諸将を率いてまっすぐ斉侯の本陣に突入し、紀侯もまた弟の嬴季に兵を率いさせて城を出て助勢し、喊声が天を震わせた。
  • 公子彭生はあえて戦い続けず、急いで車を返した。六国の兵車が入り乱れて殺し合った。
  • 魯侯は燕伯に出会い、言った。「穀邱の盟いでは、宋・魯・燕の三国は行動を共にすると約束した。血のりもまだ乾かぬうちに宋人が盟を裏切ったので、寡人はこれを討っているのだ。君もまた宋のふるまいに倣い、ただ目先の斉に媚びるだけで、国家の長期の計を考えぬのか。」
  • 燕伯は自らの信を失ったことを恥じ、首を垂れて避け、兵に敗れて逃げたふりをした。
  • 衛には有力な将がおらず、その軍はまっさきに崩れた。斉侯の軍も敗れ、屍が野に横たわり、血が川のように流れた。彭生は矢を受けて危うく死にかけた。
  • まさに危急のとき、また宋国の兵が到着し、魯・鄭はようやく軍を収めた。
  • 胡曾先生の詠史詩にこうある。(詩:弱小の国を明らかに欺こうとする貪欲な策略は、孤城など瞬く間に落とせるとたかをくくったが、他国が滅ぶより先に自分たちが敗れる羽目になり、後世まで斉侯の物笑いとなる、という趣旨)

宋軍の敗退と紀城での歓待

  • 宋軍がようやく到着し、息もつかぬうちに、魯・鄭がそれぞれ一軍を差し向けて突入してきた。宋軍は陣を立てることもできず、これもまた大敗して去った。
  • 各国はそれぞれ残兵を収め、分かれて帰国した。
  • 斉侯は紀の城を振り返り、「紀か我かのどちらかが滅びるまで、両立することはあり得ぬ」と誓った。
  • 紀侯は魯・鄭の二君を迎え入れて城内で饗宴を設けてもてなし、兵士たちにも重く賞を与えた。
  • 嬴季が進み出て言った。「斉の兵は敗れましたが、紀への恨みはますます深まりましょう。今、両君がここにおられる間に、どうか国を保全する策をお授けください。」
  • 魯侯は「今はまだその時ではない。おいおい図ろう」と答えた。
  • 翌日、紀侯は三十里も遠く城外まで見送り、涙を流して別れた。

魯・鄭と宋・斉の二党分立、斉襄公の即位

  • 魯侯は帰国した後、鄭の厲公はまた人を遣わして誼を修め、武父の盟いを再確認した。これより魯と鄭は一党となり、宋と斉が一党となった。
  • 折しも鄭で櫟の守りを任されていた大夫の子元がすでに卒去しており、祭足は厲公に奏上して檀伯にその後を継がせた。これは周の桓王二十二年のことである。
  • 斉の僖公は紀での敗戦を憤り、病を発した。その冬、病が篤くなり、世子の諸兒を寝床のそばに召して言い含めた。「紀は我らの代々の仇である。紀を滅ぼせる者こそ孝子である。汝は今位を継ぐが、これを第一の事とせよ。この仇を報じられぬ者は、我が廟に入るな。」
  • 諸兒は頭を下げて教えを受けた。
  • 僖公はまた夷仲年の子である無知を召し、諸兒に拝礼させた。そして言い含めた。「我が同母の弟の、たった一つの血縁である。汝はこれを大切に扱ってやってくれ。衣服や礼の格式は、我が生前と同じにしてやるがよい。」
  • 言い終えると、目を閉じて息を引き取った。諸大夫は世子諸兒を奉じ、喪礼を整え終えたうえで即位させた。これが襄公である。

宋の再侵攻と厲公・祭足の対立

  • 宋の荘公は鄭を骨の髄まで恨み、再び使者を遣わし、鄭が納めた金や玉を斉・蔡・衛・陳の四国に分け与えて、兵を貸してもらい仇を復そうとした。斉は喪に服して間もないため、大夫の雍廩に戦車百五十乗だけを率いさせて助勢させた。蔡・衛もそれぞれ将を遣わして宋とともに鄭を伐たせた。
  • 鄭の厲公は戦おうとしたが、上卿の祭足は言った。「なりません。宋は大国です。国を挙げての兵を興し、意気盛んに攻めてきます。もし戦って敗れれば社稷が保てなくなり、たとえ幸いに勝ったとしても、末代までの怨みを結ぶことになり、我が国は安寧の日がなくなりましょう。放っておくにこしたことはありません。」
  • 厲公はなお決めかねていた。祭足はそこで命令を下し、民に城を守らせ、戦いを求める者は罰すると告げた。
  • 宋公は鄭軍が出てこないのを見て、東郊を大いに掠奪し、火攻めで渠門を破って大通りにまで入り、太宮にまで至ってその垂木をことごとく取り去って持ち帰り、宋の盧門の垂木として辱めとした。
  • 鄭伯はふさぎ込んで楽しまず、嘆いて言った。「我は祭仲(足)に抑えつけられている。何を楽しみに君でいられようか。」こうしてひそかに祭足を殺す意を抱いた。

周桓王の崩御

  • 明くる年の春三月、周の桓王の病が篤くなった。周公黒肩を病床のそばに召して言った。「嫡子を立てるのが礼である。しかし次子の克は、朕が特にかわいがってきた子だ。今これを卿に託す。後日は兄が終われば弟が継ぐという法によるのだ。それを取り仕切るのは卿だけを頼みとする。」
  • 言い終えると崩御した。周公は命に従い、世子の佗を奉じて王位に即かせた。これが荘王である。

厲公の弔問断念

  • 鄭の厲公は周に喪があると聞き、使者を遣わして弔いたいと思った。祭足は強く諫め、「周は先君(荘公)の仇です。祝聃はかつて王の肩を射ました。もし人を遣わして弔問すれば、ただ辱めを受けるだけです」と言った。厲公はやむなくこれに従ったが、心の中ではますます怒りを募らせた。

雍糾の陰謀

  • ある日、後園に遊んだ折、大夫の雍糾だけが供をしていた。厲公は飛ぶ鳥がさえずるのを見て、もの寂しげに嘆息した。
  • 雍糾が進み出て言った。「このように春の景色がのどかなときは、あらゆる鳥もみな心満ち足りております。主公は諸侯として尊い身でありながら、楽しまぬ様子を見せられるのはなぜでしょうか。」
  • 厲公は言った。「あの鳥たちは自由に飛び鳴いて、まったく人に制せられていない。寡人はかえって鳥にも及ばぬ。それゆえ楽しまぬのだ。」
  • 雍糾は言った。「主公のお悩みは、まさか政権を握る者のことではありませんか。」厲公は黙って答えなかった。
  • 雍糾はさらに言った。「私は聞いております。『君はなお父のごとく、臣はなお子のごとし』と。子が父の憂いを分かたぬのは不孝であり、臣が君の難儀を除かぬのは不忠であります。もし主公が糾を取るに足らぬ者と思われないのであれば、何なりとお任せください。死力を尽くさぬことはございません。」
  • 厲公は左右を退け、雍糾に言った。「卿は仲(祭足)の愛婿ではないか。」
  • 糾は言った。「婿ではありますが、愛されてはおりません。糾が祭氏に婚したのは、実は宋君に強いられてのことで、祭足の本心ではないのです。足は常々旧君(忽)のことを口にし、いまだに未練の情があるようですが、ただ宋を恐れて、今の君を廃し旧君を戻すという企てに踏み切れずにいるだけです。」
  • 厲公は言った。「卿が仲を殺せるなら、吾は卿をその後任にしよう。だが、どのような手立てを考えているのか。」
  • 雍糾は言った。「今、東郊は宋兵に荒らされ、民の住まいがまだ復していません。主公は明日、司徒に民家や店舗の修復を命じ、祭足に穀物や布帛を持たせて彼の地の民を安撫させてください。臣はその折、東郊で宴を設け、毒を入れた酒で毒殺いたします。」
  • 厲公は言った。「寡人は卿に命を託した。くれぐれも慎重に行え。」

祭氏の疑念

  • 雍糾は家に帰り、妻の祭氏に会ったが、思わず狼狽の色を見せた。
  • 祭氏は不審に思い、「今日、朝廷で何かあったのですか」と尋ねた。糾は「何もない」と答えた。
  • 祭氏は言った。「妾はまだ言葉を確かめる前に、まず顔色を見て察するのです。今日の朝廷に、何も無かったはずはありません。夫婦は一体、事の大小にかかわらず、妾も知っておくべきです。」
  • 糾は言った。「君が汝の父上に東郊の民を安撫させようとしておられ、その時、吾がそこで宴を設け、汝の父上の長寿を祝おうとしているだけだ。それ以外に何もない。」
  • 祭氏は言った。「あなたが我が父を饗そうとするのに、なぜわざわざ郊外なのですか。」糾は「これは君命だ。汝は問う必要はない」と言った。
  • 祭氏はますます疑い、糾に酒を飲ませて酔わせ、うつらうつらとしたところをうかがって尋ねた。「君が汝に祭仲を殺せと命じたこと、忘れたのですか。」
  • 糾は夢うつつのままぼんやりと「この事をどうして忘れられようか」と答えた。
  • 翌朝早く、祭氏は糾に言った。「あなたが我が父を殺そうとしていること、妾はすっかり知りましたよ。」糾は「そのようなことはない」と言った。
  • 祭氏は言った。「昨夜あなたは酔って自分で言ったのです。隠さなくてよいのです。」糾は「もしそのようなことがあったとして、汝にどうだというのか」と言った。
  • 祭氏は言った。「すでに嫁いだからには夫に従うまでです。何を言うことがありましょうか。」
  • 糾はそこでその企みをすべて祭氏に告げた。
  • 祭氏は言った。「我が父は、行くべきかどうかまだ決めかねているでしょう。その日、妾がまず一日先に実家へ帰り、行くよう勧めてみましょう。」
  • 糾は言った。「事が成れば、吾がその位を継ぐことになる。汝にとっても栄誉なことだ。」

祭氏の告白と雍糾の誅殺、厲公の出奔

  • 祭氏は果たして一日前に実家に帰り、母に尋ねた。「父と夫と、どちらが親しいものでしょうか。」母は「どちらも親しい」と答えた。
  • また尋ねた。「その親しさの度合いはどちらが上でしょうか。」母は「父の方が夫より上だ」と答えた。
  • 祭氏は「なぜですか」と尋ねた。母は言った。「まだ嫁がぬ女には、夫は定まっていなくても父は定まっている。すでに嫁いだ女には、再び嫁ぐことはあっても、再び生まれることはない。夫は人によって結ばれ、父は天によって結ばれる。夫がどうして父に比べられようか。」
  • その母は何気なく言ったことであったが、祭氏の思い詰めた心を目覚めさせ、思わず両目に涙を流して言った。「私は今日、父を思うあまり、もはや夫を顧みることはできません。」
  • そこで雍糾の企みを密かに母に告げた。母は大いに驚き、祭足にこれを伝えた。祭足は言った。「汝らは口外するな。その時になれば吾自らが処置する。」
  • その日になり、祭足は腹心の強鉏に命じ、勇士十余人を連れて刃を隠し持って従わせた。さらに公子閼に命じ、家兵百余人を率いて郊外で応援し変事に備えさせた。
  • 祭足が東郊に着くと、雍糾が途中まで出迎えて、たいそう豪華な饗宴を設けていた。
  • 祭足は言った。「国事のため奔走するのは当然のことで、これほどの饗応をいただくには及ばぬ。」雍糾は「郊外の春景色は楽しむに足るもの、しばし一献をもって労をねぎらうまでです」と言った。
  • 言い終えると大杯になみなみと酒を注ぎ、祭足の前に跪いて満面に笑みを浮かべ、口では長寿を祝う言葉を述べた。
  • 祭足は助け支えるふりをして、まず右手で糾の腕をつかみ、左手で杯の酒を地に注ぐと、火花のように弾け散った(毒酒であったことが露見した)。
  • そこで大声で叫んだ。「匹夫め、よくも吾を欺こうとしたな。」左右に「かかれ」と命じた。
  • 強鉏と勇士たちが一斉に押し寄せ、雍糾を捕えて縛り上げ斬った。その屍は周池に捨てられた。
  • 厲公は郊外に甲兵を伏せて雍糾の企てを助けようとしていたが、すでに公子閼に見つけられて、散々に討ち破られた。
  • 厲公はこれを聞いて大いに驚き、「祭仲はもはや吾を容れてはおらぬ」と言い、そのまま蔡国へ出奔した。
  • のちに、雍糾が祭氏に企みを知らせたために祭足が前もって準備できたと語る者があった。厲公は嘆いて言った。「国家の大事を婦人に相談するとは、死んで当然であった。」

祭足の対応

  • さて、祭足は厲公がすでに出奔したと聞き、公父定叔を衛国に遣わして昭公忽を迎え復位させることとし、「吾は旧君に対する信を失わぬのだ」と言った。
  • 後の事がどうなったかは、次回を見られよ。
原文(底本)
卻說宋莊公遣人致書稱賀,就索取三城,及白璧黃金歲輸穀數。厲公召祭足商議。厲公曰:「當初急於得國,以此恣其需索,不敢違命。今寡人即位方新,就來責償;若依其言,府庫一空矣。況嗣位之始,便失三城,豈不貽笑鄰國?」祭足曰:「可辭以『人心未定,恐割地生變,願以三城之貢賦,代輸於宋。』其白璧黃金,姑與以三分之一,婉言謝之。歲輸穀數,請以來年為始。」厲公從其言,作書報之。先貢上白璧三十雙,黃金三千鎰,其三城貢賦,約定冬初交納。使者還報,宋莊公大怒曰:「突死而吾生之,突貧賤而吾富貴之。區區所許,乃子忽之物,於突何與,而敢吝惜?」即日,又遣使往鄭坐索,必欲如數。且立要交割三城,不願輸賦。厲公又與祭足商議,再貢去穀二萬鍾。宋使去而復來,傳言:「若不滿所許之數,要祭足自來回話。」祭足謂厲公曰:「宋受我先君大德,未報分毫。今乃恃立君之功,貪求無厭,且出言無禮,不可聽也。臣請奉使齊魯,求其宛轉。」厲公曰:「齊魯肯為鄭用乎?」祭足曰:「往年我先君伐許伐宋,無役不與齊魯同事。況魯侯之立,我先君實成之。即齊不厚鄭,魯自無辭。」厲公曰:「宛轉之策何在?」祭足曰:「當初華督弒君而立子馮,吾先君與齊魯,並受賄賂,玉成其事。魯受郜之大鼎,吾國亦受商彝。今當訴告齊魯,以商彝還宋。宋公追想前情,必愧而自止。」厲公大喜曰:「寡人聞仲之言,如夢初醒。」即遣使賷了禮幣,分頭往齊魯二國,告立新君,且訴以宋人忘恩背德,索賂不休之事。使人到魯致命,魯桓公笑曰:「昔者,宋君行賂於敝邑,止用一鼎。今得鄭賂已多,猶未滿意乎?寡人當身任之,即日親往宋,為汝君求解。」使者謝別。

  再說鄭使至齊致命,齊僖公向以敗戎之功,感激子忽,欲以次女文姜連姻。雖然子忽堅辭,到底齊侯心內,還偏向他一分。今日鄭國廢忽立突,齊侯自然不喜。謂使者曰:「鄭君何罪,輒行廢立?為汝君者,不亦難乎?寡人當親率諸侯,相見於城下。」禮幣俱不受。使者回報厲公。厲公大驚,謂祭足曰:「齊侯見責,必有干戈之事,何以待之?」祭足曰:「臣請簡兵蒐乘,預作準備,敵至則迎,又何懼焉?」

  且說魯桓公遣公子柔往宋,訂期相會。宋莊公曰:「既魯君有言相訂,寡人當躬造魯境,豈肯煩君遠辱?」公子柔返命。魯侯再遣人往約,酌地之中,在扶鍾為會。時周桓王二十年秋九月也。

  宋莊公與魯侯會於扶鍾。魯侯代鄭稱謝,並為求寬。宋公曰:「鄭君受寡人之恩深矣!譬之雞卵,寡人抱而翼之,所許酬勞,出彼本心。今歸國篡位,直欲負諾,寡人豈能忘情乎?」魯侯曰:「大國所以賜鄭者,鄭豈忘之?但以嗣服未久,府庫空虛,一時未得如約。然遲速之間,決不負諾。此事寡人可以力保。」宋公又曰:「金玉之物,或以府庫不充為辭。若三城交割,只在片言,何以不決?」魯侯曰:「鄭君懼失守故業,遺笑列國,故願以賦稅代之。聞已納粟萬鍾矣。」宋公曰:「二萬鍾之入,原在歲輸數內,與三城無涉。況所許諸物,完未及半。今日尚然,異日事冷,寡人更何望焉?惟君早為寡人圖之!」魯侯見宋公十分固執,怏怏而罷。

  魯侯歸國,即遣公子柔使鄭,致宋公不肯相寬之語。鄭伯又遣大夫雍糾捧著商彝,呈上魯侯,言:「此乃宋國故物,寡君不敢擅留,請納還宋府庫,以當三城。更進白璧三十雙,黃金二千鎰,求君侯善言解釋。」魯桓公情不能已,只得親至宋國,約宋公於穀邱之地相會。二君相見禮畢,魯侯又代鄭伯致不安之意,呈上白璧黃金如數。魯侯曰:「君謂鄭所許諸物,完未及半。寡人正言責鄭,鄭是以勉力輸納。」宋公並不稱謝,但問:「三城何日交割?」魯侯曰:「鄭君念先人世守,不敢以私恩之故,輕棄封疆。今奉一物,可以相當。」即命左右將黃錦袱包裹一物,高高捧著,跪獻於宋公之前。宋公聞說「私恩」二字,眉頭微皺,已有不悅之意。及啟袱觀看,認得商彝,乃當初宋國賂鄭之物,勃然變色;佯為不知,問:「此物何用?」魯侯曰:「此大國故府之珍。鄭先君莊公,向曾效力於上國,蒙上國貺以重器,藏為世寶。嗣君不敢自愛,仍歸上國。乞念昔日更事之情。免其納地。鄭先君咸受其賜,豈惟嗣君?」宋公見提起舊事,不覺兩頰發赤,應曰:「往事寡人已忘之矣,將歸問之故府。」正議論間,忽報:「燕伯朝宋,駕到穀邱。」宋公即請燕伯與魯侯一處相見。燕伯見宋公,訴稱:「地鄰於齊,嘗被齊國侵伐。寡人願邀君之靈,請成於齊,以保社稷。」宋公許之。魯侯謂宋公曰:「齊與紀世仇,嘗有襲紀之心。君若為燕請成,寡人亦願為紀乞好,各修和睦,免搆干戈。」三君遂一同於穀邱結盟。魯桓公回國,自秋至冬,並不見宋國回音。

  鄭國因宋使督促財賄,不絕於道,又遣人求魯侯。魯候只得又約宋公於虛龜之境面會,以決平鄭之事。宋公不至,遣使報魯曰:「寡君與鄭自有成約,君勿與聞可也。」魯侯大怒,罵曰:「匹夫貪而無信,尚然不可,況國君乎?」遂轉轅至鄭,與鄭伯會於武父之地,約定連兵伐宋。髯翁有詩云:

    逐忽弒隱並元兇,同惡相求意自濃。只為宋莊貪詐甚,致令魯鄭起兵鋒。

  宋莊公聞魯候發怒,料想歡好不終。又聞齊侯不肯助突,乃遣公子游往齊結好,訴以子突負德之事:「寡君有悔於心,願與君協力攻突,以復故君忽之位,並為燕伯求平。」使者未返,宋疆吏報:「魯鄭二國興兵來伐,其鋒甚銳,將近睢陽。」宋公大驚,遂召諸大夫計議迎敵。公子御說諫曰:「師之老壯,在乎曲直。我貪鄭賂,又棄魯好,彼有詞矣。不如請罪求和,息兵罷戰,乃為上策。」南宮長萬曰:「兵至城下,不發一矢自救,是示弱也。何以為國?」太宰督曰:「長萬言是也。」宋公遂不聽御說之言,命南宮長萬為將。長萬薦猛獲為先鋒,出車三百乘。兩下排開陣勢。魯侯鄭伯並駕而出,停車陣前,單搦宋君打話。宋公心下懷慚,託病不出。南宮長萬遠遠望見兩枝繡蓋飄揚,知是二國之君。乃撫猛獲之背曰:「今日爾不建功,更待何時?」猛獲應命,手握渾鐵點鋼矛,麾車直進。魯鄭二君看見來勢兇猛,將車退後一步。左右擁出二員上將,魯有公子溺,鄭有原繁,各駕戎車迎住。先問姓名,答曰:「吾乃先鋒猛獲是也。」原繁笑曰:「無名小卒,不得污吾刀斧,換你正將來決一死敵。」猛獲大怒,舉矛直到原繁。原繁掄刀接戰。子溺指引魯軍,鐵葉般裹來。猛獲力戰二將,全無懼怯。魯將秦子梁子,鄭將檀伯,一齊俱上。猛獲力不能加,被梁子一箭射著右臂,不能持矛,束手受縛。兵車甲士,盡為俘獲,只逃走得步卒五十餘人。南宮長萬聞敗,咬牙切齒曰:「不取回猛獲,何面目入城?」乃命長子南宮牛,引車三十乘搦戰:「佯輸詐敗,誘得敵軍追至西門,我自有計。」南宮牛應聲而出,橫戟大罵:「鄭突背義之賊,自來送死,何不速降?」剛遇鄭將引著弓弩手數人,單車巡陣,欺南宮牛年少,便與交鋒。未及三合,南宮牛回車便走,鄭將不捨,隨後趕來。將近西門,砲聲大舉,南宮長萬從後截住,南宮牛回車,兩下夾攻。鄭將連發數箭,射南宮牛不著,心裏落慌,被南宮長萬躍入車中,隻手擒來。鄭將原繁,聞知本營偏將單車赴敵,恐其有失,同檀伯引軍疾驅而前。只見宋國城門大開,太宰華督自率大軍,出城接應。這裏魯將公子溺,亦引秦子梁子助戰。兩下各秉火炬,混殺一場,直殺至雞鳴方止。宋兵折損極多。南宮長萬將鄭將獻功,請宋公遣使到鄭營,願以鄭將換回猛獲。宋公許之。宋使至於鄭營,說明交換之事。鄭伯應允,各將檻車推出陣前,彼此互換。鄭將歸於鄭營,猛獲仍歸宋城去了。是日各自休息不戰。

  卻說公子游往齊致命,齊僖公曰:「鄭突逐兄而立,寡人之所惡也。但寡人方有事於紀,未暇及此,倘貴國肯出師助寡人伐紀,寡人敢不相助伐鄭?」公子游辭了齊侯,回復宋公去訖。

  再說魯侯與鄭伯在營中,正商議攻宋之策,忽報:「紀國有人告急。」魯侯召見,呈上國書,內言:「齊兵攻紀至急,亡在旦夕。乞念婚姻世好,以一旅拔之水火。」魯桓公大驚,謂鄭伯曰:「紀君告急,孤不得不救。宋城亦未可猝拔,不如撤兵。量宋公亦不敢復來索賂矣。」鄭厲公曰:「君既移兵救紀,寡人亦願悉率敝賦以從。」魯侯大喜,即時傳令拔寨,齊望紀國進發。魯侯先行三十里,鄭伯引軍斷後。宋國先得了公子游回音,後知敵營移動,恐別有誘兵之計,不來追趕,只遣諜遠探。回報:「敵兵盡已出境,果往紀國。」方纔放心。太宰華督奏曰:「齊既許助攻鄭,我國亦當助其攻紀。」南宮長萬曰:「臣願往。」宋公發兵車二百乘,仍命猛獲為先鋒,星夜前來助齊。

  卻說齊僖公約會衛侯,並徵燕兵。衛方欲發兵,而宣公適病薨。世子朔即位,是為惠公。惠公雖在喪中,不敢推辭,遣兵車二百乘相助。燕伯懼齊吞並,正欲借此修好,遂親自引兵來會。紀侯見三國兵多,不敢出戰,只深溝高壘,堅守以待。忽一日報到:「魯鄭二君,前來救紀。」紀侯登城而望,心中大喜,安排接應。

  再說魯侯先至,與齊侯相遇於軍前。魯侯曰:「紀乃敝邑世姻,聞得罪於上國,寡人躬來請赦。」齊侯曰:「吾先祖哀公為紀所譖,見烹於周,於今八世,此仇未報。君助其親,我報其仇,今日之事,惟有戰耳。」魯侯大怒,即命公子溺出車。齊將公子彭生接住廝殺。彭生有萬夫不當之勇,公子溺如何敵得過?秦子、梁子二將,並力向前,未能取勝,剛辦得架隔遮攔。衛燕二主,聞齊魯交戰,亦來合攻。卻得後隊鄭伯大軍已到,原繁引檀伯眾將,直衝齊侯老營,紀侯亦使其弟嬴季,引軍出城相助,喊聲震天。公子彭生不敢戀戰,急急回轅。六國兵車,混做一處相殺。魯侯遇見燕伯,謂曰「穀邱之盟,宋、魯、燕三國同事。口血未乾,宋人背盟,寡人伐之。君亦效宋所為,但知媚齊目前,獨不為國家長計乎?」燕伯自知失信。垂首避去,託言兵敗奔逃。衛無大將,其師先潰。齊侯之師亦敗,殺得屍橫遍野,血流成河。彭生中箭幾死。正在危急,又得宋國兵到,魯鄭方纔收軍。胡曾先生詠史詩云:

    明欺弱小恣貪謀,只道孤城頃刻收。他國未亡我已敗,令人千載笑齊侯。

宋軍方到,喘息未定,卻被魯鄭各遣一軍衝突前來。宋軍不能立營,亦大敗而去。各國收拾殘兵,分頭回國。齊侯回顧紀城,誓曰:「有我無紀,有紀無我,決不兩存也!」紀侯迎接魯鄭二君入城,設享款待,軍士皆重加賞犒。嬴季進曰:「齊兵失利,恨紀愈深,今兩君在堂,願求保全之策!」魯侯曰:「今未可也,當徐圖之。」次日,紀侯遠送出城三十里,垂淚而別。

  魯侯歸國後,鄭厲公又使人來修好,尋武父之盟,自此魯鄭為一黨,宋齊為一黨。時鄭國守櫟大夫子元已卒,祭足奏過厲公,以檀伯代之。此周桓王二十二年也。

  齊僖公為兵敗於紀,懷憤成疾。是冬病篤,召世子諸兒至榻前囑曰:「紀吾世仇也,能滅紀者,方為孝子。汝今嗣位,當以此為第一件事。不能報此仇者,勿入吾廟!」諸兒頓首受教。僖公又召夷仲年之子無知,使拜諸兒。囑曰:「吾同母弟,只此一點骨血,汝當善視之。衣服禮秩,一如我生前可也。」言畢,目遂瞑。諸大夫奉世子諸兒成喪即位,是為襄公。

  宋莊公恨鄭入骨,復遣使將鄭國所納金玉,分賂齊、蔡、衛、陳四國,乞兵復仇。齊因新喪,止遣大夫雍廩,率車一百五十乘相助。蔡衛亦各遣將同宋伐鄭。鄭厲公欲戰,上卿祭足曰:「不可!宋大國也,起傾國之兵,盛氣而來。若戰而失利,社稷難保,幸而勝,將結沒世之怨,吾國無寧日矣!不如縱之。」厲公意猶未決。祭足遂發令,使百姓守城,有請戰者罪之。宋公見鄭師不出,乃大掠東郊。以火攻破渠門,入及大逵,至於太宮,盡取其椽以歸,為宋盧門之椽以辱之。鄭伯鬱鬱不樂,歎曰:「吾為祭仲所制,何樂乎為君?」於是陰有殺祭足之意。

  明年春三月,周桓王病篤。召周公黑肩於牀前,謂曰:「立子以嫡,禮也。然次子克,朕所鍾愛,今以託卿。異日兄終弟及,惟卿主持。」言訖遂崩。周公遵命,奉世子佗即王位,是為莊王。

  鄭厲公聞周有喪,欲遣使行弔。祭足固諫,以為:「周乃先君之仇,祝聃曾射王肩,若遣人往弔,祇取其辱。」厲公雖然依允,心中愈怒。

  一日,遊於後圃,止有大夫雍糾相從。厲公見飛鳥翔鳴,淒然而歎。雍糾進曰:「當此春景融和,百鳥莫不得意。主公貴為諸侯,似有不樂之色,何也?」厲公曰:「百鳥飛鳴自繇,全不受制於人。寡人反不如鳥,是以不樂。」雍糾曰:「主公所慮,豈非秉鈞之人耶?」厲公嘿然。雍糾又曰:「吾聞『君猶父也,臣猶子也。』子不能為父分憂,即為不孝;臣不能為君排難,即為不忠。倘主公不以糾為不肖,有事相委,不敢不竭死力!」厲公屏去左右,謂雍糾曰:「卿非仲之愛婿乎?」糾曰:「婿則有之,愛則未也。糾之婚於祭氏,實出宋君所迫,非祭足本心。足每言及舊君,猶有依戀之心,但畏宋不敢改圖耳。」厲公曰:「卿能殺仲,吾以卿代之,但不知計將安出?」雍糾曰:「今東郊被宋兵殘破,民居未復。主公明日命司徒修整廛舍,卻教祭足賷粟帛往彼安撫居民,臣當於東郊設享,以鴆酒毒之。」厲公曰:「寡人委命於卿,卿當仔細。」

  雍糾歸家,見其妻祭氏,不覺有皇遽之色。祭氏心疑,問:「朝中今日有何事?」糾曰:「無也。」祭氏曰:「妾未察其言,先觀其色,今日朝中,必無無事之理。夫婦同體,事無大小,妾當與知。」糾曰:「君欲使汝父往東郊安撫居民,至期,吾當設享於彼,與汝父稱壽,別無他事。」祭氏曰:「子欲享吾父,何必郊外?」糾曰:「此君命也,汝不必問。」祭氏愈疑。乃醉糾以酒,乘其昏睡,佯問曰:「君命汝殺祭仲,汝忘之耶?」糾夢中糊塗應曰:「此事如何敢忘?」早起,祭氏謂糾曰:「子欲殺吾父,吾已盡知矣。」糾曰:「未嘗有此。」祭氏曰:「夜來子醉後自言,不必諱也。」糾曰:「設有此事,與爾何如?」祭氏曰:「既嫁從夫,又何說焉?」糾乃盡以其謀告於祭氏。祭氏曰:「吾父恐行止未定。至期,吾當先一日歸寧,慫恿其行。」糾曰:「事若成,吾代其位,於爾亦有榮也。」

  祭氏果先一日回至父家,問其母曰:「父與夫二者孰親?」其母曰:「皆親。」又問:「二者親情孰甚?」其母曰:「父甚於夫。」祭氏曰:「何也?」其母曰:「未嫁之女,夫無定而父有定;已嫁之女,有再嫁而無再生。夫合於人,父合於天,夫安得比於父哉?」其母雖則無心之言,卻點醒了祭氏有心之聽,遂雙眼流淚曰:「吾今日為父,不能復顧夫矣!」遂以雍糾之謀,密告其母。其母大驚,轉告於祭足。祭足曰:「汝等勿言,臨時吾自能處分。」至期,祭足使心腹強鉏,帶勇士十餘人,暗藏利刃跟隨。再命公子閼率家甲百餘,郊外接應防變。祭足行至東郊,雍糾半路迎迓,設享甚豐。祭足曰:「國事奔走,禮之當然,何勞大享。」雍糾曰:「郊外春色可娛,聊具一酌節勞耳。」言訖,滿斟大觥,跪於祭足之前,滿臉笑容,口稱百壽。祭足假作相攙,先將右手握糾之臂,左手接杯澆地,火光迸裂。遂大喝曰:「匹夫何敢弄吾!」叱左右:「為我動手。」強鉏與眾勇士一擁而上,擒雍糾縛而斬之,以其屍棄於周池。厲公伏有甲士在於郊外,幫助雍糾做事。早被公子閼搜著,殺得七零八落。厲公聞之,大驚曰:「祭仲不吾容也!」乃出奔蔡國。後有人言及雍糾通知祭氏,以致祭足預作準備。厲公乃歎曰:「國家大事,謀及婦人,其死宜矣!」

  且說祭足聞厲公已出,乃使公父定叔往衛國迎昭公忽復位,曰:「吾不失信於舊君也!」不知後事如何,且看下回分解。

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