東周列國志第十八回 曹沫、剣を手に斉侯を脅す/桓公、火を挙げて甯戚に爵を与える (曹沫手劍劫齊侯 桓公舉火爵甯戚)
北杏の会盟の準備
- 周釐王元年春正月、齊の桓公は朝廷を開き、群臣の拝賀が終わると、管仲に問うた。「寡人は仲父の教えを承け、国政を改め整えた。今、国中は兵が精鋭で食糧も足り、人民もみな礼義を知るようになった。盟を立てて覇を定めようと思うが、どうだろうか」
- 管仲は答えた。「今の諸侯には、齊より強大な国が数多くあります。南には荊楚、西には秦晉があります。しかしみな自らの威勢を誇るばかりで、周王を尊奉することを知りません。それゆえ覇を成すことができないのです。周は衰微したとはいえ、天下が共に仰ぐ君主です。東遷以来、諸侯は朝せず貢物も奉らず、それゆえ鄭伯は桓王の肩を射て傷つけ、五国は莊王の命に抗い、諸侯の臣子たちは君父を知らないようになってしまいました。熊通は王号を僭称し、宋・鄭では君が弑され、これが常態となり、あえて征討する者もありません。今、莊王が崩御されたばかりで新王が即位され、宋国では近ごろ南宮長萬の乱があり、賊臣は誅されたとはいえ宋君はまだ定まっておりません。主君は使者を周に遣わして朝賀し、天子の旨を請い、諸侯を大いに会して宋君を定めるべきです。宋君が定まった後、天子を奉じて諸侯に号令し、内には王室を尊び、外には四夷を攘う。列国の中で衰弱した国は助け、強横な国は抑え、昏乱にして王命に従わない国は諸侯を率いて討伐する。海内の諸侯はみな我らに私心のないことを知り、必ず相次いで齊に朝するでしょう。兵車を動かさずして覇業は成るのです」
- 桓公は大いに喜んだ。そこで使者を洛陽に遣わして釐王に朝賀し、あわせて命を請うて会を開き、宋君を定めることとした。釐王は言った。「伯舅(斉桓公)が周室を忘れないでいてくれるのは、朕の幸いである。泗水沿岸の諸侯については、伯舅が取り計らってくれればよい。朕にどうして異存があろうか」
- 使者は戻って桓公に報告した。桓公はそこで王命をもって宋・魯・陳・蔡・衛・鄭・曹・邾の諸国に布告し、三月朔日に共に北杏の地で会することを約した。
- 桓公は管仲に問うた。「此度の会には、兵車をどれほど用いるべきか」。管仲は言った。「主君は王命を奉じて諸侯に臨まれるのです。どうして兵車が必要でしょうか。衣裳の会とすべきです」。桓公は「よろしい」と言った。そこで兵士に命じて先に壇を三層に築かせ、高さ三丈とした。左に鐘を懸け、右に太鼓を設け、まず天子の虚位を上に配し、傍らに酒器を置く台を設け、玉や絹の品々と器具は倍にして整えた。また館舎数か所を用意させ、いずれも高く広く格式にかなうものとした。
北杏への参集と盟会の可否
- 期日になると、宋の桓公御説がまず到着し、齊の桓公と会見して君位を定めてくれたことに謝意を述べた。翌日、陳の宣公杵臼、邾子克の二君が続いて到着した。蔡の哀侯獻舞は楚に捕らわれたことを恨みつつ、やはり会に赴いた。四国の君はみな齊に兵車がないのを見て、互いに顧みて言った。「齊侯は誠意をもって人に接すること、ここに極まれり」。そこでそれぞれ兵車を二十里の外に退かせた。
- 時に二月も終わろうとする頃、桓公は管仲に言った。「諸侯がまだ集まっていない。期日を改めて待ってはどうか」。管仲は言った。「『三人で衆をなす』と申します。今、来た者は四国、少ないとは言えません。もし期日を改めれば、それは信を欠くことになります。待っても来なければ、王命を辱めることになります。初めて諸侯を会するのに、不信の評判が立ち、しかも王命を辱めるようでは、どうして覇を図れましょうか」
- 桓公は言った。「盟とすべきか、会とすべきか」。管仲は言った。「人心がまだ一つになっていません。会が終わって散らなければ、盟としてもよいでしょう」。桓公は「よろしい」と言った。
会の主催者を決める
- 三月朔日、夜明け前、五国の諸侯がみな壇の下に集まった。挨拶が終わると、桓公は両手を組んで諸侯に告げた。「王政は久しく廃れ、叛乱が相次いでおります。孤は周天子の命を奉じ、諸君を会して王室を匡そうとしております。今日の事は、必ず一人を推して主となし、その後に権が帰属するところがあってこそ、政令が天下に施せましょう」
- 諸侯はしきりに私語した。齊を推そうとすれば、宋の爵位は上公であるのに齊はただ侯と称するのみで、尊卑の序がある。宋を推そうとすれば、宋公は新しく立ったばかりで、齊に頼って君位を定めたばかりであるから、あえて自らを上位に置くことはできない。事はどちらにも決めがたかった。
- 陳の宣公杵臼が席を越えて進み出て言った。「天子は糾合の命を齊侯に属せられた。誰があえてこれに代われましょうか。齊侯を盟会の主に推すべきです」。諸侯はみな言った。「齊侯でなければこの任には堪えられない。陳侯の言は正しい」
- 桓公は再三謙譲したが、その後に壇に登った。齊侯が主となり、次に宋公、次に陳侯、次に蔡侯、次に邾子と並んだ。配列が定まると、鐘を鳴らし太鼓を打ち、まず天子の位の前で礼を行い、その後に交拝して兄弟の情を述べ合った。仲孫湫は約簡(盟約の文書)一函を捧げ、跪いてこれを読んだ。「某年月日、齊の小白、宋の御説・陳の杵臼・蔡の獻舞・邾の克は、天子の命をもって北杏に会し、共に王室を助けて弱きを済い傾くを扶ける。約を破る者があれば、列国は共にこれを征する」。諸侯は両手を組んで命を受けた。《論語》に言う桓公九合諸侯とは、これがその第一回の会である。髯翁に詩がある。
- (詩:多くの冠裳を着けた諸君が一堂に会し、臨淄の事業は赫然と新たなものとなった。この局面で打たれた最初の一手の意図を誰が見抜けようか、それはひとえに桓公を第一人者として推し尊ばせるためであった、という趣旨)
未参加国への対応と宋公の離脱
- 諸侯の献酬がやっと終わると、管仲は階段を上って言った。「魯・衛・鄭・曹は故意に王命に背き、会に来ませんでした。討伐しないわけにはいきません」。齊の桓公は四君に向かって手を挙げて言った。「わが国の兵車は不足しております。どうか諸君も共に事に当たっていただきたい」
- 陳・蔡・邾の三君は声をそろえて答えた。「あえて我が国の軍を率いてお供いたしましょう」。ただ宋の桓公だけは黙っていた。
- その晩、宋公は館に戻り、大夫の戴叔皮に言った。「齊侯は妄りに自らを尊大とし、順序を越えて会を主宰し、それだけでなく各国の軍を徴発して思いのままに動かそうとしている。将来、我が国はきっと奔走に疲れることになるだろう」
- 叔皮は言った。「諸侯は従う者と従わない者が半々で、齊の勢力はまだ集まりきっておりません。もし魯・鄭を征服すれば、覇業は成りましょう。齊が覇者となることは、宋の福ではありません。会に参加した四国の中では、宋が最も大国です。宋が出兵に従わなければ、他の三国も瓦解するでしょう。まして今回我らが来たのは、ただ王命を得て地位を定めるためだけでした。既に会に列したからには、これ以上何を待つ必要がありましょうか。先に帰るに越したことはありません」
- 宋公はその言葉に従い、五更に車に乗って去った。
齊桓公による魯への圧力
- 齊の桓公は宋公が会を背いて逃げ帰ったと聞き、大いに怒り、仲孫湫を遣わして追わせようとした。管仲は言った。「追うのは義に反します。周王の軍に討伐を請うことができれば、それこそ名分が立ちます。しかしそれよりも急ぐべき事があります」
- 桓公は言った。「何がこれより急ぐのか」。管仲は言った。「宋は遠く魯は近い。しかも魯は周王室と同姓の宗族諸侯です。その魯をまず服させずして、どうして宋を服せましょうか」
- 桓公は言った。「魯を討つには、どの道から進むべきか」。管仲は言った。「濟水の東北に遂という国があります。魯の附庸国で、小さく弱く、わずか四つの姓しかありません。もし大軍でこれを圧しかければ、一朝にして陥落させられましょう。遂が陥落すれば、魯は必ず恐れおののきます。その後に一人の使者を遣わして、会に来なかったことを責めさせ、また魯夫人に通信させましょう。魯夫人はその子が母の実家である齊と親しいことを望むでしょうから、自ずと力を尽くして勧めるでしょう。魯侯は内には母の命に迫られ、外には兵威に脅かされ、必ず盟を求めてくるでしょう。求めてきたところで、これを許すのです。魯と和を結んだ後、兵を宋に移し、王臣をもって臨めば、これは破竹の勢いです」
- 桓公は「よろしい」と言った。そこで自ら軍を率いて遂城に至り、一気にこれを陥落させた。そのまま濟水のほとりに駐屯した。
- 魯の莊公は案の定恐れ、群臣を大いに集めて対策を問うた。公子慶父は言った。「齊の兵は二度も我が国に来ましたが、まだ得たものはありません。私は出兵してこれを防ぎたく存じます」
- 班列の中から一人が進み出て言った。「いけません、いけません」。莊公が見ると、施伯であった。莊公は言った。「お前の考えはどうか」
- 施伯は言った。「私はかつて申し上げました。管子は天下の奇才であり、今、齊の政をとり、兵に節度があります。これが一つ目の不可です。北杏の会は王命を尊奉するという名目で行われ、今、会に来なかったことを責められれば、理は我らの側にありません。これが二つ目の不可です。子糾の処刑には君に功があり、王姫の輿入れには君に労がありました。過去の功労を捨てて将来の仇怨を結ぶのは、これが三つ目の不可です。今の策としては、和を修めて盟を請うに越したことはありません。そうすれば齊は戦わずして退くでしょう」
- 曹劌は言った。「私の考えも同じです」
- ちょうど議論している最中に、報せがあった。「齊侯より書状が届きました」。莊公がこれを見ると、書にはこうあった。
- 「寡人と君とはともに周室に仕える身であり、情は兄弟に等しく、しかも婚姻の間柄でもある。北杏の会に、君は参加されなかった。寡人はあえてその理由を伺いたい。もし二心がおありなら、ただそのご意向に従うまでである。」
- 齊侯はさらに文姜(莊公の母、齊出身)にも書を送って通信した。文姜は莊公を召してこれを語り、言った。「齊と魯とは代々、婚姻で結ばれた母方のおじと甥の間柄です。彼らが私たちを憎むようなことがあっても、なお和好を求めるべきなのに、まして平和を保つことなど当然でしょう」。莊公は「はい、はい」と応じた。
- そこで施伯に返書を書かせた。返書にはこうあった。
- 「孤には犬馬の病があり、命に応じて馳せ参じることができなかった。君が大義をもって責められるのであれば、孤は罪を知るばかりである。しかし城下の盟は、孤にとってまことに恥とするところである。もし君が国境まで軍を退いてくださるなら、孤はあえて玉と絹を捧げてお供しないことがあろうか。」
- 齊侯はこの書を得て大いに喜び、令を伝えて柯の地まで兵を退かせた。
曹沫、莊公に従い柯へ赴く
- 魯の莊公は齊侯に会いに行こうとし、「誰か供をできる者はいるか」と問うた。将軍の曹沫が行くことを願い出た。莊公は言った。「お前は齊に三度敗れている。齊人に笑われることを気にしないのか」
- 曹沫は言った。「三度の敗北を恥じるからこそ、行くことを願うのです。一朝にしてその恥を雪ぎたいのです」
- 莊公は言った。「雪ぐとはどのようにするのか」。曹沫は言った。「我が君は先方の君に当たられ、臣である私は先方の臣に当たります」
- 莊公は言った。「寡人が境を越えて盟を求めるのは、まさにまた敗れるも同然だ。もし恥を雪ぐことができるなら、寡人はお前に従おう」。そこで曹沫と共に出発し、柯の地に至った。
- 齊侯はあらかじめ土を築いて壇を作り待っていた。魯侯はまず人を遣わして罪を謝し盟を請い、齊侯もまた人を遣わして期日を定めた。
柯の盟における曹沫の劫盟
- その日、齊侯は精強な兵を壇の下に配列させた。青・紅・黒・白の旗をそれぞれ東・南・西・北の四方に配し、各隊にはそれぞれ将官がこれを統率し、仲孫湫がこれを取り仕切った。壇の階段は七段に築かれ、各段にはみな壮士が黄色い旗を執って守っていた。壇の上には大きな黄色い旗を一本立て、そこには「方伯」の二字が刺繍されていた。傍らには大太鼓が置かれ、王子成父がこれを掌った。壇の中央には香を置く台が設けられ、朱塗りの盆や玉の器に牲の血を盛った盟の道具が並べられ、隰朋がこれを掌った。両脇の酒器を置く台には金の樽や玉の盃が設けられ、寺人の貂がこれを掌った。壇の西には石柱が二本立てられ、黒い牛と白い馬が繋がれ、屠殺人が屠る準備をし、司庖の易牙がこれを掌った。東郭牙は儐(接待役)となり、階段の下に立って賓客を迎えた。管仲は相となった。その様子はまことに厳粛であった。
- 齊侯は令を伝えた。「魯君が到着したら、ただ一君一臣のみ壇に登ることを許す。他の者は壇の下で控えているように」
- 曹沫は鎧を身の下に着込み、手に鋭い剣を提げて、ぴったりと魯の莊公に付き従った。莊公は一歩ごとに震える思いであったが、曹沫にはまったく恐れる様子がなかった。まさに階段を登ろうとするとき、東郭牙が進み出て言った。「今日は両君のめでたい会見であり、両国の相が儀礼を補佐しております。どうして凶器を用いる必要がありましょうか。剣をお外しください」
- 曹沫は目を怒らせて睨みつけ、目尻が裂けんばかりであった。東郭牙は数歩後退した。莊公と曹沫は階段を登った。両君は会見し、それぞれ友好の意を述べ合った。太鼓を三度打ち終えると、香を置く台に向かって礼を行った。隰朋は玉の盆に血を盛り、跪いて血をすすって盟うよう請うた。
- 曹沫は右手で剣を押さえ、左手で桓公の袖を掴み、怒りの色をあらわにした。管仲は急いで身をもって桓公を庇い、問うた。「大夫は何をなさるのか」
- 曹沫は言った。「魯は連続して兵を受け、国が滅びようとしております。君は弱きを済い傾くを扶けるという名目で会を開かれたのに、独りわが国のことをお考えにならないのですか」
- 管仲は言った。「それでは大夫は何を求めるのか」
- 曹沫は言った。「齊は強きを恃んで弱きを欺き、我が汶陽の田を奪いました。今日これを返還してくだされば、我が君は血をすすって盟いましょう」
- 管仲は桓公を顧みて言った。「君、お許しください」。桓公は言った。「大夫、もうよい。寡人はお前の求めを許そう」。曹沫はそこで剣を放し、隰朋に代わって盆を捧げて進んだ。両君は既に盟いの血をすすり終えた。
- 曹沫は言った。「仲は齊国の政を主られております。私は仲と血をすすって盟いたく存じます」。桓公は言った。「何も仲父でなくともよかろう。寡人がお前と誓おう」。そこで天と太陽を指して言った。「汶陽の田を魯に返さなければ、この太陽のようになるであろう(この誓いに背けば太陽の裁きを受ける)」。曹沫は盟いの血をすすり、再拝して謝意を述べた。互いの献酬は大いに和やかであった。
桓公の信義
- 事が終わると、王子成父らはみな憤懣やるかたなく、桓公に請うた。「魯侯を捕らえ、曹沫の恥辱に報いたい」。桓公は言った。「寡人は既に曹沫に約束した。一介の匹夫の約束でさえ信を失わないものを、まして君主ならなおさらである」。人々はそこで止めた。
- 翌日、桓公はまた公館に酒宴を設け、莊公と歓を尽くして別れた。すぐに南方の邑宰に命じて、かつて侵略した汶陽の田をことごとく魯に返還させた。昔の人が論じるに、要盟(強要された盟約)は破ってもよいとされるが、桓公はこれを欺かず、曹子は仇とすべき相手だが、桓公はこれを怨まなかった。これこそが諸侯を服させ天下に覇を唱えられた理由である。詩がある。
- (詩:巍々たる覇気は東魯を呑み込むほどであったが、一尺の短剣ごときでどうして武力を振るえようか。信義をもって群雄を服させようとして、汶陽の一片の土地を惜しまなかった、という趣旨)
- また曹沫が齊の桓公を劫(脅)したこの一事を単独で詠う詩もある。これは後世の俠客の祖とされる。詩にいう。
- (詩:武器と甲冑に身を固めた軍勢がびっしりと潮のように取り囲む中、剣を仗んじて壇に登った意気は豪壮であった。三度の敗北の恥を一日で洗い流し、千秋にわたり俠客の第一に曹を称える、という趣旨)
諸侯の帰服と宋討伐の準備
- 諸侯は柯の盟の事を聞き、みな桓公の信義に服した。そこで衛・曹の二国は、いずれも人を遣わして罪を謝し盟を請うた。桓公は宋討伐の後に改めて会を約すこととした。そこで再び使者を周に遣わし、宋公が王命を尊ばず会に来なかったことを告げ、周王の軍の出動を請い、共に罪を問うこととした。
- 周の釐王は大夫の単蔑に命じ、軍を率いて齊と合流し宋を討たせた。斥候の報告によれば陳・曹の二国も兵を率いて従軍し、先鋒となることを願い出た。桓公は管仲に先に一軍を率いさせ、まず陳・曹と合流させ、自らは隰朋・王子成父・東郭牙らを率いて大軍を統率してこれに続き、商邱で足並みを揃えさせた。時に周の釐王二年の春であった。
管仲と寧戚の出会い
- さて管仲には婧という愛妾がおり、鐘離の人で、文章に通じ知略もあった。桓公は好色で、出行のたびに必ず側女を随行させたが、管仲もまた婧を随行させた。この日、管仲の軍は南門を出て、約三十余里進み、峱山に至ると、一人の田舎者を見た。短い粗末な衣を着て、破れ笠を被り、裸足で牛を放牧していた。この人物は牛の角を叩きながら歌っていた。
- 管仲は車の上からその人物を観察し、並みならぬ人物と見て、人を遣わして酒食で労った。田舎者は食べ終えると言った。「相君の仲父にお目にかかりたく存じます」。使者は言った。「相国の車は既に通り過ぎてしまいました」。田舎者は言った。「私には一言申し上げたいことがございます。どうか相君にお伝えください。『浩浩乎白水(浩々たる白水よ)』と」
- 使者は管仲の車を追いつき、その言葉を伝えた。管仲は茫然として何を意味するのか分からず、妾の婧に尋ねた。婧は言った。「私が聞くところでは、古くに《白水》という詩があり、『浩浩たる白水、儵儵たる魚、君が来て我を召せば、我はどこに落ち着こうか』というものです。この人物はおそらく仕官を望んでいるのでしょう」
- 管仲はすぐに車を止めさせ、人を遣わしてその人物を呼ばせた。田舎者は牛を村の家に預け、使者に従って管仲に会いに来ると、深く一礼するだけで拝礼はしなかった。管仲がその姓名を問うと、言った。「衛の田舎者でございます。姓は寧、名は戚と申します。相君が賢を好み士を礼遇されることを慕い、遠路をものともせずここまで参りました。自ら申し出る手立てがなく、村人のために牛を放牧していただけでございます」
- 管仲がその学問について尋ねると、応対は流れるようであった。管仲は嘆じて言った。「豪傑が泥にまみれ、引き立てる者に出会わなければ、どうして自らを世に現すことができようか。我が君の大軍が後に続いており、近日中にこの地を通るはずだ。私は書状をしたためよう。お前はこれを持って我が君に謁見せよ。必ず重く用いられるだろう」。管仲はすぐに書状を書き付け、そのまま寧戚に渡し、互いに別れた。寧戚はそのまま峱山の下で牛を放牧し続けた。
寧戚、牛の角を叩いて歌い大夫に挙げられる
- 齊の桓公の大軍は三日後にようやくそこを通った。寧戚は以前と同じく短い粗末な衣を着て破れ笠を被り裸足のまま、道端に立ち、まったく避けようとしなかった。桓公の車が近づくと、寧戚は牛の角を叩きながら歌った。
- (詩:南山は輝き白い石は照り、その中に一尺半の鯉魚がいる。堯舜の禅譲の世に生まれ合わせず、粗末な短い衣は脛にしか至らない。夕暮れから真夜中まで牛に飼葉をやり続け、長い夜はいつ明けるのか、という趣旨)
- 桓公はこれを聞いて怪しみ、左右に命じて車の前に連れて来させ、その姓名と居所を尋ねた。戚は実を答えて言った。「姓は寧、名は戚と申します」
- 桓公は言った。「お前は牛飼いの身で、どうして時政をあてこするのか」。寧戚は言った。「私はつまらぬ者でございます。どうしてあてこすりなどいたしましょうか」
- 桓公は言った。「今、天子は上におられ、寡人は諸侯を率いて下に服し、人民は生業を楽しみ、草木は春の恵みを受け、まさに舜堯の世にも劣らぬものだ。お前は『堯舜の世に生まれ合わせず』と言い、また『長夜が明けない』とも言った。これはあてこすりでなくて何であろうか」
- 寧戚は言った。「私は村夫にすぎず、先王の政を見たことはございません。しかし聞くところによれば、堯舜の世は十日に一度の風、五日に一度の雨があり、人民は田を耕して食べ、井戸を掘って飲んだと申します。いわゆる『識らず知らず、天帝の則に従う』というのがこれです。今は綱紀が振るわず教化が行われない世であるのに、堯舜のような太平の世と申されるのは、まことにつまらぬ者には理解しがたいところでございます。また堯舜の世は百官を正して諸侯が服し、四凶を除いて天下が安んじ、言わずして信ぜられ、怒らずして威があったと聞いております。今、明公は一度事を挙げれば宋が会に背き、再び事を挙げれば魯が盟の場で明公を脅かし、用兵は絶えず、民は疲れ財は尽きているのに、『人民は生業を楽しみ、草木は春の恵みを受ける』と申されるのも、またつまらぬ者には理解しがたいところでございます。さらにつまらぬ者が聞くところでは、堯はその子の丹朱を棄てて天下を舜に譲り、舜もまた南河に避けたところ、人民が趨き参じて彼を奉じ、やむを得ず帝位に即いたと申します。今、明公は兄を殺して国を得られ、天子を笠に着て諸侯に号令されておられます。つまらぬ者にはまた、これが唐虞の揖譲とどう異なるのか、存じません」
- 桓公は大いに怒って言った。「匹夫が不遜な言葉を吐くとは」。斬るよう命じた。左右の者は寧戚を縛って刑場へ連れて行こうとした。戚は顔色を変えず、恐れる様子は少しもなく、天を仰いで嘆じた。「桀は龍逢を殺し、紂は比干を殺した。今、寧戚は彼らと合わせて三人目になろう」(底本は「比干」を「比於」と作る)
- 隰朋が奏上した。「この人物は勢いを見ても媚びず、威を見ても恐れません。ただの牛飼いの者ではございません。君はどうかお赦しください」。桓公は思い直し、怒気が急に収まった。そこで寧戚の縛めを解くよう命じ、戚に言った。「寡人はまさにお前を試したのだ。お前はまことに良き士である」
- 寧戚はそこで懐から管仲の書状を取り出した。桓公はこれを開いて見た。書にはこうあった。
- 「臣は命を奉じて出師し、峱山に至って衛の人、寧戚を得ました。この人物は牛飼いの類ではなく、当代の有用の才です。君はどうか彼を留めて自らの輔けとされますように。もし彼を棄てて隣国に用いられるようなことになれば、齊は悔いても及びません。」
- 桓公は言った。「お前は既に仲父の書状を持っていながら、なぜすぐに寡人に呈示しなかったのか」
- 寧戚は言った。「私は『賢君は人を選んで補佐とし、賢臣もまた主を選んで仕える』と聞いております。君がもし正直を憎んで諂いを好み、怒りの色を私に向けられるようなら、私は死んでも決して相国の書状を出すつもりはございませんでした」
- 桓公は大いに喜び、後ろの車に乗せるよう命じた。その晩、宿営を張って軍を休ませると、桓公は篝火を掲げるよう命じ、衣冠を急いで探させた。寺人の貂は言った。「君が衣冠を探されるのは、寧戚を爵位に就けるためですか」。桓公は「そうだ」と言った。
- 寺人の貂は言った。「衛は齊から遠くありません。どうして人を遣わして調べさせないのですか。もしその人物が果たして賢者であれば、爵位を授けるのは今からでも遅くはありません」
- 桓公は言った。「この人物は闊達な才の持ち主で、小節にはこだわらない性質だ。もし衛にいたときに、あるいは些細な過ちがあったかもしれない。その過ちを調べ出せば、爵位を授けても光栄とはならず、かといって棄てるには惜しい」。そのまま燈火の下で寧戚を大夫に任じ、管仲と共に国政に参与させることとした。寧戚は衣冠を改め、謝恩して退出した。髯翁に詩がある。
- (詩:短い粗末な衣で牛飼いの窮乏の身であったが、堯舜には出会わず桓公に出会った。牛の角を叩いて歌う声が絶えて以来、再び飛熊(賢臣を得る夢の故事)の夢を見ることはなかった、という趣旨)
寧戚、宋公を説く
- 桓公の兵は宋の国境に至った。陳の宣公杵臼と曹の莊公射姑が先に到着していた。続いて周の単子の軍も到着した。互いに会見が終わると、宋討伐の策を協議した。
- 寧戚が進み出て言った。「明公は天子の命を奉じ諸侯を糾合されました。威をもって勝つよりも、徳をもって勝つに越したことはありません。私の愚かな考えでは、しばらく進軍する必要はないと思います。私は不才ながら、三寸の舌をふるって、宋公のもとへ赴き和議を説いてまいりたく存じます」
- 桓公は大いに喜び、令を伝えて国境に陣を張らせ、寧戚に宋への使いを命じた。戚は小さな車に乗り、従者数人を連れて、まっすぐ睢陽に至り、宋公に会いに行った。
- 宋公は戴叔皮に問うた。「寧戚とは何者か」。叔皮は言った。「私が聞くところでは、この人物はもとは牛飼いの村夫で、齊侯が新たに取り立てた者です。必ず口先の巧みさが人並み外れているのでしょう。今回来たのは説得のために違いありません」
- 宋公は言った。「どう対処すればよいか」。叔皮は言った。「主君は彼を招き入れられても、礼をもって待遇せず、その動きを観察されるべきです。もし口を開いて一言でも不適当なことを言えば、私が帯紐を引くのを合図に、すぐに武士に捕らえて幽閉させましょう。そうすれば齊侯の計略は挫かれるでしょう」。宋公はうなずき、武士に控えるよう命じた。
- 寧戚はゆったりとした衣に大きな帯を締め、堂々と入り、宋公に向かって深く一礼した。宋公は座ったまま答えなかった。戚はそこで顔を上げて長く嘆じ、言った。「危ういかな、宋国は」
- 宋公は驚いて言った。「孤は上公の位にあり、かたじけなくも諸侯の首座を汚している身。危ういとはどこからそのような言葉が出るのか」
- 戚は言った。「明公は御自身を周公と比べて、どちらが優れているとお考えですか」。宋公は言った。「周公は聖人である。孤はどうしてこれに比べられようか」
- 戚は言った。「周公は周の盛時にあって、天下は太平で四夷は服従しておりましたが、それでもなお食事中に口の中の物を吐き出し髪を握ったままでも天下の賢士を迎え入れました(吐哺握髮の故事)。明公は滅びた殷の遺裔という立場にありながら、群雄が力を争う時代に処し、二代続いた弑逆の後を継いでおられます。すぐにも周公にならい、身をかがめて士に接するようになさっても、なお士が来ないことを恐れるべきところです。それなのに妄りに自らを誇り、賢者を軽んじ客をおろそかにされておられます。たとえ忠言があっても、どうして明公の前に届きましょうか。危うくないはずがありましょうか」
- 宋公は愕然とし、座を立って言った。「孤は跡を継いで日も浅く、まだ君子の教えを聞いたことがない。先生、どうか責めないでください」
- 叔皮は傍らで、宋公が寧戚に動かされているのを見て、しきりに帯紐を持ち上げた。しかし宋公はこれに構わず、寧戚に言った。「先生がここに来られたのは、私に何を教えてくださるためですか」
- 戚は言った。「天子は権を失い、諸侯は星のように散り、君臣の序はなく、簒弑の報せが日々聞こえてまいります。齊侯は天下の乱を忍びず、恭しく王命を承けて諸夏(中原諸侯)の盟を主宰しておられます。明公は会に列席され、それによって地位を定められました。もしまたこれに背かれれば、いまだ定まっていないのと同じです。今、天子は激しくお怒りになり、特に王臣を遣わし諸侯を率いて宋を討たれようとしています。明公は先に王命に背き、後に周王の軍に抗われる。まだ交戦してもいないのに、私は既に勝敗の行方が定まっているものと存じます」
- 宋公は言った。「先生のお考えはどうか」。戚は言った。「私の愚かな考えでは、わずかばかりの束帛の贈り物を惜しまず、齊と会盟なさるべきです。上は周に臣として仕える礼を失わず、下は盟主との歓を結ぶことができ、武器と鎧を動かさずして宋国は泰山のように安泰となりましょう」
- 宋公は言った。「孤は一時の見誤りで会を最後まで通さず、今、齊はまさに我が国に兵を加えようとしている。どうして我が贈り物を受け入れよう」
- 戚は言った。「齊侯は寛仁で度量が大きく、人の過ちを咎めず旧悪を念いません。魯が会に来なかった例でも、柯で一度盟を結ぶと、侵略していた田をすぐに返還いたしました。まして明公は会に列席なさった方です。どうして受け入れられないことがありましょうか」
- 宋公は言った。「何を贈り物とすればよいか」。戚は言った。「齊侯は礼をもって隣国と親しみ、厚く与えて薄く受け取ります。束ねた干し肉ほどでも贈り物になりましょう。どうして必ずしも府庫の蓄えを傾ける必要がありましょうか」
- 宋公は大いに喜び、そこで使者を寧戚に随行させ、齊の軍中に和議を請わせた。叔皮は満面に恥じ入って退いた。
宋との和議成立
- さて宋の使者は齊侯に会い、罪を謝し盟を請う旨を告げた。白玉十玨、黄金千鎰を献上した。齊の桓公は言った。「天子の命があるからには、寡人はどうして勝手に決められようか。必ず王臣に煩わせて王に取り次いでいただかねばならぬ」。桓公はそこで献上された黄金と白玉をそのまま単子に転送し、宋公が和議を求める意向を伝えさせた。
- 単子は言った。「もし君侯がお赦しになるならば、天王に取り次ぐべき材料ができました。あえて命に従わないことがありましょうか」。桓公はそこで宋公に周への貢献の礼を修めさせ、その後改めて会の期日を定めることとした。単子は齊侯に別れを告げて帰った。齊と陳・曹の二君はそれぞれ本国に帰った。後の事がどうなるか、次回を見よ。
原文(底本)
周釐王元年春正月,齊桓公設朝,群臣拜賀已畢,問管仲曰:「寡人承仲父之教,更張國政。今國中兵精糧足,百姓皆知禮義,意欲立盟定伯,何如?」管仲對曰:「當今諸侯,強於齊者甚眾。南有荊楚,西有秦晉。然皆自逞其雄,不知尊奉周王,所以不能成霸。周雖衰微,乃天下之共主。東遷以來,諸侯不朝,不貢方物,故鄭伯射桓王之肩,五國拒莊王之命,遂令列國臣子,不知君父。熊通僭號,宋鄭弒君,習為故然,莫敢征討。今莊王初崩,新王即位,宋國近遭南宮長萬之亂,賊臣雖戮,宋君未定,君可遣使朝周,請天子之旨,大會諸侯,立定宋君。宋君一定,然後奉天子以令諸侯,內尊王室,外攘四夷。列國之中,衰弱者扶之,強橫者抑之,昏亂不共命者,率諸侯討之。海內諸侯,皆知我之無私,必相率而朝於齊。不動兵車,而霸可成矣。」桓公大悅。於是遣使至洛陽朝賀釐王,因請奉命為會,以定宋君。釐王曰:「伯舅不忘周室,朕之幸也。泗上諸侯,惟伯舅左右之,朕豈有愛焉?」使者回報桓公。桓公遂以王命布告宋、魯、陳、蔡、衛、鄭、曹、邾諸國,約以三月朔日,共會北杏之地。桓公問管仲曰:「此番赴會,用兵車多少?」管仲曰:「君奉王命,以臨諸侯,安用兵車?請為衣裳之會。」桓公曰:「諾。」乃使軍士先築壇三層,高起三丈。左懸鐘,右設鼓,先陳天子虛位於上,旁設反坫,玉帛器具,加倍整齊。又預備館舍數處,悉要高敞合式。 至期,宋桓公御說先到,與齊桓公相見,謝其定位之意。次日,陳宣公杵臼,邾子克二君繼到。蔡哀侯獻舞,恨楚見執,亦來赴會。四國見齊無兵車,相顧曰:「齊侯推誠待人,一至於此。」乃各將兵車退在二十里之外。時二月將盡,桓公謂管仲曰:「諸侯未集,改期待之,如何?」管仲曰:「語云:『三人成眾。』今至者四國,不為不眾矣。若改期,是無信也。待而不至,是辱王命也。初合諸侯,而以不信聞,且辱王命,何以圖霸?」桓公曰:「盟乎,會乎?」管仲曰:「人心未一,俟會而不散,乃可盟耳。」桓公曰:「善。」 三月朔,昧爽,五國諸侯,俱集於壇下。相見禮畢,桓公拱手告諸侯曰:「王政久廢,叛亂相尋。孤奉周天子之命,會群公以匡王室。今日之事,必推一人為主,然後權有所屬,而政令可施於天下。」諸侯紛紛私議:欲推齊,則宋爵上公,齊止稱侯,尊卑有序;欲推宋,則宋公新立,賴齊定位,未敢自尊。事在兩難。陳宣公杵臼越席言曰:「天子以糾合之命,屬諸齊侯,誰敢代之?宜推齊侯為盟會之主。」諸侯皆曰:「非齊侯不堪此任,陳侯之言是也。」桓公再三謙讓,然後登壇。齊侯為主,次宋公,次陳侯,次蔡侯,次邾子。排列已定,鳴鐘擊鼓,先於天子位前行禮,然後交拜,敘兄弟之情。仲孫湫捧約簡一函,跪而讀之曰:「某年月日,齊小白,宋御說、陳杵臼、蔡獻舞、邾克,以天子命,會於北杏,共獎王室,濟弱扶傾。有敗約者,列國共征之!」諸侯拱手受命。《論語》稱桓公九合諸侯,此其第一會也。髯翁有詩云: 濟濟冠裳集五君,臨淄事業赫然新。局中先著誰能識?只為推尊第一人。 諸候獻酬甫畢,管仲歷階而上曰:「魯、衛、鄭、曹,故違王命,不來赴會,不可不討。」齊桓公舉手向四君曰:「敝邑兵車不足,願諸君同事!」陳、蔡、邾三君齊聲應曰:「敢不率敝賦以從。」惟宋桓公嘿然。 是晚,宋公回館,謂大夫戴叔皮曰:「齊侯妄自尊大,越次主會,便欲調遣各國之兵。將來吾國且疲於奔命矣!」叔皮曰:「諸侯從違相半,齊勢未集。若征服魯鄭,霸業成矣。齊之霸,非宋福也。與會四國,惟宋為大,宋不從兵,三國亦將解體。況吾今日之來,止欲得王命,以定位耳。已列於會,又何俟焉?不如先歸。」宋公從其言,遂於五更登車而去。 齊桓公聞宋公背會逃歸,大怒,欲遣仲孫湫追之。管仲曰:「追之非義,可請王師伐之,乃為有名。然事更有急於此者。」桓公曰:「何事更急於此?」管仲曰:「宋遠而魯近,且王室宗盟,不先服魯,何以服宋?」桓公曰:「伐魯當從何路?」管仲曰:「濟之東北有遂者,乃魯之附庸,國小而弱,纔四姓耳。若以重兵壓之,可不崇朝而下。遂下,魯必悚懼。然後遣一介之使,責其不會。再遣人通信於魯夫人。魯夫人欲其子親厚於外家,自當極力慫恿。魯侯內迫母命,外怵兵威,必將求盟。俟其來求,因而許之。平魯之後,移兵於宋,臨以王臣,此破竹之勢也。」桓公曰:「善。」乃親自率師至遂城,一鼓而下。因駐兵於濟水。魯莊公果懼,大集群臣問計。公子慶父曰:「齊兵兩至吾國,未嘗得利,臣願出兵拒之。」班中一人出曰:「不可!不可!」莊公視之,乃施伯也。莊公曰:「汝計將安出?」施伯曰:「臣嘗言之:管子天下奇才,今得齊政,兵有節制,其不可一也;北杏之會,以奉命尊王為名,今責違命,理曲在我,其不可二也;子糾之戮,君有功焉,王姬之嫁,君有勞焉,棄往日之功勞,結將來之仇怨,其不可三也。為今之計,不若修和請盟,齊可不戰而退。」曹劌曰:「臣意亦如此。」正議論間,報道:「齊侯有書至。」莊公視之,大意曰: 寡人與君並事周室,情同昆弟,且婚姻也。北杏之會,君不與焉。寡人敢請其故?若有二心,亦惟命。 齊侯另有書通信於文姜,文姜召莊公語之曰:「齊魯世為甥舅,使其惡我,猶將乞好,況取平乎?」莊公唯唯。乃使施伯答書,略曰: 孤有犬馬之疾,未獲奔命。君以大義責之,孤知罪矣!然城下之盟,孤實恥之!若退舍於君之境上,孤敢不捧玉帛以從。 齊侯得書大悅,傳令退兵於柯。 魯莊公將往會齊侯,問:「群臣誰能從者?」將軍曹沫請往。莊公曰:「汝三敗於齊,不慮齊人笑耶?」曹沫曰:「惟恥三敗,是以願往,將一朝而雪之。」莊公曰:「雪之何如?」曹沫曰:「君當其君,臣當其臣。」莊公曰:「寡人越境求盟,猶再敗也。若能雪恥,寡人聽子矣!」遂偕曹沫而行,至於柯地。齊侯預築土為壇以待。魯侯先使人謝罪請盟,齊侯亦使人訂期。 是日,齊侯將雄兵布列壇下,青紅黑白旗,按東南西北四方,各自分隊,各有將官統領,仲孫湫掌之。階級七層,每層俱有壯士,執著黃旗把守。壇上建大黃旗一面,繡出「方伯」二字。旁置大鼓,王子成父掌之。壇中間設香案,排列著朱盤玉盂盛牲歃盟之器,隰朋掌之。兩旁反坫,設有金尊玉斝,寺人貂掌之。壇西立石柱二根,繫著烏牛白馬,屠人準備宰殺,司庖易牙掌之。東郭牙為儐,立於階下迎賓。管仲為相。氣象十分整肅。齊侯傳令:「魯君若到,止許一君一臣登壇,餘人息屏壇下。」曹沫衷甲,手提利劍,緊隨著魯莊公。莊公一步一戰,曹沫全無懼色。將次升階,東郭牙進曰:「今日兩君好會,兩相贊禮,安用凶器?請去劍!」曹沫睜目視之,兩盡裂。東郭牙倒退幾步。莊公君臣歷階而上。兩君相見,各敘通好之意。三通鼓畢,對香案行禮。隰朋將玉盂盛血,跪而請歃。曹沫右手按劍,左手攬桓公之袖,怒形於色。管仲急以身蔽桓公,問曰:「大夫何為者?」曹沫曰:「魯連次受兵,國將亡矣。君以濟弱扶傾為會,獨不為敝邑念乎?」管仲曰:「然則大夫何求?」曹沫曰:「齊恃強欺弱,奪我汶陽之田,今日請還,吾君乃就歃耳!」管仲顧桓公曰:「君可許之。」桓公曰:「大夫休矣,寡人許子!」曹沫乃釋劍,代隰朋捧盂以進。兩君俱已歃訖。曹沫曰:「仲主齊國之政,臣願與仲歃。」桓公曰:「何必仲父?寡人與子立誓。」乃向天指日曰:「所不反汶陽田於魯者,有如此日!」曹沫受歃,再拜稱謝。獻酬甚歡。 既畢事,王子成父諸人,俱憤憤不平,請於桓公,欲劫魯侯,以報曹沫之辱。桓公曰:「寡人已許曹沫矣!匹夫約言,尚不失信,況君乎?」眾人乃止。明日,桓公復置酒公館,與莊公歡飲而別。即命南鄙邑宰,將原侵汶陽田,盡數交割還魯。昔人論要盟可犯,而桓公不欺,曹子可仇,而桓公不怨,此所以服諸侯霸天下也。有詩云: 巍巍霸氣吞東魯,尺劍如何能用武?要將信義服群雄,不吝汶陽一片土。 又有詩單道曹沫劫齊桓公一事,此乃後世俠客之祖。詩云: 森森戈甲擁如潮,仗劍登壇意氣豪,三敗羞顏一日洗,千秋俠客首稱曹。 諸侯聞盟柯之事,皆服桓公之信義。於是衛曹二國,皆遣人謝罪請盟。桓公約以伐宋之後,相訂為會。乃再遣使如周,告以宋公不尊王命,不來赴會,請王師下臨,同往問罪。周釐王使大夫單蔑,率師會齊伐宋。諜報陳曹二國引兵從征,願為前部。桓公使管仲先率一軍,前會陳曹,自引隰朋、王子成父、東郭牙等,統領大軍繼進,於商邱取齊。時周釐王二年之春也。 卻說管仲有愛妾名婧,鐘離人,通文有智。桓公好色,每出行,必以姬嬪自隨。管仲亦以婧從行。是日,管仲軍出南門,約行三十餘里,至峱山,見一野夫,短褐單衣,破笠赤腳,放牛於山下。此人叩牛角而歌。管仲在車上,察其人不凡,使人以酒食勞之。野夫食畢,言:「欲見相君仲父。」使者曰:「相國車已過去矣。」野夫曰:「某有一語,幸傳於相君:『浩浩乎白水!』」使者追及管仲之車,以其語述之。管仲茫然,不解所謂,以問妾婧。婧曰:「妾聞古有《白水》之詩云:『浩浩白水,儵儵之魚,君來召我,我將安居?』此人殆欲仕也。」管仲即命停車,使人召之。野夫將牛寄於村家,隨使者來見管仲,長揖不拜。管仲問其姓名,曰:「衛之野人也,姓寧名戚。慕相君好賢禮士,不憚跋涉至此。無由自達,為村人牧牛耳。」管仲叩其所學,應對如流。嘆曰:「豪傑辱於泥塗,不遇汲引,何以自顯?吾君大軍在後,不日當過此。吾當作書,子持以謁吾君,必當重用。」管仲即作書緘,就交付甯戚,彼此各別。甯戚仍牧牛於峱山之下。齊桓公大軍三日後方到,甯戚依前短褐單衣,破笠赤腳,立於路旁,全不畏避。桓公乘輿將近,甯戚遂叩牛角而歌之曰: 南山燦,白石爛,中有鯉魚長尺半。生不逢堯與舜禪,短褐單衣纔至骭。從昏飯牛至夜半,長夜漫漫何時旦? 桓公聞而異之,命左右擁至車前,問其姓名居處。戚以實對曰:「姓寧名戚。」桓公曰:「汝牧夫,何得譏刺時政?」甯戚曰:「臣小人,安敢譏刺?」桓公曰:「當今天子在上,寡人率諸侯賓服於下,百姓樂業,草木沾春,舜日堯天,不過如此。汝謂『不逢堯舜』,又曰:『長夜不旦』,非譏刺而何?」甯戚曰:「臣雖村夫,不睹先王之政。然嘗聞堯舜之世,十日一風,五日一雨,百姓耕田而食,鑿井而飲,所謂『不識不知,順帝之則』是也。今值紀綱不振,教化不行之世,而曰舜日堯天,誠小人所不解也。且又聞堯舜之世,正百官而諸侯服,去四兇而天下安,不言而信,不怒而威。今明公一舉而宋背會,再舉而魯劫盟,用兵不息,民勞財敝,而曰『百姓樂業,草木沾春』,又小人所未解也。小人又聞堯棄其子丹朱,而讓天下於舜,舜又避於南河,百姓趨而奉之,不得已即帝位。今君殺兄得國,假天子以令諸侯,小人又不知於唐虞揖讓何如也!」桓公大怒曰:「匹夫出言不遜!」喝令斬之。左右縛甯戚去,將行刑。戚顏色不變,了無懼意,仰天嘆曰:「桀殺龍逢,紂殺比於,今甯戚與之為三矣!」隰朋奏曰:「此人見勢不趨,見威不惕,非尋常牧夫也。君其赦之!」桓公念頭一轉,怒氣頓平,遂命釋甯戚之縛,謂戚曰:「寡人聊以試子,子誠佳士。」甯戚因探懷中,出管仲之書。桓公拆而觀之。書略云: 臣奉命出師,行至峱山,得衛人甯戚。此人非牧豎者流,乃當世有用之才,君宜留以自輔。若棄之使見用於鄰國,則齊悔無及矣! 桓公曰:「子既有仲父之書,何不遂呈寡人?」甯戚曰:「臣聞『賢君擇人為佐,賢臣亦擇主而輔。』君如惡直好諛,以怒色加臣,臣寧死,必不出相國之書矣。」桓公大悅,命以後車載之。是晚,下寨休軍,桓公命舉火,索衣冠甚急。寺人貂曰:「君索衣冠,為爵甯戚乎?」桓公曰:「然。」寺人貂曰:「衛去齊不遠,何不使人訪之?使其人果賢,爵之未晚。」桓公曰:「此人廓達之才,不拘小節,恐其在衛,或有細過。訪得其過,爵之則不光,棄之則可惜!」即於燈燭之下,拜甯戚為大夫,使與管仲同參國政。甯戚改換衣冠,謝恩而出。髯翁有詩曰: 短褐單衣牧豎窮,不逢堯舜遇桓公。自從叩角歌聲歇,無復飛熊入夢中。 桓公兵至宋界,陳宣公杵臼,曹莊公射姑先在。隨後周單子兵亦至。相見已畢,商議攻宋之策。甯戚進曰:「明公奉天子之命,糾合諸侯,以威勝,不如以德勝。依臣愚見,且不必進兵。臣雖不才,請掉三寸之舌,前去說宋公行成。」桓公大悅,傳令紮寨於界上,命甯戚入宋。戚乃乘一小車,與從者數人,直至睢陽,來見宋公。宋公問於戴叔皮曰:「甯戚何人也?」叔皮曰:「臣聞此人乃牧牛村夫,齊侯新拔之於位。必其口才過人,此來乃使其遊說也。」宋公曰:「何以待之?」叔皮曰:「主公召入,勿以禮待之,觀其動靜。若開口一不當,臣請引紳為號,便令武士擒而囚之。則齊侯之計沮矣。」宋公點首,吩咐武士伺候。甯戚寬衣大帶,昂然而入,向宋公長揖。宋公端坐不答。戚乃仰面長嘆曰:「危哉乎,宋國也!」宋公駭然曰:「孤位備上公,忝為諸侯之首,危何從至?」戚曰:「明公自比與周公孰賢?」宋公曰:「周公聖人也,孤焉敢比之?」戚曰:「周公在周盛時,天下太平,四夷賓服,猶且吐哺握髮,以納天下賢士。明公以亡國之餘,處群雄角力之秋,繼兩世弒逆之後,即效法周公,卑躬下士,猶恐士之不至。乃妄自矜大,簡賢慢客,雖有忠言,安能至明公之前乎?不危何待!」宋公愕然,離坐曰:「孤嗣位日淺,未聞君子之訓,先生勿罪!」叔皮在旁,見宋公為甯戚所動,連連舉其帶紳。宋公不顧,乃謂甯戚曰:「先生此來,何以教我?」戚曰:「天子失權,諸侯星散,君臣無等,篡弒日聞。齊侯不忍天下之亂,恭承王命,以主夏盟。明公列名於會,以定位也。若又背之,猶不定也。今天子赫然震怒,特遣王臣,驅率諸侯,以討於宋。明公既叛王命於前,又抗王師於後,不待交兵,臣已卜勝負之有在矣。」宋公曰:「先生之見如何?」戚曰:「以臣愚計,勿惜一束之贄,與齊會盟。上不失臣周之禮,下可結盟主之懽,兵甲不動,宋國安於泰山。」宋公曰:「孤一時失計,不終會好,今齊方加兵於我,安肯受吾之贄?」戚曰:「齊侯寬仁大度,不錄人過,不念舊惡。如魯不赴會,一盟於柯,遂舉侵田而返之。況明公在會之人,焉有不納?」宋公曰:「將何為贄?」戚曰:「齊侯以禮睦鄰,厚往薄來。即束脯可贄,豈必傾府庫之藏哉?」宋公大悅,乃遣使隨甯戚至齊軍中請成。叔皮滿面羞慚而退。 卻說宋使見了齊侯,言謝罪請盟之事。獻白玉十玨,黃金千鎰。齊桓公曰:「天子有命,寡人安敢自專?必須煩王臣轉奏於王方可。」桓公即以所獻金玉,轉送單子,致宋公取成之意。單子曰:「苟君侯赦宥,有所藉手,以復於天王,敢不如命。」桓公乃使宋公修聘於周,然後再訂會期。單子辭齊侯而歸。齊與陳曹二君各回本國。要知後事如何,且看下回分解。
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