東周列國志第二十五回 智者荀息、途を借りて虢を滅ぼす/窮した百里奚、牛を飼って相に拝される (智荀息假途滅虢 窮百里飼牛拜相)
驪姫の陰謀
- 話は変わって、晋の献公は驪姫に内から惑わされ、「二五」に外から惑わされ、ますます太子を疎んじ、奚斉を偏愛していた。ただ申生は小心翼々と父に従い、しばしば兵を率いて功を立てていたため、つけ入る隙がなかった。驪姫は優施を召し、心中の秘めた思いを告げて言った。「今、太子を廃して奚斉を立てたいのだが、どのような策があろうか」。施は言った。「三人の公子はみな遠い辺境におります。誰が夫人の邪魔をできましょうか」。驪姫は言った。「三人の公子はみな年壮んで、すでに久しく物事を経験しており、朝廷には彼らを支持する者も多い。わたしはまだ動かせずにいる」。施は言った。「それならば順を追って除いていくべきです」。驪姫は「誰を先に除くべきか」と尋ねた。施は言った。「必ず申生を先にすべきです。彼の人となりは、情け深く潔白です。潔白であれば自ら汚れることを恥じ、情け深ければ人を害することを憚ります。自ら汚れることを恥じれば、憤りを抑えられなくなり、人を害することを憚れば、自分を害することはたやすいのです。しかし世子はその行跡ゆえにすでに疎んじられているとはいえ、君はもとより彼の人柄をご存じですから、異心があると誹謗しても決してお信じにはなりますまい。夫人は必ず夜半に泣いて君に訴え、あたかも世子を誉めているかのようにして、それに乗じて誣告するのです。それでこそ計は成功に近づきましょう」。
- 驪姫は果たして夜半に泣いた。献公は驚いてその理由を尋ねたが、再三言おうとしなかった。献公が迫ると、驪姫は答えて言った。「妾がこれを言えば、君は必ずお信じにならないでしょう。妾が泣いているのは、妾が長く君のもとで歓びを侍ることができなくなるのを恐れているのです」。献公は「なぜそのような不吉なことを言うのか」と言った。驪姫は涙を収めて答えた。「妾が聞くところでは、申生の人となりは、外は仁だが内心は残忍だとのこと。彼が曲沃にいるとき、民に大いに恩恵を施したので、民は彼のために死をも厭わないとのこと。その心には何か企みがあるのでしょう。申生はいつも人にこう言っているそうです、『君は妾に惑わされ、必ず国を乱すだろう』と。朝廷じゅうがこれを聞いているのに、ひとり君だけがお聞きにならないだけです。あるいは国を安んじるためを名目に、禍が君に及ぶかもしれません。君はどうして妾を殺して申生に謝罪し、その謀を塞いでくださらないのですか。一人の妾のために民を乱すべきではありません」。
- 献公は「申生は民に仁であって、父にだけ不仁であるはずがなかろう」と言った。驪姫は答えた。「妾もまた疑わしく思います。しかし妾が聞いたところでは、外の人はこう言っております、『匹夫の仁と、上に立つ者の仁は同じではない。匹夫は肉親を愛することを仁とするが、上に立つ者は国を利することを仁とする。もし国に利があれば、肉親などどうでもよいのだ』と」。献公は「彼は潔白を好む、悪名を恐れないだろうか」と言った。驪姫は答えた。「昔、幽王は宜臼を殺さず、申に追放しました。申侯は犬戎を招き、驪山の下で幽王を殺し、宜臼を立てて君としました。これが平王であり、東周の始祖です。今日に至るまで、幽王の悪はますます明らかになっていますが、誰か『身を汚した』という名を平王に加える者がありましょうか」。献公は心中悚れ、衣をまとって起き上がり座り直して言った。「夫人の言葉はもっともだ。どうすればよいか」。驪姫は言った。「君は老いを理由に国を譲られてはいかがでしょう。彼が国を得てその欲を満たせば、あるいは君を許すことができるかもしれません。しかも昔、曲沃が翼を併呑したとき、その翼とて骨肉の親族ではなかったでしょうか。武公はただ肉親を顧みなかったからこそ晋を有することができました。申生の志もまた同じでしょう。君はどうかお譲りください」。献公は言った。「それはできない。わたしには武と威をもって諸侯に臨んできた。今わが身にあって国を失えば、武と言えぬし、子がありながらこれに勝てなければ、威と言えない。武と威を失えば、人はわたしを制するだろう。生きていても死んだも同然だ。お前は憂うことはない。わたしが図ろう」。
- 驪姫は言った。「今、赤狄の皐落氏がしばしばわが国を侵しています。君はなぜ彼に兵を率いさせて狄を伐たせ、彼が衆を用いることができるかどうかを見られないのですか。もし勝てなければ、罪に名分ができます。もし勝てば、まことに人心を得ていることになります。彼はその功を恃んで、必ず異心を抱くでしょう。それを機に図れば、国人も服するでしょう。敵に勝って辺境を鎮め、あわせて世子の能否を見極める、君はどうしてこれをさせないのですか」。献公は「よかろう」と言った。そこで申生に曲沃の軍勢を率いさせ、皐落氏を伐たせるよう令を伝えた。
- 少傅の里克が朝廷にいて、諫めて言った。「太子は君の副えである。ゆえに君が出陣するときは太子が国を守るもの。朝夕の食事に気を配ることが太子の職務であり、遠くへ出すことすら不可であるのに、まして師を率いさせるなど」。献公は「申生はすでにたびたび兵を率いてきた」と言った。里克は「以前は君に従ってのことであった。今、専ら任せるのはもとよりできない」と言った。献公は仰いで嘆じて言った。「寡人には九人の子があるが、まだ誰を太子とするか決めていない。卿は多く言うでない」。里克は黙って退き、狐突に告げた。狐突は言った。「危ういな、公子は」。そこで書を申生に送り、戦わぬよう勧めた。戦って勝てばますます忌まれるので、逃げるにこしたことはないと。申生はこの書を受け取ると、嘆じて言った。「君が兵事をもってわたしを使うのは、わたしを好んでのことではなく、わたしの心を測るためだ。君の命に背けば、わたしの罪は大きい。戦って幸いにも死ねば、なお令名を残せよう」。そこで皐落と稷桑の地で大いに戦い、皐落氏は敗走した。申生は献公に戦勝を報告した。驪姫は「世子は果たしてよく衆を用いることができました。いかがなさいますか」と言った。献公は「まだ罪が明らかでない、しばらく待とう」と言った。狐突は晋国がまさに乱れることを予測し、そこで持病を口実に門を閉ざして出なくなった。
虞と虢
- 時に虞と虢の二国があり、同姓の隣国で、唇歯の関係にあり、その地はともに晋の国境に接していた。虢公、名は醜、兵を好み驕り、しばしば晋の南の辺境を侵した。国境の人が急を告げると、献公は虢を伐つことを謀った。驪姫は請うて言った。「なぜ再び申生を使わないのですか。彼は威名すでに著しく、士卒もよく従うので、必ず成功するでしょう」。献公はすでに驪姫の言葉に染まっていたが、申生が虢に勝った後、ますます威を立てて制しにくくなることを恐れ、躊躇して決めかねた。大夫荀息に「虢は伐てるか」と尋ねた。荀息は答えて言った。「虞と虢は今むつまじく、われらが虢を攻めれば虞は必ずこれを救うでしょう。もし転じて虞を攻めれば、虢もまたこれを救うでしょう。一国で二国を敵にすることになり、臣には必勝の見込みが立ちません」。献公は「それでは寡人は虢をどうすることもできぬな」と言った。
- 荀息は答えて言った。「臣が聞くところでは、虢公は色にふけっているとのこと。君はぜひ国中の美女を求め、これに歌舞を教え、車や衣服を立派に整えて虢に献じ、卑しい言葉で和平を請えば、虢公は必ず喜んでこれを受け入れましょう。彼が声色にふければ、政事を怠り、忠良の者を遠ざけるでしょう。われらはさらに犬戎に賄賂を行い、虢の境を侵させ、その隙に乗じて図れば、虢は滅ぼせましょう」。献公はその策を用い、女楽を虢に贈った。虢公はこれを受け入れようとした。大夫の舟之僑は諫めて言った。「これは晋が虢を釣るためのものです。君はどうして餌に食いつこうとされるのですか」。虢公は聞き入れず、ついに晋との和平を許した。それから昼は淫靡な楽の音を聞き、夜は美色に接し、朝廷への出仕も疎かになった。舟之僑は再び諫めたが、虢公は怒り、彼を追放して下陽の関を守らせた。まもなく、犬戎は晋の賂に貪欲になり、果たして虢の境を侵した。兵は渭汭に至ったが、虢の兵に敗られた。犬戎の主はそこで国を挙げて師を起こした。虢公は前の勝利を恃み、自ら兵を率いてこれを防ぎ、桑田の地で対峙した。
假道伐虢の策
- 献公は再び荀息に「今、戎と虢が対峙している。寡人は虢を伐てるか」と尋ねた。荀息は答えて言った。「虞と虢の交わりはまだ離れておりません。臣に一策あり、今日虢を取り、明日虞を取ることができます」。献公は「卿の策とはどのようなものか」と尋ねた。荀息は言った。「君は虞に厚く賂を贈り、道を借りて虢を伐てばよいのです」。献公は「わたしは先ごろ虢と和を結んだばかり、伐つには名分がない。虞がわたしを信じるだろうか」と言った。荀息は言った。「君はひそかに北の辺境の人に、虢に事を起こさせなさい。虢の辺境の役人は必ず責め言葉を発するでしょう。それを名分として虞に頼むのです」。献公は再びその策を用い、虢の辺境の役人は果たして責め立ててきて、両者は交戦するに至った。虢公はちょうど犬戎の患いを抱えており、これに手が回らなかった。
- 献公は言った。「今なら虢を伐つのに名分がない心配はない。しかし虞に賂を贈るには何を用いればよいか分からぬ」。荀息は答えて言った。「虞公は貪欲な性分とはいえ、至宝でなければ心を動かせません。必ず二つの物を用いる必要がありますが、ただ君が惜しまれないかどうかが問題です」。献公は「試みに何を用いるべきか言ってみよ」と言った。荀息は言った。「虞公がもっとも愛するのは璧と馬の良質なものです。君には垂棘の璧、屈産の乗(四頭立ての名馬)があるではありませんか。この二物をもって虞に道を借りるのです。虞公は璧と馬を貪り、われらの計に落ちましょう」。献公は「この二物は、わが至宝である。どうして他人に与えることに忍びようか」と言った。荀息は言った。「臣はもとより君が惜しまれることを知っております。しかしながら、わが道を借りて虢を伐てば、虢は虞の救いがなければ必ず滅びます。虢が滅べば、虞も独りでは存立できません。璧と馬はどこへ行きましょうか。それらを外の府に預け、外の廐に馬を養うようなもので、ただ一時のことに過ぎません」。大夫の里克は言った。「虞には賢臣が二人あります、宮之奇と百里奚と申します。物事を見通すことに明るく、彼らが諫め阻むことを恐れますが、いかがしましょう」。荀息は言った。「虞公は貪欲で愚かです。たとえ諫められても、必ず従わないでしょう」。献公はすぐに璧と馬を荀息に渡し、虞へ道を借りに行かせた。
虞公の受諾と宮之奇の諫言
- 虞公は初め晋が道を借りて虢を伐とうとしていると聞き、その心はひどく怒っていた。しかし璧と馬を見ると、思わず怒りが喜びに変わり、手で璧を弄び、目で馬を見つめ、荀息に尋ねた。「これはお前の国の至宝、天下にまたとない品であろう、なぜ寡人に恵んでくれるのか」。荀息は言った。「わが君は君の賢を慕い、君の強さを畏れ、それゆえこの宝を自分だけのものにせず、大国と歓を交わそうと願ったのです」。虞公は「とはいえ、必ず寡人に何か言うことがあろう」と言った。荀息は言った。「虢人はしばしばわが国の南の辺境を侵しております。わが君は社稷のために、意を屈して和平を請いました。今、盟約はまだ冷めきっていないのに、責め言葉が日々届いております。わが君は道を借りて罪を問いに行きたいのです。もし幸いにも虢に勝てば、得られる戦利品はすべて君に差し上げます。わが君は君と代々盟好を厚くしたいと願っております」。虞公は大いに喜んだ。
- 宮之奇は諫めて言った。「君はお許しになりませんように。諺に『唇亡びて歯寒し』と申します。晋が同姓の国を併呑するのは一国だけではありません。ただ虞と虢に手をつけないのは、唇歯の助けがあるからです。虢が今日滅べば、明日には必ず禍が虞に及びましょう」。虞公は言った。「晋君は貴重な宝を惜しまず寡人と交わりを結ぼうとしている。寡人がどうしてこのわずかな通り道を惜しむだろうか。まして晋は虢よりも十倍強い。虢を失って晋を得るのは、何の不利があろうか。そなたは下がれ、わしのことに口出しするな」。宮之奇はさらに諫めようとしたが、百里奚がその裾を引いて止めた。宮之奇は退いて百里奚に言った。「あなたはわたしに一言も加勢してくださらず、かえって止められた。なぜですか」。百里奚は言った。「愚かな者の前に嘉言を進めるのは、珠玉を道に捨てるようなものだと聞く。桀は関龍逢を殺し、紂は比干を殺したのは、ただ強く諫めたからだ。あなたも危ういぞ」。宮之奇は「それでは虞は必ず滅びる。あなたと共に去るべきではないか」と言った。百里奚は言った。「あなたが去るのはよいが、わたしまで一緒に行けば、あなたの罪を重くしはしまいか。わたしはむしろゆっくりしていよう」。宮之奇は一族を挙げて去り、行方を告げなかった。
里克の下陽攻略
- 荀息は晋侯に報告して、「虞公はすでに璧と馬を受け取り、道を借りることを許しました」と言った。献公は自ら虢を伐とうとした。里克が進み出て言った。「虢は与しやすい相手です。君が自ら赴く必要はありません」。献公は「虢を滅ぼす策はどうか」と尋ねた。里克は言った。「虢の都は上陽ですが、その門戸は下陽にあります。下陽が破れれば、完全な虢はもうありません。臣は不才ながら、この微力を効かせることを願います。もし功がなければ、罪を甘んじて受けます」。献公はそこで里克を大将に任じ、荀息を副将として、車四百乗を率いて虢を伐たせ、まず虞に兵が至る期日を知らせた。虞公は「寡人は貴重な宝を辱くも受け取り、お返しする術がありません。兵を出してお供したく存じます」と言った。荀息は「君が兵を出されるより、下陽の関を献上されるのがよろしいでしょう」と言った。虞公は「下陽は虢が守っている、寡人がどうやってこれを献じられようか」と言った。荀息は言った。「臣が聞くところでは、虢君はまさに犬戎と桑田で大戦しており、勝敗はまだ決していないとのこと。君は助戦を口実に、車と兵を献上すると偽って、密かに晋の兵を潜り込ませれば、関を得ることができます。臣には鉄板を張った車百乗があります。君がお使いください」。虞公はその計に従った。守将の舟之僑はこれを信じ、関を開いて車を入れた。車の中には晋の甲兵が隠されており、関に入ると一斉に飛び出した。門を閉じようとしたときにはもう間に合わなかった。里克は兵を駆って直進し、舟之僑は下陽をすでに失い、虢公に罪を問われることを恐れ、そのまま兵を率いて晋に降った。里克はこれを道案内として用い、上陽へ向けて進発した。
上陽の陥落
- さて虢公は桑田にあって、晋の師が関を破ったと聞き、急いで兵を引き上げたが、犬戎の兵に不意を突かれて討たれ、大敗して逃げ、随行する者はわずか数十乗のみで、上陽に至って守りを固めたが、茫然として策もなかった。晋の兵が到着すると、長い包囲を築いてこれを困らせた。八月から十二月まで、城中は薪も採れなくなった。連戦連敗、士卒は疲弊し、民は日夜号泣した。里克は舟之僑に書を書かせ、城中に射込んで虢公に降伏を勧めさせた。虢公は言った。「わが先君は王の卿士であった。わたしは降った諸侯の身に落ちることはできぬ」。夜に城を開き、家族を率いて京師(周の都)へ逃げ去った。里克らも追わなかった。民は香花と灯燭をもって里克らを迎え入城させた。里克は民を安んじ、秋毫も犯すことなく、兵を留めて守らせた。府庫の宝蔵をすべて積み込み、その十分の三と女楽をもって虞公に献上した。虞公はますます大いに喜んだ。里克は一方で晋侯に馳せて報告させ、自らは病と称して城外に兵を休ませ、病が癒えるのを待って行くことにした。虞公はたびたび薬を届け、絶えず様子を尋ねさせた。こうして一月余りが過ぎた。
虞の滅亡
- 突然、間諜が「晋侯の兵が郊外に来ている」と報告した。虞公はその来意を尋ねた。報告した者は言った。「虢討伐が功を奏さないことを恐れ、自ら来て後詰めとして呼応するためでしょう」。虞公は「寡人はまさに自ら晋君と面会して好誼を語りたいと思っていた。今、晋君が自ら来られるのは、寡人の願うところだ」と言った。慌てて郊外まで出迎え、食料を贈った。両君は会見し、互いに謝意を述べ合った。これは言うまでもない。献公は虞公と箕山で狩りを競うことを約した。虞公は晋人に誇示しようと、城中の甲兵と堅牢な車、良馬をすべて出し、晋侯と馳せ競って勝ちを争った。その日、辰の刻から申の刻まで、狩りの囲みはまだ解かれなかった。突然、「城中で火の手が上がっています」との報告があった。献公は「これは必ず民家の失火であろう、まもなく消し止められよう」と言い、なおも一狩りを続けたいと強く求めた。大夫の百里奚はひそかに奏上した。「伝え聞くところでは城中に異変があります。君は留まってはなりません」。虞公はそこで晋侯に別れを告げ先に行った。
- 途中、民が慌てて逃げ惑うのを見て、「城と堀がすでに晋兵に不意を突かれて破られました」と聞いた。虞公は大いに怒り、「車を速やかに進めよ」と叫んだ。城のそばに来ると、城楼の上に一人の大将が欄干にもたれて立ち、甲冑を輝かせ威風凛々として、虞公に向かって言った。「先ごろ君は我らに道をお貸しくださいました。今度はまた国までも我らにお貸しくださいました。謹んでこのありがたい賜り物に感謝申し上げます」。虞公はますます怒り、門を攻めようとした。城頭で梆子(拍子木)の音が一声鳴り、矢が雨のように降ってきた。虞公は車を急いで退かせ、後続の車馬を急がせようとしたが、軍人は報告した。「後方の遅れていた軍勢は、みな晋兵に阻まれました。降伏するか殺されるかで、車馬はみな晋のものとなりました。晋侯の大軍がまもなく到着します」。虞公は進退窮まり、嘆じて言った。「宮之奇の諫めを聞かなかったことを悔やむ」。傍らの百里奚を見て「あの時、卿はなぜ何も言わなかったのか」と尋ねた。百里奚は言った。「君が宮之奇の言葉を聞かなかったのに、どうして奚の言葉を聞かれましょうか。臣が何も言わなかったのは、まさに今日、君にお従いするために身を留めておいたのです」。
- 虞公がまさに危急のさなか、後方から一台の車が駆けてくるのが見えた。見れば虢国の降将舟之僑であった。虞公は思わず面に恥じる色を浮かべた。舟之僑は言った。「君は誤って虢を捨てる進言を聞かれ、過ちはすでに前にあります。今日の計としては、他国へ逃げるより、晋に帰服するにこしたことはありません。晋君は徳量寛大であり、必ず害を加えることはなく、あなたを憐れんで手厚くもてなすでしょう。君はどうか疑われませんように」。虞公は躊躇して決めかねた。晋の献公が後から到着し、人を遣って虞公に会見を求めた。虞公はやむを得ず行かざるをえなかった。献公は笑って言った。「寡人がここに来たのは、璧と馬の代価を取り立てるためだけだ」。後の車に乗せ、虞公を軍中に留めさせた。百里奚は片時も離れず従い、ある人が去るよう勧めても、彼は言った。「わたしはその禄を長く食んできた。だから恩に報いるだけだ」。献公は入城して民を安んじた。荀息は左手で璧を捧げ、右手で馬を牽いて進み出て言った。「臣の計はすでに実行されました。今、璧を府に還し、馬を廐に還すことをお願いいたします」。献公は大いに喜んだ。髯翁の詩がある。
(詩:璧も馬もとるに足らぬもの、至宝とはいえ社稷と比べたらどうであろうか、荀息の見事な計を誇るのではなく、虞公の真の愚かさを笑うべきだと詠う)
- 献公は虞公を連れ帰り、これを殺そうとした。荀息は「これはただの愚かな小僧に過ぎません、何ができましょうか」と言った。そこで寓公(客分の君)の礼をもって遇し、別の璧と馬を贈って言った。「道を借りた恩を忘れてはいない」。舟之僑は晋に至り、大夫に任じられた。舟之僑は百里奚の賢を薦めた。献公は奚を用いようとし、舟之僑に意を通じさせた。奚は「旧君の代が終わるまでは仕えられない」と言った。舟之僑が去ると、奚は嘆じて言った。「君子は国を離れても仇の国には行かないという。まして仕官するなど。わたしがもし仕えるとしても、晋ではあるまい」。舟之僑はこの言葉を聞き、自分の欠点があらわにされたことを憎み、心中はなはだ不快であった。
秦の求婚と卜筮の対立
- 時に秦の穆公任好が即位六年、まだ正夫人がなく、大夫公子縶を遣って晋に婚を求め、晋侯の長女伯姫を夫人として得ようとした。献公は太史蘇にこれを筮わせると、『雷澤帰妹』の卦の第六爻を得た。その繇(占いの詞)にはこうあった。
(占詞:士が羊を刺しても血が出ない、女が籠を承けても供物を得ない、西隣からの責め言葉は、償うことができないという内容)
- 太史蘇はその辞を玩味し、秦は西にあり、しかも責め言葉があるとして、和睦の兆しではないと考えた。しかも『帰妹』は嫁入りの事なのに、『震』が『離』に変じ、その卦は『睽』となる。『睽』も『離』も吉名ではない。この縁組は許すべきでないと考えた。献公は改めて太卜の郭偃に亀卜をさせた。偃はその兆を献じ、上吉と出た。占いの判断の文にはこうあった。
(占詞:松柏が隣となり、代々妻の父と娘婿の間柄を結び、三たびわが君を定める、婚姻には利があるが、寇には利がないという内容)
- 太史蘇はなお筮の詞に基づいて争ったが、献公は言った。「昔から『筮に従うのは卜に従うに及ばない』と言われている。卜がすでに吉であるのに、また違えてよいものか。わたしは秦が帝命を受け、その後大いに栄えると聞いている。これを拒むべきではない」。ついにこれを許した。
公孫枝の登用
- 公子縶は帰って復命する途中、一人の人物に出会った。顔は血を吹いたように赤く、隆い鼻筋と虯のような髭を持ち、両手で二本の鋤を握って耕し、土に一尺以上も打ち込んでいた。縶が左右の者にその鋤を取ってこさせて見ようと命じたが、左右の者は誰も持ち上げることができなかった。公子縶がその姓名を尋ねると、答えて言った。「公孫氏、名は枝、字は子桑、晋君の疎縁の一族です」。縶は言った。「あなたほどの才があるのに、どうして田畑にうずもれているのか」。枝は答えた。「引き薦める人がいないだけです」。縶は「わたしと共に秦へ行く気はあるか」と尋ねた。公孫枝は言った。「『士は己を知る者のために死す』と申します。もし見出してくださるなら、まさに願うところです」。縶はこれと共に車に乗り、秦へ帰った。穆公に申し上げると、穆公は彼を大夫に任じた。穆公は晋がすでに婚を許したと聞き、再び公子縶を晋へ遣って幣を納めさせ、伯姫を迎えた。晋侯は媵(嫁入りに付き従わせる陪臣)を群臣に問うた。舟之僑が進み出て言った。「百里奚は晋に仕えることを願っていません。その心は測りがたいものです。遠ざけるにこしたことはありません」。そこで奚を媵として用いた。
百里奚の流浪
- さて百里奚は虞国の人で、字は井伯、年は三十余り、妻の杜氏を娶り、一子をもうけていた。奚は家が貧しく境遇に恵まれず、他国を巡って仕官の口を求めに出たいと思ったが、妻子に頼るものがなくなることを思い、ためらってやまなかった。杜氏は言った。「妾が聞くところでは『男子は志を四方に置く』と申します。あなたが壮年でありながら仕官を求めに出ず、狭い家にこもって妻子を守り困窮していてよいものですか。妾は自分で生計を立てられます。妾のことは気にかけないでください」。家にはただ一羽の雌鶏があるだけであった。杜氏はこれを絞めて送別の膳とした。厨房に薪が乏しかったので、門のかんぬきを取って火にくべて炊いた。黄齏(黄色い漬け菜)を舂き、脱穀した粟の飯を炊いた。奚は満腹に食べた。別れに際し、妻はその子を抱き、袂を引いて泣きながら言った。「富貴になっても、どうかわたしたちのことを忘れないでください」。奚はそこで去った。
- 斉に赴き、襄公に仕えようとしたが、薦める人がいなかった。しばらく困窮して銍で乞食していた。時に奚は年四十であった。銍の人に蹇叔という者があり、その姿を見て「あなたはただの乞食ではあるまい」と言った。姓名を尋ね、食事に招いて時事を語り合うと、奚は流れるように応答し、はっきりとした筋道を持っていた。蹇叔は嘆じて言った。「あなたほどの才があってこれほど困窮するとは、これも運命なのだろうか」。そこで奚を家に留め、義兄弟の契りを結んだ。蹇叔は奚より一歳年上であったので、奚は叔を兄と呼んだ。蹇叔の家もまた貧しかったので、奚は村人に雇われて牛を飼い、食費の助けとした。
- 折しも公子無知が襄公を弑して新たに君となり、賢者を招くための榜文を懸けた。奚はこれに応募しようとした。蹇叔は言った。「先君には子が外にいるのに、無知は身分を越えて位を盗んだ者だ。結局は成功しないだろう」。奚はそこで思いとどまった。後に周の王子頽が牛を好み、彼に牛を飼う者には厚遇があると聞き、蹇叔に別れを告げて周へ向かった。蹇叔は彼を戒めて言った。「男たる者は軽々しく人に身を委ねてはならない。仕えておきながらこれを捨てれば不忠であり、(軽々しく身を委ねた主君と)患難を共にするのは不智である。この行、弟よどうか慎重にしてくれ。わたしは家の事を片付けたら、周へ様子を見に行こう」。
- 奚は周に至り、王子頽に謁見し、飼牛の術を進言した。頽は大いに喜び、家臣として用いようとした。蹇叔は銍から至り、奚とともに子頽に会いに行った。退いて奚に言った。「頽は志が大きく才が疎かで、彼が付き合う者はみな讒言と諂いの人だ。必ず分をこえた望みを抱く事があるだろう。わたしにはその破滅がすでに見える。ここを去るにこしたことはない」。奚は久しく妻子と離れているため、虞へ帰りたい気持ちがあった。蹇叔は言った。「虞には宮之奇という賢臣がいる。わたしの旧友だ。別れて久しいので、わたしも彼を訪ねたい。弟がもし虞へ帰るなら、わたしも同行しよう」。そこで奚とともに虞国へ至った。時に奚の妻杜氏は、貧しさの極みで自活できず、すでに他所へ流れており、行方は分からなかった。奚は傷心を隠せなかった。
- 蹇叔は宮之奇と再会し、それを機に百里奚の賢を語った。宮之奇はそこで奚を虞公に推薦し、虞公は奚を中大夫に任じた。蹇叔は言った。「わたしが見るに、虞君は見識が狭く自分の考えに固執する人だ。これもまた共に事を為すべき主君ではあるまい」。奚は言った。「弟は久しく貧困にあえいでいる。譬えるなら、魚が陸地にあるようなもので、急ぎ一杓の水を得て自らを潤したいのだ」。蹇叔は言った。「弟が貧しさゆえに仕えるのを、わたしは阻むことは難しい。いつかもしわたしを訪ねたいなら、宋の鳴鹿村に来るとよい。その地は幽雅であり、わたしはそこに住まいを定めるつもりだ」。蹇叔は別れて去った。奚はそのまま虞公に仕え続けた。
- 虞が国を失うに及んでも、奚はなお離れず付き従い、「わたしはすでに不智であった。どうして不忠でいられようか」と言った。この度、晋は奚を秦への媵に充てた。奚は嘆じて言った。「わたしは経世の才を抱いているのに、明主に出会えず、その大志を展開できないまま、年老いて人の媵となる。召使いや妾のようなものだ。これほどの辱めはない」。途中で逃げ出した。宋へ行こうとしたが、道が阻まれ、楚へ向かった。宛城に至ると、宛の里人が狩りをしていて、奚を間諜と疑い、捕らえて縛った。奚は「わたしは虞の人だ。国が滅んで難を逃れてここまで来た」と言った。里人は「何ができるのか」と尋ねた。奚は「牛を飼うことが得意だ」と言った。里人は縄を解き、牛を飼わせると、牛は日ごとに肥え艶やかになった。里人は大いに喜び、これを楚王に伝えた。楚王は奚を召して「牛を飼うのに道があるのか」と尋ねた。奚は答えて言った。「その食を時に応じて与え、その力を労わり、心と牛とを一つにするのです」。楚王は「よい言葉だ。それは牛だけの話ではあるまい。馬にも通じることだろう」と言い、そこで圉人とし、南海で馬を牧させた。
五羖大夫
- さて秦の穆公は晋の媵の中に百里奚の名があるのに、その人がいないのを怪しんだ。公子縶は「もとの虞の臣です。今は逃げております」と言った。穆公は公孫枝に「子桑は晋にいた、必ず百里奚の才略を知っているだろう、どのような人物か」と尋ねた。公孫枝は答えて言った。「賢人です。虞公を諫めることができないと知って諫めなかったのは、その智です。虞公に従って晋に行きながら、義をもって晋に臣従しなかったのは、その忠です。しかも彼には経世の才がありますが、ただ時に恵まれなかっただけです」。穆公は「寡人はどうすれば百里奚を得て用いることができようか」と言った。公孫枝は言った。「臣が聞くところでは、奚の妻子は楚にいるとのこと。彼が逃げ落ちる先も必ず楚でしょう。どうして人を楚へ遣って探させないのですか」。使者が楚へ行き、戻って報告した。「奚は海辺で、楚君のために馬を牧しております」。
- 穆公は「わたしは重い幣をもってこれを求めよう。楚はわたしに許すだろうか」と言った。公孫枝は「百里奚は来ないでしょう」と言った。穆公は「なぜか」と尋ねた。公孫枝は言った。「楚が奚に馬を牧させているのは、彼の賢を知らないからです。君が重い幣をもって求めれば、これは奚の賢を告げることになります。楚が奚の賢を知れば、必ず自ら用いようとするでしょう。われらに与えるでしょうか。君はむしろ逃亡した媵の罪を口実に、安く贖い取るほうがよろしいでしょう。これは管夷吾(管仲)が魯から脱身した方法です」。穆公は「よかろう」と言った。そこで人に黒い牡羊の皮五枚を持たせ、楚王に進んで言わせた。「わが国に賤臣百里奚という者がおり、貴国に逃げ込んでおります。寡人はこれを得て罪を加え、逃亡者を戒めたいと思います。黒い牡羊の皮五枚をもってこれを贖い戻したく存じます」。楚王は秦の好意を失うことを恐れ、東海の人に百里奚を捕らえさせ秦へ引き渡した。
- 百里奚が連行される時、東海の人は、彼が処刑されるものと思い込み、彼にすがりついて泣いた。奚は笑って言った。「わたしが聞くには、秦君には覇王の志があるという。彼がどうして一介の媵ごときに急ぐことがあろうか。楚にわたしを求めたのは、わたしを用いようとするためだ。この行、まもなく富貴になるだろう。どうして泣くことがあろうか」。そのまま囚車に乗って出発した。秦の国境に近づくと、秦の穆公は公孫枝を遣って郊外で出迎えさせた。まず彼の縛めを解き、それから召見した。「年はいくつか」と尋ねると、奚は答えて「ようやく七十歳になります」と言った。穆公は嘆じて「惜しいことに老いてしまったな」と言った。奚は言った。「もしわたしに飛ぶ鳥を追わせ、猛獣を捕らえさせるならば、臣はすでに老いております。しかしもし坐して国事を策るのであれば、臣はまだ若うございます。昔、呂尚は八十歳で渭水のほとりで釣りをしていましたが、文王はこれを載せて連れ帰り、尚父として拝し、ついに周の鼎を定めました。臣が今日君に出会ったのは、呂尚に比べれば、なお十年早いのではないでしょうか」。
- 穆公はその言葉を壮とし、姿勢を正して問うた。「わが国は戎狄の間に置かれ、中原の会盟にも与っておりません。翁はどうして寡人にお教えくださり、わが国が諸侯に後れを取らぬようにしていただけるでしょうか。幸甚に存じます」。奚は答えて言った。「君が臣を亡国の虜、老いさらばえた身と見なさず、虚心にお尋ねくださるからには、臣がどうして愚見を尽くさぬわけがありましょうか。そもそも雍岐の地は、文王・武王が興った地であり、山は犬牙のごとく、原は長蛇のごとくで、周はこれを守ることができず、秦にこれを与えました。これは天が秦のために開いた地です。しかも戎狄の間に置かれれば兵は強くなり、会盟に与らなければ力は集まります。今、西戎の間には、国と称するものが数十を下りません。その地を合わせれば十分に耕作でき、その民を兵籍に編入すれば戦うこともできます。これは中原の諸侯が君と争えないところです。君が徳をもって撫し、力をもって征し、まず西の辺境を完全に領有し、それから山川の険を扼して中原に臨み、隙を待って進めば、恩威は君の掌中にあり、覇業は成就しましょう」。穆公は思わず立ち上がって言った。「孤に井伯(百里奚)を得たのは、斉が仲父を得たのと同じことだ」。そのまま三日間語り合い、話は合わないことがなかった。ついに上卿の爵位を与え、国政を任せた。これにより秦人はみな奚を「五羖大夫」と呼んだ。また伝えるところによれば、穆公は奚を牛の口の下から取り立てたと言われるのは、奚が楚で牛を飼っていたこと、秦が黒い牡羊の皮で贖い戻したことによるものである。髯翁の詩がある。
(詩:囚われの身から相に拝せられたことはまことに奇なる出来事で、仲父(管仲)の後にまた百里奚のことを聞くとは、これより西の秦の名は顕赫となり、身の値打ちは五枚の羊皮に負けぬものであったと詠う)
- 百里奚は上卿の位を辞退し、一人を推挙して自分の代わりとしようとした。誰を推挙したのか知りたければ、次の回をお聞きいただきたい。
原文(底本)
話說晉獻公內蠱於驪姬,外惑於「二五」,益疏太子,而親愛奚齊。只因申生小心承順,又數將兵有功,無間可乘。驪姬乃召優施,告以心腹之事:「今欲廢太子而立奚齊,何策而可?」施曰:「三公子皆在遠鄙,誰敢為夫人難者?」驪姬曰:「三公子年皆強壯,歷事已深,朝中多為之左右,吾未敢動也。」施曰:「然則當以次去之。」驪姬曰:「去之孰先?」施曰:「必先申生。其為人也,慈仁而精潔。精潔則恥於自污,慈仁則憚於賊人。恥於自污,則憤不能忍,憚於賊人,其自賊易也。然世子跡雖見疏,君素知其為人,謗以異謀必不信。夫人必以夜半泣而訴君,若為譽世子者,而因加誣焉,庶幾說可售矣。」驪姬果夜半而泣,獻公驚問其故,再三不肯言。獻公迫之,驪姬對曰:「妾雖言之,君必不信也。妾所以泣者,恐妾不能久侍君為歡耳!」獻公曰:「何出此不祥之言!」驪姬收淚而對曰:「妾聞申生為人,外仁而內忍。其在曲沃,甚加惠於民,民樂為之死,其意欲有所用之也。申生每為人言:君惑於妾,必亂國。舉朝皆聞之,獨君不聞耳。毋乃以靖國之故,而禍及於君。君何不殺妾,以謝申生,可塞其謀。勿以一妾亂百姓。」獻公曰:「申生仁於民,豈反不仁父乎?」驪姬對曰:「妾亦疑之。然妾聞外人之言曰:匹夫為仁,與在上不同。匹夫以愛親為仁,在上者以利國為仁。苟利於國,何親之有?」獻公曰:「彼好潔,不懼惡名乎?」驪姬對曰:「昔幽王不殺宜臼,放之於申,申侯召犬戎,殺幽王於驪山之下,立宜臼為君,是為平王,為東周始祖。至於今,幽王之惡益彰,誰復以不潔之名,加之平王者哉?」獻公意悚然,遂披衣起坐,曰:「夫人言是也!若何而可?」驪姬曰:「君不若稱耄而以國授之。彼得國而厭其欲,其或可以釋君。且昔者,曲沃之兼翼,非骨肉乎?武公惟不顧其親,故能有晉。申生之志,亦猶是也。君其讓之!」獻公曰:「不可。我有武與威以臨諸侯。今當吾身而失國,不可謂武,有子而不勝,不可謂威。失武與威,人能制我,雖生不如死。爾勿憂,吾將圖之。」驪姬曰:「今赤狄皐落氏屢侵吾國,君何不使之將兵伐狄,以觀其能用眾與否也?若其不勝,罪之有名。若勝,則信得眾矣。彼恃其功,必有異謀,因而圖之,國人必服。夫勝敵以靖邊鄙,又以識世子之能否,君何為不使?」獻公曰:「善。」乃傳令使申生率曲沃之眾,以伐皐落氏。少傅里克在朝,諫曰:「太子,君之貳也。故君行則太子監國。夫朝夕視膳,太子之職,遠之猶不可,況可使帥師乎?」獻公曰:「申生已屢將兵矣。」里克曰:「向者從君於行,今專制,固不可也。」獻公仰面而嘆曰:「寡人有子九人,尚未定孰為太子,卿勿多言!」里克嘿然而退,告於狐突。狐突曰:「危哉乎,公子也!」乃遺書申生,勸使勿戰,戰而勝滋忌,不如逃之。申生得書,嘆曰:「君之以兵事使我,非好我也,欲測我心耳。違君之命,我罪大矣。戰而幸死,猶有令名。」乃與皐落大戰於稷桑之地,皐落氏敗走,申生獻捷於獻公。驪姬曰:「世子果能用眾矣,奈何?」獻公曰:「罪未著也,姑待之。」狐突料晉國將亂,乃托言痼疾,杜門不出。 時有虞虢二國,乃是同姓比鄰,唇齒相依,其地皆連晉界。虢公名醜,好兵而驕,屢侵晉之南鄙。邊人告急,獻公謀欲伐虢。驪姬請曰:「何不更使申生?彼威名素著,士卒為用,可必成功也。」獻公已入驪姬之言,誠恐申生勝虢之後,益立威難制,躊躇未決,問於大夫荀息曰:「虢可伐乎?」荀息對曰:「虞虢方睦,吾攻虢,虞必救之,若移而攻虞,虢又救之。以一敵二,臣未見其必勝也。」獻公曰:「然則寡人無如虢何矣!」荀息對曰:「臣聞虢公淫於色。君誠求國中之美女,教之歌舞,盛其車服,以進於虢,卑詞請平,虢公必喜而受之。彼耽於聲色,將怠棄政事,疏斥忠良,我更行賂犬戎,使侵擾虢境,然後乘隙而圖之,虢可滅也。」獻公用其策,以女樂遺虢,虢公欲受之。大夫舟之僑諫曰:「此晉所以釣虢也,君奈何吞其餌乎?」虢公不聽,竟許晉平。自此,日聽淫聲,夜接美色,視朝稀疏矣。舟之僑復諫,虢公怒,使出守下陽之關。未幾,犬戎貪晉之賂,果侵擾虢境。兵至渭汭,為虢兵所敗。犬戎主遂起傾國之師。虢公恃其前勝,亦率兵拒之,相持於桑田之地。獻公復問於荀息曰:「今戎虢相持,寡人可以伐虢否?」荀息對曰:「虞虢之交未離也。臣有一策,可以今日取虢,而明日取虞。」獻公曰:「卿策如何?」荀息曰:「君厚賂虞,而假道以伐虢。」獻公曰:「吾新與虢成,伐之無名,虞肯信我乎?」荀息曰:「君密使北鄙之人,生事於虢。虢之邊吏,必有責言,因以為名,而請於虞。」獻公又用其策,虢之邊吏,果來責讓,兩下遂治兵相攻。虢公方有犬戎之患,不暇照管。獻公曰:「今伐虢不患無名矣。但不知賂虞當用何物?」荀息對曰:「虞公性雖貪,然非至寶,不可動之。必須用二物前去,但恐君之不舍耳。」獻公曰:「卿試言所用何物?」荀息曰:「虞公最愛者,璧馬之良也。君不有垂棘之璧,屈產之乘乎?請以此二物,假道於虞。虞貪於壁馬,墜吾計矣。」獻公曰:「此二物,乃吾至寶,何忍棄之他人?」荀息曰:「臣固知君之不舍也!雖然,假吾道以伐虢,虢無虞救必滅。虢亡,虞不獨存,璧馬安往乎?夫寄璧外府,養馬外廄,特暫事耳。」大夫里克曰:「虞有賢臣二人,曰宮之奇百里奚,明於料事,恐其諫阻,奈何?」荀息曰:「虞公貪而愚,雖諫必不從也。」獻公即以璧馬交付荀息,使如虞假道。 虞公初聞晉來假道,欲以伐虢,意甚怒。及見璧馬,不覺回嗔作喜,手弄璧而目視馬,問荀息曰:「此乃汝國至寶,天下罕有,奈何以惠寡人?」荀息曰:「寡君慕君之賢,畏君之強,故不敢自私其寶,願邀歡於大國。」虞公曰:「雖然,必有所言於寡人也。」荀息曰:「虢人屢侵我南鄙,寡君以社稷之故,屈意請平。今約誓未寒,責讓日至,寡君欲假道以請罪焉。倘幸而勝虢,所有鹵獲,盡以歸君。寡君願與君世敦盟好。」虞公大悅。宮之奇諫曰:「君勿許也!諺云『唇亡齒寒』。晉吞噬同姓,非一國矣,獨不敢加於虞虢者,以有唇齒之助耳。虢今日亡,則明日禍必中於虞矣!」虞公曰:「晉君不愛重寶,以交歡於寡人,寡人其愛此尺寸之徑乎?且晉強於虢十倍,失虢而得晉,何不利焉?子退,勿預吾事!」宮之奇再欲進諫,百里奚牽其裾,乃止。宮之奇退謂百里奚曰:「子不助我一言,而更止我,何故?」百里奚曰:「吾聞進嘉言於愚人之前,猶委珠玉於道也。桀殺關龍逢,紂殺比干,惟強諫耳。子其危哉!」宮之奇曰:「然則虞必亡矣,吾與子盍去乎?」百里奚曰:「子去則可矣。又偕一人,不重子罪乎?吾寧徐耳。」宮之奇盡族而行,不言所之。 荀息歸報晉侯,言:「虞公已受璧馬,許以假道。」獻公便欲親將伐虢。里克入見曰:「虢,易與也,毋煩君往。」獻公曰:「滅虢之策何如?」里克曰:「虢都上陽,其門戶在於下陽。下陽一破,無完虢矣。臣雖不才,願效此微勞,如無功甘罪。」獻公乃拜里克為大將,荀息副之,率車四百乘伐虢,先使人報虞以兵至之期。虞公曰:「寡人辱受重寶,無以為報,願以兵從。」荀息曰:「君以兵從,不如獻下陽之關。」虞公曰:「下陽,虢所守也。寡人安得獻之?」荀息曰:「臣聞虢君方與犬戎大戰於桑田,勝敗未決。君托言助戰,以車乘獻之,陰納晉兵,則關可得也。臣有鐵葉車百乘,惟君所用。」虞公從其計。守將舟之僑信以為然,開關納車。車中藏有晉甲,入關後一齊發作,欲閉關已無及矣。里克驅兵直進,舟之僑既失下陽,恐虢公見罪,遂以兵降晉。里克用為嚮導,望上陽進發。 卻說虢公在桑田,聞晉師破關,急急班師,被犬戎兵掩殺一陣,大敗而走,隨身僅數十乘,奔至上陽守禦,茫然無策。晉兵至,築長圍以困之。自八月至十二月,城中樵採俱絕。連戰不勝,士卒疲敝,百姓日夜號哭。里克使舟之僑為書,射入城中,諭虢公使降。虢公曰:「吾先君為王卿士,吾不能為降諸侯!」乘夜開城,率家眷奔京師去訖。里克等亦不追趕。百姓香花燈燭,迎里克等進城。克安集百姓,秋毫無犯,留兵戍守。將府庫寶藏,盡數裝載,以十分之三,並女樂獻於虞公。虞公益大喜。里克一面遣人馳報晉侯,自己托言有疾,休兵城外,俟病愈方行。虞公不時饋藥,候問不絕。如此月餘。忽諜報:「晉侯兵在郊外。」虞公問其來意,報者曰:「恐伐虢無功,親來接應耳。」虞公曰:「寡人正欲面與晉君講好。今晉君自來,寡人之願也。」慌忙郊迎致餼,兩君相見,彼此稱謝。自不必說。獻公約與虞公較獵於箕山。虞公欲誇耀晉人,盡出城中之甲及堅車良馬,與晉侯馳逐賭勝。是日,自辰及申,圍尚未撤。忽有人報:「城中火起!」獻公曰:「此必民間漏火,不久撲滅耳。」固請再打一圍。大夫百里奚密奏曰:「傳聞城中有亂,君不可留矣。」虞公乃辭晉侯先行,半路見人民紛紛逃竄,言:「城池已被晉兵乘虛襲破。」虞公大怒,喝教:「驅車速進!」來至城邊。只見城樓上一員大將,倚欄而立,盔甲鮮明,威風凜凜,向虞公言曰:「前蒙君假我以道,今再假我以國,敬謝明賜!」虞公轉怒,便欲攻門。城頭上一聲梆響,箭如雨下。虞公命車速退,使人催趲後面車馬。軍人報曰:「後軍行遲者,俱被晉兵截住。或降或殺,車馬皆為晉有。晉侯大軍即到矣。」虞公進退兩難,嘆曰:「悔不聽宮之奇之諫也!」顧百里奚在側,問曰:「彼時卿何不言?」百里奚曰:「君不聽之奇,其能聽奚乎?臣之不言,正留身以從君於今日耳。」虞公正在危急之際,見後有單車驅至,視之,乃虢國降將舟之僑也。虞公不覺面有慚色。舟之僑曰:「君誤聽棄虢,失已在前。今日之計,與其出奔他國,不如歸晉。晉君德量寬洪,必無相害,且憐君必厚待君,君其勿疑。」虞公躊躇未決。晉獻公隨後來到,使人請虞公相見。虞公不得不往。獻公笑曰:「寡人此來,為取璧馬之值耳。」命以後車,載虞公宿於軍中。百里奚緊緊相隨,或諷其去,曰:「吾食其祿久,所以報也!」獻公入城安民。荀息左手托璧,右手牽馬而前曰:「臣謀已行,今請還璧於府,還馬於廄。」獻公大悅。髯翁有詩云: 璧馬區區雖至寶,請將社稷較何如?不誇荀息多奇計,還笑虞公真是愚。 獻公以虞公歸,欲殺之。荀息曰:「此騃豎子耳,何能為!」於是待以寓公之禮,別以他璧及他馬贈之。曰:「吾不忘假道之惠也。」舟之僑至晉,拜為大夫。僑薦百里奚之賢。獻公欲用奚,使僑通意。奚曰:「終舊君之世乃可。」僑去,奚嘆曰:「君子違,不適仇國,況仕乎?吾即仕,不於晉也。」舟之僑聞其言,惡形其短,意甚不悅。 時秦穆公任好即位六年,尚未有中宮,使大夫公子縶求婚於晉,欲得晉侯長女伯姬為夫人。獻公使太史蘇筮之,得《雷澤歸妹》卦第六爻,其繇曰: 士刲羊,亦無也。女承筐,亦無貺也。西鄰責言,不可償也。 太史蘇玩其辭,以為秦國在西,而有責言,非和睦之兆。況《歸妹》嫁娶之事,而《震》變為《離》,其卦為《睽》,《睽》《離》皆非吉名,此親不可許。獻公更使太卜郭偃以龜卜之。偃獻其兆,上吉。斷詞曰: 松柏為鄰,世作舅甥,三定我君。利於婚媾,不利寇。 史蘇猶據筮詞爭之。獻公曰:「向者固云:『從筮不如從卜。』卜既吉矣,又可違乎?吾聞秦受帝命,其後將大,不可拒也。」遂許之。 公子縶歸復命,路遇一人,面如噀血,隆準虯鬚,以兩手握兩鋤而耕,入土累尺。命索其鋤觀之,左右皆不能舉。公子縶問其姓名,對曰:「公孫氏名枝,字子桑,晉君之疏族也。」縶曰:「以子之才,何以屈於隴畝?」枝對曰:「無人薦引耳。」縶曰:「肯從我遊於秦乎?」公孫枝曰:「『士為知己者死』。若能見挈,固所願也。」縶與之同載歸秦。言於穆公,穆公使為大夫。穆公聞晉已許婚,復遣公子縶如晉納幣,遂迎伯姬。晉侯問媵於群臣。舟之僑進曰:「百里奚不願仕晉,其心不測,不如遠之。」乃用奚為媵。 卻說百里奚是虞國人,字井伯,年三十餘,娶妻杜氏,生一子。奚家貧不遇,欲出遊,念其妻子無依,戀戀不舍。杜氏曰:「妾聞『男子志在四方』。君壯年不出圖仕,乃區區守妻子坐困乎?妾能自給,毋相念也!」家只有一伏雌,杜氏宰之以餞行。廚下乏薪,乃取扊扅炊之。舂黃齏,煮脫粟飯。奚飽餐一頓。臨別,妻抱其子,牽袂而泣曰:「富貴勿相忘!」奚遂去。遊於齊,求事襄公,無人薦引。久之,窮困乞食於銍,時奚年四十矣。銍人有蹇叔者,奇其貌,曰:「子非乞人也。」叩其姓名,因留飯,與談時事,奚應對如流,指畫井井有敘。蹇叔嘆曰:「以子之才,而窮困乃爾,豈非命乎?」遂留奚於家,結為兄弟。蹇叔長奚一歲,奚呼叔為兄。蹇叔家亦貧,奚乃為村中養牛,以佐饔飱之費。值公子無知弒襄公,新立為君,懸榜招賢。奚欲往應招。蹇叔曰:「先君有子在外,無知非分竊立,終必無成。」奚乃止。後聞周王子頹好牛,其飼牛者皆獲厚糈,乃辭蹇叔如周。蹇叔戒之曰:「丈夫不可輕失身於人。仕而棄之,則不忠,與同患難,則不智。此行弟其慎之!吾料理家事,當至周相看也。」奚至周,謁見王子頹,以飼牛之術進。頹大喜,欲用為家臣。蹇叔自銍而至,奚與之同見子頹。退謂奚曰:「頹志大而才疏,其所與皆讒諂之人,必有覬覦非望之事,吾立見其敗也。不如去之。」奚因久別妻子,意欲還虞。蹇叔曰:「虞有賢臣宮之奇者,吾之故人也,相別已久,吾亦欲訪之。弟若還虞,吾當同行。」遂與奚同至虞國。時奚妻杜氏,貧極不能自給,已流落他方,不知去處。奚感傷不已。蹇叔與宮之奇相見,因言百里奚之賢。宮之奇遂薦奚於虞公,虞公拜奚為中大夫。蹇叔曰:「吾觀虞君見小而自用,亦非可與有為之主。」奚曰:「弟久貧困,譬之魚在陸地,急欲得勺水自濡矣!」蹇叔曰:「弟為貧而仕,吾難阻汝,異日若見訪,當於宋之鳴鹿村。其地幽雅,吾將卜居於此。」蹇叔辭去。奚遂留事虞公。及虞公失國,奚周旋不舍,曰:「吾既不智矣,敢不忠乎?」至是,晉用奚為媵於秦。奚嘆曰:「吾抱濟世之才,不遇明主,而展其大志,又臨老為人媵,比於僕妾,辱莫大焉!」行至中途而逃。將適宋,道阻,乃適楚。及宛城,宛之野人出獵,疑為奸細,執而縛之。奚曰:「我虞人也,因國亡逃難至此。」野人問:「何能?」奚曰:「善飼牛。」野人釋其縛,使之餵牛,牛日肥澤。野人大悅,聞於楚王。楚王召奚問曰:「飼牛有道乎?」奚對曰:「時其食,恤其力,心與牛而為一。」楚王曰:「善哉,子之言!非獨牛也,可通於馬。」乃使為圉人,牧馬於南海。 卻說秦穆公見晉媵有百里奚之名,而無其人,怪之。公子縶曰:「故虞臣也,今逃矣。」穆公謂公孫枝曰:「子桑在晉,必知百里奚之略,是何等人也?」公孫枝對曰:「賢人也。知虞公之不可諫而不諫,是其智。從虞公於晉,而義不臣晉,是其忠。且其人有經世之才,但不遇其時耳!」穆公曰:「寡人安得百里奚而用之?」公孫枝曰:「臣聞奚之妻子在楚,其亡必於楚,何不使人往楚訪之?」使者往楚,還報:「奚在海濱,為楚君牧馬。」穆公曰:「孤以重幣求之,楚其許我乎?」公孫枝曰:「百里奚不來矣!」穆公曰:「何故?」公孫枝曰:「楚之使奚牧馬者,為不知奚之賢也。君以重幣求之,是告以奚之賢也。楚知奚之賢,必自用之,肯畀我乎?君不若以逃媵為罪,而賤贖之,此管夷吾所以脫身於魯也。」穆公曰:「善。」乃使人持羖羊之皮五,進於楚王曰:「敝邑有賤臣百里奚者,逃在上國。寡人欲得而加罪,以警亡者,請以五羊皮贖歸。」楚王恐失秦歡,乃使東海人囚百里奚以付秦人。百里奚將行,東海人謂其就戮,持之而泣。奚笑曰:「吾聞秦君有伯王之志,彼何急於一媵?夫求我於楚,將以用我也。此行且富貴矣,又何泣焉!」遂上囚車而去。將及秦境,秦穆公使公孫枝往迎於郊。先釋其囚,然後召而見之。問:「年幾何?」奚對曰:「纔七十歲。」穆公嘆曰:「惜乎老矣!」奚曰:「使奚逐飛鳥,搏猛獸,則臣已老。若使臣坐而策國事,臣尚少也。昔呂尚年八十,釣於渭濱,文王載之以歸,拜為尚父,卒定周鼎。臣今日遇君,較呂尚不更早十年乎?」穆公壯其言,正容而問曰:「敝邑介在戎狄,不與中國會盟,叟何以教寡人,俾敝邑不後於諸侯。幸甚!」奚對曰:「君不以臣為亡國之虜,衰殘之年,乃虛心下問,臣敢不竭其愚?夫雍岐之地,文武所興,山如犬牙,原如長蛇,周不能守,而以畀之秦,此天所以開秦也。且夫介在戎狄,則兵強,不與會盟則力聚。今西戎之間,為國不啻數十,並其地足以耕,籍其民可以戰,此中國諸侯所不能與君爭者。君以德撫而以力征,既全有西陲,然後阨山川之險,以臨中國,俟隙而進,則恩威在君掌中,而伯業成矣。」穆公不覺起立曰:「孤之有井伯,猶齊之得仲父也。」一連與語三日,言無不合。遂爵為上卿,任以國政。因此秦人都稱奚為「五羖大夫」。又相傳以為穆公舉奚於牛口之下,以奚曾飼牛於楚,秦用五羖皮贖回故也。髯翁有詩云: 脫囚拜相事真奇,仲後重聞百里奚。從此西秦名顯赫,不虧身價五羊皮。 百里奚辭上卿之位,舉薦一人以自代。不知所舉何人,且聽下回分解。
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