東周列國志第二十六回 扊扅の歌に百里奚が妻を認める/陳宝を獲て穆公が夢を証する (歌扊扅百里認妻 獲陳寶穆公證夢)
蹇叔推薦の経緯
- 秦の穆公は百里奚の才能を深く知り、上卿に取り立てようとした。百里奚は辞退して言った。「私の才は、友人の蹇叔に十倍及びません。あなた様が国家を治めようとお考えなら、どうか蹇叔を任用され、私はその補佐に回らせてください。」穆公は言った。「そなたの才は寡人(自分)が実際に見て知っている。蹇叔が賢いとは聞いたことがない。」百里奚は答えた。「蹇叔の賢さは、あなた様がお聞きになったことがないだけでなく、斉・宋の人々もまた誰も聞いたことがありません。しかし私だけはそれを知っています。私はかつて仕官の口を求めて斉に出て、公子無知に仕えようとしたところ、蹇叔が私を止めて『いけない』と言いました。私はそれで斉を去り、無知の禍から逃れることができました。次いで周に渡り、王子頽に仕えようとしたところ、蹇叔がまた私を止めて『いけない』と言いました。私はまた周を去り、子頽の禍から逃れることができました。その後私は虞に帰り、虞公に仕えようとしたところ、蹇叔がまた私を止めましたが、私はそのとき貧しさが甚だしく、その爵位と俸禄に目がくらんで、しばらく留まって仕えることにし、ついに晋の捕虜となりました。二度その言葉を用いて禍を免れ、一度その言葉を用いなかったために危うく殺されかけたのですから、この見通しの確かさは並の人よりはるかに優れています。今は宋の鳴鹿村に隠れておりますので、急ぎお召しになるべきです。」穆公はそこで公子縶を商人に扮装させ、手厚い礼物を持たせて宋に蹇叔を招かせた。百里奚も別に自分で手紙を書いて意を伝えた。
公子縶、鳴鹿村へ蹇叔を訪ね、蹇叔が山を出る
- 公子縶は荷物をまとめ、牛車二台を仕立てて、まっすぐ鳴鹿村へと向かった。田のあぜで耕作を休めている数人の者たちが、代わる代わる歌を歌っているのに出会った。(歌:山深く道険しくとも、田を耕し穀物を分かち合えば、三時(春夏秋)の農事が妨げられなければ衣食に足り、栄辱を離れた天与の暮らしを楽しめると歌う)
- 縶は車の中でその歌の調べを聞き、俗世を超えた趣があるのに感嘆し、御者に向かって嘆じて言った。「昔から『里に君子あれば、鄙俗も感化される』という。今、蹇叔の郷に入ってみれば、耕す者にまでこの浮世離れた風がある。まことにその賢さがしのばれる。」そこで車を降り、耕作する者に尋ねた。「蹇叔の住まいはどこか。」耕作者は言った。「あなたは何のために尋ねるのですか。」縶は言った。「その旧友の百里奚から手紙があり、私に届けるよう託されたのだ。」耕作者は指し示して言った。「前方の竹林の奥深く、左に泉、右に石があり、その中間に小さな茅屋があります。それがその住まいです。」縶は両手を組んで礼を言い、また車に乗って半里ほど進み、その場所に着いた。縶が目を上げて眺めると、風景はまことに幽雅であった。隴西居士に隠居を詠んだ詩がある。(詩:竹林の奥の幽邃な景色、白石と清らかな泉の谷川の流れ、猿や鹿と心を通わせて遊び、俗塵を離れて憂いなく悠々と寝て暮らす日々を詠む)
- 縶は草庵の外に車を停め、供の者に柴の扉を叩かせた。一人の童子が門を開けて尋ねた。「お客様はどちらから。」縶は言った。「蹇先生を訪ねてまいった。」童子は言った。「主人は留守です。」縶は言った。「先生はどちらへ。」童子は言った。「隣の老人と石橋で泉を眺めに行っており、まもなく戻ります。」縶はみだりに草庵に入るのを控え、石に腰かけて待った。童子は門を半ば閉じて中に入った。しばらくすると、濃い眉に環のような目、四角い顔に長身の大男が、鹿の脚二本を背負って田のあぜ道の西から歩いてきた。縶はその容貌が並でないのを見て、立ち上がって迎えた。その大男はすぐに鹿の脚を地に置き、縶に礼をした。縶はそこで名を尋ねた。大男は答えた。「私は蹇氏、名は丙、字は白乙と申します。」縶は言った。「蹇叔殿はあなたの何にあたる方か。」答えて言った。「私の父です。」縶は改めて礼をして、「かねてよりお噂を伺っておりました」と言った。大男は言った。「あなたはどなたですか。ここに何用でおいでですか。」縶は言った。「旧友の百里奚が、今秦に仕えており、手紙をもってご尊父に伺候するよう託されたのです。」蹇丙は言った。「先生、どうぞ草堂にお入りになって少しお座りください。父はすぐに帰ってまいります。」言い終えると、両開きの扉を押し開けて、公子縶を先に入らせた。蹇丙は再び鹿の脚を取って背負い、草堂に至った。童子が鹿の脚を受け取って運び入れた。蹇丙はまた礼をして、主客の座に分かれて座った。公子縶と蹇丙は農桑のことなどを語り合い、武芸のことにも及んだ。丙の話しぶりはたいへん筋道立っており、縶は密かに感心し、「その父にしてその子あり、井伯(百里奚)の推薦は誇張ではなかった」と思った。茶を出し終えたところで、蹇丙は童子に門口に出て父の帰りを待つよう命じた。しばらくして童子が報告した。「旦那様がお帰りです。」
- さて蹇叔は隣の老人二人と肩を並べて歩いてきたが、門前に車が二台あるのを見て驚いて言った。「わが村にどうしてこんな車があるのか。」蹇丙は門の外に走り出て、まずその事情を告げた。蹇叔は二人の老人とともに草堂に入り、それぞれ挨拶をして順に座った。蹇叔は言った。「先ほど倅が言うには、わが弟井伯(百里奚)から手紙があるとのこと、どうか見せてほしい。」公子縶はそこで百里奚の手紙を差し出した。蹇叔は封を開いて見た。(手紙の大意:井伯(百里奚)は兄の忠告を聞かず、虞の難に陥りかけたが、幸い秦君が賢を好み、牛飼いの下男の身分から贖い出されて秦の政を任された。自分の才知は兄に及ばないと考え、兄を推挙した。秦君は渇するように兄上を敬慕しており、大夫公子縶に礼幣を持たせて出迎えさせる。願わくは思い直して山を出てほしい、生涯の志を遂げるために。もし兄が山林に恋々とするなら、自分も爵禄を捨てて鳴鹿の郷に従おうと思う、という内容)
- 蹇叔は言った。「井伯はどうして秦君に見出されたのか。」公子縶は百里奚が媵臣として楚に逃れ、秦君がその賢を聞いて五枚の羊皮で贖い戻した顛末を、一通り語った。「今わが君は上卿に取り立てようとされましたが、井伯は自分は先生に及ばないと申し、必ず先生を秦にお招きしてから、はじめて仕官の座に就くと言っております。わが君は薄礼ながら礼幣を用意され、私にその使命を授けられました。」言い終えると、すぐに左右の者に命じて車の中から招聘の書状と礼幣を取り出させ、草堂の中に並べさせた。隣の老人たちは山野の農夫で、これまでこのような盛大な儀式を見たことがなく、互いに顔を見合わせて驚き、公子縶に言った。「私どもは貴人がここにおいでとは知らず、失礼をいたしました。」縶は言った。「何をおっしゃいますか。わが君は蹇先生のお出ましを、旱魃の苗が雨を望むように待ち望んでおられます。どうかお二方、一言お勧めいただければ、恩恵に浴すること多大でございます。」二人の老人は蹇叔に言った。「秦国がこれほど賢者を重んじるのなら、貴人のご厚意を無にしてはならない。」蹇叔は言った。「昔、虞公は井伯を用いなかったために敗亡を招いた。もし秦君が虚心に賢者を用いようとされるなら、井伯一人で十分だ。老いぼれの私は世に出る気持ちはとうに絶えており、お供することはできない。頂いた礼幣はお返しいただき、どうか大夫にうまく私の代わりに辞退のお言葉を伝えていただきたい。」公子縶は言った。「もし先生がおいでにならなければ、井伯も必ず一人で秦に留まりはいたしますまい。」蹇叔はしばらく考え込んでから嘆じて言った。「井伯は才を抱きながら試されず、仕官を求めて久しい。今ちょうど明君に出会ったのだから、私はその志を成就させないわけにはいかない。無理をしてでも井伯のために一度出向こう、遠からずまたここに帰って耕すことになろう。」童子が「鹿の脚が煮えました」と報告した。蹇叔は枕元に置いた新しい酒を取り寄せ、杯に注いで客をもてなした。公子縶を上座に、二人の老人が相伴し、素焼きの杯と木の箸で、主客が酒を勧め合い、みな喜んで酔い飽きた。いつしか日が暮れ、そのまま縶を草堂に泊めた。翌朝、二人の老人が酒樽を携えて送別に来て、前と同じように座を並べた。しばらくして、公子縶が白乙丙の才を褒め、彼も一緒に秦へ連れて行きたいと望んだ。蹇叔はこれを許した。そこで秦君から贈られた礼幣を、二人の老人に分け贈り、家のことを見守ってくれるよう頼んだ。「今度の旅は長くはかからない、また会えるだろう。」さらに家人には「農事に励み、田畑を荒らさぬように」と言い置いた。二人の老人は名残を惜しんで別れた。蹇叔は車に乗り、白乙丙が御者となった。公子縶は別に一台の車に乗り、並んで進んだ。夜は宿に泊まり、明け方には出立して駆け、秦の郊外に近づくと、公子縶が先に朝廷に馳せ入り、秦の穆公に拝謁して言った。「蹇先生はすでに郊外に到着しております。その子の蹇丙も、有能な才を持っておりますので、私が一緒に連れて参り、お役に立てようと思います。」穆公は大いに喜び、百里奚に出迎えに行かせた。
蹇叔、秦へ赴き穆公と問答
- 蹇叔が到着すると、穆公は階段を下りて礼を厚くし、席を賜って尋ねた。「井伯はたびたび先生の賢さを語っております。先生は寡人に何をお教えくださいますか。」蹇叔は答えた。「秦は西の僻地にあり、戎狄に隣接し、地形は険しく兵は強く、進めば戦うに十分、退けば守るに十分です。それでも中華の列に並べないのは、威と徳が及ばないためです。威がなければ何を恐れさせ、徳がなければ何を慕わせるのですか。恐れさせも慕わせもしなければ、どうして覇を成せましょう。」穆公は言った。「威と徳、どちらを先にすべきか。」蹇叔は答えた。「徳を根本とし、威でそれを助けます。徳があっても威がなければ、国は外から削られます。威があっても徳がなければ、その民は内から崩れます。」穆公は言った。「寡人は徳を布いて威を立てたいと思うが、どうすればよいか。」蹇叔は答えた。「秦は戎の風俗が入り混じり、民に礼教が乏しく、身分の差もはっきりせず、貴賤の別も明らかではありません。私はあなた様のために、まず教化を行い、その後に刑罰を用いることを願います。教化が行われれば、民はその上に立つ者を尊敬することを知り、その後に恩恵を施せば感謝を知り、刑を用いれば畏れを知るようになり、上下の間は手足と頭・目のように一つの身体をなします。管夷吾(管仲)の節度ある軍がよく天下に号令して無敵であったのはそのためです。」穆公は言った。「まことに先生の言葉のとおりにすれば、天下に覇を唱えられるだろうか。」蹇叔は答えた。「まだです。天下に覇を唱える者には三つの戒めがあります。貪らないこと、怒らないこと、急がないことです。貪れば失うことが多く、怒れば難儀が多く、急げばつまずくことが多くなります。事の大小をよく見極めて図れば、どうして貪る必要がありましょう。相手と自分を秤にかけて対処すれば、どうして怒る必要がありましょう。緩急を酌んで施せば、どうして急ぐ必要がありましょう。あなた様がこの三つを戒めることができれば、覇業に近づきます。」穆公は言った。「よい言葉だ。どうか寡人のために、今日の緩急を見定めてほしい。」蹇叔は答えた。「秦は西戎の地に国を立てており、これが禍福の根本です。今、斉侯(桓公)はすでに老い、覇業は衰えようとしています。あなた様がまことに雍・渭の民をよく治め、諸戎に号令して、従わない者を征伐なさるべきです。諸戎が服従したなら、その後兵を収めて中原の変を待ち、斉の残した業を拾い集めて、その徳義を広めるのです。あなた様が覇を望まなくとも、辞退することはできなくなりましょう。」穆公は大いに喜んで言った。「寡人は二人の老賢者を得た、まことに庶民の首長を得たようなものだ。」そこで蹇叔を右庶長に、百里奚を左庶長に封じ、位はともに上卿とし、二人を「二相」と称した。また白乙丙を大夫に召した。二相がともに政を執るようになって以来、法を立てて民を教え、利益を興し害を除いたので、秦国は大いに治まった。史官に詩がある。(詩:公子縶が百里奚を推し、百里奚が蹇叔を推したことで、次々と人材が秦の朝廷に引き入れられた。秦の穆公のように士を好めば、人傑は土地を選ばないと詠む)
西乞術の登用と繇余の消息
- 穆公は賢才が多く異国から出ていることに気づき、いっそう人材を探し求めた。公子縶は秦人の西乞術の賢を推薦し、穆公はこれも召し用いた。百里奚はかねて晋人の繇余が経綸の才を抱いていると聞いており、内々に公孫枝に尋ねた。公孫枝は言った。「繇余は晋で用いられず、今はすでに西戎に仕えております。」百里奚は嘆き惜しんでやまなかった。
百里奚の妻杜氏、扊扅の歌で再会
- さて百里奚の妻の杜氏は、夫が旅に出てからというもの、機を織って生計を立てていたが、その後飢饉に遭って生活できなくなり、子を連れて他郷へ食を求めて流れた。あちこちを転々とした末に秦国に入り、洗濯の仕事で暮らしを立てた。その子は名を視、字を孟明といい、日々村人と狩りや武芸に興じ、生業に励もうとしなかった。杜氏は何度も諭したが従わなかった。百里奚が秦の相となると、杜氏はその姓名を聞き、かつて車の中に見かけたことがあったが、あえて名乗り出なかった。屋敷で洗濯女を求めていたので、杜氏は自ら望んで屋敷に入り洗濯をし、よく洗い張りに励んだので、屋敷の者はみな喜んだが、まだ百里奚の顔を見たことはなかった。ある日、百里奚が堂上に座り、楽人たちが廊下で音楽を奏でていた。杜氏は屋敷の者に言った。「老いぼれの私は少し音律を心得ております。廊下に行ってその音を聞かせていただけませんか。」屋敷の者は廊下に連れて行き、楽人にそのことを話し、何を習得しているか尋ねた。杜氏は「琴も弾けますし、歌も歌えます」と言った。そこで琴を渡された。杜氏が琴を手にして弾くと、その音は哀切であった。楽人たちはみな耳を傾けて静かに聞き入り、自分たちは及ばないと思った。さらに歌わせると、杜氏は言った。「老いぼれの私は流浪してここに来て以来、声を出したことがありません。どうか相君(百里奚)にお伝えいただき、堂に上がって歌わせていただきたく存じます。」楽人が百里奚にこの旨を告げると、百里奚は堂の左に立たせるよう命じた。杜氏は眉を伏せ袖を控えめにし、声を張り上げて歌った。(歌:百里奚よ、五枚の羊皮で買われた身よ。別れの日には雌鶏を煮て黄齏(黄色い漬け菜)を舂き、門の横木を薪にして炊いだことを思い出してほしい。今、富貴となって私を忘れたのか。父は肉を食べ子は飢えて泣き、夫は美服をまとい妻は洗濯女となっている。ああ、富貴となって私を忘れたのか。昔はあなたが旅立つ日に私が泣き、今日はあなたが座についておられるのに私は引き離されたままだ。ああ、富貴となって私を忘れたのか、と繰り返し歌う)
- 百里奚はこの歌を聞いて愕然とし、前に呼び寄せて尋ねると、まさしくその妻であった。そこで抱き合って大いに泣いた。しばらくして尋ねた。「子はどこにいるのか。」杜氏は「村で狩りをしております」と言い、人をやって呼びに行かせた。この日、夫婦と親子が、再び一つに揃った。穆公は百里奚の妻子がともに到着したと聞き、粟千鍾と金銀や絹を一車分賜った。翌日、百里奚は妻と子の孟明視を率いて朝廷に上がり、恩を謝した。穆公はまた視(孟明視)を大夫に取り立て、西乞術・白乙丙とともに「将軍」と号し、彼らを「三帥」と呼んで、もっぱら征伐のことを司らせた。
姜戎征伐、繇余の帰順と戎主赤斑の降伏
- 姜戎の首長吾離が、荒々しく侵略を働いたので、三帥が兵を率いてこれを討った。吾離は敗れて晋へ逃れ、秦は瓜州の地をすべて手に入れた。ちょうどその頃、西戎の主・赤斑は秦の強盛を見て、その臣の繇余を秦に使わし、穆公の人となりを観察させた。穆公は繇余とともに庭園に遊び、三休の台に登り、宮室や庭園の美しさを誇った。繇余は言った。「あなた様はこれを造るのに、鬼を使役されたのですか、それとも人を使役されたのですか。鬼を使役すれば神を疲れさせ、人を使役すれば民を疲れさせます。」穆公はその言葉を奇異に思い、「そなたたち戎夷には礼楽も法度もない。それでどうして治めるのか」と言った。繇余は笑って言った。「礼楽や法度こそ、中原の国々が乱れるゆえんです。昔、聖人がこれを創始して文の法を作り、人民を約束事で縛りましたが、それでもわずかな治世にとどまりました。その後、日ごとに驕り淫らになり、礼楽の名を借りて自分の身を飾り、法度の威を仮りて臣下を厳しく責め立てるようになりました。人民は恨みを抱き、そこから簒奪が生まれます。戎夷はそうではありません。上は淳朴な徳を持って下を遇し、下は忠信の心を懐いて上に仕えます。上下が一体となり、形の上で互いに欺き合うこともなく、法文で互いに煩わし合うこともありません。治まっているようには見えなくとも、それこそが最高の治世なのです。」穆公は黙り込み、退いてこの言葉を百里奚に語った。百里奚は答えた。「これは晋国の大賢人です。私はかねてその名をよく聞いております。」穆公は不快そうに顔をしかめて言った。「寡人が聞くところでは、『隣国に聖人がいれば、それは敵国の憂いだ』という。今、繇余のような賢者が戎に用いられていれば、いずれ秦の患いとなるのではないか、どうすればよいか。」百里奚は答えた。「内史廖は奇智に富んでおります。あなた様はこの者に相談なさるとよいでしょう。」穆公はすぐに内史廖を召してその事情を告げた。廖は答えた。「戎の主は僻地の辺境に居り、中原の音楽を聞いたことがありません。あなた様は試みに女楽を贈ってその志を奪ってみてはいかがでしょう。繇余を留めて帰さず、その帰国の期を狂わせるのです。そうすれば戎の政事は怠り廃れ、上下が互いに疑い合うようになります。その国さえ手に入れられるでしょう、まして一人の家臣など何ほどのことがありましょう。」穆公は「よかろう」と言った。そこで繇余と席を同じくして座り、器を同じくして食事をし、日頃から蹇叔・百里奚・公孫枝らを交代で伴わせ、その地形の険阻や平坦、兵勢の強弱の実情を尋ねさせた。一方で美女で音楽に堪能な者六人を装わせ、内史廖を戎への答礼の使者に遣わして女楽を献上させた。戎主の赤斑は大いに喜び、昼は音楽を聞き夜は女を寵愛して、次第に政事をおろそかにするようになった。繇余は秦に一年留まってようやく帰った。戎主はその帰りが遅かったのを怪しんだ。繇余は言った。「私は日夜帰国を求めましたが、秦君が固く留めて帰さなかったのです。」戎主は繇余が秦に二心を抱いているのではと疑い、次第に疎んじるようになった。繇余は戎主が女楽に耽って政事を顧みないのを見て、苦言を呈して諫めずにはいられなかったが、戎主はこれを拒んで聞き入れなかった。穆公はそこで密かに人をやって繇余を招いた。繇余は戎を捨てて秦に帰り、すぐに亜卿に抜擢され、二相と同じく政に参与した。繇余はそこで戎討伐の策を献じた。三帥の軍が戎の境に至ると、まるで慣れた道を行くようであった。戎主の赤斑は防ぎきれず、ついに秦に降伏した。後世の人の詩がある。(詩:虞は百里奚を用いずについに虞公自ら捕虜となり、戎は繇余を失ってついに国を喪った、賢才こそが国を左右する、斉の覇と秦の強盛を見よ、と詠む)
穆公の昏睡と夢、陳寶の由来
- 西戎の主赤斑は、諸戎の統率者であり、これまで諸戎はみな彼から軍役を課されて従っていた。赤斑が秦に降伏したと聞くと、みな恐れおののき、土地を差し出して臣を称する者が次々と絶えなかった。穆公は功に応じて論功行賞を行い、群臣を集めて大いに宴を催した。群臣が代わる代わる杯を上げて祝賀したので、穆公はいつしか大いに酔い、宮に戻って横になったまま目覚めなくなった。宮人は驚き、この事は外にも知れ渡った。群臣はみな宮門を叩いて安否を尋ねた。世子罌(後の康公)は太医を宮中に召して脈を診させたが、脈は平常どおりで、ただ目を閉じたまま口も利けず体も動かせなかった。太医は「これは鬼神によるものだ」と言った。そこで世子罌は内史廖に祈祷を行わせようとした。内史廖は言った。「これは仮死状態であり、必ず異夢を見ておられるはずです。自然に回復するのを待つべきで、驚かせてはいけません。祈祷しても益はありません。」世子罌は寝台の傍らに付き添い、寝食も忘れて離れなかった。そのまま五日目に至り、穆公はようやく目覚め、額に汗を雨のように流し、しきりに「怪しいことだ」と叫んだ。世子罌はひざまずいて尋ねた。「お体はいかがですか。なぜこれほど長くお眠りになっていたのですか。」穆公は「ほんの少しの間のことだ」と言った。罌は言った。「君はすでに五日も眠っておられました。何か異夢を見られたのではありませんか。」穆公は驚いて尋ねた。「そなたはどうしてそれを知っているのか。」世子罌は言った。「内史廖がもとよりそう申しておりました。」穆公はそこで廖を寝台の前に召して言った。「寡人は先ほど夢の中で一人の婦人を見た。装束はまるで妃嬪のようで、容貌端麗、肌は氷雪のようであった。手に天の符を握り、上帝の命を奉じて寡人を召しに来たと言う。寡人はそれに従った。たちまち身が雲の中にあるようで、はるか果てしなく漂った。ある宮殿に至ると、丹青が輝き、玉の階は九尺、その上に玉のすだれが懸かっていた。婦人は寡人を階下に導いて拝させた。しばらくすると簾が巻き上げられ、殿上には黄金の柱、壁には錦繍が張られ、光り輝いて目を奪うほどであった。玉すだれを垂らした冠と華やかな礼服をまとった王者が玉几に凭れて座っており、左右には侍者が立ち並び、威儀はまことに盛んであった。王者は『礼を賜れ』と命じ、内侍のような者が碧玉の斝で寡人に酒を賜った。その味は甘く香ばしく、比類がなかった。王者は一枚の簡を左右の者に渡すと、たちまち堂上から大声で寡人の名を呼ぶのが聞こえた。『任好(穆公の名)よ、旨を聞け、そなたは晋の乱を平定せよ。』これを二度繰り返した。婦人はそこで寡人に拝謝させ、また導いて宮殿を出た。寡人はその婦人の名を尋ねた。答えて言うには、『妾は寶夫人と申します。太白山の西麓に住んでおります。あなたの領内におります、あなたはお聞きになったことはございませんか。妾の夫の葉君は、別に南陽に住み、一、二年に一度妾のもとを訪れます。あなたが妾のために祠を建ててくださるなら、あなたを覇者とし、その名を万代に伝えましょう。』寡人はそこで『晋にどんな乱があって、寡人にこれを平定させようとするのか』と尋ねた。寶夫人は『これは天機であり、あらかじめ漏らすことはできません』と言った。すでに鶏の鳴く声が聞こえ、その声は雷のように大きく、寡人はそこで驚いて目覚めた。これはどのような瑞祥であろうか。」廖は答えた。「晋侯は今、驪姫を寵愛し太子を疎んじております。乱が無いとは保証できません。天命が君に及んだのは、君の福でございます。」穆公は言った。「寶夫人とは何者か。」廖は答えた。「私が聞くところでは、先君文公の時代、陳倉の人が土中から一つの異物を得ました。形は満杯の袋のようで、色は黄と白が入り混じり、尾は短く足が多く、口には鋭い嘴がありました。陳倉の人はこれを先君に献上しようと考えました。途中で二人の童子に出会い、彼らは手を打って笑いながら『お前は死人を虐げてきたが、今度は生きた人間の手に落ちるのか』と言いました。陳倉の人がその意味を尋ねると、二人の童子は言いました。『この物は蝟(はりねずみ)という名で、土の中で死人の脳を食べ、その精気を得て変化することができる。しっかり持っていろ。』すると蝟もまた口を開いて突然人の言葉で言いました。『あの二人の童子は、一人は雌、一人は雄で、名を陳寶といい、野雉の精である。雄を得た者は王となり、雌を得た者は覇者となる。』陳倉の人はそこで蝟を捨てて童子を追いましたが、二人の童子はたちまち雉に化けて飛び去りました。陳倉の人はこのことを先君に告げ、先君はその事を簡に書かせ、内府に蔵させました。私が実際にそれを管理しております、開いてご覧になれます。そもそも陳倉はちょうど太白山の西にあります。君が試みに両山の間で狩りをなさり、その跡を求められれば、はっきりするでしょう。」穆公は文公が蔵した簡を取り寄せて見ると、まさに廖の言葉のとおりであった。そこで廖にその夢を詳しく記録させ、内府に併せて蔵させた。
- 翌日、穆公は朝廷に出て、群臣がこぞって祝賀した。穆公はそこで車を命じて、太白山で狩りをした。曲がりくねった道を西へ進み、陳倉山に近づくと、猟師が網を打って一羽の雉を得た。その色は玉のように瑕がなく、光沢が人を照らすほどであった。しばらくすると石の鶏に化け、色艶は変わらなかった。猟師はこれを穆公に献上した。内史廖は祝って言った。「これがいわゆる寶夫人でございます。雌を得た者は覇者となる、これはまさに覇業の兆しではありませんか。君は陳倉に祠を建てられれば、必ずその福を得られましょう。」穆公は大いに喜び、蘭の湯で沐浴させ、錦の衾で覆い、玉の匱に納めるよう命じた。その日のうちに工人を集めて木を伐り、山上に祠を建て、その祠を「寶夫人祠」と名づけた。陳倉山を改めて寶雞山とした。役人が春秋二度の祭りを行った。祭りのたびに、山上で鶏の鳴く声が聞こえ、その声は三里の外まで響いた。一、二年に一度、十丈あまりの長さの赤い光が望まれ、雷のような音が轟くことがあったが、これは葉君が会いに来る時であった。葉君とは、すなわち雄の雉の神で、いわゆる別に南陽に住むという者である。それから四百年あまり後、漢の光武帝が南陽に生まれ、兵を起こして王莽を誅し、漢の皇統を継いで後漢の皇帝となった。これはまさに雄を得た者が王となるという験であった。果たして秦の穆公がどのように晋の乱を平定するか、続きは次回を見られたい。
原文(底本)
話說秦穆公深知百里奚之才,欲爵為上卿。百里奚辭曰:「臣之才,不如臣友蹇叔十倍。君欲治國家,請任蹇叔而臣佐之。」穆公曰:「子之才,寡人見之真矣,未聞蹇叔之賢也。」奚對曰:「蹇叔之賢,豈惟君未之聞,雖齊、宋之人,亦莫之聞也。然而臣獨知之。臣嘗出遊於齊,欲委質於公子無知,蹇叔止臣曰:『不可。』臣因去齊,得脫無知之禍。嗣游於周,欲委質於王子頹,蹇叔復止臣曰:『不可。』臣復去周,得脫子頹之禍。後臣歸虞,欲委質於虞公,蹇叔又止臣曰:『不可。』臣時貧甚,利其爵祿,姑且留事,遂為晉俘。夫再用其言,以脫於禍,一不用其言,幾至殺身,此其智勝於中人遠矣。今隱於宋之鳴鹿村,宜速召之。」穆公乃遣公子縶假作商人,以重幣聘蹇叔於宋。百里奚另自作書致意。 公子縶收拾行囊,駕起犢車二乘,徑投鳴鹿村來。見數人息耕於隴上,相賡而歌。歌曰: 山之高兮無攆,途之濘兮無燭。 相將隴上兮,泉甘而土沃。 勤吾四體兮,分吾五穀。 三時不害兮饔飧足,樂此天命兮無榮辱! 縶在車中,聽其音韻,有絕塵之致,乃嘆謂御者曰:「古云『里有君子,而鄙俗化。』今入蹇叔之鄉,其耕者皆有高遁之風,信乎其賢也。」乃下車,問耕者曰:「蹇叔之居安在?」耕者曰:「子問之何為?」縶曰:「其故人百里奚有書,托吾致之。」耕者指示曰:「前去竹林深處,左泉右石,中間一小茅廬,乃其所也。」縶拱手稱謝。復登車,行將半里,來至其處。縶舉目觀看,風景果是幽雅。隴西居士有隱居詩云: 翠竹林中景最幽,人生此樂更何求? 數方白石堆雲起,一道清泉接澗流。 得趣猿猴堪共樂,忘機麋鹿可同遊。 紅塵一任漫天去,高臥先生百不憂。 縶停車於草廬之外,使從者叩其柴扉。有一小童子,啟門而問曰:「佳客何來?」縶曰:「吾訪蹇先生來也。」童子曰:「吾主不在。」縶曰:「先生何往?」童子曰:「與鄰叟觀泉於石樑,少頃便回。」縶不敢輕造其廬,遂坐於石上以待之。童子將門半掩,自入戶內。須臾之間,見一大漢,濃眉環眼,方面長身,背負鹿蹄二隻,從田塍西路而來。縶見其容貌不凡,起身迎之。那大漢即置鹿蹄於地,與縶施禮。縶因叩其姓名。大漢答曰:「某蹇氏,丙名,字白乙。」縶曰:「蹇叔是君何人?」對曰:「乃某父也。」縶重複施禮,口稱:「久仰!」大漢曰:「足下何人?到此貴幹?」縶曰:「有故人百里奚,今仕於秦,有書信託某奉候尊公。」蹇丙曰:「先生請入草堂少坐,吾父即至矣。」言畢,推開雙扉,讓公子縶先入。蹇丙復取鹿蹄負之,至於草堂。童子收進鹿蹄。蹇丙又復施禮,分賓主坐定。公子縶與蹇丙談論些農桑之事,因及武藝。丙講說甚有次第,縶暗暗稱奇,想道:「有其父方有其子,井伯之薦不虛也。」獻茶方罷,蹇丙使童子往門首伺候其父。少頃,童子報曰:「翁歸矣!」 卻說蹇叔與鄰叟二人,肩隨而至,見門前有車二乘,駭曰:「吾村中安得有此車耶?」蹇丙趨出門外,先道其故。蹇叔同二叟進入草堂,各各相見,敘次坐定。蹇叔曰:「適小兒言吾弟井伯有書,乞以見示!」公子縶遂將百里奚書信呈上。蹇叔啟緘觀之。略曰: 奚不聽兄言,幾蹈虞難。幸秦君好賢,贖奚於牧豎之中,委以秦政。奚自量才智不逮恩兄,舉兄同事。秦君敬慕若渴,特命大夫公子縶布幣奉迎。惟冀幡然出山,以酬生平未足之志。如兄戀戀山林,奚亦當棄爵祿,相從於鳴鹿之鄉矣! 蹇叔曰:「井伯何以見知於秦君也?」公子縶將百里奚為媵逃楚,秦君聞其賢,以五羊皮贖歸始末,敘述一遍。「今寡君欲爵以上卿,井伯自言不及先生,必求先生至秦,方敢登仕。寡君有不腆之幣,使縶致命。」言訖,即喚左右於車廂中取出徵書禮幣,排列草堂之中。鄰叟俱山野農夫,從未見此盛儀,相顧驚駭,謂公子縶曰:「吾等不知貴人至此,有失迴避。」縶曰:「何出此言?寡君望蹇先生之臨,如枯苗望雨。煩二位老叟相勸一聲,受賜多矣!」二叟謂蹇叔曰:「既邦如此重賢,不可虛貴人來意。」蹇叔曰:「昔虞公不用井伯,以致敗亡。若秦君肯虛心仕賢,一井伯已足。老夫用世之念久絕,不得相從。所賜禮幣,望乞收回,求大夫善為我辭!」公子縶曰:「若先生不往,井伯亦必不獨留。」蹇叔沉吟半晌,嘆曰:「井伯懷才未試,求仕已久,今適遇明主,吾不得不成其志。勉為井伯一行,不久仍歸耕於此耳。」童子報:「鹿蹄已熟。」蹇叔命取床頭新釀,盞之以奉客。公子縶西席,二叟相陪,瓦杯木箸,賓主勸酬,欣然醉飽。不覺天色已晚,遂留縶於草堂安宿。次早,二叟攜樽餞行,依前敘坐。良久,公子縶誇白乙之才,亦要他同至秦邦。蹇叔許之。乃以秦君所贈禮幣,分贈二叟,囑咐看覷家間:「此去不久,便再得相敘。」再吩咐家人:「勤力稼穡,勿致荒蕪。」二叟珍重而別。蹇叔登車,白乙丙為御。公子縶另自一車,並駕而行。夜宿曉馳,將近秦郊,公子縶先驅入朝,參謁了秦穆公,言:「蹇先生已到郊外。其子蹇丙,亦有揮霍之才,臣並取至,以備任使。」穆公大喜,乃命百里奚往迎。 蹇叔既至,穆公降階加禮,賜坐而問之曰:「井伯數言先生之賢,先生何以教寡人乎?」蹇叔對曰:「秦僻在西土,鄰於戎狄,地險而兵強,進足以戰,退足以守。所以不列於中華者,威德不及故也。非威何畏,非德何懷;不畏不懷,何以成霸?」穆公曰:「威與德二者孰先?」蹇叔對曰:「德為本,威濟之。德而不威,其國外削;威而不德,其民內潰。」穆公曰:「寡人欲布德而立威,何道而可?」蹇叔對曰:「秦雜戎俗,民鮮禮教,等威不辨,貴賤不明,臣請為君先教化而後刑罰。教化既行,民知尊敬其上,然後恩施而知感,刑用而知懼,上下之間,如手足頭目之相為。管夷吾節制之師,所以號令天下而無敵也。」穆公曰:「誠如先生之言,遂可以霸天下乎?」蹇叔對曰:「未也。夫霸天下者有三戒:毋貪,毋忿,毋急。貪則多失,忿則多難,急則多蹶。夫審大小而圖之,烏用貪?衡彼己而施之,烏用忿?酌緩急而布之,烏用急?君能戒此三者,於霸也近矣。」穆公曰:「善哉言乎!請為寡人酌今日之緩急。」蹇叔對曰:「秦立國西戎,此禍福之本也。今齊侯已耄,霸業將衰。君誠善撫雍渭之眾,以號召諸戎,而征其不服者。諸戎既服,然後斂兵以俟中原之變,拾齊之遺,而布其德義。君雖不欲霸,不可得而辭矣。」穆公大悅曰:「寡人得二老,真庶民之長也!」乃封蹇叔為右庶長,百里奚為左庶長,位皆上卿,謂之「二相」。並召白乙丙為大夫。自二相兼政,立法教民,興利除害,秦國大治。史官有詩云: 子縶薦奚奚薦叔,轉相汲引布秦庭。 但能好士如秦穆,人傑何須問地靈。 穆公見賢才多出於異國,益加採訪。公子縶薦秦人西乞術之賢,穆公亦召用之。百里奚素聞晉人繇余負經綸之略,私詢於公孫枝。枝曰:「繇余在晉不遇,今已仕於西戎矣。」奚嘆惜不已。 卻說百里奚之妻杜氏,自從其夫出遊,紡績度日。後遇饑荒,不能存活,攜其子趁食他鄉。展轉流離,遂入秦國,以澣衣為活。其子名視,字孟明,日與鄉人打獵角藝,不肯營生。杜氏屢諭不從。及百里奚相秦,杜氏聞其姓名,曾於車中望見,未敢相認。因府中求澣衣婦,杜氏自願入府澣衣,勤於搗濯,府中人皆喜,然未得見奚之面也。一日,奚坐於堂上,樂工在廡下作樂。杜氏向府中人曰:「老妾頗知音律,願引至廡,一聽其聲。」府中人引至廡下,言於樂工,問其所習。杜氏曰:「能琴亦能歌。」乃以琴授之。杜氏援琴而鼓,其聲淒怨。樂工俱傾耳靜聽,自謂不及。再使之歌,杜氏曰:「老妾自流移至此,未嘗發聲。願言於相君,請得升堂而歌之。」樂工稟知百里奚,奚命之立於堂左。杜氏低眉斂袖,揚聲而歌。歌曰: 百里奚,五羊皮!憶別時,烹伏雌,舂黃齏,炊扊扅。今日富貴忘我為? 百里奚,五羊皮!父梁肉,子啼饑;夫文繡,妻澣衣。嗟乎!富貴忘我為? 百里奚,五羊皮!昔之日,君行而我啼;今之日,君坐而我離。嗟乎!富貴忘我為? 百里奚聞歌愕然,召至前詢之,正其妻也。遂相持大慟。良久,問:「兒子何在?」杜氏曰:「村中射獵。」使人召之。是日,夫妻父子,再得完聚。穆公聞百里奚妻、子俱到,賜以粟千鍾,金帛一車。次日,奚率妻子孟明視朝見謝恩。穆公亦拜視為大夫,與西乞術、白乙丙並號將軍,謂之「三帥」,專掌征伐之事。 姜戎子吾離,桀驁侵掠,三帥統兵征之。吾離兵敗奔晉,遂盡有瓜州之地。時西戎主赤斑見秦人強盛,使其臣繇余聘秦以觀穆公之為人。穆公與之遊於苑囿,登三休之台,誇以宮室苑囿之美。繇余曰:「君之為此者,役鬼耶,抑役人耶?役鬼勞神,役人勞民!」穆公異其言,曰:「汝戎夷無禮樂法度,何以為治?」繇余笑曰:「禮樂法度,此乃中國所以亂也!自上聖創為文法,以約束百姓,僅僅小治。其後日漸驕淫。借禮樂之名,以粉飾其身;假法度之威,以督責其下。人民怨望,因生篡奪。若戎夷則不然。上含淳德以遇下,下懷忠信以事其上。上下一體,無形跡之相欺,無文法之相擾。不見其治,乃為至治。」穆公默然,退而述其言於百里奚。奚對曰:「此晉國之大賢人,臣熟聞其名矣。」穆公蹴然不悅曰:「寡人聞之,『鄰國有聖人,敵國之憂也。』今繇余賢而用於戎,將為秦患奈何?」奚對曰:「內史廖多奇智,君可謀之。」穆公即召內史廖告以其故。廖對曰:「戎主僻處荒徼,未聞中國之聲。君試遺之女樂,以奪其志。留繇余不遣,以爽其期。使其政事怠廢,上下相疑,雖其國可取,況其臣乎?」穆公曰:「善。」乃與繇余同席而坐,共器而食,居常使蹇叔、百里奚、公孫枝等,輪流作伴,叩其地形險夷,兵勢強弱之實。一面裝飾美女,能音樂者六人,遣內史廖至戎報聘,以女樂獻之。戎主赤斑大悅,日聽音而夜御女,遂疏於政事。繇余留秦一年乃歸。戎主怪其來遲,繇余曰:「臣日夜求歸,秦君固留不遺。」戎主疑其有二心於秦,意頗疏之。繇余見戎主耽於女樂,不理政事,不免苦口進諫。戎主拒而不納。穆公因密遣人招之。繇余棄戎歸秦,即擢亞卿,與二相同事。繇余遂獻伐戎之策。三帥兵至戎境,宛如熟路。戎主赤斑不能抵敵,遂降於秦。後人有詩云: 虞違百里終成虜,戎失繇余亦喪邦。 畢竟賢才能干國,請看齊霸與秦強。 西戎主赤斑,乃諸戎之領袖,向者諸戎俱受服役。及聞赤斑歸秦,無不悚懼,納土稱臣者,相繼不絕。穆公論功行賞,大宴群臣。群臣更番上壽,不覺大醉,回宮一臥不醒。宮人驚駭,事聞於外。群臣皆叩宮門問安。世子罌召太醫入宮診脈,脈息如常,但閉目不能言動。太醫曰:「是有鬼神。」欲命內史廖行禱。內史廖曰:「此是屍厥,必有異夢。須俟其自復,不可驚之。禱亦無無益。」世子罌守於床蓆之側,寢食俱不敢離。直候至第五日,穆公方醒,顙間汗出如雨,連叫:「怪哉!」世子罌跪而問曰:「君體安否?何睡之久也?」穆公曰:「頃刻耳。」罌曰:「君睡已越五日,得無有異夢乎?」穆公驚問曰:「汝何以知之?」世子罌曰:「內史廖固言之。」穆公乃召廖至榻前,言曰:「寡人今者夢一婦人,妝束宛如妃嬪。容貌端好,肌如冰雪。手握天符,言奉上帝之命,來召寡人。寡人從之。忽若身在雲中,縹緲無際。至一宮闕,丹青炳煥,玉階九尺,上懸珠簾。婦人引寡人拜於階下。須臾簾卷,見殿上黃金為柱,壁衣錦繡,精光奪目。有王者冕旒華袞憑玉幾上坐。左右侍立,威儀甚盛。王者傳命:『賜禮!』有如內侍者,以碧玉斝賜寡人酒,甘香無比。王者以一簡授左右,即聞堂上大聲呼寡人名曰:『任好聽旨,爾平晉亂!』如是者再。婦人遂教寡人拜謝,復引出宮闕。寡人問婦人何名。對曰:『妾乃寶夫人也。居於太白山之西麓。在君宇下,君不聞乎?妾夫葉君,別居南陽,或一二歲來會妾。君能為妾立祠,當使君霸,傳名萬載。』寡人因問:『晉有何亂,乃使寡人平之?』寶夫人曰:『此天機不可預洩。』已聞雞鳴,聲大如雷霆,寡人遂驚覺。不如此何祥也?」廖對曰:「晉侯方寵驪姬,疏太子,保無亂乎?天命及君,君之福也!」穆公曰:「寶夫人何為者?」廖對曰:「臣聞先君文公之時,有陳倉人於土中得一異物,形如滿囊,色間黃白,短尾多足,嘴有利喙。陳倉人謀獻之先君。中途遇二童子,拍手笑曰:『汝虐於死人,今乃遭生人之手乎?』陳倉人請問其說,二童子曰:『此物名蝟,在地下慣食死人之腦,得其精氣,遂能變化。汝謹持之!』蝟亦張喙忽作人言曰:『彼二童子者,一雌一雄,名曰陳寶,乃野雉之精。得雄者王,得雌者霸。』陳倉人遂舍蝟而逐童子,二童子忽化為雉飛去。陳倉人以告先君,命書其事於簡,藏之內府,臣實掌之,可啟而視也。夫陳倉正在太白山之西,君試獵於兩山之間,以求其跡,則可明矣。」穆公命取文公藏簡觀之,果如廖之語。因使廖詳記其夢,並藏內府。 次日,穆公視朝,群臣畢賀。穆公遂命駕車,獵於太白山。迤邐而西,將至陳倉山,獵人舉網得一雉雞,玉色無瑕,光采照人。須臾化為石雞,色光不減。獵者獻於穆公。內史廖賀曰:「此所謂寶夫人也。得雌者霸,殆霸徵乎?君可建祠於陳倉,必獲其福。」穆公大悅,命沐以蘭湯覆以錦衾,盛以玉匱。即日鳩工伐木,建祠於山上,名其祠曰:寶夫人祠。改陳倉山為寶雞山。有司春秋二祭。每祭之晨,山上聞雞鳴,其聲徹三里之外。間一年或二年,望見赤光長十餘丈,雷聲殷殷然,此乃葉君來會之期。葉君者,即雄雉之神,所謂別居南陽者也。至四百餘年後,漢光武生於南陽,起兵誅王莽,即漢祚,為後漢皇帝,乃是得雄者王之驗。畢竟秦穆公如何定晉亂,再看下回分解。
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