東周列國志第二十七回 驪姫、巧計をもって申生を殺す/献公、臨終に荀息に託す (驪姬巧計殺申生 獻公臨終囑荀息)
驪姫と優施の謀
- さて晋の献公はすでに虞・虢の二国を併合し、群臣はみな祝賀したが、驪姫だけは心中面白くなかった。彼女はもともと世子申生を虢討伐に遣わそうとしていたが、里克がそれに代わって出征し、またしても功を立ててしまい、しばらくの間これといった手立てがなかった。そこでまた優施と相談して言った。「里克は申生の一党で、功も高く地位も重い。私には対抗するすべがない、どうしたものか。」優施は言った。「荀息は一枚の璧と馬で虞・虢の二国を滅ぼしました。その知略は里克の上を行き、その功も里克に劣りません。もし荀息を奚斉・卓子の傅(守り役)に求められれば、里克に対抗して余りあるでしょう。」驪姫が献公に願い出ると、献公はそこで荀息を奚斉・卓子の傅とした。驪姫はまた優施に言った。「荀息はすでに我が党に入った。里克が朝廷にいる限り、必ず我らの謀を破るだろう。どうすれば取り除けるか。克を除いてこそ、申生を図ることができる。」優施は言った。「里克の人となりは、外見は強気ですが内心は迷いが多い者です。まことに利害でその心を動かせば、必ずどちらにも付かず定まらなくなり、その後で取り込んでこちらに使うことができます。克は酒好きです。夫人は私のために羊一頭を供える饗応の宴を用意していただけますか。私は酒席のお伴をしながら言葉でその心を探ってみましょう。もし彼が乗ってくれば夫人のお仕合わせ、もし乗らなくとも、私ども芸人がふざけただけのこと、何の罪にもなりません。」驪姫は「よかろう」と言い、そこで自ら優施のために宴席の道具を整えた。
優施の暗示の歌と里克の中立
- 優施はあらかじめ里克に頼んで言った。「大夫は虞と虢の間を東奔西走され、ご苦労なさいました。私めに一杯差し上げたく、少しの間のどかな楽しみに大夫をお誘いしたく思いますが、いかがでしょう。」里克はこれを許した。そこで酒を携えて克の家に至った。克とその妻の孟は、ともに西側の席に着いて客の位についた。優施は再拝して杯を進め、そのまま傍らで酒の相手をし、冗談を言い合って大いに打ち解けた。酒がほろ酔いになったところで、優施は立ち上がって舞を舞って祝杯を勧め、そのまま孟に向かって言った。「奥様、私に食べさせてください。新しい歌がございます、奥様のために歌いましょう。」孟は觥(さかずき)に酒を注いで優施に賜り、羊の脾(ひぞう)の肉を食べさせた。「新しい歌とは何という名か」と尋ねると、優施は「『暇豫』という名です。大夫がこの心得を持って主君にお仕えになれば、富貴を保つことができます」と答え、喉を整えて歌った。(歌:暇豫(安楽)にひとりゆったりしているより、烏烏(互いに寄り添う烏)のようであるほうがよい。鳥がみな茂った木に集まるのに、お前だけが枯れ木にいる。茂った木は栄え茂るのに、枯れ木は斧の柄を招くだけ。斧の柄が及べば、枯れ木のお前はどうなるのか、と歌う)
- 歌い終えると、里克は笑って「何を『菀(茂った木)』といい、何を『枯(枯れ木)』というのか」と尋ねた。優施は言った。「人にたとえれば、その母が夫人となり、その子が今にも君主となろうとしている、根が深く枝が茂り、多くの鳥がそこに身を寄せる、これがいわゆる菀です。もしその母がすでに死に、その子もまた誹謗を受ければ、禍が及ぼうとしている、根が揺らぎ葉が落ち、鳥にはとまる場所がない、これが枯れ木というものです。」言い終えると門を出て行った。里克は心中穏やかでなく、すぐに食事の片づけを命じ、立ち上がって書斎に入り、独り庭を歩き回ってしばらく思案を巡らせた。その夜は夕食も摂らず、灯をともして寝床に入ったが、寝返りを打つばかりで眠れなかった。あれこれ考えた。「優施は宮中の内外で寵愛を受け、宮中の奥を出入りしている。今日の歌は、必ず意味もなく発せられたものではない。彼は言いたいことを言い尽くさなかった、夜が明けたら改めて問いただそう。」半夜まで待ったが、心中の焦りに耐えきれず、そこで左右の者に命じた。「密かに優施を呼んでここに来させよ、話がある。」優施はすでにその理由を心得ており、急いで衣冠を整え、使いの者について寝所まで直接やって来た。里克は優施を寝台のそばに座らせ、手でその膝を撫でながら尋ねた。「先ほどの『茂った木と枯れ木』の話、私はおおよそわかった。これは曲沃(申生)のことを言っているのではないか。そなたは必ず何か聞いていることがあろう、詳しく話してくれ、隠してはならぬ。」優施は答えた。「前々からお知らせしたいと思っておりましたが、大夫は曲沃(申生)の傅でもあられますので、率直に申し上げず、お怒りを買うのを恐れておりました。」里克は言った。「私に禍を免れる手立てをあらかじめ図らせてくれるのは、そなたが私を愛してくれているからだ、何の怒りがあろうか。」優施はそこでうつむいて枕元でささやいた。「主君(献公)はすでに夫人にお許しになりました、太子を殺して奚斉を立てるという謀は、すでに成っております。」里克は「まだ止められるだろうか」と尋ねた。優施は答えた。「夫人が主君の寵愛を得ていることは、あなたもご存じのとおり。中大夫(梁五・東関五)が主君の信任を得ていることも、あなたのご存じのとおり。夫人が内を掌り、中大夫が外を掌っている以上、止めようとしても止められましょうか。」里克は言った。「主君に従って太子を殺すのは、私には忍びない。太子を輔けて主君に逆らうのは、私には及ばない。中立を保って両方に加担しないというのは、それで身を全うできるだろうか。」優施は「できます」と答えた。優施が退出すると、里克は座ったまま夜明けを待ち、以前に書き記した占いの簡を取り出して見ると、指折り数えてちょうど十年に当たっていた。嘆じて言った。「占いの道理とは、なんと神妙なことか。」そこで大夫丕鄭父の家を訪ね、左右の者を退けて告げて言った。「史蘇や卜偃の占いの言葉が、今日験されたぞ。」
- 丕鄭父は「何か聞いたことがあるのか」と尋ねた。里克は言った。「夜に優施が私に告げるには、『主君は太子を殺して奚斉を立てようとしておられる』とのことだ。」丕鄭父は「そなたはそれにどう答えたのか」と尋ねた。里克は「中立を守ると答えた」と言った。丕鄭父は言った。「あなたのその言葉は、火を見てさらに薪をくべるようなものです。あなたのために考えるなら、まず表向きは信じないふりをすべきでした。彼らはあなたが信じないと見れば、必ず心中で忌み憚り、その謀を緩めるでしょう。あなたはさらに太子の党を多く育てて、その地位を固め、その後で機会をうかがって諫言し、主君の意志を翻させるべきでした。それなら成否はまだ定まらなかったでしょう。ところが今あなたは『中立』と言ってしまった、すると太子は孤立無援になり、禍いはたちどころに到来するでしょう。」里克は足を踏み鳴らして言った。「惜しいことだ。もっと早くあなたに相談しなかったのが悔やまれる。」里克は別れて車に乗ったが、わざと車から落ちて見せた。翌日、足を痛めたと称して朝廷に出仕しなかった。史臣に詩がある。(詩:羊一頭を供える饗宴と芸人の舞が、太子を一曲の歌で葬り去った、大臣が遠い先を見通せず、かえって中立の立場で刃を貸したことをあざ笑う、と詠む)
驪姫、蜂蝶の計で申生を陥れる
- 優施は驪姫にこの首尾を復命し、驪姫は大いに喜んだ。そこで夜、献公に向かって言った。「太子(申生)は久しく曲沃に住んでおります、君上はどうしてお呼び寄せにならないのですか。ただ妾が太子に会いたがっていると仰せください。妾はこれによって太子に恩を売り、身に迫る危難を免れたいと存じますが、いかがでしょう。」献公は果たしてその言葉どおりにして申生を召した。申生は召しに応じてやって来て、まず献公に会って再拝し安否を尋ね、礼が終わると宮中に入って驪姫に拝謁した。驪姫は宴席を設けてもてなし、語らいはたいへん和やかだった。翌日、申生は宮中に入って宴の礼を謝すと、驪姫はまた食事に引き止めた。その夜、驪姫はまた献公に向かって涙を流しながら言った。「妾は太子の心を取り戻したいと思い、召し寄せて礼を尽くしましたのに、思いがけず太子は無礼がますますひどくなりました。」献公は「どういうことか」と尋ねた。驪姫は言った。「妾は太子を昼食にお引き止めしましたところ、太子は酒を所望し、ほろ酔いになると、戯れに妾に向かって『わが父はもう年老いた、母上をどうなさるおつもりか』と言いました。妾は怒って答えませんでした。太子はまた『昔わが祖父(武公)が年老いたとき、私の父(献公)に母(斉姜)を遺したという。今、わが父も年老いた、必ず誰かに遺すことになろう、あなたでなくて誰であろうか』と言い、妾の手を取ろうとしましたので、妾は拒んでようやく免れました。君上がお信じにならないなら、妾は試みに太子と共に園囿で遊びましょう、君上が台上からご覧になれば、必ず何か目にされるでしょう。」献公は「そうしよう」と言った。夜が明けると、驪姫は申生を招いて共に園囿で遊んだ。驪姫はあらかじめ蜂蜜を自分の髪に塗っておいたので、蜂や蝶がしきりに集まってきた。姫は「太子、私のために蜂や蝶を追い払ってくださいませんか」と言った。申生は後ろから袖でそれを払った。献公はこれを望み見て、本当に戯れかかっているのだと思い込み、心中大いに怒って、すぐに申生を捕らえて処刑しようとした。驪姫はひざまずいて訴えて言った。「妾が呼び寄せておいて殺してしまうのでは、妾が太子を殺したことになります。それに宮中の男女にまつわる醜聞は外の者にはまだ知られておりません、しばらくご辛抱ください。」献公はそこで申生を曲沃に帰らせ、密かに人をやってその罪を探らせた。
驪姫の毒殺計略と申生の自害
- 数日後、献公は翟桓に狩りに出た。驪姫は優施と相談し、人をやって太子に言わせた。「主君が夢に斉姜(申生の亡き母)が『ひもじくて食べ物がない』と訴えるのをご覧になった、急いで祭りを行うべきです。」斉姜には別に曲沃に祠があった。申生はそこで祭りの用意をし、斉姜を祭った。人をやって供え物の肉を献公のもとに送らせたが、献公はまだ帰っておらず、そこで供え物は宮中に留め置かれた。六日後、献公が宮に帰った。驪姫は酒に鴆毒を入れ、肉には毒薬を塗って、それを献公に献じて言った。「妾は夢に斉姜が飢えて堪えられないと訴えるのを見ました、君上のお出かけの間でしたので、太子に告げて祭らせました。今その供え物がここに届き、君上のお帰りを長らくお待ちしておりました。」献公は觶(さかずき)を取って酒を試そうとした。驪姫はひざまずいてそれを止めて言った。「外から届いた酒食は、試さないわけにはまいりません。」献公は「そのとおりだ」と言い、酒を地に注ぐと、地面がたちまち盛り上がった。また犬を呼び、肉の一片を取って投げ与えると、犬はその肉を食べてたちまち死んだ。驪姫はわざと信じないふりをして、さらに小内侍を呼び、酒と肉を試させようとした。小内侍が拒むと、無理に食べさせた。口に入れるやいなや、七つの穴(目・耳・鼻・口)から血を流してこれも死んだ。驪姫はわざと大いに驚き、急ぎ堂を下りて叫んだ。「ああ、天よ。国はもとより太子の国です。君上はもう年老いておられます、太子はどうして朝夕の間さえ待てず、どうしても君上を弑そうとするのですか。」言い終えると、両の目から涙をこぼした。さらに献公の前にひざまずき、むせびながら言った。「太子がこのような謀をめぐらせたのは、ひとえに妾と我が子のためです。どうかこの酒肉を妾にお与えください、妾は君上に代わって死に、太子の望みを叶えとうございます。」そう言ってすぐに酒を取って飲もうとした。献公はそれを奪って地にこぼし、息が詰まって言葉も出なかった。驪姫は地に泣き伏し、恨んで言った。「太子はまことに無情な人です。実の父でさえ弑そうとするのですから、まして他人はどうでしょう。以前、君上が太子を廃そうとされたとき、妾はもとより承知しませんでした。後に園囿で妾をからかったとき、君上はまた太子を殺そうとされましたが、妾はなおも力を尽くしてお止めしました。そのために今、太子はあやうくわが君を害するところでした、妾は君上を誤らせてしまいました、その罪は甚だしゅうございます。」献公はしばらくしてようやく言葉を発し、手で驪姫を支えて言った。「そなたは立ちなさい。私はまさに群臣にこの事を公にし、この賊子を誅殺しよう。」そのとき献公は朝廷に出て、諸大夫を召して事を議した。狐突だけは久しく門を閉ざしており、里克は足の病と称し、丕鄭父は他出を口実にして出席せず、そのほかの者はみな朝堂に集まった。
- 献公は申生の逆謀のことを群臣に告げた。群臣は献公がすでに謀を長く企んでいたことを知り、みな顔を見合わせて、あえて言葉を発しなかった。東関五が進み出て言った。「太子は無道です、私が君上のためにこれを討伐いたしましょう。」献公はそこで東関五を将とし、梁五を副将として、戦車二百乗を率いて曲沃を討伐させた。「太子はしばしば兵を率い、多くの兵をよく用いる。慎重にせよ」と言い含めた。狐突は門を閉ざしていたが、常に人をやって朝廷の動静を探らせていた。「二五(梁五・東関五)」が出兵の支度をしていると聞き、必ず曲沃へ向かうと察し、急いで人をやって太子申生に密かに知らせた。申生はこれを太傅の杜原款に告げた。原款は言った。「供え物はすでに六日も宮中に留め置かれておりました、宮中で毒を仕込んだことは明らかです。あなたは必ずご自身の潔白を証すべきです、群臣に真相を明らかにする者がいないはずがありません。手をこまねいて死を待つことはありません。」申生は言った。「主君は驪姫がいなければ、落ち着いて居ることも、満足に食事をとることもできないのだ。私が自ら弁明して明らかにできなければ、罪を増すだけだ。幸いに明らかになったとしても、主君は驪姫をかばわれるのだから、必ずしも驪姫を罰するとは限らない、それにまた主君の心を傷つけることになる。むしろ私は死んだほうがよい。」原款は「では他国へ行き、後の機会を待ってはどうか」と言った。申生は言った。「主君はその無実を見極めもせず、私を討伐しようとしておられる。私が父を弑した汚名を着て出て行けば、人は私を梟(不孝の鳥)とみなすだろう。もし出て行って君に罪を帰するなら、それは君を悪しざまにすることだ。それに君父の悪を明らかにすれば、必ず諸侯に笑われる。内には父母に困窮させられ、外には諸侯に困窮させられる、これは二重の苦しみだ。君を捨てて罪を逃れるのは、死から逃げることだ。私はこう聞いている、『仁ある者は君を憎まず、智ある者は二重の困窮を招かず、勇ある者は死から逃げない』と。」そこで書状をしたためて狐突に返答した。「申生には罪があります、あえて死を惜しみません。とはいえ、主君はすでに老いられ、公子は幼く、国家には多難が続くでしょう。伯氏(狐突)よ、努めて国家を輔けてください、申生は死んでも、伯氏のご恩を受けること実に多大でございます。」そこで北を向いて再拝し、自ら首をくくって死んだ。
- 申生が死んだ翌日、東関五の軍が到着し、申生がすでに死んでいることを知ると、杜原款を捕らえて幽閉し、献公に報告して言った。「世子は自ら罪を逃れられないと知り、先に自ら死にました。」献公は原款に太子の罪を証言させようとした。原款は大声で叫んだ。「天よ、冤罪だ。原款が死なずに囚われの身となったのは、まさに太子の心を明らかにするためだ。供え物が宮中に六日も留め置かれたのに、毒が入っていながら長く変質しないことなどありえようか。」驪姫は屏風の後ろから急いで叫んだ。「原款の輔導ぶりはなっていない、なぜ速やかに殺さないのか。」献公は力士に命じて銅の鎚で原款の頭を打ち砕かせて死なせた。群臣はみな密かに涙を流した。
重耳・夷吾への疑いと重耳の蒲脱出
- 梁五・東関五は優施に言った。「重耳・夷吾は太子と一体の者だ。太子は死んだが、二公子はまだ存命している、我らはひそかにこれを憂えている。」優施はこれを驪姫に告げ、二公子をも(申生の謀に)巻き込ませようとした。驪姫は夜半、また献公に泣いて訴えた。「妾が聞くところでは、重耳・夷吾はまことに申生の謀に加わっていたとのこと。申生が死んだ今、二公子は妾に罪を着せ、終日兵を整えて、晋を襲って妾を殺し、事を成し遂げようとしているとのこと、君上はどうか警戒なさってください。」献公の心はなお信じてはいなかった。翌朝、近臣が「蒲・屈の二公子が参内するため、すでに関にお越しになりましたが、太子の変事を聞いて、すぐさま引き返して行かれました」と報告した。献公は「知らせもせずに立ち去るとは、必ず共謀していたに違いない」と言った。そこで寺人(宦官)の勃鞮に軍を率いて蒲へ行かせ、公子重耳を捕らえさせ、賈華に軍を率いて屈へ行かせ、公子夷吾を捕らえさせた。狐突は次男の狐偃を前に呼んで言った。「重耳はあばら骨が一続きにつながり、瞳が二重で、姿形が並外れて優れており、もとより賢明である。いずれ必ず大事を成すだろう。しかも太子はすでに死んだ、次はまさに重耳に及ぶだろう。お前は急いで蒲へ行き、彼が出奔するのを助けよ。お前の兄の毛とともに心を一つにして輔佐し、後の機会を図るのだ。」狐偃は命に従い、夜を徹して蒲城へ駆けつけ、重耳のもとへ身を寄せた。重耳は大いに驚き、狐毛・狐偃とともに出奔の相談をしていたところ、勃鞮の車馬がすでに到着した。蒲の人々は門を閉ざして抵抗しようとしたが、重耳は「君命には逆らえない」と言った。勃鞮は蒲城に攻め入り、重耳の邸宅を囲んだ。重耳は狐毛・狐偃とともに裏庭に走り、勃鞮は剣を抜いてこれを追った。毛と偃は先に塀を越えて出て、塀を押さえて重耳を招いた。勃鞮は重耳の袖をつかんだが、剣が振り下ろされて袖が切れ、重耳は逃れることができた。勃鞮は切れた袖を持ち帰って報告した。三人はそのまま翟国へ出奔した。
重耳、翟へ亡命、従臣が集う
- 翟の君主は以前、蒼龍が城の上にとぐろを巻く夢を見ていたので、晋の公子が来たと聞くと、喜んで彼らを受け入れた。しばらくすると、城下に数台の小さな車が相次いで到着し、城門を急いで開けるよう叫んだ。重耳は追手ではないかと疑い、城上に矢を放つよう命じた。城下から大声で「我々は追手ではない、公子に従いたいと願う晋の家臣たちだ」と叫ぶ声がした。重耳が城に上って見ると、先頭の一人は姓を趙、名を衰、字を子餘という、大夫趙威の弟で、晋の朝廷で大夫を務める者だとわかった。重耳は「子餘がここに来たなら、私はもう心配ない」と言い、すぐに門を開けて入れさせた。他の者は胥臣・魏犨・狐射姑・顛頡・介子推・先軫で、みな名高い士であった。そのほかにも鞭を執り荷物を担いで走り仕える者を志願する者がおり、また壺叔ら数十人もいた。重耳は大いに驚いて「諸君は朝廷にいたはずなのに、どうしてここに来たのか」と尋ねた。趙衰らは声をそろえて言った。「主君(献公)は徳を失い、妖しい女を寵愛し、世子を殺しました。晋国は近いうちに必ず大乱が起きるでしょう。かねがね公子が寛仁で士に対して謙虚であられると知っておりましたので、亡命に従うことを願った次第です。」翟の君主は門を開けて入れ、人々は謁見した。重耳は泣いて言った。「諸君がこうして心を一つに私を輔けてくださるのは、まるで肉が骨に付き従うようなものだ、生死を問わずこの恩は忘れない。」魏犨が腕まくりして進み出て言った。「公子は蒲に数年住まわれ、蒲の人々はみな公子のために死ぬことを喜んでおります。もし狄の助けを借りて、蒲の人々の力を用い、絳城に攻め入れば、朝廷内の積もった不満は深く、必ず内応する者がいましょう。これによって君側の悪を除き、社稷を安んじて民を撫でることこそ、流浪の身をさすらう亡命者でいるよりずっとよいのではありませんか。」重耳は言った。「そなたの言葉は勇ましいが、君父を驚かせることは、亡命者の身の私が敢えてすることではない。」魏犨はもとより一介の勇夫であった。重耳が従わないのを見て、歯ぎしりして地団駄を踏み、「公子は驪姫らを猛虎や蛇蝎のように恐れておられる、いつになったら大事を成せましょうか」と言った。狐偃は犨に言った。「公子は驪姫を恐れているのではない、名分と道義を恐れているのだ。」犨はそれ以上何も言わなかった。昔の人が古体の詩一篇を残し、もっぱら重耳に従って亡命した諸臣の盛んなさまを詠んでいる。(詩:蒲城の公子が讒言に遭い変事に見舞われ、車輪をきしませ電のごとく西へ奔る、荷を担ぎ剣を帯びる者が数多くひしめき、いずれも山西の英俊である。趙衰(成子)の温情、狐偃・狐毛の忠親、魏犨の勇猛、賈佗の強力、顛頡の卓抜、先軫の剛直、介子推の高潔な節義など、従臣それぞれの器量を並べ立て、彼らが患難の中で君臣の分を定め、いずれ天が真の主を助けて雲龍風虎のごとく相集うであろうと詠む)
- 重耳は幼い頃から謙虚に士に対して身を低くし、十七歳のときにはすでに狐偃を父のように、趙衰を師のように、狐射姑を兄のように遇し、朝野の名だたる士とはことごとく交わりを結んでいた。それゆえ出奔して患難の身となってもなお、従うことを願う豪傑がたいへん多かった。
夷吾、屈から梁へ逃れ、翟討伐は中止となる
- ただ大夫郤芮は、呂飴甥と腹心の間柄であり、虢射は夷吾の母方の叔父であったので、三人だけは屈へ奔って夷吾のもとへ身を寄せた。互いに会うと、「賈華の軍が近く到着する」と告げた。夷吾はすぐに兵を集めて籠城の備えをさせた。賈華はもとより必ず夷吾を捕らえようという気はなく、兵が到着してもわざと囲みを緩め、人をやって密かに夷吾に告げさせた。「公子は急いでお逃げになるべきです。さもなければ晋の兵が続けて到着し、防ぎきれなくなります。」夷吾は郤芮に「重耳は翟にいる、今、翟へ奔るのはどうだろう」と尋ねた。郤芮は言った。「主君(献公)はもとより『二人の公子が共謀した』と言い立て、それを理由に討伐を起こされたのです。今、別々の場所に逃げながら同じ場所へ行けば、驪姫にまた言い訳の口実を与えることになります。晋の兵はまもなく翟にも至るでしょう、梁へ行くのが良いでしょう。梁は秦に近く、秦は今まさに強盛であり、しかも婚姻の国です、主君が百歳の後、すなわちお亡くなりになった後に、その力を借りて帰国を図ることもできましょう。」夷吾はそこで梁国へ奔った。賈華はわざと追いつかなかったふりをして、逃げられたと復命した。献公は「二人のうち一人も捕らえられなかった、それで兵を用いた甲斐があろうか」と大いに怒り、左右の者に賈華を捕らえて斬るよう命じた。丕鄭父は奏上して言った。「君上が以前、人をやって二つの城を築かせ、兵を集めて備えをさせたのです、賈華の罪ではありません。」梁五もまた奏上して言った。「夷吾は凡庸な才で心配には及びません。重耳は賢名があり、多くの士がこれに従い、朝堂はそのためにがら空きになっております。それに翟はわが国の代々の仇敵、翟を討って重耳を除かなければ、後に必ず患いとなりましょう。」献公はそこで賈華を赦し、勃鞮を呼び戻させた。鞮は賈華があわや免れなかったと聞き、自ら翟討伐の兵を率いることを願い出て、献公はこれを許した。勃鞮の軍が翟城に至ると、翟の君主もまた採桑の地に軍勢を盛大に並べ、両軍は二月あまりにらみ合った。丕鄭父が進み出て言った。「父子には恩を絶つ道理はございません。二公子の罪はまだ明らかになっておらず、すでに出奔した身であるのに、必ず追い詰めて殺そうとするのは、行き過ぎではありませんか。それに翟には必ず勝てるとは限りません、いたずらにわが軍を疲弊させ、隣国の笑いものとなるだけです。」献公の意はやや翻り、勃鞮を呼び戻して軍を退かせた。
群公子追放と奚斉の立太子
- 献公は、群公子の多くが重耳・夷吾の一党であり、後日必ず奚斉の妨げになると疑い、そこで命じて群公子をことごとく追放した。晋の公族で国内にあえて留まる者はいなくなった。そこで奚斉を世子に立てた。百官は「二五(梁五・東関五)」と荀息を除いて、誰もが腕を握りしめて無念がり、病と称して致仕を願う者が多かった。時は周の襄王の元年、晋の献公の二十六年であった。
献公臨終、荀息への遺託
- その年の秋九月、献公は葵邱の会に赴こうとしたが果たせず、途中で病を得て、都に帰って宮殿に戻った。驪姫は足元に座り、泣いて言った。「君上は骨肉の変事に遭われ、公族をことごとく追放して、妾の子を世子に立ててくださいました。もし万一のことがあれば、妾は女の身、奚斉もまだ幼く、もし公子たちが外の援助を頼んで帰国を求めたなら、妾と我が子は誰を頼ればよいのでしょうか。」献公は言った。「夫人よ、心配するな。太傅の荀息は忠臣だ、忠に二心はない、私は幼君を彼に託そう。」そこで荀息を寝台の前に召して尋ねた。「寡人は『士たる者の身の処し方は、忠信を根本とする』と聞く。何をもって忠信というのか。」荀息は答えた。「心を尽くして主君に仕えるのを忠といい、死んでも約束を破らないのを信といいます。」献公は言った。「寡人は幼く弱い孤児をそなたに託したいと思うが、そなたはこれを承知してくれるか。」荀息は頭を下げて答えた。「あえて死力を尽くさぬことがございましょうか。」献公は思わず涙を落とし、驪姫の泣く声が幕の外に聞こえた。数日後、献公は薨じた。驪姫は奚斉を抱いて荀息に授けた。時に奚斉はわずか十一歳であった。荀息は遺命に従い、奚斉を奉じて喪を主宰し、百官はみなそれぞれの位について声をあげて泣いた。驪姫はまた遺命によって、荀息を上卿に任じ、梁五・東関五を左右の司馬に加え、兵を集めて国中を巡回させ、非常の事態に備えさせた。国中の大小の事はすべて荀息に相談してから行われた。翌年を新君の元年とし、諸侯に訃報を告げた。果たして奚斉がどれほどの日数君主でいられるか、続きは次回を見られたい。
原文(底本)
話說晉獻公既並虞虢二國,群臣皆賀。惟驪姬心中不樂。他本意欲遣世子申生伐虢,卻被里克代行,又一舉成功,一時間無題目可做。乃復與優施相儀,言:「里克乃申生之黨,功高位重,我無以敵之,奈何?」優施曰:「荀息以一璧馬滅虞虢二國,其智在里克之上,其功亦不在里克之下。若求荀息為奚齊卓子之傅,則可以敵里克有餘矣。」驪姬請於獻公,遂使荀息傅奚齊卓子。驪姬又謂優施曰:「荀息已入我黨矣。里克在朝,必破我謀,何計可以去之?克去而申生乃可圖也。」優施曰:「里克為人,外強而中多顧慮。誠以利害動之,彼必持兩端,然後可收而為我用。克好飲,夫人能為我具特羊之饗,我因侍飲而以言探之。其入,則夫人之福也;即不入,我優人亦聊與為戲,何罪焉?」驪姬曰:「善。」乃代為優施治飲具。 優施預請於里克曰:「大夫驅馳虞虢間,勞苦甚。施有一杯之獻,願取閒邀大夫片刻之歡,何如?」里克許之。乃攜酒至克家。克與內子孟,皆西坐為客。施再拜進觴,因侍飲於側,調笑甚洽。酒至半酣,施起舞為壽,因謂孟曰:「主啗我。我有新歌,為主歌之。」孟酌兕觥以賜施,啗以羊脾。問曰:「新歌何名?」施對曰:「名《暇豫》,大夫得此事君,可保富貴也。」乃頓嗓而歌。歌曰: 暇豫之吾吾兮,不如烏烏。眾皆集於菀兮,爾獨於枯。菀何榮且茂兮?枯招斧柯!斧柯行及兮,奈爾枯何! 歌訖,里克笑曰:「何謂菀?何謂枯?」施曰:「譬之於人,其母為夫人,其子將為君。本深枝茂,眾鳥依托,所謂菀也。若其母已死,其子又得謗,禍害將及。本搖葉落,鳥無所棲,斯為枯矣。」言罷,遂出門。里克心中怏怏,即命撤饌。起身逕入書房,獨步庭中,迴旋良久。是夕,不用晚餐,挑燈就寢,展轉牀褥,不能成寐。左思右想:「優施內外俱寵,出入宮禁,今日之歌,必非無謂而發。彼欲言未竟,俟天明當再叩之。」捱至半夜,心中急不能忍,遂吩咐左右:「密喚優施到此問話。」優施已心知其故,連忙衣冠整齊,跟著來人直達寢所。里克召優施坐於牀間,以手撫其膝,問曰:「適來『菀枯』之說,我已略喻,豈非謂曲沃乎?,汝必有所聞,可與我詳言,不可隱也。」施對曰:「久欲告知,因大夫乃曲沃之傅,且未敢直言,恐見怪耳。」里克曰:「使我預圖免禍之地,是汝愛我也,何怪之有?」施乃俯首就枕畔低語曰:「君已許夫人,殺太子而立奚齊,有成謀矣。」里克曰:「猶可止乎?」施對曰:「君夫人之得君,子所知也。中大夫之得君,亦子所知也。夫人主乎內,中大夫主乎外,雖欲止,得乎?」里克曰:「從君而殺太子,我不忍也。輔太子以抗君,我不及也。中立而兩無所為,可以自脫否?」施對曰:「可。」施退,里克坐以待旦,取往日所書之簡視之,屈指恰是十年。嘆曰:「卜筮之理,何其神也!」遂造大夫丕鄭父之家,屏去左右告之曰:「史蘇卜偃之言,驗於今矣!」丕鄭父曰:「有聞乎?」里克曰:「夜來優施告我曰:『君將殺太子而立奚齊也。』」丕鄭父曰:「子何以復之?」里克曰:「我告以中立。」丕鄭父曰:「子之言,如見火而益之薪也。為子計,宜陽為不信,彼見子不信,必中忌而緩其謀。子乃多樹太子之黨,以固其位,然後乘間而進言,以奪君之志,成敗猶未有定。今子曰『中立』,則太子孤矣,禍可立而待也!」里克頓足曰:「惜哉!不早與吾子商之!」里克別去登車,詐墜於車下。次日遂稱傷足,不能赴朝。史臣有詩云: 特羊具享優人舞,斷送儲君一曲歌。堪笑大臣無遠識,卻將中立佐操戈。 優施回復驪姬,驪姬大悅。乃夜謂獻公曰:「太子久居曲沃,君何不召之,但言妾之思見太子。妾因以為德於太子,冀免旦夕何如?」獻公果如其言,以召申生。申生應呼而至,先見獻公,再拜問安,禮畢,入宮參見驪姬。驪姬設饗待之,言語甚歡。次日,申生入宮謝宴,驪姬又留飯。是夜,驪姬復向獻公垂淚言曰:「妾欲回太子之心,故召而禮之。不意太子無禮更甚。」獻公曰:「何如?」驪姬曰:「妾留太子午餐,索飲,半酣,戲謂妾曰:『我父老矣,若母何?』妾怒而不應。太子又曰:『昔我祖老,而以我母姜氏,遺於我父。今我父老,必有所遺,非子而誰?』欲前執妾手,妾拒之乃免。君若不信,妾試與太子同遊於囿,君從臺上觀之,必有睹焉。」獻公曰:「諾。」及明,驪姬召申生同遊於囿。驪姬預以蜜塗其發,蜂蝶紛紛,皆集其。姬曰:「太子盍為我驅蜂蝶乎?」申生從後以袖麾之。獻公望見,以為真有調戲之事矣。心中大怒,即欲執申生行誅。驪姬跪而告曰:「妾召之而殺之,是妾殺太子也。且宮中暖昧之事,外人未知,姑忍之。」獻公乃使申生還曲沃,而使人陰求其罪。 過數日,獻公出田於翟桓。驪姬與優施商議,使人謂太子曰:「君夢齊姜訴曰:『苦饑無食。』必速祭之。」齊姜別有祠在曲沃。申生乃設祭,祭齊姜。使人送胙於獻公。獻公未歸,乃留胙於宮中。六日後,獻公回宮。驪姬以鴆入酒,以毒藥傅肉,而獻之曰:「妾夢齊姜苦饑不可忍,因君之出也,以告太子而使祭焉。今致胙於此,待君久矣。」獻公取觶,欲嘗酒。驪姬跪而止之曰:「酒食自外來者,不可不試。」獻公曰:「然。」乃以酒瀝地,地即墳起。又呼犬,取一臠肉擲之,犬啖肉立死。驪姬佯為不信,再呼小內侍,使嘗酒肉。小內侍不肯,強之。纔下口,七竅流血亦死。驪姬佯大驚,疾趨下堂而呼曰:「天乎!天乎!國固太子之國也。君老矣,豈旦暮之不能待,而必欲弒之?」言罷,雙淚俱下。復跪於獻公之前,帶噎而言曰:「太子所以設此謀者,徒以妾母子故也。願君以此酒肉賜妾,妾寧代君而死,以快太子之志!」即取酒欲飲。獻公奪而覆之,氣咽不能出語。驪姬哭倒在地,恨曰:「太子真忍心哉!其父而且欲弒之,況他人乎?始君欲廢之,妾固不肯。後囿中戲我,君又欲殺之,我猶力勸。今幾害我君,妾誤君甚矣!」獻公半晌方言,以手扶驪姬曰:「爾起。孤便當暴之群臣,誅此賊子!」當時出朝,召諸大夫議事。惟狐突久杜門,里克稱足疾,丕鄭父托以他出不至,其餘畢集朝堂。 獻公以申生逆謀,告訴群臣。群臣知獻公畜謀已久,皆面面相覷,不敢置對。東關五進曰:「太子無道,臣請為君討之。」獻公乃使東關五為將,梁五副之,率車二百乘,以討曲沃。囑之曰:「太子數將兵,善用眾。爾其慎之!」狐突雖然杜門,時刻使人打聽朝事。聞「二五」戒車,心知必往曲沃。急使人密報太子申生。申生以告太傅杜原款。原款曰:「胙已留宮六日,其為宮中置毒明矣。子必以狀自理,群臣豈無相明者?毋束手就死為也!」申生曰:「君非姬氏,居不安,食不飽。我自理而不明,是增罪也。幸而明,君護姬,未必加罪,又以傷君之心。不如我死!」原款曰:「且適他國,以俟後圖如何?」申生曰:「君不察其無罪,而行討於我,我被弒父之名以出,人將以我為鴟鴞矣!若出而歸罪於君,是惡君也。且彰君父之惡,必見笑於諸侯。內困於父母,外困於諸侯,是重困也。棄君脫罪,是逃死也。我聞之:『仁不惡君,智不重困,勇不逃死。』」乃為書以復狐突曰:「申生有罪,不敢愛死。雖然,君老矣,子少,國家多難,伯氏努力以輔國家,申生雖死,受伯氏之賜實多!」於是北向再拜,自縊而死。死之明日,東關五兵到,知申生已死,乃執杜原款囚之,以報獻公曰:「世子自知罪不可逃,乃先死也。」獻公使原款證成太子之罪。原款大呼曰:「天乎冤哉!原款所以不死而就俘者,正欲明太子之心也!胙留宮六日,豈有毒而久不變者乎?」驪姬從屏後急呼曰:「原款輔導無狀,何不速殺之?」獻公使力士以銅鎚擊破其腦而死。群臣皆暗暗流涕。 梁五、東關五謂優施曰:「重耳夷吾,與太子一體也。太子雖死,二公子尚在,我竊憂之。」優施言於驪姬,使引二公子。驪姬夜半復泣訴獻公曰:「妾聞重耳夷吾,實同申生之謀。申生之死,二公子歸罪於妾,終日治兵,欲襲晉而殺妾,以圖大事,君不可不察!」獻公意猶未信。蚤朝,近臣報:「蒲屈二公子來覲,已至關;聞太子之變,即時俱回轅去矣。」獻公曰:「不辭而去,必同謀也。」乃遣寺人勃鞮率師往蒲,擒拿公子重耳。賈華率師往屈,擒拿公子夷吾。狐突喚其次子狐偃至前,謂曰:「重耳駢脅重瞳,狀貌偉異,又素賢明,他日必能成事。且太子既死,次當及之。汝可速往蒲,助之出奔,與汝兄毛,同心輔佐,以圖後舉。」狐偃遵命,星夜奔蒲城來投重耳。重耳大驚,與狐毛狐偃方商議出奔之事,勃鞮車馬已到。蒲人欲閉門拒守,重耳曰:「君命不可抗也!」勃鞮攻入蒲城,圍重耳之宅。重耳與毛偃趨後園,勃鞮挺劍逐之。毛偃先踰牆出,推牆以招重耳。勃鞮執重耳衣袂,劍起袂絕,重耳得脫去。勃鞮收袂回報。三人遂出奔翟國。 翟君先夢蒼龍蟠於城上,見晉公子來到,欣然納之。須臾,城下有小車數乘,相繼而至,叫開城甚急。重耳疑是追兵,便教城上放箭。城下大叫曰:「我等非追兵,乃晉臣願追隨公子者。」重耳登城觀看,認得為首一人,姓趙,名衰,字子餘,乃大夫趙威之弟,仕晉朝為大夫。重耳曰:「子餘到此,孤無慮矣。」即命開門放入。餘人乃胥臣、魏犨、狐射姑、顛頡、介子推、先軫,皆知名之士。其他願執鞭負橐,奔走效勞,又有壺叔等數十人。重耳大驚曰:「公等在朝,何以至此?」趙衰等齊聲曰:「主上失德,寵妖姬,殺世子,晉國旦晚必有大亂。素知公子寬仁下士,所以願從出亡。」翟君教開門放入,眾人進見。重耳泣曰:「諸君子能協心相輔,如肉傅骨,生死不敢忘德。」魏犨攘臂前曰:「公子居蒲數年,蒲人咸樂為公子死。若借助於狄,以用蒲人之眾,殺入絳城,朝中積憤已深,必有起為內應者。因以除君側之惡,安社稷而撫民人,豈不勝於流離道途為逋客哉?」重耳曰:「子言雖壯,然震驚君父,非亡人所敢出也。」魏犨乃一勇之夫。見重耳不從,遂咬牙切齒,以足頓地曰:「公子畏驪姬輩如猛虎蛇蝎,何日能成大事乎?」狐偃謂犨曰:「公子非畏驪姬,畏名義耳。」犨乃不言。昔人有古風一篇,單道重耳從亡諸臣之盛: 蒲城公子遭讒變,輪蹄西指奔如電。擔囊仗劍何紛紛?英雄盡是山西彥。山西諸彥爭相從,吞雲吐雨星羅胸。文臣高等擎天柱,武將雄誇駕海虹。君不見,趙成子,冬日之溫徹人髓。又不見,司空季,六韜三略饒經濟。二狐肺腑兼尊親,出奇制變圓如輪。魏犨矯矯人中虎,賈佗強力輕千鈞。顛頡昂藏獨行意,直哉先軫胸無滯。子推介節誰與儔?百鍊堅金任磨礪。頡頏上下如掌股,周流遍歷秦齊楚。行居寢食無相離,患難之中定臣主。古來真主百靈扶,風虎雲龍自不孤。梧桐種就鸞鳳集,何問朝中菀共枯? 重耳自幼謙恭下士,自十七歲時,已父事狐偃,師事趙衰,長事狐射姑,凡朝野知名之士,無不納交。故雖出亡,患難之際,豪傑願從者甚眾。 惟大夫郤芮,與呂飴甥腹心之契,虢射是夷吾之母舅,三人獨奔屈以就夷吾。相見之間,告以:「賈華之兵,旦暮且至。」夷吾即令歛兵為城守計。賈華原無必獲夷吾之意,及兵到,故緩其圍,使人陰告夷吾曰:「公子宜速去。不然,晉兵繼至,不可當也。」夷吾謂郤芮曰:「重耳在翟,今奔翟何如?」郤芮曰:「君固言二公子同謀,以是為討。今異出而同走,驪姬有辭矣。晉兵且至翟,不如之梁。梁與秦近,秦方強盛,且婚姻之國,君百歲後,可借其力以圖歸也。」夷吾乃奔梁國。賈華佯追之不及,以逃奔復命。獻公大怒曰:「二子不獲其一,何以用兵?」叱左右欲縛賈華斬之。丕鄭父奏曰:「君前使人築二城,使得聚兵為備,非賈華之罪也。」梁五亦奏曰:「夷吾庸才無足慮。重耳有賢名,多士從之,朝堂為之一空。且翟吾世仇,不代翟除重耳,後必為患。」獻公乃赦賈華,使召勃鞮。鞮聞賈華幾不免,乃自請率兵伐翟,獻公許之。勃鞮兵至翟城,翟君亦盛陳兵於採桑,相守二月餘。丕鄭父進曰:「父子無絕恩之理。二公子罪惡未彰,既已出奔,而必追殺之,得無已甚乎?且翟未可必勝,徒老我師,為鄰國笑。」獻公意稍轉,即召勃鞮還師。 獻公疑群公子多重耳夷吾之黨,異日必為奚齊之梗,乃下令盡逐群公子。晉之公族,無敢留者。於是立奚齊為世子。百官自「二五」及荀息之外,無不人人扼腕,多有稱疾告老者。時周襄王之元年,晉獻公之二十六年也。 是秋九月,獻公奔赴葵邱之會不果,於中途得疾,至國還宮。驪姬坐於足,泣曰:「君遭骨肉之釁,盡逐公族,而立妾之子。一旦設有不諱,我婦人也,奚齊年又幼,倘群公子挾外援以求入,妾母子所靠何人?」獻公曰:「夫人勿憂!太傅荀息,忠臣也,忠不二心,孤當以幼君託之。」於是召荀息至於榻前,問曰:「寡人聞『士之立身,忠信為本。』何以謂之忠信?」荀息對曰:「盡心事主曰忠,死不食言曰信。」獻公曰:「寡人欲以弱孤累大夫,大夫其許我乎?」荀息稽首對曰:「敢不竭死力!」獻公不覺墮淚,驪姬哭聲聞幕外。數日,獻公薨。驪姬抱奚齊以授荀息,時年纔十一歲。荀息遵遺命,奉奚齊主喪,百官俱就位哭泣。驪姬亦以遺命,拜荀息為上卿,梁五東關五加左右司馬,歛兵巡行國中,以備非常。國中大小事體,俱關白荀息而後行。以明年為新君元年,告訃諸侯。畢竟奚齊能得幾日為君,且看下回分解。
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