東周列國志第二十九回 晋の恵公、群臣を大いに誅す/管夷吾、病床で相を論ずる (晉惠公大誅羣臣 管夷吾病榻論相)

里克の誅殺

  • さて里克はもともと公子重耳を迎え立てるつもりであったが、重耳が固辞して就かず、夷吾がさらに手厚い賄賂を約束して入国を求めたため、やむを得ず人々に従って事を運んだ。ところが恵公は即位した後、約束した田を寸分も与えず、さらに虢射・呂飴甥・郤芮といった私的な取り巻きばかりを重用し、代々の旧臣を一様に疎んじたので、里克は心中すでに不服であった。さらに秦へ地を割いて与えるよう恵公に勧めたのは、まことに道理にかなった発言であったのに、郤芮はかえってこれを里克が自分のために言ったものだと言い立てたので、里克は大いに不満を抱き、腹いっぱいの怒りを呑み込んだが、怒っても口に出すことはできなかった。朝門を出て顔色にはいくらか恨みの様子が漏れていた。丕鄭父が秦へ使いすると、郤芮らは彼が里克と共謀しているのではと恐れ、密かに人をやって様子を窺わせた。鄭父もまた郤芮らに探られているのを警戒し、里克に別れを告げずに出発した。里克は人をやって鄭父に会おうとしたが、鄭父はすでに城を出た後だった。克は自ら追いかけたが追いつかずに戻った。すでに人がこれを郤芮に知らせていた。芮は恵公に会うことを求めて奏上した。「里克は、主君が自分の権力を奪い、汾陽の田も与えなかったことを恨みに思っております。今、丕鄭父が秦へ使いしたと聞いて、自ら車を駆って追いかけたというのは、必ず何か異なる企てがあるはずです。私はかねてより、里克が重耳と親しいことを聞いております、主君の即位は里克の本意ではありませんでした、万一重耳と内応外合すれば、どう防げましょうか。むしろ死を賜って、その禍を絶つべきです。」恵公は「里克には寡人に対する功がある、今どんな口実でこれを誅殺できようか」と言った。郤芮は言った。「克は奚斉を弑し、また卓子を弑し、さらに先君の遺命を託された臣荀息を殺しました、その罪は大きいものです。入国させた功を思うのは、私的な労にすぎません。その弑逆の罪を問うのは、公の義です。明君は私的な労のために公の議を廃したりはいたしません、私が君命を奉じて討伐を行いたく存じます。」恵公は「大夫、行きなさい」と言った。郤芮はそこで里克の家に赴き、里克に言った。「晋侯より命がございました、芮がこれをあなたに伝えます。晋侯はこう仰せです。『そなたがいなければ、寡人は即位できなかった、寡人はそなたの功を忘れてはいない。とはいえ、そなたは二人の君主を弑し、一人の大夫を殺した、そなたの君主でいることは難しい。寡人は先君の遺命を奉じ、私的な労のために大義を廃するわけにはいかない、そなた自ら計るがよい。』」里克は言った。「廃するところがなければ、主君はどうして興ることができたでしょう。罪を加えようとすれば、どんな口実にも事欠きません。臣は命を承りました。」郤芮がさらに迫ると、克は佩剣を抜いて地に躍り出て大声で叫んだ。「ああ天よ、無念だ。忠義を尽くして罪を得るとは、死んであの世で知ることがあるなら、どんな顔で荀息に会えようか。」そのまま自ら喉を切って死んだ。郤芮は戻って恵公に報告し、恵公は大いに喜んだ。髯仙に詩がある。(詩:夷吾は入国したばかりで里克に兵刃を受けさせた、当初なぜ申生と共に死ななかったのか、中立を守ることが完全な策ではなかったと今にしてわかる、荀息のように忠義の名を残すのには及ばなかった、と詠む)

恵公の賈君淫辱と申生の改葬

  • 恵公は里克を殺したが、群臣の多くはこれに服さなかった。祁挙・共華・賈華・騅遄らは、みな不満の言葉を口にした。恵公は彼らも誅殺しようとしたが、郤芮は「丕鄭父はまだ国外にいます、多くの誅殺を行えば、彼に疑いと反乱の心を起こさせることになります、いけません。主君はしばらくお堪えください」と言った。恵公は「秦の夫人(穆姫)はかつて、寡人に賈君を厚遇し、公子たちをみな帰国させるようにと言われた、どうしたものか」と尋ねた。郤芮は言った。「公子たちは誰しも君位を争う心を持たない者はおりません、帰国させるべきではありません。賈君を厚遇して、秦の夫人に報いれば十分です。」恵公はそこで賈君のもとへ赴いた。時に賈君はまだ色香が衰えておらず、恵公はふと淫らな心を起こし、賈君に「秦の夫人が寡人にあなたと親しくするよう頼まれた、あなたは拒まないでほしい」と言い、すぐに抱きすくめた。宮人たちはみな微笑みながら避けて去った。賈君は恵公の威に畏れて、しぶしぶ命に従った。事が終わると、賈君は涙を流して言った。「妾は幸薄くも先君(献公)にお仕えして最後まで添い遂げられず、今また主君に身を汚されました。妾自身はどうなろうと惜しくはございませんが、どうか主君には先の太子申生の冤罪を雪いでいただき、妾も秦の夫人に対して、この身を汚した罪を償わせていただきとうございます。」恵公は「二人の奸賊(奚斉・卓子)はすでに殺され、先の太子の冤罪はすでに雪がれたはずだ」と言った。賈君は言った。「先の太子はまだ新城に仮埋葬されたままと聞いております、主君は必ず墓を移してあげ、諡を贈るべきです。それでこそ恨みを残した魂も安らぎ、また国人の望むところでもございましょう。」恵公はこれを許した。そこで郤芮の従弟の郤乞に、曲沃へ赴いて改葬の地を選ばせた。太史に命じて諡を議させ、その孝敬をもって「共世子」と諡した。さらに狐突を派遣して現地で祭りを行わせ、墓に告げさせた。

狐突、申生の亡霊に会う

  • まず郤乞が曲沃に至り、別に死者の衣と掛け布、棺槨、副葬品・木偶の類を用意させ、たいへん丁寧に整えた。申生の屍を掘り起こすと、顔色はまるで生きているようであったが、臭気は堪えられないほどであった。人夫たちはみな鼻をつまんで嘔吐しそうになり、力を出せずにいた。郤乞は香を焚いて再拝し、「世子は生きているときには清らかであった、死んでも清らかでないことがあろうか、もし清らかでないのなら、それは世子のせいではない、どうか人々を驚かせないでほしい」と言った。言い終えると、臭気はたちまち消え、かえって異香に変わった。そこで重ねて棺に納め、高原に葬った。曲沃の人々は、町を空にして見送りに来て、涙を落とさない者はなかった。葬儀の三日後、狐突が供物を持って到着し、恵公の命として位牌を設けて祭りを行い、その墓に「晋共太子之墓」と記した。事が終わると、狐突は帰国しようとした。ふと見ると、旗指物が連なり、戈や甲冑が幾重にも重なり、一群の車馬が取り囲むように進んで来た。狐突は誰なのかわからず、慌てて避けようとした。副車の中の一人、髪は白く斑になり、袍と笏を整え、悠然と車を降りて、狐突の前に至り、揖礼をして「太子がお話がございます、国舅、そちらへ」と言った。突が見ると、太傅の杜原款であった。恍惚として彼がすでに死んでいることを忘れ、「太子はどこにおられるのか」と尋ねた。原款は後ろの大きな車を指して「これがすなわち太子の車です」と言った。突はそこで車の前まで従って行った。見ると太子申生が冠と佩剣を身につけ、生前そのままの姿で、御者に狐突を車に引き上げさせ、「国舅もまた申生のことを思ってくださいますか」と言った。突は涙を流して答えた。「太子の冤罪は、道行く人でさえ悲しみ涙するものです、突はどうして思わずにいられましょうか。」申生は言った。「上帝は私の仁孝を憐れんで、すでに喬山の主に任命してくださいました。夷吾が賈君に無礼を働いたと聞き、私は夷吾の不浄を憎んで、その手による私の改葬を拒もうと思いましたが、多くの人の心に背くことを恐れてやめました。今、秦君はたいへん賢明です、私は晋を秦に与え、秦人に私の祭祀を守らせようと思うのですが、国舅はどう思われますか。」突は答えた。「太子は晋君を憎んでおられても、その民に何の罪がありましょうか。それに晋の先君たちにも何の罪がありましょうか。太子が同姓を捨てて異姓に食を求めるのは、仁孝の徳に背くことを恐れます。」申生は言った。「国舅の言葉ももっともです。しかし私はすでに上帝に奏上してしまいました。今もう一度奏上し直しましょう、国舅はしばらく七日お留まりください。新城の西のほとりに巫者がおります、私はその者に託して国舅にお伝えいたしましょう。」杜原款が車の下から呼んだ。「国舅、お別れの時です。」狐突を車から引き下ろすと、突は足を滑らせて地に倒れ、車馬は一瞬にして見えなくなった。突の体は新城の外の宿にあった。心中大いに驚いて左右の者に「私はどうしてここにいるのか」と尋ねた。左右の者は「国舅は祭祀を終えられ、祝辞を焚いて神に告げられたところ、突然席の上に倒れられ、お呼びしても目を覚まされませんでした。私どもがお運びしてここに休ませたのです。今はご無事です」と言った。突は心中これが夢であったと悟り、ひそかに異事と思った。人には言わず、ただ病と称して外の宿に留まった。七日目の未の刻から申の刻の間、門番が「城西の巫者が面会を求めています」と報告してきた。突はこれを呼び入れるよう命じ、あらかじめ左右の者を退けて待った。巫者が入って会うと、自ら「日頃より鬼神と語り合っております。今、喬山の主というお方、すなわち晋の故太子申生が、国舅に伝言を託されました。『すでに上帝への奏上を改めましたが、ただその身を辱め、その子孫を絶やすことで、罪を罰したしるしとするのみで、晋には害を及ぼしません。』」と言った。狐突は知らぬふりをして「罰せられるのは誰の罪なのか」と尋ねた。巫者は「太子はただこう伝言せよとのみ命じられました、私も何を指しているのかはわかりません」と言った。突は左右の者に命じて金や絹を巫者に与え、決して口外しないよう戒めた。巫者は礼を言って去った。狐突は帰国し、密かに丕鄭父の子の丕豹にこのことを語った。豹は言った。「君主の振る舞いは常軌を逸しております、必ず善く終わることはないでしょう。晋国を保つのは、重耳ではないでしょうか。」ちょうど話しているところに、門番が「丕大夫が秦への使いから戻り、ただいま朝廷で復命しております」と報告した。二人はそれぞれ別れて帰った。

丕鄭父の帰国と秦の国書

  • さて丕鄭父は秦の大夫冷至とともに、礼幣を何台もの車に積んで、晋への答礼に赴いた。絳の郊外まで来たとき、突然里克誅殺の知らせを聞き、鄭父は心中疑いを抱き、秦へ引き返して改めて相談しようかと思った。しかし子の丕豹が絳城にいることを思うと、「私が逃げれば、必ず豹に累が及ぶ」と考え、進退窮まって決めかねた。ちょうど大夫共華が郊外にいるのに出会い、招き寄せて話をした。鄭父は里克誅殺の経緯を尋ね、共華は一通り話した。鄭父は「私は今、入城しても大丈夫だろうか」と尋ねた。共華は言った。「里克と行動を共にした人はまだ多く、私も含まれています。今は克一人だけが誅殺され、その他には及んでおりません。それにあなたは秦へ使いしていて、知らなかったふりをすることもできます。もし恐れて入城しなければ、それこそ自ら罪を認めるようなものです。」鄭父はその言葉に従い、車を進めて入城した。鄭父はまず復命を終え、冷至を朝廷に案内して謁見させ、国書と贈物を差し出した。恵公は書状を開いて見た。(手紙の大意:晋と秦は婚姻で結ばれた姻戚の国、地は晋にあるといっても秦にあるのと同じである、諸大夫もそれぞれ自国に忠を尽くしているのであり、寡人がどうして必ず地を得ようなどと言えようか、諸大夫の義を傷つけたくはない、ただ寡人には国境のことで、呂・郤の二大夫と直接話し合いたいことがある、どうか朝夕にでもお越し願いたい、という内容)書の末尾にはさらに一行、「もとの土地の証書はお返しする」とあった。恵公はもとより小さいことにこだわる人物であったから、礼幣が手厚く、しかも土地の証書まで返されたのを見て、心中大いに喜び、呂飴甥・郤芮を派遣して秦に答礼させようとした。

呂・郤の反間の計、屠岸夷を使う

  • 郤芮は密かに飴甥に言った。「秦の使者がこのように来たのは、良い意図ではあるまい。その礼幣が手厚く言葉が甘いのは、おそらく我らを誘い出そうとしているのだ。我々がもし行けば、必ず我らを人質にとって土地を取ろうとするだろう。」飴甥は言った。「私もまた、秦が晋にこれほど好意を示すはずはないと思う。これはきっと丕鄭父が里克の誅殺を聞いて、自分も免れないと恐れ、秦と共謀してこの計を巡らせ、秦人に我らを殺させてから乱を起こそうとしているのだろう。」郤芮は言った。「鄭父と克は、功を同じくする一体の者だ、克が誅殺されて、鄭父が恐れないはずがない。子金(飴甥の字)の推測はまさにそのとおりだ。今、群臣の半分は里・丕の一党だ、もし鄭父に企みがあれば、必ずさらに共謀する者がいるはずだ。まずは秦の使者を帰らせて、じっくり様子を見よう。」飴甥は「よかろう」と言った。そこで恵公に進言し、まず冷至を秦に帰らせ、「晋国はまだ落ち着いておりません、二人の重臣(呂飴甥・郤芮)に暇ができ次第、すぐに参上いたします」と伝えさせた。冷至はやむなく秦に帰った。呂・郤の二人は腹心の者に毎夜丕鄭父の門に潜ませ、動静を探らせた。鄭父は呂・郤に出発する様子が全くないのを見て、密かに祁挙・共華・賈華・騅遄らを招き、夜に自邸で協議し、五更(明け方)になってようやく散会した。腹心の者は見たことをそのまま報告した。郤芮は言った。「あの者たちに何の決めかねる用事があるだろうか、必ず謀反の企てに違いない。」そこで飴甥と相談し、人をやって屠岸夷を招き寄せ、言った。「そなたに禍が迫っている、どうするつもりか。」屠岸夷は大いに驚いて「禍はどこから来るのですか」と尋ねた。郤芮は言った。「そなたは以前、里克を助けて幼君を弑した。今、克はすでに罰を受けた、君はそなたにも罪を問おうとしておられる。我々はそなたに迎立の功があるので、そなたが誅殺されるのを見るに忍びず、それでこうして知らせているのだ。」屠岸夷は泣いて言った。「私は一介の勇夫にすぎず、人の言いなりに動いただけで、罪がどこにあるのか存じません。どうか大夫方、お助けください。」郤芮は言った。「君の怒りは解けそうにない。ただ一つ、禍を逃れる計がある。」夷はひざまずいて計を尋ねた。郤芮は慌てて彼を助け起こし、密かに告げた。「今、丕鄭父は里克と結んで、迎立の心を持ち、七輿大夫らと密かに謀って乱を起こそうとし、主君を追放して重耳を納れようとしている。そなたが誅殺を恐れているふりをして、鄭父に会い、共謀するふりをするのだ。もしその実情をすべて掴めれば、先に告発した功績によって、かねて鄭父に約束されていた負葵の田のうち三十万を割いて、そなたの功に報いよう。そなたはまた重く用いられよう、それでどうしてなお罪を心配することがあろうか。」夷は喜んで言った。「私は死ぬところを生かしていただいた、大夫のご恩でございます、あえて力を尽くさぬことがございましょうか。ただ私はうまく言葉を操れません、どうしたものでしょう。」呂飴甥は「私が教えよう」と言い、そこで問答の言葉を作り、夷に暗記させた。

丕鄭父、九人と誓いを結ぶ

  • その夜、夷は丕鄭父の門を叩き、密事があると告げた。鄭父は酔って寝ていると言って会おうとしなかった。夷は門の内に留まって、夜が更けてもなお立ち去らなかったので、鄭父はやむなく招き入れた。夷は鄭父に会うなり、ひざまずいて「大夫、私の命をお助けください」と言った。鄭父は驚いてわけを尋ねた。夷は言った。「君は私が里克を助けて卓子を弑したとして、私に誅罰を加えようとしております、どうしたものでしょう。」鄭父は「呂・郤の二人に頼まないのか」と言った。夷は言った。「これはみな呂・郤の企みなのです。私はあの二人の肉を食らってやりたいほど恨んでいます、頼んでも益はありません。」鄭父はまだ半信半疑で、「そなたはどうするつもりか」とさらに尋ねた。夷は言った。「公子重耳は仁孝で、士心をよく得ておられます、国人はみな彼を君主に戴くことを望んでおります。しかも秦人は夷吾の背約を憎み、重耳に立て替えようと望んでいます。もし大夫の手紙をいただければ、私は夜を徹して重耳のもとへ届け、重耳に秦・翟の軍を合わせさせ、大夫もまた先の太子(申生)の一党を糾合して内から呼応し、まず呂・郤の首を斬り、その後に君を追放して重耳を納れれば、必ず成就いたします。」鄭父は「そなたの気持ちに変わりはないだろうな」と尋ねた。夷はすぐに指を噛んで血を出し、誓って言った。「夷にもし二心があれば、一族すべて誅殺されて構いません。」鄭父はそこでようやく信じた。翌日三更(真夜中)に再び会って計画を定める約束をした。約束の時になり、屠岸夷が再び訪れると、祁挙・共華・賈華・騅遄がすでに先に来ており、また叔堅・累虎・特宮・山祈の四人もいた。彼らはみな先の太子申生の門下であり、鄭父・屠岸夷を合わせて十人となり、重ねて天に誓って血をすすり、共に公子重耳を君に立てることを誓った。後世の人に詩がある。(詩:屠岸夷が助けを求めに来たと思っていたが、まさか呂・郤の奸謀だったとは、強者の上にはさらに強者がいるもの、一人の偽計で九人が危うくなったと詠む)

手紙の露見と丕鄭父ら誅殺

  • 丕鄭父は人々をもてなし、みな酔って別れた。屠岸夷は密かに郤芮に事の首尾を報告した。芮は「そなたの言葉には証拠がない、必ず鄭父の手紙を得てこそ、罪を正すことができる」と言った。夷は翌夜再び鄭父の家に行き、重耳を迎えに行くための手紙を求めた。鄭父はすでに書き終えていた。簡の後ろに署名し、合わせて十名、そのうち九人にはすでに花押があり、十番目が屠岸夷であった。夷もまた筆を求めて署名した。鄭父は封をしっかり閉じて夷の手に渡し、「くれぐれも気をつけて、決して漏らしてはならぬ」と言い含めた。屠岸夷は手紙を得ると、まるで至宝を得たかのように、まっすぐ郤芮の家へ行き、芮に見せた。芮は夷を家に匿い、手紙を懐に入れ、呂飴甥とともに国舅虢射に会いに行き、事の次第を詳しく告げ、「早く除かなければ、思いがけない変事が起きる」と言った。虢射は夜、宮門を叩いて恵公に会い、丕鄭父の企てを詳しく述べた。「明日の早朝、面前でその罪を正すことができます、手紙が証拠です。」
  • 翌日、恵公は早朝に朝廷に出ると、呂・郤らはあらかじめ武士を壁掛けの陰に伏せておいた。百官の礼が終わると、恵公は丕鄭父を召して尋ねた。「そなたが寡人を追放して重耳を迎えようとしていることは知っている、その罪を問おう。」鄭父はまさに弁明しようとした。郤芮は剣を掲げて大声で言った。「そなたは屠岸夷に手紙を持たせて重耳を迎えさせようとした、わが君のご威光により、屠岸夷はすでに我らが城外で捕らえ、その手紙を押収した。共謀した者は合わせて十人、屠岸夷はすでに白状している、そなたたちはもう弁解の余地はない。」恵公は元の手紙を机の下に投げた。呂飴甥がそれを拾い上げ、簡を見ながら名を呼び上げ、武士に命じて捕らえさせた。ただ共華だけは休暇を願い出て家におり、まだ来ていなかったので、別に捕らえに向かわせた。その場にいた八人は、互いに顔を見合わせるばかりで、まことに弁解の余地もなく、身の置き場もなかった。恵公は「朝門の外へ引き出して斬首せよ」と命じた。その中で賈華は大声で叫んだ。「私は先年、屈の討伐を命じられたとき、わが君を密かに逃がした功がございます、一命だけはお助けいただけませんか。」呂飴甥は言った。「そなたは先君に仕えながら密かにわが主君を逃がし、今度はわが主君に仕えながら重ねて重耳と通じた、このような節操のないつまらぬ者は、速やかに処刑すべきだ。」賈華は言葉に詰まった。八人は縛につき、抵抗もせずに刑を受けた。
  • さて共華は家にいて、鄭父らの事が露見して誅殺されたと聞き、すぐに家廟に拝辞し、朝廷に赴いて罪を受けようとした。弟の共賜が「行けば死ぬだけです、逃げてはどうですか」と言った。共華は言った。「丕大夫の入城は、実は私が勧めたことだ。人を死に陥れて自分だけ生き延びるのは、一人前の男のすることではない。私は命が惜しくないわけではないが、丕大夫を裏切ることはできない。」そのまま捕吏の到着を待たずに急いで朝廷に入り、死を請うた。恵公はこれも斬った。丕豹は父が誅殺されたと聞き、秦国へ飛ぶように逃れた。恵公は里・丕の諸大夫の一族をことごとく誅殺しようとした。郤芮は「『罪人不孥(罪人の妻子まで罰しない)』というのが、昔からの制度です。乱を起こした者を誅殺すれば、それで人々を戒めるのに十分です、なぜこれ以上多く殺して人心を恐れさせる必要がありましょう」と言った。恵公はそこで各一族を赦して誅殺しなかった。屠岸夷を中大夫に進め、負葵の田三十万を賞として与えた。

丕豹の亡命と秦晋の勤王

  • さて丕豹は秦に至り、穆公に会って地に伏して大いに泣いた。穆公がわけを尋ねると、丕豹は父の企ての始まりから殺害された経緯までを詳しく述べた。そして策を献じて言った。「晋侯は秦の大恩に背き、国内の小さな怨みを晴らそうとしております、百官は恐れおののき、民衆は服従しておりません。もし一部の軍で討伐すれば、その民衆は必ず内から崩れましょう、廃立は君の思いのままです。」穆公は群臣に諮った。蹇叔は答えた。「丕豹の言葉によって晋を討伐するのは、臣下が主君を討つのを助けることになります、道義に反します。」百里奚は言った。「もし民衆が服従していないなら、必ず内乱が起きます、君はしばらくその変事を待って図るべきです。」穆公は「寡人もこの言葉には疑わしいところがある。彼は一朝にして九人の大夫を殺した、もし人心が彼に付いていなかったなら、そんなことができようか。それに軍に内応がなくて、必ず功を成せるだろうか」と言った。丕豹はそのまま秦に留まって大夫となった。時は晋の恵公の二年、周の襄王の三年であった。
  • この年、周の王子帯は、賄賂を用いて伊雒の戎と好を結び、戎に周の都を攻めさせ、自らはその内側で呼応しようとした。戎はそこで侵入して王城を包囲した。周公孔と召伯廖は力を尽くしてこれを守った。帯はあえて出て戎の軍と会おうとしなかった。襄王は諸侯に使者を送って急を告げた。秦の穆公と晋の恵公はともに周王と好を結ぼうとして、それぞれ軍を率いて戎を討ち、周を救おうとした。戎は諸侯の軍が到着したと知ると、東門を焼き払って掠奪し、去って行った。恵公は穆公と会見したが、恵公の顔には恥じ入る色があった。恵公はさらに穆姫からの密書を受け取り、その手紙には晋侯が賈君に無礼を働き、公子たちを帰国させなかったことなど、多くの落ち度が数え立てられていた。以前の非を速やかに改め、旧好を失わないようにと教え諭す内容であった。恵公はそこで秦を疑う心を抱き、急いで軍を引き上げた。丕豹は果たして穆公に晋の軍を夜襲するよう勧めたが、穆公は「共に王室のために来たのだ、私怨があっても、動くべきではない」と言い、それぞれ自国へ帰った。

王子帯の出奔、管仲の病と相の人選

  • そのとき斉の桓公もまた管仲に軍を率いさせて周を救わせたが、戎の軍がすでに解かれたと聞くと、人をやって戎の主を詰責させた。戎の主は斉の兵威を恐れ、人をやって謝罪して言った。「我ら諸戎がどうして京師(周の都)を犯すことなどありましょうか、甘叔(甘に封ぜられた王子帯のこと)が我らを招いたのです。」襄王はそこで王子帯を追放した。子帯は斉国に出奔した。戎の主は人をやって京師に至り、罪を請うて和を求め、襄王はこれを許した。襄王は、管仲がかつて自分の王位を確定させてくれた功と、今回また戎と和を結んだ功労を思い、管仲を大いにもてなし、上卿の礼をもって遇そうとした。管仲は「国氏・高氏の二卿がおられます、私はそのような礼を受けるわけにはまいりません」と謙遜し、再三辞退して下卿の礼を受けて帰った。その冬、管仲が病に倒れると、桓公は自ら見舞いに行った。ひどく痩せ衰えているのを見て、その手を取り、「仲父の病は重い、もし不幸にして起き上がれなければ、寡人は政を誰に委ねればよいのか」と言った。時に甯戚・賓須無はすでに相次いで亡くなっていた。管仲は「惜しいことだ、甯戚よ」と嘆いた。桓公は「甯戚のほかに、人材はいないのか。私は鮑叔牙を任じようと思うが、どうか」と尋ねた。仲は答えた。「鮑叔牙は君子です。とはいえ、政を任せることはできません。あの人は善悪の分け方が過ぎるほど明確です。善を好むのはよいのですが、悪を憎むことがあまりにひどければ、誰がそれに堪えられましょう。鮑叔牙は人の一つの悪を見ると、生涯忘れません、それがその短所です。」桓公は「隰朋はどうか」と尋ねた。仲は答えた。「まあ良いでしょう。隰朋は下の者に問うことを恥じず、家にいても公事を忘れません。」言い終えると、ため息をついて嘆いた。「天が隰朋を生んだのは、私(夷吾)の代わりの舌とするためだ。私の身が死ねば、舌だけがどうして残っていられよう。君が隰朋を用いても、長くは続かないのではと恐れる。」桓公は「それでは易牙はどうか」と尋ねた。仲は答えた。「君がお尋ねにならなくとも、臣は申し上げるつもりでした。あの易牙・豎刁・開方の三人は、決して近づけてはなりません。」桓公は「易牙は自分の子を煮て、寡人の口に合わせた、これは寡人を子より愛しているということだ、それでもなお疑わしいのか」と言った。仲は答えた。「人情として子を愛さない者はおりません。その子でさえ平気で犠牲にできる者に、主君に対してどれほどの情がありましょうか。」桓公は「豎刁は自ら去勢して寡人に仕えている、これは寡人を自分の身より愛しているということだ、それでもなお疑わしいのか」と言った。仲は答えた。「人情として自分の身より重いものはありません。その身でさえ平気で犠牲にできる者に、主君に対してどれほどの情がありましょうか。」桓公は「衛の公子開方は、千乗の太子の地位を捨てて寡人に臣従している、これは寡人が彼を寵愛しているためだ。父母が死んでも喪に赴かなかったのは、寡人を父母より愛しているからだ、疑う余地はない」と言った。仲は答えた。「人情として父母より親しいものはありません。その父母でさえ平気で顧みない者に、まして主君に対してどれほどの情がありましょう。それに千乗の封は、人の大きな欲望の対象です。千乗を捨てて君に仕えるのは、その望むところが千乗以上のものがあるからです。君は必ずこの三人を遠ざけ、近づけてはなりません、近づければ必ず国を乱します。」桓公は「この三人は、寡人に長く仕えてきた。仲父は日ごろ、なぜ一言も言わなかったのか」と尋ねた。仲は答えた。「臣が言わなかったのは、君のお心に逆らわないようにするためでした。たとえて言えば水のようなもので、臣はそのための堤防でした、氾濫させないようにしていたのです。今、堤防が取り除かれれば、洪水の患いが起きましょう、君は必ずこの三人を遠ざけてください。」桓公は黙って退いた。果たして管仲の命がどうなるか、続きは次回を見られたい。
原文(底本)
話說里克主意,原要奉迎公子重耳,因重耳辭不肯就,夷吾又以重賂求入,因此只得隨眾行事。誰知惠公即位之後,所許之田,分毫不給,又任用虢射、呂飴甥、郤芮一班私人,將先世舊臣,一概疏遠,里克心中已自不服。及勸惠公畀地於秦,分明是公道話,郤芮反說他為己而設,好生不忿,忍了一肚子氣,敢怒而不敢言。出了朝門,顏色之間,不免露些怨望之意。及丕鄭父使秦,郤芮等恐其與里克有謀,私下遣人窺瞰。鄭父亦慮郤芮等有人伺察,遂不別里克而行。里克使人邀鄭父說話,則鄭父已出城矣。克自往追之,不及而還。早有人報知郤芮。芮求見惠公,奏曰:「里克謂君奪其權政,又不與汾陽之田,心懷怨望。今聞丕鄭父聘秦,自駕往追,其中必有異謀。臣素聞里克善於重耳,君之立非其本意,萬一與重耳內應外合,何以防之?不若賜死,以絕其患。」惠公曰:「里克有功於寡人,今何辭以戮之?」郤芮曰:「克弒奚齊,又弒卓子,又殺顧命之臣荀息,其罪大矣!念其入國之功,私勞也。討其弒逆之罪,公義也。明君不以私勞而廢公議,臣請奉君命行討!」惠公曰:「大夫往矣!」郤芮遂詣里克之家,謂里克曰:「晉侯有命,使芮致之吾子。晉侯云:『微子,寡人不得立,寡人不敢忘子之功。雖然,子弒二君,殺一大夫,為爾君者難矣!寡人奉先君之遺命,不敢以私勞而廢大義,惟子自圖之!』」里克曰:「不有所廢,君何以興?欲加之罪,何患無辭?臣聞命矣!」郤芮復迫之,克乃拔佩劍躍地大呼曰:「天乎冤哉!忠而獲罪,死若有知,何面目見荀息乎?」遂自刎其喉而死。郤芮還報惠公,惠公大悅。髯仙有詩云:

    纔入夷吾身受兵,當初何不死申生?方知中立非完策,不及荀家有令名。

  惠公殺了里克,群臣多有不服者。祁舉、共華、賈華、騅遄輩,俱口出怨言。惠公欲誅之,郤芮曰:「丕鄭在外,而多行誅戮,以啟其疑叛之心,不可。君且忍之。」惠公曰:「秦夫人有言,托寡人善視賈君,而盡納群公子。何如?」郤芮曰:「群公子誰無爭心,不可納也。善視賈君,以報秦夫人可矣。」惠公乃入見賈君。時賈君色尚未衰,惠公忽動淫心,謂賈君曰:「秦夫人屬寡人與君為歡,君其無拒。」即往抱持賈君,宮人皆含笑避去。賈君畏惠公之威,勉強從命。事畢,賈君垂淚言曰:「妾不幸事先君不終,今又失身於君。妾身不足惜,但乞君為故太子申生白冤,妾得復於秦夫人,以贖失身之罪!」惠公曰:「二豎子見殺,先太子之冤已白矣。」賈君曰:「聞先太子尚藳葬新城,君必遷冢而為之立諡,庶冤魂獲安,亦國人之所望於君者也。」惠公許之。乃命郤芮之從弟郤乞,往曲沃擇地改葬。使太史議諡,以其孝敬,諡曰「共世子」。再使狐突往彼設祭告墓。

  先說郤乞至曲沃,別製衣衾棺槨,及冥器木偶之類,極其整齊。掘起申生之屍,面色如生,但臭不可當。役人俱掩鼻欲嘔,不能用力。郤乞焚香再拜曰:「世子生而潔,死而不潔乎?若不潔,不在世子,願無駭眾!」言訖,臭氣頓息,轉為異香。遂重殮入棺,葬於高原。曲沃之人,空城來送,無不墮淚。葬之三日,狐突賷祭品來到,以惠公之命,設位拜奠,題其墓曰「晉共太子之墓。」事畢,狐突方欲還國。忽見旌旗對對,戈甲層層,簇擁一隊車馬,狐突不知是誰,倉忙欲避。只見副車一人,髮發斑白,袍笏整齊,從容下車,至於狐突之前,揖曰:「太子有話奉迎,請國舅那步。」突視之,太傅杜原款也。恍惚中忘其已死,問曰:「太子何在?」原款指後面大車曰:「此即太子之車矣。」突乃隨至車前。見太子申生冠纓劍佩,宛如生前,使御者下引狐突升車,謂曰:「國舅亦念申生否?」突垂淚對曰:「太子之冤,行道之人,無不悲涕。突何人,能勿念乎?」申生曰:「上帝憐我仁孝,已命我為喬山之主矣。夷吾行無禮於賈君,吾惡其不潔,欲卻其葬,恐違眾意而止。今秦君甚賢,吾欲以晉畀秦,使秦人奉吾之祀,舅以為何如?」突對曰:「太子雖惡晉君,其民何罪?且晉之先君又何罪?太子舍同姓而求食於異姓,恐乖仁孝之德也。」申生曰:「舅言亦是。然吾已具奏於上帝矣。今當再奏,舅為姑留七日。新城之西偏有巫者,吾將託之以復舅也。」杜原款在車下喚曰:「國舅可別矣!」牽狐突下車,失足跌仆於地,車馬一時不見。突身乃臥於新城外館。心中大驚,問左右:「吾何得在此?」左右曰:「國舅祭奠方畢,焚祝辭神,忽然仆於席上,呼喚不醒。吾等扶至車中,載歸此處安息。今幸無恙。」狐突心知是夢,暗暗稱異。不與人言,只推抱恙,留車外館。至第七日未申之交,門上報:「有城西巫者求見。」突命召入,預屏左右以待之。巫者入見,自言「素與鬼神通語。今有喬山主者,乃晉國故太子申生,託傳語致意國舅:『今已覆奏上帝,但辱其身,斬其胤,以示罰罪而已,無害於晉。』」狐突佯為不知,問曰:「所罰者,何人之罪?」巫曰:「太子但命傳語如此,我亦不知所指何事也?」突命左右以金帛酬巫者,戒勿妄言。巫者叩謝而去。狐突歸國,私與丕鄭父之子丕豹言之。豹曰:「君舉動乖張,必不克終。有晉國者,其重耳乎?」正敘談間,閽人來報:「丕大夫使秦已歸,見在朝中復命。」二人遂各別而歸。

  卻說丕鄭父同秦大夫冷至,賷著禮幣數車,如晉報聘。行及絳郊,忽聞誅里克之信,鄭父心中疑慮,意欲轉回秦國,再作商量。又念其子豹在絳城:「我一走,必累及豹。」因此去住兩難,躊躇不決。恰遇大夫共華在於郊外,遂邀與相見。鄭父叩問里克緣由,共華一一敘述了。鄭父曰:「吾今猶可入否?」共華曰:「里克同事之人尚多,如華亦在其內,今止誅克一人,其餘並不波及。況子出使在秦,若為不知可也。如懼而不入,是自供其罪矣。」鄭父從其言,乃催車入城。鄭父先復命訖,引進冷至朝見,呈上國書禮物。惠公啟書看之,略曰:

    晉秦甥舅之國,地之在晉,猶在秦也。諸大夫亦各忠其國,寡人何敢曰必得地,以傷諸大夫之義。但寡人有疆場之事,欲與呂郤二大夫面議。幸旦暮一來,以慰寡人之望!

書尾又一行云:「原地券納還。」惠公是見小之人,看見禮幣隆厚,又且繳還地券,心中甚喜,便欲遣呂飴甥郤芮報秦。

  郤芮私謂飴甥曰:「秦使此來,不是好意。其幣重而言甘,殆誘我也。吾等若往,必劫我以取地矣。」飴甥曰:「吾亦料秦之懽晉,不至若是。此必丕鄭父聞里克之誅,自懼不免,與秦共為此謀,欲使秦人殺吾等而後作亂耳。」郤芮曰:「鄭父與克,同功一體之人,克誅,鄭父安得不懼?子金之料是也。今群臣半是里丕之黨,若鄭父有謀,必更有同謀之人。且先歸秦使而徐察之。」飴甥曰:「善。」乃言於惠公,先遣冷至回秦,言:「晉國未定,稍待二臣之暇,即當趨命。」冷至只得回秦。呂郤二人使心腹每夜伏於丕鄭父之門,伺察動靜。鄭父見呂郤全無行色,乃密請祁舉、共華、賈華、騅遄等,夜至其家議事,五鼓方回。心腹回報所見,如此如此。郤芮曰:「諸人有何難決之事?必逆謀也。」乃與飴甥商議,使人請屠岸夷至,謂曰:「子禍至矣,奈何?」屠岸夷大驚曰:「禍從何來?」郤芮曰:「子前助里克弒幼君,今克已伏法,君將有討於子。吾等以子有迎立之功,不忍見子之受誅,是以告也。」屠岸夷泣曰:「夷乃一勇之夫,聽人驅遣,不知罪之所在。惟大夫救之!」郤芮曰:「君怒不可解也。獨有一計,可以脫禍。」夷遂跪而問計。郤芮慌忙扶起,密告曰:「今丕鄭父黨於里克,有迎立之心,與七輿大夫陰謀作亂,欲逐君而納公子重耳。子誠偽為懼誅者,而見鄭父,與之同謀。若盡得其情,先事出首,吾即以所許鄭父負葵之田,割三十萬以酬子功。子且重用,又何罪之足患乎?」夷喜曰:「夷死而得生,大夫之賜也。敢不效力!但我不善為辭,奈何?」呂飴甥曰:「吾當教子。」乃擬為問答之語,使夷熟記。

  是夜,夷遂叩丕鄭父之門,言有密事。鄭父辭以醉寢,不與相見。夷守門內,更深猶不去。乃延之入。夷一見鄭父,便下跪曰:「大夫救我一命!」鄭父驚問其故。夷曰:「君以我助里克弒卓子,將加戮於我,奈何?」鄭父曰:「呂郤二人為政,何不求之?」夷曰:「此皆呂郤之謀也。吾恨不得食二人之肉,求之何益?」鄭父猶未深信,又問曰:「汝意欲何如?」夷曰:「公子重耳仁孝,能得士心,國人皆願戴之為君。而秦人惡夷吾之背約,亦欲改立重耳。誠得大夫手書,夷星夜往致重耳,使合秦翟之眾,大夫亦糾故太子之黨,從中而起,先斬呂郤之首,然後逐君而納重耳,無不濟矣。」鄭父曰:「子意得無變否?」夷即嚙一指出血,誓曰:「夷若有貳心,當使合族受誅!」鄭父方纔信之。約次日三更,再會定議。至期,屠岸夷復往。則祁舉、共華、賈華、騅遄皆先在,又有叔堅、累虎、特宮、山祈四人,皆故太子申生門下,與鄭父屠岸夷共是十人,重復對天歃血,共扶公子重耳為君。後人有詩云:

    只疑屠岸來求救,誰料奸謀呂郤為?強中更有強中手,一人行詐九人危。

丕鄭父款待眾人,盡醉而別。屠岸夷私下回報郤芮。芮曰:「汝言無據,必得鄭父手書,方可正罪。」夷次夜再至鄭父之家,索其手書,往迎重耳。鄭父已寫就了,簡後署名,共是十位,其九人俱先有花押,第十屠岸夷也。夷亦請筆書押。鄭父緘封停當,交付夷手,囑他:「小心在意,不可漏泄。」屠岸夷得書,如獲至寶,一逕投郤芮家,呈上芮看。芮乃匿夷於家,將書懷於袖中,同呂飴甥往見國舅虢射,備言如此如此:「若不早除,變生不測。」虢射夜叩宮門,見了惠公,細述丕鄭父之謀:「明日早朝,便可面正其罪,以手書為證。」

  次日,惠公早朝,呂郤等預伏武士於壁衣之內。百官行禮已畢,惠公召丕鄭父問曰:「知汝欲逐寡人而迎重耳,寡人敢請其罪!」鄭父方欲致辯。郤芮仗劍大喝曰:「汝遣屠岸夷將手書迎重耳,賴吾君洪福,屠岸夷已被吾等伺候於城外拿下,搜出其書。同事共是十人。今屠岸夷已招出,汝等不必辯矣。」惠公將原書擲於案下。呂飴甥拾起,按簡呼名,命武士擒下。只有共華告假在家未到,另行捕拿。見在八人,面面相覷,真個是有口難開,無地可入。惠公喝教:「押出朝門斬首!」內中賈華大呼曰:「臣先年奉命伐屈,曾有私放吾君之功,求免一死,可乎?」呂飴甥曰:「汝事先君而私放吾主,今事吾主,復私通重耳,此反覆小人,速宜就戮。」賈華語塞。八人束手受刑。

  卻說共華在家,聞鄭父等事洩被誅,即忙拜辭家廟,欲赴朝中領罪。其弟共賜謂曰:「往則就死,盍逃乎?」共華曰:「丕大夫之入,吾實勸之。陷人於死,而己獨生,非丈夫也!吾非不愛生,不敢負丕大夫耳!」遂不待捕至,疾趨入朝,請死。惠公亦斬之。丕豹聞父遭誅,飛奔秦國逃難。惠公欲盡誅里丕諸大夫之族。郤芮曰:「『罪人不孥』,古之制也。亂人行誅,足以儆眾矣。何必多殺,以懼眾心?」惠公乃赦各族不誅。進屠岸夷為中大夫,賞以負葵之田三十萬。

  卻說丕豹至秦,見了穆公,伏地大哭。穆公問其故,丕豹將其父始謀,及被害緣由,細述一遍。乃獻策曰:「晉侯背秦之大恩,而修國之小怨,百官聳懼,百姓不服。若以偏師往伐,其眾必內潰,廢置惟君所欲耳。」穆公問於君臣。蹇叔對曰:「以丕豹之言而伐晉,是助臣伐君,於義不可。」百里奚曰:「若百姓不服,必有內變,君且俟其變而圖之。」穆公曰:「寡人亦疑此言。彼一朝而殺九大夫,豈眾心不附,而能如此?況兵無內應,可必有功乎?」丕豹遂留仕秦為大夫。時晉惠公之二年,周襄王之三年也。

  是年周王子帶,以賂結好伊雒之戎,使戎伐京師,而己從中應之。戎遂入寇,圍王城。周公孔與召伯廖悉力固守。帶不敢出會戎師。襄王遣使告急於諸侯。秦穆公晉惠公皆欲結好周王,各率師伐戎以救周。戎知諸侯兵至,焚掠東門而去。惠公與穆公相見,面有慚色。惠公又接得穆姬密書,書中數晉侯無禮於賈君,又不納群公子,許多不是。教他速改前非,不失舊好。惠公遂有疑秦之心,急急班師。丕豹果勸穆公夜襲晉師,穆公曰:「同為勤王而來此,雖有私怨,未可動也。」乃各歸其國。

  時齊桓公亦遣管仲將兵救周,聞戎兵已解,乃遣人詰責戎主。戎主懼齊兵威,使人謝曰:「我諸戎何敢犯京師?爾甘叔招我來耳!」襄王於是逐王子帶。子帶出奔齊國。戎主使人詣京師,請罪求和,襄王許之。襄王追念管仲定位之功,今又有和戎之勞,乃大饗管仲,待以上卿之禮。管仲遜曰:「有國高二子在,臣不敢當。」再三謙讓,受下卿之禮而還。是冬,管仲病,桓公親往問之。見其瘠甚,乃執其手曰:「仲父之疾甚矣。不幸而不起,寡人將委政於何人?」時甯戚賓須無先後俱卒。管仲嘆曰:「惜哉乎,甯戚也!」桓公曰:「甯戚之外,豈無人乎?吾欲任鮑叔牙,何如?」仲對曰:「鮑叔牙,君子也。雖然,不可以為政。其人善惡過於分明。夫好善可也,惡惡已甚,人誰堪之?鮑叔牙見人之一惡,終身不忘,是其短也。」桓公曰:「隰朋何如?」仲對曰:「庶乎可矣。隰朋不恥下問,居其家不忘公門。」言畢,喟然嘆曰:「天生隰朋,以為夷吾舌也。身死,舌安得獨存?恐君之用隰朋不能久耳!」桓公曰:「然則易牙何如?」仲對曰:「君即不問,臣亦將言之。彼易牙、豎刁、開方三人,必不可近也!」桓公曰:「易牙烹其子,以適寡人之口,是愛寡人勝於愛子,尚可疑耶?」仲對曰:「人情莫愛於子。其子且忍之,何有於君?」桓公曰:「豎刁自宮以事寡人,是愛寡人勝於愛身,尚可疑耶?」仲對曰:「人情莫重於身。其身且忍之,何有於君?」桓公曰:「衛公子開方,去其千乘之太子,而臣於寡人,以寡人之愛幸之也。父母死不奔喪,是愛寡人勝於父母,無可疑矣。」仲對曰:「人情莫親於父母。其父母且忍之,又何有於君?且千乘之封,人之大欲也。棄千乘而就君,其所望有過於千乘者矣。君必去之勿近,近必亂國!」桓公曰:「此三人者,事寡人久矣。仲父平日何不聞一言乎?」仲對曰:「臣之不言,將以適君之意也。譬之於水,臣為之隄防焉,勿令泛溢。今隄防去矣,將有橫流之患,君必遠之!」桓公默然而退。畢竟管仲性命如何,且看下回分解。

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