東周列國志第四十二回 周の襄王、河陽で覲を受ける/衛の元咺、公館で裁きに対する (周襄王河陽受覲 衞元咺公館對獄)
衛成公による元角殺害と元咺の苦衷
- 話は周の襄王二十年、襄王が使者を下して踐土で晋文公をねぎらわせたところに戻る。その事が済むと使者は周へ帰り、諸侯もそれぞれ暇を告げて本国へ帰った。衛の成公は歂犬の言葉を疑い、人を遣わして密かに探らせたところ、元咺が叔武を奉じて盟いに加わり、名が載書に連なっているのを見て、詳細を確かめる暇もなくすぐに衛侯に報告した。
- 衛侯は大いに怒って言った。「叔武はやはり自ら立ったのだ!」そして大いに罵った。「元咺は君に背く賊だ!自分で富貴を貪り、新君を位につけておきながら、また息子を寄越して私の動静を窺わせている。私がお前たち父子を許すはずがあろうか!」元角がまさに弁明しようとしたところ、衛侯は剣を抜いて一振りし、その首はすでに地に落ちた。無実の罪であった!元角の従者は慌てて逃げ帰り、父の咺に知らせた。
- 咺は言った。「子の生死は運命である!主君が咺に背かれたとはいえ、咺がどうして太叔に背けようか。」司馬の瞞は元咺に言った。「主君はすでにあなたを疑っておられます、あなたも嫌疑を避けるべきです。なぜ位を辞して去り、あなたの心を明らかにしないのですか。」
- 咺は嘆いて言った。「咺がもし位を辞せば、誰が太叔とともにこの国を守るのか。子を殺されたことは私怨であり、国を守ることは大事である。私怨のために大事を廃するのは、人臣が国に報いる道義ではない。」そこで叔武に言い、晋侯に書を奉じさせ、成公の復位を求めさせた。これは元咺の美点である。この件はしばらく置いておく。
晋文公の帰国と論功行賞
- さて晋文公は天子の任命を受けて帰国したが、虎賁の兵と弓矢を前後に並べ立て、また格別の威容であった。入国の日には、道々の民が老いた者を助け幼子を連れて先を争って威儀を見物し、飯や酒を用意して軍勢を迎えた。感嘆の声しきりに、皆「我が主君は英雄だ!」と誉め、喜びの色満ち満ちて「晋家は興隆する」と口々に言った。まさに次の通りであった。
- (詩:艱難を防ぎ文侯の遺緒を継ぎ、楚を退けて覇者たる斉の桓公の功業を重ねて修めた。十九年前の流浪の客が、一朝にして声価は青雲に上ったという趣旨)
- 晋文公は朝廷に臨んで祝賀を受け、功に応じて賞を行い、狐偃を第一の功とし、先軫をこれに次いだ。諸将は請うて言った。「城濮の戦いでは、奇策を設けて楚を破ったのは皆先軫の功でございます。今かえって狐偃を第一とされるのはなぜですか。」文公は言った。「城濮の戦いにおいて、軫は『必ず楚と戦い、敵を逃すな』と言い、偃は『必ず楚を避け、信を失うな』と言った。敵に勝つことは一時の功であるが、信を全うすることは万世の利益である。どうして一時の功のために万世の利益に勝るものとしようか。だからこれを先にしたのだ。」諸将は皆納得して悦服した。
- 狐偃はまた奏した。「先臣荀息は、奚齊・卓子の難に死に、忠節は嘉すべきものです。その子孫を録用し、臣節を励ましてください。」文公はこれを聞き入れ、荀息の子の荀林父を召して大夫とした。
- 舟之僑はちょうど家で妻子のもとに留まっていたが、晋侯が到着すると聞いて、途中まで駆けつけて出迎えた。文公はこれを後ろの車に囚えさせるよう命じた。論功行賞が終わると、司馬の趙衰にその罪を議定させ、誅に当たると決した。舟之僑は妻の病を訴えて寛大な処置を求めたが、文公は言った。「主君に仕える者は自らの身さえ顧みぬものだ、まして妻子のことなど言うまでもない。」そう言って斬首して衆に示すよう命じた。
- 文公は今回の出兵で、第一回に顛頡を斬り、第二回に祁瞞を斬り、そしてこの日、第三回にまた舟之僑を斬った。この三人はいずれも名のある古参の将であったが、命令に背けば必ず誅し、まったく軽々しく赦すことはなかった。それゆえ三軍は畏れ服し、諸将は命に従った。まさに「賞罰が明らかでなければ、何事も成らない。賞罰が明らかであれば、四方に行き渡らせることができる」という言葉の通りである。これが文公が諸侯の伯となり得た所以であった。
三行の新設
- 文公は先軫らと相談し、軍の定数を増やして国を強めようとしたが、天子の六軍と同数にすることは憚られたため、名を仮りて「三行」を加えることとした。荀林父を中行大夫とし、先蔑・屠擊を左右行大夫とした。前後の三軍三行は、実質は六軍であったが、ただその名を避けただけであった。これにより兵は多く将は広く、天下にその強さに比べられる国はなかった。
叔武の書と晋文公の許し
- ある日、文公が朝廷に座り、狐偃らと曹・衛のことを議していたところ、近臣が「衛国から書が届きました」と奏した。文公は「これはきっと叔武が兄のために寛大な処置を求めているのだろう」と言った。開いて見ると、書にはこうあった。
- 「君侯が衛の社稷を絶やされず、故君の復位をお許しくだされば、国じゅうの臣民は皆首を長くして高いご恩義を望んでおります。どうか君侯には早くお計らいくださいますよう!」
- 陳の穆公もまた使いを晋に送り、衛侯鄭に代わって罪を悔い改め心を入れ替える意を伝えた。文公はそれぞれに返書を送り、故国への復帰を許すこととし、郤步揚に兵を率いて阻む必要はないと諭した。
- 叔武は晋侯が寛大に許した知らせを得ると、急いで車騎を陳へ発し、衛侯を迎えに行かせた。陳の穆公もまた人を遣わして出発を勧めた。
寧俞の楚丘訪問と誓い
- 公子歂犬は成公に言った。「太叔は君として久しく、国人は帰服し、隣国とも同盟しております。この度の出迎えを軽々しく信じてはなりません。」衛侯は「寡人もそれを懸念している」と言った。そこで寧俞を先に楚丘へ行かせ、その実情を探らせた。寧俞はやむを得ず命を奉じて行った。
- 衛に至ると、ちょうど叔武が朝廷で政を議していた。寧俞が朝廷に入ると、叔武が殿堂の東に座を設け、西を向いて座っているのが見えた。寧俞を一目見ると、座を降りて出迎え、礼を尽くして丁重にもてなした。
- 寧俞はわざと尋ねた。「太叔は位を代行しながら正位にお座りにならないのは、世間に対してどのように示しをつけられるおつもりですか。」叔武は言った。「この正位は我が兄の座るべきところ、私はその傍らにいるだけでも、なお恐れ多く落ち着かない、どうして正位に居られようか。」寧俞は「俞は今日ようやく太叔の心をお見受けいたしました」と言った。
- 叔武は言った。「私は兄を思う念が切実で、朝な夕なに気にかけております。大夫にはどうか早く君である兄に朝廷への帰還を勧め、私の心を慰めていただきたいのです。」俞はそこで期日を取り決め、六月辛未の吉日に入城することを約した。
- 寧俞は朝廷を出て、人々の話を聞き集めたが、百官の面々が口々に議論して「故君がもし戻ってこられれば、居った者と従った者の二種の区別を免れず、従った者には功があり、居った者には罪がある、どうしたらよいだろう」と言っているのを耳にした。
- 寧俞は言った。「私は故君を奉じてここへ参り、皆に伝えます。『従った者であれ居った者であれ、功はあっても罪はない』と。もし信じられないなら、血をすすって盟いを立てましょう。」皆は「もし共に盟いを結んでいただけるなら、もう何の疑いがございましょう!」と言った。俞はそこで天に向かって誓いを立てて言った。「従った者は衛の主に仕え、居った者は国を守り、内であれ外であれ、それぞれその力を尽くす。君臣が和し協力して共に社稷を保ち、もし互いに欺くことがあれば、明神がこれを誅殺せよ!」皆は喜んで散会し、「寧子は我らを欺かない」と言った。
- 叔武はまた大夫の長牂を遣わし、専ら都の城門を守らせ、命じて言った。「もし南から来る人があれば、期日より早く来ようが遅れて来ようが、直ちに中へ入れよ。」
歂犬の讒言と衛侯の早期出立
- さて寧俞は衛侯に復命し、「叔武は真心をもって出迎えるつもりで、悪意は少しもございません」と言った。衛侯もそれで信じることができた。
- ところが歂犬が以前から讒言を弄していたため、いざその時になって食い違いが生じ、かえって欺き誹った罪を得ることを恐れ、また衛侯に言った。「太叔と寧大夫は期日を取り決めましたが、あらかじめ用意をして君に害を加えるつもりでないとどうして分かりましょうか。君は先んじて赴かれ、不意を突かれるのが良いでしょう、そうすれば必ずお入りになれます。」
- 衛侯はその言葉に従い、すぐに駕を発した。歂犬は先駆けを願い出て、宮中の難を除いておくと言い、衛侯はこれを許した。
- 寧俞は奏して言った。「臣はすでに国人と期日を取り決めております。君が先んじて赴かれれば、国人は必ず疑うでしょう。」歂犬は大声で叱って言った。「俞は我が君が早く入城されることを望まないのか、どういう了見だ。」寧俞はそれで再び諫めることができず、やむを得ず奏して言った。「君の駕がすぐに発たれるのであれば、臣は先に一足先に行き、臣民に諭して上下の心を安んじさせていただきたく存じます。」衛侯は「卿は国人のためにそう言ってくれるのか、寡人はただ早く臣民に一目会いたいと思うだけで、他に理由はない」と言った。
- 寧俞が去った後、歂犬は「寧が先に行くとは、疑わしいことだ。君の出発は遅くてはなりません!」と言った。衛侯は御者を急がせ、力を合わせて馬を走らせた。
叔武の死
- さて寧俞が先に都の城門に着くと、長牂は衛侯の使者だと知ってすぐに中へ入れた。寧俞は「君はもうすぐ到着なさいます」と言った。長牂は「前の約束では辛未でしたが、今はまだ戊辰、なぜこんなに早いのですか。あなたが先に入城して報せてください、私はお迎えいたします。」と言った。
- 寧俞がちょうど身を翻したところ、先駆けの歂犬がすでに到着しており、「衛侯はもう後ろに迫っております」と言った。長牂は急いで車と従者を整え、迎えに上がった。歂犬は先に城内へ入っていった。
- 時に叔武はちょうど自ら従僕たちを督励して宮室を掃除し、そのついでに庭で髪を洗っていた。寧俞の「君が到着なさる」との報せを聞き、驚きと喜びが入り混じった。慌ただしい中、先んじて到着した理由を尋ねようとしたところ、突然前駆の車馬の音が聞こえ、衛侯がすでに到着したのだと分かり、心中喜びのあまり、髪もまだ乾いていないのに、髷を結うのも待ちきれず、急いで片手で髪を握ったまま急ぎ足で外へ出て、まさに歂犬に出くわした。
- 歂犬は叔武を生かしておけば、兄弟が再会して以前の経緯を語り合うことを恐れ、遠くに叔武が来るのを見るなり、弓を引き絞って矢をつがえ、ひゅっと射放ち、狙い違わず命中させた。叔武は矢が胸の急所に当たり、後ろへ倒れ込んだ。寧俞は急いで駆け寄って助けようとしたが、すでに間に合わなかった。哀れなことよ!
- 元咺は叔武が殺されたと聞いて驚き、大いに罵った。「無道な暗愚な君主め!無実の者を理不尽に殺すとは、天の道理がお前を許すはずがあろうか!私は晋侯に訴え出て、お前の座がどれほど安泰でいられるか見てやる!」痛哭した後、急いで晋国へ逃げ去った。髯翁の詩がある。
- (詩:兄のために堅く国を守り続けたのに、無情な矢によって情け深い者が害された。衛侯が猜疑深くなかったならば、先駆けの者がどうして勝手に手出しをできようかという趣旨)
衛成公の帰国と歂犬誅殺
- さて成公は城下に着き、長牂の出迎えを受けて、その来意を尋ねた。長牂は叔武の言いつけ「早く来れば早く入れ、遅く来れば遅く入れよ」を述べた。衛侯は嘆いて「我が弟は果たして他意がなかったのだ!」と言った。
- 入城するころ、寧俞が涙を流しながらやって来て、「叔武様は主公の到着を喜び、髪が乾くのも待たずに握ったまま出迎えに出られましたが、思いもよらず先駆けの者に理不尽に殺されてしまいました。臣は国人への信を失わせてしまい、万死に値します!」と言った。衛侯は顔に恥じる色を浮かべ、答えて言った。「寡人はすでに夷叔の冤罪を知っている!卿はもう言わなくてよい。」
- 車を急がせて朝廷に入ったが、百官はまだ事情を知らず、道々で拝謁するも先後がまちまちであった。寧俞は衛侯を案内して叔武の屍を見させた。両目は生きているように見開かれていた。衛侯はその頭を膝に乗せ、思わず声を上げて号泣し、手で撫でて言った。「夷叔、夷叔よ!私はお前のおかげで帰れたのに、お前は私のために死んでしまった!哀しいことよ、痛ましいことよ!」ただ屍の目には光がきらめいており、それが次第に閉じていった。
- 寧俞は言った。「先駆けの者を殺さずして、どうして太叔の霊に応えられましょうか。」衛侯はすぐにこれを捕らえるよう命じた。時に歂犬は逃げようと図っていたが、寧俞が人を遣わして捕らえてきた。歂犬は言った。「臣が太叔を殺したのも、君のためでございます!」衛侯は大いに怒って言った。「お前は我が弟を誹謗中傷し、無実の者を勝手に殺した。今またその罪を寡人になすりつけるのか。」左右に命じて歂犬を斬首し、晒し首にさせた。そして国君の礼をもって叔武を手厚く葬るよう命じた。
- 国人は当初、叔武が殺されたと聞いて議論が沸き立ったが、歂犬が誅され叔武が葬られたと聞くに及んで、ようやく人心が定まった。
元咺の晋への訴えと朝王策の議論
- 話は変わって、衛の大夫元咺は晋国へ逃げ込み、晋文公に会うと地に伏して大いに泣き、衛侯が叔武を疑い嫌い、そのために先駆けの者を遣わして射殺させたことを訴えた。話しては泣き、泣いては話した。晋文公はこれを聞いて(衛侯に対し)憤りを覚え、いくつかの慰めの言葉をかけて元咺をなだめ、宿舎に留め置いた。
- そこで君臣を大いに集めて問うた。「寡人は諸卿の力に頼り、一戦して楚に勝った。踐土の会では、天子が下ってねぎらってくださり、諸侯は皆従った。覇業の盛んなことは、密かに斉桓公に比べられよう。しかし秦人は約に赴かず、許人は朝会に参ぜず、鄭は盟いを受けたとはいえ、なお疑いと二心を抱いている。衛はまさに国に復帰したばかりだというのに、盟いを受けた弟をほしいままに殺した。もし改めて誓いを申し明かし、厳しく誅討を行わなければ、諸侯は結束したとしても必ずばらばらになるであろう。諸卿の計はいかに。」
- 先軫は進み出て言った。「会盟を招集し二心ある者を討つのは、覇者の職責でございます。臣は兵を鍛え馬を養い、君命を待ちたいと存じます。」
- 狐偃は言った。「そうではございません。覇者が諸侯に号令を及ぼし得るのは、いずれも天子の威光を背に負うてのことです。今、天子が下ってねぎらってくださったのに、君の覲見の礼はまだ修められておりません。我らに実に不備があります、それでどうして人を服させられましょうか。君のために考えますに、王への朝見を名目に諸侯を号召し、来ない者があれば、天子の命をもってこれに臨まれるのが最善です。王への朝見は大礼であり、王を軽んじた罪を討つのは大義名分です。大礼を行い大義名分を掲げることは、さらに大いなる事業でございます。君はどうぞお計らいください!」
- 趙衰は言った。「子犯(狐偃)の言葉はまことに善いものです。しかし臣の愚見では、入朝の挙は必ずしも成就しないのではないかと恐れます。」文公は「なぜ成就しないのか」と尋ねた。趙衰は言った。「王に朝見する礼は久しく行われておりません。晋の強大さをもって、五たび六たび軍勢を集めて京師に臨めば、通過する土地は誰しも震え驚くことでしょう。臣は天子が君を疑い、君を謝絶されることを恐れます。謝絶されて受け入れられなければ、君の威信は汚されてしまいます。むしろ王を温に招き、諸侯を率いてこれに会われるのがよろしいでしょう。君臣の間に猜疑がないこと、これが第一の利点です。諸侯が労せずに済むこと、これが第二の利点です。温には叔帶の新宮がありますので、新たに造営する手間もいらないこと、これが第三の利点です。」
- 文公は「王をお招きできようか」と尋ねた。趙衰は言った。「王は晋に親しむことを喜び、朝を受けることを楽しみとされております。どうしてできないことがございましょうか。臣は君のために周へ使者として赴き、入朝のことを商議いたしましょう。天子のお考えを推し量っても、必ずやこの案から出るはずです。」
- 文公は大いに喜び、趙衰に周へ行かせた。趙衰は周の襄王に謁見し、稽首再拝して奏上した。「わが君重耳は、天王が下ってねぎらい任命を賜った恩に感じ入り、諸侯を率いて京師に至り、朝見の礼を修めたいと存じます。伏してご聖断を乞います!」襄王は黙して答えなかった。趙衰を使館へ休ませるよう命じ、すぐに王子虎を召して相談し、「晋侯が大勢を擁して入朝しようとしている、その心は測りがたい、どう断ればよいか」と言った。
- 子虎は答えて言った。「臣が晋の使者に面会してその意向を探り、断るべきなら断りましょう。」子虎は襄王に辞去の挨拶をし、宿舎へ行って趙衰に会い、入朝のことを話し合った。子虎は言った。「晋侯が諸姫(同姓諸侯)を率いて天子を尊び奨め、歴代の廃れた盛儀を挙行されることは、まことに王室の大いなる幸いです!しかし列国が鱗のごとく集まり、旅の荷物や随行の者が満ち溢れ、車馬や従者が多く盛んになれば、士民は目にしたことのない光景に、みだりに邪推をして、根も葉もない噂が立ちやすくなり、あるいは晋侯をそしり嘲る者も出てまいりましょう。かえって晋侯の一片の忠愛の意に背くことになりましょう、やめておかれるのが良いでしょう。」
- 趙衰は言った。「わが君が天子に見えたいと願うのは、実に至誠から出たものです。下臣が出発する日にはすでに各国に檄を伝え、温邑で会合することを取り決めております。もし取りやめて行わなければ、これは王事を戯れ事とすることになります。下臣は復命することができません。」子虎は「それではどうすればよいか」と言った。趙衰は「下臣にこの点について策がございますが、申し上げるのは憚られます」と言った。子虎は「子餘殿にはどのような良策があるのか、どうしてお命じにならないことがございましょうか!」と言った。
- 趙衰は言った。「古には天子には時巡の典があり、各地を巡って民情を観察されたものです。まして温もまた畿内の旧地です。天子がもし巡狩を名目に河陽へ行幸なさり、わが君がそれによって諸侯を率いて拝謁の礼を尽くすのであれば、上は王室の尊厳の体面を失わず、下はわが君の忠義と敬意の誠を裏切りません。いかがでございましょうか。」子虎は「子餘殿の策は、まことに双方にとって便利なものです。虎はすぐに天子にお伝えいたしましょう」と言った。
- 子虎は参内してその言葉を襄王に述べた。襄王は大いに喜んだ。冬十月の吉日に河陽へ行幸することを約した。趙衰は晋侯に復命した。晋文公は王に朝見する挙を諸侯に布告し、皆冬十月朔に温の地に集合することを約させた。
温での参集と襄王の到着
- 期日になり、斉の昭公潘、宋の成公王臣、魯の僖公申、蔡の荘公甲午、秦の穆公任好、鄭の文公捷が次々と到着した。秦の穆公は「先の踐土の会では、道が遠く期日に遅れることを憚って参加できませんでした。今度は諸侯の後に従うことを願います」と言った。晋文公はこれに謝意を述べた。
- 時に陳の穆公款が亡くなったばかりで、その子の共公朔が新たに即位し、晋の威を畏れて墨染めの喪服のまま参上した。邾・莒などの小国もことごとく集まった。
- 衛侯鄭は自らに罪があると知り、行きたくないと思っていた。寧俞は諫めて言った。「もし行かなければ、これはますます罪を重ねることになります、晋の討伐が必ず及ぶでしょう。」成公はそこで出発した。寧俞と鍼莊子・士榮の三人が随行した。温邑に着くと、文公は面会を許さず、兵をもって取り囲ませた。
- ただ許人だけは最後まで頑なに拒み、晋の命に服さなかった。総計、晋・斉・宋・魯・蔡・秦・鄭・陳・邾・莒の十国が、まず温の地で会盟した。幾日も経たぬうちに、周の襄王の駕が到着し、晋文公は諸侯を率いて出迎え、新宮にお留まりいただいた。参上して起居の挨拶をし、再拝稽首した。
河陽での朝見
- 翌日五更に、十国の諸侯が冠を正し衣裳を整え、玉を佩びて、整然と居並び、拝舞の礼を行って塵を揚げ、鏘々として盛大であった。それぞれの土地の産物を貢ぎ、その土地の主たる諸侯としての儀礼を尽くし、位に就いて謹み、争って天子の御顔を拝する喜びを見せた。この朝見は、踐土の時よりもさらに厳粛であった。詩がその証である。
- (詩:衣冠を整えた者たちが河陽に集まり、雲車の降臨を争って見物し、天に拝跪して素節を鳴らし、龍顔は下々に向けて垂れ、諸侯は恩光に浴した。酆宮の盛事も前代に類なく、郟鄏の虚名は、天子が堂を下って諸侯を迎えたことを慨嘆させる。致王は正典ではないとはいえ、巡狩を名目とすることも何ら差し支えないという趣旨)
衛侯・元咺の対獄
- 朝礼がすでに終わると、晋文公は衛の叔武の冤罪の事情を襄王に訴え、王子虎とともにその裁きを決するよう請うた。襄王はこれを許した。
- 文公は子虎を公館に招き、賓主で席に着いた。人を遣わして王命をもって衛侯を呼んだ。衛侯は囚人の服装で到着した。衛の大夫元咺もまた到着した。子虎は「君と臣が直接対決するのは適切でない、代理を立ててよい」と言った。そこで衛侯は廡(廊)の下に控えさせた。寧俞は衛侯の側に付き添い、寸時も離れなかった。鍼莊子が衛侯に代わり、元咺と対決した。士榮が獄事を扱う官を代行し、事の是非を質した。
- 元咺は立て板に水のごとく弁じ、衛侯が襄牛へ出奔したことから話を起こし、いかに太叔に国を守るよう言い付けたか、その後いかに先に元角を殺し、次いで太叔を殺したかを、詳細に述べ立てた。
- 鍼莊子は言った。「これらはすべて歂犬が讒言を弄した言葉で、それによって衛君が誤って聞き入れることになったのであり、すべてが衛君のなさったことではない。」
- 元咺は言った。「歂犬は最初、咺に太叔を擁立するようにと言った。咺がもしこれに従えば、君はどうして再び入国できたであろうか。ただ咺が太叔の兄を愛する心を汲んで、歂犬の求めを拒んだところ、思いもよらず彼はかえってほしいままに離間を仕掛けた。衛君に太叔を猜疑する意がなければ、歂犬の讒言がどうして入り込めようか。咺が我が子の角を遣わして我が君に従わせたのは、まさに自分の心の証を明らかにするためで、もとより善意のかたまりであったのに、無実の罪で殺された。我が子角を殺した心は、すなわち太叔を殺す心そのものであった。」
- 士榮はこれをたしなめて言った。「お前は子を殺された怨みを抱いているだけで、太叔のためではあるまい。」元咺は言った。「咺は常々『子を殺されたのは私怨、国を守るのは大事』と言ってきた。咺は不肖とはいえ、私怨のために大事を廃するようなことはしない。あの日、太叔が晋に書を送り、兄の復位を求めたのは、この書の草稿は咺の手から出たものだ。もし咺が怨みを抱いていたなら、どうしてこのようなことをしようか。ただ我が君の一時の過ちと思い、その悔い改める兆しを期待していただけで、思いもよらず太叔にまでこの大きな冤罪を及ぼすことになったのだ。」
- 士榮はさらに言った。「太叔には位を篡奪する情はなく、我が君もすでにそれを了解しておられた。誤って歂犬の手にかかったのであり、君の意から出たものではない。」
- 元咺は言った。「我が君がすでに太叔に篡位の情がないと知っておられたなら、以前の歂犬の言葉はすべて虚言であり、罪を加えるべきであったはずだ。どうしてまた彼が先んじて行くのを聞き入れたのか。入国するに及んでは、また彼を先駆けに用いた。明らかに歂犬の手を借りたものであり、知らなかったとは言い難い。」鍼莊子は頭を垂れて一言も発しなかった。
- 士榮はさらにたしなめて言った。「太叔は無実の罪で殺されたとはいえ、太叔は臣であり、衛侯は君である。古来、人臣が君に無実の罪で殺された例は数え切れない。まして衛侯はすでに歂犬を誅し、太叔にも礼を加えて手厚く葬った。賞罰は明らかである、なお何の罪があろうか。」
- 元咺は言った。「昔、桀は関龍逢を無実の罪で殺し、湯はこれを放逐した。紂は比干を無実の罪で殺し、武王はこれを討伐した。湯と武王は、いずれも桀・紂の臣下であったが、忠良の者が無実の罪を受けるのを目の当たりにし、そこで義兵を起こし、その君を誅して民を慰め救った。まして太叔は兄弟であり、国を守った功もあった、関龍逢や比干の比ではない。衛はしょせん侯に封じられた小国に過ぎず、上は天王に制せられ、下は方伯に制せられる、桀・紂が天子として尊く四海の富を有していたのとは比べものにならない。どうして罪がないと言えようか。」
- 士榮は言葉に詰まり、また話を変えて言った。「衛君はもとより非があるが、お前はその臣であり、すでに忠心をもって君に仕えていたのなら、君がひとたび入国すると、お前はすぐに出奔したのはどういうわけだ。朝廷に参上して祝賀も述べないとは、何の道理か。」
- 元咺は言った。「咺が太叔を奉じて国を守ったのは、実に君命から出たものだ。君は太叔さえ容れることができなかった、咺を容れられようか。咺が逃げたのは、命を惜しみ死を恐れたからではなく、実に太叔のために晴らされぬ冤罪を訴えるためであった!」
晋文公の裁断と公子瑕の擁立
- 晋文公はその席にいて、子虎に言った。「士榮と元咺の何度かのやり取りを見るに、種々の点でいずれも元咺の道理の方が優っております。衛の鄭は天子の臣ですので、勝手に決するわけにはまいりません、まず衛の臣に刑を行ってはいかがでしょうか。」左右に大声で命じた。「衛君に随行した者はすべて誅戮せよ。」
- 子虎は言った。「私は寧俞が衛の賢大夫であり、兄弟君臣の間を取り持とうと大変な苦心をしたと聞いております、衛君が聞き入れなかったのをどうしようもございません。またこの訴訟は寧俞と関わりがございません、彼を巻き添えにしてはなりません。士榮は士師(裁判官)を代行しながら、獄を正しく裁かず道理を見極めませんでしたので、筆頭の重罪に当たるべきです。鍼莊子は一言も発しなかった、自らも理が曲がっていることを知っていたのでしょう、罪を軽くしてよろしいでしょう。ただ君侯のご裁断を仰ぎます!」
- 文公はその言葉に従い、士榮を斬首し、鍼莊子は足切りの刑とし、寧俞はしばらく赦して不問とした。衛侯は檻車に乗せられた。文公は子虎とともに衛侯を連れて襄王に会いに行き、衛家の君臣双方の訴訟の詞を詳細に述べた。「このような冤罪があるからには、衛の鄭を誅さなければ、天の道理が許さず、人心も服しません。どうか司寇に命じて刑を行わせ、天罰を明らかにしてください!」
- 襄王は言った。「叔父の断罪は明らかである。とはいえ、これを手本とすることはできない。朕が聞くところでは、『周官には両造(原告被告双方)を設けて平民を訊問するが、君臣の間には訴訟がなく、父子の間にも訴訟がない』という。もし臣が君を訴えれば、これは上下の別がないことになる。その上さらに臣の側を勝訴とさせ、臣でありながら君を誅することになるのは、逆賊たること甚だしい。朕はこれが罰を明らかにするどころか、かえって逆を教えることになることを恐れる。朕もまた衛にどうして私情があろうか。」
- 文公は恐れ入って謝して言った。「重耳の見識はここまで及びませんでした。すでに天王が誅を加えないとおっしゃるからには、檻に入れて京師へ送り、裁決を仰ぐことといたしましょう。」文公はなお衛侯を連れて公館へ戻り、兵士に元通り見張らせた。
- 一方で元咺を衛へ送り帰し、別に賢君を立てて衛の鄭の位に代えることを許した。元咺は衛に至り、群臣と相談し、偽って「衛侯はすでに死刑と決まった、今、王命を奉じて賢君を選び立てる」と言った。群臣は共に一人を推挙した。それは叔武の弟で名を適、字を子瑕といい、人柄は仁厚であった。元咺は「この人を立てれば、まさに『兄が終われば弟が継ぐ』という礼に合致する」と言った。そこで公子瑕を奉じて即位させた。元咺がその相(宰相)となった。司馬の瞞・孫炎・周歂・冶廑ら一連の文武が助けた。衛国はひとまず定まった。結局衛の事がどう決着するかは、次回を見よ。
原文(底本)
話說周襄王二十年,下勞晉文公於踐土,事畢歸周,諸侯亦各辭回本國。衛成公疑歂犬之言,遣人密地打探,見元咺奉叔武入盟,名列載書,不暇致詳,即時回報衛侯。衛侯大怒曰:「叔武果自立矣!」大罵:「元縠背君之賊!自己貪圖富貴,扶立新君,卻又使兒子來窺吾動靜。吾豈容汝父子乎?」元角方欲置辯,衛侯拔劍一揮,頭已墜地。冤哉!元角從人,慌忙逃回,報知其父咺。縠曰:「子之生死,命也!君雖負咺,咺豈可負太叔乎?」司馬瞞謂元咺曰:「君既疑子,子亦當避嫌。何不辭位而去,以明子之心耶?」咺嘆曰:「咺若辭位,誰與太叔共守此國者?夫殺子,私怨也,守國,大事也,以私怨而廢大事,非人臣所以報國之義也。」乃言於叔武,使奉書晉侯,求其復成公之位。此乃是元咺的好處。這事暫且擱過一邊。 再說晉文公受了冊命而回,虎賁弓矢,擺列前後,另是一番氣象。入國之日,一路百姓,扶老攜幼,爭睹威儀,簞食壺漿,共迎師旅。嘆聲嘖嘖,都誇「吾主英雄!」喜色欣欣,盡道「晉家興旺。」正是: 捍艱復纘文侯緒,攘楚重修桓伯勳;十九年前流落客,一朝聲價上青雲。 晉文公臨朝受賀,論功行賞,以狐偃為首功,先軫次之。諸將請曰:「城濮之役,設奇破楚,皆先軫之功,今反以狐偃為首,何也?」文公曰:「城濮之役,軫曰:『必戰楚,毋失敵。』偃曰:『必避楚,毋失信。』夫勝敵者,一時之功也;全信者,萬世之利也。奈何以一時之功,而加萬世之利乎?是以先之。」諸將無不悅服。狐偃又奏:「先臣荀息,死於奚齊卓子之難,忠節可嘉。宜錄其後,以勵臣節。」文公准奏,遂召荀息之子荀林父為大夫。舟之僑正在家中守著妻子,聞晉侯將到,趕至半路相迎。文公命囚之後車。行賞已畢,使司馬趙衰議罪,當誅。舟之僑自陳妻病求寬,文公曰:「事君者不顧其身,況妻子乎?」喝命斬首示眾。文公此番出軍,第一次斬了顛頡,第二次斬了祁瞞,今日第三次,又斬了舟之僑。這三個都是有名的宿將,違令必誅,全不輕宥。所以三軍畏服,諸將用命。正所謂:「賞罰不明,百事不成;賞罰若明,四方可行。」此文公所以能伯諸侯也。文公與先軫等商議,欲增軍額,以強其國,又不敢上同天子之六軍,乃假名添作「三行」。以荀林父為中行大夫,先蔑屠擊為左右行大夫。前後三軍三行,分明是六軍,但避其名而已。以此兵多將廣,天下莫比其強。 一日,文公坐朝,正與狐偃等議曹衛之事,近臣奏:「衛國有書到。」文公曰:「此必叔武為兄求寬也。」啟而觀之,書曰: 君侯不泯衛之社稷,許復故君,舉國臣民,咸引領以望高義。惟君侯早圖之! 陳穆公亦有使命至晉,代衛鄭致悔罪自新之意。文公乃各發回書,聽其復歸故國,諭郤步揚不必領兵邀阻。叔武得晉侯寬釋之信,急發車騎如陳,往迎衛侯。陳穆公亦遣人勸駕。公子歂犬謂成公曰:「太叔為君已久,國人歸附,鄰國同盟,此番來迎,不可輕信。」衛侯曰:「寡人亦慮之。」乃遣寧俞先到楚丘,探其實信。寧俞祇得奉命而行。至衛,正值叔武在朝中議政。寧俞入朝,望見叔武設座於殿堂之東,西向而坐。一見寧俞,降坐而迎,敘禮甚恭。寧俞佯問曰:「太叔攝位而不御正,何以示觀瞻耶?」叔武曰:「此正位吾兄所御,吾雖側其傍,尚慄慄不自安,敢居正乎?」寧俞曰:「俞今日方見太叔之心矣。」叔武曰:「吾思兄念切,朝暮懸懸,望大夫早勸君兄還朝,以慰我心也。」俞遂與訂期,約以六月辛未吉日入城。寧俞出朝,採聽人言,但聞得百宮之眾,紛紛議論,言:「故君若復入,未免分別居行二項,行者有功,居者有罪,如何是好?」寧俞曰:「我奉故君來此傳諭爾眾:『不論行居,有功無罪。』如或不信,當歃血立誓。」眾皆曰:「若能共盟,更有何疑!」俞遂對天設誓曰:「行者衛主,居者守國,若內若外,各宣其力。君臣和協,共保社稷,倘有相欺,明神是殛!」眾皆欣然而散,曰:「寧子不欺吾也。」叔武又遣大夫長牂,專守國門,吩咐:「如有南來人到,不拘早晚,立刻放入。」 卻說寧俞回復衛侯,言:「叔武真心奉迎,並無歹意。」衛侯也自信得過了。怎奈歂犬讒毀在前,恐臨時不合,反獲欺謗之罪,又說衛侯曰:「太叔與寧大夫定約,焉知不預作准備,以加害於君?君不如先期而往,出其不意,可必入也。」衛侯從其言,即時發駕。歂犬請為前驅,除宮備難,衛侯許之。寧俞奏曰:「臣已與國人訂期矣。君若先期而往,國人必疑。」歂犬大喝曰:「俞不欲吾君速入,是何主意?」寧俞乃不敢復諫,祇得奏言:「君駕若即發,臣請先行一程,以曉諭臣民,而安上下之心。」衛侯曰:「卿為國人言之,寡人不過欲早見臣民一面,並無他故。」寧俞去後,歂犬曰:「寧之先行,事可疑也。君行不宜遲矣!」衛侯催促御人,並力而馳。 再說寧俞先到國門,長牂詢知是衛侯之使,即時放入。寧俞曰:「君即至矣。」長牂曰:「前約辛未,今尚戊辰,何速也?子先入城報信,吾當奉迎。」寧纔轉身時,歂犬前驅已至,言:「衛侯祇在後面。」長牂急整車從,迎將上去。歂犬先入城去了。時叔武方親督輿隸,掃除宮室,就便在庭中沐髮。聞寧俞報言:「君至。」且驚且喜,倉卒之間,正欲問先期之故,忽聞前驅車馬之聲,認是衛侯已到,心中喜極,髮尚未乾,等不得挽髻,急將一手握髮,疾趨而出,正撞了歂犬。歂犬恐留下叔武,恐其兄弟相逢,敘出前因,遠遠望見叔武到來,遂彎弓搭箭,颼的發去,射個正好。叔武被箭中心窩,望後便倒。寧俞急忙上前扶救,已無及矣。哀哉!元咺聞叔武被殺,吃了一驚,大罵:「無道昏君!枉殺無辜,天理豈能容汝?吾當投訴晉侯,看你坐位可穩?」痛哭了一場,急忙逃奔晉國去了。髯翁有詩云: 堅心守國為君兄,弓矢無情害有情。不是衛侯多忌忮,前驅安敢擅加兵? 卻說成公至城下,見長牂來迎,叩其來意。長牂述叔武吩咐之語,早來早入,晚來晚入。衛侯嘆曰:「吾弟果無他意也!」比及入城,只見寧俞帶淚而來,言:「叔武喜主公之至,不等沐完,握髮出迎,誰知枉被前驅所殺,使臣失信於國人,臣該萬死!」衛侯面有慚色,答曰:「寡人已知夷叔之冤矣!卿勿復言。」趨車入朝,百官尚未知覺,一路迎謁,先後不齊。寧俞引衛侯視叔武之屍,兩目睜開如生。衛侯枕其頭於膝上,不覺失聲大哭,以手撫之曰:「夷叔,夷叔!我因爾歸,爾為我死!哀哉痛哉!」祇見屍目閃爍有光,漸漸而瞑。寧俞曰:「不殺前驅,何以謝太叔之靈?」衛侯即命拘之。時歂犬謀欲逃遁,被寧俞遣人擒至。歂犬曰:「臣殺太叔,亦為君也!」衛侯大怒曰:「汝謗毀吾弟,擅殺無辜,今又歸罪於寡人。」命左右將歂犬斬首號令。吩咐以君禮厚葬叔武。國人初時,聞叔武被殺,議論哄然,及聞誅歂犬,葬叔武,群心始定。 話分兩頭。再說衛大夫元咺,逃奔晉國,見了晉文公,伏地大哭,訴說衛侯疑忌叔武,故遣前驅射殺之事。說了又哭,哭了又說。說得晉文公發惱起來,把幾句好話,安慰了元咺,留在館驛。因大集群君臣問曰:「寡人賴諸卿之力,一戰勝楚。踐土之會,天子下勞,諸侯景從。伯業之盛,竊比齊桓。奈秦人不赴約,許人不會朝,鄭雖受盟,尚懷疑貳之心,衛方復國,擅殺受盟之弟。若不再申約誓,嚴行誅討,諸侯雖合必離,諸卿計將安出?」先軫進曰:「徵會討貳,伯主之職。臣請厲兵秣馬,以待君命。」狐偃曰:「不然。伯主所以行乎諸侯者,莫不挾天子之威。今天子下勞,而君之覲禮未修,我實有缺,何以服人?為君計,莫若以朝王為名,號召諸侯,視其不至者,以天子之命臨之。朝王,大禮也。討慢王之罪,大名也。行大禮而舉大名,又大業也。君其圖之!」趙衰曰:「子犯之言甚善。然以臣愚見,恐入朝之舉,未必遂也。」文公曰:「何為不遂?」趙衰曰:「朝覲之禮,不行久矣。以晉之強,五合六聚,以臨京師,所過之地,誰不震驚?臣懼天子之疑君而謝君也。謝而不受,君之威褻矣。莫若致王於溫,而率諸侯以見之。君臣無猜,其便一也。諸侯不勞,其便二也。溫有叔帶之新宮,不煩造作,其便三也。」文公曰:「王可致乎?」趙衰曰:「王喜於親晉,而樂於受朝,何為不可?臣請為君使於周,而商入朝之事,度天子之計,亦必出此。」文公大悅,乃命趙衰如周,謁見周襄王,稽首再拜,奏言:「寡君重耳,感天王下勞錫命之恩,欲率諸侯至京師,修朝覲之禮,伏乞聖鑒!」襄王嘿然。命趙衰就使館安歇。即召王子虎計議,言:「晉侯擁眾入朝,其心不測,何以辭之?」子虎對曰:「臣請面見晉使而探其意,可辭則辭。」子虎辭了襄王,到館驛見了趙衰,敘起入朝之事。子虎曰:「晉侯倡率諸姬,尊獎天子,舉累朝廢墜之曠典,誠王室之大幸也!但列國鱗集,行李充塞,車徒眾盛,士民目未經見,妄加猜度,訛言易起,或相譏訕,反負晉侯一片忠愛之意,不如已之。」趙衰曰:「寡君思見天子,實出至誠。下臣行日,已傳檄各國,相會於溫邑取齊。若廢而不舉,是以王事為戲也。下臣不敢復命。」子虎曰:「然則奈何?」趙衰曰:「下臣有策於此,但不敢言耳。」子虎曰:「子餘有何良策?敢不如命!」趙衰曰:「古者,天子有時巡之典,省方觀民。況溫亦畿內故地也。天子若以巡狩為名,駕臨河陽,寡君因率諸侯以展覲。上不失王室尊嚴之體,下不負寡君忠敬之誠。未知可否?」子虎曰:「子餘之策,誠為兩便。虎即當轉達天子。」子虎入朝,述其語於襄王。襄王大喜。約於冬十月之吉,駕幸河陽。趙衰回復晉侯。晉文公以朝王之舉,播告諸侯,俱約冬十月朔,於溫地取齊。 至期,齊昭公潘,宋成公王臣,魯僖公申,蔡莊公甲午,秦穆公任好,鄭文公捷,陸續俱到。秦穆公言:「前此踐土之會,因憚路遠後期,是以不果。今番願從諸侯之後。」晉文公稱謝。時陳穆公款新卒,子共公朔新立,畏晉之威,墨衰而至。邾莒小國,無不畢集。衛侯鄭自知有罪,意不欲往。寧俞諫曰:「若不往,是益罪也,晉討必至矣。」成公乃行。寧俞與鍼莊子士榮,三人相從。比至溫邑,文公不許相見,以兵守之。惟許人終於負固,不奉晉命。總計晉、齊、宋、魯、蔡、秦、鄭、陳、邾、莒,共是十國,先於溫地敘會。不一日,周襄王駕到,晉文公率眾諸侯迎至新宮駐蹕。上前起居,再拜稽首。次日五鼓,十路諸侯,冠裳佩玉,整整齊齊,舞蹈揚塵,鏘鏘濟濟。方物有貢,各伸地主之儀;就位惟恭,爭睹天顏之喜。這一朝,比踐土更加嚴肅。有詩為證: 衣冠濟濟集河陽,爭睹雲車降上方。虎拜朝天鳴素節,龍顏垂地沐恩光。酆宮勝事空前代,郟鄏虛名慨下堂。雖則致王非正典,託言巡狩亦何妨? 朝禮既畢,晉文公將衛叔武冤情,訴於襄王,遂請王子虎同決其獄。襄王許之。文公邀子虎至於公館,賓主敘坐。使人以王命呼衛侯。衛侯囚服而至。衛大夫元咺亦到。子虎曰:「君臣不便對理,可以代之。」乃停衛侯於廡下。寧俞侍衛侯之側,寸步不離。鍼莊子代衛侯,與元咺對理;士榮攝治獄之官,質正其事。元咺口如懸河,將衛侯自出奔襄牛起首,如何囑咐太叔守國,以後如何先殺元角,次殺太叔,備細鋪敘出來。鍼莊子曰:「此皆歂犬讒譖之言,以致衛君誤聽,不全繇衛君之事。」元咺曰:「歂犬初與咺言,要擁立太叔。咺若從之,君豈得復入?只為咺仰體太叔愛兄之心,所以拒歂犬之請,不意彼反肆離間。衛君若無猜忌太叔之意,歂犬之譖,何由而入?咺遣兒子角,往從吾君,正是自明心跡,本是一團美意,乃無辜被殺。就他殺吾子角之心,便是殺太叔之心了。」士榮折之曰:「汝挾殺子之怨,非為太叔也。」元咺曰:「咺常言:『殺子私怨,守國大事。』咺雖不肖,不敢以私怨而廢大事。當日太叔作書致晉,求復其兄,此書稿出於咺手。若咺挾怨,豈肯如此?只道吾君一時之誤,還指望他悔心之萌,不意又累太叔受此大枉。」士榮又曰:「太叔無篡位之情,吾君亦已諒之。誤遭歂犬之手,非出君意。」元咺曰:「君既知太叔無篡位之情,從前歂犬所言,都是虛謬,便當加罪;如何又聽他先期而行?比及入國,又用為前驅,明明是假手歂犬,難言不知。」鍼莊子低首不出一語。士榮又折之曰:「太叔雖受枉殺,然太叔臣也,衛侯君也。古來人臣,被君枉殺者,不可勝計。況衛侯已誅歂犬,又於太叔加禮厚葬,賞罰分明,尚有何罪?」元咺曰:「昔者桀枉殺關龍逢,湯放之。紂枉殺比干,武王伐之。湯與武王,並為桀紂之臣子,目擊忠良受枉,遂興義旅,誅其君而弔其民。況太叔同氣,又有守國之功,非龍逢比干之比。衛不過侯封,上制於天王,下制於方伯,又非桀紂貴為天子,富有四海之比。安得云無罪乎?」士榮語塞,又轉口曰:「衛君固然不是,汝為其臣,既然忠心為君,如何君一入國,汝便出奔?不朝不賀,是何道理?」元咺曰:「咺奉太叔守國,實出君命;君且不能容太叔,能容咺乎?咺之逃,非貪生怕死,實欲為太叔伸不白之冤耳!」 晉文公在座,謂子虎曰:「觀士榮元咺往復數端,種種皆是元咺的理長。衛鄭乃天子之臣,不敢擅決,可先將衛臣行刑。」喝教左右:「凡相從衛君者,盡加誅戮。」子虎曰:「吾聞寧俞,衛之賢大夫,其調停於兄弟君臣之間,大費苦心,無如衛君不聽何?且此獄與寧俞無干,不可累之。士榮攝為士師,斷獄不明,合當首坐。鍼莊子不發一言,自知理曲,可從末減。惟君侯鑒裁!」文公依其言,乃將士榮斬首,鍼莊子刖足,寧俞姑赦不問。衛侯上了檻車,文公同子虎帶了衛侯,來見襄王,備陳衛家君臣兩造獄詞:「如此冤情,若不誅衛鄭,天理不容,人心不服。乞命司寇行刑,以彰天罰!」襄王曰:「叔父之斷獄明矣;雖然,不可以訓。朕聞:『《周官》設兩造以訊平民,惟君臣無獄,父子無獄。』若臣與君訟,是無上下也。又加勝焉,為臣而誅君,為逆已甚!朕恐其無以彰罰,而適以教逆也。朕亦何私於衛哉?」文公惶恐謝曰:「重耳見不及此。既天王不加誅,當檻送京師,以聽裁決。」文公仍帶衛侯,回至公館,使軍士看守如初。一面打發元咺歸衛,聽其別立賢君,以代衛鄭之位。元咺至衛,與群臣計議,詭言:「衛侯已定大辟,今奉王命,選立賢君。」群臣共舉一人,乃是叔武之弟名適,字子瑕,為人仁厚。元咺曰:「立此人,正合『兄終弟及』之禮。」乃奉公子瑕即位。元咺相之。司馬瞞、孫炎、周歂、冶廑一班文武相助。衛國粗定。畢竟衛事如何結束,且看下回分解。
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