東周列國志第六十八回 虒祁を賀して師曠が新声を弁ずる/家財を散じて陳氏が斉国を買う (賀虒祁師曠辨新聲 散家財陳氏買齊國)
楚霊王の細腰の癖
- さて楚の霊王にはある一つの奇妙な癖があった。細い腰をことのほか好み、男女を問わず、腰回りの太い者を見ると、まるで目の上のこぶのように嫌うのである。すでに章華の宮を完成させると、腰の細い美女を選んでそこに住まわせたので、これによりまた細腰宮とも呼ばれた。宮女たちは王の寵愛を得ようと、食を減らし飢えを我慢して腰を細くしようとし、なかには餓死しても後悔しない者さえいた。国人もこれに感化され、皆腰が太いことを醜いこととし、あえて満腹まで食べようとしなくなった。百官が朝廷に参内する際にも、皆柔らかい帯できつく腰を締め、王の嫌悪を招かないようにした。霊王は細腰宮に執着し、日夜そこで酒に酔いしれ、管弦の音は昼夜絶えることがなかった。
申無宇と門番の逸話
- ある日、台に登って楽を奏し、ちょうど宴の最中であったとき、突然台の下から騒がしい声が聞こえてきた。しばらくして、潘子臣がある官員を連れて前に来た。霊王が見ると、それは芋尹申無宇であった。霊王は驚いてその理由を尋ねた。潘子臣は奏上した。「無宇は王命によらず勝手に王宮に押し入り、勝手に守衛の者を捕らえました。無礼この上ないことです。責任は私にありますので、拘束して連れて参りました。どうか我が王のご裁断をお願いいたします。」
- 霊王は申無宇に尋ねた。「お前が捕らえたのは誰なのか。」申無宇は答えた。「私の門番でございます。門番を任せていたところ、塀を越えて私の酒器を盗み、事が発覚すると逃げ隠れておりました。一年余り探しても見つかりませんでしたが、今回王宮に紛れ込み、身分を偽って守衛になりすましていたので、私はこれを捕らえたのです。」霊王は「寡人のために宮を守っているのなら、赦してやってもよかろう」と言った。
- 申無宇は答えた。「天には十の太陽があるように、人には十の等級がございます。王より下、公・卿・大夫・士・皂・輿・僚・僕・臺と、互いに臣として仕え、上をもって下を制し、下をもって上に仕え、上下が互いに支え合ってこそ、国は乱れないものです。私に門番がいながら、私自身がその法を行うことができず、王宮を借りて身を隠すことができるようであれば、いったん身を隠す場所を得さえすれば、盗賊は公然とはびこり、それをまた誰が禁じられましょうか。私は死んでも、命には従いかねます。」霊王は「卿の言うことはもっともだ」と言い、そこで門番を無宇に引き渡し、その勝手に捕らえた罪も免除した。無宇は礼を述べて退出した。
魯昭公の来朝と大屈の弓
- 数日して、大夫の薳啟疆が魯の昭公を招いて到着させ、楚の霊王は大いに喜んだ。啟疆は奏上した。「魯侯は最初なかなか行こうとされませんでしたが、私が、魯の先君成公と我が楚の先代の大夫嬰斉とが蜀で結んだ好誼のことを何度も述べ、攻伐に及ぶことをちらつかせて脅したところ、ようやく恐れて身支度をなさいました。魯侯は礼儀に習熟しておられますので、我が王もどうかご留意なさり、魯に笑われることのないようになさってください。」
- 霊王は「魯侯の容貌はどのようなものか」と尋ねた。啟疆は「色白で背が高く、髭は一尺余りも垂れ、威儀はまことに見ごたえがございます」と答えた。霊王はそこでひそかにある命令を伝え、国中から背が高く髭の長い、目立つ大男を十人厳選し、その衣冠を立派に整えさせ、三日間礼儀を習わせて、儐相(接待役)とし、その後で自ら魯侯を引見した。
- 魯侯はこれを目にして、思わず驚き戸惑った。そのまま一同で章華の宮を見物し、魯侯は土木の壮麗さを見て、称賛の言葉を絶やさなかった。霊王は「中原の国にもこのような立派な宮室がおありか」と尋ねた。魯侯は腰をかがめて答えた。「わが国は狭小でございます、どうして中原の国の万分の一にも及びましょうか。」霊王は得意げな顔をした。そのまま章華の台に登った。台の高さはどれほどであったろうか。(詩:章華台の高く聳える壮大な様子を詠う内容)
- 台の勢いは高く険しく曲がりくねり、幾層も巡って上へと続き、各層には明るい廊下と曲がりくねった欄干があった。あらかじめ選ばれた楚の美童たちは、二十歳以内の者ばかりで、装いは鮮やかで婦人にも似た様子であり、手に彫刻を施した盆や玉の杯を捧げ持ち、郢の歌を歌って酒を勧め、金石糸竹の楽器の音が、あちこちで盛んに響き合った。頂上に登りきると、楽の音は高く澄んで天際に響き渡り、盃と算木が乱れ交わり、香の匂いが漂い、まるで神仙の住む洞窟に迷い込んだかのようで、魂を奪われ、自分が人間の世にいることさえ忘れてしまうほどであった。大いに酔って別れる際、霊王は魯侯に「大屈」の弓を贈った。「大屈」とは弓の名で、楚の宝物庫に収められた名弓であった。
薳啟疆、弓を取り戻す
- 翌日、霊王は心の中でその弓を手放したことを惜しみ、後悔の念を薳啟疆に語った。啟疆は「私が魯侯にその弓を楚へ返させることができましょう」と言った。啟疆は魯侯の宿舎を訪ね、何も知らぬふりをして尋ねた。「わが君は昨日の宴のよしみで、何をあなた様にお贈りになりましたか。」魯侯は弓を取り出して見せた。啟疆はその弓を見ると、すぐに再拝して祝賀の意を述べた。魯侯は「たかが一張りの弓に、なぜそれほどまでにお祝いを言われるのか」と言った。啟疆は言った。「この弓は天下に名高いもので、斉・晋・越の三国が皆人を遣わして求めましたが、わが君はどこにも厚薄をつけがたく、いまだお許しになったことはありません。今こうして特別にあなた様に授けられたのです。かの三国はやがて魯を頼りにこれを求めてくるでしょう、魯はこの三つの隣国に備え、慎んでこの宝を守らねばなりません。お祝いを言わずにいられましょうか。」
- 魯侯は驚いた様子で「寡人はこれが宝物であるとは知らなかった、そのようなものをどうして受け取ったままでいられようか」と言い、使者を遣わして楚へその弓を返し、そのまま帰国の途についた。伍挙はこれを聞いて嘆いた。「我が王も、その終わりを全うできぬのではあるまいか。落成の祝いにと諸侯を招いたのに、来た者はいなかった。ただ魯侯だけが辱くもお越しくださったのに、一張りの弓さえ惜しんで、甘んじて信義を失ってしまわれた。人は、自分のものを手放すことができなければ、必ず他人のものを奪うことになる。他人のものを奪えば必ず多くの怨みを買う。滅びの日も遠くはあるまい。」これは周の景王十年の出来事である。
晋の虒祁宮造営
- さて晋の平公は、楚が章華の宮をもって諸侯を招集したと聞き、諸大夫に言った。「楚は蛮夷の国でありながら、宮室の壮麗さをもって諸侯に誇示できるというのに、晋がかえって及ばないでよいものか。」大夫の羊舌肹が進み出て言った。「覇者が諸侯を心服させるのは、徳によるとは聞きますが、宮室によるとは聞いたことがありません。章華の築造は、楚が徳を失ったということです、主君はどうしてこれをまねようとなさるのですか。」平公は聞き入れず、そこで曲沃の汾水のほとりに、おおよそ章華の制にならって宮室を築いた。規模は及ばぬものの、その精美さは章華をしのぎ、虒祁の宮と名づけた。同じく使者を遣わして諸侯に布告した。髯翁に詩があって嘆いていう――(詩:章華の宮が万民の怨みを積んだのに、それに輪をかけて虒祁の宮を築いて誇示した晋の愚かさを嘆く内容)
- 列国は落成の命を聞くと、皆ひそかにこれを嘲笑したが、そうはいってもあえて使者を遣わし祝賀しないわけにはいかなかった。ただ鄭の簡公は先に楚の霊王の会に赴いたため、まだ晋に朝見しておらず、衛の霊公は新たに即位したばかりで、まだ晋侯にまみえていなかった。それで両国の君主は自ら晋に赴くこととなった。二国のうちでは衛君が先に到着した。
衛霊公と濮水の新しい調べ(師涓)
- 衛の霊公が濮水のほとりに至り、夜、駅舎に宿ったとき、真夜中になっても眠ることができず、耳の中に琴を弾く音が聞こえるような気がした。そこで衣を纏って起き上がり、枕にもたれてこれを聞いた。その音はごくかすかであったが、澄み渡って聞き分けられ、これまでの楽師の誰も奏でたことのない、まったく新しい調べであった。左右の者に尋ねてみたが、皆「聞こえません」と言った。霊公はもともと音楽を好み、師涓という太師があり、新しい調べを作ることに巧みで、四季それぞれの曲を作ることができ、霊公はこれを寵愛して、出入りには必ず随行させていた。そこで左右の者に師涓を呼ばせた。師涓が到着したとき、曲はまだ終わっていなかった。霊公は「そなたも試みに聞いてみよ、その様子はどうも鬼神のようだ」と言った。師涓は静かに耳を傾け、しばらくして音がやんだ。師涓は「臣はその大略をつかむことができました。もう一晩お泊まりいただければ、臣はそれを書き取ることができましょう」と言った。霊公はそこでもう一晩留まり、真夜中になるとその音はまた聞こえてきた。師涓は琴を手に取ってこれを習い、ついにその妙をことごとく会得した。
虒祁台の宴(師曠と師涓の演奏)
- 晋に到着し、朝賀の礼が終わると、平公は虒祁の台で宴を設けた。酒がほどよく回った頃、平公は「かねてより衛には師涓という者がいて新しい調べを作るのが巧みだと聞くが、今回一緒に連れて来ておられるか」と言った。霊公は立ち上がって答えた。「今、台の下におります。」平公は「ためしに寡人のために呼び寄せてくれぬか」と言った。霊公は師涓を台に登らせた。
- 平公もまた師曠を呼び、師曠は付き添いの者に支えられてやって来た。二人は階段の下でぬかずいて拝謁した。平公は師曠に座を賜り、師涓を曠の傍らに座らせた。平公は師涓に「近ごろ何か新しい調べがあるか」と尋ねた。師涓は「途中でたまたま耳にしたものがございます、琴を賜ってこれを弾いてみたく存じます」と奏上した。平公は左右の者に机を用意させ、古い桐の琴を取り寄せて師涓の前に置かせた。涓はまず七弦を調え、その後で指を弾いて奏でた。わずか数音を奏でただけで、平公は「善い」と称えた。
- 曲が半ばに至らぬうちに、師曠はにわかに手で琴を押さえて言った。「お待ちください。これは亡国の音でございます、奏でるべきではございません。」平公は「なぜそう分かるのか」と尋ねた。師曠は奏上した。「殷の末、延という名の楽師がいて、紂王のためにしまりのない淫らな楽を作りました。紂王はこれを聴いて疲れを忘れるほどでしたが、これがまさにこの音でございます。武王が紂を伐つに及び、師延は琴を抱いて東へ逃げ、自ら濮水に身を投げました。以来、音楽を好む者がこの地を過ぎると、その音はきまって水中から響いてくるといいます。涓が途中で耳にしたのは、必ずやこの濮水のほとりでのことでございましょう。」衛の霊公は密かに驚異の念を抱いた。
- 平公はさらに「これは前代の楽であるが、奏でて何の障りがあろうか」と尋ねた。師曠は「紂は淫らな楽にふけって国を滅ぼしました、これは不祥の音でございます、ゆえに奏でるべきではないのです」と言った。平公は「寡人が好むのは新しい調べだ。涓よ、寡人のためにこれを弾き終えてくれ」と言った。師涓は改めて弦の調子を整え、抑揚を込めた調べを備え、訴えるようにまた泣くように奏でた。平公は大いに喜び、師曠に「この曲は何という調べか」と尋ねた。師曠は「これはいわゆる『清商』でございます」と言った。平公は「清商はもっとも悲しい調べであるか」と尋ねた。師曠は「清商は悲しいとはいえ、『清徴』には及びません」と言った。
- 平公は「清徴を聴かせてもらえるか」と言った。師曠は「なりませぬ。昔『清徴』を聴いた者は、皆徳義を備えた君主でございました。今、主君は徳が薄うございます、この曲をお聴きになるべきではございません」と言った。平公は「寡人は新しい調べを大変好んでいる、そなたは辞退してはならぬ」と言った。師曠はやむを得ず、琴を手に取って奏でた。一奏すると、玄鶴(黒い鶴)の一群が南方から飛来し、次第に宮門の棟に集まり、数えると八対いた。再び奏でると、その鶴は飛び鳴きながら、台の階段の下に左右それぞれ八羽ずつ並んで立った。三たび奏でると、鶴は首を伸ばして鳴き、羽を広げて舞い、その音は宮商の調べに合い、その声は天の彼方にまで達した。
- 平公は手を打って大いに喜び、満座の者は皆歓喜し、台の上も下も、見物する者は皆躍り上がって奇なりと称えた。平公は白玉の杯を取り寄せ、芳醇な酒をなみなみと注いで、自ら師曠に賜り、曠はこれを受けて飲んだ。平公は嘆いて「音楽が『清徴』に至れば、これ以上のものはあるまい」と言った。師曠は「『清角』にはまだ及びません」と言った。
- 平公は大いに驚き、「『清徴』よりもさらに優れたものがあるというのか。どうして寡人にもそれを聴かせてくれぬのか」と言った。師曠は言った。「『清角』は『清徴』に比べられるものではございません、臣はあえて奏でることができません。昔、黄帝が泰山で鬼神を大いに集めた際、象の車に乗り蛟龍を御し、畢方が車の左右に並び、蚩尤が先頭に立ち、風伯が塵を払い、雨師が道に水をまき、虎狼が先駆けを務め、鬼神が後に従い、螣蛇は地に伏し、鳳凰は上に覆いかぶさり、鬼神を大いに集めて『清角』を作りました。それ以来、君主の徳は日に日に薄くなり、鬼神を服させるには足らず、神と人とは隔絶してしまいました。もしこの曲を奏でれば、鬼神がことごとく集まり、禍いはあっても福はございません。」
- 平公は「寡人はもう老いた。まことに一度『清角』を聴くことができれば、たとえ死んでも悔いはない」と言った。師曠は固く辞退した。平公は立ち上がり、何度も強いた。師曠はやむを得ず、再び琴を手に取って奏でた。一奏すると、黒雲が西方から起こり、再び奏でると、突風が激しく吹き荒れ、簾や幕を引き裂き、俎や豆(祭器)を打ち砕き、屋根瓦は乱れ飛び、廊下の柱もことごとく引き抜かれた。しばらくすると、激しい雷が一声鳴り響き、大雨が降り注ぐように降り、台の下は水深数尺に達し、台の中もすべて濡れそぼった。従者たちは驚いて散り散りになり、平公は恐れおののき、霊公とともに廊下の一室に身を伏せた。しばらくして、風はやみ雨は止み、従者たちがようやく集まり、両君を支えて台を下りて去っていった。
平公の夢と黄能・子産の解釈
- その夜、平公はこの恐ろしい思いをして、そのまま動悸の病を得た。夢の中である物を見た。色は黄色で、車輪ほどの大きさがあり、よろよろと近づいてきて、まっすぐ寝室の門に入ってきた。よく見ると、その形はスッポンのようで、前足が二本、後ろ足が一本あり、その通った跡には水が湧き出た。平公は「怪しいことよ」と大声で叫び、はっと目を覚まし、動悸がおさまらなかった。夜明けになると、百官が寝室の門に集まって安否を尋ねた。平公は夢に見たことを群臣に語ったが、誰もこれを解き明かせる者がいなかった。
- しばらくして、駅からの使いが「鄭君が朝賀のために、すでに旅館に到着されました」と報告した。平公は羊舌肹を遣わして労わせた。羊舌肹は喜んで「主君の夢の意味が明らかになりましょう」と言った。人々がその理由を尋ねると、羊舌肹は言った。「私は鄭の大夫子産が博学多聞であると聞いております、鄭伯が礼を行うにあたっては、必ずこの人物を介添え役(相)に用いるはずですから、私が問うてみましょう。」
- 肹は旅館に至って贈り物を届け、あわせて晋君の意向を伝え、病中のため対面できないことを告げた。時に衛の霊公もまた同時にこの恐ろしい思いをしたため、軽い病を理由に帰国を告げていた。鄭の簡公もまたそのまま辞去して帰り、ただ公孫僑だけが留まって平公の病状を見守った。
- 羊舌肹は尋ねた。「わが君は夢の中で、スッポンのような物を見られました。黄色い体に三本の足で、寝室の門に入ってきたのですが、これは何の祟りでございましょうか。」公孫僑は言った。「私が聞くところでは、三本足のスッポンは『能』という名を持ちます。昔、禹の父である鯀は、治水に功をなせず、舜が堯の政を摂ったとき、鯀を東海の羽山で誅殺し、その一本の足を切り落としましたが、その神は『黄能』となって、羽淵に入ったといいます。禹が帝位に即くと、その神を郊祀いたしました。三代このかた、その祭祀は絶えたことがございません。今、周の王室は衰えようとしており、政は盟主にございます、天子を助けて百神を祀るべきでしょう。主君はもしやまだこれをお祀りになっていないのではございませんか。」
- 羊舌肹はその言葉を平公に伝えた。平公は大夫の韓起に命じ、郊祀の礼をもって鯀を祀らせた。平公の病はいくらか落ち着き、嘆いて「子産は真にものをよく知る君子であるな」と言い、莒国が貢いだ方鼎をこれに賜った。公孫僑は鄭へ帰ろうとする際、密かに羊舌肹に言った。「主君は民の苦しみを顧みず、楚人の奢侈をまねようとしておられます、心はすでに歪んでしまっています。病はまた起こるでしょう、どうにもなりますまい。私が先ほど答えたことは、方便でその心を安んじたにすぎません。」
石言の怪異
- その頃、ある人が早朝に魏楡の地を通りかかった折、山の下で数人が語り合うような声を聞いた。晋の事について論じているようであった。近づいて見てみると、ただの頑丈な石が十数個あるだけで、人影は一人もなかった。通り過ぎるとまた声が前のように聞こえてきた。急いで振り返って見ると、声は石から出ていた。その人は大いに驚き、里の人に語った。里の人は「私どもが石が物を言うのを聞いてもう数日になります。あまりに怪しい事なので、あえて口には出しませんでした」と言った。この話は絳州に伝え広まった。
- 平公は師曠を呼んで「石がどうして物を言えるのか」と尋ねた。曠は答えた。「石が物を言えるわけではございません、鬼神が憑いているのでございます。そもそも鬼神は民を頼りとするものです、怨みの気が民の間に積もれば、鬼神も安らかではいられず、鬼神が安らかでなければ、妖異が現れます。今、主君は宮室を飾り立て、民の財力を尽くしておられます、石が物を言うのはこのあたりに原因があるのではございますまいか。」平公は黙り込んでしまった。師曠は退出すると、羊舌肹に言った。「神は怒り民は怨んでいる、主君の命はもう長くはあるまい。奢侈の心の発端は、実に楚に始まったが、楚君の禍いも、日を数えて待つことができよう。」
平公の薨去と昭公の即位
- 一月余り経つと、平公の病は再発し、ついに癒えぬまま薨じた。虒祁の宮を築いてから薨去の日まで、三年にも満たず、しかもその間ずっと病に苦しみ、無駄に民を害しただけで、安らかに享楽することもできなかった、なんとも笑うべきことである。史臣に詩があっていう――(詩:新しい調べを奏でるために高台広殿を築き、民の膏血を尽くして怨みを募らせたこと、物の怪と神の妖異が命を促し、虒祁の宮が空しく費やされた経緯を嘆く内容)
- 平公が薨じた後、群臣は世子夷を奉じて位を継がせた、これが昭公である。この話はここまでにしておく。
斉・欒高と陳鮑の内訌
- さて斉の大夫高彊は、その父高蠆が高止を追放し、閭邱嬰を讒言して殺してからというもの、朝廷中の者は皆この事を不服に思っていた。彊が大夫を継ぐと、年若く酒を好み、欒施もまた酒を好んだので、互いにたいへん気が合い、陳無宇・鮑国とは次第に疎遠になり、四氏族はついに二つの党派に分かれてしまった。
- 欒・高の二人はいつも集まって酒を飲むたびに、酔ったあとで陳・鮑両家の長短を口にした。陳・鮑はこれを聞いて、次第に疑いと猜疑心を募らせた。ある日、高彊が酔った勢いで下男を鞭打ち、欒施もこれに加勢した。下男は恨みを抱き、夜のうちに陳無宇のもとへ走って告げた。「欒・高は一族の兵を集めて、陳・鮑の両家を明日にも襲撃するつもりです。」さらに鮑国にも走って告げ、鮑国はこれを信じた。急いで下男を遣わして陳無宇に相談を持ちかけ、共に欒・高を攻めることにした。
- 無宇は一族の者に武装させ、すぐに車に乗り、鮑国の家へ向かおうとした。途中で高彊に出会ったが、彼もまた車に乗ってやって来るところであった。彊はすでに半ば酔っており、車の中から無宇に両手を組んで礼をし、「甲を率いてどちらへ」と尋ねた。無宇はごまかして「叛いた奴隷を討伐しに行くところです」と答えた。また「子良(高彊)はどちらへ」と尋ねると、彊は「私は欒氏の家で酒を飲みに行くところだ」と答えた。別れると、無宇は御者に急いで馬を走らせ、まもなく鮑家の門に到着した。
- 見ると兵士たちがひしめき、戈と甲冑が森然と立ち並び、鮑国もまた甲をまとい弓を手にして、まさに車に乗ろうとしているところであった。二人は一つに合流して相談した。無宇は子良の言葉を伝えた。「『欒氏の家で酒を飲む』とのことでしたが、本当かどうか分かりません、人を遣わして探らせましょう。」鮑国は使いを欒氏に遣わして様子をうかがわせ、戻って報告させた。「欒・高の両大夫は、皆衣を脱ぎ冠を外し、あぐらをかいて酒盛りをしておられます。」鮑国は「下男の話はでたらめだったのだな」と言った。
- 無宇は言った。「下男の言葉は事実ではないとしても、子良は途中で私が甲兵を率いているのを見て、どこへ行くのかと尋ねてきた。私はごまかして『叛いた奴隷を討伐する』と答えた。今、討伐すべき相手がいないとなれば、彼はきっと疑いを抱くだろう。もし先に私たちを追い落とそうと謀るようなことになれば、後悔しても及ばぬ。むしろ彼らが酒を飲んで油断しているうちに、こちらから先に襲いかかったほうがよい。」鮑国は「よかろう」と言った。
- 両家の甲士は同時に出発し、無宇が先頭に立ち、鮑国が後を守り、欒氏の家に攻め寄せ、前後の門を幾重にも取り囲んだ。欒施はちょうど大きな杯を手にして酒を飲もうとしていたところ、陳・鮑両家の兵が来たと聞き、思わず杯を取り落とした。高彊は酔ってはいたが、なお三分の判断力を保っており、欒施に言った。「急いで一族の者を集め、甲を身につけて朝廷に入り、主君を奉じて陳・鮑を討伐しよう、そうすればきっと勝てる。」欒施は一族をことごとく集めた。高彊が先頭に立ち、欒施が後ろに続き、裏門から突き出て、血路を切り開き、まっすぐ君主の宮殿へと攻め上がった。
- 陳無宇と鮑国は、彼らが斉侯を擁してその権威を笠に着ることを恐れ、しっかりと追跡した。高氏の一族はこの変事を聞いて、彼らも兵を集めて助けに駆けつけた。景公は宮中にいて、四氏族が甲兵を率いて互いに攻め合っていると聞き、事の起こりも分からぬまま、急いで門番に虎門を固く閉じさせ、宮中の兵にこれを守らせた。内侍を遣わして晏嬰を宮中に呼び入れさせた。欒施と高彊は虎門を攻めたが入ることができず、門の右側に陣を敷いた。陳・鮑の兵は門の左側に陣を敷き、両者はにらみ合った。
- しばらくして、晏嬰は端冕と委弁(正装)を身につけ、車を駆って到着した。四氏族は皆人を遣わして彼を招いたが、嬰はいずれにも構わず、使者に「私はただ主君の命に従うのみ、自らの都合で動くことはない」と言った。門番が門を開き、晏嬰は入って謁見した。景公は「四氏族が互いに攻め合い、兵は路寝(正殿)の門にまで及んでいる、どうすればよいか」と言った。
- 晏嬰は奏上した。「欒・高は代々受け継いだ寵愛を頼みとし、専横な振る舞いをしてはばからないこと、すでに一日二日のことではございません。高止の追放、閭邱嬰の死は、国人皆が怨んでおりますが、今また路寝の門にまで攻め寄せた罪は、まことに許しがたいものです。ただし陳・鮑もまた主君の命を待たずして、勝手に兵を興したのですから、罪がないとは申せません。どうか主君のご裁断を。」景公は「欒・高の罪は、陳・鮑よりも重い、これを除くべきだ。誰にその討伐の任を当たらせるべきか」と言った。晏嬰は「大夫の王黒がよろしいでしょう」と答えた。
- 景公は命を伝え、王黒に公室の兵を率いさせ、陳・鮑を助けて欒・高を攻めさせた。欒・高の兵は敗れ、大通りまで退いた。欒・高を憎む国人たちは、皆腕まくりして戦いを助けた。高彊はまだ酔いが覚めておらず、力戦することができなかった。欒施はまず東門へと逃げ、高彊もこれに従った。王黒は陳・鮑とともにこれを追撃し、さらに東門で戦った。欒・高の兵は次第に逃げ散り、ついに門を奪って脱出し、魯国へと出奔した。陳・鮑は両家の妻子を追い出し、その家財を分配した。
陳無宇の施しと陳氏の台頭
- 晏嬰は陳無宇に言った。「あなたは自ら勝手に命を下して代々の家を追放し、さらにその利益を独占されました。人々はあなたを非難することでしょう。分配して得たものを、いっそすべて主君に献上してはどうでしょう。あなたには何の利益もなくとも、人々はあなたを譲徳の人と称えることでしょう、得るところはむしろ多いのです。」無宇は「ご指導ありがとうございます、私は喜んで従いましょう」と言った。そこで分配して得た邑と家財を、ことごとく帳簿に記して景公に献上した。景公は大いに喜んだ。
- 景公の母である夫人孟姫にも、無宇はひそかに贈り物をしていた。孟姫は景公に言った。「陳無宇は強い家々を除き、公室を振るい立たせ、利益を主君に帰しました。その譲徳は無視できません。どうして高唐の邑を彼に賜らないのですか。」景公はその言葉に従い、これより陳氏は富み始めた。
- 陳無宇は善人としての評判を得たいと考え、「かつて高蠆に追放された公子たちは、実際には無実の罪でございました。呼び戻して復帰させるべきです」と言った。景公はもっともだと思った。無宇は主君の命を奉じて子山・子商・子周らを呼び戻した。幄幕や器物、従者たちの衣服や履物に至るまで、すべて自らの家財で用意を整え、人を遣わしてそれぞれ迎えに行かせた。公子たちは故国に帰れることをすでに喜んでいたが、さらに器物がすべて揃っているのを見て、それが陳無宇の贈り物であると知ると、感激してやまなかった。
- 無宇はさらに公室に大いに恩恵を施し、俸禄のない君主の子や孫には、皆自らの俸禄を分け与えた。また国中の貧しい者や身寄りのない者を訪ね求めては、密かに穀物を与えた。貸し付けをするときには、多めに貸して少なめに返させ、貧しくて返せない者には、その証文を焼き捨ててやった。国中の者は皆陳氏の徳を称え、その恩に報いるために命を投げ出すことも辞さないほどであった。史臣論:陳氏がこのように民に厚く施したのは、後日国を移す(斉を簒奪する)ための布石であり、これもまた主君が徳を施さなかったため、臣下が私的な恩恵をもって民心を結びつけることができたからにほかならない。詩にいう――(詩:君主の権威を臣下が私的な恩恵で侵し、それがやがて陳氏による斉の簒奪の計略へとつながっていったことを詠う内容)
- 景公は晏嬰を相国に用い、嬰は民心がすっかり陳氏に帰していることを見て、ひそかに景公にこの事を語り、刑罰を寛大にし租税を軽くし、窮民を助ける施策を起こし、民に恵みを施して人心をつなぎとめるよう勧めた。景公はこれに従うことができなかった。
楚霊王、伍挙と相談し陳の変事へ
- 話は二つに分かれる。さて楚の霊王は章華の宮を完成させたが、落成を祝いに来た諸侯はごくわずかであった。晋が虒祁の宮を築いたと聞くと、諸侯が皆祝賀に赴いたと知り、大いに不平を抱き、伍挙を呼んで相談し、軍を興して中原を侵そうとした。
- 伍挙は言った。「王が徳義をもって諸侯を招かれたのに諸侯が来なかったのであれば、それは諸侯の罪であり、討つ名分が立ちます。土木の壮麗さをもって諸侯を招いておきながら、来ないことを責めるのでは、どうして人を心服させられましょうか。どうしても兵を用いて中原に威を示そうとお考えなら、必ず罪ある者を選んで征伐しなければ、名分が立ちません。」霊王は「今、罪ある者とはどの国か」と尋ねた。
- 伍挙は奏上した。「蔡の世子般はその主君である父を弑してより、今にして九年になります。王が最初に諸侯をお集めになったとき、蔡君が会に来られたため、そのままお咎めなく過ごしてまいりましたが、しかし弑逆の賊は、たとえ子孫であっても法に服させるべきものです、まして本人においてはなおさらです。蔡は楚に近く、もし蔡を討ってその地を併合すれば、義と利の両方を得ることになりましょう。」
- 言い終わらぬうちに、近臣が報せて言った。「陳国から訃報が届きました。陳侯溺(哀公)が薨去され、公子留が跡を継いだとのことです。」伍挙は「陳の世子偃師は諸侯の記録に名が載っております。今、公子留が立てられたとあっては、偃師をどこに置くというのでしょう。私の考えでは、陳国は必ず変事が起こりましょう。」結局のところ陳国の事がどうなるかは、次回に述べることとしよう。
原文(底本)
話說楚靈王有一癖性,偏好細腰,不問男女,凡腰圍粗大者,一見便如眼中之釘。既成章華之宮,選美人腰細者居之,以此又名曰細腰宮。宮人求媚於王,減食忍餓,以求腰細,甚有餓死而不悔者。國人化之,皆以腰粗為醜,不敢飽食。雖百官入朝,皆用軟帶緊束其腰,以免王之憎惡。靈王戀細腰之宮,日夕酣飲其中,管弦之聲,晝夜不絕。 一日,登臺作樂,正在歡宴之際,忽聞臺下喧鬧之聲。須臾,潘子臣擁一位官員至前,靈王視之,乃芋尹申無宇也。靈王驚問其故。潘子臣奏曰:「無宇不由王命,闖入王宮,擅執守卒,無禮之甚。責在於臣,故拘使來見,惟我王詳奪!」靈王問申無宇曰:「汝所執何人?」申無宇對曰:「臣之閽人也。託使守閽,乃踰牆盜臣酒器,事覺逃竄,訪之歲餘不得。今竄入王宮,謬充守卒,臣是以執之。」靈王曰:「既為寡人守宮,可以赦之。」申無宇對曰:「天有十日,人有十等。自王以下,公、卿、大夫、士、皂、輿、僚、僕、臺,遞相臣服,以上制下,以下事上,上下相維,國以不亂。臣有閽人,而臣不能行其法,使借王宮以自庇,苟得所庇,盜賊公行,又誰禁之!臣寧死不敢奉命。」靈王曰:「卿言是也。」遂命以閽人畀無宇,免其擅執之罪。無宇謝恩而出。 越數日,大夫薳啟疆邀請魯昭公至,楚靈王大喜。啟疆奏言:「魯侯初不肯行,臣以魯先君成公與先大夫嬰齊盟蜀之好,再三敘述,脅以攻伐之事,方始懼而束裝。魯侯習於禮儀,願我王留心,勿貽魯笑。」靈王問曰:「魯侯之貌如何?」啟疆曰:「白面長身,鬚垂尺餘,威儀甚可觀也。」靈王乃密傳一令,精選國中長軀長髯,出色大漢十人,偉其衣冠,使習禮三日,命為儐相,然後接見魯侯。魯侯乍見,錯愕不已。遂同遊章華之宮,魯侯見土木壯麗,誇獎之聲不絕。靈王曰:「上國亦有此宮室之美乎?」魯侯鞠躬對曰:「敝邑褊小,安敢望上國萬分之一。」靈王面有驕色。遂陟章華之臺。怎見得臺高?有詩為證: 高臺半出雲,望望高不極﹔草木無參差,山河同一色。 臺勢高峻逶迤,盤數層而上,每層俱有明廊曲檻。預選楚中美童,年二十以內者,裝束鮮麗,略如婦人,手捧雕盤玉斝,唱郢歌勸酒,金石絲竹,紛然響和。既升絕頂,樂聲嘹亮,俱在天際,觥籌交錯,粉香相逐,飄飄乎如入神仙洞府,迷魂奪魄,不自知其在人間矣。大醉而別,靈王贈魯侯以「大屈」之弓。「大屈」者,弓名,乃楚庫所藏之寶弓也。 次日,靈王心中不捨此弓,有追悔之意,與薳啟疆言之。啟疆曰:「臣能使魯侯以弓還歸於楚。」啟疆乃造公館,見魯侯,佯為不知,問曰:「寡君昨宴好之際,以何物遺君?」魯侯出弓示之。啟疆見弓,即再拜稱賀。魯侯曰:「一弓何足為賀?」啟疆曰:「此弓名聞天下,齊晉與越三國,皆遣人相求,寡君嫌有厚薄,未敢輕許。今特傳之於君。彼三國者,將望魯而求之,魯其備禦三鄰,慎守此寶。敢不賀乎?」魯侯蹴然曰:「寡人不知弓之為寶,若此,何敢登受?」乃遣使還弓於楚,遂辭歸。伍舉聞之,嘆曰:「吾王其不終乎!以落成召諸侯,諸侯無有至者,僅一魯侯辱臨,而一弓之不忍,甘於失信。夫不能舍己,必將取人,取人必多怨,亡無日矣。」此周景王十年事也。 卻說晉平公聞楚以章華之宮,號召諸侯,乃謂諸大夫曰:「楚,蠻夷之國,猶能以宮室之美,誇示諸侯,豈晉而反不如耶?」大夫羊舌肹進曰:「伯者之服諸侯,聞以德,不聞以宮室。章年之築,楚失德也,君奈何效之!」平公不聽,乃於曲沃汾水之傍,起造宮室,略仿章華之制,廣大不及,而精美過之,名曰虒祁之宮。亦遣使布告諸侯。髯翁有詩嘆云: 章華築怨萬民愁,不道虒祁復效尤。堪笑伯君無遠計,卻將土木召諸侯! 列國聞落成之命,莫不竊笑其為者,然雖如此,卻不敢不遣使來賀。惟鄭簡公因前赴楚靈王之會,未曾朝晉,衛靈公元新嗣位,未見晉侯,所以二國之君,親自至晉。二國中又是衛君先到。 單表衛靈公行至濮水之上,天晚宿於驛舍,夜半不能成寢,耳中如聞鼓琴之聲,乃披衣起坐,倚枕而聽之。其音甚微,而泠泠可辨,從來樂工所未奏,真新聲也。試問左右,皆曰:「弗聞。」靈公素好音樂,有太師名涓,善製新聲,能為四時之曲,靈公愛之,出入必使相從。乃使左右召師涓。師涓至,曲猶未終。靈公曰:「子試聽之,其狀頗似鬼神。」師涓靜聽,良久聲止。師涓曰:「臣能識其略矣。更須一宿,臣能寫之。」靈公乃復留一宿,夜半,其聲復發。師涓援琴而習之,盡得其妙。 既至晉,朝賀禮畢,平公設宴於虒祁之臺。酒酣,平公曰:「素聞衛有師涓者,善為新聲,今偕來否?」靈公起對曰:「見在臺下。」平公曰:「試為寡人召之。」靈公召師涓登臺。平公亦召師曠,相者扶至。二人於階下叩首參謁。平公賜師曠坐,即令師涓坐於曠之傍。平公問師涓曰:「近日有何新聲?」師涓奏曰:「途中適有所聞,願得琴而鼓之。」平公命左右設几,取古桐之琴,置於師涓之前。涓先將七弦調和,然後拂指而彈。纔奏數聲,平公稱善。曲未及半,師曠遽以手按琴曰:「且止。此亡國之音,不可奏也。」平公曰:「何以見之?」師曠奏曰:「殷末時,樂師名延者,與紂為靡靡之樂,紂聽之而忘倦,即此聲也。及武王伐紂,師延抱琴東走,自投於濮水之中。有好音者過此,其聲輒自水中而出。涓之途中所聞,其必在濮水之上矣。」衛靈公暗暗驚異。平公又問曰:「此前代之樂,奏之何傷?」師曠曰:「紂因淫樂,以亡其國,此不祥之音,故不可奏。」平公曰:「寡人所好者,新聲也。涓其為寡人終之。」師涓重整弦聲,備寫抑揚之態,如訴如泣。平公大悅,問師曠曰:「此曲名為何調?」師曠曰:「此所謂《清商》也。」平公曰:「《清商》固最悲乎?」師曠曰:「《清商》雖悲,不如《清徵》。」平公曰:「《清徵》可得而聞乎?」師曠曰:「不可。古之聽《清徵》者,皆有德義之君也。今君德薄,不當聽此曲。」平公曰:「寡人酷嗜新聲,子其無辭。」師曠不得已,援琴而鼓。一奏之,有玄鶴一群,自南方來,漸集於宮門之棟,數之得八雙。再奏之,其鶴飛鳴,序立於臺之階下,左右各八。三奏之,鶴延頸而鳴,舒翼而舞,音中宮商,聲達霄漢。平公鼓掌大悅,滿坐生歡,臺上臺下,觀者莫不踴躍稱奇。平公命取白玉巵,滿斟醇釀,親賜師曠,曠接而飲之。平公嘆曰:「音至《清徵》,無以加矣!」師曠曰:「更不如《清角》。」平公大驚曰:「更有加於《清徵》者乎?何不并使寡人聽之?」師曠曰:「《清角》更不比《清徵》,臣不敢奏也。昔者黃帝合鬼神於泰山,駕象車而御蛟龍。畢方並轄,蚩尤居前,風伯清塵,雨師灑道,虎狼前驅,鬼神後隨,螣蛇伏地,鳳凰覆上,大合鬼神,作為《清角》。自後君德日薄,不足以服鬼神,神人隔絕。若奏此聲,鬼神畢集,有禍無福。」平公曰:「寡人老矣!誠一聽《清角》,雖死不恨。」師曠固辭。平公起立,迫之再三。師曠不得已,復援琴而鼓。一奏之,有玄雲從西方而起,再奏之,狂風驟發,裂簾幙,摧俎豆,屋瓦亂飛,廊柱俱拔,頃之,疾雷一聲,大雨如注,臺下水深數尺,臺中無不沾濕。從者驚散,平公恐懼,與靈公伏於廊室之間。良久,風息雨止,從者漸集,扶攜兩君下臺而去。 是夜,平公受驚,遂得心悸之病。夢中見一物,色黃,大如車輪,蹣跚而至,逕入寢門。察之,其狀如鱉,前二足,後一足,所至水湧。平公大叫一聲曰:「怪事!」忽然驚醒,怔忡不止。及旦,百官至寢門問安。平公以夢中所見,告之群臣,皆莫能解。須臾,驛使報:「鄭君為朝賀,已到館驛。」平公遣羊舌肹往勞。羊舌肹喜曰:「君夢可明矣。」眾問其故,羊舌肹曰:「吾聞鄭大夫子產,博學多聞,鄭伯相禮,必用此人,吾當問之。」肹至館驛致餼,兼道晉君之意,病中不能相見。時衛靈公亦以同時受驚,有微恙告歸。鄭簡公亦遂辭歸,獨留公孫僑候疾。羊舌肹問曰:「寡君夢見有物如鱉,黃身三足,入於寢門,此何祟也?」公孫僑曰:「以僑所聞,鱉三足者,其名曰『能』。昔禹父曰鯀,治水無功,舜攝堯政,乃殛鯀於東海之羽山,截其一足,其神化為『黃能』,入於羽淵。禹即帝位,郊祀其神。三代以來,祀典不缺。今周室將衰,政在盟主,宜佐天子,以祀百神。君或者未之祀乎?」羊舌肹以其言告於平公。平公命大夫韓起,祀鯀如郊禮。平公病稍定,嘆曰:「子產真博物君子也!」以莒國所貢方鼎賜之。公孫僑將歸鄭,私謂羊舌肹曰:「君不恤民隱,而效楚人之侈,心已僻矣,疾更作,將不可為。吾所對,乃權詞以寬其意也。」其時有人早起,過魏榆地方,聞山下有若數人相聚之聲,議論晉事。近前視之,惟頑石十餘塊,並無一人。既行過,聲復如前。急回顧之,聲自石出。其人大驚,述於土人。土人曰:「吾等聞石言數日矣。以其事怪,未敢言也。」此語傳聞於絳州。平公召師曠問曰:「石何以能言?」曠對曰:「石不能言,乃鬼神憑之耳。夫鬼神以民為依,怨氣聚於民,則鬼神不安,鬼神不安,則妖興。今君崇飾宮室,以竭民之財力,石言其在是乎?」平公嘿然。師曠退,謂羊舌肹曰:「神怒民怨,君不久矣!侈心之興,實起於楚,雖楚君之禍,可計日而俟也。」月餘,平公病復作,竟成不起。自築虒祁宮至薨日,不及三年,又皆病困之中,枉害百姓,不得安享,豈不可笑。史臣有詩云: 崇臺廣廈奏新聲,竭盡民脂怨黷盈。物怪神妖催命去,虒祁空自費經營! 平公薨後,群臣奉世子夷嗣位,是為昭公。此是後話。 再說齊大夫高彊,自其父蠆逐高止,譖殺閭邱嬰,舉朝皆為不平,及彊嗣為大夫,年少嗜酒,欒施亦嗜酒,相得甚歡,與陳無宇鮑國蹤跡少疏,四族遂分為二黨。欒高二人每聚飲,醉後輒言陳鮑兩家長短。陳鮑聞之,漸生疑忌。忽一日,高彊因醉中,鞭扑小豎,欒施復助之。小豎懷恨,乃乘夜奔告陳無宇,言:「欒高欲聚家眾,來襲陳鮑二家,期在明日矣。」復奔告鮑國,鮑國信之。忙令小豎往約陳無宇,共攻欒高。無宇授甲於家眾,即時登車,欲詣鮑國之家。途中遇見高彊,亦乘車而來。彊已半醉,在車中與無宇拱手,問:「率甲何往?」無宇謾應曰:「往討一叛奴耳!」亦問:「子良何往?」彊對曰:「吾將飲於欒氏也。」既別,無宇令輿人速騁,須臾,遂及鮑門。只見車徒濟濟,戈甲森森,鮑國亦貫甲持弓,方欲升車矣。二人合做一處商量。無宇述子良之言:「將飲於欒氏,未知的否,可使人探之。」鮑國遣使往欒氏覘視,回報:「欒高二位大夫,皆解衣去冠,蹲踞而賽飲。」鮑國曰:「小豎之語妄矣。」無宇曰:「豎言雖不實,然子良於途中見我率甲,問我何往,我謾應以將討叛奴。今無所致討,彼心必疑,倘先謀逐我,悔無及矣。不如乘其飲酒,不做准備,先往襲之。」鮑國曰:「善。」兩家甲士同時起行,無宇當先,鮑國押後,殺向欒家,將前後府門,團團圍住。欒施方持巨觥欲吸,聞陳鮑二家兵到,不覺觥墜於地。高彊雖醉,尚有三分主意,謂欒施曰:「亟聚家徒,授甲入朝,奉主公以伐陳鮑,無不克矣。」欒施乃悉聚家眾。高彊當先,欒施在後,從後門突出,殺開一條血路,逕奔公宮。陳無宇鮑國恐其挾齊侯為重,緊緊追來。高氏族人聞變,亦聚眾來救。景公在宮中,聞四族率甲相攻,正不知事從何起,急命閽者緊閉虎門,以宮甲守之。使內侍召晏嬰入宮。欒施高彊攻虎門不能入,屯於門之右﹔陳鮑之甲,屯於門之左,兩下相持。須臾,晏嬰端冕委弁,駕車而至。四家皆使人招之,嬰皆不顧,謂使者曰:「嬰惟君命是從,不敢自私。」閽者啟門,晏嬰入見。景公曰:「四族相攻,兵及寢門,何以待之?」晏嬰奏曰:「欒高怙累世之寵,專行不忌,已非一日。高止之逐,閭邱之死,國人胥怨,今又伐寢門,罪誠不宥。但陳鮑不候君命,擅興兵甲,亦不為無罪也。惟君裁之!」景公曰:「欒高之罪,重於陳鮑,宜去之。誰堪使者?」晏嬰對曰:「大夫王黑可使也。」景公傳命,使王黑以公徒助陳鮑攻欒高,欒高兵敗,退於大衢。國人惡欒高者,皆攘臂助戰。高彊酒猶未醒,不能力戰。欒施先奔東門,高彊從之。王黑同陳鮑追及,又戰於東門。欒高之眾,漸漸奔散,乃奪門而出,遂奔魯國。陳鮑逐兩家妻子,而分其家財。晏嬰謂陳無宇曰:「子擅命以逐世居,又專其利,人將議子。何不以所分得者,悉歸諸公,子無所利,人必以讓德稱子,所得多矣。」無宇曰:「多謝指教!無宇敢不從命。」於是將所分食邑及家財,盡登簿籍,獻於景公。景公大悅。景公之母夫人曰孟姬,無宇又私有所獻。孟姬言於景公曰:「陳無宇誅翦強家,以振公室,利歸於公,其讓德不可沒也。何不以高唐之邑賜之?」景公從其言,陳氏始富。陳無宇有心要做好人,言:「群公子向被高蠆所逐,實出無辜,宜召而復之。」景公以為然。無宇以公命召子山、子商、子周等。凡幄幕器用,及從人之衣屨,皆自出家財,私下完備,遣人分頭往迎。諸公子得歸故國,已自歡喜,及見器物畢具,知是陳無宇所賜,感激無已。無宇又大施恩惠於公室,凡公子公孫之無祿者,悉以私祿分給之。又訪求國中之貧約孤寡者,私與之粟。凡有借貸,以大量出,以小量入﹔貧不能償者,即焚其券。國中無不頌陳氏之德,願為效死而無地也。史臣論:陳氏厚施於民,乃異日移國之漸,亦由君不施德,故臣下得借私恩小惠,以結百姓之心耳。有詩云: 威福君權敢上侵,輒將私惠結民心。請看陳氏移齊計,只為當時感德深。 景公用晏嬰為相國,嬰見民心悉歸陳氏,私與景公言之,勸景公寬刑薄斂,興發補助,施澤於民,以挽留人心。景公不能從。 話分兩頭。再說楚靈王成章華之宮,諸侯落成者甚少,聞晉築虒祁宮,諸侯皆賀,大有不平之意,召伍舉商議,欲興師以侵中原。伍舉曰:「王以德義召諸侯,而諸侯不至,是其罪也。以土木召諸侯,而責其不至,何以服人?必欲用兵以威中華,必擇有罪者征之,方為有名。」靈王曰:「今之有罪者何國?」伍舉奏曰:「蔡世子般弒其君父,於今九年矣。王初合諸侯,蔡君來會,是以隱忍不誅。然弒逆之賊,雖子孫猶當伏法,況其身乎?蔡近於楚,若討蔡而兼其地,則義利兩得矣。」說猶未了,近臣報:「陳國有訃音到,言陳侯溺已薨,公子留嗣位。」伍舉曰:「陳世子偃師,名在諸侯之策﹔今立公子留,置偃師於何地?以臣度之,陳國必有變矣。」畢竟陳事如何,且看下回分解。
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