東周列國志第七十六回 楚の昭王、郢を棄てて西に奔る/伍子胥、墓を掘って屍に鞭打つ (楚昭王棄郢西奔 伍子胥掘墓鞭屍)
武城黒の進言と楚軍の渡江、小別山の初戦
- 沈尹戍が去った後、呉と楚は漢水を挟んで対陣し、数日にらみ合いを続けた。
- 武城黒は令尹(囊瓦)に媚びを売ろうと進言した。「呉人は船を捨てて陸から来ており、彼らの得意とする水戦を捨てています。しかも地理にも通じていません。司馬(沈尹戍)はすでに彼らの敗北を見越しているはずです。今、すでに数日にらみ合ったまま川を渡れずにおり、彼らの士気はすでに弛んでおります。すみやかに攻撃すべきです。」
- 囊瓦の愛将である史皇もこう言った。「楚人は令尹を愛する者は少なく、司馬を愛する者が多いのです。もし司馬が兵を率いて呉の船を焼き、隘路を塞げば、呉を破る功はすべて司馬のものになってしまいます。令尹は官位も高く名も重いのに、たびたび戦に敗れており、今また第一の功を司馬に譲ってしまえば、どうして百官の上に立っていられましょうか。司馬はあなたに代わって政をとることになりましょう。ここは武城将軍(武城黒)の計略に従い、川を渡って一戦を決するのが上策です。」
- 囊瓦はこの言葉に惑わされ、三軍に命じて漢水を渡らせ、小別山に至って陣を構えさせた。
- 史皇が兵を出して戦いを挑むと、孫武は先鋒の夫概にこれを迎え撃たせた。
- 夫概は勇士三百人を選び、いずれも堅木の大棒を持たせ、楚兵に出会うや、頭も何もかまわず滅多打ちにさせた。
- 楚兵はこのような戦い方を見たことがなく、手も足も出ず、呉兵に散々打ちのめされ、史皇は大敗して逃げ帰った。
- 囊瓦は「お前が私に川を渡らせたのに、今戦端を開いたばかりで負けるとは、どの面下げて私に会いに来たのか」と言った。
- 史皇は言った。「戦においては将を斬るまで、攻めては王を捕らえるまでやらぬのは、兵法者の大勇ではありません。今、呉王の本陣は大別山の麓にあります。今夜、不意をついて夜襲をかければ、大功を立てられましょう。」
- 囊瓦はこれに従い、精兵一万を選び、鎧を着けさせ、兵士には枚(ばい)を口にくわえさせて物音を立てぬようにし、自ら間道から大別山の背後へと討って出た。全軍は命令を受け、計画どおりに行動した。
孫武の伏兵と夜襲の返り討ち、薳射の来援と夫概の独断出撃
- 一方、孫武は夫概が初戦で勝利したと聞き、皆で祝賀していた。
- 孫武は言った。「囊瓦は小人物で、功を貪って僥倖を頼む男だ。史皇が少々挫かれたくらいでは大した痛手にはならぬ。今夜必ず本陣を襲いに来るだろう。備えねばならぬ。」
- そこで夫概と専毅にそれぞれ自分の手勢を率いさせ、大別山の左右に伏せさせ、角笛の合図を聞いてから討って出るよう命じた。
- 唐・蔡の二君には、二手に分かれて呼応し救援に討って出るよう命じた。
- また伍員に兵五千を率いさせ、小別山を迂回して逆に囊瓦の本営を襲わせ、伯嚭には呼応して救援に出させた。
- 孫武はさらに公子山に呉王を護衛させ、漢陰山に陣を移させて衝突を避けさせた。
- 本陣には旗印だけを空しく立て並べ、老弱数百人に守らせた。
- 号令が終わり、三更(夜半)になると、囊瓦は果たして精兵を率い、ひそかに山の後ろから回り込んできた。
- 本陣が静まりかえって備えがないのを見て、鬨の声を上げて軍中に攻め込んだが、呉王の姿が見えず、伏兵があるのではと疑い、慌てて逃げ出した。
- 突然角笛が一斉に鳴り響き、専毅・夫概の両軍が左右から挟み撃ちにして飛び出してきた。囊瓦は戦いながら逃げ、兵三分の一を失った。
- ようやく逃げおおせたと思うと、また石を放つ礮(ほう)の音が轟き、右に蔡侯、左に唐侯が現れて両方から遮った。
- 唐侯は大声で叫んだ。「我が肅霜の馬を返せ、さすれば命は助けてやろう!」
- 蔡侯もまた叫んだ。「我が裘(かわごろも)と腰の玉飾りを返せ、さすれば命は助けてやろう!」
- 囊瓦は恥辱と怒り、慌てと恐怖が入り混じり、まさに危急のところ、武城黒が兵を率いて駆けつけ、大いに戦って囊瓦を救い出した。
- 数里も行った頃、小別山の自陣を守っていた小勢の兵が報告に来た。「我が方の本営はすでに呉将伍員に襲われ、史将軍は大敗し、行方が知れません。」
- 囊瓦は肝も心も潰れる思いで、敗残兵を率いて夜通し走り続け、柏挙に至ってようやく足を止めた。
- しばらくして史皇も残兵を率いて到着し、散り散りになっていた兵も次第に集まり、再び陣営を立て直した。
- 囊瓦は言った。「孫武の用兵は、まことに変幻自在だ!陣を捨てて逃げ帰り、援軍を請うて再戦した方がよかろう。」
- 史皇は言った。「令尹は大軍を率いて呉に対抗しておられます。もし陣を捨てて帰れば、呉軍は漢江を渡って一気に郢に攻め入りましょう。そうなれば令尹の罪をどうして逃れられましょうか。力を尽くして一戦し、たとえ陣上で死のうとも、後世に良き名を留めるべきです!」
- 囊瓦がためらっていると、突然、楚王がまた呼応して救援する一軍を遣わしたとの知らせが入った。
- 囊瓦が陣を出て迎えると、それは大将の薳射であった。
- 薳射は言った。「主上は呉の兵勢が大きいと聞き、令尹が勝てないのではと恐れられ、特に小将に兵一万を率いさせて、命令に従うよう遣わされました。」
- そこでこれまでの戦いのことを尋ねた。囊瓦は詳しく一部始終を語ったが、面には恥じ入る色があった。
- 薳射は言った。「もし沈司馬の言葉に従っていれば、こうはならなかったでしょう。今日の策としては、ただ塹壕を深く塁を高くして呉と戦わず、司馬の兵の到着を待って合力して撃つほかありません。」
- 囊瓦は言った。「私は軽率に夜襲をかけたために、逆に敵に襲われたのだ。両軍が正面から対峙すれば、楚兵がどうして呉に劣ろうか!今、将軍は到着したばかり、この鋭気に乗じて決死の一戦をすべきだ。」
- 薳射はこれに従わなかった。そこで囊瓦とそれぞれ別に陣を張り、名目上は互いに角のように連携するとしながら、実際には十数里も離れていた。
- 囊瓦は自らの爵位の高さを恃んで薳射を敬わず、薳射もまた囊瓦の無能を軽んじて下手に出ようとせず、両者は互いに異心を抱き、和して相談しようとしなかった。
- 呉の先鋒夫概は、楚の将たちが不和であることを探り知り、呉王のもとに参上して言った。「囊瓦は貪欲で不仁、もとより人心を失っています。薳射は援軍に来たとはいえ、軍令に従いません。三軍とも戦う気力がなく、これを追い撃てば必ず完全な勝利を得られましょう。」
- 闔閭はこれを許さなかった。
- 夫概は退いて言った。「君主は君主として命令を下し、臣は臣として自らの志を行うものだ。私は独りで行こう。もし幸いに楚軍を破ることができれば、郢都に入れるはずだ。」
- 朝、自分の手勢の兵五千を率いて、まっすぐ囊瓦の陣に向かった。孫武はこれを聞き、急いで伍員に兵を率いて呼応し救援に向かわせた。
囊瓦の敗走と史皇・武城黒の戦死、薳射の撤退と半渡を撃つ策
- 一方、夫概は囊瓦の本陣に攻め込んだ。囊瓦はまったく備えがなく、陣中は大混乱に陥った。
- 武城黒は命がけで防戦した。囊瓦は車に乗る暇もなく、陣の後ろへ歩いて逃げたが、左肩にすでに矢を一本受けていた。そこへ史皇が本隊の兵を率いて到着し、車に乗せた。
- 史皇は囊瓦に言った。「令尹は自身の安全をお図りください。この小将はここで死にましょう!」
- 囊瓦は鎧を脱ぎ捨て、車に乗って一目散に逃げ、郢へは戻らず鄭国へ逃げ延びた。
- 髯翁に詩がある。(詩:裘を纏い名馬に乗って千年郢都に安泰であるはずが、戦に敗れ一身で逃げ延び、万人の笑いものとなった貪欲な男を詠んだもの)
- 伍員の兵が到着すると、史皇は囊瓦を追撃されることを恐れ、戟を提げて本隊を率いて呉軍に突入し、左に突き右に突いて縦横に暴れ回り、呉の兵将二百余人を討ち取った。楚兵の死傷も相応にあった。
- 史皇は重傷を負って戦死した。
- 武城黒は夫概と戦って退かなかったが、夫概に斬られてしまった。
- 薳射の子、薳延は前方の囊瓦の陣が破られたと聞き、父にそのことを告げ、兵を率いて救援に向かおうとした。
- 薳射はこれを許さず、自ら陣の前に立って軍を鎮め、軍中に「みだりに動く者は斬る!」と命じた。
- 囊瓦の敗残兵はみな薳射のもとに集まり、点呼すると一万余りあり、これを合わせて一軍とすると、軍勢は再び盛んになった。
- 薳射は言った。「呉軍は勝ちに乗じて迫ってくる。当たることはできぬ。まだ到着していない今のうちに、隊列を整えて撤退し、郢都まで退いて改めて策を練るべきだ。」
- そこで全軍に陣を払って出発するよう命じ、薳延を先行させ、薳射自らはしんがりを務めた。
- 夫概は薳射が陣を移したことを探り知り、後を追って清発まで至った。楚兵はちょうど船を集め、渡江しようとしていた。
- 呉兵は今すぐ突撃しようとしたが、夫概はこれを止めて言った。「窮した獣ですら猶も争うものだ、まして人であればなおさらだ。もし追い詰めすぎれば、死力を尽くすことになる。しばらく兵を留め、彼らが半分渡ったところで撃つべきだ。すでに渡った者はそのまま逃がし、まだ渡っていない者は先を争う。誰が命を賭けて戦うものか。必ず勝てるぞ!」
- そこで二十里退いて陣を張った。
- 中軍の孫武らも到着し、夫概の言葉を聞いて、皆が賞賛した。
- 闔閭は伍員に言った。「寡人にはこのような弟がいる。郢都に入れぬはずがない。」
- 伍員は言った。「私は被離がかつて夫概の人相を見て、体毛が逆立って生えていることから、必ず国に背き主に叛く事があると言ったと聞いております。彼は勇猛ではありますが、一軍を任せきりにしてはなりません。」
- 闔閭はこれをもっともとは思わなかった。
清発の戦いと薳射・沈尹戍の戦死
- さて薳射は呉兵が追ってきたと聞き、陣を構えて防戦しようとしたが、また呉軍が退いたと聞くと、喜んで言った。「呉人が臆病で追撃を続ける気がないのはわかっていた。」
- そこで五更に十分に食事をとって、一斉に川を渡るよう命じた。
- ちょうど三割ほど渡ったとき、夫概の兵が到着し、楚軍は渡河を争って大混乱に陥った。
- 薳射はこれを制止できず、車に乗って逃げるほかなかった。まだ渡っていない兵はみな主将に従って逃げ惑った。
- 呉軍は後ろから襲いかかって斬り伏せ、楚兵の捨てた旗・太鼓・戈や甲冑を無数に奪い取った。
- 孫武は唐・蔡の二君に、それぞれ自国の軍勢を率いて渡河の船を奪い取らせ、川沿いに展開して本隊に呼応し討って出させた。
- 薳射は雍澨まで逃げたが、兵士は飢えと疲労で走ることもできなくなった。追手が遠ざかったことを喜び、しばらく留まって鍋を据え飯を炊いた。
- 飯が炊き上がった矢先、呉兵がまた到着し、楚の兵将は飯を口にする暇もなく、食を捨てて逃げた。炊き立ての飯を残して、かえって呉兵の食糧にしてしまった。
- 呉兵は腹を満たして、さらに力を尽くして追撃した。楚兵は互いに踏みつけあい、死者はいっそう多くなった。
- 薳射の車は動けなくなり、夫概に戟で刺し殺された。
- その子、薳延も呉兵に囲まれ、奮戦して突破しようとしたが果たせなかった。
- 突然、東北の方角に鬨の声が大いに上がった。薳延は「呉にまた別の兵が来た、我が命もこれまでか」と言った。
- 実はその一軍は、左司馬の沈尹戍が新息まで進んだところで囊瓦の敗報を聞き、もと来た道を引き返してきたもので、ちょうど雍澨で薳延を囲んでいる呉兵に出くわしたのであった。
- 沈尹戍は部下一万の兵を三手に分けて突入させた。
- 夫概は連戦連勝を恃んで油断していたが、突然楚が三手に分かれて攻め込んでくるのを見て、その兵力の実数もわからぬまま、一つとして防ぎきれず、包囲を解いて逃げた。
- 沈尹戍は大いに攻めたて、呉兵の死者は千余人に及んだ。
- 沈尹戍はさらに追撃しようとしたが、呉王闔閭の大軍がすでに到着し、両軍は陣を張って対峙した。
- 沈尹戍はその家臣、呉句卑に言った。「令尹は功を貪り、私の計略を果たせなくさせた。天の定めであろう!今や敵の脅威はすでに深く、明日私は決死の一戦をする。もし幸いに勝てば、兵は郢に至らず、楚国の福となろう。万一戦に敗れれば、我が首をお前に託す。呉人に取られてはならぬぞ。」
- また薳延にも言った。「お前の父はすでに敵に倒れた。お前まで再び死んではならぬ。すみやかに帰り、子西殿に伝え、郢を守る策を講じさせよ。」
- 薳延は拝礼して言った。「司馬が東の賊を追い払い、早々に大功を立てられますよう!」涙を流して別れた。
- 翌朝、両軍は陣を並べて交戦した。沈尹戍は日頃から兵をよく労わり撫でていたので、兵卒は命を惜しまず、全員が力を尽くして死闘した。
- 夫概は勇猛であったが勝てず、次第に劣勢となった。
- 孫武が大軍を率いて攻め込み、右には伍員・蔡侯、左には伯嚭・唐侯が、強い弓と強力な弩を前に、短兵を後ろに配して、まっすぐ楚軍に突入し、斬り散らして楚軍をばらばらに潰走させた。
- 沈尹戍は決死の覚悟で重囲を突破したが、身に数本の矢を受け、車の中に倒れて動けなくなった。もはや戦えず、呉句卑を呼んで言った。「私はもう役に立たぬ。すみやかに私の首を取り、楚王に見せに行け!」
- 呉句卑はなおも忍びなかった。沈尹戍は力を振り絞って大きく一声叫び、そのまま目を閉じて、斬られるのを待った。
- 呉句卑はやむを得ず、剣でその首を断ち、衣で包んで懐に入れ、また土を掘ってその遺骸を覆い隠し、郢都へと逃げ帰った。
- 呉軍はそのまま一気に進撃した。
- 史官の讃がある。(詩:楚の謀は正しからず、賢者を害して佞人を用い、伍氏の一族はすでに棄て去られ、郤氏の一族もまた尽き果てた。忠義の沈尹戍は傾こうとする楚の大廈を一本の木で支えたが、敵を掌中に収めながら貪欲な囊瓦のために敗れた。功はむなしく身は滅び、その屍は霜に打たれ日に曝されたが、天は忠臣を助け、その首は国へと帰った、という趣旨)
薳延の報告と楚昭王の西走論、子西・子期の郢城防衛
- さて薳延は先に帰り着き、昭王に会って、囊瓦が敗走し、父が殺されたことを泣きながら訴えた。
- 昭王は大いに驚き、急いで子西・子期らを召して相談し、さらに軍を出して援護しようとした。
- しばらくして呉句卑も到着し、沈尹戍の首を差し出して、敗戦の経緯を詳しく述べた。「すべて令尹が司馬の策を用いなかったために、このような事態になったのです。」
- 昭王は痛哭して言った。「私が早く司馬を用いなかったのが私の罪である。」そして囊瓦を大いに罵った。「国を誤った奸臣め、世に生き恥をさらしおって、犬や豚もその肉を食うまい!」
- 呉句卑は言った。「呉兵は日に日に迫っております。大王は早く郢を守る策をお定めください。」
- 昭王は一方で沈諸梁を召し、父の首を持ち帰らせて手厚い葬儀の道具を与え、諸梁を葉公に封じた。
- もう一方では城を捨てて西へ逃げることを議論した。
- 子西は号泣して諫めて言った。「社稷と陵墓はすべて郢都にあります。王がもしこれを捨てて去れば、二度と戻ることはできません。」
- 昭王は言った。「頼みとしていた長江・漢水の険もすでに失った。呉軍は朝夕に迫っている。どうして手をこまねいて捕らえられるのを待てようか。」
- 子期は奏上した。「城中の壮丁はまだ数万おります。王は宮中の粟・帛を残らず出して将士を励まし、城壁を堅く守るべきです。使者を四方に遣わし、漢水東の諸国に往かせ、連合して兵を援けに来させましょう。呉人は我が国の奥深くまで攻め込んでおり、糧食が続かないはずです。どうして長く持ちこたえられましょうか。」
- 昭王は言った。「呉は我が国で糧を得ているから、食糧に困ることはあるまい。晋人が一声呼びかければ頓・胡もみな駆けつけたように、呉兵が東から下れば唐・蔡が案内役となっている。楚の配下はみな心が離れている。頼りにはできぬ。」
- 子西はさらに言った。「臣らが全軍を挙げて敵に当たり、戦って勝てなければ、その時逃げても遅くはありません。」
- 昭王は言った。「国家の存亡は二人の兄にかかっている。行くべきなら行くがよい、寡人はもはや共に謀ることができぬ。」言い終えると涙を含んで宮中に入った。
- 子西と子期は相談し、大将の鬥巣に兵五千を率いさせて麦城を守らせ北路に備えさせ、大将の宋木に兵五千を率いさせて紀南城を守らせ西北路に備えさせ、子西自らは精兵一万を率いて魯洑江に陣を張り東の渡し口を扼した。西路の川江、南路の湘江はいずれも楚の領地であり、地形が険しく遠いため、呉が楚に入る道ではないので、備えを置かなかった。
- 子期は王孫繇于・王孫圉・鍾建・申包胥らを督励して城内を巡回させ、警備を非常に厳重にした。
呉軍、三方に分かれて進撃
- 一方、呉王闔閭は諸将を集め、郢に入る時期を尋ねた。
- 伍員は進み出て言った。「楚はたびたび敗れたとはいえ、郢都は依然として全盛で、しかも三城が連なっております。容易には攻め落とせません。西の魯洑江は楚に入る近道ですので、必ず大軍が守りを固めているはずです。北から大回りに攻め、軍を三手に分けるべきです。一軍は麦城を攻め、一軍は紀南城を攻め、大王は大軍を率いてまっすぐ郢都を衝く。そうすれば我らの攻めは、楚が耳を掩う間もないほどの疾い雷となり、楚はあちらに構えればこちらを失うことになります。二城が破れれば、郢は守り切れません。」
- 孫武は言った。「子胥の計は実に見事です!」
- そこで伍員と公子山に兵一万を率いさせ、蔡侯に自国の軍でこれを助けさせて麦城を攻めさせた。孫武と夫概に兵一万を率いさせ、唐侯に自国の軍でこれを助けさせて紀南城を攻めさせた。闔閭は伯嚭らと共に大軍を率いて郢城を攻めた。
伍子胥の麦城攻略(驢城・磨城の計)
- さて伍員は東へ数日行軍したところ、間諜が報告した。「ここから麦城までは一舎(三十里)ほどで、大将の鬥巣が兵を率いて守っています。」
- 伍員は軍馬を駐留させ、身なりを変えて小卒二人だけを従え、歩いて陣を出て地形を見て回った。
- ある村に至ると、村人がちょうど驢馬を牽いてきて磨(うす)で麦を挽かせているのを見た。その人が棰(むち)で驢馬を打つと、驢馬が走って磨が回り、麦屑がひらひらと落ちてきた。
- 伍員はふと悟って言った。「麦城を破る方法がわかったぞ!」
- その日陣に戻り、ひそかに命令を伝えた。「兵士一人につき布袋を一つ用意し、中に土を詰めよ。また草束を一つ用意し、明日の五更に引き渡せ。持たぬ者は斬る!」
- 翌日の五更、さらに命令を伝えた。「車ごとに石を若干積め。持たぬ者は斬る!」
- 夜が明けるころ、軍を二隊に分け、蔡侯には麦城の東へ、公子乾には麦城の西へ向かわせた。
- それぞれの将に、持たせた石や土や草束で小城を築き、砦とするよう命じた。
- 伍員自ら測量し、兵士たちを督励して力を尽くさせると、たちまち出来上がった。
- 東の城は細長く、驢馬の形を象って「驢城」と名付け、西の城は円形で、磨の形を象って「磨城」と名付けた。
- 蔡侯はその意図がわからなかった。
- 伍員は笑って言った。「東に驢、西に磨、これで『麦』が落ちぬはずがあろうか。」
- 鬥巣は麦城で呉兵が東西に城を築いていると聞き、急いで兵を率いて争おうとしたが、二城はすでに堅固な砦として立っていた。
- 鬥巣がまず東城に至ると、城上には旗印がびっしり並び、鐸の音が絶えなかった。
- 鬥巣は大いに怒り、城を攻めようとした。すると陣営の門が開き、若い将軍が一人、兵を率いて出て来て戦を挑んだ。
- 鬥巣がその名を尋ねると、「私は蔡侯の末子、姫乾である」と答えた。
- 鬥巣は言った。「小僧は私の敵ではない!伍子胥はどこにいる?」
- 姫乾は言った。「すでにお前の麦城を取りに行ったぞ!」
- 鬥巣はいよいよ怒り、長戟を構えてまっすぐ姫乾に向かった。姫乾も戈を奮って迎え撃ち、両者は二十余合も渡り合った。
- 突然、偵察の騎兵が飛び来たって告げた。「今、呉兵が麦城を攻めております。将軍は速やかにお戻りください!」
- 鬥巣は本拠を失うことを恐れ、急いで銅鑼を鳴らして兵を収めたが、隊列はすでに乱れていた。
- 姫乾はその勢いに乗じて背後から襲いかかり、ひとしきり斬り伏せたが、深追いはせずに引き返した。
- 鬥巣は麦城に戻ると、ちょうど伍員が軍馬を指揮して城を囲んでいるところに出くわした。
- 鬥巣は戈を横たえ、両手を組んで礼をして言った。「子胥どの、お変わりありませんか。あなたの先祖の冤罪は、みな費無極の讒言によるもの。今や讒者はすでに誅されました。あなたにはもう報うべき冤罪はないはずです。母国(楚)が三代にわたって施した恩を、あなたはお忘れですか。」
- 伍員は答えた。「我が先祖は楚に大功があったにもかかわらず、楚王はそれを顧みず、無実の父兄を殺し、さらに私の命まで奪おうとした。幸い天の助けを得て、この難を逃れることができた。この胸に十九年抱き続けて、ようやく今日に至った。もしあなたが道理をわきまえるなら、すみやかに遠く避け、私の矛先に触れなければ、命を全うできよう。」
- 鬥巣は大いに罵った。「主に背いた賊め!お前を避けるなど、丈夫のすることではない。」そして戟を構えて伍員に打ちかかり、伍員も戟を持って迎え撃った。
- 数合戦ったところで、伍員は言った。「お前はもう疲れているだろう。城に入れてやる。明日また戦おう。」
- 鬥巣は「明日決着をつけよう!」と言い、両軍とも兵を収めた。
- 城上から自軍の人馬を見て、門を開いて迎え入れた。
- 夜半になると、突然城上で鬨の声が上がり、「呉兵がすでに城に入ったぞ!」との知らせが伝わった。
- 実は伍員の軍中には楚国からの降伏兵が多く、わざと鬥巣を城に入れさせておき、降伏兵数人にそれと同じ格好をさせて楚兵の隊列に紛れ込ませ、目立たぬところに潜ませておいたのである。夜半、城上から縄を垂らして呉軍を引き上げさせた。
- 気づいたときには、城上にはすでに呉軍が百余人おり、一斉に鬨の声を上げると、城外の大軍もこれに応じ、城を守る兵士たちは逃げ惑い、鬥巣も統制できず、軺車に乗って逃げるほかなかった。
- 伍員は追撃せず、麦城を手に入れると、使者を呉王のもとに送って勝利を報告した。
- 潜淵に詩がある。(詩:西に磨、東に驢で麦城を落とした、たまたま村で驢馬と磨を目にしたのがきっかけで功を成したのだ、伍子胥の智勇はまさに無敵で、荊蛮の右腕をたちどころに傾けたことを詠んだもの)
孫武の紀南城水攻めと郢都陥落
- さて孫武は兵を率いて虎牙山を過ぎ、当陽阪へ転じ、北に漳江が滔々と流れているのを望み見た。紀南は地勢が低く、西には赤湖があり、湖水は紀南と郢都の城下まで通じていた。
- 孫武はこれを見て腹中に一計を思いつき、兵士に高台に駐留させ、それぞれ畚(もっこ)と鍤(すき)を用意させ、一夜のうちに深い堀を一本掘らせ、漳江の水を赤湖へ引き入れ、そして長い堤を築いて江水を堰き止めさせた。
- その水は逃げ場を失い、平地に二三丈も高く盛り上がった。おりしも冬の月で西風が激しく吹き、たちまち紀南城の中に流れ込んだ。
- 守将の宋木は、川が氾濫したのだと思い、城中の住民を追い立てて郢都に避難させた。
- 水勢はますます大きくなり、郢都の城下まで達し、見渡す限り大きな川や湖のようになった。
- 孫武は人に山で竹を切らせて筏を造らせ、呉軍は筏に乗って城に迫った。
- 城中の人々はこの水が呉人が漳江を決壊させて起こしたものだとようやく気づき、皆恐れおののき、めいめい逃げ延びようとした。
- 楚王は郢都がもう守れないと知り、急いで箴尹固に西門に船を用意させ、愛妹の季羋を伴って共に船に乗った。
- 子期は城上で、ちょうど兵士を督励して洪水を防ごうとしていたが、楚王がすでに出発したと聞き、やむなく百官と共に城を出て王を護衛し、ただ一身で逃げるだけで、もはや家族を顧みる余裕もなかった。
- 郢都に主がいなくなり、攻めずして自ら崩れた。
- 史官に詩がある。(詩:方城に虎踞して漢川を阻んでいたはずが、呉兵はたちまち飛煙のごとく席巻した、忠良は棄て尽くされ讒佞・貪欲の輩ばかりが用いられ、高くそびえる城壁もついに阻めなかった、という趣旨)
- 孫武はついに闔閭を奉じて郢都城に入り、人に堰を掘り崩させて水を江へ戻させ、兵を合わせて四方の郊外を守らせた。
- 伍員もまた麦城から参上して会った。
- 闔閭は楚王の宮殿に登り、百官の拝賀が終わると、唐・蔡の二君も朝廷に入って祝賀の辞を述べた。
- 闔閭は大いに喜び、酒宴を盛大に開いた。
呉王の郢都における乱行
- その晩、闔閭は楚王の宮殿に泊まり、左右の者が楚王の夫人を差し出した。闔閭は侍寝させようかどうか迷った。
- 伍員は言った。「国さえも手に入れたのです、まして妻をや。」
- 王はそこで泊まらせ、楚王の側室たちをほとんど残らず淫した。
- 左右の者の中に、「楚王の母、伯嬴は太子建の妻であったが、平王がその美貌ゆえに奪って自分の妻としたもので、今もなお年若く色香が衰えておりません」と言う者があった。
- 闔閭は心が動き、人を遣わして召そうとしたが、伯嬴は出て来なかった。
- 闔閭は怒り、左右の者に「引っ立てて来い」と命じた。
- 伯嬴は戸を閉め、剣で戸を打ちながら言った。「妾が聞くところによれば、諸侯とは一国の教化の手本であるとのこと。礼として、男女は同席せず、食事の器も共にしません。それは区別を示すためです。今、君王はその模範を捨てられ、淫乱ぶりはすでに国人の耳に届いております。未亡人はむしろ剣に伏して死のうとも、あえて命には従いません。」
- 闔閭は大いに恥じ入り、詫びて言った。「寡人は夫人を敬い慕い、そのお姿を拝見したいと願っただけで、あえて乱を起こそうというわけではない。夫人、もうよい。」そして彼女の旧来の侍女に戸を守らせ、従者にみだりに入らないよう戒めた。
- 伍員は楚昭王を捕らえられなかったので、孫武・伯嚭らにそれぞれ諸大夫の邸宅に分かれ入らせ、その妻妾を淫して辱めさせた。
- 唐侯・蔡侯は公子山と共に囊瓦の家を捜索したところ、裘と腰の玉飾りは依然として箱の中にあり、肅霜の馬も厩にいた。二君はそれぞれの品を取り戻し、いずれも呉王に献上した。
- その他の宝貨・黄金・絹は屋敷いっぱいに満ちており、左右の者たちが好き放題に運び出し、道に散らかった。
- 囊瓦は一生涯貪り集めた財を、一度も自ら享受することがなかった。
- 公子山が囊瓦の夫人を奪おうとしたところ、夫概がやって来て、公子山を追い払い自分でこれを奪った。
- このとき君臣が公然と淫を行い、男女の区別もなく、郢都の城中はほとんど獣が群れ、禽が集まるような有様であった。
- 髯翁に詩がある。(詩:楚の君臣を問わず淫を行い、ただ私欲を満たすことで人倫を汚した中、伯嬴だけが晩節を守り、清風のように一筋の未亡人の操を保ったことを詠んだもの)
楚宗廟の焼却と伍子胥の掘墓鞭屍
- 伍員は呉王に、楚の宗廟をことごとく取り壊すことを進言した。
- 孫武は進み出て言った。「兵は義によって動いてこそ、名分が立つものです。平王は太子建を廃して秦女の子(昭王)を立て、讒臣・貪臣を用い、内では忠良を殺し、外では諸侯に暴虐を行いました。それゆえに呉はここまで至ることができたのです。今、楚都はすでに破れました。太子建の子、羋勝を召して君に立て、宗廟を主らせ、昭王の位に代えるべきです。楚人は故太子が無実の罪で廃されたことを憐れみ、必ず心が安らぎましょう。そして羋勝は呉の恩を忘れず、代々貢献を絶やさぬはずです。王が楚を赦したとしても、なお楚を得たも同然になりましょう。このようにすれば、名も実も共に全うできます!」
- 闔閭は楚を滅ぼすことに執着し、孫武の言葉を聞き入れず、その宗廟を焼き払ってしまった。
- 唐・蔡の二君は、それぞれ暇を告げて自国へ帰った。
- 闔閭は再び章華の台に酒宴を設け、群臣を大いに歓待した。楽師が音楽を奏で、群臣は皆喜んだが、ただ伍員だけは痛哭してやまなかった。
- 闔閭は言った。「卿の楚に報いる志はすでに叶ったであろう、なにをそれほど悲しむのか。」
- 伍員は涙を含んで答えた。「平王はすでに死に、楚王はまた逃げてしまいました。臣の父兄の仇は、まだ万分の一も報いておりません。」
- 闔閭は言った。「卿はどうしたいのか。」
- 伍員は答えた。「大王に願わくは、平王の墓を掘らせ、棺を開いて首を斬ることをお許しください。そうしてこそ臣の恨みを晴らせます。」
- 闔閭は言った。「卿は寡人に大いに徳を施してくれた。寡人がどうして枯骨を惜しんで、卿の私情を慰めずにおれようか。」そこでこれを許した。
- 伍員は平王の墓が東門の外の一帯、室丙荘の寥台湖にあると探り当て、本隊の兵を率いて向かった。しかし見渡す限り、荒れた草原と湖水が茫々と広がるばかりで、墓の在り処がまったくわからなかった。
- 人を四方に遣わして捜させたが、それでも跡形もなかった。
- 伍員は胸を叩いて天に向かって叫んだ。「天よ、天よ!私に父兄の恨みを報いさせぬというのか!」
- すると突然、一人の老人が現れ、拝礼して尋ねた。「将軍はなぜ平王の墓を求めておられるのですか。」
- 伍員は言った。「平王は我が子を棄てて息子の嫁を奪い、忠臣を殺して佞臣を用い、我が一族を滅ぼした。私は生きているうちにその首に刃を加えることができなかったからには、死後であってもその屍を辱め、父兄にあの世で報いねばならぬのだ。」
- 老人は言った。「平王は自ら怨みを買っていることを知り、人がその墓を暴くことを恐れて、湖の中に葬られました。将軍がどうしても棺を得たいのならば、湖の水を涸らして探さねばなりません。そうすればお見つけになれましょう。」そして寥台に登り、その場所を指し示した。
- 伍員は水に潜るのが得意な者を遣わして水中を探させたところ、台の東でついに石槨を見つけた。
- そこで兵士たちにそれぞれ砂の袋を一つずつ背負わせ、墓のそばに積み上げさせて流水を堰き止め、それから石槨を鑿で開くと、非常に重い棺が一つ見つかった。これを開けると、中にはただ衣冠と鉄数百斤があるだけであった。
- 老人は言った。「これは疑い棺です。本物の棺はまだその下にあります。」
- さらに石板の下層を取り除くと、果たしてもう一つの棺があった。
- 伍員は棺を壊させ、その屍を引き出させて検分すると、果たして楚平王その人であった。水銀を用いて納棺してあったため、肌肉は変わっていなかった。
- 伍員はその屍を一目見るなり、怨気が天を衝き、九節の銅鞭を手に取り、三百回鞭打った。肉は爛れ骨は砕けた。
- そして左足でその腹を踏みつけ、右手でその両目をえぐり出し、数え上げて言った。「お前は生きていたとき無駄に眼球を持ちながら、忠と佞を見分けず、讒言を聞き入れて我が父兄を殺した。これほど無念なことがあろうか!」
- ついに平王の首を斬り、その着衣や掛け布・棺を打ち壊し、遺骸もろとも原野に投げ捨てた。
- 髯翁に讃がある。(詩:怨みは積もらせてはならず、冤罪は極めてはならない。極まった冤の報いは君主だろうと目上だろうと容赦せず、積もった怨みは相手の生死を問わない。匹夫が死を逃れても、辱めは朽ちた骨にまで及ぶ。血の涙は鞭に降りかかり、怨気は太陽をも暗くする。孝の心は忠に勝り、家の仇は国にまで及んだ。烈しいかな子胥よ、千古の後もなお涙を誘うことよ、という趣旨)
石工の老人と伍子胥の謝礼
- 伍員は平王の屍を鞭打った後、老人に尋ねた。「あなたはどうして平王の埋葬地とその棺の偽りを知っていたのですか。」
- 老人は言った。「私は他でもない、石工です。かつて平王は私ども石工五十余人に偽の墓を築かせましたが、我らがその仕掛けを漏らすことを恐れ、塚が完成した後、石工をことごとく塚の中で殺してしまいました。私一人だけひそかに逃げて助かったのです。今日、将軍の孝心の誠実さに感じ入り、特にお教えしに参りました。これもまた五十余の無念の亡霊の恨みを、いくらかでも晴らすためです。」
- 伍員はそこで老人に黄金や絹を厚く与えて礼とし、その場を立ち去った。
楚昭王の逃避行、鄖での鬥懐の弑逆未遂と随への亡命
- さて楚昭王は船に乗って西の沮水を渡り、また南に転じて大江を渡り、雲中に入った。
- 草賊数百人が、夜、昭王の船を襲い、戈で昭王を撃った。
- そのとき王孫繇于がそばにおり、身を挺して王をかばい、大声で叫んだ。「これは楚王であるぞ、何をしようというのか!」
- 言い終わらぬうちに、戈がその肩に当たり、血が踵まで流れて、地に昏倒した。
- 賊は言った。「我らはただ金品のことしか知らぬ、王など知ったことか!令尹大臣ですら賄賂を貪るのだ、まして小民をや。」そして船中の黄金や絹、宝貨の類を大々的に捜索した。
- 箴尹固は急いで昭王を助け起こし、岸に上がって難を避けさせた。
- 昭王は叫んだ。「誰か私の愛する妹を守ってくれ、傷つけさせるな!」
- 下大夫の鍾建は季羋を背負い、王に従って岸に上がった。
- 振り返って見ると、賊たちは火を放って船を焼いていた。そのまま夜通し数里を歩いた。
- 明け方になって、子期が宋木・鬥辛・鬥巣と共に次々と後を追って追いついた。
- 鬥辛は言った。「私の家は鄖にあり、ここから四十里もありません。我が王よ、無理をしてでもそこまで参りましょう。改めて策を講じましょう。」
- しばらくして王孫繇于も到着した。昭王は驚いて尋ねた。「そなたは重傷を負っていたのに、どうして無事だったのか。」
- 繇于は言った。「臣は痛みのあまり起き上がれず、火が我が身にも及んできましたが、突然誰かに岸へ押し上げられたような気がしました。朦朧としている中で、こう語る声を聞きました。『私はかつての楚の令尹、孫叔敖である。我が王に伝えよ、呉の軍は久しからず自ら退くであろう、社稷は長く続く』と。そして臣の肩に薬を塗ってくれました。目覚めると出血は止まり痛みも和らいでいたので、ここまで来ることができたのです。」
- 昭王は言った。「孫叔は雲中で生まれた方だ。その霊はいまだ消えていないのだな。」互いに感嘆してやまなかった。
- 鬥巣は干し飯を出して共に食べ、箴尹固は瓢箪の水を汲んで献じた。
- 昭王は鬥辛に成臼の渡し場で船を探させた。鬥辛が東からやって来る一艘の船を見つけ、妻子を乗せているのを見て調べると、大夫の藍尹亹であった。
- 鬥辛は呼びかけた。「王がここにおられる、乗せて差し上げよ。」
- 藍尹亹は「亡国の君を、どうして乗せようか!」と言い、そのまま構わず去ってしまった。
- 鬥辛はしばらく待った後、また漁師の船を見つけ、自分の衣を脱いで与え、ようやく舟を岸に着けさせることができた。
- 王は季羋と共に渡り、鄖の邑に到着した。
- 鬥辛の次弟、鬥懐は王が来たと聞いて出迎えた。鬥辛は食事の支度を命じた。
- 鬥懐は食事を運ぶとき、たびたび昭王を目で見た。鬥辛はこれを怪しみ、末弟の鬥巣と共に自ら王の寝所を守った。
- 夜半、刃を研ぐ音が聞こえた。鬥辛が戸を開けて見ると、鬥懐が霜のような白刃を手にし、怒気を漲らせていた。
- 鬥辛は言った。「弟よ、刃を研いでどうするつもりだ。」
- 鬥懐は言った。「王を弑そうというのだ!」
- 鬥辛は言った。「お前はなぜそのような逆心を抱くのか。」
- 鬥懐は言った。「昔、我が父は平王に忠義を尽くしたのに、平王は費無極の讒言を聞き入れて父を殺した。平王が我が父を殺したのだから、私は平王の子を殺して、その仇を報いる。何の不都合があろうか。」
- 鬥辛は怒って罵った。「君主は天のようなものだ。天が人に禍を降しても、人があえてこれを仇とするか。」
- 鬥懐は言った。「王が国にあれば君であり、今、国を失えば仇である。仇を見て殺さぬのは人でない。」
- 鬥辛は言った。「昔から、怨みは後継者にまで及ばぬものだ。王もまた先人の過ちを悔い、我ら兄弟を取り立てて用いてくださった。今その危急に乗じて弑逆するなど、天理が許すまい。お前がもしこの考えを起こすなら、私が先にお前を斬る!」
- 鬥懐は白刃を脇に抱えたまま戸を出て行った。恨みの念はなお収まらなかった。
- 昭王は戸外の叱咤の声を聞き、衣を纏って起き出し密かに聞いていて、その一部始終を知った。そこで鄖に留まることを望まなくなった。
- 鬥辛・鬥巣は子期と相談し、王を奉じて北の随国へ逃れた。
子西の代理称王と伍子胥の追跡
- さて子西は魯洑江で守備についていたが、郢都がすでに破れ、昭王が逃亡したと聞き、国人が離散することを恐れ、王の衣服を着て王の輿に乗り、自ら楚王と称して脾洩に国を立て、人心を安定させた。呉の乱を避けた民たちはこれを頼りに落ち着いた。
- しばらくして王が随にいると聞くと、民に告げて王の所在を知らせ、その後、自ら随に赴いて王に従った。
- 伍員はついに楚昭王を捕らえられなかったことを恨みとし、闔閭に言った。「楚王をまだ捕らえておりません。楚はまだ滅ぼしたとは言えません。臣は一軍を率いて西へ渡り、愚かな君主(昭王)の行方を追い、捕らえて連れ帰りたく存じます。」
- 闔閭はこれを許した。
- 伍員は道中探し尋ね、楚王が随にいると聞くと、そのまま随国へ赴き、随君に書状を送り、楚王の引き渡しを求めた。
- 果たして楚王がどのようにこの窮地を免れるかは、次回に続く。
原文(底本)
話說沈尹戍去後,吳楚夾漢水而軍,相持數日。武城黑欲獻媚於令尹,進言曰:「吳人舍舟從陸,違其所長,且又不識地理,司馬已策其必敗矣。今相持數日,不能渡江,其心已怠,宜速擊之。」瓦之愛將史皇亦曰:「楚人愛令尹者少,愛司馬者多,若司馬引兵焚吳舟,塞隘道,則破吳之功,彼為第一也。令尹官高名重,屢次失利,今又以第一之功,讓於司馬,何以立於百僚之上?司馬且代子為政矣。不如從武城將軍之計,渡江決一勝負為上。」囊瓦惑其言,遂傳令三軍,俱渡漢水,至小別山列成陣勢。史皇出兵挑戰,孫武使先鋒夫概迎之。夫概選勇士三百人,俱用堅木為大棒,一遇楚兵,沒頭沒腦亂打將去。楚兵從未見此軍形,措手不迭,被吳兵亂打一陣,史皇大敗而走。囊瓦曰:「子令我渡江,今纔交兵便敗,何面目來見我?」史皇曰:「戰不斬將,攻不擒王,非兵家大勇。今吳王大寨札在大別山之下,不如今夜出其不意,往劫之,以建大功。」囊瓦從之。遂挑選精兵萬人,披掛銜枚,從間道殺出大別山後。諸軍得令,依計而行。 卻說孫武聞夫概初戰得勝,眾皆相賀。武曰:「囊瓦乃斗筲之輩,貪功僥倖,令史皇小挫,未有虧損,今夜必來掩襲大寨,不可不備。」乃令夫概專毅各引本部,伏於大別山之左右,但聽哨角為號,方許殺出。使唐蔡二君,分兩路接應。又令伍員引兵五千,抄出小別山,反劫囊瓦之寨,卻使伯嚭接應。孫武又使公子山,保護吳王,移屯於漢陰山,以避沖突。大寨虛設旌旗,留老弱數百守之。號令已畢,當時三鼓,囊瓦果引精兵,密從山後抄出。見大寨中寂然無備,發聲喊,殺入軍中,不見吳王,疑有埋伏,慌忙殺出。忽聽得哨角齊鳴,專毅夫概兩軍,左右突出夾攻,囊瓦且戰且走,三停兵士,折了一停。纔得走脫,又聞礮聲大震,右有蔡侯,左有唐侯,兩下截住。唐侯大叫:「還我肅霜馬,免汝一死!」蔡侯又叫:「還我裘佩,饒汝一命!」囊瓦又羞又惱,又慌又怕。正在危急,卻得武城黑引兵來,大殺一陣,救出囊瓦。約行數里,一起守寨小軍來報:「本營已被吳將伍員所劫,史將軍大敗,不知下落。」囊瓦心膽俱裂,引著敗兵,連夜奔馳,直到柏舉,方纔駐足。良久,史皇亦引殘兵來到,餘兵漸集,復立營寨。囊瓦曰:「孫武用兵,果有機變!不如棄寨逃歸,請兵復戰。」史皇曰:「令尹率大兵拒吳,若棄寨而歸,吳兵一渡漢江,長驅入郢,令尹之罪何逃?不如盡力一戰,便死於陣上,也留個香名於後!」囊瓦正在躊躇,忽報:「楚王又遣一軍來接應。」囊瓦出寨迎接,乃大將薳射也。射曰:「主上聞吳兵勢大,恐令尹不能取勝,特遣小將帶軍一萬,前來聽命。」因問從前交戰之事。囊瓦備細詳述了一遍,面有慚色。薳射曰:「若從沈司馬之言,何至如此。今日之計,惟有深溝高壘,勿與吳戰,等待司馬兵到,然後合擊。」囊瓦曰:「某因輕兵劫寨,所以反被其劫。若兩陣相當,楚兵豈遽弱於吳哉!今將軍初到,乘此銳氣,宜決一死敵。」薳射不從。遂與囊瓦各自立營,名雖互為犄角,相去有十餘里。囊瓦自恃爵高位尊,不敬薳射﹔薳射又欺囊瓦無能,不為之下,兩邊各懷異意,不肯和同商議。吳先鋒夫概,探知楚將不和,乃入見吳王曰:「囊瓦貪而不仁,素失人心﹔薳射雖來赴援,不遵約束。三軍皆無鬥志,若追而擊之,可必全勝。」闔閭不許。夫概退曰:「君行其令,臣行其志,吾將獨往,若幸破楚軍,郢都可入也。」晨起,率本部兵五千,竟奔囊瓦之營。孫武聞之,急調伍員引兵接應。 卻說夫概打入囊瓦大寨,瓦全不准備,營中大亂。武城黑捨命敵住。瓦不及乘車,步出寨後,左胛已中一箭,卻得史皇率本部兵到,以車載之。謂瓦曰:「令尹可自方便,小將當死於此!」囊瓦卸下袍甲,乘車疾走,不敢回郢,竟奔鄭國逃難去了。髯翁有詩云: 披裘佩玉駕名駒,只道千年住郢都﹔兵敗一身逃難去,好教萬口笑貪夫。 伍員兵到,史皇恐其追逐囊瓦,乃提戟引本部殺入吳軍,左衝右突,殺死吳兵將二百餘人。楚兵死傷,數亦相當。史皇身被重傷而死。武城黑戰夫概不退,亦被夫概斬之。薳射之子薳延,聞前營有失,報知其父,欲提兵往救。薳射不許,自立營前彈壓,令軍中:「亂動者斬!」囊瓦敗軍皆歸於薳射,點視尚有萬餘,合成一軍,軍勢復振。薳射曰:「吳軍乘勝掩至,不可當也。及其未至,整隊而行,退至郢都,再作區處。」乃令大軍拔寨都起,薳延先行,薳射親自斷後。夫概探得薳射移營,尾其後追之,及於清發。楚兵方收集船隻,將謀渡江。吳兵便欲上前奮擊,夫概止之曰:「困獸猶鬥,況人乎?若逼之太急,將致死力。不如暫且駐兵,待其半渡,然後擊之。已渡者得免,未渡者爭先,誰肯死鬥?勝之必矣!」乃退二十里安營。中軍孫武等俱到,聞夫概之言,人人稱善。闔閭謂伍員曰:「寡人有弟如此,何患郢都不入。」伍員曰:「臣聞被離曾相夫概,言其毫毛倒生,必有背國叛主之事,雖則英勇,不可專任。」闔閭不以為然。 再說薳射聞吳兵來追,方欲列陣拒敵﹔又聞其復退,喜曰:「固知吳人怯,不敢窮追也。」乃下令五鼓飽食,一齊渡江。剛剛渡及十分之三,夫概兵到,楚軍爭渡大亂。薳射禁止不住,只得乘車疾走。軍士未渡者,都隨著主將亂竄。吳軍從後掩殺,掠取旗鼓戈甲無數。孫武命唐蔡二君,各引本國軍將,奪取渡江船隻,沿江一路接應。薳射奔至雍澨,將卒飢困,不能奔走。所喜追兵已遠,暫且停留,埋鍋造飯。飯纔熟,吳兵又到,楚兵將不及下咽,棄食而走。留下現成熟飯,反與吳兵受用。吳兵飽食,復儘力追逐。楚兵自相踐踏,死者更多。薳射車躓,被夫概一戟刺死。其子薳延亦被吳兵圍住,延奮勇沖突,不能得出。忽聞東北角喊聲大振,薳延曰:「吳又有兵到,吾命休矣!」原來那枝兵,卻是左司馬沈尹戍行至新息,得囊瓦兵敗之信,遂從舊路退回,卻好在雍澨遇著吳兵圍住薳延。戍遂將部下萬人,分作三路殺入。夫概恃其屢勝,不以為意。忽見楚三路進兵,正不知多少軍馬,沒抵敵一頭處,遂解圍而走。沈尹戍大殺一陣,吳兵死者千餘人。沈尹戍正欲追殺,吳王闔閭大軍已到,兩下札營相拒。沈尹戍謂其家臣吳句卑曰:「令尹貪功,使吾計不遂,天也!今敵患已深,明日吾當決一死戰。幸而勝,兵不乃郢,楚國之福。萬一戰敗,以首託汝,勿為吳人所得。」又謂薳延曰:「汝父已歿於敵,汝不可以再死,宜亟歸,傳語子西,為保郢計。」薳延下拜曰:「願司馬驅除東寇,早建大功!」垂淚而別。明旦,兩下列陣交鋒。沈尹戍平昔撫士有方,軍卒用命,無不盡力死鬥。夫概雖勇,不能取勝,看看欲敗。孫武引大軍殺來,右有伍員蔡侯,左有伯嚭唐侯,強弓勁弩在前,短兵在後,直沖入楚軍,殺得七零八落。戍死命殺出重圍,身中數箭,僵臥車中,不能復戰,乃呼吳句卑曰:「吾無用矣!汝可速取吾首,去見楚王!」句卑猶不忍。戍儘力大喝一聲,遂瞑目不視。句卑不得已,用劍斷其首,解裳裹而懷之,復掘土掩蓋其屍,奔回郢都去了。吳兵遂長驅而進。史官有讚云: 楚謀不臧,賊賢升佞﹔伍族既捐,欲宗復盡。表表沈尹,一木支廈﹔操敵掌中,敗於貪瓦。功隳身亡,凌霜暴日﹔天佑忠臣,歸元於國。 話說薳延先歸,見了昭王,哭訴囊瓦敗奔,其父被殺之事。昭王大驚,急召子西子期等商議,再欲出軍接應。隨後吳句卑亦到,呈上沈尹戍之首,備述兵敗之由:「皆因令尹不用司馬之計,以至如此。」昭王痛哭曰:「孤不能早用司馬,孤之罪也。」因大罵囊瓦:「誤國奸臣,偷生於世,犬豕不食其肉!」句卑曰:「吳兵日逼,大王須早定保郢之計。」昭王一面召沈諸梁,領回父首,厚給葬具,封諸梁為葉公﹔一面議棄城西走。子西號哭諫曰:「社稷陵寢,盡在郢都,王若棄去,不可復入矣。」昭王曰:「所恃江漢為險,今已失其險。吳師旦夕將至,安能束手受擒乎?」子期奏曰:「城中壯丁,尚有數萬,王可悉出宮中粟帛,激勵將士,固守城堞。遣使四出,往漢東諸國,令合兵入援。吳人深入我境,糧餉不繼,豈能久哉?」昭王曰:「吳因糧於我,何患乏食?晉人一呼,頓胡皆往,吳兵東下,唐蔡為導,楚之宇下,盡已離心,不可恃也。」子西又曰:「臣等悉師拒敵,戰而不勝,走猶未晚。」昭王曰:「國家存亡,皆在二兄,當行則行,寡人不能與謀矣。」言罷,含淚入宮。子西與子期計議,使大將鬥巢,引兵五千,助守麥城,以防北路﹔大將宋木,引兵五千,助守紀南城,以防西北路﹔子西自引精兵一萬,營於魯洑江,以扼東渡之路﹔惟西路川江,南路湘江,俱是楚地,地方險遠,非吳入楚之道,不必置備。子期督令王孫繇於、王孫圉、鍾建、申包胥等,在內巡城,十分嚴緊。 再說吳王闔閭聚集諸將,問入郢之期。伍員進曰:「楚雖屢敗,然郢都全盛,且三城聯絡,未易拔也。西去魯洑江,乃入楚之徑路,必有重兵把守。必須從北打大寬轉,分軍為三:一軍攻麥城,一軍攻紀南城,大王率大軍直擣郢都,彼疾雷不及掩耳,顧此失彼,二城若破,郢不守矣。」孫武曰:「子胥之計甚善!」乃使伍員同公子山引兵一萬,蔡侯以本國之師助之,去攻麥城﹔孫武同夫概引兵一萬,唐侯以本國之師助之,去攻紀南城﹔闔閭同伯嚭等,引大軍攻郢城。 且說伍員東行數日,諜者報:「此去麥城,止一舍之遠,有大將鬥巢引兵守把。」員命屯住軍馬﹔換了微服,小卒二人跟隨,步出營外,相度地形。來至一村,見村人方牽驢磨麥,其人以棰擊驢,驢走磨轉,麥屑紛紛而下。員忽悟曰:「吾知所以破麥城矣!」當下回營,暗傳號令:「每軍士一名,要布袋一個,內皆盛土﹔又要草一束,明日五鼓交割。如無者斬!」至次日五更,又傳一令:「每車要帶亂石若干。如無者斬!」比及天明,分軍為二隊:蔡侯率一隊往麥城之東﹔公子乾率一隊往麥城之西。吩咐各將所帶石土草束,築成小城,以當營壘。員身自規度,督率軍士用力,須臾而就。東城狹長,以象驢形,名曰「驢城」﹔西城正圓,以象磨形,名曰「磨城」。蔡侯不解其意。員笑曰:「東驢西磨,何患『麥』之不下耶?」鬥巢在麥城聞知吳兵東西築城,急忙引兵來爭,誰知二城已立,屹如堅壘。鬥巢先至東城,城上旌旗布滿,鐸聲不絕。鬥巢大怒,便欲攻城。只見轅門開處,一員少年將軍引兵出戰。鬥巢問其姓名,答曰:「吾乃蔡侯少子姬乾也。」鬥巢曰:「孺子非吾敵手!伍子胥安在?」姬乾曰:「已取汝麥城去矣!」鬥巢愈怒,挺著長戟,直取姬乾。姬乾奮戈相迎,兩下交鋒,約二十餘合。忽有哨馬飛報:「今有吳兵攻打麥城,望將軍速回!」鬥巢恐巢穴有失,急鳴金收軍,軍伍已亂。姬乾乘勢掩殺一陣,不敢窮追而返。鬥巢回至麥城,正遇伍員指揮軍馬圍城。鬥巢橫戈拱手曰:「子胥別來無恙?足下先世之冤,皆由無極,今讒人已誅,足下無冤可報矣。宗國三世之恩,足下豈忘之乎?」員對曰:「吾先人有大功於楚,楚王不念,冤殺父兄,又欲絕吾之命,幸蒙天祐,得脫於難。懷之十九年,乃有今日,子如相諒,速速遠避,勿攖吾鋒,可以相全。」鬥巢大罵:「背主之賊!避汝不算好漢。」便挺戟來戰伍員,員亦持戟相迎。略戰數合,伍員曰:「汝已疲勞,放汝入城,明日再戰。」鬥巢曰:「來日決個死敵!」兩下各自收軍。城上看見自家人馬,開門接應入城去了。至夜半,忽然城上發起喊來,報道:「吳兵已入城矣!」原來伍員軍中多有楚國降卒,故意放鬥巢入城,卻教降卒數人,一樣妝束,雜在楚兵隊裏混入,伏於僻處,夜半,於城上放下長索,吊上吳軍。比及知覺,城上吳軍已有百餘,齊聲吶喊,城外大軍應之,守城軍士亂竄,鬥巢禁約不住,只得乘軺車出走。伍員也不追趕,得了麥城,遣人至吳王處報捷。潛淵有詩云: 西磨東驢下麥城,偶因觸目得功成﹔子胥智勇真無敵,立見荊蠻右臂傾。 話說孫武引兵過虎牙山,轉入當陽阪,望見漳江在北,水勢滔滔,紀南地勢低下,西有赤湖,湖水通紀南及郢都城下。武看在肚裏,心生一計,命軍士屯於高阜之處,各備畚鍤,限一夜之間,要掘開深壕一道,引漳江之水,通於赤湖,卻築起長堤,壩住江水。那水進無所洩,平地高起二三丈,又遇冬月,西風大發,即時灌入紀南城中。守將宋木,只道江漲,驅城中百姓奔郢都避水。那水勢浩大,連郢都城下,一望如江湖了。孫武使人於山上砍竹造筏,吳軍乘筏薄城。城中方知此水乃吳人決漳江所致,眾心惶懼,各自逃生。楚王知郢都難守,急使箴尹固具舟西門,取其愛妹季羋,一同登舟。子期在城上,正欲督率軍士捍水,聞楚王已行,只得同百官出城保駕,單單走出一身,不復顧其家室矣。郢都無主,不攻自破。史官有詩云: 虎踞方城阻漢川,吳兵迅掃若飛煙﹔忠良棄盡讒貪售,不怕隆城高入天。 孫武遂奉闔閭入郢都城,即使人掘開水壩,放水歸江,合兵以守四郊。伍員亦自麥城來見。闔閭升楚王之殿,百官拜賀已畢,然後唐蔡二君,亦入朝致詞稱慶。闔閭大喜,置酒高會。是晚,闔閭宿於楚王之宮,左右得楚王夫人以進。闔閭欲使侍寢,意猶未決。伍員曰:「國尚有之,況其妻乎?」王乃留宿,淫其妾媵殆遍。左右或言:「楚王之母伯嬴,乃太子建之妻,平王以其美而奪之,今其齒尚少,色未衰也。」闔閭心動,使人召之,伯嬴不出。闔閭怒,命左右「牽來見寡人。」伯嬴閉戶,以劍擊戶而言曰:「妾聞諸侯者,一國之教也。禮,男女居不同席,食不共器,所以示別。今君王棄其表儀,以淫亂聞於國人,未亡人寧伏劍而死,不敢承命。」闔閭大慙,乃謝曰:「寡人敬慕夫人,願識顏色,敢及亂乎?夫人休矣。」使其舊侍為之守戶,誡從人不得妄入。伍員求楚昭王不得,乃使孫武伯嚭等,亦分據諸大夫之室,淫其妻妾以辱之。唐侯蔡侯同公子山往搜囊瓦之家,裘佩尚依然在笥,肅霜馬亦在廄中。二君各取其物,俱轉獻於吳王。其他寶貨金帛,充牣室中,恣左右運取,狼籍道路。囊瓦一生貪賄,何曾受用?公子山欲取囊瓦夫人,夫概至,逐山而自取之。是時君臣宣淫,男女無別,郢都城中,幾於獸群而禽聚矣。髯翁有詩云: 行淫不避楚君臣,但快私心瀆大倫﹔只有伯嬴持晚節,清風一線未亡人。 伍員言於吳王,欲將楚宗廟盡行拆毀。孫武進曰:「兵以義動,方為有名。平王廢太子建而立秦女之子,任用讒貪,內戮忠良,而外行暴於諸侯,是以吳得至此。今楚都已破,宜召太子建之子羋勝,立之為君,使主宗廟,以更昭王之位。楚人憐故太子無辜,必然相安,而勝懷吳德,世世貢獻不絕。王雖赦楚,猶得楚也。如此,則名實俱全矣!」闔閭貪於滅楚,遂不聽孫武之言,乃焚毀其宗廟。唐蔡二君,各辭歸本國去訖。闔閭復置酒章華之臺,大宴群臣,樂工奏樂,群臣皆喜,惟伍員痛哭不已。闔閭曰:「卿報楚之志已酬矣,又何悲乎?」員含淚而對曰:「平王已死,楚王復逃,臣父兄之仇,尚未報萬分之一也。」闔閭曰:「卿欲何如?」員對曰:「乞大王許臣掘平王之塚墓,開棺斬首,方可洩臣之恨。」闔閭曰:「卿為德於寡人多矣,寡人何愛於枯骨,不以慰卿之私耶?」遂許之。伍員訪知平王之墓,在東門外地方室丙莊寥臺湖,乃引本部兵往。但見平原衰草,湖水茫茫,並不知墓之所在。使人四下搜覓,亦無蹤影。伍員乃搥胸向天而號曰:「天乎,天乎!不令我報父兄之怨乎?」忽有老父至前,揖而問曰:「將軍欲得平王之塚何故?」員曰:「平王棄子奪媳,殺忠任佞,滅吾宗族,吾生不能加兵其頸,死亦當戮其屍,以報父兄於地下。」老父曰:「平王自知多怨,恐人發掘其墓,故葬於湖中。將軍必欲得棺,須涸湖水而求之,乃可見也。」因登寥臺,指示其處。員使善沒之士,入水求之,於臺東果得石槨。乃令軍士各負沙一囊,堆積墓旁,壅住流水﹔然後鑿開石槨,得一棺甚重,發之,內惟衣冠及精鐵數百斤而已。老叟曰:「此疑棺也,真棺尚在其下。」更去石板下層,果然有一棺。員令毀棺,拽出其屍,驗之,果楚平王之身也。用水銀殮過,膚肉不變。員一見其屍,怨氣沖天,手持九節銅鞭,鞭之三百,肉爛骨折。於是左足踐其腹,右手抉其目,數之曰:「汝生時枉有目珠,不辨忠佞,聽信讒言,殺吾父兄,豈不冤哉!」遂斷平王之頭,毀其衣衾棺木,同骸骨棄於原野。髯翁有讚云: 怨不可積,冤不可極。極冤無君長,積怨無存歿。匹夫逃死,僇及朽骨。淚血灑鞭,怨氣昏日。孝意奪忠,家仇及國。烈哉子胥,千古猶為之飲泣! 伍員既撻平王之屍,問老叟曰:「子何以知平王葬處及其棺木之詐?」老叟曰:「吾非他人,乃石工也。昔平王令吾石工五十餘人,砌造疑塚,恐吾等洩漏其機,塚成之後,將諸工盡殺塚內,獨老漢私逃得免。今日感將軍孝心誠切,特來指明,亦為五十餘冤鬼,稍償其恨耳。」員乃取金帛厚酬老叟而去。 再說楚昭王乘舟西涉沮水,又轉而南渡大江,人於雲中。有草寇數百人,夜劫昭王之舟,以戈擊昭王。時王孫繇于在旁,以背蔽王,大喝曰:「此楚王也,汝欲何為?」言未畢,戈中其肩,流血及踵,昏倒於地。寇曰:「吾輩但知有財帛,不知有王!且令尹大臣,尚且貪賄,況小民乎?」乃大搜舟中金帛寶貨之類。箴尹固急扶昭王登岸避之。昭王呼曰:「誰為我護持愛妹,勿令有傷!」下大夫鍾建背負季羋,以從王於岸。回顧群盜放火焚舟,乃夜走數里。至明旦,子期同宋木、鬥辛、鬥巢陸續蹤跡而至。鬥辛曰:「臣家在鄖,去此不及四十里,吾王且勉強到彼,再作區處。」少頃,王孫繇于亦至,昭王驚問曰:「子負重傷,何以得免?」繇于曰:「臣負痛不能起,火及臣身,忽若有人推臣上岸,昏迷中聞其語曰:『吾乃楚之故令尹孫叔敖也。傳語吾王,吳師不久自退,社稷緜遠。』因以藥敷臣之肩,醒來時血止痛定,故能及此。」昭王曰:「孫叔產於雲中,其靈不泯。」相與嗟嘆不已。鬥巢出於乾糒同食,箴尹固解匏瓢汲水以進。昭王使鬥辛覓舟於成臼之津,辛望見一舟東來,載有妻小,察之,乃大夫藍尹亹也。辛呼曰:「王在此,可以載之。」藍尹亹曰:「亡國之君,吾何載焉!」竟去不顧。鬥辛伺候良久,復得漁舟,解衣以授之,纔肯艤舟攏岸。王遂與季羋同渡,得達鄖邑。鬥辛之仲弟鬥懷,聞王至出迎。辛令治饌。鬥懷進食,屢以目視昭王。鬥辛疑之,乃與季弟巢親侍王寢。至夜半,聞淬刀聲,鬥辛開門出看,乃鬥懷也,手執霜刃,怒氣勃勃。辛曰:「弟淬刃欲何為乎?」懷曰:「欲弒王耳!」辛曰:「汝何故生此逆心?」懷曰:「昔吾父忠於平王,平王聽費無極讒言而殺之。平王殺我父,我殺平王之子,以報其仇,有何不可。」辛怒罵曰:「君猶天也,天降禍於人,人敢仇乎?」懷曰:「王在國,則為君,今失國,則為仇,見仇不殺,非人也。」辛曰:「古者,怨不及嗣。王又悔前人之失,錄用我兄弟,今乘其危而弒之,天理不容。汝若萌此意,吾先斬汝!」鬥懷挾刃出門而去,恨恨不已。昭王聞戶外叱喝之聲,披衣起竊聽,備聞其故,遂不肯留鄖。鬥辛鬥巢與子期商議,遂奉王北奔隨國。 卻說子西在魯洑江把守,聞郢都已破,昭王出奔,恐國人遺散,乃服王服,乘王輿,自稱楚王,立國於脾洩,以安人心。百姓避吳亂者,依之以居。已而聞王在隨,曉諭百姓,使知王之所在,然後至隨,與王相從。伍員終以不得楚昭王為恨,言於闔閭曰:「楚王未得,楚未可滅也。臣願率一軍西渡,蹤跡昏君,執之以歸。」闔閭許之。伍員一路追尋,聞楚王在隨,竟往隨國,致書隨君,要索取楚王。畢竟楚王如何得免,且看下回分解。
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