東周列國志第九十七回 死せる范雎、計って秦国に逃れる/張禄と偽って朝廷で魏の使者を辱める (死范雎計逃秦國 假張祿廷辱魏使)

范睢の受難

  • 大梁の人范睢、字は叔といい、天下の道理を語る才と国を安んじる志を持っていた。魏王に仕えることを望んでいたが、家が貧しく自分から仕官の道を開くことができなかった。そこでまず中大夫須賈の門下に身を投じ、舎人として用いられた。
  • かつて斉の湣王が無道であったとき、楽毅が四国を糾合して斉を伐ったが、魏もまた兵を遣わして燕を助けた。田単が燕を破り斉を復興させると、斉の襄王法章が即位した。魏王はその報復を恐れ、相国魏斉と協議して、須賈を斉に遣わして修好させることにした。賈は范睢を従わせた。
  • 斉の襄王は須賈に問うた。「昔わが先王は魏と共に兵を発して宋を伐ち、声気を通じ合っていた。ところが燕人が斉国を踏みにじり滅ぼしたとき、魏は実にこれに与していた。寡人は先王の仇を思うと、切歯腐心する思いだ。今また空しい言葉で寡人を誘おうとするとは、魏は反覆常なきものよ。寡人にどうして信を置けようか。」須賈はこれに答えることができなかった。
  • 范睢が傍らから代わって答えた。「大王のお言葉は誤っておられます。かつて先代のわが君が宋を伐つ役に従いましたのは、命を奉じたまでのことです。もともと宋国を三分すると約束していたのに、貴国(斉)はその約を破り、宋の地をことごとく収めた上に、さらに侵略と虐待を加えました。これは斉の方こそわが国(魏)に信を失ったのです。諸侯は斉の驕り高ぶり飽くことを知らぬさまを畏れ、それゆえ燕人に親しみ従いました。済西の戦いは、五国が同じく敵とした戦であり、どうしてわが国だけのことでございましょうか。しかしわが国はあまり事を過剰にせず、燕に従って臨淄までは攻め入りませんでした。これはわが国が斉に対して礼を尽くしたということです。」
  • 范睢はさらに続けた。「今大王は英武、世に並ぶ者なく、仇に報い恥をすすぎ、先代の事業を光り輝かせておられます。わが君は思いますに、桓公・威王の盛業は必ずや再び振るうべきものであり、湣王の過ちを覆い隠すことができ、その誉れを永遠に伝えることができましょう。それゆえ下臣賈を遣わして旧好を修めさせたのです。大王はただ人を責めることばかりお考えで、ご自身を省みられません。恐らくは湣王の轍を踏むことが、今また繰り返されるのではないかと存じます。」
  • 斉の襄王は愕然として謝った。「これは寡人の過ちであった。」そしてすぐに須賈に問うた。「この者は何者か。」須賈は言った。「臣の舎人、范睢でございます。」斉王は范睢をしばらく見つめてから、須賈を公館に送り、手厚くもてなした。
  • 使者を遣わして密かに范睢に言わせた。「わが君はあなたの才を慕い、あなたを斉に留めたいと思っておられます。客卿としてお迎えしましょう、どうか辞退なさいませんように。」范睢はこれを辞退して言った。「臣は魏の使者(須賈)と共に来ておりながら、共に帰らぬのでは、不信不義となります。それでどうして人と言えましょうか。」斉王はますますこれを愛し重んじ、再び使者を遣わして范睢に黄金十斤と牛と酒を賜った。睢は固く辞退して受けなかった。
  • 使者が幾度も斉王の命を伝え、なお固辞するので、睢はやむを得ず牛酒だけを受け取り、黄金は返した。使者は嘆息して去った。
  • ほどなくこのことが須賈の耳に入り、須賈は范睢を呼んで問うた。「斉の使者は何のために来たのか。」范睢は言った。「斉王が黄金十斤と牛酒を臣に賜ろうとされましたが、臣はあえてお受けしませんでした。幾度も強いられましたので、臣はただ牛酒だけを留めました。」
  • 須賈は言った。「お前に賜った理由は何なのか。」范睢は言った。「臣には分かりません。あるいは臣が大夫のお側にいるので、大夫を敬うついでに臣にも及んだのでしょう。」須賈は言った。「賜り物が使者である私には及ばず、お前だけに及んだのは、必ずやお前が斉と内通しているからだろう。」范睢は言った。「斉王は以前使者を遣わして臣を客卿として留めようとされましたが、臣はこれを厳しく拒みました。臣は信義を自らの誓いとしております。どうして内通などいたしましょうか。」須賈の疑いはますます深まった。
  • 使いの仕事が終わり、須賈は范睢と共に魏へ帰ると、賈はすぐに魏斉に言った。「斉王は舎人范睢を客卿として留めようとし、さらに黄金と牛酒を賜りました。臣は、睢が国中の内情を斉に告げたのではないかと疑っております。だからこそ、このような賜り物があったのでしょう。」
  • 魏斉は大いに怒り、賓客を集め、人を遣わして范睢を捕らえさせ、即座にその場で尋問した。睢は連れて来られ階下にひれ伏した。魏斉は厳しい声で問うた。「お前は内情を斉に告げたのか。」范睢は言った。「どうしてそのようなことができましょうか。」
  • 魏斉は言った。「お前が斉に内通していなかったのなら、斉王がどうしてお前を留めようとするのか。」睢は言った。「留めようとされたのは事実でございますが、睢はこれに従いませんでした。」魏斉は言った。「それでは黄金と牛酒の賜り物を、お前はどうして受け取ったのか。」睢は言った。「使者が幾度も強く勧めたので、睢は斉王のお心に逆らうことを恐れ、やむなく牛酒だけを受け取りました。黄金十斤は実際に受け取っておりません。」
  • 魏斉は咆哮して大喝した。「売国の賊め、まだ多言するか。牛酒の賜り物にしても、どうして理由がないことがあろうか。」獄卒を呼んで縛らせ、背中を百回打たせ、斉に通じた自白をさせようとした。范睢は言った。「臣は実に内通などしておりません。何を白状すればよいのですか。」
  • 魏斉はますます怒って言った。「わしのためにこの奴を鞭打ち殺せ。禍の種を残すな。」獄卒たちは鞭を乱れ打ちにし、范睢の歯を打ち折った。睢は血が顔中を覆い、痛みに耐えかねて叫び、冤罪を訴えた。賓客たちは相国の激しい怒りの前で、誰も止めようとしなかった。
  • 魏斉は左右に大きな杯で酒を勧めさせながら、一方で獄卒に力を加えるよう命じ、辰の刻から未の刻まで続けさせた。范睢は全身が傷だらけとなり血肉が地に落ち、ばりばりと音がして脇骨も折れ、睢は大声を上げて気を失って死んでしまった。
  • (詩:信義ある忠良な士が無実の罪で溝に打ち捨てられるさまを詠み、上官たる者に、理不尽な棒で無実の平民を打つなと戒める趣旨)
  • 潜淵居士にもまた詩がある。(詩:張儀の璧盗みの疑いや范叔の売国の疑いなど、いずれも根拠なく英雄が冤罪を受ける世の不条理を嘆く趣旨)

范睢、生き延びて逃亡す

  • 左右の者が「范睢の息が絶えました」と報告した。魏斉は自ら見に行き、范睢が脇骨を折られ歯も折られ、身に完全な部分がなく、血の海の中で硬直して動かないのを見た。魏斉は指さして罵った。「売国の賊め、良い死に様だ。後世の人への見せしめとするがよい。」
  • 獄卒に命じて葦の簀で屍を巻かせ、便所に置き、賓客たちに小便をかけさせて、彼を清らかな死者にさせぬようにした。
  • やがて日も暮れてきたが、范睢は命がまだ尽きておらず、死んで蘇り、葦の簀の中から目を開いてこっそり様子をうかがうと、一人の兵卒だけが傍らで見張っていた。范睢はかすかにうめき声を出した。見張りの兵卒はこれを聞き、慌てて様子を見に来た。
  • 范睢は言った。「私はこれほどの重傷を負い、しばらく意識が戻ったとはいえ、とても助かる見込みはない。もしお前が私を家で死なせてくれれば、殯もできる。家には黄金数両あるので、すべてお前に礼として渡そう。」見張りの兵卒はその利を貪り、「お前は死んだふりをせよ。私は中に入って報告する」と言った。
  • そのとき魏斉と賓客たちは皆酔いつぶれていた。見張りの兵卒は「便所の死骸がひどく臭いますので、外に出してよろしいでしょうか」と申し出た。賓客たちは皆言った。「范睢に罪があったとしても、相国はすでに十分に処罰なさった。」魏斉は言った。「郊外に出しておけ。野の鳶にその残った肉を食わせるがよい。」
  • 言い終えると賓客たちは皆散り、魏斉もまた内宅に戻った。見張りの兵卒は黄昏になり人が静まるのを待って、こっそりと范睢を背負って范睢の家まで運んだ。
  • 睢の妻子はこれを見て互いに悲しみ苦しんだが、その様子はここでは述べない。范睢は家の者に命じて黄金を取り出させ、これを礼として贈り、また自分の身を巻いていた葦の簀を外して見張りの兵卒に渡し、これを野外に捨てさせて人の目を欺かせた。
  • 見張りの兵卒が去った後、妻子は血肉を丁寧に拭い、傷を縛って手当てし、酒食を進めた。范睢は妻に静かに言った。「魏斉は私をひどく恨んでいる。私が死んだと知ってはいても、なお疑いを持っているだろう。私が便所から出られたのは、彼が酔っていた隙に乗じたに過ぎない。明日再び私の屍を探して見つからなければ、必ず我が家に及ぶだろう。私は生きられまい。私には義兄弟の鄭安平がいる、西門の貧しい路地に住んでいる。お前は夜のうちに私をそこへ送ってくれ、決して漏らしてはならぬ。一月あまり経って、私の傷が癒えたら、四方へ逃げて命を全うするつもりだ。私が去った後、家では哀しみを表し、私が本当に死んだかのようにしておいてくれ。そうすれば疑いも絶えるだろう。」
  • 妻はこの言葉に従い、まず召使いを先に遣わして鄭安平に知らせた。鄭安平はすぐに睢の家に来て様子を見、その家人と共に范睢を運び去った。

范睢、張禄と名を改めて秦へ入る

  • 翌日、魏斉は果たして范睢のことを疑い、屍がまだ蘇るのではないかと恐れ、人を遣わして屍のある場所を確かめさせた。見張りの兵卒は「人気のない野外に捨てました。今は葦の簀だけが残っており、思うに犬や豚に食われて持ち去られたのでしょう」と報告した。魏斉はさらに人を遣わして睢の家をうかがわせたが、哀しみを表し喪に服している様子なので、ようやく安心した。
  • 一方范睢は鄭安平の家で薬を施し養生し、次第に回復した。安平は睢と共に具茨山に身を隠した。范睢は姓名を張禄と改め、山中の人々は彼が范睢であることを誰も知らなかった。
  • 半年ほど経った頃、秦の謁者王稽が昭襄王の命を受けて魏へ使いに来て、公館に滞在していた。鄭安平は駅の卒に扮して王稽に仕え、応対が機敏であったので、王稽はこれを気に入った。
  • そこで王稽はひそかに問うた。「お前はこの国にまだ仕官していない賢人を知っているか。」安平は言った。「賢人など、そう容易に語れるものではありません。かつて范睢という者がおりましたが、その人は智謀の士でありながら、相国が杖でこれを死に至らしめました。」言い終わらぬうちに、王稽は嘆いて言った。「惜しいことだ。その人はついにわが秦国に来ることなく、その大才を発揮できずに終わったのか。」
  • 安平は言った。「今臣の郷里に張禄先生という者がおります。その才智は范睢に劣りません。あなた様はその人にお会いになりたいですか。」王稽は言った。「そのような人物がいるなら、なぜ招いて会わせないのか。」安平は言った。「その人には国中に仇があり、昼間に出歩けません。もしこの仇がなければ、とうに魏に仕官していたでしょう、今日まで待つことはなかったはずです。」王稽は言った。「夜であれば構わない。私が待とう。」
  • 鄭安平はそこで張禄にも宿駅の下役の姿をさせ、深夜に公館へ来させて謁見させた。王稽は簡単に天下の大勢について尋ねた。范睢の答えは条理明晰で、まるで目の前で見ているかのようであった。王稽は喜んで言った。「私はあなたが並みの人ではないと分かった。私と共に西へ秦に行かないか。」范睢は言った。「臣禄は魏に仇があり安住できません。もしお連れいただけるなら、まさに至って願うところです。」
  • 王稽は指を折って計算しながら言った。「私の使いの仕事が終わるまで、あと五日ほどかかる。先生はその頃、三亭岡の人のいない所で私を待たれよ。必ずそこで載せて行こう。」五日後、王稽は魏王に別れを告げ、群臣は皆郊外まで見送り、事は終わって皆別れた。
  • 王稽は車を駆って三亭岡に至った。すると突然林の中から二人が走り出た。張禄と鄭安平であった。王稽は大いに喜び、まるで奇珍を得たかのように、張禄と同じ車に乗った。道中、飲食から休息まで必ず共にし、語り合うことも意気投合して、大いに親愛の情を深めた。ほどなく秦の国境に入った。

穣侯を避ける

  • 湖関に至ると、行く手の正面に土煙が立ち上るのが見え、一群の車馬が西からやって来た。范睢は「来る者は誰か」と尋ねた。王稽は先頭の者を見知っており、「あれは丞相穣侯です。東方の郡邑を巡視しているのです」と言った。
  • もともと穣侯は名を魏冉といい、宣太后の弟であった。宣太后は羋氏、楚の女で、昭襄王の母である。昭襄王が即位したとき、まだ幼く元服前であったので、宣太后が臨朝して政をとり、その弟魏冉を丞相として用い、穣侯に封じた。次の弟羋戎もまた華陽君に封じられ、共に国事を専断した。
  • のちに昭襄王が成人すると、心中太后を畏れ、その弟公子悝を涇陽君に、公子市を高陵君に封じ、これによって羋氏の権を分けようとした。国中ではこれを「四貴」と呼んだが、いずれも丞相の尊さには及ばなかった。丞相は毎年時節ごとに、王に代わって郡国を巡り、官吏を視察し、城と堀を見て回り、車馬を検分し、民衆を撫でならすのが、旧来の慣例であった。今日、穣侯が東方を巡視しているのを、王稽が見知らぬはずがなかった。
  • 范睢は言った。「私が聞くところ、穣侯は秦の権力を専らにし、賢者を妬み能ある者を憎み、諸侯の賓客を受け入れるのを嫌うといいます。恐らくは辱めを受けるでしょうから、私は車の中に隠れて避けましょう。」
  • ほどなく穣侯が到着し、王稽は車を下りて迎え謁した。穣侯もまた車を下りて相見え、ねぎらって言った。「謁者どの、国事にご苦労なことだ。」そして共に車の前に立ち、それぞれ寒暄を交わした。穣侯は言った。「関東近頃何か事はあったか。」王稽は身をかがめて答えた。「特にございません。」
  • 穣侯は車の中に目をやりながら言った。「謁者どのはよもや諸侯の賓客を伴って来てはおるまいな。この輩は口先だけで人の国に遊説し、富貴を得ようとするだけで、まったく実用に堪えない。」王稽はまた答えた。「あえてそのようなことはございません。」
  • 穣侯が別れて去ったあと、范睢は車の中から出て、そのまま車を下りて立ち去ろうとした。王稽は言った。「丞相はもう去った。先生は同乗されるがよい。」
  • 范睢は言った。「私が穣侯の様子をひそかにうかがいましたところ、白目が多く視線が邪であり、その人柄は疑い深く物事の判断が遅いようです。先ほど車の中に目をやったのは、すでに疑いを持っていたからでしょう。一時にすぐには捜索しなかったものの、久しからずして必ず後悔し、後悔すれば必ず引き返してくるでしょう。避けておくに越したことはありません。」
  • そして鄭安平を呼んで共に走り去った。王稽の車列は後方にあり、約十里ほど進んだところで、背後から馬の鈴の音が響いた。果たして二十騎が東から飛ぶように駆けて来て、王稽の車列に追いつき、こう言った。「われらは丞相の命を受け、大夫が遊説の客を連れているのではないかと恐れ、改めて調べに参りました。大夫、お怒りなきよう。」そして車の中をくまなく調べたが、他国の人間は見つからず、ようやく引き返して行った。
  • 王稽は嘆いて言った。「張先生はまことの智者だ。私には及ばない。」そこで車を進ませ、さらに五、六里行くと、張禄と鄭安平の二人に出会い、車に乗るよう招き入れ、共に咸陽へ入った。髯翁に范睢が魏を去った事を詠んだ詩がある。
  • (詩:范睢の先見の明が神業のようであり、信陵君が三千の食客を養いながらこの賢人を秦に逃がしてしまったことを嘆く趣旨)

遠交近攻の献策、外戚の追放と范睢の丞相就任

  • 王稽は秦の昭襄王に朝見し、使命の復命を終えると、さらに進み出て言った。「魏に張禄先生という者がおり、智謀は人並み外れ、天下の奇才です。臣と秦国の情勢について語り、秦は積み重ねた卵のように危ういと申し、彼にはこれを安んずる策があると言いますが、直に面談せねば話せぬとのことです。臣はそれゆえこの者を伴って参りました。」秦王は言った。「諸侯の客はよく大言を吐くものだ、往々にしてこのようなことがある。しばらく客舎に置いておけ。」
  • そこで下等の宿舎に館し、王からの召し出しを待たせることとなった。年を越しても召されず、ある日、范睢が市中に出ると、穣侯がちょうど出征のため徴兵をしているところに出くわした。范睢はひそかに問うた。「丞相は出征のため兵を徴しておられるが、どの国を伐つおつもりか。」ある老人が答えた。「斉の綱寿を伐とうとしているのだ。」
  • 范睢は言った。「斉が国境を侵したことがあるのか。」老人は言った。「ない。」范睢は言った。「秦と斉とは東西に遠く隔たり、その間には韓と魏が挟まっている。しかも斉は秦を侵していないのに、秦はどうして遠くまで赴いてこれを伐つのか。」
  • 老人は范睢を人気のない所へ連れて行き言った。「斉を伐つのは秦王の本意ではない。陶山が丞相の封邑の中にあり、綱寿は陶に近いため、丞相は武安君(白起)を将として伐たせ、これを取って自らの封地を広げようとしているのだ。」
  • 范睢は住まいに戻り、そこで秦王に上書した。おおよそこう記されていた。
  • 「旅の臣張禄、死罪、死罪。秦王殿下に奏聞いたします。臣が聞くところ、『明主が政を立てるにあたっては、功ある者には賞を与え、能ある者には官を授け、労の大なる者は禄を厚くし、才の高い者は爵を尊くする』と申します。それゆえ無能な者は職を濫りに求めることができず、能ある者もまた見捨てられることはございません。今臣は下舎に命を待つこと、すでに一年になります。臣を用いるべきとお考えであれば、どうか寸暇を借りて臣の説くところをお聞きください。臣を無用とお考えであれば、臣をこのまま留めておく理由もございません。言葉を発するのは臣にあり、それを聞くかどうかは君にあります。臣の言葉が当を得なければ、斧による処刑にでも服しましょう、それも遅くはございません。臣を軽んじられるあまり、臣を推挙した者まで軽んじられませぬよう。」
  • 秦王はすでに張禄のことを忘れていたが、この書を見て、すぐに人を遣わして伝車で離宮に召し寄せた。秦王はまだ到着していなかった。范睢が先に着き、秦王の車騎がやって来るのを望み見ると、わざと知らぬふりをして、あえて永巷へ入り込んだ。
  • 宦者が前を歩いてこれを追い立て、「王がお越しになる」と言った。范睢はわざと言った。「秦には太后と穣侯があるだけだ。どうして王があろうか。」前へ進んでもかえりみなかった。
  • ちょうど言い争っているところへ秦王が到着し、宦者に「客と何を言い争っているのか」と尋ねた。宦者は范睢の言葉を述べた。秦王はかえって怒らず、彼を内宮に迎え入れ、上客の礼をもって遇した。范睢は謙って辞退した。
  • 秦王は左右を退け、膝をついて身を起こし、請うた。「先生は何をもって寡人にお教えくださるのか。」范睢は「はい、はい」とだけ言った。しばらくして秦王がまた跪いて先ほどと同じように請うたが、范睢はまた「はい、はい」と言うだけであった。このようなことが三度続いた。
  • 秦王は言った。「先生はついに寡人にお教えいただけないのか。それとも寡人を語るに足らぬとお思いなのか。」范睢は答えた。「あえてそのようなことはございません。昔、呂尚は渭水のほとりで釣りをし、文王に出会うと、一言で尚父に拝せられ、その謀を用いてついに商を滅ぼし天下を得ました。箕子と比干は身は王室の身内でありながら、言葉を尽くし諫めを極めましたが、商の紂王は聞き入れず、奴とされたり誅されたりし、商はついに滅びました。これに他なる理由はなく、信じられたか否かの違いなのです。呂尚は疎遠でありながら文王に信じられ、それゆえ王業は周に帰し、尚もまた侯に封ぜられ、代々これを伝えました。箕子と比干は近親でありながら紂に信じられず、それゆえ身は死や辱めを免れず、国を救うこともできませんでした。今臣は旅の臣として、最も疎遠な立場に居ながら、申し上げたいことは皆興亡の大計であり、あるいは骨肉の間に関わる事柄でございます。深く申し上げなければ秦を救うことにならず、深く申し上げれば箕子・比干のような禍が後に及ぶかもしれません。それゆえ王が三度お尋ねになってもあえてお答えしなかったのは、王のお心が信じてくださるかどうか、まだ分からなかったからでございます。」
  • 秦王は再び跪いて請うた。「先生、何を仰いますか。寡人は先生の大才を慕い、それゆえ左右を退け、専らお教えを聞こうとしているのです。申せることがあれば、上は太后に及び、下は大臣に及ぶことでも、先生には包み隠さずすべて仰っていただきたい。」
  • (秦王がこう言ったのは、先ほど永巷に入った折、宦者から范睢の「秦には太后と穣侯があるだけで、王のことは聞いたことがない」という言葉を聞いたためで、心中これを疑い、まことに教えを請いたいと思っていたのであった。范睢の方は、初対面のときに万一言葉が通じ合わなければ、後の進言の道が絶たれてしまうことを恐れ、しかも左右に立ち聞きする者が多く、それが伝われば禍が測りがたいことをも恐れたので、まず外聞の事柄を少し述べて、これを呼び水としたのであった。)
  • 范睢は言った。「大王が包み隠さず申せとお命じくださるなら、それは臣の願うところでございます。」そして拝礼すると、秦王も答礼した。
  • そのうえで座に着いて言葉を開いた。「秦の地の険しさは天下に並ぶものなく、その甲冑と武器の強さも天下に並ぶ敵はございません。それなのに併呑の謀は成らず、覇王の業も成っていないのは、秦の大臣に計略の失があるからではございませんか。」秦王は身を乗り出して問うた。「その失計とはどこにあるのか、どうか申されよ。」
  • 范睢は言った。「臣が聞くところ、穣侯は韓魏を越えて斉を攻めようとしておりますが、その計は誤っております。斉は秦から甚だ遠く、その間には韓と魏が隔てております。王が少しの兵を出せば斉を害するには足らず、多くの兵を出せば、かえって先に秦の害となりましょう。昔、魏は趙を越えて中山を伐ち、その地を手に入れましたが、間もなく趙のものとなりました。なぜかといえば、中山は趙に近く魏に遠いからです。今斉を伐って勝てなければ秦の大きな恥辱となり、たとえ斉を伐って勝ったとしても、ただ韓魏を利するだけで、秦にとって何の益がありましょうか。大王のためにお考えするに、遠く交わって近くを攻めるという策に勝るものはございません。遠く交わることで人の歓心を離間させ、近くを攻めることでわが地を広げるのです。近きより遠きに及べば、蚕が葉を食むがごとく、天下を尽く手に入れることも難しくございません。」
  • 秦王はさらに言った。「遠交近攻の道とはどのようなものか。」范睢は言った。「遠く交わるべきは斉と楚にほかならず、近く攻めるべきは韓と魏にほかなりません。韓と魏を得られれば、斉と楚が独り存立できましょうか。」
  • 秦王は手を打って賛意を示し、すぐに范睢を客卿に任じ、張卿と号させた。その策を用いて東方の韓・魏を伐たせ、白起の斉討伐の軍は取りやめさせた。魏冉と白起は一相一将としてすでに久しく政を執っており、張禄が急に寵愛されるのを見て、皆不満の色を浮かべた。しかし秦王は深くこれを信じ、寵愛はますます厚くなり、毎夜のように独りで召して政事を相談し、その進言はすべて実行された。
  • 范睢は秦王の心がすでに固まったのを知り、内密の機会を求め、左右をすべて退けて言った。「臣は大王の過分なお引き立てを受け、共に事にあずかることになりました。臣は身が粉々に砕けても、そのご恩に報いることはできません。しかしながら、臣には秦を安んずる計がございますが、まだ王にお伝えする勇気がございません。」
  • 秦王は跪いて問うた。「寡人は国を先生に託しているのだ。先生に秦を安んずる計がありながら、この時をおいてお教えくださらぬなら、いつをお待ちになるのか。」
  • 范睢は言った。「臣が以前、山東に居りましたとき、斉には孟嘗君がいるとは聞いても、斉王がいるとは聞きませんでした。秦にも太后、穣侯、華陽君、高陵君、涇陽君がいるとは聞いても、秦王がいるとは聞きませんでした。そもそも国を制するを王と申します。生殺与奪の権を他人が勝手にできないことをいいます。今、太后は国母の尊さを頼み、恣に事を行うこと四十余年、穣侯は独り秦の相を務め、華陽君がこれを助け、涇陽君と高陵君はそれぞれ門戸を立て、生殺を自由にし、私家の富は公家の十倍にも及んでおります。大王が何もせず空しい名だけを享受しておられるのは、危ういことではございませんか。昔、崔杼が斉を専断し、ついに荘公を弑逆いたしました。李兌が趙を専断し、ついに主父を殺害いたしました。今、穣侯は内には太后の勢を頼み、外には大王の威を盗み、兵を用いれば諸侯は震え恐れ、甲を解けば列国は恩に感じ入る有様。広く耳目を置き、大王の左右にまで手を伸ばしております。臣が、王は朝廷で孤立無援でいらっしゃると見て取ってから、すでに一日や二日のことではございません。恐らくは千秋万歳の後、秦国を有する者は、王のご子孫ではなくなってしまうのではないでしょうか。」
  • 秦王はこれを聞いて思わず総毛立ち、再拝して謝した。「先生の教えは、まさに心の底にしみる至言だ。寡人はこれを聞くのが遅かったことを恨む。」
  • そして翌日、穣侯魏冉から丞相の印を取り上げ、その封国に赴かせた。穣侯は担当官から牛車を得て家財を移したが、その数は千余台にも及び、珍宝奇玩は秦の内庫にすらないものばかりであった。翌日、秦王はさらに華陽君、高陵君、涇陽君の三君を関外へ追放し、太后を深宮に安置して政事に関わることを許さなかった。
  • そして范睢を丞相とし、応城に封じて応侯と号させた。秦人は皆張禄が丞相になったと思い、それが范睢であることを知る者はいなかった。ただ鄭安平だけがこれを知っており、睢は漏らさぬよう戒めたので、安平もまたあえて口にしなかった。時に秦の昭襄王の四十一年、周の赧王の四十九年であった。

須賈を辱める

  • 一方、魏の昭王がすでに薨去し、その子安釐王が即位したが、秦王が新たに丞相張禄の謀を用いて魏を伐とうとしていると聞き、急いで群臣を集めて協議した。信陵君無忌は言った。「秦兵が魏に加えられなくなって数年になります。今理由もなく兵を起こすのは、明らかに我らが相手にできぬと侮ってのことです。兵を厳しくし城郭を固めて備えるべきです。」
  • 相国魏斉は言った。「そうではございません。秦は強く魏は弱く、戦えば必ず勝ち目はありません。丞相張禄は魏の人と聞きます。どうして故郷への情がないことがありましょうか。厚い進物を持たせた使者を遣わし、まず張相に取り入り、その後秦王に謁見させ、人質を納れて講和を願い出れば、万全を期すことができましょう。」
  • 安釐王は即位して間もなく、まだ戦を経験していなかったので、魏斉の策を用い、中大夫須賈を秦への使者とした。須賈は命を受け、咸陽に至り、宿舎に泊まった。
  • 范睢はこれを知って喜んで言った。「須賈がここに来たとは、まさに私が仇に報いる日が来たのだ。」そこで華やかな衣を脱ぎ捨て、寒々しく落ちぶれた姿を装い、こっそり府門を出て宿舎に赴き、ゆっくりと歩いて入り、須賈に謁見した。
  • 須賈は一目見て大いに驚いて言った。「范叔よ、無事だったのか。私はお前が魏の相に打ち殺されたと思っていた。どうして命を保ってここに居るのだ。」范睢は言った。「あの時、私の屍は郊外に捨てられましたが、翌朝ようやく蘇り、たまたま通りかかった商人がうめき声を聞いて憐れんで助けてくれました。かろうじて一命を取りとめましたが、家には帰れず、それで苦難の旅を経てこの秦国まで参ったのです。思いがけずここで大夫にお目にかかることになろうとは。」
  • 須賈は言った。「范叔はよもや秦で遊説をするおつもりではないだろうな。」睢は言った。「私は昔魏国で罪を得て亡命してここに至り、生き延びられただけでも幸いです。どうしてあえて事を論じる口を開けましょうか。」須賈は言った。「范叔は秦でどのように生計を立てているのか。」睢は言った。「雇われて口を糊しているだけです。」
  • 須賈は思わず憐憫の情を起こし、彼を留めて共に座らせ、酒食を取り寄せて与えた。折しも冬であり、范睢は衣が薄く、震えている様子であった。須賈は嘆いて言った。「范叔、そこまで貧しくなっていたのか。」そして厚い綈の袍を取って着させた。范睢は「大夫のお召し物を、私がどうしていただけましょうか」と言った。須賈は「旧友に何を遠慮することがあろうか」と言った。范睢は袍を着て、幾度も謝意を述べた。
  • そこで問うた。「大夫はこちらへ何のご用向きで来られたのですか。」須賈は言った。「今、秦の相の張君が権勢を振るっておられる。私は彼に取り入りたいのだが、その伝手がないのを恨めしく思っている。お前は秦に長く居るというから、面識でもあって、私を張君に紹介してくれる者はいないだろうか。」
  • 范睢は言った。「私の主人は丞相と親しいのです。臣はかつて主人に従って相府に赴いたことがあります。丞相は議論を好み、話の応酬の中で主人が言葉に詰まると、私が時折一言助けます。丞相は私に弁舌の才があるとして、時に酒食を賜り、親しくしていただいています。あなた様が張君にお目にかかりたいのであれば、私も共に参りましょう。」須賈は言った。「それならば、日取りを整えてくれ。」
  • 范睢は言った。「丞相は多忙な方ですが、今日はたまたま暇があるようです。すぐに参られてはいかがでしょうか。」須賈は言った。「私は四頭立ての大きな車で来たのだが、今馬が足を痛め、車軸も折れてしまい、すぐには動けない。」范睢は言った。「私の主人にそれがございます、お借りしましょう。」
  • 范睢は自分の屋敷に戻り、大車と四頭の馬を取って宿舎の前に来て須賈に告げた。「車馬が整いました。私が御者を務めましょう。」須賈は喜んで車に乗り、范睢が手綱を執った。
  • 街の人々は丞相が自ら車を御して来るのを見て、皆両側に立って手を組んで礼をし、あるいは避けて走り去った。須賈はこれを自分に対する敬意だと思い、それが范睢のためであるとは思いもしなかった。
  • 府の前に着くと、范睢は言った。「大夫はここでしばらくお待ちください。私が先に入って、大夫のことをお取り次ぎいたします。丞相がお許しになれば、そのままお入りいただけます。」范睢はそのまま府門の中へ入って行った。
  • 須賈は車を下り、門外に立ってしばらく待ったが、相府の中から太鼓の音が響き、門で「丞相が堂に上られる」と喧しく伝えられ、属吏や舎人が絶えず走り回るばかりで、范睢の消息は一向になかった。
  • 須賈は門番に尋ねた。「先ほど私の旧友の范叔が、相君に取り次ごうと入ったまま、久しく出て来ない。呼んできてもらえないか。」門番は言った。「あなたの言われる范叔とは、いつ府に入られたのですか。」須賈は言った。「先ほど私のために車を御した者だ。」門番は言った。「車を御していたのは丞相の張君です。あの方はひそかに宿舎へ友を訪ねようと、目立たぬ身なりで出られたのです。どうして范叔などと言われるのですか。」
  • 須賈はこれを聞いて、夢の中で突然雷に打たれたような心地がし、胸が激しく高鳴り、「私は范睢に欺かれた。死期が至った」と言った。
  • 諺にいう「醜い嫁でも遅かれ早かれ舅姑に会わねばならぬ」というとおり、須賈は袍を脱ぎ帯を解き、冠を外して素足になり、門の外に跪き、門番に取り次いでもらい、ただ「魏国の罪人須賈がここにて死をお受けいたします」とだけ告げさせた。しばらくして門の内から丞相が招き入れよとの伝言があった。
  • 須賈はますます恐れおののき、頭を垂れて膝行し、正門脇の小門から入り、階段の前に至って幾度も額を地につけてぬかずき、「死罪」と口にした。范睢は威風堂々と堂上に座り、問うた。「お前は自分の罪を知っているか。」須賈はひれ伏して答えた。「存じております。」
  • 范睢は言った。「お前の罪はいくつあるか。」須賈は言った。「賈の髪を一本ずつ抜いて、その数だけ罪を数えても、なお足りないほどでございます。」
  • 范睢は言った。「お前の罪は三つある。私の先祖の墓は魏にあり、それゆえ私は斉に仕えることを望まなかったのに、お前は私が斉に内通していると妄言を魏斉の前で述べ、その怒りを招いた。これがお前の罪の一つ目だ。魏斉が怒りに任せて笞打ちの辱めを加え、歯を折り脇骨を折るに至っても、お前はいささかも諫め止めなかった。これがお前の罪の二つ目だ。私が意識を失い、すでに便所に捨てられたとき、お前は賓客を率いて私に小便をかけた。昔、孔子でさえ過度な仕打ちはしなかったというのに、お前はどうしてそこまで残忍になれたのか。これがお前の罪の三つ目だ。今日ここに至っては、本来なら首を斬り血をそそいで、これまでの恨みに報いるべきところだが、お前が命を保てたのは、あの綈の袍への未練から、なお旧友としての情があったためだ。それゆえ仮にお前の命を保たせるのだ。お前はこの恩を感じて謝するがよい。」
  • 須賈は幾度もぬかずいて感謝の言葉を述べ続けた。范睢は手を振って彼を退がらせ、須賈は這うようにして外へ出た。こうして秦人は初めて丞相張禄が、実は魏人范睢であり、仮に張禄と名乗って秦に来ていたことを知ったのであった。

范睢の本名の露見、宴席での須賈への辱めと魏斉への報復の求め

  • 翌日、范睢は秦王に謁見して言った。「魏国は恐れをなし、使者を遣わして和を乞うております。兵を用いる必要はございません。これはひとえに大王の威徳のいたすところでございます。」秦王は大いに喜んだ。
  • 范睢はさらに奏上した。「臣には王を欺いた罪がございます。どうか大王のお許しをいただいてから、申し上げたく存じます。」秦王は言った。「卿に何の欺きがあろうか。寡人は罪に問わぬ。」
  • 范睢は奏上した。「臣は実は張禄ではなく、魏の人范睢でございます。幼くして孤児となり貧しく、魏の中大夫須賈に仕えて舎人となりました。賈に従って斉へ使いした際、斉王が臣にひそかに黄金を賜りましたが、臣は堅くこれを辞退したのに、須賈はこれを相国魏斉に讒言し、魏斉は臣を打ち据えて死に至らしめました。幸いにも蘇生し、張禄と名を改めて秦に逃げ込み、大王の過分なお引き立てを受けて今の地位に至りました。今須賈が使いとして参り、臣の本当の姓名が露見いたしました。この上は元通りにいたす所存ですので、どうか吾が王にはお許しをいただきますよう。」
  • 秦王は言った。「寡人は卿がそこまでの冤罪を受けていたとは知らなかった。今須賈がすでに来ているからには、その首を斬り、卿の憤りを晴らそう。」
  • 范睢は奏上した。「須賈は公務のために来ましたので、古より両国が交戦しても使者は斬らないものです、まして和を求める使者ならばなおさらです。臣がどうして私怨をもって公義を損なうことなどいたしましょうか。それに、非情にも臣を打ち殺させたのは魏斉であって、須賈にすべての関わりがあるわけではございません。」
  • 秦王は言った。「卿は公を先にし私を後にする、まことの大忠と言えよう。魏斉の仇は、寡人が卿のために報いてやろう。使者の処遇は卿に任せる。」范睢は謝恩して退いた。秦王は魏国の和議を許した。
  • 須賈が范睢に別れを告げに来ると、睢は言った。「旧友がここに来たのだ、一度の饗応もなくてはならぬだろう。」舎人に須賈を門中に留めさせ、大いに酒宴の用意を命じた。須賈はひそかに天に感謝して思った。「ありがたいことだ、丞相がここまで寛大に扱ってくださるとは、あまりに礼を過ぎておられる。」
  • 范睢は堂を退いた。須賈は独り門番の詰所に座らされ、軍卒が見張っており、身動きひとつできなかった。辰の刻から午の刻まで待ち、次第に腹も空いてきた。須賈は思った。「先日私が宿舎で相応の饗応をしたが、今回のお返しは、旧友の情としてそこまで礼を尽くさなくともよいのに。」
  • ほどなく堂上の席の設えが整った。相府から一枚の書付が出され、各国の使者や府に名を連ねる賓客たちがあまねく招かれた。須賈は心中思った。「これは私に付き添うために招かれた人々だろう。しかしどの国のどなたか分からぬので、座次にも気を配らねば、無闇に僭越なことはできまい。」
  • 須賈がためらっているうちに、各国の使者や賓客が次々に到着し、まっすぐ堂の階段を上って行った。宴を管理する者が板を伝えて「客は揃いました」と報告した。范睢は堂を出て彼らを出迎え、礼を交わし終えると、盃を進めて席次を定め、両廊下では楽の音が高らかに鳴り響いたが、須賈を呼ぶ者は一向になかった。
  • 須賈はこのとき飢えと渇きに苦しみ、辛さと憂いに苛まれ、恥ずかしさと悔しさとで、胸の内は言葉にできぬほどであった。三杯の酒が回ったところで、范睢が口を開いた。「もう一人旧友がここにいるのを、先ほどうっかり忘れておりました。」
  • 客たちは皆立ち上がって言った。「丞相にこのように尊いご知己がいらっしゃるのなら、我らも礼をもってお迎えいたすべきです。」范睢は言った。「旧友とはいえ、諸公と同席させるわけにはまいりません。」そこで堂下に小さな座を設けさせ、魏の客を呼び、二人の入れ墨をした罪人にはさませて座らせた。
  • 席には酒食が用意されず、ただ炒った豆が置かれ、二人の罪人が手ずからそれを須賈の口に運んで食わせた。まるで馬に餌をやるような有様であった。客たちはこれを見て気の毒に思い、「丞相はどうしてそこまで深く恨んでおられるのですか」と尋ねた。范睢は昔の出来事を一通り語った。客たちは「それなら丞相が怒られるのも無理はない」と言った。
  • 須賈は辱めを受けながらもあえて逆らわず、炒り豆で飢えをしのぐしかなく、食べ終えるとなおぬかずいて礼を述べようとした。范睢は目を怒らせてこれを責めて言った。「秦王はすでに和議をお許しになったが、魏斉の仇はまだ晴らさぬわけにはいかぬ。お前の命は蟻の命ほどのものだが留めてやろう、魏国に帰って魏王に告げよ、速やかに魏斉の首を斬って送って寄越すように、と。また我が家族を秦国に送り届け、両国の誼を通わせるように。さもなければ、私自ら兵を率いて大梁を屠りに行く。その時になって後悔しても遅いぞ。」
  • 須賈は魂も体から抜けるほど恐れおののき、幾度も「はい、はい」と繰り返して外へ出た。魏国が果たして魏斉の首を斬って献上したかどうかは分からない。それは次回を見よ。
原文(底本)
話說大梁人范睢字叔,有談天說地之能,安邦定國之志。欲求事魏王,因家貧,不能自通。乃先投於中大夫須賈門下,用為舍人。當初,齊湣王無道,樂毅糾合四國,一同伐齊,魏亦遣兵助燕。及田單破燕復齊,齊襄王法章即位,魏王恐其報復,同相國魏齊計議,使須賈至齊修好。賈使范睢從行。齊襄王問於須賈曰:「昔我先王,與魏同兵伐宋,聲氣相投。及燕人殘滅齊國,魏實與焉。寡人念先王之仇,切齒腐心!今又以虛言來誘寡人,魏反覆無常,使寡人何以為信?」須賈不能對。范睢從旁代答曰:「大王之言差矣!先寡君之從於伐宋,以奉命也。本約三分宋國,上國背約,盡收其地,反加侵虐。是齊之失信於敝邑也!諸侯畏齊之驕暴無厭,於是暱就燕人,濟西之戰,五國同仇,豈獨敝邑?然敝邑不為已甚,不敢從燕於臨淄,是敝邑之有禮於齊也。今大王英武蓋世,報仇雪恥,光啟前人之緒。寡君以為桓威之烈,必當再振,可以上蓋湣王之愆,垂休無窮,故遣下臣賈來修舊好。大王但知責人,不知自反,恐湣王之覆轍,又見於今矣。」齊襄王愕然起謝曰:「是寡人之過也!」即問須賈:「此位何人?」須賈曰:「臣之舍人范睢也。」齊王顧盼良久,乃送須賈於公館,厚共廩餼。使人陰說范睢曰:「寡君慕先生人才,欲留先生於齊,當以客卿相處,萬望勿棄!」范睢辭曰:「臣與使者同出,而不與同入,不信無義,何以為人?」齊王益愛重之,復使人賜范睢黃金十斤及牛酒。睢固辭不受。使者再四致齊王之命,堅不肯去。睢不得已,乃受牛酒而還其金。使者嘆息而去。早有人報知須賈,須賈召范睢問曰:「齊使者為何而來?」范睢曰:「齊王以黃金十斤及牛酒賜臣,臣不敢受。再四相強,臣止留其牛酒。」須賈曰:「所以賜子者何故?」范睢曰:「臣不知。或者以臣在大夫之左右,故敬大夫以及臣耳。」須賈曰:「賜不及使者而獨及子,必子與齊有私也。」范睢曰:「齊王先曾遣使,欲留臣為客卿,臣峻拒之。臣以信義自矢,豈敢有私哉?」須賈疑心益甚。使事既畢,須賈同范睢還魏,賈遂言於魏齊曰:「齊王欲留舍人范睢為客卿,又賜以黃金牛酒,疑以國中陰事告齊,故有此賜也。」魏齊大怒,乃會賓客,使人擒范睢,即席訊之。睢至,伏於階下。魏齊厲聲問曰:「汝以陰事告齊乎?」范睢曰:「怎敢?」魏齊曰:「汝若無私於齊,齊王安用留汝?」睢曰:「留果有之,睢不從也。」魏齊曰:「然則黃金牛酒之賜,子何受之?」睢曰:「使者十分相強,睢恐拂齊王之意,勉受牛酒。其黃金十斤,實不曾收。」魏齊咆哮大喝曰:「賣國賊!還要多言!即牛酒之賜,亦豈無因?」呼獄卒縛之,決脊一百,使招承通齊之語。范睢曰:「臣實無私,有何可招?」魏齊益怒曰:「為我笞殺此奴,勿留禍種!」獄卒鞭笞亂下,將牙齒打折。睢血流被面,痛極難忍,號呼稱冤。賓客見相國盛怒之下,莫敢勸止。魏齊教左右一面用巨觥行酒,一面教獄卒加力,自辰至未,打得范睢遍體皆傷,血肉委地,咶喇一響,脅骨亦斷,睢大叫失聲,悶絕而死。

    可憐信義忠良士,翻作溝渠枉死人!傳語上官須仔細,莫將屈棒打平民。

潛淵居士又有詩云:

    張儀何曾盜楚璧?范叔何曾賣齊國?疑心盛氣總難平,多少英雄受冤屈!

左右報曰:「范睢氣絕矣。」魏齊親自下視,見范睢斷脅折齒,身無完膚,直挺挺在血泊中不動。齊指罵曰:「賣國賊死得好!好教後人看樣!」命獄卒以葦薄卷其屍,置之坑廁間,使賓客便溺其上,勿容他為乾淨之鬼。看看天晚,范睢命不該絕,死而復蘇,從葦薄中張目偷看,只有一卒在旁看守。范睢微嘆一聲。守卒聞之,慌忙來看。范睢謂曰:「吾傷重至此,雖暫醒,決無生理。汝能使我死於家中,以便殯殮,家有黃金數兩,盡以相謝。」守卒貪其利,謂曰:「汝乃作死狀,吾當入稟。」時魏齊與賓客皆大醉,守卒稟曰:「廁間死人腥臭甚,合當發出。」賓客皆曰:「范睢雖然有罪,相國處之亦已足矣。」魏齊曰:「可出之於郊外,使野鳶飽其餘肉也。」言罷,賓客皆散,魏齊亦回內宅。守卒捱至黃昏人靜,乃私負范睢至其家。睢妻小相見,痛苦自不必說。范睢命取黃金相謝,又御下葦薄,付與守卒,使棄野外,以掩人之目。守卒去後,妻小將血肉收拾乾淨,縛裹傷處,以酒食進之。范睢徐謂其妻曰:「魏齊恨我甚,雖知吾死,尚有疑心。我之出廁,乘其醉耳。明日復求吾屍不得,必及吾家,吾不得生矣。吾有八拜兄弟鄭安平,在西門之陋巷,汝可乘夜送我至彼,不可洩漏。俟月餘,吾創愈當逃命於四方也。我去後,家中可發哀,如吾死一般,以絕其疑。」其妻依言,使僕人先往報知鄭安平。鄭安平即時至睢家看視,與其家人同攜負以去。

  次日,魏齊果然疑心范睢,恐其復甦,使人視其屍所在。守卒回報:「棄野外無人之處,今惟葦薄在,想為犬豕銜去矣。」魏齊復使人瞷其家,舉哀帶孝,方始坦然。再說范睢在鄭安平家,敷藥將息,漸漸平復。安平乃與睢共匿於具茨山。范睢更姓名曰張祿,山中人無知其為范睢者。過半歲,秦謁者王稽奉昭襄王之命,出使魏國,居於公館。鄭安平詐為驛卒,伏侍王稽,應對敏捷,王稽愛之。因私問曰:「汝知國有賢人,未出仕者乎?」安平曰:「賢人何容易言也!向有一范睢者,其人智謀之士,相國箠之至死。」言未畢,王稽嘆曰:「惜哉!此人不到我秦國,不得展其大才!」安平曰:「今臣里中有張祿先生,其才智不亞於范睢,君欲見其人否?」王稽曰:「既有此人,何不請來相會?」安平曰:「其人有仇家在國中,不敢晝行。若無此仇,久已仕魏,不待今日矣。」王稽曰:「夜至不妨,吾當候之。」鄭安平乃使張祿亦扮做驛卒模樣,以深夜至公館來謁。王稽略叩以天下大勢。范睢指陳了了,如在目前。王稽喜曰:「吾知先生非常人,能與我西游於秦否?」范睢曰:「臣祿有仇於魏,不能安居,若能挈行,實乃至願。」王稽屈指曰:「度吾使事畢,更須五日。先生至期,可待我於三亭岡無人之處,當相載也。」過五日,王稽辭別魏王,群臣俱餞送於郊外,事畢俱別。王稽驅車至三亭岡上,忽見林中二人趨出,乃張祿鄭安平也。王稽大喜,如獲奇珍,與張祿同車共載。一路飲食安息,必與相共,談論投機,甚相親愛。不一日,已入秦界。至湖關,望見對面塵頭起處,一群車騎自西而來。范睢問曰:「來者誰人?」王稽認得前驅,曰:「此丞相穰侯,東行郡邑耳。」原來穰侯名魏冉,乃是宣太后之弟。宣太后羋氏,楚女,乃昭襄王之母。昭襄王即位時,年幼未冠,宣太后臨朝決政,用其弟魏冉為丞相,封穰侯。次弟羋戎,亦封華陽君,並專國用事。後昭襄王年長,心畏太后,乃封其弟公子悝為涇陽君,公子市為高陵君,欲以分羋氏之權。國中謂之「四貴」,然總不及丞相之尊也。丞相每歲時,代其王周行郡國,巡察官吏,省視城池,較閱車馬,撫循百姓,此是舊規。今日穰侯東巡,前導威儀,王稽如何不認得。范睢曰:「吾聞穰侯專秦權,妒賢嫉能,惡納諸侯賓客。恐其見辱,我且匿車箱中以避之。」須臾,穰侯至,王稽下車迎謁。穰侯亦下車相見,勞之曰:「謁君國事勞苦!」遂共立於車前,各敘寒溫。穰侯曰:「關東近有何事?」王稽鞠躬對曰:「無有。」穰侯目視車中曰:「謁君得無與諸侯賓客俱來乎?此輩仗口舌遊說人國,取富貴,全無實用!」王稽又對曰:「不敢。」穰侯既別去,范睢從車箱中出,便欲下車趨走。王稽曰:「丞相已去,先生可同載矣。」范睢曰:「臣潛窺穰侯之貌,眼多白而視邪,其人性疑而見事遲。向者目視車中,固已疑之。一時未即搜索,不久必悔,悔必復來,不若避之為安耳。」遂呼鄭安平同走。王稽車仗在後,約行十里之程,背後馬鈴聲響,果有二十騎從東如飛而來,趕著王稽車仗,言:「吾等奉丞相之命,恐大夫帶有遊客,故遣復行查看,大夫勿怪。」因遍索車中,并無外國之人,方纔轉身。王稽嘆曰:「張先生真智士,吾不及也!」乃命催車前進,再行五六里,遇著了張祿鄭安平二人,邀使登車,一同竟入咸陽。髯翁有詩詠范睢去魏之事云:

    料事前知妙若神,一時智術少儔倫;信陵空養三千客,卻放高賢遁入秦!

  王稽朝見秦昭襄王,復命已畢,因進曰:「魏有張祿先生,智謀出眾,天下奇才也。與臣言秦國之勢,危於累卵,彼有策能安之,然非面對不可。臣故載與俱來。」秦王曰:「諸侯客好為大言,往往如此。姑使就客舍。」乃館於下舍,以需召問。踰年不召,忽一日,范睢出行市上,見穰侯方徵兵出征,范睢私問曰:「丞相徵兵出征,將伐何國?」有一老者對曰:「欲伐齊綱壽也。」范睢曰:「齊兵曾犯境乎?」老者曰:「未曾。」范睢曰:「秦與齊東西懸絕,中間隔有韓魏,且齊不犯秦,秦奈何涉遠而伐之?」老者引范睢至僻處,言曰:「伐齊非秦王之意。因陶山在丞相封邑中,而綱壽近於陶,故丞相欲使武安君為將,伐而取之,以自廣其封耳。」范睢回舍,遂上書於秦王。略曰:

    羈旅臣張祿,死罪,死罪!奏聞秦王殿下:臣聞「明主立政,有功者賞,有能者官,勞大者祿厚,才高者爵尊。」故無能者不敢濫職,而有能者亦不得遺棄。今臣待命於下舍,一年於茲矣。如以臣為有用,願借寸陰之暇,悉臣之說。如以臣為無用,留臣何為?夫言之在臣,聽之在君,臣言而不當,請伏斧鑕之誅未晚。毋以輕臣故,并輕舉臣之人也。

秦王已忘張祿,及見其書,即使人以傳車召至離宮相見。秦王猶未至。范睢先到,望見秦王車騎方來,佯為不知,故意趨入永巷。宦者前行逐之,曰:「王來。」范睢謬言曰:「秦獨有太后穰侯耳,安得有王!」前行不顧。正爭嚷間,秦王隨後至,問宦者:「何為與客爭論?」宦者述范睢之語。秦王亦不怒,遂迎之入於內宮,待以上客之禮。范睢遜讓。秦王屏去左右,長跪而請曰:「先生何以幸教寡人?」范睢曰:「唯唯。」少頃,秦王又跪請如前。范睢又曰:「唯唯。」如此三次。秦王曰:「先生卒不幸教寡人,豈以寡人為不足語耶?」范睢對曰:「非敢然也。昔者呂尚釣於渭濱,及遇文王,一言而拜為尚父,卒用其謀,滅商而有天下。箕子比干,身為貴戚,盡言極諫,商紂不聽,或奴或誅,商遂以亡。此無他,信與不信之異也。呂尚雖疏,而見信於文王,故王業歸於周,而尚亦享有侯封,傳之世世。箕子比干雖親,而不見信於紂,故身不免死辱,而無救於國。今臣羈旅之臣,居至疏之地,而所欲言者,皆興亡大計,或關係人骨肉之間。不深言,則無救於秦;欲深言,則箕子比干之禍隨於後,所以王三問而不敢答者,未卜王心之信不信何如耳?」秦王復跪請曰:「先生,是何言也!寡人慕先生大才,故屏去左右,專意聽教。事凡可言者,上及太后,下及大臣,願先生盡言無隱。」秦王這句話,因是進永巷時,聞宦者述范睢之言,「秦止有太后穰侯,不聞有王」之語,心下疑惑,實落的要請教一番。這邊范睢猶恐初見之時,萬一語不投機,便絕了後來進言之路,況且左右竊聽者多,恐其傳說,禍且不測,故且將外邊事情,略說一番,以為引火之煤。乃對曰:「大王以盡言命臣,臣之願也!」遂下拜,秦王亦答拜。然後就坐開言曰:「秦地之險,天下莫及,其甲兵之強,天下亦莫敵。然兼并之謀不就,伯王之業不成,豈非秦之大臣,計有所失乎?」秦王側席問曰:「請言失計何在?」范睢曰:「臣聞穰侯將越韓魏而攻齊,其計左矣。齊去秦甚遠,有韓魏以間之。王少出師,則不足以害齊,若多出師,則先為秦害。昔魏越趙而伐中山,即克其地,旋為趙有。何者,以中山近趙而遠魏也。今伐齊而不克,為秦大辱。即伐齊而克,徒以資韓魏,於秦何利焉?為大王計,莫此遠交而近攻。遠交以離人之歡,近攻以廣我之地。自近而遠,如蠶食葉,天下不難盡矣。」秦王又曰:「遠交近攻之道何如?」范睢曰:「遠交莫如齊楚,近攻莫如韓魏,既得韓魏,齊楚能獨存乎?」秦王鼓掌稱善,即拜范睢為客卿,號為張卿。用其計東伐韓魏,止白起伐齊之師不行。魏冉與白起一相一將,用事日久,見張祿驟然得寵,俱有不悅之意。惟秦王深信之,寵遇日隆,每每中夜獨召計事,無說不行。范睢知秦王之心已固,請間,盡屏左右,進說曰:「臣蒙大王過聽,引與共事,臣雖粉骨碎身,無以為酬。雖然,臣有安秦之計,尚未敢盡效於王也。」秦王跪問曰:「寡人以國托於先生,先生有安秦之計,不以此時辱教,尚何待乎?」范睢曰:「臣前居山東時,聞齊但有孟嘗君,不聞有齊王;聞秦但有太后、穰侯、華陽君、高陵君、涇陽君,不聞有秦王。夫制國之謂王,生殺予奪,他人不敢擅專。今太后恃國母之尊,擅行不顧者四十餘年。穰侯獨相秦國,華陽輔之,涇陽高陵,各立門戶,生殺自由,私家之富,十倍於公。大王拱手而享其空名,不亦危乎?昔崔杼擅齊,卒弒莊公;李兌擅趙,終戕主父。今穰侯內仗太后之勢,外竊大王之威,用兵則諸侯震恐,解甲則列國感恩,廣置耳目,布王左右,臣見王之獨立於朝,非一日矣。恐千秋萬歲而後,有秦國者,非王之子孫也!」秦王聞之,不覺毛骨悚然,再拜謝曰:「先生所教,乃肺腑至言,寡人恨聞之不早。」遂於次日,收穰侯魏冉相印,使就國。穰侯取牛車於有司,徙其家財,千有餘乘,奇珍異寶,皆秦內庫所未有者。明日,秦王復逐華陽、高陵、涇陽三君於關外,安置太后於深宮,不許與聞政事。遂以范睢為丞相,封以應城,號為應侯。秦人皆謂張祿為丞相,無人知為范睢。惟鄭安平知之,睢戒以勿洩,安平亦不敢言。時秦昭襄王之四十一年,周赧王之四十九年也。

  是時,魏昭王已薨,子安釐王即位,聞知秦王新用張祿丞相之謀,欲伐魏國,急集群臣計議。信陵君無忌曰:「秦兵不加魏者數年矣。今無故興師,明欺我不能相持也。宜嚴兵固圉以待之。」相國魏齊曰:「不然。秦強魏弱,戰必無幸。聞丞相張祿,乃魏人也,豈無香火之情哉?倘遣使賷厚幣,先通張相,後謁秦王,許以納質講和,可保萬全。」安釐王初即位,未經戰伐,乃用魏齊之策,使中大夫須賈出使於秦。須賈奉命,竟至咸陽,下於館驛。范睢知之,喜曰:「須賈至此,乃吾報仇之日矣。」遂換去鮮衣,粧作寒酸落魄之狀,潛出府門,來到館驛,徐步而入,謁見須賈。須賈一見,大驚曰:「范叔固無恙乎?吾以汝被魏相打死,何以得命在此?」范睢曰:「彼時將吾屍首擲於郊外,次早方甦,適遇有賈客過此,聞呻吟聲,憐而救之。苟延一命,不敢回家,因間關來至秦國。不期復見大夫之面於此。」須賈曰:「范叔豈欲遊說於秦乎?」睢曰:「某昔日得罪魏國,亡命來此,得生為幸,尚敢開口言事耶?」須賈曰:「范叔在秦,何以為生?」睢曰:「為傭餬口耳。」須賈不覺動了哀憐之意,留之同坐,索酒食賜之。時值冬天,范睢衣敝,有戰慄之狀。須賈嘆曰:「范叔一寒如此哉!」命取一綈袍與穿。范睢曰:「大夫之衣,某何敢當?」須賈曰:「故人何必過謙!」范睢穿袍,再四稱謝。因問:「大夫來此何事?」須賈曰:「今秦相張君方用事,吾欲通之,恨無其人。孺子在秦久,豈有相識,能為我先容於張君者哉?」范睢曰:「某之主人翁與丞相善,臣嘗隨主人翁至於相府。丞相好談論,反覆之間,主人不給,某每助之一言。丞相以某有口辯,時賜酒食,得親近。君若欲謁張君,某當同往。」須賈曰:「既如此,煩為訂期。」范睢曰:「丞相事忙,今日適暇,何不即去?」須賈曰:「吾乘大車駕駟馬而來,今馬損足,車軸折,未能即行。」范睢曰:「吾主人翁有之,可假也。」范睢歸府,取大車駟馬至館驛前,報須賈曰:「車馬已備,某請為君御。」須賈欣然登車,范睢執轡。街市之人,望見丞相御車而來,咸拱立兩旁,亦或走避。須賈以為敬己,殊不知其為范睢也。既至府前,范睢曰:「大夫少待於此,某當先入,為大夫通之。若丞相見許,便可入謁。」范睢逕進府門去了。須賈下車,立於門外,候之良久,只聞府中鳴鼓之聲,門上喧傳:「丞相升堂。」屬吏舍人,奔走不絕,並不見范睢消息。須賈因問守門者曰:「向有吾故人范叔,入通相君,久而不出,子能為我召之乎?」守門者曰:「君所言范叔,何時進府?」須賈曰:「適間為我御車者是也。」門下人曰:「御車者乃丞相張君,彼私到驛中訪友,故微服而出。何得言范叔乎?」須賈聞言,如夢中忽聞霹靂,心坎中突突亂跳,曰:「吾為范睢所欺,死期至矣!」常言道:「醜媳婦少不得見公婆。」只得脫袍解帶,免冠徒跣,跪於門外,託門下人入報,但言:「魏國罪人須賈在外領死!」良久,門內傳丞相召入。須賈愈加惶悚,俛首膝行,從耳門而進,直至階前,連連叩首,口稱「死罪!」范睢威風凜凜,坐於堂上,問曰:「汝知罪麼?」須賈俯伏應曰:「知罪!」范睢曰:「汝罪有幾?」須賈曰:「擢賈之髮,以數賈之罪,尚猶未足!」范睢曰:「汝罪有三:吾先人邱墓在魏,吾所以不願仕齊,汝乃以吾有私於齊,妄言於魏齊之前,致觸其怒,汝罪一也;當魏齊發怒,加以笞辱,至於折齒斷脅,汝略不諫止,汝罪二也;及我昏憒,已棄廁中,汝復率賓客而溺我。昔仲尼不為已甚,汝何太忍乎?汝罪三也。今日至此,本該斷頭瀝血,以酬前恨。汝所以得不死者,以綈袍戀戀,尚有故人之情,故苟全汝命,汝宜知感。」須賈叩頭稱謝不已。范睢麾之使去,須賈匍匐而出。於是秦人始知張祿丞相,乃魏人范睢,假託來秦。

  次日,范睢入見秦王,言:「魏國恐懼,遣使乞和,不須用兵,此皆大王威德所致。」秦王大喜。范睢又奏曰:「臣有欺君之罪,求大王憐恕,方纔敢言。」秦王曰:「卿有何欺?寡人不罪。」范睢奏曰:「臣實非張祿,乃魏人范睢也。自少孤貧,事魏中大夫須賈為舍人。從賈使齊,齊王私餽臣金,臣堅卻不受,須賈謗於相國魏齊,將臣捶擊至死。幸而復甦,改名張祿,逃奔入秦,蒙大王拔之上位。今須賈奉使而來,臣真姓名已露,便當仍舊,伏望吾王憐恕!」秦王曰:「寡人不知卿之受冤如此。今須賈既到,便可斬首,以快卿之憤。」范睢奏曰:「須賈為公事而來,自古兩國交兵,不斬來使,況求和乎?臣豈敢以私怨而傷公義!且忍心殺臣者,魏齊;不全關須賈之事。」秦王曰:「卿先公後私,可謂大忠矣。魏齊之仇,寡人當為卿報之。來使從卿發落。」范睢謝恩而退。秦王准了魏國之和。須賈入辭范睢,睢曰:「故人至此,不可無一飯之敬。」使舍人留須賈於門中,吩咐大排筵席。須賈暗暗謝天道:「慚愧,慚愧!難得丞相寬洪大量,如此相待,忒過禮了!」范睢退堂。須賈獨坐門房中,有軍牢守著,不敢轉動,自辰至午,漸漸腹中空虛,須賈想道:「我前日在館驛中,見成飲食相待。今番答席,故人之情,何必過禮?」少頃,堂上陳設已完。只見府中發出一單,遍邀各國使臣,及本府有名賓容。須賈心中想道:「此是請來陪我的了。但不知何國何人?少停坐次亦要斟酌,不好一概僭妄。」須賈方在躊躇,只見各國使人及賓客紛紛而到,逕上堂階。管席者傳板報道:「客齊!」范睢出堂相見,敘禮已畢,送盞定位;兩廡下鼓樂交作,竟不呼召須賈。須賈那時又飢又渴,又苦又愁,又羞又惱,胸中煩懣,不可形容。三杯之後,范睢開言:「還有一個故人在此,適纔倒忘了。」眾客齊起身道:「丞相既有貴相知,某等禮合伺候。」范睢曰:「雖則故人,不敢與諸公同席。」乃命設一小坐於堂下,喚魏客到,使兩黥徒夾之以坐。席上不設酒食,但置炒熟料豆,兩黥徒手捧而餵之,如餵馬一般。眾客甚不過意,問曰:「丞相何恨之深也?」范睢將舊事訴說一遍。眾客曰:「如此亦難怪丞相發怒。」須賈雖然受辱,不敢違抗,只得將料豆充飢,食畢,還要叩謝。范睢瞋目數之曰:「秦王雖然許和,但魏齊之仇,不可不報。留汝蟻命,歸告魏王,速斬魏齊頭送來,將我家眷,送入秦邦,兩國通好;不然,我親自引兵來屠大梁,那時悔之晚矣。」唬得須賈魂不附體,喏喏連聲而出。不知魏國可曾斬魏齊頭來獻,且看下回分解。

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