殘唐五代史演義傳第一回 孫待詔、世系を史に記す (孫待詔史記世系)
孫甫の史論
- 宋の待制・孫甫の史論を掲げ、開闢の昔から歴代の治乱興亡の道理を歌った(詩:歴代治乱の由来を歌う)。
- 歌うだけでは足りぬとして、さらに律詩を重ねた(詩:安禄山の禍が黄巣の乱を招いたと詠む)。
隋末の群雄と唐の統一
- これより以後は、もっぱら隋の煬帝が汴河を開いたことから説き起こす。天下の群雄はいっせいに立ち上がり、六十四か所で兵乱の煙が上がり、十八か所で勝手に年号が改められた。
- 遼東の李密、江南の蕭銑、幽州の劉隆真、明州の竇建徳、河州の梁師都、饒州の林士弘、源州の李軌、湖州の沈法興、兗州の徐円朗、楚州の朱燦、登州の李子通、済州の輔公祐、山後の劉武周、建州の劉黒闥、西城の韓世充、揚州の宇文化、蘭州の薛舉。
- 当時のその十八か所の兵乱は、すべて唐の太宗に掃き滅ぼされ、天下は混じり合って一統となり、国号を大唐と建てた。
唐の世系
- その世系は、太宗・高宗・中宗・睿容・玄宗・粛宗・代宗・徳宗・順宗・憲宗・穆宗・敬宗・文宗・武宗・宣宗・懿宗と続き、懿宗に至るまですでに十六代、あわせて二百五十余年に及んだ。
- 後の事を知りたければ、次回に続く。
原文(底本)
按宋待制孫甫史論: 子丑乾坤判,惟寅人所生。聖君開至治,賢相在新民。 三王惟尚德,五帝盡施仁。唐虞民物阜,湯武放誅民。 春秋因魯史,孔子道難行。德衰征伐尚,風漓治亂循。 圖王人罕見,尚霸眾爭橫。秦強吞六國,漢杰羨三人。 東西二百四,吳魏蜀三分。五季相循並,君臣迭亂爭。 一朝征戰起,藩鎮坐皇庭。世祖承平治,太宗起義兵。 遼夷皆拱服,怙冒盡稱臣。胡虜入中國,宮中開禍門。 祿山方被掃,巢賊又侵凌。天意除奸暴,否泰本相循。 賡歌記遺蹟,傳記最分明。 歌之不足,復賦之以律云: 唐虞三代皆崇德,降自春秋治不攏。 擾擾兵戈無義戰,紛紛謀利詐相攻。 漢祛秦暴真天命,唐統華夷雜霸功。 禍亂若無安祿兆,黃巢焉敢亂僖宗。 此後單道隋煬帝開汴河,天下群雄並起,六十四處煙塵反亂,十八處擅改年號。 遼東李密、江南蕭銑、幽州劉隆真、明州竇建德、河州梁師都、饒州林士弘、源州李軌、湖州沈法興、兗州徐圓朗、楚州朱燦、登州李子通、濟州輔公祐、山後劉武周、建州劉黑闥、西城韓世充、揚州宇文化、蘭州薛舉。 當時那十八處煙塵,皆被唐太宗掃滅,混為一統天下,建號大唐,其世系: 太宗、高宗、中宗、睿容、玄宗、肅宗、代宗、德宗、順宗、憲宗、穆宗、敬宗、文宗、武宗、宣宗、懿宗,傳至懿宗已十六代,共二百五十餘年。欲知後事,且看下回分解。
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