殘唐五代史演義傳第十回 安景思、羊を飼いつつ虎を打ち倒す (安景思牧羊打虎)

要約

獲物のない狩りを不審に思った晋王は山を回り、暮らしを嘆く歌をうたう樵夫を呼び寄せた。樵夫は、ここは乱石ばかりで狩りにならぬ、四十里先の飛虎山霊求峪は禽獣が多いと教え、晋王は夢の飛虎に応じる山だと喜んで案内させた。

飛虎山で囲い場を布くと狂風が砂石を飛ばし、樵夫の姿は消えた。徳威は、ここは虎兕の地で、雲は竜に従い風は虎に従うのが必然の理だと説いた。そこへ水牛ほどの猛虎が躍り出て咆哮し、嗣昭・嗣源も逃げて消え、晋王は自ら虎の脇の付け根を射た。虎は逃げて澗を跳び越え、対岸で羊を咬み殺して食い始めた。晋王は、石の上で眠る者が噛まれるのを恐れ、声を上げて起こせと命じた。

軍士が叫んでもその者は熟睡し、逃げてきた羊に驚いて跳ね起き、虎が羊を食うのを見ると漫漢石から飛び降り、羊皮の上着を脱いで素手で向かった。虎は撲ちかかって空を撲ち倒れ、その者は首根を掴んで左右の脇を打ち蹴り、拳をいくらも加えぬうちに虎は死に、なお尾が動くので石に叩きつけた。晋王は六甲の神将だ、これを用いれば黄巣も滅ぼせると驚き、徳威は、営中で立てた卦がこの人に応じると言い、射雕と打虎を予言する歌二首を口にした。

軍士が大王の飼う虎だと偽って挑発すると、その者は、飼い虎ならなぜ羊を食わせた、羊を返せば虎を返すと言い、虎を提げて澗越しに投げ渡した。誰も虎を持ち上げられなかった。嗣源に呼ばれて来たその者は、母はあるが父がなく姓氏がないと答えた。母の崔氏は十六のとき霊求峪の皇陵で姉妹に石人を夫に選べと戯れられ、烈女は夫を選ばぬと菜籠を投げると左から二番目の石人の首に掛かり、これを夫とすると呼びかけた。その夜、石人の姿の者が契りを結んで母は身ごもり、信じぬ員外に追い出されて窯で自分を生んだ。七つのころ墳に来ると石人は倒れて頭も落ちており、頭を据え直したのにちなみ安を姓とし景思と名づけ、母は首を縊って死に、今は鄧万戸の家で十年羊を飼っていると語った。

武芸を疑う晋王に景思は、鉄籠山で異人から六甲の兵書三巻と十八般の武芸を授かったと答え、中原へ連れて行くと言われて従った。晋王は鄧万戸を呼び、これはわが世子で国乱のため山中に置き去りにしたのだと偽り、養育の謝儀に金帛を残すと言った。万戸は、家資はあるので受けられぬ、世子の驍勇を見て娘の瑞雲を許嫁にしていたと言い、瑞雲は劉妃とともに住まわされ、晋王は営に帰った。卓吾子は、唐代の史料に存孝の名は見当たらぬ、好事家の作り話であろうかと評した。

現代語訳全文

樵夫が語る飛虎山

  • ときは春の盛りで、気候は和やかに暖かく、鳥獣は繁く育ち、草木は深く茂っていた。だが晋王が狩りをしても半ばまで何一つ獲物がない。晋王は不審に思い、十数騎を連れて山を回り、遠くに樵夫が柴の荷を手で叩きながら歌うのを望み見た。
  • 樵夫は柴採りを習いながら、柔らかい枝の半分も伐れず、岩に臨んで枯れ松を伐り倒したところで、家の半月分の薪にも足りぬと歌っていた(詩:樵の暮らしを嘆く歌)
  • 晋王はその歌を聞き、「まことに樵夫の楽しみである」と嘆じ、人をやって呼び寄せて問うた。樵夫は「私はもとよりここに住んでおりますが、樹木は深く茂り大小の乱石ばかりで、どうして鷹を放ち馬を走らせて狩りができましょうか」と言った。
  • 晋王が「わが兵は着いたばかりで道に暗い。おまえが教えてくれ」と言うと、樵夫は「大王には人馬がどれほどおありか」と尋ねた。晋王が「ただ三千の人馬を連れているだけだ」と答えると、樵夫は「大王に三万の人馬があっても、あの獐・麂・兎・鹿を追い尽くせぬ場所がございます」と言った。
  • 晋王が「どこにそのような場所があるのか」と問うと、樵夫は「ここより四十里のところに山があり、名を飛虎山、霊求峪と申します。山中に産する禽獣がきわめて多く、大王はそちらへお出でになるがよろしゅうございます」と答えた。晋王は喜んで「わが昨夜の夢に飛虎が入った。ここに飛虎山があるとは、必ず賢人を招く前兆であろう」と言い、樵夫に道案内をさせて馬を進めた。

飛虎山の怪風と猛虎

  • 飛虎山に到ると、果たして高山曠野が広がって異様に静まり返り、幽禽怪獣が上下に鳴き交わしていた。晋王が軍に囲い場を布かせると、にわかに一陣の狂風が起こり、砂を飛ばし石を走らせ、地を捲いて天を覆い、たちまちのうちに樵夫の姿が見えなくなった。
  • 晋王は大いに驚き、徳威を呼んで問うた。徳威は「ここは虎や兕の出没する土地ゆえ、この風が起こるのです」と答えた。晋王が「風は天地の呼吸の気であるのに、なぜ虎によって発するのか」と重ねて問うと、徳威は答えた。「雲は竜に従い、風は虎に従います。雨は田園を潤し万物を生じさせます。竜が吟ずれば霧が起こる、それは壬癸の雲雨の方位に当たり、虎が嘯けば風が生じる、戊己は巽宮の地に当たります。竜が海を出れば時をおかず雨が至り、虎が山を離れれば自然と風が生じる、これは必然の理でございます。」
  • 言い終わらぬうちに、山の坡から一頭の斑らな猛虎がにわかに躍り出た。水牛ほどもある大きさで、草の坡に立って咆哮した。一同はこれを見て肝を潰し、いずれも逃げ出そうとした。晋王は「わが子、嗣昭・嗣源よ、急ぎ来て我を救え」と大声で叫んだが、二人はこのとき命からがら逃げてどこへ行ったか分からなくなっていた。
  • 晋王は慌てて自ら弓を取り、矢をつがえて弦に当て、虎めがけて一箭を放つと、正しく脇の付け根に中った。虎は痛みに苦しみ、尾を垂れ頭を低くして逃げ出した。晋王が後ろから追いかけ、澗のほとりに至ると、虎は身を躍らせて澗を跳び越え、対岸に立って羊の群れを驚かせ、そのまま一頭を咬み殺して食い始めた。
  • 徳威は「大王が虎を追って澗を越えさせたために、虎が人を噛み羊を食う始末になっております。人を損なって己を利するようなものではございませんか」と言った。晋王は「羊を食うのは小事だ。ただ恐れるのは、あの石の上で眠っている者までも噛まれはせぬかということだ。何とか手立てを講じ、急ぎ驚かして目覚めさせ、逃がしてやれ」と言い、さらに「なぜ声を張り上げて呼ばぬのか」と重ねて命じた。

牧羊の若者、素手で虎を打ち殺す

  • そこで軍士たちが対岸で一斉に叫び声を上げたが、その者はまったく動く気配がない。もとより風が木を鳴らし、澗の水が潺々と流れる中で熟睡しており、両耳に何も聞こえず、ちょうど夢を見ていたのであった。
  • にわかに一頭の羊が逃げ走ってきて驚き覚め、その者は跳ね起きて目をこすると、虎がまさに羊を食っているのが見えた。その者は漫漢石から飛び降り、羊皮の上着を脱ぎ捨て、腕を伸ばし拳を構えて、虎を打ちに向かって行った。
  • 虎は人が打ちかかって来るのを見ると、羊を棄てて真正面から撲ちかかった。その者は身をかわしたので、虎はただ空を撲ち、地に倒れて錦の袋のような有様になった。その者は追い迫って手で虎の首根を掴み、左の脇の下を打ち、右の脇の下を蹴った。いくらも拳を加えぬうちに、虎はすでに地に死んでいた。
  • 飛虎山における存孝の虎打ちのみを語る古風一篇がある(詩:牧羊の壮士が虎を素手で打ち殺す)
  • 後人にもう一首の絶句がある(詩:金の眼の虎を羊の物音で目覚めて打ち殺した若者)
  • さらに存孝を賛じる絶句がある(詩:年少の英雄が獣中の王を数拳で打ち殺す)
  • その者が下を見ると、虎の尾がなお動いており、死にきってはいなかった。そこで虎の尾を掴んで引き起こし、石の上に向かって叩きつけた。対岸の軍人たちは皆すっかり呆気にとられて見ていた。

徳威の予言の歌と、虎を投げ返す若者

  • 晋王は大いに驚いて「これは六甲の神将である。これほどの勇力の者をもし用いることができれば、黄巣を滅ぼせぬこと、長安を回復できぬことを何を憂えようか」と言った。徳威は「臣が立てた卦は、まさにこの人に応じております。歌に作っておりますので、大王にご覧に入れましょう」と言った。
  • 晋王が「その占いはいつ立てたのか」と問うと、徳威は「臣が大王にお会いする前、営中でこの卦を立て、歌の句に断じて、今日の応験に備えて留めておいたのでございます」と答え、李晋王が兵を集めて演武し雁門関の士民が苦しむと詠み起こす歌を口にした(詩:射雕と壮士の打虎を予言する歌)
  • 続けてもう一首を口にした(詩:唐の棟梁となる将の到来を詠む)
  • 晋王は「まことにこのとおりに応じている」と言い、急ぎ軍士たちに澗越しに大声で叫ばせ、言葉で挑発させた。軍士たちは偽って「我らが大王の飼うておられる虎で、狩りについて来たのだ。おまえはなぜこれを打ち殺した」と言った。
  • その者は「そちらの家で飼う虎なら、なぜわしの羊を食わせたのか。体はそっくりここにある、足りぬのはこの一息だけだ。おまえたちがわが羊を返せば、わしはおまえたちに虎を返そう」と言い、そのまま虎を提げ上げ、対岸の澗へ向けてただ一撩げに投げ渡した。一同は皆驚き恐れた。
  • 晋王が軍士に虎を持ち上げさせようとしたが、一人として動かせる者はなかった。徳威は「この者は生まれついての好漢です。あなたがたごときが及ぶものではありません」と言った。晋王は嗣源に澗を回って呼びに行かせると、ほどなくその者が来て地に伏して拝した。

石人を父とする生い立ち

  • 晋王が「おまえは何者か」と問うと、その者は「私は生まれてこのかた母はあって父がなく、それゆえ姓氏がございません」と答えた。晋王が「人は天地から気を稟け、陰陽二気によって生まれるものだ。母があって父がないという道理があろうか」と言うと、その者は語った。
  • 「私が聞くところでは、わが母は崔氏の娘で、齢十六のとき、まだ誰にも許嫁がありませんでした。折しも麗らかな陽春の日、同じ組の姉妹たちとともに、母を誘って霊求峪へ出かけました。一つには野草を摘み、一つには春を遊び景色を楽しむためです。皇陵のあたりまで来ると、両側に八体の石人が並んでいました。姉妹たちは戯れて『私たちはもう皆人に嫁ぎましたが、あなたはすでに笄の年になってもまだ連れ合いがおりません。今、私たちがあなたのために夫を一人取り持ってあげましょう、よろしいですか』と言いました。母は『よいでしょう。ただし誰を取り持ってくれるのですか』と言うと、皆は『この石人をあなたの夫としましょう、お選びなさい』と答えました。母は『烈女は夫を選ばず、夫を選ぶような者は烈女ではありません』と言い、手にしていた菜籠を投げ、石に受けさせるのに任せました。すると左から二番目の石人の首に籠が掛かりました。母は進み出てこれを抱き、『石人よ石人よ、順は二番目、おまえを夫としてわが心に異存はない』と呼びかけました。言い終えると散じて、皆とともに帰りました。」
  • 「その夜の二更ごろ、まさしく石人の容貌をした者が現れ、ふらりと現れて母と夫婦の契りを結びました。母はそれより身ごもりました。員外がこれに気づき、母を問い詰めて何者と交わったのかと尋ねましたが、母がありのままに告げても員外は信じず、母を外へ追い出しました。母はその後、壊れた窯で暮らしを立てました。私を生んで七つになったころ、門ごとに物乞いをして歩くうち、あの墳のそばまで来ると、石人はみな押し倒され、頭も打ち落とされておりました。母に教えられて頭を捧げて元どおりに据え直すと、もとのままで毫も違いがありませんでした。母は『頭を安えたことにちなんで安を姓とせよ』と申し、名を景思とつけました。そう語り終えると母は大いに泣き、家に帰って自ら首を縊って死にました。私は母の亡骸を石人と同じところに葬りました。身寄りがないまま、今は鄧万戸の家に身を寄せ、十年のあいだ羊を飼っており、人からは牧羊子とだけ呼ばれております。」

晋王に従い、鄧瑞雲が送られてくる

  • 晋王は「おまえの力量は十分と見たが、武芸のほどは分からぬ。用いたく思うが、まだその実を見ていない」と言った。安景思は「実のところを隠さず申しますなら、かつて鉄籠山に至り、異人に出会い、六甲の兵書三巻を授けられ、十八般の武芸をことごとく教わって稽古し、外れたことはございません。ただ用いられる場がなく、しばらくここに屈しているだけでございます」と答えた。
  • 晋王が「それほどの武略があるなら、わしは今、兵を率いて中原へ上り賊を討つ。おまえを連れて行きたいがどうか」と言うと、景思は「もし用いていただけるなら、謹んで厳命に従います」と答えた。
  • 晋王は人をやって鄧万戸を呼び寄せ、「おまえはこの者を知っているか」と問うた。万戸は「これは手前どもの家で羊を飼っております安景思でございます」と答えた。晋王は偽って「よくも偽りを申すな。これはわが世子である。凶年と国の乱れのために山中に置き去りにされ、幾度探しても見つからなかったが、今日跡をたどってここに至り、父子が相見えたのだ。情に堪えぬが、わしはこれより中原に上って巣賊を討つ。養い育ててくれた恩に報いる謝儀として、金帛を残していこう」と言った。
  • 万戸は「小民にはいささかの家資がございます、どうしてこれをお受けできましょうか。かねて世子の驍勇無敵ぶりを見て、必ず大成なさると量り、わが娘の瑞雲を許嫁にいたしておりました。大王が兵を率いて賊を討ち、朝廷のために力をお尽くしになる以上、入り用とあらば当然お返し申します。わが娘は間もなく送り届けましょう」と言い、辞去した。ほどなく瑞雲が帳の外まで送り届けられた。晋王は人をやって後の帳に迎え入れ、劉妃とともに住まわせた。
  • 晋王は兵を率いて営に帰った。この先どうなるかは、いまだ分からない。それは次回に語られる。
  • のちに逸狂がこの一件を賛じる詩を詠んだ(詩:石人を父とし窯を家とした将軍との出会い)

評語

  • 卓吾子評:唐代の史料をいくら調べても、存孝の名は実際には見当たらない。これもまた好事家の作り話であろうか。
原文(底本)
此時春間,天氣和暖,鳥獸繁盛,草木森嚴。晉王遊獵半並無一毫所得。晉王疑怪此事不定,遂引十數騎,轉過山遠望樵夫,手敲柴擔,口唱歌曰:

    學採樵,學採樵,不曾砍得半個嫩柔條,臨岩伐倒枯松樹,不夠家中半月燒。

  晉王聞其歌,歎曰:「真乃樵夫之樂也!」遂遣人喚至而問之。樵夫曰:「我素居此處,樹木深叢,大小亂石,安能放鷹走馬,射獵打圍乎?」晉王曰:「吾兵初至,不曉路逕,汝為我指教之。」樵夫曰:「請問大王有多少人馬?」晉王曰:「只帶三千人馬在此。」樵夫曰:「大王便有三萬人馬,馳不盡那獐麂兔鹿。」晉王臼:「何處如此?」樵夫曰:「此去四十里,有一山,名飛虎山、靈求峪,山內所產禽獸極多,大王可往彼處取之。」晉王喜曰:「吾夜來飛虎入夢,此有飛虎山,必主招賢人矣!」遂叫樵夫引路,勒馬前行。

  到了飛虎山,果然高山曠野,清靜異常,幽禽怪獸,上下交鳴。晉王令軍人布開圍場,忽然起一陣狂風,飛沙走石,刮地遮天,倏爾不見樵夫。晉王大驚,喚德威問之。德威曰:「此虎兕出沒之鄉,故有此風。」晉王曰:「風乃天地呼吸之氣,何因彼而發乎?」德威曰:「雲從龍而風從虎,雨潤田園萬物生。龍吟則霧起,乃壬癸雲雨之方,虎嘯則風生,戊己為巽宮之地。龍出海,登時雨至,虎離山,自然風生,此必然之理也。」言未絕,只見山坡中,忽然躍出一隻斑斕猛虎,如水牛一般,在草坡中咆哮大叫。眾人視之,驚得神魂不定,各欲逃生。晉王大叫:「吾兒嗣昭、嗣源急來救我!」此時二人逃命,亦不知走向那裡去了。晉王慌自取弓在手,搭箭當弦,望虎便射一箭,正中夾膀,其虎負痛,遂掩尾低頭而走。晉王後面追趕,比及已到澗邊,其虎踴身跳過,立在對岸,驚起群羊,即咬一隻食之。德威曰:「大王趕虎過澗,噬人食羊,何損人利己也?」晉王曰:「食羊小事也,只怕還噬那石上打睡的人,作何計較,急驚醒之,令其逃走。」晉王又曰:「何不厲聲呼之。」

  於是,令軍士在對岸一齊叫喊,其人全然不動。原來風吹樹響,澗水潺潺,其人熟睡,兩耳無聞,正在感夢,忽有一羊竄過驚醒,其人跳將起來,把眼一揉,見虎正在食羊,其人遂跳下漫漢石,脫了羊皮襖,伸手舒拳,要來打虎。那虎見人欲來打它,便棄了羊,對面撲來,其人躲過,只撲一個空,便倒在地,似一錦袋之狀,其人趕上,用手撾住虎項,左脅下便打,右脅下便踢,哪消數拳,其虎已死於地下。

  有古風一篇,單道飛虎山存孝打虎。

    飛虎山前風正狂,萬里陰雲霾日光。

    觸目晚霞掛林藪,侵入冷霧彌彎蒼。

    忽聞一聲霹靂響,山腰飛出獸中王。

    昂頭踴躍逞牙爪,麋鹿之性皆奔忙。

    牧羊壯士睡未醒,一羊竄過忙相迎。

    上下尋人虎饑渴,一掀一撲何猙獰。

    虎來撲人似山倒,人往迎虎如岩傾。

    臂腕落時墜飛炮,爪牙爬起成泥坑。

    拳頭腳尖如雨點,淋漓兩手腥紅染。

    腥風血雨滿松林,散亂毛須墜山奄。

    近看千鈞勢有餘,遠觀八面成風斂。

    身橫野草錦斑銷,緊閉雙睛光不閃。

  後人又有詩一絕云:

    炯炯金睛耀太陽,食羊驚醒石兒郎,

    伸拳小試平生力,打死山中猛獸王。

  又詩贊存孝一絕云:

    年少英雄不可當,數拳打死獸中王,

    不為跨海黃金柱,定作擎天碧玉梁。

  其人低頭看之,虎尾搖動,尚然不死,遂挽起虎尾,向石上摔了下來,對岸軍人盡皆看得癡呆。晉王大驚曰:「此六甲神將也,有此勇力,吾若得此人為用,何愁黃巢不滅,長安不復哉!」德威曰:「臣算卦來,正應此人,吾有一歌呈與大王觀看。」晉王問曰:「此課何日占來?」德威曰:「吾未遇大王之先,在營中以鋪下此卦,斷成歌句,留為今日應驗。」歌曰:

    李晉王聚屯演武,雁門關士民受苦,

    居延川箭射雙雕,翠岩前壯士打虎。

  又有詩曰:

    無事閒將八卦排,唐朝合顯棟樑材,

    收除尚讓先鋒至,誅戮黃巢猛將來。

  晉王曰:「果應如斯!」急令眾軍土隔澗厲聲大叫,以言激之。眾軍士佯言曰:「吾大王家養的虎,隨來遊獵,汝何打死?」其人曰:「既是你家養虎,安許來食我羊?全身在此,只少這一口氣,你還我羊,吾還你虎矣!」隨即提起虎來,望對澗只一撩,撩過澗來,眾皆驚駭。晉王令軍士提之,無一動者。德威曰:「此人天生好漢,汝等眾人,安能及之?」晉王令嗣源抄過澗去喚至,須臾其人已到,拜伏於地。

  晉王問曰:「汝何人氏?」其人曰:「俺一生有母無父,因無姓氏。」晉王曰:「人稟天地,按陰陽二氣而生,安有有母而無父之理?」其人曰:「只聞吾母崔氏之女,年方二八,並未許配他人,時值豔陽天氣,同班姊妹,請母出遊靈求峪,一來彩野菜,二來遊春玩景,行至皇陵,兩傍列著八個石人,眾姊妹相戲曰:『我等皆已適人,汝已及笄,尚未偕偶,今吾眾人為汝保一丈夫,可乎?』母曰:『可!但不知保著何人?』眾曰:『將此石人與你為夫,任你自擇。』母曰:『烈女不擇夫,擇夫不烈女。』便將手持菜籃丟去,隨石自接,結為夫婦,不想左邊第二石人脖子上掛住籃兒,吾母向前抱之,呼曰:『石人石人,排行第二,汝為丈夫,吾心無異。』言罷各散,同眾而歸。當夜二更左側,分明是石人容貌,撩然來與吾母成其夫婦。母遂懷孕。員外覺之,究問吾母,與何人交媾?母以實告之,員外不信。隨逐吾母出外,後在破窯過活,生吾七歲,沿門乞食,行至那墳邊,見石人皆被推倒,頭也打落了,是母教去捧頭來安上,復舊如初,不差毫忽。母言安頭為姓,遂取名安景思。言罷,大哭一場,回家自縊身死,我就將母屍與石人葬埋一處。我孤身無倚,今投鄧萬戶家,牧羊十年,人只叫吾為牧羊子也。」晉王曰:「吾看汝氣力盡有,不知武藝如何?意欲用汝,未見虛實。」安景思曰:「實不敢瞞,俺曾至鐵籠山,得遇異人,傳授三卷六甲兵書,教習一十八般武藝,亦皆演習,並無虛發,但無進用之處,暫屈於此耳!」晉王曰:「既有此等武略,吾今領兵上中原討賊,帶汝同去若何?」景思曰:「若蒙任用,謹從嚴命。」遂遣人喚鄧萬戶至。晉王曰:「汝認得此人否?」萬戶曰:「是民家牧羊的安景思也。」晉王詐言曰:「汝何敢行詐耶?此乃吾世子,只因年荒國亂,拋在山中,累尋不見,今日跟究到此,父子相見,痛情難捨,吾欲領-卜中原討巢賊,留下金帛,以為恩養謝儀。」萬戶曰:「小民頗有家資,安敢受此?先見世子驍勇無敵,量必成器,曾以小女瑞雲許之,既大王領兵討賊,為朝廷出力。若有用處,即當奉還,吾之小女,少待送來。」萬戶言罷辭別而去,去不多時,已送至瑞雲來在帳外。晉王令人接入後帳,與劉妃同居。

  晉王領兵還營。未知後事如何,且聽下回分解。

  後逸狂有詩贊云:

    飛虎山前虎嘯風,靈求峪內遇英雄,

    石人是父膺天眷,窯內為家處世窮,

    武藝異傳人罕及,安頭取姓俗無同,

    晉王恢復唐天下,先識將軍草莽中。

  卓吾子評:

  考諸唐代,存孝之名,實未之聞也,此亦好事者之說歟!

訳文の誤りにお気づきの場合はお問い合わせからお知らせください。

© 好古刊行会