殘唐五代史演義傳第四十二回 五竜、王彦章を追い詰めて死なせる (五龍逼死王彥章)

要約

同台の郭彦威と河西の石敬瑭が人馬を率いて唐に降り、前部となって船頭あがりを破りたいと申し出た。潞王は金帛を賜って二人を都指揮に加封し、史建唐は、これで五竜がそろったから彦章を追い詰めれば事は成ると言った。

続いて降ったのは山東鄆州東平阿歯の高行周、年十三で、父の高思継を彦章に殺された仇を報じたいと願い、潞州王はただちに先鋒に任じた。

翌朝、行方の知れなかった建唐が戻り、昨夜西北に将星が墜ちるのを見た、彦章の死は旦夕だと述べた。九十里先の狗家疃の人頭峪は入れるが出られぬ伏兵の地で、七十二座の連珠陣を布き兵にはわざと負けよと命じて誘い込み、五方五帝の陣を布けば死に追い込めると説き、潞王は妙計だと喜んだ。建唐は五将に計を授けて五竜と号した。晋王の世子の李存勖は後の唐の荘宗、養子の李嗣源は後の明宗、石敬塘は後の晋の高宗、沙陀の知遠は後の漢の高祖、郭彦威は後の周の太祖である。五将は指示書を受けて狗家疃へ赴き、行周が先に挑みに出た。

尚譲が斉克譲・景祥とともに出て小僧が陣に当たれるかと嘲ったが、三合とせず行周の一槍で馬下に落ち、斉克譲は虎掌の金錘で頭を砕かれ、逃げる景祥も一錘で叩き落とされた。彦章が自ら出ると行周は三合で逃げ、彦章は計と察して追わなかったが、李存孝に叩きつけられても死ななかった賊めと罵られて憤然と陣を降り、狗家疃まで突き進んで四方八面から囲まれた。

建唐が名将四百五十員を率いて斬り出し、まる一日の激戦で彦章は名将十六員を突き落としたが、猛将四員は行周に討たれた。力尽きた彦章は西の陣で潞州王李杰に塞がれ、中陣で行周の金錘を受けて血を吐き人頭峪へ逃げ込んだ。地面には人の頭が絡み合って生えており、彦章は一歩ごとに転んで夜明けまで転び続け、勇を振るえなくなった。

人頭峪を出たところで砲声が鳴り、五色の号旗に五隊が現れた。東は甲乙の木、南は丙丁の火、西は庚辛の金、北は壬癸の水、中央は戊己の土に配し、表に八卦を分け裏に九宮に合する陣であった。彦章は、天が我を絶つ、今日は計にかかったと嘆じ、東南から郭彦威、正南から劉知遠、正西から石敬瑭、正北から李嗣源、中央から李存勖が斬りかかった。五位の皇帝は五様の馬に乗り托天叉・長矛・安漢刀・画桿戟・金蘸斧を用い、五条の赤須の竜が一頭の白額の虎を攻めるようであった。彦章は力尽きて天を仰いで叫び、剣を抜いて自刎した。麗泉は、雞宝山で二秋戦って彦章が自刎し大梁は愁いに沈んだ、建唐の妙算は梁兵を破った第一の手柄だと詠じた。

現代語訳全文

郭彦威・石敬瑭の来降

一同が喜んでいると、赤旗ばかりを立てた一隊が来たと報があった。見れば身の丈九尺、度量人に過ぎ、威風凜々として相貌堂々たる二人の英雄で、一人は同台の郭彦威、一人は河西の石敬瑭、いずれも節度使の職にある者であった。二人は人馬を率いてともに唐に降り、潞州王に会って、大王の前部となって船頭あがりを破り唐のために仇を報じたいと申し出た。潞王は喜んで金帛を賜い、二人を都指揮の職に加封した。史建唐は、この二人を得た以上、彦章という船頭あがりの賊も死期が近い、今日で五竜がそろったのだからこの船頭あがりを追い詰めれば事は必ず成ると言った。

高行周の来降

言い終わらぬうちに、また一隊が唐営へまっすぐ来て降った。先頭は一人の小将で、公卿の子、将帥の孫らしい姿である。潞州王に謁して、前部となって彦章を生け捕りにしたいと申し出た。王が素性を問うと、自分は山東鄆州東平阿歯の者、姓は高、名は行周、年は十三でいささか武芸を習っている、父の高思継は逆賊彦章の手にかかって死に、切歯の仇を常々報じたいと思っていた、それゆえ唐に降って前部となる、どうか大王みずから数万の兵を割いていただきたい、上は国家のために賊を討ち、下は父の仇を報ずることができれば万死しても恨みはない、と答えた。潞州王はただちに高行周を先鋒に任じ、兵を率いて迎え撃たせることとした。その日は暮れて一同は散会した。

史建唐の伏兵の計

翌朝、潞州王が帳に登って史建唐を呼び軍議をしようとすると、昨夜から建唐の行方が知れず影も形もないという。王が七将に総兵はどこへ行ったのかと尋ねると、七将も昨夜出たきり行方が分からないと答えた。そこへ建唐が意気揚々と本営に駆け込み、馬を下りて潞州王に会い、昨夜天象を仰ぎ見たところ西北の方角に将星が地に墜ちるのを見た、彦章の死は旦夕に迫っており必ず自分が生け捕りにすると述べた。

さらに、ここから九十里の地に狗家疃の人頭峪という場所を見つけた、四方は草木が深く茂り、入ることはできても出ることのできぬ、伏兵に絶好の地形である、あの船頭あがりをそこへ誘い込めば、獐が犬の口に入るようなもので生きて帰れまい、七十二座の連珠陣を布き、兵には勝つなとにかく負けよと命じて狗家疃へ誘い込み、そこで五方五帝の陣を布けばこの船頭あがりを死に追い込める、と説いた。潞王は大いに喜び、妙計だ、速やかに行えと言った。

そこで高行周を先に出して戦いを引き、わざと負けを装い、彦章を「李存孝に叩きつけられても死ななかった船頭あがりの賊」と罵って陣中に誘い込み、交替で挑みかかることとした。建唐は急ぎ五将を呼んで計を授け、これを五竜と号した。一竜は直北沙陀の李晋王の世子である李存勖、のちに梁を滅ぼして唐の荘宗皇帝となる者。一竜は李晋王の養子である李嗣源、のちの唐の明宗皇帝。一竜は河西の石敬塘、のちの晋の高宗皇帝。一竜は沙陀の知遠、のちの漢の高祖皇帝。一竜は同台の郭彦威、のちの周の太祖皇帝である。

史建唐は五将に令を聞かせ、それぞれに一通の指示書を授けて、おのおの人馬を率いて狗家疃へ赴き、書かれたとおりに動くよう命じた。こうして四面に伏兵の計を定めたうえで、高行周を先に戦いを挑みに行かせた。

高行周の奮戦

王彦章は帳中で、唐兵が分かれて攻めて来るが誰が迎え撃つかと諮った。尚譲が進み出て、斉克譲・景祥とあわせて三将で一戦してみせようと言い、武装して槍を取り馬に乗り、営を出て陣を布いた。門旗が開いて高行周が馬を出すと、尚譲は笑って、唐朝はこんな小僧を将にするとは追い詰められたものだ、口には乳の匂いが残り頭には産毛が残っている身で陣に当たれようかと嘲った。そして口をきくのも待たずに槍で行周を刺そうとし、行周も槍を構えて迎えた。三合とせぬうちに行周は怒り、一槍で尚譲を馬下に突き落とした。斉克譲が両手で刀を振るって斬りつけたが、行周は押しのけて虎掌の金錘を打ち下ろし、克譲の頭に当たって砕いた。景祥は二将の死を見て恐れおののき、戦わずに馬を打って逃げたが、行周は追いついて一錘を振るい、景祥を馬から叩き落とした。唐兵はこれを見て一斉に喝采し、あれほどの小将がこれほど勇ましいとは世に稀なことだと言い合った。

小校が慌てて彦章に、二将が出陣して小将に殺されたと報じた。彦章はこれを聞いて自ら槍を取って陣前に馬を立てた。行周は彦章と知って、船頭あがりの賊め、馬を下りて死を受け、我が父を殺した血の恨みを報じさせろと罵った。彦章は怒って馬を打ち槍を構え、行周を突こうとした。行周は急いで受けて打ち返したが、三合とせぬうちに馬を返して逃げた。彦章は計と察して馬を止め、追わなかった。

狗家疃への誘い込み

行周が、李存孝に叩きつけられても死ななかった賊め、なぜ追って来ないと罵ると、彦章は聞いて大いに怒り、憤然として馬を進め陣を降って追った。中軍で砲声が一つ鳴り、一陣を衝けば一陣が開き、彦章はそのまま狗家疃まで突き進んだ。中軍の旗印が一層をなし、東南西北、四方八面から一斉に押し寄せてきた。詩にも、四方の人馬が紛々と押し寄せ、八面の槍刀が列をなして並び、虎牢関の下に布かれた長蛇の陣、九里山の前の大包囲戦もかくやと詠われている。(詩:四方八面の布陣)

このとき建唐は名将四百五十員を率いて斬り出し、喊声を大いに上げ、船頭あがりめ、馬を下りて死を受けよと叫んだ。彦章は怒って馬を打ち槍をつかんで陣中に突き入った。建唐が槍を一振りすると諸将が一斉に斬りかかり、まる一日の激戦で、彦章は名将十六員を槍で突いて落馬させた。振り返って遠く望めば、なお三千余の兵が残っていたが、猛将四員はいずれも行周に討たれていた。彦章はこのとき力尽きて、西の陣へ向かって逃げようとしたが、西の陣は潞州王李杰が要路を塞いでおり、彦章はこれと出会って一合交えると中陣へ突き入り、そこで高行周に出会った。行周は声を励まして、船頭あがりの賊め、馬を下りて縄にかかれと罵る。彦章が馬を打ち槍を構えて行周に突きかかると、行周は槍を押しのけ、食らえと叫んで虎掌の金錘を一撃し、彦章は鞍に取りすがって血を吐きながら人頭峪へと逃げ込んだ。

日はすでに暮れ、彦章が逃げているうちに、どさりと人馬もろとも倒れた。やっと起き上がって鞭を入れるとまた地に倒れ、一歩ごとに転んで夜明けまで転び続けた。馬上から見ると、地面は一面に人の頭が転がって広さ一丈に及び、絡み合って一所に生えている。一晩中転び続けた彦章は、肩は落ち袖は乱れ、くたびれ果てて勇を振るうこともできず、手足は慌てるばかりで力を出しようもなかった。

五方五帝の陣

彦章がようやく人頭峪を出て狗家疃にさしかかり、危急のただ中にあると、突然砲声が一つ鳴り、五色の号旗が一層に並んで、五隊の人馬が現れた。彦章が東を望むと、甲冑袍を着けて戦場に立ち、三股の鋼叉を手にし、鸞鳳を飾った箙(えびら)に雕弓を挿し、宝剣を沙魚の鞘に納め、霧をまとう衣に黄錦の帯、紫の糸の手綱を張った馬に跨り、青旗紅焔のもと虎のように震の方を守る将がいた。(詩:東方の将の装い)その東方の陣は、東方甲乙の木に配し、倒馬金戈を列ね、三股の托天叉を執り、短剣と手盾が先導するものとして詠われる。(詩:東方甲乙の木の陣)

彦章が正南へ向かって走ると、そこにも英雄の将が湧き出て、魚鱗の鉄甲で身を固め、鳳翅の金兜で首を守り、波を衝く戦馬は竜の形、開山の大斧は弓のよう、紅旗紅甲が火光を飛ばして南方離の位に威を鎮めていた。(詩:南方の将の装い)その南方の陣は、南方丙丁の火に配し、紅袍赤馬に絳紅の纓、飛檛は当たれば頭を砕き、紅錦の套索は老竜の筋であると詠われる。(詩:南方丙丁の火の陣)

彦章が正西へ走ると、雕鞍玉勒の馬が風にいななき、甲冑は稜を重ね、豹尾の箙には銀鏃の箭、飛魚の袋には鉄胎の弓、袍には双鳳の翠縷、鐧(四稜の打棒)には金花と小竜を嵌めた将が、白旗の一群のうちに天門の西、兌宮を拠として現れた。(詩:西方の将の装い)その西方の陣は、西方庚辛の金に配し、白絹の旗の下に寒氷を撒き、玉のように白い銀鐧(打棒)を提げ、剣は匣を離れて輝くと詠われる。(詩:西方庚辛の金の陣)

彦章が正北へ走ると、虎のように雕鞍に坐して胆気昂ぶり、弓を湾き箭を挿して鬼神をも慌てさせ、朱纓と銀蓋が鋼戟を覆い、絨縷の金鈴を馬の脇につけ、兜の頂には紅の花を散らし、甲には柳葉を綴って翠に隠れた将が、皂旗黒甲の煙雲のうちに北面天山、坎の方を守っていた。(詩:北方の将の装い)その北方の陣は、北方壬癸の水に配し、打ち棒はみな黒漆塗り、狼牙の鉄槊が幾千層、雁翎に方天戟を並べると詠われる。(詩:北方壬癸の水の陣)

彦章がさらに中央へ向かうと、熟銅の鑼と花腔の鼓の間に隊伍が密に群れ、金の刀と斧、赭黄の袍、翦絨の戦襖に葵花が舞い、核心には竜のような二騎、陣内には虎のような二人があって、杏黄の旗が周囲を取り巻き、まさに中央戊己の土に配していた。(詩:中央の将の装い)その中央の陣は、中央戊己の土に配し、黄花の弓箭と足踏みの弩、人ごとに大桿刀を担ぎ、短剣と月形の宣花斧を備えると詠われる。(詩:中央戊己の土の陣)

彦章が周囲を見回すと、五方の陣勢が近く迫って来る。表には八卦を分かち、裏には九宮に合し、天地の機関を占い風雲の気象を奪う。前後には亀蛇の形を列ね、左右には竜虎の形を分かち、丙丁が前に進めば万条の烈火が山を焼くごとく、壬癸が後に随えば一片の烏雲が地を覆うごとくである。左の勢いの下には青い気が盤旋し、右手の下には白い光が貫き連なる。金色の霞は中央に満ちわたり、黄道はことごとく戊己に依っている。四維には二十八宿の分があり、周回には六十四卦の変がある。盤り曲がって、乱れの中でも隊伍は長蛇と変じ、整然として、静けさの中の威儀は伏虎のようである。馬軍は衝いては突き、歩卒は後になり前になって動く。八陣が功を成したなどと誇るには及ばず、六韜で勝ちを取ったなどとみだりに説くまでもない。孔明が妙計を施し、李靖が神機をめぐらしたのもかくやという布陣であった。(詩:八卦九宮の大陣)

彦章の自刎

彦章は五方五帝の陣を見て天を仰ぎ、天が我を絶つのだ、今日は計にかかったと嘆じた。前へ進もうとすると、唐の中軍が戦いを催す砲声が鳴り、東南からは郭彦威、正南からは劉知遠、正西からは石敬瑭、正北からは李嗣源、中央からは李存勖が斬りかかって来た。この五位の皇帝は五匹の馬にそれぞれ乗っており、一つは烏獬豕、一つは赤狻猊、一つは黄驃馬、一つは棗騮駒、一つは分鬃驥である。用いる武器も五種で、一つは托天叉、一つは倒馬の長矛、一つは安漢刀、一つは画桿戟、一つは金蘸斧であった。五位の皇帝が一斉に攻めかかり、彦章は包囲の真ん中に閉じ込められ、独力では戦えぬと悟ったが、この五王の福分にはどうにも抗しがたい。まさに五条の赤須の竜が一頭の白額の虎を群れて攻めるようであった。彦章は力尽き気も疲れ果て、天を仰いで一声大きく叫び、剣を抜いて自刎した。この後どうなるかは、次回に語られる。麗泉も詩に、雞宝山の前で戦うこと二秋、彦章は自刎して大梁は愁いに沈んだ、建唐の妙算は人の及ぶところではなく、梁兵を破った最初の一番手柄であると詠じている。(詩:麗泉の詩)

評語

卓吾子は、王彦章は雞宝山に兵を屯すること二年、百戦百勝して勇は三軍に冠たり、強大な梁を支える柱石であったと言う。それが史建唐に五皇の兵将を五方に配して追い詰められ、狗家疃で自刎して死んだ。建唐の妙算に及ぶ者は唐営の中にいなかった、と評する。

原文(底本)
當日,眾人歡喜,言未盡,報有一彪人馬到來,盡打紅旗。

  眾人視之,是二位英雄。身長九尺,肚量過人,威風凜凜,相貌堂堂。二人是誰?一個是同臺郭彥威,一個是河西石敬瑭,皆受節度使之職。當日,引了人馬,同來降唐。見了潞州王,告曰:「某願與大王為前部,同破水手,與唐報仇!」潞王大喜,賞賜金帛,加封二人為都指揮之職。史建唐曰:「今得二人相助,吾觀彥章水手之賊,死已將近。今日五龍俱全,逼此水手,吾事必濟矣!」

  言未盡,又一支人馬逕奔唐營來降。為首一小將,花枝本是公卿子,虎體猿班將帥孫。進見潞州王,告曰:「某願為前部,擒獲彥章 。」王問之,其人曰:「臣乃山東鄆州東平阿齒人也。姓高名行周,年方一十三歲,頗習武藝。臣父高思繼,死於彥章逆賊之手,切齒之仇,常欲報之,特來降唐,充為前部,乞大王親撥數萬之兵,上為國家討賊,下得復報父仇,臣萬死無恨也!」潞州王即命高行周為先鋒,領兵前去迎敵,當日天晚,眾人各散。

  次早潞州王升帳,召史建唐議事,報言:「昨夜不知建唐何處去了,絕無蹤影。」王問七將曰:「史總兵今往何處?」

  七將曰:「昨夜逕出,不知去向?」言未已,只見建唐欣然奔入大寨,下馬來見潞州王,曰:「臣昨仰觀天象,見西北方將星墜地,料彥章亡在旦夕,必被吾擒。」今已尋去此九十里之地,一地名狗家疃人頭峪,四下草木深叢,只可入不可出,極好埋伏。把這水手賺到那裡,獐入狗口,豈能得活。吾布開七十二座連珠陣,軍人不要贏,只要輸,賺他到狗家疃,布個五方五帝陣,才逼得這水手死矣!」潞王大喜曰:「此計極妙,速可行之!」便遣高行周前去引戰,佯輸詐敗,只罵彥章是李存孝摔不死的水手賊,把他賺到陣中,輪流挑戰。建唐急令五將,授計而行,號為五龍。怎見得五龍:

    一龍是直北沙陀李晉王世子李存勖,後滅梁為唐莊宗皇帝。

    一龍是直北沙陀李晉王養子李嗣源,後為唐明宗皇帝。

    一龍是河西石敬塘,後為晉高宗皇帝。

    一龍是沙陀知遠,後為漢高祖皇帝。

    一龍是同臺郭彥威,後為周太祖皇帝。

  史建唐吩咐五將聽令,各人授一貼兒,領人馬到狗家疃,計而行。定下四面埋伏之計,遣高行周先去搦戰。

  卻說王彥章,在帳中商議:「今唐兵分佈而來,誰去迎敵?」閃出尚讓曰:「吾與齊克讓、景祥三將,見陣一遭。」即披掛綽槍上馬,出營佈陣,門旗開處,高行周出馬。尚讓笑曰:「唐朝叫此小孩為將,真勢屈也。口中乳腥未退,頭上胎發猶存,安能當陣耶?」更不打話,便挺槍直刺行周,行周挺槍來迎,二人戰不三合,行周大怒,一槍挑尚讓於馬下。齊克讓兩手舞刀便砍,被行周逼開,舉虎掌金錘打下,正中克讓頭,打得粉碎。景祥見二將已死,驚惶不戰,拍馬便走,行周追及,起一錘,打景祥跌下馬來。唐兵見了,齊喝聲大彩。皆言:「此等小將,如此英勇,世之罕有!」

  小校慌報彥章,二將出陣,皆被小將殺死。彥章聽知,遂自綽槍立馬陣前。行週知是彥章,大罵:「水手賊,下馬受死,報殺吾父血恨之仇!」彥章大怒,拍馬挺槍,直刺行周,行周急架相還,不及三合,行周撥馬便走。彥章知是計,停馬不趕。

  行周大罵:「李存孝摔不死的賊,因何不趕?」彥章聽知大怒,忿然遂勒馬追下陣來。中軍一聲炮響,衝一陣,開一陣,直衝到狗家瞳來。中軍旗號一層,東南西北,四方八面,一湧齊來。

  怎見得,有詩為證:

    四方人馬紛紛至,八面槍刀列布排,

    虎牢關下長蛇陣,九里山前大會垓。

  此時,建唐領名將四百五十員,殺出陣來,喊聲大震,叫:「水手下馬受死!」彥章大怒,遂拍馬拈槍,衝入陣中。建唐把槍晃了一晃,眾將齊殺進來,正殺了一日,被彥章槍挑將一十六員落馬。回頭遙看,尚有三千餘眾,猛將四員,俱為行周所殺。彥章此時力乏,逕撞奔西陣上逃走。西陣上是潞州王李杰擋住要路,正遇彥章,交馬一合,彥章衝進中陣,正遇高行周,厲聲大罵:「水手賊!下馬受縛。」彥章拍馬挺槍,直取行周。行周逼開槍,喝聲:「著中!」一虎掌金錘打得彥章抱鞍吐血而走,逕往人頭峪去了。天色已晚,彥章正走,撲的連人帶馬跌倒了,比及爬將起來,打上一鞭,又跌倒在地下,一步一交,直跌到天明。此時彥章在馬上視之,見地下都是人頭滾滾,廣一丈,盤柏相結,長在一處。人馬正跌了一夜,跌得彥章,垂肩射袖難施勇,手腳慌忙怎用功。

  彥章方出人頭峪,才到狗家疃,正在危急,忽聽一聲炮響,五色號旗一層,閃出五支人馬到來。彥章望東上視之,見那來將,打扮得:

    擐甲披袍立戰場,三股鋼叉手內將。

    雕弓鸞鳳壺中插,寶劍沙魚鞘內藏。

    束霧衣飄黃錦帶,騰空馬頓紫絲疆。

    青旗紅燄龍蛇動,虎據夫東守震方。

  怎見得東方陣勢,有詩為證:

    一按東方甲乙木,倒馬金戈列擺佈,

    手執三股托天叉,短劍傍牌前引路。

  彥章望正南上而走,見那來將,怎生打扮:

    當先湧出英雄將,凜凜威風添氣象。

    魚鱗鐵甲緊遮身,鳳翅金盔拴護項。

    衝波戰馬似龍形,開山大斧如弓樣。

    紅旗紅甲火光飛,威鎮南方離位上。

  怎見得南方陣勢,有詩為證:

    二按南方丙丁火,紅袍赤馬絳紅纓,

    飛檛著人頭粉碎,紅錦套索老龍筋。

  彥章望正西而走,見那來將打盼得:

    雕鞍玉勒馬嘶風,甲冑稜層花霧濛。

    豹尾壺中銀鏃箭,飛魚袋內鐵胎弓。

    袍端翠縷穿雙鳳,簡上金花嵌小龍。

    一簇白旗湧猛將,天門西據是兑宮。

  怎見得西方陣勢,有詩為證:

    三按西方庚辛金,素羅旗下撒寒冰,

    手提銀簡白如玉,劍征離匣晃光明。

  彥章又往正北上而走,見那來將打盼得:

    虎坐雕鞍膽氣昂,彎弓插箭鬼神慌。

    朱纓銀蓋遮鋼戟,絨縷金鈴貼馬旁。

    盔頂鑲花紅錯落,甲穿柳葉翠遮藏。

    皂旗黑甲煙雲內,北面天山守坎方。

  怎見得北方陣勢,有詩為證:

    四按北方壬癸水,悶棍都是黑油漆,

    狼牙鐵槊數千層,雁翎擺開方天戟。

  彥章又望中央而走,見那來將打扮得:

    熟銅鑼間花腔鼓,簇簇攢攢分隊伍。

    金刀金斧赭黃袍,翦絨戰襖葵花舞。

    核心兩騎馬如龍,陣內一雙人似虎。

    周回繞定杏黃旗,正按中央戊己土。

  怎見得中央陣勢,亦有詩為證:

    五按中央戊己土,黃花弓箭腳踏弩,

    人人肩擔大桿刀,短劍月樣宣花斧。

  彥章周回一看,見那五方陣勢,相近追來,只見:

    明分八卦,暗合九宮,占天地之機關,奪風雲之氣象。前後列龜蛇之狀,左右分龍虎之形。丙丁前進,如萬條烈火燒山;壬癸後隨,似一片烏雲覆地。左勢下,盤旋青氣;右手下,貫串白光。金霞遍滿中央,黃道全依戍戊己。四維有二十八宿之分,周回有六十四卦之變。盤盤曲曲,亂中隊伍變長蛇;整整齊齊,靜裡威儀如伏虎。馬軍則一衝一突,步卒是或後或前。休誇八陣成功,謾說六韜取勝。孔明施妙計,李靖播神機。

  彥章見了五方五帝陣勢,仰天歎曰:「天絕我也!今日中計。」正欲前走,忽聽得唐中軍催戰的炮響,東南上郭彥威殺來,正南上劉知遠殺來,正西上石敬瑭殺來,正北上李嗣源殺來,中央李存勖殺來。這五位皇帝,俱各騎著五匹馬。一個是烏獬豕,一個是赤狻猊,一個是黃驃馬,一個是棗騮駒,一個是分鬃驥。各使著五般兵器。一個是托天叉,一個是倒馬搠,一個是安漢刀,一個是畫桿戟,一個是金蘸斧。五位皇帝,一齊來攻彥章,彥章困在垓心,自知獨力難戰,怎當這五王的福分。正是五條赤須龍,群戰一個白額虎。彥章力盡神疲,仰天大叫一聲,拔劍自刎。欲知後事如何,且看下回分解。

  麗泉詩云:

    雞寶山前戰二秋,彥章自刎大梁愁,

    建唐妙算人難及,先勝梁兵第一籌。

  卓吾子評:

  王彥章屯兵雞寶山二年,百戰百勝,勇冠三軍,為強梁弼輔。被史建唐以五皇兵將,按據五方,趕逼彥章,自刎於狗家疃而死。建唐妙算,唐營中無有。

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