殘唐五代史演義傳第四十六回 石敬瑭、反旗を翻して三関を落とす (石敬瑭反下三關)
要約
廃帝は張后の誣告を真に受けて怒り、永寧公主を弁明も許さず冷宮に送って一月のあいだ監禁した。公主は泣き訴えて飲食もままならず姿はやつれ果て、もと馮丞相の侍女で李玉英という宮娥ただ一人が付き添って慰めた。公主は、河東を鎮める夫の石駙馬はこの責め苦を知るまい、誰かが伝えてくれれば人馬を率いて長安に至りあの賤しい女を寸断して恨みを雪いでくれように、と嘆き、梁の間に飛んできた一双の燕に夫を恋う思いを託した詩を吟じた。
李玉英はその詩を書き写して馮道に届け、馮道は驚いて、朝に臨む日を待って奏し必ず迎え戻すと公主に言づけた。翌日、清明の佳節に廃帝が群臣を集めて夜に宴していると、西北に斗ほどの大星が現れて天を横切り東南へ飛び去り、また一星が東南を照らして今にも墜ちんばかりであった。馮道は、今年は罡星が洛陽にあって国に利あらず太白星が正午を過ぎても消えぬ、虚実も確かめず公主を冷宮に苦しめたが駙馬石敬瑭は三関を守って雄兵猛将が多く、仇を報いに来れば誰も敵しえぬ、この星はその身の上に応じていると奏し、公主を放免して酒の上の過ちと仰せられ金帛を賜わるのが社稷を安んずる計だと説いた。廃帝は金石の論と称して従い、公主は放免されて木樨宮へ帰った。
公主はなお恨みが消えず、三関へ知らせる者を求めると小卒秦渉が進み出た。公主は血書を託し、秦渉は河東三関に至った。関では石駙馬が中軍に座し、左に四十二員の勇将、右に三十六員の官僚が列していた。血書には、正月の皇兄の寿誕に晋陽への帰還を奏したが異図を疑われて後宮に戻され、張后の讒言で冷宮に四十余日幽閉され死地に置かれようとしたが馮道の力添えで禍を免れた、早く良き策を立ててほしい、遅ければ陽台の雲となろう、とあった。敬瑭は足を踏み鳴らして怒り、昏君と賤婦を殺して恥を雪ぐと誓った。劉知遠は、形勝の地に拠り士馬精強であるから兵を興せば帝業も成しえると勧め、桑維翰は、主上は庶孽の身で明宗を伐ったので人心が付かず、契丹主は明宗と兄弟の約を結んでいるから節を屈して事えれば朝に呼べば夕に至ると説いた。敬瑭は桑維翰に表を書かせて契丹に称臣し父の礼をもって事えたいと請い、事が成れば盧竜一道と雁門関以北の諸州を割いて与えると約した。劉知遠は、父として事え土地を許すのは行き過ぎで後日中国の大患となると諫めたが従われず、後の先儒は礼楽衣冠の地を夷狄に売り渡した庸臣を怒って歯噛みする詩を詠んだ。
契丹主は喜んで慕容韜を元帥とし兵五万を助けに遣わした。敬瑭は廃帝が先に公主を害するのを恐れ、趙瑩の議に従って桑維翰の推した趙州の宇文涣を密書とともに東京へ遣わした。涣は木樨宮で公主に、兵十万を起こして京城へ攻め上るゆえ今宵のうちに脱身せよと伝えた。公主は宮人韓月娥に事を見抜かれたうえで計を授けられ、翌朝、冷宮で立てた観音の醮一壇の願を果たしたいと奏して許され、彩車で宮人侍女を従えて城を出、宇文涣と落ち合い五百の軍士に守られて洛陽を離れた。逃亡が報じられたのは三日後で、廃帝は慌てて文武を集め、馮道は三関から密通があったに違いなく早晩禍乱が生じるゆえ急ぎ追うべきだと言った。卓吾子は、三関の重任を委ねておきながら小さな一件で公主を冷宮に囚えたことを責め、禍いは城外からでなく宮中から起こったのだと評した。
現代語訳全文
公主、冷宮に幽閉される
- その日、廃帝は張后の花言巧語による誣告を真に受けて心中大いに怒り、宮娥を遣わして公主を呼び出させると、弁明も許さずただちに冷宮に送り込み、一月のあいだ監禁して限りない苦しみを与えた。
- さて公主は冷宮に囚われ、悲しみ泣いて訴え、飲食もままならず、姿はやつれ果てた。ただ一人の宮娥だけが公主に付き添った。もとは馮丞相の侍女で、名を李玉英という者で、冷宮に仕えて公主の憂いを見ては、よい言葉で慰めた。
- 公主は言った。「わが夫石駙馬は河東を鎮めており、私がこのように責め苦を受けているとは知るまい。もし誰かがこの知らせを彼に伝えてくれたら、人馬を率いて長安に至り、あの賤しい女を寸断して、この恨みを雪いでくれように」。
- 言い終えたとき、ふと一双の燕が梁の間に飛んできた。公主は、夫と会いがたい中にふと双燕を見た、燕は人の情を知ってこの深宮の院にまで来た、この一種の愁いを誰が知ろう、糸のように結ぼれる凄涼の怨みよ、これを辺塞の人に伝えておくれ、そうすれば必ず狼煙が上がろう、との詩を吟じた(詩:夫を恋う思いを燕に託した)。
馮道の諫言と公主の釈放
- 公主が吟じ終えると、李玉英はこの詩を書き写して馮丞相に届けた。丞相は一見して大いに驚き、「この数日、主上は朝を開かれなかった。どうしてこのようなことがあったと知られよう」と言った。そして宮人に、公主に伝えて欲しいと言づけた。駕が朝に臨む日を待って奏し、必ず迎え戻すゆえ、憂え煩わずにいるように、と。宮人は返事を持って帰った。
- 翌日、廃帝が殿に登った。折しも清明の佳節に当たり、群臣を大いに集めて夜に宴し、ともに治平の事を議していた。そこへ西北の方角に、斗ほどの大きさの星が現れ、天を横切って東南へ飛び去り、流光が燦爛と輝いた。また一星があって、まさしく東南を照らし、その色は煌々として今にも地に墜ちんばかりであった。
- 廃帝は大いに驚き、急いで群臣に問うた。宰相馮道が奏した。「臣が先ごろ占いましたところ、今年は罡星が洛陽にあり、国に利あらず、また太白星が天を経て正午を過ぎても消えません。どうかお慎みください」。
- 廃帝が慌ててその故を問うと、馮道は言った。「永寧公主は陛下の妹君にございます。ただ小さな一件のために、陛下は虚実もお確かめにならず、金枝玉葉の身を忘れて冷宮に監禁され、あらゆる苦しみを受けさせられました。今、駙馬の石敬瑭は三関を守り、雄兵猛将がきわめて多うございます。もしこのことを知って、兵を率いて仇を報いにまいったなら、誰がこれに敵しえましょうか。今日のこの星は、まさしくこの人の身の上に応じておりまして、禍いは小さくございません。どうか陛下、これをよくお考えください」。
- 廃帝は「どうすればこれを解けようか」と問うた。馮道は答えた。「この事はきわめて容易で、万に一つの失もございません。陛下はただちに公主を放免なさり、先日のことはすべて酒の上の過ちであったと仰せられ、なお金帛を賜わりますよう。至親の情のことゆえ、たとい憤りを抱いておりましても、どうして陛下に害を加えられましょうか。これこそ社稷を安んずる計でございます」。廃帝は「卿の奏すること、まことに金石の論である」と言った。
- その日、廃帝は馮道の議にことごとく従い、公主はついに放免されて木樨宮へ帰った。
血書を三関へ
- 公主はひそかに思った。「主上はあの賤しい女の言葉を信じて、恩義を絶ち、私を冷宮で苦しめた。今こうして放たれたとはいえ、この恨みはどうして消えよう。誰か三関へ行って駙馬に知らせ、兵を引き入れて都に来させ、仇を報いてくれる者はないものか。それこそ私の願いである」。
- 言い終わらぬうちに、小卒が声に応じて進み出た。「私は秦渉と申します。三関へまいって駙馬にお知らせいたしましょう」。公主は「かえって事を誤りはしないか」と案じた。渉は「私には恨みを報ずる計がございます。公主にはご心配なさいますな」と答えた。そこで公主は血書一通をしたため、これを秦渉に託した。
- 秦渉は書を受けて身支度を整え馬に乗り、まっすぐ河東三関の下まで至ったが、みだりに轅門へ入りはしなかった。見れば、兵は雄々しく馬は壮んで、石駙馬がまさに中軍に座し、左には四十二員の出征の勇将、右には三十六員の参賛の官僚が列し、帳の前には戈戟が森々と立ち並び、階下には三軍が整然と並ぶ。駙馬本人は頭に束髪紫金冠を頂き、身には大紅の繍鸞袍をまとい、腰には金箱白玉の帯を締め、足には粉底の皂朝靴を履いていた。まさに威風凛々、まことに相貌堂々たる姿であった。
- 沙陀の地にたちまち棟梁の材が生まれ、紫の気と紅の光が玉台に映えた、竜虎のごとき謀臣が階下に立ち、貔貅のごとき戦士が帳前に並ぶ、三たび誥勅を賜って南省に名を連ね、二鎮に得た声名は九垓に重い、唐王に引き立てられて帝の子と遇され、晋王の兵馬が今まさに迫り来る、と詠んだ(詩:石敬瑭の威勢を讃えた)。
敬瑭の決意と契丹への称臣
- その日、石敬瑭はちょうど帳に登り、桑維翰・劉知遠・趙瑩・柴研ら諸将とともに三関を守って、人馬を操練し、号令はきわめて厳粛であった。諸将が関上で議事をしているところへ、秦渉が都から来たとの報があり、敬瑭は召し入れて問うた。
- 渉は答えた。「公主は元旦の朝賀の折、張后に疎略にあしらわれ、二人は面と向かって殴り合いとなりました。思いがけず張后がひそかに讒言を献じたため、主上は大いに怒り、公主を冷宮に監禁して苦しめられましたが、のち馮丞相の奏によってようやく免れられました。特に小卒を遣わして書を馳せ報じさせましたので、将軍にはどうかお察しください」。そう言って懐から書を取り出して差し上げた。
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敬瑭はこれを受け取って開いて見ると、一紙の血書であった。大いに驚き、これを読んだ。書には次のようにあった。
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「妾李氏の公主より、夫君石駙馬将軍の麾下に書を届けます。嫁いでよりこのかた、まことに万幸と存じておりましたが、ひとたび分かれて後は憂愁が積もるばかりです。宮中で美食と暖かな衣に包まれる暮らしとはいえ、思いを禁じることはできません」。
- 「先ごろの正月、皇兄の寿誕に当たり、祝いの杯を挙げ終えたあと晋陽への帰還を奏し、琴瑟の楽しみを得ようとしました。ところが皇兄はにわかに疑いを起こし、妾が晋陽に帰って夫君とともに異図を謀るのではと恐れ、奏を聞き入れず後宮に戻されました。そのうえ張后の讒言に皇兄は惑わされ、妾を冷宮に四十余日も幽閉し、飲食もままならぬほどで、さらには妾を死地に置こうとまでなさいました。幸い丞相馮道の力添えを得て、ようやくその禍を免れました」。
- 「妾は今、一日を一年のごとく過ごしております。侘しい軒端に夜雨の降るとき、衰えた身に冷たい風の吹くとき、ただ遠くを望んで眼が穿ち腸がちぎれる思いでございます」。
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「壁の灯は消えかかり、涙は尽きて眼も涸れんばかり。この血書が届きましたら、どうか早く良き策をお立てください。もし来るのが遅ければ、妾は陽台の雲となって二度と帰らぬ身となりましょう。この別れを思うと胸が塞がり、何を申せばよいかわかりません。妾李氏、再拝」。
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敬瑭は公主からの書を読み終えると、足を踏み鳴らして大いに怒った。「昏君と賤婦め、よくもこのような無礼を働いたな。誓ってこれを殺し、この恥を雪ごう。おまえはしばらく退がっておれ、わしは挙兵を議する」。秦渉は自ら営中へ下がって休んだ。
- 敬瑭は劉知遠と議して言った。「公主は罪もなく苦しめられた。この仇はどうすれば報いられようか」。知遠は答えた。「明公は久しく士卒の心を得ておられ、今また形勝の地に拠り、士馬は精強です。もし兵を興して檄を伝えれば、帝業も成しえましょう。どうして坐視して恥を忍ばれましょうか」。
- 敬瑭は言った。「そなたの言葉は深くわが意にかなう。ただ事が成らねば、かえって禍を招きはせぬかと恐れるのだ」。桑維翰は言った。「主上は即位の初め、明公が入朝された折、蛟竜を深淵に放ってはならぬことを知らなかったはずがありません。それでもなお河東三関を明公にお守らせになったのは、これは天が明公に利器をお貸しになったものです。明宗の遺愛は今も人々の中に残っておりますが、主上は庶孽の身でこれを伐たれたので、人心は付きません。まして明公は明宗の愛婿でいらっしゃいます。今、主上が情に背いて明公を遇された以上、頭を下げて謝るだけで免れることはできません。ただ力を尽くして自ら全うする計をお立てになるべきです。契丹主はもとより明宗と兄弟の約を結んでおられます。明公が真心をもって節を屈してこれに事えられれば、朝に呼べば夕には至りましょう。どうして成らぬことがございましょうか」。
- 敬瑭の意はここに決まった。ただちに桑維翰に表を書かせ、契丹に称臣し、あわせて父の礼をもって事えたいと請い、事が成った暁には盧竜一道と雁門関以北の諸州を割いて契丹に与えると約した。
- 劉知遠は言った。「称臣するだけならよろしいでしょう。父として事えるのは行き過ぎです。金帛を厚く贈れば、兵を招くには十分でございます。土地までお許しになる必要はございません。今、契丹の兵を引き入れれば、目の前の急は暫時解けても、後日きっと中国の大患となり、悔いても及ばぬことになりましょう」。しかし敬瑭はついに従わなかった。後に先儒がこの史を読んでここに至り、次のように詠んだ。
- 中国は中国自らが治めるべきものを、盧竜をどうして夷人に属させてよいものか、一片の軽々しい誓約書のために、諸州はこれより沈淪するに至った、あの礼楽衣冠の地を、もず啼くような夷狄の言葉を話す輩に売り渡したのだ、今なお史を読んでは恨みを遺し、庸臣を怒って歯噛みする、と詠んだ(詩:石敬瑭の称臣を悲しんだ)。
公主救出の計
- さて使者が表を契丹にもたらすと、契丹主はこれを見て大いに喜び、ただちに慕容韜を元帥として、兵五万を率いて助けに遣わした。
- その日、敬瑭は衆と議した。「今、われらは挙兵の約を結んだ。その勢いはきわめて大きく、仇は必ず報いられよう。ただ廃帝がこれを察知して、先に公主を害しはせぬかと恐れる。どうすればよいか」。趙瑩は言った。「しばらく兵を動かさず、まず一人を密かに遣わして公主を宮中から連れ出し、東京を離れさせてから事を起こすのがよろしいでしょう」。桑維翰は言った。「わが帳下にこの任に堪える者がおります」。敬瑭は「その者は誰か」と問うた。維翰は答えた。「この者は若いころから人に使われる身に甘んじず、成長してからは勇があり、身の丈八尺、趙州の人で、複姓を宇文、名を涣と申します」。敬瑭は大いに喜んで言った。「わしはこの者の名を久しく聞いていた。彼が行ってくれれば、大いにわが願いに叶う」。ただちに書一通をしたためて封じ、宇文涣を遣わした。
- 涣は軍令を受けて、夜を日に継いで東京へ馳せ、まっすぐ木樨宮に入って永寧公主にまみえた。
- 侍妾が「三関から使いの者がまいっております」と報じると、公主はこれを呼び入れて、子細を尋ねた。涣は告げた。「私は小卒宇文涣でございます。駙馬は公主の冷宮でのご恨みを報じようと、兵十万を起こし、三関を離れて京城へ攻め上ろうとしております。公主が難に遭われるのを恐れ、私をまず遣わしてお知らせし、早く脱身の計をお立てさせようとのことでございます。今宵のうちに支度なされ、そのままお馬に乗るのがよろしく、遅れれば事を誤りましょう。ここに密書がございます」。そう言って差し出した。公主はこれを開いて読んだ。書には次のようにあった。「拙夫駙馬石敬瑭より、公主賢妻にお知らせいたします。即日、兵は潼関口の外に臨み、指呼の間に長安に至ります。ただ公主に不利があってはと恐れ、あえて急には進みません。まず宇文涣を遣わしてお知らせいたしますので、速やかに脱身の計をなさり、長安城をお離れください。わたしは後より兵を率いて参り、迎えて営に入れたうえで事を挙げれば、万全を期せましょう。どうか折を見て良きようにお計らいください」。
- 公主は読み終えて、「まことにそういうことなら、おまえはしばらく退がっていよ。私に考えがある」と言った。宇文涣はわざと急き立てるふうをして退出した。
- 公主は宮人の韓月娥のもとへ行き、ひそかに涙を流した。月娥が「公主はどうしてそのようにお悩みでございますか」と尋ねると、公主は答えた。「冷宮で苦しんでいたとき、脱れる術がなかったので、空に向かって観音の醮一壇を営むことを願掛けした。本宮に戻れたなら必ずお礼をする、と。今すでに難を脱れたのに、この願をまだ果たしていない。それで悒々として楽しまぬのだ」。月娥は言った。「私を欺かれますな、私はすでに承知しております。宇文涣が、駙馬が三関で反して公主をお迎えに来る、と申し上げたので、その願解きの話を口実になさろうというのでしょう」。公主は驚いて「そなたがすでにこのことを知っているなら、私もどうして隠そう。実はここを離れる妙計がなくて、それで悩んでいるのだ」と打ち明けた。月娥は「私に一計があります、ここを離れることは難しくございません」と言った。公主が計を尋ねた。
- 月娥は言った。「明朝、公主は殿上で切に願を果たしたいと奏され、宮を出られませ。私が公主とともにまいればよろしゅうございます」。公主は「もしそのようにしてくれるなら、生きても死んでもこの恩は忘れまい。くれぐれも漏らさぬように」と言った。二人はこうして相談を決めると、公主は宇文涣を呼び、「そなたはまず城を出て、官道のほとりで待っておれ。私は願を果たすと称し、宮人月娥とともに参る」と申し付けた。宇文涣は「公主にはくれぐれもご用心ください。主帥の計をお誤りになりませぬよう」と言った。
- 翌日、廃帝が殿に登り、百官の拝舞が終わると、永寧公主は闕下に伏して奏した。「ただ元旦の朝賀の折、兄上の后と拝礼の作法を争って竜顔を怒らせ、それがために冷宮に監禁されて苦しみを受けました。その折、脱れる術もなくひそかに考え、天に向かって観音の醮一壇を営みますと自ら願を立てました。すでに聖恩をこうむって赦し出されましたゆえ、道理として願解きのお礼参りをいたすべきでございます。どうか陛下には慈悲を本とし、兄妹の情をお思いになって、小妹が金蓮観へ赴きこの願を果たしますことをお許しください。それが小妹の幸いでございます」。廃帝はこれを許した。公主は拝謝して朝を退くと、そのまま彩車に乗り、一団の宮人侍女を従えて城を出た。宇文涣と落ち合い、五百の軍士が前後を守り、洛陽を離れて道を急いだ。
- 兄と妹とが相容れず、讒言を聞き入れて道理が通らなくなった、石郎が城外にいたからではなく、戈矛はもともと深宮の中から起こったものだ、と詠んだ(詩:宮中の争いを嘆いた)。
発覚と追捕の議
- その日、文武がみな散じた後、公主が宮娥とともに逃げ去ったと報じられたのは、すでに三日を経てからのことであった。
- 廃帝は公主が去ったと聞いて慌てふためき、文武を集めて議した。馮道は言った。「これは必ず三関から人がまいり、ひそかに通じたに違いございません。すでに公主を迎え去った以上、早晩必ず禍乱が生じましょう。急ぎこれを追うべきです」。この後のことがどうなるかは、次回において語られる。
評語
- 卓吾子曰く、廃帝はすでに敬瑭に三関の重任を委ねておきながら、どうして小さな一件のために永寧公主を冷宮に囚えたのか。その禍いは城外から起こったのではなく、実は宮中から起こったのである。
この篇には、機械と人手の突き合わせを繰り返しても判断がつかなかった箇所が残っています。原文と読み比べてください。
- 「公主因元旦朝賀被張后疏慢,二人面毆一番」原文の字は「面毆」(毆=打つ)なので「殴り合い」と訳しています。第四十五回に描かれる実際の場面(公主が金笏を振り上げ、張后が笑顔で受け流す)とは食い違いますが、この台詞が都からの伝聞報告であるという原文自体の構造によるものです。「言い争った」と弱めると原文の「毆」の字が訳から消えるため、字に忠実な訳を残しました。
原文(底本)
當日,廢帝被張后花言巧語,冒奏一遍,心中大怒,便遣宮娥,去宣公主到來,不由分訴,即時送入冷宮,監禁一月,受了無限苦楚,不在話下。卻說公主囚禁在冷宮中,悲啼自訴,飲食俱廢,形容憔悴。只有一宮娥,原是馮丞相侍女,名李玉英,在冷宮伏侍,見公主憂愁,以好言寬解。公主道:「我夫石駙馬鎮守河東,怎知我受此磨折,若有人傳此消息與他知道,統領人馬到長安,將這賤人碎屍萬段,方雪此恨!」道罷,忽見一雙燕子飛到梁間。公主遂吟一詩云: 夫君難見面,忽睹雙飛燕, 飛燕識人情,來此深宮院, 誰知一種愁,縷結淒涼怨, 傳將邊塞人,管取狼煙現。 公主吟畢,李玉英將此詩抄寫,傳送馮丞相。丞相一見大驚曰:「這幾日,主上未曾設朝,那知有此事?」吩咐宮人,見公主拜上,待駕設朝之日,奏准迎還,勿用憂煎,回話去了不題。次日,廢帝升殿,時當清明佳節,大會群臣夜宴,共議治平之事,見西北方一顆星,其大如斗,從天飛過東南,流光燦爛。又有一星,正照東南,其色煌煌,如欲墜地。廢帝大驚,急問眾臣,宰相馮道奏曰:「臣前者算,今年罡星在於洛陽,不利於國,又見太白星經天,過午不散,請陛下謹防之。」廢帝慌問其故。馮道曰:「永寧公主乃陛下之妹也,只因小節,陛下不審虛實,忘了金枝玉葉,即便監禁冷宮,受盡苦楚,今駙馬石敬瑭,把守三關,雄兵猛將極多,若知此事,領兵前來報仇,誰人可敵?今日此星,正應在此人身上,為禍不小,請陛下詳之。」廢帝曰:「何以解之?」道曰:「此事極易,萬無一失。陛下即將公主蘇放,稱言前日之故,皆因酒失,仍賜金帛,特以至親之情,雖懷忿恨,安能加害陛下?此安社稷之計也!」廢帝曰:「卿所奏,誠金石之論也!」 當日,廢帝悉從馮道之議,公主遂得蘇放,歸至木樨宮中,暗思:「主上信此賤婦之言,疏恩絕義,使我冷宮受苦,今雖見放,此恨怎消?誰肯往三關報知駙馬?引兵來京報仇,吾之願也!」言未盡,只見小卒應聲出曰:「吾秦涉也,願往三關,報與駙馬。」公主曰:「但恐反誤事。」涉曰:「吾自有計以報恨,公主不必掛慮。」於是,公主即修血書一封,付與秦涉。 秦涉領書,結束上馬,逕到河東三關之下,未敢擅入轅門,但見: 兵雄馬壯,石駙馬正坐中軍,左邊列四十二員出征勇將,右邊列三十六員參贊官僚。帳前戈戟森森,階下三軍整整。本官頭頂束髮紫金冠,身穿大紅繡鸞袍,腰繫金箱白玉帶,腳揣粉底皂朝靴。正是威風凜凜,果然相貌堂堂。 有詩為證: 沙陀頓產棟樑材,紫氣紅光映玉臺, 龍虎謀臣階下立,貔貅戰士帳前排, 三封誥敕分南省,兩鎮聲名重九垓, 接授唐王為帝子,晉王兵馬逼將來。 當日,石敬瑭正升帳中,與桑維翰、劉知遠、趙瑩、柴研眾將,同守三關,操練人馬,號令嚴肅。眾將正在關上議事,忽報秦涉自都下來,敬瑭召入問之。涉答云:「公主因元旦朝賀被張后疏慢,二人面毆一番。不意張后陰獻讒言,主上大怒,將公主監禁冷宮受苦,後得馮丞相奏過,方才得免,特遣小卒,奉書馳報,請將軍察之!」懷中取出書呈上。敬瑭接了,拆開視之,卻是一紙血書,大驚!念其書云: 妾李氏公主,書達夫君石駙馬將軍麾下。爰從適配,實為萬幸,一旦分離,憂愁並積。雖宮中膏粱輕暖,難禁情有所思。 適今正月,值皇兄壽誕,稱觴已罷,奏歸晉陽,以諧琴瑟。不意皇兄,頓生多疑,恐妾回晉陽,與夫君謀異,不允所奏,發歸後宮。遭張后之讒,蠱惑皇兄,將妾幽禁冷宮四十餘日,飲食俱廢,更欲置妾於死地。幸得丞相馮道力救,方免其禍。妾今度日如年,每遇窮簷夜雨,衰革淒風,但有凝望眼穿腸斷。 壁燈半滅,淚盡眼枯,血書到幾,早作良圖,倘若來遲,則妾為陽臺不歸之雲也。臨岐淒斷,不知所云。妾李氏再拜。 敬瑭看罷公主來書,頓足大怒曰:「昏君賤婦,敢如此無禮,誓必殺之!以雪吾恥。汝且迴避,待吾商議起兵!」秦涉自去營中安歇。敬瑭與劉知遠議曰:「公主無辜受苦,此仇如何可報?」知遠曰:「明公久得士卒之心,今據形勝之地,士馬精強,若興兵傳檄,帝業可成。豈可坐視而忍辱乎?」敬瑭曰:「汝言深合吾意,但恐謀事不成,反招禍害。」桑維翰曰:「主上即位之初,明公入朝,主上豈不知蛟龍不可縱之深淵耶! 然卒以河東三關令明公把守,此乃天意假公以利器也。明宗遺愛在人,主上以庶櫱伐之,群情不附,況公乃明宗之愛婿。今主上逆情見待,此非首謝可免,但力為自全之計。契丹主素與明宗約為兄弟,公誠能推心屈節以事之,朝呼夕至,何患不成!」敬瑭之意遂決。即令桑維翰寫表,稱臣於契丹,且請以父禮事之,如事成之日,割盧龍一道,及雁門關以北諸州與之。劉知遠曰:「稱臣可矣!以父事之太過,厚以金帛賄之,便足以致其兵,不必許以土地。今契丹引兵相助,得暫解目下之急,恐異日大為中國之患,悔無及矣!」敬瑭終不肯從。先儒讀史至此,有詩曰: 中國須教中國治,盧龍豈可屬夷人? 尺一隻因輕約誓,諸州從此入沉淪。 卻將禮樂冠裳地,貨作侏鴂舌倫。 讀史至今遺悵恨,令人切齒怒庸臣。 卻說使臣齎表至契丹,契丹主見表大喜,即遣慕容韜為元帥,領兵五萬前來相助。當日敬瑭與眾商議:「今我約會起兵,其勢甚大,報仇必矣!倘廢帝探知,先將公主害了,如何是好?」趙瑩曰:「且宜按兵勿動,先遣一人,密地前去,將公主取出宮中,離了東京方好行事。」桑維翰曰:「吾帳下一人,堪任此事。」敬瑭曰:「此人是誰?」維翰曰:「此人少不負囊,長而有勇,身長八尺,乃趙州人也,複姓宇文名涣。」敬瑭大喜曰:「吾聞此人之名久矣!得彼前去,大遂吾願。」即修書一紙封好,便遣宇文涣前去。 涣領軍令,星夜馳奔東京,逕入木樨宮,來見永寧公主。 侍妾報曰:「三關有使來見,公主喚入,細問其故。涣告曰:「某乃小卒宇文涣也!駙馬欲報公主冷宮之恨,起兵十萬,離了三關,殺奔京城,恐公主遭難,差某先來報知,早為脫身之計,今晚結束,便好上馬,遲則誤事!今有密書呈上。」公主拆開視之。書云: 拙夫駙馬石敬瑭,致書於公主賢妻知道,即日兵臨潼關口外,指日便到長安,誠恐不利於公主,不敢遽進,先遣宇文涣報知,速作脫身,離了長安城。吾隨後領兵前來迎接到營,然後舉事,方保萬全。善覷方便,伏乞裁處。 公主覽畢,「果有此事,你且暫退,我自有道理」。宇文涣故意催並一番而出。公主入見宮人韓月娥,暗暗垂淚。月娥曰:「公主何故煩惱?」公主曰:「念我在冷宮受苦之時,無計得脫,望空許下觀音醮一壇,得至本宮,即便酬還。今已脫難,未了此願,使吾悒怏不已。」月娥曰:「休得瞞我,我已知道了。宇文涣報你,駙馬反下三關,欲取你去,故托此意。」公主驚曰:「汝既知此事,吾安敢瞞,實無奇計離此,因此煩惱。」月娥曰:「我有一計,離此不難。」公主請問其計? 月娥曰:「明早你當殿苦奏,酬願出宮,吾同公主前去便是。」公主曰:「若如此,生死難忘,切勿漏泄。」二人商議已定,公主便喚宇文涣,吩咐云:「你先出城於官道邊等候,吾推還願,與宮人月娥同行。」宇文涣曰:「公主自宜仔細,勿誤主帥之計。」 次日,廢帝升殿,眾官拜舞已畢,永寧公主伏於闕下,奏言:「只為元旦朝賀,與皇嫂相爭拜見之禮,觸怒龍顏,致被監禁冷宮受苦。當時暗思無計可脫,對天曾許觀音醮一壇,已蒙聖恩赦出,理宜賽還,望陛下以慈悲為本,念兄妹之情,賜小妹往金蓮觀酬還此願,小妹之幸也!」廢帝許之,公主拜謝出朝,隨即上了彩車,一班宮人侍女跟定出城,與宇文涣相會,五百軍士前遮後擁,離了洛陽,趲程而去。有詩為證: 一兄一妹不相容,聽信讒言道不通, 不是石郎來閫外,戈矛原自起深宮。 當日文武皆散,比及報道公主與宮娥逃去之時,已是三日。 廢帝聽得走了公主,慌集眾文武商議。馮道曰:「此必三關有人來此,暗通消息,既已接去公主,早晚必生禍亂,可急追之!」未知後事如何,且聽下回分解。 卓吾子評: 廢帝既委敬瑭以三關重任,豈因小節而囚永寧公主於冷宮,其禍不起於閫外,實肇自宮中矣!
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