殘唐五代史演義傳第四十七回 廃帝、将を遣わして公主を追わせる (廢帝遣將追公主)

要約

廃帝は馮道の奏に驚き、梁剛・伍亮に五百の人馬を選ばせ、昼夜を分かたず公主を連れ戻せと命じた。廖武が、公主は幼少から武事を習い厳毅剛正で皆が畏れているゆえ二将では追い戻せぬと言うと、廃帝は怒って佩刀を抜き、慕容遷・朱弘昭にこの剣で公主の首を取れ、令に背く者は斬ると命じ、二人は一千の馬軍で追った。

公主は定嘉の界口で追いつかれると皆を先に行かせて殿を務め、梁剛・伍亮を謀反するのかと叱った。二将は馬を下り武器を捨ててひれ伏し、勅旨を奉じて公主を宮へお戻しに来たと訴えた。公主は、石駙馬はわが夫で三関を守っており、主上に奏して三関へ上る許しを得たのだから私奔ではないと千匹夫万匹夫と罵り、二将は軍士を制して道を開けた。

五、六里行かぬうちに慕容遷・朱弘昭が追いつき、処置が間違っていると言って四将は兵を合わせて追った。四将も公主を見ると馬を下りたが、公主が匹夫どもが兄妹を離間させたと罵るところへ砲声が響き、山林から北平の人趙瑩の一隊が撃って出た。石敬瑭が仕掛けた伏兵で、四将は逃げ唐兵は大いに敗れ、趙瑩は公主の車馬を護って三関へ上った。

石敬瑭は公主を迎えて夫婦ともに喜び、その日趙瑩を先鋒、劉知遠を副将として三関で兵を挙げて反いた。契丹主の遣わした慕容韜の援兵も加わり声勢浩大であった。潼関を守る韓虎が関を出ると、敬瑭は河東節度使・三関鎮守・兼天下兵馬大元帥と名乗り、無道の昏君を伐つと告げた。韓虎は三合で敬瑭の一槍に斬り落とされ、その軍は半ばを斬られ潼関は攻め落とされた。

張雄が長安へ報じると諸将は黙して答えず、高思継の長子高行周が敬瑭を生け捕りにすると進み出、紹陵の人郝守敬も願い出た。廃帝は兵五万を点じ、行周を行兵総管、守敬を副総管に拝して出師させた。武陵山の下で劉知遠と行周は五十余合戦って勝負つかず、趙瑩が挟み撃ちに加わると行周は敗走した。郝守敬は敬瑭に一合も経ぬうちに突き落とされ、副将李超もまた敬瑭の槍に突き落とされ、唐兵は数えきれぬほど討たれた。翌日、行周は再び知遠と百余合戦い、偽って敗走する知遠を追って拖刀の計で斬り伏せられた。敬瑭が鞭を振ると大軍と伏兵が一斉に襲いかかり、屍は野に横たわった。卓吾子は、高行周は少年の血気にはやり韜略に通じぬゆえ劉知遠の謀にかかったのだろうと評した。

現代語訳全文

追手の派遣

  • さて廃帝は馮道の奏を聞くと大いに驚き慌て、梁剛・伍亮に五百の精壮な人馬を選ばせ、昼夜を分かたず必ず追いついて連れ戻せと命じた。二将は命を受けて出立した。
  • 廃帝の憤りはいよいよ加わり、公主を深く恨み、人を遣わして三関へも書を送らせた。廖武が言った。「陛下には天を衝くほどのお怒りがございましても、臣が思いまするに、梁剛・伍亮では公主を追い戻せますまい。公主は幼いころから武事を習い、厳毅剛正で、皆がこれを畏れております。公主がすでに三関へ上ろうと心を決めている以上、追いかける将士も、公主を見れば決して手を下せませぬ」。
  • 廃帝は大いに怒り、佩びていた剣を抜いて慕容遷・朱弘昭を呼び、命を聞かせた。「そなたら二人、この剣をもって公主の首を取って参れ。令に背く者は斬る」。二人はただちに一千の馬軍を点じて追いかけた。

公主、梁剛・伍亮を叱り退ける

  • さて公主は鞭を当て手綱を緩めて馬を走らせ、道を急いで、定嘉の界口に至ったとき、背後に土煙が上がるのが見え、軍の者が「追手が至りました」と報じた。宇文涣が慌てて公主に「追手がすでに参りました、いかがなさいますか」と問うと、公主は「皆は先に行け、私が殿を務める」と言った。
  • そこで人々に命じて車を押し出させ、車の帷を巻き上げると、自ら梁剛・伍亮を叱って言った。「おまえたち二人、謀反するつもりか」。梁・伍の二将はあわてて馬を下り、武器をことごとく捨てて車の前にひれ伏し、訴えた。「どうして謀反などいたしましょう。主上の勅旨を奉じ、兵を率いて公主を宮へお戻し申し上げるために参ったのでございます」。
  • 公主は怒って言った。「おまえたち二匹夫、やはり謀反するつもりであろう。朝廷はおまえたちに何ら不義理をしていない。石駙馬はわが夫で、三関を守っている。私はすでに主上に奏し、願を果たし終えて、三関に上って夫に会う許しを得たのだ。私奔ではない。それをおまえたち二人が、こんな山深い所まで軍馬を引き連れて追ってきたのは、私の財物でも奪おうというのか」。
  • 梁剛・伍亮は「めっそうもございません」と口々に唯々として答え、「どうか公主にはお怒りをお鎮めください。小将どものせいではなく、朝廷のご命令によるものでございます」と言った。公主は叱って言った。「朝廷はおまえたちを殺せて、私にはおまえたちを殺せぬというのか」。二将を千匹夫、万匹夫と、口を止めずに罵った。
  • そして車を前に進めよと命じた。二人は、自分たちはしょせん臣下のさらに臣下であり、どうして公主の言葉に逆らえようかと考え、やむなく軍士を制して道を開けさせ、公主を通した。

四将の追撃と趙瑩の伏兵

  • 五、六里も行かぬうちに、背後から慕容遷・朱弘昭が追いついた。梁剛・伍亮が先ほどのやり取りを話すと、慕容遷・朱弘昭の二将は「それはそなたらの処置が間違っている。われら二人は朝廷の旨を奉じ、特に彼女を追い捕らえに参ったのだ」と言い、四将は兵を合わせて追いかけた。
  • さて公主は、ようやくこの難を脱したばかりで進んでいると、背後で再び喊声が起こり、軍馬が入り乱れて追ってきた。宇文涣がまた公主に「後ろから追手が再び参りました、いかがなさいますか」と告げると、公主は「皆は先に行け、私が自ら後の道を防ぐ」と言った。そこで五百騎は馬を馳せて先に行き、宇文涣は馬に乗って車の傍らに立った。
  • 四将が追いついて公主を見ると、やむなく馬を下り、両手を組み合わせて立った。公主が「そなたたちは何用でここへ来たのか」と問うと、二将は「主上の勅旨を奉じ、公主を宮へお戻し申し上げるために特に参りました」と答えた。
  • 公主は正色して罵った。「みなおまえたちこのような匹夫どもが、わが兄妹の仲を離間させたのだ。私はすでに主上に奏して願を果たし、夫を尋ねに行くのであって、私奔ではない。今日、誰がこれを阻めようか。おまえたち四人、兵威を頼んで、道中で私を害しようというのか」。
  • そう言い合っているところへ、前方で砲声が一つ響き、山林の中からいまだ疲れを知らぬ一隊の軍が撃って出た。先頭に立つ大将は北平の人で、姓は趙、名は瑩といった。四将は備えがあることを知って馬を返して逃げ、趙瑩は兵を率いて追いかけ、唐兵を大いに敗って四方に散らした。もともと唐兵は石敬瑭があらかじめ仕掛けておいた伏兵にかかったのであり、趙瑩の一軍がここで待ち受けて迎え撃ったのであった。一撃で唐兵は散り、失った兵は甚だ多かった。
  • 趙瑩は兵を収めると、公主と宮娥の車馬を護って、そろって三関へ上った。

三関の挙兵と潼関の突破

  • さて石敬瑭は永寧公主を迎え、夫婦ともに喜びに堪えなかった。その日ただちに趙瑩を先鋒に、劉知遠を副将に命じ、三関において兵を挙げて反いた。大軍は期日どおりに進み、また契丹主が遣わした将慕容韜の引き連れる援兵も加わり、水陸並び進んで声勢は浩大であった。
  • 前軍が陝の境に至ると、潼関の下で守っていた張雄と韓虎のもとへ、河東三関の石敬瑭が戦いを挑んでいるとの報が入った。張雄と韓虎はこれを退ける策を相談した。韓虎は「私が一度陣を見てまいりましょう」と言い、甲冑を着け馬に乗って、兵を率いて関を出た。
  • 韓虎が「来る将は何者か」と問うと、敬瑭は答えた。「わしは河東節度使、三関鎮守、兼天下兵馬大元帥の石敬瑭である。兵を発して長安に上り、無道の昏君を伐つ。馬を下りて帰順すれば、その方の命は助けてやろう」。
  • 韓虎は大いに怒り、馬を進め槍をしごいて突きかかったが、三合を交えたところで石敬瑭の一槍に馬から斬り落とされて死んだ。その軍勢は半ばを斬られ、諸将は勢いに乗じて潼関に攻め上った。

高行周・郝守敬の出陣

  • 張雄は韓虎が敗死したと聞くと、早馬を求めて長安へ走り、朝陽殿に入って叩頭して奏した。「三関が反しました。石敬瑭の人馬はすでに潼関に至り、韓虎は戦死して潼関を奪われ、大軍は後から長安へ迫ってまいります」。
  • 帝はこれを聞いて大いに驚き、左右の文武の官に「敬瑭が長安に反り入ろうとしている、どうすればこれを退けられようか」と問うたが、諸将は皆黙って答えなかった。そこへ一人の少年将軍が突然進み出て言った。「臣が兵を率いて敬瑭を生け捕りにいたしましょう」。これを聞いて皆は驚いた。この者はほかでもない、高思継の長子高行周であった。
  • 廃帝は「そなたは年若い、必ず誰か一人を副えてこそ行かせられよう」と言った。すると、また一将が進み出て言った。「臣も同じく石敬瑭を破りに参りとうございます」。見れば紹陵の人で、姓は郝、名は守敬という者であった。
  • 廃帝は大いに喜び、ただちに兵五万を点じて二将に出師させた。高行周を行兵総管、郝守敬を副総管に拝し、即日進軍させた。物見が戻って「敬瑭の兵は前隊がすでに武陵に着いて陣を構えました」と報じ、行周もまた兵を催して武陵へ進み、前後二つの陣に分かれて構えた。
  • その日、諸将は石敬瑭に告げた。「唐朝が高行周・郝守敬を将として遣わし、武陵の界口に陣取りました。どうか兵を発して拒がれますよう」。敬瑭は怒って言った。「あの乳臭い子供風情に、どうして将が務まり、わしと戦えようか」。
  • 趙瑩が「廃帝が子供を将にしたというなら、私がこれを捕らえてまいりましょう」と願い出ると、敬瑭は「心して、わしのために捕らえて参れ」と許した。趙瑩が拝辞して出ようとすると、劉知遠が「趙先鋒が出陣なさるなら、小将も同行を願います」と申し出、敬瑭はこれを許した。二将はその日のうちに兵を率いて進んだ。

武陵の合戦

  • さて高行周は敬瑭の兵が近づいたと知ると、二つの陣の兵をことごとく引き連れ、武陵山の下に列した。敬瑭の兵もまた馬を出し、山野を埋めつくすほどで、鉦太鼓の音が天に喧しく、両軍は陣立てを整えて正面から向かい合った。
  • 高行周は郝守敬と副将の李超を連れて陣前に立ち、対陣を遠く望むと、紅旗の一隊が押し出て、その中に上将二人が現れた。銀の兜と鎧をつけ、駿馬に紅の袍をまとい、左には開山月斧を手にした趙瑩、右には安漢刀を構えた劉知遠がいた。
  • 二騎は左右に馬を駆け巡らせ、知遠は声を張り上げて罵った。「高行周の若造め、死期がすぐそこに迫っておるのに、なおも天兵に逆らう気か」。行周もまた罵り返した。「石敬瑭ごときは匈奴の鼠輩、しょせん馬飼いの飢えた男にすぎぬ。それがよくも三関で反き、ここまで兵を差し向けるとは、自ら死を招きに来たようなものだ」。
  • 知遠は大いに怒って馬を躍らせ刀を振るい、まっすぐ行周に討ちかかった。行周も槍を構えて迎え、二人は五十余合を戦ったが勝負がつかなかった。趙瑩も槍を構えて馬を躍らせ、挟み撃ちに加わったので、行周は敗走した。
  • 趙瑩・劉知遠の二将は唐兵の陣中へ斬り込み、敬瑭と柴研も兵を駆って攻めかかった。郝守敬は馬を躍らせて先頭に立ち、刀を振るって迎え撃とうとしたが、ちょうど敬瑭に出くわし、一合も経ぬうちに馬から突き落とされた。李超は守敬が突き殺されるのを見ていよいよ怒り、馬を躍らせて迎え撃とうとしたが、これもまた敬瑭の槍に馬から突き落とされた。
  • この日、敬瑭は陣中を行き来して突き進み、まるで無人の境を行くかのようであった。敬瑭の軍馬が大挙して押し寄せ、唐兵は数えきれぬほど討たれた。高行周はここに二将を失い、勢い孤立して力尽き、慌てて逃げ去った。

拖刀計と行周の最期

  • さて趙瑩・劉知遠の二将は敬瑭に議って言った。「今や高行周は兵が敗れ将を失いました。この虚に乗じて敵陣を急襲すれば、唐兵の鋭気はことごとく挫け、二度と拒み戦うことはできますまい」。知遠は言った。「高行周は多くの兵将を失ったとはいえ、南軍はなお数が多うございます。明日、計を用いてこれを捕らえましょう」。
  • 翌日、高行周は再び軍を率いて知遠と戦い、百余合に及んだところで、知遠は偽って敗走した。行周が後を追うと、知遠は拖刀の計を用いてこれを斬り伏せた。
  • 石敬瑭が鞭の先を一振りすると、大軍が一斉に襲いかかり、あちこちに伏せておいた軍馬も同時に討って出て、それぞれ功を争って一人で百人に当たらぬ者はなく、屍は野に横たわり、血は流れて河をなした。後の事がどうなるかを知りたければ、次回の説き明かしを見られよ。

評語

  • 卓吾子曰く、高行周は少年の血気にはやり、まだ韜略に深く通じていなかった。それゆえに劉知遠の謀にかかったのであろう。
原文(底本)
卻說廢帝聽得馮道所奏,遂大驚慌,便差梁剛、伍亮選五百精壯人馬,無分晝夜,務要趕上拿回。二將領命去了。廢帝忿怒轉加,深恨公主,差人書報三關。廖武曰:「陛下雖有沖天之忿,臣料梁剛、伍亮必追公主不來。公主自幼曾習武事,嚴毅剛正,眾皆懼之,她既然有心上三關,那追趕將士,若見公主,決然不敢下手。」廢帝大怒,掣所佩劍,喚慕容遷、朱弘昭聽令:「汝二人將這口劍去取公主頭來,違令者斬之!」

  二人隨後點一千馬軍趕來。

  卻說公主加鞭縱轡,催趲而行。來到定嘉界口,望見背後塵頭起處,眾軍報道:「追兵至矣!」宇文涣慌問公主曰:「追兵已至,如之奈何?」公主曰:「眾軍先行,吾當斷後。」

  於是,麾眾人推車直出,卷其車帷,自喝梁剛、伍亮曰:「汝二人欲造反耶?」梁、伍二將,慌忙下馬,盡棄軍器,俯伏車前,訴曰:「安敢造反?為奉主上敕旨,領兵請公主還宮。」

  公主怒曰:「汝二匹夫、果欲造反!朝廷不曾虧負於汝,石駙馬是我夫主,把守三關,我已奏過主上,還願已畢,許我上三關見夫,又不是私奔,你兩個於山僻去處,引著軍馬追至,意欲劫我財物耶?」梁剛、伍亮喏喏連聲,口稱:「不敢。請公主息怒,不干小將之事,乃是朝廷之命。」公主叱曰:「朝廷殺得你,偏我殺你不得!」把二將千匹夫,萬匹夫,罵不住口。

  喝令推車前進。二人自思我等本是臣下之臣,如何敢抗公主言語,只得把軍士喝開,放她過去。

  才去不上五六里,只見背後慕容遷、朱弘昭趕到。梁剛、伍亮把卻才言語說了一遍,慕容遷、朱弘昭二將曰:「你放差了!我二人奉朝廷旨意,特來追捉她。」四將合兵一處趕來。

  卻說公主,才脫得此難,正行之間,背後喊聲又起,軍馬紛紛趕來。宇文涣又告公主曰:「後面追兵復來,如之奈何?」公主曰:「眾人先行,我自擋住後路。」於是,五百騎縱馬先行,宇文涣上馬,立於車旁。四將追至,見了公主,只得下馬,叉手而立。公主曰:「汝二人來此何干?」二將答曰:「奉主上敕旨,特來請公主還宮!」公主正色罵曰:「都是你這伙匹夫,間謀我兄妹不睦。我已奏過主上,賽願尋夫,又不是私奔,今日誰敢阻擋,你四人倚仗兵威,特來中途害我乎?」

  正話間,只見前面一聲炮響,山林內一隊生力軍殺出,為首一員大將,乃北平人也,姓趙名瑩。四將見有準備,回馬便走,趙瑩領兵趕來,殺得唐兵大敗,四散奔走。原來唐兵被石敬瑭預先埋伏,趙瑩一支軍馬在此接應,一擊而散,喪折甚多。

  趙瑩收兵,護著公主與宮娥車馬,齊上三關去訖。

  卻說石敬瑭接見永寧公主,夫婦不勝欣喜。當日便命趙瑩為先鋒,劉知遠為副將,反下三關。大軍依期而進,又有契丹主差將慕容韜引兵相助,於是,水陸並進,聲勢浩大。前軍已至陝界,潼關下張雄、韓虎正坐,報河東三關石敬瑭索戰。張雄與韓虎商議退敵之策。韓虎說:「下官去見陣一遭!」披掛上馬,領兵出關。問:「來將何人?」敬瑭曰:「吾乃河東節度使、鎮守三關、兼天下兵馬大元帥石敬瑭!發兵要上長安,伐無道昏君,下馬歸順,免爾一死。」韓虎大怒,拍馬挺槍便刺,比手三合,被石敬瑭一槍截下馬而死。砍軍一半,眾將乘勢殺上潼關。

  張雄聽得韓虎失手,尋一匹快馬,跑上長安,進朝陽殿,望駕叩頭奏曰:「三關反了,石敬瑭人馬已到潼關!韓虎戰死,搶了潼關,大軍隨後即到長安!」帝聞奏大驚!問左右文武官曰:「敬瑭反入長安,何以退之?」諸將皆默然,忽一少年將軍,突然而出曰:「臣願領兵活擒敬瑭!」眾聞之大驚。此人非別,乃高思繼長子高行周是也。廢帝曰:「奈爾年幼,必得一人副之,方可前往。」忽又一將進曰:「臣願同破石敬瑭!」眾視之,乃紹陵人也,姓郝名守敬。廢帝大喜,即點兵五萬,命二將出師。就拜高行周為行兵總管,郝守敬為副總管,即日進兵。哨馬回報:「敬瑭之兵,前隊已到武陵下寨,行周亦催兵前到武陵,前後分作二寨。當日諸將謂石敬瑭曰:「唐朝遣高行周、郝守敬為將,扎住武陵界口,請室將發兵拒敵。」敬瑭怒曰:「量此乳臭孩子,豈能為將,與我交戰?」趙瑩曰:「既廢帝命孩子為將,某請擒之!」敬瑭曰:「汝可用心,為我擒來。」趙瑩拜辭欲行。劉知遠曰:「既趙先鋒要去出陣,小將亦願同行。」敬瑭許之。二將即日領兵前進不提。

  卻說高行周探知敬瑭之兵至近,遂拔二寨之兵齊起,列於武陵山下。敬瑭之兵出馬,漫山塞野,金鼓喧天,兩陣對圓。

  高行周引郝守敬並副將李超出馬,立於陣前,遙望對陣中,擁出一隊紅旗,於中兩員上將,銀盔銀甲,駿馬紅袍,左邊趙瑩,持開山月斧;右手劉知遠,手挺安漢刀。兩匹馬左右馳驟,知遠揚聲大罵曰:「高行周豎子,死限臨頭,尤敢拒敵天兵耶?」行周亦罵曰:「量汝敬瑭,乃匈奴鼠輩,你不過一牧馬餓夫,如何擅敢反下三關,加兵於此,自送其死耶?」知遠大怒,躍馬輪刀,直取行周,行周挺槍來迎,二人戰上五十餘合,不分勝負。趙瑩挺槍躍馬,便來夾攻。行周敗走,趙劉二將,殺入唐兵陣中,敬瑭與柴研,驅兵掩擊,郝守敬躍馬當先,揮刀來迎,正遇敬瑭,未及一合,被敬瑭刺於馬下。李超見刺死守敬,忿怒愈加,躍馬來迎,又被敬瑭槍挑落馬。當日,敬瑭在陣,往來衝突,如入無人之境。敬瑭軍馬大至,殺得唐兵死者無算。

  此時高行周折了二將,勢孤力窮,落慌逃去。

  卻說趙、劉二將,請敬瑭商議云:「如今高行周兵敗將亡,可乘虛劫寨,則唐兵銳氣盡挫,不敢復來拒敵矣!」知遠曰:「高行周雖然折了許多兵將,南軍甚眾,請俟明日用計擒之。」次日,高行周又引軍來與知遠交戰,戰上一百餘合,知遠詐敗,行周后面趕來,被知遠用拖刀計斬之。石敬瑭鞭梢一指,大勢人馬,一齊掩殺,各路埋伏軍馬,同時殺進,各要爭功,無不以一當百,殺得屍橫遍野,血流成河。若知後事,且看後面如何分解。

  卓吾子評:

  高行周少年性氣,未及深通韜略,因而中知遠之謀歟!

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