十七史百將傳巻一 斉 田穣苴
現代語訳
Kindle版『現代語訳 十七史百將傳 1 巻一〜巻五』(全2巻の第1巻)として出版する予定です。
要約
司馬穰苴は田完の遠い子孫である。齊の景公のとき晉と燕に侵され齊軍が大敗すると、晏嬰は穰苴を薦め、景公は將軍として燕・晉の軍を防がせた。穰苴は士卒がまだ懐かぬとして君の寵臣を軍の監督に願い出、景公は莊賈を行かせた。
正午の約束に遅れた賈に、穰苴は、將は命を受けた日に家を忘れ、鼓を打つ急のときに身を忘れると言い、軍正に問うて莊賈を斬り、三軍に見せしめとした。賈を赦させようと馬を走らせ軍中に入った使者にも、將が軍にあるときは君命でも受けぬ場合があると言い、その御者と車の左駙と左驂とを斬って見せしめとした。
穰苴は士卒の宿営や飲食、病人の医薬まで自ら世話し、將軍の糧を士卒に振る舞ったので、三日で病人まで従軍を願い出た。晉軍は去り、燕軍は河を渡って軍を解き、穰苴は追撃して旧領を取り戻した。景公は郊外で軍を労い、大司馬とし、田氏は日ごとに齊で尊ばれた。
ほどなく鮑氏・高氏・國氏の讒言で景公は穰苴を退け、穰苴は病を発して死んだ。のち齊の威王はその法に倣って兵を用い、大夫に古の司馬兵法を論じさせて穰苴を附け加え、『司馬穰苴兵法』と号した。
孫子はいう、令するに文、斉えるに武、法令はどちらがよく行われているか、戦わずして人の兵を屈する、と。穰苴が莊賈を斬り、燕・晉が軍を解いて去ったのが、これである。
原文(底本)
司馬穰苴者,田完之苗裔也。齊景公時,晉伐阿、甄而燕侵河上,齊師敗績,景公患之。晏嬰乃薦田穰苴曰:「穰苴雖田氏庶孽,然其人文能附眾,武能威敵,願君試之。」景公召穰苴與語兵事,大說之,以為將軍,將兵捍燕、晉之師。穰苴曰:「臣素卑賤,君擢之閭伍之中,加之大夫之上,士卒未附,百姓不信,人微權輕。願得君之寵臣、國之所尊,以監軍乃可。」於是景公許之,使莊賈往。穰苴既辭,與莊賈約曰:「旦日日中會於軍門。」穰苴先馳至軍,立表下漏待賈。賈素驕貴,以為將已之軍,而己為監,不甚急。親戚左右送之,留飲,日中而賈不至。穰苴則僕表決漏,入行軍勒兵申明約束。約束既定,夕時莊賈乃至。穰苴曰:「何後期為。」賈謝曰:「不佞大夫親戚送之,故留。」穰苴曰:「將受命之日,則忘其家;臨軍約束,則忘其親;援桴鼓之急,則忘其身。今敵國深侵,邦內騷動,士卒暴露於境,君寢不安席、食不甘味,百姓之命皆垂於君,何謂相送乎?」召軍正問曰:「軍法:期而後至者,云何?」對曰:「當斬。」賈懼,使人馳報景公請救。既往,未及反,於是遂斬莊賈以徇三軍,三軍之士皆振慄。久之,景公遣使者持節赦賈,馳入軍中。穰苴曰:「將在軍,君令有所不受。」問軍正曰:「軍中不馳,今使者馳,云何?」正曰:「當斬。」使者大懼。穰苴曰:「君之使不可殺之。」乃斬其僕、車之左駙、馬之左驂,以徇三軍。遣使者還報,然後行。士卒次舍,井灶飲食,問疾醫藥,身拊循之。悉取將軍之資糧享士卒,身與士卒平分糧食,最比其羸弱者。三日而後勒兵,病者皆求行,爭奮出為之赴戰。晉師聞之,為罷去;燕師聞之,度水而解。於是追擊之,遂取所亡封內故境而引兵歸。未至國,釋兵旅、解約束,誓盟而後入邑。景公與諸大夫郊迎,勞師成禮,然後反歸寢。既見穰苴,尊為大司馬。田氏日益以尊於齊。已而,大夫鮑氏、高國之屬害之,譖於景公。景公退穰苴,穰苴發疾而死。其後,齊威王用兵行威,大放穰苴之法,而諸侯朝齊。齊威王使大夫追論古者司馬兵法,而附穰苴於其中,因號曰《司馬穰苴兵法》。 孫子曰:「令之以文,齊之以武。」穰苴文能附眾,武能威敵。又曰:「法令孰行。」穰苴斬莊賈以徇三軍。又曰:「不戰而屈人之兵。」穰苴士卒爭奮而燕、晉解去是也。