十七史百將傳巻一 斉 孫臏

現代語訳

Kindle版『現代語訳 十七史百將傳 1 巻一〜巻五』(全2巻の第1巻)として出版する予定です。

要約

孫臏は孫武の後世の子孫である。ともに兵法を学んだ龐涓は、魏の將軍となると自分が及ばぬのを恐れ、孫臏を招いて両足を切断し入れ墨を加え、世に隠した。

孫臏は齊の使者にひそかに説いて齊へ連れ帰られ、將の田忌に遇された。孫子は競馬の馬の等級を見てとり、下等を相手の上等、上等を中等、中等を下等に当てさせ、田忌は一度負けて二度勝ち千金を得、推挙で威王は孫子を師とした。

魏が趙を伐つと、孫臏は刑を受けた身だと將を辞し、田忌の師として、急所を突き手薄を叩けば囲みは解けるとして大梁へ走らせ、齊は桂陵で梁軍を大いに破った。

後に魏が趙とともに韓を攻め、齊がまた大梁へ走ると、龐涓は韓を去って帰還した。孫子は齊を臆病と軽んじる魏に乗じ、竈を十萬・五萬・二萬と減らさせ、龐涓は喜んで軽装の精鋭で追った。孫子は日暮れに馬陵に着くと見て、大樹を斫って龐涓はこの樹の下で死ぬと書きつけ、火を合図に射よと一萬の弩を伏せた。龐涓が夜その樹の下で火をおこして読むうち一斉射撃を受け、小僧の名を成させたと言って自刎した。齊は魏軍を破って太子申を捕虜とし、孫臏の名は天下に顕れた。

孫子はいう、必ず救う所を攻める、と。孫臏が大梁へ走らせ趙の囲みを解いたのがこれ。またいう、勇怯は勢いによる、と。竈を減らして臆病を装ったのがこれである。

原文(底本)
孫臏生阿、甄之間,孫武之後世子孫也。孫臏嘗與龐涓俱學兵法。龐涓既事魏,得為惠王將軍,而自以為能不及孫臏,乃陰使召孫臏。臏至,龐涓恐其賢於己,疾之,則以法刑斷其兩足而黥之,欲隱勿見。齊使者如梁,孫臏以刑徒陰見,說齊使。齊使以為奇,竊載與之齊,齊將田忌喜而客待之。忌數與齊諸公子馳逐重射,孫子見其馬足不甚相遠,馬有上中下輩。於是孫子謂田忌曰:「君第重射,臣能令君勝。」田忌信然之,與王及諸公子遂射千金。及臨質,孫子曰:「今以君之下駟與彼上駟,取君上駟與彼中駟,取君中駟與彼下駟。」既馳三輩畢,而田忌一不勝而再勝,卒得王千金。於是忌進孫子於威王,威王問兵法,遂以為師。其後魏伐趙,趙急,請救齊。齊威王欲將孫臏,臏辭謝曰:「刑餘之人,不可。」於是乃以田忌為將,而孫子為師,居輜車中坐為計謀。田忌欲引兵之趙,孫子曰:「夫解雜亂紛紀者不控卷,救鬥者不搏撠,批亢搗虛,形格勢禁,則自為解矣。今梁、趙相攻,輕兵銳卒必竭於外,老弱罷於內。君不若引兵疾走大梁,據其街路,沖其方虛,彼必釋趙而自救,是我一舉解趙之圍而收弊於魏也。」田忌從之。魏果去邯鄲,與齊戰於桂陵,大破梁軍。後魏與趙攻韓,韓告急於齊。齊使田忌將而往,直走大梁。魏將龐涓聞之,去韓而歸。孫子謂田忌曰:「彼三晉之兵素悍勇而輕齊,齊號為怯。善戰者,因其勢而利導之。兵法:百里而趨利者蹶上將,五十里而趨利者軍半至。使齊軍入魏地為十萬灶,明日為五萬灶,又明日為二萬灶。」龐涓行三日,大喜,曰:「我固知齊軍怯,入吾地三日,士卒亡者過半矣。」乃棄其步軍,與其輕銳倍日並行逐之。孫子度其行,暮當至馬陵。馬陵道狹而旁多阻隘,可伏兵。乃斫大樹,白而書之曰:「龐涓死於此樹之下!」於是令齊軍善射者萬弩夾道而伏,期日暮見火舉而俱發。龐涓果夜至斫樹下,見白書,乃鉆火燭之,讀其書未畢,齊軍萬弩俱發,魏軍大亂相失。龐涓自知智窮兵敗,乃自剄,曰:「遂成孺子之名。」齊因乘勝,盡破其軍,虜魏太子申以歸。孫臏以此名顯天下,世傳其兵法。

孫子曰:「攻其所必救。」臏令田忌走大梁而解趙圍。又曰:「勇怯,勢也。」臏因魏輕齊而減灶示怯是也。