十七史百將傳巻一 趙 李牧
現代語訳
Kindle版『現代語訳 十七史百將傳 1 巻一〜巻五』(全2巻の第1巻)として出版する予定です。
要約
李牧は趙の北辺の良将である。代と雁門に駐屯して匈奴に備え、日ごとに牛を殺し、射騎を習わせた。匈奴が侵入すればただちに砦に収まれと定め、数年のあいだ失うところもなかったが、匈奴も辺境の兵も李牧を臆病と思い、趙王は将を代えた。
一年余り、匈奴が来るたびに戦って利あらず、辺境では田を耕せなくなった。ふたたび請われた李牧は、以前のとおりにしてこそ命を受けると言って許され、匈奴はついに臆病と思い込み、兵士は戦うことを願った。
李牧は兵車千三百乗、騎馬一万三千匹、勇士五万、強弓十万をえりすぐり、匈奴が小勢で侵入すると偽って敗走し数千人を委ねた。單于が大いに部衆を率いて侵入すると、奇陣を布き左右の翼を張って騎兵十余万を破った。その後十余年、匈奴は趙の辺境に近づかなかった。
李牧は燕を攻めて武遂・方城を抜き、秦が趙将の扈輒を殺し一万を斬ると大将軍となり、秦の将相である桓□を破って武安君に封じられた。趙王遷の七年、秦の王翦が趙を攻めると、秦は郭開に金を与え李牧と司馬尚が謀反すると言わせた。趙王が将を代えると李牧は命を受けず、趙は密かに捕らえて斬った。王翦は趙王遷を捕虜とし趙を滅ぼした。
孫子は、よく敵を自らやって来させる者はこれを利で誘う、と。李牧が小さな利を委ね、匈奴が大挙して来たのが、これである。
年表
趙の北辺を守った良将、李牧。代と雁門に駐屯して匈奴に備え、市場の税収を幕府に納めさせて士卒を養い、数年にわたり守りに徹して戦わなかった。ついに兵車千三百乗・騎一万三千を整えて匈奴の騎兵十余万を大破し、以後十余年、匈奴は趙の辺城に近づかなかった。のち燕を攻め、秦を破って武安君に封ぜられたが、秦の放った反間によって謀反を疑われ、趙王に捕らえられて斬られ、まもなく趙は滅びた。
年表(2件)
- 趙の悼襄王の初め前244年廉頗の亡命後、燕を攻めて武遂・方城を抜く
- 趙王
- 遷の七年前229年秦の反間で謀反を疑われ、密かに捕らえられて斬られる
原文(底本)
李牧者,趙之北邊良將也。常居代雁門備匈奴,以便宜置吏,市租皆輸入莫府,為士卒費。日擊數牛饗士,習射騎,謹烽火,多間諜,厚遇戰士。為約曰:「匈奴即入盜,急入收保,有敢捕虜者斬。」匈奴每入,烽火謹,輒入收保,不敢戰。如是數歲,亦不亡失。然匈奴以李牧為怯,雖趙邊兵亦以為吾將怯。趙王誚李牧,李牧如故。趙王怒,召之,使他人代將。歲餘,匈奴每來出戰,數不利,失亡多,邊不得田畜。復請李牧,牧杜門不出,固稱疾。趙王乃復強起,使將兵。牧曰:「王必用臣,臣如前乃敢奉令。」王許之。李牧至,如故約。匈奴數歲無所得,終以為怯。邊士日得賞賜而不用,皆願一戰。於是乃具選車得千三百乘,選騎得萬三千匹,百金之士五萬人,彀者十萬人,悉勤習戰,大縱畜牧,人民滿野。匈奴小入,佯北不勝,以數千人委之。單于聞之,大率眾來入。李牧多為奇陳,張左右翼擊之,大破殺匈奴十餘萬騎,單于奔走。其後十餘歲,匈奴不敢近趙邊城。趙悼襄王初,廉頗既亡入魏,趙使李牧攻燕,拔武遂、方城。後秦破趙,殺將扈輒,斬首一萬。趙乃以李牧為大將軍擊秦,大破秦將相桓_,封李牧為武安君。趙王遷七年,秦使王翦攻趙,趙使李牧、司馬尚御之。秦多與趙王寵臣郭開金為反間,言李牧、司馬尚欲反。趙王乃使趙蔥及齊將顏聚代李牧,李牧不受命。趙使人微捕得李牧,斬之,廢司馬尚。王翦因急擊趙,殺趙蔥,虜趙王遷及其將顏聚,遂滅趙。 孫子曰:「能使敵人自至者,利之也。」牧以小利委敵,而匈奴大至是也。