十七史百將傳巻七 魏 崔浩

現代語訳

Kindle版『現代語訳 十七史百將傳 2 巻六〜巻十』(全2巻の第2巻)として出版する予定です。

要約

崔浩は字を伯深。若くして学を好み、経史から天象・陰陽・諸子百家まで読み尽くし、明元帝の初め学士祭酒となった。

晋の劉裕が姚泓を伐つため道を借りたいと求めると群臣は河の上流を断つべしと言い帝も従おうとした。浩は、西路を塞げば劉裕は北を侵すから水路を貸して西へ入らせ、東へ帰る路を塞いで二虎を闘わせ長久の利を収めよと説いた。帝は群臣の議に従い長孫嵩に防がせたが畔城で朱超石に敗られた。

帝が悔いて劉裕の成否を問うと、浩は姚興が虚名を好み泓は病み衆は叛くから克つは必定と答え、精騎で彭城・壽春を襲うという帝には、西北の二寇が滅びず長孫嵩は劉裕の敵でないから待てと答えた。王猛は苻堅の管仲、慕容恪は暐の霍光、劉裕は司馬德宗の曹操だとも論じた。

宋の武帝が亡くなると帝は洛陽・武牢・滑台を取ろうとした。浩は喪を伐たぬ『春秋』の例を引き、強臣の争いを待てば労せず淮北を収められると説いたが、帝は南伐に意を鋭くし奚斤らを遣わした。城を攻めるか地を切り取るかの議では小城を攻めて克てねば軍の勢いを挫くと言ったが、奚斤らは滑台を攻めて抜けなかった。

太武の側近は浩の正直を忌んでそしり、浩は自邸に帰って疑義のたび召された。謀計に長じ自らを張良になぞらえた。

赫連昌の討伐を群臣が難しとする中、浩だけは熒惑の占いは秦の亡ぶを示し、五星東出は西を伐つに利ありと言った。帝は蒲坂を撃たせ自ら軽騎で都城を掠め還り、のち改めて昌を討ち偽り退くと昌は前進した。風雨が砂を巻き上げ趙倪が向かい風を避けよと言うと、浩は風の向きは人の側にあると叱り、軍を分けて不意を撃てと説き、帝が従うと昌の軍は大いに潰えた。

蠕蠕を撃つ議では朝臣が渋る中で浩だけ賛成した。張深・徐辯が三陰の歳の北伐は必ず敗れると説き群臣も賛同したが、浩は三陰の歳に兵を用いるのは刑を修める義にかない、歳星が月を襲うのは他国に応じ、月が昴を掩うのは天子が旄頭の国を破る占いで、蠕蠕・高車がその族だと述べ、帝は悦んだ。北伐は危ういと咎める者には、蠕蠕を摧かねば南の賊を禦げず、備えなきを掩えば一挙に滅ぼせると答えた。軍が境に入ると蠕蠕は備えず、捕虜と獲物は数百万、高車の降る者は三十余万、南の軍は動けず浩の見込みどおりであった。太武は高車の渠帥に浩を指し、その胸中は武具兵器にも勝り前後の勝利は皆この人が導いたと言った。

南の諸将が兵三万を請うて先に迎え撃とうとすると、浩は南の賊は不測に備えるだけで先には発たず、秋涼しく馬肥ゆるころ撃つのが万全だと言い帝は従った。幽州以南の守備兵を選び船を造る議には、実が無いと知れば敵は喜んで河まで来る、虚声を張って実害を招くとはこれだと言い、天の時が不利な五事を挙げた。帝は衆議に従い杜超を鄴に、司馬楚之らを潁川に屯させ、寇の到来はかえって早まった。

また蠕蠕を討つ議で劉潔が異議を唱えると、浩は北は雪が多く冬は南へ移るから、その時ひそかに軍を出せば必ず出くわすと答えた。帝は軍を四道に分け鹿渾海で会すことにしたが、劉潔が諸将を誤らせ功無く還った。

帝が汾曲で薛永宗の塁を撃つべきか問うと、浩は永宗が陛下の来たのを知らず北風も激しいから急ぎ撃てと言い、帝は従って永宗は潰滅した。

蓋吳が渭北にあり渭水の南を渡るか問われると、浩は蛇を撃つ法はまず頭を破るべきで蓋吳を先に撃てと答えた。帝は従わず南を渡り、蓋吳は北山に入り軍は克つところなく帝は悔いた。

のち人が浩を誣告し、帝は怒って誅した。

孫子はいう、その疲弊に乗ずる、攻めない城がある、天を知り地を知る、まじないを禁じ疑いを去る、備えなき所を攻める、軍を乱して勝ちを引き渡す、声無きに至る、その節は短い、と。浩が二虎を闘わせて長久の利を収めると言い、小城を攻めれば軍の勢いを損なうと言い、五星東出は西を伐つに利ありと言い、風の向きは人の側にあると言い、蠕蠕の備えなきを掩うを請い、虚声は実害を招くと言い、永宗が帝を知らぬゆえ急撃を請い、蛇はまず頭を破るべきだと言ったのが、これである。

原文(底本)
崔浩,字伯深。少好學,博覽經史,玄象陰陽,百家之言,無不該覽。明元初,拜學士祭酒。晉將劉裕伐姚泓,欲溯河西上,求假道。詔群臣議之,咸曰:"函谷天險,裕何能西?今揚言伐姚,意或難測,宜先發軍斷河上流,勿令西過。"帝將從之。浩曰:"此非上策也。今興死子幼,乘其危亡而伐之,臣觀其意,必自入關。勁躁之人,不顧後患。今若塞其西路,裕必上岸北侵。如此,則姚無事而我受敵矣。蠕蠕內寇,人食又乏。發軍赴南則北寇進擊,若其救北則南州復危。未若假之水道,縱裕西入,然後興兵塞其東歸之路,所謂卞莊剌虎,兩得之勢也。使裕勝也,必德我假道之惠;令姚氏勝也,亦不失救鄰之名。縱裕得關中,遙遠難守。彼不能守,終為我物。今不勞兵馬,坐觀成敗,斗兩虎而收長久之利,上策也。"議者猶曰:"裕西入函谷則進退路窮,腹背受敵,北上岸則姚軍必不出關助我。揚聲西行,意在北進,其勢然也。"帝遂從群議,遣長孫嵩拒之,戰於畔城,為晉將朱超石所敗。帝恨不用浩言,問浩曰:"裕西伐已至潼關,卿觀事得濟否?"浩曰:"姚興好養虛名而無實用,子泓又病,眾叛親離。乘其危亡,兵精將勇,克之必矣。"帝曰:"裕已入關,不能進不能退,我遣精騎南襲彭城、壽春,裕亦何能自立?"浩曰:"今西北二寇未殄,陛下不可親御六師。長孫嵩有經國之用,無進取之能,非劉裕敵也。臣謂待之不晚。"帝笑曰:"卿量之已審矣。"浩曰:"臣嘗私論近世人物,不敢不上聞。若王猛之經國,苻堅之管仲也;慕容恪之輔少主,慕容暐之霍光也;劉裕之平逆亂,司馬德宗之曹操也。"帝常有微疾,使浩奉策告宗廟,令太武為國副,主會。聞宋武帝殂,帝欲取洛陽、武牢、滑台。浩曰:"《春秋》:晉士丐侵齊,聞齊侯卒,乃還。君子大其不伐喪,以為恩足以感孝子,義足以動諸侯。今國家不能一舉而定江南,宜遣人弔祭,恤其凶災,布義風於天下,令德之事也。且裕新死,黨與未離,不如緩之,待其惡稔。如其強臣爭權,變難必起,然後命將揚威,可不勞士卒而收淮北之地。"帝銳意南伐,語浩曰:"劉裕因姚興死而滅其國,裕死我伐之,何為不可?"遂遣奚斤等南伐,議於監國之前曰:"先攻城?先略地?"斤:"請先攻城。"浩曰:"南人長於固守,苻氏攻襄陽,經年不拔。今以大國之力攻其小城,若不時克,挫損軍勢,危道也。不如分軍略地,至淮為限,列置守宰,收斂租谷。滑台、武牢反在軍北,絕望南救,必沿河東走。若或不然,即為囿中之物。"公孫表請先圖其城。斤等濟河,先攻滑台,經時不拔。太武左右忌浩正直,共排毀之。帝雖知其能,不免群議,故浩以公歸第。及有疑議,召問焉。浩性敏達,長於謀計,自此張良,謂己稽古過之。時議伐赫連昌,群臣皆以為難,唯浩曰:"往年以來,熒惑再守羽林,越鈎陳,其占秦亡。又今年五星並出東方,利於西伐。天應人和,時會併集,不可不進。"帝乃使奚斤等擊蒲坂,而親率輕騎掠其都城,大獲而還。後復討昌,次其城下,收眾偽退。昌鼓譟而前,舒陣為兩翼。會有風雨從東南來,揚沙昏暝。宦者趙倪進曰:"今風雨從賊後來,我向彼背,天不助人。又將士饑渴,願陛下攝騎避之,更待後日。"浩叱之曰:"是何言歟?千里制勝,一日之中豈得變易?賊前行不止,後以離絕,宜分軍隱山,掩擊不意。風道在人,豈有常也!"帝曰:"善。"分騎奮擊,昌軍大潰。議擊蠕蠕,朝臣內外盡不欲行,唯浩贊成之。赫連昌太史張深、徐辯說帝曰:"今年己巳,三陰之歲。歲星襲月,太白在西方,不可舉兵。北伐必敗,雖克,不利於上。"又群臣共贊深等,雲深少符諫苻堅不可南征,堅不從而敗。今天時人事都不和協,如何舉動!帝意不決,乃召浩與深等辯之。浩難深曰:"陽者,德也;陰者,刑也。故月蝕修刑。夫王者之用刑,大則陳之原野,小則肆之市朝。戰伐者,用刑之大者也。以此言之,三陰用兵,蓋得其類,修刑之義也。歲星襲月,年飢人流,應在他國。太白行蒼龍宿,於天文為東,不妨北伐。深等俗生,志意淺近,牽於術數,不達大體,難與遠圖。臣觀天文,比年以來,月行掩昴,至今猶然。其占:三年,天子大破旄頭之國。蠕蠕、高車,旄頭之眾也。願陛下勿疑。"帝大悅,謂公卿曰:"吾意決矣。亡國之臣不可與謀,信哉。"或有尤浩曰:"吳賊侵南,舍之北伐,師行千里,其誰不知?蠕蠕遠遁,前無所獲,後有南侵之患,此危道也。"浩曰:"今年不摧蠕蠕,則無以御南賊。自國家並西國已來,南人恐懼,揚聲動眾以衛淮北。彼北我南,彼征我息,其勢然矣。且蠕蠕恃遠,謂國家力不能至,自寬來久,故夏則散眾放牧,秋肥乃聚,背寒向溫,南來寇抄。今掩其不備,大軍卒至,必驚駭望塵奔走,可一舉而滅。暫勞永逸,時不可失也。唯患上無此意,今聖慮已決,如何止之?"遂行。及軍到入其境,蠕蠕先不設備。於是分軍搜討,東西五千里,南北三千里,所虜獲數百萬。高車殺蠕蠕種類,歸降者三十餘萬。大軍既還,南軍卒不能動,如浩所料。太武召新降高車渠帥數百人,賜酒食於前,指浩以示之曰:"汝曹視此人,纖尪懦弱,手不能彎弓持矛,其胸中所懷,乃逾於兵甲。朕始時雖有征討之志,而慮不自決,前後克捷,皆此人導吾令至此矣。"俄而南藩諸將表宋師欲犯河南,請兵三萬,先其未發逆擊之,因誅河北流人在界上者,絕其鄉導,足以挫其銳氣,使不敢深入。言宜許,浩曰:"此不可從也。往年國家大破蠕蠕,馬力有餘,南賊喪精,常恐輕兵奄至,故揚聲動眾以備不虞,非敢先發。又南土下濕,夏月蒸暑,非行師之時。且彼先嚴有備,必堅城固守。屯軍攻之,則糧食不給;分兵肆討,則無以應敵。未見其利。就使能來,待其勞倦,秋涼馬肥,因敵取食,徐往擊之,萬全之計。"帝從浩議。南鎮諸將表賊至,而自陳兵少,求簡幽州以南戍兵佐守,就漳水造船,嚴以為備。公卿議者僉然,浩曰:"非上策也。彼聞幽州以南精兵悉發,大造舟船,輕騎在後,欲存立司馬,誅除宋族,必舉國駭擾,懼於滅亡,當悉發精銳,來備此境。後審知官軍有聲無實,特其先聚,必喜而前行,徑來至河,肆其侵暴,則我守將無以御之。今公卿欲以威力攘賊,乃所以招令速至也。夫張虛聲而召實害,此之謂矣。"浩又陳天時不利於彼,曰:"今茲害氣在揚州,不宜先舉兵,一也;午歲自刑,先發者傷,二也;日蝕滅光,晝昏星見,飛鳥墜落,宿當鬥牛,憂在危亡,三也;熒惑伏匿於翼軫,戎亂及喪,四也;太白未出,進兵者敗,五也。夫興國之君,先修人事,次盡地利,後觀天時,故萬舉而萬全,國安而身盛。今宋新國,是人事未周也;災變屢見,是天時不協也;舟行水涸,是地利不盡也。三事無一成,自守猶或不安,何得先發而攻人哉?"帝不能違眾,乃從公卿議。遂遣陽平王杜超鎮鄴,琅琊王司馬楚之等屯潁川。於是寇來遂疾。又將討蠕蠕,劉潔復致異議。帝愈欲討之,乃召問浩。浩對曰:"北土多積雪,至冬時常避寒南徙。若其因時,潛軍而出,必與之遇。既與之遇,則可禽獲。"帝以為然,乃分軍四道,諸將俱會鹿渾海。期日有定,而潔恨計不用,沮誤諸將,無功而還。帝西巡,至東雍,親臨汾曲,觀叛賊薛永宗壘,進軍圍永宗。出兵欲戰,帝問浩曰:"今日可擊否?"浩曰:"永宗未知陛下自來,人心安固,北風迅疾,宜急擊之,須臾必破。若待明日,恐見官軍盛大,必夜遁走。"帝從之,永宗潰滅。車駕濟河,前驅告賊在渭北。帝至洛水橋,賊已夜遁,詔問浩曰:"蓋吳在長安北九十里渭北,地空穀草不備,欲渡渭南西行,何如?"浩曰:"蓋吳營去此六十里,賊魁所在。擊蛇之法,當先破頭,頭破則尾豈能動?宜乘勝先擊吳。今軍往,一日便到。吳平之後,回向長安,亦一日而至。一日之乏,未便損傷。愚謂宜從北道。若從南道,則蓋吳徐入北山,卒未可平。"帝不從,乃渡渭南。吳聞帝至,盡散入北山,果如浩言,軍無所克。帝悔之。後人誣浩於帝,帝怒誅浩。

孫子曰:"乘其弊而起。"浩謂斗兩虎而收長久之利。又曰:"城有所不攻。"浩謂若攻小城,必損軍勢。又曰:"知天知地。"浩謂五星出東方,利以西伐。又曰:"禁祥去疑。"浩謂風道在人。又曰:"攻其無備。"浩請掩蠕蠕之不備。又曰:"亂軍引勝。"浩謂張虛聲而招實害。又曰:"神乎神乎,至於無聲。"浩以永宗未知帝來,請急擊之。又曰:"其勢險,其節短。"浩謂擊蛇之法,當先頭破是也。