十七史百將傳巻九 唐 王晙

現代語訳

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要約

王晙は滄州景城の人。桂州都督となり屯田を開き運漕の勞を止めさせた。

朔方軍副大總管に遷り、吐蕃十萬が大來谷に次すると、奇兵七百を胡の服で夜襲させ、寇に出會ったら大きく叫び鼓と角で應じよと令した。賊は伏兵を疑って互いに鬥い死ぬ者が萬を數え、薛訥が至ると壯士に枚を銜ませて突撃させ洮水まで追った。

默啜が殺されて降った配下が河曲に置かれ、小殺が繼ぐと叛き去った。晙は、河曲は内から邊鄙をうかがわせる地で、淮右・河南に遷せば勁い卒となると上言し、内地に置くのを上策、蕃と華を交えるのを下策、北の塞に置くのを策無きものと料ったが、虜は叛き、并州の兵で討つよう敕された。

晙は間道を山谷に趨り、夜の雪にも、忠なら雪を止めたまえと誓うと晴れ、叛胡を追って首級二千を獲た。

康待賓が反いて六州を陷れると郭知運と平らげた。晙は宮人を賜わっても受けず、さきに知運を罷め自分ひとりで戍ると奏していたので二人は協わず、降し附けた者を知運が撃つので賊はまた叛いた。卒して尚書左丞相を贈られた。

晙は「獨虎相」と呼ばれ、部下を御して吏も人も畏れ愛した。

孫子はいう、動くこと雷の震うがごとし、卒は善くしてこれを養う、上下の欲を同じくする者は勝つ、と。叫ばせて敵が潰え、降った虜は勁い卒となるとし、知運と協わず賊が叛いたのがこれである。

原文(底本)
王晙,滄州景城人。擢明經高第,嘗為桂州都督。州有兵,舊常仰餉衡、永。晙始築羅郛,罷戍卒,埭江,開屯田數千頃,以息轉曹,百姓賴之。後遷朔方軍副大總管、安北大都護。吐蕃以精甲十萬寇臨洮,次大來谷,其酋坌達延以兵踵而前。晙率所部二千與臨洮軍合,料奇兵七百,易胡服,夜襲,去賊五里。令曰:「前遇寇,士大呼,鼓角應之。」賊驚,疑伏在旁,自相鬥死者萬計。俄而薛訥至武階,距大來二十里,賊陣兩軍間,亙一舍而近。晙往迎訥,夜使壯士銜枚鏖突,虜駭引去,追至洮水,敗之,俘獲如積。後突厥默啜為拔曳固所殺,其下多降,分置河曲。既而小殺繼立,降者稍稍叛去。晙上言:「突厥向以國亂,故款塞。今徙處河曲,使內伺邊鄙,久必為患。虜脫南牧,降帳必與連衡,以相應接,表裡有敵,雖韓、彭、孫、吳,無所就功。請至農隙,令朔方軍大陳兵,召酋豪,告以禍福,啖以金繒,且言南方麋鹿魚米之饒,並遷置淮右、河南。不二十年,漸服諸華,料以充兵,則皆勁卒。議者若謂降狄不可以南處,則高麗舊俘置沙漠之西,城傍編夷居青、徐之右,何獨降胡不可徙歟?臣復料議者必曰:故事,置於河曲,前日已寧,今無獨異。且往者頡利破亡,邊鄙安定,故降戶得以久安。今虜未殄滅,此降人皆戚屬,固不與往年同也。臣請以三策料之:悉其部落置內地,獲精兵之實,閉黠虜之患,此上策也;亭障之下,蕃華參處,廣屯戍,為備擬,費甚人勞,下策也;置之朔塞,滋成禍萌,此無策也。不然,前至河冰,且必有變。」書未報,而虜已叛,乃敕晙將并州兵濟河以討。晙間行,卷甲舍幕趨山谷,夜遇雪,恐失期,誓於神曰:「晙事君不以忠,不討有罪,天所殛者,當自蒙罰,士眾無罪。心誠忠,而天監之,則止雪反風,以獎成功。」俄而和齊。時叛胡分二道走,晙自東道追及之,獲級二千。以功遷左散騎常侍、朔方行軍大總管。蘭也胡康待賓據長泉反,陷六州,詔郭知運與晙討平之。元宗以宮人賜知運等,晙獨不敢取,曰:「臣之事君,猶子事父,詎有嘗近闈掖而臣子敢當乎?誓死以免。」見聽。初,晙奏:「朔方兵力有餘,願罷知運,獨當戍。」未報,而知運至,故不協。晙所降附,知運輒縱擊,賊意晙賣己,乃復叛。卒,贈尚書左丞相。晙氣貌偉特,時謂為獨虎相。感慕節義,有古人風。其操下肅一,吏人畏愛。

孫子曰:「動如雷震。」晙令士卒大呼,鼓角應之,而敵驚潰。又曰:「卒善而養之。」晙以降虜料以充兵,則皆勁卒。又曰:「上下同欲者,勝。」晙與知運不協而賊叛是也。