清史紀事本末イギリスとの煙台条約と続約(英訂煙台条約及続約)
要約
光緒元年正月、イギリスの翻訳官である馬嘉理が雲南で殺された。総理各国事務衙門の護照を受けて緬甸へ赴き、インドから来た柏郎らを出迎えて引き返し、騰越庁管轄の蛮允で殺されたのである。イギリス人は雲貴総督の岑毓英の指図と考え、交渉が起こった。
二月、岑毓英に確実な調査処理を命じ、軍機大臣らに、イギリスが雲南に目をつけているのは一日のことではない、いま事寄せて争いの口火を切り、こちらを脅して要求を通す策にしようとしているのだから急いで防備を計るべきだ、と諭された。
三月、劉嶽昭らに公平な処理を命じた。総督が探り聞いたところでは、威妥瑪が北京を出るときロシア公使の布策が彼と密談し、イギリス兵が雲南に進めばロシア兵も伊犁から進んで中国が首尾相かえりみられぬようにすると言い、総税務司の赫徳も本国が兵五千を境界に駐屯させていると述べた。政府は、野人は鉄壁関の外に住むとはいえその地はなお中国に属する、殺したのでないのに押しつけたり王法の及ばぬところだと言ったりすれば、台湾の番社の事のように彼らは兵を派して奸計を遂げよう、と述べた。五月、李瀚章に雲南で取り調べさせ、八月には薛煥を赴かせて助力させた。
二年六月、李鴻章を全権大臣として煙台へ赴かせ、威妥瑪と会商させた。これより先、李瀚章らは、帰りは匪徒の多い野人・土司の地界を隔て、騰越の紳士・住民は洋兵の入関を聞いて団を集め自衛していたが、地方に知らせず引き返したため匪徒が掠奪し、洋人が拳銃を発して匪徒の阿用を殺したので、逮捕に抗して馬嘉理と従者四名を殺したのであり、地方官が殺害を指図した事実はないと復命した。威妥瑪は関係者と証人の北京移送を強く請い、容れられぬので四月に北京を出て煙台にとどまった。
七月、鴻章は煙台で条約を定めた。威妥瑪はなお岑毓英の指図だと固執したが、鴻章は、供述・証拠は確実である、対質を求めるなら指図した文書か証人を出せ、そうでなければ中外いずれの国にもこのようなやり方はないと反駁した。威妥瑪はさらに滇案の処理、駐京大臣の優遇、通商事務の整頓を一括してこそ結着できると言った。おりしも六国の駐京使臣と英独の水師提督が煙台におり、鴻章は宴を設けて連絡を結んだ。各使臣が、確証がないのに北京へ移送するのは不当だと公けに議したので、威妥瑪は別の方法を承知し、会議条款三端と専款一条を取り決めた。煙台条約である。
第一端は滇案の昭雪で、威妥瑪が上奏の草稿を作って李鴻章か総理衙門が上奏し、勅旨ののち各省に通達して告示に載せ、雲南と緬甸の通商章程を会同協議し、五年を期限としてイギリスが官員を大理府などに置いて通商を視察し、撫恤と償還を関平銀二十万両と定め、議結ののち璽書を奉ずる出使大臣をイギリスへ遣わすこととした。第二端は会見の礼節と案件の審理で、礼節の条款を各国駐京大臣と協議して定め、イギリス人にかかわる人命・強盗の案件にはイギリス大臣が官員を派して立ち会わせ、被告の本国の官が審理し原告の本国の官は立ち会って論じ争えるものとした。
第三端は通商事務で、各港の租界を洋貨の釐金を免ずる場所とし、宜昌・蕪湖・温州・北海の四港を開いて領事を駐箚させ、重慶にも官員を置くが汽船が至るまで商民は問屋を開いてはならぬとし、長江沿いの大通・安慶・沙市などでは汽船の一時停泊のみを許し、租界未定の地は各国領事と地方官が境界を定め、洋薬は新関が検査して封印し売却の時に関税と釐税を併せ納めさせ、既納税の存票は三年を期限とし、香港海面の巡邏船の章程は三方の官員が会同して定めた。あわせてイギリスは翌年に官員を派して甘粛・青海や四川から入蔵してインドに至る路程を探査する意向を示した。
十一年五月、駐英使臣の曾紀沢がイギリスの首相兼外務尚書の侯爵沙力斯伯里と煙台条約の続訂専条十款を結んだ。洋薬の税釐を併せ徴することは条約に載りながら、威妥瑪が本国に諮るという口実で数年引き延ばしていたが、九年正月に彼が帰国したので紀沢に協議させ、李鴻章が以前に議した百一十両の額のとおりなら議を定めてよいとした。紀沢は前の外務尚書葛蘭斐爾と協議して二月に議を成し、調印を催促したが、イギリス外務部は、内閣学士の周徳潤が鳳陽関の違例の徴税を弾劾した件のため、インド省が専条は官吏に破られぬという担保を求めていると言った。紀沢が、条約が定まれば思いがけない強要は起こらぬと声明したので、三日を調印の期日と定めた。
続約は、第三端第一・第二節の処理方法は後日協議するとし、洋薬は海関の検査を受けて封印保管し、一箱百斤ごとに正税三十両と八十両を超えぬ釐金を納めてはじめて搬出を許し、運貨憑単を発して印封が改められていなければ内地で重ねて税を取らず、憑単は中国の人民のみが用い、売りさばかれる土地の税は土煙より増やさぬとした。また続増専条は煙台条約と同一と見なして調印後六か月で実施し、洋薬の章程は四年間行い、以後は十二か月前の声明で廃棄でき、廃棄すれば天津条約の附属章程により、批准文書は倫敦で交換する。
年表
イギリスの翻訳官馬嘉理が雲南の蛮允で殺害された滇案を発端に、イギリス公使威妥瑪が岑毓英の指図を主張して全案の北京移送を迫り、交渉が難航した経緯を記す。李鴻章が全権大臣として煙台に赴き、各国公使との交誼を用いて威妥瑪を譲歩させ、滇案の昭雪・官員の礼節と審理・通商事務の三端から成る『煙台条約』を結んだ。さらに洋薬の税釐併徴が久しく実施されないまま延びたため、駐英使臣の曾紀沢が沙力斯伯里と『煙台続約』十款を訂めて決着させた。光緒元年(1875年)から光緒十一年(1885年)までを扱う。
年表(3件)
- 西暦1875年 徳宗光緒元年馬嘉理が雲南の蛮允で殺され、岑毓英・劉嶽昭らに調査処理が命じられる
- 西暦1876年 光緒二年李鴻章が全権大臣として煙台で威妥瑪と会商し『煙台条約』三端を取り決める
- 西暦1885年 光緒十一年曾紀沢が沙力斯伯里と洋薬の税釐併徴を定める続訂専条十款を成立させる
現代語訳全文
西暦1875年 徳宗光緒元年
- 春正月、イギリスの翻訳官である馬嘉理が雲南で殺された。これより先、馬嘉理は総理各国事務衙門の護照を受け取り、緬甸へ赴いて、インドから派遣されて来た逼将(偏将の誤りか)の柏郎らを出迎え、会うことができた後、雲南へ引き返した。このとき騰越庁管轄の蛮允という地方まで行ったところで殺害されたのである。イギリス人は、雲貴総督の岑毓英が実際にこれを指図したのだと考え、交渉がそこで起こった。
- 二月、署雲貴総督の岑毓英に、イギリスの翻訳官馬嘉理が殺害された一件を、確実に調査処理するよう命じた。このとき軍機大臣らに諭して言われた、「イギリスが雲南などの地に目をつけているのは一日のことではない。いま、これに事寄せて争いの口火を切り、こちらを脅して要求を通す策にしようとしているのだから、急いで念を入れて防備を計るべきである。岑毓英にこの一件を確実に調査処理させ、あわせて劉獄昭(劉嶽昭の誤りか)にただちに任地へ戻って、会同して処理させよ。一方では聡明で有能な官吏を選んで派遣し、頼りになる下士官と兵を引き連れて赴かせ、近くに駐屯させ、土司を鎮圧するという名目を借りて、ひそかに彼ら異国人の不測の企てを防がせよ。あるいは騰越一帯には、もともと兵勇が屯戍しているのだから、その総督・巡撫がひそかに計画せよ。大げさに騒ぎ立てすぎてもいけないし(底本は「遇涉」に作る。「過涉」の誤りか)、少しでも疎かにしてもいけない。ともあれ辺境の争いが鎮まり、後の憂いがないようにしてこそ、妥当というものである」と。
- 三月、雲貴総督の劉嶽昭らに、すみやかに馬嘉理の一件を公平に処理するよう命じた。当時、総督が探り聞いたところでは、イギリスが兵を派遣して雲南に進入させようとしており、また北京駐在のイギリス公使威妥瑪が北京を出るとき、北京駐在のロシア公使布策が彼と密談し、イギリス兵が雲南に進めば、ロシア兵もまた伊犁から進み、中国が首尾相かえりみられないようにさせる、というのであった。中国海関総税務司であるイギリス人の赫徳もまた、本国がいま兵五千を派遣し、緬甸の藍貢海口から雲南との境界の地に至って駐屯させていると述べた。
- 総督はことごとくこれに基づいて上奏し、政府は、聞いた各項は虚実がまだ分からないとはいえ、急いで事に先んじて備えを固める計をなすべきだとして、詔して督臣の劉嶽昭、撫臣の岑毓英に、「すみやかにこの一件を確実に調査し、公平に処理して結着させよ」と命じた。あわせて雲南省の野人について、「彼らは鉄壁関の外に住むとはいえ、その地はなお中国に属しており、中国の管理下にないとは言えない」と述べ、「もし馬嘉理が野人に殺されたのではないのにこれを野人に押しつけたり、あるいは実際に野人に殺されたのに、野人は王法の及ぶところではないと言ったりすれば、勢い前年の台湾の番社の事のようになり、彼ら異国人はただちに兵を派遣して自分で処置し、その奸計を遂げることになろう」と述べた。
- 夏五月、湖広総督の李瀚章に命じて雲南へ赴いて事件を調査処理させ、ただちに速やかに雲南へ赴き、馬嘉理殺害の一件をその総督・巡撫と会同して公平に取り調べ結着させるよう命じた。
- 秋八月、四川総督の呉棠に命じ、前侍郎の薛煥に伝え知らせて、速やかに雲南へ赴き、李瀚章に助力して馬嘉理殺害の一件を処理させた。
西暦1876年 光緒二年
- 夏六月、大学士・直隷総督・一等粛毅伯の李鴻章を全権大臣に任じ、ただちに煙台へ赴いて、イギリス使臣の威妥瑪といっさいの事務を会商させた。
- これより先、李瀚章らは滇案(雲南の一件)を調査処理し、復命の上奏で述べた、「馬嘉理は先に雲南を通って緬甸へ赴いたが、沿道の地方はいずれも手厚く保護した。後に緬甸から雲南へ戻る際は、間に野人・土司の地界を隔てており、その地には従来から匪徒が多く、進価(未詳。誤字か)と結び通じて掠奪していた。そのとき騰越の紳士・住民は、洋人が洋兵を多数引き連れて関内に入ろうとしていると聞き、そこで団を集めて自衛した。ところが馬嘉理は緬甸から引き返す際、地方に知らせを通じなかったので、匪徒が機に乗じて掠奪するに至った。洋人が拳銃を発射し、その仲間の匪徒である阿用一名を殺したため、その場で逮捕に抗する気を起こし、馬嘉理およびその従者四名を殺害したのである。地方官には実際に兵を動かして阻止したり、殺害を指図したりした事実はない」と。
- ところが威妥瑪は北京へ戻り、総署の王大臣と会議し、なお全案の関係者と証人を北京へ移送して再度取り調べるよう強く請うた。王大臣が承知しなかったので、威妥瑪はそこで四月に北京を出た。詔して李鴻章に、彼が天津に到着した時を待って互いに協議するよう命じた(底本は「佚」に作る。「俟」の誤りか)。やがて威妥瑪は煙台に至り(底本は「既與」に作る。「既而」の誤りか)、すぐには南下せず、詔して李鴻章に急ぎ赴いて議させた。
- 秋七月、李鴻章は威妥瑪と煙台で条約を定めた。鴻章は煙台に到着し、威妥瑪のもとへ行って会商したが、(威妥瑪は)なお、事は岑毓英の指図によるものだと固執し(底本は「事由由岑毓英主使」に作り、「由」が重出する。衍字か)、もし中国が全案を北京へ移送することを承知しないなら、自分はすでに観審員の格維納にイギリスへ帰って面と向かって陳述させ(底本は「麪陳」に作る。「面陳」の誤りか)、あわせて全案の文書記録と証拠を本国へ送って調べさせてあり、一か月以内でなければ処理の方法は出てこない、いま協議したところで、なお本国政府に諮って裁断を請わねばならない、などと言った。
- 鴻章は繰り返し彼に反駁し詰問して、滇案はすでに勅命で大官を派遣して調査させ、取り調べて得た供述・証拠は確実である、もしどうしても総督・巡撫の大官を引き出して対質させようというなら、入手している岑毓英が指図した文書・書簡の証拠、あるいは確実で信頼できる証人を差し出して検証させねばならない、そうすればそれに拠って勅旨を請おう、そうでなければ中国・外国のどの国にもこのようなやり方はない、と述べた。
- 続いて威妥瑪はまた、前年の秋ごろ、部署(総署の誤りか)で議定した、滇案の処理、北京駐在の大臣の優遇、通商事務の整頓という三つの大項目を一括して処理してこそ、この案件を結着させられると言った。その人物の欲は甚だ露骨であり、言うところは甚だ勝手気ままであった。
- ちょうど俄・徳・仏・米・日本・墺の六国の駐京使臣、およびイギリス・ドイツ両国の水師提督がみな煙台におり、鴻璋(鴻章の誤りか)はわざと落ち着きはらった様子を示し、行き来して宴を設け(底本は「往來无讌」に作る。「无」は衍字か)、あわせてイギリス・ドイツ両国の兵船を訪れて演習を観閲した。ちょうど万寿節にあたり、鴻璋はまた各公使・提督を招いて宴飲し慶賀し、力を尽くして彼らと連絡を結んだ。情誼がまさに親密になったところで、各使臣が公けに議し、やはり確実な証拠がないのに北京へ移送するのは不当だと述べたので(底本は「提提京為非」に作り、「提」が重出する。衍字か)、威妥瑪はようやく別の処理方法を議することを承知し、まもなく会議条款三端と専款一条とを取り決めた。いわゆる『煙台条約』である。以下に抜き書きする。
煙台条約 第一端、滇案の昭雪
- 一、威大臣が滇案についての上奏文の草稿を作成しており、李大臣または総理衙門がこれを上奏する。ただし上奏を出す前に、その摺の本文を威大臣に渡して閲覧させねばならない。
- 二、上奏して勅旨を奉じ、抄録が発せられた後、部署(総署の誤りか)がその摺と諭旨を抄録して通知し、あわせて各省に通達して、この摺と諭旨を詳しく告示の中に載せる。二年以内を限り、イギリスの駐京大臣が随時官吏を派遣して各省へ分かれて赴かせ、告示の掲示状況を検査する。その際は地方の大官が適当な官吏を派遣委任し、会同して赴かせる。
- 三、雲南省の境界と緬甸の地方との往来通商の件について、どのように章程を明確に定めるべきかは、滇案の議結の摺の中で一括して勅旨を請い、雲南の総督・巡撫に下す。イギリスが官吏を雲南へ派遣した後、ただちに適任で有能な大官を選んで派遣し、会同して協議し取り決める。
- 四、イギリス暦の翌年正月一日、すなわち光緒二年十一月十七日から起算し、五年を期限として、イギリスが官吏を派遣し、雲南省の大理府またはその他の場所に適宜の地方一区を借りて駐在させ、通商の状況を視察させ、あわせて随時その省の官吏と、イギリスの官民に関するいっさいの事柄を協議処理できるものとする。
- 五、雲南で被害に遭った者の家族に給付すべき撫恤金、および滇案に用いた経費(底本は「用遇」に作る。「用過」の誤りか)、ならびに各地の官吏が光緒二年以前に処理が適切でなかったためにイギリス商人へ償還すべき金額は、いま関平銀二十万両と定め、威大臣が随時引き換えて受け取る。
- 六、この案件の議定が結着した時を待って、中国政府が滇案を遺憾とする璽書を奉じ、ただちに勅命で出使大臣を派遣してイギリスへ赴かせる。使臣の官銜・氏名および随行の人員は、いずれもあらかじめ威大臣に通知し、本国へ報告できるようにする。その国書の草稿もまたあらかじめ送って閲覧させる。
煙台条約 第二端、北京および地方における両国官吏の会見の礼節、ならびに案件の審理処断と交渉の事務
- 一、いま両国の官吏の往来・会見および公文書のやり取りに関するいっさいの慣例には、北京でも地方でもなお適切でないところがあるので、部署(総署の誤りか)が各国の駐京大臣に照会し、会同して礼節の条款を協議し取り決める。要は、中国の官吏が中国の各港などに駐在する外国官吏を待遇する心持ちが、西洋各国の交際のありようと異ならず、かつ各国が外国にいる中国の官吏を待遇するのと同じであることを期する。中国にはいま官吏を派遣して出使させる挙があるのだから、この章程は急いで明確に定めるべきである。
- 二、咸豊八年に定めた『中英条約』第十六款に「イギリスの人民で罪を犯した者があれば、イギリスの領事官またはその他の派遣を受けた官吏が処罰する」という文言がある。原条約の漢文を調べると、「英国」の二字で包括している。先にイギリスは細かい章程を議定し、あわせて按察司などの官吏を増派して、上海に承審公堂を設立し、条約に従って処理できるようにした。いまイギリスはすでに先に定めた章程を修改して十分に整えており、中国もまた上海に会審衙門を設けて中外の交渉案件を処理している。ところが派遣された委員が案件を審理裁断するにあたり、あるいは事の権限が一定しないため、あるいは遠慮や恨みを憚るため、往々にして真剣に取り調べ追及することができない。そこでいま、総署から各駐京公使に照会し(底本は「昭會」に作る。「照會」の誤りか)、通商の各港について、どのように総署と会同して承審の章程を議定すべきかを、適切に協議処理することを議する。
- 三、およそ内地の各省の地方または通商の各港で、イギリス人にかかわる人命・強盗の案件が起きた場合は、イギリス大臣が官吏を派遣してその地へ赴かせ、審理に立ち会わせることを議定する。中国の各港で交渉案件を審理裁断することについては、両国の法律が異なる以上、ただ被告がどの国の人であるかを見て、その国の官吏のところへ赴いて訴え出るほかない。原告がどの国の人であっても、その本国の官吏は、審理を担当する官吏のところへ赴いて立ち会うことができるだけである。もし立ち会いの官吏が処理は適切でないと考えれば、細かく逐一論じ争ってよい。そうすることで一方が取り残されて不利を受けることのないようにし、それぞれ本国の法律に照らして審理裁断する。これがすなわち条約第十六款にいう「会同」の二字の本来の意味である。以上の趣旨は、両国の官吏がともに遵守すべきである。
煙台条約 第三端、通商事務
- 一、各港の租界を、洋貨の釐金を免除する場所とすることを議して認め、あわせて宜昌・蕪湖・温州・北海の四か所の港を新たに開き、領事官の駐箚する場所とする。および重慶については、イギリスが官吏を派遣して駐在させ、四川省のイギリス商人に関する事柄を視察することができる。汽船が重慶に至る以前は、イギリスの商民はその地に住んで問屋・倉庫を開設してはならない。汽船が遡航できるようになるのを待って、あらためて協議処理する。長江沿いの大通・安慶・湖口・武穴・陸渓口・沙市などの地に至っては、いずれも内地の場所であって通商の港ではないから、『長江統共章程』によって、外国商人が勝手に貨物を積み降ろしすることは許さない。いま融通をきかせる処理方法を議し、汽船は一時停泊することを許し、乗り降りする客や商人の貨物はみな民船を用いて積み降ろしし、なお内地の定めの章程に照らして処理する。洋貨で半税単をもつものは章程に照らして検査し釐金を免じ(底本は「昭章」に作る。「照章」の誤りか)、報単のある土貨は船に積むことだけを許し、降ろして売ることを許さないほかは、その余の納めるべき税と釐金は地方官が自分で一律に適切に処理する。
- 二、新旧の各港のうち、すでに各国の租界が定まっているものは議するに及ばない。その租界がまだ定まっていない各地については、イギリスの領事官が各国の領事官と会商し、地方官と協議して、洋人の居住する場所の境界をことごとく定める。
- 三、洋薬(アヘン)の一件については、威大臣が本国に議して請い、別に処理方法を定めて他の洋貨とは区別することを認めさせる。イギリス商人が洋薬を運んで輸入する際には、新関が人を派遣して検査し、倉庫または躉船(はしけ)に封印して保管させ、売却する時になって、洋人は規則どおり関税を納め、あわせて買い手にも一括して新関で釐税を納めさせ、脱け漏れを防ぐ。徴収すべき釐税の額は、各省が情況を調べて適宜処理する。
- 四、洋貨を内地へ運び入れる際に半税の単照を請い受けることは、各国の条約の中でもとより明記されているのだから、当然これに従って処理する。今後、各税関が発給する単照は、総署が一様の様式を審査して定め(底本は「盡一」に作る。「劃一」の誤りか)、中国商人・外国商人の別なく、みな請い受けることができ、食い違いがないようにする。外国商人が土貨を内地から港へ運んで船に積むことも、条約の中に定めの章程があり、イギリス商人が半税を納め単照を請い受ければ、そのまま海口へ運ぶことができる。もしイギリス商人が自分で土貨を買い入れた場合、その貨物が実際に海関へ運んで輸出するものでなければ、この例を援用して処理することはできない。定めるべき章程のうち、弊害が生じないようにする点については、威大臣はただちに総署と会同して方法を講じ協議処理することを願う。『通商善後章程』第七款に、洋貨を内地へ運び入れること、および内地で土貨を買い入れることなどと記されているのは、沿海・沿江・沿河および陸路の通商港でない場所を指し、みな内地に属するのであって、中国が自分で方法を講じて弊害を防ぐべきである。
- 五、咸豊八年に定めた条約の第四十五款に「イギリス商人がもし関税を納めた洋貨をさらに外国へ運び出す場合は、海関監督に申し出て存票の発給を受け、後日いずれもこれを既納税の証拠として用いることができる」とある。原条約には年限が定められていなかったが、いま三年を期限と明記し、期限が満ちれば無効とする。
- 六、香港の海面には粤海関が従来から巡邏船を設け、検査と徴税の事務にあたっている。しばしば香港の官憲から、この巡邏船が中国人民の商船を騒がせ煩わせている事態があると申し立てがあった。いま議定して、イギリスから領事官一員を選んで派遣し、中国からこれと対等の官一員を選んで派遣し、香港からイギリス人の官一員を選んで派遣し、会同して調査検討し章程を定めて、これに従って処理する。要は、中国の課税収入に益があり、香港の地方の事務に損がないことを期する。
- 七、以上の、通商の各港を増設することを議して認めた件、および長江沿いの六か所で貨物の積み降ろしを認める件については、李大臣が上奏して、半年後に各港の租界を開設して洋貨の釐金を免ずる件、および洋薬を新関で釐税を併せ納める件を実施するよう請う。イギリスが各国と会商するのを待って、あらためて期日を定めて実施し、別に専条を議する。いまイギリスの議によれば、およそ翌年に官吏を派遣し、中国の京師から出発して赴かせ、甘粛・青海一帯の地方を遍歴させ、あるいは内地の四川などの地から入歳(入蔵の誤りか)してインドに至らせ、路程を探査する意向である。発給すべき護照、および各地の地方の大官ならびに駐蔵大臣へ通知する公文については、その時になって総署が状況を斟酌し、適切に処理して結着させる。
西暦1885年 光緒十一年
- 夏五月、駐英使臣で一等毅勇侯の曾紀沢が、イギリスの首相兼外務尚書である侯爵沙力斯伯里と、『煙台条約』の続訂専条十款を結んで成立させた。
- 洋薬の関税と釐金を併せて徴収することは『煙台条約』に載っているが、数年間引き延ばされ、いまだに実施されていなかった。総署は重ねてイギリス公使の威妥瑪と協議したが、相手はいつも本国へ諮って報告するという言い分を口実にして、引き延ばす余地としていた。光緒九年正月に至り、威妥瑪が帰国したので、詔して紀沢を派遣しイギリスの外務部とこの件を協議処理させ、必ず成立させることを期した。李鴻章が以前に議した百一十両の額のとおりとし、あわせて輸入の時に納めるということであれば、すぐにこれで議を定めてよいとした。
- 紀沢はしばしば前の外務尚書である伯爵葛蘭斐爾と協議し、本年二月に至ってようやく議を成立させることができた。ちょうど葛蘭斐爾が退職し、沙力斯伯里が首相として外務尚書を兼ね、紀沢は重ねて期日を定めて調印するよう催促した(底本は「盡押」に作る。「畫押」の誤りか)。イギリスの外務部は突然、インド省が、中国の内閣学士周徳潤が鳳陽関の違例の徴税を弾劾上奏した件のために、紀沢に文書を要求し、今回取り決める専条が官吏によって破られてついに行われなくなることのないよう担保せよと言っている、などと述べた。紀沢は再三申し開きをし、最後に文書を具えて、条約がひとたび定まれば、思いがけない強要が起こることはないと声明したので、イギリス外務部はようやくこの月の三日に調印する期日を定めた。合わせて条約の専条十款、いわゆる『煙台続約』である。以下に列挙する。
煙台続約(続増専条十款)
- 一、『煙台条約』第三端の第一節・第二節で擬した処理方法は、いま議定して、両国の国家が後日あらためて協議して斟酌することとする。
- 二、『煙台条約』第三端第三節で擬した洋薬の処理方法は、いま議定して次のように改める。洋薬を中国へ運び入れるものは、中国海関の検査を受け、海関に封印して保管するか、保証書を具えた倉庫を設けることを許してそこに、あるいは保証書を具えた躉船の中に封印して保管する。必ず百斤入り一箱ごとに海関へ正税三十両を納め、あわせて八十両を超えない釐金を納めた後に、はじめて搬出を許す。
- 三、いま議定する。上の節に載せた正税・釐金の二項目を納め終えた後は、その貨主は保証書を具えた封印保管の場所において、海関と会同して(底本は「限同」に作る。「會同」の誤りか)、洋薬の包装を解き改めることができる。その貨物の包みの各種の様式・寸法は、海関の官吏がその港の領事官と会同してあらかじめ協議して定め、貨主に選んで用いさせる。もし貨主がこのとき運貨の憑単を請い受ければ、海関はただちにこれに照らして発給し、一文も取らない。請い受ける憑単は、一包みごとに一枚でも、数包みで一枚でも、すべて貨主の都合にまかせる。およそこの運貨憑単のある洋薬は、内地へ運ぶ際に、もし貨物の包みが開かれておらず、また包みの上の海関の印封のしるし・番号がいずれもこすり消されたり私かに改められたりしていなければ、あらためて税や賦課などを納める必要はない。この運貨憑単は、中国の人民が持ち用いることだけを許し、この洋薬で利を図る洋人には、憑単を持ち用いて洋薬を運送することを許さず、洋薬を護送して一緒に内地へ入ることも許さない。
- 四、いま議定する。憑単を発給する章程は、各港で一律とする。
- 五、中国国家は、こうした貨物の包みを洋薬の売りさばかれる土地で開くことを許すべきである。もし納めるべき税や賦課などの項目があれば、当時徴収するものであれ、後日設けるものであれ、公然と取るものであれ、ひそかに取るものであれ、いずれも土煙が納める税や賦課などの項目に比べて、格別に増やしてはならず、また別に税目を立ててもならない。もしこれらの税や賦課(底本は「稅損」に作る。「稅捐」の誤りか)が貨物の価格に照らして課されるものであれば、洋薬と土煙との価値を比べて平均して計算すべきであり、その比較計算の方法は、洋薬の市価の中から輸入時に納めた釐金を差し引くこととする。
- 六、いま議定する。今回定めた続増専条は、一八七六年九月十三日に定めた『煙台条約』と同一のものと見なすべきであり、その効力を実際に重んじる点においても、一字ずつ『煙台条約』の中に載せたのと異ならない。この専条は調印の後六か月で実施施行する。これは両国の批准文書がすでにその期間内に交換されている場合を指して言う。もし期間内に交換できなければ、交換の日から実施施行する。
- 七、専条に載せた洋薬の章程は、四年間施行すると議定する(底本は「昭行」に作る。「照行」の誤りか)。四年の後、両国のどちらかがこの章程を廃棄しようとする場合は、いつであっても、十二か月前に声明することができ、通知がなされれば、期日が来しだい反故となる。ただし議定するに、もし発給した運貨憑単が、海口から洋薬を内地の販売地へ運送する時になっても、なおいっさいの税・賦課などを納めることを免れないと判明すれば、いつであってもイギリスには専条を廃棄する権利がある。もし続増専条がすでに廃棄されたならば、洋薬の処理方法は、なお現在行われている『天津条約』の附属章程に照らして処理する(底本は「昭現在所行」に作る。「照」の誤りか)。
- 八、続増専条が実施された後、その中に融通をきかせ変更すべき点があると判明すれば、両国の国家はただちに会同して協議し斟酌して改めることができる。
- 九、『煙台条約』第三端第七節に載せた、官吏を派遣して香港から中国への密輸脱税を取り締まる件は、ただちに速やかに官吏を派遣すべきである。
- 十、今回の専条によって改めた『煙台条約』、および今回議定した続増専条は、あわせて両国の朝廷が批准し、その批准文書は倫敦で速やかに交換すべきである。条約を定める大臣は、それぞれ本国の国家の命を奉じ、続増専条を議定して、調印し印を捺す。この専条は倫敦で漢文二分、英文二分を作成し、合わせて四分とする。
原文(底本)
德宗光緒元年,春正月,英國繙譯官馬嘉理被殺於雲南。先是,馬嘉理領總理各國事務衙門護照,往緬甸迎印度派來逼將柏郎等,既得遇,折回雲南,是時行至騰越廳屬蠻允地方被戕。英人以爲雲貴總督岑毓英實主使之,交涉遂起。 二月,飭署雲貴總督岑毓英將英國繙譯官馬嘉理被戕一案,確實查辦。時諭軍機大臣等:「英國注意雲南等處已非一日,現欲借此開釁,以爲要挾之計,亟應加意籌防。着岑毓英將此案確實查辦,並著劉獄昭迅即回任,會同辦理。一面遴派明幹之員,帶領得力弁兵前往,就近駐紮,借彈壓土司爲名,暗杜彼族不測之謀。或騰越一帶,本有兵勇屯戍,即由該督撫密籌,不可遇涉張皇,亦不可稍涉疏忽。總期邊釁可息,後患無虞,方爲妥善。」 三月,飭雲貴總督劉嶽昭等,迅將馬嘉理一案持平辦理。時總督探聞英國欲派兵進滇,並聞駐京英使威妥瑪出京時,駐京俄使布策與之密商。英兵進滇,俄兵亦由伊犁進,使中國首尾不能相顧。中國海關總稅務司英人赫德亦稱其國現派兵五千,由緬甸藍貢海口至雲南交界處所駐紮。總督悉據以聞,政府以所聞各節,虛實雖未可知,而亟應先事綢繆之計,詔飭督臣劉嶽昭、撫臣岑毓英:「迅將此案確查,秉公辦結」,並謂滇省之野人:「雖居鐵壁關外,其地尚屬中國,不得謂非中國管理。」「設馬嘉理非野人所戕,而諉之野人;或實係野人所戕,而謂野人非王法所能及,勢必如上年臺灣番社之事,彼族即可派兵自辦,遂其奸計」云。 夏五月,命湖廣總督李瀚章往雲南查辦事件,著即迅速赴滇,將馬嘉理被戕一案會同該督撫秉公訊結。 秋八月,飭四川總督吳棠、傳知前侍郎薛煥迅速赴滇,幫同李瀚章辦理馬嘉理被戕一案。 二年,夏六月,命大學士直隸總督一等肅毅伯李鴻章爲全權大臣,即赴煙臺,與英國使臣威妥瑪會商一切事務。先是,李瀚章等查辦滇案,覆奏謂:「馬嘉理前此道滇赴緬,沿途地方均妥爲保護。後由緬返滇,中隔野人土司地界,該處向多匪徒與進價勾刦,其時騰越紳民,聞洋人帶有洋兵多名,將入關內,是以集團自衛。而馬嘉理自緬折回,未經知會地方,致匪徒乘機刦搶。因洋人施放手槍,斃其夥匪阿用一名,登時起意拒捕殺害馬嘉理及其從人四名,地方官實無調兵阻止及指使戕害事。」而威妥瑪返京,與總署王大臣會議,仍堅請將全案人證提京覆訊。王大臣不允,威妥瑪遂於四月出京。詔李鴻章佚其到津時,與之互商。既與威妥瑪至煙臺,未即南下,詔李鴻章馳赴與議。 秋七月,李鴻章與威妥瑪定約於煙臺。鴻章抵煙臺,至威妥瑪處會商,仍堅執事由由岑毓英主使,倘中國不允將全案提京,彼已令觀審員格維納回英麪陳,並將全案文卷證據賚送本國查核,一月內方有辦法,此時即與議商,仍須諮請本國政府作主等語。鴻章反覆與之駁詰,以滇案業經欽派大員往查,訊取供證確鑿,若必欲將督撫大員提質,須將所得岑毓英指使文扎信據,或的確可靠見證交出查驗,當據以請旨,否則中外各國皆無此辦法。繼威妥瑪又以上年秋間,在部署議定辦理滇案,優待駐京大臣,整頓通商事宜三大端,須一併辦理,乃可結案,其人慾甚著,而所言甚肆。適俄、德、法、美、日、奧六國駐京使臣及英、德兩國水師提督均在煙臺,鴻璋故示整暇,往來无讌,並詣英、德兩兵船閱操。會萬壽節,鴻璋又邀請各公使、提督讌飲慶賀,極力與之聯絡。情誼方洽,於是各使臣公議,亦謂無確實憑據,提提京為非,威妥瑪始允另議辦法,旋訂會議條款三端,專款一條,所謂《煙臺條約》者也。摘錄於下: 第一端,昭雪滇案。 一、威大臣擬有滇案奏稿底本,由李大臣或總理衙門具奏。惟於出奏之前,須將摺本交威大臣閱看。 二,奏明奉旨發抄後,由部署將摺件諭旨抄錄知照,並通行各省,將此摺件諭旨詳細列入告示。限兩年內,由英國駐京大臣隨時派員分往各省,查看張貼告示情形。即由地方大吏派委妥員,會同前往。 三、所有滇省邊界,與緬甸地方往來通商一節,應如何明定章程,於滇案議結摺內一併請旨,飭下雲南督撫。俟英國派官員赴滇後,即選派妥幹大員會同商訂。 四、自英曆明正月一日即光緒二年十一月十七日起,以五年為限,由英國派員於滇省大理府或他處租宜地方一區駐防,察看通商情形,並隨時可與該省官吏商辦關於英國官民一切事宜。 五、所有在滇被害人家屬,應給恤款,以及滇案用遇經費,並因各處官員於光緒二年以前辦理未協,有應償還英商之款,現定為關平銀二十萬兩,由威大臣隨時兌取。 六、俟此案議結時,奉有中國政府惋惜滇案璽書,應即欽派出使大臣前往英國。所有使臣銜名及隨從人員均應先行知照威大臣,以便咨報本國。其國書底稿亦應先送閱看。 第二端,京外兩國官員會晤禮節及審辦案件交涉事宜。 一、現因兩國官員往來會晤及文移往來一切事例,京外尚有未協之處,應由部署照會各國駐京大臣,會同商訂禮節條款,總期中國官員看待駐居中國各口等處外國官員之意,與泰西各國交際情形無異,且與各國看待在外之中國官員相同。緣中國現有派員出使之舉,此項章程亟應定明。 二、咸豐八年所定《中英條約》第十六款,所載:「英國民人有犯事者,由英國領事官或他項奉派官員懲辦」等字樣。查原約內漢文,以英國兩字包括。前經英國議有細章,並添派按察司等員,在上海設立承審公堂,以便遵照合約辦理。現英國業將前定章程修改盡善,中國亦在上海設有會審衙門,辦理中外交涉案件。而所派委員審斷案件,或因事權不一,或因顧忌嫌怨,往往未能認真審追,茲議由總署昭會各駐京公使,將通商口岸,應如何會同總署議定承審章程,妥為商辦。 三、凡遇內地各省地方或通商口岸,有關繫英人命盜案件,議由英國大臣派員前往該處觀審。至中國各口岸審斷交涉案件,兩國法律既有不同,只能視被告者為何國之人,即赴何國官員處控告。原告為何國之人,其本國官員只可赴承審官員處觀審。倘觀審之員以為辦理未妥,可以逐細辯論,底使可無向隅,各按本國法律審斷,此即條約第十六款所載「會同」兩字本意。以上向恉,兩國官員,均當遵守。 第三端,通商事務。 一、議準以各口租界作為免收洋貨釐金之處,並添開宜昌、蕪湖、溫州、北海四處口岸,作為領事官駐紮處所。及重慶可由英國派員駐寓,查看川省英商事宜。輪船未至重慶以前,英國商民不得在彼居處開設行棧。俟輪船能上駛後,再行議辦。至沿江之大通、安慶、湖口、武穴、陸溪口、沙市等處,均係內地處所,並非通商口岸,按《長江統共章程》,不準洋商私自起下貨物。今議通融辦法,輪船準暫停泊,上下客商貨物皆用民船起卸,仍照內地定章辦理。除洋貨半稅單昭章查驗免釐,其有報單之土貨,只準上船,不準卸賣外,其餘應完稅釐由地方官自行一律妥辦。 二、新舊各口岸,除已定有各國租界,應無庸議,其租界未定各處,應由英國領事官會商各國領事官與地方官商議,將洋人居住處所盡定界址。 三、洋藥一宗,威大臣議請本國準為另定辦法,與他項洋貨有別。令英商於販運洋藥入口時,由新關派人稽查,封存棧房或躉船,俟售賣時,洋人照則完稅,並令買客一併在新關輸納釐稅,以免偷漏。其應抽收釐稅若干,由各省察勘情形酌辦。 四、洋貨運入內地,請領半稅單照。各國條約內,原已訂明,自當遵辦。嗣後各關發給單照,應由總署核定盡一款式,不分華洋商人,均可請領,並無參差。洋商將土貨由內地運往口岸上船,條約內亦有定章,英商完納半稅,請領單照,即可運往海口。若英商自置土貨,該貨若非實在運往海關出口,不得援照辦理。所有應定章程,免致滋生弊端之處,威大臣即願會同總署設法商辦。至《通商善後章程》第七款,載明洋貨運入內地,及內地置買土貨等語,係指沿海、沿江、沿河及陸路不通商口岸,皆屬內地,應由中國自行設法防弊。 五、咸豐八年,所定條約第四十五款,內載「英商若將完納稅項洋貨復運外國,稟明海關監督,發給存票,他日均可持作已納稅餉之據」等語。原約並未定有年限,今訂明三年為期,限滿作廢。 六、香港洋面粵海關,向設巡船,稽查收稅事宜。屢由香港官憲聲稱此項巡船有擾累華民商船情事,現在議定,即由英國選派領事官一員,由中國選派平等官一員,由香港選派英官一員,會同查核定章遵辦,總期於中國課餉有益,於香港地方事宜無損。 七、以上議準添開通商各口岸及沿江六處準起卸貨物一節,應由李大臣奏請於半年後,開辦各口租界,免洋貨釐金,及洋藥在新關併納釐稅兩節。俟英國會商各國,再行定期開辦,另議專條。現因英國酌議,約在明年派員由中國京師啟行前往,遍歷甘肅、青海一帶地方,或由內地四川等處入歲以抵印度,為探查路程之意。所有應發護照,並知會各處地方大吏暨駐藏大臣公文。屆時當由總署察酌情形,妥為辦結。 十一年,夏五月,駐英使臣一等毅勇侯曾紀澤,與英首相兼外務尚書侯爵沙力斯伯里續訂《煙臺條約》專條十款成。洋藥稅釐併徵,載在《煙臺條約》,延擱數年,迄未開辦。迭經總署與英使威妥瑪商議,總以咨報本國為詞,藉作延宕地步,至九年正月,以威妥瑪回國,詔派紀澤與英部商辦此事,期在必成。如李鴻章前議百一十兩之數,並在進口時輸納,即可就此定議。紀澤屢與前外部尚書伯爵葛蘭斐爾磋商,至本年二月,始克成議。會葛蘭斐爾退職,沙力斯伯里以首相兼外部尚書,紀澤曡催訂期盡押。英外部忽稱印度部因中國內閣學士周德潤奏參鳳陽關違例收稅事,索紀澤文據,擔保此次所訂專條不致為官吏所壞,卒致不行等語。紀澤申辯再三,最後具牘聲明條約既定,不致有意外之勒索,英外部始訂期是月初三日畫押。計條約專條十款,所謂《煙臺續約》者也。列於下: 一、《烟臺條約》第三端第一、第二兩節所擬辦法,現在議定,應由兩國國家日後再行商酌。 二、《烟臺條約》第三端第三節所擬洋藥辦法,今議定,改為洋藥運入中國者,應由中國海關驗明,封存海關,準設具有保結之棧房,或封存具有保結之躉船內。必俟按照每百斤箱向海關完納正稅三十兩,並納釐金不過八十兩之後,方許搬出。 三、現在議定,凡照上節所載正稅、釐金兩項安納之後,該貨主即可在具有保結之封存處所,限同海關,將洋藥拆改包裝。其貨包每種式樣尺寸,應由海關官員會同該口領事官預告酌定,聽貨主擇用。如貨主於此時請領運貨憑單,海關即當照給,不取分文。其所請憑單,或每包一張,或數包一張,悉聽貨主之便。凡有此等運貨憑單之洋藥,運往內地之際,如貨包未經拆開,暨包上之海關印封記、號碼數均未擦損私改,即無須再完稅捐等項。此等運貨憑單,只準華民持用,而洋人牟利於此項洋藥者,不許持用憑單運寄洋藥,不許押送洋藥同入內地。 四、現在議定,給發憑單章程,各口一律。 五、中國國家應許此等貨包在行銷洋藥地方開拆者,如有應納稅捐等項,或當時所徵,或日後所設,或由明收,或由暗取,均不得較土烟所納稅捐等項,格外加增,亦不得別立稅課。如此等稅損係照貨價計課,即應將洋藥與土烟價值相較均算,其較算之法,應於洋藥之市價內扣除進口時所納釐金。 六、現在議定,此次所定續增專條,應與一千八百七十六年九月十三日所定《烟臺條約》視同一律,其實力鄭重之處,亦與逐字載入《烟臺條約》無異。此專條應於畫押以後六個月開辦施行,此指兩國批准文據已在期內互換而言。倘期內未能互換,即自互換之日開辦施行。 七、專條所載洋藥章程,議定昭行四年。四年以後,兩國如有欲廢棄章程者,無論何時,皆可先期十二個月聲明,一經通知,屆期即為廢紙。惟議定,倘查所發運貨憑單,於海口運送洋藥前往內地行銷處所之時,仍不免其輸納一切稅捐等項,則無論何時,英國即有廢棄專條之權。倘續增專條,既經廢棄,則洋藥辦法,仍應昭現在所行之《天津條約》所附章程辦理。 八、續增專條,即經開辦,如查其中有應行變通更改之處,兩國國家即可會同商議酌改。 九、《烟臺條約》第三端第七節所載派員查禁香港至中國偷漏之事,應即作速派員。 十、此次專條所改之《烟臺條約》,暨此次議定續增專條,一併由兩國朝廷批准文據,應在倫敦作速交換。定約大臣各奉本國國家之命,議定續增專條,畫押蓋印。此專條係在倫敦繕立漢文兩分,英文兩分,共為四分。
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