東周列國志第十三回 魯の桓公夫婦、斉に赴く/鄭の子亹、君臣ともに戮される (魯桓公夫婦如齊 鄭子亹君臣為戮)

斉襄公の魯桓公夫婦出迎え

  • さて、斉の襄公は祭足が誼を通じに来たので喜んでこれを迎えた。ちょうど返礼の聘使を鄭に送ろうとしていたところ、にわかに高渠彌が昭公を弑して子亹を立てたと聞き、心中大いに怒り、兵を興して討伐しようという思いを起こした。
  • ところが魯侯夫婦が斉国に到着しようとしていたため、鄭の一件はいったん脇に置き、自ら濼水まで迎えに出た。

文姜の斉行きと斉襄公との密通

  • さて魯の夫人文姜は、斉の使者が迎えに来たのを見て、内心自分の兄のことを思い出し、里帰りの名目を借りて桓公とともに行こうとした。桓公は妻を溺愛していたので、あえて拒めなかった。
  • 大夫の申繻が諫めて言った。「『女に嫁ぎ先あり、男に家あり』とは古の定めです。礼では男女が互いに分を犯さぬものとされ、犯せば乱れが生じます。女子が嫁いだ後は、父母が存命であれば毎年一度里帰りをするものです。今、夫人の父母はすでに亡く、妹が兄のもとへ里帰りするいわれはありません。魯は礼を国是としております。どうしてこのような非礼を行ってよいでしょうか。」
  • 桓公はすでに文姜に許していたため、申繻の諫めには従わなかった。
  • 夫婦は共に出発し、車が濼水に着くと、斉の襄公はすでに先に来て待っていた。丁重に出迎え、それぞれ久闊を叙した。
  • ともに車を進め、臨淄に着くと、魯侯は周王の命を告げ、婚事を議して取り決めた。斉侯はたいそう感激し、まず盛大な宴を設けて魯侯夫婦をもてなした。
  • その後、文姜を宮中に迎え入れたが、ただ昔なじみの宮嬪たちと会うだけだと言っておいた。ところが襄公は密かに密室を用意しており、別に酒宴を設けて文姜と情を語り合った。
  • 酒を飲むうち、互いの目が合い、貪り愛し合うようになり、天倫をも顧みず、ついに不義の関係を結んでしまった。
  • 二人はいつまでも離れがたく、そのまま宮中に泊まりこんだ。日が高く昇っても、なお抱き合ったまま起き上がろうともしなかった。
  • 魯の桓公は外に取り残され、ひとり寂しく待っていた。

魯桓公の疑念と姜氏への詰問

  • 魯侯は心中疑いを抱き、人を遣わして宮門で細かく事情を探らせた。
  • 報告によれば、「斉侯はまだ正妃を娶っておらず、ただ側室の連氏(大夫連称の従妹)がいるだけですが、以前から寵を失っており、斉侯とは共に過ごしておりません。姜夫人が斉宮に入ってからは、ただ兄妹で語り合うだけで、他の宮嬪と集うことはありません」とのことであった。
  • 魯侯はよからぬことが起きていると察し、今すぐにも斉の宮中に踏み込んで様子を見たい思いであった。
  • ちょうどそこへ「国母(文姜)が宮を出られました」との知らせが入った。魯侯は怒気を含んで待ち構えた。
  • 姜氏に「昨夜、宮中で誰と酒を飲んだのか」と尋ねると、「連妃と一緒でした」と答えた。
  • 「いつ宴を終えたのか」と問うと、「久しぶりの再会で話が長くなり、白壁に月が上がる頃まで、半夜近くになりました」と答えた。
  • 「そなたの兄も来て酒に付き合ったのか」と問うと、「兄は来ませんでした」と答えた。
  • 魯侯は笑って「まさか兄妹の情があっても付き添わなかったのか」と問うと、姜氏は「途中で一度来て一杯勧めましたが、すぐに帰りました」と答えた。
  • 「宴が終わってなぜ宮を出なかったのか」と問うと、「夜が深く不都合でしたので」と答えた。
  • 「どこに泊まったのか」と問うと、姜氏は「君侯は思い違いをなさっています。どうしてそこまで問い詰めるのですか。宮中には多くの空き部屋があります。泊まる所に困ることなどありましょうか。妾は西宮でひとり休みました。かつて娘の頃、閨を守っていた所です」と答えた。
  • 「今日はどうしてそんなに遅く起きたのか」と問うと、「昨夜は酒を飲んで疲れており、今朝の身支度が思わず遅くなりました」と答えた。
  • 「休んだ所には誰か付き添っていたのか」と問うと、「宮女だけです」と答えた。
  • 「そなたの兄はどこで休んだのか」と問うと、姜氏は思わず顔を赤らめて「妹の身で、どうして兄の寝所まで気にかけましょうか。おかしなことをおっしゃいます」と答えた。
  • 魯侯は「兄たる者が、かえって妹の寝所を気にかけているのではないかと案じているのだ」と言った。姜氏は「何をおっしゃるのですか」と返した。
  • 魯侯は言った。「昔から男女には分別がある。そなたが宮中に泊まり、兄妹で同宿したことを、寡人はすでにすべて知っている。隠し立てするな。」
  • 姜氏は口ではあいまいに言い逃れ、めそめそと泣いたが、内心では十分に恥じ入っていた。
  • 魯の桓公は斉国の中にあって、いかんともしがたく、心中は憤りながらも、発することができなかった。まさに「怒りに堪えながら口に出せない」状態であった。
  • そこで人を遣わして斉侯に別れを告げ、帰国してから改めて対処を考えることにした。

斉襄公の探索と牛山への誘い

  • さて、斉の襄公は自らのふるまいがまずいことに気づいていた。姜氏が宮を出るにあたって安心できず、密かに腹心の力士石之紛如を跟けさせ、魯侯夫婦が会った時にどのような話があったか探らせた。
  • 石之紛如は戻って「魯侯と夫人が言い争い、このようなことがありました」と報告した。
  • 襄公は大いに驚き、「魯侯がいずれ知ることになるとは思っていたが、こんなに早いとは」と言った。
  • しばらくして魯の使者が別れを告げに来たので、事が露見したためだと悟り、牛山への遊覧をしきりに求め、それを餞別の宴とした。
  • 使者に何度も催促させたので、魯侯はやむなく郊外へ車を出させた。文姜は自ら邸に留まり、ふさぎ込んで楽しまなかった。

彭生による魯桓公殺害

  • さて、斉の襄公は一つには文姜を手放したくなく、二つには魯侯が恨みを抱いて仇となることを恐れ、ええままよと腹をくくり、公子彭生に、宴が終わったら魯侯を邸へ送らせ、車中でその命を絶つよう申しつけた。
  • 彭生は紀の戦での一矢の恨みを思い出し、喜んで命を受けた。
  • その日、牛山では盛大な宴が催され、歌舞が盛んに披露され、襄公はことのほか丁重にもてなした。魯侯はただ俯いて言葉少なであった。
  • 襄公は諸大夫に代わる代わる杯を勧めさせ、また宮女や内侍にも樽を捧げて跪いて勧めさせた。
  • 魯侯は心中憤懣やるかたなく、杯で憂さを晴らそうと思い、思わず泥酔してしまい、別れの際には礼を成すこともできなかった。
  • 襄公は公子彭生に命じて魯侯を抱きかかえて車に乗せた。彭生はそのまま魯侯と同じ車に乗った。
  • 都の城門を離れておよそ二里、彭生は魯侯が熟睡しているのを見て、腕を伸ばしてその脇腹を締め上げた。彭生は力が強く、その腕は鉄のようで、魯侯は締め上げられてあばら骨を折られ、大声を上げ、血を車中いっぱいに流して死んだ。
  • 彭生は周りの者に「魯侯は酒に酔って急に病を発した。急いで城に馳せて主公に知らせよ」と言った。
  • 周りの者は不審に思ったが、誰も多くを言おうとはしなかった。
  • 史臣にこう詠んだ詩がある。(詩:男女の間の疑わしいことは何より明らかにしておくべきであり、夫婦で他国へ越境するのはあまりにも軽率なふるまいであった。あの時もし申繻の諫めを聞き入れていれば、車中で命を落とすことになどならなかったであろう、という趣旨)

魯の対応と斉への詰問

  • 斉の襄公は魯侯が急死したと聞き、涙を流すふりをして悲しみ、ただちに手厚く棺に納めさせ、使者を魯に遣わして喪を知らせ、柩を引き取りに来るよう求めた。
  • 魯からの従者が帰国すると、車中で殺害された事の次第を詳しく伝えた。
  • 大夫の申繻は「国に一日たりとも君がいなくてはならない。まず世子を立てて喪の事を取り仕切らせ、喪車が到着する日を待って即位の礼を行うべきだ」と言った。
  • 公子慶父、字を孟という桓公の庶長子が腕まくりをして「斉侯は倫理に反した無礼を働き、その禍いが君父にまで及んだ。私に戦車三百乗をお貸しください。斉に赴いてその罪を鳴らして討ちましょう」と言った。
  • 大夫の申繻はこの言葉に迷い、密かに謀臣の施伯に「斉を討つべきか」と尋ねた。
  • 施伯は言った。「これは表沙汰にしがたい事です。近隣諸国に知られてはなりません。まして魯は弱く斉は強く、討伐しても必ず勝てるとは限らず、かえってこの恥をさらけ出すことになります。むしろ耐え忍んで、車中でのことの経緯を問いただす形にし、斉に公子彭生を殺させて列国に釈明させるのがよいでしょう。斉はきっとそれに応じるはずです。」
  • 申繻はこれを慶父に伝え、施伯に国書の草案を作らせた(世子は喪中で発言しないため、大夫の名義を用いた)。人を遣わして斉に赴かせ、書を届けて喪の柩を迎えさせた。
  • 斉の襄公は書を開いて見た。書にはこうあった。
  • 「外臣申繻ら、謹んで斉侯殿下に申し上げます。わが君は天子の命を奉じ、安んじて留まることができず、婚儀を議しに参りました。しかるに出て帰らず、道々では車中の変事について盛んに噂されております。責めを負わせる先もなく、恥辱は諸侯の間に広まっております。どうか彭生の罪を正していただきたく存じます。」
  • 襄公は読み終えると、ただちに人を遣わして彭生を朝廷に召した。彭生は自らを功労者と思い込み、堂々と入ってきた。

彭生の処刑

  • 襄公は魯の使者の面前で彭生を罵った。「寡人はそなたに、魯侯が酒に過ごしたので車まで送り届けるよう命じたのだ。どうして注意深く世話をせず、急死させてしまったのか。その罪、逃れられぬぞ。」
  • 左右に「縛れ」と命じ、市中で斬らせた。
  • 彭生は大声で叫んだ。「妹を淫し、その夫を殺したのはお前という無道の暗君のしわざだ。それを今日になって私に罪をなすりつけるのか。死んでも霊があれば、必ずたたりをなす化け物となってお前の命を奪ってやる。」
  • 襄公は思わず自分の耳をふさぎ、左右の者は皆笑った。
  • 襄公は一方で人を周王の元に遣わして婚儀への謝辞を述べ、あわせて婚礼の日取りを取り決めさせ、また一方で魯侯の喪車を魯に送り帰らせたが、文姜はそのまま斉に留まり帰らなかった。

魯荘公の即位

  • 魯の大夫申繻は世子を率いて柩を郊外に迎え、柩の前で喪の礼を行い、その後、位を継がせた。これが荘公である。
  • 申繻・顓孫生・公子溺・公子偃・曹沫ら文武の一団が、あらためて朝廷の綱紀を整えた。庶兄の公子慶父、庶弟の公子牙、嫡弟の季友もともに国政に参与した。
  • 申繻は施伯の才を推挙し、施伯もまた上士の職を拝命した。
  • 翌年をもって改元とした。これが実に周の荘王の四年目にあたる。

施伯の三恥の策

  • 魯の荘公は群臣を集め、斉のために王姫を迎え送る主婚の件について協議した。
  • 施伯は言った。「国に三つの恥がありますが、君はご存じですか。」荘公は「何を三恥と言うのか」と尋ねた。
  • 施伯は言った。「先君の喪はすでに成服の儀を終えましたが、悪評はなお人々の口の端に上っております。これが一つの恥です。君夫人は斉に留まって帰らず、人々の噂の種になっております。これが二つの恥です。斉は仇敵の国であるにもかかわらず、君は喪に服している最中に婚儀の主を務めることになり、辞退すれば王命に逆らうことになり、辞退しなければ人の物笑いになります。これが三つの恥です。」
  • 魯の荘公は驚いて「この三つの恥は、どうすれば免れられるのか」と尋ねた。
  • 施伯は言った。「人に悪く思われまいとするなら、まず自らを美しく保つことです。人に疑われまいとするなら、まず自らを信じさせることです。先君の即位は、まだ王命を受けておりません。もし婚儀の主となる機会に乗じて、周に爵命を請い、亡き後の栄誉を九泉の下まで及ぼせば、一つ目の恥は免れます。君夫人が斉におられるのは、礼をもってお迎えすれば、主公の孝を成すことになり、二つ目の恥は免れます。ただ婚儀の主を務める件だけは、両立させるのが最も難しいのですが、それにも策があります。」
  • 荘公は「その策とは」と尋ねた。
  • 施伯は言った。「王姫の宿舎を郊外に築き、上大夫に出迎えと見送りをさせ、君ご自身は喪を理由にお断りください。そうすれば、上は天子の命に逆らわず、下は大国の心情も損なわず、中では喪中の礼も失わずに済みます。これで三つの恥もすべて免れましょう。」
  • 荘公は「申繻がそなたを『智恵が腹一杯に詰まっている』と評していたが、まことにその通りだ」と言い、すべてこの策のとおりに行った。

周への使者と周公黒肩の陰謀

  • さて魯の使者、大夫の顓孫生が周に赴き、王姫を迎える手はずを整えるとともに、先君(桓公)の泉下の栄誉のため、黻冕と圭璧を賜るよう請うた。
  • 周の荘王はこれを許し、人を選んで魯に遣わし桓公に爵命を賜らせることとした。周公黒肩は自ら行きたいと願ったが、荘王はこれを許さず、別に大夫の栄叔を遣わした。
  • もともと荘王の弟である王子克は、先王に寵愛されており、周公黒肩はかつて先王の臨終の遺託を受けていた。荘王は黒肩に背く心があるのではと疑い、外国と私交を結んで王子克の一党を成すのではと恐れたため、これを用いなかった。
  • 黒肩は荘王が自分を疑っていることを知り、夜のうちに王子克の家を訪ね、王姫を嫁がせる日に乗じて衆を集めて乱を起こし、荘王を弑して子克を立てようと相談した。
  • 大夫の辛伯がこの企みを聞きつけ、荘王に告げた。荘王は黒肩を殺し、子克を追放した。子克は燕に逃亡した。この事はここまでとして、これ以上は語らない。

文姜の帰国拒否

  • さて魯の顓孫生は王姫を斉に送り届け、あわせて魯侯の命により夫人姜氏を迎えに来た。
  • 斉の襄公は文姜を手放しがたく思ったが、世間の目もはばかられ、やむなく帰らせることとした。
  • 出発に際して、二人は袖を取り合って離れがたく、幾度も「また会う日を」と別れを惜しみ、それぞれ涙を流して別れた。
  • 姜氏は一つには歓楽と斉侯への未練が捨てられず、二つには理に背き倫を賊した身を恥じて故郷へ帰ることを憚り、一歩進んでは一歩ためらう有様であった。
  • 車が禚の地に至り、宿舎が整えられ清潔であるのを見て、「ここは魯でも斉でもない。まさに我が家だ」と嘆息した。
  • 従者に言い含めて、魯侯にこう伝えさせた。「未亡人(自分のこと)は暇な暮らしを好み、宮に戻ることを喜びません。私を戻したいとお思いなら、死んだ後にでもなさってください。」
  • 魯侯は彼女に帰国する顔向けがないことを知り、そこで祝邱に館を築き、姜氏をそこに住まわせた。姜氏はこうして両地を往来するようになった。魯侯からの見舞いは四季を通じて絶えることがなかった。
  • 後世の史官はこう論じている。魯の荘公にとって文姜は、情においては生みの母であるが、義においては父の仇である。もし文姜が魯に帰れば、かえって扱いに困る事態となる。ただ両地を行き来させておくことこそが、魯侯の孝を全うすることになったのだ、と。
  • 髯翁の詩にこうある。(詩:夫を弑した身で東の魯の地に顔向けもできず、禚の地を斉と魯の間で行き来する。もし恥じることなく故国に帰っていたら、親への情と父の仇への義とがどう折り合いを付けられただろうか、という趣旨)

斉襄公の鄭討伐計画と祭足の予言

  • 話は変わって、斉の襄公は魯桓公を車中で殺した一件について、国人が「斉侯は無道であり、このような淫らで道理を無視した事を行った」と騒ぎ立てているのを知っていた。
  • 襄公は内心恥じ入りつつも、急いで人を遣わして王姫を斉に迎えさせ、婚礼を挙げた。しかし国人の議論はまだ収まらず、何か義挙を行って人心を鎮めたいと考えた。
  • こう考えた。「鄭ではその君を弑し、衛ではその君を逐った。どちらも討伐を起こすには恰好の大義名分だ。ただ衛の公子黔牟は周王の婿である。こちらは今まさに王姫を娶ろうとしているところであり、すぐに黔牟を敵に回すわけにはいかない。ならばまず鄭の罪を討つのがよい。諸侯は必ず畏服するであろう。」
  • また兵を興して鄭を伐てば、勝敗の予測がつかないことを恐れた。そこで友好を装って人を遣わして子亹に書を送り、首止での会盟を約させた。
  • 子亹は大いに喜んで「斉侯がへりくだって交わりを求めてくるからには、我が国は泰山のように安泰だ」と言った。
  • 高渠彌と祭足を同行させようとしたが、祭足は病と称して行かなかった。
  • 原繁は密かに祭足に問うた。「新君は斉侯との友好を結ぼうとしている。君はそれを助けるべきなのに、どうして行かないのか。」
  • 祭足は言った。「斉侯は勇猛にして残忍な人物、大国を継いでからは驕り高ぶって覇を図る野心があります。まして先君昭公には斉に功のあった事があり、斉はそれを念頭に置いているはずです。そもそも大国というものは測りがたいもので、大が小と結ぶには必ず奸謀があります。この行き、君も臣も殺されることになりましょう。」
  • 原繁は「君の言葉がもし本当ならば、鄭は誰の手に渡ることになるのか」と問うた。
  • 祭足は言った。「必ず子儀のもとに帰しましょう。彼こそ君たる者の相を備えている、と先君荘公もかつて言われたことがあります。」
  • 原繁は「人は君を智者多しと言うが、私はひとつこれを試させてもらおう」と言った。

子亹・高渠彌誅殺

  • 定めの日、斉の襄公は王子成父・管至父の二将を遣わし、それぞれ死士百余人を率いて左右を取り囲ませ、力士石之紛如も後ろに控えさせた。
  • 高渠彌は子亹を連れて盟壇に登り、斉侯と礼を交わし終えた。
  • 寵臣の孟陽が血の盂を捧げ持ち、跪いて血をすすって盟うよう請うた。襄公はそれに目をやると、孟陽はすぐに立ち上がった。
  • 襄公は子亹の手を取って問うた。「先君の昭公は、何によって亡くなられたのか。」
  • 子亹は顔色を変え、驚き震えて言葉が出なかった。高渠彌が代わって「先君は病によって薨去されました。何を煩わせるほどのことがありましょうか」と答えた。
  • 襄公は「聞くところでは蒸祭の折に賊に遭ったとのこと、病のためではあるまい」と言った。
  • 高渠彌は取り繕えず、「もともと寒気の病があり、さらに賊の襲撃を受けて驚き、それで急に亡くなったのです」と答えるしかなかった。
  • 襄公は「君が出かけるにあたっては必ず警備があるはずだが、その賊はどこから来たのか」と問うた。
  • 高渠彌は「正妻の子と側室の子の跡目争いはもう一日二日のことではなく、それぞれに私党があります。機に乗じてひそかに起こったことで、誰にも防ぎようがありませんでした」と答えた。
  • 襄公はまた「その賊は捕らえたか」と問うた。高渠彌は「今なお探索中で、まだ手がかりがありません」と答えた。
  • 襄公は大いに怒って言った。「賊はここにいるのに、探索など何の必要があろうか。そなたは国家の爵位を受けながら、私怨のために君を弑した。寡人の前に来て、なおも言葉でごまかそうというのか。寡人は今日、そなたの先君のために仇を討つ。」
  • 力士に「かかれ」と命じた。高渠彌は弁解することもできなかった。石之紛如がまず高渠彌を縛り上げた。
  • 子亹は叩頭して命乞いをした。「この事は私には関係ありません。すべて高渠彌がしたことです。どうか命だけはお助けください。」
  • 襄公は「高渠彌のしわざと知っていながら、なぜ討たなかったのか。そなたは今日、あの世で申し開きするがよい」と言い、手を振ると、王子成父と管至父が死士百余人を率いて一斉に進み出て、子亹をめった斬りにして非業の死を遂げさせた。
  • 随行の人々は斉の勢いの大きさを見て、誰も手出しできず、たちまち皆逃げ散った。
  • 襄公は高渠彌に言った。「そなたの君はすでに片付いた。そなたも生きていられると思っているのか。」
  • 高渠彌は「自ら罪の重いことは承知しております。ただ死を賜ることを求めるのみです」と答えた。
  • 襄公は「そなたに一太刀くれてやるだけでは、そなたを安く済ませてやることになる」と言い、都に連れ帰り、南門で車裂の刑に処するよう命じた。(車裂とは、罪人の頭と四肢を五輌の車の轅に縛りつけ、それぞれ別方向を向かせ、それぞれに牛を一頭ずつつなぎ、鞭で牛を打って車を進ませ、体を五つに引き裂く刑である。俗に「五牛分屍」という。これは極めて重い刑である。襄公は義挙として諸侯に聞こえさせようとし、わざとこの極刑を用いて事を大きく見せたのである。)
  • 高渠彌が死ぬと、襄公はその首を南門にさらすよう命じ、「逆臣はこれを見よ」との立て札を立てさせた。
  • 一方で人を遣わして子亹の遺体を収め、東郭の外に粗末に葬らせた。もう一方で使者を鄭に遣わし、こう告げさせた。「逆臣賊子は、周において定まった刑罰がある。そなたの国の高渠彌は君を弑することを主謀し、側室の子をほしいままに立てた。わが君は鄭の先君の不幸を痛み、すでに鄭のためにこれを討ち、誅した。どうか新しい君を改めて立て、旧来のよしみを求めていただきたい。」
  • 原繁はこれを聞いて「祭仲の智慧には、私は及ばない」と嘆息した。

鄭の新君擁立

  • 諸大夫は共に君の擁立を議した。叔詹は「旧君(厲公)が櫟にいる。なぜお迎えしないのか」と言った。
  • 祭足は「出奔した君を、再び宗廟を辱めさせるわけにはいかない。公子儀を立てるのがよい」と言った。原繁もこれに賛成した。
  • そこで陳から公子儀を迎えて君位を継がせた。祭足は上大夫、叔詹は中大夫、原繁は下大夫となった。
  • 子儀は即位すると、国政を祭足に委ね、民をいたわり武備を修め、使者を遣わして斉・陳などの国々と誼を修めた。また楚の命を受け、毎年の貢納を約束し、永く楚の属国となった。
  • 厲公はつけこむ隙がなく、これより鄭国はいくらか安定を得た。
  • 後の事がどうなったかは、次回を見られよ。
原文(底本)
卻說齊襄公見祭足來聘,欣然接之。正欲報聘,忽聞高渠彌弒了昭公,援立子亹,心中大怒,便有興兵誅討之意。因魯侯夫婦將至齊國,且將鄭事擱起,親至濼水迎候。

  卻說魯夫人文姜,見齊使來迎,心下亦想念其兄,欲借歸寧之名,與桓公同行。桓公溺愛其妻,不敢不從。大夫申繻諫曰:「『女有室,男有家』,古之制也。禮無相瀆,瀆則有亂。女子出嫁,父母若在,每歲一歸寧。今夫人父母俱亡,無以妹寧兄之理。魯以秉禮為國,豈可行此非禮之事?」桓公已許文姜,遂不從申繻之諫。夫婦同行,車至濼水,齊襄公早先在矣。慇懃相接,各敘寒溫。一同發駕,來到臨淄,魯侯致周王之命,將婚事議定。齊候十分感激,先設大享,款待魯侯夫婦。然後迎文姜至於宮中,只說與舊日宮嬪相會。誰知襄公預造下密室,另治私宴,與文姜敘情。飲酒中間,四目相視,你貪我愛,不顧天倫,遂成苟且之事。兩下迷戀不捨,遂留宿宮中,日上三竿,尚相抱未起。撇卻魯桓公在外,冷冷清清。魯侯心中疑慮,遣人至宮門細訪。回報:「齊侯未娶正妃,止有偏宮連氏。乃大夫連稱之從妹,向來失寵,齊侯不與相處。姜夫人自入齊宮,只是兄妹敘情,並無他宮嬪相聚。」魯侯情知不做好事,恨不得一步跨進齊宮,觀其動靜。恰好人報:「國母出宮來了。」魯侯盛氣以待。便問姜氏曰:「夜來宮中共誰飲酒?」答曰:「同連妃。」又問:「幾時散席?」答:「久別話長,直到粉牆月上,可半夜矣。」又問:「你兄曾來陪飲否?」答曰:「我兄不曾來。」魯侯笑而問曰:「難道兄妹之情,不來相陪?」姜氏曰:「飲至中間,曾來相勸一杯,即時便去。」魯侯曰:「你席散如何不出宮?」姜氏曰:「夜深不便。」魯侯又問曰:「你在何處安置?」姜氏曰:「君侯差矣!何必盤問至此?宮中許多空房,豈少下榻之處?妾自在西宮過宿,即昔年守閨之所也。」魯侯曰:「你今日如何起得恁遲?」姜氏曰:「夜來飲酒勞倦,今早梳妝,不覺過時。」魯侯又問曰:「宿處誰人相伴?」姜氏曰:「宮娥耳。」魯侯又曰:「你兄在何處睡?」姜氏不覺面赤曰:「為妹的怎管哥哥睡處?言之可笑!」魯侯曰:「只怕為哥的,倒要管妹子睡處!」姜氏曰:「是何言也?」魯侯曰:「自古男女有別。你留宿宮中,兄妹同宿,寡人已盡知之,休得瞞隱!」姜氏口中雖是含糊抵賴,啼啼哭哭,心中卻也十分慚愧。魯桓公身在齊國,無可奈何,心中雖然忿恨,卻不好發作出來,正是「敢怒而不敢言」。即遣人告辭齊侯,且待歸國,再作區處。

  卻說齊襄公自知做下不是。姜氏出宮之時,難以放心,便密遣心腹力士石之紛如跟隨,打聽魯侯夫婦相見有何說話。石之紛如回復:「魯侯與夫人角口,如此如此。」襄公大驚曰:「亦料魯侯久後必知,何其早也?」少頃,見魯使來辭。明知事洩之故,乃固請於牛山一遊,便作餞行。使人連逼幾次,魯侯只得命駕出郊。文姜自留邸舍,悶悶不悅。

  卻說齊襄公一來舍不得文姜回去,二來懼魯侯懷恨成仇,一不做,二不休,吩咐公子彭生待席散之後,送魯侯回邸,要在車中結果魯侯性命。彭生記起戰紀時一箭之恨,欣然領命。是日牛山大宴,盛陳歌舞,襄公意倍殷勤。魯侯只低頭無語。襄公教諸大夫輪流把盞,又教宮娥內侍,捧樽跪勸。魯侯心中憤鬱,也要借杯澆悶,不覺酩酊大醉,別時不能成禮。襄公使公子彭生抱之上車。彭生遂與魯侯同載。離國門約有二里,彭生見魯侯熟睡,挺臂以拉其脅。彭生力大,其臂如鐵,魯侯被拉脅折,大叫一聲,血流滿車而死。彭生謂眾人曰:「魯侯醉後中惡,速馳入城,報知主公。」眾人雖覺蹊蹺,誰敢多言!史臣有詩云:

    男女嫌微最要明,夫妻越境太胡行!當時若聽申繻諫,何至車中六尺橫?

  齊襄公聞魯侯暴薨,佯啼假哭,即命厚殮入棺,使人報魯迎喪。魯之從人回國,備言車中被弒之由。大夫申繻曰:「國不可一日無君。且扶世子同主張喪事,候喪車到日,行即位禮。」公子慶父字孟,乃桓公之庶長子,攘臂言曰:「齊侯亂倫無禮,禍及君父。願假我戎車三百乘,伐齊聲罪!」大夫申繻惑其言,私以問謀士施伯曰:「可伐齊否?」施伯曰:「此暖昧之事,不可聞於鄰國。況魯弱齊強,伐未可必勝,反彰其醜。不如含忍,姑請究車中之故,使齊殺公子彭生,以解說於列國,齊必聽從。」申繻告於慶父,遂使施伯草成國書之稿,(世子居喪不言,乃用大夫出名。)遣人如齊,致書迎喪。齊襄公啟書看之。書曰:

    外臣申繻等,拜上齊侯殿下:寡君奉天子之命,不敢寧居,來議大婚。今出而不入,道路紛紛皆以車中之變為言。無所歸咎,恥辱播於諸侯,請以彭生正罪。

襄公覽畢,即遣人召彭生入朝。彭生自謂有功,昂然而入。襄公當魯使之面罵曰:「寡人以魯侯過酒,命爾扶持上車。何不小心伏侍,使其暴薨?爾罪難辭!」喝令左右縛之,斬於市曹。彭生大呼曰:「淫其妹而殺其夫,皆出汝無道昏君所為,今日又委罪於我!死而有知,必為妖孽,以取爾命!」襄公遽自掩其耳,左右皆笑。襄公一面遣人往周王處謝婚,並訂娶期。一面遣人送魯侯喪車回國,文姜仍留齊不歸。

  魯大夫申繻率世子同迎柩至郊,即於柩前行禮成喪,然後嗣位,是為莊公。申繻、顓孫生、公子溺、公子偃、曹沫一班文武,重整朝綱。庶兄公子慶父、庶弟公子牙、嫡弟季友俱參國政。申繻薦施伯之才,亦拜上士之職。以明年改元,實周莊王之四年也。

  魯莊公集群臣商議,為齊迎婚之事。施伯曰:「國有三恥,君知之乎?」莊公曰:「何謂三恥?」施伯曰:「先君雖已成服,惡名在口,一恥也;君夫人留齊未歸,引人議論,二恥也;齊為仇國,況君在衰絰之中,乃為主婚,辭之則逆王命,不辭則貽笑於人,三恥也。」魯莊公蹴然曰:「此三恥何以免之?」施伯曰:「欲人勿惡,必先自美;欲人勿疑,必先自信。先君之立,未膺王命。若乘主婚之機,請命於周,以榮名被之九泉,則一恥免矣。君夫人在齊,宜以禮迎之,以成主公之孝,則二恥免矣。惟主婚一事,最難兩全;然亦有策。」莊公曰:「其策何如?」施伯曰:「可將王姬館舍,築於郊外,使上大夫迎而送之,君以喪辭。上不逆天王之命,下不拂大國之情,中不失居喪之禮,如此則三恥亦免矣。」莊公曰:「申繻言汝『智過於腹』。果然!」遂一一依策而行。

  卻說魯使大夫顓孫生至周,請迎王姬;因請以黻冕圭璧,為先君泉下之榮。周莊王許之,擇人使魯,錫桓公命。周公黑肩願行,莊王不許,別遣大夫榮叔。原來莊王之弟王子克,有寵於先王,周公黑肩曾受臨終之託。莊王疑黑肩有外心,恐其私交外國,樹成王子克之黨,所以不用。黑肩知莊王疑己,夜詣王子克家,商議欲乘嫁王姬之日,聚眾作亂,弒莊王而立子克。大夫辛伯聞其謀,以告莊王。乃殺黑肩,而逐子克。子克奔燕。此事表過不提。

  且說魯顓孫生送王姬至齊;就奉魯侯之命,迎接夫人姜氏。齊襄公十分難捨,礙於公論,只得放回。臨行之際,把袂留連,千聲珍重:「相見有日!」各各灑淚而別。姜氏一者貪歡戀愛,不捨齊侯,二者背理賊倫,羞回故里,行一步,懶一步。車至禚地,見行館整潔,嘆曰:「此地不魯不齊,正吾家也。」吩咐從人,回復魯侯:「未亡人性貪閒適,不樂還宮。要吾回歸,除非死後。」魯侯知其無顏歸國,乃為築館於祝邱,迎姜氏居之。姜氏遂往來於兩地。魯侯饋問,四時不絕。後來史官議論,以為魯莊公之於文姜,論情則生身之母,論義則殺父之仇。若文姜歸魯,反是難處之事,只合徘徊兩地,乃所以全魯侯之孝也。髯翁詩曰:

    弒夫無面返東蒙,禚地徘徊齊魯中。若使靦顏歸故國,親仇兩字怎融通?

  話分兩頭。再說齊襄公拉殺魯桓公,國人沸沸揚揚,盡說:「齊侯無道,幹此淫殘蔑理之事。」襄公心中暗愧,急使人迎王姬至齊成婚,國人議猶未息;欲行一二義舉,以服眾心。想:「鄭弒其君,衛逐其君,兩件都是大題目。但衛公子黔牟,是周王之婿;方娶王姬,未可便與黔牟作對。不若先討鄭罪,諸侯必然畏服。」又恐起兵伐鄭,勝負未卜。乃佯遣人致書子亹,約於首止,相會為盟。子亹大喜曰:「齊侯下交,吾國安如泰山矣!」欲使高渠彌祭足同往;祭足稱疾不行。原繁私問於祭足曰:「新君欲結好齊侯,君宜輔之,何以不往?」祭足曰:「齊侯勇悍殘忍,嗣守大國,侈然有圖伯之心。況先君昭公有功於齊,齊所念也。夫大國難測,以大結小,必有奸謀。此行也,君臣其為戮乎?」原繁曰:「君言果信,鄭國誰屬?」祭足曰:「必子儀也。是有君人之相,先君莊公曾言之矣。」原繁曰:「人言君多智,吾姑以此試之。」至期,齊襄公遣王子成父管至父二將,各率死士百餘,環侍左右,力士石之紛如緊隨於後。高渠彌引著子亹同登盟壇,與齊侯敘禮已畢。嬖臣孟陽手捧血盂,跪而請歃。襄公目視之,孟陽遽起。襄公執子亹手問曰:「先君昭公,因甚而殂?」子亹變色,驚顫不能出詞。高渠彌代答曰:「先君因病而殂,何煩君問?」襄公曰:「聞蒸祭遇賊,非關病也。」高渠彌遮掩不過,只得對曰:「原有寒疾,復受賊驚,是以暴亡耳。」襄公曰:「君行必有警備,此賊從何而來?」高渠彌對曰:「嫡庶爭立,已非一日,各有私黨,乘機竊發,誰能防之?」襄公又曰:「曾獲得賊人否?」高渠彌曰:「至今尚在緝訪?未有蹤跡。」襄公大怒曰:「賊在眼前,何煩緝訪?汝受國家爵位,乃以私怨弒君。到寡人面前,還敢以言語支吾!寡人今日為汝先君報仇!」叫力士:「快與我下手!」高渠彌不敢分辯。石之紛如先將高渠彌綁縛。子亹叩首乞哀曰:「此事與孤無干,皆高渠彌所為也。乞恕一命!」襄公曰:「既知高渠彌所為,何不討之?汝今日自往地下分辯。」把手一招,王子成父與管至父引著死士百餘,一齊上前,將子亹亂砍,死於非命。隨行人眾,見齊人勢大,誰敢動手,一時盡皆逃散。襄公謂高渠彌曰:「汝君已了,汝猶望活乎?」高渠彌對曰:「自知罪重,只求賜死!」襄公曰:「只與你一刀,便宜了你!」乃帶至國中,命車裂於南門。(車裂者,將罪人頭與四肢,縛於五輛車轅之上,各自分向,各駕一牛,然後以鞭打牛,牛走車行,其人肢體裂而為五。俗言:「五牛分屍」。此乃極重之刑。襄公欲以義舉聞於諸侯,故意用此極刑,張大其事也。)高渠彌已死,襄公命將其首,號令南門,榜曰:「逆臣視此!」一面使人收拾子亹屍首,藳葬於東郭之外。一面遣使告於鄭曰:「賊臣逆子,周有常刑。汝國高渠彌主謀弒君,擅立庶孽,寡君痛鄭先君之不弔,已為鄭討而戮之矣。願改立新君,以邀舊好。」原繁聞之,歎曰:「祭仲之智,吾不及也!」諸大夫共議立君,叔詹曰:「故君在櫟,何不迎之?」祭足曰:「出亡之君,不可再辱宗廟。不如立公子儀。」原繁亦贊成之。於是迎公子儀於陳,以嗣君位,祭足為上大夫,叔詹為中大夫,原繁為下大夫。子儀既即位,乃委國於祭足,恤民修備,遣使修聘於齊陳諸國。又受命於楚,許以年年納貢,永為屬國。厲公無間可乘,自此鄭國稍安。不知後事如何,且看下回分解。

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