東周列國志第十七回 宋国、賄賂を納れて南宮長万を誅す/楚王、酒宴で息媯を虜にする (宋國納賂誅長萬 楚王杯酒虜息媯)
曹劌の兵法問答
- さて魯の莊公は斉の軍を大いに破ると、曹劌に問うた。「卿はどうして一鼓で三鼓に勝てたのか。理由はあるのか」
- 曹劌は言った。「戦は気を主とします。気が勇めば勝ち、気が衰えれば敗れます。太鼓は気を作るためのものです。一度目の太鼓では気は盛んですが、二度目では気が衰え、三度目では気が尽きます。私が太鼓を打たずに三軍の気を養い、彼らが三度打ってすでに尽きたところに、我らが一度打ってちょうど満ちる。満ちた気で尽きた気を防げば、勝たないはずがありません」
- 莊公は言った。「斉の軍が既に敗れたとき、初めはどう見て追わず、後にはどう見て追ったのか。理由を聞かせてくれ」
- 曹劌は言った。「齊人は策略が多く、伏兵があるかもしれず、その敗走はにわかには信じられませんでした。私はその轍の跡が縦横に乱れているのを見て軍心が既に乱れていると分かり、また旗指物が乱れて先を争って逃げ散っているのを遠くから見てとりましたので、それゆえに追撃したのです」
- 莊公は言った。「卿はまさに兵を知る者と言えよう」。そこで大夫に任じ、施伯の賢者推薦の功を厚く賞した。髯翁に詩がある。
- (詩:強い齊が国境に迫り朝廷中が憂えたが、布衣の身で勝利の策を握っていたのは誰も知らなかった。辺境の勝報が遅かったのを怪しむな、そもそも高い位にある者に良い謀は少ないものだ、という趣旨)
齊・宋連合軍と乗邱の戦い
- 時に周莊王十三年の春であった。斉の軍が敗れて帰ると、桓公は怒って言った。「兵を出して功がなかった。どうして諸侯を服させられようか」
- 鮑叔牙は言った。「齊魯はいずれも千乘の国で勢いは互角、主客の別によって強弱が分かれます。かつて乾時の戦いでは我らが主でしたので魯に勝ちました。今回の長勺の戦いでは魯が主でしたので魯に敗れたのです。私は君命をもって宋に援軍を乞い、齊宋が兵を合わせれば志を得られると思います」
- 桓公はこれを許した。そこで使者を宋に遣わし、宋の師の出兵を請うた。宋の閔公捷は齊の襄公の代から両国はしばしば行動を共にしていた。今、小白が即位したと聞き、まさに友好を通じようとしていたので、出師の期日を定め、夏六月上旬に郎城で兵を合わせることとした。
- 期日になると、宋は南宮長萬を将とし、猛獲を副将とした。齊は鮑叔牙を将とし、仲孫湫を副将とした。それぞれ大軍を統率して郎城に集結し、齊軍は東北に、宋軍は東南に陣した。
- 魯の莊公は言った。「鮑叔牙は恨みを抱いて来ており、そのうえ宋の援軍もある。南宮長萬には山を突き崩し鼎を持ち上げるほどの怪力がある。我が国にはその相手になる者がいない。両軍が並び立ち、互いに呼応して我らを挟み撃ちにする態勢をとっている。どう防げばよいか」
- 大夫公子偃が進み出て言った。「どうか私に自ら出向いてその軍を偵察させてください」。そして戻って報告した。「鮑叔牙は警戒を怠らず軍容が整っております。南宮長萬は自らの勇を恃んで無敵と思っており、その隊列は乱れております。もし雩門から密かに出て不意を突けば、宋を破ることができましょう。宋が破れれば、齊も単独では留まれません」
- 莊公は言った。「お前は長萬の敵ではない」
- 公子偃は言った。「試させてください」
- 莊公は言った。「寡人が自ら後詰めをしよう」
- 公子偃はそこで虎の皮百余枚を馬に被せ、朧月の下、旗を伏せ太鼓を止めて雩門を開いて出た。宋の陣営に近づくと、宋兵はまったく気づかなかった。公子偃は軍中に火を掲げさせると、たちまち鐘と太鼓が天に鳴り響き、まっすぐ突撃した。炎の下、遠く一群の猛虎が咆哮しているのが見えた。宋の陣営の人馬はみな震え上がり、四方に驚き慌て、先を争って逃げ出した。
- 南宮長萬は勇猛であったが、いかんせん兵車と歩兵が先に散ってしまい、車を駆って退くしかなかった。魯の莊公の後続部隊が既に到着し、兵を合わせて夜通し追撃した。
- 乗邱に至ると、南宮長萬は猛獲に言った。「今日は必ず死戦しなければ、免れることはできない」。猛獲は応じて出て、ちょうど公子偃と出会い、両者は一騎討ちで斬り合った。南宮長萬は長戟を提げて、まっすぐ魯侯の大軍に突入し、人に会えばすぐに刺した。魯兵はその勇猛さを恐れ、あえて近づく者がなかった。
- 莊公は戎右の歂孫生に言った。「お前は常々力があると評判だ。長萬と一戦して勝負をつけられるか」。歂孫生もまた大きな戟を提げてまっすぐ長萬を求めて交戦した。莊公は車の横木に登って望み、歂孫生が長萬と戦って決着がつかないのを見て、左右を顧みて言った。「私の金僕姑を持って来い」(金僕姑とは、魯の武器庫に収められた強力な矢のことである)。左右が矢を捧げて進めると、莊公は弓に矢をつがえ、長萬をよく狙って、ひゅっと一矢を放ち、まさに右肩に命中し、骨まで深く入った。長萬は手で矢を抜こうとしたが、歂孫生はその手が緩んだ隙に乗じて、力を尽くしてもう一度戟で突き、左の腿を貫いた。長萬は地に倒れ込み、急いで起き上がろうとしたが、歂孫生が車から飛び降りて両手でしっかりと押さえつけ、多くの兵が一斉に押し寄せて捕らえた。猛獲は主将が捕らえられたのを見て、車を捨てて逃げた。魯の莊公は大勝利を収め、鐘を鳴らして兵を収めた。歂孫生は長萬を捕らえて手柄を献じた。長萬は肩と腿に傷を負ったが、なお立っていられ、まったく痛みの様子を見せなかった。莊公はその勇猛さを愛し、厚く礼遇した。鮑叔牙は宋の軍が敗れたと知り、全軍で退いた。
齊魯の和解と南宮長萬の帰国
- この年、齊の桓公は大行(外交儀礼を司る官)の隰朋を遣わし、即位を周に告げ、あわせて婚姻を求めた。翌年、周は魯の莊公に婚儀の主宰を命じ、王姫を齊に嫁がせることとなった。徐・蔡・衛はそれぞれ女を媵(そえよめ)として差し出した。魯が婚儀を主宰した功により、齊魯は改めて友好を結び、双方が互いに受けた敗戦の恥を捨てて兄弟の約を結んだ。
- その秋、宋は大水害に遭い、魯の莊公は言った。「齊とは既に友好を通じたのに、どうして宋を憎むことがあろうか」。人を遣わして見舞わせた。宋は魯の見舞いの情に感じ、また人を遣わして謝意を伝え、それに乗じて南宮長萬の返還を求めた。魯の莊公はこれを釈放して帰国させた。これより三国は和好し、それぞれ以前の隔たりを消し去った。髯翁に詩がある。
- (詩:乾時・長勺で互いに雌雄を争い、また乗邱で宋の軍を破ったが、勝敗は常ならず結局は失うものがある、両国が友好を修めて危うさを免れるに越したことはないという趣旨)
南宮長萬の逆心と宋閔公殺害
- さて南宮長萬は宋に帰ると、宋の閔公は彼をからかって言った。「初めは私はお前を敬っていたが、今やお前は魯の囚人だった身。私はもうお前を敬わないぞ」。長萬は大いに恥じて退いた。
- 大夫の仇牧はひそかに閔公を諫めて言った。「君臣の間は礼をもって交わるべきであり、からかってはなりません。からかえば不敬となり、不敬は侮りとなり、侮って礼を失えば反逆が生じます。君は必ず戒めなければなりません」
- 閔公は言った。「孤は長萬とは慣れ親しんだ仲だ。傷にはなるまい」
- さて周莊王十五年、王が病を得て崩御した。太子の胡齊が立ち、これが僖王である。訃報が宋に至った。時に宋の閔公は宮女らと蒙澤に遊び、南宮長萬に戟を投げる技を披露させて遊んだ。もともと長萬には一つの絶技があり、戟を空中数丈の高さに投げ上げてこれを手で受け止め、百に一つも失敗しなかった。宮女たちがその技を見たがったので、閔公は長萬を同行させて遊んだのであった。長萬は命により一通り技を披露し、宮女たちはみな褒めそやした。
- 閔公はわずかに嫉妬と恨みの気持ちを抱き、内侍に命じて博打の局を持ってこさせ、長萬と勝負させ、大きな金の杯に酒を盛って罰とした。この博戯は閔公の得意とするところであった。長萬は続けて五局負け、罰酒五斗を飲み、既に酔って八九分の状態になっていたが、心中では不服で、もう一度勝負をやり直そうと言った。
- 閔公は言った。「囚われの身で、いつも負けてばかりの手合いが、どうしてまた寡人と勝負をしようとするのか」。長萬は心中に恥辱と憤りを抱き、黙って何も言わなかった。
- 突然、宮中の侍者が「周王の使者が到着しました」と報せた。閔公がその用件を尋ねると、莊王の喪を報せ、あわせて新王の即位を告げるものであった。閔公は言った。「周は既に新王を立てた。すぐに使者を遣わして弔賀すべきだ」
- 長萬が言上した。「私はまだ王都の盛観を見たことがありません。どうか使者として参りたく存じます」
- 閔公は笑って言った。「宋国に人がいないわけでもあるまいに、どうして囚人だった者を使者にするのか」。宮女たちはみな大笑いした。
- 長萬は顔を真っ赤にし、恥辱が怒りに変わり、あわせて酒に酔って一時の激情に駆られ、君臣の分をも顧みず、大声で罵った。「無道な暗君め!お前は囚人が人を殺せることを知っているか」
- 閔公もまた怒って言った。「賊の囚人め!なんと無礼な」。そして長萬の戟を奪い取り、これで刺そうとした。長萬は戟を奪い返そうとはせず、そのまま博打の局を提げて、閔公を打ち倒した。さらに拳を振るい、ああ、閔公は長萬の拳の下で命を落とした。
- 宮女たちは驚いて散った。長萬は怒気なお収まらず、戟を提げて歩いて行った。朝門に至って大夫の仇牧に出会い、問われた。「主君はどこにおられるか」。長萬は言った。「暗君は無礼であったので、私は既に殺した」
- 仇牧は笑って言った。「将軍は酔っているのか」。長萬は言った。「私は酔ってはいない。実の話だ」。そして手にある血の汚れを見せた。仇牧は顔色を変え、大声で罵った。「弑逆の賊め、天の理が許さぬぞ」。そして笏を挙げて長萬を打とうとした。しかし長萬は虎のような力を持っていた。戟を地に投げ捨て、手で迎え撃った。左手で笏を打ち落とし、右手を一振りすると、まさに頭に命中し、頭は粉々に砕けた。歯が折れ、手から跳ね飛んで門の内側に三寸も食い込んだ。まことに絶大な力である。
- 仇牧は既に死に、長萬は画戟を拾い上げ、ゆっくりと車に乗り、傍若無人であった。宋の閔公は在位十年、ただ一言の戯れ言のために逆臣の毒手にかかった。春秋の乱世では、君を弑することは鶏を割くにも等しいこととされる。嘆かわしいことである。史臣に《仇牧贊》がある。
- (詩:世が衰え道が絶え、人の道は地に落ちた。堂と簾との隔てもなく、君臣が戯れ合った。君は言葉で戯れ、臣は戟で戯れた。壮んなるかな仇牧、笏をもって賊を撃った。強暴を恐れず忠義の心を血に染めた。その死は泰山より重く、その名は日月とともに輝くという趣旨)
華督の死と長萬の陳への出奔
- 太宰の華督は変事を聞き、剣を提げて車に乗り、兵を起こして乱を討伐しようとした。東宮の西まで来たとき、ちょうど長萬に出会った。長萬は言葉も交わさず、戟でひと突きに刺した。華督は車から墜落し、さらにもうひと突きしてこれを殺した。そこで閔公の従弟である公子游を君に立て、戴・武・宣・穆・莊の五つの一族をことごとく追放した。多くの公子たちは蕭に出奔し、公子御説は毫に出奔した。
- 長萬は言った。「御説は教養があり才があり、しかも先君の嫡弟だ。今、毫にいるが、必ず変事を起こすだろう。もし御説を殺せば、多くの公子たちは懸念するに足りない」。そこでその子の南宮牛に猛獲を副えて軍を率いさせ、毫を包囲させた。
- 冬十月、蕭叔大心は戴・武・宣・穆・莊の五つの一族の兵を率い、さらに曹国の軍を合わせて毫を救援した。公子御説は毫の人々を悉く動員し、城を開いて呼応した。内外から挟み撃ちにされ、南宮牛は大敗して殺された。宋の兵はことごとく御説に降伏した。猛獲は宋に戻ることができず、まっすぐ衛国へと逃げ込んだ。
- 戴叔皮は御説に策を献じた。「降伏兵の旗印をそのまま用い、南宮牛らが既に毫の邑を破り御説を捕らえて凱旋したと偽って称しましょう」。そこでまず数人を先に遣わしてその噂を流した。南宮長萬はこれを信じて備えをしなかった。
- 多くの公子たちの兵が到着すると、城門を騙して開かせ、一斉になだれ込み、ただ「逆賊長萬一人だけを捕らえよ。他の者は驚かなくてよい」と叫ぶだけであった。長萬はにわかに為す術なく、急いで朝中に走り、公子游を奉じて逃げようとしたが、朝廷は甲士で満ち塞がっているのを見た。内侍が走り出て言った。「子游は既に多くの兵に殺されました」
- 長萬は長く嘆息し、列国の中で陳と宋だけが交わりがないと思い、陳に逃げようとした。しかしまた家に八十余歳の老母がいることを思い出し、嘆いて言った。「天倫は棄てられぬ」。そして身を翻して家に戻り、母を輦に乗せ、左手に戟を挟み、右手で輦を押しながら進み、門を斬り破って出た。その速さは風のようで、誰もあえて阻む者がなかった。宋国から陳までは二百六十余里離れているが、長萬は輦を押して一日で着いた。このような神力は古今稀にみるものであった。
宋桓公の即位と逆臣引渡しの要求
- さて多くの公子たちは子游を殺すと、公子御説を立てて即位させた。これが桓公である。戴叔皮を大夫に任じ、五つの一族の中の賢者を選んで公族大夫とした。蕭叔大心はそのまま蕭に戻って守った。使者を衛に遣わして猛獲を捕らえるよう求め、また使者を陳に遣わして南宮長萬を捕らえるよう求めた。
- 公子目夷はこのとき五歳で、宋の桓公の側に仕えていたが、笑って言った。「長萬は来ないでしょう」
- 宋公は言った。「幼子がどうしてそれが分かるのか」
- 目夷は言った。「勇力は人が敬うものです。宋が捨てた者を、陳は必ず庇うでしょう。手ぶらで行ったところで、陳がどうして我らに好意を示しましょうか」
- 宋公は大いに悟り、そこで重宝を持たせて贈らせることとした。
猛獲・南宮長萬の捕縛
- まず宋の使者が衛に至ると、衛の惠公は群臣に問うた。「猛獲を渡すのと渡さないのと、どちらが得策か」。群臣はみな言った。「窮して我らを頼ってきたのに、どうして棄てられましょうか」
- 大夫の公孫耳が諫めて言った。「天下の悪はみな同じです。宋の悪も衛の悪も変わりません。一人の悪人を留め置いて、衛に何の益がありましょうか。まして衛宋の友好は古くからのもの。獲を渡さなければ、宋は必ず怒るでしょう。一人の悪人を庇って一国の歓心を失うのは、良い策ではありません」
- 衛侯は言った。「よろしい」。そこで猛獲を縛って宋に渡した。
- 次に宋の使者が陳に至り、重宝を陳の宣公に献上した。宣公はその賂に目がくらみ、長萬を送ることを許した。しかし長萬の絶大な力を制するのは難しいと考え、必ず計略をもってこれを困らせなければならなかった。そこで公子結を遣わして長萬に言わせた。「わが君は貴殿を得たなら、なお十の城を得たにも等しいとお考えです。宋人が百度願い出ても、決して従いません。わが君は貴殿が疑念を抱かれることを恐れ、私を遣わして腹の底までお伝えさせるのです。もし陳国が狭いとお考えなら、さらに大国に移ってもよろしい。それまで数ヶ月ゆっくりお過ごしいただき、貴殿のために車馬を整えさせましょう」
- 長萬は涙を流して言った。「陳君が私を受け入れてくださるなら、私はこのうえ何を求めましょうか」。公子結は酒を持って歓談し、義兄弟の契りを結んだ。翌日、長萬は自ら公子結の家に赴いて礼を述べた。公子結はさらに歓待し、酒が進むと多くの侍女妾を出して勧めた。長萬は喜んで飲み大いに酔い、座席に横たわった。
- 公子結は力士に命じて犀の革でこれを包み、牛の筋で縛らせ、あわせてその老母を捕らえ、夜を徹して宋に送った。途中で長萬は目を覚まし、身をよじって暴れたが、革は堅く縛りは固く、ついに逃れることができなかった。宋の城に近づく頃には、犀の革はことごとく破れ、手足がみな外に露出していた。護送する兵はこれを槌で打ち、脛の骨はことごとく折れた。
- 宋の桓公は、長萬を猛獲と共に市場へ引き立てて縛り上げ、肉を刻んで泥のようにするよう命じた。料理人にこれを塩漬けにさせ、あまねく群臣に賜って言った。「臣として君に仕えることのできない者は、この塩漬け肉を見よ」。八十歳の老母も同じく誅殺された。髯翁に詩がある。
- (詩:惜しいことに強大無比な力を持ちながら、ただ母子の情だけを知って君臣の義に暗かった。ついには共に処刑され後悔しても及ばない、これを後世逆臣となる者への戒めとせよ、という趣旨)
蕭の昇格と華氏の存続
- 宋の桓公は蕭叔大心が毫を救った功があるとして、蕭を格上げして従属国とし、大心を蕭君と称した。華督が難に死んだことを念い、その子の華家を司馬に用いた。これより華氏は代々宋の大夫となった。
齊桓公の内政と豎貂・易牙の台頭
- さて齊の桓公は長勺での大敗の後、深く用兵を悔い、国事を管仲に委ね、日々婦人と酒を飲んで楽しんだ。国事について報告する者があると、桓公は言った。「なぜ仲父に告げないのか」
- 時に豎貂という寵童がいた。内庭に親しく近づきたいが往来が不便であったため、自ら宮刑を受けて仕えた。桓公はこれを憐れみ、寵愛はますます増し、左右を離さなかった。
- また齊の雍邑の人で巫という名の者がおり、これを雍巫、字を易牙といった。人となりは権謀術数に長け、弓馬に巧みで、あわせて料理の技に精通していた。ある日、衛姫が病にかかり、易牙が五味を調合して献じたところ、衛姫はこれを食べて治り、それゆえ彼を寵愛し身近に置いた。易牙はまたその美味をもって豎貂に取り入り、貂は彼を桓公に推薦した。
- 桓公は易牙を召して問うた。「お前は味付けが上手いそうだな」。答えて言った。「さようでございます」。桓公は戯れて言った。「寡人は鳥獣虫魚の味をほとんど試し尽くした。知らないのは、人肉の味がどのようなものかということだけだ」
- 易牙は退出すると、正午の食事に、蒸し肉一皿を献じた。柔らかいこと乳飲み子の羊のようで、しかもその甘美さはそれ以上であった。桓公はこれを食べ尽くし、易牙に問うた。「これは何の肉か。これほどまでに美味とは」
- 易牙は跪いて答えた。「これは人の肉でございます」。桓公は大いに驚き、問うた。「どこからこれを得たのか」
- 易牙は言った。「私の長子は三歳でございます。私は『忠君の者は自分の家を私しない』と聞いております。君はまだ人の味を召し上がったことがなかったので、私は子を殺して君の口に適うようにいたしました」
- 桓公は言った。「そなたは下がるがよい」。桓公は易牙が自分を愛するあまりだと考え、また寵信するようになった。衛姫もまた後宮の内から取りなして彼を褒め称えた。
- これより豎貂・易牙は内外で権勢をふるい、ひそかに管仲を妬んだ。ここに至り、豎貂と易牙は口をそろえて進言した。「『君が命令を出し、臣がそれを奉ずる』と申します。今、君は一に仲父、二に仲父と申され、齊国は君がいないかのように疑わしく思われております」
- 桓公は笑って言った。「寡人にとって仲父は、身体にとっての股肱のようなものだ。股肱があってこそ身体が成り立ち、仲父があってこそ君主が成り立つ。お前たちつまらぬ者に何が分かろうか」。二人はあえて再び言わなくなった。管仲が政をとって三年、齊国は大いに治まった。髯仙に詩がある。
- (詩:疑う人は用いず用いる人は疑うな、仲父はかつて独り齊を取り仕切った。桓公のように信任することができれば、豎貂・易牙のような輩の讒言など何の意味があろうか、という趣旨)
楚の強盛と蔡哀侯の捕縛、鬻拳の諫争
- 時に楚は勢いを強め、鄧を滅ぼし、権を攻め落として併呑し、隨を服させ、鄖を破り、絞と盟し、息を服属させて軍役に従わせた。漢水東方の小国はことごとく臣従して貢納しないものはなかった。ただ蔡だけは齊侯との婚姻を頼りとし、中原の諸侯と盟を通じ兵を合わせて、いまだ楚に服していなかった。文王熊貲に至って、王を称してすでに二代目であった。鬥祈・屈重・鬥伯比・薳章・鬥廉・鬻拳ら多くの人物を補佐とし、漢水北方を虎視眈々と窺い、次第に中原を侵犯する意図を持ち始めた。
- さて蔡の哀侯獻舞は、息侯と共に陳の女を夫人に娶っていた。蔡が娶ったのが先で、息が娶ったのが後であった。息夫人の媯氏は絶世の美貌の持ち主で、陳へ里帰りする途中、蔡国を通った。蔡の哀侯は言った。「私の妻の妹がここまで来たのだから、会わないわけにはいくまい」。そこで人を遣わして宮中に招き入れてもてなしたが、言葉に戯れが混じり、まったく客を敬う様子がなかった。息媯は大いに怒って去った。陳から息に戻る際には、蔡国には入らなかった。
- 息侯は蔡侯が自分の妻を軽んじたと聞き、これに報いようと考えた。そこで使者を楚に遣わして貢物を献じ、ひそかに楚の文王に告げた。「蔡は中原を頼みにして、楚に帰順を申し出ようとしません。もし楚の兵が我が国に加えられれば、私は蔡に救援を求めます。蔡君は勇猛で軽率な性格ですから、必ず自ら救援に来るでしょう。そこで私は楚と兵を合わせてこれを攻めれば、獻舞を捕虜にできましょう。既に獻舞を捕虜にすれば、蔡が朝貢しないことを心配する必要はなくなります」
- 楚の文王は大いに喜び、兵を興して息を討った。息侯は蔡に救援を求め、蔡の哀侯は果たして大軍を起こし、自ら息の救援に来た。陣営がまだ整わないうちに、楚の伏兵が一斉に立ち上がった。哀侯は防ぎきれず、急いで息城に逃げ込んだ。息侯は門を閉ざして受け入れず、哀侯はそのまま大敗して逃げた。楚の兵は後ろから追撃し、まっすぐ莘野に至り、哀侯を生け捕りにして帰国した。息侯は楚の軍を大いにねぎらい、楚の文王を国境まで見送って戻った。
- 蔡の哀侯は初めて息侯の計略にはまったことを知り、骨の髄まで恨んだ。楚の文王は帰国すると、蔡の哀侯を殺し、その肉を煮て太廟に供えようとした。鬻拳は諫めて言った。「王はまさに中原に事を起こそうとしておられます。もし獻舞を殺せば、諸侯はみな恐れるでしょう。彼を送り返して蔡との和睦を得るに越したことはありません」。繰り返し必死に諫めたが、楚の文王はまったく聞き入れなかった。
- 鬻拳は憤怒し、左手で王の袖を掴み、右手で佩刀を抜いて王に向けて言った。「私は王と共に死ぬべきです。王が諸侯を失うのを見るに忍びません」。楚王は恐れ、続けて言った。「孤はお前の言に従おう」。そこで蔡侯を放免した。
- 鬻拳は言った。「王が幸いにも私の言葉を聞き入れてくださったのは、楚国の福でございます。しかし臣が君を脅すというのは、罪は万死に値します。どうか斧の刃に伏させてください」
- 楚王は言った。「卿の忠心は太陽をも貫くほどだ。孤はお前を罪しない」
- 鬻拳は言った。「王が私を赦してくださっても、私自身がどうして自らを赦せましょうか」。そのまま佩刀で自らの足を切り落とし、大声で叫んだ。「臣として君に無礼を働いた者は、この姿を見よ」
- 楚王はその足を国の蔵に収めるよう命じた。「これによって孤が諫めに逆らった過ちを記すのだ」。医者に鬻拳の治療をさせたが、傷は癒えても歩くことはできなくなった。楚王は彼を大閽(門番の長)とし、城門を掌らせ、太伯と尊称した。
- そして蔡侯を釈放して帰国させることとし、大いに宴席を設けて送別し、席には盛大に女楽を並べた。箏を弾く女がおり、容姿は秀麗であった。楚王は蔡侯に指し示して言った。「この女は容色も技も共に優れている。一杯どうぞ」。そこでこの女に大杯で蔡侯に酒を勧めさせ、蔡侯は一気に飲み干した。返杯を注いで、自ら楚王の長寿を祝った。
- 楚王は笑って言った。「君侯は生涯で、絶世の美色を見たことがあるか」。蔡侯は息侯が楚を導いて蔡を破らせた恨みを思い出し、言った。「天下の美女で、息媯ほどの美しさの者はおりません。まことに天人でございます」
- 楚王は言った。「その容色はどのようなものか」。蔡侯は言った。「目は秋の水のように澄み、顔は桃の花のようで、背丈も適度で、立ち居振る舞いに趣きがあり、目の中に二人といないほどです」
- 楚王は言った。「寡人が一度息夫人を見ることができれば、死んでも悔いはない」
- 蔡侯は言った。「大王の威勢をもってすれば、齊の姫でも宋の女でも、手に入れるのに難しくはありますまい。ましてや大王の支配下にいる一婦人ぐらい、何ほどのこともありますまい」
- 楚王は大いに喜び、この日は歓を尽くして散会した。蔡侯はそのまま辞して本国に帰った。
楚王による息侯・息媯の拘束
- 楚王は蔡侯の言葉を思い、息媯を手に入れたいと思い、巡視の名目を借りて息国にやって来た。息侯は道の脇まで出迎え、極めて恭しく接した。自ら館舎を清掃し、朝堂に盛大な宴を設け、息侯は杯を執って進み出て楚王の長寿を祝った。
- 楚王は杯を手に取り、微笑んで言った。「かつて寡人は君夫人にわずかばかりの労を捧げたことがある。今、寡人がここに至ったからには、君夫人はどうして寡人に一杯注ぐことを惜しむだろうか」。息侯は楚の威勢を恐れ、あえて逆らわず、続けて承諾の言葉を発し、すぐに宮中に伝言した。
- しばらくすると、環と佩玉の音が聞こえ、夫人の媯氏が盛装で現れた。別に敷物を設けて、再拝して謝意を述べた。楚王は答礼が追いつかないほどであった。媯氏は白玉の杯に酒を満たして進めた。白い手が玉の色と映り合い、楚王はこれを見て大いに驚いた。まことに天上にのみ聞こえ人間界には稀に見るほどの美しさで、思わず手を伸ばしてその杯を直接受け取ろうとした。しかし媯氏は慌てず、杯を宮女に渡し、それを転じて楚王に渡させた。楚王は一気に飲み干した。媯氏はまた再拝して辞し宮に戻った。
- 楚王は息媯を心に念い、かえって酒を飲み尽くさなかった。宴が終わって館に戻ると、寝ても眠れなかった。
- 翌日、楚王もまた館舎に宴を設け、名目上は返礼としたが、ひそかに甲兵を伏せた。息侯が宴に赴き、酒が半ば進んだ頃、楚王は酔ったふりをして息侯に言った。「寡人は君夫人に大きな功があった。今、三軍がここにあるが、君夫人は寡人のために、この三軍を酒食でねぎらってはくれないだろうか」
- 息侯は辞退して言った。「わが国は狭小で、従者の方々を十分にもてなすことができません。どうか私の妻とよく相談させてください」
- 楚王は机を叩いて言った。「匹夫が義に背いて巧言をもって我を拒むとは。左右の者よ、なぜ捕らえないのか」。息侯がまさに弁明しようとしたところ、伏せていた甲兵がにわかに立ち上がり、薳章・鬥丹の二将が、席の間で息侯を捕らえて縛り上げた。
- 楚王は自ら兵を率いてまっすぐ息の宮中に入り、息媯を探した。息媯は変事を聞き、嘆いて言った。「虎を室に引き入れたのは、私自身の招いたことだ」。そのまま後園に走り込み、井戸に身を投げて死のうとした。鬥丹が前に進み出てその衣の裾を掴んで言った。「夫人は息侯の命を全うさせようとは思われませんか。どうして夫婦共に死のうとされるのですか」。息媯は黙り込んだ。
- 鬥丹は楚王に引き会わせた。楚王は優しい言葉で慰め、息侯を殺さず、息祀(息の宗廟の祭祀)を絶やさないことを約束した。そのまま軍中で息媯を夫人に立て、後ろの車に乗せた。その顔が桃の花に似ていることから、桃花夫人とも呼ばれた。今、漢陽府城外に桃花洞があり、その上に桃花夫人廟がある。これが即ち息媯である。唐の人、杜牧に詩がある。
- (詩:細腰宮の中で露に濡れた桃の花のように新しく、思いを黙して幾度も春を迎えた。畢竟、息が滅んだのは何のためか、口を閉ざして生き延びた息夫人に比べれば、金谷園で楼から身を投げた緑珠こそいじらしい、という趣旨)
- 楚王は息侯を汝水のほとりに安置し、十家分の邑を与えて息の祭祀を守らせた。息侯は憤懣のうちに死んだ。楚の無道は、これに至って極まったといえよう。後の事がどうなるか、次回を見よ。
原文(底本)
話說魯莊公大敗齊師,乃問於曹劌曰:「卿何以一鼓而勝三鼓,有說乎?」曹劌曰:「夫戰以氣為主,氣勇則勝,氣衰則敗。鼓,所以作氣也。一鼓氣方盛,再鼓則氣衰,三鼓則氣竭。吾不鼓以養三軍之氣,彼三鼓而已竭,我一鼓而方盈。以盈禦竭,不勝何為?」莊公曰:「齊師既敗,始何所見而不追,繼何所見而追?請言其故。」曹劌曰:「齊人多詐,恐有伏兵,其敗走未可信也。吾視其轍跡縱橫,軍心已亂,又望其旌旗不整,急於奔馳,是以逐之。」莊公曰:「卿可謂知兵矣!」乃拜為大夫。厚賞施伯薦賢之功。髯翁有詩云: 強齊壓境舉朝憂,韋布誰知握勝籌?莫怪邊庭捷報杳,繇來肉食少佳謀。 時周莊王十三年之春。齊師敗歸,桓公怒曰:「兵出無功,何以服諸候乎?」鮑叔牙曰:「齊魯皆千乘之國,勢不相下,以主客為強弱。昔乾時之戰,我為主,是以勝魯。今長勺之戰,魯為主,是以敗於魯。臣願以君命乞師於宋,齊宋同兵,可以得志。」桓公許之。乃遣使行聘於宋,請出宋師。宋閔公捷,自齊襄公時,兩國時常共事。今聞小白即位,正欲通好,遂訂師期,以夏六月初旬,兵至郎城相會。 至期,宋使南宮長萬為將,猛獲副之。齊使鮑叔牙為將,仲孫湫副之。各統大兵,集於郎城,齊軍於東北,宋軍於東南。魯莊公曰:「鮑叔牙挾忿而來,加以宋助,南宮長萬有觸山舉鼎之力,吾國無其對手。兩軍並峙,互為犄角,何以禦之?」大夫公子偃進曰:「容臣自出覘其軍。」還報曰:「鮑叔牙有戒心,軍容甚整。南宮長萬自恃其勇,以為無敵,其行伍雜亂。倘自雩門竊出,掩其不備,宋可敗也。宋敗,齊不能獨留矣。」莊公曰:「汝非長萬敵也。」公子偃曰:「臣請試之。」莊公曰:「寡人自為接應。」公子偃乃以虎皮百餘,冒於馬上,乘月色朦朧,偃旗息鼓,開雩門而出。將近宋營,宋兵全然不覺。公子偃命軍中舉火,一時金鼓喧天,直前衝突。火光之下,遙見一隊猛虎咆哮。宋營人馬,無不股慄,四下驚皇,爭先馳奔。南宮長萬雖勇,爭奈車徒先散,只得驅車而退。魯莊公後隊已到,合兵一處,連夜追逐。到乘邱地方,南宮長萬謂猛獲曰:「今日必須死戰,不然不免。」猛獲應聲而出,剛遇公子偃,兩下對殺。南宮長萬挺著長戟,直撞入魯侯大軍,逢人便刺。魯兵懼其驍勇,無敢近前。莊公謂戎右歂孫生曰:「汝素以力聞,能與長萬決一勝負乎?」歂孫生亦挺大戟,逕尋長萬交鋒。莊公登軾望之,見歂孫生戰長萬不下,顧左右曰:「取我金僕姑來!」(金僕姑者,魯軍府之勁矢也。)左右捧矢以進,莊公搭上弓弦,覷得長萬親切,颼的一箭,正中右肩,深入於骨。長萬用手拔箭,歂孫生乘其手慢,復儘力一戟,刺透左股。長萬倒撞於地,急欲掙扎,被歂孫生跳下車來,雙手緊緊按定,眾軍一擁上前擒住。猛獲見主將被擒,棄車而逃。魯莊公大獲全勝,嗚金收軍。歂孫生解長萬獻功。長萬肩股被創,尚能挺立,毫無痛楚之態。莊公愛其勇,厚禮待之。鮑叔牙知宋師失利,全軍而返。 是年,齊桓公遣大行隰朋,告即位於周,且求婚焉。明年,周使魯莊公主婚,將王姬下嫁於齊。徐、蔡、衛各以其女來媵。因魯有主婚之勞,故此齊魯復通,各捐兩敗之辱,約為兄弟。其秋,宋大水,魯莊公曰:「齊既通好,何惡於宋?」使人弔之。宋感魯恤災之情,亦遣人來謝,因請南宮長萬。魯莊公釋之歸國。自此三國和好,各消前隙。髯翁有詩曰: 乾時長勺互雄雌,又見乘邱覆宋師。勝負無常終有失,何如修好兩無危? 卻說南宮長萬歸宋,宋閔公戲之曰:「始吾敬子,今子魯囚也,吾弗敬子矣。」長萬大慚而退。大夫仇牧私諫閔公曰:「君臣之間,以禮相交,不可戲也。戲則不敬,不敬則慢,慢而無禮,悖逆將生,君必戒之!」閔公曰:「孤與長萬習狎,無傷也。」 再說周莊王十五年,王有疾,崩。太子胡齊立,是為僖王。訃告至宋。時宋閔公與宮人遊於蒙澤,使南宮長萬擲戟為戲。原來長萬有一絕技,能擲戟於空中,高數丈,以手接之,百不失一。宮人欲觀其技,所以閔公召長萬同遊。長萬奉命耍弄了一回,宮人都誇獎不已。閔公微有妒恨之意,命內侍取博局與長萬決賭,以大金斗盛酒為罰。這博戲卻是閔公所長。長萬連負五局,罰酒五斗,已醉到八九分地位了,心中不服,再請覆局。閔公曰:「囚乃常敗之家,安敢復與寡人賭勝?」長萬心懷慚忿,嘿嘿無言。忽宮侍報道:「周王有使命到。」閔公問其來意,乃是報莊王之喪,且告立新王。閔公曰:「周已更立新王,即當遣使弔賀。」長萬奏曰:「臣未睹王都之盛,願奉使一往!」閔公笑曰:「宋國即無人,何至以囚奉使?」宮人皆大笑。長萬面頰發赤,羞變成怒,兼乘酒醉,一時性起,不顧君臣之分,大罵曰:「無道昏君!汝知囚能殺人乎?」閔公亦怒曰:「賊囚!怎敢無禮!」便去搶長萬之戟,欲以刺之。長萬也不來奪戟,逕提博局,把閔公打倒。再復揮拳,嗚呼哀哉,閔公死於長萬拳下。宮人驚散。長萬怒氣猶勃勃未息,提戟步行。及於朝門,遇大夫仇牧,問:「主公何在?」長萬曰:「昏君無禮,吾已殺之矣。」仇牧笑曰:「將軍醉耶?」長萬曰:「吾非醉,乃實話也。」遂以手中血污示之。仇牧勃然變色,大罵:「弒逆之賊,天理不容!」便舉笏來擊長萬。怎當得長萬有力如虎,擲戟於地,以手來迎。左手將笏打落,右手一揮,正中其頭,頭如齏粉。齒折,隨手躍去,嵌入門內三寸。真絕力也!仇牧已死,長萬乃拾起畫戟,緩步登車,旁若無人。宋閔公即位共十年,只因一句戲言,遂遭逆臣毒手。春秋世亂,視弒君不啻割雞,可嘆,可嘆!史臣有《仇牧贊》云: 世降道斁,綱常掃地。堂簾不隔,君臣交戲。君戲以言,臣戲以戟。壯哉仇牧,以笏擊賊!不畏強禦,忠肝瀝血。死重泰山,名光日月。 太宰華督聞變,挺劍登車,將起兵討亂。行至東宮之西,正遇長萬。長萬並不交言,一戟刺去,華督墜於車下,又復一戟殺之。遂奉閔公之從弟公子游為君,盡逐戴、武、宣、穆、莊之族。群公子出奔蕭,公子御說奔毫。長萬曰:「御說文而有才,且君之嫡弟,今在毫,必有變。若殺御說,群公子不足慮也。」乃使其子南宮牛同猛獲率師圍毫。 冬十月,蕭叔大心率戴、武、宣、穆、莊五族之眾,又合曹國之師救毫。公子御說悉起毫人,開城接應。內外夾攻,南宮牛大敗被殺。宋兵盡降於御說。猛獲不敢回宋,逕投衛國去了。戴叔皮獻策於御說:「即用降兵旗號,假稱南宮牛等已克毫邑,擒了御說,得勝回朝。」先使數人一路傳言,南宮長萬信之,不做準備。群公子兵到,賺開城門,一擁而入,只叫「單要拿逆賊長萬一人,餘人勿得驚慌。」長萬倉忙無計,急奔朝中,欲奉子游出奔。見滿朝俱是甲士填塞,有內侍走出,言:「子游已被眾軍所殺。」長萬長嘆一聲,思列國惟陳與宋無交,欲待奔陳。又想家有八十餘歲老母,嘆曰:「天倫不可棄也!」復翻身至家,扶母登輦,左手挾戟,右手推輦而行,斬門而出,其行如風,無人敢攔阻者。宋國至陳,相去二百六十餘里,長萬推輦,一日便到。如此神力,古今罕有。 卻說群公子既殺子游,遂奉公子御說即位,是為桓公。拜戴叔皮為大夫。選五族之賢者,為公族大夫。蕭叔大心仍歸守蕭。遣使往衛,請執猛獲。再遣使往陳,請執南宮長萬。公子目夷時止五歲,侍於宋桓公之側,笑曰:「長萬不來矣!」宋公曰:「童子何以知之?」目夷曰:「勇力人所敬也,宋之所棄,陳必庇之。空手而行,何愛於我?」宋公大悟,乃命齎重寶以賂之。 先說宋使至衛,衛惠公問於群臣曰:「與猛獲,與不與孰便?」群臣皆曰:「人急而投我,奈何棄之?」大夫公孫耳諫曰:「天下之惡,一也。宋之惡,猶衛之惡。留一惡人,於衛何益。況衛宋之好舊矣,不遺獲,宋必怒。庇一人之惡,而失一國之歡,非計之善也。」衛侯曰:「善。」乃縛猛獲以畀宋。 再說宋使至陳,以重寶獻於陳宣公。宣公貪其賂,許送長萬。又慮長萬絕力難制,必須以計困之。乃使公子結謂長萬曰:「寡君得吾子,猶獲十城。宋人雖百請,猶不從也。寡君恐吾子見疑,使結布腹心。如以陳國褊小,更適大國,亦願從容數月,為吾子治車乘。」長萬泣曰:「君能容萬,萬又何求?」公子結乃攜酒為歡,結為兄弟。明日長萬親至公子結之家稱謝。公子結復留款,酒半,大出婢妾勸酬。長萬歡飲大醉,臥於坐席。公子結使力士以犀革包裹,用牛筋束之;並囚其老母,星夜傳至於宋。至半路,長萬方醒,奮身蹴踏,革堅縛固,終不能脫。將及宋城,犀革俱被掙破,手足皆露於外。押送軍人以槌擊之,脛骨俱折。宋桓公命與猛獲一同綁至市曹,剁為肉泥。使庖人治為醢,遍賜群臣曰:「人臣有不能事君者,視此醢矣!」八十歲老母,亦並誅之。髯翁有詩嘆曰: 可惜赳赳力絕倫,但知母子昧君臣。到頭駢戮難追悔,好諭將來造逆人。 宋桓公以蕭叔大心有救毫之功,升蕭為附庸,稱大心為蕭君。念華督死難,仍用其子家為司馬。自是華氏世為宋大夫。 再說齊桓公自長勺大挫之後,深悔用兵。乃委國管仲,日與婦人飲酒為樂。有以國事來告者,桓公曰:「何不告仲父?」時有豎貂者,乃桓公之幸童。因欲親近內庭,不便往來,乃自宮以進。桓公憐之,寵信愈加,不離左右。又齊之雍邑人名巫者,謂之雍巫,字易牙,為人多權術,工射御,兼精於烹調之技。一日,衛姬病,易牙和五味以進,衛姬食之而愈,因愛近之。易牙又以滋味媚豎貂,貂薦之於桓公。桓公召易牙而問曰:「汝善調味乎?」對曰:「然。」桓公戲曰:「寡人嘗鳥獸蟲魚之味幾遍矣。所不知者,人肉味何如耳?」易牙既退,及午膳,獻蒸肉一盤,嫩如乳羊,而甘美過之。桓公食之盡,問易牙曰:「此何肉,而美至此?」易牙跪而對曰:「此人肉也。」桓公大驚,問:「何從得之?」易牙曰:「臣之長子三歲矣。臣聞『忠君者不有其家。』君未嘗人味,臣故殺子以適君之口。」桓公曰:「子退矣!」桓公以易牙為愛己,亦寵信之。衛姬復從中稱譽。自此豎貂易牙內外用事,陰忌管仲。至是,豎貂與易牙合詞進曰:「聞『君出令,臣奉令』,今君一則仲父,二則仲父,齊國疑於無君矣!」桓公笑曰:「寡人於仲父,猶身之有股肱也。有股肱方成其身,有仲父方成其君。爾等小人何知?」二人乃不敢再言。管仲秉政三年,齊國大治。髯仙有詩云: 疑人勿用用無疑,仲父當年獨制齊。都似桓公能信任,貂巫百口亦何為? 是時楚方強盛,滅鄧,克權,服隨,敗鄖,盟絞,役息。凡漢東小國,無不稱臣納貢。惟蔡恃與齊侯婚姻,中國諸侯通盟同兵,未曾服楚。至文王熊貲,稱王已及二世。有鬥祈、屈重、鬥伯比、薳章、鬥廉、鬻拳諸人為輔,虎視漢陽,漸有侵軼中原之意。 卻說蔡哀侯獻舞,與息侯同娶陳女為夫人。蔡娶在先,息娶在後。息夫人媯氏有絕世之貌,因歸寧於陳,道經蔡國。蔡哀侯曰:「吾姨至此,豈可不一相見?」乃使人要至宮中款待,語及戲謔,全無敬客之意。息媯大怒而去。及自陳返息,遂不入蔡國。息侯聞蔡侯怠慢其妻,思有以報之。乃遣使入貢於楚,因密告楚文王曰:「蔡恃中國,不肯納款。若楚兵加我,我因求救於蔡,蔡君勇而輕,必然親來相救。我因與楚合兵攻之,獻舞可虜也。既虜獻舞,不患蔡不朝貢矣。」楚文王大喜,乃興兵伐息。息侯求救於蔡,蔡哀侯果起大兵,親來救息。安營未定,楚伏兵齊起。哀侯不能抵當,急走息城。息侯閉門不納,乃大敗而走。楚兵從後追趕,直至莘野,活虜哀侯歸國。息侯大犒楚軍,送楚文王出境而返。蔡哀侯始知中了息侯之計,恨之入骨。楚文王回國,欲殺蔡哀侯烹之,以饗太廟。鬻拳諫曰:「王方有事中原,若殺獻舞,諸侯皆懼矣!不如歸之,以取成焉。」再四苦諫,楚文王只是不從。鬻拳憤氣勃發,乃左手執王之袖,右手拔佩刀擬王曰:「臣當與王俱死,不忍見王之失諸侯也!」楚王懼,連聲曰:「孤聽汝!」遂捨蔡侯。鬻拳曰:「王幸聽臣言,楚國之福。然臣而劫君,罪當萬死。請伏斧鑕!」楚王曰:「卿忠心貫日,孤不罪也。」鬻拳曰:「王雖赦臣,臣何敢自赦?」即以佩刀自斷其足,大呼曰:「人臣有無禮於君者,視此!」楚王命藏其足於大府:「以識孤違諫之過!」使醫人療治鬻拳之病,雖愈不能行走。楚王使為大閽,以掌城門,尊之曰太伯。遂釋蔡侯歸國,大排筵席,為之餞行,席中盛張女樂。有彈箏女子,儀容秀麗。楚王指謂蔡侯曰:「此女色技俱勝,可進一觴。」即命此女以大觥送蔡侯,蔡侯一飲而盡。還斟大觥,親為楚王壽。楚王笑曰:「君生平所見,有絕世美色否?」蔡侯想起息侯導楚敗蔡之仇,乃曰:「天下女色,未有如息媯之美者,真天人也。」楚王曰:「其色何如?」蔡侯曰:「目如秋水,臉似桃花,長短適中,舉動生態,目中未見其二!」楚王曰:「寡人得一見息夫人,死不恨矣!」蔡侯曰:「以君之威,雖齊姬宋子,致之不難,何況宇下一婦人乎?」楚王大悅,是日盡歡而散。蔡侯遂辭歸本國。 楚王思蔡侯之言,欲得息媯,假以巡方為名,來至息國。息侯迎謁道左,極其恭敬。親自闢除館舍,設大饗於朝堂,息侯執爵而前,為楚王壽。楚王接爵在手,微笑而言曰:「昔者寡人曾效微勞於君夫人,今寡人至此,君夫人何惜為寡人進一觴乎?」息侯懼楚之威,不敢違拒,連聲唯唯,即時傳語宮中。不一時,但聞環珮之聲,夫人媯氏盛服而至,別設毯褥,再拜稱謝。楚王答禮不迭。媯氏取白玉卮滿斟以進。素手與玉色相映,楚王視之大驚。果然天上徒聞,人間罕見,便欲以手親接其卮。那媯氏不慌不忙,將卮遞與宮人,轉遞楚正。楚王一飲而盡。媯氏復再拜請辭回宮。楚心念息媯,反未盡飲。席散歸館,寢不能寐。次日,楚王亦設享於館舍,名為答禮,暗伏兵甲。息侯赴席,酒至半酣,楚王假醉,謂息侯曰:「寡人有大功於君夫人,今三軍在此,君夫人不能為寡人一犒勞乎?」息侯辭曰:「敝邑褊小,不足以優從者,容與寡小君圖之。」楚王拍案曰:「匹夫背義,敢巧言拒我?左右何不為我擒下!」息侯正待分訴,伏甲猝起,薳章鬥丹二將,就席間擒息侯而縶之。楚王自引兵逕入息宮,來尋息媯。息媯聞變,嘆曰:「引虎入室,吾自取也!」遂奔入後園中,欲投井而死。被鬥丹搶前一步,牽住衣裾曰:「夫人不欲全息侯之命乎?何為夫婦俱死!」息媯嘿然。鬥丹引見楚王,楚王以好言撫慰,許以不殺息侯,不斬息祀。遂即軍中立息媯為夫人,載以後車。以其臉似桃花,又曰桃花夫人。今漢陽府城外有桃花洞,上有桃花夫人廟,即息媯也。唐人杜牧有詩云: 細腰宮裏露桃新,脈脈無言幾度春。畢竟息亡緣底事?可憐金谷墜樓人! 楚王安置息侯於汝水,封以十家之邑,使守息祀。息侯忿鬱而死。楚之無道,至此極矣!要知後事如何,且看下回分解。
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