東周列國志第二十二回 公子友、二たび魯君を定める/斉の皇子、独り委蛇に対する (公子友兩定魯君 齊皇子獨對委蛇)

荘公の兄弟と哀姜の密通

  • 話は変わって、公子慶父、字は仲、魯の荘公の庶兄である。同母弟の名は牙、字は叔で、荘公の庶弟である。荘公の同母弟は公子友といい、手の中に生まれつき「友」という文字を成していたことから名としており、字は季、季友と呼ばれた。三人はみな兄弟で大夫であったが、一つには正妻の子か側室の子かの区別があり、二つには季友がもっとも賢かったため、荘公はひとり季友を深く信頼していた。
  • 荘公が即位して三年目、郎台に遊んだ折、台上から黨氏の娘、孟任を見かけ、その容色が殊に麗しかったので、内侍に召させた。孟任は従わなかった。荘公は言った。「もし我に従えば、汝を夫人に立てよう」。孟任は誓いを立てることを求め、荘公はこれを許した。孟任はついに自らの腕を割いて血の誓いを神に立て、荘公とともに台上に宿り、そのまま宮へ連れ戻された。一年余り後、一子を生み、名を般といった。荘公は孟任を夫人に立てようとしたが、母の文姜に許しを請うと、文姜は許さなかった。必ずその子と母方の家とを縁組みさせようとし、襄公が初めて生んだ娘との婚約を定めた。ただ姜氏がまだ幼かったため、二十歳になるまで待って、ようやく娶り帰った。そのため孟任は夫人に立てられぬまま二十余年を過ごしたが、それでも後宮の政を取り仕切っていた。姜氏が魯に嫁いで夫人となる頃には、孟任はすでに病に伏し起き上がれなくなっていた。まもなく死去し、妾の礼をもって葬られた。
  • 姜氏は久しく子がなかった。その妹叔姜が付き添って嫁ぎ、一子を生んで啓といった。以前、妾の風氏、須句子(須句国の君主)の娘であった者が一子を生んで申といった。風氏はこの申を季友に託し、跡継ぎに立てようと謀った。季友は「子般が年長である」と言って、これを止めた。姜氏は夫人であったが、荘公は自分の父を殺した仇の一族であることを念頭に置き、表面は礼を尽くしても内心は深く寵愛しなかった。公子慶父は魁偉で堂々とした風貌であったので、姜氏は彼に目をつけ、内侍を使ってひそかに言葉を通わせ、ついに慶父と密通し、親密さはまことに深くなった。そして姜氏は叔牙とも一党を組み、いつか共に慶父を助けて君に立て、叔牙を相とすることを約束し合った。髯翁の詩がある。

(詩:鄭衛の淫らな風はただの常のことに過ぎないが、さらに斉の風は防ぎようもないほどのもの、笑うべきは魯の国がこのような縁を結んだこと、文姜の後には哀姜が現れたと詠う)

圉人犖の恨み

  • 荘公三十一年、一冬雨がなく、雩祭(雨乞いの祭)を行おうとした。その前日、大夫梁氏の庭で楽を演じた。梁氏には容色まことに美しい娘がおり、公子般はこれを気に入り、ひそかに往来し、いつか夫人として迎える約束までしていた。この日、梁の娘は塀に梯子をかけて演楽を見物していた。圉人(馬飼い)の犖が塀の外からこの梁女の姿を垣間見て、塀の下に立ち、わざと歌を作って挑みかけた。歌にはこうある。

(詩:桃の花は美しく咲き、冬にあってもいっそう芳しい、心に結ぶ思いは深く、塀を越えることができない、共に翼を並べる鳥となり、鴛鴦になりたいものだと詠う)

  • 公子般もまた梁氏の家で雩祭を見物しており、歌声を聞いて出て見た。圉人犖を見て大いに怒り、左右に命じて捕らえさせ、鞭打ち三百、血が地に流れた。犖は再三哀れみを乞い、ようやく釈放された。公子般はこれを荘公に訴えた。荘公は言った。「犖の無礼は、殺すべきであり、鞭打つべきではなかった。犖の勇猛さと敏捷さは天下に比べる者がなく、鞭を打たれれば、必ずお前を恨むであろう」。もともと圉人犖は絶大な力の持ち主として知られ、かつて稷門の城楼に登り、身を飛ばして下り、地に着くと、また身を躍らせて一躍し、楼屋の角に手をかけ、これを揺さぶると、楼全体が震動したことがあった。荘公が犖を殺すことを勧めたのも、その勇猛を畏れたからである。子般は言った。「彼は匹夫に過ぎません。何を憂うことがありましょう」。圉人犖は果たして子般を恨み、慶父の門下に身を投じた。

叔牙の鴆殺と荘公の薨去

  • 翌年秋、荘公は病が重くなり、心中慶父を疑った。そこで故意に先に叔牙を召し、後継のことを尋ねた。叔牙は果たして慶父の才を盛んに称え、「もし魯国を主とすれば、社稷は安泰でしょう。それに一代ごとに交互に立てるのは魯国の慣わしでございます」と言った。荘公は返答しなかった。叔牙が退出すると、再び季友を召して尋ねた。季友は答えて言った。「君侯は孟任と誓いをお交わしになっております。すでにその母を降格した上で、さらにその子を廃することができましょうか」。荘公は「叔牙は寡人に慶父を立てるよう勧めたが、どうか」と尋ねた。季友は言った。「慶父は残忍で情愛に薄く、人君の器ではありません。叔牙は兄に私情を持っています。聞き入れてはなりません。臣は死をもって般をお守りいたします」。荘公はうなずいたが、そのまま言葉を発せなくなった。
  • 季友は宮を出ると、急いで内侍に命じて荘公の口伝の言葉を伝えさせ、叔牙に大夫鍼季の家で待つよう命じた。すぐに君命が届くという名目であった。叔牙は果たして鍼氏のもとへ行った。季友は毒酒の瓶を用意し、鍼季に叔牙を毒殺させようとした。さらに自ら書状を書いて牙に送った。「君のご命令である。公子には死を賜る。公子がこれを飲んで死ねば、子孫は代々その地位を失うことはない。さもなければ一族もろとも滅ぼされよう」。叔牙はなおも服そうとしなかったが、鍼季は耳をつかんで無理やり飲ませた。しばらくして、九つの穴(全身の穴)から血を流して死んだ。史官が叔牙を鴆殺したことを論じる詩がある。

(詩:周公は管叔を誅して周室を安んじ、季友は牙を毒殺して魯邦を鎮めた、国のために肉親を滅ぼすことは真の大義であり、六朝の世はいったいどういうわけで、あれほど残忍に肉親同士が殺し合ったのかと詠う)

  • その夕、荘公は薨じた。季友は公子般を奉戴して喪主とし、国人に来年改元することを告げた。各国が弔いを送った。これは言うまでもない。

子般の弑逆

  • 冬十月、子般は外祖父方の黨氏の恩を念じ、外祖父の黨臣が病死したと聞き、その喪に赴いた。慶父はひそかに圉人犖を召して言った。「鞭で打たれた恨みを覚えているか。蛟龍が水を離れれば、匹夫でも制することができる。お前はなぜ黨氏でこれに報いないのか。わたしが後ろ盾になってやる」。犖は言った。「もし公子が助けてくださるなら、どうして命令に従わずにおられましょうか」。そこで利刃を懐に入れ、夜陰に乗じて黨大夫の家に急行した。時にすでに三更、塀を越えて入り込み、家の外に伏せて待った。夜明け近くになり、小内侍が門を開いて水を汲もうとしたとき、圉人犖は突然寝室に入り込んだ。子般はちょうど床から降りて履を履こうとしていたところで、驚いて問うた。「お前はどうしてここにいるのか」。犖は言った。「去年鞭打たれた恨みを報いに来たのだ」。子般は急いで床頭の剣を取って斬りかかった。額を傷つけ、脳に達した。犖は左手で剣を受け止め、右手で刃を握って般を刺し、脇腹に当たって般は死んだ。内侍は驚いて黨氏に知らせた。黨氏の家人たちは武器を取って一斉に犖を攻め、犖は脳を破られていて戦うことができず、大勢に斬りつけられて泥のようになった。
  • 季友は子般の変事を聞き、慶父の仕業と知り、禍が自分に及ぶことを恐れて、陳国へ出奔して難を避けた。慶父は何も知らないふりをして、圉人犖に罪を負わせ、その家を滅ぼして国人へ言い訳をした。夫人姜氏は慶父を立てようとした。慶父は言った。「二人の公子(申・啓)がまだ生きている以上、彼らを皆殺しにしなければ、代わることはできない」。姜氏は「では申を立てるか」と尋ねた。慶父は言った。「申は年長で制しにくい。啓を立てるにこしたことはない」。そこで子般のために喪を発し、訃告を出すことを口実に、自ら斉国へ赴いて子般の変事を告げ、豎貂に賄賂を贈り、子啓を君として立てた。時に年八歳、これが閔公である。閔公は叔姜の子であり、叔姜は夫人姜氏の妹である。閔公は斉の桓公の甥にあたる。

閔公の求援と季友の召還

  • 閔公は内には哀姜を畏れ、外には慶父を畏れ、母の実家の力を借りようとした。そこで人を遣って斉の桓公と落姑の地で会見することを約した。閔公は桓公の衣をつかみ、慶父の内乱の事情をひそかに訴え、涙を止めなかった。桓公は言った。「今、魯の大夫で誰がもっとも賢いか」。閔公は言った。「季友がもっとも賢いのですが、今は陳国に難を避けています」。桓公は言った。「なぜ召し戻さないのか」。閔公は言った。「慶父に疑われることを恐れております」。桓公は言った。「ただ寡人の意向として出せば、誰が敢えて逆らおうか」。そこで人を遣り、桓公の命として季友を陳から召した。閔公は郎の地に留まり、季友の到着を待って、ともに車に乗って帰国し、季友を相として立てた。斉侯の命令だと言い訳をして、従わざるを得なかったのである。時に周の恵王の六年、魯の閔公の元年であった。
  • この冬、斉侯は再び魯の君臣がその地位を安んじないことを恐れ、大夫仲孫湫を遣わして表向きは慰問の使いとし、あわせて慶父の動静を窺わせた。閔公は仲孫湫に会うと、涙を流して言葉にならなかった。後に公子申に会い、魯の事情について語り合うと、まことに条理があった。仲孫は「これは治国の器である」と言った。季友に善く彼を扱うよう頼んだ。それを機に季友に早く慶父を除くことを勧めると、季友は片手を伸ばして示した。仲孫はすでに孤掌鳴らし難しの意を悟り、「湫は我が君に申し上げましょう。もし緩急があれば、坐視はいたしません」と言った。慶父は重い賄賂を持って仲孫に会いに来た。仲孫は言った。「もし公子が社稷に忠であるならば、わが君もその恩恵を受けよう。どうしてただ湫だけの問題だろうか」と、固く辞退して受け取らなかった。慶父は恐れ入って退いた。仲孫は閔公に別れを告げて帰り、桓公に言った。「慶父を除かなければ、魯の難はやみません」。桓公は言った。「寡人が兵を用いてこれを除けばどうか」。仲孫は言った。「慶父の凶悪はまだ表に出ておりません。討伐には名分がありません。臣が観るに、彼の志は臣下の位に甘んじるものではなく、必ずまた変事を起こすでしょう。その変事に乗じて誅すれば、これが覇王の業というものです」。桓公は「よろしい」と言った。

閔公弑逆

  • 閔公二年、慶父の簒奪の謀はいよいよ急を告げたが、閔公が斉侯の甥であり、また季友が忠心をもって輔佐していたため、軽々しく動くことができなかった。ある日、門番が「大夫卜齮が訪ねて来られました」と報告した。慶父は書斎に迎え入れると、卜齮が怒気凄まじく、その来意を尋ねた。卜齮は訴えた。「わたしには太傅慎不害の田荘と隣接する田があるのですが、慎不害に無理やり奪われました。主公に訴えましたが、主公は師である太傅をかばい、逆にわたしに譲るよう勧めました。それで承服できず、特に公子のもとへ参り、主公の前で一言取り成していただきたく思います」。慶父は従者を退け、卜齮に言った。「主公は年幼くて分別がなく、たとえ言っても聞き入れまい。もしお前が大事を行うつもりなら、わたしがお前のために慎不害を殺してやろうか」。卜齮は言った。「季友がいる限り、免れられないのではと恐れます」。慶父は言った。「主公には子供っぽいところがあり、いつも夜に武闈を抜け出して街を出歩いておられる。お前は武闈に人を伏せておき、彼が出て来るのを待って刺せばよい。ただ盗賊の仕業と言うだけで、誰が知ろうか。わたしは国母の命として代わって君に立ち、季友を追い出すのは手のひらを返すようなものだ」。卜齮は承諾した。そこで勇士を求め、秋亜という者を得て、鋭利な匕首を授け、武闈に潜ませた。
  • 閔公は果たして夜に出かけ、秋亜が突然起こって刺殺した。左右の者が驚いて叫び、秋亜を捕らえた。卜齮は家兵を率いてこれを奪い去った。慶父は慎不害を家で殺した。季友は変事を聞くと、夜に公子申の門を叩き、蹴って起こし、慶父の乱を告げ、二人は共に邾国へ出奔して難を避けた。髯翁の詩がある。

(詩:子般が弑され閔公も殺されたのは、刃を執ったのは当時誰の指図であったか、魯の乱はすべて後宮から起こったこと、妻を娶るならなぜよりによって斉姜(斉の女)を選んだのかと詠う)

慶父の出奔と僖公の擁立

  • さて国人は普段から季友を素直に慕っていたが、魯侯が殺され、相国が出奔したと聞き、国じゅうが狂ったようになり、みな卜齮を怨み慶父を恨んだ。この日、国中は市を閉じ、千人もの人が集まり、まず卜齮の家を取り囲み、一族もろとも殺した。さらに慶父を攻めようとし、集まる人はますます増えた。慶父は人心が自分に付かないと知り、出奔をたくらんだ。かつて斉侯が莒の力を借りて帰国し位に復したことを思い出し、斉と莒には恩義があり、莒を通じて斉に取り成しを頼めるかもしれないと考えた。加えて文姜にはもともと莒の医者との縁があり、今の夫人姜氏は文姜の姪であるから、この縁で何事もうまく託せるだろうと思った。そこで商人に扮し、財貨を満載した車に乗って莒国へ出奔した。
  • 夫人姜氏は慶父が莒へ出奔したと聞き、自分の身も安泰でないと思い、やはり莒国へ逃れようとした。左右の者は言った。「夫人は仲(慶父)の件で国人の怒りを買っておられます。今また同じ一国に集まっては、誰があなたを容れましょうか。季友は邾におり、人々の心はそちらにあります。夫人は邾へ行き、季にお慈悲を乞われるほうがよろしいでしょう」。そこで邾国へ逃れ、季友に面会を求めた。季友はこれを拒んで会わなかった。季友は慶父と姜氏がともに出奔したと聞き、そこで公子申を魯へ連れ帰り、あわせて人を遣って斉に難を告げた。
  • 斉の桓公は仲孫湫に言った。「今、魯国には君がいない。取ってしまってはどうか」。仲孫湫は言った。「魯は礼を守る国です。たとえ弑逆の乱に遭ったとしても、それは一時の変事に過ぎず、人心はいまだ周公を忘れておりません。取るべきではありません。まして公子申は国政に明るく、季友には乱を治める才があります。必ず民衆を安んじられるでしょう。取るよりも、これを機にこの国を守り立てるのがよいでしょう」。桓公は「承知した」と言った。そこで上卿高傒に命じ、南陽の甲冑を着けた兵三千人を率いさせ、高傒に申し付けた。「機を見て動け。公子申が果たして社稷を主とするに堪えるならば、すぐに擁立して君とし、隣国のよしみを修めよ。そうでなければ、その地を併合してよい」。高傒は命を受けて出発した。魯国に到着すると、ちょうど公子申と季友も帰り着いたところであった。高傒は公子申の相貌が端正で、議論が理にかなっているのを見て、心中大いに敬った。そこで季友と計を定め、公子申を擁立して君とした。これが僖公である。その甲冑の兵に魯人を助けさせ、鹿門の城を築かせ、邾莒の変に備えた。季友は公子奚斯を高傒に随伴させ、斉に至って斉侯が国を定めてくれた功に謝意を表させた。一方で人を莒に遣り、莒人の手を借りて慶父を殺そうとし、重い賄賂を約束した。

慶父の自害

  • さて慶父は莒に逃れたとき、魯国の宝器を持ち出しており、莒の医者を通じてこれを莒子に献上したので、莒子はこれを受け取っていた。しかし今また魯の重い賄賂に貪り、人を遣って慶父に言わせた。「莒国は狭小ゆえ、公子のために兵端を開くことを恐れます。どうか公子は他国へお移りください」。慶父はまだ行かないうちに、莒子は令を下して追い出した。慶父は豎貂がかつて賄賂を受け取り自分に好意的だったことを思い、邾から斉へ向かった。しかし斉の国境の役人はもとより慶父の悪を知っていたため、勝手に受け入れることができず、慶父は汶水のほとりに身を寄せて住んだ。ちょうど公子奚斯が斉への謝意を伝える使命を終えて、汶水まで帰り着き、慶父と出会い、彼を連れて帰国しようとした。慶父は言った。「季友は必ずわたしを受け入れないだろう。子魚(奚斯の字)がわたしのために言葉を取り次いでくれれば、先君の血筋を思い、命を長らえさせていただき、一介の匹夫として生涯を終えられれば、死しても朽ちることはない」。
  • 奚斯は魯に戻って復命し、慶父の言葉を伝えた。僖公はこれを許そうとした。季友は言った。「君を弑した者を誅しなければ、何をもって後世を戒めましょうか」。そこでひそかに奚斯に言った。「慶父がもし自ら命を絶てば、なお後継ぎを立てて祭祀を絶やさないようにできる」。奚斯は命を受け、再び汶上へ赴いたが、慶父に告げるに忍びず、門外で号泣した。慶父はその声を聞き、奚斯と知って嘆じて言った。「子魚が中に入らず外で哭くのがあれほど哀しいということは、わたしは免れられぬのだ」。そこで帯を解いて木に首を吊り、死んだ。奚斯はそこで入って遺体を納棺し、戻って僖公に報告した。僖公は嘆息してやまなかった。
  • 突然、莒子がその弟嬴拿に兵を率いさせ、国境に臨んで慶父の死を聞いたのに謝礼を求めてきたとの報告があった。季友は言った。「莒人はかつて慶父を捕らえて差し出したことはない。どうして功があると言えようか」。そこで自ら軍を率いて迎え撃つことを請うた。僖公は帯びていた宝刀を解いて贈り、「この刀は『孟労』という。長さ一尺に満たないが、鋭利さは比類がない。叔父よ、これを大切にせよ」と言った。季友はこれを腰に懸け、恩を謝して出発した。

季友の武勇

  • 酈の地に至ると、莒の公子嬴拏が陣を敷いて待ち構えていた。季友は言った。「魯は新たに君を立てたばかりで、国事はまだ定まっていない。もし戦って勝てなければ、人心が動揺してしまう。莒拿は貪欲で謀がない。わたしは計をもってこれを取ろう」。そこで陣前に出て、嬴拿に面会を求めた。それから彼にこう言った。「わたしたち二人が互いに愛し合っていないからといって、士卒に何の罪があろうか。聞けば公子は力多く格闘に長けているとのこと。友は武器を互いに捨てて、公子と徒手で雌雄を決してみたい。どうか」。嬴拏は「大いによろしい」と言った。両軍は互いに兵士を退かせ、戦場で対決した。一進一退、どちらにも隙がなかった。約五十余合を戦ったところ、季友の子行父は当時八歳であったが、友はこの子をたいそう可愛がっており、共に軍中にあり、傍らでこの戦いを見ていたが、父が勝てないのを見て、しきりに「『孟労』はどこにあるのですか」と叫んだ。季友はふと悟り、わざと隙を見せ、嬴拏を一歩踏み込ませた。季友は身をわずかにひねり、腰から「孟労」を抜いた。手を返して一振りすると、眉から額まで、脳天の半分を削ぎ落とした。刃には血の跡もない、まことの宝刀であった。莒軍は主将が倒されるのを見て、交戦を待たずにそれぞれ逃げ散った。季友は完全な勝利を収め、凱旋して朝廷に戻った。

三桓の成立

  • 僖公は自ら郊外まで季友を出迎え、上相に立て、費の邑を領地として賜った。季友は奏上して言った。「臣と慶父・叔牙は皆桓公(魯の桓公)の孫にあたります。臣は社稷のために叔牙を毒殺し、慶父を縊死に追い込みました。大義のために肉親を滅ぼしたこと、まことにやむを得ぬこととはいえ、今、二人はともに後継ぎを絶たれ、臣ひとりが栄爵を受け大邑を賜るとあっては、臣は何の面目あって桓公にあの世でまみえられましょうか」。僖公は言った。「二人は逆を謀った者。封を与えることは制度に反しないだろうか」。季友は言った。「二人には逆心はあったが逆事の実行はありませんでした。しかもその死は刑罰による処刑ではありません。並べて後継ぎを立てるのがよろしく、それによって肉親を親しむ道義を明らかにできます」。僖公はこれに従った。そこで公孫敖を慶父の後継として立て、これが孟孫氏である。慶父の字は仲であり、後世の人はその字をもって氏とし、もとは仲孫といったが、慶父の悪を憚って孟と改めた。孟孫氏は成の地に領地を得た。公孫茲を叔牙の後継として立て、これが叔孫氏であり、郈の地に領地を得た。季友は費に領地を得て、さらに汶陽の田を加増され、これが季孫氏である。こうして季・孟・叔の三家が鼎のように立ち並び、共に魯の政を執った。これを「三桓」という。
  • この日、魯の南門が理由もなく自然に崩れた。識者はこれを、高い所ゆえに突然崩れたものであり、いつか下克上の禍があることの前兆であると考えた。兆はすでに現れていたのである。史官の詩がある。

(詩:手の中の文様が異例の功績をすでに褒めているが、孟孫・叔孫の両家までもが並んで封じられたのはどうしたことか、乱世には天の心もかえって逆を助けるものか、三家の子孫はみな桓公の血筋であると詠う)

哀姜の最期

  • 話は変わって、斉の桓公は姜氏が邾にいると知り、管仲に言った。「魯の桓公と閔公の二君が天寿を全うできなかったのは、みなわが姜氏の血筋の女によるものだ。もし討伐を行わなければ、魯人は必ずこれを教訓とし、婚姻のよしみは絶えてしまうだろう」。管仲は言った。「女子はすでに嫁いだ以上、夫の家に従うもの。夫の家で罪を得たことは、実家が咎めるべきことではありません。君がこれを討とうとするなら、その事を隠すべきです」。桓公は「よろしい」と言った。そこで豎貂を邾に遣り、姜氏を魯へ送らせた。姜氏が夷の地に至り、宿舎に泊まったとき、豎貂は姜氏に告げた。「夫人は二君の弑逆に関わり、斉魯とも知らぬ者はありません。夫人がこのまま帰られては、どんな顔をして太廟にまみえられましょうか。むしろ自ら命を絶たれるほうが、まだ自分を覆い隠せましょう」。姜氏はこれを聞いて門を閉じて泣き伏し、真夜中には静まり返っていた。豎貂が門を開いて見ると、すでに自ら首を吊って死んでいた。
  • 豎貂は夷の宰にこれを告げ、殯の事を執り行わせ、急いで僖公に知らせた。僖公はその遺骸を迎えて帰り、礼を尽くして葬った。「母子の情は絶つことはできない」と言い、諡して哀と名づけ、それゆえ哀姜と呼ばれる。八年後、僖公は荘公に太廟で配祀すべき夫人がいないことから、なお哀姜を太廟に合祀した。これは過度な厚遇であった。

皇子と委蛇

  • さて斉の桓公は燕を救い魯を定めて以来、威名はますます高まり、諸侯は悦んで服従した。桓公はますます管仲を信任し、もっぱら酒宴と狩猟を楽しみとするようになった。ある日、大澤の陂で狩をした。豎貂が御者を務め、車を馳せ馬を駆り、射的を競って喜んでいた。桓公は突然目を止めて見つめ、しばらく無言のまま、恐れるような様子を見せた。豎貂は「君侯は何を見つめておられるのですか」と尋ねた。桓公は言った。「寡人はたった今一つの化け物を見た。その姿はまことに怪しく恐ろしいもので、しばらくして忽然と消えた。おそらく不吉な前兆ではないか」。豎貂は「鬼は陰の物、どうして昼間に現れましょうか」と言った。桓公は言った。「先君が姑棼で狩をした折、大きな豕を見たのも昼のことであった。お前は寡人のために急いで仲父を召してくれ」。豎貂は言った。「仲父は聖人ではありません。どうして鬼神のことを悉く知ることができましょうか」。桓公は言った。「仲父は『俞児』を識ることができた。どうして聖人でないと言えようか」。豎貂は言った。「君が先に俞児の様子を語られたのであって、仲父はそれに乗じて君の意に迎合し、美しい話を飾って君の心を動かしただけです。君は今度はただ鬼を見たとだけ言い、その姿を漏らさないでください。もし仲父の言葉が君の見たものと一致すれば、仲父はまことに聖人で欺くことはないと分かりましょう」。桓公は「よろしい」と言った。
  • そこで車を進めて帰り、心中疑いと恐れを抱いたまま、その夜には瘧のような大病になった。翌日、管仲と諸大夫が病を見舞った。桓公は管仲を召し、鬼を見たことを語ろうとしたが、「寡人は心中恐ろしくて口に出せない。仲父、試みにその様子を言い当ててみよ」と言った。管仲は答えられず、「臣に調べさせてください」と言った。豎貂は傍らで笑って言った。「臣はもとより仲父が言い当てられないと分かっておりました」。桓公の病はますます重くなり、管仲は心を痛め、門に書を懸けた。「もし公が見た鬼を言い当てられる者があれば、封邑の三分の一を与える」。
  • ある人物が、笠を担ぎ、うずらの衣(ぼろ衣)を着て来て、管仲に会うことを求めた。管仲は揖して迎え入れた。その人物は「君侯はご病気でいらっしゃいますか」と尋ねた。管仲は「そうだ」と答えた。その人物は「君侯のご病気は鬼を見られたことによるものですか」と尋ねた。管仲はまた「そうだ」と答えた。その人物は「君侯は大沢の中で鬼を御覧になったのですか」と尋ねた。管仲は「あなたはその鬼の姿を言い当てることができますか。それができれば、わたしはあなたと共に家産を分かとう」と言った。その人物は「君に会って申し上げたい」と言った。
  • 管仲は寝室で桓公に会わせた。桓公はちょうど重ねた敷物に座り、二人の婦人に背中をさすらせ、二人の婦人に足を揉ませ、豎貂は湯を捧げ立って飲むのを待っていた。管仲は言った。「君侯のご病気を言い当てられる者があり、臣がすでに連れてまいりました。君侯はお召しください」。桓公が召し入れると、笠を担ぎぼろ衣をまとった姿を見て、心中喜ばなかった。急いで問うた。「仲父が言った鬼を識る者とはお前か」。答えて言った。「公はご自分で気に病んでおられるだけです。鬼がどうして公を傷つけられましょうか」。桓公は「では鬼はいるのか」と尋ねた。答えて言った。「おります。水には『罔象』、丘には『峷』、山には『夔』、野には『彷徨』、沢には『委蛇』がおります」。桓公は「試みに『委蛇』の姿を言ってみよ」と言った。答えて言った。「かの『委蛇』は、その太さは車輪の轂(こしき=車軸を受ける中心部)ほど、その長さは轅ほどで、紫の衣に朱の冠をかぶっております。その物たるや、車の轟く音を嫌い、それを聞くとその首を捧げ持って立ちます。これはめったに姿を見せませんが、これを見た者は必ず天下に覇を唱えるのです」。桓公はにっこりと笑い、思わず立ち上がって言った。「まさにこれこそ寡人が見たものだ」。すると、たちまち精神が晴れやかになり、病がどこへ行ったのかも分からなくなった。
  • 桓公は「お前の名は何というか」と尋ねた。答えて言った。「臣の名は皇子、斉の西の田舎の農夫でございます」。桓公は「お前はわが下で仕えてはどうか」と言い、大夫の爵位を与えようとした。皇子は固辞して言った。「公が王室を尊び、四夷を攘い、中原を安んじ、民をいたわってくださるおかげで、臣は常に治世の民でいられるだけで十分でございます。農事に精を出すだけで満足です。官職に就くことは望みません」。桓公は「高潔な士である」と言い、粟や帛を賜り、有司にその家の税役を免じさせた。そして管仲に重い褒賞を与えた。豎貂は言った。「仲父は言い当てられず、皇子が言い当てたのに、仲父はどうして賞を受けるのですか」。桓公は言った。「寡人は聞いたことがある、『一人だけに任せる者は物事に暗く、多くの人に任せる者は物事に明るい』と。仲父がいなければ、寡人はもとより皇子の言葉を聞くこともできなかった」。豎貂はそれで納得した。

衛の危機

  • 時に周の恵王十七年、狄人が邢の国を侵し、さらに兵を移して衛を伐った。衛の懿公は人を遣って斉に急を告げた。斉の諸大夫は衛を救うべきだと進言したが、桓公は言った。「戎を伐った戦いで、まだ傷が癒えていない。しばらく来春を待ち、諸侯を合わせて救援に赴くのがよい」。その冬、衛の大夫寧速が斉に至り、こう告げた。「狄はすでに衛を破り、衛の懿公を殺しました。今は公子燬を君として迎え入れようとしています」。斉侯は大いに驚いて言った。「早く衛を救わなかった、寡人の罪は言い逃れができない」。狄がどのように衛を破ったか知りたければ、次の回をご覧いただきたい。
原文(底本)
話說公子慶父字仲,魯莊公之庶兄,其同母弟名牙字叔,則莊公之庶弟。莊公之同母弟曰公子友,因手掌中生成一「友」字文,遂以為名,字季,謂之季友。雖則兄弟三人同為大夫,一來嫡庶之分,二來惟季友最賢,所以莊公獨親信季友。莊公即位之三年,曾遊郎臺,於臺上窺見黨氏之女孟任,容色殊麗,使內侍召之。孟任不從。莊公曰:「苟從我,當立汝為夫人也。」孟任請立盟誓莊公許之。孟任遂割臂血誓神,與莊公同宿於臺上,遂載回宮。歲餘生下一子,名般。莊公欲立孟任為夫人,請命於母文姜。文姜不許。必欲其子與母家聯姻,遂定下襄公始生之女為婚,只因姜氏年幼,直待二十歲上,方纔娶歸。所以孟任雖未立為夫人,那二十餘年,卻也權主六宮之政。比及姜氏入魯為夫人,孟任已病廢不能起。未幾卒,以妾禮葬之。姜氏久而無子。其娣叔姜從嫁,生一子曰啟。先有妾風氏,乃須句子之女,生一子名申。風氏將申託於季友,謀立為嗣。季友曰:「子般年長。」乃止。姜氏雖為夫人,莊公念是殺父仇家,外雖禮貌,心中不甚寵愛。公子慶父生得魁偉軒昂,姜氏看上了他,陰使內侍往來通語,遂與慶父私通,情好甚密。因與叔牙為一黨,相約異日共扶慶父為君,叔牙為相。髯翁有詩云:

    淫風鄭衛只尋常,更有齊風不可當。堪笑魯邦偏締好,文姜之後有哀姜。

  莊公三十一年,一冬無雨,欲行雩祭祈禱。先一日,演樂於大夫梁氏之庭。梁氏有女色甚美,公子般悅之,陰與往來,亦有約為夫人之誓。是日,梁女梯牆而觀演樂。圉人犖在牆外窺見梁女姿色,立於牆下,故作歌以挑之。歌曰:

    桃之夭夭兮,凌冬而益芳。中心如結兮,不能踰牆。願同翼羽兮,化為鴛鴦。

公子般亦在梁氏觀雩,聞歌聲出看。見圉人犖大怒,命左右擒下,鞭之三百,血流滿地。犖再三哀求,乃釋之。公子般訴之於莊公,莊公曰:「犖無禮,便當殺之,不可鞭也。犖之勇捷,天下無比,鞭之,必懷恨於汝矣。」原來圉人犖有名絕力,曾登稷門城樓,飛身而下,及地,復踴身一躍,遂手攀樓屋之角,以手撼之,樓俱震動。莊公勸殺犖,亦畏其勇故也。子般曰:「彼匹夫耳,何慮焉?」圉人犖果恨子般,遂投慶父門下。

  次年秋,莊公疾篤,心疑慶父。故意先召叔牙,問以身後之事。叔牙果盛稱慶父之才:「若主魯國,社稷有賴。況一生一及,魯之常也。」莊公不應。叔牙出,復召季友問之。季友對曰:「君與孟任有盟矣。既降其母,可復廢其子乎?」莊公曰:「叔牙勸寡人立慶父何如?」季友曰:「慶父殘忍無親,非人君之器。叔牙私於其兄,不可聽之。臣當以死奉般。」莊公點首,遂不能言。季友出宮,急命內侍傳莊公口語,使叔牙待於大夫鍼季之家,即有君命來到。叔牙果往鍼氏。季友乃封鴆酒一瓶,使鍼季毒死叔牙。復手書致牙曰:「君有命,賜公子死。公子飲此而死,子孫世不失其位。不然,族且滅矣!」叔牙猶不肯服,鍼季執耳灌之。須臾,九竅流血而死。史官有詩論鴆牙之事。曰:

    周公誅管安周室,季友酖牙靖魯邦。為國滅親真大義,六朝底事忍相戕。

是夕,莊公薨。季友奉公子般主喪,諭國人以明年改元。各國遣弔。自不必說。

  至冬十月,子般念外家黨氏之恩,聞外祖黨臣病死,往臨其喪。慶父密召圉人犖謂曰:「汝不記鞭背之恨乎?夫蛟龍離水,匹夫可制。汝何不報之於黨氏?吾為汝主。」犖曰:「苟公子相助,敢不如命!」乃懷利刃,夤夜奔黨大夫家。時已三更,踰牆而入,伏於舍外。至天明時,小內侍啟門取水,圉人犖突入寢室。子般方下牀穿履,驚問曰:「汝何至此?」犖曰:「來報去年鞭背之恨耳!」子般急取牀頭劍劈之,傷額破腦。犖左手格劍,右手握刃刺般,中脅而死。內侍驚報黨氏。黨氏家眾操兵齊來攻犖,犖因腦破不能戰,被眾人亂斫為泥。季友聞子般之變,知是慶父所為,恐及於禍,乃出奔陳國以避難。慶父佯為不知,歸罪於圉人犖,滅其家,以解說於國人。夫人姜氏欲遂立慶父。慶父曰:「二公子猶在,不盡殺絕,未可代也。」姜氏曰:「當立申乎?」慶父曰:「申年長難制,不如立啟。」乃為子般發喪,假訃告為名,親至齊國,告以子般之變,納賄於豎貂,立子啟為君。時年八歲,是為閔公。閔公乃叔姜之子,叔姜是夫人姜氏之娣也。閔公為齊桓公外甥。閔公內畏哀姜,外畏慶父,欲借外家為重。故使人訂齊桓公,會於落姑之地。閔公牽桓公之衣,密訴以慶父內亂之事,垂淚不止。桓公曰:「今者魯大夫誰最賢?」閔公曰:「惟季友最賢,今避難於陳國。」桓公曰:「何不召而復之?」閔公曰:「恐慶父見疑。」桓公曰:「但出寡人之意,誰敢違者?」乃使人以桓公之命,召季友於陳。閔公次於郎地,候季友至郎,並載歸國,立季友為相。託言齊侯所命,不敢不從。時周惠王之六年,魯閔公之元年也。是冬,齊侯復恐魯之君臣不安其位,使大夫仲孫湫來候問,且窺慶父之動靜。閔公見了仲孫湫,流涕不能成語。後見公子申,與之談論魯事,甚有條理。仲孫曰:「此治國之器也!」囑季友善視之。因勸季友早除慶父,季友伸一掌示之。仲孫已悟孤掌難鳴之意,曰:「湫當言於吾君,倘有緩急,不敢坐視。」慶父以重賂來見仲孫。仲孫曰:「苟公子能忠於社稷,寡君亦受其賜,豈惟湫乎?」固辭不受。慶父悚懼而退。仲孫辭閔公歸,謂桓公曰:「不去慶父,魯難未已也!」桓公曰:「寡人以兵去之,何如?」仲孫曰:「慶父兇惡未彰,討之無名。臣觀其志,不安於為下,必復有變。乘其變而誅之,此霸王之業也。」桓公曰:「善。」閔公二年,慶父謀篡益急,只為閔公是齊侯外甥,又且季友忠心相輔,不敢輕動。忽一日,閽人報:「大夫卜齮相訪。」慶父迎進書房,見卜齮怒氣勃勃,問其來意。卜齮訴曰:「我有田與太傅慎不害田莊相近,被慎不害用強奪去。我去告訴主公,主公偏護師傅,反勸我讓他。以此不甘,特來投公子,求於主公前一言。」慶父屏去從人,謂卜齮曰:「主公年幼無知,雖言不聽。子若能行大事,我為子殺慎不害何如?」卜齮曰:「季友在,懼不免。」慶父曰:「主公有童心,嘗夜出武闈,遊行街市。子伏人於武闈,候其出而刺之,但云盜賊,誰能知者。吾以國母之命,代立為君,逐季友如反掌耳。」卜齮許諾。乃求勇士,得秋亞,授以利匕首,使伏武闈。閔公果夜出,秋亞突起,刺殺閔公。左右驚呼,擒住秋亞。卜齮領家甲至奪去。慶父殺慎不害於家。季友聞變,夜叩公子申之門,蹴之起,告以慶父之亂,兩人同奔邾國避難。髯翁有詩云:

    子般遭弒閔公戕,操刃當時誰主張?魯亂盡由宮閫起,娶妻何必定齊姜!

  卻說國人素服季友,聞魯侯被殺,相國出奔,舉國若狂,皆怨卜齮而恨慶父。是日國中罷市,一聚千人,先圍卜齮之家,滿門遭戮。將攻慶父,聚者益眾。慶父知人心不附,欲謀出奔。想起齊侯曾藉莒力以復國,齊莒有恩,可因莒以自解於齊。況文姜原有莒醫一脈交情,今夫人姜氏,即文姜之姪女,有此因緣,凡事可託。遂微服扮作商人,載了貨賂滿車,出奔莒國。夫人姜氏聞慶父奔莒,安身不牢,亦想至莒國躲避。左右曰:「夫人以仲故,得罪國人,今復聚一國,誰能容之?季友在邾,眾所與也,夫人不如適邾,以乞憐於季。」乃奔邾國,求見季友。季友拒之弗見。季友聞慶父姜氏俱出,遂將公子申歸魯,一面使人告難於齊。齊桓公謂仲孫湫曰:「今魯國無君,取之如何?」仲孫湫曰:「魯,秉禮之國,雖遭弒亂,一時之變,人心未忘周公,不可取也。況公子申明習國事,季友有戡亂之才,必能安集眾庶,不如因而守之。」桓公曰:「諾。」乃命上卿高傒,率南陽甲士三千人,吩咐高傒,相機而動:「公子申果堪主社稷,即當扶立為君,以脩鄰好;不然,便可併兼其地。」高傒領命而行。來至魯國,恰好公子申季友亦到。高傒見公子申相貌端莊,議論條理,心中十分敬重。遂與季友定計,擁立公子申為君,是為僖公。使甲士幫助魯人,築鹿門之城,以防邾莒之變。季友使公子奚斯,隨高傒至齊,謝齊侯定國之功。一面使人如莒,要假手莒人以戮慶父,啖以重賂。

  卻說慶父奔莒之時,載有魯國寶器,因莒醫以獻於莒子,莒子納之。至是復貪魯重賂,使人謂慶父曰:「莒國褊小,懼以公子為兵端,請公子改適他國。」慶父猶未行,莒子下令逐之。慶父思豎貂曾受賂相好,乃自邾如齊。齊疆吏素知慶父之惡,不敢擅納,乃寓居於汶水之上。恰好公子奚斯謝齊事畢,還至汶水,與慶父相見,欲載之歸國。慶父曰:「季友必不見容。子魚能為我代言,乞念先君一脈,願留性命,長為匹夫,死且不朽!」奚斯至魯復命,遂致慶父之言。僖公欲許之。季友曰:「使弒君者不誅,何以戒後?」因私謂奚斯曰:「慶父若自裁,尚可為立後,不絕世祀也。」奚斯領命,再往汶上,欲告慶父,而難於啟齒,乃於門外號啕大哭。慶父聞其聲,知是奚斯,乃嘆曰:「子魚不入見而哭甚哀,吾不免矣!」乃解帶自縊於樹而死。奚斯乃入而殮之,還報僖公,僖公嘆息不已。忽報:「莒子遣其弟嬴拿,領兵臨境。聞慶父已死。特索謝賂。」季友曰:「莒人未嘗擒送慶父,安得居功?」乃自請率師迎敵。僖公解所佩寶刀相贈,謂曰:「此刀名曰『孟勞』,長不滿尺,鋒利無比,叔父寶之。」季友懸於腰胯之間,謝恩而出。行至酈地,莒公子嬴拏列陣以待。季友曰:「魯新立君,國事未定,若戰而不勝,人心動搖矣。莒拿貪而無謀,吾當以計取之。」乃出陣前,請嬴拿面話。因謂之曰:「我二人不相悅,士卒何罪?聞公子多力善搏,友請各釋器械,與公子徒手賭一雌雄,何如?」嬴拏曰:「甚善!」兩下約退軍士,就於戰場放對。一來一往,各無破綻。約鬥五十餘合,季友之子行父,時年八歲,友甚愛之,俱至軍中,時在旁觀鬥,見父親不能取勝,連呼「『孟勞』何在?」季友忽然醒悟,故意賣個破綻,讓嬴拏趕入一步。季友略一轉身,於腰間拔出「孟勞」。回手一揮,連眉帶額,削去天靈蓋半邊。刃無血痕,真寶刀也!莒軍見主將劈倒,不待交鋒,各自逃命。季友全勝,唱凱還朝。

  僖公親自迎之於郊,立為上相,賜費邑為之采地。季友奏曰:「臣與慶父叔牙並是桓公之孫,臣以社稷之故,酖叔牙,縊慶父,大義滅親,誠非得已。今二子俱絕後,而臣獨叨榮爵,受大邑,臣何顏見桓公於地下?」僖公曰:「二子造逆,封之得無非典?」季友曰:「二子有逆心,無逆形,且其死非有刀鋸之戮也。宜並建之,以明親親之誼。」僖公從之。乃以公孫敖繼慶父之後,是為孟孫氏。慶父字仲,後人以字為氏,本曰仲孫,因諱慶父之惡,改為孟也。孟孫氏食采於成。以公孫茲繼叔牙之後,是為叔孫氏,食采於郈。季友食采於費,加封以汶陽之田,是為季孫氏。於是季、孟、叔三家,鼎足而立,並執魯政,謂之「三桓」。是日魯南門無故自崩。識者以為高而忽傾,異日必有凌替之禍,兆已見矣。史官有詩云:

    手文徵異已褒功,孟叔如何亦並封?亂世天心偏助逆,三家宗裔是桓公。

  話說齊桓公知姜氏在邾,謂管仲曰:「魯桓閔二公不得令終,皆以我姜之故。若不行討,魯人必以為戒,姻好絕矣。」管仲曰:「女子既嫁從夫,得罪夫家,非外家所得討也。君欲討之,宜隱其事。」桓公曰:「善。」乃使豎貂往邾,送姜氏歸魯。姜氏行至夷,宿館舍,豎貂告姜氏曰:「夫人與弒二君,齊魯莫不聞之,夫人即歸,何面目見太廟乎?不如自裁,猶可自蓋也。」姜氏聞之,閉門哭泣,至半夜寂然。豎貂啟門視之,已自縊死矣。豎貂告夷宰,使治殯事,飛報僖公。僖公迎其喪以歸,葬之成禮。曰:「母子之情,不可絕也。」謚之曰哀,故曰哀姜。後八年,僖公以莊公無配,仍祔哀姜於太廟。此乃過厚之處。

  卻說齊桓公自救燕定魯以後,威名愈振,諸侯悅服。桓公益信任管仲,專事飲獵為樂。一日,獵於大澤之陂,豎貂為御,車馳馬驟,較射方懽。桓公忽然停目而視,半晌無言,若有懼容。豎貂問曰:「君瞪目何所視也?」桓公曰:「寡人適見一鬼物,其狀甚怪而可畏,良久忽滅,殆不祥乎!」豎貂曰:「鬼陰物,安敢晝見?」桓公曰:「先君田姑棼而見大豕,是亦晝也。汝為我亟召仲父。」豎貂曰:「仲父非聖人,烏能悉知鬼神之事?」桓公曰:「仲父能識『俞兒』,何謂非聖?」豎貂曰:「君前者先言俞兒之狀,仲父因逢君之意,飾美說以勸君之行也。君今但言見鬼,勿洩其狀,如仲父言與君合,則仲父信聖不欺矣。」桓公曰:「諾。」乃趨駕歸,心懷疑懼,是夜遂大病如瘧。明日,管仲與諸大夫問疾。桓公召管仲,與之言見鬼:「寡人心中畏惡,不能出口,仲父試道其狀。」管仲不能答,曰:「容臣詢之。」豎貂在旁笑曰:「臣固知仲父之不能言也。」桓公病益增,管仲憂之,懸書於門:「如有能言公所見之鬼者,當贈以封邑三分之一。」有一人,荷笠懸鶉而來,求見管仲。管仲揖而進之。其人曰:「君有恙乎?」管仲曰:「然。」其人曰:「君病見鬼乎?」管仲又曰:「然。」其人曰:「君見鬼於大澤之中乎?」管仲曰:「子能言鬼之狀否?吾當與子共家。」其人曰:「請見君而言之。」管仲見桓公於寢室。桓公方累重裀而坐,使兩婦人摩背,兩婦人搥足,豎貂捧湯,立而候飲。管仲曰:「君之病,有能言者,臣已與之俱來,君可召之。」桓公召入,見其荷笠懸鶉,心殊不喜。遽問曰:「仲父言識鬼者乃汝乎?」對曰:「公則自傷耳,鬼安能傷公?」桓公曰:「然則有鬼否?」對曰:「有之。水有『罔象』,邱有『峷』,山有『夔』,野有『彷徨』,澤有『委蛇』。」桓公曰:「汝試言『委蛇』之狀。」對曰:「夫『委蛇』者,其大如轂,其長如轅,紫衣而朱冠。其為物也,惡聞轟車之聲,聞則捧其首而立。此不輕見,見之者必霸天下。」桓公囅然而笑,不覺起立曰:「此正寡人之所見也!」於是頓覺精神開爽,不知病之何往矣。桓公曰:「子何名?」對曰:「臣名皇子,齊西鄙之農夫也。」桓公曰:「子可留仕寡人。」遂欲爵為大夫。皇子固辭曰:「公尊王室,攘四夷,安中國,撫百姓,使臣常為治世之民,不妨農務足矣。不願居官。」桓公曰:「高士也!」賜之粟帛,命有司復其家。復重賞管仲。豎貂曰:「仲父不能言,而皇子言之,仲父安得受賞乎?」桓公曰:「寡人聞之,『任獨者暗,任眾者明』。微仲父,寡人固不得聞皇子之言也。」豎貂乃服。

  時周惠王十七年。狄人侵犯邢邦,又移兵伐衛。衛懿公使人如齊告急。諸大夫請救之,桓公曰:「伐戎之役,瘡痍未息。且俟來春,合諸侯往救可也。」其冬,衛大夫寧速至齊,言:「狄已破衛,殺衛懿公。今欲迎公子燬為君。」齊侯大驚曰:「不早救衛,孤罪無辭矣。」不知狄如何破衛,且看下回分解。

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