東周列國志第三十一回 晋の恵公、怒って慶鄭を殺す/介子推、股を割いて君に食わせる (晉惠公怒殺慶鄭 介子推割股啖君)

晋恵公、霊台山で解放される

  • 晋の恵公は霊台山に幽閉されていたが、穆姫が自分を咎め恨んでいるとばかり思っており、穆姫が麻の喪服を着て(帰還する穆公を)出迎え、死を請うて赦しを迫った一件については、まったく知らなかった。
  • そこで韓簡に言った。「昔、先君(献公)が秦との婚姻を議した時、史蘇はすでに『西隣が非難の言葉を発する、婚姻に不利』という占いを立てていた。もしその言葉に従っていたら、今日のようなことにはならなかっただろう。」
  • 韓簡が答えた。「先君が徳を失われたことが、どうして秦との婚姻にありましょうか。それに秦が婚姻のよしみを思わなければ、主君はどうして(晋に)入国して位に即くことができたでしょうか。入国してのちにまた秦を討ち、好誼を仇に変えたのです。秦であれば、決して恩を仇で返すようなことはいたしますまい。主君、どうかよくお考えください。」
  • 恵公は黙り込んだ。
  • ほどなく、穆公は公孫枝を霊台山に遣わして晋侯を見舞わせ、帰国を許すと伝えさせた。
  • 公孫枝は言った。「わが国の群臣は、あなた様に対して心ゆくまで恨みを晴らしたいと思わぬ者はおりません。ただわが君(穆公)は、わが君の夫人(穆姫、あなた様の姉妹)が台に登って死を請われたことにより、婚姻のよしみを傷つけるに忍びずにおられます。以前約束された河外の五城を速やかに割譲し、さらに太子圉を人質に出されれば、あなた様は帰国できましょう。」
  • 恵公はここで初めて穆姫の情のかけようを知り、恥じ入って身の置き所もなかった。
  • ただちに大夫の郤乞を晋に帰し、呂省に領土の割譲と人質の件を命じさせた。
  • 呂省は王城に赴いて秦の穆公に会い、五城の地図と銭穀戸口の数を献上し、人質を納めて君を帰国させたい旨を申し出た。
  • 穆公が「太子はなぜ来ないのか」と尋ねると、呂省は「国中が不和のため、太子はしばらくわが国に留まっております。わが君が入境される日には、太子はすぐに出境いたします」と答えた。
  • 穆公が「晋国はなぜ不和なのか」と尋ねると、呂省は「君子は自らの罪を知り、ひたすら秦の恩徳に感謝しようと思っております。小人は自らの罪を知らず、ただ秦への恨みを報じようとしております。これゆえに不和なのです」と答えた。
  • 穆公が「そなたの国はなお君の帰国を望んでいるのか」と尋ねると、呂省は答えた。「君子は必ず帰国されると思い、太子を送って秦と和睦しようとしております。小人は必ず帰国されないと思い、太子を立てて秦に対抗しようとしております。しかし私の愚見では、我が君を捕らえておけば威を立てることができ、我が君を許せば徳を示すことができます。徳と威を兼ね備えることこそ、覇主が諸侯に対して行うべきことです。君子の心を傷つけ、小人の怒りを激発させて、秦に何の益がありましょうか。前功を棄て覇業を失うようなことを、あなた様は必ずなさらないと存じます。」
  • 穆公は笑って言った。「寡人の考えは飴甥(呂省のこと)とまさに合致する。」
  • 孟明に命じて五城の境界を定めさせ、官を置いて分けて守らせた。
  • 晋侯を郊外の公館に移し、賓客の礼をもって遇した。
  • 七牢を贈り、公孫枝に兵を率いさせ呂省とともに晋侯を護送して帰国させた。(牛・羊・豕を各一頭ずつを一牢という。七牢とは、極めて厚い礼である。これは穆公が友好を修めようとする心である。)

慶鄭、処刑される

  • 恵公は九月の戦敗以来、秦に囚われていたが、十一月になってようやく釈放された。
  • 難に遭った諸臣とともに帰国したが、虢射だけは秦で病死し、帰ることができなかった。
  • 蛾晰は恵公が帰国すると聞き、慶鄭に言った。「あなたは君を救おうとして韓簡を誤らせ、そのため君は捕らえられた。今、君が帰国すれば、あなたは必ず罪を免れまい。どこか他国へ逃げて避けてはどうか。」
  • 慶鄭は言った。「軍法には『兵敗すれば死に当たり、将が虜となれば死に当たる』とある。まして君を誤らせて大いなる恥辱を与えたのだから、なおさら罪が重い。君がもし帰らなければ、私もまた一族を率いて秦で死ぬつもりだった。まして君が帰国されるというのに、私が逃げて君に刑罰の執行を誤らせてよいものか。私がここに留まるのは、君に私を処罰させてその心を晴らさせ、臣下たる者に罪あれば逃れられぬことを知らしめるためだ。どうして避けようか。」
  • 蛾晰は嘆息して去った。
  • 恵公が絳に至ろうとすると、太子圉が狐突・郤芮・慶鄭・蛾晰・司馬説・寺人勃鞮らを率いて郊外に出迎えた。
  • 恵公は車中から慶鄭を見て怒りが心に沸き起こり、家僕徒に命じて呼び寄せさせ、問うた。「鄭よ、よくも寡人に会いに来たな。」
  • 慶鄭は答えた。「君が初めに臣の言に従って秦の恩に報いておられたなら、決して秦に伐たれることはなかったでしょう。次に臣の言に従って秦と講和しておられたなら、決して戦うことにはならなかったでしょう。三度目に臣の言に従って『小駟』にお乗りにならなければ、決して敗れることはなかったでしょう。臣の君への忠は極まっております。なぜお目にかかれないのですか。」
  • 恵公は「そなたは今なお何か言うことがあるか」と言った。
  • 慶鄭は答えた。「臣には死に値する罪が三つございます。忠言をしながら君に必ず聞かせることができなかった、これが一つ目の罪です。卜って車右に吉と出たのに、君に必ず用いさせることができなかった、これが二つ目の罪です。君を救うために二三の者を呼び寄せながら、君が人に捕らえられないようにできなかった、これが三つ目の罪です。臣は刑を受けて臣の罪を明らかにしたく存じます。」
  • 恵公は答えられず、梁繇靡にその罪を数えさせた。
  • 梁繇靡は言った。「鄭が言うのは、みな死罪に当たる理由ではない。鄭には死に値する罪が三つある、そなたは自分で知らないのか。君が泥濘の中で急を告げて呼んだのに、そなたは顧みなかった、これが一つ目の死に値する罪だ。我らがあと少しで秦君を捕らえるところだったのに、そなたは君を救うためにそれを誤らせた、これが二つ目の死に値する罪だ。二三の者がみな捕縛されたのに、そなたは力戦せず、顔に傷も負わず、無傷で逃げ帰った、これが三つ目の死に値する罪だ。」
  • 慶鄭は言った。「三軍の兵士がみなここにいる。鄭の一言を聞いてほしい。『座して刑を待つことができて、力戦し顔に傷を負うことができない者があろうか。』」
  • 蛾晰は諫めて言った。「鄭は死を恐れず刑を避けようとしない、勇と言えましょう。君はこれを赦し、韓原の恨みを晴らさせるべきです。」
  • 梁繇靡は言った。「戦にすでに敗れておきながら、また罪人を用いてその恨みを晴らそうとすれば、天下は晋に人がいないと笑うのではないか。」
  • 家僕徒も諫めて言った。「鄭には三つの忠言があり、それによって死を贖うことができます。彼を殺して君の法を行うより、彼を赦して君の仁を成す方がよいでしょう。」
  • 梁繇靡はさらに言った。「国が強くなる所以は、ただ法が行われることにある。刑を失い法を乱せば、誰がまた畏れ知るだろうか。鄭を誅さなければ、今後二度と兵を用いることはできなくなろう。」
  • 恵公は司馬説を顧みて、速やかに刑を執行させた。
  • 慶鄭は首を伸ばして処刑を受けた。
  • 髯仙が詩を作り、恵公の器量の狭さを嘆き、一人の慶鄭さえ容れることができなかったことを詠んだ。(詩:糴を閉ざして、舟で穀物を送ってくれた恩義(泛舟の役)を裏切っておきながら、逆によこしまな者を容れて忠謀の者を殺す、恵公は褊狭で君主の徳がなく、ただ霊台に永く囚われるにふさわしい、という趣旨。)
  • 梁繇靡は当時、秦の穆公を包囲し、必ず捕らえられると思っていたが、慶鄭が「急ぎ主公をお救いせよ」と叫んだために、これを棄てて去ることになった。このため梁繇靡は深く慶鄭を恨み、必ずこれを誅そうとしていた。
  • 鄭が誅された時、天は昏く地は惨たり、日の色は光を失い、諸大夫の中には涙を流す者が多かった。
  • 蛾晰はその屍を請い受けて葬り、「私が乗せてもらった恩に報いるためだ」と言った。
  • 恵公はすでに帰国すると、世子圉を公孫枝に従わせて秦に人質として入らせた。
  • また屠岸夷の屍を請い、上大夫の礼をもって葬らせ、その子を嗣がせて中大夫とした。

恵公、重耳暗殺を謀る

  • 恵公はある日、郤芮に言った。「寡人は秦に三か月いたが、心配していたのはただ重耳のことだけだった。彼が変事に乗じて入国を求めることを恐れていたが、今日ようやく安心した。」
  • 郤芮は言った。「重耳が国外にいることは、結局のところ腹中に巣くう病でございます。必ずこの人物を除いてこそ、後患を絶つことができます。」
  • 恵公が「誰が寡人のために重耳を殺せる者か。寡人は重い褒賞を惜しまない」と問うと、郤芮は言った。「寺人勃鞮は、先年蒲を討った時に重耳の衣の袖を斬ったことがあり、常々、重耳が帰国して自分の罪を処罰しはしないかと恐れております。君が重耳を殺そうとされるなら、この者を用いるほかありません。」
  • 恵公は勃鞮を召し、密かに重耳を殺す事を告げた。
  • 勃鞮は答えた。「重耳は翟に十二年おります。翟人が咎如を討った際、その二人の娘、叔隗と季隗を得ましたが、いずれも美貌でした。季隗を重耳の妻とし、叔隗を趙衰の妻とし、それぞれ子を生み、君臣ともに家庭の楽しみに安んじ、我が晋に対する警戒の構えはもうありません。臣が今討伐に赴けば、翟人は必ず重耳を助けて兵を興し戦いに抗うでしょうから、勝負は測りがたい。願わくば力士数人を得て、密かに翟に行き、彼が出遊する隙に刺し殺したく存じます。」
  • 恵公は「この計は実に妙だ」と言い、勃鞮に黄金百鎰を与え、力士を購い求めて自ら事に赴かせることとし、こう言い渡した。「そなたに三日以内に出発するよう限る。事が終わった日には、重用してやろう。」
  • 昔から「知られたくなければ、するな。聞かれたくなければ、言うな」という言葉がある。恵公が託したのは勃鞮一人であったが、内侍の中にはその謀を聞き知る者が多かった。
  • 狐突は勃鞮が黄金を水のように使い、力士を購い求めていると聞いて疑いを抱き、密かにその理由を探った。
  • あの狐突は老国舅であり、どの内侍とも親しくないことはなかった。ある内侍がこの密謀を狐突の耳に漏らしてしまった。
  • 狐突は大いに驚き、すぐに密かに手紙を一通したため、人を遣わして夜を徹して翟に赴かせ、公子重耳に報せた。

重耳、翟を脱出する

  • さて重耳はその日、ちょうど翟の君主と渭水のほとりで狩りをしていた。
  • 突然、一人の男が囲みを冒して入ってきて、狐氏兄弟に会いたいと求め、「老国舅の家書がここにある」と言った。
  • 狐毛・狐偃は「わが父はふだん外部と手紙のやりとりをしない。今、家書があるからには、必ず国中に事があったのだ」と言い、その男を前に召した。
  • その男は書を差し出し、叩頭して一礼すると、身を翻して立ち去った。
  • 毛と偃は心に疑いを抱き、封を開いて読んだ。書にはこうあった。「主公が公子を刺そうと謀り、すでに寺人勃鞮を遣わし、三日以内に出発するよう限った。汝ら兄弟は公子に申し上げ、速やかに他国に赴かれよ。長く滞在して禍を招いてはならぬ。」
  • 二狐は大いに驚き、書を重耳に告げた。
  • 重耳は「わが妻子はみなここにいる。ここがわが家だ。去ろうにもどこへ行こうか」と言った。
  • 狐偃は言った。「私がここに来たのは、家を営むためではなく、国を図るためでした。力が遠くまで及ばなかったため、しばらくここに足を休めたのです。今は日が経ちすぎました。大国に移るべきです。勃鞮が来たのは、あるいは天が公子の出発を促すためではないでしょうか。」
  • 重耳は「すぐに出発するとして、どの国に行けばよいか」と言った。
  • 狐偃は言った。「斉侯は老いてはいますが、覇業はまだ残っており、諸侯を収め助け、賢士を登用しています。今、管仲・隰朋が新たに亡くなり、国に賢佐がおりません。公子がもし斉に至れば、斉侯は必ず礼を厚くされましょう。もし晋に変事があれば、また斉の力を借りて国を取り戻すことを図ることもできます。」
  • 重耳はこれを是とした。
  • そこで狩りをやめて帰り、妻の季隗に告げた。「晋君が人を遣わして私を刺そうとしている。毒手に遭うのを恐れ、大国に遠く赴き、秦・楚と結んで国を取り戻す計を図ろうと思う。そなたは心を尽くして二子を養育し、私が二十五年経っても戻らなければ、他の者に嫁ぐがよい。」
  • 季隗は泣いて言った。「男子の志は四方にある、妾が留めようとするものではありません。しかし妾は今二十五歳、さらに二十五年経てば老いて死んでしまいましょう、それでも嫁ぐことがありましょうか。妾は自ずとあなたをお待ちします、あなたはご心配なさいますな。」
  • 趙衰もまた叔隗に言い含めたが、詳しくは述べない。
  • 翌朝、重耳は壺叔に車馬の準備を命じ、蔵の番人である小役人の頭須に金や絹の取りまとめを命じた。
  • ちょうど命じている時、狐毛・狐偃が慌ただしくやって来て言った。「父上の老国舅は、勃鞮が命を受けた翌日にすぐに出発したと聞き、公子がまだ出発していないのでは防ぎがたいと恐れ、手紙を書く間もなく、また足の速い者を遣わして夜を徹して駆けさせ、公子に速やかに逃げ避けるよう促し、片時も留まらぬようにと。」
  • 重耳はこれを聞いて大いに驚き、「鞮の来るのがなんと早いことか」と言った。
  • 身支度をする間もなく、二狐とともに徒歩で城外に出た。
  • 壺叔は公子がすでに出発したのを見て、犢車一台だけを用意して追いつき、公子を乗せた。
  • 趙衰・臼季ら諸人も次々と追いつき、車に乗れず、みな徒歩であった。
  • 重耳が「頭須はなぜ来ないのか」と問うと、ある者が「頭須は蔵の中にあるものをすべて巻き上げて逃げ去り、行方が分からなくなりました」と言った。
  • 重耳はすでに寝床を失い、旅費もなく、この時の心情はまことに苦しく悶々としたものであった。事すでにここに至っては、行くほかなかった。まさに「あわただしいことは喪家の犬のようで、あせることは網を漏れた魚のようであった」。
  • 公子が城を出て半日ののち、翟の君はようやく事を知り、旅支度を贈ろうとしたが、すでに間に合わなかった。(詩:夷の国に十二年流落し、困った龍が伏し潜んでまだ天に昇れず、豆と豆殻がなぜこれほど急に煎じ合うのか、道はまた今、流浪の身となる、という趣旨。)

勃鞮の追跡失敗

  • さて恵公は元来、寺人勃鞮に三日以内に出発して翟に行き事をなすよう限っていたが、なぜ翌日にはもう出発したのか。
  • あの勃鞮は元来ひとりの寺人であり、専ら勤めぶりを主君に売り込んで取り入り、寵愛を得ることを事としていた。
  • 前に献公が彼を遣わして蒲を討たせた時、公子重耳を取り逃がし、ただ衣の袖を斬り取って帰っただけであった。重耳は必ず恨みを含んでいるだろうと思っていた。
  • 今度また恵公の差配を受け、もし重耳を殺すことができれば、恵公に功を立てるだけでなく、自分の禍も除くことができる。
  • そこで力士数人を糾合し、先んじて疾走し、公子が備えのないうちに、その命を奪おうとした。
  • 誰が知ろう、老国舅が二度にわたって書を送り、事情を漏らしたことを。勃鞮が翟に着いた頃には、公子の消息を尋ねても、公子はもういなかった。
  • 翟君もまた公子の顔を立てて、関所と渡し場に命じ、往来する者はすべて念入りに詰問させ、非常に厳しくした。
  • 勃鞮は晋国では側近くに仕える宦者であったが、今度は重耳を殺すために来て、奸人・刺客の類になってしまった。もし詰問されればどう答えようか。
  • こうして翟国を通過できず、やむなく悔しがりながら帰り、恵公に復命した。
  • 恵公はどうしようもなく、しばらくその件を措いておくしかなかった。

衛での冷遇と農夫からの侮辱

  • さて公子重耳はひたすら斉の国に行こうと考えたが、まず衛の国を経なければならなかった。これは「高きに登るには必ず低きよりし、遠きに行くには必ず近きよりす」ということわざの通りである。
  • 重耳が翟の境を離れてからの道中の窮乏ぶりは、あえて言うまでもない。
  • 数日して衛の境に至ると、関吏がその素性を尋ねた。
  • 趙衰は「わが主は晋の公子重耳、難を避けて国外におり、今、斉に赴こうとして、貴国に道をお借りしたいのです」と言った。
  • 吏は関を開いて中に入れ、急ぎ衛侯に報告した。
  • 上卿の寧速はこれを迎え入れるよう求めた。
  • 衛の文公は言った。「寡人は楚丘に国を立てたが、晋人のわずかな力さえ借りたことはない。衛と晋は同姓とはいえ、まだ盟好を通じていない。まして出奔の人が、どうして軽重に関わろうか。もし迎え入れれば、必ず宴を設け贈り物をせねばならず、多くの手間がかかる。追い払う方がよい。」
  • そこで門番に命じ、晋の公子を城内に入れさせないようにした。
  • 重耳はそこで城外を通って行くほかなかった。
  • 魏犨・顛頡が進み出て言った。「衛の燬(文公の名)は無礼です。公子は城に臨んでこれを責めるべきです。」
  • 趙衰は「蛟龍も勢いを失えばミミズに等しい。公子はしばらく耐え忍ぶべきで、いたずらに他人に礼を求めてはなりません」と言った。
  • 魏犨・顛頡は「あちらが主人としての礼を尽くさぬ以上、村落を掠奪して朝夕の糧を助けても、あちらも我らを咎めがたいでしょう」と言った。
  • 重耳は「掠奪する者は盗と言われる。私は飢えを忍ぼうとも、どうして盗賊のことをなせようか」と言った。
  • その日、公子の君臣はまだ朝食もとらず、飢えを忍んで行った。
  • 昼を過ぎた頃、五鹿という地に着くと、田夫の一団が畦の上で食事をしていた。
  • 重耳は狐偃に食を求めさせた。
  • 田夫が「客はどちらからか」と問うと、狐偃は「私は晋の客で、車上の者がわが主です。遠く旅して食糧がなく、一食を求めたい」と言った。
  • 田夫は笑って「堂々たる男子が、自分で生計を立てられず、我らに食を求めるのか。我らは村の農夫で、腹一杯食べてこそ鋤を担げる、他人に施す余分な食などない」と言った。
  • 狐偃が「食が得られないなら、どうか食器を一つ賜りたい」と言うと、田夫はふざけて土くれを与えて「この土が器になろう」と言った。
  • 魏犨は大いに怒って「村夫め、よくも我らを辱めるか」と罵り、その食器を奪い取って投げ砕いた。
  • 重耳もまた大いに怒り、鞭で打とうとした。
  • 狐偃は急いでこれを止めて言った。「食を得るのは易しく、土を得るのは難しい。土地とは国の基です。天が野人の手を借りて、土地を公子に授けたのです。これは国を得る兆しです、どうして怒ることがありましょうか。公子は拝んでお受けになるべきです。」
  • 重耳は果たしてその言に従い、車を下りて拝み受けた。
  • 田夫はその意味が分からず、群がり集まって「これはまことに愚か者だ」と笑った。後世の人に詩がある。(詩:土地はまさに国家の基本であり、皇天が野人の手を借りて苦難を慰めた、聡明な子犯〈狐偃〉は先んじて兆しをうかがったが、田舎の愚民はかえって愚かと笑った、という趣旨。)

介子推、股肉を割いて重耳を養う

  • さらに十余里ほど行くと、従者は飢えて歩けなくなり、木の下で休んだ。
  • 重耳も飢えと疲れで、狐毛の膝を枕にして横たわった。
  • 狐毛は「子餘(趙衰)はまだ壺入りの食を携えている、彼の一行は後ろにいるから、待ってはどうか」と言った。
  • 魏犨は「壺入りの食があっても、子餘一人の食にも足りないだろう、もう残っていまい」と言った。
  • 人々は争って蕨や薇を採って煮て食べたが、重耳は喉を通らなかった。
  • 突然、介子推が肉の羹を椀に盛って捧げてきたので、重耳はこれを食べて美味と感じた。
  • 食べ終えて「ここでどうやって肉を得たのか」と問うと、介子推は「臣の股の肉でございます。臣は聞いております、『孝子は身を殺して親に仕え、忠臣は身を殺して君に仕える』と。今、公子が食に乏しいので、臣は股を割いて公子のお腹を満たしたのです」と答えた。
  • 重耳は涙を流して「亡命中の私はそなたにひどく苦労をかけている。何をもって報いようか」と言った。
  • 子推は「ただ公子が早く晋国にお帰りになり、臣ら股肱の義を成し遂げられることを願うのみです。臣がどうして報いを望みましょうか」と言った。
  • 髯仙が詩を作って賛えた。(詩:孝子は体を大切にすべきで身体を損なうのは親への辱めというが、ああ介子推よ、股を割いて君の腹を満たした、身を捧げて股肱と称し、腹心となって禍福を共にする、親の遺した体を思わなかったわけではなかろうが、忠と孝は両立し難い、かの我が身と我が家ばかりを惜しむ者たちは、どの面目で君の禄を食むのか、という趣旨。)
  • しばらくして趙衰がようやく到着した。
  • 人々が遅れた理由を問うと、趙衰は「棘に刺されて足脛を傷めたため、進めなかった」と言い、竹の器の中から壺入りの食を取り出して重耳に献じた。
  • 重耳が「子餘は飢えて苦しくないのか、なぜ自分で食べなかったのか」と問うと、趙衰は「臣は飢えておりましても、どうして君に背いて自分だけ食べられましょうか」と答えた。
  • 狐毛は魏犨をからかって「この汁がもしそなたの手に渡っていたら、腹の中で消えていただろう」と言った。魏犨は恥じ入って退いた。
  • 重耳はすぐに壺入りの汁を趙衰に賜り、趙衰は水を汲んでこれを調え、従者たちに行き渡らせて食べさせた。重耳は感嘆して敬服した。
  • 重耳の君臣は道中食を求めながら、半ば飢え半ば満ち足りつつ、斉国に至った。

斉桓公の厚遇

  • 斉の桓公はふだんから重耳の賢名を聞いており、公子が関に入ったと知ると、すぐに使者を郊外に遣わして公館に迎え入れ、宴を設けてもてなした。
  • 席上、「公子は内眷(妻子)を伴っているか」と問うと、重耳は「亡命中の私はこの身一つさえ守れず、どうして家族を伴えましょうか」と答えた。
  • 桓公は「寡人は一人で夜を過ごすと、一年を過ごすように感じる。公子は旅の途中で困窮しており、身の回りの世話をする人もない、寡人は公子のために憂えているのだ」と言った。
  • そこで宗女の中で美しい者を選び、重耳に娶らせた。馬二十乗を贈り、これより従行の者たちにもみな車馬が与えられるようになった。
  • 桓公はまた廩人(米倉を掌る官)に穀物を、庖人(厨房を掌る官)に肉を届けさせることを常とした。
  • 重耳は大いに喜び、嘆じて「かねて斉侯が賢を好み士を礼すると聞いていたが、今初めてそれを信じた。斉が覇を成したのも、もっともなことだ」と言った。
  • その時は周の襄王の八年、すなわち斉の桓公の四十二年であった。

桓公、佞臣を再び重用し鮑叔牙死す

  • 桓公は前年、政を鮑叔牙に委ね、管仲の遺言に一切従って、豎刁・雍巫・開方の三人を追放していた。食は味わわず、夜は熟睡できず、口に戯言なく、顔に笑みがなかった。
  • 長衛姫が進み出て言った。「君は豎刁ら三人を追放されましたが、国が以前より治まったわけでもありません。お顔は日ごとにやつれておられます。思うに、左右にお仕えする者が君のお心にかなわないのでしょう。なぜお召しになりませんか。」
  • 桓公は「寡人もこの三人のことを思ってはいるが、すでに追放しておいて、また召し戻すのは、鮑叔牙の意向に逆らうことになりはしないか」と言った。
  • 長衛姫は言った。「鮑叔牙の左右にも、召し使う者がいないわけではありますまい。君はもう老いておられます、なぜそれほど自らを苦しめるのですか。君はまず調味のことで易牙(雍巫)をお召しになれば、開方や豎刁は招かずとも自ずと戻ってきましょう。」
  • 桓公はこの言に従い、雍巫を召して五味を調えさせた。
  • 鮑叔牙は諫めて「君は仲父(管仲)の遺言をお忘れになったのですか、なぜこの者をお召しになるのか」と言った。
  • 桓公は「この三人は寡人に益があり、国に害はない。仲父の言葉は、いささか行き過ぎではなかったか」と言い、鮑叔牙の言に従わず、開方・豎刁も同時に召した。
  • 三人は同時に復職を命じられ、左右に仕えることとなった。
  • 鮑叔牙は憤懣が募って病を発し、亡くなった。斉の政事はこれより大いに乱れた。
  • 後来はいったいどうなるか、それは次回を見られよ。
原文(底本)
話說晉惠公囚於靈臺山,只道穆姬見怪,全不知衰絰逆君之事。遂謂韓簡曰:「昔先君與秦議婚時,史蘇已有『西鄰責言,不利婚媾』之占。若從其言,必無今日之事矣。」簡對曰:「先君之敗德,豈在婚秦哉?且秦不念婚姻,君何以得入?入而又伐,以好成仇,秦必不然,君其察之。」惠公嘿然。未幾,穆公使公孫枝至靈臺山問侯晉侯,許以復歸。公孫枝曰:「敝邑群臣,無不欲甘心於君者。寡君獨以君夫人登臺請死之故,不敢傷婚姻之好。前約河外五城,可速交割,再使太子圉為質,君可歸矣。」惠公方纔曉得穆姬用情,愧慚無地。即遣大夫郤乞歸晉,吩咐呂省以割地質子之事。省特至王城,會秦穆公,將五城地圖,及錢穀戶口之數獻之,情願納質歸君。穆公問:「太子如何不到?」省對曰:「國中不和,故太子暫留敝邑。俟寡君入境之日,太子即出境矣。」穆公曰:「晉國為何不和?」省對曰:「君子自知其罪,惟思感秦之德。小人不知其罪,但欲報秦之仇。以此不和也。」穆公曰:「汝國猶望君之歸乎?」省對曰:「君子以為必歸,便欲送太子以和秦。小人以為必不歸,堅欲立太子以拒秦。然以臣愚見,執吾君可以立威,舍吾君又可以見德,德威兼濟,此伯主之所以行乎諸侯也。傷君子之心,而激小人之怒,於秦何益?棄前功而墜伯業,料君之必不然矣。」穆公笑曰:「寡人意與飴甥正合!」命孟明往定五城之界,設官分守。遷晉侯於郊外之公館,以賓禮待之。饋以七牢,遣公孫枝引兵同呂省護送晉侯歸國。(凡牛羊豕各一,謂之一牢,七牢,禮之厚者。此乃穆公修好之意也。)

  惠公自九月戰敗,囚於秦,至十一月纔得釋。與難諸臣,一同歸國,惟虢射病死於秦,不得歸。蛾晰聞惠公將入,謂慶鄭曰:「子以救君誤韓簡,君是以被獲。今君歸,子必不免,盍奔他國以避之?」慶鄭曰:「軍法:『兵敗當死,將為虜當死。』況誤君而貽以大辱,又罪之甚者?君若不還,吾亦將率其家屬以死於秦。況君歸矣,乃令失刑乎?吾之留此,將使君行法於我,以快君之心;使人臣知有罪之無所逃也。又何避焉?」蛾晰嘆息而去。惠公將至絳,太子圉率領狐突、郤芮、慶鄭、蛾晰、司馬說、寺人勃鞮等,出郊迎接。惠公在車中望見慶鄭,怒從心起,使家僕徒召之來前,問曰:「鄭何敢來見寡人?」慶鄭對曰:「君始從臣言,報秦之施,必不伐。繼從臣言,與秦講和,必不戰。三從臣言,不乘『小駟』,必不敗。臣之忠於君也至矣!何為不見?」惠公曰:「汝今尚有何言?」慶鄭對曰:「臣有死罪三:有忠言而不能使君必聽,罪之一也。卜車右吉,而不能使君必用,罪之二也。以救君召二三子,而不能使君必不為人擒,罪之三也。臣請受刑,以明臣罪。」惠公不能答,使梁繇靡代數其罪。梁繇靡曰:「鄭所言,皆非死法也。鄭有死罪三,汝不自知乎?君在泥濘之中,急而呼汝,汝不顧,一宜死。我幾獲秦君,汝以救君誤之,二宜死。二三子俱受執縛,汝不力戰,不面傷,全身逃歸,三宜死。」慶鄭曰:「三軍之士皆在此,聽鄭一言:『有人能坐以待刑,而不能力戰面傷者乎?』」蛾晰諫曰:「鄭死不避刑,可謂勇矣!君可赦之,使報韓原之仇。」梁繇靡曰:「戰已敗矣,又用罪人以報其仇,天下不笑晉為無人乎?」家僕徒亦諫曰:「鄭有忠言三,可以贖死。與其殺之以行君之法,不若赦之以成君之仁。」梁繇靡又曰:「國所以強,惟法行也。失刑亂法,誰復知懼!不誅鄭,今後再不能用兵矣!」惠公顧司馬說,使速行刑。慶鄭引頸受戮。髯仙有詩嘆惠公器量之淺,不能容一慶鄭也。詩曰:

    閉糴誰教負泛舟?反容奸佞殺忠謀。惠公褊急無君德,只合靈臺永作囚!

梁繇靡當時圍住秦穆公,自謂必獲,卻被慶鄭呼云:「急救主公!」遂棄之而去。以此深恨慶鄭,必欲誅之。誅鄭之時,天昏地慘,日色無光,諸大夫中多有流涕者。蛾晰請其尸葬之,曰:「吾以報載我之恩也!」惠公既歸國,遂使世子圉隨公孫枝入秦為質。因請屠岸夷之尸,葬以上大夫之禮,命其子嗣為中大夫。

  惠公一日謂郤芮曰:「寡人在秦三月,所憂者惟重耳,恐其乘變求入,今日纔放心也。」郤芮曰:「重耳在外,終是心腹之疾。必除了此人,方絕後患。」惠公問:「何人能為寡人殺重耳者?寡人不吝重賞。」郤芮曰:「寺人勃鞮,向年伐蒲,曾斬重耳之衣袂,常恐重耳入國,或治其罪。君欲殺重耳,除非此人可用。」惠公召勃鞮,密告以殺重耳之事。勃鞮對曰:「重耳在翟十二年矣。翟人伐咎如,獲其二女,曰叔隗,季隗,皆有美色。以季隗妻重耳,而以叔隗妻趙衰,各生有子,君臣安於室家之樂,無復虞我之意。臣今往伐,翟人必助重耳興兵拒戰,勝負未卜。願得力士數人,微行至翟,乘其出遊,刺而殺之。」惠公曰:「此計大妙!」遂與勃鞮黃金百鎰,使購求力士,自去行事:「限汝三日內,便要起身。事畢之日,當加重用。」自古道:「若要不知,除非莫為。若要不聞,除非莫言。」惠公所託,雖是勃鞮一人,內侍中多有聞其謀者。狐突聞勃鞮揮金如土,購求力士,心懷疑惑,密地裏訪問其故。那狐突是老國舅,那個內侍不相熟?不免把這密謀,來洩漏於狐突之耳。狐突大驚,即時密寫一信,遣人星夜往翟,報與公子重耳知道。

  卻說重耳是日,正與翟君獵於渭水之濱。忽有一人冒圍而入,求見狐氏兄弟,說:「有老國舅家書在此。」狐毛狐偃曰:「吾父素不通外信,今有家書,心然國中有事。」即召其人至前。那人呈上書信,叩了一頭,轉身就走。毛偃心疑。啟函讀之,書中云:「主公謀刺公子,已遣寺人勃鞮,限三日內起身。汝兄弟稟知公子,速往他國,無得久延取禍。」二狐大驚,將書稟知重耳。重耳曰:「吾妻子皆在此,此吾家矣。欲去將何之?」狐偃曰:「吾之適此,非以營家,將以圖國也;以力不能適遠,故暫休足於此。今為日已久,宜徙大國。勃鞮之來,殆天遣之以促公子之行乎?」重耳曰:「即行,適何國為可?」狐偃曰:「齊侯雖耄,伯業尚存,收恤諸侯,錄用賢士。今管仲隰朋新亡,國無賢佐,公子若至齊,齊侯必然加禮。倘晉有變,又可借齊之力,以圖復也。」重耳以為然。乃罷獵歸,告其妻季隗曰:「晉君將使人行刺於我,恐遭毒手,將遠適大國,結連秦楚,為復國之計。子宜盡心撫育二子,待我二十五年不至,方可別嫁他人。」季隗泣曰:「男子志在四方,非妾敢留。然妾今二十五歲矣,再過二十五年,妾當老死,尚嫁人乎?妾自當待子,子勿慮也!」趙衰亦囑咐叔隗,不必盡述。次早,重耳命壺叔整頓車乘,守藏小吏頭須收拾金帛。正吩咐間,只見狐毛狐偃倉皇而至,言:「父親老國舅見勃鞮受命次日,即便起身,誠恐公子未行,難以隄防,不及寫書,又遣能行快走之人,星夜趕至,催促公子速速逃避,勿淹時刻!」重耳聞信,大驚曰:「鞮來何速也?」不及裝束,遂與二狐徒步出於城外。壺叔見公子已行,止備犢車一乘,追上與公子乘坐。趙衰臼季諸人,陸續趕上,不及乘車,都是步行。重耳問:「頭須如何不來?」有人說:「頭須席卷藏中所有逃去,不知所向了。」重耳已失窠巢,又沒盤費,此時情緒,好不愁悶!事已如此,不得不行。正是忙忙似喪家之犬,急急如漏網之魚。公子出城半日,翟君始知,欲贈資裝,已無及矣。有詩為證:

    流落夷邦十二年,困龍伏蟄未升天。豆箕何事相煎急?道路於今又播遷。

  卻說惠公原限寺人勃鞮三日內起身,往翟幹事,如何次日便行?那勃鞮原是個寺人,專以獻勤取寵為事。前番獻公差他伐蒲,失了公子重耳,僅割取衣袂而回,料想重耳必然銜恨。今番又奉惠公之差,若能夠殺卻重耳,不惟與惠公立功,兼可除自己之患。故此糾合力士數人,先期疾走,正要公子不知防備,好去結果他性命。誰知老國舅兩番送信,漏洩其情,比及勃鞮到翟,訪問公子消息,公子已不在了。崔君亦為公子面上,吩咐關津,凡過往之人,加意盤詰,十分嚴緊。勃鞮在晉國,還是個近侍的宦者,今日為殺重耳而來,做了奸人刺客之流,若被盤詰,如何答應?因此過不得翟國,只得怏怏而回,復命於惠公。惠公沒法,只得暫時擱起。

  再說公子重耳一心要往齊邦,卻先要經繇衛國,這是「登高必自卑,行遠必自邇」。重耳離了翟境,一路窮苦之狀,自不必說。數日,至於衛界,關吏叩其來歷。趙衰曰:「吾主乃晉公子重耳,避難在外,今欲往齊,假道於上國耳。」吏開關延入,飛報衛侯。上卿寧速,請迎之入城。衛文公曰:「寡人立國楚丘,並不曾借晉人半臂之力。衛晉雖為同姓,未通盟好。況出亡之人,何關輕重?若迎之,必當設宴贈賄,費多少事,不如逐之。」乃吩咐守門閽者,不許放晉公子入城。重耳乃從城外而行。魏犨顛頡進曰:「衛燬無禮,公子宜臨城責之。」趙衰曰:「蛟龍失勢,比於蚯蚓。公子且宜含忍,無徒責禮於他人也。」犨頡曰:「既彼不盡主人之禮,剽掠村落,以助朝夕,彼亦難怪我矣。」重耳曰:「剽掠者謂之盜。吾寧忍餓,豈可行盜賊之事乎?」是日,公子君臣,尚未早餐,忍飢而行。看看過午,到一處地名五鹿,見一夥田夫,同飯於隴上。重耳令狐偃問之求食。田夫問:「客從何來?」偃曰:「吾乃晉客,車上者乃吾主也。遠行無糧,願求一餐!」田夫笑曰:「堂堂男子,不能自資,而問吾求食耶?吾等乃村農,飽食方能荷鋤,焉有餘食及於他人?」偃曰:「縱不得食,乞賜一食器!」田夫乃戲以土塊與之曰:「此土可為器也!」魏犨大罵:「村夫焉敢辱吾!」奪其食器,擲而碎之。重耳亦大怒,將加鞭扑。偃急止之曰:「得飯易,得土難,土地,國之基也。天假手野人,以土地授公子,此乃得國之兆,又何怒焉?公子可降拜受之。」重耳果依其言,下車拜受。田夫不解其意,乃群聚而笑曰:「此誠癡人耳!」後人有詩曰:

    土地應為國本基,皇天假手慰艱危。高明子犯窺先兆,田野愚民反笑癡。

  再行約十餘里,從者飢不能行,乃休於樹下。重耳飢困,枕狐毛之膝而臥。狐毛曰:「子餘尚攜有壺餐,其行在後,可俟之。」魏犨曰:「雖有壺餐,不夠子餘一人之食,料無存矣。」眾人爭採蕨薇煮食,重耳不能下咽。忽見介子推捧肉湯一盂以進,重耳食之而美。食畢,問:「此處何從得肉?」介子推曰:「臣之股肉也。臣聞『孝子殺身以事其親,忠臣殺身以事其君。』今公子乏食,臣故割股以飽公子之腹。」重耳垂淚曰:「亡人累子甚矣!將何以報?」子推曰:「但願公子早歸晉國,以成臣等股肱之義。臣豈望報哉!」髯仙有詩贊云:

    孝子重歸全,虧體謂親辱。嗟嗟介子推,割股充君腹。委質稱股肱,腹心同禍福。豈不念親遺?忠孝難兼局!彼哉私身家,何以食君祿?

良久,趙衰始至。眾人問其行遲之故,衰曰:「被棘刺損足脛,故不能前。乃出竹笥中中壺餐,以獻於重耳。重耳曰:「子餘不苦飢耶?何不自食?」衰對曰:「臣雖飢,豈敢背君而自食耶?」狐毛戲魏犨曰:「此漿若落子手,在腹中且化矣。」魏犨慚而退。重耳即以壺漿賜趙衰,衰汲水調之,遍食從者。重耳嘆服。重耳君臣一路覓食,半飢半飽,至於齊國。

  齊桓公素聞重耳賢名,一知公子進關,即遣使往郊,迎入公館,設宴款待。席間問:「公子帶有內眷否?」重耳對曰:「亡人一身不能自衛,安能攜家乎?」桓公曰:「寡人獨處一宵,如度一年。公子絀在行旅,而無人以侍巾櫛,寡人為公子憂之!」於是擇宗女中之美者,納於重耳。贈馬二十乘,自是從行之眾,皆有車馬。桓公又使廩人致粟,庖人致肉,日以為常。重耳大悅,嘆曰:「向聞齊侯好賢禮士,今始信之!其成伯,不亦宜乎?」其時周襄王之八年,乃齊桓公之四十二年也。

  桓公自從前歲委政鮑叔牙,一依管仲遺言,將豎刁、雍巫、開方三人逐去。食不甘味,夜不酣寢,口無謔語,面無笑容。長衛姬進曰:「君逐豎刁諸人,而國不加治。容顏日悴,意者左右使令,不能體君之心。何不召之?」桓公曰:「寡人亦思念此三人,但已逐之,而又召之,恐拂鮑叔牙之意也。」長衛姬曰:「鮑叔牙左右,豈無給使令者?君老矣,奈何自苦如此!君但以調味,先召易牙,則開方豎刁可不煩招而致也。」桓公從其言,乃召雍巫和五味。鮑叔牙諫曰:「君豈忘仲父遺言乎?奈何召之?」桓公曰:「此三人有益於寡人,而無害於國。仲父之言,無乃太過!」遂不聽叔牙之言,並召開方豎刁。三人同時皆令復職,給事左右。鮑叔牙憤鬱發病而死,齊事從此大壞矣。後來畢竟如何,且看下回分解。

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