東周列國志第三十二回 晏蛾児、牆を越えて節に殉ずる/群公子、朝堂を騒がせる (晏蛾兒踰牆殉節 羣公子大鬧朝堂)
桓公、佞臣を復用し専権が始まる
- 話は戻って、斉の桓公は管仲の遺言に背き、豎刁・雍巫・開方の三人を再び用いた。鮑叔牙は諫めても聞き入れられず、病を発して死んだ。
- 三人はますます憚るところなく、桓公が老いぼれて無能になったことに乗じて、専権をふるって政事を取り仕切るようになった。
- 三人に従う者は、貴くなくとも富み、三人に逆らう者は、死ななくとも追放された。この話はしばらく脇に置く。
名医扁鵲の逸話
- さて、この時、鄭国に名医がいた。姓は秦、名は緩、字は越人といい、斉の盧村に寓居していたため盧医と号した。
- 若い頃、宿屋を開いていた時、長桑君という者が寄宿し、秦緩はその人がただ者ではないと知って厚くもてなし、宿代を取らなかった。
- 長桑君はこれに感謝し、神薬を授け、上池の水で服用させると、目は鏡のように澄み、暗闇の中でも化け物を見ることができ、たとえ人が壁を隔てていても見通せるようになった。これによって人の病症を診ると、五臓六腑まで見通せぬことはなかったが、あえて脈診と称していた。
- 昔、扁鵲という者がおり、軒轅黄帝と同時代の人で医薬に精通していた。人々は盧医の手腕が抜きん出ているのを見て、昔の人になぞらえ、彼もまた扁鵲と号された。
- 先年、扁鵲は虢国を遊歴した折、ちょうど虢の太子が急死したところに出くわし、扁鵲はその宮中を通りかかり、自ら治療できると言った。
- 内侍が「太子はすでに死んでおります、どうして生き返らせられましょうか」と言うと、扁鵲は「試させてほしい」と言った。
- 内侍が虢公に報告すると、虢公は涙を襟に流しながら扁鵲を招き入れて診させた。
- 扁鵲は弟子の陽厲に石の針を打たせた。しばらくすると太子は蘇生し、さらに湯薬を進めると、二十日余りで元の状態に戻った。世人はみな扁鵲に死者を蘇らせる術があると称えた。
- 扁鵲は天下を巡り歩き、無数の人を救った。ある日、臨淄に遊びに至り、斉の桓公に謁見して奏上した。「君には皮膚の表面に病がございます、治療されなければ深くなりましょう。」
- 桓公は「寡人は病を患ってはいない」と言った。扁鵲は退出した。
- 五日後、再び現れて「君の病は血脈にあります、治療なさらねばなりません」と奏上したが、桓公は答えなかった。
- さらに五日後、再び現れて「君の病はすでに腸胃に入っております、速やかに治療なさるべきです」と奏上したが、桓公はまた答えなかった。
- 扁鵲が退くと、桓公は「甚だしいものだ、医者が功を立てたがることは。病がないのに病があると言う」と嘆いた。
- 五日経って、扁鵲がまた面会を求め、桓公の顔色を望み見ると、退いて走り去った。
- 桓公が人を遣わしてわけを尋ねさせると、扁鵲は言った。「君の病はすでに骨髄にございます。皮膚の表面の病は湯や熨で治せます。血脈の病は針や砭で治せます。腸胃の病は酒や醪で治せます。今、病は骨髄にあり、たとえ司命の神であってもどうしようもありません。臣はこれゆえに何も申さず退いたのです。」
- さらに五日経つと、桓公は果たして病を発し、人を遣わして扁鵲を召した。宿の主人は「秦先生は五日前にすでに荷物をまとめて去りました」と言った。桓公は悔やんでも悔やみきれなかった。
六人の公子と後継争いの種
- 桓公には先に三人の夫人がいた。王姫・徐姫・蔡姫である。いずれも子がなかった。王姫・徐姫は相次いで先に亡くなった。蔡姫は蔡国に送り返された。
- その下にさらに如夫人六人がいた。いずれも君の寵愛を得たため、礼数は夫人と変わらなかった。それゆえ如夫人と呼ばれた。
- 六人はそれぞれ一人の子を生んだ。第一位の長衛姫は公子無虧を生んだ。第二位の少衛姫は公子元を生んだ。第三位の鄭姫は公子昭を生んだ。第四位の葛嬴は公子潘を生んだ。第五位の密姫は公子商人を生んだ。第六位の宋華子は公子雍を生んだ。
- そのほかの側室や侍女にも子のある者が多くいたが、六人の如夫人の数には入らない。
- その六人の如夫人の中で、長衛姫だけが桓公に最も長く仕えていた。六人の公子の中でも、無虧だけが最年長であった。
- 桓公の寵臣、雍巫・豎刁はともに衛姫と親しく、二人は桓公に願い出て無虧を後継に立てることを許された。
- のちに桓公はまた公子昭の賢を愛し、管仲と相談して、葵邱の会で宋の襄公に頼み、昭を太子とすることを託した。
- 衛出身の公子開方だけは公子潘と親しく、また潘のために後継の座を謀った。
- 公子商人は施しを好む性格で、かなり民心を得ており、母の密姫が寵愛を受けていたため、分をこえた望みを抱くようになった。
- その中でただ公子雍だけは出身が卑しく、分をわきまえて身を慎んでいた。
- そのほかの五人の公子は、それぞれ手下の一派を作り互いに猜疑し合い、まるで五頭の大虎がそれぞれ牙爪を隠し、相手が来れば掴みかかって噛み殺そうと待ち構えているようであった。
- 桓公は英主であったとはいえ、剣も古くなれば刃こぼれし、人も老いれば剛さを失うというもので、多年にわたり侯伯を務め、志も満ち足り、もとより酒色に耽る人物であり、清心寡欲の人ではなかった。今や衰えた老年に至り、志気は自然に衰弱していた。
- またつまらぬ者が権を用いて耳目を蔽い、ただ楽しい境遇だけを知って苦しい境遇を知らず、忠言を聞かず諛言を聞くばかりであった。
- あの五人の公子は、それぞれの母に太子にと求めさせたが、桓公もいい加減に応じるばかりで、後継を決着させる筋道がまるでなかった。まさに「人に先々への備えがなければ、必ず身近な憂いがある」ということである。
雍巫・豎刁、宮門を封鎖する
- 突然、桓公が病に倒れ、寝室に臥せった。
- 雍巫は扁鵲が挨拶もなく去ったのを見て、もう治りがたいと察した。そこで豎刁と相談して一計を案出し、宮門に牌を掲げて桓公の言葉と偽って伝えた。牌にはこう書かれていた。
- 「寡人には動悸の病があり、人の声を聞くのを嫌う。群臣であれ公子たちであれ、一切宮中に入れてはならぬ。寺貂に宮門をしっかり守らせ、雍巫に宮中の護衛兵を率いて巡邏させよ。一切の国政は、寡人の病が癒えた日を待って奏聞せよ。」
- 巫・刁の二人はこう偽って牌を掲げ、宮門を封鎖した。
- ただ公子無虧だけを長衛姫の宮に留め、他の公子が伺候しても、宮中に入って桓公に会うことは許さなかった。
- 三日経っても桓公は死ななかったので、巫・刁は桓公の左右に仕える者を、男女を問わずすべて追い出し、宮門をふさぎ切った。
- また寝室の周りにさらに三丈の高い塀を築き、内外を隔絶し、風の隙間さえ通じないようにした。ただ塀の下に犬用の穴のような一つの穴だけを残し、朝夕に幼い内侍をくぐらせて生死の消息を探らせた。
- 一方で宮中の護衛兵を整え、諸公子の変事に備えた。この件はここまでにしておく。
晏蛾兒に看取られ、桓公薨ず
- さて桓公は牀に伏せったまま起き上がれず、左右を呼んでも一人も答える者がなかった。目を見開いて、ただぼんやりと見つめているばかりであった。
- ふと、どさりという音がして、誰かが上から落ちてきたようで、しばらくして窓を押して入ってきた者があった。
- 桓公が目を凝らして見ると、賤妾の晏蛾兒であった。
- 桓公は「わたしは腹が減っている、粥を飲みたいと思う、取ってきてくれ」と言った。
- 蛾兒は「粥を探せるところがございません」と答えた。
- 桓公は「熱い湯でも渇きを救える」と言った。蛾兒は「熱い湯すら手に入りません」と答えた。
- 桓公が「なぜだ」と問うと、蛾兒は「易牙と豎刁が乱を起こし、宮門を固く守り、三丈の高い塀を築いて内外を隔て、人を通しません。飲食がどこから来ましょう」と答えた。
- 桓公が「そなたはどうやってここに来られたのか」と問うと、蛾兒は「妾はかつて主公に一度寵愛を受けた恩がございます、そのため命を顧みず塀を越えて参りました、わが君の最期を見届けたく存じます」と答えた。
- 桓公が「太子の昭はどこにいるのか」と問うと、蛾兒は「二人に阻まれて外におり、宮に入れません」と答えた。
- 桓公は「仲父はなんと聖人であったことか。聖人の見通しは、なんと遠かったことか。寡人が愚かであったばかりに、今日のようなことになったのだ」と嘆いた。
- そこで気力を振り絞って大声で叫んだ。「天よ、天よ。小白(桓公の名)はこのように終わるのか。」
- 数声叫び、血を数口吐き、蛾兒に「私には寵愛する妾が六人、子が十余人いたのに、目の前に一人もいない。ただそなた一人だけが最期を看取ってくれる、日頃そなたを厚く扱わなかったことを深く恥じている」と言った。
- 蛾兒は「主公はどうかご自愛ください。万一のことがあれば、妾は死をもってわが君をお送りいたします」と答えた。
- 桓公は「私が死んで何も知らなければそれでよいが、もし知るところがあれば、どんな顔をして仲父にあの世で会えようか」と嘆き、袖で自ら顔を覆い、続けざまに嘆きの声を漏らして絶命した。
- 桓公が周の荘王十二年の夏五月に即位し、周の襄王九年の冬十月に没するまで、在位はあわせて四十三年、寿命は七十三歳であった。
- 潜淵先生が詩を作り、桓公の生前の功績を称えた。(詩:周室東遷して綱紀が乱れる中、真っ先に列国に呼びかけて周王を尊んだ、南は僭称する楚を討って供え物の茅の貢ぎを復させ、北は頑迷な戎を征して北方の砂漠の境を開いた、衛を立て邢を存続させて仁徳を著し、太子を定め簒奪を禁じて義声を揚げた、正しくして詐らずと『春秋』に許され、五伯の中で最も業績が強大であった、という趣旨。)
- 髯仙もまた一絶を作り、桓公一生の英雄ぶりが最後には何の結果も得られなかったことを嘆いた。(詩:四十余年、方伯と号し、南を摧き西を抑えて雄たること敵なし、ある朝、病に臥せば牙・刁は狂い、やはり仲父(管仲)を死なせてはならなかったのだ、という趣旨。)
晏蛾兒の殉死
- 晏蛾兒は桓公の命が絶えたのを見て、痛哭した。
- 外の人を呼ぼうとしたが、塀が高くて声が届かず、塀を越えて出ようとしたが、塀の内側には足がかりになるものがなかった。左右に思案を巡らせ、ため息をついて「私はかつて『死をもってわが君をお送りする』と言った。納棺して安置する事は、婦人の知るところではない」と言った。
- そこで衣を解いて桓公の屍を覆い、さらに窓の格子を二枚肩に担いでこれに被せ、暫定的に覆い隠すこととした。
- 牀の下に向かって叩頭し、「わが君の魂よ、しばらく遠くへ行きませぬよう、妾がお供いたします」と言った。
- そして頭を柱にぶつけ、頭が裂けて死んだ。まことに賢い婦人であった。
晏蛾兒の屍と桓公の遺体が見つかる
- その夜、幼い内侍が塀の穴をくぐって入ると、寝室の堂柱の下、血だまりの中に横たわる屍を見つけ、驚いて飛び出し、巫・刁の二人に「主公はすでに柱に頭をぶつけて自害されました」と報告した。
- 巫・刁の二人は信じず、内侍たちに塀を掘り開かせ、二人自ら見に来ると、それは婦人の屍であったので大いに驚いた。
- 内侍の中に見覚えのある者がいて、「これは晏蛾兒です」と指し示した。
- あらためて象牙の牀の上を見ると、二枚の窓の格子が、何も言わず動かず、何も知らず何も感じない斉の桓公の遺体を覆っていた。ああ悲しいかな、いつ息絶えたのかも分からなかった。
無虧擁立の陰謀と東宮襲撃
- 豎刁はさっそく喪を発する相談をした。雍巫は「しばらく待て、しばらく待て、まず長公子の君位を定めてから喪を発すべきだ、そうすれば争いを免れられよう」と言った。豎刁もこれを是とした。
- そこで二人は長衛姫の宮に赴き、密かに奏上した。「亡き先代はすでに薨去されました。長幼の序で言えば夫人のお子に当たります。しかし亡き先代の存命中、公子昭を宋公に託して太子に立てられたことは、群臣にも知っている者が多くございます。もし亡き先代の変事を聞けば、必ず太子を助けようとするでしょう。臣らの計では、今夜の慌ただしい隙に乗じて、宮の甲士を率いて太子を追い殺し、長公子を即位させれば、大事は定まりましょう。」
- 長衛姫は「私は婦人です、卿らがよろしくお計らいください」と言った。
- そこで雍巫・豎刁はそれぞれ数百人の宮中の護衛兵を率い、東宮に殺到して世子を捕らえようとした。
世子昭、宋へ逃れる
- さて世子昭は宮に入って病を見舞うこともできず、悶々として楽しまなかった。
- その夕方、灯りをともして一人座っていると、夢とも現ともつかぬ状態の中、一人の婦人が現れて「太子よ、まだ速やかに逃げないのですか、禍がすぐに至りますぞ。妾は晏蛾兒でございます、亡き先代の命を受け、特にお知らせに参りました」と言った。
- 昭がまさにこれを問いただそうとすると、婦人は昭を一押しし、万丈の深淵に落ちるような感覚に襲われた。
- はっと目覚めると婦人の姿は見えなかった。この兆しは実に奇怪であり、信じないわけにはいかなかった。
- 急いで従者を呼んで手燭を取らせ、供をさせ、脇門を開いて、上卿高虎の家まで歩いて行き、急いで門を叩いた。
- 高虎は迎え入れ、来意を尋ねると、公子昭は事情をそのまま訴えた。
- 高虎は言った。「主公は半月病に臥せっておられ、奸臣に内外を隔絶され、消息が通じません。世子のこの夢は、凶多く吉少なしです。夢の中で亡き先代と称されたからには、主公はきっとすでに薨去されたのでしょう。あるとして信じても、ないとして信じてはなりません。世子はしばらく国境の外に出て、不測の事態に備えるべきです。」
- 昭は「どこに身を落ち着けられましょうか」と問うた。
- 高虎は言った。「主公はかつて世子を宋公に託されました。今、宋に赴くのがよろしいでしょう、宋公は必ずお助けくださいましょう。虎は国を守る臣、世子とともに出奔するわけにはいきません。私の門下士に崔夭という者がおり、東門の鍵を管理しております。私が人を遣わして門を開けるよう命じますから、世子は夜のうちに城を出られるがよいでしょう。」
- 言い終わらぬうちに、門番が「宮中の護衛兵が東宮を包囲しました」と報告してきた。世子昭は驚いて顔が土気色になった。
- 高虎は昭に変装をさせ、従者と同様の身なりにし、腹心の者を付き添わせて東門へ向かわせ、崔夭に触れを伝え、鍵を開いて世子を送り出させた。
- 崔夭は言った。「主公の存亡はまだ分かりません、私が密かに太子を放てば、罪も免れないでしょう。太子にお供の者がいないなら、崔夭をお見捨てにならなければ、ご一緒に宋へ参りたく存じます。」
- 世子昭は大いに喜んで「そなたが同行してくれるなら、私の願いだ」と言った。
- そこで城門を開き、崔夭は随伴の車があるのを見て、世子を車に乗せ、自らは手綱を執って、宋の国へと急ぎ向かった。
巫・刁、朝堂で百官を斬り散らす
- 話は二つに分かれる。さて巫・刁の二人は宮中の護衛兵を率いて東宮を包囲し、あちこち捜索したが、世子昭の姿は見当たらなかった。
- 四更の太鼓が鳴る頃、雍巫は「我らが東宮を包囲したのは、ただ不意を突くためであった。もし天明まで遅れて、他の公子に知られてしまえば、先に朝堂を占拠されて大事は失われる。いっそ宮に戻って長公子を擁立し、群情がどうかを見て、改めて策を考えよう」と言った。
- 豎刁は「その言葉こそまさに私の考えと一致する」と言った。二人は甲士を収め、宮に戻る前に、朝門が大きく開き、百官が続々と集まっているのを見た。
- ちょうど高氏・国氏・管氏・鮑氏・陳氏・隰氏・南郭氏・北郭氏・閭邱氏といった一族の子孫や臣下・庶民であり、その名はとても言い尽くせない。
- これらの官員たちは、巫・刁の二人が多くの甲士を率いて宮を出たと聞いて、必ず宮中に変事があったと察し、みな朝廷の控えの間に集まって消息を探っていた。
- 宮中からはすでに斉侯の凶事が漏れ伝わっていた。また東宮が包囲されたと聞き、言うまでもなく奸臣が機に乗じて乱を起こしたのだと悟った。「あの世子は亡き先代が立てられた方だ、もし世子に万一のことがあれば、我らはどんな顔で斉の臣と言えようか」と、三々五々、世子を救おうと相談していた。
- ちょうどそこへ巫・刁の二人が兵を率いて戻ってきた。人々は一斉に押し寄せ、口々に「世子はどこにおられるか」と問うた。
- 雍巫は両手を組んで礼をして「世子無虧は、今は宮中におられます」と答えた。
- 人々は「無虧はまだ冊立の命を受けていません、我らの主君ではありません、世子昭をお返しください」と言った。
- 豎刁は剣を手に執って大言した。「昭はすでに追放した。今、亡き先代の臨終の遺命を奉じて長子無虧を君に立てる。従わぬ者は剣の下に誅す。」
- 人々は憤憤として不平を鳴らし、口々に罵った。「みなお前たちのような心のねじけたへつらい者のせいだ、死者を欺き生者を蔑ろにし、勝手に廃立を専権する。もしお前たちが無虧を立てるなら、我らは誓って臣とはならぬ。」
- 大夫の管平が進み出て「今日はまずこの二人の奸臣を打ち殺し、禍根を除いてから改めて相談しよう」と言い、笏を手にして豎刁の脳天目がけて打ちかかった。
- 豎刁は剣でこれを受け止めた。
- 官員たちが助けに前へ出ようとすると、雍巫が「甲士ども、今こそ動かねば、日頃お前たちを養った甲斐がないぞ」と大喝した。
- 数百人の甲士がそれぞれ武器を手に一斉に襲いかかり、官員たちを乱れ斬りにした。
- 人々は手に武器を持たず、多勢に無勢、弱勢は強勢に敵わず、支えようがなかった。まさに「白玉の階前が戦場となり、金鑾殿の上で閻魔に見える」ようであった。
- 百官のうち乱軍の手にかかって死んだ者は十分の三に及び、そのほか負傷した者も多く、みな朝門から逃げ散った。
無虧の即位と国・高二老の拒絶
- さて巫・刁の二人は官員たちを斬り殺して追い散らし、天がすっかり明るくなると、宮中から公子無虧を連れ出し、朝堂で即位させた。
- 内侍たちが鐘鼓を鳴らし、甲士が両側に列を作り、階下で拝舞して祝賀する者は、わずかに雍巫・豎刁の二人だけであった。
- 無虧は恥じ入るとともに怒った。
- 雍巫は「大喪がまだ発せられていないため、群臣はまだ旧君の喪送を知らず、どうして新君を迎えることを知りましょうか。この件はぜひ国懿仲・高虎の二老を入朝させ、それによって百官を号令し人心を圧服させるべきです」と奏上した。
- 無虧はこれを許し、すぐに内侍を分けて右卿の国懿仲、左卿の高虎を召し出させた。この二人は周天子が命じた監国の臣であり、代々上卿を務め、群僚の敬服するところであった。それゆえこの二人を召したのである。
- 国懿仲と高虎は、内侍が(無虧の)命を伝えに来たのを聞いて、斉侯がすでに死んだことを知り、朝服さえ着けず、すぐに麻の喪服をまとって入朝し、喪に駆けつけた。
- 巫・刁の二人は慌てて門の外に迎え出て、「今日、新君が殿に御しております、老大夫はしばらく吉服にお改めください」と言った。
- 国・高の二老は声を揃えて答えた。「旧君をまだ殯していないのに、先に新君を拝するのは礼ではない。誰であれ亡き先代の子でないことはない、老夫に選り好みなどあろうか、ただ喪を主宰できる者にこそ従うのだ。」
- 巫・刁は言葉に詰まった。
- 国・高の二人はそのまま門の外で虚空に向かって再拝し、大いに哭泣して立ち去った。
- 無虧は「大喪がまだ殯されておらず、群臣もまだ服しない、どうすればよいか」と言った。
- 豎刁は「今日の事は、たとえば虎を捕らえるようなもの、力ある者が勝ちます。主上はただ正殿を占拠しておられればよろしい。臣らは両脇の回廊に兵を列べ、公子で入朝しようとする者があれば、すぐに兵で脅しつけます」と言った。
- 無虧はこの言に従った。
- 長衛姫は自分の宮の甲士を尽く出し、内侍にはみな軍装させ、宮女で体格が大きく力のある者も甲士の数に加え、巫・刁がそれぞれ半数ずつ統率して両脇の回廊に配置した。この件はここまでにしておく。
三公子、割拠して対抗する
- さて衛出身の公子開方は、巫・刁が無虧を擁立したと聞き、葛嬴の子の潘に「太子昭はどこへ行ったか分からない、無虧を立てられるなら、公子だけが立てられないことがあろうか」と言った。
- そこで家の召使いと決死の士をことごとく起こし、右殿に陣を敷いた。
- 密姫の子商人は、少衛姫の子元とともに「同じく亡き先代の血筋だ、国土に持ち分がないわけがない。公子潘はすでに右殿を占拠した、我らも同様に左殿を占拠しよう。世子昭が到着したら、みなで位を譲ればよいし、来なければ斉国を四分すればよい」と共議した。
- 元はこれを是とし、それぞれ家の私兵や日頃養っていた門下の士を集めて隊をなして来た。
- 公子元は左殿に陣を敷き、公子商人は朝門に陣を敷き、互いに両側から正殿を挟み撃ちにする布陣を約した。
- 巫・刁は三公子の勢いを恐れ、正殿を固く守り、あえて出撃しなかった。
- 三公子もまた巫・刁の強さを恐れ、それぞれ自軍を守り、衝突を慎重に防いだ。まさに「朝廷の中に敵国ができ、道には行き交う人が絶えた」ようであった。(詩:鳳閣龍楼に虎豹のいななきが響き、入り乱れる武具が朱塗りの階に満ちる、明らかに四匹の虎が残った肉を争っているようだ、誰が心を折って降参などしようか、という趣旨。)
- その時、公子雍だけは事を恐れて秦国に出奔しており、秦の穆公に大夫として用いられていた。この件はここまでにしておく。
高虎・国懿仲、無虧に喪主を任せる
- さて官員たちは世子が出奔して、朝見すべき正統の君主がいなくなったと知り、みな門を閉ざして出なかった。
- ただ老臣の国懿仲・高虎だけは心が刀で刺されるようで、ひたすら解決の方策を考えていたが、なかなか良い策が見つからなかった。
- このようににらみ合いが続き、いつしか二か月余りが経った。
- 高虎は「諸公子はただ位を奪うことばかり考え、喪を治めようとしない、私は今日、死をもって争ってみる」と言った。
- 国懿仲は「あなたが先に口を開かれよ、私が続きます、ともに一命を捨てて、代々の爵禄の恩に報いようではないか」と言った。
- 高虎は「私たち二人だけが口を開いても、何の役に立とうか。斉の禄を食む者はみな臣子ではないか、我らが門ごとに呼びかけ召し集め、ともに朝堂に赴き、ひとまず公子無虧に喪を主宰させてはどうか」と言った。
- 懿仲は「長を立てるという慣わしからすれば、無虧を立てても理由がないわけではない」と言った。
- そこで二人は手分けして群臣を招き寄せ、ともに遺体の前で泣く弔問に赴いた。
- 官員たちは二人の老大夫が主導するのを見て、勇気を得てそれぞれ喪服を整え、連れ立って入朝した。
- 寺貂が遮って「老大夫方はどのようなご用向きでこちらへ」と問うと、高虎は「双方が対峙して、いつまでも決着がつかない。我らはただ公子に喪を主宰していただきたく参っただけで、他意はない」と言った。
- 寺貂は虎に一礼して通した。
- 虎が手を挙げて招くと、国懿仲とともに群臣がみな入り、朝堂に至り、無虧に告げた。「臣らは聞いております、『父母の恩は天地のごとし』と。それゆえ人の子たる者は、生きては敬いを尽くし、死しては納棺し葬るものです。父の死を殮めもせずに富貴を争うということは聞いたことがございません。まして君は臣の手本、君がすでに孝ならざれば、臣がどうして忠でありましょうか。今、先君が亡くなられてすでに六十七日、いまだ棺に入れられておりません。公子は正殿にいらっしゃいますが、心中安らかでいらっしゃいますか。」
- 言い終わると、群臣はみな地に伏して痛哭した。
- 無虧もまた涙を流し、「孤の不孝は罪、天に通ずる。孤とて喪礼を成そうと思わぬわけではないが、元らに迫られてはどうしようもない」と言った。
- 国懿仲は「太子はすでに出奔しました、公子が最年長でいらっしゃいます。公子が喪事を主宰し先君を収殮なされば、大位は自ずと公子に帰しましょう。公子元らはそれぞれ殿の門を占拠しておりますが、老臣が義をもって責め立てましょう、誰が公子と争いましょうか」と言った。
- 無虧は涙を収めて拝し、「これこそ孤の願うところです」と言った。
- 高虎は雍巫に命じて引き続き宮殿の回廊を守らせ、諸公子で喪服をまとって入朝する者は入れさせ、もし武器を帯びている者はすぐに捕らえて罪に問うようにした。
- 寺貂は先に寝宮に行き、納棺して安置する支度を整えた。
桓公の遺体腐敗と二人の納棺
- さて桓公の屍は牀の上に長らく放置され、誰も顧みず、冬の季節とはいえ、血と肉は崩れ散り、屍の気が蒸れて蟻のように蛆虫がわき、そのまま塀の外まで這い出ていった。
- 初め、人々は蛆虫がどこから湧いたのか分からなかったが、寝室に入り窓の格子を開くと、蛆虫が屍骨に群がっているのを見て、悲惨に思わぬ者はなかった。
- 無虧は声を放って大いに泣き、群臣もみな泣いた。
- その日のうちに梓の棺を取り寄せて収殮したが、皮膚も肉もすでに腐り、わずかに袍と帯とで包む程度で、粗末なものであった。
- ただ晏蛾兒だけは顔色が生前と変わらず、形もそのままであったため、高虎らはこれを忠烈の婦と知り、嘆息やまず、これも棺を取り寄せて収めさせた。
- 高虎らは群臣を率いて無虧に喪を主宰する位につかせ、人々はそれぞれ順に遺体の前で泣いて弔った。その夜は、みな柩のそばで宿った。
- さて公子元・公子潘・公子商人は外に陣を敷いていたが、高国の老臣たちが群臣を率いて喪服姿で内に入るのを見ても、何事か分からなかった。
- のちに桓公がすでに殯されたこと、群臣がみな無虧を奉じて喪を主宰させ、これを君として戴いたことを聞くと、互いに言い伝えて「高国が主導する以上、我らは争えまい」と言い合った。
- そこでそれぞれ兵を解散させ、みな喪服をまとって宮中に入り、喪に駆けつけた。兄弟が相見えると、それぞれ大いに泣いた。
- その時、もし高・国が無虧を説得しなかったなら、この事がどう決着したか分からなかったであろう。
- 胡曾先生が詩を作って嘆いた。(詩:忠臣に背き佞臣を寵愛したことが、骨肉の争いを引き起こす結果となった、もし高・国が和解を取り持たなければ、白骨が牀に積み重なって葬ることさえできなかったろう、という趣旨。)
宋の襄公、昭を納れる出兵を決める
- さて斉の世子昭は宋国に逃げ込み、宋の襄公に会い、地に伏して泣き拝み、雍巫・豎刁が乱を起こした事情を訴えた。
- その時、宋の襄公は群臣を集めて問うた。「昔、斉の桓公はかつて公子昭を寡人に託し、太子に立てられた、指を折れば十年になる。寡人は心にこれを刻み、忘れたことはない。今、巫・刁の内乱により太子は追われた、寡人は諸侯を集めて斉の罪を討ち、昭を斉に納れ、その君位を定めて戻りたいと思う。この挙が成れば、名は諸侯を動かし、会盟を主導して桓公の覇業を継ぐことができよう、卿らはどう思うか。」
- 一人の大臣が進み出て「宋国には斉に及ばぬ点が三つございます、どうして諸侯に覇たり得ましょうか」と言った。
- 襄公が見ると、その人は宋の先君桓公の長子であり、襄公の庶兄で、先年国を譲って立たなかったため、襄公が上卿として用いていた公子目夷、字は子魚という人物であった。
- 襄公が「子魚は『三つ及ばぬ』と言うが、その理由は何か」と問うと、目夷は言った。「斉には泰山・渤海の険があり、瑯琊・即墨の豊かさがあります。我が国は土地小さく兵少なく糧少ない、これが一つ目に及ばぬ点です。斉には高・国の世卿がいて国政を取り仕切り、管仲・甯戚・隰朋・鮑叔牙がいてその事を謀っています。我が国は文武の人材が揃わず、賢才も登用されていません、これが二つ目に及ばぬ点です。桓公が北に山戎を伐った時には『俞児』が道を開き、郊外で狩りをした時には『委蛇』が現れました。我が国は今年春正月、五星が地に落ちてみな石に化し、二月にはまた大風の異変があり、六羽の鷁が退き飛びました。これは上から下る、前進すべきが後退する象です、これが三つ目に及ばぬ点です。この三つの及ばぬ点がある以上、自らを保つのさえ暇がない、他人を顧みる暇などございましょうか。」
- 襄公は「寡人は仁義を主として行動している、遺された孤児を救わないのは仁でない。人から託されて棄てるのは義でない」と言った。
- そこで太子昭を国に納れることを諸侯に檄文で伝え、来年の春正月に斉の郊外に集まることを約した。
- 檄文が衛国に至ると、衛の大夫寧速が進み出て「嫡子を立て、嫡子がなければ長子を立てるのが礼の常です。無虧は年長で、また衛を守った功があり、我が国に恩がございます、どうか君はこの檄(昭を擁立する出兵)にお加わりになりませんように」と言った。
- 衛の文公は「昭はすでに世子に立てられた、天下にこれを知らぬ者はない。衛を守ったことは私恩であり、世子を立てることは公義である。私をもって公を廃するようなことは、寡人はしない」と言った。
- 檄文が魯国に至ると、魯の僖公は「斉侯は昭を宋に託し、寡人には託さなかった、寡人はただ長幼の序を知るのみである。もし宋が無虧を伐つなら、寡人は救おう」と言った。
宋の出兵と、高虎・国懿仲の密計
- 周の襄王十年、斉の公子無虧の元年三月、宋の襄公は自ら衛・曹・邾の三国の軍を合わせ、世子昭を奉じて斉を討ち、郊外に兵を屯した。
- その時、雍巫はすでに中大夫に進み司馬となり、兵権を握っていた。無虧は雍巫に兵を統率させて城を出て敵を防がせ、寺貂は城内にあって軍の差配を指揮した。高・国の二卿は城壁と堀を分けて守った。
- 高虎は国懿仲に言った。「私が無虧を立てたのは、先君がまだ殯されていなかったためであり、彼を奉じたわけではない。今、世子がすでに到着し、また宋の助けを得ている。理からすれば彼が順であり、勢いからすれば彼が強い。それに巫・刁は百官を殺害し、権を専らにして政を乱している、必ず斉の禍となろう。むしろこの機に乗じてこれを除き、世子を迎えて君に立てるべきだ。そうすれば諸公子は分をこえた望みを絶ち、斉は泰山のごとき安定を得よう。」
- 懿仲は「易牙は兵を統率して郊外に駐屯している、私が豎刁を召し、密議と称して招き寄せ、それによってこれを殺し、百官を率いて世子を迎え、無虧の位に代えよう。私が思うに易牙には何もできまい」と言った。
- 高虎は「この計は実に妙だ」と言い、城楼に壮士を伏せ、機密の重事と偽って人を遣わし豎刁に会うよう請わせた。まさに「仕掛けを設けて猛虎を捕らえ、香餌を用意して大魚を釣る」ようなものであった。
- 豎刁の命がどうなるかは分からない、次回を見られよ。
原文(底本)
話說齊桓公背了管仲遺言,復用豎刁、雍巫、開方三人,鮑叔牙諫諍不從,發病而死。三人益無忌憚,欺桓公老耄無能,遂專權用事。順三人者,不貴亦富。逆三人者,不死亦逐。這話且擱過一邊。 且說是時有鄭國名醫,姓秦名緩,字越人,寓於齊之盧村,因號盧醫。少時開邸舍,有長桑君來寓,秦緩知其異人,厚待之,不責其直。長桑君感之,授以神藥,以上池水服之,眼目如鏡,暗中能見鬼物,雖人在隔牆,亦能見之,以此視人病症,五臟六腑,無不洞燭,特以診脈為名耳。古時有個扁鵲,與軒轅黃帝同時,精於醫藥。人見盧醫手段高強,遂比之古人,亦號為扁鵲。先年扁鵲曾遊虢國,適值虢太子暴蹶而死,扁鵲過其宮中,自言能醫。內侍曰:「太子已死矣,安能復生?」扁鵲曰:「請試之。」內侍報知虢公,虢公流淚沾襟,延扁鵲入視。扁鵲教其弟子陽厲,用砭石針之。須臾,太子甦,更進以湯藥,過二旬復故。世人共稱扁鵲有回生起死之術。扁鵲周遊天下,救人無數。一日,遊至臨淄,謁見齊桓公,奏曰:「君有病在腠理,不治將深?」桓公曰:「寡人不曾有疾。」扁鵲出。後五日復見,奏曰:「君病在血脈,不可不治。」桓公不應。後五日又見,奏曰:「君之病已在腸胃矣。宜速治也!」桓公復不應。扁鵲退,桓公嘆曰:「甚矣,醫人之喜於見功也!無疾而謂之有疾。」過五日,扁鵲又求見,望見桓公之色,退而卻走。桓公使人問其故。曰:「君之病在骨髓矣!夫腠理,湯熨之所及也。血脈,針砭之所及也。腸胃,酒醪之所及也。今在骨髓,雖司命其奈之何!臣是以不言而退也。」又過五日,桓公果病,使人召扁鵲。其館人曰:「秦先生五日前已束裝而去矣。」桓公懊悔無已。 桓公先有三位夫人,曰王姬、徐姬、蔡姬,皆無子。王姬徐姬相繼先卒。蔡姬退回蔡國。以下又有如夫人六位,俱因他得君寵愛,禮數與夫人無別,故謂之如夫人。六位各生一子。第一位長衛姬,生公子無虧。第二位少衛姬,生公子元。第三位鄭姬,生公子昭。第四位葛嬴,生公子潘。第五位密姬,生公子商人。第六位宋華子,生公子雍。其余妾媵,有子者尚多,不在六位如夫人之數。那六位如夫人中,惟長衛姬事桓公最久。六位公子中,亦惟無虧年齒最長。桓公嬖臣雍巫豎刁,俱與衛姬相善,巫刁因請於桓公,許立無虧為嗣。後又愛公子昭之賢,與管仲商議,在葵邱會上,囑咐宋襄公,以昭為太子。衛公子開方,獨與公子潘相善,亦為潘謀嗣立。公子商人性喜施予,頗得民心,因母密姬有寵,未免萌覬覦之心。內中只公子雍出身微賤,安分守己。其他五位公子,各樹黨羽,互相猜忌,如五隻大蟲,各藏牙爪,專等人來搏噬。桓公雖然是個英主,卻不道劍老無芒,人老無剛,他做了多年的侯伯,志足意滿,且是耽於酒色之人,不是個清心寡慾的,到今日衰耄之年,志氣自然昏惰了。況又小人用事,蒙蔽耳目,但知樂境無憂境,不聽忠言聽諛言。那五位公子,各使其母求為太子,桓公也一味含糊答應,全沒個處分的道理。正所謂「人無遠慮,必有近憂。」 忽然桓公疾病,臥於寢室。雍巫見扁鵲不辭而去,料也難治了。遂與豎刁商議出一條計策,懸牌宮門,假傳桓公之語。牌上寫道: 寡人有怔忡之疾,惡聞人聲,不論群臣子姓,一概不許入宮,著寺貂緊守宮門,雍巫率領宮甲巡邏。一應國政,俱俟寡人病痊日奏聞。 巫刁二人,假寫懸牌,把住宮門。單留公子無虧,住長衛姬宮中,他公子問安,不容入宮相見。過三日,桓公未死,巫刁將他左右侍衛之人,不問男女,盡行逐出,把宮門塞斷。又於寢室周圍,築起高牆三丈,內外隔絕,風縫不通。止存牆下一穴,如狗竇一般,早晚使小內侍鑽入,打探生死消息。一面整頓宮甲,以防群公子之變。不在話下。 再說桓公伏於牀上,起身不得,呼喚左右,不聽得一人答應,光著兩眼,呆呆而看。只見撲蹋一聲,似有人自上而墜,須臾推窗入來。桓公睜目視之,乃賤妾晏蛾兒也。桓公曰:「我腹中覺餓,正思粥飲,為我取之!」蛾兒對曰:「無處覓粥飲。」桓公曰:「得熱水亦可救渴。」蛾兒對曰:「熱水亦不可得。」桓公曰:「何故?」蛾兒對曰:「易牙與豎刁作亂,守禁宮門,築起三丈高牆,隔絕內外,不許人通,飲食從何處而來?」桓公曰:「汝如何得至於此?」蛾兒對曰:「妾曾受主公一幸之恩,是以不顧性命,踰牆而至,欲以視君之瞑也。」桓公曰:「太子昭安在?」蛾兒對曰:「被二人阻擋在外,不得入宮。」桓公嘆曰:「仲父不亦聖乎?聖人所見,豈不遠哉!寡人不明,宜有今日。」乃奮氣大呼曰:「天乎,天乎!小白乃如此終乎?」連叫數聲,吐血數口,謂蛾兒曰:「我有寵妾六人,子十餘人,無一人在目前者。單只你一人送終,深愧平日未曾厚汝。」蛾兒對曰:「主公請自保重,萬一不幸,妾情願以死送君!」桓公嘆曰:「我死若無知則已,若有知,何面目見仲父於地下?」乃以衣袂自掩其面,連嘆數聲而絕。計桓公即位於周莊王十二年之夏五月,死於周襄王九年之冬十月,在位共四十有三年,壽七十三歲。潛淵先生有詩單讚桓公好處: 姬轍東遷綱紀亡,首倡列國共尊王。南徵僭楚包茅貢,北啟頑戎朔漠疆。立衛存邢仁德著,定儲明禁義聲揚。正而不譎《春秋》許,五伯之中業最強。 髯仙又有一絕,嘆桓公一生英雄,到頭沒些結果。詩云: 四十餘年號方伯,南摧西抑雄無敵。一朝疾臥牙刁狂,仲父原來死不得! 晏蛾兒見桓公命絕,痛哭一場。欲待叫喚外人,奈牆高聲不得達,欲待踰牆而出,奈牆內沒有襯腳之物,左思右想,嘆口氣曰:「吾曾有言:『以死送君』。若殯殮之事,非婦人所知也!」乃解衣以覆桓公之屍,復肩負窗槅二扇以蓋之,權當掩覆之意。向牀下叩頭曰:「君魂且勿遠去,待妾相隨!」遂以頭觸柱,腦裂而死。賢哉此婦也! 是夜,小內侍鑽牆穴而入,見寢室堂柱之下,血泊中挺著一個屍首,驚忙而出,報與巫刁二人曰:「主公已觸柱自盡矣!」巫刁二人不信,使內侍輩掘開牆垣,二人親自來看,見是個婦人屍首,大驚。內侍中有認得者,指曰:「此晏蛾兒也。」再看牙牀之上,兩扇窗槅,掩蓋著個不言不動,無知無覺的齊桓公。嗚呼哀哉,正不知幾時氣絕的。 豎刁便商議發喪之事。雍巫曰:「且慢,且慢,必須先定了長公子的君位,然後發喪,庶免爭競。」豎刁以為然。當下二人同到長衛姬宮中,密奏曰:「先公已薨逝矣!以長幼為序,合當夫人之子。但先公存日,曾將公子昭囑託宋公,立為太子,群臣多有知者;倘聞先公之變,必然輔助太子。依臣等之計,莫若乘今夜倉卒之際,即率本宮甲士,逐殺太子,而奉長公子即位,則大事定矣!」長衛姬曰:「我婦人也,惟卿等好為之!」於是雍巫豎刁各率宮甲數百,殺入東宮,來擒世子。 且說世子昭不得入宮問疾,悶悶不悅。是夕方挑燈獨坐,恍惚之間,似夢非夢,見一婦人前來謂曰:「太子還不速走,禍立至矣!妾乃晏蛾兒也,奉先公之命,特來相報。」昭方欲叩之,婦人把昭一推,如墜萬丈深淵。忽然驚醒,不見了婦人。此兆甚奇,不可不信。忙呼侍者取行燈相隨,開了便門,步至上卿高虎之家,急扣其門。高虎迎入,問其來意,公子昭訴稱如此。高虎曰:「主公抱病半月,被奸臣隔絕內外,聲息不通。世子此夢,凶多吉少。夢中口稱先公,主公必已薨逝了。寧可信其有,不可信其無,世子且宜暫出境外,以防不測。」昭曰:「何處可以安身?」高虎曰:「主公曾將世子囑咐宋公,今宜適宋,宋公必能相助。虎乃守國之臣,不敢同世子出奔。吾有門下士崔夭,見管東門鎖鑰。吾使人吩咐開門,世子可乘夜出城也。」言之未已,閽人傳報:「宮甲圍了東宮。」嚇得世子昭面如土色。高虎使昭變服,與從人一般,差心腹人相隨,至於東門,傳諭崔夭,令開鑰放出世子。崔夭曰:「主公存亡未知,吾私放太子,罪亦不免。太子無人侍從,如不棄崔夭,願一同奔宋。」世子昭大喜曰:「汝若同行,吾之願也!」當下開了城門,崔夭見有隨身車仗,讓世子登車,自己執轡,望宋國急急而去。 話分兩頭。卻說巫刁二人,率領宮甲,圍了東宮,遍處搜尋,不見世子昭的蹤影。看看鼓打四更,雍巫曰:「吾等擅圍東宮,不過出其不意。若還遲至天明,被他公子知覺,先據朝堂,大事去矣。不如且歸宮擁立長公子,看群情如何,再作道理。」豎刁曰:「此言正合吾意。」二人收甲,未及還宮,但見朝門大開,百官紛紛而集。不過是高氏、國氏、管氏、鮑氏、陳氏、隰氏、南郭氏、北郭氏、閭邱氏這一班子孫臣庶,其名也不可盡述。這些眾官員聞說巫刁二人,率領許多甲士出宮,料必宮中有變,都到朝房打聽消息。宮內已漏出齊侯凶信了。又聞東宮被圍,不消說得,是奸臣乘機作亂。「那世子是先公所立,若世子有失,吾等何面目為齊臣?」三三兩兩,正商議去救護世子。恰好巫刁二人兵轉。眾官員一擁而前,七嘴八張的,都問道:「世子何在?」雍巫拱手答曰:「世子無虧,今在宮中。」眾人曰:「無虧未曾受命冊立,非吾主也,還我世子昭來!」豎刁仗劍大言曰:「昭已逐去了!今奉先公臨終遺命,立長子無虧為君,有不從者,劍下誅之。」眾人憤憤不平,亂嚷亂罵:「都是你這班奸佞,欺死蔑生,擅權廢置。你若立了無虧,吾等誓不為臣!」大夫管平挺身出曰:「今日先打死這兩個奸臣,除卻禍根,再作商議。」手挺牙笏,望豎刁頂門便打。豎刁用劍架住。眾官員卻待上前相助,只見雍巫大喝曰:「甲士們,今番還不動手,平日養你每何幹?」數百名甲士,各挺器械,一齊發作,將眾官員亂砍。眾人手無兵器,況且寡不敵眾,弱不敵強,如何支架得來?正是:「白玉階前為戰地,金鑾殿上見閻王。」百官死於亂軍之手者,十分之三。其餘帶傷者甚多,俱亂竄出朝門去了。 再說巫刁二人,殺散了眾百官,天已大明,遂於宮中扶出公子無虧,至朝堂即位。內侍們鳴鐘擊鼓,甲士環列兩邊,階下拜舞稱賀者,剛剛只有雍巫豎刁二人。無虧又慚又怒。雍巫奏曰:「大喪未發,群臣尚未知送舊,安知迎新乎?此事必須召國高二老入朝,方可號召百官,壓服人眾。」無虧准奏,即遣內侍分頭宣召右卿國懿仲,左卿高虎。這兩位是周天子所命監國之臣,世為上卿,群僚欽服,所以召之。國懿仲與高虎聞內侍將命,知齊侯已死,且不具朝服,即時披麻帶孝,入朝奔喪。巫刁二人,急忙迎住於門外,謂曰:「今日新君御殿,老大夫權且從吉。」國高二老齊聲答曰:「未殯舊君,先拜新君,非禮也。誰非先公之子,老夫何擇,惟能主喪者,則從之。」巫刁語塞。國高乃就門外,望空再拜,大哭而出。無虧曰:「大喪未殯,群臣又不服,如之奈何?」豎刁曰:「今日之事,譬如搏虎,有力者勝。主上但據住正殿,臣等列兵兩廡,俟公子有入朝者,即以兵劫之。」無虧從其言。長衛姬盡出本宮之甲,凡內侍悉令軍裝,宮女長大有力者,亦湊甲士之數,巫刁各統一半,分布兩廡。不在話下。 且說衛公子開方,聞巫刁擁立無虧,謂葛嬴之子潘曰:「太子昭不知何往,若無虧可立,公子獨不可立乎?」乃悉起家丁死士,列營於右殿。密姬之子商人,與少衛姬之子元共議:「同是先公骨血,江山莫不有分。公子潘已據右殿,吾等同據左殿。世子昭若到,大家讓位,若其不來,把齊國四分均分。」元以為然,亦各起家甲,及平素所養門下之士,成隊而來。公子元列營於左殿,公子商人列營於朝門,相約為犄角之勢。巫刁畏三公子之眾,牢把正殿,不敢出攻。三公子又畏巫刁之強,各守軍營,謹防衝突。正是:「朝中成敵國,路上絕行人。」有詩為證: 鳳閣龍樓虎豹嘶,紛紛戈甲滿丹墀。分明四虎爭殘肉,那個降心肯伏低? 其時只有公子雍怕事,出奔秦國去訖,秦穆公用為大夫。不在話下。 且說眾官知世子出奔,無所朝宗,皆閉門不出。惟有老臣國懿仲高虎,心如刀刺,只想解結,未得其策。如此相持,不覺兩月有餘。高虎曰:「諸公子但知奪位,不思治喪,吾今日當以死爭。」國懿仲曰:「子先入言,我則繼之,同捨一命,以報累朝爵祿之恩可也。」高虎曰:「只我兩人開口,濟得甚事?凡食齊祿者,莫非臣子,吾等沿門喚集,同至朝堂,且奉公子無虧主喪何如?」懿仲曰:「立子以長,立無虧不為無名。」於是分頭四下,招呼群臣,同去哭臨。眾官員見兩位老大夫做主,放著膽各具喪服,相率入朝。寺貂攔住問曰:「老大夫此來何意?」高虎曰:「彼此相持,無有了期。吾等專請公子主喪而來,無他意也。」貂乃揖虎而進。虎將手一招,國懿仲同群臣俱入,直至朝堂,告無虧曰:「臣等聞『父母之恩,猶天地也。』故為人子者,生則致敬,死則殯葬。未聞父死不殮,而爭富貴者。且君者臣之表,君既不孝,臣何忠焉?今先君已死六十七日矣,尚未入棺。公子雖御正殿,於心安乎?」言罷,群臣皆伏地痛哭。無虧亦泣下曰:「孤之不孝,罪通於天。孤非不欲成喪禮,其如元等之見逼何?」國懿仲曰:「太子已外奔,惟公子最長。公子若能主喪事,收殮先君,大位自屬。公子元等,雖分據殿門,老臣當以義責之,誰敢與公子爭者!」無虧收淚下拜曰:「此孤之願也。」高虎吩咐雍巫,仍守殿廡,群公子但衰麻入臨者,便放入宮,如帶挾兵仗者,即時拿住正罪。寺貂先至寢宮,安排殯殮。 卻說桓公屍在牀上,日久無人照顧,雖則冬天,血肉狼藉,屍氣所蒸,生蟲如蟻,直散出於牆外。起初眾人尚不知蟲從何來,及入寢室,發開窗槅,見蟲攢屍骨,無不悽慘。無虧放聲大哭,群臣皆哭。即日取梓棺盛殮,皮肉皆腐,僅以袍帶裹之,草草而已。惟晏蛾兒面色如生,形體不變,高虎等知為忠烈之婦,嘆息不已,亦命取棺殮之。高虎等率群臣奉無虧居主喪之位,眾人各依次哭臨。是夜,同宿於柩側。卻說公子元、公子潘、公子商人,列營在外,見高國老臣,率群臣喪服入內,不知何事。後聞桓公已殯,群臣俱奉無虧主喪,戴以為君,各相傳語,言:「高國為主,吾等不能與爭矣!」及各散去兵眾,俱衰麻入宮奔喪,兄弟相見,各各大哭。當時若無高國說下無虧,此事不知如何結局也!胡曾先生有詩嘆曰: 違背忠臣寵佞臣,致令骨肉肆紛爭。若非高國行和局,白骨堆牀葬不成。 卻說齊世子昭逃奔宋國,見了宋襄公,哭拜於地,訴以雍巫豎刁作亂之事。其時宋襄公乃集群臣問曰:「昔齊桓公曾以公子昭囑託寡人,立為太子,屈指十年矣。寡人中心藏之,不敢忘也。今巫刁內亂,太子見逐,寡人欲約會諸侯,共討齊罪,納昭於齊,定其君位而返。此舉若遂,名動諸侯,便可倡率會盟,以紹桓公之伯業,卿等以為何如?」忽有一大臣出班奏曰:「宋國有三不如齊,焉能伯諸侯乎?」襄公視之,其人乃桓公之長子,襄公之庶兄,因先年讓國不立,襄公以為上卿,公子目夷字子魚也。襄公曰:「子魚言『三不如齊』,其故安在?」目夷曰:「齊有泰山渤海之險,瑯琊即墨之饒,我國小土薄,兵少糧稀,一不如也。齊有高國世卿,以幹其國,有管仲、甯戚、隰朋、鮑叔牙以謀其事,我文武不具,賢才不登,二不如也。桓公北伐山戎,『俞兒』開道,獵於郊外,『委蛇』現形。我今年春正月,五星隕地,俱化為石,二月又有大風之異,六鷁退飛,此乃上而降下,求進反退之象,三不如也。有此三不如齊,自保且不暇,何暇顧他人乎?」襄公曰:「寡人以仁義為主,不救遺孤,非仁也。受人囑而棄之,非義也。」遂以納太子昭傳檄諸侯,約以來年春正月,共集齊郊。檄至衛國,衛大夫寧速進曰:「立子以嫡,無嫡立長,禮之常也。無虧年長,且有戍衛之勞,於我有恩,願君勿與。」衛文公曰:「昭已立為世子,天下莫不知之。夫戍衛,私恩也,立世子,公義也。以私廢公,寡人不為也。」檄至魯國,魯僖公曰:「齊侯托昭於宋,不託寡人,寡人惟知長幼之序矣。若宋伐無虧,寡人當救之。」 周襄王十年,齊公子無虧元年三月,宋襄公親合衛、曹、邾三國之師,奉世子昭伐齊,屯兵於郊。時雍巫已進位中大夫,為司馬,掌兵權矣。無虧使統兵出城禦敵,寺貂居中調度。高國二卿分守城池。高虎謂國懿仲曰:「吾之立無虧,為先君之未殯,非奉之也。今世子已至,又得宋助,論理則彼順,較勢則彼強。且巫刁戕殺百官,專權亂政,必為齊患。不若乘此除之,迎世子奉以為君。則諸公子絕覬覦之望,而齊有泰山之安矣。」懿仲曰:「易牙統兵駐郊,吾召豎刁,託以議事,因而殺之,率百官奉迎世子,以代無虧之位。吾諒易牙無能為也。」高虎曰:「此計大妙!」乃伏壯士於城樓,託言機密重事,使人請豎刁相會。正是:「做就機關擒猛虎,安排香餌釣鰲魚。」不知豎刁性命如何,且看下回分解。
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