東周列國志第三十五回 晋の重耳、列国を周遊する/秦の懐嬴、重ねて公子に嫁ぐ (晉重耳周遊列國 秦懷嬴重婚公子)

重耳、狐偃らに諭される

  • さて公子重耳は狐偃の計にはめられて斉を離れさせられたことを咎めて腹を立て、魏犨の戈を奪って狐偃を刺そうとした。
  • 偃は急いで車を下りて逃げ、重耳もまた車から飛び降りて戈を提げて追いかけた。
  • 趙衰・臼季・狐射姑・介子推らが一斉に車を下りてなだめた。
  • 重耳は戟を地に投げ捨て、恨めしさが収まらなかった。
  • 狐偃は額を地につけて拝し、罪を請うて言った。「偃を殺すことで公子の大業が成るのであれば、偃は死んだ方が生きるよりましです。」
  • 重耳は「この道行きで事が成るのならそれでよいが、もし何も成らなければ、私は必ずおじの狐偃の肉を食らってやる」と言った。
  • 狐偃は笑って答えた。「事が成らなければ、偃はどこで死ぬかも分かりません、どうしてあなたに食わせられましょうか。もし成し遂げられれば、あなたは鼎を列ねてお食事なさるでしょう、偃の肉など生臭くて、食べるに値しません。」
  • 趙衰らも進み出て言った。「私どもは公子が大いに為すところある志をお持ちと思えばこそ、骨肉を捨て、郷里を離れ、道を奔走し、お供して離れずにおりますのも、功名を歴史に残すことを望んでのことです。今、晋君は無道で、国人は誰も公子を君として戴きたく思わない者はおりません。公子ご自身が入国を求められなければ、誰が斉国に走って公子をお迎えしましょうか。今日のことは、実に私どもの公議から出たことで、子犯(狐偃)一人の謀ではございません、公子はどうか誤解なさいませんように。」
  • 魏犨もまた声を荒げて「立派な男子たる者は努力して名を成し、その功績を後世に施すべきです。なぜ目先の女子との楽しみに恋々として、終身の計を思わないのですか」と言った。
  • 重耳は顔つきを改めて「事すでにこうなった以上、諸君の命に従おう」と言った。
  • 狐毛が干し飯を進め、介子推が水を捧げて差し出し、重耳と一同はそれぞれ腹一杯食べた。
  • 壺叔らは草を刈って馬に飼い葉を与え、あらためて轡と面繋を整え、車輪と轅を直して、前へと進発した。これを証する詩がある。(詩:鳳が鶏の群れを脱して万仞の高みへ飛び、虎が豹の穴を離れて千山を駆ける、重耳が覇を成せるかどうかは、ただ列国を周遊する中にこそある、という趣旨。)

曹での屈辱と僖負羈の厚意

  • ある日、曹国に到着した。さて曹の共公は、遊興を好み、政治を顧みず、小人を親しみ君子を遠ざけ、諂う者を腹心とし、爵位を糞土のように軽んじる人物であった。
  • 朝廷には赤い蔽膝をつけ屋根付きの車に乗る者が三百人余りもいたが、みな町なかや市井の徒であり、肩をすくめ諂い笑う輩ばかりであった。
  • 晋の公子が一団の豪傑を率いてやって来るのを見て、これは「薫(香草)と蕕(臭草)とは同じ器に入れない」というものであった。彼らは公子が長く曹国に留まることを恐れ、みな曹の共公を止めて公子を招き入れさせないようにした。
  • 大夫の僖負羈は諫めて「晋と曹は同姓です、公子が困窮してわが国を通られるのですから、厚く礼を尽くすべきです」と言った。
  • 曹の共公は「曹は小国だ、しかも列国の中に位置し、子弟の往来などどの国にもあることではないか。もし一々礼を尽くしていては、国は疲弊し費えも重くなる、どうしてやっていけようか」と言った。
  • 負羈はさらに「晋の公子の賢徳は天下に聞こえており、しかも重瞳・駢脅(瞳が二重で肋骨がつながっている)という大貴の相をお持ちです、並みの子弟と同列に見てはなりません」と言った。
  • 曹の共公は幼稚な性質で、賢徳と言われても取り合わなかったが、重瞳・駢脅と聞くと「重瞳のことは寡人も知っている、駢脅とはどのようなものか知らない」と言った。
  • 負羈は「駢脅とは、肋骨が並んで合わさり一枚のようになっていることです、これは異相です」と答えた。
  • 曹の共公は「寡人は信じない、しばらく館に留めて、湯浴みの時に見てみよう」と言った。
  • そこで宿舎の役人に自ら公子を館に招き入れさせ、冷や飯に水をかけただけの粗末な食事でもてなし、生の食料を贈ることもせず、饗応の宴も設けず、賓主の礼も講じなかった。
  • 重耳は怒って食事に手をつけなかった。
  • 宿舎の役人が湯浴みの盆を進めて浴を勧めると、重耳は道中の垢を洗い流そうと思い、衣を脱いで湯につかった。
  • 曹の共公は数人の寵臣とともに忍びで館に至り、突然浴堂に入り込み、公子ににじり寄って駢脅を見て、あれこれ言い立ててにぎやかに騒ぎ立ててから去った。
  • 狐偃らは外の人の気配に気づき、急いで見に来たが、なお笑い声が聞こえていた。宿舎の役人に尋ねると、それは曹君であったと分かった。君臣ともに怒りに堪えなかった。

  • さて僖負羈は曹の共公を諫めても聞き入れられず、家に帰ると、妻の呂氏が出迎え、その顔に憂いの色があるのを見て「朝廷で何があったのですか」と問うた。

  • 負羈は晋の公子が曹を通過されたのに曹君が礼を尽くさなかった事を語った。
  • 呂氏は言った。「妾はちょうど郊外に桑を摘みに行っており、ちょうど晋の公子の車が通り過ぎるのを見ました。妾には晋の公子ご自身はまだよく見えませんでしたが、従っている数人はみな英傑でした。妾は聞いております、『すぐれた君主あるところには必ずすぐれた臣がおり、すぐれた臣あるところには必ずすぐれた君主がいる』と。従っている諸子から見て、晋の公子は必ず晋国を光復できるでしょう、この時に兵を興して曹を討たれれば、玉も石もともに焼け尽きます、悔いても及びません。曹君がすでに忠言を聞き入れないなら、あなたは私的にこれと結ぶべきです。妾はすでに数皿の食品を用意しました、その中に白璧を隠しておきましたので、これを謁見の贈り物になさってください。困窮している今のうちに結んでおくべきです、あなたは速やかに行かれますよう。」
  • 僖負羈はその言に従い、夜に公館の門を叩いた。
  • 重耳はちょうど空腹で、怒りを含んで座っていた。曹の大夫僖負羈が食事を贈って面会を求めていると聞き、召し入れた。
  • 負羈は再拝し、まず曹君の非礼を謝罪し、そのあと自らの敬意を述べた。
  • 重耳は大いに喜び、「思いがけず曹国にこのような賢臣がいようとは。亡命の身の私が幸いにも帰国できたなら、必ずお報いしよう」と嘆じた。
  • 重耳は食事を摂り、盤の中の白璧を得ると、負羈に「大夫が亡命の身の私を気遣ってくださり、この地で飢えずに済むだけでも十分だ、なぜこれほどの厚い贈り物が必要か」と言った。
  • 負羈は「これは他国の臣のわずかな敬意です、公子はどうかお見捨てになりませんように」と言った。
  • 重耳は再三受け取らなかった。
  • 負羈は退いて「晋の公子はこれほど困窮しているのに私の璧を貪らない、その志は測り知れない」と嘆じた。
  • 翌日、重耳はすぐに出発し、負羈は密かに城外十里まで見送ってから戻った。
  • 史官が詩を作った。(詩:龍虎のごとき人物を並の野獣と見誤り、曹の共公は見識に乏しかった、嘆かわしいことに軒車に乗る三百人の輩の中で、誰一人負羈の妻に及ぶ者はいなかった、という趣旨。)

宋での厚遇と復国の相談

  • 重耳は曹を去り宋に赴いた。狐偃が先駆けて先に到着し、司馬の公孫固と会った。
  • 公孫固は「わが君は分をわきまえず、楚と勝を争って兵に敗れ股を傷つけ、今なお病臥から起き上がれません。しかし公子のお名前をかねてより慕っておりました、必ず館舎を掃き清めてお迎えいたします」と言った。
  • 公孫固は宋の襄公に報告した。襄公はまさに楚を恨み、日夜賢人の助けを求めて仇討ちの計を考えていたところであった。晋の公子が遠くから来たと聞き、晋は大国であり公子にも賢名があるので大いに喜んだが、股の傷がまだ癒えず、対面できないのをどうしようもなかった。
  • そこで公孫固に命じて郊外で出迎え館を授けさせ、国君の礼をもって遇し、七牢を贈った。
  • 翌日、重耳は出発しようとした。公孫固は襄公の命を受け、再三滞在を願い出て、密かに狐偃に尋ねた。「当初、斉の桓公はどのように遇されたのですか。」
  • 偃は姫を娶らせ馬を贈った経緯を詳しく告げた。
  • 公孫固は宋公に復命した。宋公は「公子は昔すでに宋国と婚姻を結んだことがある。娘を差し出すことは寡人にはできないが、馬なら数の通り贈れる」と言い、馬二十乗を贈った。重耳は感激に堪えなかった。
  • 数日滞在し、贈り物や見舞いが絶えなかった。
  • 狐偃は宋の襄公の病がなかなか癒えないのを見て、密かに公孫固と帰国して位に就く一件を相談した。
  • 公孫固は「公子がもし旅の労苦を厭われるのなら、わが国は小さくとも足を休められましょう。もし大志がおありなら、わが国は敗戦の痛手を受けたばかりで力を振るえません、他の大国に求めてこそ事を成せましょう」と言った。
  • 狐偃は「そなたの言葉は、まことに心からのものだ」と言った。
  • その日のうちに公子に伝え、行装を整えて出発した。
  • 宋の襄公は公子が出発すると聞き、さらに旅費と衣服や履物の類を厚く贈った。従者たちはみな喜んだ。

宋襄公の死

  • 晋の公子が去ったのち、襄公の矢傷は日に日に悪化し、まもなく薨去した。
  • 臨終の際、世子王臣に言った。「私が子魚(目夷)の言を聞かなかったために、このようなことになった。そなたが後を継いだら、国政をこの子(目夷)に委ねるがよい。楚は大仇である、代々通好してはならぬ。晋の公子(重耳)がもし帰国すれば、必ず君位を得るであろう、必ず諸侯を合わせることになろう。わが子孫は謙虚にこれに事えれば、少しは安泰でいられよう。」
  • 王臣は再拝して命を受けた。
  • 襄公は在位十四年で薨じた。王臣は喪を主宰して即位し、これを成公とした。
  • 髯仙が詩を作り、宋の襄公は徳も力も無く、五伯の中に列すべきではないと論じた。(詩:何一つ成し遂げられぬまま身は傷つき、ただ迂遠な言葉を並べて自らを称揚した、腐儒どもは名実をまったく考えず、五伯の中になお宋の襄公を列ねている、という趣旨。)

鄭での冷遇

  • さて、重耳は宋を去り、鄭国へ向かおうとすると、早くも人が鄭の文公に知らせに来た。
  • 文公は群臣に「重耳は父に叛いて逃げた身、列国も受け入れず、たびたび飢えに苦しんできた。この不肖の人物に、礼を尽くす必要はない」と言った。
  • 上卿の叔詹は諫めて「晋の公子には三つの助けがございます、これは天の助けを受けた人です、軽んじてはなりません」と言った。
  • 鄭伯は「三つの助けとは何か」と問うた。叔詹は答えた。「『同姓での婚姻は、その一族が繁栄しない』と申します。今、重耳は狐氏の女から生まれました。狐と姫とは同宗でありながら重耳を生み、国にいた時から賢名があり、出奔してからも禍に遭っていません、これが一つ目の助けです。重耳が出奔してより、国家は落ち着かず、これは天意が治国の人を待っているのではありませんか、これが二つ目の助けです。趙衰・狐偃はいずれも当世の英傑であり、重耳はこれを臣として得ています、これが三つ目の助けです。この三つの助けがある以上、君はこれを礼遇すべきです。同姓に礼を尽くし、困窮を憐れみ、賢才を尊び、天命に従う、この四つはいずれも美事です。」
  • 鄭伯は「重耳はもう老いている、何ができようか」と言った。
  • 叔詹は「君がもし十分な礼を尽くせないのであれば、いっそ殺してしまうがよろしいでしょう、仇敵を留めて後患を残すことのないように」と言った。
  • 鄭伯は笑って「大夫の言葉はひどい。寡人に礼を尽くさせようとしたかと思えば、寡人に殺させようともする。礼を尽くして何の恩があり、殺して何の怨みがあろうか」と言い、門番に命じて門を閉ざし入れさせなかった。

楚での歓待と貘退治

  • 重耳は鄭が受け入れないのを見て、そのまま車を進めて通り過ぎた。楚国に行き着き、楚の成王に謁見した。
  • 成王もまた国君の礼をもって遇し、九献の饗を設けた。重耳は謙遜して、恐れ多いと辞退した。
  • 趙衰が側に控えて公子に「公子は国外に出奔されて十余年、小国でさえ軽んじたのに、まして大国ならなおさらです。これは天命です、あなたは辞退なさいますな」と言った。
  • 重耳はそこでその饗を受けた。
  • 宴が終わるまで、楚王の恭敬な態度は変わらなかった。重耳の言葉遣いもいよいよ謙遜になった。これにより両者は非常に気が合い、重耳はそのまま楚に安んじて留まることとなった。
  • ある日、楚王は重耳とともに雲夢の沢で狩りをした。楚王は武芸を誇示し、続けて鹿と兎を射て、いずれも仕留めた。諸将はみな地に伏して称賀した。
  • ちょうど一頭の熊が車に突き当たる勢いで駆け抜けたので、楚王は重耳に「公子はなぜこれを射ないのか」と言った。
  • 重耳は弓を執って矢をつがえ、密かに祈った。「もし私が晋に帰って君となれるなら、この矢よ、その右の掌に中れ。」
  • ひゅっと矢が飛び、正しく右の掌を貫いた。兵士は熊を取って献じた。
  • 楚王は驚嘆して「公子はまことに弓の名手でいらっしゃる」と言った。
  • しばらくすると、狩場の中で叫び声が起こった。楚王が左右に様子を見させると、報告があった。「山谷から一頭の獣が追い出されました。熊に似て熊ではなく、その鼻は象のよう、頭は獅子のよう、足は虎のよう、毛は山犬のよう、たてがみは野猪のよう、尾は牛のよう、体は馬より大きく、その模様は黒白まだらで、剣や戟、刀や矢もこれを傷つけられず、鉄を泥のように噛み砕き、車軸の鉄の覆いさえ噛み砕かれ、非常に敏捷で人が制御できず、そのために騒ぎになっているのです。」
  • 楚王は重耳に「公子は中原で生まれ育ち、博識でいらっしゃる、この獣の名を必ずご存知でしょう」と言った。
  • 重耳は趙衰を振り返ると、趙衰が進み出て言った。「臣はこれを知っております。この獣の名は『貘』と申します。天地の金の気を受けて生まれ、頭は小さく足は低く、銅や鉄を好んで食べ、その糞尿の当たった所は、あらゆる金属が水と化してしまいます。その骨には髄がなく、槌の代わりに使え、その皮を取って敷物にすれば、瘟疫を避け湿を除くことができます。」
  • 楚王が「それではどうすればこれを制御できるのか」と問うと、趙衰は「皮も肉もみな鉄でできておりますが、ただ鼻の穴だけに空洞がございます。純鋼の物でこれを刺すか、あるいは火であぶれば、たちどころに死にます。金の性質は火を畏れるからです」と答えた。
  • 言い終わると、魏犨が声高に「臣は武器を用いず、素手でこの獣を生け捕りにし、御前に献上いたします」と言い、車から飛び降りて駆けていった。
  • 楚王は重耳に「寡人と公子とでともに見に行こう」と言い、車を馳せて向かった。
  • さて魏犨は西北の角の囲いの中に駆け入り、その獣を見るなり、拳を振るって続けざまに何度か殴った。
  • その獣はまったく怖じることなく、牛の鳴くような声で一声大きく叫び、まっすぐに立ち上がり、舌で一なめし、魏犨の腰の金メッキの帯を一部なめ取ってしまった。
  • 魏犨は大いに怒り、「畜生め、無礼なことをするな」と言い、身を躍らせて地上五尺ほど跳び上がった。
  • その獣はその場でごろりと一転がりし、また片隅にうずくまった。
  • 魏犨は心中いよいよ怒り、再び跳び上がり、その勢いに乗じて平生の力を尽くし、身をひるがえして獣にまたがり、両手でその首を抱きしめた。
  • その獣は力を振るって暴れたが、魏犨はそれに合わせて上下し、決して手を離さなかった。
  • しばらく揉み合ううちに、獣の力は次第に衰え、魏犨の凶猛さは余りあり、両腕でますます強く抱きしめた。
  • 獣の首は締め上げられ、息が詰まって通らなくなり、まったく動かなくなった。
  • 魏犨はそこで飛び降り、さらに銅の筋と鉄の骨のような両腕を伸ばし、獣の象のような鼻を片手でつかみ、犬か羊を引くように、まっすぐ二君の前まで連れて行った。(まことに虎将である。)
  • 趙衰は兵士に命じて火を取り寄せ、その鼻先を薫らせた。火の気が入り込むと、その獣はたちまち柔らかく萎えてしまった。
  • 魏犨はようやく手を放し、腰の剣を抜いてこれを斬りつけたが、剣光がほとばしっただけで、獣の毛一本傷つかなかった。
  • 趙衰は「この獣を殺して皮を取るには、やはり火で囲んであぶるべきです」と言った。楚王はその言に従った。
  • その獣の皮も肉も鉄のようであったが、四方から火であぶられると、次第に柔らかくなり、剥ぐことができた。
  • 楚王は「公子に従う諸傑は、文武ともに備わっている、我が国はまるで及ばない」と言った。
  • その時、楚の将成得臣がそばにいて、不服の様子を見せ、楚王に「王は晋の臣の武を誇っておられますが、臣は彼と力比べをしたく存じます」と奏上した。
  • 楚王は許さず、「晋の君臣は客人だ、そなたは彼らを敬うべきである」と言った。
  • その日の狩りが終わると、宴を開いて大いに楽しんだ。楚王は重耳に「公子がもし晋国にお戻りになれたら、何をもって寡人に報いてくださるか」と言った。
  • 重耳は「美女や宝玉や絹は君王のもとに余っているもの、羽毛や象牙・皮革は楚の地の産物です。何をもって君王に報いられましょうか」と言った。
  • 楚王は笑って「それでも必ず何か報いがあるはずだ、寡人はそれを聞きたい」と言った。
  • 重耳は「もし君王の御霊験によって晋国を回復できたなら、ともに友好を歓び、民を安んじたいと存じます。もしやむを得ず、君王と兵車をもって平原広沢の間で相まみえることになれば、どうか君王のために三舎を避けさせていただきたい」と言った。(軍の行進は三十里ごとに一停するのを一舎という、三舎とは九十里である。異日、晋と楚が兵を交えることがあれば、三舎退避して、あえてすぐには戦わないことで、楚のもてなしの恩に報いるという意味である。)
  • その日の宴が終わると、楚の将成得臣は楚王に怒って言った。「王は晋の公子を厚く遇されましたが、今、重耳は不遜な言葉を発しました、異日晋に帰れば、必ず楚の恩に背きましょう、臣にこれを殺させてください。」
  • 楚王は「晋の公子は賢く、その従者はみな国の逸材である、まるで天の助けがあるかのようだ。楚はどうして天に逆らえようか」と言った。
  • 得臣は「王がもし重耳を殺されないなら、せめて狐偃・趙衰ら数人を拘留し、虎に翼を添えることのないようになさいませ」と言った。
  • 楚王は「留め置いても我らのために働くことはなく、いたずらに怨みを買うだけだ。寡人は今、公子に徳を施しているところだ、それを怨みに変えるのは得策ではない」と言い、晋の公子をますます厚く遇した。

太子圉の逃げ帰りと、重耳の楚から秦への移動

  • 話は変わる。さて周の襄王十五年は、実に晋の恵公の十四年に当たり、この年、恵公は病を得て朝政を執ることができなかった。
  • 太子圉は久しく秦国に人質として留められており、圉の母方の家は梁国であった。
  • 梁君は無道で、民力を顧みず、日々土木事業を事としていたため、万民は嘆き怨み、しばしば流民となって秦に流れ込み、苛酷な労役から逃れた。
  • 秦の穆公は民心の変化に乗じ、百里奚に命じて梁を襲わせ、これを滅ぼした。梁君は乱民に殺された。
  • 太子圉は梁が滅ぼされたと聞き、「秦がわが母の国を滅ぼしたのは、私を軽んじているからだ」と嘆き、秦を怨む心を抱くようになった。
  • 恵公が病を得たと聞くに及び、思った。「ひとり国外にいて、外に哀れんでくれる交わりもなく、内に心を寄せる助けもない。万一父君に不測のことがあれば、諸大夫は他の公子を立てるであろう、私は生涯秦で客死することになる、草木と何が違うか。いっそ帰って病を見舞い、国人の心を安んじる方がよい。」
  • そこで夜に妻の懐嬴と、枕を交わす間にこの事を打ち明けた。「私は今、逃げて帰らなければ、晋国は私のものにならない。逃げて帰れば、そなたとの夫婦の情を割かねばならない。そなたは私とともに晋国へ帰ってはどうか、公私ともに全うできる。」
  • 懐嬴は涙を流して答えた。「あなたは一国の太子でありながら、ここに囚われの身とされている、帰りたいと思うのも当然のことです。わが君は妾にあなたのお世話をさせ、それによってあなたの心をつなぎとめようとされました。今、あなたに従って帰れば、君命に背くことになり、妾の罪は大きくなります。あなたはご自分でお決めください、妾のことは気にかけますな。妾は従いませんが、あなたのお言葉を他人に漏らすこともいたしません。」
  • 太子圉はそのまま晋に逃げ帰った。
  • 秦の穆公は子圉が別れも告げずに去ったと聞き、大いに罵った。「義に背いた賊め、天は必ずそなたを助けまい。」
  • そして諸大夫に「夷吾(恵公)父子はいずれも寡人に背いた、寡人は必ず報いを与えねばならぬ」と言った。
  • 自らかつて重耳を晋君として送り込まなかったことを悔い、人を遣わして重耳の消息を探らせると、楚にいて、すでに数か月経っていることを知った。
  • そこで公孫枝を楚王のもとに使者として遣わし、重耳を秦に迎え入れて、これを晋君として送り込もうとした。
  • 重耳はわざと楚王に「亡命の身の私は君王に命を委ねております、秦に入ることは望みません」と言った。
  • 楚王は「楚と晋は遠く隔たっている、公子が晋への入国を求めるなら、必ずさらに数国を経なければならない。秦は晋と境を接し、朝に発てば夕に着く。しかも秦君はもとより賢く、また晋君と仲が悪い、これは公子にとって天の助けとなる機会だ。公子は努めて行かれよ」と言った。
  • 重耳は拝謝した。
  • 楚王は金や絹・車馬を厚く贈り、その門出を盛んに彩った。
  • 重耳は道中さらに数か月を経て、ようやく秦の境に到着した。通ってきた国は数国に及んだとはいえ、いずれも秦・楚の勢力下にあり、しかも公孫枝が同行していたので、道中は安穏であった。あえて言うまでもない。

秦での歓待と懐嬴との再婚

  • 秦の穆公は重耳の来訪の知らせを聞くと、喜色満面となり、郊外に出迎えて館を授け、礼数は極めて手厚かった。
  • 秦の夫人穆姫もまた重耳を敬愛し、子圉を恨んでいたので、穆公に懐嬴を重耳の妻とするよう勧め、姻戚の好みを結ばせようとした。
  • 穆公は夫人に懐嬴に告げさせた。懐嬴は「妾はすでに公子圉に身を許しております、再び嫁ぐことなどできましょうか」と言った。
  • 穆姫は「子圉はもう来ません。重耳は賢く助けも多く、必ず晋国を得るでしょう。晋国を得れば、必ずそなたを夫人とするでしょう、これは秦晋が代々婚姻を結ぶということです」と言った。
  • 懐嬴はしばらく黙り込んだあと、「本当にそうであるなら、妾はどうしてこの身を惜しみ、両国の好誼を成すことをためらいましょうか」と言った。
  • 穆公はそこで公孫枝に命じて重耳に話を通させた。
  • 子圉と重耳は叔父・甥の関係にあり、懐嬴はその実の甥(子圉)の妻に当たる。重耳は倫理に触れることを恐れ、辞退して受けまいとした。
  • 趙衰が進み出て言った。「臣は聞いております、懐嬴は美しく才があり、秦君と夫人がとりわけ愛しておられると。秦の娘を娶らなければ、秦の歓心を結ぶことはできません。臣はこう聞いております、『人に自分を愛させたければ、まず人を愛さねばならない、人を自分に従わせたければ、まず人に従わねばならない』と。秦の歓心を結ばずして秦の力を用いようとしても、必ず得られません。公子はどうかお断りになりませんように。」
  • 重耳は「同姓での婚姻は、なお避けるべきものだ、まして甥の妻ともなればなおさらではないか」と言った。
  • 臼季が進み出て言った。「昔の同姓とは、徳を同じくすることを言うのであって、血族を言うのではありません。昔、黄帝と炎帝は、ともに有熊国君少典の子でしたが、黄帝は姫水で生まれ、炎帝は姜水で生まれ、二帝の徳は異なったため、黄帝は姫姓、炎帝は姜姓となりました。姫姜の一族は世々婚姻を結んでおります。黄帝の子二十五人のうち、姓を得た者は十四人おり、姫と己の姓だけがそれぞれ二人ずつあったのは、徳が同じであったからです。徳が同じで姓も同じなら、血族が遠くとも婚姻は通じません。徳が異なり姓が異なれば、血族が近くとも男女は避けません。堯は帝嚳の子であり、黄帝の五代の孫、舜は黄帝の八代の孫であり、堯の娘は舜にとって大伯母にあたりますが、堯はこれを舜に娶らせ、舜はこれを辞退しませんでした。昔の人の婚姻の道はこのようなものでした。徳をもって言えば、子圉の徳が公子に及びましょうか。親をもって言えば、秦の娘の血縁は大伯母ほど近くはありません。まして子圉が棄てた女を収めるのであって、子圉が現に愛している女を奪うのではありません、何の傷がございましょうか。」
  • 重耳は再び狐偃に相談して「舅犯(狐偃)はどう思うか」と言った。
  • 狐偃は問うた。「公子は今、入国を求めて、子圉に仕えるおつもりですか、それとも代わろうとされるのですか。」
  • 重耳は答えなかった。
  • 狐偃は「晋の後継は、圉にあるでしょう。もし彼に仕えるおつもりなら、これ(懐嬴)は国母となります。もし彼に代わるおつもりなら、仇敵の妻など、何を問題にする必要がありましょうか」と言った。
  • 重耳はなお恥じ入る様子であった。
  • 趙衰は「まさにその国を奪おうとしているのに、妻のことにこだわられるのですか。大事を成し遂げるのに小節にこだわれば、後悔しても及びません」と言った。
  • 重耳の心はここで決まった。
  • 公孫枝は穆公に復命した。重耳は吉日を選んで礼物を整え、公館にて婚礼を挙げた。
  • 懐嬴の容貌は、斉姜よりもさらに美しく、また巧みに宗女四人を媵として選び、いずれも顔立ちが優れていた。重耳は望外の喜びに、道中の苦労も忘れてしまうほどであった。
  • 史官が詩を作り懐嬴の事を論じた。(詩:一人の女がどうして二人の夫を持てようか、しかも叔父と甥ほどの隔たりがあるというのに、ただ秦との友好を結ぼうとするあまり、人の言う礼義の過ちを顧みなかった、という趣旨。)
  • 秦の穆公はもとより晋の公子の人柄を重んじており、その上に婿と岳父という姻戚の関係が加わり、情誼はいよいよ篤くなった。三日に一度は宴を、五日に一度は饗を設けた。
  • 秦の世子罃もまた重耳を敬い仕え、常に見舞いの贈り物をした。
  • 趙衰・狐偃らは秦の臣、蹇叔・百里奚・公孫枝らと深く交わりを結び、ともに帰国して位に就く事を考え躊躇していた。一つには公子が新婚であったこと、二つには晋国に乗じるべき内乱の端緒がなかったことから、軽々しく事を起こそうとはしなかった。
  • 昔から言う、「運が巡り時が来れば、鉄の木にも花が咲く」と。天が公子重耳を生んだのは、晋君となる分があり、名だたる覇主となる運命があってこそのことである、自然にその機会が生まれてくるのである。

恵公の死、懐公の即位と狐突の処刑

  • さて太子圉は秦から逃げ帰り、父の晋の恵公に会った。恵公は大いに喜んで「私は長らく病を患い、まさに後を託せる者がないことを憂えていた。今、そなたが囚われの身を脱し、再び太子の位に戻ってくれた、私は安心した」と言った。
  • その秋九月、恵公の病は篤くなり、呂省・郤芮の二人に孤児(子圉)を託し、これを輔けるよう命じた。「諸公子は心配するに足りない、ただ重耳だけを厳重に警戒せよ。」
  • 呂・郤の二人は額を地につけて拝し、命を受けた。
  • その夜、恵公は薨じた。太子圉は喪を主宰して即位し、これを懐公とした。
  • 懐公は重耳が国外で変事を起こすことを恐れ、そこで令を出した。「重耳に従って出奔した晋の臣は、国に残る親族を通じて次々に伝えさせ、三か月以内にことごとく呼び戻すこと。期限内に戻った者は、もとの職に復し、既往は咎めない。もし期限を過ぎて至らなければ、禄籍から除名し、丹書に死を記す。父子兄弟で座視し呼び戻さぬ者は、ともに死罪に処し赦さぬ。」
  • 老国舅の狐突の二人の子、狐毛・狐偃は、いずれも重耳に従って秦にいた。郤芮は密かに狐突に、手紙をしたためて二子を国に呼び戻すようにと勧めたが、狐突は再三これを拒んだ。
  • 郤芮は懐公に「狐氏の二子には将相の才があり、今、重耳に従っています、虎に翼を得たようなものです。突が呼び戻そうとしないのは、その意図が測りかねます、主公は自らこれを説かれるべきです」と言った。
  • 懐公はすぐに人を遣わして狐突を召した。
  • 突は家人に別れを告げてから出発した。懐公に会うと「老臣は病んで家に引きこもっております、何のお召しか存じません」と奏上した。
  • 懐公は「毛・偃は国外にいる、老国舅はかつて家書でこれを呼び戻したことがあるか」と言った。突は「まだございません」と答えた。
  • 懐公は「寡人には令がある、『期限を過ぎて至らぬ者は、罪が親族に及ぶ』と。老国舅はまだお聞きになっていないか」と言った。
  • 突は答えた。「臣の二子は重耳に身を委ねてから、一日二日のことではありません。忠臣が君に仕えるには、二心を持たぬものです。二子が重耳に忠であることは、朝廷の諸臣が君に忠であることと同じです。たとえ逃げ帰って参りましても、臣はなおその不忠を責め、家廟で処刑いたしましょう。まして呼び戻すことなどできましょうか。」
  • 懐公は大いに怒り、二人の力士に白刃をその首に交えさせ、「二子がもし来れば、そなたの死は免れよう」と言った。
  • そして簡(書き板)を持ってきて突の前に置き、郤芮がその手を執って書かせようとした。突は「私の手を執るでない、私が自ら書こう」と叫び、大書して「子に二人の父なし、臣に二人の君なし」の八字を書いた。
  • 懐公は大いに怒り、「そなたは恐れぬのか」と言った。突は答えた。「子として不孝、臣として不忠であることこそ、老臣の恐れるところです。もし死ぬのであれば、それは臣子の常のことです、何を恐れることがございましょうか。」
  • そして首を伸ばして刑を受けた。懐公は市中の刑場で斬るよう命じた。
  • 太卜の郭偃はその屍を見て「君は即位したばかりで、まだ徳が匹夫にも及ばぬのに、老臣を誅殺した。その滅亡も遠くはあるまい」と嘆き、その日のうちに病と称して出仕しなくなった。
  • 狐氏の家臣は急いで秦国に逃げ、毛・偃に知らせた。
  • 毛・偃がどうしたかは分からない、次回を見られよ。
原文(底本)
話說公子重耳怪狐偃用計去齊,奪魏犨之戈以刺偃,偃急忙下車走避,重耳亦跳下車挺戈逐之。趙衰、臼季、狐射姑、介子推等,一齊下車解勸。重耳投戟於地,恨恨不已。狐偃叩首請罪曰:「殺偃以成公子,偃死愈於生矣!」重耳曰:「此行有成則已,如無所成,吾必食舅氏之肉!」狐偃笑而答曰:「事若不濟,偃不知死在何處,焉得與爾食之?如其克濟,子當列鼎而食,偃肉腥臊,何足食?」趙衰等並進曰:「某等以公子負大有為之志,故舍骨肉,棄鄉里,奔走道途,相隨不舍,亦望垂功名於竹帛耳。今晉君無道,國人孰不願戴公子為君?公子自不求入,誰走齊國而迎公子者!今日之事,實出吾等公議,非子犯一人之謀,公子勿錯怪也。」魏犨亦厲聲曰:「大丈夫當努力成名,聲施後世。奈何戀戀兒女子目前之樂,而不思終身之計耶?」重耳改容曰:「事既如此,惟諸君命。」狐毛進乾糒,介子推捧水以進,重耳與諸人各飽食。壺叔等割草飼馬,重施銜勒,再整輪轅,望前進發。有詩為證:

    鳳脫雞群翔萬仞,虎離豹穴奔千山。要知重耳能成伯,只在周遊列國間。

  不一日行至曹國。卻說曹共公為人,專好遊嬉,不理朝政,親小人,遠君子,以諛佞為腹心,視爵位如糞土。朝中服赤芾乘軒車者,三百餘人,皆里巷市井之徒,脅肩諂笑之輩。見晉公子帶領一班豪傑到來,正是「薰蕕不同器」了!惟恐其久留曹國,都阻擋曹共公不要延接他。大夫僖負羈諫曰:「晉曹同姓,公子窮而過我,宜厚禮之。」曹共公曰:「曹,小國也,而居列國之中,子弟往來,何國無之?若一一待之以禮,則國微費重,何以支吾?」負羈又曰:「晉公子賢德聞於天下,且重瞳駢脅,大貴之徵,不可以尋常子弟視也。」曹共公一團稚氣,說賢德他也不管,說到重瞳駢脅,便道:「重瞳寡人知之,未知駢脅如何?」負羈對曰:「駢脅者,駢脅骨相合如一,乃異相也。」曹共公曰:「寡人不信,姑留館中,俟其浴而觀之。」乃使館人自延公子進館,以水飯相待,不致餼,不設享,不講賓主之禮。重耳怒而不食。館人進澡盆請浴,重耳道路腌臢,正想洗滌塵垢,乃解衣就浴。曹共公與嬖幸數人,微服至館,突入浴堂,迫近公子,看他的駢脅,言三語四,嘈雜一番而去。狐偃等聞有外人,急忙來看,猶聞嬉笑之聲。詢問館人,乃曹君也。君臣無不慍怒。

  卻說僖負羈諫曹伯不聽,歸到家中,其妻呂氏迎之,見其面有憂色,問:「朝中何事?」負羈以晉公子過曹,曹君不禮為言。呂氏曰:「妾適往郊外採桑,正值晉公子車從過去。妾觀晉公子猶未的,但從行者數人,皆英傑也。吾聞:『有其君者,必有其臣;有其臣者,必有其君。』以從行諸子觀之,晉公子必能光復晉國,此時興兵伐曹,玉石俱焚,悔之無及。曹君既不聽忠言,子當私自結納可也。妾已備下食品數盤,可藏白璧於中,以為贄見之禮。結交在未遇之先,子宜速往。」僖負羈從其言,夜叩公館。重耳腹中方餒,含怒而坐。聞曹大夫僖負羈求見饋飧,乃召之入。負羈再拜,先為曹君請罪,然後述自家致敬之意。重耳大悅,嘆曰:「不意曹國有此賢臣!亡人幸而返國,當圖相報!」重耳進食,得盤中白璧,謂負羈曰:「大夫惠顧亡人,使不飢餓於土地足矣,何用重賄?」負羈曰:「此外臣一點敬心,公子萬乞勿棄!」重耳再三不受。負羈退而嘆曰:「晉公子窮困如此,而不貪吾璧,其志不可量也!」次日,重耳即行,負羈私送出城十里方回。史官有詩云:

    錯看龍虎作狉,盲眼曹共識見微;堪嘆乘軒三百輩,無人及得負羈妻!

  重耳去曹適宋。狐偃前驅先到,與司馬公孫固相會。公孫固曰:「寡君不自量,與楚爭勝,兵敗股傷,至今病不能起。然聞公子之名,向慕久矣。必當掃除館舍,以候車駕。」公孫固入告於宋襄公,襄公正恨楚國,日夜求賢人相助,以為報仇之計。聞晉公子遠來,晉乃大國,公子又有賢名,不勝之喜!其奈傷股未痊,難以面會。隨命公孫固郊迎授館,待以國君之禮,饋之七牢。次日,重耳欲行。公孫固奉襄公之命,再三請其寬留,私問狐偃:「當初齊桓公如何相待?」偃備細告以納姬贈馬之事。公孫固回復宋公。宋公曰:「公子昔年已婚宋國矣。納女吾不能,馬則如數可也。」亦以馬二十乘相贈,重耳感激不已。住了數日,饋問不絕。狐偃見宋襄公病體沒有痊好之期,私與公孫固商議復國一事。公孫固曰:「公子若憚風塵之勞,敝邑雖小,亦可以息足。如有大志,敝邑新遭喪敗,力不能振,更求他大國,方可濟耳。」狐偃曰:「子之言,肺腑也。」即日告知公子,束裝起程。宋襄公聞公子欲行,復厚贈資糧衣履之類,從人無不歡喜。

  自晉公子去後,襄公箭瘡日甚一日,不久而薨。臨終,謂世子王臣曰:「吾不聽子魚之言,以及於此!汝嗣位,當以國委之。楚,大仇也,世世勿與通好。晉公子若返國,必然得位,得位必能合諸侯,吾子孫謙事之,可以少安。」王臣再拜受命。襄公在位十四年薨。王臣主喪即位,是為成公。髯仙有詩論宋襄公德力俱無,不當列於五伯之內。詩云:

    一事無成身死傷,但將迂語自稱揚。腐儒全不稽名實,五伯猶然列宋襄。

  再說重耳去宋,將至鄭國,早有人報知鄭文公。文公謂群臣曰:「重耳叛父而逃,列國不納,屢至飢餒。此不肖之人,不必禮之。」上卿叔詹諫曰:「晉公子有三助,乃天祐之人。不可慢也。」鄭伯曰:「何為三助?」叔詹對曰:「『同姓為婚,其類不蕃。』今重耳乃狐女所生,狐與姬同宗,而生重耳,處有賢名,出無禍患,此一助也。自重耳出亡,國家不靖,豈非天意有待治國之人乎?此二助也。趙衰狐偃,皆當世英傑,重耳得而臣之,此三助也。有此三助,君其禮之。禮同姓,恤困窮,尊賢才,順天命,四者皆美事也。」鄭伯曰:「重耳且老矣,是何能為?」叔詹對曰:「君若不能盡禮,則請殺之,毋留仇讎,以遺後患。」鄭伯笑曰:「大夫之言甚矣!既使寡人禮之,又使寡人殺之。禮之何恩,殺之何怨?」乃傳令門官,閉門勿納。

  重耳見鄭不相延接,遂驅車竟過。行至楚國,謁見楚成王。成王亦待以國君之禮,設享九獻。重耳謙讓不敢當。趙衰侍立,謂公子曰:「公子出亡在外,十餘年矣,小國猶輕慢,況大國乎?此天命也,子勿讓。」重耳乃受其享。終席,楚王恭敬不衰。重耳言詞亦愈遜。由此兩人甚相得,重耳遂安居於楚。一日,楚王與重耳獵於雲夢之澤。楚王賣弄武藝,連射一鹿一兔,俱獲之。諸將皆伏地稱賀。適有人熊一頭,衝車而過,楚王謂重耳曰:「公子何不射之?」重耳拈弓搭箭,暗暗祝禱:「某若能歸晉為君,此箭去,中其右掌。」颼的一箭,正穿右掌之上,軍士取熊以獻。楚王驚服曰:「公子真神箭也!」須臾,圍場中發起喊來,楚王使左右視之,回報道:「山谷中趕出一獸,似熊非熊,其鼻如象,其頭似獅,其足似虎,其髮如豺,其鬣似野豕,其尾似牛,其身大於馬,其文黑白斑駁,劍戟刀箭,俱不能傷,嚼鐵如泥,車軸裹鐵,俱被嚙食,矯捷無倫,人不能制,以此喧鬧。」楚王謂重耳曰:「公子生長中原,博聞多識,必知此獸之名?」重耳回顧趙衰,衰前進曰:「臣能知之。此獸其名曰『貘』,秉天地之金氣而生,頭小足卑,好食銅鐵,便溺所至,五金見之,皆消化為水,其骨實無髓,可以代槌,取其皮為褥,能闢瘟去濕。」楚王曰:「然則何以制之?」趙衰曰:「皮肉皆鐵所結,惟鼻孔中有虛竅,可以純鋼之物刺之,或以火炙,立死,金性畏火故也。」言畢,魏犨厲聲曰:「臣不用兵器,活擒此獸,獻於駕前。」跳下車來,飛奔去了。楚王謂重耳曰:「寡人與公子同往觀之。」即命馳車而往。且說魏犨趕入西北角圍中,一見那獸,便揮拳連擊幾下。那獸全然不怕,大叫一聲,如牛鳴之響,直立起來,用舌一舐,將魏犨腰間鎏金鋥帶,舐去一段。魏犨大怒曰:「孽畜不得無禮!」聳身一躍,離地約五尺許。那獸就地打一滾,又蹲在一邊。魏犨心中愈怒,再復躍起,趁這一躍之勢,用盡平生威力,騰身跨在那獸身上,雙手將他項子抱住。那獸奮力躑躅,魏犨隨之上下,只不放手。掙扎多時,那獸力勢漸衰,魏犨兇猛有餘,兩臂抱持愈緊。那獸項子被勒,氣塞不通,全不動彈。魏犨乃跳下身來,再舒銅筋鐵骨兩隻臂膊,將那獸的象鼻,一手捻定,如牽犬羊一般,直至二君之前。(真虎將也!)趙衰命軍士取火薰其鼻端,火氣透入,那獸便軟做一堆。魏犨方纔放手,拔起腰間寶劍砍之,劍光迸起,獸毛亦不損傷。趙衰曰:「欲殺此獸取皮,亦當用火圍而炙之。」楚王依其言。那獸皮肉如鐵,經四圍火炙,漸漸柔軟,可以開剝。楚王曰:「公子相從諸傑,文武俱備,吾國中萬不及一也!」時楚將成得臣在旁,頗有不服之意,即奏楚王曰:「吾王誇晉臣之武,臣願與之比較。」楚王不許曰:「晉君臣,客也,汝當敬之。」是日獵罷,會飲大歡。楚王謂重耳曰:「公子若返晉國,何以報寡人?」重耳曰:「子女玉帛,君所餘也,羽毛齒革,則楚地之所產。何以報君王?」楚王笑曰:「雖然,必有所報。寡人願聞之。」重耳曰:「若以君王之靈,得復晉國,願同歡好,以安百姓。倘不得已,與君王以兵車會於平原廣澤之間,請避君王三舍。」(按行軍三十里一停,謂之一舍,三舍九十里。言異日晉楚交兵,當退避三舍,不敢即戰,以報楚相待之恩。)當日飲罷,楚將成得臣怒言於楚王曰:「王遇晉公子甚厚,今重耳出言不遜,異日歸晉,必負楚恩,臣請殺之。」楚王曰:「晉公子賢,其從者皆國器,似有天助。楚其敢違天乎?」得臣曰:「王即不殺重耳,且拘留狐偃趙衰數人,勿令與虎添翼。」楚王曰:「留之不為吾用,徒取怨焉。寡人方施德於公子,以怨易德,非計也!」於是待晉公子益厚。

  話分兩頭。卻說周襄王十五年,實晉惠公之十四年,是歲惠公抱病在身,不能視朝。其太子圉,久質秦國,圉之母家,乃梁國也。梁君無道,不恤民力,日以築鑿為事,萬民嗟怨,往往流徙入秦,以逃苛役。秦穆公乘民心之變,命百里奚興兵襲梁,滅之。梁君為亂民所殺。太子圉聞梁見滅,嘆曰:「秦滅我外家,是輕我也!」遂有怨秦之意。及聞惠公有疾,思想:「隻身在外,外無哀憐之交,內無腹心之援,萬一君父不測,諸大夫更立他公子,我終身客死於秦,與草木何異?不如逃歸侍疾,以安國人之心。乃夜與其妻懷嬴,枕席之間,說明其事:「我如今欲不逃歸,晉國非我之有,欲逃歸,又割捨不得夫婦之情。你可與我同歸晉國,公私兩盡。」懷嬴泣下,對曰:「子一國太子,乃拘辱於此,其欲歸不亦宜乎?寡君使婢子侍巾櫛,欲以固子之心也。今從子而歸,背棄君命,妾罪大矣。子自擇便,勿與妾言。妾不敢從,亦不敢洩子之語於他人也。」太子圉遂逃歸於晉。秦穆公聞子圉不別而行,大罵:「背義之賊!天不祐汝!」乃謂諸大夫曰:「夷吾父子,俱負寡人,寡人必有以報之!」自悔當時不納重耳,乃使人訪重耳,蹤跡,知其在楚,已數月矣。於是遣公孫枝聘於楚王,因迎重耳至秦,欲以納之。重耳假意謂楚王曰:「亡人委命於君王,不願入秦。」楚王曰:「楚晉隔遠,公子若求入晉,必須更歷數國。秦與晉接境,朝發夕到。且秦君素賢,又與晉君相惡,此公子天贊之會也。公子其勉行!」重耳拜謝。楚王厚贈金帛車馬,以壯其行色。重耳在路復數月,方至秦界。雖然經歷尚有數國,都是秦楚所屬,況有公孫枝同行,一路安穩。自不必說。

  秦穆公聞重耳來信,喜形於色,郊迎授館,禮數極豐。秦夫人穆姬,亦敬愛重耳,而恨子圉,勸穆公以懷嬴妻重耳,結為姻好。穆公使夫人告於懷嬴。懷嬴曰:「妾已失身公子圉矣,可再字乎?」穆姬曰:「子圉不來矣!重耳賢而多助,必得晉國。得晉國,必以汝為夫人,是秦晉世為婚姻也。」懷嬴默然良久,曰:「誠如此,妾何惜一身,不以成兩國之好?」穆公乃使公孫枝通語於重耳。子圉與重耳有叔姪之分,懷嬴是嫡親姪婦,重耳恐於礙倫理,欲辭不受。趙衰進曰:「吾聞懷嬴美而才,秦君及夫人之所愛也。不納秦女,無以結秦歡。臣聞之:『欲人愛己,必先愛人;欲人從己,必先從人。』無以結秦歡,而欲用秦之力,必不可得也。公子其毋辭!」重耳曰:「同姓為婚,猶有避焉。況猶子乎?」臼季進曰:「古之同姓,為同德也,非謂族也。昔黃帝炎帝,俱有熊國君少典之子,黃帝生於姬水,炎帝生於姜水,二帝異德,故黃帝為姬姓,炎帝為姜姓。姬姜之族,世為婚姻。黃帝之子二十五人,得姓者十四人,惟姬己各二,同德故也。德同姓同,族雖遠,婚姻不通。德異姓異,族雖近,男女不避。堯為帝嚳之子,黃帝五代之孫,而舜為黃帝八代之孫,堯之女於舜為祖姑,而堯以妻舜,舜未嘗辭。古人婚姻之道若此。以德言,子圉之德,豈同公子?以親言,秦女之親,不比祖姑。況收其所棄,非奪其所歡,是何傷哉?」重耳復謀於狐偃曰:「舅犯以為可否?」狐偃問曰:「公子今求入,欲事之乎?抑代之也?」重耳不應。狐偃曰:「晉之統系,將在圉矣。如欲事之,是為國母。如欲代之,則仇讎之妻,又何問焉?」重耳猶有慚色。趙衰曰:「方奪其國,何有於妻?成大事而惜小節,後悔何及?」重耳意乃決。公孫枝復命於穆公。重耳擇吉布幣,就公館中成婚。懷嬴之貌,更美於齊姜,又妙選宗女四名為媵,俱有顏色,重耳喜出望處,遂不知有道路之苦矣。史官有詩論懷嬴之事云:

    一女如何有二天?況於叔姪分相懸。只因要結秦歡好,不恤人言禮義愆。

秦穆公素重晉公子之品,又添上甥舅之親,情誼愈篤。三日一宴,五日一饗。秦世子罃亦敬事重耳,時時饋問。趙衰狐偃等因與秦臣蹇叔、百里奚、公孫枝等深相結納,共躊躇復國之事。一來公子新婚,二來晉國無釁,以此不敢輕易舉動。自古道:「運到時來,鐵樹花開。」天生下公子重耳,有晉君之分,有名的伯主,自然生出機會。

  再說太子圉自秦逃歸,見了父親晉惠公。惠公大喜曰:「吾抱病已久,正愁付託無人。今吾子得脫樊籠,復還儲位,吾心安矣。」是秋九月,惠公病篤,託孤於呂省郤芮二人,使輔子圉:「群公子不足慮,只要謹防重耳。」呂郤二人頓首受命。是夜,惠公薨,太子圉主喪即位,是為懷公。懷公恐重耳在外為變,乃出令:「凡晉臣從重耳出亡者,因親及親,限三個月內俱要喚回。如期回者,仍復舊職,既往不咎。若過期不至,祿籍除名,丹書註死。父子兄弟坐視不召者,並死不赦!」老國舅狐突二子狐毛狐偃,俱從重耳在秦,郤芮私勸狐突作書,喚二子歸國。狐突再三不肯。郤芮乃謂懷公曰:「二狐有將相之才,今從重耳,如虎得翼。突不肯喚歸,其意不測,主公當自與言之。」懷公即使人召狐突。突與家人訣別而行。來見懷公,奏曰:「老臣病廢在家,不知宣召何言?」懷公曰:「毛偃在外,老國舅曾有家信去喚否?」突對曰:「未曾。」懷公曰:「寡人有令:『過期不至者,罪及親黨。』老國舅豈不聞乎?」突對曰:「臣二子委質重耳,非一日矣。忠臣事君,有死無二!二子之忠於重耳,猶在朝諸臣之忠於君也,即使逃歸,臣猶將數其不忠,戮於家廟。況召之乎?」懷公大怒,喝令二力士以白刃交加其頸,謂曰:「二子若來,免汝一死!」因索簡置突前,郤芮執其手,使書之。突呼曰:「勿執我手,我當自書。」乃大書「子無二父,臣無二君」八字。懷公大怒曰:「汝不懼耶?」突對曰:「為子不孝,為臣不忠,老臣之所懼也。若死,乃臣子之常事,有何懼焉!」舒頸受刑。懷公命斬於市曹。太卜郭偃見其屍,嘆曰:「君初嗣位,德未及於匹夫,而誅戮老臣,其敗不久矣!」即日稱疾不出。狐氏家臣,急忙逃奔秦國,報與毛偃知道。不知毛偃如何,且看下回分解。

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