東周列國志第三十六回 晋の呂・郤、夜に公宮を焼く/秦の穆公、再び晋の乱を平らげる (晉呂郤夜焚公宮 秦穆公再平晉亂)
狐毛・狐偃兄弟の悲報と欒盾の内応
- 話は変わって、狐毛・狐偃の兄弟は、公子重耳に従って秦にいたが、父の狐突が子圉に殺されたと聞き、胸を打って大声で泣いた。趙衰・臼季らが皆やって来て見舞い慰めた。
- 趙衰は言った。「死んだ者は生き返らない。悲しんでも何の益があろうか。ともに公子に会って、大事を相談しよう。」
- 毛・偃は涙を収め、趙衰らとともに重耳に会いに行った。
- 狐毛・狐偃は言った。「恵公はすでに薨じ、子圉が即位した。すべて晋の臣で亡命に従った者は、期限を定めて呼び戻し、戻らなければ罪はその親族に及ぶという。子圉は、老父が我ら兄弟を呼び戻さなかったことを咎めて、ついに父を殺害したのです。」
- 言い終えると悲しみが胸にこみ上げ、また大声で泣いた。
- 重耳は言った。「二人の舅は、あまり傷心なさるな。私に国を復す日があれば、あなた方の父の仇を討とう。」
- すぐさま車を駆って穆公に会い、晋国の事情を訴えた。
- 穆公は言った。「これは天が晋国を公子にお授けになったのだ。逃してはならぬ。私が自ら任に当たろう。」
- 趙衰が代わって答えた。「君公がもし重耳を庇護なさるおつもりなら、どうか速やかにお図りください。もし子圉が改元して廟に告げるのを待てば、君臣の分がすでに定まってしまい、動かし難くなることを恐れます。」
- 穆公は深くその言葉に同意した。
- 重耳は辞して、婿を泊める客館に戻り、ようやく座ったところ、門番が「晋国から人が来て、機密の事があると言い、公子にお目にかかりたいと求めています」と告げた。
- 公子が召し入れ、姓名を尋ねた。その人は拝礼して言った。「私は晋の大夫欒枝の子、欒盾です。新君は猜疑心が強く、殺すことで威を示しますので、民衆は皆恨み、群臣も服しません。私の父は特に私を遣わして、内密に公子に忠誠を示させました。子圉の腹心は呂省・郤芮の二人だけで、旧臣の郤歩揚・韓簡ら老練な一団は、皆疎んじられて用いられておらず、憂慮するに足りません。父はすでに郤溱・舟之僑らと約束を交わし、私兵を集めており、ただ公子の到来を待ち、内応となる所存です。」
- 重耳は大いに喜び、盟約を結び、来年の正月を期して河のほとりに至ることを決めた。欒盾は辞去した。
- 重耳は天に禱り、蓍で占った。得た卦は《泰卦》で六爻ともに安静であった。重耳は疑い、狐偃を召してその吉凶を占わせた。
- 狐偃は拝して賀して言った。「これは天地が相配し合う卦で、小さきものが往き大きなものが来る、この上ない吉兆です。公子のこの行は、国を得るのみならず、盟主となる分がございます。」
- 重耳はそこで欒盾の言葉を狐偃に告げた。
- 狐偃は言った。「公子は明日にでも秦公に兵を請うべきです。事は遅れてはなりません。」
- 重耳はそこで翌日再び入朝して秦穆公に謁見した。穆公は言葉を待たずに言った。「私は公子が帰国を急いでおられることを知っている。諸臣がその事を任せられないことを恐れ、私自ら公子を河までお送りしよう。」
- 重耳は拝謝して退出した。
- 丕豹は穆公が公子重耳を迎え入れようとしていると聞き、先鋒として力を尽くしたいと願い、穆公はこれを許した。
- 太史は冬の十二月を吉日に選んだ。三日前、穆公は宴を設け、九龍山で公子を餞し、白璧十対と馬四百匹を贈った。帷幕や器具など、あらゆる物が備えられ、糧秣は言うまでもなかった。趙衰ら九人には、それぞれ白璧一対と馬四匹が贈られた。重耳とその臣下は皆再拝して感謝した。
秦穆公の見送りと渡河
- 当日、穆公は自ら謀臣の百里奚・繇余、大将の公子縶・公孫枝、先鋒の丕豹らを率い、兵車四百乗で公子重耳を雍州城から送り出し、東に向かって進発した。
- 秦の世子罃は重耳と平素から気が合い、名残を惜しみ、渭陽まで送って涙を流して別れた。詩に云う。
- (詩:猛将精兵は虎狼のごとく、ともに公子を助けて辺境に立つ。懐公は空しく狐突を誅したが、片手で太陽を覆い隠せようか、という趣旨)
- 周の襄王十六年、晋の懐公圉の元年、春正月、秦穆公は晋の公子重耳とともに黄河の岸辺に至った。渡河の船はすべて準備が整っていた。穆公は改めて餞別の宴を設け、重耳に念を押して言った。「公子は帰国されても、私たち夫婦のことをお忘れなきよう。」そこで軍を半分に分け、公子縶・丕豹に命じて公子を護衛し河を渡らせ、自らの大軍は河西に駐屯した。まさに「勝報の旗をひたすら望み、耳では良い知らせを待つ」という状況であった。
狐偃の諫言と黄河の誓い
- さて、壺叔は公子の旅の荷物のことを主管していたが、出奔以来、曹・衛の間では飢えに苦しんだことが一度ではなく、まさに「衣がなければ衣を惜しみ、食がなければ食を惜しむ」という有様であった。今日渡河に際して荷物をまとめる際、日用の壊れた籩や豆(食器)、破れた敷物や帷を、一つ一つ船に運び入れ、食べ残しの酒や食べ物の類まで、宝のように大切にして船内に並べた。
- 重耳はこれを見て呵呵大笑して言った。「私は今日晋に入って君となり、玉のように良い食事を一方に得るのに、こんな残り物を何に使うのか。」そう言って岸に捨てさせ、一つも残さなかった。
- 狐偃は密かに嘆いて言った。「公子はまだ富貴を得てもいないのに、先に貧賤を忘れてしまわれた。他日、新参の者を寵愛して古参を棄て、我らのように苦難をともにした者を、この残り物の器と同じように見なされたら、この十九年の辛苦が無駄になってしまうのではないか。まだ渡河していない今のうちに、辞去した方が良い。いつか思い出していただける日もあろう。」
- そこで秦公から贈られた白璧一対を、跪いて重耳の前に献上して言った。「公子は今すでに渡河され、もう晋の境内です。内には諸臣がおり、外には秦の将がいます。晋国が公子の手に入らないことを心配する必要はありません。私一身がお供しても益はありません。願わくは秦国に留まり、公子の国外の臣となりとうございます。この白璧一対は、私のわずかな気持ちの表れです。」
- 重耳は大いに驚いて言った。「私はまさに舅殿とともに富貴を分かち合おうとしているのに、なぜそのようなことを言うのか。」
- 狐偃は言った。「私は自分に公子に対する三つの罪があることを知っており、あえてお供できません。」
- 重耳は言った。「三つの罪とは何か。」
- 狐偃は答えて言った。「私が聞くところでは『聖臣はその君を尊くならしめ、賢臣はその君を安んじる』と申します。今、私は不肖にして、公子を五鹿で困らせたのが一つ目の罪、曹・衛の二君の無礼を受けさせたのが二つ目の罪、酔いにまかせて公子を斉の都から連れ出し、公子の怒りに触れさせたのが三つ目の罪です。かつては公子がまだ旅の途上にあったため、私はあえて辞去しませんでした。今すでに晋に入りました。私は数年間走り回り、幾たびも驚愕して魂も消え入るばかりで、心力ともに尽き果てました。譬えるなら残った籩や豆は再び並べることができず、破れた敷物や帷は再び用いることができないのと同じです。私を留めても益はなく、私が去っても損はありません。私はこれゆえに去ることを求めるのです。」
- 重耳は涙を流して言った。「舅殿の責めは誠に当たっている。これは私の過ちである。」そこですぐに壺叔に命じ、すでに捨てた物を一つ一つ取り戻させた。そして河に向かって誓いを立てて言った。「私が帰国して、もし舅殿の労苦を忘れ、心を同じくして政をともにしなければ、子孫は栄えぬであろう。」そこで白璧を取って河に投げ入れて言った。「河伯よ、盟いの証人となられよ。」
- その時、介子推は別の船の中にいたが、重耳と狐偃が誓いを立てたことを聞き、笑って言った。「公子の帰国は天意である。子犯(狐偃)はこれを自分の功績として盗もうというのか。このような富貴を貪る輩とは、私は同朝に立つことを恥じる。」これより隠棲の意を抱くようになった。
令狐攻略と呂郤の去就
- 重耳は黄河を渡り、東に進んで令狐に至った。その宰の鄧惛は兵を発し城に登って拒み守った。秦兵はこれを囲んだ。丕豹が勇を奮って先登し、ついにその城を破り、鄧惛を捕らえて斬った。桑泉・臼衰はその威勢を聞いて、戦わずに降伏した。
- 晋の懐公は諜報を聞いて大いに驚き、国内のすべての兵車と武具を動員し、呂省を大将に、郤芮をその副として、廬柳に駐屯させ秦兵を拒がせたが、秦の強さを恐れて戦おうとしなかった。
- 公子縶はそこで秦穆公のために書を作り、人を遣わして呂・郤の軍中に送った。おおよそ次のように言う。
- (公子縶の書の趣旨:秦は晋への恩義を尽くしてきたのに、父子ともに恩に背き秦を仇と見た。父の罪は忍んだが子の罪までは忍びがたい。今、公子重耳は賢徳が世に知られ、多くの人材に補佐され、天も人もこれを助け、国の内外の人心が帰している。自分は大軍を率いて河のほとりに屯し、公子縶に護送させ、公子を晋の社稷の主とさせようとしている。大夫らが賢愚を見分け、矛を逆さにして迎えるなら、禍を転じて福となすことができる、まさにこの一挙にかかっている、という内容)
- 呂・郤の二人は書を見て、しばらく黙り込んだ。戦おうにも秦兵に敵わないことを恐れ、また龍門山の故事のようになることを恐れた。降伏しようにも重耳が昔の恨みを記憶しており、里克・丕鄭の命の償いをさせられることを恐れた。ためらうこと久しく、一計を思いついた。そこで公子縶に返書を書いた。おおよそ次のように言う。
- (呂・郤の返書の趣旨:自分たちは公子に対して罪を犯したと自覚しており、あえて武装を解くことはできないが、公子を推戴することは実に望むところである。もし亡命に従った諸臣とともに天日にかけて誓い、互いに害さぬというなら、大夫が咎めなしと保証するなら、命に従わないわけがない、という内容)
- 公子縶はその返書を読み、その疑い深い意図を見抜いた。そこで車一台だけで廬柳に赴き、呂・郤に会った。呂・郤は喜んで出迎え、心中を告げて言った。「我らとて降って公子をお迎えしたくないわけではない。ただ公子が我らを容れてくださらないことを恐れ、盟いによって信を得ようとしただけです。」
- 公子縶は言った。「大夫がもし軍を西北に退かれれば、私は大夫の誠意を公子に告げ、盟いは成るでしょう。」呂・郤は承諾した。公子縶が別れて去るのを待って、すぐに命令を出し、郇城に退いて駐屯した。
- 重耳は狐偃に公子縶を伴わせて郇城に至らせ、呂・郤と会わせた。この日、犠牲を殺して血をすすり、共に重耳を君として推戴し、互いに二心なきことを誓った。盟いが終わると、すぐに人を遣わして狐偃について臼衰に至らせ、重耳を郇城の大軍の中に迎え入れ、号令を発した。
- 懐公は呂・郤からの勝報が来ないので、寺人勃鞮を晋軍に遣わして戦を督促させた。途中まで行ったところ、呂・郤が軍を郇城に退き、狐偃・公子縶と講和し、懐公に背いて重耳を迎え立てたと聞き、慌てて引き返して報告した。
- 懐公は大いに驚き、急いで郤歩揚・韓簡・欒枝・士会ら朝臣を集めて計った。その一団の朝臣は皆公子重耳に心を寄せる者たちで、平生懐公が呂・郤ばかりを専任するのを見て内心不満に思っていた。「今、呂・郤らでさえ背いたのだ。事が切迫した今、我らを召してもどうにもなるまい。」と、一人ひとりが口実を設け、病と称する者、用事と称する者があり、一人として前に進み出る者はいなかった。
- 懐公は一つため息をついて言った。「私は勝手に逃げ帰るべきではなかった。秦の歓心を失い、こうなってしまった。」
- 勃鞮は奏して言った。「群臣がひそかに申し合わせて新君を迎えようとしています。主公はここに留まってはなりません。私が御者となりますので、しばらく高梁に行って難を避け、改めて処置を図られよ。」
重耳の即位(晋文公)
- 懐公が高梁に出奔したことはさておき、また公子重耳のことを言えば、呂・郤が人を遣わして迎えたので、晋軍に入った。呂省・郤芮は頭を叩いて謝罪し、重耳は優しい言葉で慰撫した。趙衰・臼季ら亡命に従った諸臣は、それぞれ相見え、心を打ち明けて共に無事を保証した。呂・郤は大いに喜び、重耳を奉じて曲沃城中に入り、武公の廟に朝した。
- 絳都の旧臣、欒枝・郤溱を筆頭に、士会・舟之僑・羊舌職・荀林父・先蔑・箕鄭・先都ら三十余人を引き連れ、皆曲沃に至って迎えた。郤歩揚・梁繇靡・韓簡・家僕徒らは、別の一団となって、皆絳都の郊外に赴いて迎えた。
- 重耳は絳城に入って即位した。これが文公である。重耳は四十三歳で翟に出奔し、五十五歳で斉に赴き、六十一歳で秦に赴き、国に復して君となったとき、年はすでに六十二であった。
懐公誅殺と丕豹の帰秦
- 文公はすでに立ったので、人を高梁に遣わして懐公を刺殺させた。子圉は去年九月に位を嗣ぎ、今年二月に殺されるまで、君となってわずか六か月に満たなかった。哀れなことである。寺人勃鞮はその遺体を収めて葬り、その後逃げ帰った。この話はさておく。
- さて文公は秦の将、公子縶らを宴でねぎらい、その軍を厚くもてなした。丕豹は地に伏して泣き、父丕鄭の改葬を請うた。文公はこれを許した。文公は丕豹を留めて用いようとしたが、丕豹は辞して言った。「私はすでに秦の朝廷に身を委ねております。二君に仕えることはできません。」そこで公子縶に随って河西に赴き、秦穆公に復命した。穆公は兵を引き上げて帰国した。史臣に秦穆公を讃える詩がある。
- (詩:轔々たる車騎が河東を過ぎ、龍虎が時を得たように気象が雄々しい。もし雍州に義兵がなかったなら、たとえ多くの助けがあっても成功などできようか、という趣旨)
呂郤の謀反計画
- さて呂省・郤芮は秦の勢いに迫られ、一時は降って重耳を迎え入れたものの、心中に疑念を抱き、結局は釈然とせず、趙衰・臼季ら諸人に対しては、いささか気まずい思いがあった。さらに文公が即位して数日、功のある者に爵を与えず罪ある者を戮することもなく、その挙動が測りがたいのを見て、疑いはますます深まった。
- そこで相談し合い、家兵を率いて反乱を起こし、君主の宮殿を焼き払って重耳を弑逆し、別の公子を立てて君にしようと考えた。「朝廷には共に謀れる者がいない。ただ寺人勃鞮だけは重耳の深い仇敵である。今重耳が即位したので、勃鞮はきっと誅殺を恐れているはずだ。この者は胆力が人並み外れているから、誘って共に事を成せるだろう。」と考え、人を遣わして招くと、勃鞮は呼ばれるとすぐにやって来た。
- 呂・郤は宮殿を焼く計画を告げると、勃鞮は喜んで承知した。三人は血をすすって盟いを結び、二月晦日に会し、真夜中に一斉に事を起こすことを約した。呂・郤の二人は、それぞれ自分の封邑に赴き、密かに人を集めた。この話はさておく。
勃鞮の内通
- さて勃鞮は面と向かっては承知したものの、内心はそう思っていなかった。考えて言うには「かつて献公の命を奉じて蒲城を討ちに行き、また恵公の差し向けにより重耳を刺殺しに行ったのは、これは桀の犬が堯に吠えるようなもので、それぞれ主のために働いたまでだ。今日、懐公はすでに死に、重耳が即位し、晋国はようやく定まった。またこのような大逆無道の事を企てて、重耳に天人の助けがあることは言うまでもなく、成功しないだろう。たとえ重耳を殺したとしても、彼に付き従った多くの豪傑が、私を軽々しく見逃すはずがない。むしろ密かに新君の許に出向いてこの謀反を訴え出て、この話を逆に出世の足がかりにした方がよい。これは妙計だ。」
- また考えて「自分は罪ある身で、直接君主の宮殿の門を叩くわけにはいかない」と思い、深夜に狐偃を訪ねた。
- 狐偃は大いに驚いて尋ねた。「お前は新君にひどく罪を得ているのに、遠くへ逃げて禍を避けることを考えず、こんな夜更けにここに来るとはどういうことだ。」
- 勃鞮は言った。「私がここに来たのは、まさに新君にお目にかかりたいからです。舅の狐偃様に取り次いでいただきたいのです。」
- 狐偃は言った。「お前が主公にお目にかかるのは、自ら死にに行くようなものだ。」
- 勃鞮は言った。「私には機密の事があり、一国の人の命を救おうというのです。必ず主公に直接お目にかかって申し上げねばなりません。」
- 狐偃はそこで彼を君主の宮殿の門前まで案内し、狐偃が門を叩いて先に入り、文公に会って勃鞮が謁見を求めていることを述べた。
- 文公は言った。「勃鞮に一国の人の命を救うようなどんな事があろうか。これはきっと口実を設けて謁見を求め、舅殿の顔を借りて許しを乞おうとしているだけであろう。」
- 狐偃は言った。「『草刈りや薪取りの者の言葉も、聖人はこれを選び取る』と申します。主公は新たに即位されたばかり、まさに小さな遺恨を捨て、広く忠告を受け入れるべきで、拒んではなりません。」
- 文公はなお心が解けなかった。そこで近侍に言伝させて彼を責めた。「お前は寡人の袂を斬った。この衣は今もあり、寡人は一目見るたびに肝を冷やす。お前はまた翟にまで来て寡人を暗殺しようとした。恵公はお前に三日以内に発てと命じたのに、お前は翌日にはもう出発した。幸い天命の加護を受け、毒手にかからずに済んだ。今、寡人は帰国したというのに、お前は何の面目があって会いに来るのか。速やかに逃げ去るがよい。遅れれば捕らえて刑に処すぞ。」
- 勃鞮は呵呵大笑して言った。「主公は外を十九年も奔走されたのに、世の道理をまだよくお分かりでないのですか。先君献公と主公は父子であり、恵公は主公の弟です。父がその子を仇とし、弟がその兄を仇とするのですから、まして勃鞮ならなおさらです。勃鞮のような小臣は、この時ただ献公・恵公あることを知るのみで、どうして君(重耳)あることを知りましょうか。昔、管仲は公子糾のために桓公を射てその帯の鉤に中てましたが、桓公はこれを用いて天下に覇を成しました。もし主公の見立てのように、鉤を射た怨みを繰り返し咎めるなら、盟主の業を失うことになりましょう。私にお会いにならなくても私には損はありませんが、私が去った後、主公の禍が遠くないことを恐れます。」
- 狐偃は奏して言った。「勃鞮には必ず何か聞き知ったことがあってやって来たのでしょう。主公は必ずお会いになるべきです。」
- 文公はそこで勃鞮を宮中に召し入れた。勃鞮はまったく謝罪せず、ただ再拝して口で「お慶び申し上げます」とだけ言った。
- 文公は言った。「寡人が位を嗣いでからずいぶん経つのに、お前が今日ようやく祝うとは、遅すぎはしないか。」
- 勃鞮は答えて言った。「主公は即位なさいましたが、まだ祝うには足りません。勃鞮を得て、初めてこの位は安泰になり、祝うべきなのです。」
- 文公はその言葉を怪しみ、左右を退けて、その説明を聞こうとした。
- 勃鞮は呂・郤の謀りごとを、あれこれと詳しく述べた。「今、その一味は城中に満ち、二人の賊はまた封邑に赴いて兵を集めています。主公はいっそ隙を見て舅の狐偃とともに微行で城を出て、秦国に赴いて兵を起こし、この難を平定すべきです。私はここに留まり、二人の賊を誅する際の内応となりましょう。」
- 狐偃は言った。「事はすでに切迫しております。私にお供させてください。国中のことは子餘(趙衰)が必ず取り計らえましょう。」
- 文公は勃鞮に念を押した。「万事気をつけよ。必ず重く賞するであろう。」勃鞮は頭を叩いて辞去した。
文公・狐偃の微行と秦・王城での会見
- 文公と狐偃はしばらく相談し、狐偃に命じて宮の裏門に温車(覆い付きの車)を用意させ、ただ数人だけを従わせた。文公は腹心の内侍を召し、あれこれと指図し、決して漏らさぬようにと命じた。
- その晩は、いつも通り寝所についた。五更に至り、風邪と腹痛を理由に小内侍に灯りを持たせて厠に行くふりをし、そのまま裏門から出て、狐偃とともに車に乗り城を出て行った。
- 翌朝、宮中では皆「主公はご病気」と伝え、それぞれ寝室に見舞いに来たが、すべて断って会わなかった。宮中には外出したことを知る者はいなかった。
- 夜が明け、百官が朝門に集まったが、文公が朝見に現れないので、君主の宮殿まで来て尋ねた。ただ朱塗りの扉が固く閉ざされ、門には朝見を取りやめる旨の札が掛けられているのが見えた。
- 門番は言った。「主公は昨夜たまたま風邪を召され、寝台から起きられません。三月一日の朝見までお待ちいただければ、皆様にお目にかかれましょう。」
- 趙衰は言った。「主公は新たに即位され、まだ諸事が行われていないのに、突然この病を得られるとは、まさに『天には測り難い風雲があり、人には朝夕の禍福がある』ということだ。」
- 人々はこれを真実と信じ、それぞれ嘆息して去った。呂・郤の二人は文公が病で朝見せず、三月一日になってようやく朝見するという話を聞き、ひそかに喜んで言った。「天が我らに重耳を殺させようとしているのだ。」
- さて晋の文公と狐偃はひそかに晋の境を離れ、まっすぐ秦国に入り、人を遣わして秦穆公に密書を届け、王城で会うことを約した。穆公は晋侯が微行でやって来たと聞き、国中に変事があることを知った。そこで狩りに出ると口実を設け、その日のうちに車を命じ、王城まで行って晋侯に会った。会見して来意を告げた。
- 穆公は笑って言った。「天命はすでに定まっている。呂・郤の輩に何ができようか。私は子餘ら諸人が必ず賊を退治できると見ている。君侯はご心配めさるな。」そこで大将公孫枝を遣わして河口に兵を屯させ、絳都の消息を探らせ、臨機応変に事を行わせた。晋侯はしばらく王城に留まった。
君主の宮殿への放火と呂郤の敗走
- さて勃鞮は呂・郤の二人に疑われることを恐れ、数日前から郤芮の家に泊まり込み、相談する振りをしていた。二月晦日に至り、勃鞮は郤芮に言った。「主公は明朝朝見に出られると約されました。おそらく病はやや癒えたのでしょう。宮中に火が起これば、必ず外に出てくるはずです。呂大夫は前門を守り、郤大夫は後門を守り、私は家来を率いて朝門を占拠し、火を消しに来る者を防ぎましょう。重耳は翼があっても逃げられません。」
- 郤芮はもっともだと思い、呂省に話した。その晩、家来たちはそれぞれ武器と火種を携え、四方に分散して待ち伏せた。おおよそ三更頃、宮門から火が上がった。
- その火勢はすさまじいものであった。宮人たちは皆眠っている最中に驚き覚め、ただ宮中で火の不始末があったのだと思い込み、大騒ぎとなり、皆入り乱れた。火の光の中に、甲冑を着た者たちが入り乱れて見え、東に西に突き進み、口々に「重耳を逃がすな」と叫んでいた。宮人で火に遭った者は額や頭を焼かれ、兵に遭った者は手足を傷つけられた。哀しい泣き声は耳を覆いたくなるほどであった。
- 呂省は剣を手に寝宮に直入し、文公を探したが、姿がまったく見えなかった。郤芮に出くわし、彼もまた剣を手に後宰門(宮城の裏門)から入って来ていて、呂省に「事は済んだか」と尋ねた。呂省は答えられず、ただ首を振るばかりであった。二人はまた火を冒して身を包みながらもう一度捜索したが、突然外で大きな喊声が上がるのを聞いた。勃鞮が慌てて報告に来て言った。「狐・趙・欒・魏らの各家が、皆兵を起こして火消しに来ています。夜が明ければ、国人が皆集まるでしょう。我らは脱出しがたくなります。むしろ混乱に乗じて城を出て、夜明けを待って晋侯の生死を確かめ、改めて策を練りましょう。」
- 呂・郤はこの時、重耳を殺すことができておらず、心中すでに慌てふためき、まったく思案が浮かばなかった。ただその一味を号令して、朝門を斬り抜けて逃れ去るしかなかった。史官に詩がある。
- (詩:毒々しい火は容赦なく、殺害の仕掛けはすっかり整ったが、まさか晋侯の車駕が王城にあろうとは誰が知ろうか。晋侯がもし袂を留めた恨みを覚えていたなら、どうして密かに岳父(秦穆公)と婿(晋侯)が会うことができたろうか、という趣旨)
- さて狐・趙・欒・魏ら各大夫は、宮中の失火を望み見て、急いで兵を集め、鉤竿や水桶を用意して火消しに向かい、もとより戦うつもりはなかった。夜が明けるまでに火を消し止め、そこでようやく呂・郤の二人が反乱を起こしたことを知った。晋侯の姿が見えず、大いに驚いた。
- 先に腹心の内侍に指図されていた者が、火の中から逃げ出て来て告げた。「主公は数日前、五更に微行で宮を出られましたが、行方は分かりません。」
- 趙衰は言った。「この事は舅の狐偃に尋ねれば分かるはずだ。」
- 狐毛は言った。「私の弟の子犯(狐偃)も、数日前に宮に入り、その夜以来家に帰っていません。おそらく主君に付き従っているのでしょう。必ずあらかじめ二人の賊の逆謀を知っていたに違いありません。我らはただ都城を厳重に守り、宮殿の修復に努め、主公のお帰りを待つべきでしょう。」
- 魏犨は言った。「賊臣が反逆し、宮を焼いて主君を弑そうとした。今、遠くへは逃げていないだろうから、私に一隊の兵をお与えいただければ、追いかけて斬りましょう。」
- 趙衰は言った。「兵を動かす権は国家の大権である。主公が不在の今、誰が勝手に動かせようか。二人の賊は逃げたとはいえ、遠からず首を差し出すことになろう。」
呂郤の最期
- さて呂・郤らは郊外に軍を屯していたが、晋君が死んでおらず、諸大夫が城を閉じて厳重に守っていることを知り、追討を恐れて他国に逃げようとしたが、行き先が決まらなかった。
- 勃鞮は彼らを欺いて言った。「晋君の廃立は、これまで常に秦の意向によって決まってきました。まして御二人は秦君とはもとより旧知の間柄です。今、君主の宮殿の失火で重耳が焼死したと偽って言い、秦君の許に投じ、公子雍を迎えて立てれば、重耳が死んでいなくても再び入国することは難しくなりましょう。」
- 呂省は言った。「秦君はかつて我らと王城の盟いを結んでいる。今はただ投じるのがよかろう。ただ秦が容れてくれるかどうかは分からない。」
- 勃鞮は言った。「私がまず行って意向を伝えましょう。もし快諾されれば、すぐ一緒に赴きましょう。そうでなければ、また別の策を考えましょう。」
- 勃鞮は河口まで行き、公孫枝が河西に兵を屯していると聞き、すぐに河を渡って謁見を求め、それぞれ心中を打ち明け、真情を語った。
- 公孫枝は言った。「賊臣が自ら投じてくるなら、誘い出して誅殺し、国法を正すことこそ、便宜の託を裏切らぬことになろう。」そこで勃鞮に託して呂・郤を招く書を作った。おおよそ次のように言う。
- (公孫枝の書の趣旨:新君の入国に際し、秦の主君とはもとより領土を割譲する約束があった。主君は自分に河西に兵を宿営させ、境界を明らかにするよう命じられた。新君が再び恵公の故事のようになることを恐れてのことである。今、新君が火難に遭い、二人の大夫が公子雍を立てる意向があると聞き、これは主君の願うところである。大夫はすみやかに来て共に計られよ、という内容)
- 呂・郤は書を得て喜んで赴いた。河西の軍中に至ると、公孫枝が出迎えた。話を交わした後、宴席を設けてもてなした。呂・郤はまったく疑わなかった。
- ところが公孫枝はあらかじめ人を遣わして秦穆公に報告しており、穆公はすでに王城に先着して待ち構えていた。呂・郤らは三日間留まり、秦君に会いたいと願った。
- 公孫枝は言った。「わが君は王城にいらっしゃいます。ご一緒に行きましょう。兵車と徒歩の手勢はしばらくここに駐屯させ、大夫が戻られたら、一緒に河を渡りましょう。」呂・郤はその言葉に従った。
- 王城まで行くと、勃鞮は公孫枝と先に城に入り、秦穆公に会った。穆公は丕豹を遣わして呂・郤を迎えさせた。穆公は晋文公を屏風の後ろに伏せさせておいた。呂・郤らは続いてやって来て、謁見を終えると、公子雍を迎え立てる話を切り出した。
- 穆公は言った。「公子雍はすでにここにおられる。」呂・郤は声を揃えて言った。「ぜひ一目お目にかかりたい。」
- 穆公は呼びかけた。「新君よ、お出ましあれ。」屏風の後ろから一人の貴人が、慌てず騒がず、手を組んで歩み出た。呂・郤が目を凝らして見ると、それは文公重耳であった。呂省・郤芮は魂も抜けるほど驚き、口々に「死罪です」と称え、額を地につけて拝し続けた。
- 穆公は文公を招いて同席させた。文公は大いに罵った。「逆賊め。寡人がお前たちに何を負うたというので反逆したのだ。勃鞮が訴え出てくれず、寡人が密かに宮門を抜け出していなければ、寡人はすでに灰になっていたであろう。」
- 呂・郤はこの時、初めて勃鞮に売られたことを知った。訴えて言った。「勃鞮は確かに血をすすって共に謀りました。ともに死ぬことを望みます。」
- 文公は笑って言った。「勃鞮がもし共に血をすすっていなければ、お前たちのこの謀りごとをどうして知り得たろうか。」武士に命じて捕らえさせ、そのまま勃鞮に監督させて斬らせた。しばらくして、二つの首が階下に献じられた。
- 哀れなことに、呂省・郤芮は恵公・懐公を輔佐し、一時は豪傑と言えたが、いっそのこと廬柳に軍を屯した時に、重耳と敵対したままであれば、一君に忠を尽くした臣として名を失わずに済んだであろう。すでに降って重耳を迎え入れておきながら、また背いた。今日、公孫枝に誘われて王城で死に、身も名も共に地に落ちた。何とも哀れなことである。
- 文公はすぐに勃鞮を遣わし、呂・郤の首級を持たせて河西に赴かせ、その部下を招撫させた。一方で勝報を国中に馳せ送らせた。諸大夫は皆喜んで言った。「子餘(趙衰)の見立て通りであった。」趙衰らは急いで正式の車駕を備え、河東に赴いて晋侯を迎えた。次に何が起こるかは、次回を見よ。
原文(底本)
話說狐毛狐偃兄弟,從公子重耳在秦,聞知父親狐突被子圉所害,搥胸大哭。趙衰臼季等都來問慰。趙衰曰:「死者不可復生,悲之何益?且同見公子,商議大事。」毛偃收淚,同趙衰等來見重耳。毛偃言:「惠公已薨,子圉即位,凡晉臣從亡者,立限喚回,如不回,罪在親黨。怪老父不召臣等兄弟,將來殺害。」說罷,痛上心來,重復大哭。重耳曰:「二舅不必過傷,孤有復國之日,為汝父報仇。」即時駕車來見穆公,訴以晉國之事。穆公曰:「此天以晉國授公子,不可失也!寡人當身任之。」趙衰代對曰:「君若庇蔭重耳,幸速圖之!若待子圉改元告廟,君臣之分已定,恐動搖不易也。」穆公深然其言。重耳辭回甥館,方纔坐定,只見門官通報:「晉國有人到此,說有機密事,求見公子。」公子召入,問其姓名。其人拜而言曰:「臣乃晉大夫欒枝之子欒盾也。因新君性多猜忌,以殺為威,百姓胥怨,群臣不服,臣父特遣盾私送款於公子。子圉心腹,只有呂省郤芮二人,舊臣郤步揚韓簡等一班老成,俱疏遠不用,不足為慮。臣父已約會郤溱舟之僑等,歛集私甲,只等公子到來,便為內應。」重耳大喜,與之訂約,以明年歲首為期,決至河上。欒盾辭去。重耳對天禱祝,以蓍布筮。得《泰卦》六爻安靜,重耳疑之。召狐偃占其吉凶。偃拜賀曰:「是為天地配享,小往大來,上吉之兆。公子此行,不惟得國,且有主盟之分。」重耳乃以欒盾之言告狐偃。偃曰:「公子明日便與秦公請兵,事不宜遲。」重耳乃於次日復入朝謁秦穆公,穆公不待開言,便曰:「寡人知公子急於歸國矣。恐諸臣不任其事,寡人當親送公子至河。」重耳拜謝而出。丕豹聞穆公將納公子重耳,願為先鋒效力,穆公許之。太史擇吉於冬之十二月。先三日,穆公設宴,餞公子於九龍山,贈以白璧十雙,馬四百匹。帷席器用,百物俱備,糧草自不必說。趙衰等九人,各白璧一雙,馬四匹。重耳君臣俱再拜稱謝。 至日,穆公自統謀臣百里奚繇余,大將公子縶公孫枝,先鋒丕豹等,率兵車四百乘,送公子重耳離了雍州城,望東進發。秦世子罃與重耳素本相得,依依不舍,直送至渭陽,垂淚而別。詩曰: 猛將精兵似虎狼,共扶公子立邊疆;懷公空自誅狐突,隻手安能掩太陽? 周襄王十六年,晉懷公圉之元年,春正月,秦穆公同晉公子重耳行至黃河岸口。渡河船隻,俱已預備齊整,穆公重設餞筵,丁寧重耳曰:「公子返國,毋忘寡人夫婦也。」乃分軍一半,命公子縶丕豹護送公子濟河,自己大軍屯於河西。正是:「眼望捷旌旗,耳聽好消息。」 卻說壺叔主公子行李之事,自出奔以來,曹衛之間,擔饑受餓,不止一次,正是無衣惜衣,無食惜食,今日渡河之際,收拾行裝,將日用的壞籩殘豆,敝席破帷,件件搬運入船,有吃不盡的酒餔之類,亦皆愛惜如寶,擺列船內。重耳見了,呵呵大笑,曰:「吾今日入晉為君,玉食一方,要這些殘敝之物何用?」喝教拋棄於岸,不留一些。狐偃私嘆曰:「公子未得富貴,先忘貧賤,他日憐新棄舊,把我等同守患難之人,看做殘敝器物一般,可不枉了這十九年辛苦!乘今日尚未濟河,不如辭之,異時還有相念之日。」乃以秦公所贈白璧一雙,跪獻於重耳之前曰:「公子今已渡河,便是晉界。內有諸臣,外有秦將,不愁晉國不入公子之手。臣之一身,相從無益,願留秦邦,為公子外臣。所有白璧一雙,聊表寸意。」重耳大驚曰:「孤方與舅氏共享富貴,何出此言?」狐偃曰:「臣自知有三罪於公子,不敢相從。」重耳曰:「三罪何在?」狐偃對曰:「臣聞『聖臣能使其君尊,賢臣能使其君安。』今臣不肖,使公子困於五鹿,一罪也;受曹衛二君之慢,二罪也;乘醉出公子於齊城,致觸公子之怒,三罪也。向以公子尚在羈旅,臣不敢辭。今入晉矣,臣奔走數年,驚魂幾絕,心力並耗,譬之餘籩殘豆,不可再陳,敝席破帷,不可再設。留臣無益,去臣無損,臣是以求去耳!」重耳垂淚而言曰:「舅氏責孤甚當,乃孤之過也。」即命壺叔將已棄之物,一一取回;復向河設誓曰:「孤返國,若忘了舅氏之勞,不與同心共政者,子孫不昌!」即取白璧投之於河曰:「河伯為盟證也!」時介子推在他船中,聞重耳與狐偃立盟,笑曰:「公子之歸,乃天意也,子犯欲竊以為己功乎?此等貪圖富貴之輩,吾羞與同朝!」自此有棲隱之意。 重耳濟了黃河,東行至於令狐,其宰鄧惛,發兵登城拒守。秦兵圍之。丕豹奮勇先登,遂破其城,獲鄧惛斬之。桑泉臼衰,望風迎降。晉懷公聞諜報大驚,悉起境內車乘甲兵,命呂省為大將,郤芮副之,屯於廬柳,以拒秦兵,畏秦之強,不敢交戰。公子縶乃為秦穆公書,使人送呂郤軍中。略曰: 寡人之為德於晉,可謂至矣。父子背恩,視秦如仇,寡人忍其父,不能復忍其子。今公子重耳,賢德著聞,多士為輔,天人交助,內外歸心。寡人親率大軍,屯於河上,命縶護送公子歸晉,主其社稷。子大夫若能別識賢愚,倒戈來迎,轉禍為福,在此一舉! 呂郤二人覽書,半晌不語。欲接戰,誠恐敵不過秦兵,又如龍門山故事;欲迎降,又恐重耳記著前仇,將他償里克丕鄭之命。躊躇了多時,商量出一個計較來。乃答書於公子縶,其略云: 某等自知獲罪公子,不敢釋甲:然翼戴公子,實某等之願也!倘得與從亡諸子,共矢天日,各無相害,子大夫任其無咎,敢不如命。 公子縶讀其回書,已識透其狐疑之意。乃單車造於廬柳,來見呂郤。呂郤欣然出迎,告以衷腹曰:「某等非不欲迎降,懼公子不能相容,欲以盟為信耳。」縶曰:「大夫若退軍於西北,縶將以大夫之誠,告於公子,而盟可成也。」呂郤應諾。候公子縶別去,即便出令,退屯於郇城。重耳使狐偃同公子縶至郇城,與呂郤相會。是日,刑牲歃血,立誓共扶重耳為君,各無二心。盟訖,即遣人相隨狐偃至臼衰,迎接重耳到郇城大軍之中,發號施令。懷公不見呂郤捷音,使寺人勃鞮至晉軍催戰。行至中途,聞呂郤退軍郇城,與狐偃公子縶講和,叛了懷公,迎立重耳,慌忙回報。懷公大驚,急集郤步揚、韓簡、欒枝、士會等一班朝臣計議。那一班朝臣,都是向著公子重耳的,平昔見懷公專任呂郤,心中不忿:「今呂郤等尚且背叛,事到臨頭,召我等何用。」一個個託辭,有推病的,有推事的,沒半個肯上前。懷公嘆了一口氣道:「孤不該私自逃回,失了秦歡,以致如此!」勃鞮奏曰:「群臣私約共迎新君,主公不可留矣!臣請為御,暫適高梁避難,再作區處。」 不說懷公出奔高梁。再說公子重耳,因呂郤遣人來迎,遂入晉軍。呂省郤芮叩首謝罪,重耳將好言撫慰。趙衰臼季等從亡諸臣,各各相見,吐露心腹,共保無虞。呂郤大悅,乃奉重耳入曲沃城中,朝於武公之廟。絳都舊臣,欒枝郤溱為首,引著士會、舟之僑、羊舌職、荀林父、先蔑箕、鄭先都等三十餘人,俱至曲沃迎駕。郤步揚、梁繇靡、韓簡、家僕徒等,另做一班,俱往絳都郊外邀接。重耳入絳城即位,是為文公。按重耳四十三歲奔翟,五十五歲適齊,六十一歲適秦,及復國為君,年已六十二歲矣。 文公既立,遣人至高梁刺殺懷公。子圉自去年九月嗣位,至今年二月被殺,首尾為君,不滿六個月。哀哉!寺人勃鞮收而葬之,然後逃回。不在話下。 卻說文公宴勞秦將公子縶等,厚犒其軍。有丕豹哭拜於地,請改葬其父丕鄭。文公許之。文公欲留用丕豹,豹辭曰:「臣已委質於秦庭,不敢事二君也。」乃隨公子縶到河西,回復秦穆公。穆公班師回國,史臣有詩美秦穆公云: 轔轔車騎過河東,龍虎乘時氣象雄;假使雍州無義旅,縱然多助怎成功? 卻說呂省郤芮迫於秦勢,雖然一時迎降,心中疑慮,到底不能釋然,對著趙衰臼季諸人,未免有慚愧之意。又見文公即位數日,並不曾爵一有功,戮一有罪,舉動不測,懷疑益甚。乃相與計較,欲率家甲造反,焚燒公宮,弒了重耳,別立他公子為君。思想:「在朝無可與商者。惟寺人勃鞮,乃重耳之深仇,今重耳即位,勃鞮必然懼誅,此人膽力過人,可邀與共事。」使人招之,勃鞮隨呼而至。呂郤告以焚宮之事,勃鞮欣然領命。三人歃血為盟,約定二月晦日會齊,夜半一齊舉事。呂郤二人,各往封邑,暗集人眾。不在話下。 卻說勃鞮雖然當面應承,心中不以為然。思量道:「當初奉獻公之命,去伐蒲城。又奉惠公所差,去刺重耳,這是桀犬吠堯,各為其主。今日懷公已死,重耳即位,晉國方定,又幹此大逆無道之事,莫說重耳有天人之助,未必成事;縱使殺了重耳,他從亡許多豪傑,休想輕輕放過了我。不如私下往新君處出首,把這話頭,反做個進身之階。此計甚妙。」又想:「自己是個有罪之人,不便直叩公宮。」遂於深夜往見狐偃。狐偃大驚,問曰:「汝得罪新君甚矣!不思遠引避禍,而夤夜至此何也?」勃鞮曰:「某之此來,正欲見新君,求國舅一引進耳!」狐偃曰:「汝見主公,乃自投死也。」勃鞮曰:「某有機密事來告,欲救一國人性命,必面見主公,方可言之。」狐偃遂引至公宮門首,偃叩門先入,見了文公,述勃鞮求見之語。文公曰:「鞮有何事,救得一國人性命?此必託言求見,借舅氏作面情討饒耳。」狐偃曰:「『芻蕘之言,聖人擇焉。』主公新立,正宜捐棄小忿,廣納忠告,不可拒之。」文公意猶未釋。乃使近侍傳語責之曰:「汝斬寡人之袂,此衣猶在,寡人每一見之寒心。汝又至翟行刺寡人,惠公限汝三日起身,汝次日即行,幸我天命見祐,不遭毒手。今寡人入國,汝有何面目來見?可速逃遁,遲則執汝付刑矣!」勃鞮呵呵大笑曰:「主公在外奔走十九年,世情尚未熟透耶?先君獻公,與君父子;惠公則君之弟也。父仇其子,弟仇其兄,況勃鞮乎?勃鞮小臣,此時惟知有獻惠,安知有君哉?昔管仲為公子糾射桓公中其鉤,桓公用之,遂伯天下。如君所見,將修射鉤之怨,而失盟主之業矣。不見臣,不為臣損,但恐臣去,而君之禍不遠也。」狐偃奏曰:「勃鞮必有所聞而來,君必見之。」文公乃召勃鞮入宮。勃鞮並不謝罪,但再拜口稱「賀喜!」文公曰:「寡人嗣位久矣,汝今日方稱賀,不已晚乎?」勃鞮對曰:「君雖即位,未足賀也。得勃鞮,此位方穩,乃可賀耳!」文公怪其言,屏開左右,願聞其說。勃鞮將呂郤之謀,如此恁般,細述一遍:「今其黨布滿城中,二賊又往封邑聚兵。主公不若乘間與狐國舅微服出城,往秦國起兵,方可平此難也。臣請留此,為誅二賊之內應。」狐偃曰:「事已迫矣!臣請從行。國中之事,子餘必能料理。」文公叮囑勃鞮:「凡事留心,當有重賞!」勃鞮叩首辭出。 文公與狐偃商議了多時,使狐偃預備溫車於宮之後門,只用數人相隨。文公召心腹內侍,吩咐如此如此,不可洩漏。是晚,依舊如常就寢。至五鼓,託言感寒疾腹病,使小內侍執燈如廁,遂出後門,與狐偃登車出城而去。次早,宮中俱傳主公有病,各來寢室問安,俱辭不見。宮中無有知其出外者。天明,百官齊集朝門,不見文公視朝,來至公宮詢問。只見朱扉雙閉,門上掛著一面免朝牌,守門者曰:「主公夜來偶染寒疾,不能下牀。直待三月朔視朝,方可接見列位也。」趙衰曰:「主公新立,百事未舉,忽有此疾,正是『天有不測風雲,人有旦夕禍福。』」眾人信以為真,各各嘆息而去。呂郤二人聞知文公患病不出,直至三月朔方纔視朝,暗暗歡喜曰:「天教我殺重耳也!」 且說晉文公狐偃潛行離了晉界,直入秦邦,遣人致密書於秦穆公,約於王城相會。穆公聞晉侯微行來到,心知國中有變。乃託言出獵,即日命駕,竟至王城來會晉侯。相見之間,說明來意。穆公笑曰:「天命已定,呂郤輩何能為哉?吾料子餘諸人,必能辦賊,君勿慮也!」乃遣大將公孫枝屯兵河口,打探絳都消息,便宜行事。晉侯權住王城。 卻說勃鞮恐呂郤二人見疑,數日前,便寄宿於郤芮之家,假作商量。至二月晦日,勃鞮說郤芮曰:「主公約來早視朝,想病當小愈。宮中火起,必然出外。呂大夫守住前門,郤大夫守住後門,我領家眾據朝門,以遏救火之人。重耳雖插翅難逃也!」郤芮以為然,言於呂省。是晚,家眾各帶兵器火種,分頭四散埋伏。約莫三更時分,於宮門放起火來。那火勢好不兇猛!宮人都在睡夢中驚醒,只道宮中遺漏,大驚小怪,一齊都亂起來。火光中但見戈甲紛紛,東沖西撞,口內大呼:「不要走了重耳!」宮人遇火者,爛額焦頭,逢兵者,傷肢損體。哀哭之聲,耳不忍聞。呂省仗劍直入寢宮,來尋文公,並無蹤影。撞見郤芮,亦仗劍從後宰門入來,問呂省:「曾了事否?」呂省對答不出,只是搖頭。二人又冒火覆身搜尋一遍,忽聞外面喊聲大舉,勃鞮倉忙來報曰:「狐、趙、欒、魏等各家,悉起兵眾前來救火,若至天明,恐國人俱集,我等難以脫身。不如乘亂出城,候至天明,打聽晉侯死生的確,再作區處。」呂郤此時,不曾殺得重耳,心中早已著忙了,全無主意。只得號召其黨,殺出朝門而去。史官有詩云: 毒火無情殺械成,誰知車駕在王城!晉侯若記留袂恨,安得潛行會舅甥? 且說狐、趙、欒、魏等各位大夫,望見宮中失火,急忙歛集兵眾,准備撓鉤水桶,前來救火,原不曾打帳廝殺。直至天明,將火撲滅,方知呂郤二人造反。不見了晉侯,好大吃驚!有先前吩咐心腹內侍,火中逃出,告知:「主公數日前,於五鼓微服出宮,不知去向。」趙衰曰:「此事問狐國舅便知。」狐毛曰:「吾弟子犯,亦於數日前入宮,是夜便不曾歸家。想君臣相隨,必然預知二賊之逆謀。吾等只索嚴守都城,修葺宮寢,以待主公之歸可也。」魏犨曰:「賊臣造逆,焚宮弒主,今雖逃不遠,乞付我一旅之師,追而斬之。」趙衰曰:「甲兵,國家大權,主公不在,誰敢擅動。二賊雖逃,不久當授首矣。」 再說呂郤等屯兵郊外,打聽得晉君未死,諸大夫閉城謹守;恐其來追,欲奔他國,但未決所向。勃鞮紿之曰:「晉君廢置,從來皆出秦意。況二位與秦君原有舊識,今假說公宮失火,重耳焚死。去投秦君,迎公子雍而立之,重耳雖不死,亦難再入矣。」呂省曰:「秦君向與我有王城之盟,今日只合投之。但未知秦肯容納否?」勃鞮曰:「吾當先往道意,如其慨許,即當偕往。不然,再作計較。」勃鞮行至河口,聞公孫枝屯兵河西,即渡河求見,各各吐露心腹,說出真情。公孫枝曰:「既賊臣見投,當誘而誅之,以正國法,無負便宜之託可也。」乃為書託勃鞮往召呂郤。書略曰: 新君入國,與寡君原有割地之約。寡君使枝宿兵河西,理明疆界,恐新君復如惠公故事也。今聞新君火厄,二大夫有意於公子雍,此寡君之所願聞。大夫其速來共計! 呂郤得書,欣然而往。至河西軍中,公孫枝出迎。敘話之後,設席相款。呂郤坦然不疑。誰知公孫枝預遣人報知秦穆公,先至王城等候。呂郤等留連三日,願見秦君。公孫枝曰:「寡君駕在王城,同往可也。車徒暫屯此地,俟大夫返駕,一同濟河何如?」呂郤從其言。行至王城,勃鞮同公孫枝先驅入城,見了秦穆公,使丕豹往迎呂郤。穆公伏晉文公於圍屏之後。呂郤等繼至,謁見已畢,說起迎立子雍之事。穆公曰:「公子雍已在此了!」呂郤齊聲曰:「願求一見。」穆公呼曰:「新君可出矣!」只見圍屏後一位貴人,不慌不忙,叉手步出。呂郤睜眼看之,乃文公重耳也。嚇得呂省郤芮魂不附體,口稱「該死!」叩頭不已。穆公邀文公同坐。文公大罵:「逆賊!寡人何負於汝而反?若非勃鞮出首,潛出宮門,寡人已為灰燼矣!」呂郤此時,方知為勃鞮所賣。報稱:「勃鞮實歃血同謀,願與俱死。」文公笑曰:「勃鞮若不共歃,安知汝謀如此?」喝叫武士拿下,就命勃鞮監斬。須臾,二顆人頭,獻於階下。可憐呂省郤芮輔佐惠懷,也算一時豪傑,索性屯軍廬柳之時,與重耳做個頭敵,不失為從一忠臣!既已迎降,又復背叛,今日為公孫枝所誘,死於王城,身名俱敗,豈不哀哉!文公即遣勃鞮,將呂郤首級,往河西招撫其眾;一面將捷音馳報國中。眾大夫皆喜曰:「不出子餘所料也!」趙衰等忙備法駕,往河東迎接晉侯。要知後事如何,且看下回分解。
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