東周列國志第五十七回 夏姫を娶って巫臣が晋に逃れる/下宮を囲まれ程嬰が遺孤を匿す (娶夏姬巫臣逃晉 圍下宮程嬰匿孤)
斉との講和(袁婁の会盟)
- さて晋兵は斉侯を追い、四百五十里を行って袁婁という地に至り、陣を張って城攻めの支度をした。
- 斉の頃公は心が乱れ、諸臣を集めて対策を問うた。
- 国佐が進んで言った。「臣に紀侯の甗と玉磬をもって晋に賂を贈らせ、晋と講和を請わせてください。魯・衛の二国には、侵略した土地を返還いたしましょう。」
- 頃公は言った。「卿の言う通りにすれば、寡人の誠意は尽くしたことになる。それでもなお従わぬなら、戦うほかあるまい。」
- 国佐は命を受け、紀甗と玉磬の二つの品を捧げ持って、まっすぐ晋の陣営に赴いた。
- まず韓厥に会い、斉侯の意向を伝えた。
- 韓厥は言った。「魯と衛が斉の侵略が止まぬことに苦しんでいたゆえ、わが君はこれを憐れんで救おうとしたのだ。わが君が斉に何の仇があろうか。」
- 国佐は答えた。「私からわが君に、魯・衛の侵略した地を返還するようお願いいたします。いかがでしょうか。」
- 韓厥は言った。「中軍の総大将がいる。厥はひとりで決めることはできぬ。」
- 韓厥は国佐を案内して郤克に会わせた。郤克は激しく怒って国佐を迎えたが、国佐は言辞も態度もあくまで恭しかった。
- 郤克は言った。「お前の国は朝夕にも滅びようとしているのに、なお巧言をもって我らを緩めようとするのか。もし真に講和を望むなら、ただ我らの二つの条件に従え。」
- 国佐は言った。「あえてお尋ねいたします。何でございましょうか。」
- 郤克は言った。「一つには、蕭の君主同叔の娘を人質として晋に差し出せ。二つには、必ず斉の国内の田畑の畝をすべて東西の畝に改めよ。万一斉が後日盟を破れば、こちらはその人質を殺し、そなたの国を討つ。そのとき車馬が西から東へまっすぐ通り抜けられるようにしておくためだ。」
- 国佐は激怒して言った。「元帥は誤っておられる。蕭君の女は他でもない、わが君の母君である。斉と晋を対等な間柄として言うならば、それは晋君の母君にも等しい。国母を他国の人質にするなどという道理があろうか。畝の縦横に至っては、みなその土地の地勢の自然に従っているものであり、もし晋のためだけに改めよというなら、国を失うのと何が違おう。元帥がこれをもって我らを難ずるとは、講和を許すつもりはないと見える。」
- 郤克は言った。「では汝の講和を許さぬとして、汝は我をどうできるのか。」
- 国佐は言った。「元帥よ、斉をあまりに軽んじられますな。斉は狭小とはいえ、その軍賦は千乗、諸臣の私家が出す兵車も数百乗を下りません。今、偶々一度の挫折を蒙っただけで、まだ大きく損なわれたわけではありません。元帥がどうしても許されぬなら、どうか残兵を集めて元帥と城下で決戦したい。一戦して勝たずとも、なお再戦できましょう。再戦して勝たずとも、なお三戦できましょう。もし三戦して敗れれば、斉国はすべて晋のものとなりましょう。それなら何も母を人質にし畝を改める必要がありましょうか。私はこれにて失礼いたします。」
- 甗と磬を地に置き、上座に向かって両手を組んで一礼すると、昂然として陣営を出て行った。
- 季孫行父と孫良夫は幕の後ろでこの言葉を聞き、出てきて郤克に言った。「斉はわれらを深く恨んでいる。必ず死力を尽くして我らに当たろう。兵に常勝はない。従うにこしたことはない。」
- 郤克は言った。「斉の使者はすでに去った。どうしようもあるまい。」
- 行父は言った。「追いかけて連れ戻せばよい。」
- そこで良馬に車を駆けさせ、十里の外で追いつき、国佐を強いて連れ戻し、再び晋の陣営へと引き返させた。
- 郤克は国佐を季孫行父・孫良夫と会わせ、言った。「克はこの事がうまくいかず、わが君に罪を得ることを恐れて、軽々しく承諾できなかったのだ。今、魯・衛の大夫が声をそろえて請うので、克はこれに逆らうことはできぬ。克は汝の言に従おう。」
- 国佐は言った。「元帥がすでにわが国の願いに従ってくださるならば、共に盟を結んで信とすることを願います。斉は晋に朝することを認め、また魯・衛の侵略した地を返還いたします。晋は軍を退くことを認め、秋毫も犯さぬこと。それぞれ誓書を立てましょう。」
- 郤克は犠牲の血を取らせて共に血をすすって盟い、盟約を結んで別れた。
- 逢丑父を釈放して斉に帰らせた。斉の頃公は逢丑父を昇進させて上卿とした。
- 晋・魯・衛・曹の軍は、それぞれ本国に帰った。
- 宋の儒者はこの盟について論じ、郤克が勝利を恃んで驕り、命令の出し方が恭しくなかったため国佐の怒りに触れ、講和は成ったものの、それでは斉人の心を服させるには到底足りなかったと評している。
晋の六軍復興と屠岸賈の台頭
- 晋軍は帰国して斉に勝った戦果を献上し、景公は鞍の戦いの功を嘉して、郤克らにみな領地を加増した。
- さらに新たに上・中・下の三軍を編成した。韓厥を新軍の元帥、趙括をその副とし、鞏朔を新上軍の元帥、韓穿をその副とし、荀騅を新下軍の元帥、趙旃をその副とし、いずれも爵位を卿とした。
- これより晋には六軍があり、覇業を再興することとなった。
- 司寇の屠岸賈は趙氏が再び盛んになるのを見て、ますます深く忌み嫌った。日夜、趙氏の短所を探し出し、景公に讒言した。また欒・郤の二家と厚く結んで自らの後ろ盾とした。この事はしばらく措いておき、後で述べる。
諸侯の離心
- 斉の頃公は自軍が敗れたことを恥じ、死者を弔い喪を問い、民を恤み政治を修めて、報復の志を抱いた。
- 晋の君臣は斉が侵伐してきて再び覇業を失うことを恐れ、そこで斉国が恭順であると褒め称える口実をつくり、各国にそれぞれ斉から侵し取った地を斉へ返還させた。
- これより諸侯は晋に信義がないと考え、次第に離心していった。これは後の話である。
陳の夏姫と屈巫の謀
- さて陳の夏姫は連尹の襄老に嫁いだが、一年も経たぬうちに、襄老は邲の戦いに従軍し、夏姫はその子の黒要と密通するようになった。
- 襄老が戦死するに及んでも、黒要は夏姫の色香に迷って屍を求めに行こうとせず、国人はかなりこれを議論した。
- 夏姫はこれを恥とし、屍を迎えるという名目を借りて鄭に帰ろうと謀った。
- 申公屈巫はそこで夏姫の側近に賂を贈り、夏姫に言葉を伝えさせた。「申公はあなたを深く慕っています。もし夫人が朝に鄭国へ帰られれば、申公は夕べにはすぐに聘に参ります。」
- また人を遣わして鄭の襄公に言わせた。「姫が生まれた国へ帰りたいと望んでいます。どうか迎えに行かれませんか。」
- 鄭の襄公は果たして使者を遣わして夏姫を迎えさせた。
- 楚の荘王は諸大夫に問うた。「鄭人が夏姫を迎えるとはどういうことか。」
- 屈巫だけが答えた。「姫は襄老の屍を収葬したいのですが、鄭人がその任を引き受け、屍は手に入れられると考えております。それゆえ姫を鄭へ行かせて屍を迎えさせようとしているのです。」
- 荘王は言った。「屍は晋にある。鄭がどうしてそれを手に入れられよう。」
- 屈巫は答えた。「荀罃は荀首の愛子です。その罃が楚の捕虜となっており、首はわが子を思う情がとても切実です。今、首は新たに中軍を補佐する立場にあり、鄭の大夫皇戍と平素より親しく交わっております。首は必ず鄭の皇戍を仲立ちとして、楚に取りなしを求め、王子と襄老の屍とを荀罃と交換しようとするでしょう。鄭君は邲の戦いで晋の討伐を恐れており、これに乗じて晋に媚びを売ろうとするに違いありません。これは間違いなく本当のことでしょう。」
- 話がまだ終わらぬうちに、夏姫が朝廷に入って楚王に別れを告げ、鄭に帰る理由を奏上した。言葉とともに涙が雨のようにこぼれ、「もし屍を得られなければ、私は決して楚には戻りません」と言った。
- 楚の荘王は憐れんでこれを許した。
- 夏姫がまさに出発しようとする頃、屈巫は鄭の襄公に書を送り、夏姫を正妻として娶りたいと求めた。
- 襄公は荘王と公子嬰斉が夏姫を娶ろうとしていた前後の経緯を知らず、屈巫がちょうど楚で重んじられていたので、姻戚を結ぼうと考え、その結納の品を受け入れた。楚人はこのことを誰も知らなかった。
- 屈巫はさらに人を晋に遣わし、荀首に通信させ、彼に二つの屍を楚での荀罃との交換に用いさせ、自らの言葉を裏付けさせた。
- 荀首は皇戍に書を送り、仲介を求めた。
- 荘王は子の公子穀臣の屍を得たいと望み、そこで荀罃を晋に帰した。晋もまた二つの屍を楚に渡した。
- 楚人は屈巫の言葉を真実と信じ、他に理由があるとは疑わなかった。
- 晋軍が斉を討った際、斉の頃公は楚に救援を求めたが、ちょうど楚は新たな喪に服していたため、すぐには兵を出さなかった。のちに斉軍の大敗と、国佐がすでに晋と盟を結んだことを聞き、楚の共王は言った。「斉が晋に従ったのは、楚が救援を怠ったためであり、斉の本意ではない。寡人は斉のために衛・魯を討ち、鞍の恥をすすぐべきだ。誰か寡人のためにこの意向を斉侯に伝えてくれる者はいるか。」
- 申公屈巫が応じて言った。「微臣が参ります。」
- 共王は言った。「卿はこの行で鄭国を経由することになる。ちょうどよいので鄭の軍と冬十月の望の日に、衛の国境で足並みを揃えて集結するよう約束し、この期日を斉侯に告げてくれ。」
- 屈巫は命を受けて家に帰り、新邑へ賦税の徴収に行くと口実をつけ、まず家族と財貨を十余台の車に積み、続々と城を出させた。
- 自分は軺車に乗って後から従い、星を追うように鄭へ馳せ、楚王の出師の期日を伝えた。
- そして夏姫と客舎で夫婦の契りを結んだ。二人の喜びは推して知るべしである。証となる詩がある(詩:この佳人はもともと年季の入った化け物じみた女で、あちこちで浮名を流してきたが、それが今、共に情を交わす一対となり、今宵の閨の激戦でどちらが勝つか決まるだろうと戯れて詠う)。
屈巫、斉への使命を捨てて晋へ奔ることを決める
- 夏姫は枕元で屈巫に言った。「この事は楚王に申し上げてありますか。」
- 屈巫は荘王と公子嬰斉が夏姫を娶ろうとしていたことを一部始終語り、言った。「私はあなたのために、多くの心を砕いてきました。今日ようやく夫婦の楽しみを得られ、生涯の願いが満ち足りました。私はもう楚には戻れません。明日、あなたと共に別の安住の地を探し、共に百年連れ添うのが、穏当ではないでしょうか。」
- 夏姫は言った。「そうでしたか。あなたが楚に戻らないとすれば、あの斉に赴くという命は、どうやって果たすのですか。」
- 屈巫は言った。「私はもう斉国には行かない。今、楚に対抗できるのは晋国だけだ。私とあなたとで晋に行くのがよかろう。」
- 翌朝、表文一通をしたため、従者に付けて楚王への返答として届けさせ、そのまま夏姫とともに晋国へと逃れて行った。
屈巫、晋に奔る
- 晋の景公はちょうど楚に敗れたことを恥じていたが、屈巫がやって来たと聞き、喜んで言った。「これは天がこの人物を我に賜ったのだ。」
- その日のうちに大夫に任じ、邢の地を采邑として賜った。
- 屈巫はそこで屈の姓を去り、巫を氏として名を臣とし、今の人は彼を申公巫臣と呼ぶようになった。
- 巫臣はこれより晋に安住した。
- 楚の共王は巫臣が送ってきた表文を受け取り、開いて読んだ。おおよそ次のようであった。
- 「鄭君のご厚意により夏姫を私の妻とすることになりました。臣は不肖ながら、これを辞退することができませんでした。君王のお怒りを恐れ、しばらく晋国に身を寄せます。斉への使いの件は、どうか君王が別の良臣をお遣わしください。死罪です、死罪です。」
楚、巫臣の一族を誅す
- 共王は表文を見て大いに怒り、公子嬰斉と公子側を召してこれを見せた。
- 公子側は答えた。「楚と晋は代々の仇敵です。今、巫臣は晋に赴いた。これは反逆であり、討たないわけにはいきません。」
- 公子嬰斉はさらに言った。「黒要が継母(父襄老の妻である夏姫)と密通したのも罪であり、あわせて討つべきです。」
- 共王はその言に従い、公子嬰斉に兵を率いさせて巫臣の一族を誅殺し家財を没収させ、公子側に兵を率いさせて黒要を捕らえて斬らせた。
- 両族の家財は、すべて二将が分け取って自分のものにした。
- 巫臣は自分の一族が誅殺されたことを聞き、二将に書を送った。おおよそ次のようであった。
- 「お前たちは貪欲さと讒言をもって主君に仕え、多くの罪なき者を殺した。私は必ずお前たちを道中で疲れ果てさせて死なせてやる。」
- 嬰斉らはこの書を秘して、楚王には聞かせなかった。
巫臣、呉を強くす
- 巫臣は晋のために策を練り、呉国と好誼を通じることを求め、そのついでに戦車の戦法を呉人に教えた。
- その子の狐庸を呉に残して行人(外交使節を司る官)として仕えさせ、晋と呉の間の通信を絶やさぬようにした。
- これより呉の勢いは日々強まり、兵力も日々盛んになり、楚の東方の属国をことごとく奪い取った。
- 呉の寿夢はついに爵位を僭称して王を名乗るに至った。楚の辺境はその侵伐を受け、平穏な年がなくなった。
- のちに巫臣が死ぬと、狐庸は屈の姓に戻り、そのまま呉に留まって仕え、呉は彼を相国として国政を任せた。
鄭・衛・魯をめぐる楚晋の争い
- 冬十月、楚王は公子嬰斉を大将に任じ、鄭軍とともに衛を討ち、その郊外を破壊した。
- そのついでに軍を移して魯を侵し、楊橋の地に駐屯した。
- 仲孫蔑は賂を贈ることを求めた。そこで国中の良い工匠と機織り女、針仕事の女、各百人を集めて楚軍に献上し、盟を請うて軍を退かせた。
- 晋もまた使者を遣わして魯侯を招き、共に鄭を討たせようとした。魯の成公はまたこれに従った。
- 周の定王二十年、鄭の襄公堅が薨じ、世子の費が跡を継いだ。これが悼公である。
- 許国と田界を争ったことから、許君が楚に訴え出た。楚の共王は許君の言い分を正しいとし、人を遣わして鄭を責めた。
- 鄭の悼公は怒り、そこで楚を捨てて晋に付いた。
- この年、郤克は矢傷の養生が足りず、左腕を損なって、老いを理由に引退し、まもなく卒した。欒書がその後を継いで中軍の元帥となった。
- 翌年、楚の公子嬰斉は軍を率いて鄭を討ち、欒書がこれを救援した。
屠岸賈の讒言と梁山崩れ
- 折しも晋の景公は斉と鄭がいずれも服属したことから、いくぶん驕りたかぶる心を持つようになり、屠岸賈を重く用い、遊猟と飲酒にふけって、再び霊公の頃のような日々に戻った。
- 趙同・趙括はその兄趙嬰斉と不仲であり、姦淫の事があったと誣告して、彼を斉へ追放したが、景公はそれを止めることができなかった。
- ちょうどこの頃、梁山が理由もなく自然に崩れ、黄河の流れをふさぎ、三日も通じなかった。
- 景公は太史に占わせた。
- 屠岸賈は太史に賂を贈り、「刑罰が中正を欠いている」ということを言わせた。
- 景公は言った。「寡人はかつて刑罰を用いすぎたことなどない。どうして中正を欠くのか。」
- 屠岸賈は奏した。「いわゆる刑罰が中正を欠くとは、無実の者を誤って罪に落とすこと(失入)も、罪ある者を誤って赦し逃すこと(失出)も、いずれも中正を欠くということです。趙盾が桃園で霊公を弑したことは史冊に載っております。これは赦されざる罪であるのに、成公はこれを誅戮せず、しかも国政を任せられました。今に至るまで逆臣の子孫が朝廷に満ち満ちている有様で、どうして後世の人を懲らしめられましょうか。しかも臣が聞くところでは、趙朔・原(趙同)・屏(趙括)らは、宗族が繁栄しているのを恃みにして、謀反を企てているとのことです。楼嬰がこれを諫めようとして、追われて出奔しました。欒・郤の二家は趙氏の勢いを畏れて、隠忍し口を閉ざしております。梁山の崩れは、天意が主公に霊公の冤を晴らさせようとし、まさに趙氏の罪を正させようとしているのです。」
- 景公は邲の戦いのときからすでに趙同・趙括の専横を憎んでおり、そこでこの言葉に惑わされた。
- 韓厥に問うと、厥は答えた。「桃園の事件は趙盾に何の関わりがありましょう。しかも趙氏は成季の代より、代々晋に大功があります。主公はどうしてつまらぬ者の言を聞いて、功臣の子孫を疑われるのですか。」
- 景公の心はまだ晴れなかった。
- さらに欒書と郤錡に問うたが、二人はあらかじめ岸賈から頼まれており、言葉を濁して趙氏のために弁明しようとしなかった。
- 景公はついに岸賈の言葉を信じ、真実だと思い込んだ。
- そこで趙盾の罪状を板に書き、岸賈に渡して言った。「そなたがうまく処分せよ。国人を驚かせぬようにな。」
韓厥の密告と趙朔の覚悟
- 韓厥は岸賈の陰謀を知り、夜、下宮に赴いて趙朔に知らせ、あらかじめ逃亡させようとした。
- 朔は言った。「わが父は先君の誅罰に抗したがために、汚名を受けました。今、岸賈は主君の命を奉じ、必ず私を殺そうとしております。朔がどうしてこれを避けられましょう。ただ、わが妻はすでに身重で、まさに臨月です。もし女児を産めば言うまでもありませんが、天の幸いで男児を産めば、なお趙氏の祭祀をつなぐことができます。この一点の血脈を、どうか将軍に委曲を尽くして守っていただきたい。朔は死んでもなお生きているようなものです。」
- 韓厥は涙を流して言った。「厥は宣孟に見出されて今日があります。恩は父子も同然です。今日、自分の力の足りなさが恥ずかしく、賊の首を断つことができません。命じられた事は、力を尽くさぬわけにはいきません。しかし賊臣は憤りを蓄えて久しく、いったん事を起こせば、玉も石も共に焼け尽きましょう。厥に力があっても用いる場がありません。今、まだ事が発覚していないうちに、なぜ公主をひそかに君主の宮殿に送り、この大難を逃れさせないのですか。後日、公子が成長すれば、あるいは仇を報いる日もございましょう。」
- 朔は言った。「謹んでお教えを承ります。」
- 二人は涙を流して別れた。
趙朔、生まれる子の名を約し荘姫を宮中へ送る
- 趙朔はひそかに荘姫と約束した。「女児が生まれれば文と名付け、男児が生まれれば武と名付けよう。文人は役に立たぬが、武ならば仇を報いることができる。」
- ただ食客の程嬰にだけこのことを語った。
- 荘姫は裏門から温車に乗り、程嬰が護送して、まっすぐ宮中に入り、その母の成夫人のもとに身を寄せた。
- 夫婦が別れる際の苦しみは、言うまでもないだろう。
下宮の変 趙氏皆殺しと孤児の誕生
- 夜が明ける頃、岸賈は自ら武装兵を率いて下宮を包囲した。
- 景公が書いた罪状の板を大門に懸け、「逆賊を討伐せよとの命を奉ずる」と声高に言った。
- こうして趙朔・趙同・趙括・趙旃それぞれの家の老若男女を、ことごとく誅殺した。
- 趙旃の子趙勝は、その時邯鄲にいたため、ひとり難を免れた。のちに変事を聞いて、宋に出奔した。
- その時、屍は堂や戸口に横たわり、血は庭の階段を浸すほどであった。
- 人数を点検すると、荘姫だけがどこにも見当たらなかった。
- 岸賈は言った。「公主は大したことではない。ただ懐妊してまさに出産の時期にあると聞く。万一男児を産めば、逆賊の種を残すことになり、必ず後患を生む。」
- ある者が「夜半に温車が宮中に入りました」と報告した。
- 岸賈は「これはきっと荘姫だ」と言った。
- ただちに晋侯に奏上し、「逆臣の一門は、すでにことごとく誅絶いたしました。ただ公主だけが宮中に逃げ込んでおります。どうかご裁断を」と言った。
- 景公は言った。「わが叔母は母君が愛しんでおられる方だ。手を出してはならぬ。」
- 岸賈はさらに奏した。「公主は懐妊してまさに出産の時期にあります。万一男児を産めば、逆賊の種が残り、いずれ成長した暁には、必ず仇を報いようとし、また桃園の事件のようなことが起こりましょう。主公はご考慮なさらぬわけにはまいりません。」
- 景公は言った。「男児が生まれれば、これを除け。」
- 岸賈はそこで日夜人を遣わして、荘姫の出産の様子を探らせた。
- 数日後、荘姫は果たして男児を産んだ。
- 成夫人は宮中の者に、女児が生まれたと偽って言うよう命じた。
- 屠岸賈はこれを信じず、家の乳母を宮中に入れて確かめようとした。
- 荘姫は慌てて母の成夫人と相談し、生まれた女児はすでに死んだと言うことにした。
- この時、景公は淫楽にふけっており、国事はすべて岸賈に任せて、思うままにさせていた。
- 岸賈は生まれたのが女児ではなく、しかもまだ死んでいないと疑い、そこで自ら下女たちを率いて宮中をくまなく捜索した。
- 荘姫は孤児を袴の中に隠し、天に祈って言った。「天がもし趙の宗家を滅ぼそうとするなら、この子は泣くでしょう。もし趙氏になお一脈の血が続くべきならば、この子は声を立てないでしょう。」
- 下女たちが荘姫を連れ出してその宮を捜索したが、何も見つからず、袴の中からは泣き声一つ聞こえなかった。
- 岸賈はその時いったん宮を出て行ったが、心中どこまでも疑念が残った。
- ある者が「孤児はすでに宮門の外に持ち出されました」と言った。
- 岸賈はそこで門に懸賞をかけた。「孤児の確かな情報を告げる者には千金を与える。事情を知りながら言わぬ者は、反逆者を匿った者と同罪とし、一族を斬る。」
- さらに宮門の出入りを取り調べさせた。
公孫杵臼と程嬰の計
- さて趙盾には二人の腹心の食客がいた。一人は公孫杵臼、もう一人は程嬰である。
- 先に屠岸賈が下宮を包囲したと聞き、公孫杵臼は程嬰に共にその難に赴こうと誘った。
- 嬰は言った。「彼は主君の命を偽り、口実をつくって賊を討つと称している。我らが共に死んでも、趙氏に何の益があろうか。」
- 杵臼は言った。「無益であることは分かっている。しかし恩主が難に遭っているのに、逃げて死を免れることなどできない。」
- 嬰は言った。「姫氏は身重だ。もし男児ならば、我らは共にこれを守り立てよう。不幸にも女児ならば、その時死んでも遅くはない。」
- 荘姫が女児を産んだと聞くに及び、杵臼は泣いて言った。「天は果たして趙氏を絶とうとするのか。」
- 程嬰は言った。「まだ信じられない。私が調べてみよう。」
- そこで宮人に厚く賂を贈り、荘姫と通信させた。
- 荘姫は程嬰の忠義を知り、密かに「武」の一字を書いて外に届けさせた。
- 程嬰はひそかに喜んで言った。「公主は果たして男児を産まれたのだ。」
- 岸賈が宮中を捜索して見つけられなかったことを受け、程嬰は杵臼に言った。「趙氏の孤児は宮中にいて、捜しても見つからない。これは天の幸いだ。しかしこれで一時をごまかせるにすぎない。後日事が漏れれば、屠の賊はまた捜索するだろう。必ず計を用いて、宮門からひそかに出し、遠地に隠さねばならぬ。それでこそ無事を保てる。」
- 杵臼はしばらく思案したのち、嬰に尋ねた。「孤児を立てることと難に殉じることと、どちらが難しいか。」
- 嬰は言った。「死ぬのはたやすいことだ。孤児を立てることこそ難しい。」
- 杵臼は言った。「そなたはその難しい方を引き受け、私はたやすい方を引き受けよう。どうか。」
- 嬰は言った。「どのような計をお考えですか。」
- 杵臼は言った。「他人の嬰児を得て、偽って趙氏の孤児だと称し、私がそれを抱いて首陽山中へ行こう。そなたは出て行き、孤児の隠れ場所を密告するのだ。屠の賊が偽の孤児を得れば、真の孤児は免れよう。」
- 程嬰は言った。「嬰児は得やすい。だが必ず真の孤児を宮中から盗み出さなければ、無事を保つことはできない。」
- 杵臼は言った。「諸将の中で韓厥だけが趙氏の恩を最も深く受けている。孤児を盗み出す事はこの人に託すことができる。」
- 程嬰は言った。「私には生まれたばかりの子がいる。孤児の誕生日と近い。これで身代わりにできよう。しかしそなたにはすでに孤児を匿った罪があり、必ず共に誅されよう。そなたが私より先に死ねば、私の心はどうして忍びられよう。」
- そう言って泣き止まなかった。
- 杵臼は怒って言った。「これは大事であり、また美事でもある。どうして泣くのか。」
- 嬰はそこで涙を収めて去った。
- 夜半、自分の子を抱いて杵臼の手に渡した。
程嬰、偽りの孤児を売る
- そのまま韓厥に会いに行き、まず「武」の字を示し、それから杵臼の計略のことを語った。
- 韓厥は言った。「姫氏はちょうど病気で、私に医者を求めるよう命じている。そなたが屠の賊をうまく首陽山に自ら赴かせることができれば、私にも孤児を出す計略がある。」
- 程嬰は人々の前でわざと言いふらした。「屠司寇は趙氏の孤児を得たいのに、どうして宮中でばかり捜すのか。」
- 屠氏の食客がこれを聞き、尋ねた。「お前は趙氏の孤児の居所を知っているのか。」
- 嬰は言った。「果たして千金を与えてくれるなら、お前に教えよう。」
- 食客は岸賈に引き合わせた。岸賈はその姓名を尋ねた。
- 答えて言った。「程氏、名は嬰。公孫杵臼とともに趙氏に仕えておりました。公主が孤児を産み落とすと、すぐに婦人に抱かせて宮門から出し、我ら二人に匿うよう託されました。嬰は後日事が漏れることを恐れております。もし人が密告すれば、彼は千金の賞を得て、私は一族皆殺しの罰を受けることになりましょう。ですからこうして密告するのです。」
- 岸賈は言った。「孤児はどこにいる。」
- 嬰は言った。「左右の人払いをしていただければ、あえて申し上げましょう。」
- 岸賈はただちに左右に退くよう命じた。
- 嬰は告げた。「首陽山の深いところにおります。急いで行けば得られましょう。まもなく秦国へ逃げようとしております。しかし大夫ご自身で赴かれる必要がございます。他の者は多く趙氏と旧誼があり、軽々しく託すべきではございません。」
- 岸賈は言った。「お前が私に付いて来い。事実ならば重く賞し、虚偽ならば死罪だぞ。」
- 嬰は言った。「私も山中からこちらへ参りましたので、腹がひどく空いております。どうか一飯をお恵みください。」
- 岸賈は彼に酒食を与えた。
- 嬰は食べ終わると、また岸賈に急ぐよう促した。
- 岸賈は自ら三千の私兵(屠家の武装兵)を率い、程嬰を先導とさせて、まっすぐ首陽山へ向かった。
- 曲がりくねって数里、道は極めて人里離れた寂しい場所であり、渓流に臨んで数間の草の小屋が見えた。柴の門は両側とも閉じていた。
- 嬰は指さして言った。「これがまさに杵臼が孤児を匿っている場所です。」
- 嬰がまず門を叩くと、杵臼が出迎えた。武装兵が非常に多いのを見て、慌てふためいて逃げ隠れる様子を装った。
- 嬰は叫んだ。「逃げるな。司寇はすでに孤児がここにいると知っており、自らこれを取りに参られた。速やかに差し出すがよい。」
- 言い終わらぬうちに、武装兵たちが杵臼を縛り上げて岸賈のもとに連れて来た。
- 岸賈は「孤児はどこにいる」と問うた。
- 杵臼はしらばくれて「おりません」と言った。
- 岸賈はその家を捜索させた。壁の一室に頑丈な鍵がかかっているのを見つけた。
- 武装兵が鍵を外して部屋に入ると、中は薄暗かった。竹の寝床の上にぼんやりと、小さな子の驚いて泣く声が聞こえた。
- 抱き上げてみると、錦の産着に包まれ、いかにも貴人の家の子のようであった。
- 杵臼はこれを見るなり奪おうとしたが、縛られていて前に出られなかった。
- そして大いに罵って言った。「卑しい男め、程嬰よ。かつて下宮の変のとき、私はお前に共に死のうと誘ったが、お前は『公主が身重で、もし死ねば、誰が孤児を守る者になろうか』と言った。今、公主は孤児を私ら二人に託され、私はこれをこの山に匿ったのに、お前は私と共にこの事を謀っておきながら、千金の賞に貪欲になって、こっそり密告したのだ。私が死ぬのは惜しくもないが、これでどうして趙宣孟の恩に報いられよう。」
- 千遍も万遍も卑しい男と罵り続けて止まなかった。
- 程嬰は恥ずかしさに顔を真っ赤にして、岸賈に言った。「なぜこの者を殺してしまわないのですか。」
- 岸賈は「公孫杵臼を斬れ」と大声で命じた。
- 自ら孤児を取って地に投げつけると、一声泣いて肉の塊となった。哀しいことである。
- 髯翁に詩がある(詩:宮中の一筋の血脈である趙氏が危うくなった時、進んでわが子の血肉を孤児の身代わりに差し出した。屠の奸賊にはたとえ天を覆う網があっても、まさか公孫がすでに欺いていたとは思いもよらなかったと詠う)。
韓厥、孤児を宮中から救い出す
- 屠岸賈が首陽山へ孤児を捕らえに行ったことは、城中のあらゆる場所に伝わり、屠家のために喜ぶ者もいれば、趙家のために嘆く者もいた。それで宮門の取り調べもおろそかになった。
- 韓厥はそこで腹心の食客に、野の医者を装わせて宮中に入って診察させ、程嬰から伝えられた「武」の字を薬袋に貼り付けさせた。
- 荘姫はこれを見て、すでにその意を理解した。
- 脈を診終えると、産前産後の型通りの言葉を少し交わした。
- 荘姫は左右の宮人がみな腹心であるのを見て、孤児を薬袋の中に包み隠した。
- その赤子が泣き出したので、荘姫は薬袋を手で撫でて祈った。「趙武、趙武よ。私の一門百人の無念の恨みは、お前の一点の血肉の身に懸かっているのです。宮を出るときには、決して泣いてはなりません。」
- 言い終わると、孤児の泣き声はぴたりと止み、宮門を出るときも、誰にも咎められなかった。
- 韓厥は孤児を得ると、まるで至宝を得たかのように、奥深い部屋に隠し、乳母に育てさせた。家人でさえこの事を知る者はいなかった。
程嬰の辞退と趙氏の埋葬
- 屠岸賈は屋敷に戻ると、千金を程嬰に与えた。
- 程嬰は辞退して受けようとしなかった。
- 岸賈は言った。「お前はもともと賞を求めて密告したのではないか。どうして今さら辞退するのか。」
- 程嬰は言った。「わたくしは趙氏の食客であったこと久しく、今、孤児を殺して自らの身を免れたのは、すでに不義に属します。まして多くの金を利しようとしましょうか。もしわたくしのわずかな功をお思いくださるならば、この金をもって趙氏一門の屍を収葬させていただきたい。それでいくらかでもわたくしの門下としての情を表すことができましょう。」
- 岸賈は大いに喜んで言った。「そなたは真に信義の士だ。趙氏の遺骸は、そなたが収め取ることを許そう、禁じはしない。この金をそなたの葬儀の費用としてやろう。」
- 程嬰は拝してこれを受けた。
- すべての家の骸骨を収め、棺に納めて、それぞれ趙盾の墓の傍らに葬った。
- 事が済むと、再び岸賈に礼を言いに行った。
- 岸賈は彼を留めて用いようとしたが、嬰は涙を流して言った。「わたくしは一時、生を貪り死を怖れて、この不義の事をなしてしまいました。もう晋人に顔向けできません。これより余生を遠方で送ることにいたします。」
- 程嬰は岸賈に暇を告げ、韓厥に会いに行った。
- 厥は乳母と孤児を程嬰に引き渡した。
- 嬰は撫育して自分の子とし、これを連れてひそかに盂山に逃れて隠れた。後世の人はこの山を藏山と名付けたが、これは孤児を藏したことにちなんだものである。
晋景公、新田に遷都し大鬼に襲われて倒れる
- その後三年経って、晋の景公は新田に遊んだところ、その地の土は肥沃で水は甘美であったため、都をそこに遷し、新絳と称した。もとの都は故絳と称した。
- 百官が朝賀に集まり、景公は内宮に宴を設けて群臣をもてなした。
- 日が暮れかかり、左右の者が燭を灯そうとした。
- 突然、一陣の怪しい風が堂の中に巻き込んできて、寒気が人に迫り、その場にいた者はみな驚き震えた。
- しばらくして風が過ぎ去ると、景公はひとり、蓬髪の大鬼を見た。身の丈は一丈余り、髪を振り乱して地面まで垂らし、戸の外から入って来て、腕をまくり上げて大声で罵った。「天よ、我が子孫に何の罪があって、お前はこれを殺したのか。私はすでに上帝に訴え出た。お前の命を奪いに来たのだ。」
- 言い終わると、銅の錘で景公を打とうとした。
- 景公は「群臣よ、我を救え」と大声で叫んだ。
- 帯びていた剣を抜いてその鬼を斬ろうとしたが、誤って自分の指を切ってしまった。
- 群臣は何が起きたか分からず、慌てて剣を奪おうとした。
- 景公は口から鮮血を吐き、悶絶して地に倒れ、人事不省となった。
- その命がどうなるかは分からない。続きは次回で語られる。
原文(底本)
話說晉兵追齊侯,行四百五十里,至一地,名袁婁,安營下寨,打點攻城。齊頃公心慌,集諸臣問計。國佐進曰:「臣請以紀侯之甗及玉磬,行賂於晉,而請與晉平﹔魯衛二國,則以侵地還之。」頃公曰:「如卿所言,寡人之情已盡矣。再若不從,惟有戰耳!」國佐領命,捧著紀甗玉磬二物,逕造晉軍。先見韓厥,致齊侯之意。韓厥曰:「魯衛以齊之侵削無已,故寡君憐而拯之﹔寡君則何仇於齊乎?」國佐答曰:「佐願言於寡君,返魯衛之侵地如何?」韓厥曰:「有中軍主帥在,厥不敢專。」韓厥引國佐來見郤克,克盛怒以待之,國佐辭氣俱恭。郤克曰:「汝國亡在旦夕,尚以巧言緩我耶?倘真心請平,只依我兩件事。」國佐曰:「敢問何事?」郤克曰:「一來,要蕭君同叔之女為質於晉﹔二來,必使齊封內壟畝盡改為東西行。萬一齊異日背盟,殺汝質,伐汝國,車馬從西至東,可直達也。」國佐勃然發怒曰:「元帥差矣!蕭君之女非他,乃寡君之母,以齊晉匹敵言之,猶晉君之母也。那有國母為質人國的道理?至於壟畝縱橫,皆順其地勢之自然,若惟晉改易,與失國何異?元帥以此相難,想不允和議了。」郤克曰:「便不允汝和,汝奈我何?」國佐曰:「元帥勿欺齊太甚也!齊雖褊小,其賦千乘﹔諸臣私賦,不下數百。今偶一挫衂,未及大虧。元帥必不允從,請收合殘兵,與元帥決戰於城下!一戰不勝,尚可再戰,再戰不勝,尚可三戰,若三戰俱敗,舉齊國皆晉所有,何必質母東畝為哉?佐從此辭矣!」委甗磬於地,朝上一揖,昂然出營去了。 季孫行父與孫良夫在幕後聞其言,出謂郤克曰:「齊恨我深矣,必將致死於我。兵無常勝,不如從之。」郤克曰:「齊使已去,奈何?」行父曰:「可追而還也。」乃使良馬駕車,追及十里之外,強拉國佐,復轉至晉營。郤克使與季孫行父孫良夫相見,乃曰:「克恐不勝其事,以獲罪於寡君,故不敢輕諾。今魯衛大夫合辭以請,克不能違也,克聽子矣。」國佐曰:「元帥已俯從敝邑之請,願同盟為信。齊認朝晉,且反魯衛之侵地。晉認退師,秋毫無犯。各立誓書。」郤克命取牲血共歃,訂盟而別。釋放逢丑父復歸於齊。齊頃公進逢丑父為上卿。晉、魯、衛、曹之師,皆歸本國。宋儒論此盟,謂郤克恃勝而驕,出令不恭,致觸國佐之怒,雖取成而還,殊不足以服齊人之心也。 晉師歸獻齊捷,景公嘉戰鞍之功,郤克等皆益地。復作新上中下三軍:以韓厥為新軍元帥,趙括佐之﹔鞏朔為新上軍元帥,韓穿佐之﹔荀騅為新下軍元帥,趙旃佐之,爵皆為卿。自是晉有六軍,復興伯業。司寇屠岸賈見趙氏復盛,忌之益深。日夜搜趙氏之短,譖於景公。又厚結欒郤二家,以為己援。此事且擱過一邊,表白在後。 齊頃公恥其兵敗,弔死問喪,恤民修政,志欲報仇。晉君臣恐齊侵伐,復失伯業,乃託言齊國恭順可嘉,使各國仍還其所侵之地。自此諸侯以晉無信義,漸漸離心。此是後話。 且說陳夏姬嫁連尹襄老,未及一年,襄老從軍於邲,夏姬遂與其子黑要烝淫。及襄老戰死,黑要戀夏姬之色,不往求屍,國人頗有議論。夏姬以為恥,欲借迎屍之名,謀歸鄭國。申公屈巫遂賂其左右,使傳語於夏姬曰:「申公相慕甚切,若夫人朝歸鄭國,申公晚即來聘矣。」又使人謂鄭襄公曰:「姬欲歸宗國,盍往迎之?」鄭襄公果然遣使來迎夏姬。楚莊王問於諸大夫曰:「鄭人迎夏姬何意?」屈巫獨對曰:「姬欲收葬襄老之屍,鄭人任其事,以為可得,故使姬往迎之耳。」莊王曰:「屍在晉,鄭安從得之?」屈巫對曰:「荀罃者,荀首之愛子也。罃為楚囚,首念其子甚切。今首新佐中軍,而與鄭大夫皇戍素相交厚,其必借鄭皇戍居間,使講解於楚,而以王子及襄老之屍,交易荀罃。鄭君以邲之戰,懼晉行討,亦將借此以獻媚於晉,此真情無疑矣。」話猶未畢,夏姬入朝辭楚王,奏聞歸鄭之故。言下淚珠如雨,曰:「若不得屍,妾誓不反楚!」楚莊王憐而許之。夏姬方行,屈巫遂致書於鄭襄公,求聘夏姬為內子。襄公不知莊王及公子嬰齊欲娶前因,以屈巫方重用於楚,欲結為姻親,乃受其聘幣,楚人無知之者。屈巫復使人至晉,通信於荀首,教他將二屍易荀罃於楚,以實其言。荀首致書皇戍,求為居間說合。莊王欲得其子公子穀臣之屍,乃歸荀罃於晉,晉亦以二屍畀楚。楚人信屈巫之言為實,不疑其有他故也。及晉師伐齊,齊頃公請救於楚,值楚新喪,未即發兵。後聞齊師大敗,國佐已及晉盟,楚共王曰:「齊之從晉,為楚失救之故,非齊志也。寡人當為齊伐衛魯,以雪鞍恥。誰能為寡人達此意於齊侯者?」申公屈巫應聲曰:「微臣願往!」共王曰:「卿此去經由鄭國,就便約鄭師以冬十月之望,在衛境取齊,即以此期告於齊侯可也。」屈巫領命歸家,託言往新邑收賦,先將家屬及財帛,裝載十餘車,陸續出城。自己乘軺車在後,星馳往鄭,致楚王師期之命。遂與夏姬在館舍成親,二人之樂可知矣!有詩為證: 佳人原是老妖精,到處偷情舊有名﹔採戰一雙今作配,這迴鏖戰定輸贏。 夏姬枕畔謂屈巫曰:「此事曾稟知楚王否?」屈巫將莊王及公子嬰齊欲娶之事,訴說一遍:「下官為了夫人,費下許多心機,今日得諧魚水,生平願足!下官不敢回楚,明日與夫人別尋安身之處,偕老百年,豈不穩便?」夏姬曰:「原來如此。夫君既不回楚,那使齊之命,如何消繳?」屈巫曰:「我不往齊國去了。方今與楚抗衡,莫如晉國,我與汝適晉可也。」次早,修下表章一通,付與從人,寄復楚王,遂與夏姬同奔晉國。 晉景公方以兵敗於楚為恥,聞屈巫之來,喜曰:「此天以此人賜我也!」即日拜為大夫,賜邢地為之采邑。屈巫乃去屈姓以巫為氏,名臣,至今人稱為申公巫臣。巫臣自此安居於晉。楚共王接得巫臣來表,拆而讀之,略云: 蒙鄭君以夏姬室臣,臣不肖,遂不能辭。恐君王見罪,暫寓晉國。使齊之事,望君王別遣良臣。死罪!死罪! 共王見表大怒,召公子嬰齊公子側使觀之。公子側對曰:「楚晉世仇,今巫臣適晉,是反叛也,不可不討。」公子嬰齊復曰:「黑要烝母,是亦有罪,宜并討之。」共王從其言,乃使公子嬰齊領兵抄沒巫臣之族,使公子側領兵擒黑要而斬之。兩族家財,盡為二將分得享用。巫臣聞其家族被誅,乃遺書於二將,略云: 爾以貪讒事君,多殺不辜,余必使爾等疲於道路以死! 嬰齊等祕其書,不使聞於楚王。巫臣為晉畫策,請通好於吳國,因以車戰之法,教導吳人。留其子狐庸仕於吳為行人,使通晉吳之信,往來不絕。自此吳勢日強,兵力日盛,盡奪取楚東方之屬國。壽夢遂僭爵為王。楚邊境被其侵伐,無寧歲矣。後巫臣死,狐庸復屈姓,遂留仕吳,吳用為相國,任以國政。 冬十月,楚王拜公子嬰齊為大將,同鄭師伐衛,殘破其郊。因移師侵魯,屯於楊橋之地。仲孫蔑請賂之。乃括國中良匠及織女針女各百人,獻於楚軍,請盟而退。晉亦遣使邀魯侯同伐鄭國,魯成公復從之。周定王二十年,鄭襄公堅薨,世子費嗣位,是為悼公。因與許國爭田界,許君訴於楚,楚共王為許君理直,使人責鄭。鄭悼公怒,乃棄楚從晉。是年,郤克以箭傷失於調養,左臂遂損,乃告老﹔旋卒。欒書代為中軍元帥。明年,楚公子嬰齊帥師伐鄭,欒書救之。 時晉景公以齊鄭俱服,頗有矜慢之心,寵用屠岸賈,游獵飲酒,復如靈公之日。趙同趙括與其兄趙嬰齊不睦,誣以淫亂之事,逐之奔齊,景公不能禁止。時梁山無故自崩,壅塞河流,三日不通。景公使太史卜之。屠岸賈行賂於太史,使以「刑罰不中」為言。景公曰:「寡人未常過用刑罰,何為不中?」屠岸賈奏曰:「所謂刑罰不中者,失入失出,皆不中也。趙盾弒靈公於桃園,載在史冊,此不赦之罪,成公不加誅戮,且以國政任之。廷及於今,逆臣子孫,布滿朝中,何以懲戒後人乎?且臣聞趙朔、原、屏等,自恃宗族眾盛,將謀叛逆。樓嬰欲行諫沮,被逐出奔。欒郤二家,畏趙氏之勢,隱忍不言。梁山之崩,天意欲主公聲靈公之冤,正趙氏之罪耳。」景公自戰邲時,已惡同括專橫,遂惑其言。問於韓厥,厥對曰:「桃園之事,與趙盾何與?況趙氏自成季以來,世有大勳於晉。主公奈何聽細人之言,而疑功臣之後乎?」景公意未釋然。復問於欒書郤錡。二人先受岸賈之囑,含糊其詞,不肯替趙氏分辨。景公遂信岸賈之言,以為實然。乃書趙盾之罪於版,付岸賈曰:「汝好處分,勿驚國人!」 韓厥知岸賈之謀,夜往下宮,報知趙朔,使預先逃遁。朔曰:「吾父抗先君之誅,遂受惡名。今岸賈奉有君命,必欲見殺,朔何敢避?但吾妻見有身孕,已在臨月,倘生女不必說了,天幸生男,尚可延趙氏之祀。此一點骨血,望將軍委曲保全,朔雖死猶生矣。」韓厥泣曰:「厥受知於宣孟,以有今日,恩同父子。今日自愧力薄,不能斷賊之頭!所命之事,敢不力任?但賊臣蓄憤已久,一時發難,玉石俱焚,厥有力亦無用處。及今未發,何不將公主潛送公宮,脫此大難?後日公子長大,庶有報仇之日也。」朔曰:「謹受教!」二人灑淚而別。 趙朔私與莊姬約:「生女當名曰文,若生男當名曰武,文人無用,武可報仇。」獨與門客程嬰言之。莊姬從後門上溫車,程嬰護送,逕入宮中,投其母成夫人去了。夫妻分別之苦,自不必說。 比及天明,岸賈自率甲士,圍了下宮。將景公所書罪版,懸於大門,聲言:「奉命討逆。」遂將趙朔、趙同、趙括、趙旃各家老幼男女,盡行誅戮。旃子趙勝,時在邯鄲,獨免﹔後聞變,出奔於宋。當時殺得屍橫堂戶,血浸庭階。簡點人數,單單不見莊姬。岸賈曰:「公主不打緊,但聞懷妊將產,萬一生男,留下逆種,必生後患。」有人報說:「夜半有溫車入宮。」岸賈曰:「此必莊姬也。」即時來奏晉侯,言:「逆臣一門,俱已誅絕,只有公主走入宮中。伏乞主裁!」景公曰:「吾姑乃母夫人所愛,不可問也。」岸賈又奏曰:「公主懷妊將產,萬一生男,留下逆種,異日長大,必然報仇,復有桃園之事,主公不可不慮!」景公曰:「生男則除之。」岸賈乃日夜使人探伺莊姬生產消息。數日後,莊姬果然生下一男。成夫人吩咐宮中,假說生女。屠岸賈不信,欲使家中乳媼入宮驗之。莊姬情慌,與其母成夫人商議,推說所生女已死。此時景公耽於淫樂,國事全託於岸賈,恣其所為。岸賈亦疑所生非女,且未死,乃親率女僕,遍索宮中。莊姬乃將孤兒置於褲中,對天祝告曰:「天若滅絕趙宗,兒當啼﹔若趙氏還有一脈之延,兒則無聲。」及女僕牽出莊姬,搜其宮,一無所見,褲中絕不聞啼號之聲。岸賈當時雖然出宮去了,心中到底狐疑。或言:「孤兒已寄出宮門去了。」岸賈遂懸賞於門:「有人首告孤兒真信,與之千金﹔知情不言,與窩藏反賊一例,全家處斬。」又吩咐宮門上出入盤詰。 卻說趙盾有兩個心腹門客,一個是公孫杵臼,一個是程嬰。先前聞屠岸賈圍了下宮,公孫杵臼約程嬰同赴其難。嬰曰:「彼假託君命,佈詞討賊,我等與之俱死,何益於趙氏?」杵臼曰:「明知無益。但恩主有難,不敢逃死耳!」嬰曰:「姬氏有孕,若男也,吾與爾共奉之﹔不幸生女,死猶未晚。」及聞莊姬生女,杵臼泣曰:「天果絕趙乎!」程嬰曰:「未可信也,吾當察之。」乃厚賂宮人,使通信於莊姬。莊姬知程嬰忠義,密書一「武」字遞出。程嬰私喜曰:「公主果生男矣!」及岸賈搜索宮中不得,程嬰謂杵臼曰:「趙氏孤在宮中,索之不得,此天幸也!但可瞞過一時耳。後日事洩,屠賊又將搜索。必須用計,偷出宮門,藏於遠地,方保無虞。」杵臼沉吟了半日,問嬰曰:「立孤與死難,二者孰難?」嬰曰:「死易耳,立孤難也。」杵臼曰:「子任其難,我任其易,何如?」嬰曰:「計將安出?」杵臼曰:「誠得他人嬰兒詐稱趙孤,吾抱往首陽山中,汝當出首,說孤兒藏處。屠賊得偽孤,則真孤可免矣。」程嬰曰:「嬰兒易得也。必須竊得真孤出宮,方可保全。」杵臼曰:「諸將中惟韓厥受趙氏恩最深,可以竊孤之事託之。」程嬰曰:「吾新生一兒,與孤兒誕期相近,可以代之。然子既有藏孤之罪,必當并誅,子先我而死,我心何忍?」因泣下不止。杵臼怒曰:「此大事,亦美事,何以泣為?」嬰乃收淚而去。夜半,抱其子付於杵臼之手。即往見韓厥,先以「武」字示之,然後言及杵臼之謀。韓厥曰:「姬氏方有疾,命我求醫。汝若哄得屠賊親往首陽山,吾自有出孤之計。」程嬰乃揚言於眾曰:「屠司寇欲得趙孤乎,曷為索之宮中?」屠氏門客聞之,問曰:「汝知趙氏孤所在乎?」嬰曰:「果與我千金,當告汝。」門客引見岸賈,岸賈叩其姓氏。對曰:「程氏名嬰,與公孫杵臼同事趙氏。公主生下孤兒,即遣婦人抱出宮門,託吾兩人藏匿。嬰恐日後事露,有人出首,彼獲千金之賞,我受全家之戮,是以告之。」岸賈曰:「孤在何處?」嬰曰:「請屏左右,乃敢言。」岸賈即命左右退避。嬰告曰:「在首陽山深處,急往可得,不久當奔秦國矣。然須大夫自往。他人多與趙氏有舊,勿輕托也。」岸賈曰:「汝但隨吾往,實則重賞,虛則死罪。」嬰曰:「吾亦自山中來此,腹餒甚,幸賜一飯。」岸賈與之酒食。嬰食畢,又催岸賈速行。岸賈自率家甲三千,使程嬰前導,徑往首陽山。紆回數里,路極幽僻,見臨溪有草莊數間,柴門雙掩。嬰指曰:「此即杵臼孤兒處也。」嬰先叩門,杵臼出迎,見甲士甚眾,為倉皇走匿之狀。嬰喝曰:「汝勿走,司寇已知孤兒在此,親自來取,速速獻出可也。」言未畢,甲士縛杵臼來見岸賈。岸賈問:「孤兒何在?」杵臼賴曰:「無有。」岸賈命搜其家,見壁室有鎖甚固。甲士去鎖,入其室,室頗暗。仿佛竹床之上,聞有小兒驚啼之聲。抱之以出,錦繃繡褓,儼如貴家兒。杵臼一見,即欲奪之,被縛不得前。乃大罵曰:「小人哉,程嬰也!昔下宮之難,我約汝同死,汝說:『公主有孕,若死,誰作保孤之人!』今公主將孤兒付我二人,匿於此山,汝與我同謀做事﹔卻又貪了千金之賞,私行出首。我死不足惜,何以報趙宣孟之恩乎?」千小人,萬小人,罵一個不住。程嬰羞慙滿面,謂岸賈曰:「何不殺之?」岸賈喝令:「將公孫杵臼斬首!」自取孤兒擲之於地,一聲啼哭,化為肉餅,哀哉!髯翁有詩雲: 一線宮中趙氏危,寧將血胤代孤兒。屠奸縱有彌天網,誰料公孫已售欺? 屠岸賈起身往首陽山擒捉孤兒,城中那一處不傳遍,也有替屠家歡喜的,也有替趙家嘆息的,那宮門盤詰,就怠慢了。韓厥卻教心腹門客,假作草澤醫人,入宮看病,將程嬰所傳「武」字,粘於藥囊之上。莊姬看見,已會其意。診脈已畢,講幾句胎前產後的套語。莊姬見左右宮人,俱是心腹,即以孤兒裹置藥囊之中。那孩子啼哭起來,莊姬手撫藥囊祝曰:「趙武,趙武!我一門百口冤仇,在你一點血泡身上,出宮之時,切莫啼哭!」吩咐已畢,孤兒啼聲頓止,走出宮門,亦無人盤問。韓厥得了孤兒,如獲至寶,藏於深室,使乳婦育之,雖家人亦無知其事者。 屠岸賈回府,將千金賞賜程嬰。程嬰辭不願賞。岸賈曰:「汝原為邀賞出首,如何又辭?」程嬰曰:「小人為趙氏門客已久,今殺孤兒以自脫,已屬非義,況敢利多金乎?倘念小人微勞,願以此金收葬趙氏一門之屍,亦表小人門下之情於萬一也。」岸賈大喜曰:「子真信義之士也!趙氏遺屍,聽汝收取不禁。即以此金為汝營葬之資。」程嬰乃拜而受之。盡收各家骸骨,棺木盛殮,分別葬於趙盾墓側。事畢,復往謝岸賈。岸賈欲留用之,嬰流涕言曰:「小人一時貪生怕死,作此不義之事,無面目復見晉人,從此將餬口遠方矣。」程嬰辭了岸賈,往見韓厥。厥將乳婦及孤兒交付程嬰。嬰撫為己子,攜之潛入盂山藏匿。後人因名其山日藏山,以藏孤得名也。 後三年,晉景公游於新田,見其土沃水甘,因遷其國,謂之新絳。以故都為故絳。百官朝賀,景公設宴於內宮,款待群臣。日色過晡,左右將治燭。忽然怪風一陣,卷入堂中,寒氣逼人,在座者無不驚顫。須臾,風過,景公獨見一蓬頭大鬼,身長丈餘,披髮及地,自戶外而入,攘臂大罵曰:「天乎!我子孫何罪,而汝殺之?我已訴聞於上帝,來取汝命!」言畢,將銅錘來打景公。景公大叫:「群臣救我!」拔佩劍欲斬其鬼,誤劈自己之指。群臣不知為何,慌忙搶劍。景公口吐鮮血,悶倒在地,不省人事。未知性命如何,且看下回分解。
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