東周列國志第六十三回 老いた祁奚、力を尽くして羊舌氏を救う/若い范鞅、智をもって魏舒を動かす (老祁奚力救羊舌 小范鞅智劫魏舒)
叔虎邸の包囲と叔虎・箕遺の捕縛
- さて箕遺は叔虎の家の中で、黄淵の到着を待つばかりで、夜半の頃に一斉に事を起こすつもりであった。
- ところが范鞅が兵を率いて邸を包囲したため、外の家の召使いたちはあえて集まれず、遠くから様子を見るばかりで、逃げ散る者も多かった。
- 叔虎は梯子に乗って塀の外に向かって問うた。「小将軍が兵を率いてここに来られたのはなぜか。」
- 范鞅は言った。「お前は日頃欒盈の一味に加わっており、今また城門を斬り開いて呼応しようと謀っている、罪は叛逆に等しい。私は晉侯の命を奉じ、特にお前を捕らえに来たのだ。」
- 叔虎は言った。「私にそのような事は決してない、誰がそんなことを言ったのか。」
- 范鞅はすぐに章鏗を呼び出し、証人とさせた。
- 叔虎は力が強く、一塊の塀の石を引き抜き、章鏗の頭めがけて投げつけた。まともに当たり、頭のてっぺんまで割れてしまった。
- 范鞅は大いに怒り、兵士に火を放って門を攻めさせた。
- 叔虎は慌てて、箕遺に言った。「我らは死中に活を求めるしかない、座して縛につくわけにはいかぬ。」そこで戟を提げて先頭に立ち、箕遺は剣を手に執って後ろに続き、喊声を上げて火をものともせず斬って出た。
- 范鞅は火明かりの中で二人を見分け、兵士に一斉に矢を射させた。この時火勢は激しく、もはや避けようがなく、いかに天を突く武勇があっても矢が飛蝗のように降り注ぐ前にはなす術もなく、二人は次々と矢を受けて倒れた。
- 兵士は鉤爪でこれを引っかけて引き出したが、すでに半死状態であり、車に縛りつけた。火は消し止められた。
- ちょうどそこへ、車の音がガラガラと響き、松明が空を焦がしながら近づいて来た。中軍副将荀吳が本隊の兵を率いて応援に来たのであった。
- 途中でちょうど黄淵に出くわし、これも捕らえた。
- 范鞅と荀吳は兵を合わせ、叔虎・箕遺・黄淵を中軍元帥范匄の元へ解送した。
- 范匄は言った。「欒の党はまだ多い、ただこの三人を捕らえただけでは、まだ患いを除いたとは言えぬ。ことごとく拘引すべきだ。」
- そこでさらに手分けして捜索した。絳州城中は一晩中大騒ぎとなった。
- 夜が明けるまでに、范鞅は智起・籍偃・州賓らを捕らえ、荀吳は中行喜・辛俞、そして叔虎の兄羊舌赤、弟羊舌肹を捕らえ、みな朝門の外に囚われて、晉平公が朝廷に出てくるのを待って裁決を仰ぐこととなった。
羊舌赤・肹の紹介
- さて羊舌赤、字は伯華、羊舌肹、字は叔向は、叔虎と同じく羊舌職の子であるが、叔虎は父の側室の生んだ子であった。
- 当初、叔虎の母は元来羊舌夫人の房の侍女で、たいへんな美色であり、夫がこれを望んだが、夫人は寝所に遣わさなかった。
- 時に伯華・叔向はすでに年長であり、母に妬まぬよう諫めた。夫人は笑って言った。「私は妬み深い婦人などではありません。私が聞くところでは、たいへん美しいものには、必ずたいへん悪いものが伴うといいます。深山や大きな沢には、実に龍や蛇が生まれるもの。恐れているのは、彼女が龍か蛇のような子を生み、お前たちの禍となることです。だから遣わさなかったのです。」
- 叔向らは父の意に従い、母にしきりに請うたので、ついに遣わした。一夜にして身ごもり、叔虎を生んだ。
- 成人すると、その母のように美しく、しかも勇力人に勝っていた。
- 欒盈は幼い頃から叔虎と寝起きを共にし、その仲は夫婦のように親密であった。叔虎は欒党の中でも第一に親しい仲であったため、兄弟ともども捕らわれる羽目になったのであった。
樂王鮒の慰めと羊舌肹の対応
- 大夫の樂王鮒、字は叔魚は、その時ちょうど平公に寵愛されていた。日頃から羊舌赤・肹兄弟の賢を慕い、交わりを結びたいと思っていたが叶わなかった。
- ここに至り、二人が囚われたと聞き、特に朝門に赴き、ちょうど羊舌肹に出会い、揖礼して慰めて言った。「そなたは憂うるな、私が主公にお目にかかったら、必ず力を尽くしてそなたのために請おう。」
- 羊舌肹は黙って答えなかった。樂王鮒は恥じる色を見せた。
- 羊舌赤はこれを聞いて弟を責めて言った。「われら兄弟がここで命を終えれば、羊舌氏は絶えてしまう。樂大夫は主君に寵愛され、その言うことは通らぬことがない。もしその一言でも借りることができれば、もし天が幸いにも赦してくれれば、先人の宗を絶やさずに済む。お前はなぜ応じずに要人の心証を損ねるのか。」
- 羊舌肹は笑って言った。「死生は命でございます。もし天意が幸いを降されるなら、必ず祁老大夫によるものでしょう、叔魚に何ができましょうか。」
- 羊舌赤は言った。「叔魚は朝夕主君の側におる。それなのにお前は『できない』と言い、祁老大夫は政治を退いて閑居しているのに、お前は『必ずこの人によるだろう』と言う。私にはその理由が分からぬ。」
- 羊舌肹は言った。「叔魚は媚びへつらう者です、主君が可とすれば可とし、主君が否とすれば否とする者。祁老大夫は外に推挙するに仇をも避けず、内に推挙するに親をも避けません。どうしてひとり羊舌氏だけを見捨てましょうか。」
祁奚の救援
- しばらくして晉平公が朝廷に出た。范匄は捕らえた欒党の姓名を奏上した。
- 平公もまた羊舌氏の兄弟三人がその中に含まれるのではないかと疑い、樂王鮒に問うた。「叔虎の謀に、赤と肹は実際に関わっていたのか。」
- 樂王鮒は先に助力の申し出を黙殺されて叔向に面目を失ったことを根に持っており、答えて言った。「最も近い肉親は兄弟でございます、どうして知らぬことがございましょう。」
- 平公はそこで捕らえられた者たちをすべて獄に下し、司寇に罪を議させた。
- 時に祁奚はすでに致仕して祁に隠棲していた。その子祁午は羊舌赤と同僚で親しく、夜を徹して父に知らせを送り、書状を范匄に届けて赤の寛恕を求めるよう頼んだ。
- 奚はこの知らせを聞いて大いに驚き、言った。「赤と肹はいずれも晉国の賢臣、このような奇怪な冤罪に遭うとは。私は自ら救いに行かねばならぬ。」
- そこで車に乗り夜を徹して都に入り、祁午とはまだ会わぬうちに、まっすぐ門を叩いて范匄に会いに行った。
- 匄は言った。「大夫はご老齢なのに、風露を冒してお越しになるとは、必ず何かお諭しがあるのでしょう。」
- 祁奚は言った。「老夫は晉の社稷の存亡のために来たのだ、他の事ではない。」
- 范匄は大いに驚き、問うた。「何事が社稷に関わるというのですか、老大夫にこれほどご心配をおかけするとは。」
- 祁奚は言った。「賢人は社稷の守りである。羊舌職は晉室に功労があり、その子赤と肹はよくその美を継いでいる。一人の庶子が不肖であったからといって、まとめて滅ぼしてしまえば、なんと惜しいことか。昔、郤芮が逆を為した時、郤缺は朝廷に登用された。父子の罪すら相及ばぬのだ、まして兄弟であればなおさらだろう。あなたが私怨によって多くの無辜を殺し、玉も石も共に焼いてしまうなら、晉の社稷は危うくなろう。」
- 范匄は驚いて座を立ち言った。「老大夫の仰ることは甚だもっともです。しかし主君の怒りはまだ解けておりません、匄は老大夫とともに主君の御前に参り、これを申し上げましょう。」
- そこで車を並べて朝廷に入り、平公に謁見を求めて奏上した。「赤・肹と叔虎は、賢と不肖が異なります、必ず欒氏の事に関わっておりません。また羊舌の功労は廃するべきではございません。」
- 平公は大いに悟り、赦免を宣言し、赤・肹の二人を釈放して元の職に復させた。
- 智起・中行喜・籍偃・州賓・辛俞はみな庶人に落とされた。ただ叔虎と箕遺・黄淵だけは斬刑に処された。
- 赤・肹の二人は赦しを受け、朝廷に入って謝恩し、事が済むと、羊舌赤はその弟に言った。「祁老大夫のところへ行って謝礼を申し上げるべきだろう。」
- 肹は言った。「彼は社稷のために動いたのであって、我らのためではない、なぜ謝礼をする必要があろうか。」そのまま車に乗って家に帰ってしまった。
- 羊舌赤は心中落ち着かず、自ら祁午のところへ赴き、祁奚に面会を求めた。
- 午は言った。「老父は晉君にお目にかかった後、すぐに祁へ帰りました、少しも留まりませんでした。」
- 羊舌赤は嘆いて言った。「彼はまことに施しをして報いを望まぬ人だ、私は肹の高い見識に及ばぬことを恥じるばかりだ。」
- 髯翁は詩を詠んでいる。
- (詩:わずかな功にも報いを望み、私邸に拝礼して恩を謝することを恥とも思わぬ世の中で、奚と肹こそが本当の公道である、賄賂を求めて奔走する者たちを笑い飛ばすと詠う)
州賓の死
- 州賓は再び欒祁と密通を重ねていたが、范匄はこれを聞き、力士を遣わして州賓を家で刺殺させた。
胥午との出会い、欒盈の楚への出奔と辛俞の従駕
- さて曲沃を守る大夫胥午は、昔欒書の食客であった。欒盈が曲沃を通り過ぎると、胥午はこれを迎え、たいへん慇懃にもてなした。
- 欒盈が著の地に城を築く任務のことを話すと、胥午は曲沃の人夫を出して助けることを約束した。
- 三日間留まっているうち、欒樂らが「陽畢が兵を率いてまもなく到着する」との知らせを持ってきた。
- 督戎は言った。「晉の兵が来たら、そのまま戦えばよろしい、必ずしも負けるとは限りません。」
- 州綽・邢蒯は言った。「まさにこの事のため、恩主の手勢が足りぬことを恐れ、私たち二人が特に助けに参りました。」
- 欒盈は言った。「私は主君に罪を得たわけではない、ただ怨む者に陥れられただけだ。もし迎え撃てば、彼らに言い分ができてしまう。逃げて、主君の御明察を待つに越したことはない。」
- 胥午もまた抗戦は不可であると言った。
- ただちに車馬を整え、盈と午は涙を流しながら別れ、盈は楚へ出奔した。
- 陽畢の軍が著邑に到着すると、邑の人は言った。「盈はここには来ていません、曲沃ですでに逃げ出しました。」
- 陽畢は兵を引き上げ、道々欒氏の罪を布告した。民衆はみな欒氏が功臣であることを知っており、また欒盈の人柄が施しを好み士を愛したことを知っていたので、その冤罪を嘆き惜しまぬ者はなかった。
- 范匄が平公に進言したので、平公は欒氏の旧臣が欒盈に従うことを厳しく禁じ、従う者は必ず死罪とした。
- 家臣の辛俞は最初、欒盈が楚にいると聞き、家財を数台の車に積んで城を出て従おうとした。門番に見咎められ、辛俞は捕らえられて平公に献じられた。
- 平公は言った。「寡人には禁令がある、汝はなぜこれを犯したのか。」
- 辛俞は再拝して言った。「臣は甚だ愚かで、君が欒氏に従うことを禁じられた理由がよく分かりませぬ。」
- 平公は言った。「欒氏に従う者は君を無視する者だ、それゆえこれを禁じたのだ。」
- 辛俞は言った。「誠に君を無視することを禁じられるのであれば、臣は死を免れることを知りました。臣はこう聞いております。『三世その家に仕えれば、これを君とする。二世であれば、これを主とする。君には死をもって仕え、主には勤めをもって仕える』と。臣は祖父の代から、国に大きな援けもなく、代々欒氏に隷属し、その禄を食んできました。今、三代になります。欒氏はまことに臣の君なのです。臣はただ君なきことをあえてせぬだけであり、それゆえ欒氏に従おうとしたのです。それを何のとがめがございましょう。しかも盈は罪を得たとはいえ、君はこれを追放しても誅殺なさいませんでした、先代の犬馬の労を思い、命を全うするようお計らいくださったのではありませんか。今、他郷に身を寄せ、器物も具わらず、衣食も満足に得られず、あるいはある朝一気に溝に倒れて死ぬこともございましょう、君の仁徳が最後まで貫かれぬことになりはしませんか。臣がこの度赴くのは、臣の義を尽くし、君の仁を成すためです。国人にこれを聞かせ、『君は危難に遭っても、見捨ててはならぬものだ』と言わせるためでございます。これをもって君を無視する者を戒めることこそ、大いなることでございます。」
- 平公はその言葉を喜んで言った。「そなたはしばらく留まって寡人に仕えよ、寡人は欒氏の禄をそなたに与えよう。」
- 辛俞は言った。「臣はすでに申し上げました、『欒氏は臣の君である』と。一人の君を捨てて別の君に仕えるなら、どうして君を無視する者を戒められましょうか。どうしても留めよとおっしゃるなら、臣は死を賜りたく存じます。」
- 平公は言った。「そなたは行くがよい。寡人はしばらくそなたの言に従い、そなたの志を遂げさせよう。」
- 辛俞は再拝稽首し、そのまま数台の輜重車を率いて堂々と絳州の城を出て行った。
- 史臣は辛俞の忠を称える詩を詠んでいる。
- (詩:雲が翻り雨が覆るような移ろいやすい世情の中、霜雪に遭って初めて松柏の栄えが分かる、三代の臣たる者は死をもって仕えるべし、晉の主を欒盈と取り換えるようなことをしようか、と辛俞の忠節を讃える)
欒盈の齊への逃亡
- さて欒盈は楚の国境近くに数か月留まり、郢都に行って楚王に会おうとしたが、ふと考えを改めて言った。「わが祖父は国家のために力を尽くし、楚とは世々の仇敵だ、もし受け入れられなければどうするか。」
- 齊に行き先を変えようとしたが、路銀が尽きていた。ちょうど辛俞が輜重を駆って到着し、その用を助けることができた。
- そこで車の供揃えを整え、齊国へ進発した。これは周霊王二十一年の事である。
齊莊公の勇爵制度と欒盈の受け入れ
- さて齊莊公の人となりは、勇を好み勝ちを喜び、人の下に甘んじることを潔しとせず、澶淵の盟で命を受けたとはいえ、終始平陰の敗北を恥じていた。
- かねてより勇力の士を広く求め、自ら一隊を編成して天下を横行しようと望んでいた。
- そこで卿・大夫・士の他に別に「勇爵」を立て、禄は大夫に比した。千斤を挙げ、七枚の甲札を射通せる者だけがこれに選ばれる資格を持った。
- まず殖綽・郭最を得て、次に賈舉・邴師・公孫傲・封具・鐸甫・襄尹・僂堙らを得て、あわせて九人となった。
- 莊公は日々彼らを宮中に召し、共に馬を駆けて弓を射たり剣で突き合ったりする稽古をして楽しみとしていた。
- ある日、莊公が朝に臨むと、近臣が報告した。「今、晉の大夫欒盈が追放されて齊国に来ました。」
- 莊公は喜んで言った。「寡人はまさに晉への怨みを晴らそうと思っていたところ、今その代々仕えてきた重臣が亡命して来た、寡人の志は遂げられる。」
- 人を遣わして迎えようとした。
- 大夫晏嬰が進み出て奏上した。「なりません、なりません。小国が大国に仕える所以は信でございます。我らは新たに晉と盟を結んだばかり、今その追放した臣を受け入れれば、もし晉人が咎めに来たら何と答えましょうか。」
- 莊公は大笑いして言った。「卿の言葉は誤っている。齊と晉は匹敵する国だ、大小の区別などあろうか。先の盟を受けたのは、しばらく一時の急を凌ぐためだけのことだ。寡人はどうして最後まで晉に仕え、魯・衛・曹・邾のような国になどなろうか。」
- とうとう晏嬰の言葉を聞き入れず、人を遣わして欒盈を朝廷に迎え入れた。
- 盈は謁見し、頭を地につけて拝し、追放された経緯を泣きながら訴えた。
- 莊公は言った。「卿よ憂えるな、寡人が卿に一臂の力を貸そう、必ず卿を晉国に復帰させよう。」
- 欒盈は再拝して謝辞を述べた。
- 莊公は大きな館を賜り、宴を設けてもてなした。州綽と邢蒯は欒盈の傍らに侍っていた。莊公はその体躯偉丈夫であるのを見て姓名を問うと、二人は実を告げた。
- 莊公は言った。「先の平陰の役で、わが殖綽・郭最を捕らえたのはお前たちではないか。」
- 綽と蒯はぬかずいて謝罪した。
- 莊公は言った。「寡人はお前たちを慕っていた久しい。」酒食を賜るよう命じた。
- そして盈に言った。「寡人はそなたに求めることがある、そなたは断るまいな。」
- 盈は答えた。「もし君命にお応えできることであれば、髪も肌も惜しみません。」
- 莊公は言った。「寡人には他に求めることはない、しばらく二人の勇士をお借りしたいだけだ。」
- 欒盈はあえて拒めず、承諾するしかなく、悶々として車に乗り、嘆いて言った。「幸い彼はまだ督戎を見ていない、さもなければこれも奪われていただろう。」
州綽・邢蒯と殖綽・郭最の確執
- 莊公は州綽と邢蒯を得て「勇爵」の末に列したが、二人は心中不服であった。
- ある日、殖綽・郭最と共に莊公の側に侍っていると、二人はわざと驚いた振りをして、殖綽・郭最を指して言った。「これはわが国の囚人ではないか、どうしてここにいるのか。」
- 郭最は答えた。「我らは昔、宦官の犬に誤られただけのこと、お前たちのように主人に従って逃げ出したのとは違う。」
- 州綽は怒って言った。「お前は我が口の中の虱に過ぎぬのに、まだ跳ね回るつもりか。」
- 殖綽もまた怒って言った。「お前は今日わが国の中にいる、我が皿の中の肉のようなものだ。」
- 邢蒯は言った。「お前たちがそれほど寛容でないなら、我らは主のもとへ戻るまでだ。」
- 郭最は言った。「堂々たる齊国が、まさかお前たち二人が欠けたくらいで困りはしまい。」
- 四人は言葉が硬くなり顔を赤くし、それぞれ手で佩剣を撫で、まさに互いに切り結びそうな気配であった。
- 莊公は柔らかい言葉で仲裁し、酒を取ってねぎらった。州綽・邢蒯に言った。「寡人はもとより二卿が齊人の下に甘んじることを潔しとせぬのを知っている。」
- そして「勇爵」の名を改めて「龍」「虎」二爵とし、左右に分けた。
- 右班「龍爵」は州綽・邢蒯を首とし、さらに齊人の盧蒲癸・王何を選んでその下に置いた。左班「虎爵」は殖綽・郭最を首とし、賈舉ら七人が従来の序列に従った。
- 各々この爵に列することを栄誉としたが、州・邢・殖・郭の四人だけは、最後まで心中和やかでなかった。
- 時に崔杼・慶封は莊公を擁立した功によりみな上卿の位にあり、共に国政を執っていた。莊公はしばしばその邸に赴き、酒を飲み楽しみ、時には剣舞や射撃をも共にし、もはや君臣の隔てがなかった。
崔杼と棠姜の紹介
- さて崔杼の前妻は二人の子、成と疆を産んだが、幾歳もせぬうちに妻は死んだ。
- 後妻に東郭氏を娶った。これは東郭偃の妹で、先に棠公に嫁いでいたので棠姜と呼ばれた。一人の子、名を棠無咎という子を産んでいた。
- あの棠姜には美しさがあり、崔杼は棠公の喪を弔いに行った際にその姿を垣間見て、東郭偃に頼んで話をつけさせ、これを継室として娶った。棠姜との間にもまた一子、明という子を生んだ。
- 崔杼は継室を寵愛するあまり、東郭偃と棠無咎を家臣として用い、幼子の崔明をこれに託した。棠姜に言った。「明が成長したら、嫡子として立てよう。」
- この件は、ここでいったん脇に置く。
齊莊公と棠姜の密通
- さて齊莊公はある日崔杼の邸で酒を飲んだ際、崔杼は棠姜に酒を勧めさせた。莊公はその美貌に心を惹かれ、東郭偃に厚く賂を贈って意を通じさせ、機に乗じて私かに通じた。
- 度々往来するうち、崔杼は次第に感づき、棠姜を問い詰めた。
- 棠姜は言った。「まことにございました。彼は国君の勢いをかさに私に臨みました、一婦人があえて拒めるものではございません。」
- 杼は言った。「それなら、なぜ言わなかったのか。」
- 棠姜は言った。「妾は自らに罪があると知り、言い出せなかったのです。」
- 崔杼はしばらく黙っていたが、やがて言った。「この事はそなたには関わりない。」
- これより莊公を弑逆する意を抱くようになった。
欒盈を曲沃へ送り込む謀と辛俞の諫死
- 周霊王二十二年、呉王諸樊は晉に婚を求め、晉平公はその娘を嫁がせた。
- 齊莊公は崔杼に謀って言った。「寡人は欒盈を晉に送り込んでやると約したが、まだその機を得ていない。曲沃を守る臣は欒盈の厚い交わりの相手と聞く。今、嫁入りの媵を送ることを名目として、そのついでに欒盈を曲沃に送り込み、晉を襲わせようと思う。この事、どう思うか。」
- 崔杼は齊侯への恨みを抱いており、内心では計算していた。まさに齊侯が晉に怨みを結び、晉侯が兵をもって討ちに来るのを待ち、それから罪を君に着せて弑逆し、晉に媚びる計とするつもりであった。今日の莊公の欒盈納入の謀は、まさにその計にはまるものであった。
- そこで答えた。「曲沃の人はたとえ欒氏に味方するとはいえ、晉を害するまでには至らないでしょう。主公は必ず自ら一軍を率いて後詰めとなるべきです。もし盈が曲沃から入れば、主公は衛を伐つと揚言し、濮陽から南から北へ進み、両路から夾撃すれば、晉は必ず支えきれますまい。」
- 莊公は深くもっともと考えた。この謀を欒盈に告げると、欒盈は大いに喜んだ。
- 家臣の辛俞が諫めて言った。「俞が主にお仕えしておりますのは、忠を尽くすため。主が晉君に忠であることをも願っております。」
- 盈は言った。「晉君が我を臣として扱わなかったのだ、どうしようもない。」
- 辛俞は言った。「昔、紂は文王を羑里に囚えましたが、文王は天下の三分の二を有しながらも殷にお仕えしました。晉君が欒氏の勲功を思わず、我が主を追放し、外で糊口を凌がせたことを、誰が哀れまぬ者がございましょうか。しかしひとたび不忠となれば、天地の間にどうして容れられましょうか。」
- 欒盈は聞き入れなかった。
- 辛俞は泣いて言った。「わが主はこの度の挙で、必ずや身の破滅を免れますまい。俞は死をもってお見送り致します。」そして帯びていた刀を抜き、自ら首をかき切って死んだ。
- 史臣はこれを讃える詩を詠んでいる。
- (詩:盈が出れば従い、盈が叛けば死す、公には君に背かず、私には主に背かぬ、卓越した辛俞こそ晉の義士であると讃える)
曲沃入城
- 齊莊公は一族の女、姜氏を媵として、大夫析歸父にこれを晉に送らせた。多くの温車に欒盈とその一族を乗せ、曲沃へ送ろうとした。
- 州綽・邢蒯は随行を願い出たが、莊公はこれが晉に帰ることを恐れ、殖綽・郭最に代わりに行かせ、言い含めた。「欒将軍にお仕えするのは、寡人に仕えるのと同じことである。」
- 曲沃を通過する際、盈らは服を替えて城に入った。夜、大夫胥午の門を叩くと、午は驚き、門を開けて出てきて、欒盈を見て大いに驚いて言った。「若様、どうしてここに。」
- 盈は言った。「密室でお話ししたい。」午は盈を奥の部屋に迎え入れた。
- 盈は胥午の手を執り、言おうとして言えず、思わず涙を流した。
- 午は言った。「若様、何か事があれば共に相談しましょう、悲泣なさる必要はありません。」
- 盈は涙を収めて告げた。「私は范氏・趙氏らの大夫に陥れられ、祖先の祭りを守れなくなりました。今、齊侯が私の無実を憐れみ、ここに送ってくれました。齊の兵はまもなく踵を接して来ます。もしあなたが曲沃の甲兵を興し、共に絳を襲うことができれば、齊軍がその外を攻め、我らがその内を攻め、絳を落とせるでしょう。そうしてから、諸家のうち我を仇とする者どもを捕らえて誅し、意趣を晴らします。それから晉侯を奉じて齊と和を結びます。欒氏の再興は、この一挙にかかっております。」
- 午は言った。「晉の勢いはまさに強く、范・趙・智・荀の各家もまた仲睦まじい、僥倖を頼むのは難しく、徒に自らを害することにならないか、どうしよう。」
- 盈は言った。「私には力士督戎がおり、一軍に匹敵します。また殖綽・郭最は齊国の英雄です。欒樂・欒魴は力強く弓に長けています。晉は強くても恐れるに足りません。昔、私は下軍で魏絳を輔けたが、その孫の舒がしばしば頼み事をしてきたとき、私は必ずそれに応じてやった。彼はその意に感じ、いつも恩返しを考えている、もしさらに魏氏を内応として得られれば、この事は八九分成るでしょう。万一事が成らずとも、死んでも悔いはありません。」
- 午は言った。「明日、人心がどうかを探ってから行うべきだろう。」
- 盈らはそのまま奥の部屋に身を潜めた。
曲沃での擁立の儀式
- 翌日、胥午は共太子(かつての太子申生)の夢を見たと称して、その祠に祭りをし、供え物のお下がりでその配下を饗した。そして欒盈を壁の後ろに潜ませておいた。
- 三巡の盃が終わり音楽が始まると、胥午はこれを止めさせて言った。「共太子の冤罪を、我らはどうして楽しく聞けようか。」皆嘆息した。
- 胥午は言った。「臣下と公子とは、同じ類である。今、欒氏は代々大功があったのに、同朝の者に讒言されて追放された、これは共太子と何が異なろうか。」
- 皆が言った。「この事は国中誰もが不公平だと思っている、あの若君はまだ帰国できないものか。」
- 胥午は言った。「仮に若君が今日ここにいたら、そなたたちはどうするか。」
- 皆言った。「もし若君を主として得られれば、力を尽くしたい、死んでも悔いはない。」座中には涙を流す者も多かった。
- 胥午は言った。「諸君、悲しまれるな、欒の若君は今ここにいる。」
- 欒盈は屏風の後ろから進み出て、人々に向かって拝礼し、人々もみな拝礼した。
- 盈は自ら帰晉の意を述べた。「もし再び絳州城中に戻れれば、死んでも瞑目できよう。」人々はみな喜んで従うことを願った。
- この日は存分に酒を飲んで散会した。
魏舒との内通と絳都の陥落
- 翌日、欒盈は密書一通を書き、曲沃の商人に託して絳州の魏舒のもとへ届けさせた。舒もまた范・趙の行いが度を過ぎていると考えていたので、この密書を受けて、すぐに返書を書いた。「某は甲を身に着けて待っております、ただ曲沃の兵が到着するのを待ち、すぐに迎え入れましょう。」
- 欒盈は大いに喜んだ。
- 胥午は曲沃の甲兵をかき集め、あわせて二百二十乗を得て、欒盈がこれを率いた。欒氏の一族で戦える者はみな従い、老弱はすべて曲沃に留めた。
- 督戎を先鋒とし、殖綽・欒樂を右に、郭最・欒魴を左にして、黄昏に出発し、絳都を襲いに向かった。
- 曲沃から絳までは、わずか六十余里で、一夜で到着した。
- 郭を壊して入り、まっすぐ南門に迫った。絳の人々はまったく気づかず、まさに「疾雷は耳を掩うに及ばず」の言葉通りであった。城門をようやく閉め終えたばかりで、守備は何一つ整わないうちに、一時(いっとき)と経たぬうちに督戎に攻め破られ、欒兵を城内に招き入れ、無人の野を行くようであった。
范匄の対応と固宮への避難
- 時に范匄は家におり、朝食をようやく終えたばかりであった。突然樂王鮒が息を切らして駆けつけ、報告した。「欒氏がすでに南門に入りました。」
- 范匄は大いに驚き、急いで子の范鞅を呼び、武装兵を集めて敵を防がせようとした。
- 樂王鮒は言った。「事は急を要します。主公を固宮にお連れすれば、なお堅く守れましょう。」
- 固宮とは、晉文公が呂・郤による焼き討ちの難に遭った故事にちなみ、君主の宮殿の東の隅に別に築いた宮であり、不測の事態に備えたものであった。広さは十里余りに及び、中には宮室や台観があり、多くの穀物が蓄えられ、国中の壮健な甲士三千人を選んでこれを守らせ、外には空堀を掘り、垣は数仞の高さがあり、極めて堅固であった。それゆえ固宮と称した。
- 范匄は国中に内応がいることを憂えた。
- 樂王鮒は言った。「諸大夫はみな欒氏の怨みを買った者たちです、憂慮すべきは魏氏だけです。もし速やかに君命でこれを召せば、なお味方につけられましょう。」
- 范匄はもっともと考え、范鞅に君命で魏舒を召させ、一方で下僕に車を用意させ急がせた。
- 樂王鮒はまた言った。「事は予測がつきません、身を隠すべきです。」
- 時に平公には母方の実家の喪があったため、范匄と樂王鮒はともに甲を下着として着込み、喪服の墨衰を上に纏い、経(喪の頭飾り)で頭を覆い、婦人に扮して、まっすぐ宮中に入り、平公に事を奏上し、そのまま平公を奉じて固宮に入った。
范鞅による魏舒確保
- さて魏舒の家は城の北隅にあった。范鞅は軺車に乗って疾駆して向かうと、兵車と徒歩の兵はすでに門の外に隊列を組んで並び、舒は戎装して車上にあり、南に向かって欒盈を迎えようとしていた。
- 范鞅は車を下り、急いで進み出て言った。「欒氏が反逆を起こしました、主公はすでに固宮にいらっしゃいます。私の父と諸大臣は、みな君のもとに集まっております。私を遣わしてあなたを迎えに参りました。」
- 魏舒はまだ答えぬうちに、范鞅は身を躍らせて早くも車に飛び乗り、右手に剣を持ち、左手で魏舒の帯を掴んだ。魏舒は驚いて声を出せなかった。
- 范鞅は喝を発した。「速やかに行け。」
- 御者が問うた。「どちらへ。」
- 范鞅は厳しい声で言った。「東へ、固宮へ向かえ。」
- こうして兵車と徒歩の兵は方向を東へ転じ、まっすぐ固宮へ向かった。
(後事の次第は次回に続く)
原文(底本)
話說箕遺正在叔虎家中,只等黃淵到來,夜半時候,一齊發作。卻被范鞅領兵圍住府第,外面家丁,不敢聚集,遠遠觀望,亦多有散去者。叔虎乘梯向牆外問曰:「小將軍引兵至此,何故?」范鞅曰:「汝平日黨於欒盈,今又謀斬關出應,罪同叛逆,吾奉晉侯之命,特來取汝。」叔虎曰:「我並無此事,是何人所說?」范鞅即呼章鏗上前,使證之。叔虎力大,扳起一塊牆石,望章鏗當頭打去,打個正著,把頂門都打開了。范鞅大怒,教軍士放火攻門。叔虎慌急了,向箕遺說:「我等寧可死裏逃生,不可坐以待縛。」遂提戟當先,箕遺仗劍在後,發聲喊,冒火殺出。范鞅在火光中,認得二人,教軍士一齊放箭。此時火勢熏灼,已難躲避,怎當得箭如飛蝗,二人縱有沖天本事,亦無用處,雙雙被箭射倒。軍士將撓鉤搭出,已自半死,綁縛車中。救滅了火。只聽得車聲[車郭][車郭][車磊][車磊],火炬燭天而至,乃是中軍副將荀吳,率本部兵前來接應。中途正遇黃淵,亦被擒獲。范荀合兵一處,將叔虎、箕遺、黃淵,解到中軍元帥范匄處。范匄曰:「欒黨尚多,只擒此三人,尚未除患,當悉拘之!」乃復分路搜捕。絳州城中,鬧了一夜。直至天明,范鞅拘到智起、籍偃、州賓等,荀吳拘到中行喜辛俞,及叔虎之兄羊舌赤,弟羊舌肹,都囚於朝門之外,俟候晉平公出朝,啟奏定奪。 單說羊舌赤字伯華,羊舌肹字叔向,與叔虎雖同是羊舌職之子,叔虎是庶母所生。當初叔虎之母,原是羊舌夫人房中之婢,甚是美色,其夫欲之,夫人不遣侍寢。時伯華叔向俱已年長,諫其母勿妒。夫人笑曰:「吾豈妒婦哉!吾聞有甚美者,必有甚惡。深山大澤,實生龍蛇。恐其生龍蛇,為汝等之禍,是以不遣耳。」叔向等順父之意,固請於母,乃遣之。一宿而有孕,生叔虎。及長成,美如其母,而勇力過人。欒盈自幼與之同臥起,相愛宛如夫婦。他是欒黨中第一個相厚的,所以兄弟並行囚禁。 大夫樂王鮒字叔魚,其時方嬖幸於平公。平日慕羊舌赤肹兄弟之賢,意欲納交而不得。至是,聞二人被囚,特到朝門,正遇羊舌肹,揖而慰之曰:「子勿憂,吾見主公,必當力為子請。」羊舌肹嘿然不應。樂王鮒有慙色。羊舌赤聞之,責其弟曰:「吾兄弟畢命於此,羊舌氏絕矣!樂大夫有寵於君,言無不從,倘借其片語,天幸赦宥,不絕先人之宗,汝奈何不應,以失要人之意。」羊舌肹笑曰:「死生命也。若天意降祐,必由祁老大夫,叔魚何能為哉?」羊舌赤曰:「以叔魚之朝夕君側,汝曰:『不能』,以祁老大夫之致政閑居,而汝曰:『必由之』。吾不知其解也!」羊舌肹曰:「叔魚行媚者也,君可亦可,君否亦否。祁老大夫外舉不避仇,內舉不避親,豈獨遺羊舌氏乎?」 少頃,晉平公臨朝,范匄以所獲欒黨姓名奏聞。平公亦疑羊舌氏兄弟三人皆在其數,問於樂王鮒曰:「叔虎之謀,赤與肹實與聞否?」樂王鮒心愧叔向,乃應曰:「至親莫如兄弟,豈有不知?」平公乃下諸人於獄,使司寇議罪。時祁奚已告老,退居於祁。其子祁午與羊舌赤同僚相善,星夜使人報信於父,求其以書達范匄,為赤求寬。奚聞信大驚曰:「赤與肹皆晉國賢臣,有此奇冤,我當親往救之。」乃乘車連夜入都,未及與祁午相會,便叩門來見范匄。匄曰:「大夫老矣,冒風露而降之,必有所諭。」祁奚曰:「老夫為晉社稷存亡而來,非為別事。」范匄大驚,問曰:「不知何事關系社稷,有煩老大夫如此用心?」祁奚曰:「賢人,社稷之衛也。羊舌職有勞於晉室,其子赤肹,能嗣其美。一庶子不肖,遂聚而殲之,豈不可惜!昔郤芮為逆,郤缺升朝。父子之罪,不相及也,況兄弟乎?子以私怨,多殺無辜,使玉石俱焚,晉之社稷危矣。」范匄蹴然離席曰:「老大夫所言甚當。但君怒未解,匄與老大夫同詣君所言之。」於是並車入朝,求見平公,奏言:「赤肹與叔虎,賢不肖不同,必不與聞欒氏之事。且羊舌之勞,不可廢也。」平公大悟,宣赦,赦出赤肹二人,使復原職。智起、中行喜、籍偃、州賓、辛俞皆斥為庶人。惟叔虎與箕遺黃淵處斬。赤肹二人蒙赦,入朝謝恩,事畢,羊舌赤謂其弟曰:「當往祁老大夫處一謝。」肹曰:「彼為社稷,非為我也,何謝焉?」竟登車歸第。羊舌赤心中不安,自往祁午處請見祁奚。午曰:「老父見過晉君,即時回祁去矣,未嘗少留須臾也。」羊舌赤歎曰:「彼固施不望報者,吾自愧不及肹之高見也!」髯翁有詩云: 尺寸微勞亦望酬,拜恩私室豈知羞,必如奚肹纔公道,笑殺紛紛貨賂求。 州賓復與欒祁往來,范匄聞之,使力士刺殺州賓於家。 卻說守曲沃大夫胥午,昔年曾為欒書門客。欒盈行過曲沃,胥午迎款,極其慇懃。欒盈言及城著,胥午許以曲沃之徒助之。留連三日,欒樂等報信已至,言:「陽畢領兵將到。」督戎曰:「晉兵若至,便與交戰,未必便輸與他。」州綽邢蒯曰:「專為此事,恐恩主手下乏人,吾二人特來相助。」欒盈曰:「吾未嘗得罪於君,特為怨家所陷耳。若與拒戰,彼有辭矣。不如逃之,以俟君之見察。」胥午亦言拒戰之不可。即時收拾車乘,盈與午灑淚而別,出奔於楚。比及陽畢兵到著邑,邑人言:「盈未曾到此,在曲沃已出奔了。」陽畢班師而歸,一路宣布欒氏之罪。百姓皆知欒氏功臣,且欒盈為人,好施愛士,無不嘆惜其冤者。范匄言於平公,嚴禁欒氏故臣不許從欒盈,從者必死!家臣辛俞初聞欒盈在楚,乃收拾家財數車出城,欲往從之。被守門吏盤住,執辛俞以獻於平公。平公曰:「寡人有禁,汝何犯之?」辛俞再拜言曰:「臣愚甚,不知君所以禁從欒氏者,誠何說也?」平公曰:「從欒氏者無君,是以禁之。」辛俞曰:「誠禁無君,則臣知免於死矣。臣聞之:『三世仕其家則君之,再世則主之。事君以死,事主以勤。』臣自祖若父,以無大援於國,世隸於欒氏,食其祿,今三世矣。欒氏固臣之君也。臣惟不敢無君,是以欲從欒氏,又何禁乎?且盈雖得罪,君逐之而不誅,得無念其先世犬馬之勞,賜以生全乎?今羈旅他方,器用不具,衣食不給,或一朝填於溝壑,君之仁德,無乃不終?臣之此去,盡臣之義,成君之仁,且使國人聞之曰:『君雖危難,不可棄也。』於以禁無君者,大矣。」平公悅其言曰:「子姑留事寡人,寡人將以欒氏之祿祿子。」辛俞曰:「臣固言之矣:『欒氏,臣之君也。』舍一君又事一君,其何以禁無君者?必欲見留,臣請死!」平公曰:「子往矣!寡人姑聽子,以遂子之志。」辛俞再拜稽首,仍領了數車輜重,昂然出降州城而去。史臣有詩稱辛俞之忠。詩曰: 翻雲覆雨世情輕,霜雪方知松柏榮。三世為臣當效死,肯將晉主換欒盈? 卻說欒盈棲楚境上數月,欲往郢都見楚王,忽轉念曰:「吾祖父宣力國家,與楚世仇,倘不相容,奈何?」欲改適齊,而資斧空乏,卻得辛俞驅輜重來到,得濟其用。遂修整車從,望齊國進發。此周靈王二十一年事也。 再說齊莊公為人,好勇喜勝,不屑居人之下,雖然受命澶淵,終以平陰之敗為恥。嘗欲廣求勇力之士,自為一隊,親率之以橫行天下。由是於卿大夫士之外,別立「勇爵」,祿比大夫,必須力舉千斤,射穿七札者,方與其選。先得殖綽郭最,次又得賈舉、邴師、公孫傲、封具、鐸甫、襄尹、僂堙等,共是九人。莊公日日召至宮中,相與馳射擊刺,以為笑樂。一日,莊公視朝,近臣報道:「今有晉大夫欒盈被逐,來奔齊國。」莊公喜曰:「寡人正思報晉之怨,今其世臣來奔,寡人之志遂矣。」欲遣人往迎之。大夫晏嬰出奏曰:「不可,不可!小所以事大者,信也。吾新與晉盟,今乃納其逐臣,倘晉人來責,何以對之?」莊公大笑曰:「卿言差矣!齊晉匹敵,豈分小大?昔之受盟,聊以紓一時之急耳。寡人豈終事晉,如魯、衛、曹、邾者耶?」遂不聽晏嬰之言,使人迎欒盈入朝。盈謁見,稽首哭訴其見逐之繇。莊公曰:「卿勿憂,寡人助卿一臂,必使卿復還晉國。」欒盈再拜稱謝。莊公賜以大館,設宴相款。州綽邢蒯侍於欒盈之傍,莊公見其身大貌偉,問其姓名,二人以實告。莊公曰:「向日平陰之役,擒我殖綽郭最者非爾耶?」綽蒯叩首謝罪。莊公曰:「寡人慕爾久矣!」命賜酒食。因謂盈曰:「寡人有求於卿,卿不可辭。」盈對曰:「苟可以應君命者,即髮膚無所愛。」莊公曰:「寡人無他求,欲暫乞二勇士為伴耳。」欒盈不敢拒,只得應允,怏怏登車,嘆曰:「幸彼未見督戎,不然,亦為所奪矣!」 莊公得州綽邢蒯,列於「勇爵」之未,二人心中不服。一日,與殖綽郭最同侍於莊公之側,二人假意佯驚,指綽最曰:「此吾國之囚,何得在此?」郭最應曰:「吾等昔為奄狗所誤,須不比你跟人逃竄也。」州綽怒曰:「汝乃我口中之虱,尚敢跳動耶?」殖綽亦怒曰:「汝今日在我國中,也是我盤中之肉矣。」邢蒯曰:「既然汝等不能相容,即當復歸吾主。」郭最曰:「堂堂齊國,難道少了你兩人不成!」四人語硬面赤,各以手撫佩劍,漸有相併之意。莊公用好言勸解,取酒勞之。謂州綽邢蒯曰:「寡人固知二卿不屑居齊人之下也。」乃更「勇爵」之名為「龍」「虎」二爵,分為左右。右班「龍爵」,州綽邢蒯為首,又選得齊人盧蒲癸王何,使列其下。左班「虎爵」,則以殖綽郭最為首,賈舉等七人,依舊次序。眾人與其列者,皆以為榮,惟州、邢、殖、郭四人,到底心下各不和順。時崔杼慶封以援立莊公之功,位皆上卿,同執國政。莊公常造其第,飲酒作樂,或時舞劍射棚,無復君臣之隔。 單說崔杼之前妻,生下二子,曰成,曰疆,數歲而妻死。再娶東郭氏,乃是東郭偃之妹,先嫁與棠公為妻,謂之棠姜。生一子,名曰棠無咎。那棠姜有美色,崔杼因往弔棠公之喪,窺見姿容,央東郭偃說合,娶為繼室。亦生一子,曰明。崔杼因寵愛繼室,遂用東郭偃棠無咎為家臣,以幼子崔明託之。謂棠姜曰:「俟明長成,當立為適子。」此一段話,且擱過一邊。 且說齊莊公一日飲於崔杼之室,崔杼使棠姜奉酒,莊公悅其色,乃厚賂東郭偃,使之通意,乘間與之私合。來往多遍,崔杼漸漸知覺,盤問棠姜。棠姜曰:「誠有之。彼挾國君之勢以臨我,非一婦人所敢拒也。」杼曰:「然則汝何不言?」棠姜曰:「妾自知有罪,不敢言耳。」崔杼嘿然久之,曰:「此事與汝無干。」自此有謀弒莊公之意。 周靈王二十二年,吳王諸樊求婚於晉,晉平公以女嫁之。齊莊公謀於崔杼曰:「寡人許納欒盈,未得其便。聞曲沃守臣乃欒盈之厚交,今欲以送媵為名,順便納欒盈於曲沃,使之襲晉。此事如何?」崔杼銜恨齊侯,私心計較,正欲齊侯結怨於晉,待晉侯以兵來討,然後委罪於君,弒之以為媚晉之計。今日莊公謀納欒盈,正中其計。乃對曰:「曲沃人雖為欒氏,恐未能害晉。主公必然親率一軍,為之後繼。若盈自曲沃而入,主公揚言伐衛,由濮陽自南而北,兩路夾攻,晉必不支。」莊公深以為然。以其謀告於欒盈,欒盈甚喜。家臣辛俞諫曰:「俞之從主,以盡忠也﹔亦願主之忠於晉君也!」盈曰:「晉君不以我為臣,奈何?」辛俞曰:「昔紂囚文王於羑里,文王三分天下,以服事殷。晉君不念欒氏之勳,黜逐吾主,餬口於外,誰不憐之?一為不忠,何所容於天地之間耶?」欒盈不聽。辛俞泣曰:「吾主此行,必不免!俞當以死相送!」乃拔佩刀自刎而死。史臣有讚云: 盈出則從,盈叛則死,公不背君,私不背主。卓哉辛俞,晉之義士! 齊莊公遂以宗女姜氏為媵,遣大夫析歸父送之於晉。多用溫車,載欒盈及其宗族,欲送至曲沃。州綽邢蒯請從。莊公恐其歸晉,乃使殖綽郭最代之,囑曰:「事欒將軍,猶事寡人也。」行過曲沃,盈等遂易服入城。夜叩大夫胥午之門,午驚異,啟門而出,見欒盈,大驚曰:「小恩主安得到此?」盈曰:「願得密室言之。」午乃迎盈入於深室之中。盈執胥午之手,欲言不言,不覺淚下。午曰:「小恩主有事,且共商議,不須悲泣。」盈乃收淚告曰:「吾為范趙諸大夫所陷,宗祀不守。今齊侯憐其非罪,致我於此,齊兵且踵至矣。子若能興曲沃之甲,相與襲絳,齊兵攻其外,我等攻其內,絳可入也。然後取諸家之仇我者而甘心焉,因奉晉侯以和於齊。欒氏復興,在此一舉!」午曰:「晉勢方強,范、趙、智、荀諸家又睦,恐不能僥倖,徒以自賊,奈何?」盈曰:「吾有力士督戎一人,可當一軍﹔且殖綽郭最,齊國之雄﹔欒樂欒魴,強力善射﹔晉雖強,不足懼也。昔我佐魏絳於下軍,其孫舒每有請託,我無不周旋,彼感吾意,每思圖報,若更得魏氏為內助,此事可八九矣。萬一舉事不成,雖死無恨!」午曰:「俟來日探人心何如,乃可行也。」盈等遂藏於深室。 至次日,胥午託言夢共太子,祭於其祠,以餕餘饗其官屬,伏欒盈於壁後。三觴樂作,胥午命止之,曰:「共太子之冤,吾等忍聞樂乎?」眾皆嗟嘆。胥午曰:「臣子,一例也。今欒氏世有大功,同朝譖而逐之,亦何異共太子乎?」眾皆曰:「此事通國皆不平,不知孺子猶能返國否?」胥午曰:「假如孺子今日在此,汝等何以處之?」眾皆曰:「若得孺子為主,願為盡力,雖死無悔!」坐中多有泣下者。胥午曰:「諸君勿悲,欒孺子見在此。」欒盈從屏後趨出,向眾人便拜,眾人俱拜。盈乃自述還晉之意:「若得重到絳州城中,死亦瞑目!」眾人俱踴躍願從。是日暢飲而散。 次日,欒盈寫密信一封,託曲沃賈人,送至絳州魏舒處。舒亦以范趙所行太過,得此密信,即寫回書,言:「某裹甲以待,只等曲沃兵到,即便相迎。」欒盈大喜。胥午搜括曲沃之甲,共二百二十乘,欒盈率之。欒之族人能戰者皆從,老弱俱留曲沃。督戎為先鋒,殖綽欒樂在右,郭最欒魴在左,黃昏起行,來襲絳都。自曲沃至絳,止隔六十餘里,一夜便到。壞郭而入,直抵南門,絳人猶然不知,正是「疾雷不及掩耳」,剛剛掩上城門,守禦一無所設,不消一個時辰,被督戎攻破,招引欒兵入城,如入無人之境。時范匄在家,朝饔方徹,忽然樂王鮒喘吁而至,報言:「欒氏已入南門。」范匄大驚,急呼其子范鞅斂甲拒敵。樂王鮒曰:「事急矣!奉主公走固宮,猶可堅守。」固宮者,晉文公為呂郤焚宮之難,乃於公宮之東隅,別築此宮,以備不測,廣寬十里有餘,內有宮室臺觀,積粟甚多,輪選國中壯甲三千人守之,外掘溝塹,牆高數仞,極其堅固,故曰固宮。范匄憂國中有內應。鮒曰:「諸大夫皆欒怨家,可慮惟魏氏耳。若速以君命召之,猶可得也。」范匄以為然。乃使范鞅以君命召魏舒,一面催促僕人駕車。樂王鮒又曰:「事不可知,宜晦其跡。」時平公有外家之喪,范匄與樂王鮒,俱衷甲加墨縗,以絰蒙其首,詐為婦人,直入宮中,奏知平公,即御公以入於固宮。 卻說魏舒家在城北隅,范鞅乘軺車疾驅而往,但見車徒已列門外,舒戎裝在車,南向將往迎欒盈矣。范鞅下車,急趨而進曰:「欒氏為逆,主公已在固宮,鞅之父與諸大臣,皆聚於君所,使鞅來迎吾子。」魏舒未及答語,范鞅踴身一跳,早已登車,右手把劍,左手牽魏舒之帶,唬得魏舒不敢做聲。范鞅喝令:「速行!」輿人請問:「何往?」范鞅厲聲曰:「東行往固宮!」於是車徒轉向東行,逕到固宮。未知後事何如,再看下回分解。
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