東周列國志第六十四回 曲沃城で欒盈が族を滅ぼされる/且于の門で杞梁が死戦する (曲沃城欒盈滅族 且于門杞梁死戰)

固宮の防備固め

  • さて范匄は、子の范鞅を遣わして魏舒を迎えに行かせたものの、彼が味方か敵か分からず、心中決しかねていた。
  • 自ら城壁に登って望むと、一群の車馬が西北の方から疾駆して来るのが見え、その子と魏舒が同じ車に乗っているのを見て、喜んで言った。「欒氏は孤立した。」
  • ただちに宮門を開いて彼らを入れさせた。
  • 魏舒は范匄と会ったが、顔色はまだ落ち着かなかった。匄はその手を執って言った。「外の人は事情を知らず、しきりに将軍が欒氏に内通していると言っていたが、匄はもとより将軍がそのようなことをせぬと知っておった。もし共に欒氏を滅ぼせるなら、曲沃をもって将軍にお報いしよう。」
  • 舒はこの時すでに范氏の掌中にあり、ただ唯々と命に従うしかなく、そのまま共に平公に謁見し、応戦の計を協議した。
  • しばらくして、趙武・荀吳・智朔・韓無忌・韓起・祁午・羊舌赤・羊舌肹・張孟趯ら諸臣が続々と到着し、みな車馬と兵を伴っており、軍勢はますます盛んになった。
  • 固宮には前後二つの門しかなく、いずれも二重の関があった。
  • 范匄は趙氏・荀氏の軍に南関の二重を協力して守らせ、韓無忌兄弟には北関の二重を守らせ、祁午らには周囲を巡回させて警戒させた。
  • 匄と鞅の父子は平公の左右を離れなかった。

督戎の南関攻撃と解雍の戦死

  • 欒盈はすでに絳城に入ったが、魏舒が迎えに来ないのを見て心中疑いを抱いた。城内の市場の入口に軍を屯し、人を遣わして様子を探らせると、「晉侯はすでに固宮に赴き、百官もみな従い、魏氏もまた去りました」との報告があった。
  • 欒盈は大いに怒って言った。「舒め、我を欺いたか。会えば手ずから斬ってやる。」
  • そのまま督戎の背をなでて言った。「心して固宮を攻めよ、富貴をそなたと共にしよう。」
  • 督戎は言った。「私は兵を半分に分け、独り南関を攻めます。恩主は諸将を率いて北関を攻めてください。どちらが先に入るか見物です。」
  • この時、殖綽・郭最は盈と行動を共にしていたが、州綽・邢蒯は元々欒盈が齊国に連れて行った者で、齊侯に取り立てられており、綽と最はいつも彼らに見下されていたため、俗に「怪しい木には怪しい枝が生える」というように、綽・最は州・邢の二将にわだかまりを抱き、そもそも欒盈にまで怒りが向いていた。
  • しかも欒盈は口を開けば督戎の勇ばかりを誇り、綽・最を立てようとする気配が少しもなかったので、綽・最はどうして熱い思いを彼の冷淡な態度にぶつけようとするだろうか。傍観して成り行きを見る気持ちもあり、あまり力を尽くそうとしなかった。
  • 欒盈が頼りにしていたのは、督戎ただ一人であった。
  • 督戎は双戟を手に車に乗り、まっすぐ固宮へ赴き、南関を取ろうとした。関の外で形勢を見回すと、馳せたり駆けたりして威風凛々、殺気騰々、まるで一体の黒煞神が下界に降臨したかのようであった。
  • 晉軍は日頃からその勇名を聞いており、これを見て胆を潰さぬ者はなかった。趙武は感嘆してやまなかった。
  • 武の配下に解雍・解肅という二人の驍将がおり、兄弟でともに長槍を使い、軍中に名が知られていた。主将の感嘆を聞き、心中不服に思って言った。「督戎が勇猛といえど、三頭六臂があるわけでもございますまい。私ども兄弟、不肖ながら一軍を率いて関を下り、必ずあの男を生け捕って功を献じましょう。」
  • 趙武は言った。「くれぐれも注意せよ、油断してはならぬ。」
  • 二将は装いを整え、車を飛ばして関を出て、塹を隔てて大声で叫んだ。「そこにいるのは督将軍か。惜しいことだ、そのような英勇でありながら叛臣に従うとは。早く帰順すれば、なお禍を転じて福となせよう。」
  • 督戎はこれを聞いて大いに怒り、兵士に塹を埋めて渡らせようとした。兵士がちょうど土を運び石を担いでいると、督戎は性急に、双戟を地に押し付け、力の限り一気に跳躍し、たちまち塹の北へ跳び越えた。
  • 二解はいささか驚き、槍をしごいて督戎に立ち向かった。督戎は戟を舞わせて相手にし、まったく怯む様子がなかった。
  • 解雍の車を牽く轅馬は、たちまち督戎の戟のひと撃ちで打たれ、背骨を折って車が動かなくなった。解肅の轅馬もいななき出し、これも動けなくなった。
  • 二解は督戎が単身であることに油断し、車を降りて徒歩戦に移った。督戎は二本の大きな戟を左右に振るい、ヒュンヒュンと風を切る音を立てた。
  • 解肅が一槍で突いてきたが、督戎は戟のひと振りでこれを払い、戟の勢いが重く、バキッと音がして槍の柄は真っ二つに折れた。解肅は槍の柄を投げ捨てて逃げた。
  • 解雍もまた慌て、手元が遅れたところを督戎の戟のひと突きで刺し倒された。督戎はそのまま解肅を追いかけたが、解肅は逃げ足が速く、まっすぐ北関へ走り、城壁を縄で登った。
  • 督戎は追いつけず、引き返して解雍にとどめを刺そうとしたが、すでに味方の軍将に救われ関へ運び込まれていた。
  • 督戎は怒りが収まらぬまま、独り戟を構えて立ち、叫んだ。「腕に覚えのある者、もっと多く出て来い、まとめて片付けてやる方が手間が省ける。」
  • 関の上には誰も応じる者がなかった。督戎はしばらく待ってから本陣に戻り、兵士に明日の関攻めの準備をするよう命じた。
  • その夜、解雍は傷が重く死んだ。趙武は深く痛惜した。
  • 解肅は言った。「明日、小将が再び一戦を決し、必ず兄の仇を報います。死んでも悔いはございません。」
  • 荀吳は言った。「私の配下に老将牟登がおり、二人の子、牟剛・牟勁がいる。ともに千斤の力があり、今、晉侯の護衛にある。今夜、牟登に命じてあの二人を呼んで来させ、明日解将軍と共に出陣させよう。三人で一人と戦えば、まさか再び負けることがあろうか。」
  • 趙武は言った。「それは良い。」荀吳は自ら牟登に伝えに行った。

牟剛・牟勁との再戦と斐豹の登場

  • 翌朝早く、牟剛・牟勁が到着した。趙武がこれを見ると、果たして体躯魁偉、面構えも猛々しく、ねぎらいの言葉をかけてから、解肅を伴って関を下らせた。
  • あちら側の督戎は、すでに塹を埋め尽くし、まっすぐ関下に迫って戦いを挑んできた。
  • この三人の猛将は関を開いて出た。督戎は大声で叫んだ。「死を恐れぬ者は皆来い。」
  • 三将は言葉も交わさず、一本の長槍と二本の大刀で、一斉に督戎に襲いかかった。督戎はまったく怯まなかった。
  • 殺気立ってきて、車を降り、双戟を飛ぶように振るい、力の限り戟を落とすたびに千鈞の重さがあった。
  • 牟勁の車軸は督戎に打ち折られ、やむなく車を降りたが、督戎の戟のひと撃ちを受け、体を粉々に打ち砕かれて即死した。
  • 牟剛は大いに怒り命懸けで前に出たが、戟の風は矢のごとく、進む隙がなかった。
  • 老将牟登が「しばし休め」と叫び、関の上で銅鑼を鳴らして退かせた。牟登自ら関を出て、牟剛と解肅を助け引き入れた。
  • 督戎は兵士に関攻めを命じた。関の上からは矢石が雨のように降り、兵士に多くの死傷者が出たが、督戎だけは寸分も動じなかった。真に勇将であった。
  • 趙武と荀吳は連続で二戦敗れ、人を遣わして范匄に急を告げた。
  • 范匄は言った。「一人の督戎にすら勝てぬのに、どうして欒氏を平らげられようか。」
  • その夜、蝋燭をともして座り、悶々として過ごした。傍らに侍る下男がぬかずいて問うた。「元帥、お心が鬱々としておられます、督戎のことをご心配ではありませんか。」
  • 范匄はその者を見た。姓は斐、名は豹といい、もとは屠岸賈配下の猛将斐成の子であったが、屠氏の党に連座して官の奴隷に落とされ、中軍で使役されていた。
  • 范匄はその言葉に驚き、問うた。「そなたにもし督戎を除く計があれば、必ず重く賞そう。」
  • 斐豹は言った。「わたくしの名は丹書(官の奴隷の身分を朱書で記した籍帳)に載っており、いたずらに天を衝く志を抱きながらも、身を立てる場所がございません。元帥がもし丹書から豹の名を除いてくださるなら、わたくしは督戎を殺してその厚恩に報いましょう。」
  • 范匄は言った。「そなたがもし督戎を殺してくれれば、私は晉侯に願い出て丹書をすべて焼き捨てさせ、そなたを中軍の牙将としよう。」
  • 斐豹は言った。「元帥、信を失われませんように。」
  • 范匄は言った。「もし信を失うようなことがあれば、この日輪が証人となって我を罰するであろう。ただ、どれほどの車馬兵員を使うつもりか。」
  • 斐豹は言った。「督戎は元々絳城におり、わたくしとは顔見知りでした、時々力比べをして勝負を賭けたものです。あの男は勇を頼み性急な性分で、専ら一騎討ちを好みます。もし車馬を率いて行けば勝てません。わたくしは単身で関を下ることを願います、自ずと督戎を捕える計がございます。」
  • 范匄は言った。「そなたはまさか行ったきり戻らぬのではあるまいな。」
  • 斐豹は言った。「わたくしには七十八歳になる老母があり、また幼子と若妻もございます。どうして罪の上に罪を重ね、このような不忠不孝を行いましょうか。もしそのような心があれば、これも同じくこの日輪の罰を受けましょう。」
  • 范匄は大いに喜び、酒食でねぎらい、犀の甲一領を賞として与えた。

斐豹対督戎の一騎討ち

  • 翌日、斐豹は甲を内側に着込み、外に練り絹の袍をまとい、しっかりと結わえた。頭にはなめし革の冠をかぶり、足には麻の履をはき、腰に利刀を隠し、手には重さ五十二斤の銅鎚を提げて、范匄に別れを告げに来て言った。「わたくしはこの度、督戎を殺して勝利を奏上して戻って参ります。さもなくば督戎の手にかかって死にましょう、決して両方が生き残ることはございません。」
  • 范匄は言った。「私も自ら赴き、そなたの活躍を見よう。」ただちに車を用意させ、斐豹を驂乗させて南関に至った。
  • 趙武・荀吳が出迎え、督戎がこれほど英雄的であること、続けて二将を折ったことを訴えた。
  • 范匄は言った。「今日、斐豹が単身で敵に赴く、晉侯の福分次第だ。」
  • 言い終わらぬうちに、関下で督戎が大声で戦いを挑んできた。
  • 斐豹は関の上から呼びかけた。「督君、まだ斐大を覚えているか。」(豹は兄弟の序列で長男であったため、自ら斐大と称した。これは昔互いに呼び合った呼称であった。)
  • 督戎は言った。「斐大、今日はあえて一命を賭す勝負をしようというのか。」
  • 斐豹は言った。「他人はお前を恐れても、私斐豹は恐れぬ。お前は兵車を後ろに退かせ、私とお前二人だけで地上で勝負をつけよう、両手で両手を、武器で武器を、お前が死ぬか私が死ぬか、それで良い名を後世に伝えられよう。」
  • 督戎は言った。「その論はまさにわが意に適う。」兵士を退かせた。
  • こちらの関門が開かれ、ただ斐豹一人だけが出た。
  • 二人は関下でまみえて戦い、約二十余合、勝敗つかなかった。
  • 斐豹は偽って言った。「私は少々小用がしたい、しばし手を止めよう。」督戎はどうしても許さなかった。
  • 斐豹は先に西の空き地に丈の低い塀が一続きにあるのを見つけていたので、隙を見て逃げ出した。督戎は後を追い、大声で叫んだ。「どこへ行く。」
  • 范匄らは関の上でこれを見て、督戎が斐豹を追っていくのを見て、思わず冷や汗をかいた。
  • しかし斐豹は実は計を用いていたのであった。丈の低い塀の近くまで来ると、ぱっと塀を跳び越えた。
  • 督戎は斐豹が塀の中に入るのを見て、自分も塀を跳び越えて中に入った。斐豹が前方にいるものとばかり思っていたが、実は斐豹は一本の大木の陰に身を隠しており、督戎が塀を越えて入るのをひたすら待っていた。
  • 不意を突いて、五十二斤の銅鎚を振り上げ、背後から打った。まともに頭に当たった。脳漿が飛び散り、督戎はばったりと倒れたが、なおも右足を跳ね上げ、斐豹の胸の犀甲を削り取った。
  • 斐豹は急いで腰の利刀を抜き、その首を斬り落とし、また塀を跳び越えて外へ出た。
  • 関の上からは斐豹の手に血の滴る生首が下がっているのが見え、すでに勝利を悟り、大いに関を開いた。
  • 解肅と牟剛が兵を率いて殺って出て、欒軍は大敗し、半分は殺され、半分は投降し、逃げおおせた者は十人のうち一人か二人もいなかった。
  • 范匄は天を仰いで酒を注ぎこぼし言った。「これは晉侯の福である。」ただちに酒を斐豹に酌んで賜り、そのまま晉侯に会わせに連れて行った。
  • 晉侯は兵車一乗を賞として与え、その功績を第一に注記した。
  • 潛淵先生は詩を詠んでいる。
  • (詩:世に類なき督戎の神力を、隷卒の身から出た者が打ち破ったのだ、人を用いるには格式を破らねばならぬと知らせた出来事だ、彫った瓢箪のように見かけばかりで中身のない肉食の高官どもを笑ってやりたいと詠う)

北関の攻防と外関の占拠

  • さて欒盈は大隊の車馬を率いて北関を攻めていたが、続けて督戎の勝報が届くと、盈は部下に言った。「わしにもし督戎が二人いれば、固宮が破れぬのを心配することもあるまいに。」
  • 殖綽は郭最の足を踏んで合図し、郭最は目でこれに応えたが、二人とも頭を低くして黙っていた。ただ欒樂と欒魴だけは功を立てようと、矢石を避けなかった。
  • 韓無忌・韓起は、先の南関で味方が連敗していたため、あえて軽々しく出ず、ただ厳重に守った。
  • 三日目に至り、欒盈は敗軍の報を受け取った。「督戎が殺され、全軍が壊滅しました。」
  • 欒盈は手足の置き所がないほど驚き慌て、殖綽・郭最を呼んで相談した。
  • 綽・最は笑って言った。「督戎ですら勝てなかったのです、まして我らごときが。」
  • 欒盈は涙を落とし続けた。
  • 欒樂は言った。「我らの生死は今夜で決まります。将士すべてを北門に集め、三更の後、一斉に轈車に乗り、火をかけて関を焼き払えば、あるいは突入できましょう。」
  • 欒盈はこの計に従った。
  • 晉侯は督戎の死を喜び、酒宴を開いて祝賀した。韓無忌・韓起はともに来て杯を献じて祝寿し、二更まで飲んで散会した。
  • ようやく北関に戻り、点検を終えたばかりのところ、突然車の音が轟き、欒氏の軍馬が大挙して集まり、轈車が関と同じ高さまで組み上げられ、火矢が飛蝗のごとく射込まれ、関門が燃え広がった。
  • 火勢は猛烈で、関内の兵士は守りが固まらず、欒樂が先頭に立ち欒魴がこれに続き、その勢いに乗じて外関を占拠した。
  • 韓無忌らは内関を退いて守り、人を飛ばして中軍に急を報告した。
  • 范匄は魏舒に南関へ行かせ、荀吳の一隊を交代させて北関を助けさせた。そのまま晉侯とともに台に登って北を望むと、欒兵は外関に屯し、静まり返って音がなかった。
  • 范匄は言った。「これは必ず何か計略があるに違いない。」内関に厳重な防御を命じた。
  • 黄昏まで守っていると、欒兵はまた轈車に乗り、火攻めの道具で門を攻めた。こちらは予め皮帳(牛皮を水に浸して張った幕)を用意して遮蔽し、火が入らぬようにした。
  • 一晩中乱戦が続き、両軍はしばらく休息した。
  • 范匄は言った。「賊はすでに近くまで迫っている。もし長く退かなければ、齊がまた乗じてくるだろう、国が危うくなる。」
  • そこで子の范鞅に斐豹を率いる一軍を伴わせ、南関から北門に転じて外から攻めさせ、時刻を定めて韓氏兄弟の守る関と申し合わせた。荀吳には牟剛を率いて一隊とし、内関から外関へ殺って出させ、内外挟撃して、相手が両方から手が回らぬようにした。
  • 趙武・魏舒には兵を移して関外に屯させ、南方への逃走を防がせた。
  • 手配が済むと、晉侯を奉じて台に登り、戦を観た。
  • 范鞅は出発前、匄に請うて言った。「鞅は年若く軽んじられがちです、どうか中軍の軍旗と太鼓をお貸しください。」匄はこれを許した。
  • 鞅は剣を仗じて車に乗り、旗を立てて進んだ。南関を出るとすぐ、部下に言った。「今日の戦い、進むことはあっても退くことはない。もし兵が敗れれば、私が真っ先に自ら首を刎ねる、諸君を独り死なせはしない。」皆奮い立った。

荀吳の反撃と欒樂の死

  • さて荀吳は范匄の令を受け、将士に十分に食事を取らせ、態勢を整えさせ、ひたすら時を待った。
  • 欒兵が慌ただしく外関から退くのを見て、外の兵がすでに到着したと察し、一声太鼓が鳴ると関門が大きく開かれ、牟剛が先頭、荀吳が後に続き、甲冑を着けた武装兵も徒歩の雑兵も一斉に殺って出た。
  • 欒盈は晉軍が内外から挟撃してくるのを恐れ、欒魴に鉄板を張った車を使って外門の入口を塞がせ、兵を分けて守らせた。荀吳の兵は外へ出られなかった。
  • 范鞅の兵が到着すると、欒氏は大きな旗を見て驚いて言った。「元帥自らお出ましか。」人を遣わして探らせると「小将軍范鞅です」との報告があった。
  • 欒樂は言った。「恐れるに足りない。」弓矢を手に車中に立ち、左右に顧みて言った。「縄を多く用意せよ、射倒した者は縄をかけて引いて来い。」
  • 晉軍に馳せ入り、左右に射て、命中しないことはなかった。
  • その弟欒榮が同じ車にいて言った。「矢はもったいない、無駄に射るのはよくない。」欒樂はそこで射るのをやめた。
  • しばらくして、一台の車が遠くからやって来るのを望むと、車の中に一人の将、韋の弁に練り絹の袍という姿かたちの奇怪な者がいた。欒榮が指さして言った。「あれは斐豹という者です、あの督将軍を殺した者です、射てもよいでしょう。」
  • 欒樂は言った。「百歩まで近づいたら私に喝采してくれ。」
  • 言い終わらぬうちに、また一台の車が脇を通り過ぎた。欒樂はそれが小将軍范鞅であると見て取り、考えた。「もし范鞅を射止められれば、斐豹に勝るではないか。」
  • そこで車を駆り、范鞅を追って射た。欒樂の矢は元来百発百中であったが、この一矢だけは的を外れた。
  • 范鞅は振り返って欒樂だと見て、大いに罵った。「反賊め、死が頭上にあるというのに、まだ我を射るつもりか。」
  • 欒樂は車を返して退いた。彼は范鞅を恐れたのではなく、射損じたために、逃げる振りをして誘い出し、じっくり狙って射ようとしたのであった。
  • ところが殖綽・郭最もまた軍中にいて、欒樂の射の巧みさを妬み、その功を恐れていた。彼が退くのを見ると、大声で叫んだ。「欒樂は敗れたぞ。」
  • 御者はこれを聞き、他の隊が敗れたのだと誤って思い込み、頭をめぐらして四方を見るうちに、手綱が乱れて馬が暴走した。道に大きな槐の根があり、車輪がこれに誤って触れて転覆し、欒樂は投げ出された。
  • ちょうどそこへ斐豹が追いつき、長戟でこれを引っかけ、その腕を肘から断ち切った。哀れ欒樂は欒氏一族第一の戦将でありながら、今日槐の根の傍らで死ぬこととなった、これも天命であろうか。
  • (詩:猿の腕のような弓の名手、欒樂の矢は空を切ったことがなかったのに、偏ってこの一矢だけが英雄を誤らせた、天がすでに欒家の祭祀を絶とうとしていたのなら、軍中で大功を立てさせるはずもなかろうと詠う)

欒盈らの敗走

  • 欒榮は先に車から跳び降りたが、あえて欒樂を救おうとせず、急いで逃げて命拾いした。
  • 殖綽・郭最は齊国へは帰れず、郭最は秦へ、殖綽は衛へと逃げた。
  • 欒盈は欒樂の死を聞き、声を放って泣き、兵士も哀しみの涙を流さぬ者はなかった。
  • 欒魴は門口を守りきれず、兵を収めて欒盈を守り、南へ向かって逃げた。
  • 荀吳と范鞅は兵を合わせ、後を追い、盈・魴は曲沃の衆とともに死力を尽くして防ぎ、激しい戦いの末、晉兵はようやく退いた。
  • 盈・魴もまた重傷を負い、南門まで来ると、また魏舒が兵を率いて行く手を遮っていた。
  • 欒盈は涙ながらに訴えた。「魏伯よ、まさか下軍で共に働いた日々をお忘れではありますまい。盈は死を免れぬと知っておりますが、しかし魏伯の手にかかって死ぬべきではございますまい。」
  • 魏舒は心中忍びなく思い、兵車と歩兵を左右に分けて欒盈に一筋の道を譲った。
  • 欒盈・欒魴は残兵を率いて、急いで曲沃へと逃げ帰った。
  • しばらくして、趙武の軍が到着し、魏舒に問うた。「欒孺子はすでに通り過ぎたのに、なぜ追わなかったのか。」
  • 魏舒は言った。「彼はもう釜の中の魚、甕の中の鱉のようなもの、自ずと料理人が手を下すでしょう。舒は亡き父祖同士が同僚であったよしみを思い、まことに手を下すには忍びなかったのです。」
  • 趙武は心中悲しみを覚え、それ以上追撃しなかった。
  • 范匄は欒盈がすでに去ったと聞き、魏舒が人情をかけたことを知ったが、あえて言わなかった。
  • そこで范鞅に言った。「盈に従っている者は、みな曲沃の甲士だ。今回はきっと曲沃へ戻るだろう。彼の腹心の武将はもはや尽き果てた、お前は一軍を率いてこれを囲め、落とせぬはずがない。」
  • 荀吳もまた同行を願い出て、范匄はこれを許した。二将は戦車三百乗を率いて曲沃で欒盈を包囲した。
  • 范匄は晉平公を奉じて再び君主の宮殿に戻り、丹書を焼き捨て、斐豹の功によって奴隷の身分台帳から脱した者は二十余家に及んだ。范匄はそのまま斐豹を牙将として召し抱えた。

齊莊公の朝歌侵攻

  • 話を分けて、齊莊公は欒盈を送り出した後、大いに車馬を選び、王孫揮を大将、申鮮虞を副将とし、州綽・邢蒯を先鋒、晏氂を殿として、賈舉・邴師らを側近として随行させ、吉日を選んで出師した。
  • まず衛の地を侵したが、衛人は守りを固め、戦いには出なかった。齊軍も城を攻めず、そのまま帝邱に向けて北上し、まっすぐ晉の国境を犯し、朝歌を包囲し、三日でこれを陥落させた。
  • 莊公は朝陽山に登り軍をねぎらった。
  • そして軍を二隊に分けた。王孫揮以下の諸将は前隊として左の孟門隘から進み、莊公自ら「龍」「虎」二爵を率いて後隊とし、右の共山から進み、いずれも太行山で合流する予定であった。
  • 一路殺戮と略奪を働いたことは言うまでもない。
  • 邢蒯は共山の麓で野宿していたところ毒蛇に咬まれ、腹が腫れて死んだ。莊公はこれをたいへん惜しんだ。
  • 数日ならずして両軍は太行山に至り、莊公は山に登って晉の二つの絳(故絳と新絳)を望み、まさに絳を襲う計を議していた。
  • 欒盈が敗れて曲沃に逃げ帰り、晉侯が全軍を挙げて向かってくると聞き、莊公は言った。「わが志は遂げられなかったな。」
  • そこで少水で軍を並べて晉に武威を示しただけで引き上げた。
  • 邯鄲を守る大夫趙勝は、自らの邑の兵を興してこれを追撃した。莊公はてっきり大軍が到着したと思い、しかも前隊はすでに先に出発していたため、慌てふためいて逃げ、ただ晏氂だけを殿に残した。氂の軍は敗れ、趙勝に斬られた。

欒盈の滅族

  • 范鞅と荀吳は、一月余り曲沃を包囲した。盈らはたびたび戦っても勝てず、城中の死者は半数を超え、力尽きて守りきれなくなり、城はついに破れた。
  • 胥午は剣に伏して死んだ。欒盈・欒榮はともに捕らえられた。
  • 盈は言った。「私は辛俞の言を用いなかったことを悔いる、このような結果になろうとは。」
  • 荀吳は欒盈を囚人として絳城に解送しようとしたが、范鞅は言った。「主公は優柔不断であらせられます。万一哀願を聞き入れてお赦しになれば、これは仇を放すことになります。」
  • そこで夜のうちに人を遣わして欒盈を縊り殺し、あわせて欒榮も殺し、欒氏の一族をことごとく滅ぼした。ただ欒魴だけは城壁を縄で下りて逃げ、宋国へ出奔した。
  • 鞅らは軍を返して復命し、平公は欒氏の顛末を諸侯に布告させた。諸侯の多くが使者を遣わして祝賀の意を表した。
  • 史臣は讃を詠んでいる。
  • (詩:欒賓は桓叔の傅となり、欒枝は文公を輔け、盾・書と続いて代々国の柱石であったが、黶が驕り贅沢に流れてその勲功を失墜させ、盈は士を好みながらもその身を滅ぼした、家を保つには道がある、これを子孫の戒めとせよと詠う)
  • こうして范匄は隠退を告げ、趙武がこれに代わって国政を執った。この話はここまでとする。

齊莊公の莒侵攻計画と華周・杞梁

  • さて齊莊公は、晉を伐って功を成し遂げなかったことで、勇壮な心が収まらず、齊の国境まで戻っても入らずに言った。「平陰の役で、莒人は自国の方面から齊を襲おうとした、この仇も報いずにはおけぬ。」
  • そこで国境に留まって大いに車兵を選抜した。州綽・賈舉らはそれぞれ堅牢な車五乗を賜り、「五乗の賓」と称された。
  • 賈舉は臨淄の人、華周・杞梁の勇を称え、莊公はすぐに人を遣わして彼らを召した。
  • 周・梁の二人が謁見すると、莊公は一台の車を賜り、同乗させて軍に従わせ、功を立てさせようとした。
  • 華周は退いて食事も取らず、杞梁に言った。「主君が『五乗の賓』を立てられたのは、勇によるものだ。主君が我ら二人を召されたのも、また勇によるものだろう。あちらは一人に五乗を与えられるのに、我らは二人で一乗だ。これは我らを用いるのではなく、我らを辱めるものではないか。辞退して他へ行こうではないか。」
  • 杞梁は言った。「梁の家には老母がいる、命をうかがってから行こう。」
  • 杞梁は帰って母に告げた。母は言った。「お前が生きて義もなく、死んで名もなければ、たとえ『五乗の賓』にあろうと、人は誰もお前を笑うだろう。励め、君命は逃れられぬぞ。」
  • 梁は母の言葉を華周に伝えた。華周は言った。「婦人ですら君命を忘れない、私があえて忘れられようか。」
  • そこで杞梁と共に車に乗り、莊公に侍した。
  • 莊公は数日兵を休ませ、令を伝えて王孫揮に大軍を国境に留めて屯させ、ただ「五乗の賓」と選抜した精鋭三千のみを率い、枚を含ませ鼓を伏せて、莒国を襲おうとした。
  • 華周・杞梁は自ら前隊を願い出た。
  • 莊公は問うた。「そなたたちはどれほどの甲士と兵車を用いるつもりか。」
  • 華周・杞梁は言った。「臣ら二人は単身で君にお目にかかりました、また単身で参ることを願います。君が賜った一台の車、それだけで十分でございます。」
  • 莊公はその勇を試そうと、笑って許した。
  • 華周・杞梁は交代で御者を務めることを約束し、出発の際に言った。「もう一人、戎右(車右)を得られれば、一隊に匹敵できよう。」
  • 一人の小卒が進み出て言った。「わたくしがお二方の将軍にお供したいのですが、お連れいただけますでしょうか。」
  • 華周は言った。「そなたの姓名は。」
  • 小卒は答えた。「某は本国の人、隰侯重と申します。お二方の将軍の義勇を慕い、それで喜んでお供したく存じます。」
  • 三人はそのまま一乗に同乗し、一旗一鼓を立てて、風のように馳せ去った。

莒への奇襲と隰侯重の死

  • まず莒の郊外に至り、一夜露宿した。翌朝早く、莒の黎比公は齊軍が来ると知り、自ら甲士三百人を率いて郊を巡回していたところ、華周・杞梁の車に出会い、まさに問い質そうとした。
  • 周・梁は目をいからせて大声で言った。「我ら二人は齊の将である、誰があえて我らと決闘するか。」
  • 黎比公は驚き、車一台だけで従者がいないのを見て取り、甲士に幾重にも包囲させた。
  • 周・梁は隰侯重に言った。「お前は我らのために鼓を打ち続けよ。」そしてそれぞれ長戟を手に、車から跳び降り、左右に突き進み、行き当たる者ごとに倒し、三百の甲士のうち半数が殺傷された。
  • 黎比公は言った。「寡人はすでに二将軍の勇を知った、死力を尽くして戦う必要はない、莒国を分けて将軍らと共にしたい。」
  • 周・梁は声を合わせて答えた。「国を去って敵に帰するのは忠ではない。命を受けてこれを棄てるのは信ではない。深く敵地に入って多く殺すのが将たる者の務め、莒国の利益がどうかは、臣の知るところではない。」
  • 言い終えると再び戟を振るって戦った。
  • 黎比公は当たることができず、大敗して逃げた。
  • 齊莊公の大軍がすでに到着し、二将が独力で戦い勝ったと聞き、人を遣わして呼び戻させ、言った。「寡人はすでに二将軍の勇を知った、これ以上戦う必要はない、齊国を分けて将軍らと共にしよう。」
  • 周・梁は声を合わせて答えた。「主君が『五乗の賓』を立てられた際、我らはその中に入っておりません、これは我らの勇を軽んじられたということです。今また利をもって我らを釣ろうとされる、これは我らの行いを汚すことです。深く敵地に入って多く殺すのが将たる者の務め、齊国の利益がどうかは臣の知るところではありません。」
  • そして使者に一礼して立ち去らせ、車を捨てて徒歩で、まっすぐ且于門に迫った。
  • 黎比公は狭い道に溝を掘り炭を焼かせ、炭火が燃え盛って進めなくした。
  • 隰侯重は言った。「私は聞いたことがある、昔の士で名を後世に立てられた者は、命を捨てることを厭わなかったと。私はあなた方を溝を越えさせることができる。」
  • そこで盾を手に構えて自ら炭の上に伏せ、二人にこれを踏んで進ませた。
  • 華周・杞梁は溝を越えると、振り返って隰侯重を見ると、すでに焼け焦げていた。二人はこれに向かって号泣した。杞梁は涙を収めたが、華周はなおも泣き止まなかった。
  • 杞梁は言った。「お前は死を恐れているのか、なぜそんなに長く泣くのか。」
  • 華周は言った。「私が死を恐れる者であろうか。この人の勇は我らと同じでありながら、我らより先に死んだ、それが哀しいのだ。」

杞梁の戦死と華周の捕縛

  • 黎比公は二将がすでに火の溝を越えたのを見て、急いで弓の名手百人を呼び集め、門の左右に伏せ、近づくのを待って一斉に射させた。
  • 華周・杞梁はまっすぐ門を奪おうと進み、百本の矢が一斉に放たれ、二将は矢を冒して激戦し、さらに二十七人を殺した。
  • 城を守る兵士は城上をぐるりと取り巻いて並び立ち、みな矢をつがえて下の二将へ射下ろした。杞梁は重傷を負って先に死んだ。
  • 華周は身に数十本の矢を受け、力尽きて捕らえられた。息はまだ絶えておらず、黎比公はこれを城中に連れ帰った。
  • (詩:勇ましい「五乗の賓」を人は争って羨んだ、姿は熊や虎のごとく力は千鈞であったと、しかし誰が知ろうか敵陣に斬り込んで命を捧げたのは単車で義に殉じた者だったとは、と詠う)

莒との和議と杞梁の妻孟姜

  • さて齊莊公は使者の帰りの報告を受け、周・梁が必死の覚悟を抱いていたことを知り、そのまま大軍を進めた。
  • 且于門に至り、三人がすでに戦死したと聞いて大いに怒り、まさに城を攻めようとした。
  • 黎比公は使者を齊軍に遣わして謝罪させた。「わが君はただ一台の車を見ただけで、大国の遣わした者と知らず、それで誤って手を出してしまいました。しかも大国の死者は三人、わが国の殺された者はすでに百余人におよびます。彼らが自ら死を求めたのであり、わが国があえて兵を加えたわけではございません。わが君は齊侯の御威光を畏れ、特に下臣を遣わして百拝して謝罪し、毎年欠かさず齊に朝貢し、二心を抱かぬことを願っております。」
  • 莊公の怒気はなお盛んで、和議を許さなかった。
  • 黎比公はまた使者を遣わして懇願し、華周を送り返し、あわせて杞梁の遺骸を返し、さらに金や絹で軍をねぎらおうとした。莊公はなおも許さなかった。
  • 突然、王孫揮からの急報が届き、「晉侯が宋・魯・衛・鄭の各国の君主とともに夷儀で会し、齊国を伐つことを謀っております。主公には速やかに軍をお返しくださいますように」とあった。
  • 莊公はこの急報を受け、莒との和議を許した。
  • 莒の黎比公は大いに金や絹を献上し、横になって寝たまま乗れる温車に華周を乗せ、輦に杞梁の遺骸を乗せて、齊軍に送り返した。ただ隰侯重の遺骸だけは炭の中で灰燼と化しており、収めることができなかった。
  • 莊公はその日のうちに軍を返し、杞梁を齊の郊外に殯(もがり)するよう命じた。
  • 莊公が郊に入ったところで、ちょうど杞梁の妻、孟姜が夫の遺骸を出迎えに来ていた。莊公は車を止め、人を遣わして弔わせた。
  • 孟姜は使者に再拝して言った。「梁にもし罪があれば、どうして主君の弔いを辱くも受けられましょう。もし罪がなければ、なお先人の粗末な家がございます。郊は弔うべき場所ではございません、わたくしはあえて辞退致します。」
  • 莊公は大いに恥じ入って言った。「寡人の過ちであった。」そこで杞梁の家に弔問のための喪の席を設けて弔った。
  • 孟姜は夫の棺を捧げ持ち、城外に葬ろうとした。三日間野宿して棺を撫で大いに慟哭し、涙も尽き果て、ついには血を流した。齊の城壁が突然数尺陥没した。(これは哀しみの激しさ、その誠意が感応したものである。)
  • 後世に伝わる話では、秦人の范杞梁が長城の築造に人夫として徴発されて死に、その妻孟姜女が寒衣を送って城下に至り、夫の死を聞いて痛哭し、城がそのために崩れたというが、これはもとより齊の将、杞梁の事が誤り伝わったものである。
  • 華周は齊に帰ったが傷が重く、まもなく死んだ。その妻の哀しみもまた常人の倍であった。
  • 『孟子』に「華周・杞梁の妻は、夫を哭くのに巧みで国の風俗を変えた」とあるが、まさにこれを指す。
  • 史臣は詩を詠んでいる。
  • (詩:千年語り継がれる杞梁の忠勇、城を崩すほどの痛哭は尋常ではなかった、今に至るまで齊国の風俗となり、寡婦は哀しみをこめて孟姜の故事を学ぶと詠う)

大水による晉の齊討伐中止

  • これは周霊王二十二年の事である。この年大水があり、穀水と洛水がぶつかり合い、黄河もあふれて、平地の水深は一尺余りにも及んだ。晉侯の齊伐討の議はこうして中止となった。

崔杼・慶封の密約と賈豎の買収

  • さて齊の右卿崔杼は、莊公の淫乱を憎み、晉軍が伐ちに来ることを心待ちにし、大事を行おうとして、すでに左卿慶封と、事が成った暁には齊国を等分することを謀っていたが、大水で阻まれたと聞くと、心中鬱々とした。
  • 莊公の近侍に賈豎という者がいて、かつて小さな事で百回の鞭打ちを受けたことがあった。崔杼はその怨みを抱いていることを知り、重い賄賂で結び付け、莊公の一挙一動をすべて自分に報告させるようにした。
  • 崔杼がついにどんな事をしでかすことになるか、それは次回に語る。
原文(底本)
卻說范匄雖遣其子范鞅往迎魏舒,未知逆順如何,心中委決不下。親自登城而望,見一簇車徒,自西北方疾驅而至,其子與魏舒同在一車之上,喜曰:「欒氏孤矣!」即開宮門納之。魏舒與范匄相見,兀自顏色不定。匄執其手曰:「外人不諒,頗言將軍有私於欒氏,匄固知將軍之不然也。若能共滅欒氏者,當以曲沃相勞。」舒此時已落范氏牢籠之內,只得唯唯惟命,遂同謁平公,共商議應敵之計。須臾,趙武、荀吳、智朔、韓無忌、韓起、祁午、羊舌赤、羊舌肹、張孟趯諸臣,陸續而至,皆帶有車徒,軍勢益盛。固宮止有前後兩門,俱有重關。范匄使趙荀兩家之軍,協守南關二重,韓無忌兄弟,協守北關二重,祁午諸人,周圍巡儆。匄與鞅父子,不離平公左右。

  欒盈已入絳城,不見魏舒來迎,心內懷疑。乃屯於市口,使人哨探,回報:「晉侯已往固宮,百官皆從,魏氏亦去矣。」欒盈大怒曰:「舒欺我,若相見,當手刃之!」即撫督戎之背曰:「用心往攻固宮,富貴與子共也!」督戎曰:「戎願分兵一半,獨攻南關,恩主率諸將攻北關,且看誰人先入?」此時殖綽郭最,雖則與盈同事,然州綽邢蒯卻是欒盈帶往齊國去的,齊侯作興了他,綽最每受其奚落,俗語云:「怪樹怪丫叉」,綽最與州邢二將有些心病,原原本本,未免遷怒到欒盈身上。況欒盈口口聲聲只誇督戎之勇,並無俯仰綽最之意,綽最怎肯把熱氣去呵他冷面,也有坐觀成敗的意思,不肯十分出力。欒盈所靠,只是督戎一人。當下督戎手提雙戟,乘車逕往固宮,要取南關。在關外閱看形勢,一馳一驟,威風凜凜,殺氣騰騰,分明似一位黑煞神下降。晉軍素聞其勇名,見之無不膽落。趙武嘖嘖嘆羨不已。武部下有兩員驍將,叫做解雍解肅,兄弟二人,皆使長槍,軍中有名。聞主將嘆羨,心中不伏曰:「督戎雖勇,非有三頭六臂,某弟兄不揣,欲引一枝兵下關,定要活捉那廝獻功!」趙武曰:「汝須仔細,不可輕敵。」二將裝束齊整,飛車出關,隔塹大叫:「來將是督將軍否?可惜你如此英勇,卻跟隨叛臣。早早歸順,猶可反禍為福。」督戎聞叫大怒,喝教軍士填塹而渡。軍士方負土運石,督戎性急,將雙戟按地,儘力一躍,早跳過塹北。二解倒吃了一驚,挺槍來戰督戎。督戎舞戟相迎,全無懼怯。解雍的駕馬,早被督戎一戟打去,折了背脊,車不能動。連解肅的駕馬,嘶鳴起來,也不行走。二解欺他單身,跳下車來步戰。督戎兩枝大戟,一左一右,使得呼呼的響。解肅一槍刺來,督戎一戟拉去﹔戟勢去重,磅的一聲,那枝槍鵞7為兩段。解肅撇了槍桿便走。解雍也著了忙,手中遲慢,被督戎一戟刺倒。便去追趕解肅。解肅善走,逕奔北關,縋城而上。督戎趕不著,退轉來要結果解雍,已被軍將救入關去了。督戎氣忿忿的,獨自挺戟而立,叫道:「有本事的,多著幾個出來,一總廝殺,省得費了工夫!」關上無人敢應。督戎守了一會,仍回本營,吩咐軍士,打點明日攻關。是夜解雍傷重而死,趙武痛惜不已。解肅曰:「明日小將再決一戰,誓報兄仇,雖死不恨!」荀吳曰:「我部下有老將牟登,他有二子,牟剛牟勁,但有千斤之力,見在晉侯麾下侍衛。今夜使牟登喚來,明日同解將軍出戰,三人戰一個,難道又輸與他?」趙武曰:「如此甚好!」荀吳自去吩咐牟登去了。

  次早,牟剛牟勁俱到。趙武看之,果然身材魁偉,氣象猙獰,慰勞了一番,命解肅一同下關。那邊督戎,早把坑塹填平,直逼關下搦戰。這裏三員猛將,開關而出。督戎大叫:「不怕死的都來!」三將並不打話,一枝長槍,兩柄大刀,一齊都奔督戎。督戎全無懼怯。殺得性起,跳下車來,將雙戟飛舞,儘著氣力,落戟去處,便有千鈞之重。牟勁車軸,被督戎打折,只得也跳下車來,著了督戎一戟,打得稀爛。牟剛大怒,拼命上前,怎奈戟風如箭,沒處進步。老將牟登,喝叫「且歇!」關上鳴起金來。牟登親自出關,接應牟剛解肅進去。督戎教軍士攻關,關上矢石如雨,軍士多有傷損,惟督戎不動分毫,真勇將也。趙武與荀吳連敗二陣,遣人告急於范匄。范匄曰:「一督戎勝他不得,安能平欒氏乎?」是夜秉燭而坐,悶悶不已。有一隸人侍側,叩首而問曰:「元帥心懷鬱鬱,莫非憂督戎否?」范匄視其人,姓斐名豹,原是屠岸賈手下饒將斐成之子,因坐屠黨,沒官為奴,在中軍服役。范匄奇其言,問曰:「爾若有計除得督戎,當有重賞。」斐豹曰:「小人名在丹書,枉有沖天之志,無處討個出身。元帥若於丹書上除去豹名,小人當殺督戎,以報厚德。」范匄曰:「爾若殺了督戎,吾當請於晉侯,將丹書盡行焚棄,收爾為中軍牙將。」斐豹曰:「元帥不可失信。」范匄曰:「若失信,有如紅日!但不知用車徒多少?」斐豹曰:「督戎向在絳城,與小人相識,時常角力賭勝。其人恃勇性躁,專好獨鬥,若以車徒往,不能勝也。小人情願單身下關,自有擒督戎之計。」范匄曰:「汝莫非去而不返?」斐豹曰:「小人有老母,今年七十八歲,又有幼子嬌妻,豈肯罪上加罪,作此不忠不孝之事?如有此等,亦如紅日!」范匄大喜,勞以酒食,賞兕甲一副。

  次日,斐豹穿甲於內,外加練袍,札縛停當。頭帶韋弁,足穿麻屨,腰藏利刃,手中提一銅鎚,重五十二斤,來辭范匄曰:「小人此去,殺得督戎,奏凱而回。不然,亦死於督戎之手,決不兩存。」范匄曰:「我當親往,看汝用力。」即時命駕車,使斐豹驂乘,同至南關。趙武荀吳接見,訴以督戎如此英雄,連折二將。范匄曰:「今日斐豹單身赴敵,只看晉侯福分。」言猶未已,關下督戎大呼搦戰。斐豹在關上呼曰:「督君還認得斐大否?」(豹行大,故自稱斐大,乃昔年彼此所呼也。)督戎曰:「斐大,汝今還敢來賭一死生麼?」斐豹曰:「他人怕你,我斐豹不怕你!你把兵車退後,我與你兩人,只在地下賭鬥,雙手對雙手,兵器對兵器,不是你死我活,就是我死你活,也落得個英名傳後。」督戎曰:「此論正合吾意。」遂將軍士約退。這裏關門開處,單單放一個斐豹出來。兩個就在關下交戰,約二十餘合,未分勝敗。斐豹詐言道:「我一時內急,可暫住手。」督戎那裏肯放。斐豹先瞧見西邊空處,有一帶短牆,捉個空隙就走。督戎隨後趕來,大喝:「走向那裏去?」范匄等在關上,看見督戎往追斐豹,慌捏一把汗。誰知斐豹卻是用計,奔近短牆,撲的跳將進去。督戎見斐豹進牆去了,亦踰牆而入。只道斐豹在前面,卻不知斐豹隱身在一棵大樹之下,專等督戎進牆,出其不意,提起五十二斤的銅鎚,自後擊之,正中其腦。腦漿迸裂,撲地便倒,兀自把右腳飛起,將斐豹胸前兕甲碾去一片。斐豹急拔出腰間利刃,剁下首級,復跳牆而出。關上望見斐豹手中提有血淋淋的人頭,已知得勝,大開關門。解肅牟剛引兵殺出,欒軍大敗,一半殺了,一半投降,逃去者十無一二。范匄仰天瀝酒曰:「此晉侯之福也!」即酌酒親賜斐豹,就帶他往見晉侯。晉侯賞以兵車一乘,注功績第一。潛淵先生有詩云:

    督戎神力世間無,敵手誰知出隸夫?始信用人須破格,笑他肉食似雕瓠!

  再說欒盈引大隊車馬,攻打北關,連接督戎捷報,盈謂其下曰:「吾若有兩督戎,何患固宮不破耶?」殖綽踐郭最之足,郭最以目答之,各低頭不語。惟有欒樂欒魴,思欲建功,不避矢石。韓無忌韓起,因前關屢敗,不敢輕出,只是嚴守。到第三日,欒盈得敗軍之報,言:「督戎被殺,全軍俱沒。」嚇得手足無措,方請殖綽郭最商議。綽最笑曰:「督戎且失利,況我曹乎?」欒盈垂淚不已。欒樂曰:「我等死生,決於今夜,當令將士畢聚北門,於三更之後,悉登轈車,放火燒關,或可入也。」欒盈從其計。晉侯喜督戎之死,置酒慶賀,韓無忌韓起俱來獻觴上壽,飲至二更方散。纔回北關,點視方畢,忽然車聲轟起,欒氏軍馬大集,轈車高與關齊,火箭飛蝗般射來,延燒關門。火勢凶猛,關內軍士,存札不牢,欒樂當先,欒魴繼之,乘勢遂占了外關。韓無忌等退守內關,遣人飛報中軍求救。范匄命魏舒往南關,替回荀吳一枝軍馬,往北關幫助二韓。遂同晉侯登臺北望,見欒兵屯於外關,寂然無聲,范匄曰:「此必有計。」傳令內關用心防禦。守至黃昏,欒兵復登轈車,仍用火器攻門。這裏預備下皮帳,帳用牛皮為之,以水浸透,撐開遮蔽,火不能入。亂了一夜,兩下暫息。范匄曰:「賊已逼近,儻久而不退,齊復乘之,國必殆矣。」遂命其子范鞅,率斐豹引一枝軍,從南關轉至北門,從外而攻,刻定時辰,約會二韓守關,荀吳率牟剛引一枝兵,從內關殺出外關,腹背夾攻,教他兩下不能相顧。使趙武魏舒,移兵屯於關外,以防南逸。調度已畢,奉晉侯登臺觀戰。范鞅臨行,請於匄曰:「鞅年少望輕,願假以中軍旗鼓。」匄許之。鞅仗劍登車,建施而行。方出南關,謂其下曰:「今日之戰,有進無退!若兵敗,吾先自剄,必不令諸君獨死!」眾皆踴躍。

  卻說荀吳奉范匄將令,使將士飽食結束,專等時候。只見欒兵紛紛擾擾,俱退出外關,心知外兵已到,一聲鼓響,關門大開,牟剛在前,荀吳在後,甲士步卒,一齊殺出。欒盈亦慮晉軍內外夾攻,使欒魴用鐵葉車,塞外門之口,分兵守之。荀吳之兵,不能出外。范鞅兵到,欒氏見大旆,驚曰:「元帥親至乎?」使人察之,回報曰:「小將軍范鞅也。」樂曰:「不足慮矣!」乃張弓挾矢,立於車中,顧左右曰:「多帶繩索,射倒者則牽之。」馳入晉軍,左射右射,發無不中。其弟欒榮同在車中,謂曰:「矢可惜也!多射無名。」樂乃不射。少頃,望見一車遠遠而來,車中一將,韋弁練袍,形容古怪。欒榮指曰:「此人名斐豹,即殺我督將軍者,可以射之。」欒樂曰:「俟近百步,汝當為我喝采!」言未畢,又一車從旁經過,欒樂認得車中乃是小將軍范鞅,想道:「若射得范鞅,卻不勝如斐豹?」乃驅車逐范鞅而射之。欒樂之箭,從來百發百中,偏是這一箭射個落空。范鞅回顧,見是欒樂,大罵:「反賊!死在頭上,尚敢射我?」欒樂便教回車退走。他不是怕懼范鞅,因射他不著,欲回車誘他趕來,覷得親切,好端的放箭。誰知殖綽郭最亦在軍中,忌欒樂善射,惟恐其成功,一見他退走,遂大呼曰:「欒樂敗矣!」御人聞呼,又錯認別枝兵敗了,舉頭四望,轡亂馬逸。路上有大槐根,車輪誤觸之而覆,把欒樂跌將出來。恰恰的斐豹趕到,用長戟鉤之,斷其手肘。可憐欒樂是欒族第一個戰將,今日死於槐根之側,豈非天哉!髯翁有詩云:

    猿臂將軍射不空,偏教一矢誤英雄。老天已絕欒家祀,肯許軍中建大功?

欒榮先跳下車,不敢來救欒樂,急逃而免。殖綽郭最難回齊國,郭最奔秦,殖綽奔衛。欒盈聞欒樂之死,放聲大哭,軍士無不哀涕。欒魴守不住門口,收兵保護欒盈,望南而奔。荀吳與范鞅合兵,從後追來,盈魴同曲沃之眾,抵死拒敵,大殺一場,晉兵纔退。盈魴亦身帶重傷,行至南門,又遇魏舒引兵攔住。欒盈垂淚告曰:「魏伯獨不憶下軍共事之日乎?盈知必死,然不應死於魏伯之手也!」魏舒意中不忍,使車徒分列左右,讓欒盈一路。欒盈欒魴引著殘兵,急急奔回曲沃去了。須臾,趙武軍到,問魏舒曰:「欒孺子已過,何不追之?」魏舒曰:「彼如釜中之魚,甕中之鱉,自有庖人動手。舒念先人僚誼,誠不忍操刀也!」趙武心中惻然,亦不行追趕。范匄聞欒盈已去,知魏舒做人情,置之不言。乃謂范鞅曰:「從盈者,皆曲沃之甲,此去必還曲沃。彼爪牙已盡,汝率一軍圍之,不憂不下也。」荀吳亦願同往,范匄許之。二將帥車三百乘,圍欒盈於曲沃。范匄奉晉平公復回公宮,取丹書焚之,因斐豹得脫隸籍者二十餘家。范匄遂收斐豹為牙將。

  話分兩頭。卻說齊莊公自打發欒盈轉身,便大選車徒,以王孫揮為大將,申鮮虞副之,州綽邢蒯為先鋒,晏氂為合後,賈舉邴師等隨身扈駕,擇吉出師。先侵衛地,衛人儆守,不敢出戰。齊兵也不攻城,遂望帝邱而北,直犯晉界,圍朝歌,三日取之。莊公登朝陽山犒軍。遂分軍為二隊:王孫揮同諸將為前隊,從左取路孟門隘﹔莊公自率「龍」「虎」二爵為後隊,從右取路共山﹔俱於太行山取齊。一路殺掠,自不必說。邢蒯露宿共山之下,為毒蛇所螫,腹腫而死。莊公甚惜之。不一日,兩軍俱至太行,莊公登山以望二絳,正議襲絳之事。聞欒盈敗走曲沃,晉侯悉起大軍將至,莊公曰:「吾志不遂矣!」遂觀兵於少水而還。守邯鄲大夫趙勝,起本邑之兵追之。莊公只道大軍來到,前隊又已先發,倉皇奔走,只留晏氂斷後。氂兵敗,被趙勝斬之。

  范鞅荀吳,圍曲沃月餘。盈等屢戰不勝,城中死者過半,力盡不能守,城遂破。胥午伏劍而死。欒盈欒榮俱被執。盈曰:「吾悔不用辛俞之言,乃至於此!」荀吳欲囚欒盈,解至絳城。范鞅曰:「主公優柔不斷,萬一乞哀而免之,是縱仇也。」乃夜使人縊殺之,并殺欒榮,盡誅滅欒氏之族。惟欒魴縋城而遁,出奔宋國去了。鞅等班師回奏,平公命以欒氏之事,播告於諸侯。諸侯多遣人來稱賀。史臣有贊云:

    賓傅桓叔,枝佐文君,傳盾及書,世為國楨。黶一汰侈,遂墜厥勳﹔盈雖好土,適殞其身。保家有道,以誡子孫。

於是范匄告老,趙武代之為政。不在話下。

  再說齊莊公以伐晉未竟其功,雄心不死,還至齊境,不肯入,曰:「平陰之役,莒人欲自其鄉襲齊,此仇亦不可不報也!」乃留屯於境上,大蒐車乘。州綽賈舉等,各賜堅車五乘,名為「五乘之賓」。賈舉稱臨淄人華周杞梁之勇,莊公即使人召之。周梁二人來見,莊公賜以一車,使之同乘,隨軍立功。華周退而不食,謂杞梁曰:「君之立『五乘之賓』,以勇故也。君之召我二人,亦以勇故也。彼一人而五乘,我二人而一乘,此非用我,乃辱我耳!盍辭之他往乎?」杞梁曰:「梁家有老母,當稟命而行之。」杞梁歸告其母。母曰:「汝生而無義,死而無名,雖在『五乘之賓』,人孰不笑汝!汝勉之,君命不可逃也。」梁以母之語述於華周。華周曰:「婦人不忘君命,吾敢忘乎?」遂與杞梁共車,侍於莊公。莊公休兵數日,傳令留王孫揮統大軍屯紮境上,單用「五乘之賓」及選銳三千,銜枚臥鼓,往襲莒國。華周杞梁自請為前隊。莊公問曰:「汝用甲乘幾何?」華周杞梁曰:「臣等二人,隻身謁君,亦願隻身前往。君所賜一車,已足吾乘矣。」莊公欲試其勇,笑而許之。華周杞梁約更番為御,臨行曰:「更得一人為戎右,可當一隊矣。」有小卒挺身出曰:「小人願隨二位將軍一行,不知肯提挈否?」華周曰:「汝何姓名?」小卒對曰:「某乃本國人隰侯重也。慕二位將軍之義勇,是以樂從。」三人遂同一乘,建一旗一鼓,風馳而去。先到莒郊,露宿一夜。次早,莒黎比公知齊師將到,親率甲士三百人巡郊,遇華周杞梁之車,方欲盤問。周梁瞋目大呼曰:「我二人,乃齊將也,誰敢與我決鬥?」黎比公吃了一驚,察其單車無繼,使甲士重重圍之。周梁謂隰侯重曰:「汝為我擊鼓勿休!」乃各挺長戟,跳下車來,左右沖突,遇者輒死,三百甲士,被殺傷了一半。黎比公曰:「寡人已知二將軍之勇矣!不須死戰,願分莒國與將軍共之!」周梁同聲對曰:「去國歸敵,非忠也﹔受命而棄之,非信也。深入多殺者,為將之事,若莒國之利,非臣所知!」言畢,奮戟復戰。黎比公不能當,大敗而走。齊莊公大隊已到,聞知二將獨戰得勝,使人召之還,曰:「寡人已知二將軍之勇矣!不必更戰,願分齊國,與將軍共之!」周梁同聲對曰:「君立『五乘之賓』,而吾不與焉,是少吾勇也。又以利啖我,是污吾行也。深入多殺者,為將之事,若齊國之利,非臣所知!」乃揖去使者,棄車步行,直逼且于門。黎比公令人於狹道掘溝灸炭,炭火騰焰,不能進步。隰侯重曰:「吾聞古之士,能立名於後世者,惟捐生也。吾能使子踰溝。」乃仗楯自伏於炭上,令二子乘之而進。華周杞梁既踰溝,回顧隰侯重,已焦灼矣。乃向之而號。杞梁收淚,華周哭猶未止。杞梁曰:「汝畏死耶?何哭之久也?」華周曰:「我豈怕死者哉?此人之勇,與我同也,乃能先我而死,是以哀之!」黎比公見二將已越火溝,急召善射者百人,伏於門之左右,俟其近,即攢射之。華周梁直前奪門,百矢俱發,二將冒矢突戰,復殺二十七人。守城軍士,環立城上,皆注矢下射。杞梁重傷先死。華周身中數十箭,力盡被執。氣猶未絕,黎比公載歸城中。有詩為證:

    爭羨赳赳五乘賓,形如熊虎力千鈞。誰知陷陣捐軀者,卻是單車殉義人!

  卻說齊莊公得使者回信,知周梁有必死之心,遂引大隊前進。至且于門,聞三人俱已戰死,大怒,便欲攻城。黎比公遣使至齊軍中謝曰:「寡君徒見單車,不知為大國所遣,是以誤犯。且大國死者三人,敝邑被殺者已百餘人矣。彼自求死,非敝邑敢於加兵也。寡君畏君之威,特命下臣百拜謝罪,願歲歲朝齊,不敢有貳。」莊公怒氣方盛,不准行成。黎比公復遣使相求,欲送還華周,并歸杞梁之屍,且以金帛犒軍。莊公猶未許。忽傳王孫揮有急報至,言:「晉侯與宋、魯、衛、鄭各國之君,會於夷儀,謀伐齊國。請主公作速班師。」莊公得此急信,乃許莒成。莒黎比公大出金帛為獻,以溫車載華周,以輦載杞梁之屍,送歸齊軍。惟隰侯重屍在炭中,已化為灰燼,不能收拾。莊公即日班師,命將杞梁殯於齊郊之外。莊公方入郊,適遇杞梁之妻孟姜,來迎夫屍。莊公停車,使人弔之。孟姜對使者再拜曰:「梁若有罪,敢辱君弔?若其無罪,猶有先人之敝廬在。郊非弔所,下妾敢辭!」莊公大慙曰:「寡人之過也!」乃為位於杞梁之家而弔焉。孟姜奉夫棺,將窆於城外。乃露宿三日,撫棺大慟,涕淚俱盡,繼之以血。齊城忽然崩陷數尺,(由哀慟迫切,精誠之所感也。)後世傳秦人范杞梁差築長城而死,其妻孟姜女送寒衣至城下,聞夫死痛哭,城為之崩。蓋即齊將杞梁之事,而誤傳之耳。華周歸齊,傷重,未幾亦死。其妻哀慟,倍於常人。按《孟子》稱:「華周杞梁之妻,善哭其夫而變國俗。」正謂此也。史臣有詩云:

    忠勇千秋想杞梁,頹城悲慟亦非常。至今齊國成風俗,嫠婦哀哀學孟姜。

按此乃周靈王二十二年之事。是年大水,穀水與洛水鬥,黃河俱泛濫,平地水深尺餘。晉侯伐齊之議遂中止。

  卻說齊右卿崔杼惡莊公之淫亂,巴不得晉師來伐,欲行大事,已與左卿慶封商議事成之日,平分齊國,及聞水阻,心中鬱鬱。莊公有近侍賈豎,嘗以小事,受鞭一百,崔杼知其銜怨,乃以重賂結之,凡莊公一動一息,俱令相報。畢竟崔杼做出甚事來,再看下回分解。

訳文の誤りにお気づきの場合はお問い合わせからお知らせください。

© 好古刊行会