東周列國志第六十五回 斉の光を弑して崔・慶が権を専らにする/衛の衎を入れて甯喜が政を擅にする (弒齊光崔慶專權 納衞衎甯喜擅政)
莊公暗殺の準備
- さて周霊王二十三年、夏五月、莒の黎比公は毎年齊に朝貢することを約していたため、この月、自ら臨淄に赴いて齊に朝見した。
- 莊公は大いに喜び、北郭に宴を設けて黎比公をもてなした。
- 崔氏の邸宅は、ちょうど北郭にあった。崔杼は莊公の落ち度をつかもうと狙っており、寒気にあたり病であると偽って起きられぬふりをした。諸大夫はみな宴に侍したが、杼だけは行かず、密かに腹心を賈豎のもとに遣わして様子をうかがわせた。
- 豎は密かに報告した。「主公は宴が終わり次第、相国の病を見舞いにいらっしゃるとのことです。」
- 崔杼は笑って言った。「主君がどうしてわが病を気遣われようか。まさにわが病を利用して、恥知らずなことをしようというだけよ。」
- そこで妻の棠姜に言った。「私は今日この道に外れた愚かな君主を除こうと思う。そなたがもし私の計に従うなら、私はそなたの醜聞を表沙汰にせず、そなたの子を嫡嗣に立てよう。もし私の言に従わねば、まずそなた母子の首を斬る。」
- 棠姜は言った。「婦人は夫に従うものです。あなたのご命令に、どうして従わずにいられましょうか。」
- 崔杼は棠無咎に甲士百人を内室の左右に伏せさせ、崔成・崔疆に門の内側に甲士を伏せさせ、東郭偃に門の外側に甲士を伏せさせた。手配が済むと、鐘の音を合図とすることを申し合わせた。
- さらに人を遣わして賈豎に密書を送った。「主君がおいでになったら、このように取り計らってくれ……」
莊公の内室訪問と弑殺
- さて莊公は棠姜の美貌に心を奪われ、寝ても覚めても忘れられずにいたが、崔杼の警戒が厳しいため、頻繁に行き来することができなかった。
- この日、崔杼が病と称して宴に来ないと知り、まさに願ったり叶ったりで、心は棠姜のもとに飛んでいた。宴の作法は形ばかりに終わらせた。
- 事が終わると、車を駆って崔氏の邸へ見舞いに向かった。門番は偽って答えた。「病は甚だ重く、薬を服用してから臥せっておられます。」
- 莊公は言った。「どこに臥せっているのか。」
- 答えた。「外の寝室に臥せっております。」
- 莊公は大いに喜び、そのまま内室に入った。この時、州綽・賈舉・公孫傲・僂堙の四人が随行していた。
- 賈豎は言った。「主君のなさることは、あなた方もご存じの通り。しばらく外でお待ちください、うっかり中に入って相国を驚かせないよう。」
- 州綽らはこれを信じ込み、みな門の外に留まった。
- ただ賈舉だけは出ようとせず、「一人残しておいて何の害があろうか」と言い、独り堂の中に留まった。
- 賈豎は中門を閉じて入った。門番はまた大門を閉ざし、閂をかけて錠をおろした。
- 莊公が内室に至ると、棠姜は艶やかに装って出迎えた。まだ一言も交わさぬうちに、侍女が来て告げた。「相国が喉が渇いたと、蜂蜜湯を求めておられます。」
- 棠姜は言った。「妾が取りに参ります、すぐに参ります。」棠姜は侍女とともに脇の戸口からゆっくりと去って行った。
- 莊公は欄干にもたれてこれを待ったが、いくら待っても姿は見えなかった。そこで歌をうたった。
- (詩:部屋は奥ふかく、美しい人の遊ぶところ。部屋ははるかに深く、美しい人の逢うところ。その美しい人が見えぬとは、憂える心はどこまで果てるのか、と詠う)
- 歌い終わると、廊下から刀や戟の音が聞こえてきた。
- 莊公はいぶかしんで言った。「ここにどうして兵があるのか。」賈豎を呼んだが応答がなかった。
- まもなく左右から甲士が一斉に起きあがった。莊公は大いに驚き、事変であると悟り、急いで裏戸へ向かったが、戸はすでに閉ざされていた。莊公は力が強く、戸を破って外へ出、一つの楼に登った。
- 棠無咎は甲士を率いてその楼を囲み、声を張り上げ「相国の命を奉じ、姦淫者を捕らえる」とだけ叫んだ。
- 莊公は欄干越しに諭した。「私はそなたの君だ。どうか赦して去らせよ。」
- 無咎は言った。「相国のご命令です、私は勝手には決められません。」
- 莊公は言った。「相国はどこにいるのか。会って盟を結び、決して害さぬと誓おう。」
- 無咎は言った。「相国は病で来られません。」
- 莊公は言った。「寡人は罪を知った。太廟に行って自害させてもらいたい、それをもって相国への謝罪としたいがどうか。」
- 無咎はまた言った。「我らはただ姦淫の者を捕らえよと知るのみで、君のことは知りません。君がすでに罪を知られたなら、すぐに自ら処決なされませ、いたずらに恥をさらされますな。」
- 莊公はやむを得ず、楼の窓から跳び出し、花台に登り、塀を越えて逃げようとした。
- 無咎は弓を引いてこれを射、左股に命中し、塀から転がり落ちた。甲士が一斉に群がり、莊公を刺し殺した。
- 無咎はただちに人を遣わして鐘を数回鳴らさせた。
賈舉らの死闘
- 時は黄昏に近く、賈舉は堂の中で耳を澄ませていると、賈豎が門を開けて灯りを手に出てきて言った。「部屋に賊がいます、主公が呼んでおられます。あなたが先にお入りください、私は州将軍らに報告して参ります。」
- 賈舉は言った。「灯りをよこせ。」賈豎が灯りを渡すと、手を滑らせて落とし、灯りは消えた。
- 舉は剣を手に執って手探りで進み、中門に入ったところで縄に絡まって倒れた。崔疆が門の脇から突然現れ、これを撃ち殺した。
- 州綽らは門の外にいて、門内の事は知らなかった。東郭偃は好誼を結ぶ振りをして、脇の部屋に誘い、灯りをともし酒肉を用意し、剣を外して楽しく酒を飲むよう勧め、従者にもあまねく飲ませた。
- 突然邸内で鐘が鳴るのが聞こえ、東郭偃は言った。「主公は酒を召し上がっておられる。」
- 州綽は言った。「相国を憚らないのか。」
- 偃は言った。「相国は重病だ、誰が憚ろうか。」
- しばらくして鐘がまた鳴ると、偃は立ち上がり言った。「私は様子を見てまいります。」偃が去ると、甲士が一斉に起き上がった。
- 州綽らは急いで武器を整えようとしたが、先に東郭偃が人を遣わして盗んでいた。州綽は大いに怒り、門前に車の乗り降りに使う踏み台石があるのを見て、これを引き裂き投げつけた。ちょうど僂堙がそこを通りかかり、誤って堙に当たり、その片足を折った。堙は恐れて逃げた。
- 公孫傲は繋ぎ馬の柱を引き抜いて振り回し、甲士の多くを傷つけた。人々が松明でこれを攻めると、髭も髪もすっかり燃えてしまった。
- この時、大門が突然開き、崔成・崔疆がまた甲を率いて内側から出てきた。公孫傲は手で崔成をつかんで引き寄せ、その腕を折ったが、崔疆が長戈で傲を刺し、傲はその場で即死した。あわせて僂堙も殺された。
- 州綽は甲士から戟を奪い、再び戦おうとしたが、東郭偃が大声で叫んだ。「愚かな君主は姦淫無道であり、すでに誅戮された。汝らには関わりのないことだ、なぜ身を留めて新主に仕えぬのか。」
- 州綽は戟を地に投げ捨てて言った。「私は他国から流れ着いた身の上ながら、齊侯の知遇を受けた。今日それに力を尽くせず、かえって僂堙を害してしまった、これも天意であろう。ただ一命を捧げて君の寵愛に報いるべきである、どうしておめおめと生き延び、齊と晉両国の笑いものとなろうか。」
- そのまま頭を石垣に三、四度打ちつけ、石は砕け頭も裂けた。
- 邴師は莊公の死を聞き、朝門の外で自ら首をかき切った。封具は自宅で首を吊った。鐸父と襄尹は互いに約束し、莊公の遺骸を弔いに行こうとしたが、途中で賈舉らがみな死んだことを聞き、いずれも自殺した。
- 髯翁の詩がある。
- (詩:虎や龍のごとき絶倫の勇者たちが、君の寵を懐って命を塵のように軽んじたと詠い、私恩は私恩でしか報いられず、殉難した者に真の大臣はいなかったのだと評す)
王何・盧蒲癸の逃亡
- 時に王何は盧蒲癸を誘って共に死のうとしたが、癸は言った。「無益だ、むしろ逃げて後の機会を待とう。幸いどちらか一人でも国に戻れたなら、必ず相手を引き入れることにしよう。」
- 王何は言った。「誓いを立てよう。」誓いを立て終えると、王何はそのまま莒国へ出奔した。
- 盧蒲癸は出発するにあたり、弟の盧蒲嫳に言った。「主君が勇爵を立てられたのは、ご自身を守るためであった。主君と共に死んでも、主君に何の益があろうか。私が去るから、そなたは必ず崔・慶に仕える機会を求め、私を呼び戻せ。私はそれによって主君の仇を報いよう。そうすれば、たとえ死んでも無駄ではない。」
- 嫳はこれを承諾した。癸は晉国へ出奔した。
- 盧蒲嫳はそのまま慶封に仕えることを求め、慶封は家臣として用いた。
- 申鮮虞は楚へ出奔し、後に楚に仕えて右尹となった。
晏嬰の弔哭と景公の擁立、崔慶の専権
- 時に齊国の諸大夫は崔氏の乱を聞き、みな門を閉ざして様子見をし、あえて訪れようとする者はなかった。ただ晏嬰だけは崔氏の邸に直接赴き、その部屋に入って莊公の腿を枕にして声を放って大いに泣いた。立ち上がると、また三度足を踏み鳴らし、それから急いで立ち去った。
- 棠無咎は言った。「必ず晏嬰を殺すべきです、さもなければ衆人の謗りを免れられません。」
- 崔杼は言った。「この人には賢者の名がある、殺せば人心を失う恐れがある。」
- 晏嬰はそのまま家に帰り、陳須無に告げた。「そろそろ君を立てることを議すべきではないか。」
- 須無は言った。「守りには高氏・国氏があり、権力は崔氏・慶氏の手にある、須無に何ができようか。」
- 嬰は退いた。須無は言った。「乱賊が朝廷にいる、共に事にあたるべきではない。」車を駆って宋へ出奔した。
- 晏嬰はまた高止・国夏を訪ねたが、みな言った。「崔氏の勢いはこれから来る、しかも慶氏がいる、我らにできることではない。」嬰は嘆息して去った。
- まもなく慶封はその子の慶舍に莊公の残党を捜索させ、殺し追い払いほとんど尽くした。
- 車で崔杼を迎えて朝廷に入れ、それから高氏・国氏を召して、共に君を立てる事を議した。
- 高氏・国氏は崔・慶に譲り、慶封はまた崔杼に譲った。
- 崔杼は言った。「靈公の子、杵臼はすでに長じている、その母は魯の大夫叔孫僑如の娘だ、これを立てれば魯との誼を結べる。」
- 人々はみな唯々諾々と従った。
- こうして公子杵臼を迎えて君に立てた。これが景公である。
- 時に景公はまだ幼く、崔杼は自ら右相となり、慶封を左相とした。
- 太公の廟で群臣に盟約させ、犠牲を割いて血をすすって盟わせ、その衆に誓わせた。「諸君、崔・慶と同心せざる者があれば、かの日輪を証とせん(違えば神罰を受けよう)。」
- 慶封もこれに続け、高氏・国氏もその誓いに従った。
- 晏嬰の番になると、嬰は天を仰いで嘆じて言った。「諸君がよく君に忠を尽くし、社稷に利すること、それに嬰が同心せぬなら、かの上帝を証とせん(違えば神罰を受けよう)。」
- 崔・慶はともに色を変えた。
- 高氏・国氏は言った。「二相の今日の挙は、まさに君に忠を尽くし社稷に利する事です。」崔・慶はこれで機嫌を直した。
- 時に莒の黎比公はまだ齊国にいた。崔・慶は景公と黎比公に盟をさせ、黎比公はそこで莒へ帰った。
- 崔杼は棠無咎に州綽・賈舉らの遺骸を収めさせ、莊公と共に北郭に葬らせたが、その礼数を減じ、武器や甲冑を副葬しなかった。「彼らの武勇をあの世で振るわせては困る」と言ってのことであった。
太史の直筆と崔杼の処置
- 崔杼は太史伯に、熱病で莊公が死んだと記録させようとしたが、太史伯はこれに従わず、簡に書いた。「夏五月乙亥、崔杼其の君光を弑す。」
- 杼はこれを見て大いに怒り、太史を殺した。太史には三人の弟がいた、仲・叔・季という。
- 仲がまた前の通りに書いたので、杼はまたこれを殺した。叔もまた同じように書いたので、杼はまた殺した。
- 季がまた書くと、杼はその簡を執って季に言った。「お前の三人の兄はみな死んだ、お前一人は命を惜しくないのか。もし言葉を改めるなら、お前は赦してやろう。」
- 季は答えた。「事実に基づき直筆で書くのが史官の職分です。職を失って生きるより、死んだ方がましです。昔、趙穿が晉靈公を弑した時、太史董狐は、趙盾がその時正卿の位にありながら賊を討たなかったことをもって、『趙盾其の君夷皋を弑す』と書きました。盾はこれを咎めだてせず、史官の職を廃してはならぬと分かっていたのです。某がもしこれを書かなくとも、天下には必ずこれを書く者が現れましょう。書かねば相国の醜聞を隠すには足りず、かえって識者の笑いを招くばかりです。某はそれゆえ死を惜しみません、どうか相国の裁定に委ねます。」
- 崔杼は嘆じて言った。「私は社稷が滅びることを恐れ、やむを得ずこうしたのだ。たとえ直筆に書かれても、人は必ず私を諒察するであろう。」そこで簡を季に投げ返した。
- 季は簡を捧げて外に出て、史館に至ろうとしたところで、ちょうど南史氏がやって来るのに出会った。季がその理由を問うと、南史氏は言った。「そなたたち兄弟がみな死んだと聞き、夏五月乙亥の事が隠されてしまうことを恐れた、それで私は簡を持って参ったのだ。」
- 季はすでに書いた簡をこれに見せると、南史氏はそのまま辞去した。
- 髯翁(作者)はこの史書のくだりを読み、讃を詠んでいる。
- (詩:朝廷の綱紀が乱れ、逆臣が相次いだが、斧鉞では罰せずとも、筆をもってこれを誅した。史官は死を畏れず、ただ職責を怠ることを畏れた、南史氏もまた同心であり、志を貫いて欠けることがなかった。青天白日のもと、奸雄も魂を奪われる、それに比べれば阿諛の言葉など、この史冊にとって恥辱でしかないと詠う)
- 崔杼は太史の筆を恥じ、賈豎に罪を着せて殺した。
晉との和議
- この月、晉平公は水勢がすでに退いたことをもって、再び諸侯を夷儀に大いに合わせ、齊を伐つ挙に出ようとした。
- 崔杼は左相慶封に莊公の死を晉軍に告げさせ、言わせた。「群臣は大国の誅を恐れ、社稷が保てぬことを恐れ、すでに大国に代わって討伐を行いました。新君杵臼は魯の姫姓の出でございます、大国にお仕えすることを改めて願い、旧好を絶やさぬようにと存じます。奪い取った朝歌の地は、大国にすべてお返し致します、さらに祖廟の祭器・楽器を若干献上致します。」
- 諸侯にもみな贈り物があった。平公は大いに喜び、兵を引き上げ、諸侯もそれぞれ解散した。これより晉と齊は再び和した。
- 時に殖綽は衛にいて、州綽・邢蒯がともに死んだと聞き、また齊国に戻った。衛獻公衎は齊に亡命していたが、日頃殖綽の勇を聞いていたので、公孫丁に厚い贈り物をもって招かせ、綽はそのまま留まり獻公に仕えることとなった。この事はここでいったん脇に置く。
呉王諸樊の死
- この年、呉王諸樊は楚を伐ち、巣を通過してその門を攻めた。巣の将、牛臣が短い塀に身を隠してこれを射、諸樊は矢に当たって死んだ。
- 群臣は壽夢が臨終に残した戒めを守り、諸樊の弟の餘祭を王に立てた。
- 餘祭は言った。「わが兄は巣で死んだのではない、先王の言葉に従い、国は順に伝わるべきものだから、速やかに死んで季弟に伝えようと、命を軽んじたのだ。」
- そこで夜に天に祈り、自らも速やかに死ぬことを求めた。
- 左右の者が言った。「人が求めるものは、長寿でございます。王が自ら早い死を祈られるとは、人情から遠くはございませんか。」
- 餘祭は言った。「昔、我らの先祖太王は、長子を廃して幼子を立て、ついに大業を成した。今、我ら兄弟四人は順に王位を継いでいくが、もしみな天寿を全うすれば、札(季札)はもう老いてしまう。それゆえ我は速やかにと願うのだ。」
- この話はここでいったん脇に置く。
衛の孫氏・寧氏と復位計画
- さて衛の大夫孫林父と寧殖は、その君の衎(獻公)を追放し、弟の剽を君に立てた。その後、寧殖は病が重くなり、子の寧喜を召して言った。「寧氏は先祖の寧莊子・寧武子以来、代々忠貞であり続けてきた。故君を追放した事は、孫子(孫林父)が行ったことで、私の本意ではない。それなのに人はみな『孫寧』と並び称する。私はこれを自ら明らかにする術がなく、死んでも先祖にあの世で顔向けできぬ。お前が故君を復位させることができれば、私の過ちも償われよう、それでこそ私の子と言える。さもなくば、私はお前の祭祀を受けぬぞ。」
- 喜は泣いて拝して言った。「あえて努めぬはずがございましょうか。」
- 殖が死ぬと、喜は跡を継いで左相となり、これより日々故君の復位を心に念じるようになった。
- しかし殤公の剽はたびたび諸侯の会に赴き、国内も無事であり、上卿の孫林父もまた獻公衎の元来の仇敵であるため、つけいる隙がなかった。
- 周霊王二十四年、衛獻公は夷儀を襲ってそこに拠り、公孫丁を密かに帝邱城に入らせ、寧喜に言わせた。「そなたが父の意を翻し、寡人を復位させてくれるなら、衛国の政治はすべてそなたに委ねよう、寡人はただ祭祀を主るだけでよい。」
- 寧喜はかねてより遺言が心にあったので、この知らせを得て、しかも政治を委ねるとの言葉もあり、喜びを抑えられなかった。
- しかしまた考えた。「衛侯はさしあたり復位を求めたいばかりに、甘言で誘っているだけかもしれない、もし帰国後に翻せばどうしよう。公子鱄は賢く信義がある、彼を証人として得られれば、後日必ず裏切られることはあるまい。」
- そこで返書をしたため、密かに使者に託した。書中にはおおよそこう記されていた。「これは国家の大事、臣喜一人でどうして独力で引き受けられましょう。子鮮は国人が信頼する人、必ず彼をこちらに来させ面会させ話し合わねば。」(子鮮とは公子鱄の字である。)
- 獻公は公子鱄に言った。「寡人の復位はすべて寧氏によるものだ、わが弟は必ず一度行ってくれ。」
- 子鱄は口では承知したものの、まったく行く気配を見せなかった。獻公がしきりに促すと、鱄は答えた。「天下に政のない君はおりません。君は『政治は寧氏に委ねる』と仰いましたが、いずれ必ずそれを悔やまれましょう。それでは鱄が寧氏に対して信を失うことになります、鱄が命を奉じられぬ理由はそこにございます。」
- 獻公は言った。「寡人は今、一隅に身を潜め、それでも政治などない。もし先人の祭祀が子孫に伝われば、寡人の願いは足りる、どうして約束を違えて弟に累を及ぼそうか。」
- 鱄は答えた。「君の意がすでに決まっている以上、鱄がどうして事を避け、君の大功を成し損なわせられましょうか。」
- そこで密かに帝邱城に入り、寧喜に会って、獻公の約束を改めて申し伝えた。
- 寧喜は言った。「子鮮がその言葉を保証できるなら、喜がどうしてその事を引き受けずにいられましょうか。」
- 鱄は天に誓って言った。「鱄がもしこの言葉に背けば、衛の粟を食むことができぬようになろう。」
- 喜は言った。「子鮮の誓い、泰山より重うございます。」
- 公子鱄は復命に獻公のもとへ戻った。
- 寧喜は殖の遺命を蘧瑗に告げた。瑗は耳を塞いで逃げるように言った。「瑗は君の出奔に関与しなかった、どうして今、その入国に関与できようか。」そのまま衛を去って魯へ向かった。
- 喜はまた大夫の石惡・北宮遺に告げると、二人ともこれに賛成した。
- 喜はまた右宰穀に告げると、穀はしきりに言った。「いけません、いけません。新君が立ってから、すでに十二年、まだ失徳はございません。今、故君の復位を謀れば、必ず新君を廃することになります、父子ともに二代にわたって罪を得ることになりましょう、天下の誰がこれを容れましょうか。」
- 喜は言った。「私は先人の遺命を受けている、この事は断じてやめるわけにはいかぬ。」
- 右宰穀は言った。「私が故君にお目にかかり、その人柄が昔とどう変わったかを見てから、それから相談致しましょう。」
- 喜は言った。「よかろう。」右宰穀はそこで密かに夷儀へ赴き、獻公に謁見を求めた。
- 獻公はちょうど足を洗っているところであったが、穀が来たと聞き、履を履くのも待たず、裸足のまま出迎え、喜色満面で穀に言った。「そなたは左相のところから来たのだな、必ず良い知らせがあろう。」
- 穀は答えた。「臣は道すがら伺候しただけで、喜殿はまだご存じありません。」
- 獻公は言った。「そなたはまず寡人のために左相に伝えてくれ、速やかに寡人のためにこの事を成し遂げるよう図ってくれと。左相がたとえ寡人の復位を思わずとも、衛の政治を手にすることさえ思わぬということがあろうか。」
- 穀は答えた。「君主であることが楽しいのは、政(まつりごと)がその手にあるからです。政が去ってしまえば、何をもって君と言えましょうか。」
- 獻公は言った。「そうではない。いわゆる君というものは、尊号を受け、栄誉ある名声を享受し、美しい衣と美食を口にし、高く築いた基壇の上の華麗な宮殿に住み、高い車に乗り、上等な馬を駆り、府庫は満ち溢れ、命令すればすぐに従う者が眼前に満ちている。宮中には嬪妃や姫妾の侍る楽しみがあり、外には狩猟や弋猟の娯楽がある。どうして必ず政務に心を煩わせてこそ楽しみと言えようか。」
- 穀は黙って退いた。
- また公子鱄に会い、穀は獻公の言葉を述べると、鱄は言った。「君は長らく苦しい思いをされ、苦しみが極まって甘いものを望んでおられる、それでこのような言葉を発せられたのだ。いわゆる君というものは、大臣を敬い礼をもって遇し、賢能を登用し、財を節して用い、民を恤んでこれを使い、事を行うには必ず寛大に、言葉を発するには必ず信をもってすれば、それでこそ栄誉ある名声を享受し、尊号を受けられるのだ。これはみな我が君がかねてより聞き慣れた言葉であるはずなのだが。」
- 右宰穀は帰って寧喜に言った。「私は故君に会った、その言葉はまるで糞土のようだ、昔と何ら変わっていない。」
- 喜は言った。「子鮮にも会われたか。」
- 穀は言った。「子鮮の言葉は道に適っている、しかし君には行えることではあるまい。」
- 喜は言った。「私は子鮮を頼みとしている。私には先臣の遺命がある、たとえその言が改まらぬと知っていても、どうしてやめられようか。」
- 穀は言った。「どうしても事を挙げるおつもりなら、機を待つべきでしょう。」
孫襄への攻撃
- 時に孫林父は年老いており、庶長子の孫蒯とともに戚に住み、二子の孫嘉・孫襄を朝廷に留めていた。
- 周霊王二十五年、春二月、孫嘉は殤公の命を奉じて齊に使者として赴き、孫襄だけが留守を守っていた。
- ちょうど獻公がまた公孫丁を遣わして知らせを求めてきたので、右宰穀は寧喜に言った。「そなたが事を起こすなら、今がその時です。父と兄がいない今、襄を取れます。襄を得れば、子叔も何もできますまい。」
- 喜は言った。「そなたの言葉は正に私の意にかなう。」そこで密かに家兵を集め、右宰穀と公孫丁にこれを率いさせて孫襄を伐たせた。
- 孫氏の邸宅は壮麗で、君主の宮殿に次ぐほどであり、垣は堅固で厚く、家兵千人がいた。家将雍鉏・褚帶の二人が交代で当番して見張っていた。
- この日は褚帶が当番であった。右宰穀の兵が到着すると、褚帶は門を閉ざし、楼に登って理由を問うた。
- 穀は言った。「お屋敷のご当主にお会いし、相談したいことがある。」
- 褚帶は言った。「相談するのに兵を用いる必要があろうか。」弓を引いて射ようとした。
- 穀は急いで退き、兵を率いて門を攻めた。孫襄自ら門に至り、督戦して守りを固めた。
- 褚帶は弓の巧みな者を交代で立たせ、弓を満月に引いて楼牖に臨ませ、近づく者を次々に射た。死者が数人出た。
- 雍鉏は邸宅に事があると聞き、また軍兵を興して呼応し救援に来た。両軍は入り乱れて戦い、互いに死傷者を出した。
- 右宰穀は勝てないと見て、兵を引いて戻った。孫襄は門を開かせ、自ら良馬に乗って追撃し、右宰穀に追いつくと、長柄の鉤矛でその車を引っかけて止めた。
- 右宰穀は大声で叫んだ。「公孫(丁)よ、早く射てくれ。」公孫丁は孫襄だと見て取り、弓を引き矢をつがえ、一発で正に胸に命中させた。それでも雍・褚の二将が一斉にかかって来て、救い出して帰った。
- 胡曾先生の詠史詩がある。
- (詩:孫氏の企てが成らず寧氏が栄えたのは、天が一矢を孫襄に中てさせたゆえ、千年の富を安んじたつもりの巣穴に、誰が予想しただろう冷めた灰から火が上がるとは、と詠う)
孫襄の死と殤公の弑逆
- 右宰穀は戻って寧喜に、孫家がこれほど攻めにくかったこと、「公孫の神業の矢がなければ、追撃はまだ止まなかったでしょう」と報告した。
- 寧喜は言った。「一度攻めて落とせなければ、二度目はさらに難しくなろう。とはいえ矢がその主に当たった以上、軍心は必ず乱れる。今夜、私自ら攻めよう。もしまた成功しなければ、そのまま出奔してこの禍を避けるまでだ。私と孫氏とはもはや両立の道はない。」
- 一方で車と武具を整え、まず妻子を郊外に送り出した、万一兵が敗れた際に脱出が間に合わぬことを恐れてのことであった。
- 一方で人を遣わして孫家の動静を探らせた。
- ほぼ黄昏時、探りの者が戻って報告した。「孫氏の邸宅内から泣き声が聞こえ、門を出入りする人はたいへん慌ただしい様子です。」
- 寧喜は言った。「これはきっと孫襄が傷が重くて死んだのだろう。」
- 言い終わらぬうちに、北宮遺が突然到着して言った。「孫襄はすでに死にました、その家に主がおりません、速やかに攻めるべきです。」
- 時に時刻はすでに三更を過ぎていた。寧喜は自ら武具を身につけ、北宮遺・右宰穀・公孫丁らとともに、家兵をすべて起こし、再び孫氏の門へ向かった。
- 雍鉏と褚帶はちょうど遺骸を前にして声をあげて泣いていたが、寧氏の兵がまた来たと聞き、急いで武具を身につけた。すでに大門は攻め破られており、鉏らは急いで中門を閉じたが、しかし孫氏の家兵はすでに逃げ散り、協力して守る者がなく、これも破られた。
- 雍鉏は後ろの塀を越えて逃げ、戚邑へ向かった。褚帶は乱軍に殺された。
- この時すでに空はすっかり明るくなっていた。寧喜は孫襄の家を滅ぼし、襄の首を斬り、これを携えて君主の宮殿へ赴き、殤公に謁見して言った。「孫氏は政治を専らにすること久しく、叛逆の情があります、某はすでに兵を率いて討伐に赴き、孫襄の首を得ました。」
- 殤公は言った。「孫氏が果たして叛逆を謀ったのなら、なぜ寡人にそれを聞かせなかったのか。すでに寡人の眼中にないというのに、また何のために寡人に会いに来たのか。」
- 寧喜は立ち上がり、剣に手をかけて言った。「君上は孫氏が立てた御方であり、先君のご命ではございません。臣下も民も改めて故君を思っております、どうか君上は位をお避けになり、堯舜の徳を成し遂げてください。」
- 殤公は怒って言った。「そなたは代々仕えてきた重臣をほしいままに殺し、意のままに廃立を行う、まことに叛逆の臣である。寡人が君の位に就いてからすでに十三年、死んでも辱めを受けるつもりはない。」ただちに戈を執って寧喜を追い出そうとした。
- 喜は宮門を趨り出た。殤公が目を挙げて見ると、刀や槍がぎっしりと並び、戈と甲冑が林立し、寧氏の兵は宮外に満ちていた。殤公は慌てて後退した。
- 寧喜が一声指図すると、甲士が一斉に押し寄せ、殤公を捕らえた。
- 世子角は変事を聞き、剣を手に執って救いに来たが、公孫丁に追いつかれ、戟のひと突きで刺し殺された。
- 寧喜は殤公を太廟に幽閉することを命じ、鴆酒を飲ませて死なせた。
- これは周霊王二十五年、春二月、辛卯の日の事である。
- 寧喜は人を遣わして妻子を迎え、再び邸宅に住まわせた。そして群臣を朝堂に集め、故君の擁立を議した。各官はみな出席したが、太叔儀だけは、衛成公の子で衛文公の孫、年六十余、独り病と称して現れなかった。
- 人がその理由を問うと、儀は言った。「新旧いずれも君である。国家が不幸にもこのような事に見舞われたが、老臣がどうして忍んでこれに関われようか。」
獻公復位
- 寧喜は殤公の後宮の家族を外へ遷し、宮室を掃き清め、君主の正式な車駕を備え、右宰穀・北宮遺・公孫丁を遣わして夷儀へ獻公を迎えさせた。
- 獻公は夜を徹して馳せ、三日で到着した。大夫公孫免餘は境の外まで出迎えた。獻公はその遠くまで出迎えた気持ちに感じ、その手を執って言った。「今日、再び君臣となれるとは思わなかった。」これより免餘は寵愛を得た。
- 諸大夫はみな境内で出迎え、獻公は車上から挨拶を返した。
- 廟に参り朝廷に臨むと、百官が拝礼して祝賀したが、太叔儀はなお病と称して朝賀しなかった。
- 獻公は人を遣わして責めさせた。「太叔は寡人の帰国を望まぬのか、なぜ寡人を拒むのか。」
- 儀は額を地につけてぬかずき、答えた。「昔、君が出られた時、臣はお従いできませんでした、これが臣の一つ目の罪。君が国外にいらっしゃった間、臣は二心を懐いて内外の連絡を取り次ぐようなまねができませんでした、これが二つ目の罪。君の入国を求められた際にも、臣はまた大事にあずかることができませんでした、これが三つ目の罪です。君がこの三つの罪をもって臣を責められるなら、臣はあえて死を逃れません。」
- そのまま車を用意させ、出奔しようとした。獻公は自ら赴きこれを留めた。
- 儀は獻公に会うと、涙を止めることができず、殤公の喪を成すことを願い出た。獻公はこれを許した。儀はそのうえで出仕し、臣下の列に加わった。
寧喜の専政
- 獻公は寧喜に衛国を独り相として、すべての事を専決させ、食邑三千室を加増した。北宮遺・右宰穀・石惡・公孫免餘らも、みな官位俸禄を増した。
- 公孫丁・殖綽には亡命に従った労があり、公孫無地・公孫臣は、その父が殉難の節義があったので、みな大夫の爵に進めた。
- その他の太叔儀・齊惡・孔羈・褚師申らは、みな元のままとした。
- 蘧瑗を魯から召し、その位を復させた。
孫林父、戚邑を晉に附す
- さて孫嘉は齊への使いから帰る途中、変事を聞き、まっすぐ戚邑に帰った。
- 林父は獻公が決して黙っていないと知り、戚邑をもって晉に付き、寧喜が君を弑した悪事を訴え、晉侯に裁定を求めた。
- 衛侯が近日中に兵を遣わして戚を伐つのを恐れ、兵を発してもらい共に守禦する助けを求めた。
- 晉平公は三百人でこれを助けた。孫林父は晉の兵に専ら茅氏の地を守らせた。
- 孫蒯は諫めて言った。「守備兵が手薄すぎます、衛人を防ぎきれないのではありませんか、どうしましょう。」
- 林父は笑って言った。「三百人は我にとってさほど重要ではない、それゆえ東の辺境に委ねたのだ。もし衛人が晉の守備兵を襲い殺せば、必ず晉の怒りを激しくするだろう、晉人が我を助けないことを心配するには及ばぬ。」
- 孫蒯は言った。「父上のお考え、子はとても及びません。」
- 寧喜は林父が晉に兵を請い、晉がわずか三百人しか出さなかったと聞き、言った。「晉がもし本当に林父を助けるなら、どうしてたった三百人で済ませようか。」
- そこで殖綽に精鋭千人を率いさせ、茅氏を襲わせた。
(勝敗の行方は次回に語る)
原文(底本)
話說周靈王二十三年,夏五月,莒黎比公因許齊侯歲歲來朝,是月,親自至臨淄朝齊。莊公大喜,設饗於北郭,款待黎比公。崔氏府第,正在北郭。崔杼有心拿莊公破綻,詐稱寒疾不能起身,諸大夫皆侍宴,惟杼不往,密使心腹叩信於賈豎。豎密報云:「主公只等席散,便來問相國之病。」崔杼笑曰:「君豈憂吾病哉?正以吾病為利,欲行無恥之事耳。」乃謂其妻棠姜曰:「我今日欲除此無道昏君!汝若從吾之計,吾不揚汝之醜,當立汝子為適嗣﹔如不從吾言,先斬汝母子之首。」棠姜曰:「婦人,從夫者也。子有命,焉敢不依?」崔杼乃使棠無咎,伏甲士百人於內室之左右,使崔成崔疆伏甲於門之內,使東郭偃伏甲於門之外。分撥已定,約以鳴鐘為號。再使人送密信於賈豎:「君若來時,須要如此恁般。﹍﹍」 且說莊公愛棠姜之色,心心念念,寢食不忘,只因崔杼防範稍密,不便數數來往。是日,見崔杼辭病不至,正中其懷,神魂已落在棠姜身上。燕享之儀,了事而已。事畢,趨駕往崔氏問疾。閽者謬對曰:「病甚重,方服藥而臥。」莊公曰:「臥於何處?」對曰:「臥於外寢。」莊公大喜,竟入內室。時州綽、賈舉、公孫傲、僂堙四人從行。賈豎曰:「君之行事,子所知也。盍待於外,無混入以驚相國。」州綽等信以為然,遂俱止於門外。惟賈舉不肯出,曰:「留一人何害?」乃獨止堂中。賈豎閉中門而入。閽者復掩大門,拴而鎖之。莊公至內室,棠姜豔妝出迎。未交一言,有侍婢來告:「相國口燥,欲索蜜湯。」棠姜曰:「妾往取蜜即至也。」棠姜同侍婢自側戶冉冉而去。莊公倚檻待之,望而不至﹔乃歌曰: 室之幽兮,美所遊兮。室之邃兮,美所會兮。不見美兮,憂心胡底兮! 歌方畢,聞廊下有刀戟之聲。莊公訝曰:「此處安得有兵?」呼賈豎不應。須臾間,左右甲士俱起。莊公大驚,情知有變,急趨後戶,戶已閉。莊公力大,破戶而出,得一樓登之。棠無咎引甲士圍樓,聲聲只叫「奉相國之命,來拿淫賊!」莊公倚檻諭之曰:「我,爾君也﹔幸舍我去!」無咎曰:「相國有命,不敢自專。」莊公曰:「相國何在?願與立盟,誓不相害!」無咎曰:「相國病不能來也。」莊公曰:「寡人知罪矣!容至太廟中自盡,以謝相國何如?」無咎又曰:「我等但知拿奸淫之人,不知有君。君既知罪,即請自裁,毋徒取辱。」莊公不得已,從樓牖中躍出,登花臺,欲踰牆走。無咎引弓射之,中其左股,從牆上倒墜下來。甲士一齊俱上,刺殺莊公。無咎即使人鳴鐘數聲。時近黃昏,賈舉在堂中側耳而聽,忽見賈豎啟門,攜燭而出曰:「室中有賊,主公召爾。爾先入,我當報州將軍等。」賈舉曰:「與我燭。」賈豎授燭,失手墜地,燭滅。舉仗劍摸索,纔入中門,遇絆索躓地。崔疆從門旁突出,擊而殺之。州綽等在門外,不知門內之事。東郭偃偽為結好,邀至旁舍中,秉燭具酒肉,且勸使釋劍樂飲,亦遍飲從者。忽聞宅內鳴鐘,東郭偃曰:「主公飲酒矣。」州綽曰:「不忌相國乎?」偃曰:「相國病甚,誰忌之?」有頃,鐘再鳴,偃起曰:「吾當入視。」偃去,甲士悉起。州綽等急簡兵器,先被東郭偃使人盜去了。州綽大怒,視門前有升車石,磔以投入。僂堙適趨過,誤中堙,折其一足,懼而走。公孫傲拔繫馬柱而舞,甲士多傷。眾人以火炬攻之,鬚髮盡燎。時大門忽啟,崔成崔疆復率甲自內而出,公孫傲以手拉崔成,折其臂,崔疆以長戈刺傲,立死,并殺僂堙。州綽奪甲士之戟,復來尋鬥,東郭偃大呼:「昏君奸淫無道,已受誅戮,不干眾人之事,何不留身以事新主?」州綽乃投戟於地曰:「吾以羈旅亡命,受齊侯知己之遇,今日不能出力,反害僂堙,殆天意也!惟當捨一命以報君寵,豈肯苟活,為齊晉兩國所笑乎?」即以頭觸石垣三四,石破頭亦裂。邴師聞莊公之死,自剄於朝門之外。封具縊於家。鐸父與襄尹相約,往哭莊公之屍,中路聞賈舉等俱死,遂皆自殺。髯翁有詩云: 似虎如龍勇絕倫,因懷君寵命輕塵。私恩只許私恩報,殉難何曾有大臣。 時王何約盧蒲癸同死,癸曰:「無益也,不如逃之,以俟後圖。幸有一人復國,必當相引。」王何曰:「請立誓!」誓成,王何遂出奔莒國。盧蒲癸將行,謂其弟盧蒲嫳曰:「君之立勇爵,以自衛也。與君同死,何益於君?我去,子必求事崔慶而歸我,我因以為君報仇,如此,則雖死不虛矣!」嫳許之。癸乃出奔晉國。盧蒲嫳遂求事慶封,慶封用為家臣。申鮮虞出奔楚,後仕楚為右尹。時齊國諸大夫聞崔氏作亂,皆閉門待信,無敢至者。惟晏嬰直造崔氏,入其室,枕莊公之股,放聲大哭。既起,又踴躍三度,然後趨出。棠無咎曰:「必殺晏嬰,方免眾謗。」崔杼曰:「此人有賢名,殺之恐失人心。」晏嬰遂歸,告於陳須無曰:「盍議立君乎?」須無曰:「守有高國,權有崔慶,須無何能為?」嬰退,須無曰:「亂賊在朝,不可與共事也。」駕而奔宋。晏嬰復往見高止國夏,皆言:「崔氏將至,且慶氏在,非吾所能張主也。」嬰乃嘆息而去。未幾,慶封使其子慶舍,搜捕莊公餘黨,殺逐殆盡。以車迎崔杼入朝,然後使召高國,共議立君之事。高國讓於崔慶,慶封復讓於崔杼。崔杼曰:「靈公之子杵臼,年已長,其母為魯大夫叔孫僑如之女,立之可結魯好。」眾人皆唯唯。於是迎公子杵臼為君,是為景公。時景公年幼,崔杼自立為右相,立慶封為左相。盟群臣於太公之廟,刑牲歃血,誓其眾曰:「諸君有不與崔慶同心者,有如日!」慶封繼之,高國亦從其誓。輪及晏嬰,嬰仰天嘆曰:「諸君能忠於君,利於社稷,而嬰不與同心者,有如上帝!」崔慶俱色變。高國曰:「二相今日之舉,正忠君利社稷之事也。」崔慶乃悅。時莒黎比公尚在齊國,崔慶奉景公與黎比公為盟,黎比公乃歸莒。崔杼命棠無咎斂州綽賈舉等之屍,與莊公同葬於北郭,減其禮數,不用兵甲,曰:「恐其逞勇於地下也。」命太史伯以瘧疾書莊公之死,太史伯不從,書於簡曰:「夏五月乙亥,崔杼弒其君光。」杼見之大怒,殺太史。太史有弟三人,曰仲、叔、季。仲復書如前,杼又殺之﹔叔亦如之,杼復殺之﹔季又書,杼執其簡謂季曰:「汝三兄皆死,汝獨不愛性命乎?若更其語,當免汝。」季對曰:「據事直書,史氏之職也。失職而生,不如死!昔趙穿弒晉靈公,太史董狐,以趙盾位為正卿,不能討賊,書曰:『趙盾弒其君夷皋。』盾不為怪,知史職不可廢也。某即不書,天下必有書之者。不書不足以蓋相國之醜,而徒貽識者之笑,某是以不愛其死,惟相國裁之!」崔杼嘆曰:「吾懼社稷之隕,不得已而為此。雖直書,人必諒我。」乃擲簡還季。季捧簡而出,將至史館,遇南史氏方來,季問其故。南史氏曰:「聞汝兄弟俱死,恐遂沒夏五月乙亥之事,吾是以執簡而來也。」季以所書簡示之,南史氏乃辭去。髯翁讀史至此,有讚云: 朝綱紐解,亂臣接跡﹔斧鉞不加,誅之以筆。不畏身死,而畏溺職﹔南史同心,有遂無格。皎日青天,奸雄奪魄﹔彼哉諛語,羞此史冊! 崔杼愧太史之筆,乃委罪賈豎而殺之。是月,晉平公以水勢既退,復大合諸侯於夷儀,將為伐齊之舉。崔杼使左相慶封以莊公之死,告於晉師,言:「群臣懼大國之誅,社稷不保,已代大國行討矣。新君杵臼,出自魯姬,願改事上國,勿替舊好。所攘朝歌之地,仍歸上國,更以宗器若干,樂器若干為獻。」諸侯亦皆有賂。平公大悅,班師而歸,諸侯皆散。自此晉齊復合。時殖綽在衛,聞州綽邢蒯皆死,復歸齊國。衛獻公衎出奔在齊,素聞其勇,使公孫丁以厚幣招之﹔綽遂留事獻公。此事擱過一邊。 是年吳王諸樊伐楚,過巢,攻其門。巢將牛臣隱身於短牆而射之,諸樊中矢而死。群臣守壽夢臨終之戒,立其弟餘祭為王。餘祭曰:「吾兄非死於巢也,以先王之言,國當次及,欲速死以傳季弟,故輕生耳。」乃夜禱於天,亦求速死。左右曰:「人所欲者,壽也。王乃自祈早死,不亦遠於人情乎?」餘祭曰:「昔我先人太王,廢長立幼,竟成大業。今吾兄弟四人,以次相承,若俱考終命,札且老矣。吾是以求速也。」此段話且擱過一邊。 卻說衛大夫孫林父寧殖既逐其君衎,奉其弟剽為君。後寧殖病篤,召其子寧喜謂曰:「寧氏自莊武以來,世篤忠貞。出君之事,孫子為之,非吾意也。而人皆稱曰『孫寧』。吾恨無以自明,即死,無顏見祖父於地下!子能使故君復位,蓋吾之愆,方是吾子。不然,吾不享汝之祀矣。」喜泣拜曰:「敢不勉圖!」殖死,喜嗣為左相,自是日以復國為念。奈殤公剽屢會諸侯,四境無故﹔上卿孫林父又是獻公衎的嫡仇,無間可乘。周靈王二十四年,衛獻公襲夷儀據之,使公孫丁私入帝邱城,謂寧喜曰:「子能反父之意,復納寡人,衛國之政,盡歸於子,寡人但主祭祀而已。」寧喜正有遺囑在心,今得此信,且有委政之言,不勝之喜。又思:「衛侯一時求復,故以甜言相哄,倘歸而悔之,奈何?公子鱄賢而有信,若得他為證明,他日定不相負。」乃為復書,密付來使,書中大約言:「此乃國家大事,臣喜一人,豈能獨力承當?子鮮乃國人所信,必得他到此面訂,方有商量。」(子鮮者,公子鱄之字也。)獻公謂公子鱄曰:「寡人復國,全由寧氏,吾弟必須為我一行。」子鱄口雖答應,全無去意。獻公屢屢促之,鱄對曰:「天下無無政之君。君曰『政由寧氏』,異日必悔之。是使鱄失信於寧氏也,鱄所以不敢奉命。」獻公曰:「寡人今竄身一隅,猶無政也。倘先人之祀,延及子孫,寡人之願足矣,豈敢食言,以累吾弟。」鱄對曰:「君意既決,鱄何敢避事,以敗君之大功。」乃私入帝邱城,來見寧喜,復申獻公之約。寧喜曰:「子鮮若能任其言,喜敢不任其事!」鱄向天誓曰:「鱄若負此言,不能食衛之粟。」喜曰:「子鮮之誓,重於泰山矣。」公子鱄回復獻公去了。寧喜以殖之遺命,告於蘧瑗。瑗掩耳而走曰:「瑗不與聞君之出,又敢與聞其入乎?」遂去衛適魯。喜復告於大夫石惡北宮遺,二人皆贊成之。喜乃告於右宰穀,穀連聲曰:「不可,不可!新君之立,十二年矣,未有失德。今謀復故君,必廢新君,父子得罪於兩世,天下誰能容之?」喜曰:「吾受先人遺命,此事斷不可已。」右宰穀曰:「吾請往見故君,觀其為人視往日如何,而後商之。」喜曰:「善。」右宰穀乃潛往夷儀,求見獻公。獻公方濯足,聞穀至,不及穿履,徒跣而出,喜形於面,謂穀曰:「子從左相處來,必有好音矣。」穀對曰:「臣以便道奉候,喜不知也。」獻公曰:「子第為寡人致左相,速速為寡人圖成其事。左相縱不思復寡人,獨不思得衛政乎?」穀對曰:「所樂為君者,以政在也。政去,何以為君?」獻公曰:「不然。所謂君者,受尊號,享榮名,美衣玉食,崇階華宮,乘高車,駕上駟,府庫充盈,使令滿前,入有嬪御姬侍之奉,出有田獵畢戈之娛,豈必勞心政務,然後為樂哉?」穀嘿然而退。復見公子鱄,穀述獻公之言,鱄曰:「君淹恤日久,苦極望甘,故為此言。夫所謂君者,敬禮大臣,錄用賢能,節財而用之,恤民而使之,作事必寬,出言必信,然後能享榮名,而受尊號,此皆吾君之所熟聞也。」右宰穀歸謂寧喜曰:「吾見故君,其言糞土耳!無改於舊。」喜曰:「曾見子鮮否?」穀曰:「子鮮之言合道,然非君所能行也。」喜曰:「吾恃子鮮矣。吾有先臣之遺命,雖知其無改,安能已乎?」穀曰:「必欲舉事,請俟其間。」 時孫林父年老,同其庶長子孫蒯居戚,留二子孫嘉孫襄在朝。周靈王二十五年,春二月,孫嘉奉殤公之命,出使聘齊,惟孫襄居守。適獻公又遣公孫丁來討信,右宰穀謂寧喜曰:「子欲行事,此其時矣。父兄不在,襄可取也,得襄,則子叔無能為矣。」喜曰:「子言正合吾意。」遂陰集家甲,使右宰穀同公孫丁帥之以伐孫襄。孫氏府第壯麗,亞於公宮,牆垣堅厚,家甲千人,有家將雍鉏褚帶二人,輪班值日巡警。是日褚帶當班,右宰穀兵到,褚帶閉門登樓問故。穀曰:「欲見舍人,有事商議。」褚帶曰:「議事何須用兵?」欲引弓射之。穀急退,帥卒攻門。孫襄親至門上,督視把守。褚帶使善射者,更番迭進,將弓持滿,臨樓牖而立,近者輒射之,死者數人。雍鉏聞府第有事,亦起軍丁來接應。兩下混戰,互有殺傷。右宰穀度不能取勝,引兵而回。孫襄命開門親自馳良馬追趕,遇右宰穀,以長鐃挽其車。右宰穀大呼:「公孫為我速射!」公孫丁認得是孫襄,彎弓搭箭,一發正中其胸,卻得雍褚二將齊上,救回去了。胡曾先生詠史詩云: 孫氏無成寧氏昌,天教一矢中孫襄。安排兔窟千年富,誰料寒灰發火光! 右宰穀轉去,回復寧喜,說孫家如此難攻:「若非公孫神箭,射中孫襄,追兵還不肯退。」寧喜曰:「一次攻他不下,第二次越難攻了。既然箭中其主,軍心必亂,今夜吾自往攻之。如再無功,即當出奔,以避其禍。我與孫氏,已無兩立之勢矣。」一面整頓車仗,先將妻子送出郊外,恐一時兵敗,脫身不及。一面遣人打聽孫家動靜。約莫黃昏時候,打探者回報:「孫氏府第內有號哭之聲,門上人出入,狀甚倉皇。」寧喜曰:「此必孫襄傷重而亡也。」言未畢,北宮遺忽至,言:「孫襄已死,其家無主,可速攻之。」時漏下已三更,寧喜自行披掛,同北宮遺、右宰穀、公孫丁等,悉起家眾,重至孫氏之門。雍鉏褚帶方臨屍哭泣,聞報寧家兵又到,急忙披掛,已被攻入大門,鉏等急閉中門,奈孫氏家甲,先自逃散,無人協守,亦被攻破。雍鉏踰後牆而遁,奔往戚邑去了﹔褚帶為亂軍所殺。其時天已大明,寧喜滅孫襄之家,斷襄之首,攜至公宮,來見殤公,言:「孫氏專政日久,有叛逆之情,某已勒兵往討,得孫襄之首矣。」殤公曰:「孫氏果謀叛,奈何不令寡人聞之?既無寡人在目,又來見寡人何事?」寧喜起立,撫劍言曰:「君乃孫氏所立,非先君之命,群臣百姓,復思故君,請君避位,以成堯舜之德。」殤公怒曰:「汝擅殺世臣,廢置任意,真乃叛逆之臣也!寡人南面為君,已十三載,寧死不能受辱!」即操戈以逐寧喜。喜趨出宮門。殤公舉目一看,只見刀槍濟濟,戈甲森森,寧家之兵,布滿宮外,慌忙退步。寧喜一聲指麾,甲士齊上,將殤公拘住。世子角聞變,仗劍來救,被公孫丁趕上,一戟刺死。寧喜傳令,囚殤公於太廟,逼使飲鴆而亡。此周靈王二十五年,春二月,辛卯日事也。寧喜使人迎其妻子,復歸府第。乃集群臣於朝堂,議迎立故君。各官皆到,惟有太叔儀乃是衛成公之子,衛文公之孫,年六十餘,獨稱病不至。人問其故,儀曰:「新舊皆君也。國家不幸有此事,老臣何忍與聞乎?」 寧喜遷殤公之宮眷於外,掃除宮室,即備法駕,遣右宰穀北宮遺同公孫丁往夷儀迎接獻公。獻公星夜驅馳,三日而至。大夫公孫免餘,直至境外相見。獻公感其遠迎之意,執其手曰:「不圖今日復為君臣。」自此免餘有寵。諸大夫皆迎於境內,獻公自車揖之。既謁廟臨朝,百官拜賀,太叔儀尚稱病不朝。獻公使人責之曰:「太叔不欲寡人返國乎?何為拒寡人?」儀頓首對曰:「昔君之出,臣不能從,臣罪一也﹔君之在外,臣不能懷貳心,以通內外之言,罪二也﹔及君求入,臣又不能與聞大事,罪三也。君以三罪責臣,臣敢逃死!」即命駕車,欲謀出奔。獻公親往留之。儀見獻公,垂淚不止,請為殤公成喪,獻公許之,然後出就班列。 獻公使寧喜獨相衛國,凡事一聽專決,加食邑三千室。北宮遺、右宰穀、石惡、公孫免餘等,俱增秩祿。公孫丁殖綽有從亡之勞,公孫無地公孫臣,其父有死難之節,俱進爵大夫。其他太叔儀、齊惡、孔羈、褚師申等,俱如舊。召蘧瑗於魯,復其位。 卻說孫嘉聘齊而回,中道聞變,逕歸戚邑。林父知獻公必不干休,乃以戚邑附晉,訴說寧喜弒君之惡,求晉侯做主。恐衛侯不日遣兵伐戚,乞賜發兵,協力守禦。晉平公以三百人助之。孫林父使晉兵專戍茅氏之地。孫蒯諫曰:「戍兵單薄,恐不能拒衛人,奈何?」林父笑曰:「三百人不足為吾輕重,故委之東鄙。若衛人襲殺晉戍,必然激晉之怒,不愁晉人不助我也。」孫蒯曰:「大人高見,兒萬不及。」寧喜聞林父請兵,晉僅發三百人,喜曰:「晉若真助林父,豈但以三百人塞責哉?」乃使殖綽將選卒千人,往襲茅氏。不知勝負如何,且看下回分解。
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