東周列國志第七十二回 棠公の尚、身を捨てて父の難に赴く/伍子胥、微服して昭関を越える (棠公尚捐軀奔父難 伍子胥微服過昭關)
伍尚、卜占を退けて楚へ赴く
- 話は変わって、伍員は字を子胥といい、監利の人である。身の丈一丈、腰回りは十囲、眉の広さ一尺、目の光は電光のようで、鼎を持ち上げ山を抜くほどの勇と、文武を兼ね備えた才を持っていた。世子太師連尹奢の子であり、棠君尚の弟である。
- 尚と員はともにその父奢に従って城父にいた。鄢将師は楚平王の命を奉じて二人の子を誘い出し朝廷に呼び寄せようとし、まず伍尚に会い、続いて員に会いたいと求めた。
- 尚は父の手書きを持って中に入り、員に見せて「父上は幸い死を免れ、二人の子は侯に封ぜられるという。使者が門におる。弟よ、出て会うがよい」と言った。
- 員は「父上が死を免れただけでも至幸である。二人の子に何の功があって侯に封ぜられるというのか。これは我らを誘い出すものだ。行けば必ず誅される」と言った。
- 尚は「父上には確かに手書きがある。どうして偽ることがあろうか」と言った。
- 員は「我が父は国家に忠であり、私が必ず仇を報じようとすることを知っている。それゆえ我ら父子をそろって楚の地で命を落とさせ、後の憂いを絶とうとしているのだ」と言った。
- 尚は「弟の言うことは推し量りにすぎない。万一父上の書が本当のことであれば、我らの不孝の罪はどう申し開きできようか」と言った。
- 員は「兄上はまずお座りください。私が吉凶を占ってみましょう」と言った。
- 員は卦を立て終えると「今日は甲子の日、時は巳に加わり、支は日を傷つけ、気は相受けぬ。主は臣を欺き、父は子を欺いておる。行けば誅を受けるだけで、どうして封侯などありえようか」と言った。
- 尚は「侯爵を貪るのではない。父上に会いたいと思うだけだ」と言った。
- 員は「楚人は我ら兄弟が外にいることを畏れ、必ずあえて父上を殺しはしないだろう。兄上が誤って行けば、それは父上の死を早めることになる」と言った。
- 尚は「父子の情愛は、まことの心から出るものだ。もし一目会って死ぬことになっても、それもまた甘んじて受けよう」と言った。
- そこで伍員は天を仰いで嘆き「父上とともに誅されて、何の益があろうか。兄上がどうしても行かれるというなら、弟はここでお別れいたします」と言った。
- 尚は泣いて「弟はどこへ行くのか」と尋ねた。
- 員は「楚に報復できる所へ、私はそこへ行くのです」と言った。
- 尚は「私の智力は弟に遠く及ばない。私は楚へ帰り、お前は他国へ行くがよい。私は父上に殉じることを孝とし、お前は仇を報じることを孝とする。これより各々その志を行い、二度と会うことはあるまい」と言った。
- 伍員は伍尚に四拝して、これを永訣とした。
- 尚は涙をぬぐって鄢将師に会い、「弟は封爵を望まず、強いることはできませんでした」と告げた。将師はやむなく伍尚とともに車に乗った。
- 平王に謁見すると、王は伍尚を、すでに囚えてあった父の伍奢と併せて獄に繋いだ。
- 伍奢は伍尚が単身で楚に帰ってきたのを見て、「私はもとより員が来ないことを知っていた」と嘆いた。
- 無極はさらに「伍員がまだ生きております。急いで捕らえるべきです。遅れれば逃げてしまいましょう」と奏上した。
- 平王はこれを許し、大夫武城黒を遣わし、精兵二百人を率いて伍員を襲わせた。
伍員の脱出と伍奢父子の刑死
- 員は楚の兵が自分を捕らえに来ることを探知し、泣いて「私の父も兄も、もはや誅を免れられまい」と言った。
- そこで妻の賈氏に「私は他国に逃げて兵を借り、父兄の仇を報じようと思う。お前を顧みてやれないが、どうしたものか」と言った。
- 賈氏は目を見開いて員を見つめ「立派な男子たる者が父兄の怨みを抱いて、肺肝を割かれるほどの思いをしているというのに、どうして婦人のことなど構っている暇がありましょうか。あなたは急いでお行きなさい。妾のことは念頭に置かれますな」と言い、部屋に入って自ら首をくくった。
- 伍員はひとしきり痛哭し、その屍を仮に葬った。すぐに荷物をまとめ、身に白い袍をまとい、弓を懸け剣を帯びて出発した。
- 半日も経たぬうちに、楚の兵はすでに到着し、その家を包囲したが、伍員を捜しても見つからなかった。員がきっと東へ逃げたであろうと察し、御者に急いで追わせた。
- 約三百里ほど行き、人気のない曠野に至った。員は弓を張り矢を放って御者を射殺し、続けて矢をつがえて武城黒を射ようとした。
- 黒は恐れ、車から下りて逃げようとした。伍員は「もともとお前を殺すつもりだった。しばらくお前の命を助け、楚王に報告に帰らせよう。楚国の祖先の祭りを存続させたいのなら、必ず我が父兄の命を助けるのだ。もしそうでなければ、私は必ず楚を滅ぼし、自ら楚王の首を斬ってこの恨みを晴らす」と言った。
- 武城黒は頭を抱えて逃げ出し、平王に「伍員はすでに先に逃げてしまいました」と報告した。
- 平王は大いに怒り、費無極に伍奢父子を市中の刑場で斬らせるよう命じた。
- 刑に臨み、伍尚は無極を罵り、讒言によって主君を惑わせ忠良を殺害した罪を責めた。
- 伍奢はこれを止めて「危険に臨んで命を捧げるのは、人臣の職分である。忠と佞とはおのずと公論があろう。何をののしることがあろうか。ただ員がここに来ていない以上、私は思うに、楚国の君臣はこれより後、安らかに朝餉をとることはできぬであろう」と言った。
- 言い終えると首を差し出して刑を受けた。見物する民衆は、誰一人涙を流さぬ者はなかった。この日は空は昏く日は暗く、悲しい風が吹きすさんだ。史臣に詩がある。
- (詩:悲しい風に日は光を失い、三代にわたる忠臣の家系がたちまち誅戮に遭って滅ぼされた、楚の朝廷はこれより讒言とへつらいの者ばかりとなり、ついに呉の兵を郢城へ招き入れることになる、という趣旨)
- 平王は「伍奢は刑に臨んで何か怨み言を言ったか」と尋ねた。無極は「他には何も言わず、ただ伍員がここへ来なかった以上、楚の君臣はこれより安らかに食事もできぬであろうと言っただけです」と答えた。
- 平王は「員は逃げたとはいえ、まだ遠くには行っていないはずだ。さらに追わせよ」と言い、左司馬沈尹戍に三千人を率いさせ、その行方を極めさせた。
- 伍員は大江のほとりに至り、心に一計を案じ、身につけていた白い袍を江辺の柳の木に掛け、一足の履を江辺に脱ぎ捨て、代わりに草鞋に履き替え、江に沿って一路下って行った。
- 沈尹戍は追跡して江口まで至り、その袍と履を得て、「伍員の行方は知れません」と報告した。
- 無極が進み出て「臣に一計がございます。伍員の逃げ道を絶つことができましょう」と言った。王が「どのような計か」と尋ねると、無極は「四方の各所に高札を掲げ、身分を問わず伍員を捕らえて連れてきた者には粟五万石、爵は上大夫を賜うと布告します。かくまったり逃がしたりした者は一族処刑と定めます。各地の関所・渡し場に令を下し、往来する者すべてに厳しく詮議させます。さらに使者を列国の諸侯に遍く遣わして、伍員をかくまってはならぬと告げさせます。彼は進むも退くも道がなくなり、たとえ一時捕らえられずとも、その勢いは孤立し、どうして大事を成すことなどできましょうか」と答えた。
- 平王はことごとくその計に従った。人相を描き伍員を探索させ、各関所は非常に厳重になった。
申包胥との再会と太子建への合流
- さて伍員は江に沿って東へ下り、一心に呉国を頼ろうとしたが、道のりは遥かで、すぐには辿り着けなかった。
- ふと「太子建は宋国に逃げていたのだった。あちらを頼ってはどうか」と思いつき、睢陽への道を目指して進んだ。
- 途中、突然一群の車馬が前方からやって来るのを見た。伍員は楚の兵が道を遮っているのではと疑い、あえて姿を現さず、林に身を潜めて様子を窺うと、それは旧知の申包胥であった。員とは八拝の交わりを結んだ仲で、他国への使いから帰る途中、ここを通りかかったのであった。
- 伍員は進み出て、車の左に立った。包胥は慌てて車を下りて対面し、「子胥はどうして一人でここまで来られたのか」と尋ねた。
- 伍員は平王が理不尽にも父兄を殺した事の次第を、泣きながら訴えた。
- 包胥はこれを聞いて痛ましく思い、「あなたは今どこへ行かれるのか」と尋ねた。
- 員は「私は『父母の仇は共に天を戴かず』と聞いております。私は他国へ逃げ、兵を借りて楚を討ち、楚王の肉を生きたまま噛み、無極の屍を車裂きにして、ようやくこの恨みを晴らします」と言った。
- 包胥は「楚王は無道とはいえ、なお君である。あなたは代々その禄を食んできた。君臣の分はすでに定まっている。どうして臣でありながら君に仇なすことができようか」と諭した。
- 員は「昔、桀・紂はその臣に誅されました。それはひとえに無道であったからです。楚王は子の嫁を娶り、正統の世継ぎを捨て、讒言する者を信じて忠良を殺しました。私は兵を請うて郢に入り、楚国の汚穢を掃き清めるつもりです。まして骨肉の仇があればなおさらです。もし楚を滅ぼせなければ、二度と天地の間には立ちません」と言った。
- 包胥は「あなたに楚に報復することを教えれば不忠となり、報復しないよう教えれば、あなたを不孝に陥れることになる。あなたは努めなさい。行きなさい。友としての誼から、私は決して他人にこのことを漏らしはしない。しかし、あなたが楚を覆すことができるなら、私は必ず楚を存続させてみせる。あなたが楚を危うくすることができるなら、私は必ず楚を安んじてみせる」と言った。
- 伍員は包胥に別れを告げて出発した。
- 幾日もかからぬうちに宋国に至り、太子建を訪ね当てた。二人は抱き合って泣き、それぞれ平王の過ちを語り合った。
- 員は「太子はすでに宋君にお会いになりましたか」と尋ねた。建は「宋国はちょうど内乱の最中で、君臣が互いに攻め合っており、私はまだ拝謁しておりません」と答えた。
宋の内紛と鄭への出奔
- さて宋の君は名を佐といい、宋の平公の寵妾の子であった。平公は寺人伊戾の讒言を聞いて、太子痤を殺して佐を立てた。
- 周の景王十三年、平公が薨じ、佐が跡を継いだ。これが元公である。
- 元公は容貌が醜く性質は柔弱で、私心が多く信義に乏しかった。世卿華氏の強さを嫌い、公子寅・公子御戎・向勝・向行らと謀ってこれを除こうとした。
- 向勝はその謀を向寧に漏らし、寧は華向・華定・華亥と親しかったので、先手を打って乱を起こすことを謀った。
- 華亥はわざと病と偽り、群臣は皆見舞いに訪れた。華亥は公子寅と御戎を捕らえて殺し、向勝・向行を穀物蔵に閉じ込めた。
- 元公はこれを聞くと、急いで車を駆って自ら華氏の門に赴き、二向の釈放を求めた。華亥は元公をも脅し、世子および近臣を人質に差し出すよう求め、ようやくその請いに応じた。
- 元公は「周と鄭が人質を交わしたことは、昔からあることだ。私が世子を卿の家に人質として送るなら、卿の子もまた私のもとへ人質として送るべきであろう」と言った。
- 華氏はこれを協議し、華亥の子無慼、華定の子啓、向寧の子向羅を、公のもとへ人質として送った。元公もまた世子欒と母を同じくする弟の辰、公子地を、華亥の家へ人質として送った。
- 華亥はようやく向勝・向行を解放し、二人は元公に従って朝廷に戻った。
- 元公と夫人は世子欒を心配し、毎日必ず華氏の家に赴き、世子が食事を終えるのを見届けてから帰った。
- 華亥はこれを不便に思い、世子を宮に送り返そうとした。元公は大いに喜んだ。
- 向寧はこれに反対して「世子を人質にした理由は、まさに信用できないからです。もし人質を戻せば、必ず禍が起こります」と言った。
- 元公は華亥が途中で考えを変えたことを聞くと大いに怒り、大司馬華費遂を召して、武装兵を率いて華氏を攻めさせようとした。
- 費遂は「世子はあちらにおられます。君はそのことをお考えにならないのですか」と答えた。
- 元公は「死生は命である。私はこの恥辱を忍ぶことができない」と言った。
- 費遂は「君の意がすでに決まっているのなら、老臣がどうしてあえて私党をかばい、君命に背くことができましょうか」と言い、その日のうちに武器と甲冑を整えた。
- 元公は人質としていた華無慼・華啓・向羅をすべて斬首し、華氏を攻めようとした。
- 華登は日頃から華亥と親しく、走って知らせに行った。華亥は急いで一族の兵を集めて迎え撃ったが、敗れた。
- 向寧は世子を殺そうとしたが、華亥は「すでに君に罪を得ているのに、さらに君の子を殺せば、人は私を非難するであろう」と言った。
- そこで人質をことごとく返し、その党とともに陳国へ出奔した。
- 華費遂には三人の子があった。長子は華貙、次子は華多僚、華登はその三番目の子である。
- 多僚と貙は日頃から仲が悪く、華氏の乱に乗じて元公に「華貙は実は華亥・華定の同謀者であり、今この者は彼らを陳から呼び戻し、自分が城内で内応しようとしております」と讒言した。
- 元公はこれを信じ、寺人宜僚に費遂へその旨を告げさせた。
- 費遂は「これはきっと多僚の讒言であろう。君がすでに貙を疑われるのなら、追放を願い出るまでのことだ」と言った。
- 華貙の家臣張匄は、ひそかにこのことを聞きつけ、宜僚に問いただした。宜僚は言おうとしなかった。
- 張匄は剣を抜いて「言わなければ、お前を殺す」と言った。宜僚は恐れて、事の真相をすべて話した。
- 張匄はこれを華貙に告げ、多僚を殺すことを求めた。
- 華貙は「登は出奔し、すでに司馬の心を傷つけた。我ら兄弟がさらに殺し合えば、どうして自らを立てることができようか。私は身を避けよう」と言った。
- 華貙は父のもとへ暇乞いに行き、張匄も同行した。
- ちょうど費遂が朝から出てきたところで、多僚がその御者を務めていた。
- 張匄はこれを見るや怒りがこみ上げ、帯びていた剣を抜いて多僚を斬り殺した。
- そして華費遂を捕らえて盧門を出、南里に立てこもった。人を陳に遣わし、華亥・向寧らを呼び戻して謀反を共にさせた。
- 宋の元公は樂大心を大将に任じ、兵を率いて南里を包囲させた。
- 華登は楚に兵を借りに行き、楚の平王は薳越に軍を率いさせて華氏を救援させた。
- 伍員は楚の軍が到来しようとしていることを聞き、「宋国はもう住める所ではない」と言った。そこで太子建とその妻子とともに、西の鄭国へと逃れた。これを証する詩がある。
- (詩:千里を旅して人に身を寄せてもなお息をつく間もなく、盧門にはまた鐘鼓の音が喧しく響く、よるべない臣と見捨てられた子は流転を重ね、また滎陽へと向かって鞭を打つ、という趣旨)
- 楚の兵は華氏を救いに到来し、晋の頃公もまた諸侯を率いて宋を救いに来たが、諸侯たちは楚と戦うことを望まず、宋に南里の囲みを解くよう勧め、華亥・向寧らを楚へ出奔させることで、両者は兵を収めた。これは後の話である。
鄭での謀と太子建の死
- そのころ鄭の上卿公孫僑が新たに亡くなったばかりで、鄭の定公はその死を深く悼んでいた。もとより伍員が三代の忠臣の後裔で、比類ない英雄であることを知っており、また当時晋と鄭は誼を通じ、楚とは仇敵の間柄であったので、太子建が来たことを聞いて大いに喜び、賓客係に館を用意させ、手厚く食糧を給した。
- 建と伍員は、鄭伯に会うたびに、必ずその冤罪を泣いて訴えた。
- 鄭定公は「鄭国は兵も少なく力も弱い。頼りにはならぬ。あなたが仇を報じたいのなら、なぜ晋に謀らないのか」と言った。
- 世子建は伍員を鄭に留め、自ら晋へ赴き、晋の頃公に謁見した。
- 頃公はその詳細を尋ね、宿舎に住まわせ、六卿を召して楚討伐のことを協議させた。
- 六卿とは、魏舒・趙鞅・韓不信・士鞅・荀寅・荀躒である。当時六卿が権勢を握り、それぞれ互いに譲らず、君は弱く臣は強く、頃公は自ら専断することができなかった。
- その中でも魏舒と韓不信だけは賢良の誉れがあったが、他の四卿は皆権勢を貪り恃みとする輩であり、中でも荀寅はことに賄賂を好んだ。
- 鄭の子産が国政を執っていた頃は、礼を執って堂々と渡り合い、晋の卿たちもこれを畏れていた。游吉が代わって執政となるに及び、荀寅はひそかに人を遣わして游吉に賄賂を求めたが、吉は従わなかった。これにより寅は鄭を憎む心を抱くようになった。
- ここに至って、寅はひそかに頃公に「鄭は晋楚の間で去就を定めず、その心が定まらないことは一日や二日のことではありません。今、楚の世子が鄭にいますが、鄭は必ずこれを信用して警戒しないでしょう。世子に内応させ、我らが兵を挙げて鄭を滅ぼし、その地を太子に与え、その後徐々に楚を滅ぼす謀を図れば、何の不都合がありましょうか」と奏上した。
- 頃公はこの計に従い、荀寅にその企みを密かに世子建に告げさせた。建は喜んでこれを承諾した。
- 建は晋の頃公に暇を告げ、鄭国に帰り、伍員にこのことを相談した。
- 員は「かつて秦の将杞子・楊孫が鄭国を襲おうと謀りましたが、事は成らず、身を寄せる所すらありませんでした。そもそも鄭の人は忠信をもって私たちを厚遇してくれています。どうしてこれを謀ることができましょうか。これは僥倖を頼みにする計です。決して行ってはなりません」と諫めた。
- 建は「私はすでに晋の君臣に約束してしまった」と言った。
- 員は「晋に応じないことは罪にはなりません。しかし鄭を謀れば、信義をともに失うことになります。どうして人といえましょうか。あなたがどうしても行うのなら、禍がすぐに訪れましょう」と言った。
- 建は国を得ることに貪欲になり、伍員の諫めを聞き入れず、家財を使って勇猛な者たちを密かに募り、さらに鄭伯の側近と結び、自分を助けてもらおうとした。
- 側近たちはその賄賂を受け取り、次々と結託していった。
- 晋国から密かに人を遣わして建のもとへ日取りを打ち合わせに来たところ、その謀は次第に漏れ、密告する者が現れた。
- 鄭定公は游吉と協議し、太子建を後園に招いて遊ばせ、供の者は皆入れなかった。三杯の酒が終わると、鄭伯は「私はよかれと思って太子を留め置き、決して粗略には扱っていない。太子はどうして私を図ろうとされたのか」と言った。
- 建は「そのようなことは断じてない」と答えた。
- 定公は左右に命じてその事の詳細を突きつけさせ、太子建は言い逃れることができなかった。
- 鄭伯は大いに怒り、力士に命じて建をその席で捕らえさせ、斬った。あわせて賄賂を受け取りながら名乗り出なかった側近二十余人も誅殺した。
- 伍員は宿舎にいて、突然胸騒ぎが止まらなくなり、「太子は危ないぞ」と言った。
- しばらくして、建の従者が驛に逃げ戻り、太子が殺されたことを告げた。
- 伍員は直ちに建の子勝を連れて鄭の城を出た。逃げる道もなく、思案の末、呉国へ逃れるほかなかった。髯翁に詩があり、もっぱら太子建が自ら招いた殺身の禍を詠んだものである。詩に曰く。
- (詩:実の父はまるで仇のように隔たり、鄭君は館を貸して厚遇したのに、建のほうがかえって鄭を侵す謀を企てた、人情の測りがたきことこの通りであり、英雄の好んだ義心もすっかり冷え切ってしまった、という趣旨)
昭関にて東皋公と出会う(一夜白頭と替え玉の計)
- さて伍員は公子勝とともに、鄭国からの追手を恐れ、一路昼は身を隠し夜に行く、千辛万苦をなめ尽くしたが、その詳細は述べるまでもない。
- 陳国を通り過ぎ、陳は身を留める所ではないと知った。さらに東へ数日行き、まもなく昭関に至ろうとしていた。
- その関は小峴山の西にあり、二つの山が向かい合ってそびえ、その間の一つの隘路が廬濠を行き来する要衝であった。この関を出れば、すなわち大江であり、呉へ通じる水路であった。
- 地形は険しく狭く、もとより官が守備を置いていた。近ごろ伍員を詮議することにより、特に右司馬薳越を派遣し、大軍を率いてここに駐屯させていた。
- 伍員は歴陽山に至り、昭関からおよそ六十里の距離のところで、深い林の中に身を潜め、行きつ戻りつして進めずにいた。
- ふと一人の老人が杖をついてやって来て、そのまま林の中に入り、伍員を見るとその姿を奇異に思い、進み出て会釈した。員も答礼した。
- 老人は「あなたは伍氏の子ではありませんか」と尋ねた。
- 員は大いに驚き「なぜそのようなことをお尋ねになるのですか」と言った。
- 老人は「私は扁鵲の弟子、東皋公という者です。若い頃から医術をもって列国を巡り、今は年老いてここに隠居しております。数日前、薳将軍が少し病を得られたので、私が診察に赴いたところ、関所の城門に伍子胥の人相書きが掲げられているのを見ました。あなたと正しく似ておられる。それゆえお尋ねしたのです。あなたは隠す必要はありません。私の家はこの山の裏手にあります。しばらくお立ち寄りいただき、お話しいたしましょう」と言った。
- 伍員はこの老人がただ者ではないと悟り、公子勝とともに東皋公に従って行った。
- 数里ほど行くと、一軒の茅葺きの家があった。東皋公は伍員を招き入れた。草堂に入ると、伍員は再拝した。東皋公は慌てて答礼して「ここはまだあなたが足を留める場所ではありません」と言い、さらに堂の裏の西側へ案内した。
- 小さな竹の編み戸を通り、竹園を過ぎると、その奥に三部屋の土室があり、その入り口は穴のようであった。頭を低くして入ると、中には寝台と小机が設えられ、左右の小窓から光が入っていた。東皋公は伍員を上座に招いた。
- 員は公子勝を指して「小主がおられます。私は側にお仕えいたします」と言った。
- 東皋公が「どなたですか」と尋ねると、員は「これは楚の太子建の子で、名は勝と申します。私は実は子胥でございます。あなたは徳のある方でいらっしゃるので、あえて事情を隠しません。私には父兄の骨に達する仇があり、必ずこれを報じようと誓っております。どうかお漏らしにならないでください」と言った。
- 東皋公は勝を上座に座らせ、自らは伍員と東西相対して座った。員に「老夫はただ人を助ける術を持っているだけで、どうして人を殺す心などありましょうか。この場所は一年半年住んでも、誰にも気づかれることはありません。しかし昭関の守りは非常に厳しく、あなたはどのようにして関を通られるおつもりですか。必ず万全の策を思案せねば、無事には行けますまい」と言った。
- 員はひざまずいて「先生にはどのような計があって私の難を脱してくださるのですか。後日必ず厚くお報いいたします」と言った。
- 東皋公は「ここは人気のない辺鄙な場所です。あなたはしばらくここにお留まりください。私に一策を思案させ、あなた方主従を関の外へお送りいたしましょう」と言った。員は感謝の言葉を述べた。
- 東皋公は毎日酒食でもてなし、七日間泊まらせたが、関を通る話は一向にしなかった。
- 伍員は東皋公に「私には心に大きな仇があり、一刻を一年のように思っております。ここに引き延ばされていることは、まるで死人のようです。先生の高いご義理、どうして哀れとお思いにならないのでしょうか」と言った。
- 東皋公は「老夫はすでに十分に考えを巡らせている。ただ一人の到着を待っているだけだ」と言った。
- 伍員は疑いを拭えず、その夜、寝ても眠れなかった。東皋公に別れを告げてすぐ出発しようかとも思ったが、関を通れずかえって禍を招くことを恐れた。留まり続けようかとも思ったが、時を無駄に費やすことを恐れ、また待っている人物が誰なのかも分からなかった。
- あれこれと思い悩み、寝返りを打っては不安になり、身も心もまるで棘の上にいるようであった。起き上がっては室内を歩き回り、いつしか東の空が白んできた。
- ちょうどそこへ東皋公が扉を叩いて入ってきた。伍員を見ると大いに驚き「あなたの髪や髭は、どうして急に色が変わってしまわれたのか。憂いの思いのせいではないか」と言った。
- 員は信じられず、鏡を取って照らしてみると、すでに真っ白になっていた。(世に伍子胥が昭関を過ぎるとき、一夜で髪が白くなったと伝えられるのは、根も葉もない話ではない。)
- 員は鏡を地に投げつけ、痛哭して「何一つ事を成さぬうちに、鬢はもう白くなってしまった。天よ、天よ」と言った。
- 東皋公は「あなたは悲しまれるな。これはあなたにとって良い兆しなのですよ」と言った。
- 員は涙を拭いて「どうして良い兆しだというのですか」と尋ねた。
- 東皋公は「あなたの姿かたちは堂々としており、見る者にはすぐ見分けられます。今、髪や髭がにわかに白くなったことで、しばらくは見分けがつきにくくなり、俗人の目をごまかすことができます。しかも私の友人を、老夫はすでに招き寄せてあります。私の計は成りました」と言った。
- 員は「先生の計とはどのようなものですか」と尋ねた。
- 東皋公は「私の友人は複姓皇甫、名は訥といい、ここから西南七十里の龍洞山に住んでおります。この人は身の丈九尺、眉の幅八寸、あなたによく似ております。彼にあなたのふりをさせ、あなたは従者のふりをするのです。もし私の友人が捕らえられ、皆が言い争いになったすきに、あなたは昭関を通り抜けることができましょう」と言った。
- 伍員は「先生の計はまことに良いものですが、あなたの友人に累が及びますこと、心苦しく思います」と言った。
- 東皋公は「その点は心配ご無用。おのずと救う策は後にございます。老夫はすでに友人に詳しく話しております。この人物も義に篤く、直情の士でありますから、断りません。ご懸念には及びません」と言い、人を遣わして皇甫訥を土室に呼び、伍員と対面させた。
- 員がこれを見ると、確かに三分ほど似ていたので、心中大いに喜んだ。
- 東皋公はまた薬湯を伍員に与えて顔を洗わせ、その顔色を変えさせた。黄昏時になると、伍員に身につけていた白い衣を脱がせ、皇甫訥にそれを着せた。別に丈夫な褐色の衣を用意し、員にはそれを着せて従者に扮させた。羋勝もまた着替えさせ、田舎の子供のような姿にした。
- 伍員は公子勝とともに、東皋公に四拝して「もし後日、出世できる日が来れば、必ず厚くお報いいたします」と言った。
- 東皋公は「老夫はあなたの冤罪を哀れみ、それゆえに助けようとしたまでのこと。どうして見返りを望みましょうか」と言った。
- 員と勝は皇甫訥に付き従って、夜通し昭関へ向かって進んだ。夜明けには到着し、ちょうど関が開く時であった。
昭関の突破
- さて楚の将薳越は関門を固く守り、「北方の人で東へ渡る者は、必ず盤問して身元を明らかにしなければ、関を通らせてはならない」と号令していた。
- 関の前には伍子胥の人相書きが掛けられ照合が行われており、まさに「水も洩らさぬ、鳥も飛び越えられぬ」ほどであった。
- 皇甫訥がちょうど関門にたどり着くと、関の兵卒はその姿かたちが人相書きに似ているうえ、身には白い衣をまとい、しかもおびえた様子であったので、すぐさま取り押さえ、薳越に報告した。
- 越は馬を飛ばして関の外へ出、遠くから望むと「間違いない」と叫び、左右に一斉に手を下すよう命じ、訥を関の上へ引き立てた。
- 訥はわけが分からぬふりをして、ただ命乞いをした。
- 関を守る将士や、関の前後の住民たちは、初めは子胥が捕らえられたと聞いて、皆こぞって見物に来た。
- 伍員は関門が大きく開いたのに乗じて、公子勝を連れ、群衆の中に紛れ込んだ。(一つには混雑していたため、二つには扮装が異なっていたため、三つには子胥の顔色がすでに変わり髪や髭が白くなって、老いた者と若い者との違いのように見えたため、急にはそれと気づかれず、四つには誰もが子胥がすでに捕らえられたと思ったため、詮議をしなくなっていた。)
- そのまま押し合いへし合いしながら、混じって関門を出た。まさに「鯉魚は金の鉤を脱して去り、尾を掉り頭を振ってもう戻ることはない」という言葉の通りであった。これを証する詩がある。
- (詩:多くの虎豹が拠る堅固な関も、一人の亡命の臣がすでに山を下ってしまった、これより呉の国は勢いを増し、郢都の戦は絶えることがなくなる、という趣旨)
皇甫訥の弁明
- さて楚の将薳越は、皇甫訥を縛り上げ拷問して自白を取ろうとし、郢都へ護送しようとした。
- 訥は「私は龍洞山の隠士、皇甫訥という者です。旧友の東皋公とともに関を出て東へ遊びに行こうとしただけで、何の咎もございません。なぜ捕らえられたのでしょうか」と弁明した。
- 薳越はその声を聞いて考えた。「子胥は目は電光のようで、声は大きな鐘のようだと聞く。この人物は姿かたちは似ているが、その声は低く小さい。これは道中の風霜による疲れのせいであろうか」。
- 疑いの最中に、「東皋公が面会に来られました」という報告が入った。薳越は捕虜を脇に押さえておくよう命じ、東皋公を招き入れ、主客の礼で座した。
- 東皋公は「老いた私は関を出て東へ遊びに行こうと思っていたところ、将軍が亡臣伍子胥を捕らえられたと聞き、わざわざお祝いに参りました」と言った。
- 薳越は「小卒が一人を捕らえたが、容貌は子胥に似ているものの、当人はまだ白状しようといたしません」と言った。
- 東皋公は「将軍は子胥ら伍氏の父子と同じ楚の朝廷に立たれた仲、どうして真偽を見分けられぬはずがありましょうか」と言った。
- 薳越は「子胥の目は電光のようで、声は大きな鐘のようだと言われている。この者は目が小さく声も細い。私はもしや、久しく疲れ果ててもとの様子を失っているのではないかと疑っているのだ」と言った。
- 東皋公は「老いた私も子胥とは一面識ございます。どうかこの者をお借りして私に見分けさせてくだされば、真偽がすぐに分かりましょう」と言った。
- 薳越は元の囚人を前へ連れて来させた。訥は東皋公を見るや、たちまち声を上げて「あなたと出発を約束していたのに、どうしてもっと早くお着きにならなかったのですか。おかげで私はひどい目に遭いましたぞ」と言った。
- 東皋公は薳越に笑いながら「将軍、それは誤りです。これは私の郷里の友人、皇甫訥と申します。私と一緒に出かける約束をしており、関前で落ち合う手はずでしたが、思いがけず先に一足行ってしまったのです。将軍がお信じにならないのなら、老夫には通行の証明書がございます。どうしてこれを亡命の臣であると誣告することができましょうか」と言い、袖の中から証明書を取り出して薳越に見せた。
- 越は大いに恥じ入り、自ら縄を解いて、酒を用意して驚きを鎮めようとし「これは小卒が正しく識別できなかったせいです。どうかお咎めなきよう」と言った。
- 東皋公は「これは将軍が朝廷のために法を執行されたまでのこと。老夫が咎めることなど何がございましょうか」と言った。
- 薳越はさらに金や絹を贈って東遊の資とした。二人は礼を述べて関を下った。薳越は将士に令を下し、これまで通り厳重に守らせた。
渡江と漁丈人の助け
- さて伍員は昭関を過ぎ、心中ひそかに喜び、足を運んで進んだ。数里も歩かぬうちに、一人の男に出会った。
- 伍員はその男を見知っていた。姓は左、名は誠といい、当時昭関で拍子木を打つ小役人であった。もとは城父の人で、かつて伍家の父子について狩猟に従ったことがあり、それゆえよく見分けがついた。
- 伍員を見ると大いに驚き「朝廷は公子を非常に厳しく捜索しております。公子はどうやって関を通られたのですか」と言った。
- 伍員は「主君は私が夜光の珠を持っていることを知り、私に差し出すよう求められた。この珠はすでに人手に渡ってしまい、今それを取り戻しに行くところである。先ほど薳将軍に申し上げ、お許しをいただいて来たのだ」と言った。
- 左誠は信じず「楚王には『公子を逃した者は一族処刑』という命令が出ております。どうか私と一緒にしばらく関に戻り、主将にはっきり尋ねてからお通りください」と言った。
- 伍員は「もし主将に会えば、私は美しい珠はすでにお前に渡したと言うことになるが、お前が説明に困るのではないか。それより人情としてこのまま私を通してくれるほうがよかろう。いずれまた会うこともあろう」と言った。
- 左誠は伍員の武勇を知っており、あえて逆らわず、東へ行かせた。関に戻ると、この事情を隠して誰にも言わなかった。
- 伍員は足を速め、鄂渚に至った。遠く大江を望むと、茫々として波濤は万頃に広がり、渡る舟が見あたらなかった。
- 伍員は前には大水が阻み、後ろには追っ手を憂え、心中はなはだ危急であった。
- ふと下流から一人の漁翁が舟に乗り、流れをさかのぼって来るのを見た。員は喜んで「天は私の命を絶たぬのだ」と言い、急いで「漁父よ、私を渡してくれ、漁父よ、早く私を渡してくれ」と叫んだ。
- その漁父は舟を岸に寄せようとしたが、岸辺にまた人影が動いているのを見て、声高らかに歌った。
- (歌:日月は明るく照りながら早くも過ぎ去ろうとしている、そなたと蘆の入り江で会う約束をしよう、という趣旨)
- 伍員はその歌の意を悟り、下流に沿って走り、蘆の洲に至り、葦やおぎの間に身を隠した。
- しばらくして、漁翁は舟を岸に着けたが、伍員の姿が見えないので、再び声高らかに歌った。
- (歌:日はすでに暮れ、我が心は憂い悲しむ、月はすでに走り去ろうとしている、なぜ渡ろうとしないのか、という趣旨)
- 伍員は羋勝とともに蘆の茂みから出てきた。漁翁は急いでこれを招いた。二人は石を踏んで舟に乗り込み、漁翁は舟を一竿で押し開き、軽やかに櫂をこぎ、ひらひらと去って行った。
- 一時(いっとき)も経たぬうちに、対岸に着いた。
- 漁翁は「昨夜、将星が我が舟に落ちる夢を見ました。老いた私はきっと並はずれた人が渡しを求めてくるだろうと知り、それで舟を漕ぎ出てきたのですが、思いがけずあなたに出会いました。あなたの容貌を拝見するに、まことにただならぬお方です。どうか正直にお話しください、隠さずに」と言った。
- 伍員はそこで姓名を告げた。漁翁はしきりに驚き嘆き、「あなたには飢えの色が見えます。私が食べ物を取りに行ってあげましょう。しばらくお待ちください」と言った。
- 漁翁は舟を緑の柳の下につなぎ、村へ食べ物を取りに入ったが、なかなか戻らなかった。
- 員は勝に「人の心は測りがたい。人を集めて我らを捕らえようとしているのではないか」と言い、再び蘆の花の深い所に身を隠した。
- しばらくして、漁翁は麦飯・干し魚の羹・盎に入った漿を持って木の下に戻ってきたが、伍員の姿が見えないので、大声で「蘆の中の人よ、蘆の中の人よ、私はあなたから利を求める者ではありませんぞ」と呼びかけた。
- 伍員は蘆の中から出て応じた。漁翁は「あなたが飢え疲れていると知り、わざわざ食べ物を取りに行ったのに、どうして避けられるのですか」と言った。
- 伍員は「命は天にありますが、今は丈人に属しております。積もり積もった憂患に、心中はうろたえるばかりで、どうしてあえて避けたりいたしましょうか」と言った。
- 漁翁が食事を進めると、員と勝は満腹するまで食べた。去るにあたり、員は佩剣を解いて漁翁に授け「これは先王より賜ったもので、我が祖父より三代にわたって帯びてきたものです。中には七つの星があり、価値は百金に相当します。これをもって丈人の恵みに応えます」と言った。
- 漁翁は笑って「私は楚王が『伍員を捕らえた者には粟五万石、爵は上大夫を賜う』と令を出していると聞いております。私は上卿の賞さえ図らないのに、あなたの百金の剣を欲しがるでしょうか。しかも『君子は剣なくして旅せず』と申します。それはあなたに必要なもの、私には用がありません」と言った。
- 員は「丈人がすでに剣をお受け取りにならないのなら、せめてお名前をお聞かせください。後日必ずお報いいたしましょう」と言った。
- 漁翁は怒って「私はあなたが冤罪を負って苦しんでいることを思い、それゆえあなたを渡してさしあげたのだ。あなたが後日の報いを餌に私を釣ろうとするとは、立派な男子のすることではない」と言った。
- 員は「丈人が見返りを望まれなくとも、私の心はそれでどうして安らかでおられましょうか」と言い、なおも名を尋ねた。
- 漁翁は「今日ここで出会い、あなたは楚の難を逃れ、私は楚の賊を見逃した。どうして姓名など必要としましょうか。しかも私の生業は舟や櫂を操ること、波間に浮かぶ暮らしです。たとえ名がありましても、いつ再会できるかも分かりません。万一天がまた出会わせてくださるなら、私はただあなたを『蘆中人』と呼び、あなたは私を『漁丈人』と呼べば、それで記しとなりましょう」と言った。
- 員は喜んで拝謝した。
- 数歩行ったところで、伍員は再び振り返り漁翁に「もし後に追っ手が来たら、私のことを漏らさぬようお願いします」と言った。ただこの振り返っての一言が、後に漁翁の命を落とす原因となったのである。この後どうなったかは、次回を見られよ。
原文(底本)
話說伍員字子胥,監利人,生得身長一丈,腰大十圍,眉廣一尺,目光如電,有扛鼎拔山之勇,經文緯武之才。乃世子太師連尹奢之子,棠君尚之弟。尚與員俱隨其父奢於城父。鄢將師奉楚平王之命,欲誘二子入朝,先見了伍尚,因請見員。尚乃持父手書入內,與員觀看,曰:「父幸免死,二子封侯,使者在門,弟可出見之。」員曰:「父得免死,已為至幸。二子何功,而復封侯?此誘我也。往必見誅!」尚曰:「父見有手書,豈相誑哉?」員曰:「吾父忠於國家,知我必欲報仇,故使并命於楚,以絕後慮。」尚曰:「吾弟乃臆度之語。萬一父書果是真情,吾等不孝之罪何辭?」員曰:「兄且安坐,弟當卜其吉凶。」員布卦已畢,曰:「今日甲子日,時加於巳,支傷日下,氣不相受。主君欺其臣,父欺其子。去且就誅,何封侯之有哉?」尚曰:「非貪侯爵,思見父耳。」員曰:「楚人畏吾兄弟在外,必不敢殺吾父。兄若誤往,是速父之死也。」尚曰:「父子之愛,恩從中出。若得一面而死,亦所甘心!」於是伍員乃仰天嘆曰:「與父俱誅,何益於事?兄必欲往,弟從此辭矣!」尚泣曰:「弟將何往?」員曰:「能報楚者,吾即從之。」尚曰:「吾之智力,遠不及弟。我當歸楚,汝適他國。我以殉父為孝,汝以復仇為孝。從此各行其志,不復相見矣!」伍員拜了伍尚四拜,以當永訣。尚拭淚出見鄢將師,言:「弟不願封爵,不能強之。」將師只得同伍尚登車。既見平王,王并囚之。伍奢見伍尚單身歸楚,嘆曰:「吾固知員之不來也!」無極復奏曰:「伍員尚在,宜急捕之,遲且逃矣。」平王准奏,即遣大夫武城黑,領精卒二百人,往襲伍員。員探知楚兵來捕己,哭曰:「吾父兄果不免矣!」乃謂其妻賈氏曰:「吾欲逃奔他國,借兵以報父兄之仇,不能顧汝,奈何?」賈氏睜目視員曰:「大丈夫含父兄之怨,如割肺肝,何暇為婦人計耶?子可速行,勿以妾為念!」遂入戶自縊。伍員痛哭一場,藁葬其屍。即時收拾包裹,身穿素袍,貫弓佩劍而去。未及半日,楚兵已至,圍其家,搜伍員不得,度員必東走,遂命御者疾驅追之。約行三百里,及於曠野無人之處。員乃張弓布矢,射殺御者,復注矢欲射武城黑。黑懼,下車欲走。伍員曰:「本欲殺汝。姑留汝命歸報楚王,欲存楚國宗祀,必留我父兄之命。若其不然。吾必滅楚,親斬楚王之頭,以洩吾恨!」武城黑抱頭鼠竄,歸報平王,言「伍員已先逃矣。」平王大怒,即命費無極,押伍奢父子於市曹斬之。臨刑,伍尚唾罵無極,讒言惑主,殺害忠良。伍奢止曰:「見危授命,人臣之職。忠佞自有公論,何以詈為!但員兒不至,吾慮楚國君臣,自今以後,不得安然朝食矣。」言罷,引頸受戮。百姓觀者,無不流涕。是日天昏日暗,悲風慘冽。史臣有詩云: 慘慘悲風日失明,三朝忠裔忽遭坑。楚庭從此皆讒佞,引得吳兵入郢城。 平王問:「伍奢臨刑有何怨言?」無極曰:「並無他語,但言伍員不至,楚國君臣不能安食也。」平王曰:「員雖走,必不遠,宜更追之。」乃遣左司馬沈尹戍率三千人,窮其所往。伍員行及大江,心生一計,將所穿白袍,掛於江邊柳樹之上,取雙履棄於江邊,足換芒鞋,沿江直下。沈尹戍追至江口,得其袍履,回奏:「伍員不知去向。」無極進曰:「臣有一計,可絕伍員之路。」王問:「何計?」無極對曰:「一面出榜四處懸掛,不拘何人,有能捕獲伍員來者,賜粟五萬石,爵上大夫﹔容留及縱放者,全家處斬。詔各路關津渡口,凡來往行人,嚴加盤詰。又遣使遍告列國諸侯,不得收藏伍員。彼進退無路,縱一時不能就擒,其勢已孤,安能成其大事哉?」平王悉從其計。畫影圖形,訪拿伍員,各關隘十分緊急。 再說伍員沿江東下,一心欲投吳國,奈路途遙遠,一時難達。忽然想起:「太子建逃奔宋國,何不從之?」遂望睢陽一路而進。行至中途,忽見一簇車馬前來。伍員疑是楚兵截路,不敢出頭,伏於林中察之,乃故人申包胥也,與員有八拜之交,因出使他國回轉,在此經過。伍員趨出,立於車左。包胥慌忙下車相見,問:「子胥何故獨行至此?」伍員把平王枉殺父兄之事,哭訴一遍。包胥聞之,惻然動容,問曰:「子今何往?」員曰:「吾聞『父母之仇,不共戴天。』吾將奔往他國,借兵伐楚,生嚼楚王之肉,車裂無極之屍,方洩此恨!」包胥勸曰:「楚王雖無道,君也﹔子累世食其祿,君臣之分定矣。奈何以臣而仇君乎?」員曰:「昔桀紂見誅於其臣,惟無道也。楚王納子婦,棄嫡嗣,信讒佞,戮忠良,吾請兵入郢,乃為楚國掃蕩污穢,況又有骨肉之仇乎?若不能滅楚,誓不立於天地之間!」包胥曰:「吾欲教子報楚,則為不忠﹔教子不報,又陷子於不孝。子勉之!行矣!朋友之誼,吾必不漏洩於人。然子能覆楚,吾必能存楚﹔子能危楚,吾必能安楚。」伍員遂辭包胥而行。不一日,到了宋國,尋見了太子建,抱頭而哭,各訴平王之過惡。員曰:「太子曾見宋君否?」建曰:「宋國方有亂,君臣相攻,吾尚未通謁也。」 卻說宋君名佐,乃宋平公嬖妾之子。平公聽寺人伊戾之讒,殺太子痤而立佐。周景王十三年,平公薨,佐嗣立,是為元公。元公為人,貌醜而性柔,多私無信。惡世卿華氏之強,與公子寅、公子御戎、向勝、向行等,謀欲除去之。向勝洩其謀於向寧,寧與華向、華定、華亥相善,謀先期作亂。華亥乃偽為有疾,群臣皆來問疾。華亥執公子寅與御戎殺之,囚向勝向行於倉廩之中。元公聞之,亟駕車親至華氏之門,請釋二向。華亥并劫元公,索要世子及親臣為質,方從其請。元公曰:「周鄭交質,自昔有之。寡人以世子質於卿家,卿之子亦應質於寡人。」華氏商議,將華亥之子無慼,華定之子啟,向寧之子向羅,質於公所。元公亦召世子欒,與母弟辰,公子地,質於華亥之家。華亥始釋向勝向行,從元公還朝。元公與夫人,心念世子欒,每日必至華氏,視世子食畢方歸。華亥嫌其不便,欲送世子歸宮。元公甚喜。向寧不肯曰:「所以質太子者,惟不信也。若質去,禍必至矣。」元公聞華亥中悔,大怒,召大司馬華費遂,將帥甲攻華氏。費遂對曰:「世子在彼,君不念耶?」元公曰:「死生有命,寡人不能忍其恥辱!」費遂曰:「君意既決,老臣安敢庇其私族,以違君命哉?」即日整頓兵甲。元公遂將所質華無慼、華啟、向羅,盡皆斬首,將攻華氏。華登素善於華亥,奔往告之。華亥忙集家甲迎戰,兵敗。向寧欲殺世子,華亥曰:「得罪於君,又殺君子,人將議我。」乃盡歸其質,與其黨出奔陳國。華費遂有三子,長華貙,次華多僚,華登其第三子也。多僚與貙素不睦,因華氏之亂,譖於元公,言:「華貙實與亥定同謀,今自陳召之,將為內應。」元公信之,使寺人宜僚告於費遂。費遂曰:「此必多僚譖言也。君既疑貙,則請逐之。」華貙之家臣張匄,微聞其事,訊於宜僚。宜僚不肯言。張匄拔劍在手,曰:「汝若不言,吾即殺汝!」宜僚懼,盡吐其實。張匄報於華貙,請殺多僚。華貙曰:「登出奔,已傷司馬之心矣。吾兄弟復相殘,何以自立?吾將避之。」華貙往辭其父,張匄從行。恰好費遂自朝中出,多僚為之御車。張匄一見,怒氣勃發,拔佩劍砍殺多僚。劫華費遂同出盧門,屯於南里。使人至陳,招回華亥向寧等一同謀叛。宋元公拜樂大心為大將,率兵圍南里。華登如楚借兵,楚平王使薳越帥師來救華氏。伍員聞楚師將到,曰:「宋不可居矣!」乃與太子建及其母子,西奔鄭國。有詩為證: 千里投人未息肩,盧門金鼓又喧天。孤臣孽子多顛沛,又向滎陽快著鞭。 楚兵來救華氏,晉頃公亦率諸侯救宋,諸侯不欲與楚戰,勸宋解南里之圍,縱華亥向寧等出奔楚國,兩下罷兵。此是後話。 是時鄭上卿公孫僑新卒,鄭定公不勝痛悼。素知伍員乃三代忠臣之後,英雄無比,況且是時晉鄭方睦,與楚為仇,聞太子建之來,甚喜,使行人致館,厚其廩餼。建與伍員,每見鄭伯,必哭訴其冤情。鄭定公曰:「鄭國微兵寡,不足用也。子欲報仇,何不謀之於晉?」世子建留伍員於鄭,親往晉國,見晉頃公。頃公叩其備細,送居館驛,召六卿共議伐楚之事。那六卿:魏舒、趙鞅、韓不信、士鞅、荀寅、荀躒。時六卿用事,各不相下,君弱臣強,頃公不能自專。就中惟魏舒韓不信有賢聲,餘四卿皆貪權怙勢之輩,而荀寅好賂尤甚。鄭子產當國,執禮相抗,晉卿畏之。及游吉代為執政,荀寅私遣人求貨於吉,吉不從,由是寅有惡鄭之心。至是,密奏頃公曰:「鄭陰陽晉楚之間,其心不定,非一日矣。今楚世子在鄭,鄭必信之。世子能為內應,我起兵滅鄭,即以鄭封太子,然後徐圖滅楚,有何不可?」頃公從其計,即命荀寅以其謀私告世子建,建欣然諾之。建辭了晉頃公,回至鄭國,與伍員商議其事。員諫曰:「昔秦將杞子楊孫謀襲鄭國,事既不成,竄身無所。夫人以忠信待我,奈何謀之?此僥倖之計,必不可!」建曰:「吾已許晉君臣矣。」員曰:「不為晉應,未有罪也。若謀鄭,則信義俱失,何以為人?子必行之,禍立至矣。」建貪於得國,遂不聽伍員之諫,以家財私募驍勇,復交結鄭伯左右,冀其助己。左右受其賄賂,轉相要結。因晉國私遣人至建處,約會日期,其謀漸洩,遂有人密地投首。鄭定公與游吉計議,召太子建遊於後圃,從者皆不得入,三杯酒罷,鄭伯曰:「寡人好意容留太子,不曾怠慢,太子奈何見圖?」建曰:「從無此意。」定公使左右面質其事,太子建不能諱。鄭伯大怒,喝令力士,擒建於席上,斬之﹔並誅左右受賂不出首者二十餘人。伍員在館驛,忽然肉跳不止,曰:「太子危矣!」少頃,建從人逃回驛中,言太子被殺之事。伍員即時攜建子勝出了鄭城,思量無路可奔,只得往吳國逃難。髯翁有詩,單詠太子建自取殺身之禍。詩云: 親父如仇隔釜鬵,鄭君假館反謀侵,人情難料皆如此,冷盡英雄好義心。 再說伍員同公子勝,懼鄭國來追,一路晝伏夜行,千辛萬苦,不必細述。行過陳國,知陳非駐足之處。復東行數日,將近昭關。那座關,在小峴山之西,兩山竝峙,中間一口,為廬濠往來之衝,出了此關,便是大江,通吳的水路了。形勢險隘,原設有官把守。近因盤詰伍員,特遣右司馬薳越,帶領大軍駐紮於此。伍員行至歷陽山,離昭關約六十里之程,偃息深林,徘徊不進。忽有一老父攜杖而來,逕入林中,見伍員,奇其貌,乃前揖之。員亦答禮。老父曰:「君能非伍氏子乎?」員大駭曰:「何為問及於此?」老父曰:「吾乃扁鵲之弟子東皋公也。自少以醫術遊於列國,今年老,隱居於此。數日前,薳將軍有小恙,邀某往視,見關上懸有伍子胥形貌,與君正相似,是以問之。君不必諱,寒舍只在山後,請那步暫過,有話可以商量。」伍員知其非常人,乃同公子勝隨東皋公而行。約數里,有一茅莊,東皋公揖伍員而入。進了草堂,伍員再拜。東皋公慌忙答禮曰:「此尚非君停足之處。」復引至堂後西偏,進一小小笆門,過一竹園,園後有土屋三間,其門如竇。低頭而入,內設床几,左右開小窗透光,東皋公推伍員上座。員指公子勝曰:「有小主在,吾當側侍。」東皋公問:「何人?」員曰:「此即楚太子建之子,名勝。某實子胥也。以公長者,不敢隱情。某有父兄切骨之仇,誓欲圖報,幸公勿洩!」東皋公乃坐勝於上,自己與伍員東西相對。謂員曰:「老夫但有濟人之術,豈有殺人之心哉!此處雖住一年半載,亦無人知覺。但昭關設守甚嚴,公子如何可過?必思一萬全之策,方可無虞。」員下跪曰:「先生何計能脫我難?日後必當重報!」東皋公曰:「此處荒僻無人,公子且寬留。容某尋思一策,送爾君臣過關。」員稱謝。東皋公每日以酒食款待,一住七日,并不言過關之事。伍員乃謂東皋公曰:「某有大仇在心,以刻為歲,遷延於此,宛如死人。先生高義,寧不哀乎?」東皋公曰:「老夫思之已熟,欲待一人未至耳。」伍員狐疑不決。是夜,寢不能寐。欲要辭了東皋公前行,恐不能過關,反惹其禍。欲待再住,又恐擔擱時日,所待者又不知何人。展轉尋思,反側不安,身心如在芒刺之中。臥而復起,繞室而走,不覺東方發白。只見東皋公叩門而入,見了伍員,大驚曰:「足下鬚鬢,何以忽然改色?得無愁思所致耶?」員不信,取鏡照之,已蒼然頒白矣!(世傳伍子胥過昭關,一夜愁白了頭,非浪言也。)員乃投鏡於地,痛哭曰:「一事無成,雙鬢已斑,天乎,天乎!」東皋公曰:「足下勿得悲傷,此乃足下佳兆也。」員拭淚問曰:「何謂佳兆?」東皋公曰:「公狀貌雄偉,見者易識。今鬚鬢頓白,一時難辨,可以混過俗眼。況吾友,老夫已請到,吾計成矣。」員曰:「先生計安在?」東皋公曰:「吾友複姓皇甫,名訥,從此西南七十里龍洞山居住。此人身長九尺,眉廣八寸,彷彿與足下相似。教他假扮作足下,足下卻扮為僕者,倘吾友被執,紛論之間,足下便可搶過昭關矣。」伍員曰:「先生之計雖善,但累及貴友,於心不安!」東皋公曰:「這個不妨,自有解救之策在後,老夫已與吾友備細言之。此君亦慷慨之士,直任無辭,不必過慮。」言畢,遂使人請皇甫訥至土室中,與伍員相見。員視之,果有三分相像,心中不勝之喜。東皋公又將藥湯與伍員洗臉,變其顏色。捱至黃昏,使伍員解其素服,與皇甫訥穿之。另將緊身褐衣,與員穿著,扮作僕者。羋勝亦更衣,如村家小兒之狀。伍員同公子勝,拜了東皋公四拜:「異日倘有出頭之日,定當重報!」東皋公曰:「老夫哀君受冤,故欲相脫,豈望報也!」員與勝跟隨皇甫訥,連夜望昭關而行,黎明已到,正值開關。 卻說楚將薳越,堅守關門,號令:「凡北人東度者,務要盤詰明白,方許過關。」關前畫有伍子胥面貌查對,真個「水洩不通,鳥飛不過。」皇甫訥剛到關門,關卒見其狀貌,與圖形相似,身空素縞,且有驚悸之狀,即時盤住,入報薳越。越飛馳出關,遙望之曰:「是矣!」喝令左右一齊下手,將訥擁入關上。訥詐為不知其故,但乞放生。那些守關將士,及關前後百姓,初聞捉得子胥,盡皆踴躍觀看。伍員乘關門大開,帶領公子勝,雜於眾人之中,(一來擾攘之際,二來裝扮不同,三來子胥面色既改,鬚鬢俱白,老少不同,急切無人認得,四來都道子胥已獲,便不去盤詰了。)遂捱捱擠擠,混出關門。正是:「鯉魚脫卻金鉤去,擺尾搖頭再不來。」有詩為證: 千群虎豹據雄關,一介亡臣已下山,從此勾吳添勝氣,郢都兵革不能閒。 再說楚將薳越,欲將皇甫訥綁縛拷打,責令供狀,解去郢都。訥辨曰:「吾乃龍洞山下隱士皇甫訥也。欲從故人東皋公出關東遊,并無觸犯,何故見擒?」薳越聞其聲音,想道:「子胥目如閃電,聲若洪鐘。此人形貌雖然相近,其聲低小,豈途路風霜所致耶?」正疑惑間,忽報「東皋公來見。」薳越命押在一邊,延東皋公入,各序賓主而坐。東皋公曰:「老漢欲出關東遊,聞將軍捉得亡臣伍子胥,特來稱賀!」薳越曰:「小卒拿得一人,貌類子胥,而未肯招承。」東皋公曰:「將軍與子胥父子,共立楚朝,豈不能辨別真偽耶?」薳越曰:「子胥目如閃電,聲如洪鐘。此人目小而聲雌,吾疑憔悴已久,失其故態耳。」東皋公曰:「老漢與子胥亦有一面,請借此人與吾辨之,便知虛實。」薳越命取原囚至前。訥望見東皋公,遽呼曰:「公相期出關,何不早至?累我受辱!」東皋公笑謂薳越曰:「將軍誤矣!此吾鄉友皇甫訥也。約吾同遊,期定關前相會,不意他先行一程。將軍不信,老夫有過關文牒在此,焉可誣為亡臣耶?」言畢,即於袖中取出文牒,呈與薳越觀看。越大慚,親釋其縛,命酒壓驚曰:「此乃小卒識認不真,萬勿見怪!」東皋公曰:「此將軍為朝廷執法,老夫何怪之有。」薳越又取金帛相助,為東遊之資。二人稱謝下關。薳越號令將士,堅守如故。 再說伍員過了昭關,心中暗喜,放步而行。走不上數里,遇著一人,伍員認得他姓左名誠,見為昭關擊柝小吏。他原是城父人,曾跟隨伍家父子射獵,所以識認頗真。見伍員,大驚曰:「朝廷索公子甚急,公子如何過關?」伍員曰:「主公知我有一顆夜光之珠,問我取索,此珠已落人手,將往取之,適纔稟過薳將軍,蒙他釋放來的。」左誠不信曰:「楚王有令:『縱放公子者,全家處斬。』某請同公子暫回關上,問明了主將,方纔可行。」伍員曰:「若見主將,我說美珠已交付與你,恐汝難於分剖。不如做人情放我,他日好相見也。」左誠知伍員英勇,不敢相抗,遂縱之東行,回到關上,隱過其事不提。伍員疾行,至於鄂渚,遙望大江,茫茫浩浩,波濤萬頃,無舟可渡。伍員前阻大水,後慮追兵,心中十分危急。忽見有漁翁乘船,從下流泝水而上,員喜曰:「天不絕我命也!」乃急呼曰:「漁父渡我!漁父速速渡我!」那漁父方欲攏船,見岸上又有人行動,乃放聲歌曰: 日月昭昭乎侵已馳,與子期乎蘆之漪。 伍員聞歌會意,即望下流沿江趨走,至於蘆洲,以蘆荻自隱。少頃,漁翁將船攏岸,不見了伍員,復放聲歌曰: 日已夕兮,予心憂悲﹔月已馳兮,何不渡為? 伍員同羋勝從蘆叢中鑽出,漁翁急招之。二人踐石登舟,漁翁將船一篙點開,輕撐蘭槳,飄飄而去。不勾一個時辰,達於對岸。漁翁曰:「夜來夢將星墜於吾舟,老漢知必有異人問渡,所以蕩槳出來,不期遇子。觀子容貌,的非常人,可實告我,勿相隱也。」伍員遂告姓名。漁翁嗟呀不已,曰:「子面有飢色,吾往取食啖子,子姑少待。」漁翁將舟繫於綠楊下,入村取食,久而不至。員謂勝曰:「人心難測,安知不聚徒擒我?」乃復隱於蘆花深處。少頃,漁翁取麥飯、鮑魚羹、盎漿,來至樹下,不見伍員,乃高喚曰:「蘆中人!蘆中人!吾非以子求利者也!」伍員乃出蘆中而應。漁翁曰:「知子飢困,特為取食,奈何相避耶?」伍員曰:「性命屬天,今屬於丈人矣。憂患所積,中心皇皇,豈敢相避?」漁翁進食,員與勝飽餐一頓,臨去,解佩劍以授漁翁,曰:「此先王所賜,吾祖父佩之三世矣。中有七星,價值百金,以此答丈人之惠。」漁翁笑曰:「吾聞楚王有令:『得伍員者,賜粟五萬石,爵上大夫。』吾不圖上卿之賞,而利汝百金之劍乎?且『君子無劍不遊』,子所必需,吾無所用也。」員曰:「丈人既不受劍,願乞姓名,以圖後報!」漁翁怒曰:「吾以子含冤負屈,故渡汝過江。子以後報啖我,非丈夫也!」員曰:「丈人雖不望報,某心何以自安?」固請言之。漁翁曰:「今日相逢,子逃楚難,吾縱楚賊,安用姓名為哉?況我舟楫活計,波浪生涯,雖有名姓,何期而會?萬一天遣相逢,我但呼子為『蘆中人』,子呼我為『漁丈人』,足為誌記耳。」員乃欣然拜謝。方行數步,復轉身謂漁翁曰:「倘後有追兵來至,勿洩吾機。」只因轉身一言,有分喪了漁翁性命。要知後事,且看下回分解。
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