東周列國志第七十四回 囊瓦、謗りを懼れて費無極を誅す/要離、名を貪って慶忌を刺す (囊瓦懼謗誅無極 要離貪名刺慶忌)

費無極の奸計と郤宛の死、費無極・鄢将師の誅殺

  • 話は変わって、費無極は伯郤宛のことを深く忌み、鄢将師と相談して一計を案じ、囊瓦を欺いて「子悪(郤宛)が酒宴を設けてお招きしたいと考えており、私に相国のお気持ちを探るよう頼んでまいりました。相国は喜んでお降りいただけましょうか」と偽って言った。
  • 囊瓦は「彼が招いてくれるなら、どうして行かないことがあろうか」と言った。
  • 無極はさらに郤宛にも「令尹はあなたの家で酒を飲みたいと言っておられる。あなたがそのための宴を用意されるかどうか、私に探るよう頼まれた」と言った。
  • 郤宛はこれが計略とは知らず「私は下僚の身、令尹がわざわざお越しくださるとは、まことに光栄です。明日にも粗末な酒宴を用意してお待ちいたします。どうか大夫からお伝えください」と答えた。
  • 無極は「あなたは令尹をどのような物でもてなすおつもりか」と尋ねた。郤宛は「令尹の好むところが分かりません」と答えた。
  • 無極は「令尹が最も好むのは、堅い甲と鋭い武器だ。あなたの家で酒を飲みたいというのも、呉から得た捕獲品の半分があなたに渡っているからで、それを見たいのだ。あなたは持っているものをすべて出しなさい。私があなたのために選んでやろう」と言った。
  • 郤宛は本当だと思い込み、楚平王から賜った物や自家に蔵していた武器や鎧をすべて取り出して無極に見せた。
  • 無極はその中でも堅く鋭いものを、それぞれ五十件選んで「これで十分だ。あなたは幕を張って門の内に並べておきなさい。令尹が来たら必ず尋ねるだろうから、そうしたら出して見せなさい。令尹はきっと気に入って手にするだろうから、それを機に献上しなさい。他の物は令尹の好むところではない」と言った。
  • 郤宛はこれを信じ込み、門の左手に幕を張り、その中に武器や鎧を置いた。豪華な料理を用意し、費無極に囊瓦を招きに行かせた。
  • 囊瓦が出発しようとすると、無極は「人の心は測りがたいものです。私が先に行って、宴の様子を探ってから、後からお供いたしましょう」と言った。
  • 無極が去ってしばらくすると、慌てふためいて戻ってきて、息を切らせながら囊瓦に「あわや相国を誤らせるところでした。子悪が今日お招きしたのは、決してよい思いからではなく、相国に危害を加えようとしているのです。先ほど門に武器や鎧が幕で覆われているのを見ました。相国がうかつに行かれれば、必ずその毒牙にかかりましょう」と言った。
  • 囊瓦は「子悪は日頃から私と何ら不仲ではないのに、どうしてそこまでのことをするだろうか」と言った。
  • 無極は「彼は王の寵愛をたのみ、あなたに代わって令尹になろうとしているのです。しかも私が聞くところによれば、子悪はひそかに呉と通じ、潜を救った戦いで、諸将は呉を討伐しようとしたのに、子悪はひそかに呉人の賄賂を得て、これを乗ずるべき機を不義であるとし、強引に左司馬に兵を引き上げさせて帰らせたのです。呉は我らの喪に乗じ、我らは呉の乱に乗じることができたのに、どうしてそれを見送ったのでしょうか。呉の賄賂を得たのでなければ、どうしてあえて衆に逆らってまで軽々しく退いたりしましょうか。子悪がもし志を得れば、楚国は危うくなりましょう」と言った。
  • 囊瓦はなお完全には信じず、さらに左右の者に見に行かせたところ、「門の幕の中に確かに武器や鎧が隠されている」と報告された。
  • 囊瓦は大いに怒り、鄢将師を呼んで、郤宛が自分を害そうとした事を訴えた。
  • 将師は「郤宛の伯氏、陽令終・陽完・陽佗の陽氏、晋陳(しんちん)の晋氏、この三族が徒党を組み、楚の政を専らにしようと図っております。一日や二日のことではありません」と言った。
  • 囊瓦は「異国の匹夫が、あえて乱を起こそうとするとは。私が自ら手を下してこれを斬ってやろう」と言い、楚王に奏上し、鄢将師に武装した軍勢を率いさせて伯氏を攻めさせた。
  • 伯郤宛は無極に売られたことを悟り、自ら剣で首を刎ねて死んだ。その子伯嚭は禍を恐れ、郊外へ逃げ出した。
  • 囊瓦は伯氏の家を焼くよう命じたが、国人でこれに応じる者はいなかった。瓦はますます怒り「伯氏を焼かぬ者は同罪とする」と令を出した。
  • 人々は皆、郤宛が賢臣であることを知っていたので、誰もその屋敷を焼こうとしなかったが、囊瓦に強いられ、それぞれ一把の藁を手に取り、伯氏の門外に投げて走り去った。
  • 瓦はそこで自ら家人を率いて前後の門を包囲させ、大火を放った。哀れなことに左尹の邸宅一帯は、たちまち灰燼に帰し、郤宛の屍まで焼き尽くされて何も残らなかった。
  • 伯氏の一族は皆滅ぼされた。さらに陽令終・陽完・陽佗と晋陳を捕らえ、呉と通じて謀反したと誣告し、皆殺した。国中で冤罪を思わぬ者はなかった。
  • ある夜、囊瓦は月夜に楼に登ったとき、市中から歌声が聞こえ、それははっきりと聞き取れた。瓦がこれを聞くと、その歌はこうであった。
  • (歌:郤大夫のようになってはならぬ、忠であっても誅殺され、その身はすでに死し、骨さえ余さぬ、楚国には正しき君がおらず、ただ費と鄢のみ、令尹は木偶のごとく、他人のために繭を作って自らを縛っている、天に知るところあらば、報応はすぐに現れよう、という趣旨)
  • 瓦は急いで左右にその歌い主を捜させたが見つからなかった。ただ市の家々が皆神を祀り、香煙が絶えないのを見て、「その神とは誰なのか」と尋ねると「まさに楚の忠臣伯郤宛です。無実の罪で殺されたので、その訴えが天に届くことを願っているのです」と答えた。
  • 左右はこのことを囊瓦に報告した。瓦は朝廷でこの噂を尋ね回ると、公子申らは皆「郤宛には呉と通じた事実などない」と言った。瓦の心は大いに悔いを覚えた。
  • 沈尹戍は郊外で神を祀る者たちが皆令尹を呪詛していると聞き、囊瓦のもとへ来て「国人の怨みが充満しております。相国はお気づきになりませんか。そもそも費無極は楚の讒人であり、鄢将師とともに事実を覆い隠しています。朝呉を追い出し、蔡侯朱を追放し、先王に人倫にもとる事を行わせ、太子建を他国で死なせ、伍奢父子を冤罪で殺し、今また左尹を殺し、陽氏・晋氏の二家に累を及ぼしました。民衆のこの二人への怨みは骨髄に達しています。皆、相国がその悪行を放任していると言い、怨嗟や呪詛は国中に広がっております。人を殺してその誹りを覆い隠すことは、仁者でさえなしえないものですのに、ましてや人を殺して誹りを助長するようなことをどうしてなさるのですか。あなたは令尹でありながら、人を陥れる邪悪な者を放置して民心を失われました。いつか楚国に事あれば、賊が外に興り、国人が内に叛くことになりましょう。相国はまさに危うくなられましょう。讒言を信じて自ら危うくなるより、讒者を除いて自ら安んじる方がよいのではないでしょうか」と言った。
  • 囊瓦ははっとして席を下り「これは瓦の罪であった。どうか司馬の力を借りて、この二人の賊を誅したい」と言った。
  • 沈尹戍は「これは社稷の福でございます。どうしてお受けしないことがございましょうか」と言った。
  • 沈尹戍はすぐに人を遣わして国中に「左尹を殺したのは、皆費・鄢の二人が仕組んだことである。令尹はすでにその奸計を悟られた。今よりこれを討伐する。国人でお従いになりたい方は皆参られよ」と宣言させた。
  • 言い終わらぬうちに、民衆はめいめい武器を手に取り、先を争って駆けつけた。
  • 囊瓦は費無極と鄢将師を捕らえ、その罪を数え上げ、市で梟首した。国人は令尹の命を待たずして、両家の屋敷を火で焼き、その一党を滅ぼし尽くした。こうして誹謗と呪詛はようやく収まった。史臣に詩がある。
  • (詩:伯氏を焼かなかったが鄢・費を焼いた、公論と公の心は国人の中にあったのだ、令尹が早くから司馬と計を合わせていれば、讒言がどうして忠臣を害することがあったろうか、という趣旨)
  • また一詩あり、鄢・費の二人が生涯にわたり人を害し、かえって自らも害を受けたこと、讒言を弄することが何の益にもならないことを詠んだものである。詩に曰く。
  • (詩:風向きに乗じて火を放ち人を焼こうとしたが、たちまち風向きが変わって我が身を焼いてしまった、毒計と奸謀とは皆このようなもの、悪人で災いを免れる者は幾人もいない、という趣旨)

呉王闔閭の国政と築城

  • さて呉王闔閭の元年は、周の敬王の六年に当たる。闔閭は伍員に国政のことを尋ね「私は国を強くし覇を図りたいが、どうすればよいか」と言った。
  • 伍員はぬかずいて涙を流し「臣は楚国の亡命の身、父兄は冤罪を負い、骸骨は葬られず、その魂は犠牲を供える祭祀も受けられずにおりますのに、恥を忍び辱めを受けながら、大王に命を委ねてまいりました。幸いにも誅されることなく過ごせておりますのに、どうして呉国の政に関わることができましょうか」と答えた。
  • 闔閭は「あなたがいなければ、私は人の下に屈するのを免れなかったであろう。今幸いにも一言の教えを蒙り、今日の位を得たのだ。まさに国事をあなたに託そうとしているのに、なぜ途中で退く志を抱くのか。もしや私を頼りにならないと思っているのではないか」と言った。
  • 伍員は「臣は大王を頼りにならないと思っているわけではありません。臣が聞くところでは『疎遠な者は親しい者の間に立ち入らず、遠い者は近い者の間に立ち入らない』と申します。臣がどうしてあえて客人の身でありながら、呉国の謀臣の上に立てましょうか。しかも臣には大きな仇がまだ報いられておらず、心は落ち着かず、自らの計すら定まらないのに、どうして国を謀ることができましょうか」と言った。
  • 闔閭は「呉国の謀臣で、あなたに勝る者はいない。辞退してはならぬ。国事が少し落ち着けば、私はあなたのために仇を報いよう。ただあなたの命に従うのみだ」と言った。
  • 伍員は「王がお謀りになりたいこととは何でしょうか」と尋ねた。
  • 闔閭は「我が国は東南の片隅にあり、険阻で低湿な地であり、また海潮の患いもある。倉庫は設けられず、田畑は開墾されず、国には守備がなく、民には固い意志がなく、隣国に威を示すすべもない。どうしたものだろうか」と言った。
  • 伍員は「臣が聞くところでは、民を治める道は、民を安んじて住まわせてこそ治まるということにあります。そもそも覇王の業とは、近きより遠きを制するものです。まず城郭を立て、守備を設け、穀物倉を満たし、兵器を整え、内には守れる態勢を、外には敵に応じられる態勢を持たせなければなりません」と答えた。
  • 闔閭は「よろしい。私はあなたに命を委ねる。あなたが私のためにこれを図ってくれ」と言った。
  • 伍員はそこで地形の高低を見定め、水の味の鹹淡を試し、姑蘇山の東北三十里の地に良い場所を見つけ、大城を築いた。周囲四十七里、陸門は八つで天の八風にかたどり、水門も八つで地の八聡にのっとった。
  • その八つの門は次の通りである。
  • (八門:南は盤門・蛇門、北は齊門・平門、東は婁門・匠門、西は閶門・胥門)
  • 盤門は水の曲がりくねる様子にちなみ、蛇門は巳の方角にあり十二支の動物が蛇に当たることにちなみ、齊門は齊国が北にあることにちなみ、平門は水陸の地が釣り合っていることにちなみ、婁門は婁江の水が集まる所にちなみ、匠門は職人が集まる所にちなみ、閶門は天の閶闔の気に通じることにちなみ、胥門は姑胥山に向くことにちなむ。
  • 越は東南にあり、まさに巳の方角に当たるため、蛇門の上には木製の蛇が刻まれ、その首は内に向けられていた。これは越が呉に臣服することを示すものであった。
  • 南に向けてさらに小城を築き、周囲十里、南北西にはそれぞれ門を設けたが、東だけは門を開かなかった。これは越の光明を絶とうとする意図であった。
  • 呉の地は東方の辰の方角にあり十二支の動物は龍に当たる。それゆえ小城の南門の上には二匹の鯢が刻まれ、龍の角にかたどった。
  • 城郭が完成すると、闔閭を梅里から迎えてここへ都を移した。城中には前に朝廷、後ろに市場、左に祖廟、右に社という配置がなされ、倉廩府庫も何もかも整えられた。
  • 民の中から兵卒を大いに選び抜き、戦陣や、弓術と車の御し方を教えた。さらに鳳凰山の南に一城を築いて越の侵入に備え、南武城と名づけた。

名剣と名鉤の伝説

  • 闔閭は「魚腸」を不吉な物として、箱に封じて使わなかった。牛首山に冶城を築いて剣数千を鋳造させ、「扁諸」と名づけた。
  • さらに呉の人干将を探し出した。歐冶子と同じ師に学んだ者で、匠門に住まわせ、別に利剣を鋳させた。
  • 干将は五山の鉄の精と六合の金の英とを集め、天候と地の様子を見計らい、選りすぐった日時を選び、天地が下降し百神が臨観する頃に、炭を丘のように積み、童男童女三百人に炭を焚かせふいごを踏ませた。
  • このようにして三月が過ぎたが、金鉄の精は溶けず、干将はその理由が分からなかった。
  • その妻莫邪は「神の物の変化は、人の気を得てはじめて成るものです。今、あなたが三月かけても剣を成せずにいるのは、もしや人を待っているのではないでしょうか」と言った。
  • 干将は「昔、私の師は冶を成せなかったが、夫婦ともに炉に身を投じてから、ようやく物を成すことができた。今でも山に入って冶を行う際には、必ず麻の喪服を着て炉を祭ってから作業を始める。今、私が剣を鋳ても成らないのも、それと同じことなのではないか」と言った。
  • 莫邪は「師が身を焼いて神器を成せたのなら、私がそれに倣うのに、何の難しいことがありましょうか」と言った。
  • そこで莫邪は沐浴し髪を断ち爪を切り、炉の傍らに立ち、男女にふいごを再び踏ませ、炭火がまさに烈しくなったところで、莫邪は自ら炉に身を投じた。
  • たちまち莫邪の身は溶け尽き、金鉄もともに液となり、そこから二本の剣が鋳造された。先に成った方を陽とし、これを「干将」と名づけた。後に成った方を陰とし、これを「莫邪」と名づけた。
  • 陽剣は亀の文様をなし、陰剣は水の流れのような模様をなしていた。干将はその陽剣を隠し、「莫邪」のみを呉王に献上した。王がこれを石に試すと、応じて石が割れた。今の虎邱の「試剣石」がこれである。王はこれに百金を賞した。
  • その後、呉王は干将が剣を隠していることを知り、人を遣わしてこれを取り寄せようとし、もし剣が得られなければ殺すつもりであった。
  • 干将は剣を取り出して見ようとしたところ、その剣は自ら匣から躍り出て、青龍に変じ、干将はこれに乗って天へ昇っていった。おそらく剣仙になったのであろう。
  • 使者は帰ってそのことを報告し、呉王は嘆息し、これより「莫邪」をますます大切にした。「莫邪」はその後呉に留まり、行方は分からなくなった。
  • それから六百余年後、晋朝の丞相張華が、牛宿と斗宿の間に紫の気があるのを見つけ、雷煥が天文の理に通じていることを聞き、召して尋ねた。
  • 煥は「これは宝剣の精気であり、豫章の豊城にございます」と答えた。華はすぐに煥を豊城の令に任じた。
  • 煥は県に着任すると、獄舎の基礎を掘り、一つの石函を得た。長さ六尺余り、幅三尺、開いて見ると中に双剣があった。南昌の西山の土でこれを拭くと、光芒が艶やかに輝いた。
  • 一本の剣を華に送り、もう一本は自ら佩いた。華は「詳しくこの剣の文様を見るに、これは『干将』である。まだ『莫邪』があるはずだが、なぜ来なかったのか。とはいえ、神物はいずれ必ず合わさるものだ」と返答した。
  • その後、煥と華は剣を佩いて延平津を過ぎたとき、剣は突然躍り出て水に入った。急いで人を水中に潜らせて探させたが、ただ二匹の龍が鬣を張り合わせているのが見えるばかりで、五色の光が輝き、人々は恐れて退いた。
  • これより後、二剣は二度と現れず、思うに神物はついに天上へ帰ったのであろう。
  • 今の豊城県には剣池があり、池の前には石函があり、その半分は土に埋もれている。俗にこれを石門と呼び、雷煥が剣を得た場所である。これが「干将」「莫邪」の顛末である。後世の人が作った『寶劍銘』がある。
  • (銘:五山の精気、六気の英華、練り上げて神器となし、電光を放ち霜のように凝る、虹のように蔚え波に映え、龍藻のごとく亀文のごとし、金を断ち玉を切り、その威は三軍を震撼させる、という趣旨)
  • 話は変わって、呉王闔閭は「莫邪」を大切にしたのち、さらに金の鉤を作れる者を募り、褒美として百金を出すと約束した。国人の中には多くの者が鉤を作って献上した。
  • ある鉤職人は王の重賞を貪り、自分の二人の子を殺してその血を金に注ぎ、二つの鉤を完成させて呉王に献上した。
  • 数日後、その者は宮門に赴いて褒美を求めた。呉王は「鉤を作った者は多いのに、お前だけが褒美を求めるのは、お前の鉤が他人と何が違うというのか」と尋ねた。
  • 鉤職人は「臣は王の褒美を貪り、二人の子を殺してこの鉤を成しました。他の者と比較になりましょうか」と答えた。
  • 王が鉤を取り寄せさせようとしたが、左右の者は「すでに他の多くの鉤に混ざってしまい、形も似通っていて見分けがつきません」と言った。
  • 鉤職人は「臣にそれを見せてください」と願い出た。左右の者はすべての鉤を鉤職人の前に並べたが、鉤職人にも見分けがつかなかった。
  • そこで鉤に向かって二人の子の名を呼んだ。「呉鴻よ、扈稽よ、私はここにいる。どうして王の御前で霊を顕さないのか」と。
  • 叫び声が終わらぬうちに、二つの鉤が突然飛び出して、鉤職人の胸に貼りついた。
  • 呉王は大いに驚き「お前の言葉は本当だったのだな」と言い、百金を褒美として与えた。そして「莫邪」とともにこれを身に佩びた。

伯嚭の亡命と被離の警告

  • そのころ楚の伯嚭は国外に出奔しており、伍員がすでに呉で顕用されていると聞き、呉に亡命し、まず伍員に謁見した。
  • 員はこれと相対して泣き、そのまま闔閭に紹介した。
  • 闔閭は「私は東海の僻地にいるのに、あなたは遠く千里を厭わず、かたじけなくもこの辺鄙な地までお越しくださった。何を私にお教えくださるおつもりか」と尋ねた。
  • 嚭は「臣の祖父と父は、二代にわたって楚に尽力してまいりました。臣の父は無実でありながら焼き殺されました。臣は各地を流浪し、身を寄せる所がございませんでした。今、大王の高い義を聞き、伍子胥を窮地よりお救いくださったと聞き、それゆえ遠く千里を厭わず、身を捧げて命を託しに参りました。臣を生かすも殺すも、ただ大王の御心のままでございます」と言った。
  • 闔閭は憐れみを覚え、これを大夫とし、伍員とともに国事を議させた。
  • 呉の大夫被離は密かに伍員に「あなたはどうして嚭を信じられるのか」と尋ねた。
  • 員は「私の恨みはちょうど嚭のそれと同じである。諺に『同じ病を患う者は互いに憐れみ合い、同じ憂いを抱く者は互いに救い合う』と言う。驚いて飛び立つ鳥は互いに寄り添って群れをなし、瀬の下の水は再び合流して共に流れる。そなたは何を怪しむのか」と言った。
  • 被離は「あなたはその外面を見ているだけで、その内面を見ておられない。私が嚭の人柄を観察するに、鷹のような眼光で虎のような足取り、その性は貪欲で佞邪であり、手柄を独り占めし、思うままに人を殺す。親しく近づけてはならない人物だ。もし重用すれば、必ずあなたの累となろう」と言った。
  • 伍員はこれをもっともとは思わなかった。そのまま伯嚭とともに呉王に仕えることになった。
  • 後世の人は、被離が伍員の賢を見抜き、また伯嚭の佞を見抜いていたことを論じ、まことに神業のような人相見であったとする。員がその言葉を信じなかったのは、まさに天命というべきであろうか。詩がある。
  • (詩:忠勇を知り奸邪を見分けられる、神のごとき人相見の被離はまことに異能の持ち主であった、もし子胥が予めその策を用いていたなら、麋鹿が蘇台に至るような事態はどうして起こったであろうか、という趣旨)

慶忌の脅威と要離の推挙

  • 話は変わって、公子慶忌は艾城へ逃げ込み、死を覚悟した勇士を招き集め、隣国と結び、時を待ち隙をうかがって呉を伐ち仇を報じようとしていた。
  • 闔閭はその謀を聞き、伍員に「かつて専諸の事は、寡人はすべてあなたの力を得た。今、慶忌には呉を謀る心があり、寡人は飲食も味わえず、座っても落ち着かぬ。あなたはさらに私のためにこれを図ってくれ」と言った。
  • 伍員は「臣は不忠にして不徳な者ですが、大王とともに王僚を私室の中で図ったのに、今またその子をも図るとは、天意にかなわぬのではないかと恐れます」と答えた。
  • 闔閭は「昔、武王は紂を誅した後、さらに武庚を殺したが、周人はこれを非としなかった。天が廃されたものは、天に従って行うまでである。慶忌がもし生き延びれば、王僚も死ななかったのと同じことだ。寡人はあなたと成功も失敗もともにする。どうして小さな躊躇いのために大きな禍いを招けようか。寡人がもう一人専諸のような者を得られれば、この件は片づくのだ。あなたが知略と勇気を備えた士を求めるようになって久しい、その候補となる人物はいないのか」と言った。
  • 伍員は「言いがたいことです。臣が親しくしている者の中に、一人の平凡な人物がおりますが、共に謀るに足るかもしれません」と言った。
  • 闔閭は「慶忌の力は万人に匹敵する。平凡な人物などで謀れようか」と言った。
  • 員は「見かけは平凡ですが、実は万人にも勝る勇の持ち主です」と答えた。
  • 闔閭は「その者は誰か。あなたはどうしてその勇を知っているのか。試しに私に話して聞かせてくれ」と言った。
  • 伍員はそこで、その勇士の姓名と来歴を詳しく語り出した。正にこうである。
  • (詩:語れば華岳の山も揺れ動き、話は長江の流れをも逆巻かせるほどだ、ただ子胥がこの人物を推挙したことにより、要離の名は春秋に伝わることとなった、という趣旨)
  • 伍員は「その人は姓を要、名を離といい、呉の人です。臣は昔、彼が壮士椒邱訢を辱めるのを見たことがあり、それゆえその勇を知っております」と言った。
  • 闔閭は「その辱めの経緯はどのようなものであったか」と尋ねた。
  • 員は答えて言った。「椒邱訢は東海の人です。彼の友人が呉に仕えて死に、訢は呉に弔問にやって来ました。車が淮の渡し場を過ぎたとき、馬に水を飲ませようとすると、渡し場の役人が『水中には神がおり、馬を見れば必ず取りにくる。あなたは飲ませてはなりません』と言いました。訢は『壮士たる私がここにいるのに、どんな神が私に逆らえようか』と言い、従者に馬を馬車から外させ、渡し場の水を飲ませたところ、案の定馬はいなないて水に沈んでいきました。渡し場の役人は『神が馬を取っていきました』と言いました。椒邱訢は大いに怒り、上着を脱ぎ剣を執って水に入り、神との決闘を求めました。神は波と浪を巻き起こしましたが、結局は害することができませんでした。三日三夜、椒邱訢は水中から出てきましたが、片目は神に傷つけられ、以後片目になってしまいました。呉に着いて弔問に赴き、喪席に座りましたが、訢は自らの水神との決闘の勇を頼みとし、その気位をもって人を凌ぎ、士大夫を軽んじて傲慢な態度をとり、言葉も不遜でした。ちょうど要離が訢と向かい合って座っていて、たちまち不満げな顔色を見せ、訢に『あなたは士大夫を見て傲慢な態度をとられる。まさか自らを勇士として任じておられるのか。私が聞くところでは、勇士たる者の戦いは、日と戦っても日時計の影が移らぬうちに決着をつけ、鬼神と戦っても踵を返さず、人と戦っては相手の叱咤の声にひるんで退かず、死んでも辱めを受けぬものだという。今、あなたは水神と戦い、失った馬を追うこともできず、さらに片目を失う恥辱を受けられた。姿は損なわれ名も辱められたのに、命を捨てるでもなく、なおも余生に未練を残しておられるとは、これこそ天地の間で最も無用の存在ではないか。しかも人に顔向けできないはずなのに、まして士人に傲慢な態度をとるとは何事か』と言いました。椒邱訢は罵られて口をつぐみ、恥じ入って席を立ち去りました。要離は夕方家に戻ると、妻に『私は今日、大勢の集まった喪の席で勇士椒邱訢を辱めた。恨みと怨みが積もり積もって、今夜必ず私を殺しに来るだろう。私は室の中で身じろぎもせず横たわったまま待ち構えているから、恐れず戸を閉めるな』と言い聞かせました。妻は要離の勇を知っていたので、その言葉に従いました。案の定、椒邱訢は夜半に鋭い刃物を懐に、要離の家へまっすぐ乗り込みました。門扉が閉ざされておらず、堂の戸も大きく開いているのを見て、そのまま室に踏み込みました。手を垂れ髪を放って窓辺に身じろぎもせず仰向けに横たわっている一人の人物を見ると、要離でした。訢が来たのを見ても、身動きもせず、恐れる様子もありませんでした。訢は剣を要離の首にあてがい、責め立てて『お前は死に値することが三つある。それを知っているか』と言いました。離は『知らぬ』と答えました。訢は『お前は大勢の集まった喪の席で私を辱めた。これが一つ目の死である。帰宅して門を閉めなかった。これが二つ目の死である。私を見ても起きて避けようともしない。これが三つ目の死である。お前は自ら死を求めているのだ。私を怨むな』と言いました。要離は『私には三つの死に値するような過ちはないが、お前には三つの至らぬ点がある恥がある。それを知っているか』と言いました。訢は『知らぬ』と言いました。要離は『私は千人の衆の前でお前を辱めたのに、お前はあえて一言も言い返せなかった。これが一つ目の至らぬ点である。門に入っても咳払いもせず、堂に上っても物音一つ立てず、不意打ちを企てる心があった。これが二つ目の至らぬ点である。剣を私の首にあてがいながら、なおも大言を吐いている。これが三つ目の至らぬ点である。お前は三つの至らぬ点がありながら、かえって私を責めるのか。恥ずかしくないのか』と言いました。椒邱訢はそこで剣を収め、嘆じて『私の勇は、自ら世に及ぶ者はないと思っていたが、離は私の上を行く。まことに天下の勇士だ。もし私がこれを殺せば、どうして人の笑いものにならずにいられよう。しかし殺すことができないなら、私もまた勇をもって世に称されることはできまい』と言い、剣を地に投げ捨て、頭を窓に打ちつけて死にました。ちょうどその喪の席には臣もおりましたので、その詳細を存じておるのです。これこそ万人に勝る勇ではありますまいか」。
  • 闔閭は「あなたが私のためにその者を召してくれ」と言った。伍員は要離に会いに行き「呉王があなたの高い義を聞かれ、一度お目にかかりたいと願っておられる」と言った。
  • 離は驚いて「私は呉下の小民、いかなる徳や能があって呉王の召しを受けましょうか」と言った。
  • 伍員は重ねて呉王の願いを伝えた。要離はそこで伍員に従って謁見した。

要離の献策と苦肉の計

  • 闔閭は初め、伍員が要離の勇を称えるのを聞き、その姿はきっと堂々とした人物であろうと思っていたが、離に会ってみると、身の丈わずか五尺余り、腰回りは細く、容貌は醜く、大いに失望した。
  • 「子胥は要離という勇士を称えていたが、あなたのことか」と尋ねた。
  • 離は「臣は小さく力もなく、風に向かえば倒れ、風を背にすれば身がぐらつくほどです。何の勇がありましょうか。しかし大王のご命令とあらば、あえて力を尽くさぬわけにはまいりません」と答えた。
  • 闔閭は黙って応じなかった。伍員はすでにその意を悟り「良馬は形の大きさによらず、貴ぶべきは力が重きに耐え、足が遠きに至れることにあります。要離は容貌は醜いとはいえ、その智謀は尋常でありません。この人物でなければ事を成せません。王よ、お手放しになりませぬよう」と奏上した。
  • 闔閭はそこで要離を宮城の奥の間に招き入れ、人払いをして座らせた。要離は「大王が心中に憂えておられるのは、亡き王の公子ではありますまいか。臣がこれを殺せましょう」と進言した。
  • 闔閭は笑って「慶忌は骨は跳ね肉は飛ぶがごとく、走れば奔馬をも超え、俊敏なること神のごとし。万夫も敵し得ない者だ。あなたはとても敵ではあるまい」と言った。
  • 要離は「人を殺すことに巧みな者は、智にあって力にはございません。臣が慶忌に近づければ、これを刺すことは、鶏を割くようなものです」と言った。
  • 闔閭は「慶忌は明智の人であり、四方の亡命者を招き入れているが、どうして軽々しく国中の客を信じ、あなたを近づけたりするだろうか」と言った。
  • 要離は「慶忌が亡命者を招き入れているのは、いずれ呉に害を及ぼすためです。臣は罪を負って出奔したふりをします。どうか大王には臣の妻子を殺し、臣の右腕を断ってくださるよう願います。そうすれば慶忌は必ず臣を信じて近づけるでしょう。このようにしてはじめて事を図ることができます」と言った。
  • 闔閭は憂わしげに「あなたには罪がないのに、私はどうしてこのような惨い禍いをあなたに加えるに忍びようか」と言った。
  • 要離は「臣が聞くところでは『妻子との安楽に安んじて君に仕える義を尽くさぬのは忠ではない。家族への愛情を抱いて君の患いを除くことができぬのは義ではない』と申します。臣が忠義によって名を成すことができれば、たとえ一家すべてを死に至らせても、それは甘露のようなものでございます」と言った。
  • 伍員は傍らから進み出て「要離は国のために家を忘れ、主のために身を忘れる、まことに千古の豪傑です。ただ事が成った後には、その妻子を表彰し、その功を埋もれさせないようにして、後世にその名を揚げさせれば十分でございます」と言った。闔閭はこれを許した。
  • 翌日、伍員は要離とともに入朝し、員は要離を将として推薦し、兵を請うて楚を伐とうとした。
  • 闔閭は罵って「寡人は要離の力を見るに、幼子一人にも及ばぬではないか。どうして楚討伐の任に堪えようか。しかも寡人の国事はやっと粗方定まったばかりで、どうして用兵などできようか」と言った。
  • 要離は進み出て「不仁なるかな王よ。子胥は王のために呉国を定めたのに、王はどうして子胥の仇を報いてやらないのですか」と言った。
  • 闔閭は大いに怒り「これは国家の大事である。どうして野人ごときの知るところであろうか。よくも朝廷で寡人を辱めたな」と言い、力士に大声で命じて要離を捕らえさせ、その右腕を断たせて、獄に囚えた。人を遣わしてその妻子を捕らえさせた。
  • 伍員は嘆息して退出した。群臣は皆その事情を知らなかった。
  • 数日経って、伍員は密かに獄吏に諭し、要離への監視を緩めさせ、要離は隙を見て脱獄した。
  • 闔閭はそのまま要離の妻子を殺し、市で焼いてさらした。
  • 宋の儒者はこの事について「一人の無実の者を殺して天下を得ることさえ、仁人はしないものである。まして無実の妻子を殺し、その偽りの謀を成功させようとするとは、闔閭の残忍さはこの上ない。要離は王から日頃なんの恩も受けていなかったのに、ただ勇俠の名を貪ろうとして、身を損ない家を害したのだから、これもまた良士と言えようか」と論じている。詩がある。
  • (詩:ただ事を成し我が君に報いようとして、妻子は無辜のままむざむざと殺された、他国に向かって勇烈を誇ってはならない、心を鬼にして道理に背いたのは呉の人であった、という趣旨)

要離の慶忌暗殺

  • 要離は呉の国境を逃げ出し、道中で人々に冤罪を訴えながら、慶忌が衛にいることを訪ね当て、そのまま衛国へ赴いて謁見を求めた。
  • 慶忌はこれを詐りと疑い、受け入れなかった。要離はそこで衣を脱いで見せた。慶忌はその右腕が確かに断たれているのを見て、ようやくこれを実と信じた。
  • 「呉王はすでにお前の妻子を殺し、お前の身に刑を加えた。今、私に会いに来たのは何のためか」と尋ねた。
  • 離は「臣が聞くところでは、呉王は公子の父を弑し大位を奪ったとのこと。今、公子は諸侯と連結し、まさに仇を報じようとしておられます。それゆえ臣は残った命をもってお頼りしようとしたのです。臣は呉国の事情をよく知っております。まことに公子の勇をもって、臣を道案内とすれば、呉に入ることができましょう。大王が父の仇を報じられれば、臣もまた妻子の恨みを少しは晴らすことができましょう」と言った。
  • 慶忌はなおも完全には信じていなかった。まもなく、呉から事情を探っていた腹心の者が戻ってきて、要離の妻子が果たして殺されたうえ市で焼きさらされたことを報告したので、慶忌はようやく疑いなく安心した。
  • 慶忌は要離に「呉王は子胥・伯嚭を謀主として任じ、兵を練り将を選び、国中を大いに治めていると聞く。私の兵は少なく力も弱い。どうして胸中の憤りを晴らせようか」と尋ねた。
  • 離は「伯嚭は無謀の徒に過ぎません。何の憂うるところがありましょうか。呉の臣で優れているのはただ子胥一人ですが、その智勇は充分に備わっているとはいえ、今や呉王とは仲違いしております」と答えた。
  • 慶忌は「子胥は呉王の恩人であり、君臣は互いに得心し合っている仲だ。どうして仲違いなどありえようか」と言った。
  • 要離は「公子はその一面だけを知り、もう一面をご存じない。子胥が闔閭に心を尽くしているのは、兵を借りて楚を伐ち、父兄の仇を報いようとしているからです。今、平王はすでに死に、費無極もすでに亡くなり、闔閭は位を得て富貴に安んじ、子胥のために復讐を思おうとしません。臣は子胥のために進言しましたが、それがかえって王の怒りを触れ、臣は惨い刑を受けることとなりました。子胥が呉王を怨んでいることは明らかです。臣が幸いにも囚われの身から脱することができたのも、子胥の周到な助力によるものです。子胥は臣に『この度は必ず公子に会うことになろう。その志向がどのようなものかを観察してほしい。もし伍氏のために仇を報いる気があるならば、公子のために内応となり、地下室で共に謀った罪を贖いたい』と嘱していました。公子がこの機会に乗じて呉に兵を発せられず、呉王と子胥の君臣が再び和合するのを待ってしまえば、臣の仇も公子の仇も、ともに二度と報いる日はなくなりましょう」と言い、言い終えると大声で泣き、頭を柱に打ちつけようと構えて、自ら突き当たって死のうとした。
  • 慶忌は急いでこれを止め「分かった。あなたの言うことを聞こう。あなたの言うことを聞こう」と言った。
  • そこで要離とともに艾城へ帰り、要離を腹心として任じ、士卒の訓練と軍船の修理に当たらせた。
  • 三月の後、流れに乗じて下り、呉国を襲おうとした。慶忌と要離は同じ舟に乗り、川の中流に至ったとき、後続の舟がついてこなかった。
  • 要離は「公子は自ら舳先に座られ、船人を戒めてください」と言った。慶忌が舳先に来て座ると、要離は片手で短い矛を執って傍らに立った。
  • 突然、江中に一陣の怪しい風が起こり、要離は身を翻して風上に立ち、その風の勢いを借りて矛で慶忌を刺した。矛は心臓のあたりを貫き、背中から突き抜けた。
  • 慶忌は要離を逆さに提げ、その頭を水の中に浸すこと三度に及んだ。そして要離を抱いて自分の膝の上に置き、顧みて笑って「天下にこれほどの勇士がいるとは、あえて私に刃を加えるとは」と言った。
  • 左右の者たちが長柄の武器を持って要離を突き刺そうとすると、慶忌は手を振って止め「これは天下の勇士だ。どうして一日の間に天下の勇士を二人も殺せようか」と言った。
  • そして左右の者に「要離を殺すな。呉へ帰してやり、その忠義を表彰させよ」と戒めた。
  • 言い終えると要離を膝の下に押し下げ、自ら手で矛を抜き取り、血が流れるように吹き出て死んだ。要離の命がどうなったかは、次回を見られよ。
原文(底本)
話說費無極心忌伯郤宛,與鄢將師商量出一個計策來,詐謂囊瓦曰:「子惡欲設享相延,託某探相國之意,未審相國肯降重否?」囊瓦曰:「彼若見招,豈有不赴之理?」無極又謂郤宛曰:「令尹向吾言,欲飲酒於吾子之家,未知子肯為治具否?託吾相探。」郤宛不知是計,應曰:「某位居下僚,蒙令尹枉駕,誠為榮幸!明日當備草酌奉候,煩大夫致意。」無極曰:「子享令尹,以何物致敬?」郤宛曰:「未知令尹所好何在?」無極曰:「令尹最好者,堅甲利兵也。所以欲飲酒於公家者,以吳之俘獲,半歸於子,故欲借觀耳。子盡出所有,吾為子擇之。」郤宛果然將楚平王所賜,及家藏兵甲,盡出以示無極。無極取其堅利者,各五十件,曰:「足矣。子帷而寘諸門,令尹來必問,問則出以示之。令尹必愛而玩之,因以獻焉。若他物,非所好也。」郤宛信以為然,遂設帷於門之左,將甲兵置於帷中。盛陳肴核,託費無極往邀囊瓦。囊瓦將行,無極曰:「人心不可測也。吾為子先往,探其設享之狀,然後隨行。」無極去少頃,踉蹌而來,喘吁未定,謂囊瓦曰:「某幾誤相國。子惡今日相請,非懷好意,將不利於相國也。適見帷兵甲於門,相國誤往,必遭其毒!」囊瓦曰:「子惡素與我無隙,何至如此?」無極曰:「彼恃王之寵,欲代子為令尹耳。且吾聞子惡陰通吳國,救潛之役,諸將欲遂伐吳國,子惡私得吳人之賂,以為乘亂不義,遂強左司馬班師而回。夫吳乘我喪,我乘吳亂,正好相報,奈何去之!非得吳賂,焉肯違眾輕退?子惡若得志,楚國危矣。」囊瓦意猶未信,更使左右往視,回報:「門幕中果伏有甲兵。」囊瓦大怒,即使人請鄢將師至,訴以郤宛欲謀害之事。將師曰:「郤宛與陽令終、陽完、陽佗,晉陳三族合黨,欲專楚政,非一日矣。」囊瓦曰:「異國匹夫,乃敢作亂,吾當手刃之!」遂奏聞楚王,令鄢將師率兵甲以攻伯氏。伯郤宛知為無極所賣,自刎而死。其子伯嚭,懼禍逃出郊外去了。囊瓦命焚伯氏之居,國人莫肯應者。瓦益怒,出令曰:「不焚伯氏,與之同罪!」眾人盡知郤宛是個賢臣,誰肯焚燒其宅,被囊瓦逼迫不過,各取禾藁一把在手,投於伯氏門外而走。瓦乃親率家眾,將前後門圍住,放起大火。可憐左尹府第一區,登時化為灰燼,連郤宛之屍,亦燒毀無存。盡滅伯氏之族。復拘陽令終、陽完、陽佗、晉陳,誣以通吳謀叛,皆殺之,國中無不稱冤者。忽一日,囊瓦於月夜登樓,聞市上歌聲,朗然可辨。瓦聽之,其歌云:

    莫學郤大夫,忠而見誅,身既死,骨無餘。楚國無君,惟費與鄢,令尹木偶,為人作繭。天若有知,報應立顯。

瓦急使左右察其人不得。但見市廛家家祀神,香火相接,問:「神何姓名?」答曰:「即楚忠臣伯郤宛也。無罪枉殺,冀其上訴於天耳。」左右還報囊瓦。瓦乃訪之朝中,公子申等皆言:「郤宛無通吳之事。」瓦心中頗悔。沈尹戍聞郊外賽神者,皆咒詛令尹,乃來見囊瓦曰:「國人胥怨矣!相國獨不聞乎?夫費無極,楚之讒人也,與鄢將師共為蒙蔽。去朝吳,出蔡侯朱,教先王為滅倫之事,致太子建身死外國,冤殺伍奢父子,今又殺左尹,波及陽晉二家,百姓怨此二人,入於骨髓。皆云相國縱其為惡,怨詈咒詛,遍於國中。夫殺人以掩謗,仁者猶不為,況殺人以興謗乎?子為令尹,而縱讒慝以失民心,他日楚國有事,寇盜興於外,國人叛於內,相國其危哉!與其信讒以自危,孰若除讒以自安耶?」囊瓦瞿然下席,曰:「是瓦之罪也。願司馬助吾一臂,誅此二賊!」沈尹戍曰:「此社稷之福,敢不從命!」沈尹戍即使人揚言於國中曰:「殺左尹者,皆費鄢二人所為,令尹已覺其奸。今往討之,國人願從者皆來!」言猶未畢,百姓爭執兵先驅。囊瓦乃收費無極鄢將師數其罪,梟之於市。國人不待令尹之命,將火焚兩家之宅,盡滅其黨,於是謗詛方息。史臣有詩云:

    不焚伯氏焚鄢費,公論公心在國人。令尹早同司馬計,讒言何至害忠臣!

又有一詩,言鄢費二人一生害人,還以自害,讒口作惡,亦何益哉?詩云:

    順風放火去燒人,忽地風回燒自身﹔毒計奸謀渾似此,惡人幾個不遭屯!

  再說吳王闔閭元年,乃周敬王之六年也。闔閭訪國政於伍員,曰:「寡人欲強國圖霸,如何而可?」伍員頓首垂淚而對曰:「臣,楚國之亡虜也,父兄含冤,骸骨不葬,魂不血食,蒙垢受辱,來歸命於大王,幸不加戮,何敢與聞吳國之政?」闔閭曰:「非夫子,寡人不免屈於人下。今幸蒙一言之教,得有今日,方且託國於子,何故中道忽生退志?豈以寡人為不足耶?」伍員對曰:「臣非以大王為不足也。臣聞『疏不間親,遠不間近。』臣豈敢以羈旅之身,居吳國謀臣之上乎?況臣大讎未報,方寸搖搖,自不知謀,安能謀國?」闔閭曰:「吳國謀臣,無出子右者,子勿辭。俟國事稍定,寡人為子報仇,惟子所命!」伍員曰:「王所謀者,何也?」闔閭曰:「吾國僻在東南,險阻卑濕,又有海潮之患,倉庫不設,田疇不墾,國無守禦,民無固志,無以威示鄰國,為之奈何?」伍員對曰:「臣聞治民之道,在安居而理。夫霸王之業,從近制遠。必先立城郭,設守備,實倉廩,治兵革,使內有可守,而外可以應敵。」闔閭曰:「善。寡人委命於子,子為寡人圖之。」伍員乃相土形之高卑,嘗水味之鹹淡,乃於姑蘇山東北三十里,得善地,造築大城,周迴四十七里,陸門八,象天八風,水門八,法地八聰。那八門:

    南曰盤門蛇門,北曰齊門平門,東曰婁門匠門,西曰閶門胥門。

盤門者,以水之盤曲也﹔蛇門者,以在巳方,生肖屬蛇也﹔齊門者,以齊國在其北也﹔平門者,水陸地相稱也﹔婁門者,婁江之水所聚也﹔匠門者,聚匠作於此也﹔閶門者,通閶闔之氣也﹔胥門者,向姑胥山也。越在東南,正在巳方,故蛇門之上,刻有木蛇,其首向內,示越之臣服於吳也。南向復築小城,周圍十里,南北西俱有門,惟東不開門,欲以絕越之光明也。吳地在東為辰方,生肖屬龍,故小城南門上為兩鯢,以象龍角。城郭既成,迎闔閭自梅里徙都於此。城中前朝後市,左祖右社,倉廩府庫,無所不備。大選民卒,教以戰陣射御之法。別築一城於鳳凰山之南,以備越寇,名南武城。

  闔閭以「魚腸」為不祥之物,函封不用。築冶城於牛首山,鑄劍數千,號曰「扁諸」。又訪得吳人干將,與歐冶子同師,使居匠門,別鑄利劍。干將乃採五山之鐵精,六合之金英,候天伺地,妙選時日,天地下降,百神臨觀,聚炭如邱,使童男童女三百人,裝炭鼓橐。如是三月,而金鐵之精不銷,干將不知其故。其妻莫邪謂曰:「夫神物之化,須人氣而後成。今子作劍三月不就,得無待人而成乎?」干將曰:「昔吾師為冶不化,夫妻俱入爐中,然後成物。至今即山作冶,必麻絰草衣祭爐,然後敢發。今吾鑄劍不成,亦若是耶?」莫邪曰:「師能爍身以成神器,吾何難效之?」於是莫邪沐浴斷髮剪爪,立於爐傍,使男女復鼓橐,炭火方烈,莫邪自投於爐。頃刻銷鑠,金鐵俱液,遂瀉成二劍。先成者為陽,即名「干將」﹔後成者為陰,即名「莫邪」。陽作龜文,陰作漫理。干將匿其陽,止以「莫邪」獻於吳王。王試之石,應手而開。今虎邱「試劍石」是也。王賞之百金。其後吳王知干將匿劍,使人往取,如不得劍,即當殺之。干將取劍出觀,其劍自匣中躍出,化為青龍,干將乘之,升天而去,疑已作劍仙矣。使者還報,吳王嘆息,自此益寶「莫邪」。「莫邪」留吳,不知下落。直至六百餘年之後,晉朝張華丞相,見牛斗之間有紫氣,聞雷煥妙達象緯,召而問之。煥曰:「此寶劍之精,在豫章豐城。」華即補煥為豐城令。煥既到縣,掘獄屋基,得一石函,長踰六尺,廣三尺,開視之,內有雙劍。以南昌西山之土拭之,光芒豔發。以一劍送華,留一劍自佩之。華報曰:「詳觀劍文,乃『干將』也。尚有『莫邪』,何為不至?雖然,神物終當合耳。」其後煥同華佩劍過延平津,劍忽躍出入水,急使人入水求之,惟見兩龍張鬣相向,五色炳耀,使人恐懼而退。以後二劍更不出現,想神物終歸天上矣。今豐城縣有劍池,池前石函,土瘞其半,俗呼石門,即雷煥得劍處。此乃「干將」「莫邪」之結末也。後人有《寶劍銘》云:

    五山之精,六氣之英﹔鍊為神器,電燁霜凝。虹蔚波映,龍藻龜文﹔斷金切玉,威動三軍。

  話說吳王闔閭既寶「莫邪」,復募人能作金鉤者,賞以百金。國人多有作鉤來獻者。有鉤師貪王之重賞,將二子殺之,取其血以釁金,遂成二鉤,獻於吳王。越數日,其人詣宮門求賞。吳王曰:「為鉤者眾,爾獨求賞,爾之鉤何以異於人乎?」鉤師曰:「臣利王之賞,殺二子以成鉤,豈他人可比哉?」王命取鉤,左右曰:「已混入眾鉤之中,形製相似,不能辨識。」鉤師曰:「臣請觀之。」左右悉取眾鉤,置於鉤師之前,鉤師亦不能辨。乃向鉤呼二子之名曰:「吳鴻,扈稽!我在於此,何不顯靈於王前也?」叫聲未絕,兩鉤忽飛出,貼於鉤師之胸。吳王大驚曰:「爾言果不謬矣!」乃以百金賞之。遂與「莫邪」俱佩服於身。

  其時楚伯嚭出奔在外,聞伍員已顯用於吳,乃奔吳,先謁伍員。員與之相對而泣,遂引見闔閭。闔閭問曰:「寡人僻處東海,子不遠千里,遠辱下土,將何以教寡人乎?」嚭曰:「臣之祖父,效力於楚再世矣。臣父無罪,橫被焚戮。臣亡命四方,未有所屬。今聞大王高義,收伍子胥於窮厄,故不遠千里,束身歸命。惟大王死生之!」闔閭惻然,使為大夫,與伍員同議國事。吳大夫被離私問於伍員曰:「子何見而信嚭乎?」員曰:「吾之怨正與嚭同,諺云:『同疾相憐,固憂相救。』驚翔之鳥,相隨而集﹔瀨下之水,因復俱流。子何怪焉?」被離曰:「子見其外,未見其內也。吾觀嚭之為人,鷹視虎步,其性貪佞,專功而擅殺,不可親近。若重用之,必為子累。」伍員不以為然,遂與伯嚭俱事吳王。後人論被離既識伍員之賢,又識伯嚭之佞,真神相也。員不信其言,豈非天哉!有詩云:

    能知忠勇辨奸回,神相如離亦異哉!若使子胥能預策,豈容糜鹿到蘇臺?

  話分兩頭。再說公子慶忌逃奔於艾城,招納死士,結連鄰國,欲待時乘隙,伐吳報讎。闔閭聞其謀,謂伍員曰:「昔專諸之事,寡人全得子力。今慶忌有謀吳之心,飲食不甘味,坐不安席,子更為寡人圖之。」伍員對曰:「臣不忠無行,與大王圖王僚於私室之中,今復圖其子,恐非皇天之意。」闔閭曰:「昔武王誅紂,復殺武庚,周人不以為非。皇天所廢,順天而行。慶忌若存,王僚未死,寡人與子成敗共之,寧可以小不忍而釀大患?寡人更得一專諸,事可了矣。子訪求謀勇之士,已非一日,亦有其人否乎?」伍員曰:「難言也。臣所厚有一細人,似可與謀者。」闔閭曰:「慶忌力敵萬人,豈細人所能謀哉?」員對曰:「是雖細人,實有萬人之勇。」闔閭曰:「其人為誰?子何以知其勇?試為寡人言之。」伍員遂將勇士姓名出處備細說來。正是:

    說時華岳山搖動,話到長江水逆流。只為子胥能舉薦,要離姓字播春秋。

伍員曰:「其人姓要名離,吳人也。臣昔曾見其折辱壯士椒邱訢,是以知其勇。」闔閭曰:「折辱之事如何?」員對曰:「椒邱訢者,東海上人也。有友人仕於吳而死,訢至吳奔其喪。車過淮津,欲飲馬於津。津吏曰:『水中有神,見馬即出取之,君勿飲也。』訢曰:『壯士在此,何神敢干我哉!』乃使從者解驂,飲於津水,馬果嘶而入水。津吏曰:『神取馬去矣!』椒邱訢大怒,袒裼持劍入水,求神決戰。神興濤鼓浪,終不能害。三日三夜,椒邱訢從水中出,一目為神所傷,遂眇。至吳行弔,坐於喪席,訢恃其與水神決戰之勇,以氣凌人,輕傲於士大夫,言詞不遜。時要離與訢對坐,忽然有不平之色,謂訢曰:『子見士大夫而有傲色,得無以勇士自居耶?吾聞勇士之鬥也,與日戰不移表,與鬼神戰不旋踵,與人戰不違聲,寧死不受其辱。今子與神鬥於水,失馬不能追,又受眇目之羞,形殘名辱,不與并命,而猶戀戀於餘生,此天地間最無用之物。且不當以面目見人,況傲士乎!』椒邱訢被詈,頓口無言,含愧出席而去。要離至晚還舍,誡其妻曰:『我辱勇士椒邱訢於大家之喪,恨怨鬱積,今夜必來殺我,以報其恥。吾當僵臥室中,以待其來,懼勿閉門。』妻知要離之勇,從其言。椒邱訢果於夜半挾利刃,逕造要離之舍,見門扉不掩,堂戶大開,直趨其室。見一人垂手放髮,臨窗僵臥,觀之,乃要離也。見訢來,直挺不動,亦無懼意。訢以劍承要離之頸,數之曰:『汝有當死者三,汝知之乎?』離曰:『不知。』訢曰:『汝辱我於大家之喪,一死也﹔歸不關閉,二死也﹔見我而不起避,三死也。汝自求死,勿以我為怨!』要離曰:『我無三死之過,爾有三不肖之愧,爾知之乎?』訢曰:『不知。』要離曰:『吾辱爾於千人之眾,爾不敢酬一言,一不肖也﹔入門不咳,登堂無聲,有掩襲之心,二不肖也﹔以劍承吾之頸,尚敢大言,三不肖也。爾有三不肖,而反責我,不可鄙哉?』椒邱訢乃收劍嘆曰:『吾之勇,自計世人莫有及者,離乃加吾之上,真乃天下勇士。吾若殺之,豈不貽笑於人?然不能殺汝,亦難以勇稱於世矣!』乃投劍於地,以頭觸牖而死。方其在喪席之時,臣亦與坐,故知其詳。豈非有萬人之勇乎?」闔閭曰:「子為我召之。」伍員乃往見要離曰:「吳王聞吾子高義,願一見顏色。」離驚曰:「吾乃吳下小民,有何德能,敢奉吳王之詔?」伍員再申言吳王願見之意。要離乃隨伍員入謁。

  闔閭初聞伍員誇要離之勇,意必魁偉非常,及見離,身材僅五尺餘,腰圍一束,形容醜陋,大失所望,心中不悅。問曰:「子胥稱勇士要離,乃子乎?」離曰:「臣細小無力,迎風則伏,負風則僵,何勇之有。然大王有所遣,不敢不盡其力。」闔閭嘿然不應。伍員已知其意,奏曰:「夫良馬不在形之高大,所貴者力能任重,足能致遠而已。要離形貌雖陋,其智術非常,非此人不能成事,王勿失之!」闔閭乃延入後宮賜坐。要離進曰:「大王意中所患,得非亡王之公子乎?臣能殺之。」闔閭笑曰:「慶忌骨騰肉飛,走踰奔馬,矯捷如神,萬夫莫當,子恐非其敵也!」要離曰:「善殺人者,在智不在力。臣能近慶忌,刺之,如割雞耳。」闔閭曰:「慶忌明智之人,招納四方亡命,豈肯輕信國中之客,而近子哉?」要離曰:「慶忌招納亡命,將以害吳。臣詐以負罪出奔,願王戮臣妻子,斷臣右手。慶忌必信臣而近之矣。如是而後可圖也。」闔閭愀然不樂曰:「子無罪,吾何忍加此慘禍於子哉?」要離曰:「臣聞『安妻子之樂,不盡事君之義,非忠也﹔懷室家之愛,不能除君之患,非義也。』臣得以忠義成名,雖舉家就死,其甘如飴矣!」伍員從旁進曰:「要離為國忘家,為主忘身,真千古之豪傑!但於功成之後,旌表其妻孥,不沒其績,使其揚名後世足矣。」闔閭許之。次日,伍員同要離入朝,員薦要離為將,請兵伐楚。闔閭罵曰:「寡人觀要離之力,不及一小兒,何能勝伐楚之任哉!況寡人國事麤定,豈堪用兵?」要離進曰:「不仁哉王也!子胥為王定吳國,王乃不為子胥報仇乎?」闔閭大怒曰:「此國家大事,豈野人所知?奈何當朝責辱寡人!」叱力士執要離斷其右臂,囚於獄中,遣人收其妻子。伍員嘆息而出。群臣皆不知其繇。過數日,伍員密諭獄吏寬要離之禁,要離乘間逃出。闔閭遂戮其妻子,焚棄於市。宋儒論此事,以為殺一不辜而得天下,仁人不肯為之。今乃無故戮人妻子,以求售其詐謀,闔閭之殘忍極矣!而要離與王無生平之恩,特以貪勇俠之名,殘身害家,亦豈得為良士哉?有詩云:

    祇求成事報吾君,妻子無辜枉殺身。莫向他邦誇勇烈,忍心害理是吳人!

  要離奔出吳境,一路上逢人訴冤,訪得慶忌在衛,遂至衛國求見。慶忌疑其詐,不納。要離乃脫衣示之。慶忌見其右臂果斷,方信為實,乃問曰:「吳王既殺汝妻子,刑汝之軀,今來見我何為?」離曰:「臣聞吳王弒公子之父,而奪大位,今公子連結諸侯,將有復仇之舉,故臣以殘命相投。臣能知吳國之情,誠以公子之勇,用臣為嚮導,吳可入也。大王報父仇,臣亦少雪妻子之恨!」慶忌猶未深信。未幾,有心腹人從吳中探事者歸報,要離妻子果焚棄於市上,慶忌遂坦然不疑。問要離曰:「吾聞吳王任子胥伯嚭為謀主,練兵選將,國中大治。吾兵微力薄,焉能洩胸中之氣乎?」離曰:「伯嚭乃無謀之徒,何足為慮?吳臣止一子胥,智勇足備,今亦與吳王有隙矣。」慶忌曰:「子胥乃吳王之恩人,君臣相得,何云有隙?」要離曰:「公子但知其一,未知其二。子胥所以盡心於闔閭者,欲借兵伐楚,報其父兄之仇。今平王已死,費無極亦亡,闔閭得位,安於富貴,不思與子胥復仇,臣為子胥進言,致觸王怒,加臣慘戮,子胥之心怨吳王亦明矣。臣之幸脫囚繫,亦賴子胥周全之力。子胥囑臣曰:『此去必見公子,觀其志向何如,若肯為伍氏報仇,願為公子內應,以贖窟室同謀之罪。』公子不乘此時發兵向吳,待其君臣復合,臣與公子之仇,俱無再報之日矣!」言罷大哭,以頭擬柱,欲自觸死。慶忌急止之曰:「吾聽子!吾聽子!」遂與要離同歸艾城,任為腹心,使之訓練士卒,修治舟艦。三月之後,順流而下,欲襲吳國。慶忌與要離同舟,行至中流,後船不相接屬。要離曰:「公子可親坐船頭,戒飭舟人。」慶忌來至船頭坐定,要離隻手執短矛侍立。忽然江中起一陣怪風,要離轉身立於上風,借風勢以矛刺慶忌,透入心窩,穿出背外。慶忌倒提要離,溺其頭於水中,如此三次,乃抱要離置於膝上,顧而笑曰:「天下有如此勇士哉?乃敢加刃於我!」左右持戈戟欲攢刺之,慶忌搖手曰:「此天下之勇士也。豈可一日之間,殺天下勇士二人哉!」乃誡左右:「勿殺要離,可縱之還吳,以旌其忠。」言畢,推要離於膝下,自以手抽矛,血流如注而死。不知要離性命如何,且看下回分解。

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