東周列國志第八十四回 智伯、水を決して晋陽に灌ぐ/豫譲、衣を撃って襄子に報いる (智伯決水灌晉陽 豫讓擊衣報襄子)
智伯瑤の専権と割地の要求
- さて智伯瑤は、智武子躒の孫、智宣子徐吾の子である。徐吾は跡継ぎを立てようとして、一族の智果に相談した。「私は瑤を立てようと思うが、どうだろうか」。智果は言った。「宵を立てるのがよろしいでしょう」。徐吾は言った。「宵は才智ともに瑤に劣る。瑤を立てるほうがよい」。智果は言った。「瑤には五つの人に勝る長所がありますが、ただ一つの短所があります。髭が美しく、体格が大きく背が高いことは人に勝り、弓馬に巧みなことも人に勝り、多くの技芸も人に勝り、強く毅然として果断なことも人に勝り、機知に富み弁が立つことも人に勝りますが、貪欲で残忍にして不仁である、これがその一つの短所です。五つの長所をもって人を凌ぎながら、これに不仁が加われば、誰がこれを容れられましょうか。もし果たして瑤を立てれば、智の宗族は必ず滅びるでしょう」。徐吾はこれを聞き入れなかった。ついに瑤を嫡子に立てた。智果は嘆いて言った。「私は一族から離れておかねば、その波に巻き込まれて溺れることを恐れる」。そこでひそかに太史に謁見し、氏の系譜を改めるよう求め、自ら輔氏と称した。
- 徐吾が没すると、瑤が跡を継ぎ、独り晋の政を専断した。内には智開・智国ら血を分けた腹心の身内があり、外には絺疵・豫讓ら忠実で知略に富んだ家臣があり、権勢は重く、そこで晋に代わろうとする志を抱き、諸臣を召してひそかにその事を協議した。謀臣の絺疵が進んで言った。「四卿は勢力が均衡しています。一家が先に動けば、三家がこれを拒みます。今、晋室を謀ろうとするなら、まず三家の勢力を削るべきです」。智伯は言った。「どのようにして削るのか」。絺疵は言った。「今、越国はまさに盛んで、晋は盟主の座を失っています。主公は越と覇を争うために兵を興すと口実を設け、晋侯の命を偽って伝え、韓・趙・魏の三家にそれぞれ百里の地を献じさせ、その租税を軍資に充てさせるのです。三家が命に従って土地を割けば、私どもは座したまま三百里の封地を増やすことになり、智氏はますます強くなり、三家は日ごとに削られていきます。従わない者があれば、晋侯の命を騙って、大軍を率いてまずこれを滅ぼすのです。これは『果実を食べて皮を捨てる』の法です」。智伯は言った。「この計はたいへん妙だ。しかし三家のうち、どの家から割かせるべきか」。絺疵は言った。「智氏は韓・魏と睦まじく、趙とは仲違いしています。まず韓、次に魏とすべきです。韓・魏が従えば、趙も独り異にすることはできません」。
- 智伯はすぐに智開を韓虎の府へ遣わした。虎は表の広間に招き入れ、その来意を尋ねた。智開は言った。「私の兄は晋侯の命を奉じ、越を討つべく軍を整えることになり、三卿にそれぞれ百里の領地を割いて君主の家に納め、その税を公用に充てるよう命じられました。兄より、割いていただく土地の境界をお示しのうえご返答を賜りたい、と申しつかっております」。韓虎は言った。「あなたはしばらくお戻りください。明日、必ずお答えいたします」。智開が去ると、韓康子(虎)は家臣たちを召し集めて相談した。「智瑤は晋侯を挟んで三家を弱めようとしている。それゆえ土地の割譲を口実にしているのだ。私は兵を興してこの賊を先に除きたいと思うが、卿らはどう思うか」。謀臣の段規は言った。「智伯は貪欲で飽くことを知らず、君命を借りて我が地を削ろうとしています。もし兵を用いれば、これは君に逆らうことになり、彼はこれを口実に私どもに罪を着せるでしょう。いっそ与えてしまうほうがよろしい。彼が我が地を得れば、必ずまた趙・魏にも求めるでしょう。趙・魏が従わなければ、必ず互いに攻撃し合うでしょう。私どもは安穏と座して、その勝敗を観ていればよいのです」。韓虎はこれをよしとした。翌日、段規に地図百里分を描かせ、自ら智伯のもとへ進上した。智伯は大いに喜び、藍台の上で宴を設けて、韓虎をもてなした。酒を飲んでいる最中、智伯は左右に一幅の絵を取り寄せさせ、卓上に置いて、虎とともに見た。それは魯の卞荘子が三頭の虎を刺す絵であった。上に賛が書かれていた。(賛:三頭の虎が羊を貪り食い勢いのままに争うさまを描き、その争いを待ってその疲れに乗じれば一挙に三頭とも捕らえられる、これが卞荘子の能である、という内容)
- 智伯は戯れて韓虎に言った。「私はかつて史書を調べたが、列国の中であなたと同名の者がいる。齊には高虎、鄭には罕虎がいる。今、あなたを加えて三人になる」。このとき段規が傍らに侍しており、進んで言った。「礼では、名を呼ばず、諱に触れることを恐れるものです。あなた様が我が主の名を戯れに呼ばれるのは、あまりに過ぎませんか」。段規は身体が小柄で、智伯の傍らに立つと、ようやく乳のあたりまでの背丈しかなかった。智伯はその頭を手でぽんと叩いて言った。「小僧が何を知って、余計な口を挟むのか。三頭の虎が食い残した余りは、お前ではないのか」。言い終えると、手を叩いて大笑いした。段規は答えることができず、目で韓虎を見た。韓虎は酔ったふりをして、目を閉じて答えた。「智伯の言うことはもっともだ」。すぐに暇を告げて去った。智国はこれを聞き、諫めて言った。「主公は韓氏の当主を戯れの種にし、その家臣までも辱められました。韓氏の恨みは必ず深いでしょう。備えなければ、禍がやがて到来します」。智伯は目を怒らせて大きな声で言った。「私が人に禍を及ぼさなければそれでよい。誰が私に禍を興そうというのか」。智国は言った。「蚋や蟻、蜂や蠆でさえ、人を害することができます。ましてや一家の当主とその宰相ならなおさらです。主公が備えなければ、後で悔やんでも間に合いません」。智伯は言った。「私は卞荘子のように一挙に三頭の虎を刺すつもりだ。蚋や蟻、蜂や蠆など、何を恐れることがあろうか」。智国は嘆息して退出した。史臣の詩に曰く(詩:智伯を井の中の蛙にたとえ、その目に王家など映らないと詠み、一族の英才が興亡の計を献じても、輔果すなわち智果のように害を避けられる者はいないと歎ずる内容)。
魏への割地要求と趙氏の拒絶、晋陽への退去
- 翌日、智伯は再び智開を遣わして、魏桓子(駒)に地を求めた。駒は拒もうとした。謀臣の任章は言った。「地を求められて与えれば、地を失った者は必ず恐れ、地を得た者は必ず驕ります。驕れば敵を軽んじ、恐れれば互いに親しみ合います。互いに親しみ合う人々をもって、敵を軽んじる人を待てば、智氏の滅亡は待つまでもありません」。魏駒は言った。「よかろう」。そこで一万戸の邑を献上した。
- 智伯はそこでその兄智宵を遣わし、蔡皋狼の地を趙氏に求めた。趙襄子(無恤)は旧来の恨みを含んでおり、怒って言った。「土地は先祖代々伝わってきたものだ。どうして棄てられようか。韓・魏は自分から土地を差し出したが、私は人にへつらうことはできぬ」。智宵は帰って報告し、智伯は大いに怒り、智氏の甲兵をすべて出し、韓・魏の二家を誘って、共に趙氏を攻めさせ、趙氏を滅ぼした暁にはその地を三分することを約束した。韓虎・魏駒は、一つには智伯の強さを恐れ、二つには趙氏の地を貪って、それぞれ一軍を率い、智伯に従って進軍した。智伯は自ら中軍を率い、韓の軍は右に、魏の軍は左にあり、趙氏の府へ攻め寄せ、趙無恤を捕らえようとした。趙氏の謀臣張孟談は前もって兵の到来を知り、無恤に急を告げた。「衆寡敵せず、主公は速やかに難を逃れるべきです」。無恤は言った。「どこに逃げればよいのか」。張孟談は言った。「晋陽に及ぶところはありません。かつて董安于が城内に君主の宮殿を築き、さらに尹鐸が一通り治めました。民衆は尹鐸の数十年の寛大な恩恵を受けており、必ず死力を尽くしてくれるでしょう。先君も臨終に『いつか国家に変事があれば、必ず晋陽へ行け』と言い残されました。主公は速やかに行かれるべきで、躊躇うべきではございません」。無恤はすぐに家臣の張孟談・高赫らを率いて、晋陽へと急いだ。智伯は韓・魏二家の兵をまとめて、無恤を追った。
霍山の神の竹書と晋陽籠城の備え
- さて無恤には原過という家臣がおり、道を急ぐ途中で遅れをとり、中途である神人に出会った。半ば雲霧に包まれ、上半身に金の冠、錦の袍を着けているのが見えるだけで、顔立ちもはっきりしなかった。神人は青竹二節を渡して言った。「私のために趙無恤に届けてくれ」。原過は無恤に追いつき、見たことを告げ、竹の管を差し出した。無恤は自ら竹を割ってみると、竹の中に朱で書かれた二行の文字があった。「趙無恤に告ぐ。私は霍山の神である。上帝の命を奉じて、三月丙戌の日、お前に智氏を滅ぼさせる」。無恤はこの事を秘するよう命じた。晋陽に着くと、晋陽の民衆は尹鐸の仁徳に感じ入り、老いも幼きも連れ立って出迎えて城に迎え入れ、無恤の一行は君主の宮殿に駐屯した。無恤は民衆が親しみ従うのを見、また晋陽の城壁が高く堅固で、倉庫が充実しているのを見て、心中いくらか安心した。すぐに民衆に布告し、城に登って見張らせた。武器を点検すると、戈や戟は鈍く傷んでおり、矢は千本にも満たなかった。無恤は憂え、張孟談に言った。「城を守る武器では、弓矢に勝るものはない。今、矢は数百本しかなく、分け与えるには足りない。どうしたらよいか」。孟談は言った。「私が聞くところでは、董安于が晋陽を治めたとき、君主の宮殿の塀は、すべて荻・蒿・楛・楚を集めて築いたということです。主公はどうしてその塀を崩して、その真偽をお確かめにならないのですか」。無恤は人にその塀を崩させると、果たしてすべて矢柄の材料であった。無恤は言った。「矢はもう十分だ。しかし武器を鋳るための金属がないのはどうしたものか」。孟談は言った。「聞くところでは、董安于が宮を建てたとき、堂や室の柱はすべて精錬された銅で作られたそうです。それを外して用いれば、武器を鋳るのに十分でしょう」。無恤は再びその柱を崩させると、まさに精錬された銅であった。すぐに鍛冶に柱を砕かせ、剣・戟・刀・槍に鋳造させると、みな精良な出来映えとなり、人々の心はますます安らいだ。無恤は嘆いて言った。「なんと国を治めるには賢臣が必要なのだ。董安于を得て武器の備えが整い、尹鐸を得て民心が帰した。天が趙氏に幸いを授けているのは、まだ尽きていないということだろう」。
三家の包囲と晋水の利用
- さて智・韓・魏の三家の兵が到着し、三つの大営を連ねて構え、晋陽を鉄桶のように包囲した。晋陽の民衆の中には出撃を望む者が多く、みな君主の宮殿に来て令を請うた。無恤は張孟談を召してこれを協議した。孟談は言った。「敵は多く我らは少ない。戦っても必ず勝てるとは限りません。堀を深くし城壁を高くして、堅く閉ざして出ず、その情勢の変化を待つのがよいでしょう。韓・魏は趙に仇はなく、ただ智伯に強いられているだけです。両家が土地を割いたのも、本意ではありません。ともに兵を合わせていても、実際は心を同じくしていません。数か月も経たないうちに、必ず互いに疑いを抱くようになるでしょう。どうして長く続くことがありましょうか」。無恤はこの言葉を容れ、自ら民衆を撫でさとし、力を合わせて固く守る意を示した。軍民は互いに励まし合い、婦女や幼子でさえも、みな喜んで死力を尽くすことを願った。敵兵が城に近づけば、強弩で射た。三家は一年余り包囲したが、勝つことができなかった。智伯は小さな車に乗って城の外を巡り、嘆いて言った。「この城は鉄の甕のように堅い。どうして破れようか」。ちょうど悶々としていたとき、ある山に至り、山の下から泉が幾筋も流れ出て、滾々と東へ流れていくのを見た。土地の者を引き止めて問いただすと、答えて言った。「この山は龍山と申し、山の腹に甕のような巨石があるので、また懸甕山とも呼ばれます。晋水は東に流れ、汾水と合流します。この山がすなわちその水源です」。智伯は言った。「ここから城までどれほどの距離か」。土地の人は言った。「ここから城の西門まで、十里ほどでございます」。智伯は山に登って晋水を望み、さらに城の東北を巡って、しばらく様子を観察すると、突然悟って言った。「私は城を破る策を得た」。すぐに陣に戻り、韓・魏の二家を招いて協議し、水を引いて城を灌ぐことを提案した。韓虎は言った。「晋水は東へ流れているのに、どうしてこれを切り開いて西へ向かわせられようか」。智伯は言った。「私は晋水そのものを引くのではない。晋水は龍山に源を発し、その流れは注ぐがごとく激しい。もし山の北の高台に、大きな渠を掘って、水を蓄える場所をあらかじめ作っておき、それから晋水の上流に堤を築いて塞き、水が晋川に戻らないようにすれば、必ずすべてこの新しい渠に注ぐことになる。ちょうど今は春雨が降る時期であり、山の水は必ず大いに増える。水が来る日を待って、堤を切って城を灌げば、城中の人々はみな魚やすっぽんとなるだろう」。韓・魏は声をそろえて讃えて言った。「これは妙計です」。智伯は言った。「今日、道筋を分担しよう。それぞれの役割を決める。韓公は東の道を、魏公は南の道を守り、必ず昼夜心を用いて突破を防いでほしい。私は大営を龍山に移し、西北二方の道を守るとともに、渠を掘り堤を築く事を専ら督励する」。韓・魏は命を受けて別れた。智伯は号令を下し、多くの鍬・鋤を用意させ、晋水の北に渠を掘らせた。次に各所の泉の流れの下流を、ことごとく塞き止めた。さらに渠の左右に高い堤を築き、山の窪地から水が流れ出るところにはすべて堤を設けた。あちこちの泉源はあふれ出したが、行き場を失い、ただ北へ向かうしかなく、みな新しい渠に注いだ。次第に鉄の枠板を増やして水口を塞ぐと、その水はたまるばかりで減ることがなくなった。今、晋水の北へ流れる一筋を智伯渠と呼ぶが、これはすなわちその日に掘られたものである。一か月後、果たして春雨が大いに降り、山水が大いに増して、渠の水位は堤とちょうど同じ高さになった。智伯は人に新しい渠の堤の北側を切り開かせ、その水は北から溢れ出て、ついに晋陽城の中へと流れ込んだ。詩にこう証されている(詩:かつて洪水が山陵を水没させたと聞いていたが、今また泉を塞いて晋城を灌ぐさまを見る、と詠み、その水勢が波の神をさらに大胆にさせ、神のごとき禹をも心驚かせるだろうと結ぶ内容)。
水没した城中の窮状と張孟談の献策
- このとき城中は包囲されていたが、民衆は元来豊かであったので、飢えや寒さに苦しむことはなかった。しかも城の基礎が非常に堅固に築かれていたので、水に浸されても崩れ落ちることはなかった。数日経つと、水勢はますます高くなり、次第に城内へ流れ込んできた。家屋は倒れるか水没するかであり、民衆は身を置く場所がなく、竈も水没して煮炊きの場を失ったので、みな巣のような仮小屋を作って暮らし、釜を吊るして炊事をした。君主の宮殿には高台があったが、無恤は安んじて住むことができず、張孟談とともに、常に竹の筏に乗って、城壁を見回った。城外には水音がとうとうと響き、見渡す限り江や湖のようであり、山を排し峡を倒すかのような勢いがあった。あと四、五尺も増えれば、城壁の頭を越えてしまうところであった。無恤は内心大いに驚き恐れた。それでも幸い、城を守る軍民は、昼夜の見張りを怠らず、民衆はみな死を誓い、二心を抱く者はなかった。無恤は嘆いて言った。「今日にしてようやく尹鐸の功が分かった」。そしてひそかに張孟談に言った。「民心はまだ変わらないが、水勢が引かない。もし山水がさらに増えれば、城じゅうの者がみな魚やすっぽんになってしまう。どうしたらよいか。霍山の神は私を欺いたのだろうか」。孟談は言った。「韓・魏は地を献じたことを、必ずしも心から納得しているわけではありますまい。今日、彼らが従軍しているのは、勢いに迫られてのことにすぎません。臣は今夜ひそかに城を抜け出し、韓・魏の君を説いて、智伯に反撃させ、この患いから脱したいと存じます」。無恤は言った。「兵に囲まれ水に阻まれ、たとえ翼があったとしても飛び出すことはできまい」。孟談は言った。「臣に策がございます。我が主はご心配には及びません。主公はただ諸将に船や筏を多く作らせ、武器を鋭くさせておいてください。もし天の幸運によって、臣の説得が功を奏せば、智伯の首は指呼の間に得られましょう」。無恤はこれを許した。
張孟談の秘密交渉と絺疵の出奔
- 孟談は韓康子が東門に屯兵していることを知っていたので、智伯の兵士に扮して、夜陰に紛れて城を縄で下りて出て、まっすぐ韓の大営へ向かい、ただ「智元帥に機密の事があり、私を遣わして直接申し上げさせる」とだけ言った。韓虎はちょうど陣幕の中に座っていたが、人を遣わして招き入れさせた。当時、軍中は厳戒態勢にあり、来訪する者はすべて念入りに調べられてから、初めて通された。張孟談は兵士と同じ格好をしており、身に何も隠し持っていなかったので、まったく疑われなかった。孟談はすでに韓虎に会うと、左右を退けるよう願い出た。虎は従者を離れさせ、その来意を尋ねた。孟談は言った。「私は兵士ではありません。実は趙氏の臣、張孟談です。我が主は長らく包囲され、命は旦夕に迫っております。一朝にして身が滅び家が絶えれば、その心中を伝える術がなくなることを恐れ、それゆえ臣を兵士に見せかけて、夜にひそかにここへ来させ、将軍にお目にかかり、申し上げたいことがございます。将軍がしばしお許しくださり、臣が口を開くことをお許しいただければ幸いです。さもなければ、臣は将軍の前で死をもってお詫びいたします」。韓虎は言った。「言いたいことがあれば言ってみよ。道理があれば聞き入れよう」。孟談は言った。「昔、六卿は仲睦まじく、共に晋の政を執っておりました。范氏・中行氏が民心を得られず、自ら滅びを招いてから、今、残っているのは、智・韓・魏・趙の四家のみです。智伯は理由もなく趙氏の蔡皋狼の地を奪おうとしました。我が主は先代の遺産を思い、簡単に割くには忍びなかったのであり、智伯に対して罪を得たわけではありません。智伯は自分の強さを恃み、韓・魏を糾合して、趙氏を攻め滅ぼそうとしています。趙氏が滅べば、禍は必ず次に韓・魏に及ぶでしょう」。韓虎は沈黙して答えなかった。孟談はさらに言った。「今日、韓・魏が智伯に従って趙を攻めているのは、城が落ちた暁に趙氏の地を三分することを期待しているからにすぎません。しかし韓・魏はかつて一万戸の邑を献上して智伯に差し出したことがなかったでしょうか。代々伝わる領土でさえ、彼はなお涎を垂らしてこれを奪おうとしました。韓・魏があえて一言でも抗議したという話は聞いておりません。まして他人である趙の土地のためとなれば、なおさら一言も言えますまい。趙氏が滅べば、智氏はさらに強くなります。韓・魏がどうして今日の労苦をもって、彼と厚薄を争えましょうか。たとえ今日、趙の地を三分したとしても、智氏が後日再びこれを求めないと、どうして保証できましょうか。将軍、どうかよくお考えください」。韓虎は言った。「お前の考えはどうしろというのか」。孟談は言った。「私の愚見では、我が主とひそかに和を結び、逆に智伯を攻めて、共に地を得るに越したことはありません。そうすれば、智氏の地は趙の何倍にも及び、しかも後日の患いを除くことができます。三君が心を一つにし、代々唇歯の関係となれば、これは美事ではありませんか」。韓虎は言った。「お前の言葉には一理あるようだ。魏家と協議してみよう。お前はしばらく戻っていよ。三日後に返事を取りに来い」。孟談は言った。「臣は万死に一生を得てここまで参りました。ここへ参るのは容易なことではなく、軍中は人の耳目も多く、漏れずに済むとは限りません。どうか麾下に三日間留まらせていただき、ご命令をお待ちしたく存じます」。韓虎はひそかに段規を召し、孟談の言葉を告げた。段規は智伯の侮辱を受けて恨みをまだ忘れておらず、そこで孟談の謀を深く賛同した。韓虎は孟談と段規を引き合わせ、段規は孟談を自分の陣幕に留めさせ、二人は深く結び合った。
- 翌日、段規は韓虎の命を受け、自ら魏桓子の陣営へ赴き、ひそかに趙氏から軍中に来て話をした者があったことを告げ、こういうことでございますと詳しく語った。「我が主は独断できかねますので、将軍のご裁断をお願い申し上げます」。魏駒は言った。「狂った賊が横暴で無礼だ。私もこれを恨んでいる。ただ、虎を縛ろうとして果たせず、逆に噛みつかれることを恐れるだけだ」。段規は言った。「智伯が容れられないのは、勢いとして必然です。後日に悔やむよりは、今日のうちに断を下すほうがよろしい。趙氏が滅びかけているのを、韓・魏がこれを存続させれば、その恩を我らに深く感じるでしょう。凶人と事を共にするより、はるかによいのではありませんか」。魏駒は言った。「この事はよく考えて行うべきで、軽々しく事を運ぶことはできない」。段規は暇を告げて去った。
- 二日目になると、智伯は自ら水勢を見回りに行き、そこで懸甕山で酒宴を設け、韓・魏の二将軍を招いて、共に水勢を眺めた。酒を飲む最中、智伯は喜色満面で、遠く晋陽の城を指して、韓・魏に言った。「城が水没しないのは、あとわずか板三枚分のみだ。私は今日初めて、水が人の国を滅ぼしうることを知った。晋国の盛んなること、表裏に山河をめぐらせ、汾・澮・晋・絳は、みな大河と称される。私の見るところ、水は頼みにするに足りず、かえって滅亡を速めるだけだ」。魏駒はひそかに肘で韓虎を突き、韓虎は魏駒の足を踏んだ。二人は視線を交わし、みな恐れの色を浮かべた。しばらくして宴は散会し、辞去した。絺疵は智伯に言った。「韓・魏の二家は必ず背くでしょう」。智伯は言った。「どうしてそれが分かるのか」。絺疵は言った。「臣はその言葉を観察したのではなく、すでにその顔色を観察したのです。主公は二家と、趙を滅ぼした暁にはその地を三分することを約束されました。今、趙の城はまもなく落ちようとしているのに、二家には地を得る喜びの色がなく、患いを憂える色がありました。それゆえ彼らが必ず背くと知ったのです」。智伯は言った。「私は二氏とちょうど今、和気藹々と共に事に当たっている。彼らが何を憂えることがあろうか」。絺疵は言った。「主公は『水は頼みにするに足りず、かえって滅亡を速める』と言われました。そもそも晋水は晋陽を灌ぐことができ、汾水は安邑を灌ぐことができ、絳水は平陽を灌ぐことができます。主公が晋陽の水のことを言及されたのですから、二君はどうして憂えないでいられましょうか」。
- 三日目、韓虎・魏駒もまた酒を智伯の陣営に持参し、昨日のもてなしに答えた。智伯は杯を上げてまだ飲まぬうちに、韓・魏に言った。「瑤は元来率直な性質で、内に呑み込むことができず、吐き出してしまうたちだ。昨日、ある人が、二人の将軍に心変わりの意があると言ってきたが、果たしてそうなのか」。韓虎・魏駒は声をそろえて言った。「元帥はこれをお信じになったのですか」。智伯は言った。「もし信じているなら、どうして直接将軍たちに尋ねたりしようか」。韓虎は言った。「趙氏が多くの金や絹を出して、私ども三人を離間させようとしていると聞いております。これは必ず讒臣が趙氏の私財を受け取り、元帥に私ども二家を疑わせ、それによって包囲を緩めさせ、禍を免れようとしているのでしょう」。魏駒もまた言った。「この言葉はまことにもっともです。さもなければ、城が落ちるのが目前だというのに、誰がその土地を分け合いたくないでしょうか。それなのに、この目前の必ず得られる利益を捨てて、測り知れない禍に陥るようなことをするでしょうか」。智伯は笑って言った。「私もまた、二人の方々にそのような心がないことは分かっている。これは絺疵の思い過ごしだ」。韓虎は言った。「元帥は今日はお信じにならなくとも、いずれまた讒言する者が現れるかもしれません。私ども二人の忠心を明らかにする術がなければ、讒臣の計に陥ることになりはしませんか」。智伯は酒を地に注いで言った。「今後、互いに疑い合うことがあれば、この酒のようになろう」。虎と駒は両手を組み合わせて礼を述べた。この日は倍にも酒を飲んで大いに歓を尽くし、夜になって散会した。絺疵は後から智伯のもとに入って言った。「主公はどうして臣の言葉を、二君に漏らされたのですか」。智伯は言った。「お前はどうしてそれが分かったのか」。絺疵は言った。「先ほど臣は陣営の門で二君に出会いましたが、二君は臣をじっと見つめてから、急いで立ち去りました。臣がすでに事情を知っていると思い、臣を恐れる心があったので、あのように慌てたのです」。智伯は笑って言った。「私は二人と酒を酹いで誓いを立てた。互いに疑わないと。お前はみだりに言うべきではない。自ら和気を損なうことになる」。絺疵は退いて嘆いて言った。「智氏の命運も長くはあるまい」。そこで急に寒い病にかかったと偽り、治療を求めて、そのまま秦国へ逃げ去った。髯翁に絺疵を詠んだ詩あり(詩:韓・魏の離心はすでに端緒が見えているのに、絺疵の遠大な見識がどうして智伯に容れられようかと詠み、ある日ふいに病と偽ってさっさと去り、以後は明月清風のもとで安穏に暮らしたと結ぶ内容)。
韓・魏の裏切りと智伯の滅亡
- さて韓虎・魏駒は智伯の陣営から帰る道すがら、二人で密議を交わし、張孟談と血をすすって盟約を結んだ。「明日の夜半を期して、堤を切って水を落とす。お前の方はただ水が引くのを合図に、城内の兵士を率いて打って出て、共に智伯を捕らえよう」。孟談は命を受けて城に戻り、無恤に報告した。無恤は大いに喜び、ひそかに令を伝えて、準備を整え、韓・魏に呼応して打って出る時を待った。期日になると、韓虎・魏駒はひそかに人を遣わして堤を守る兵士を襲い殺させ、西面で水口を掘り開いた。水は西から決壊し、逆に智伯の陣営へ流れ込んだ。軍中は驚き乱れ、一斉に叫び声が起こった。智伯は眠りの中から驚いて起き上がると、水はすでに寝台にまで達しており、衣も夜具もすっかり濡れていた。それでも見回りが不十分で堤がたまたま漏れたのだと思い込み、急いで左右に堤を塞ぐよう命じた。しばらくすると、水勢はますます大きくなった。智国と豫讓が水軍を率いて筏を漕いで迎えに来て、智伯を助けて舟に乗せた。振り返って自陣を見ると、波濤が滾々と押し寄せ、陣営は次々と水没し、軍糧や武器は跡形もなく流されていた。陣中の兵士は、みな水の中に浮き沈みしながら命を懸けてもがいていた。智伯がまさに悲惨な思いでいたとき、突然、鼓の音が大きく鳴り響き、韓・魏両家の兵が、それぞれ小舟に乗って、水勢に乗じて攻め寄せ、智氏の軍を手当たり次第に斬りまくりながら、口々に叫んだ。「智瑤を捕らえて差し出す者には重賞を与えるぞ」。智伯は嘆いて言った。「私は絺疵の言葉を信じなかったが、果たして韓・魏の詐りに嵌まってしまった」。豫讓は言った。「事はすでに急を告げております。主公は山の裏から逃れ、秦国へ入って援軍を求めてください。臣は死をもって敵を防ぎます」。智伯はその言葉に従い、智国とともに小舟を漕いで山の裏へと出た。ところが趙襄子(無恤)もまた智伯が秦へ逃げると読み、張孟談を韓・魏の二家とともに智軍を追撃させ、自らは一隊を率いて龍山の後ろに伏せていたので、ちょうど鉢合わせになった。無恤は自ら智伯を縛り上げ、その罪を数え上げて斬った。智国は水に身を投げて溺死した。豫讓は残兵を励まし、奮戦して迎え撃ったが、いかんせん衆寡敵せず、手勢は次第に散り散りになった。智伯がすでに捕らえられたと聞くと、そのまま服を変えて石室山に逃げ込んだ。智氏の軍はことごとく壊滅した。
- 無恤が確かめると、この日はちょうど三月丙戌の日であった。天神が授けた竹の書、その言葉が的中したのである。三家は兵をまとめて一箇所に集め、各所の堤や水門をことごとく取り壊し、水は再び東へ流れて晋川に戻り、晋陽城中の水は、ようやく退き尽くした。無恤は住民を撫定し終えると、韓・魏に言った。「私は二公の力に頼って、この落城寸前の城を守り抜くことができました。まことに望外のことでございます。しかし智伯は死んだとはいえ、その一族はなお存続しております。草を刈っても根を残せば、結局は後患となりましょう」。韓・魏は言った。「その一族をことごとく滅ぼし、我らの恨みを晴らそう」。無恤はすぐに韓・魏とともに絳州へ戻り、智氏に叛逆の罪を着せ、その家を包囲し、男女老幼を問わず、ことごとく屠り、宗族はすべて滅ぼされた。ただ智果だけはすでに姓を輔氏と改めていたため、難を免れた。ここに至って初めて智果の先見の明が知られた。韓・魏が献上した地は、それぞれ自ら取り戻した。また智氏の食邑は、三家で均等に三分し、一民一尺の土地も晋の公室には入らなかった(これは周の貞定王十六年の事である)。
晋陽の論功行賞と豫讓の復讐
- 無恤は晋陽での功を論じるにあたり、左右の者はみな張孟談を第一に推したが、無恤は独り高赫を第一とした。孟談は言った。「高赫は包囲された城中にあって、一つの策を出したことも、一つの功労を上げたこともないのに、第一の功として上賞を受けるとは、臣にはどうにも理解できません」。無恤は言った。「私が困窮の中にあったとき、皆が慌てふためいていたが、ただ高赫だけは行動が慎み深く、君臣の礼を失わなかった。そもそも功は一時のことに過ぎないが、礼は万世に垂れるものだ。上賞を受けるのは、当然ではないか」。孟談は恥じ入って服した。
- 無恤は山神の霊験に感謝し、霍山に祠を建て、原過に代々その祭祀を守らせた。また智伯への恨みがまだ消えず、その頭蓋骨に漆を塗って便器とした。豫讓は石室山にいて、この事を聞き、涙を流して言った。「『士は己を知る者のために死す』という。私は智氏の厚恩を受けた。今、国は亡び一族は滅ぼされ、辱めは遺骸にまで及んだ。私が世に生き延びていて、どうして人と言えようか」。そこで姓名を変え、囚人の労役者を装い、鋭い匕首を懐に忍ばせて、ひそかに趙氏の内厠に潜入し、無恤が厠へ来るのを待って、隙を見て刺し殺そうとした。無恤は厠に着くと、突然胸騒ぎがして、左右に厠を捜させると、豫讓が引きずり出されて無恤の前に連れて来られた。無恤はそこで問うた。「お前は身に凶器を隠して、私を刺そうとしていたのか」。豫讓は顔色を正して答えた。「私は智氏の遺臣だ。智伯のために仇を報いようとしたのだ」。左右は言った。「この者は逆賊です。誅すべきです」。無恤はこれを止めて言った。「智伯は死んで後継がいないのに、豫讓は彼のために仇を報いようとしている。まことの義士だ。義士を殺す者に良いことはない」。そして豫讓を放って家に帰らせた。去り際に、改めて呼び止めて問うた。「私は今お前を放してやるが、お前は前の仇を捨てられるか」。豫讓は言った。「私を赦すのは、主の私的な恩です。仇を報いるのは、臣の大義です」。左右は言った。「この者は無礼です。放てば必ず後患となります」。無恤は言った。「私はすでに約束した。信を失えようか。今後はただ用心してこれを避ければよいのだ」。その日のうちに晋陽に戻って治め、豫讓の禍を避けた。
漆身呑炭と赤橋の撃衣
- さて豫讓は家に帰ってから、終日仇を報いることを思い続けたが、まだ計画が定まらなかった。その妻は改めて韓・魏に仕えて富貴を求めるよう勧めた。豫讓は怒り、衣を払って出て行った。再び晋陽に入ろうと考えたが、見知られては都合が悪いので、鬚と眉を剃り落とし、身体に漆を塗ってらい病者のような姿になり、市中で物乞いをした。妻は市に赴いて探し尋ね、物乞いの声を聞いて、驚いて言った。「これは我が夫の声だ」。近寄って見ると、豫讓に会ったが、言った。「その声は似ているが、その人は違う」。そして立ち去った。豫讓はその声がまだ残っていることを嫌い、さらに炭を呑んで喉を潰し、啞のような声に変え、再び市で物乞いをした。妻はその声を聞いても、もはや不審に思わなかった。ある友人が、かねて豫讓の志を知っており、物乞いの動作を見て、心中これが豫讓ではないかと疑い、ひそかにその名を呼ぶと、果たしてその通りであった。そこで家に招いて食事を勧め、言った。「あなたの仇討ちの志は固いことは分かった。しかしまだ仇を報いる方法を得ていない。あなたの才能をもってすれば、もし趙氏に偽って仕えれば、必ず重用されるだろう。その時に隙を見て事を行えば、たやすく成し遂げられよう。どうしてこれほどまで身体を毀損し、命を懸けてまで事を成そうとするのか」。豫讓は辞退して言った。「私がすでに趙氏の臣となりながら、また刺客として行動するのは、二心を抱くことになる。今、私が身体に漆を塗り炭を呑んでいるのは、智伯のために仇を報いるためであり、またまさに、人臣でありながら二心を抱く者に、私の風聞を聞いて恥を知らせようとしてのことだ。あなたとはこれでお別れしよう。もう二度と会わないでほしい」。そして晋陽の城へと急ぎ、以前と同じく物乞いを続けたが、もはや誰も彼を見分ける者はいなかった。
- 趙無恤は晋陽で、智伯が造った新しい渠を見て、すでに成った事業を再び廃するわけにはいかないと考え、人に渠の上に橋を架けさせ、往来の便とし、これを赤橋と名づけた。赤は火の色であり、火は水を剋する。晋水の患いによって、それゆえ赤橋でこれを鎮めようとしたのである。橋が完成すると、無恤は車を駆って見に出た。豫讓は無恤が橋を見に来ることを前もって知り、再び刃物を懐にし、死人を装って橋の梁の下に隠れていた。無恤の車が赤橋に近づくと、その馬が突然悲しげにいなないて後ずさりした。御者が数回鞭を打っても、前に進もうとしなかった。張孟談が進み出て言った。「臣は聞いております。『良馬はその主人を陥れることはない』と。今、この馬が赤橋を渡ろうとしないのは、必ず奸人が潜んでいるからです。よく調べなければなりません」。無恤は車を止め、左右に捜索させた。報告があった。「橋の下には怪しい者はおらず、ただ死人が一人、硬直して横たわっているだけです」。無恤は言った。「新しく築いた橋に、どうしてすぐ死人が出るだろうか。必ず豫讓であろう」。引きずり出して見るように命じると、姿かたちは変わっていたが、無恤はなお見分けることができた。罵って言った。「私は以前すでに法を曲げてお前を赦したのに、今また来て刺そうとするとは。皇天がどうしてお前を助けようか」。連れて行って斬るよう命じた。豫讓は天に向かって叫び、涙と血を流して泣いた。左右は言った。「お前は死を恐れているのか」。讓は言った。「私は死を恐れているのではない。私が死んだ後、他に仇を報いる者がいなくなることを痛んでいるのだ」。無恤は呼び戻して問うた。「お前は以前は范氏に仕えていた。范氏は智伯に滅ぼされたのに、お前は恥を忍んで生き延び、逆に智伯に仕え、范氏のために仇を報いようとはしなかった。今、智伯の死をお前独りこれほどまでに切実に報いようとするのは、なぜか」。豫讓は言った。「そもそも君臣は義をもって結ばれるものです。君が臣を手足のように扱えば、臣は君を腹心のように思って仕えます。君が臣を犬馬のように扱えば、臣は君を路傍の人のように思って接します。私が以前范氏に仕えていたときは、ただ凡人として扱われただけであり、私もまた凡人として応じたにすぎません。しかし智伯に仕えるに及んでは、衣を脱いで着せ食を推して与えるほどの厚遇を受け、国士として扱われました。私は当然国士としてこれに報いるべきです。どうして同列に論じられましょうか」。無恤は言った。「お前の心は鉄石のように変わらぬ。私はもうお前を赦さぬ」。そこで佩剣を外し、自ら命を絶つよう命じた。豫讓は言った。「私は聞いております。『忠臣は自分の身の死を憂えず、明主は人の義を覆い隠さない』と。君の赦しを蒙ったこと、臣にとってはすでに十分です。今日、臣がどうしてまた生き延びることを望みましょうか。ただ二度の計画が成らず、憤りを晴らす術がございません。どうか君の衣を脱いで臣に賜り、これを撃たせてください。それによって仇討ちの意を寓し、臣は死んでも瞑目できます」。無恤はその志を憐れみ、錦の袍を脱いで、左右に命じて豫讓に渡させた。讓は剣を手に取り、袍を怒りの目でにらみ、まるで無恤に向き合うかのように、三度躍りかかって三度これを斬りつけ、言った。「私はこれであの世の智伯に報いることができる」。そして剣に伏して死んだ。今に至るまでこの橋は残っており、後世の人はこれを豫讓橋と改名した。無恤は豫讓が自刎するのを見て、心中大いにこれを悲しみ、すぐにその屍を収め葬るよう命じた。兵士が錦の袍を取り上げて、無恤に献じた。無恤がその斬られた箇所を見ると、みな鮮血の染みがついていた。これはまさに精誠が感応したものであった。無恤は心中驚き恐れ、これより病にかかった。命がどうなるか分からない。次回を見て解き明かそう。
原文(底本)
話說智伯名瑤,乃智武子躒之孫,智宣子徐吾之子。徐吾欲建嗣,謀於族人智果曰:「吾欲立瑤何如?」智果曰:「不如宵也。」徐吾曰:「宵才智皆遜於瑤,不如立瑤。」智果曰:「瑤有五長過人,惟一短耳。美鬚長大過人,善射御過人,多技藝過人,強毅果敢過人,智巧便給過人,然而貪殘不仁,是其一短。以五長凌人,而濟之以不仁,誰能容之?若果立瑤,智宗必滅!」徐吾不以為然。竟立瑤為適子。智果嘆曰:「吾不別族,懼其隨波而溺也!」乃私謁太史,求改氏譜,自稱輔氏。及徐吾卒,瑤嗣位,獨專晉政。內有智開智國等肺腑之親,外有絺疵豫讓等忠謀之士,權尊勢重,遂有代晉之志,召諸臣密議其事。謀士絺疵進曰:「四卿位均力敵,一家先發,三家拒之。今欲謀晉室,先削三家之勢。」智伯曰:「削之何道?」絺疵曰:「今越國方盛,晉失主盟,主公託言興兵,與越爭霸,假傳晉侯之命,令韓、趙、魏三家各獻地百里,率其賦以為軍資。三家若從命割地,我坐而增三百里之封,智氏益強,而三家日削矣。有不從者,矯晉侯之命,率大軍先除滅之。此『食果去皮』之法也。」智伯曰:「此計甚妙!但三家先從那家割起?」絺疵曰:「智氏睦於韓魏,而與趙有隙,宜先韓次魏,韓魏既從,趙不能獨異也。」智伯即遣智開至韓虎府中,虎延入中堂,叩其來意。智開曰:「吾兄奉晉侯之命,治兵伐越,令三卿各割采地百里,入於公家,取其賦以充公用。吾兄命某致意,願乞地界回復。」韓虎曰:「子且暫回,某來日即當報命。」智開去,韓康子虎召集群下謀曰:「智瑤欲挾晉侯以弱三家,故請割地為名。吾欲興兵先除此賊,卿等以為何如?」謀士段規曰:「智伯貪而無厭,假君命以削吾地,若用兵,是抗君也,彼將借以罪我,不如與之。彼得吾地,必又求之於趙魏。趙魏不從,必相攻擊,吾得安坐而觀其勝負。」韓虎然之。次日,令段規畫出地界百里之圖,親自進於智伯。智伯大喜,設宴於藍臺之上,以款韓虎。飲酒中間,智伯命左右取畫一軸,置於几上,同虎觀之,乃魯卞莊子刺三虎之圖。上有題贊云: 三虎啖羊,勢在必爭。其鬥可俟,其倦可乘。一舉兼收,卞莊之能! 智伯戲謂韓虎曰:「某嘗稽諸史冊,列國中與足下同名者,齊有高虎,鄭有罕虎,今與足下而三矣。」時段規侍側,進曰:「禮,不呼名,懼觸諱也。君之戲吾主,毋乃甚乎?」段規生得身材矮小,立於智伯之旁,纔及乳下。智伯以手拍其頂曰:「小兒何知,亦來饒舌!三虎所啖之餘,得非汝耶?」言畢,拍手大笑。段規不敢對,以目視韓虎。韓佯醉,閉目應曰:「智伯之言是也。」即時辭去。智國聞之,諫曰:「主公戲其君而侮其臣,韓氏之恨必深,若不備之,禍且至矣。」智伯瞋目大言曰:「我不禍人足矣,誰敢興禍於我?」智國曰:「蚋蟻蜂蠆,猶能害人,況君相乎?主公不備,異日悔之何及!」智伯曰:「吾將效卞莊子一舉刺三虎,蚋蟻蜂蠆,我何患哉!」智國嘆息而出。史臣有詩云: 智伯分明井底蛙,眼中不復置王家﹔宗英空進興亡計,避害誰如輔果嘉? 次日,智伯再遣智開求地於魏桓子駒,駒欲拒之。謀臣任章曰:「求地而與之,失地者必懼,得地者必驕,驕則輕敵,懼則相親,以相親之眾,待輕敵之人,智氏之亡可待矣。」魏駒曰:「善。」亦以萬家之邑獻之。智伯乃遣其兄智宵,求蔡皋狼之地於趙氏。趙襄子無䘏,銜其舊恨,怒曰:「土地乃先世所傳,安敢棄之?韓魏有地自予,吾不能媚人也!」智宵回報,智伯大怒,盡出智氏之甲,使人邀韓魏二家,共攻趙氏,約以滅趙氏之日,三分其地。韓虎魏駒一來懼智伯之強,二來貪趙氏之地,各引一軍,從智伯征進。智伯自將中軍,韓軍在右,魏軍在左,殺奔趙府中,欲擒趙無䘏。趙氏謀臣張孟談預知兵到,奔告無䘏曰:「寡不敵眾,主公速宜逃難!」無䘏曰:「逃在何處方好?」張孟談曰:「莫如晉陽。昔董安于曾築公宮於城內,又經尹鐸經理一番,百姓受尹鐸數十年寬恤之恩,必能效死。先君臨終有言:『異日國家有變,必往晉陽。』主公宜速行,不可遲疑。」無䘏即率家臣張孟談高赫等,望晉陽疾走。智伯勒二家之兵,以追無䘏。 卻說無䘏有家臣原過,行遲落後,於中途遇一神人,半雲半霧,惟見上截金冠錦袍,面貌亦不甚分明,以青竹二節授之,囑曰:「為我致趙無䘏。」原過追上無䘏,告以所見,以竹管呈之。無䘏親剖其竹,竹中有朱書二行:「告趙無䘏,余霍山之神也。奉上帝命,三月丙戌,使汝滅智氏。」無䘏令秘其事。行至晉陽,晉陽百姓感尹鐸仁德,攜老扶幼,迎接入城,駐札公宮。無䘏見百姓親附,又見晉陽城堞高固,倉廩充實,心中稍安。即時曉諭百姓,登城守望。點閱軍器,戈戟鈍敝,箭不滿千,愀然不樂,謂張孟談曰:「守城之器,莫利於弓矢,今箭不過數百,不夠分給,奈何?」孟談曰:「吾聞董安于之治晉陽也,公宮之牆垣,皆以荻蒿楛楚,聚而築之。主公何不發其牆垣,以驗虛實?」無䘏使人發其牆垣,果然都是箭簳之料。無䘏曰:「箭已足矣,奈無金以鑄兵器何?」孟談曰:「聞董安于建宮之時,堂室皆練精銅為柱,卸而用之,鑄兵有餘也。」無䘏再發其柱,純是練過的精銅。即使冶工碎柱,鑄為劍戟刀槍,無不精利,人情益安。無䘏嘆曰:「甚哉,治國之需賢臣也!得董安于而器用備,得尹鐸而民心歸,天祚趙氏,其未艾乎?」 再說智、韓、魏三家兵到,分作三大營,連絡而居,把晉陽圍得鐵桶相似。晉陽百姓,情願出戰者甚眾,齊赴公宮請令。無䘏召張孟談商之。孟談曰:「彼眾我寡,戰未必勝,不如深溝高壘,堅閉不出,以待其變。韓魏無仇於趙,特為智伯所迫耳。兩家割地,亦非心願,雖同兵而實不同心,不出數月,必有自相疑猜之事,安能久乎?」無䘏納其言,親自撫諭百姓,示以協力固守之意。軍民互相勸勉,雖婦女童稚,亦皆欣然願效死力。有敵兵近城,輒以強弩射之,三家圍困歲餘,不能取勝。智伯乘小車周行城外,嘆曰:「此城堅如鐵甕,安可破哉?」正懷悶間,行至一山,見山下泉流萬道,滾滾望東而逝。拘土人問之,答曰:「此山名曰龍山,山腹有巨石如甕,故又名懸甕山。晉水東流,與汾水合,此山乃發源之處也。」智伯曰:「離城幾何里?」土人曰:「自此至城西門,可十里之遙。」智伯登山以望晉水,復遶城東北,相度了一回,忽然省悟曰:「吾得破城之策矣!」即時回寨,請韓魏二家商議,欲引水灌城。韓虎曰:「晉水東流,安能決之使西乎?」智伯曰:「吾非引晉水也。晉水發源於龍山,其流如注,若於山北高阜處,掘成大渠,預為蓄水之地,然後將晉水上流壩斷,使水不歸於晉川,勢必盡注新渠。方今春雨將降,山水必大發,俟水至之日,決隄灌城,城中之人,皆為魚鱉矣。」韓魏齊聲贊曰:「此計妙哉!」智伯曰:「今日便須派定路數,各司其事。韓公守把東路,魏公守把南路,須早夜用心,以防奔突。某將大營移屯龍山,兼守西北二路,專督開渠築隄之事。」韓魏領命辭去。智伯傳下號令,多備鍬鍤,鑿渠於晉水之北。次將各處泉流下瀉之道,盡皆壩斷。復於渠之左右,築起高隄,凡山㘭洩水之處,都有隄壩。那泉源泛溢,奔激無歸,只得望北而走,盡注新渠。卻將鐵枋閘板,漸次增添,截住水口,其水便有留而無去,有增而無減了。今晉水北流一支,名智伯渠,即當日所鑿也。一月之後,果然春雨大降,山水驟漲,渠高頓與隄平。智伯使人決開北面,其水從北溢出,竟灌入晉陽城來。有詩為證: 向聞洪水汨山陵,復見壅泉灌晉城。能令陽侯添膽大,便教神禹也心驚。 時城中雖被圍困,百姓向來富庶,不苦凍餒。況城基築得十分堅厚,雖經水浸,並無剝損。過數日,水勢愈高,漸漸灌入城中,房屋不是倒塌,便是淹沒,百姓無地可棲,無灶可爨,皆構巢而居,懸釜而炊。公宮雖有高臺,無䘏不敢安居,與張孟談不時乘竹筏,周視城垣。但見城外水聲淙淙,一望江湖,有排山倒峽之勢,再加四五尺,便冒過城頭了。無䘏心下暗暗驚恐。且喜守城軍民,晝夜巡警,未嘗疏怠,百姓皆以死自誓,更無二心。無䘏嘆曰:「今日方知尹鐸之功矣!」乃私謂張孟談曰:「民心雖未變,而水勢不退,倘山水再漲,闔城俱為魚鱉,將若之何?霍山神其欺我乎?」孟談曰:「韓魏獻地,未必甘心,今日從兵,迫於勢耳。臣請今夜潛出城外,說韓魏之君,反攻智伯,方脫此患。」無䘏曰:「兵圍水困,雖插翅亦不能飛出也。」孟談曰:「臣自有計,吾主不必憂慮,主公但令諸將多造船筏,利兵器,倘徼天之幸,臣說得行,智伯之頭,指日可取矣。」無䘏許之。 孟談知韓康子屯兵於東門,乃假扮智伯軍士,於昏夜縋城而出,逕奔韓家大寨,只說「智元帥有機密事,差某面稟。」韓虎正坐帳中,使人召入。其時軍中嚴急,凡進見之人,俱搜簡乾淨,方纔放進。張孟談既與軍士一般打扮,身邊又無夾帶,並不疑心。孟談既見韓虎,乞屏左右。虎命從人閃開,叩其所以。孟談曰:「某非軍士,實乃趙氏之臣張孟談也。吾主被圍日久,亡在旦夕,恐一旦身死家滅,無由布其腹心,故特遣臣假作軍士,潛夜至此,求見將軍,有言相告。將車容臣進言,臣敢開口,如不然,臣請死於將軍之前。」韓虎曰:「汝有話但說,有理則從。」孟談曰:「昔日六卿和睦,同執晉政,自范氏中行氏不得眾心,自取覆滅,今存者,惟智、韓、魏、趙四家耳。智伯無故欲奪趙氏蔡皋狼之地,吾主念先世之遺,不忍遽割,未有得罪於智伯也。智伯自恃其強,糾合韓魏,欲攻滅趙氏,趙氏亡,則禍必次及於韓魏矣。」韓虎沉吟未答。孟談又曰:「今日韓魏所以從智伯而攻趙者,指望城下之日,三分趙氏之地耳。夫韓魏不嘗割萬家之邑,以獻智伯乎?世傳疆宇,彼尚垂涎而奪之,未聞韓魏敢出一語相抗也,況他人之地哉?趙氏滅,則智氏益強。韓魏能引今日之勞,與之爭厚薄乎?即使今日三分趙地,能保智氏異日之不復請乎?將軍請細思之!」韓虎曰:「子之意欲如何?」孟談曰:「依臣愚見,莫若與吾主私和,反攻智伯,均之得地,而智氏之地多倍於趙,且以除異日之患,三君同心,世為唇齒,豈不美哉?」韓虎曰:「子言亦似有理,俟吾與魏家計議。子且去,三日後來取回復。」孟談曰:「臣萬死一生,此來非同容易,軍中耳目,難保不洩,願留麾下三日,以待尊命。」韓虎使人密召段規,告以孟談所言。段規受智伯之侮,懷恨未忘,遂深贊孟談之謀。韓虎使孟談與段規相見,段規留孟談同幕而居,二人深相結納。次日,段規奉韓虎之命,親往魏桓子營中,密告以趙氏有人到軍中講話,如此恁般﹍﹍:「吾主不敢擅便,請將軍裁決!」魏駒曰:「狂賊悖嫚,吾亦恨之!但恐縛虎不成,反為所噬耳。」段規曰:「智伯不能相容,勢所必然,與其悔於後日,不如斷於今日。趙氏將亡,韓魏存之,其德我必深,不猶愈於與凶人共事乎?」魏駒曰:「此事當熟思而行,不可造次。」段規辭去。 到第二日,智伯親自行水,遂治酒於懸甕山,邀請韓魏二將軍,同視水勢。飲酒中間,智伯喜形於色,遙指著晉陽城,謂韓魏曰:「城不沒者,僅三版矣!吾今日始知水之可以亡人國也。晉國之盛,表裏山河,汾、澮、晉、絳,皆號巨川,以吾觀之,水不足恃,適足速亡耳。」魏駒私以肘撐韓虎,韓虎躡魏駒之足,二人相視,皆有懼色。須臾席散,辭別而去。絺疵謂智伯曰:「韓魏二家必反矣!」智伯曰:「子何以知之?」絺疵曰:「臣未察其言,已觀其色。主公與二家約,滅趙之日,三分其地,今趙城旦暮必破,二家無得地之喜,而有慮患之色,是以知其必反也。」智伯曰:「吾與二氏方歡然同事,彼何慮焉?」絺疵曰:「主公言水不足恃,適速其亡。夫晉水可以灌晉陽,汾水可以灌安邑,絳水可以灌平陽。主公言及晉陽之水,二君安得不慮乎?」至第三日,韓虎魏駒亦移酒於智伯營中,答其昨日之情。智伯舉觴未飲,謂韓魏曰:「瑤素負直性,能吐不能茹。昨有人言,二位將軍有中變之意,不知果否?」韓虎魏駒齊聲答曰:「元帥信乎?」智伯曰:「吾若信之,豈肯面詢於將軍哉?」韓虎曰:「聞趙氏大出金帛,欲離間吾三人,此必讒臣受趙氏之私,使元帥疑我二家,因而懈於攻圍,庶幾脫禍耳。」魏駒亦曰:「此言甚當。不然,城破在邇,誰不願剖分其土地,乃舍此目前必獲之利,而蹈不可測之禍乎?」智伯笑曰:「吾亦知二位必無此心,乃絺疵之過慮也。」韓虎曰:「元帥今日雖然不信,恐早晚復有言者,使吾兩人忠心無以自明,寧不墮讒臣之計乎?」智伯以酒酹地曰:「今後彼此相猜,有如此酒!」虎駒拱手稱謝。是日飲酒倍歡,將晚而散。絺疵隨後入見智伯曰:「主公奈何以臣之言,洩於二君耶?」智伯曰:「汝又何以知之?」絺疵曰:「適臣遇二君於轅門,二君端目視臣,已而疾走。彼謂臣已知其情,有懼臣之心,故遑遽如此。」智伯笑曰:「吾與二子酹酒為誓,各不相猜,子勿妄言,自傷和氣。」絺疵退而嘆曰:「智氏之命不長矣!」乃詐言暴得寒疾,求醫治療,遂逃奔秦國去訖。髯翁有詩詠絺疵云: 韓魏離心已見端,絺疵遠識詎能滿?一朝託疾飄然去,明月清風到處安。 再說韓虎魏駒從智伯營中歸去,路上二君定計,與張孟談歃血訂約:「期於明日夜半,決堤洩水,你家只看水退為信,便引城內軍士,殺將出來,共擒智伯。」孟談領命入城,報知無䘏。無䘏大喜,暗暗傳令,結束停當,等待接應。至期,韓虎魏駒暗地使人襲殺守隄軍士,於西面掘開水口,水從西決,反灌入智伯之寨。軍中驚亂,一片聲喊起,智伯從睡夢中驚醒起來,水已及於臥榻,衣被俱濕。還認道巡視疏虞,偶然隄漏,急喚左右快去救水塞隄。須臾,水勢益大,卻得智國豫讓率領水軍,駕筏相迎,扶入舟中。回視本營,波濤滾滾,營疊俱陷,軍糧器械,飄蕩一空。營中軍士,盡從水中浮沉掙命。智伯正在悽慘,忽聞鼓聲大震,韓魏兩家之兵,各乘小舟,趁著水勢殺來,將智家軍亂砍,口中只叫:「拿智瑤來獻者重賞!」智伯嘆曰:「吾不信絺疵之言,果中其詐!」豫讓曰:「事已急矣!主公可從山後逃匿,奔入秦邦請兵。臣當以死拒敵。」智伯從其言,遂與智國掉小舟轉出山背。誰知趙襄子也料智伯逃奔秦國,卻遣張孟談從韓魏二家追逐智軍,自引一隊,伏於龍山之後,湊巧相遇。無䘏親縛智伯,數其罪斬之。智國投水溺死。豫讓鼓勵殘兵,奮勇迎戰,爭奈寡不敵眾,手下漸漸解散。及聞智伯已擒,遂變服逃往石室山中。智氏一軍盡沒。無䘏查是日,正三月丙戌日也。天神所賜竹書,其言驗矣。三家收兵在於一處,將各路壩閘,盡行拆毀,水復東行,歸於晉川,晉陽城中之水,方纔退盡。無䘏安撫居民已畢,謂韓魏曰:「某賴二公之力,保全殘城,實出望外。然智伯雖死,其族尚存,斬草留根,終為後患。」韓魏曰:「當盡滅其宗,以洩吾等之恨!」無䘏即同韓魏回至絳州,誣智氏以叛逆之罪,圍其家,無男女少長,盡行屠戮,宗族俱盡。惟智果已出姓為輔氏,得免於難,到此方知果之先見矣。韓魏所獻地,各自收回。又將智氏食邑,三分均分,無一民尺土,入於公家。(此周貞定王十六年事也。) 無䘏論晉陽之功,左右皆推張孟談為首,無䘏獨以高赫為第一。孟談曰:「高赫在圍城之中,不聞畫一策,效一勞,而乃居首功,受上賞,臣竊不解。」無䘏曰:「吾在厄困中,眾俱慌錯,惟高赫舉動敬謹,不失君臣之禮。夫功在一時,禮垂萬世,受上賞,不亦宜乎?」孟談愧服。無䘏感山神之靈,為之立祠於霍山,使原過世守其祀。又憾智伯不已,漆其頭顱為溲便之器。豫讓在石室山中,聞知其事,涕泣曰:「『士為知己者死。』吾受智氏厚恩,今國亡族滅,辱及遺骸,吾偷生於世,何以為人?」乃更姓名,詐為囚徒服役者,挾利匕首,潛入趙氏內廁之中,欲候無䘏如廁,乘間刺之。無䘏到廁,忽然心動,使左右搜廁中,牽豫讓出見無䘏。無䘏乃問曰:「子身藏利器,欲行刺於吾耶?」豫讓正色答曰:「吾智氏亡臣,欲為智伯報仇耳!」左右曰:「此人叛逆宜誅!」無䘏止之曰:「智伯身死無後,而豫讓欲為之報仇,真義士也!殺義士者不祥。」令放豫讓還家。臨去,復召問曰:「吾今縱子,能釋前仇否?」豫讓曰:「釋臣者,主之私恩﹔報仇者,臣之大義。」左右曰:「此人無禮,縱之必為後患。」無䘏曰:「吾已許之,可失信乎?今後但謹避之可耳。」即日歸治晉陽,以避豫讓之禍。 卻說豫讓回至家中,終日思報君仇,未能就計。其妻勸其再仕韓魏,以求富貴。豫讓怒,拂衣而出。思欲再入晉陽,恐其識認不便,乃削鬚去眉,漆其身為癩子之狀,乞丐於市中。妻往市跟尋,聞呼乞聲,驚曰:「此吾夫之聲也!」趨視,見豫讓,曰:「其聲似而其人非。」遂舍去。豫讓嫌其聲音尚在,復吞炭變為啞喉,再乞於市。妻雖聞聲,亦不復訝。有友人素知豫讓之志,見乞者行動,心疑為讓,潛呼其名,果是也。乃邀至家中進飲食,謂曰:「子報仇之志決矣!然未得報之術也。以子之才,若詐投趙氏,必得重用。此時乘隙行事,唾手而得,何苦毀形滅性,以求濟其事乎?」豫讓謝曰:「吾既臣趙氏,而復行刺,是貳心也。今吾漆身吞炭,為智伯報仇,正欲使人臣懷貳心者,聞吾風而知愧耳!請與子訣,勿復相見。」遂奔晉陽城來,行乞如故,更無人識之者。趙無䘏在晉陽觀智伯新渠,已成之業,不可復廢,乃使人建橋於渠上,以便來往,名曰赤橋。赤乃火色,火能剋水,因晉水之患,故以赤橋厭之。橋既成,無䘏駕車出觀。豫讓預知無䘏觀橋,復懷利刃,詐為死人,伏於橋梁之下。無䘏之車,將近赤橋,其馬忽悲嘶卻步。御者連鞭數策,亦不前進。張孟談進曰:「臣聞『良驥不陷其主。』今此馬不渡赤橋,必有奸人藏伏,不可不察。」無䘏停車,命左右搜簡。回報:「橋下並無奸細,只有一死人僵臥。」無䘏曰:「新築橋梁,安得便有死屍?必豫讓也。」命曳出視之,形容雖變,無䘏尚能識認。罵曰:「吾前已曲法赦子,今又來謀刺,皇天豈佑汝哉!」命牽去斬之。豫讓呼天而號,淚與血下。左右曰:「子畏死耶?」讓曰:「某非畏死,痛某死之後,別無報仇之人耳!」無䘏召回問曰:「子先事范氏,范氏為智伯所滅,子忍恥偷生,反事智伯,不為范氏報仇。今智伯之死,子獨報之甚切,何也?」豫讓曰:「夫君臣以義合。君待臣如手足,則臣待君如腹心﹔君待臣如犬馬,則臣待君如路人。某向事范氏,止以眾人相待,吾亦以眾人報之。及事智伯,蒙其解衣推食,以國士相待,吾當以國士報之。豈可一例而觀耶?」無䘏曰:「子心如鐵石不轉,吾不復赦子矣!」遂解佩劍,責令自裁。豫讓曰:「臣聞『忠臣不憂身之死,明主不掩人之義。』蒙君赦宥,於臣已足。今日臣豈望再活?但兩計不成,憤無所洩。請君脫衣與臣擊之,以寓報仇之意,臣死亦瞑目矣!」無䘏憐其志,脫下錦袍,使左右遞與豫讓。讓掣劍在手,怒目視袍,如對無䘏之狀,三躍而三砍之,曰:「吾今可以報智伯於地下矣。」遂伏劍而死。至今此橋尚存,後人改名為豫讓橋。無䘏見豫讓自刎,心甚悲之,即命收葬其屍。軍士提起錦袍,呈與無䘏。無䘏視所砍之處,皆有鮮血點污。此乃精誠之所感也。無䘏心中驚駭,自是染病。不知性命何如,且看下回分解。
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