東周列國志第八十八回 孫臏、狂を装って禍を脱する/龐涓、桂陵に兵を敗る (孫臏佯狂脫禍 龐涓兵敗桂陵)
孫臏、魏に至り客卿となる
- 話は変わって、孫臏は魏国に至ると、すぐに龐涓の屋敷に身を寄せた。孫臏は龐涓が推薦してくれた恩を謝したが、龐涓は恩着せがましい様子を見せた。
- 孫臏はまた鬼谷先生が「賓」を「臏」に改めた事を述べると、龐涓は驚いて言った。「臏は良い意味の言葉ではないのに、なぜ改めたのか。」
- 孫臏は言った。「先生の命令ですから、逆らえません。」
- 翌日、二人は共に入朝し、恵王に謁見した。恵王は階を降りて出迎え、その礼は非常に丁重であった。
- 孫臏は再拝して奏上した。「臣は村里の匹夫にすぎませんのに、大王の過分な聘礼を受け、まことに恥じ入るばかりです。」
- 恵王は言った。「墨子は先生が独り孫武の秘伝を得ていることを盛んに称えていた。寡人は先生の来訪を渇して水を思うように待ち望んでいたが、今このように来ていただき、平生の大きな慰めとなった。」
- そこで龐涓に尋ねた。「寡人は孫先生を副軍師の職に封じ、卿と共に兵権を掌らせようと思うが、卿の意はどうか。」
- 龐涓は答えた。「臣と孫臏は同窓にして義兄弟であり、臏は臣の兄です。どうして兄を副にできましょうか。むしろひとまず仮に客卿に任じていただき、功績が挙がった後に、臣が爵位を譲り、喜んでその下に居りましょう。」
- 恵王はこれを認め、すぐに孫臏を客卿に拝し、屋敷一区を賜り、龐涓に次ぐ扱いとした。(客卿とは、半ば賓客であり、臣下の礼をもって遇さず、外見上優遇を示しながら、実は臏に兵権を分けたくないためであった。)
- これより孫臏と龐涓は頻繁に往来した。龐涓は考えた。「孫子には秘伝があるはずなのに、まだ明かしていない。必ず意図的に探る必要がある。」
- そこで酒宴を設けて招き、酒の席で兵の機略に話が及んだ。孫子は流れるように答えた。孫子が龐涓に数節を尋ねると、龐涓は答えられず、偽って尋ねた。「これは孫武子の『兵法』に載っているものではないか。」
- 孫臏はまったく疑いを持たず、答えた。「その通りです。」
- 龐涓は言った。「愚弟も昔、先生から伝授を受けたのに、自分が身を入れて学ばなかったため、忘れてしまった。今日、拝借して見せていただけないだろうか、恩は必ず忘れずに報いる。」
- 孫臏は言った。「あの書は先生が詳しく注解を加えたもので、原本とは異なります。先生はただ三日間だけ見せてくださり、すぐに取り戻されましたので、写本もありません。」
- 龐涓は言った。「兄上はまだ記憶していますか。」
- 孫臏は言った。「おぼろげながらまだ記憶しています。」
- 龐涓は心中、すぐにも伝授を求めたかったが、一時に急に迫るのは難しかった。
演武の陣くらべと龐涓の猜疑
- 数日過ぎて、恵王は孫臏の力量を試そうと、練兵場で武を検分し、孫臏と龐涓の二人にそれぞれ陣法を演じさせた。
- 龐涓が布いた陣法を、孫臏は一目でこれが何という陣で、何の方法で破るかを説明できた。孫臏が布いた陣を、龐涓は茫然として分からず、密かに孫臏に尋ねた。
- 孫臏は言った。「これは『顛倒八門陣』です。」
- 龐涓は言った。「変化はあるのか。」
- 孫臏は言った。「攻められれば『長蛇陣』に変わります。」
- 龐涓は孫臏の言葉を探り出すと、先に恵王に報告した。「孫子が布いたのは『顛倒八門陣』で、『長蛇』に変化できます。」ほどなく恵王が孫臏に尋ねると、答えは同じであった。恵王は龐涓の才が孫臏に劣らないと考え、心中いよいよ喜んだ。
- ただ龐涓は屋敷に帰ると考えた。「孫子の才は私よりはるかに優れている。もし除かなければ、後日必ず私を圧迫することになるだろう。」心に一計を生み、会う機会に密かに孫子に尋ねた。「兄上の宗族は皆斉国にいらっしゃるでしょう。今、兄上は既に魏国に仕えていますが、なぜ人を遣わしてここに迎え、共に富貴を享受されないのですか。」
- 孫臏は涙を流して言った。「あなたは私と同学とはいえ、私の家門の事情をまだ知らないのだ。私は四歳で母を失い、九歳で父を失い、叔父の孫喬のもとで育った。叔父は斉の康公に仕えて大夫となっていた。田太公が康公を海上に遷した際、旧臣をことごとく追放し、多くを誅殺したので、我が宗族は離散し、叔父と従兄の孫平・孫卓は私を連れて難を避け周に逃れた。凶作に遭い、さらに私を周の北門の外で雇われの身とした。そして叔父たち父子の行方も分からなくなってしまった。私はその後成長し、隣人から鬼谷先生の道が高いと聞いて、これを慕い、単身で学びに行った。それからさらに数年経ち、故郷は音信不通のままで、どうして問うべき宗族があろうか。」
- 龐涓はさらに尋ねた。「それではあなたはまだ故郷の墳墓を思い出されるか。」
- 孫臏は言った。「人は草木ではない、どうして根本を忘れられようか。先生は私が去る時にも『功名は結局故郷にある』と言われた。今は既に魏の臣となったのだから、この話は持ち出す必要もない。」
- 龐涓はその心の内を探り出し、偽って答えた。「兄上の言葉はもっともです。立派な男子はどこでも功を立てられるもの、何も故郷にこだわる必要はありません。」
偽の手紙による陥れと孫臏の刖足
- およそ半年過ぎ、孫臏の言ったことはすっかり忘れられていた。ある日、朝廷から帰る途中、山東の人らしい話し方の男が「こちらは孫客卿でしょうか」と尋ねた。
- 孫臏はすぐに呼び入れて府に入れ、その来歴を尋ねた。その者は言った。「私は姓を丁、名を乙と申し、臨淄の人です。周に商用で行き、あなたの兄上から鬼谷への手紙を託されましたが、あなたが既に魏国に仕官されたと聞き、遠回りしてここに参りました。」そう言って手紙を差し出した。
- 孫臏は手紙を受け取り、開いて見た。おおよそ次のように書かれていた。「愚兄の平・卓より、書をしたためて賢弟の賓に届ける。私は家門の不幸により、宗族は離散し、既に三年が過ぎた。以前は宋国で人のために耕作牧畜をしていたが、あなたの叔父は病でこの世を去り、異郷で落ちぶれること、苦しみは言葉にできない。今、幸いにも我が王がこれまでのわだかまりをすべて解いてくださり、故郷に呼び戻してくださったので、まさにあなたを迎え、再び家門を立てたいと思う。あなたが鬼谷で学んでいると聞いた。良玉が磨かれれば、必ず立派な器となるだろう。この商人の便に頼んで手紙を書き、知らせる次第だ。早く帰る計画を立ててほしい。兄弟が再び会えることを。」
- 孫臏は手紙を受け取り、真実だと信じ、思わず大いに泣いた。
- 丁乙は言った。「兄上のお言いつけを承っております。あなた様に早くご帰郷し骨肉と再会されるようお勧めいたします。」
- 孫臏は言った。「私は既に魏に仕えている。この事は軽率にはできない。」そこで丁乙に酒食をもてなし、返書を託した。前半は故郷を思う言葉を述べ、後半にはこう記した。「弟は既に魏に仕えており、すぐには帰れない。少し功績を立ててから、ゆっくりと故郷に帰る計画を立てよう。」黄金一錠を路銀として丁乙に贈った。丁乙は返書を受け取ると、その場で辞去した。
- 実はこの来た者は丁乙ではなく、龐涓の腹心の徐甲であった。龐涓は孫臏の来歴と姓名を聞き出し、そこで孫平・孫卓の筆跡を偽り、徐甲に斉の商人丁乙と称させて孫子を訪ねさせたのだった。孫子は幼い頃に兄弟と別れており、筆跡も見分けがつかなかったので、真実だと信じてしまったのだ。
- 龐涓は返書を騙し取ると、その筆跡を真似て、後半数句を次のように改めた。「弟は今、身は魏国に仕えていますが、心は故郷にかかっています。近いうちに帰国の計画を立てるつもりです。もし斉王が私のわずかな取り柄を見捨てなければ、自ら力を尽くします。」
- そこで入朝して密かに恵王に会い、左右を退けて、この偽書を呈上して言った。「孫臏はまことに魏に背き斉に向かう心があります。最近、密かに斉の使者と通じ、使者に返書を持たせました。臣が人を遣わして郊外で待ち伏せさせ、これを取り押さえたのがこの書です。」
- 恵王は見終えて言った。「孫臏は故郷を懐かしんでいるが、それは寡人が未だ彼を重く用いていないためではないか。」
- 龐涓は答えた。「臏の先祖の孫武子は呉王の大将となりましたが、後にはやはり斉に帰りました。父母の国を、誰が忘れられましょうか。大王が孫臏を重用しても、臏の心は既に斉にありますから、必ず魏のために力を尽くすことはないでしょう。しかも臏の才は臣に劣りません。もし斉が彼を将に用いれば、必ず魏と覇を争うことになります。これは大王の後日の禍です。彼を殺すに越したことはありません。」
- 恵王は言った。「孫臏は召しに応じて来た。今、罪状もまだ明らかでないのに急に殺せば、天下は寡人が士を軽んじると議論するだろう。」
- 龐涓は答えた。「大王のお言葉、まことにもっともです。臣は孫臏を諭し、もし魏に留まる気があれば、大王は重ねて官爵をお与えください。もしそうでなければ、大王は微臣の元に彼を送って罪を議させてください。微臣が自ら処置いたします。」
- 龐涓は恵王に暇を告げると、孫子に会いに行き、尋ねた。「兄上は既に千金にも値する故郷の家からの便りを受け取られたと聞きましたが、本当ですか。」
- 孫臏は忠実で直情な人物であったので、まったく疑わず、答えた。「その通りだ。」故郷に帰るよう求める手紙の内容を詳しく述べた。
- 龐涓は言った。「兄弟が長く離れて思い合うのは人情の至りです。兄上はなぜ魏王の前でひと月かふた月の休暇を願い出て、墓参りをしてから、また戻ってこられないのですか。」
- 孫臏は言った。「主公に疑われて、願いを許されないのを恐れる。」
- 龐涓は言った。「兄上、試しに請うてみてください。弟も傍らから力を尽くして助けます。」
- 孫臏は言った。「すべてあなたのお力添えにお任せする。」
- その夜、龐涓は再び恵王に会い、奏上した。「臣は大王の命を奉じて孫臏を諭しましたが、臏の心は必ず魏に留まることを願っておらず、恨みの言葉さえありました。もし目下、上奏文を提出して休暇を願い出るようであれば、主公はそれによってその斉の使者と内通した罪を発してください。」恵王は頷いた。
- 翌日、孫臏は果たして一通の上奏文を提出し、ひと月余りの休暇を乞い、斉に帰って墓参りをしたいと願った。恵王は表を見て大いに怒り、表の末尾に批して書いた。「孫臏は密かに斉の使者と内通し、今また帰郷を願い出た。明らかに魏に背く心がある。寡人が委任した意に背いた。その官位を削り、軍師府に送って罪を問え。」
- 軍政司は旨を奉じ、孫臏を捕らえて軍師府に連行し龐涓に会わせた。龐涓は一目見て偽って驚いた様子で言った。「兄上、なぜこのような目に。」
- 軍政司は恵王の命令を宣した。龐涓は旨を受けると、孫臏に尋ねた。「兄上はこのいわれのない罪を受けられたが、愚弟は王の前で力を尽くして保護を求めましょう。」
- そう言い終えると、輿かき人夫に車を用意させ、恵王に会いに行き、奏上した。「孫臏には確かに斉の使者と内通した罪がありますが、罪は死には至りません。愚見によれば、刖刑と黥面の刑にして、廃人とし、終身故郷に帰れないようにするのがよいでしょう。それでその命を全うし、また後患も無くなります。両全ではないでしょうか。微臣は自ら専断できませんので、特に旨をお伺いしに参りました。」
- 恵王は言った。「卿の処分は最も善い。」
- 龐涓は屋敷に戻ると、孫臏に言った。「魏王は非常にお怒りで、兄上に極刑を加えようとされましたが、愚弟が再三お助けするよう奏上いたしました。おめでとうございます、兄上はお命だけは全うされます。ただ刖刑と黥面の刑を受けなければなりません。これは魏国の法度であって、愚弟が力を尽くさなかったわけではありません。」
- 孫臏は嘆いて言った。「我が師は『たとえ害を受けても大凶ではない』と言われた。今、この身を全うできたのは、あなたのお力である。決して恩を忘れることはできない。」
- 龐涓はそこで処刑人を呼び、孫臏を縛らせ、両膝の骨を除いた。孫臏は一声大きく叫んで気を失い倒れ、しばらくしてようやく蘇った。さらに針で顔に刺し、「私通外国」の四文字を彫り込み、墨で塗った。
- 龐涓は偽って泣きながら、刀傷薬を孫臏の膝に塗り、帛で包んで、人に担がせて書斎に運び、優しい言葉で慰め、よい食事を与えて療養させた。
- およそひと月余りが過ぎ、孫臏の傷口は既に癒えたが、ただ膝の骨を失ったため、両足に力が入らず、動くことができず、ただ足を組んで座ることしかできなかった。
- (詩:名を改めて臏の字にしたことが災いを先に知らせていた、龐涓が計略を用いるのをどうして待つ必要があろうか、孫君があまりに忠直で、命を全うされたことに恩を感じてしまったのを笑うべきだと詠む)
孫臏、狂を装って禍を脱する
- 孫臏は既に廃人となっており、終日龐涓の食事の世話を受け、非常に心苦しく思っていた。
- 龐涓は孫臏に鬼谷子が注解した孫武の兵書を示すよう求め、孫臏は快く承諾した。龐涓は木簡を与え、これを書写させた。
- 孫臏がまだ十分の一も書き終えないうちに、龐涓の家僕で誠児という者が、孫臏の世話をするよう龐涓に命じられていたが、孫臏が無実で虐げられているのを見て、かえって憐れみの気持ちを持っていた。
- 突然、龐涓は誠児を呼び、孫臏が一日にどれだけ書き写しているかを尋ねた。誠児は言った。「孫将軍は両足が不自由で、長く横になったり短く座ったりされ、一日にただ二、三枚の木簡しか書けません。」
- 龐涓は怒って言った。「そんなに遅くては、いつ書き終わるのか。お前は私のために急いで催促せよ。」
- 誠児は退出すると、龐涓の側近に尋ねた。「軍師が孫君に書写を頼まれるのに、なぜこのように催促する必要があるのですか。」
- 側近は言った。「お前は知らないだろう。軍師と孫君は、外見は互いに憐れみ合っているようだが、内実は互いに忌み合っている。それで命を全うさせているのは、ただ兵書を得るためだけだ。書写が終われば、すぐに飲食を絶つことになる。お前は決して漏らしてはならないぞ。」
- 誠児はこの話を聞き、密かに孫子に告げた。孫子は大いに驚いた。「なんと龐涓はこれほど不義であったか。どうして兵法を伝授できようか。」
- また考えた。「もし書写しなければ、彼は必ず怒りだし、私の命は今日明日にも尽きるだろう。」あれこれ考え、自ら脱する計を求めた。
- 突然思い出した。「私が山を下りる時、鬼谷先生が授けてくださった錦の袋があった。『至急の時に初めて開いて見よ』と言われた。今がまさにその時だ。」そこで錦の袋を開いて見ると、黄色い絹の一幅で、中に「詐瘋魔(狂気を装え)」の三字が書かれていた。
- 孫臏は言った。「そうだったのか。」その日、夕食がまさに供された時、孫臏はまさに箸を取ろうとして、突然意識が混濁し、嘔吐する様子をし、しばらくして怒りだし、目を見開いて大声で叫んだ。「お前はなぜ毒薬で私を害するのか。」瓶や椀をすべて地に投げつけ、書き写した木簡を取って火にくべて焼き、身を投げ出して倒れ、口の中で意味不明の罵り言葉を絶えず言い続けた。
- 誠児はこれが偽りとは知らず、慌てて龐涓に走って告げた。龐涓は翌日自ら見に来ると、孫臏はよだれを顔中にたらし、地に伏してからからと大笑いし、突然大声で泣き出した。
- 龐涓は尋ねた。「兄上はなぜ笑い、なぜ泣くのか。」
- 孫臏は言った。「私が笑うのは、魏王が私の命を奪おうとしても、私には十万の天兵の助けがあり、私をどうすることもできないことを笑うのだ。私が泣くのは、魏国に孫臏がいなくなり、誰も大将になれないことを泣くのだ。」
- 言い終わると、また目を見開いて龐涓を見つめ、頭をひたすら地に打ちつけて叫んだ。「鬼谷先生、どうか私、孫臏の命をお救いください。」
- 龐涓は言った。「私は龐某だ。人違いをするな。」孫臏は龐涓の袍を掴んで放そうとせず、しきりに「先生、お救いください」と叫んだ。
- 龐涓は左右に命じて引き離させ、密かに誠児に尋ねた。「孫子の病はいつ発症したのか。」
- 誠児は言った。「昨夜発症しました。」
- 龐涓は車に乗って去ったが、心中疑いが晴れなかった。偽狂かもしれないと恐れ、その真偽を試そうと、左右に命じて孫臏を豚小屋に引きずり込ませた。糞尿が散乱する中、孫臏は髪を振り乱して顔を覆い、身を横たえて臥した。
- さらに人を遣わして酒食を送らせ、偽って言わせた。「私ごとき者は先生が刖刑を受けられたことを哀れみ、聊かの敬意を表します。元帥はご存知ありません。」孫子は既にこれが龐涓の計であることを知っており、目を怒らせて凶悪な表情で罵った。「お前はまた私を毒殺しに来たのか。」酒食をひっくり返して地にこぼした。
- 使者は犬の糞や泥の塊を拾って進めると、孫臏はこれを取って食べた。使者はそこで龐涓に報告した。龐涓は言った。「これは本当に狂気の病だ。心配するに足りない。」
- これより孫臏を放し、その出入りを自由にさせた。孫臏は朝出て夕方帰ることもあれば、依然として豚小屋の中に臥すこともあり、あるいは出たまま戻らないこともあり、市井の間に紛れて宿ることもあった。あるいは談笑して平然としたり、あるいは悲しく号泣したりして止まなかった。
- 市の人々は孫客卿だと分かり、その病で廃人となったことを憐れみ、多く飲食を彼に恵んだ。孫臏は食べたり食べなかったりし、狂った言葉が口から絶えなかった。誰もそれが偽の狂気だとは知らなかった。
- 龐涓は地方の役人に命じて、毎日早朝に孫臏の所在を報告させ、それでもまだ完全に安心しきることはできなかった。
- (詩:紛々たる七国の争いの中、俊傑は時を得て諸侯の招きに応じ身を寄せる、恨むべきは奸臣が嫉妬の心を懐き、良友をして瘋魔を装わせるに至らせたことだと嘆く)
孫臏、斉に密かに救出される
- 時に墨翟は斉に遊歴し、田忌の家に身を寄せていた。その弟子の禽滑が魏から至り、墨翟は「孫臏は魏でうまくいっているか」と尋ねた。
- 禽滑は孫子が刖刑を受けた事を詳しく墨翟に語った。墨翟は嘆いて言った。「私は元々孫臏を推薦しようとしたのに、かえって彼を害してしまった。」
- そこで孫臏の才能と龐涓の嫉妬の事を田忌に伝えた。田忌は威王に言った。「国に賢臣がいるのに、異国で辱めを受けさせているのは、大変よくないことです。」
- 威王は言った。「寡人が兵を発して孫子を迎えるのはどうか。」
- 田忌は言った。「龐涓は臏が本国に仕えることを許さなかったのに、斉国に仕えることを許すでしょうか。孫子を迎えるには、かくかくしかじかの手立てを用い、密かに車に乗せて連れ帰れば、万全を期すことができます。」
- 威王はその策を用い、すぐに客卿の淳于髡に、茶を献上するという名目で、魏に至って孫子に会わせようとした。淳于髡は旨を受け、茶の車を押し、国書を捧げ、まっすぐ魏国に至った。禽滑は従者を装って随行した。
- 魏の都に到着し魏の恵王に会い、斉侯の命を伝えた。恵王は大いに喜び、淳于髡を賓館に送った。
- 禽滑は孫臏が狂を発しているのを見て、言葉を交わさなかったが、深夜密かに訪ねた。孫臏は井戸の欄干に背をもたせて座っており、禽滑を見ると目を見開いたまま何も言わなかった。
- 禽滑は涙を垂らして言った。「孫卿はここまで困窮されたのですか。私は墨子の弟子の禽滑です。私の師は孫卿の冤罪を斉王に語り、斉王は大いに孫卿を慕っておられます。淳于公の今回の来訪は、茶を献上するためではなく、実は孫卿を斉に載せて帰り、あなたのために刖足の仇を報じるためです。」
- 孫臏は涙を雨のように流し、しばらくして言った。「私は既に溝渠で死ぬものと諦めていたが、今日このような機会があるとは思わなかった。ただ龐涓の疑いは非常に強い。うまく連れ出せないのではないか。」
- 禽滑は言った。「私は既に計略を定めておりますので、孫卿はご心配には及びません。出発の日が決まれば、すぐにお迎えに参ります。」ただこの場所で会うことだけを約束し、決して動かないよう伝えた。
- 翌日、魏王は淳于髡をもてなし、その弁舌の巧みさを知り、金や絹を厚く贈った。淳于髡は魏王に暇を告げて出発しようとすると、龐涓は再び街道の亭に酒宴を設けて送別した。
- 禽滑は先にその夜、温車に孫臏を隠し、孫臏の衣服を下僕の王義に着せ、髪を振り乱し、泥を顔に塗って孫臏の姿を装わせた。地方の役人は既に報告済みだったので、龐涓はこれを疑わなかった。
- 淳于髡は街道の亭を出ると、龐涓と歓飲して別れた。まず禽滑に車を急いで走らせ、自らは殿を務めて後を押さえた。数日過ぎて、王義もまた脱出して来た。地方の役人はただ汚れた衣服が一面に散らばっているのを見て、既に孫臏の姿は見えなかった。
- すぐに龐涓に報告すると、龐涓は井戸に身を投げて死んだのではと疑い、人を遣わして遺体を探させたが見つからなかった。何度も探し訪ねたが、まったく手がかりが無かった。かえって魏王に責められることを恐れ、左右を戒め、ただ孫臏は溺死したと申し立てさせ、斉に逃れたことを疑いもしなかった。
孫臏、田忌のために馬の勝負を助ける
- 再び言えば、淳于髡は孫臏を載せて魏の国境を離れ、初めて沐浴をさせた。臨淄に入ると、田忌は十里の外まで自ら出迎えた。威王に言上し、蒲の車に乗せて入朝させた。
- 威王は兵法を尋ね、すぐに官職を授けようとした。孫臏は辞退して言った。「臣にはまだわずかな功もありません。爵を受けるわけにはまいりません。龐涓がもし臣が斉に用いられたと聞けば、また嫉妬の端を起こすでしょう。ひとまずこの事は隠しておき、臣が用いられる機会があってから力を尽くす方がよろしいのではないでしょうか。」
- 威王はこれに従い、田忌の家に住まわせ、田忌は彼を上客として尊んだ。
- 孫臏は禽滑と共に墨翟に礼を言いに行こうとしたが、彼ら師弟二人は既に別れも告げずに立ち去った後だった。孫臏は嘆息して止まなかった。
- さらに人を遣わして孫平・孫卓の消息を訪ねさせたが、まったく音沙汰がなく、ようやく龐涓の詐術であったことを知った。
- 斉の威王は暇な時、常に宗族の諸公子たちと馬を馳せて速さを競い、勝負を賭けて楽しんだ。田忌は馬の力が及ばず、しばしば金を失っていた。
- ある日、田忌は孫臏を連れて射場に行き、馬競べを見物した。孫臏は馬の力がそれほど違わないのに、田忌が三回とも負けているのを見て、密かに田忌に言った。「あなたは明日再び馬競べをする時、私はあなたを必ず勝たせることができます。」
- 田忌は言った。「先生が本当に私を必ず勝たせられるなら、私は王に千金の賭けを申し出よう。」
- 孫臏は言った。「あなたはただ申し出てください。」
- 田忌は威王に願い出た。「臣の馬競べはしばしば負けております。明日は家財を傾けて一度勝負を決したく思います。各回に千金を賭け金といたします。」威王は笑ってこれを許した。
- その日、諸公子は皆盛大に車馬を飾り、皆射場に集まり、見物する民衆は数千人であった。
- 田忌は孫子に尋ねた。「先生の必勝の術はどこにあるのか。千金一回の賭けは戯れではないぞ。」
- 孫臏は言った。「斉の良馬は王の厩に集められています。あなたがそれと順番に勝負を争おうとするのは難しいことです。しかし臣には術によってこれを得ることができます。三回の勝負には上・中・下の別があります。あなたの下等の馬を彼の上等の馬に当て、あなたの上等の馬を取って彼の中等の馬と競わせ、あなたの中等の馬を取って彼の下等の馬と競わせるのです。あなたは一回は必ず負けますが、必ず二勝します。」
- 田忌は言った。「妙案だ。」そこで金の鞍と錦の障泥を、下等の馬に飾り付け、上等の馬に偽装させ、まず威王と第一回の勝負をした。馬の足の差は大きく、田忌は再び千金を失った。威王は大笑いした。
- 田忌は言った。「まだ二回残っています。臣がすべて負けてから笑われても遅くはありません。」二回目、三回目になると、田忌の馬は果たしてすべて勝ち、多くの賭け物、千金を得た。
- 田忌は奏上した。「今日の勝利は臣の馬の力ではなく、孫子が教えてくれたことによるものです。」その理由を述べた。
- 威王は嘆いて言った。「このような小さな事だけでも、既に孫先生の智を見ることができる。」これより威王はますます孫臏を敬重し、賜り物は数え切れないほどであった。この話はここまでとする。
桂陵の戦い
- 再び言えば、魏の恵王は既に孫臏を廃したので、龐涓に中山の地を取り戻す事を任せた。龐涓は奏上した。「中山は魏から遠く、趙に近い。遠方の中山を争うよりも、近い趙の地を割き取る方がよろしい。臣は主君のためにまっすぐ邯鄲を攻め、中山の恨みを報じたく思います。」恵王はこれを許した。
- 龐涓はそこで戦車五百乗を出して趙を伐ち、邯鄲を包囲した。邯鄲の守臣芈選は連戦連敗し、趙の成侯に上表した。成侯は人を遣わして中山の地を斉に賄賂とし、救援を求めた。
- 斉の威王は既に孫子の能力を知っており、孫臏を大将に任命した。孫臏は辞退して言った。「臣は刑を受けた身で、これが用兵の主となれば、斉国に他に人材がいないことを示すことになり、敵に笑われます。田忌を将とすることを願います。」
- 威王はそこで田忌を将に用い、孫臏を軍師とし、常に荷車の中にいて密かに策を練り、その名を表に出さなかった。
- 田忌は兵を率いて邯鄲を救おうとしたが、孫臏はこれを止めて言った。「趙の将は龐涓の敵ではありません。我々が邯鄲に着く頃には、その城は既に落ちているでしょう。それより道半ばに兵を駐め、襄陵を伐とうと言い触らすのがよいでしょう。龐涓は必ず引き返し、引き返してきたところを撃てば、勝てないことはありません。」田忌はその謀を用いた。
- 邯鄲は救援が来ないうちに、芈選は城を龐涓に降した。龐涓は人を遣わして魏王に勝利を報告した。まさに進軍しようとした時、突然斉が田忌を遣わして虚に乗じて襄陵を襲ってきたことを聞いた。
- 龐涓は驚いて言った。「襄陵を失えば安邑が動揺する。私は本拠を救わなければならない。」そこで兵を引き上げた。
- 桂陵から二十里離れた所で、斉の兵に出遭った。実は孫臏は既に魏の兵が来ることを聞き知っていて、前もって準備をしていた。まず牙将の袁達に三千人を率いさせ、道を遮って挑戦させた。
- 龐涓の一族の子である龐蔥が前隊として先に到着し、迎え撃った。二十余合ほど戦うと、袁達は偽って敗れて逃げた。龐蔥は計略があるのを恐れ、追撃せず、龐涓に報告した。
- 龐涓は叱って言った。「一介の偏将すら捕らえられないのに、どうして田忌を捕らえられようか。」すぐに大軍を率いて追撃した。
- 桂陵に近づくと、前方に斉の兵が陣を布いているのが見えた。龐涓は車に乗って観察すると、それはまさに孫臏が初めて魏国に来た時に布いた「顛倒八門陣」であった。龐涓は疑い、考えた。「あの田忌がどうしてこの陣法を知っているのか。もしや孫臏が既に斉に帰ったのではないか。」
- そしてただちに彼も隊列を布いた。すると斉の軍中から「田」の旗号を掲げた大将が現れ、一輛の兵車を押し出し、田忌が全装武装をして戟を手に車の中に立っていた。田嬰は戈を持ち車の右に立った。
- 田忌は「魏の将で腕に自信ある者は、前に出て話をせよ」と呼びかけた。龐涓は自ら兵車を陣前へ進め出て田忌に言った。「斉と魏はこれまで仲が良かった。魏と趙の間には恨みがあるが、それが斉に何の関係があるのか。将軍が好誼を棄てて仇を求めるのは、実に不見識だ。」
- 田忌は言った。「趙は中山の地を我が主に献じ、我が主は私に師を率いて救わせた。もし魏もいくつかの郡の地を割いて私の手に渡せば、私はすぐに退こう。」
- 龐涓は大いに怒って言った。「お前に何の力があって、私と対陣できるのか。」
- 田忌は言った。「お前にそれほどの力があるなら、私のこの陣を見分けられるか。」
- 龐涓は言った。「これは『顛倒八門陣』だ。私はこれを鬼谷子から授かった。お前はどこかでわずかに盗み見たのに、逆に私に問うのか。我が国では三歳の子供でもこれを見分けられる。」
- 田忌は言った。「お前が既に見分けられるなら、あえてこの陣を破ってみるか。」
- 龐涓は心中躊躇したが、破れないと言えば志気が挫かれるので、声を励まして答えた。「見分けられるからには、なぜ破れないことがあろうか。」
- 龐涓は龐英・龐蔥・龐茅に言いつけた。「かつて孫臏がこの陣を講じたのを覚えている。攻め方をおおよそ知っている。ただこの陣は長蛇に変化することができ、頭を撃てば尾が応じ、尾を撃てば頭が応じ、中を撃てば頭尾ともに応じる。攻める者はかえって窮地に陥ることになる。私は今この陣を破りに行く。お前たち三人はそれぞれ一軍を率い、ただこの陣が一度変化するのを見たら、三隊が一斉に進み、頭と尾が互いに救援できないようにせよ。そうすればこの陣は破れる。」
- 龐涓は指示を終えると、自ら選び抜いた精鋭五千人を率いて、前に進んでこの陣を攻め破ろうとした。
- 陣中に入ったばかりで、八方の旗の色がしきりに転換し、どの門が休・生・傷・杜・景・死・驚・開のどれか見分けがつかなくなった。東に西にと突進しても、武器と鎧が林のようで、出口がまったく無かった。ただ鐘と太鼓が激しく鳴り渡り、四方から喊声が上がるのが聞こえるだけで、旗にはすべて軍師の「孫」の字が書かれていた。
- 龐涓は大いに驚いて言った。「足を切られた男は、やはり斉にいたのだ。私はその計略に落ちてしまった。」まさに危急の状況にあった時、龐英・龐蔥の二路の兵が殺到し、ようやく龐涓だけを救い出した。あの五千の選鋭は一人も残らなかった。龐茅の行方を問うと、既に田嬰に殺されており、合わせて二万余の兵を失った。龐涓は非常に傷心した。
- もともとこの八卦陣は八方に中央の戊己を合わせ、あわせて九隊の車馬から成り、その形は正方形であった。龐涓が陣を攻め破ろうと入って来たのに合わせて、先頭と最後尾の二軍を抜いて二つの角とし、外部からの救援を遮り、七隊の車馬のみを残して円陣に変えたため、龐涓はこれに惑わされたのだった。後の唐の衛国公李靖はこれによって六花陣を作り、これはこの円陣から発展したものである。
- (詩:八陣の中には測り知れない機微が隠されている、鬼谷から伝わったことは知る人が少ない、龐涓はただ長蛇の勢いを知るだけで、方円の変化の奇妙さを知らなかったと詠む)
- 今の堂邑県の東南に古戦場という地名があるが、それは昔、孫龐が兵を交えた場所である。
龐涓の逃亡と田忌・孫臏への讒言
- さて龐涓は孫臏が軍中にいることを知り、心中恐れをなし、龐英・龐蔥と相談し、陣営を棄てて逃げ、夜通し魏国に帰った。田忌と孫臏は空の陣営を探知し、勝利を奏して斉に凱旋した。(これは周の顕王十七年のことである。)
- 魏の恵王は龐涓に邯鄲を取った功があるとして、桂陵での敗北はあったものの、功をもって罪を相殺した。
- 斉の威王はそこで田忌と孫臏を寵任し、専ら兵権を彼らに委ねた。相国の騶忌は、将来彼らが自分に代わって相となることを恐れ、密かに食客の公孫閲と相談し、田忌・孫臏の寵愛を奪おうとした。
- ちょうど龐涓が人を遣わして騶忌の元に千金を賄賂として送り、孫臏を退けようとしていた。騶忌はまさにその意にかない、公孫閲に田忌の家人を装わせ、十金を持って五更に占い師の門を叩かせ、「私は田忌将軍の使いで、占いを求めに来た」と言わせた。
- 卦が成ると、占い師は尋ねた。「何のために。」公孫閲は言った。「我が将軍は田氏の宗主であり、兵権を握り、隣国に威を震わせている。今、大事を謀ろうとしているので、その吉凶を占っていただきたい。」
- 占い師は大いに驚いて言った。「これは反逆の事だ。私は関わることはできない。」
- 公孫閲は言い含めた。「先生がお断りになるのは構いませんが、どうか漏らさないでください。」
- 公孫閲がちょうど門を出たところで、騶忌の遣わした者が既に到着し、占い師を捕らえ、叛臣田忌のために占いをしたと言った。
- 占い師は言った。「確かに人が店に来たが、実際には占っていない。」
- 騶忌はそこで入朝し、田忌が占ったという言葉を威王に告げ、占い師を証人として引いた。威王は果たして疑い、毎日人を遣わして田忌の動静を伺わせた。
- 田忌はその事情を聞き、そこで病と称して兵政を辞し、斉王の疑いを解こうとした。孫臏もまた軍師の職を辞去した。
- 翌年、斉の威王が薨じ、子の辟疆が即位した。これが宣王である。宣王は元より田忌の冤罪と孫臏の能力を知っており、二人とも呼び戻して元の地位に復させた。
龐涓、韓を伐つ
- さて龐涓は最初、斉国が田忌・孫臏を退けて用いなくなったと聞き、大いに喜んで言った。「私は今こそ天下を思う存分闊歩できる。」
- この時、韓の昭侯は鄭国を滅ぼしてその地に都を移していた。趙の相国公仲侈は韓に祝賀に行き、そのついでに共に兵を起こして魏を伐ち、魏を滅ぼす日には共に魏の地を分けようと申し入れた。昭侯はこれを承諾し、返答して「たまたま凶作に遭ったので、来年になったら兵を進めることにしよう」と言った。
- 龐涓はこの情報を探り知り、恵王に言った。「韓が趙を助けて魏を攻めようと謀っていると聞きました。今、その謀がまだ成らないうちに、先に韓を伐ち、その計略を挫くべきです。」恵王はこれを許した。
- 太子申を上将軍とし、龐涓を大将とし、国を傾けるほどの兵を起こして、韓国に向けて進発させた。勝敗はどうなるか分からない。まずは次回をお聞きいただきたい。
原文(底本)
話說孫臏行至魏國,即寓於龐涓府中。臏謝涓舉薦之恩,涓有德色。臏又述鬼谷先生改賓為臏之事,涓驚曰:「臏非佳語,何以改易?」臏曰:「先生之命,不敢違也!」次日,同入朝中,謁見惠王,惠王降階迎接,其禮甚恭。臏再拜奏曰:「臣乃村野匹夫,過蒙大王聘禮,不勝慚愧!」惠王曰:「墨子盛稱先生獨得孫武祕傳。寡人望先生之來,如渴思飲,今蒙降重,大慰平生!」遂問龐涓曰:「寡人欲封孫先生為副軍師之職,與卿同掌兵權,卿意如何?」龐涓對曰:「臣與孫臏,同牕結義,臏乃臣之兄也,豈可以兄為副?不旁權拜客卿,候有功績,臣當讓爵,甘居其下。」惠王准奏,即拜臏為客卿,賜第一區,亞於龐涓。(客卿者,半為賓客,不以臣禮加之,外示優崇,不欲分兵權於臏也。)自此孫龐頻相往來。龐涓想道:「孫子既有秘授,未見吐露,必須用意探之。」遂設席請酒,酒中因談及兵機。孫子對答如流。及孫子問及龐涓數節,涓不知所出,乃佯問曰:「此非孫武子《兵法》所載乎?」臏全不疑慮,對曰:「然也。」涓曰:「愚弟昔日亦蒙先生傳授,自不用心,遂至遺忘。今日借觀,不敢忘報。」臏曰:「此書經先生注解詳明,與原本不同,先生止付看三日,便即取去,亦無錄本。」涓曰:「吾兄還記得否?」臏曰:「依稀尚存記憶。」涓心中巴不得便求傳授,只是一時難以驟逼。 過數日,惠王欲試孫臏之能,乃閱武於教場,使孫龐二人,各演陣法。龐涓布的陣法,孫臏一見,即能分說此為某陣,用某法破之。孫臏排成一陣,龐涓茫然不識,私問於孫臏。臏曰:「此即『顛倒八門陣』也。」涓曰:「有變乎?」臏曰:「攻之則變為『長蛇陣』矣。」龐涓探了孫臏說話,先報惠王曰:「孫子所布,乃『顛倒八門陣』,可變『長蛇』。」已而,惠王問於孫臏,所對相同。惠王以龐涓之才,不弱於孫臏,心中愈喜。只有龐涓回府,思想:「孫子之才,大勝於吾,若不除之,異日必為欺壓。」心生一計,於相會中間,私叩孫子曰:「吾兄宗族俱在齊邦,今兄已仕魏國,何不遣人迎至此間,同享富貴?」孫臏垂淚言曰:「子雖與吾同學,未悉吾家門之事也。吾四歲喪母,九歲喪父,育於叔父孫喬身畔。叔父仕於齊康公為大夫。及田太公遷康公於海上,盡逐其故臣,多所誅戮,吾宗族離散,叔與從兄孫平孫卓,挈吾避難奔周,因遇荒歲,復將吾傭於周北門之外,父子不知所往。吾後來年長,聞鄰人言鬼谷先生道高,而心慕之,是以單身往學。又復數年,家鄉杳無音信,豈有宗族可問哉!」龐涓復問曰:「然則兄長亦還憶故鄉墳墓否?」臏曰:「人非草木,能忘本原?先生於吾臨行,亦言:『功名終在故土。』今已作魏臣,此話不須提起矣。」龐涓探了口氣,佯應曰:「兄長之言甚當,大丈夫隨地立功,何必故鄉也?」 約過半年,孫臏所言,都已忘懷了。一日,朝罷方回,忽有漢子似山東人語音,問人曰:「此位是孫客卿否?」臏隨喚入府,叩其來歷。那人曰:「小子姓丁名乙,臨淄人氏,在周客販,令兄有書託某送到鬼谷,聞貴人已得仕魏邦,迂路來此。」說罷,將書呈上。孫臏接書在手,拆而觀之,略云: 愚兄平卓字達賢弟賓北覽:吾自家門不幸,宗族蕩散,不覺已三年矣。向在宋國為人耕牧,汝叔一病即世,異鄉零落,苦不可言。今幸吾王盡釋前嫌,招還故里,正欲奉迎吾弟,重立家門。聞吾弟就學鬼谷,良玉受琢,定成偉器。茲因某客之便,作書報聞。幸早為歸計,兄弟復得相見! 孫臏得書,認以為真,不覺大哭。丁乙曰:「承賢兄吩咐,勸貴人早早還鄉,骨肉相聚。」孫臏曰:「吾已仕於魏,此事不可造次。」乃款待丁乙酒飯,付以回書。前面亦敘思鄉之語,後云:「弟已仕魏,未可便歸,俟稍有建立,然後徐為首邱之計。」送丁乙黃金一錠為路費。丁乙接了回書,當下辭去。誰知來人不是什麼丁乙,乃是龐涓手下心腹徐甲也。龐涓套出孫臏來歷姓名,遂偽作孫平孫卓手書,教徐甲假稱齊商丁乙,投見孫子。孫子兄弟自少分別,連手跡都不分明,遂認以為真了。龐涓誆得回書,遂仿其筆跡,改後數句云:「弟今身仕魏國,心懸故土,不日當圖歸計。倘齊王不棄微長,自當盡力。」於是入朝私見惠王,屏去左右,將偽書呈上,言:「孫臏果有背魏向齊之心,近日私通齊使,取有回書,臣遣人邀截於郊外,搜得在此。」惠王看畢曰:「孫臏心懸故土,豈以寡人未能重用,不盡其才耶?」涓對曰:「臏祖孫武子為吳王大將,後來仍舊歸齊。父母之邦,誰能忘情?大王雖重用臏,臏心已戀齊,必不能為魏盡力。且臏才不下於臣,若齊用為將,必然與魏爭雄,此大王異日之患也。不如殺之。」惠王曰:「孫臏應召而來,今罪狀未明,遽然殺之,恐天下議寡人之輕士也。」涓對曰:「大王之言甚善。臣當勸諭孫臏,倘肯留魏國,大王重加官爵,若其不然,大王發到微臣處議罪,微臣自有區處。」龐涓辭了惠王,往見孫子,問曰:「聞兄已得千金家報,有之乎?」臏是忠直之人,全不疑慮,遂應曰:「果然。」因備述書中要他還鄉之意。龐涓曰:「弟兄久別思歸,人之至情,兄長何不於魏王前暫給一二月之假,歸省墳墓,然後再來?」臏曰:「恐主公見疑,不允所請。」涓曰:「兄試請之,弟當從旁力贊。」臏曰:「全仗賢弟玉成。」是夜,龐涓又入見惠工,奏曰:「臣奉大王之命,往諭孫臏,臏意必不願留,且有怨望之語。若目下有表章請假,主公便發其私通齊使之罪。」惠王點頭。次日,孫臏果然進上一通表章,乞假月餘,還齊省墓。惠王見表大怒,批表尾云:「孫臏私通齊使,今又告歸,顯有背魏之心,有負寡人委任之意。可削其官秩,發軍師府問罪。」軍政司奉旨,將孫臏拿到軍師府來見龐涓,涓一見佯驚曰:「兄長何為至此!」軍政司宣惠王之命。龐涓領旨訖,問臏曰:「吾兄受此奇冤,愚弟當於王前力保。」言罷,命輿人駕車,來見惠王,奏曰:「孫臏雖有私通齊使之罪,然罪不至死。以臣愚見,不若刖而黥之,使為廢人,終身不能退歸故土。既全其命,又無後患,豈不兩全?微臣不敢自專,特來請旨!」惠王曰:「卿處分最善。」龐涓辭回本府,謂孫臏曰:「魏王十分惱怒,欲加兄極刑,愚弟再三保奏,恭喜得全性命。但須刖足黥面,此乃魏國法度,非愚弟不盡力也。」孫臏嘆曰:「吾師云『雖有殘害,不為大凶。』今得保首領,此乃賢弟之力,不敢忘報!」龐涓遂喚刀斧手,將孫臏綁住,剔去雙膝蓋骨。臏大叫一聲,昏絕倒地,半晌方甦。又用針刺面,成「私通外國」四字,以墨塗之。龐涓假意啼哭,以刀瘡藥敷臏之膝,用帛纏裹,使人擡至書館,好言撫慰,好食將息。約過月餘,孫臏瘡口已合,只是膝蓋既去,兩腿無力,不能行動,只好盤足而坐。髯翁有詩云: 易名臏字禍先知,何待龐涓用計時?堪笑孫君太忠直,尚因全命感恩私。 孫臏已成廢人,終日受龐涓三餐供養,甚不過意。龐涓乃求臏傳示鬼谷子注解孫武兵書,臏慨然應允。涓給以木簡,要他繕寫。臏寫未及十分之一,有蒼頭名喚誠兒,龐涓使伏侍孫臏,誠兒見孫子無辜受枉,反有憐憫之意。忽龐涓召誠兒至前,問孫臏繕寫日得幾何?誠兒曰:「孫將軍為兩足不便,長眠短坐,每日只寫得二三策。」龐涓怒曰:「如此遲慢,何日寫完?汝可與我上緊催促。」誠兒退問涓近侍曰:「軍師央孫君繕寫,何必如此催迫?」近侍曰:「汝有所不知。軍師與孫君,外雖相恤,內實相忌,所以全其性命,單為欲得兵書耳。繕寫一完,便當絕其飲食。汝切不可洩漏!」誠兒聞知此信,密告孫子。孫子大驚:「原來龐涓如此無義,豈可傳以《兵法》?」又想:「若不繕寫,他必然發怒,吾命旦夕休矣!」左思右想,欲求自脫之計。忽然想著:「鬼谷先生臨行時,付我錦囊一個,囑云『到至急時,方可開看。』今其時矣!」遂將錦囊啟視,乃黃絹一幅,中間寫著「詐瘋魔」三字。臏曰:「原來如此。」當日晚餐方設,臏正欲舉筋,忽然昏憒,作嘔吐之狀,良久發怒,張目大叫曰:「汝何以毒藥害我?」將瓶甌悉拉於地,取寫過木簡,向火焚燒,撲身倒地,口中含糊罵詈不絕。誠兒不知是詐,慌忙奔告龐涓。涓次日親自來看,臏痰涎滿面,伏地呵呵大笑,忽然大哭。龐涓問曰:「兄長為何而笑?為何而哭?」臏曰:「吾笑者笑魏王欲害我命,吾有十萬天兵相助,能奈我何?吾哭者哭魏邦沒有孫臏,無人作大將也!」說罷,復睜目視涓,磕頭不已。口中叫:「鬼谷先生,乞救我孫臏一命!」龐涓曰:「我是龐某,休得錯認了!」臏牽住龐涓之袍,不肯放手,亂叫:「先生救命!」龐涓命左右扯脫,私問誠兒曰:「孫子病症是幾時發的?」誠兒曰:「是夜來發的。」涓上車而去,心中疑惑不已。恐其佯狂,欲試其真偽,命左右拖入豬圈中,糞穢狼藉,臏被髮覆面,倒身而臥。再使人送酒食與之,詐云 :「吾小人哀憐先生被刖,聊表敬意,元帥不知也。」孫子已知是龐涓之計,怒目猙獰,罵曰:「汝又來毒我耶?」將酒食傾翻地下。使者乃拾狗矢及泥塊以進,臏取而啖之。於是還報龐涓,涓曰:「此真中狂疾,不足為慮矣。」自此縱放孫臏,任其出入。臏或朝出晚歸,仍臥豬圈之內,或出而不返,混宿市井之間。或談笑自若,或悲號不已。市人認得是孫客卿,憐其病廢,多以飲食遺之。臏或食或不食,狂言誕語,不絕於口,無有知其為假瘋魔者。龐涓卻吩咐地方,每日侵晨,具報孫臏所在,尚不能置之度外也。髯翁有詩嘆云: 紛紛七國鬥干戈,俊傑乘時歸網羅﹔堪恨奸臣懷嫉忌,致令良友詐瘋魔。 時墨翟雲遊至齊,客於田忌之家,其弟子禽滑從魏而至,墨翟問:「孫臏在魏得意何如?」禽滑親將孫子被刖之事,述於墨翟。翟嘆曰:「吾本欲薦臏,反害之矣!」乃將孫臏之才,及龐涓妒忌之事,轉述於田忌。田忌言於威王曰:「國有賢臣,而令見辱於異國,大不可也!」威王曰:「寡人發兵以迎孫子如何?」田忌曰:「龐涓不容臏仕於本國,肯容仕於齊國乎?欲迎孫子,須是如此恁般,﹍﹍密載以歸,可保萬全。」威王用其謀,即令客卿淳于髡,假以進茶為名,至魏欲見孫子。淳于髡領旨,押了茶車,捧了國書,竟至魏國。禽滑裝做從者隨行。到魏都見了魏惠王,致齊侯之命。惠王大喜,送淳于髡於館驛。禽滑見臏發狂,不與交言,半夜私往候之。臏背靠井欄而坐,見禽滑張目不語。滑垂涕曰:「孫卿困至此乎?吾乃墨子之弟子禽滑也。吾師言孫卿之冤於齊王,齊王甚相傾慕,淳于公此來,非為貢茶,實欲載孫卿入齊,為卿報刖足之仇耳!」孫臏淚流如雨,良久言曰:「某已分死於溝渠,不期今日有此機會,但龐涓疑慮太甚,恐不便挈帶,如何?」禽滑曰:「吾已定下計策,孫卿不須過慮,俟有行期,即當相迎。」約定只在此處相會,萬勿移動。次日,魏王款待淳于髡,知其善辯之士,厚贈金帛。髡辭了魏王欲行,龐涓復置酒長亭餞行。禽滑先於是夜將溫車藏了孫臏,卻將孫臏衣服,與廝養王義穿著,披頭散髮,以泥土塗面,裝作孫臏模樣。地方已經具報,龐涓以此不疑。淳于髡既出長亭,與龐涓歡飲而別。先使禽滑驅車速行,親自押後。過數日,王義亦脫身而來。地方但見骯髒衣服,撒做一地,已不見孫臏矣。即時報知龐涓,涓疑其投井而死。使人打撈屍首不得,連連挨訪,並無影響。反恐魏王見責,戒左右只將孫臏溺死申報,亦不疑其投齊也。 再說淳于髡載孫臏離了魏境,方與沐浴。既入臨淄,田忌親迎於十里之外。言於威王,使乘蒲車入朝。威王叩以兵法,即欲拜官。孫臏辭曰:「臣未有寸功,不敢受爵。龐涓若聞臣用於齊,又起妒嫉之端,不若姑隱其事,俟有用臣之處,然後效力何如?」威王從之,乃使居田忌之家,忌尊為上客。臏欲偕禽滑往謝墨翟,他師弟二人,已不別而行了。臏嘆息不已。再使人訪孫平孫卓信息,杳然無聞,方知龐涓之詐。齊威王暇時,常與宗族諸公子馳射賭勝為樂。田忌馬力不及,屢次失金。一日,田忌引孫臏同至射圃觀射。臏見馬力不甚相遠,而田忌三棚皆負,乃私謂忌曰:「君明日復射,臣能令君必勝。」田忌曰:「先生果能使某必勝,某當請於王,以千金決賭。」臏曰:「君但請之。」田忌請於威王曰:「臣之馳射屢負矣。來日願傾家財,一決輸贏,每棚以千金為采。」威王笑而從之。是日,諸公子皆盛飾車馬,齊至場圃,百姓聚觀者數千人。田忌問孫子曰:「先生必勝之術安在?千金一棚,不可戲也!」孫臏曰:「齊之良馬,聚於王廄,而君欲與次第角勝,難矣。然臣能以術得之。夫三棚有上中下之別。誠以君之下駟,當彼上駟,而取君之上駟,與彼中駟角,取君之中駟,與彼下駟角﹔君雖一敗,必有二勝。」田忌曰:「妙哉!」乃以金鞍錦韉,飾其下等之馬,偽為上駟,先與威王賭第一棚。馬足相去甚遠,田忌復失千金。威王大笑,田忌曰:「尚有二棚,臣若全輸,笑臣未晚。」及二棚三棚,田忌之馬果皆勝,多得采物千金。田忌奏曰:「今日之勝,非臣馬之力,乃孫子所教也。」因述其故。威王嘆曰:「即此小事,已見孫先生之智矣!」由是益加敬重,賞賜無算。不在話下。 再說魏惠王既廢孫臏,責成龐涓恢復中山之事。龐涓奏曰:「中山遠於魏而近於趙,與其遠爭,不如近割。臣請為君直擣邯鄲,以報中山之恨。」惠王許之。龐涓遂出車五百乘伐趙,圍邯鄲。邯鄲守臣芈選,連戰俱敗,上表趙成侯。成侯使人以中山賂齊求救。齊威王已知孫子之能,拜為大將。臏辭曰:「臣刑餘之人,而使主兵,顯齊國別無人才,為敵所笑。請以田忌為將。」威王乃用田忌為將,孫臏為軍師,常居輜車之中,陰為畫策,不顯其名。田忌欲引兵救邯鄲,臏止之曰:「趙將非龐涓之敵,比我至邯鄲,其城已下矣。不如駐兵於中道,揚言欲伐襄陵,龐涓必還,還而擊之,無不勝也。」忌用其謀。時邯鄲候救不至,芈選以城降涓,涓遣人報捷於魏王。正欲進兵,忽聞齊遣田忌乘虛來襲襄陵。龐涓驚曰:「襄陵有失,安邑震動,吾當還救根本。」乃班師。離桂陵二十里,便遇齊兵。原來孫臏早已打聽魏兵到來,預作準備,先使牙將袁達,引三千人截路搦戰。龐涓族子龐蔥前隊先到,迎住廝殺。約戰二十餘合,袁達詐敗而走。龐蔥恐有計策,不敢追趕,卻來稟知龐涓。涓叱曰:「諒偏將尚不能擒取,安能擒田忌乎?」即引大軍追之。將及桂陵,只見前面齊兵排成陣勢,龐涓乘車觀看,正是孫臏初到魏國時擺的「顛倒八門陣。」龐涓心疑,想道:「那田忌如何也曉此陣法?莫非孫臏已歸齊國乎?」當下亦布隊成列。只見齊軍中閃出大將田旗號,推出一輛戎車,田忌全裝披掛,手執畫戟,立於車中。田嬰挺戈,立於車右。田忌口呼:「魏將能事者,上前打話。」龐涓親自出車,謂田忌曰:「齊魏一向和好,魏趙有怨,何與齊事?將軍棄好尋仇,實為失計!」田忌曰:「趙以中山之地獻於吾主,吾主命吾帥師救之。若魏亦割數郡之地,付於吾手,吾當即退。」龐涓大怒曰:「汝有何本事,敢與某對陣?」田忌曰:「你既有本事,能識我陣否?」龐涓曰:「此乃『顛倒八門陣』,吾受之鬼谷子,汝何處竊取一二,反來問我?我國中三歲孩童,皆能識之!」田忌曰:「汝既能識,敢打此陣否?」龐涓心下躊躇,若說不打,喪了志氣,遂厲聲應曰:「既能識,如何不能打!」龐涓吩咐龐英、龐蔥、龐茅曰:「記得孫臏曾講此陣,略知攻打之法。但此陣能變長蛇,擊首則尾應,擊尾則首應,擊中則首尾皆應,攻者輒為所困。我今去打此陣,汝三人各領一軍,只看此陣一變,三隊齊進,使首尾不能相顧,則陣可破矣。」龐涓吩咐已畢,自帥選鋒五千人,上前打陣。纔人陣中,只見八方旗色,紛紛轉換,認不出那一門是休、生、傷、杜、景、死、驚、開了。東沖西撞,戈甲如林,並無出路。只聞得金鼓亂鳴,四下吶喊,喼的旗上,俱有軍師「孫」字。龐涓大駭曰:「刖夫果在齊國,吾墮其計矣!」正在危急,卻得龐英龐蔥兩路兵殺進,單單救出龐涓,那五千選鋒,不剩一人。問龐茅時,已被田嬰所殺,共損軍二萬餘人。龐涓甚是傷感。原來八封陣本按八方,連中央戊己,共是九隊車馬,其形正方。比及龐涓入來打陣,抽去首尾二軍為二角,以遏外救,止留七隊車馬,變為圓陣,以此龐涓迷惑。後來唐朝衛國公李靖,因此作六花陣,即從此圓陣布出。有詩為證: 八陣中藏不測機,傳來鬼谷少人知,龐涓只曉長蛇勢,那識方圓變化奇? 按今堂邑縣東南有地名古戰場,乃昔日孫龐交兵之處也。 卻說龐涓知孫臏在軍中,心中懼怕,與龐英龐蔥商議,棄營而遁,連夜回魏國去了。田忌與孫臏探知空營,奏凱回齊。(此周顯王十七年之事。)魏惠王以龐涓有取邯鄲之功,雖然桂陵喪敗,將功准罪。齊威王遂寵任田忌孫臏,專以兵權委之。騶忌恐其將來代己為相,密與門客公孫閱商量,欲要奪田忌孫臏之寵。恰好龐涓使人以千金行賂於騶忌之門,要得退去孫臏。騶忌正中其懷,乃使公孫閱假作田忌家人,持十金,於五鼓叩卜者之門,曰:「我奉田忌將軍之差,欲求占卦。」卦成,卜者問:「何用?」閱曰:「我將軍,田氏之宗也,兵權在握,威震鄰國。今欲謀大事,煩為斷其吉凶。」卜者大驚曰:「此悖逆之事,吾不敢與聞!」公孫閱囑曰:「先生即不肯斷,幸勿洩!」公孫閱方纔出門,騶忌差人已至,將卜者拿住,說他替叛臣田忌占卦。卜者曰:「雖有人來小店,實不曾占。」騶忌遂入朝,以田忌所占之語,告於威王,即引卜者為證。威王果疑,每日使人伺田忌之舉動。田忌聞其故,遂託病辭了兵政,以釋齊王之疑。孫臏亦謝去軍師之職。明年,齊威王薨,子辟疆即位,是為宣王。宣王素知田忌之冤,與孫臏之能,俱召復故位。 再說龐涓初時,聞齊國退了田忌孫臏不用,大喜曰:「吾今日乃可橫行天下也!」是時韓昭侯滅鄭國而都之,趙相國公仲侈如韓稱賀,因請同起兵伐魏,約以滅魏之日,同分魏地。昭侯應允,回言:「偶值荒饉,俟來年當從兵進討。」龐涓訪知此信,言於惠王曰:「聞韓謀助趙攻魏,今乘其未合,宜先伐韓,以沮其謀。」惠王許之。使太子申為上將軍,龐涓為大將,起傾國之兵,向韓國進發。不知勝負如何,且看下回分解。
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