東周列國志第九十回 蘇秦、合従して六国の相となる/張儀、激せられて秦に赴く (蘇秦合從相六國 張儀被激往秦邦)
蘇秦、鬼谷を下山し秦へ遊説する
- 話は変わって、蘇秦と張儀は鬼谷に暇乞いして下山した。張儀は自ら魏国へ行った。蘇秦は洛陽の家に帰った。老母は健在で、一人の兄と二人の弟がいたが、兄は既に亡くなり、ただ寡婦となった嫂が残っていた。(二人の弟とは蘇代と蘇厲である。)
- 数年ぶりの再会で、この日一家は皆喜び合った。言うまでもないことである。数日経って、蘇秦は列国を遊歴しようとし、そこで父母に願い出て、家財を売り払い、身の資とする費用にしようとした。
- 母と嫂と妻は皆力を尽くしてこれを止め、言った。「季子(蘇秦)は農耕・収穫に励まず、工商に力を尽くさず、口先だけで富貴を求めようとしている。既にできあがった生業を棄て、まだ得られていない利益を求めるのは、後日生計に窮した時、後悔しても遅いのではないか。」
- 蘇代・蘇厲もまた言った。「兄が遊説の術に長けているなら、なぜ周王に説かないのか。本郷でも名を成すことができるのに、なぜわざわざ遠くに行く必要があるのか。」
- 蘇秦は一家に阻まれ、そこで周の顕王に謁見を求め、自強の術を説いた。顕王は蘇秦を館舎に留めた。左右の者は皆蘇秦が農商の家の出であることを知っており、その言葉が空疎で役に立たないと疑い、顕王の前で彼を推挙しようとしなかった。
- 蘇秦は館舎に一年余り留まったが、仕官の道を得ることができなかった。そこで発憤して家に帰り、自分の財産をすべて売り払い、黄金百鎰を得て、黒貂の裘を作り、車馬と従者を整え、列国を遊歴し、山川の地形、人民の風土を訪ね求め、天下の利害の詳細をすべて把握した。
- このように数年経ったが、機会を得られなかった。衛鞅が商君に封じられ、大いに秦の孝公の心を得たと聞き、そこで西に咸陽に至ったが、既に孝公は薨じており、商君もまた死んでいた。そこで恵文王に謁見を求めた。
- 恵文王は蘇秦を殿に召し、尋ねた。「先生は千里の道を遠しとせずわが国に来られたが、何か教えていただけることがあるのか。」
- 蘇秦は奏上した。「臣が聞くところによれば、大王は諸侯に地を割くことを求めておられるとか。それは安坐したまま天下を併呑しようとの思し召しですか。」
- 恵文王は言った。「そうだ。」
- 蘇秦は言った。「大王は東に函谷関と黄河の険があり、西に漢中があり、南に巴蜀があり、北に胡・貊の地があります。これは四方が険阻な国です。沃野は千里、勇士は百万にも及びます。大王の賢明さと士民の多さをもってすれば、臣は謀を献じ力を尽くし、諸侯を併呑し、周室を呑み込み、帝を称して天下を統一することも、掌を返すほどたやすいと思います。どうして安坐したままで事を成せることがありましょうか。」
- 恵文王は初め商鞅を殺したばかりで、遊説の士を心中憎んでおり、そこで断って言った。「孤(われ)は『羽毛がまだ生えそろわなければ、高く飛ぶことはできない』と聞いている。先生の言うことは、孤には志があってもまだ及ばない。もう数年待って、兵力が十分に整ってから、改めて協議しよう。」
- 蘇秦はそこで退いた。さらに古の三王五覇が攻戦して天下を得た術を集めて一書とし、およそ十余万字にまとめ、翌日秦王に献上した。秦王はこれを一応目を通したものの、まったく蘇秦を用いる意図は無かった。
- 蘇秦は再び秦の相公孫衍に謁見しようとしたが、公孫衍はその才を忌み、推挙しようとしなかった。
蘇秦、家族に疎まれ『陰符』を学んで再起する
- 蘇秦は秦に留まってさらに一年余り、黄金百鎰も既に使い果たし、黒貂の裘も破れて役に立たなくなり、方策が尽きた。そこで車馬と従者を売り払い、旅費とし、荷物を担いで徒歩で帰った。
- 父母はその狼狽ぶりを見て、彼を罵った。妻はちょうど機織りをしていたが、蘇秦が来るのを見ても機を下りて会おうとしなかった。蘇秦は非常に飢えており、嫂に一椀の飯を求めたが、嫂は薪が無いと断り、炊事をしようとしなかった。
- (詩:富貴であれば道行く人も骨肉のようになり、貧窮であれば骨肉さえも道行く人のようになる、季子の貂の裘が破れているのを見よ、目に映るのはたとえ肉親であってもすべて親しくないと詠む)
- 蘇秦は思わず涙を落とし、嘆いて言った。「一身が貧賎であれば、妻は私を夫と見なさず、嫂は私を夫の弟と見なさず、母は私を子と見なさない。これはすべて私の罪だ。」
- そこで書物の箱を整理する中で、太公の『陰符』一篇を見つけ、突然悟った。「鬼谷先生はかつて『もし遊説がうまくいかなければ、ただこの書をよく学べ。自ずと進歩がある』と言われた。」
- そこで戸を閉じてこれを探求し、その趣旨を窮めることに務め、昼夜休まなかった。夜、疲れて眠くなると、錐を引いて自分の腿を刺した。血が足元まで流れた。既に『陰符』に悟るところがあると、その後、列国の形勢を細かく考察した。このように一年経つと、天下の大勢は掌中にあるかのようになった。
- そこで自ら慰めて言った。「私はこれほどの学識があるのだから、これで人主に説けば、どうしてその金玉錦繡を出させ、卿相の位を得られないことがあろうか。」
- そこで弟の代と厲に言った。「私の学問は既に成った。富貴を得ることは、たやすいことだ。弟たちは私の旅費を助けてくれれば、列国に出て遊説しよう。もし出世する日があれば、必ず引き立てよう。」さらに弟たちに『陰符』を講じて聞かせた。代と厲もまた悟るところがあり、そこでそれぞれ黄金を出して、その旅の資とした。
蘇秦、燕・趙で合従を説き、秦の魏攻めの急報に応ずる
- 蘇秦は父母と妻と嫂に別れを告げ、再び秦国に赴こうと考えたが、思った。「今、七国のうち、秦が最も強く、これを助けて帝業を成すことができる。しかし秦王は用いてくれなかった。私が今再び行っても、もし以前のようであれば、どうして再び故郷に帰ることができようか。」
- そこで秦を退ける策を考え、必ず列国を同心協力させ、それによって秦の勢いを孤立させれば、初めて自立できると考えた。そこで東に趙国に赴いた。
- 当時、趙の粛侯が在位し、その弟の公子成が相国となっていて、奉陽君と号していた。蘇秦は先に奉陽君に説いたが、奉陽君は喜ばなかった。
- 蘇秦は趙を去り、北へ燕に遊び、燕の文公に謁見を求めたが、左右の者は誰も取り次いでくれなかった。一年余りとどまり、資金は既に尽き、旅館で飢えていた。旅館の主人はこれを哀れみ、百銭を貸し与え、蘇秦はこれで凌いだ。
- ちょうど燕の文公が外出した時、蘇秦は道端に伏して謁見を求めた。文公はその姓名を尋ね、蘇秦だと知り、喜んで言った。「先生が昔十万言を秦王に献じたと聞いている。寡人は先生を慕っていたが、先生の書を読む機会がなかったことを恨んでいた。今、先生が恵んで寡人に教えてくださるならば、燕の幸いである。」
- そこで車を回して朝廷に入り、蘇秦を召し入れ、身をかがめて教えを請うた。
- 蘇秦は奏上した。「大王は戦国の列に在り、国土は四方二千里、兵甲数十万、戦車六百乗、騎兵六千匹を有しておられます。しかし中原に比べれば、まだ半分にも及びません。それでも耳に金戈鉄馬の音を聞かず、目に車が覆り将が斬られる危険を見ず、安居して事無く過ごしておられます。大王はその理由をご存知ですか。」
- 燕の文公は言った。「寡人は知らない。」
- 蘇秦はさらに言った。「燕が戦火を被らずにいるのは、趙が盾となって遮っているからにほかなりません。大王は近くの趙と好誼を結ぶことを知らず、かえって地を割いて遠くの秦に媚びようとされています。愚かなことではありませんか。」
- 燕の文公は言った。「それではどうすればよいのか。」
- 蘇秦は答えた。「愚見によれば、趙と合従の盟を結び、それによって列国と連携し、天下を一つにし、共に力を合わせて秦を防ぐのがよいと思います。これが百世の安泰です。」
- 燕の文公は言った。「先生が合従によって燕を安んじることは、寡人の願うところであるが、ただ諸侯が従に応じてくれるかどうかを恐れる。」
- 蘇秦はさらに言った。「臣は不才ですが、自ら趙侯に会い、従の約束を定めることを願います。」燕の文公は大いに喜び、金や絹と旅費を厚く与え、四頭立ての立派な馬車で、壮士に蘇秦を趙まで送らせた。
- ちょうど奉陽君の趙成は既に亡くなっており、趙の粛侯は燕国から客が来たと聞き、そこで階を降りて迎えて言った。「上客が遠くよりお越しくださった、何を教えていただけるのか。」
- 蘇秦は奏上した。「私が聞くところ、天下の布衣の賢士は、みな君公の義しき行いを賢明と讃え、こぞって君公の御前で忠誠を陳べたいと願っておりますが、奉陽君が才能を妬み嫉んだために、遊説の士は足を止め、口を閉ざしておりました。今、奉陽君が世を去られましたので、臣はあえてその愚忠を献じます。臣が聞くところ、『国を保つには民を安んじるに越したことはなく、民を安んじるには交わりを選ぶに越したことはない』と申します。当今の山東の国では、趙が最も強いです。趙の国土は四方二千余里、甲を帯びる兵は数十万、戦車は千乗、騎兵は万匹、粟は数年分の蓄えがあります。秦が最も忌み嫌う相手は、趙にほかなりません。しかし敢えて兵を挙げて趙を伐たないのは、韓・魏がその背後を襲うことを恐れているからです。それゆえ趙の南の障壁となっているのは韓・魏です。韓・魏には名山大川の険がなく、ひとたび秦の兵が大挙すれば、この二国を蚕食し、二国が降れば、禍は次に趙に及ぶでしょう。臣はかつて地図を調べましたが、列国の地は秦より万里も広く、諸侯の兵は秦より十倍多いのです。もし六国が一つに合わされば、力を合わせて西に向かい、秦を破ることは何ら難しくありません。今、秦のために謀る者は、秦をもって諸侯を脅し、必ず地を割いて和を求めさせようとしています。そもそも故なくして地を割くのは、自ら自分を破ることです。人を破ることと、人に破られることと、この二つのどちらが優れているでしょうか。愚見によれば、列国の君臣を約して洹水に会し、盟約を交わして誓いを立て、兄弟の契りを結び、唇と歯のように連携するのがよいと思います。秦が一国を攻めれば、五国が共にこれを救う。もし盟を裏切り誓いに背く者があれば、諸侯が共にこれを討つ。秦がいかに強暴であっても、どうして孤立した国をもって天下の衆と勝敗を争うことができましょうか。」
- 趙の粛侯は言った。「寡人は若く、国を治めはじめてから日も浅く、まだ最良の計略を聞いたことがなかった。今、上客が諸侯を糾合して秦を防ごうとされる、寡人がどうして敬んで従わないことがあろうか。」
- そこで蘇秦に宰相の印を帯びさせ、大邸宅を賜い、さらに飾り立てた車百乗、黄金千鎰、白璧百対、錦繍千匹を与え、蘇秦を「従約長」とした。
- 蘇秦は人を遣わして百金を燕に持たせ、旅館の主人の百銭を償わせた。まさに日を選んで出発し、韓・魏などの諸国を歴訪しようとしていた矢先、突然趙の粛侯が蘇秦を朝廷に召し、急ぎ相談することがあると告げた。
- 蘇秦は慌てて粛侯に会いに行った。粛侯は言った。「ちょうど国境の役人が報告してきた。『秦の相国公孫衍が兵を出して魏を攻め、その大将龍賈を捕らえ、首を四万五千斬り、魏王は河北十城を割いて和を求めた。公孫衍はさらに兵を移して趙を攻めようとしている』と。どうすればよいか。」
- 蘇秦はこれを聞き、密かに驚いた。「秦の兵がもし趙に至れば、趙君は必ず魏に倣って和を求めるだろう。『合従』の計は成らなくなる。」まさに「人急計生」(人は窮すれば計略が生まれる)というべきで、ひとまず答えておいて、別に対処を考えることにした。
- そこでわざと落ち着いた様子を装い、両手を組んで礼をし、答えた。「臣が推測するに、秦の兵は疲弊しており、すぐには趙国に到着できないでしょう。万一到着したとしても、臣に自ずと退ける計略がございます。」
- 粛侯は言った。「先生はしばらくわが国に留まってほしい。秦の兵が果たして来ないことが分かってから、初めて寡人のもとを遠く離れてもよい。」この言葉は、まさに蘇秦の意にかなうものであり、承諾して退いた。
蘇秦、賈舎人を張儀のもとへ遣わす
- 蘇秦は屋敷に戻ると、腹心の門下、畢成という者を密室に呼び、言いつけた。「私に同学の旧友がおり、名を張儀、字を餘子という。大梁の人だ。私は今、お前に千金を与える。お前は商人に扮し、姓名を賈舎人と変え、魏国に赴いて張儀を訪ね探せ。もし会うことができたら、このようにこのようにせよ。趙に来る日には、またこのようにこのようにせよ。お前は十分に注意して行いなさい。」
- 賈舎人は命を受けて、夜通し大梁に向かった。
張儀、楚で「和氏の璧」盗難の嫌疑をかけられる
- 話は二つに分かれる。さて張儀は鬼谷を離れて魏に帰ったが、家は貧しく、魏の恵王に仕官を求めても果たせなかった。その後、魏の兵がしばしば敗れるのを見て、そこで妻を連れて魏を去り楚に遊び、楚の相国昭陽が彼を留めて門下の客とした。
- 昭陽は兵を率いて魏を伐ち、魏軍を大破し、襄陵など七城を取った。楚の威王はその功を嘉し、「和氏の璧」を彼に賜った。
- 「和氏の璧」とは何か。かつて楚の厲王の末年、楚人の卞和という者が、荊山で玉の原石を得て、厲王に献じた。王は玉工にこれを鑑定させると、「石です」と言った。厲王は大いに怒り、卞和が君を欺いたとして、その左足を切り落とした。
- 楚の武王が即位すると、卞和は再びその原石を献じた。玉工はまたこれを石だと言った。武王は怒り、その右足を切り落とした。
- 楚の文王が即位すると、卞和はまた献じようとしたが、両足とも既に切り落とされていて、動くことができなかったので、原石を懐に抱いて、荊山の麓で痛哭し、三日三晩、涙が尽きても血の涙を流し続けた。
- ある事情を知る者が尋ねた。「お前は再び献じて再び足を切られた。もうやめてよいだろう。それでもまだ賞を望んでいるのか。なぜそんなに泣くのだ。」
- 卞和は言った。「私は賞を求めているのではない。恨むのは、本来良玉であるものを石だと言われ、本来貞節の士であるものを欺瞞者だと言われ、是非が転倒し、自ら明らかにすることができないことだ。それが悲しいのだ。」
- 楚の文王は卞和の泣き声を聞き、その原石を取り、玉工に割らせると、果たして瑕の無い美玉を得た。それで璧に製し、「和氏の璧」と名付けた。今、襄陽府南漳県の荊山の頂に池があり、池の傍らに石室があって、これを抱玉巖と呼び、卞和が住み、玉のために泣いた場所である。楚王はその誠実さを憐れみ、大夫の俸禄を卞和に終身与えた。
- この璧は値のつけようもないほどの宝であり、ただ昭陽が越を滅ぼし魏を破った功が最も大きかったため、この重宝を賜ったのであった。昭陽は常にこれを身に帯び、少しも離さなかった。
- ある日、昭陽は赤山に出遊した。四方から従った賓客は百人であった。あの赤山の下には深い淵があり、伝えられるところでは太公望がかつてここで釣りをしたという。淵の傍らに高楼が建てられており、人々は楼上で酒を飲み楽しみ、既に半ば酔いが回っていた。
- 賓客は「和璧」の美しさを慕い、昭陽にこれを借りて見ることを求めた。昭陽は蔵番の小僕に命じて車の箱から宝の匣を取り出させ、前に運ばせ、自ら鍵を開け、三重の錦の袋を解いた。玉の光がきらきらと輝き、人の顔を照らした。
- 賓客は次々に伝え見て、口を極めて称賛しない者はなかった。まさに鑑賞している最中、左右の者が「淵の中で大魚が跳ね上がりました」と言った。昭陽は立ち上がり欄干にもたれて見ると、賓客も皆一斉に出て見た。
- あの大魚はまた跳び上がり、その高さは一丈余りにも及び、多くの魚がこれに続いて跳ねた。にわかに東北の方角から雲が湧き、大雨が来ようとしていたので、昭陽は「片付けて帰る用意をせよ」と言いつけた。
- 蔵番の小僕が「和璧」を収めて匣に戻そうとしたが、既に誰の手に渡ったか分からず、見当たらなくなっていた。しばらく騒然としたが、昭陽は屋敷に戻ると、門下の客に盗璧の人物を調べさせた。
- 門下の客は言った。「張儀は赤貧で、元々素行が悪い者です。璧を盗むとすればこの人物以外にありません。」昭陽もまた心中これを疑った。
- 人を遣わして張儀を捕らえ鞭打たせ、自白を求めた。張儀は実際に盗んでいなかったので、どうして服するはずがあろうか。数百回鞭打たれ、体中傷だらけとなり、息も絶え絶えとなった。
- 昭陽は張儀が死にかけているのを見て、やむを得ず釈放した。傍らに張儀を憐れむ者がいて、彼を支えて家に連れ帰った。
- 妻は張儀の困窮した姿を見て、涙を流して言った。「あなたが今日辱めを受けたのは、皆読書と遊説をしたためです。もし安居して農業に励んでいたなら、こんな災いに遭うことはなかったでしょう。」
- 張儀は口を大きく開けて妻に見せ、尋ねた。「私の舌はまだあるか。」
- 妻は笑って言った。「まだあります。」
- 張儀は言った。「舌があれば、それが元手だ。心配することはない、いつまでも困窮することはないだろう。」そこで少し療養して半ば癒えると、再び魏国に戻った。
張儀、趙に赴き蘇秦に辱められる
- 賈舎人が魏に到着した時、張儀は既に魏に戻って半年になっていた。蘇秦が趙で成功を収めたと聞き、まさに訪ねようとしていた。
- たまたま外出した際、賈舎人が門の外に車を止めているのに出くわし、話をする間に、趙から来たことを知った。そこで尋ねた。「蘇秦が趙の相国になったというのは、本当ですか。」
- 賈舎人は言った。「あなたは何者ですか、我が相国と旧知の間柄でしょうか。なぜお尋ねになるのですか。」張儀は同学の兄弟の情誼を告げた。
- 賈舎人は言った。「そうであれば、なぜ訪ねに行かないのですか。相国は必ず推薦してくださるでしょう。私は商用が終わり、まさに趙に戻ろうとしているところです。もし卑しい身分の私を嫌わなければ、先生と一緒に乗って行きませんか。」張儀は喜んでこれに従った。
- 趙の郊外に到着すると、賈舎人は言った。「私の家は郊外にありますので、用があってひとまず失礼いたします。城内の各門にはすべて旅館があり、遠来の客を泊めています。数日後、私めから訪ねさせていただきます。」
- 張儀は賈舎人に別れて車を降り、城内に入って宿を取った。翌日、名刺を送って蘇秦への謁見を求めた。
- 蘇秦は前もって門下の者に取り次がないよう戒めていた。五日待ってようやく名刺を取り次いでもらうことができたが、蘇秦は用事が多いことを理由に断り、日を改めて会うことにした。
- 張儀はさらに数日待ったが、結局会うことができず、怒って去ろうとした。旅館の主人は彼を引き止めて言った。「あなたは既に相府に名刺を出しているのに、まだ処分を受けていません。万一相国が召された時、どう対応するのですか。たとえ一年でも半年でも、放すわけにはいきません。」
- 張儀は非常に苦しみ、賈舎人がどこにいるか訪ねたが、誰も知る者はいなかった。さらに数日過ぎて、再び名刺を送って辞去を告げた。蘇秦は命を伝えて「明日会おう」と言った。
- 張儀は旅館の主人から衣服と履物を借りて整え、翌日、早朝に伺候した。蘇秦は先に威儀を整えさせ、中門を閉じさせ、客には脇門から入らせた。張儀が階段を登ろうとすると、左右の者が止めて言った。「相国はまだ公式の謁見が済んでいませんので、客はしばらくお待ちください。」
- 張儀はそこで廊下の下に立ち、堂前で拝謁する官吏たちを横目に見ていたが、非常に多かった。しばらくすると、事を報告する者もまた多く来た。長い間経ち、日が傾く頃、堂上から呼ぶ声が聞こえた。「客は今どこにいるか。」
- 左右の者が「相君が客をお召しです」と言った。張儀は衣服を整えて階段を登り、蘇秦が座を降りて出迎えてくれるものと望んでいたが、意外にも蘇秦は座ったまま動かなかった。
- 張儀は怒りを堪えて進み出て一礼すると、蘇秦は立ち上がり、わずかに手を挙げて答えて言った。「餘子(張儀の字)、別来無事か。」張儀は怒気が高まり、そのまま答えなかった。
- 左右の者が昼食を進めた。蘇秦はさらに言った。「公務が多忙で、餘子を久しくお待たせしてしまった。空腹だろうから、まずは粗末な食事を取ってくれ。食後に話がある。」堂下に座を設けさせた。
- 蘇秦自身は堂上で食事をとり、珍味が案いっぱいに並んでいたが、張儀の前には一皿の肉と一皿の野菜のみ、粗末な食事しか出されなかった。
- 張儀は初め食べまいと思ったが、腹が非常に空いており、また旅館の主人への未払いの飯代も既にかなり溜まっていて、今日蘇秦に会えば、たとえ用いてもらえなくても、いくらかの資金の恵みを期待していた。それがこのような有様とは思いもよらなかった。まさに「人の軒下にいる限り、誰も頭を下げないわけにはいかない」であった。やむを得ず、恥を忍んで箸を取った。
- 遠くを望むと蘇秦の杯や皿は散らかっており、その残り物を左右の者に分け与えていたが、それでも張儀の食事より、はるかに豊かであった。張儀は心中恥ずかしくもあり怒りもした。
- 食事が終わると、蘇秦はまた言葉を伝えた。「客を堂に上がらせよ。」張儀は目を上げて見ると、蘇秦は依然として高く座ったまま立とうとしなかった。
- 張儀は怒りを抑えきれず、数歩進み出て、大声で罵った。「季子(蘇秦)、私はあなたが旧交を忘れないと思い、遠くから頼りに来たのに、なぜこのように私を辱めるのか。同学の情はどこにあるのか。」
- 蘇秦はゆっくりと答えた。「餘子の才能ならば、私より先に出世していると思っていたのに、こんなに困窮しているとは思わなかった。私はどうしてあなたを趙侯に推薦し、あなたを富貴にできないことがあろうか。ただあなたの志が衰え才が退いて、何も成し遂げられず、推薦した人に累を及ぼすことを恐れているのだ。」
- 張儀は言った。「立派な男子は自ら富貴を手に入れられる、どうしてあなたの推薦を頼る必要があろうか。」
- 蘇秦は言った。「あなたが自ら富貴を取れるというなら、なぜ会いに来たのか。同学の情を思い、あなたに黄金一笏を助けよう。どうか自分で工夫してほしい。」左右の者に金を張儀に渡すよう命じた。
- 張儀は一時の怒りにまかせて、その金を地に投げつけ、憤然として出て行った。蘇秦もまた引き止めなかった。
- 張儀が旅館に戻ると、自分の寝具が既に外に運び出されているのを見た。張儀はその理由を尋ねた。旅館の主人は言った。「今日あなたは相君に会われたので、必ず宿舎と食事を与えられるだろうと思い、それで運び出したのです。」
- 張儀は首を振り、口ではただ「恨めしい、恨めしい」とだけ言った。一方で衣服と履物を脱ぎ、旅館の主人に返した。旅館の主人は言った。「もしや同学などではなく、あなたが勝手に縁故をこじつけて言い張っておられたのではありませんか。」
- 張儀は主人を捕まえ、以前の交情と今日の応対の様子を詳しく述べた。旅館の主人は言った。「相君は傲慢だとはいえ、位が尊く権が重いので、これも道理でしょう。あなたに黄金一笏を送ったのも、悪い情ではありません。あなたはこの金を受け取り、飯代の支払いにでも当て、残りを帰りの旅費にすればよかったのではないですか。なぜ辞退したのですか。」
- 張儀は言った。「私は一時の意地で、それを地に投げつけてしまった。今、手元には一銭も無い。どうすればよいのか。」
賈舎人、張儀を秦へ導く
- ちょうど話しているところに、あの賈舎人が旅館の門に入ってきて、張儀に会い、言った。「連日お待たせして失礼いたしました。先生は既に蘇相国にお会いになりましたか。」
- 張儀は再び怒りがこみ上げ、机を叩いて罵った。「あの無情無義の賊め、二度と彼のことは言うな。」
- 賈舎人は言った。「先生、お言葉が激しすぎます。なぜそのようにお怒りになるのですか。」旅館の主人はそこで面会の様子を代わりに述べた。「今、未払いの勘定もあり、帰る手立ても無く、非常に苦しんでおられます。」
- 賈舎人は言った。「そもそも先生に来ることを勧めたのは私です。今日、お会いになったのに用いられなかったのは、私が先生に迷惑をかけたようなものです。私が代わって先生の未払いの勘定を弁償し、車馬を用意して、先生を魏に送り届けましょう。先生のお考えはいかがですか。」
- 張儀は言った。「私も魏に帰る顔がもう無い。秦国に一度行きたいと思うが、旅費が無いことが恨めしい。」
- 賈舎人は言った。「先生が秦に遊びたいとおっしゃるのは、まさか秦国にも同学の兄弟がいらっしゃるのですか。」
- 張儀は言った。「そうではない。今の七国のうち、秦が最も強い。秦の力をもってすれば、趙を苦しめることができる。私は秦に行き、幸いに政柄を握ることができれば、蘇秦への仇を報いることができる。」
- 賈舎人は言った。「先生がもし他国に行かれるならば、私はお供できません。もし秦に行かれるならば、私はちょうど親戚を訪ねに秦に行くところです。やはり私と一緒に乗って行きませんか。互いに道連れができて、良いことではありませんか。」
- 張儀は大いに喜んで言った。「世にこのような高い義があるとは、まことに蘇秦を恥じ入らせるに足る。」そこで賈舎人と義兄弟の契りを結んだ。
- 賈舎人は張儀に代わって宿代を清算し、門に車馬を用意させ、二人は一緒に乗って、西の秦へと向かった。道すがら賈舎人は張儀のために衣装を作らせ、従者を買い、張儀に必要なものは、費用を惜しまなかった。秦国に至ると、さらに大いに金や絹を出し、秦の恵文王の左右に賄賂を贈り、張儀のために名誉を広めた。
張儀、秦に登用される
- ときに恵文王はまさに蘇秦を失ったことを悔いており、左右の推薦を聞いて、すぐに召見し、客卿に拝し、諸侯の事を彼と謀った。
- 賈舎人はそこで辞去しようとした。張儀は涙を流して言った。「初め私が非常に困窮していた時、あなたの力に頼って秦国で用いられることができた。今まさに恩に報いようと考えているのに、なぜ急に去ろうとするのか。」
- 賈舎人は笑って言った。「私はあなたを知る者ではありません。あなたを知る者は、蘇相国です。」
- 張儀は愕然として、しばらくして尋ねた。「あなたは私に旅費を与えてくださったのに、なぜ蘇相国と言うのですか。」
- 賈舎人は言った。「相国はまさに『合従』の約を唱えていますが、秦が趙を伐ってその事を敗ることを憂慮し、秦の実権を得られる人物は、あなたでなければならないと考えていました。それで先に臣を偽って商人とし、あなたを趙に招き入れました。さらにあなたが小さな成功に満足することを恐れ、わざと怠慢な態度をとって、あなたを激怒させました。あなたは果たして秦に遊ぶ意を起こしました。相君はそこで大いに資金を臣に付与し、あなたの意のままに用いるよう言いつけました。必ず秦の実権を得るまでは、と。今、あなたは既に秦に用いられました。臣はここで戻って相君に報告させていただきます。」
- 張儀は嘆いて言った。「ああ、私は季子の術中にありながら、私はそれに気づかなかった。私は季子にはるかに及ばない。あなたに煩わせるが、季子に重ねてお伝え願いたい。季子が存命の間は、『趙を伐つ』の二字は敢えて口にしない、と。これをもって季子が私を世に出してくれた恩に報いよう。」
蘇秦、韓・魏・斉・楚を説く
- 賈舎人は蘇秦に戻って報告した。蘇秦はそこで趙の粛侯に奏上した。「秦の兵は果たして出ませんでした。」そこで暇乞いをして韓に赴き、韓の宣恵公に会って言った。「韓の国土は四方九百余里、甲を帯びる兵は数十万ですが、天下の強弓勁弩は皆韓から出ています。今、大王が秦に仕えれば、秦は必ず臣従の手土産として地を割くことを求めるでしょう。来年もまた求めるでしょう。そもそも韓の地には限りがありますが、秦の欲望には限りがありません。再三割いていけば韓の地は尽きてしまいます。俗諺に『むしろ鶏口となるとも、牛後となるなかれ』と言います。大王の賢さと強韓の兵をもって、『牛後』の名を持つことは、臣は密かにそれを恥ずかしく思います。」
- 宣恵公は驚き改めて言った。「国をもって先生の言に従うことを願う。趙王との約束の通りに。」また蘇秦に黄金百鎰を贈った。
- 蘇秦はそこで魏に赴き、魏の恵王に説いた。「魏の国土は四方千里ですが、人民の多さ、車馬の多さでは、魏に及ぶ国はありません。それで秦に抗すること、十分な力があります。今、群臣の言葉を聞いて、地を割いて秦に臣事しようとされていますが、もし秦の要求が止まなければ、どうなさいますか。大王が誠に臣の言葉に聞き従い、六国が合従して結び、力を合わせて秦を制すれば、永く秦の患いを無くすことができます。臣は今、趙王の命を奉じて、ここに従の約束をしに参りました。」
- 魏の恵王は言った。「寡人は愚かにも自ら敗辱を招いてしまった。今、先生が長策をもって寡人に教えてくださる、どうして命に従わないことがあろうか。」また金や絹を一車分贈った。
- 蘇秦は再び斉国に赴き、斉の宣王に説いた。「臣が聞くところ、臨淄の道は車の轂が互いに触れ合い、人の肩が擦れ合うほど、その富み栄えることは天下に比べる国がないほどです。それなのに西を向いて秦に仕えようと謀るのは、恥ずかしいことではありませんか。しかも斉の地は秦から非常に遠く、秦の兵は必ず斉に及ぶことはできません。何を求めて秦に仕える必要がありましょうか。臣は大王が趙との約束に従い、六国が親しみ和し、互いに救援し合うことを願います。」
- 斉の宣王は言った。「謹んで教えを受けよう。」
- 蘇秦は車を西南に駆り、楚の威王に説いた。「楚の地は五千余里、天下にこれより強い国はありません。秦が最も憂慮する相手は、楚にほかなりません。楚が強ければ秦は弱くなり、秦が強ければ楚は弱くなります。今、列国の士は、従に付くか衡に付くかのどちらかです。そもそも『合従』すれば諸侯は地を割いて楚に仕えることになるでしょう。『連衡』すれば楚は地を割いて秦に仕えることになるでしょう。この二つの策は、その隔たりは遠いものです。」
- 楚の威王は言った。「先生の言葉は、楚の福である。」
蘇秦、富貴を得て故郷に帰る
- 蘇秦は北に向かって趙の粛侯に報告に赴いたが、洛陽を通り過ぎる際、諸侯はそれぞれ使者を遣わして彼を見送った。儀仗や旌旗が前後を取り囲み、車騎輜重は連なって二十里も途切れることがなく、その威儀は王者に等しかった。
- 道中の官員は塵を望んで拝礼した。周の顕王は蘇秦がまもなく到着すると聞き、あらかじめ人を遣わして道を掃き清めさせ、郊外に接待用の幕屋を設けて出迎えさせた。
- 蘇秦の老母は杖をついて傍らでこれを見て、しきりに感嘆した。二人の弟と妻・嫂は、目を合わせることもできず、伏して郊外に出迎えた。
- 蘇秦は車の中から嫂に言った。「嫂はかつて私のために炊事をしてくれなかったのに、今なぜこんなに丁重なのか。」
- 嫂は言った。「季子(あなた)の地位が高く金が多いのを見て、敬い畏れずにはいられないのです。」
- 蘇秦は嘆いて言った。「世情は冷暖を見て変わり、人の顔は相手の身分の上下を追う。私は今日、富貴が欠かせないものだと初めて知った。」
- そこで車に親族を乗せ、共に故郷に帰った。大きな邸宅を建て、一族を集めて住まわせ、千金を散じて宗族を助けた。今、河南府城内には蘇秦の邸宅の遺址があり、伝えられるところでは人がこれを掘って金百錠を得たという。これは当時埋められたものであろう。蘇秦の弟の代と厲は兄の富貴を羨み、彼らもまた『陰符』を学び、遊説の術を習った。
洹水の会盟、蘇秦を「従約長」に
- 蘇秦は家に数日滞在した後、車を発して趙に赴いた。趙の粛侯は蘇秦を武安君に封じ、使者を遣わして斉・楚・魏・韓・燕の五国の君を約し、皆洹水に集まって会合させることにした。
- 蘇秦は趙の粛侯とともに先に洹水に至り、壇を築き位を設け、諸侯を待った。燕の文公が先に到着し、次に韓の宣恵公が到着した。数日経たぬうちに、魏の恵王、斉の宣王、楚の威王が次々に到着した。
- 蘇秦は先に各国の大夫と会い、密かに座次を相談した。考えてみれば、楚と燕は古い国であり、斉・韓・趙・魏は皆姓を改めた新しい国であった。しかしこの時は戦乱の最中であったので、国の大小によって序列を定めることにした。楚が最も大きく、斉が次、魏が次、次に趙、次に燕、次に韓であった。その中で楚・斉・魏は既に王を称していたが、趙・燕・韓はまだ侯を称しており、爵位に差があり、順序をつけるのが難しかった。
- そこで蘇秦は六国が一律に王を称することを提案した。趙王を約主とし主位に居させ、楚王らは順に客位に居くこととし、まず各国と協議して定めた。
- 期日になり、それぞれ盟壇に登り、位に従って並び立った。蘇秦は階を歴て上に上り、六王に告げた。「諸君は山東の大国で、位は皆王爵にあり、地は広く兵は多く、自ら雄たるに十分です。秦はただの馬飼いの卑しい者にすぎませんが、咸陽の険を拠点とし、列国を蚕食しています。諸君は臣下の礼をもって秦に仕えることができましょうか。」
- 諸侯は皆言った。「秦に仕えることを望まない。願わくば先生のご教示を奉じたい。」
- 蘇秦は言った。「『合従擯秦(従を合わせて秦を退ける)』の策は、先にすでに諸君に詳しく述べました。今日はただ牲を殺して血をすすって盟い、神明に誓い、兄弟の契りを結び、困難のときに助け合うことを期すべきです。」六王は皆拱手して言った。「謹んで教えを受けよう。」
- 蘇秦はそこで盤を捧げ、六王に順に血をすすって盟わせ、天地と六国の祖宗に拝告させた。一国が盟に背けば、五国が共にこれを撃つと定めた。誓書六通を書き、六国がそれぞれ一通ずつ受け取り、その後宴を開いた。
- 趙王は言った。「蘇秦は大策をもって六国を奠め安んじた。高い爵位を授け、六国を往来させ、この従の約を固めさせるべきである。」五王は皆「趙王の言葉はもっともだ」と言った。
- そこで六王は合わせて蘇秦を「従約長」に封じ、六国の宰相の印を兼ねて帯びさせ、金牌と宝剣を与え、六国の臣民を総轄させた。さらにそれぞれ黄金百鎰、良馬十乗を賜った。蘇秦は謝恩した。
- 六王はそれぞれ帰国した。蘇秦は趙の粛侯に従って趙に帰った。(これは周の顕王三十六年のことである。)(史官の詩:洹水で盟いを立てて神に誓い、唇歯のように相依り骨肉のように親しむ、もし合従が終始解けなければ、力を合わせて孤立した秦を滅ぼすことも難しくないと詠む)
- この年、魏の恵王と燕の文王が共に薨じ、魏の襄王と燕の易王が後を嗣いだ。後の事がどうなるかは分からない。まずは次回をお聞きいただきたい。
原文(底本)
話說蘇秦張儀,辭鬼谷下山,張儀自往魏國去了。蘇秦回至洛陽家中,老母在堂,一兄二弟,兄已先亡,惟寡嫂在,(二弟乃蘇代蘇厲也。)一別數年,今日重會,舉家歡喜,自不必說。過了數日,蘇秦欲出遊列國,乃請於父母,變賣家財,為資身之費。母嫂及妻,俱力阻之,曰:「季子不治耕穫,力工商,求什一之利,乃思以口舌博富貴,棄見成之業,圖未獲之利,他日生計無聊,豈可悔乎?」蘇代蘇厲亦曰:「兄如善於遊說之術,何不就說周王,在本鄉亦可成名,何必遠出?」蘇秦被一家阻擋,乃求見周顯王,說以自強之術。顯王留之館舍。左右皆素知蘇秦出於農賈之家,疑其言空疏無用,不肯在顯王前保舉。蘇秦在館舍羈留歲餘,不能討個進身。於是發憤回家,盡破其產,得黃金百鎰,製黑貂裘為衣,治車馬僕從,遨遊列國,訪求山川地形,人民風土,盡得天下利害之詳。如此數年,未有所遇。聞衛鞅封商君,甚得秦孝公之心,乃西至咸陽,而孝公已薨,商君亦死,乃求見惠文王。惠文王宣秦至殿,問曰:「先生不遠千里而來敝邑,有何教誨?」蘇秦奏曰:「臣聞大王求諸侯割地,意者欲安坐而并天下乎?」惠文王曰:「然。」秦曰:「大王東有關河,西有漢中,南有巴蜀,北有胡貉,此四塞之國也。沃野千里,奮擊百萬,以大王之賢,士民之眾,臣請獻謀效力,并諸侯,吞周室,稱帝而一天下,易如反掌。豈有安坐而能成事者乎?」惠文王初殺商鞅,心惡遊說之士,乃辭曰:「孤聞『毛羽不成,不能高飛。』先生所言,孤有志未逮,更俟數年,兵力稍足,然後議之。」蘇秦乃退。復將古三王五霸攻戰而得天下之術,彙成一書,凡十餘萬言,次日獻上秦王。秦王雖然留覽,絕無用蘇秦之意。再謁秦相公孫衍,衍忌其才,不為引進。 蘇秦留秦復歲餘,黃金百鎰,俱已用盡,黑貂之裘亦敝壞,計無所出。乃貨其車馬僕從,以為路資,擔囊徒步而歸。父母見其狼狽,辱罵之。妻方織布,見秦來,不肯下機相見。秦餓甚,向嫂求一飯,嫂辭以無柴,不肯為炊。有詩為證: 富貴途人成骨肉,貧窮骨肉亦途人﹔試看季子貂裘敝,舉目雖親盡不親。 秦不覺墮淚,嘆曰:「一身貧賤,妻不以我為夫,嫂不以我為叔,母不以我為子,皆我之罪也!」於是簡書篋中,得太公《陰符》一篇,忽悟曰:「鬼谷先生曾言:『若遊說失意,只須熟玩書,自有進益。』」乃閉戶探討,務窮其趣,晝夜不息。夜倦欲睡,則引錐自刺其股,血流遍足。既於《陰符》有悟,然後將列國形勢,細細揣摩,如此一年,天下大勢,如在掌中。乃自慰曰:「秦有學如此,以說人主,豈不能出其金玉錦繡,取卿相之位者乎?」遂謂其弟代厲曰:「吾學已成,取富貴如寄,弟可助吾行資,出說列國。倘有出身之日,必當相引。」復以《陰符》為弟講解。代與厲亦有省悟,乃各出黃金,以資其行。 秦辭父母妻嫂,欲再往秦國,思想:「當今七國之中,惟秦最強,可以輔成帝業。可奈秦王不肯收用。吾今再去,倘復如前,何面復歸故里?」乃思一擯秦之策,必使列國同心協力,以孤秦勢,方可自立。於是東投趙國。時趙肅侯在位,具弟公子成為相國,號奉陽君。蘇秦先說奉陽君,奉陽君不喜。秦乃去趙,北此遊於燕,求見燕文公,左右莫為通達。居歲餘,資用已罄,饑餓於旅邸。旅邸之人哀之,貸以百錢,秦賴以濟。適值燕文公出遊,秦伏謁道左。文公問其姓名,知是蘇秦,喜曰:「聞先生昔年以十萬言獻秦王,寡人心慕之,恨未得能讀先生之書。今先生幸惠教寡人,燕之幸也。」遂回車入朝,召秦入見,鞠躬請教。蘇秦奏曰:「大王列在戰國,地方二千里,兵甲數十萬,車六百乘,騎六千匹,然比於中原,曾未及半。乃耳不聞金戈鐵馬之聲,目不睹覆車斬將之危,安居無事,大王亦知其故乎?」燕文公曰:「寡人不知也。」秦又曰:「燕所以不被兵者,以趙為之蔽耳。大王不知結好於近趙,而反欲割地以媚遠秦,不愚甚耶?」燕文公曰:「然則如何?」秦對曰:「依臣愚見,不若與趙從親,因而結連列國,天下為一,相與協力禦秦,此百世之安也。」燕文公曰:「先生合從以安燕國,寡人所願,但恐諸侯不肯為從耳。」秦又曰:「臣雖不才,願面見趙侯,與定從約。」燕文公大喜,資以金帛路費,高車駟馬,使壯士送秦至趙。適奉陽君趙成已卒,趙肅侯聞燕國送客來至,遂降階而迎曰:「上客遠辱,何以教我?」蘇秦奏曰:「秦聞天下布衣賢士,莫不高賢君之行義,皆願陳忠於君前,奈奉陽君妒才嫉能,是以遊士裹足而不進,卷口而不言。今奉陽君捐館舍,臣故敢獻其愚忠。臣聞『保國莫如安民,安民莫如擇交。』當今山東之國,惟趙為強。趙地方二千餘里,帶甲數十萬,車千乘,騎萬匹,粟支數年。秦之所最忌害者,莫如趙。然而不敢舉兵伐趙者,畏韓魏之襲其後也。故為趙南蔽者,韓魏也。韓魏無名山大川之險,一旦秦兵大出,蠶食二國,二國降,則禍次於趙矣。臣嘗考地圖,列國之地,過秦萬里,諸侯之兵,多秦十倍,設使六國合一,并力西向,何難破秦。今為秦謀者,以秦恐嚇諸侯,必須割地求和。夫無故而割地,是自破也。破人與破於人,二者孰愈?依臣愚見,莫如約列國君臣會於洹水,交盟定誓,結為兄弟,聯為唇齒。秦攻一國,則五國共救之,如有敗盟背誓者,諸侯共伐之。秦雖強暴,豈敢以孤國與天下之眾爭勝負哉?」趙肅侯曰:「寡人年少,立國日淺,未聞至計。今上客欲糾諸侯以拒秦,寡人敢不敬從!」乃佩以相印,賜以大第,又以飾車百乘,黃金千鎰,白璧百雙,錦繡千匹,使為「從約長」。蘇秦乃使人以百金往燕,償旅邸人之百錢。正欲擇日起行,歷說韓魏諸國。忽趙肅侯召蘇秦入朝,有急事商議。蘇秦慌忙來見肅侯。肅侯曰:「適邊吏來報:『秦相國公孫衍出師攻魏,擒其大將龍賈,斬首四萬五千,魏王割河北十城以求和。衍又欲移兵攻趙。』將若之何?」蘇秦聞言,暗暗吃驚:「秦兵若到趙,趙君必然亦效魏求和,『合從』之計不成矣!」正是「人急計生」,且答應過去,另作區處。乃故作安閒之態,拱手對曰:「臣度秦兵疲敝,未能即至趙國,萬一來到,臣自有計退之。」肅侯曰:「先生且暫留敝邑,待秦兵果然不到,方可遠離寡人耳。」這句話,正中蘇秦之意,應諾而退。蘇秦回至府第,喚門下心腹,喚做畢成,至於密室,吩咐曰:「吾有同學故人,名曰張儀,字餘子,乃大梁人氏。我今予汝千金,汝可扮作商賈,變姓名為賈舍人,前往魏邦,尋訪張儀。倘相見時,須如此如此。若到趙之日,又須如此如此。汝可小心在意。」賈舍人領命,連夜望大梁而行。 話分兩頭。卻說張儀自離鬼谷歸魏,家貧,求事魏惠王不得。後見魏兵屢敗,乃挈其妻去魏遊楚,楚相國昭陽留之為門下客。昭陽將兵伐魏,大敗魏師,取襄陵﹍﹍等七城。楚威王嘉其功,以「和氏之璧」賜之。何謂「和氏之璧」?當初楚厲王之末年,有楚人卞和,得玉璞於荊山,獻於厲王。王使玉工相之,曰:「石也!」厲王大怒,以卞和欺君,刖其左足。及楚武王即位,和復獻其璞。玉工又以為石。武王怒,刖其右足。及楚文王即位,卞和又欲往獻,奈雙足俱刖,不能行動,乃抱璞於懷,痛哭於荊山之下,三日三夜,泣盡繼之以血。有曉得卞和的,問曰:「汝再獻再刖,可以止矣。尚希賞乎?又何哭為?」和曰:「吾非為求賞也。所恨者,本良玉而謂之石,本貞士而謂之欺,是非顛倒,不得自明,是以悲耳!」楚文王聞卞和之泣,乃取其璞,使玉人剖之,果得無瑕美玉,因製為璧,名曰:「和氏之璧」。今襄陽府南漳縣荊山之顛有池,池旁有石室,謂之抱玉巖,即卞和所居,泣玉處也。楚王憐其誠,以大夫之祿給卞和,終其身。此璧乃無價之寶,只為昭陽滅越敗魏,功勞最大,故以重寶賜之。昭陽隨身攜帶,未嘗少離。一日,昭陽出遊於赤山,四方賓客從行者百人。那赤山下有深潭,相傳姜太公曾釣於此。潭邊建有高樓,眾人在樓上飲酒作樂,已及半酣。賓客慕「和璧」之美,請於昭陽,求借觀之。昭陽命守藏豎於車箱中取出寶櫝至前,親自啟鑰,解開三重錦袱,玉光爍爍,照人顏面。賓客次第傳觀,無不極口稱贊。正賞玩間,左右言:「潭中有大魚躍起。」昭陽起身凭欄而觀,眾賓客一齊出看。那大魚又躍起來,足有丈餘,群魚從之跳躍。俄焉雲興東北,大雨將至,昭陽吩咐:「收拾轉程。」守藏豎欲收「和璧」置櫝,已不知傳遞誰手,竟不見了。亂了一回,昭陽回府,教門下客捱查盜璧之人。門下客曰:「張儀赤貧,素無行。要盜璧除非此人。」昭陽亦心疑之。使人執張儀笞掠之,要他招承。張儀實不曾盜,如何肯服。笞至數百,遍體俱傷,奄奄一息。昭陽見張儀垂死,只得釋放。旁有可憐張儀的,扶儀歸家。其妻見張儀困頓模樣,垂淚而言曰:「子今日受辱,皆由讀書遊說所致,若安居務農,寧有此禍耶?」儀張口向妻使視之,問曰:「吾舌尚在乎?」妻笑曰:「尚在。」儀曰:「舌在,便是本錢,不愁終困也。」於是將息半愈,復還魏國。 賈舍人至魏之時,張儀已回魏半年矣。聞蘇秦說趙得意,正欲往訪。偶然出門,恰遇賈舍人休車於門外,相問間,知從趙來。遂問:「蘇秦為趙相國,信果真否?」賈舍人曰:「先生何人,得無與吾相國有舊耶?何為問之?」儀告以同學兄弟之情。賈舍人曰:「若是,何不往游?相國必當薦揚。吾賈事已畢,正欲還趙,若不棄嫌微賤,願與先生同載。」張儀欣然從之。即至趙郊,賈舍人曰:「寒家在郊外,有事只得暫別。城內各門俱有旅店,安歇遠客,容卑人過幾日相訪。」張儀辭賈舍人下車,進城安歇。次日,修刺求謁蘇秦。秦預誡門下人,不許為通。候至第五日,方得投進名刺。秦辭以事冗,改日請會。儀復候數日,終不得見,怒欲去。地方店主人拘留之,曰:「子已投刺相府,未見發落,萬一相國來召,何以應之?雖一年半載,亦不敢放去也。」張儀悶甚,訪賈舍人何在,人亦無知者。又過數日,復書刺往辭相府。蘇秦傳命:「來日相見。」儀向店主人假借衣履停當,次日,侵晨往候。蘇秦預先排下威儀,闔其中門,命客從耳門而入。張儀欲登階,左右止之曰:「相國公謁未畢,客宜少待。」儀乃立於廡下,睨視堂前官屬拜見者甚眾。已而,稟事者又有多人。良久,日將昃,聞堂上呼曰:「客今何在?」左右曰:「相君召客。」儀整衣升階,只望蘇秦降坐相迎,誰知秦安坐不動。儀忍氣進揖,秦起立,微舉手答之,曰:「餘子別來無恙?」儀怒氣勃勃,竟不答言。左右稟進午餐。秦復曰:「公事蔥冗,煩餘子久待,恐飢餒,且草率一飯,飯後有言。」命左右設坐於堂下。秦自飯於堂上,珍羞滿案。儀前不過一肉一菜,粗糲之餐而已。張儀本待不吃,奈腹中飢甚,況店主人飯餞先已欠下許多,只指望今日見了蘇秦,便不肯薦用,也有些金資賷發,不想如此光景。正是:「在他矮簷下,誰敢不低頭!」出於無奈,只得含羞舉箸。遙望見蘇秦杯盤狼籍,以其餘肴分賞左右,比張儀所食,還盛許多。儀心中且羞且怒。食畢,秦復傳言:「請客上堂。」張儀舉目觀看,秦仍舊高坐不起。張儀忍氣不過,走上幾步,大罵:「季子,我道你不忘故舊,遠來相投,何竟辱我至此!同學之情何在?」蘇秦徐徐答曰:「以餘子之才,只道先我而際遇了,不期窮困如此。吾豈不能薦於趙侯,使子富貴?但恐子志衰才退,不能有為,貽累於薦舉之人。」張儀曰:「大丈夫自能取富貴,豈賴汝薦乎?」秦曰:「你既能自取富貴,何必來謁?念同學情分,助汝黃金一笏,請自方便!」命左右以金授儀。儀一時性起,將金擲於地下,憤憤而出。蘇秦亦不挽留。儀回至旅店,只見自己鋪蓋,俱已移出在外。儀問其故。店主人曰:「今日足下得見相君,必然贈館授餐,故移出耳。」張儀搖頭,口中只說:「可恨,可恨!」一頭脫下衣履,交還店主人。店主人曰:「莫非不是同學,足下有些妄扳麼?」張儀扯住主人,將往日交情,及今日相待光景,備細述了一遍。店主人曰:「相君雖然倨傲,但位尊權重,禮之當然。送足下黃金一笏,亦是美情,足下收了此金,也可打發飯錢,剩些作歸途之費。何必辭之?」張儀曰:「我一時使性,擲之於地,如今手無一錢,如之奈何?」 正說話間,只見前番那賈舍人走入店門,與張儀相見,道:「連日少候,得罪!不知先生曾見過蘇相國否?」張儀將怒氣重復弔起,將手往店案上一拍,罵道:「這無情無義的賊!再莫提他!」賈舍人曰:「先生出言太重,何故如此發怒?」店主人遂將相見之事,代張儀敘述一遍:「今欠帳無還,又不能作歸計,好不愁悶!」賈舍人曰:「當初原是小人攛掇先生來的,今日遇而不遇,卻是小人帶累了先生,小人情願代先生償了欠帳,備下車馬,送先生回魏。先生意下何如?」張儀曰:「我亦無顏歸魏了。欲往秦邦一遊,恨無資斧。」賈舍人曰:「先生欲遊秦,莫非秦邦還有同學兄弟麼?」張儀曰:「非也。當今七國中,惟秦最強,秦之力,可以困趙。我往秦,幸得用事,可報蘇秦之仇耳!」賈舍人曰:「先生若往他國,小人不敢奉承。若欲往秦,小人正欲往彼探親,依舊與小人同載,彼此得伴,豈不美哉?」張儀大喜曰:「世間有此高義,足令蘇秦愧死!」遂與賈舍人為八拜之交。賈舍人替張儀算還店錢,見有車馬在門,二人同載,望西秦一路而行。路間為張儀製衣裝,買僕從,凡儀所須,不惜財費。及至秦國,復大出金帛,賂秦惠文王左右,為張儀延譽。 時惠文王方悔失蘇秦,聞左右之薦,即時召見,拜為客卿,與之謀諸侯之事。賈舍人乃辭去。張儀垂淚曰:「始吾困阨至甚,賴子之力,得顯用秦國,方圖報德,何遽言去耶?」賈舍人笑曰:「臣非能知君,知君者,乃蘇相國也。」張儀愕然良久,問曰:「子以資斧給我,何言蘇相國耶?」賈舍人曰:「相國方倡『合從』之約,慮秦伐趙敗其事,思可以得秦之柄者,非君不可。故先遣臣偽為賈人,招君至趙,又恐君安於小就,故意怠慢,激怒君。君果萌遊秦之意。相君乃大出金資付臣,吩咐恣君所用,必得秦柄而後已。今君已用於秦,臣請歸報相君。」張儀嘆曰:「嗟乎!吾在季子術中,而吾不覺,吾不及季子遠矣。煩君多謝季子,當季子之身,不敢言『伐趙』二字,以此報季子玉成之德也。」 賈舍人回報蘇秦,秦乃奏趙肅侯曰:「秦兵果不出矣。」於是拜辭往韓,見韓宣惠公曰:「韓地方九百餘里,帶甲數十萬,然天下之強弓勁弩,皆從韓出。今大王事秦,秦必求割地為贄,明年將復求之。夫韓地有限,而秦欲無窮,再三割則韓地盡矣。俗諺云:『寧為雞口,勿為牛後。』以大王之賢,挾強韓之兵,而有『牛後』之名,臣竊羞之!」宣惠公蹴然曰:「願以國聽於先生,如趙王約。」亦贈蘇秦黃金百鎰。蘇秦乃過魏,說魏惠王曰:「魏地方千里,然而人民之眾,車馬之多,無如魏者,於以抗秦有餘也。今乃聽群臣之言,欲割地而臣事秦,倘秦求無已,將若之何?大王誠能聽臣,六國從親,并力制秦,可使永無秦患。臣今奉趙王之命,來此約從。」魏惠王曰:「寡人愚不肖,自取敗辱。今先生以長策下教寡人,敢不從命!」亦贈金帛一車。蘇秦復造齊國,說齊宣王曰:「臣聞臨淄之塗,車轂擊,人肩摩,富盛天下莫比,乃西面而謀事秦,寧不恥乎?且齊地去秦甚遠,秦兵必不能及齊,事秦何為?臣願大王從趙約,六國和親,互相救援。」齊宣王曰:「謹受教!」蘇秦乃驅車西南說楚威王曰:「楚地五千餘里,天下莫強。秦之所患,莫如楚。楚強則秦弱,秦強則楚弱。今列國之士,非從則衡。夫『合從』則諸侯將割地以事楚,『連衡』則楚將割地以事秦,此二策者,相去遠矣!」楚威王曰:「先生之言,楚之福也。」 秦乃北行回報趙肅侯,行過洛陽,諸侯各發使送之,儀仗旌旄,前遮後擁,車騎輜重,連接二十里不絕,威儀比於王者。一路官員,望塵下拜。周顯王聞蘇秦將至,預使人掃除道路,設供帳於郊外以迎之。秦之老母,扶杖旁觀,嘖嘖驚嘆﹔二弟及妻嫂側目不敢仰視,俯伏郊迎。蘇秦在車中謂其嫂曰:「嫂向不為我炊,今又何恭之過也?」嫂曰:「見季子位高而金多,不容不敬畏耳!」蘇秦喟然嘆曰:「世情看冷煖,人面逐高低。吾今日乃知富貴之不可少也!」於是以車載其親屬,同歸故里。起建大宅,聚族而居,散千金以贍宗黨。今河南府城內有蘇秦宅遺址,相傳有人掘之,得金百錠,蓋當時所埋也。秦弟代厲羨其兄之貴盛,亦習《陰符》,學遊說之術。 蘇秦住家數日,乃發車往趙。趙肅侯封為武安君,遣使約齊、楚、魏、韓、燕五國之君,俱到洹水相會。蘇秦同趙肅侯預至洹水,築壇布位,以待諸侯。燕文公先到,次韓宣惠公到。不數日,魏惠王、齊宣王、楚威王陸續俱到。蘇秦先與各國大夫相見,私議坐次。論來楚燕是個老國,齊、韓、趙、魏,都是更姓新國﹔但此時戰爭之際,以國之大小為敘:楚最大,齊次之,魏次之,次趙,次燕,次韓﹔內中楚、齊、魏已稱王,趙、燕、韓尚稱侯,爵位相懸,相敘不便。於是蘇秦建議,六國一概稱王。趙王為約主,居主位。楚王等以次居客位,先與各國會議停當。至期,各登盟壇,照位排立。蘇秦歷階而上,啟告六王曰:「諸君山東大國,位皆王爵,地廣兵多,足以自雄。秦乃牧馬賤夫,據咸陽之險,蠶食列國,諸君能以北面之禮事秦乎?」諸侯皆曰:「不願事秦,願奉先生明教。」蘇秦曰:「『合從擯秦』之策,向者已悉陳於諸君之前矣,今日但當刑牲歃血,誓於神明,結為兄弟,務期患難相恤。」六王皆拱手曰:「謹受教!」秦遂捧盤,請六王以次歃血,拜告天地,及六國祖宗,一國背盟,五國共擊。寫下誓書六通,六國各收一通,然後就宴。趙王曰:「蘇秦以大策奠安六國,宜封高爵,俾其往來六國,堅此從約。」五王皆曰:「趙王之言是也!」於是六王合封蘇秦為「從約長」,兼佩六國相印,金牌寶劍,總轄六國臣民。又各賜黃金百鎰,良馬十乘。蘇秦謝恩。六王各散歸國。蘇秦隨趙肅侯歸趙。(此乃周顯王三十六年事也。)史官有詩云: 相要洹水誓明神,唇齒相依骨肉親﹔假使合從終不解,何難協力滅孤秦? 是年,魏惠王燕文王俱薨,魏襄王燕易王嗣立。不知後事如何,且看下回分解。
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