東周列國志第九十六回 藺相如、二たび秦王を屈服させる/馬服君、単独で韓の囲みを解く (藺相如兩屈秦王 馬服君單解韓圍)

繆賢と和氏の璧

  • 趙の恵文王が寵愛する内侍がいた。姓は繆、名は賢といい、官は宦者令に任じられ、政事にもかなり口を出す身であった。
  • ある日、外から来た客が白い璧を売りに来た。繆賢はその玉の色つやが光り輝き瑕一つないのを愛し、五百金でこれを買い求め、玉工に見せた。
  • 玉工は大いに驚いて言った。「これはまことに和氏の璧です。楚の相昭陽は宴会の折にうっかりこの璧を失い、張儀が盗んだと疑って彼を打ち据え、危うく死なせかけました。張儀はこのために秦へ入ったのです。その後昭陽は千金の賞をかけてこの璧を探させましたが、盗んだ者は恐れて名乗り出ず、とうとう見つかりませんでした。今日、思いがけずあなた様の手に落ちたのです。これは値のつけられぬほどの宝ですから、幾重にも包んで大切にしまい、みだりに人に見せてはなりません。」
  • 繆賢は言った。「そうはいっても、良玉がどうしてそこまで値のつけられぬものになるのか。」玉工は言った。「この玉は暗い所に置くと自ずと光を発し、塵埃を退け、邪気や魔物を避けます。名づけて『夜光の璧』といいます。座の間に置けば、冬は暖かく炉の代わりとなり、夏は涼しく、百歩四方には蠅も蚊も寄りつきません。これほどの奇異な性質を備え、他の玉には及びもつかぬものですから、至宝とされるのです。」
  • 繆賢が試してみると、まことにその通りであった。そこで宝の箱を作らせ、それを奥にしまってある櫃の中に納めた。
  • ほどなく人が趙王に「繆中侍が和氏の璧を手に入れた」と告げ知らせた。趙王は繆賢にそれを差し出すよう求めたが、賢は璧を惜しんですぐには献上しなかった。趙王は怒り、狩りに出た折にいきなり賢の家に押し入り、家中を捜索して宝の箱を見つけ、これを取り上げて去った。
  • 繆賢は趙王が自分を罪に問い誅殺するのを恐れ、逃げ出そうとした。その舎人である藺相如は繆賢の衣を引いて尋ねた。「あなたは今どこへ行かれるのですか。」賢は言った。「私は燕へ亡命しようと思う。」相如は言った。「あなたはどのようにして燕王に知られ、軽々しく身を投じようとされるのですか。」
  • 繆賢は言った。「私は昔、大王に従って燕王と国境で会見したことがある。その時燕王がひそかに私の手を握って『あなたと交わりを結びたい』と言われた。それでお互いに知り合った仲だから、行こうと思うのだ。」
  • 相如は諫めて言った。「あなたは誤っておられます。そもそも趙は強く燕は弱いのに、あなたが趙王に寵愛されているからこそ、燕王はあなたと交わりを結ぼうとしたのです。あなたご自身を厚く遇そうとしてのことではなく、あなたを通じて趙王に厚誼を尽くそうとしただけなのです。今あなたは王の怒りを買って亡命し燕へ走れば、燕は趙王の討伐を恐れ、必ずやあなたを縛り上げて趙王に媚びるでしょう。あなたは危うい立場になります。」
  • 繆賢は言った。「それではどうすればよいのか。」相如は言った。「あなたには他に大きな罪はありません。ただ璧を早く献上しなかっただけです。もし肌脱ぎになって斧と鉄の台を背負い、額を地につけてぬかずき罪をお請いになれば、王は必ずあなたをお赦しになるでしょう。」
  • 繆賢はその計に従った。趙王は果たして賢を赦して誅殺しなかった。賢は相如の智謀を重んじ、これを上客として遇した。

秦、璧との十五城の交換を求める

  • また、この玉工がたまたま秦国へ赴いた折、秦の昭襄王が彼に玉の加工をさせた。玉工はその際に和氏の璧のことを話に出し、それが今は趙にあることを告げた。
  • 秦王が「その璧にはどのような優れた点があるのか」と問うと、玉工は前と同じように璧を誉めそやした。秦王はこれを深く慕い、一目見たいと思うようになった。
  • その時、昭襄王の母の弟である魏冉が丞相であったが、彼は進み出て言った。「王が和璧をご覧になりたいのであれば、酉陽の十五城とこれを交換してはいかがですか。」
  • 秦王は訝って言った。「十五城は寡人が惜しむところだ。どうして一枚の璧と交換できようか。」魏冉は言った。「趙が秦を畏れることは久しいことです。大王がもし城と璧を交換なさるなら、趙はあえて璧を差し出さぬわけにはいきません。璧が来れば、それを留め置けばよいのです。城と交換するというのは名目にすぎず、璧を得ることこそ実利です。王は城を失うことを心配される必要がありましょうか。」
  • 秦王は大いに喜び、すぐに趙王に宛てて書を作り、客卿の胡傷を使者とした。書にはおおよそこう記されていた。
  • 「寡人は和氏の璧を慕うこと久しいが、いまだ一度も見たことがない。聞けば君王がこれを手に入れられたとのこと。寡人はあえて軽々しくこれを求めはしない。酉陽の十五城を差し上げてお応えしたい。ただ君王のお許しを願う。」
  • 趙王はこの書を受け取り、大臣の廉頗らを召して協議した。秦に璧を与えれば欺かれ、璧を取られたまま城を得られぬのではないかと恐れる一方、与えなければ秦の怒りに触れるのを恐れた。諸大臣は与えるべきでないとも、与えるべきだとも言い、議論は紛糾して決まらなかった。
  • 李克は言った。「智勇兼備の士を一人遣わし、璧を懐に入れて赴かせるのがよい。城が得られれば璧を秦に授け、城が得られなければ璧をそのまま趙へ持ち帰らせる。それでこそ両全と申せます。」
  • 趙王が廉頗に目を向けたが、頗はうつむいて何も言わなかった。宦者令の繆賢が進み出て言った。「臣の舎人に藺相如という者がおります。この者は勇士であり、しかも智謀があります。もし秦への使いを求められるのであれば、この者に勝る者はありません。」
  • 趙王はすぐに繆賢に命じて藺相如を召し寄せさせた。相如が拝謁し終えると、趙王は問うた。「秦王が十五城と寡人の璧を交換したいと申している。先生はこれを許すべきだと思うか。」
  • 相如は言った。「秦は強く趙は弱い。許さぬわけにはまいりません。」趙王は言った。「もし璧を取られて城が得られなければどうするのだ。」
  • 相如は答えた。「秦が十五城で璧と交換しようというのは、その値は厚いものです。もし趙がこの交換を承知しなければ、非は趙の側にあることになります。趙が城が手に入るのを待たずにまず璧を差し出せば、礼を尽くしたことになります。それでも秦が城を与えなければ、非は秦の側にあることになります。」
  • 趙王は言った。「寡人は誰か一人を秦へ遣わして、この璧を守らせたい。先生は寡人のために行ってくれるか。」相如は言った。「大王にどうしても人がなければ、臣が璧を捧げて参りましょう。城が趙に入れば、臣は璧を秦に留め置きます。そうでなければ、臣は璧を完全なままに趙へ持ち帰ってご覧に入れます。」
  • 趙王は大いに喜び、すぐに相如を大夫に任じ、璧を授けた。相如は璧を捧げて西へ咸陽へ入った。

章台での駆け引きと完璧帰趙

  • 秦の昭襄王は璧が到着したと聞いて大いに喜び、章台の上に座して群臣を大いに集め、相如を召し入れて見えさせた。
  • 相如は宝の箱を留め置き、ただ錦の袋に包んだものを両手に捧げ持ち、拝礼して秦王に奉った。秦王が錦の袋を開けて見ると、純白で瑕一つなく、宝光がきらめき、彫刻の跡もまるで天が自然に成したかのようで、まことに世にも稀な珍宝であった。
  • 秦王は飽きるほど見つめ、しきりに感嘆した。そして左右の群臣に手渡して代わる代わる見せた。群臣は見終わると皆ひれ伏して「万歳」と称えた。秦王は内侍に命じて再び錦の袋に包ませ、後宮の美人に渡して弄ばせ、しばらくしてようやく持ち出され、秦王の机上に戻された。
  • 藺相如は傍らでずっと控えていたが、長い間、城を償う話は一向に出なかった。相如は一計を案じ、進み出て奏上した。「この璧にはわずかな瑕がございます。臣が大王のためにそれをお指し示しいたします。」秦王は左右に命じて璧を相如に手渡させた。
  • 相如は璧を手にすると、数歩後ずさりして殿の柱にもたれかかり、両目を見開き怒気を抑えきれぬ様子で秦王に言った。「和氏の璧は天下の至宝です。大王がこの璧をお求めになり、書を趙に届けられたので、わが君はことごとく群臣を召して協議いたしました。群臣は皆『秦はその強さを頼み、口先だけで璧を求めている。璧を送っても城が得られぬのではないかと恐れる。許さぬがよい』と申しました。」
  • 相如は続けた。「臣は思いました。『庶人同士の交わりでさえ互いに欺かぬものを、まして万乗の君においておや。どうしてよこしまな疑いの心で人に接し、大王のご不興を買うことがあろうか』と。そこでわが君は五日間斎戒し、その後、臣に璧を捧げ持たせ、みずから庭で拝礼して送り出されました。それほどまでに敬いを尽くしたのです。ところが今、大王は臣にお会いになるにあたり、礼節がまことに横柄で、座ったまま璧をお受け取りになり、左右に手渡して見させ、さらには後宮の美人に弄ばせられました。あまりに礼を欠いておられます。これによって大王には城を償うお心がないことが分かりましたので、臣は璧を取り戻したのです。大王がどうしても臣に迫られるなら、臣は頭を今この璧とともに柱に砕いて見せます。死んでも秦に璧を得させはいたしません。」
  • そして璧を手に柱をにらみ、今にも打ち砕こうとした。秦王は璧を惜しみ、それが砕かれるのを恐れて詫びて言った。「大夫、そのようなことをなさるな。寡人がどうして趙に対し信を失うことがあろうか。」
  • そこですぐに担当官を呼んで地図を持って来させ、秦王は指し示しながら、某処から某処までの十五城を趙に与えると告げた。相如は心の中でひそかに思った。「これは秦王が璧をだまし取ろうとしているのであって、真心からのものではない。」
  • そこで秦王に言った。「わが君は世にも稀な宝を惜しんで大王のご不興を買うようなことはいたしませんでした。それゆえ臣を遣わすにあたり、五日間斎戒し、群臣をあまねく召して拝礼のうえ遣わされたのです。今、大王もまた五日間斎戒され、儀礼用の車と文物を陳列し、左右の威儀を整えられるのがよろしいでしょう。しかる後に臣は璧を差し上げましょう。」
  • 秦王は「よかろう」と言い、五日間の斎戒を命じ、相如を公館に送って休ませた。
  • 相如は璧を抱いて公館に至ると、また思った。「私は先に趙王の前で『秦がもし城を償わなければ、璧を完全なまま趙へ持ち帰りましょう』と大言してしまった。今秦王は斎戒しているとはいえ、璧を得たあとにやはり城を償わなければ、どのような顔をして趙王に会えようか。」
  • そこで従者に賤しい者の着る粗末な毛織りの衣を着せ、貧しい者の姿を装わせ、布袋に璧を包んで腰に纏わせ、間道を伝わせてひそかに逃げさせた。そして趙王に上奏させた。「臣は秦が趙を欺き、城を償う意思がないことを恐れ、謹んで従者を遣わして璧を大王のもとへお返しいたします。臣は秦にあって処罰を待つ身となりましょうが、死んでも君命を辱めることはございません。」趙王は言った。「相如は果たして言葉を違えなかった。」

秦王の詰問と相如の反駁

  • さて秦王は斎戒すると偽って言っただけで、実は必ずしもそうしていなかったが、五日を過ぎた。殿に上って礼物を陳列し、諸侯の使者を皆集めて共に璧を受け取る様を見せ、これによって列国に誇示しようとした。
  • 贊礼の役人に趙国の使者を殿へ引き入れさせた。藺相如はゆったりと徐に歩いて入った。謁見が終わると、秦王は相如の手に璧がないのを見て問うた。「寡人はすでに五日間斎戒し、謹んで和璧をお受けしようとしているのに、今使者が璧を持たずに来たのはどうしたことか。」
  • 相如は奏上した。「秦は穆公以来、二十余りの君主を数えますが、皆詐術をもって事にあたって参りました。遠くは杞子が鄭を欺き、孟明が晋を欺いた例があり、近くは商鞅が魏を欺き、張儀が楚を欺いた例があります。過去の事例は歴然としており、これまで信義というものがございません。臣は今、大王に欺かれてわが君の期待を裏切ることを恐れ、すでに従者に璧を懐かせて間道から趙へ帰らせました。臣は死罪に当たります。」
  • 秦王は怒って言った。「使者は寡人が不敬だと言うので、それゆえ寡人は斎戒して璧を受けようとしたのだ。使者は璧を趙へ持ち帰らせたというが、これは明らかに寡人を欺くものだ。」そして左右の者に大声で命じ、進み出て相如を縛らせようとした。
  • 相如は顔色一つ変えず奏上した。「大王、どうかお怒りをお鎮めください。臣に一言申し上げたきことがございます。今日の形勢は、秦強く趙弱く、秦が趙を裏切ることはあっても、決して趙が秦を裏切る道理はございません。大王が真に璧をお求めになるなら、まず十五城を割いて趙に与え、一人の使者をつけて臣とともに趙へ赴かせて璧をお取りになればよいのです。趙がどうして城を得て璧を留め置き、不信の名を負って大王のご不興を買うことなどいたしましょうか。臣は大王を欺いた罪が万死に値することを承知しており、すでにわが君に奏上を寄せ、生きて帰ることは望んでおりません。どうか釜ゆでの刑に処せられませ。そうすれば諸侯は皆、秦が璧を欲するがゆえに趙の使者を誅したことを知り、理非がどちらにあるか明らかになりましょう。」
  • 秦王と群臣は互いに顔を見合わせるばかりで、一言も発することができなかった。傍観していた諸侯の使者たちも、皆相如の身を危ぶんだ。左右の者が相如を引き立てようとすると、秦王はこれを制し、群臣に言った。「相如を殺したところで璧は得られず、いたずらに不義の名を負い、秦と趙の誼を絶つだけだ。」
  • そこで相如を手厚くもてなし、礼を尽くして帰国させた。髯翁が史書を読んでここに至り論じて言う。秦人が城を攻め邑を取ることは、列国もどうしようもなかったのであるから、璧の一枚などどれほどのものであろうか。相如の意図は、ただ秦王が趙を欺いて璧を手に入れれば、趙国が軽んじられ、将来国を立てるのが難しくなり、もし土地や貢物を求められても拒みきれなくなることを恐れたものであった。それゆえここで力量を示し、秦王に趙国に人物があることを知らしめたのである。

澠池の会

  • 藺相如が帰国すると、趙王はこれを賢と認め、上大夫に任じた。その後、秦は結局趙に城を与えず、趙もまた秦に璧を与えなかった。
  • 秦王は心の中で趙に対して釈然とせず、再び使者を遣わして西河の外、澠池の地で趙王と会うことを約した。趙王は言った。「秦はかつて会見に事寄せて楚の懐王を欺き、咸陽に幽閉した。今なお楚人はその心の傷が癒えていない。今また寡人に会見を約すというのは、懐王のように扱おうというのではないか。」
  • 廉頗と藺相如は協議して言った。「王がもし行かれなければ、秦に弱みを見せることになります。」そこで二人は共に奏上した。「臣相如、王のお供をして参りたく存じます。臣頗は太子を輔けて留守を守りたく存じます。」趙王は喜んで言った。「相如はすでに璧を完全なまま持ち帰った。まして寡人においてはなおさらであろう。」
  • 平原君趙勝は奏上した。「昔、宋の襄公は兵車を伴わず乗用の車のみで会に赴き、楚に捕らわれました。魯君が斉と夾谷で会見した際には、左右の司馬を従えました。今回のお供には相如がおりますが、精鋭五千を選んで扈従させ不慮の事態に備えるべきです。さらに大軍を三十里離れた所に駐屯させれば、万全を期すことができましょう。」
  • 趙王は言った。「五千の精鋭には誰を将とすべきか。」趙勝は答えた。「臣の知る田部の役人に李牧(実は趙奢)という者がいます。まことの将才です。」趙王は言った。「何によってそれが分かるのか。」
  • 趙勝は答えた。「李牧は田部の役人として租税を取り立てておりましたが、臣の家が期限を過ぎても納めなかったところ、牧は法をもってこれに対処し、臣の家の役人九人を殺しました。臣は怒って牧を責めましたが、牧は臣にこう言いました。『国が頼みとするのは法です。今もしあなたの家を放任して公務に奉じさせないなら、法は削られ、法が削られれば国は弱くなり、諸侯が兵を加えれば趙はその国を保てなくなります。あなたはどうしてご自分の家を保てましょうか。あなたのご身分をもって公に奉じ法に従えば、法が立ち国は強くなり、長く富貴を保つことができます。それこそ善いことではありませんか。』この見識と思慮は並々ならぬものでしたので、臣はこの者が将たりうることを知ったのです。」
  • 趙王はすぐに李牧を中軍大夫に任じ、精兵五千を率いて扈従させることとした。平原君は大軍でこれに続いた。
  • 廉頗は国境まで見送り、趙王に言った。「王は虎狼の国である秦に入られます。その行く末はまことに測りがたいものです。今王とお約束します。往来の道のりと会見の礼を考え合わせれば、期限は三十日を超えることはございません。もし期限を過ぎてもお帰りにならなければ、臣は楚国の故事に倣い、太子を立てて王とし、秦人の望みを絶つことといたします。」趙王はこれを許した。
  • そうして澠池に至ると、秦王もまた到着し、それぞれの館へ帰った。
  • 期日になり、両王は礼をもって相見え、酒宴を張って歓を尽くした。酒が半ばまで進んだ頃、秦王は言った。「寡人はひそかに趙王が音楽に長じておられると聞いております。寡人にここに宝瑟がございます。趙王に奏でていただきたい。」趙王は顔を赤らめたが、断ることができなかった。
  • 秦の侍者が宝瑟を趙王の前に進めると、趙王は『湘霊』の一曲を奏でた。秦王は絶えず「善し」と称えた。演奏が終わると、秦王は言った。「寡人は聞いております、趙の始祖烈侯は音楽を好まれたと。君王はまことに家伝をお受け継ぎになっておられる。」そして左右を顧みて御史を召し、その事を記録させた。秦の御史は筆を執り簡を取って書いた。「某年某月某日、秦王と趙王が澠池で会し、趙王に瑟を弾かせた。」
  • 藺相如が進み出て言った。「趙王は秦王が秦の楽に長じておられると聞いております。臣、謹んで缶(素焼きの器)を捧げます。秦王にこれを打っていただき、共に楽しみたく存じます。」秦王は怒って顔色を変え応じなかった。相如はすぐに酒を盛る瓦の器(缶)を取り、跪いて秦王の前に差し出した。秦王はなお打とうとしなかった。
  • 相如は言った。「大王は秦の強さを頼んでおられるのですか。今、この五歩の内なら、相如は自らの首の血を大王に浴びせることもできます。」左右の者が「相如は無礼者だ」と言って前に出て捕らえようとした。相如は目を見開いて叱りつけると、鬚と髪が逆立ち、左右の者は大いに驚いて思わず数歩退いた。
  • 秦王は不快であったが、内心相如を憚り、無理に一度缶を打った。相如はようやく立ち上がり、趙の御史を召してこれもまた簡に書かせた。「某年某月某日、趙王と秦王が澠池で会し、秦王に缶を打たせた。」
  • 秦の諸臣は心穏やかでなく、その場に立ち上がって趙王に求めた。「本日は趙王のご来臨にあずかりました。どうか王には十五城を割いて秦王のためのご祝儀となさいませ。」相如もまた秦王に求めた。「礼は往来を尊びます。趙がすでに十五城を秦に進呈するのなら、秦もまた報いないわけにはまいりません。どうか秦の咸陽を趙王のご祝儀となさいますよう。」
  • 秦王は言った。「我ら両君は誼を結んでいるのだ。諸君はこれ以上多言せずともよい。」そして左右に命じ、さらに酒を勧め合わせ、うわべだけ歓を尽くして会は終わった。秦の客卿胡傷らはひそかに趙王と藺相如を拘留するよう勧めたが、秦王は言った。「間者が『趙は防備をかなり厳重にしている』と言ってきている。万一事がうまくいかなければ、天下の笑い者となる。」
  • そこでいっそう趙王を敬い重んじ、兄弟の契りを結び、永く互いに侵伐しないことを約した。太子安国君の子で異人という者を趙への人質として差し出させた。群臣は皆言った。「誼を結ぶだけで十分です。何もあえて人質を送るには及びません。」秦王は笑って言った。「趙は今のところ強く、まだ図りがたい。人質を送らなければ趙は我らを信用しない。趙が我らを信じてこそ、その誼はいよいよ堅固になり、我らはもっぱら韓に力を注ぐことができるのだ。」群臣はようやく納得した。

廉頗と藺相如の刎頸の交わり

  • 趙王は秦王に別れを告げて帰国した。ちょうど三十日目のことであった。趙王は言った。「寡人は藺相如を得て、身は泰山より安く、国は九鼎より重くなった。相如の功は最も大きく、群臣はこれに及ぶ者がない。」そこで上相に任じ、その席次は廉頗の上に置いた。
  • 廉頗は怒って言った。「私には城を攻め野戦を行った大きな功がある。相如はただ口舌のわずかな働きだけで、私の上の位に居る。しかも彼は元来宦者の舎人であり、出身も卑しい。私がどうして彼の下に甘んじられようか。今度相如に会ったら必ず打ち殺してやる。」
  • 相如はこの廉頗の言葉を聞いて、参内すべき朝議に当たるたびに病と称して出仕せず、頗と顔を合わせようとしなかった。舎人たちは皆相如を臆病者だと思い、ひそかにこれを論じ合った。
  • ある日、藺相如が外出すると、廉頗もまた外出していた。相如は廉頗の車が前を行くのを見つけると、慌てて御者に車を引かせ傍らの路地に隠れ、廉頗の車が通り過ぎるのを待ってから出た。舎人たちはますます憤り、相談し合って共に相如に会い、諫めて言った。
  • 「臣どもは郷里を捨て親戚とも離れ、あなた様の門下に参りましたのは、あなた様を当代随一の立派な男と思い、慕い喜んでお従いしたからでございます。今あなた様は廉将軍と同列に並び、席次もその上に位置しておられます。廉君が悪口を口にしても、あなた様はやり返すこともできず、朝廷でも避け、市中でも避けておられます。どうしてそれほどまでにお怖れになるのですか。臣どもはひそかにあなた様のためにこれを恥じております。どうかお暇をいただきとうございます。」
  • 相如はしきりにこれを引き止めて言った。「私が廉将軍を避けるのには理由がある。諸君は自分から察していないだけだ。」舎人たちは言った。「臣どもは浅はかで無知でございます。どうかその理由をお聞かせください。」
  • 相如は言った。「諸君は廉将軍と秦王とを比べて、どちらが恐ろしいと思うか。」舎人たちは皆言った。「及びません。」
  • 相如は言った。「そもそも秦王の威をもってすれば天下の誰もこれに逆らえない。それを相如は朝廷で叱りつけ、その群臣を辱めた。相如は愚鈍とはいえ、独り廉将軍だけを畏れるであろうか。しかし私が思うに、強秦がなお趙に兵を加えてこないのは、ひとえに我ら二人がいるからだ。今もし二頭の虎が共に戦えば、共には生き残れぬ勢いとなろう。秦人がこれを聞けば、必ず隙に乗じて趙を侵すだろう。私が強いて顔を伏せて避けているのは、国家の計を重んじ、私怨を軽んじているからなのだ。」
  • 舎人たちはこれを聞いて感嘆し服した。
  • ほどなく、藺氏の舎人と廉氏の食客が、ある日酒場で思いがけず出くわし、両方とも席の順で争った。藺氏の舎人は言った。「我が主君は国家のために廉将軍にお譲りになっている。我らもまた主君のお気持ちを体して廉氏の客に譲るべきだ。」こうして廉氏はますます驕るようになった。
  • 河東の人虞卿が仕官を求めて趙に遊説に来ており、藺氏の舎人が相如の言葉を語るのを聞き、そこで趙王に説いて言った。「王が今日重んじておられる臣は、藺相如と廉頗ではございませんか。」王は言った。「その通りだ。」
  • 虞卿は言った。「臣が聞くところ、前代の臣は互いを手本としあって人材が盛んであり、ともに慎み協力し合って国を治めたといいます。今大王が頼みとしておられる重臣二人を、互いに水と火のごとく反目するままにさせておかれるのは、社稷の福とは申せません。藺氏はますます譲るばかりで、廉氏はその心を理解せず、廉氏はますます驕るばかりで、藺氏はあえてその気勢をくじこうとしません。朝廷にあっては事があっても共に議さず、将としては危急があっても互いに助け合わない。臣はひそかに大王のためにこれを憂えます。臣に廉藺の交わりを合わせ、大王の輔けとさせていただきたく存じます。」趙王は言った。「よかろう。」
  • 虞卿は廉頗のもとを訪ね、まずその功をたたえた。廉頗は大いに喜んだ。虞卿は言った。「功で言えば将軍に及ぶ者はおりません。しかし度量で言えば、なお藺君を推さねばなりますまい。」
  • 廉頗は憤然として言った。「あの臆病者は口先だけで功名を得ているだけだ。度量など何があるものか。」虞卿は言った。「藺君は臆病な士ではありません。その見るところが大きいのです。」そして相如が舎人に語った言葉を語り、さらに言った。「将軍が趙に身を託されるおつもりがないならそれまでですが、もし趙に身を託されるおつもりなら、二人の大臣の一人が譲り、一人が争うようでは、盛名は将軍のものにはならないのではないかと恐れます。」
  • 廉頗は大いに恥じて言った。「先生のお言葉がなければ、私は自分の過ちを知らずにいたであろう。私は藺君にはるかに及ばない。」そこで虞卿にまず藺相如へ意向を伝えさせ、頗は肌脱ぎになって荊の杖を背負い、自ら藺氏の門を訪ねて謝った。「私は志も度量も浅く狭いもので、相国がここまで寛容であられるとは知らなかった。死んでも罪を償いきれません。」そう言って庭にひざまずいた。
  • 相如は駆け出て彼を助け起こして言った。「私たち二人はともに主君に仕える、社稷の臣です。将軍にお許しいただけるなら、それだけで幸いです。何もお詫びには及びません。」廉頗は言った。「私の性は粗暴で、あなたにお許しいただき、慚愧に堪えません。」互いに抱き合って涙を流した。相如もまた泣いた。
  • 廉頗は言った。「今より生死を共にする交わりを結びたい。たとえ首を刎ねられても変わらぬ。」頗が先に拝礼し、相如がこれに答礼した。そこで酒宴を設けてもてなし、大いに歓を尽くして会は終わった。後世これを「刎頸の交わり」と称するのは、まさにこのことである。無名子に詩がある。
  • (詩:車を引いて避けた度量の広さと、肌脱ぎで詫びた将軍の心意気とを対比し、今の世に家門を争う者を戒める趣旨)
  • 趙王は虞卿に黄金百鎰を賜り、上卿に任じた。

秦の楚・魏侵攻と趙奢の閼与救援

  • この頃、秦の大将軍白起が楚軍を撃破し、郢都を接収して南郡を置いた。楚の頃襄王は敗走し、東の陳に逃れて拠った。大将魏冉はさらに黔中を攻め取り、黔中郡を置いた。楚はますます衰え削られていった。そこで太子熊完に太傅黄歇を付き従わせ、太子を秦へ人質として入れて和を求めた。
  • 白起らはさらに魏を攻め、大梁にまで至った。魏は大将暴鳶を遣わして迎え撃たせたが、敗れ、首四万を斬られ、ついに三城を献じて和を結んだ。秦は白起を武安君に封じた。
  • ほどなく、客卿胡傷がさらに魏を攻め、魏将芒卯を破って南陽を取り、南陽郡を置いた。秦王はこれを魏冉に賜り、穣侯と号させた。
  • さらに胡傷に軍二十万を率いさせて韓を伐たせ、閼与を囲ませた。韓の釐王は使者を遣わして趙に救いを求めた。趙の恵文王は群臣を集め、「韓を救うべきかどうか」を議した。藺相如、廉頗、楽乗は皆「閼与は道が険しく狭く、救援には不便です」と言った。平原君趙勝は言った。「韓と魏は唇歯の関係にあります。救わなければ矛先はすぐに趙へ向くでしょう。」趙奢は黙って言葉を発しなかった。
  • 趙王が独り趙奢に問うと、奢は答えた。「道が険しく狭いのは、たとえば二匹の鼠が穴の中で戦うようなものです。将の勇なる方が勝ちます。」趙王はそこで軍五万を選び、奢にこれを率いて韓を救わせた。
  • 邯鄲の東門を出て三十里、令を伝えて塁壁を立て陣を布いた。設営し終えると、さらに令を出した。「軍事について口を出す者は斬る。」そして陣営を閉ざして高く枕をして寝、軍中は静まり返っていた。
  • 秦軍は太鼓を鳴らし兵を進め、その声は雷のように轟き、閼与城中では屋根瓦までも震動した。ある軍吏が来て「秦兵はこれこれの様子です」と報告すると、趙奢はこれを軍令違反と見なし、直ちに斬って軍にさらした。
  • 二十八日の間、軍を動かさず、日ごとに人に塁を増やし溝を深く掘らせ、自らを固める計を続けた。
  • 秦の将胡傷は趙の救援兵が来ると聞いていたが、それが来る様子を見なかったので、再び間者を出して探らせた。間者が報告して言った。「趙にはたしかに救援兵があり、大将は趙奢という者です。邯鄲城を出て三十里で塁を立て陣を布き、進んで来ません。」
  • 胡傷はこれを信じず、さらに親しい左右の者を遣わして趙軍の中へ直接入らせ、趙奢に言わせた。「秦は閼与を攻めており、今日明日にも陥落するでしょう。将軍が戦をなさるおつもりなら、速やかに来られよ。」
  • 趙奢は答えた。「わが君は隣国からの急を告げられて、私を備えとして遣わされたのだ。どうして秦と戦をする勇気などあろうか。」そして酒食を用意して手厚くもてなし、塁壁をぐるりと見て回らせた。
  • 秦の使者が帰って胡傷に報告すると、胡傷は大いに喜んで言った。「趙兵は自国を出てわずか三十里で、堅く塁を守って進まず、しかも塁を増やして自ら固めるばかりで、すでに戦う気がない。閼与は必ずわがものとなろう。」そこで趙に対する備えを止め、ひたすら韓を攻めることに専念した。
  • 趙奢は秦の使者を送り返すと、三日後には秦軍のもとに着いているだろうと見計らい、そこで令を出して騎兵で射に長け戦い慣れた者一万人を先鋒に選び、大軍をその後に続かせ、枚を銜え甲を巻いて昼夜兼行させた。二日一夜で韓の国境に至り、閼与城まで十五里の所に再び陣を布いた。
  • 胡傷は大いに怒り、兵の半分を残して城を囲ませ、本営の兵を残らず起こして迎え撃ちに出た。趙の陣営の兵士許歴が「請諫」の二字を書いた簡を持ち、陣営の前に跪いた。趙奢はこれを不審に思い、先の令を取り消させて人を召して言った。「お前は何を言いたいのか。」
  • 許歴は言った。「秦人は趙軍が急に着くとは思っておらず、その来る勢いは盛んです。元帥は必ず陣を厚く集めて衝突に備えねばなりません。そうしなければ必ず敗れます。」趙奢は「よろしい」と言い、すぐに令を伝えて陣を列ねて待たせた。
  • 許歴はさらに言った。「兵法に『地の利を得た者が勝つ』とあります。閼与の地形は北山が最も高いのに、秦の将はそこを守る必要を知りません。これは元帥のために残しておかれたものです。速やかにこれを占拠すべきです。」趙奢はまた「よろしい」と言い、すぐに許歴に軍一万を率いさせ、北山の嶺上に陣取らせた。秦兵の動きは一望のもとに知れるようになった。
  • 胡傷の軍が到着すると、まさに山を争いに来た。山勢は険しく、秦兵の中で大胆な者が数人上って来たが、皆趙軍が投げる石に打たれて傷を負った。胡傷は怒り狂い、諸将に四方に道を探させた。
  • 突然太鼓の音が大いに響き、趙奢が軍を率いて攻めかかってきた。胡傷は軍を分けて防戦を命じた。趙奢は射手一万人を二隊に分け、左右にそれぞれ五千人ずつ配置し、秦軍に向けて乱射させた。許歴は一万の兵を率い、山頂から勢いに乗って攻め下り、雷のような喊声を上げて前後から挟み撃ちにした。
  • 秦軍は天が崩れ地が裂けるかのように打ち破られ、身を隠す場所もなく大敗して逃げた。胡傷は馬がつまずいて落馬し、危うく趙兵に捕らえられそうになったが、ちょうど到着した兵尉斯離の軍に救い出された。趙奢は五十里まで追撃し、秦軍はとても駐屯していられず、西へ逃げ去るしかなく、こうして閼与の囲みは解かれた。
  • 韓の釐王は自ら軍をねぎらいに来て、書を送って趙王に感謝の意を表した。趙王は奢を馬服君に封じ、その位は藺相如、廉頗と並んだ。趙奢は許歴の才を推挙し、国尉とした。

趙奢、子の趙括を見限る

  • 趙奢の子趙括は、幼い頃から兵法を語ることを好み、家に伝わる『六韜』『三略』の書を一読しただけで悉く覚えてしまった。かつて父の奢と兵を論じた際には、天を指し地を画して意気軒昂とし、目中に人無しといった様子で、父の奢でさえこれに難じきれなかった。
  • 母はこれを喜んで言った。「このような子がいるのだから、将門から将が出るというべきでしょう。」奢は顔をこわばらせ不快そうに言った。「括は将にすべきではない。趙が括を用いないことこそ、社稷の福というものだ。」
  • 母は言った。「括は父の書をことごとく読み、兵を語ってはみずから天下に及ぶ者無しと自負しております。それをあなたは『将にすべきでない』と言われる。どういうわけですか。」
  • 奢は言った。「括がみずから天下に及ぶ者無しと言うこと、これこそが将にすべきでない理由なのだ。そもそも兵とは死地であり、戦々兢々として広く衆に諮ってなお思慮に漏れがあることを恐れねばならぬのに、括はこれをたやすく口にする。もし兵権を得れば、必ず自らの考えを押し通すことになり、忠実な計略や善い策が入り込む余地がなくなる。その敗れることは必定だ。」
  • 母が奢のこの言葉を括に告げると、括は言った。「父は年老いて臆病になったから、そのようなことを言われるのだろう。」
  • 二年後、趙奢は病が篤くなり、括に言った。「兵とは凶事であり戦は危険なもの、古人が戒めたところだ。お前の父は将となって数年、今日ようやく敗北の辱めを免れることができた。死んでも思い残すことはない。しかしお前は将の器ではない。決して軽々しくその位に居てはならない。自ら家門を滅ぼすことになるぞ。」
  • さらに括の母に言い含めた。「後日もし趙王が括を将に召されるようなことがあれば、お前が必ず私の遺言を述べて、これをお断りせよ。軍を喪い国を辱めることは、些細な事ではないのだ。」そう言い終えて息を引き取った。
  • 趙王は奢の功を思い、括をもって馬服君の職を嗣がせた。未だ後事がどうなるか分からない。それは次回を見よ。
原文(底本)
卻說趙惠文王寵用一個內侍,姓繆名賢,官拜宦者令,頗干預政事。忽一日,有外客以白璧來求售,繆賢愛其玉色光潤無瑕,以五百金得之,以示玉工。玉工大驚曰:「此真和氏之璧也!楚相昭陽因宴會偶失此璧,疑張儀偷盜,捶之幾死,張儀以此入秦。後昭陽懸千金之賞,購求此璧,盜者不敢出獻,竟不可得。今日無意中落於君手,此乃無價之寶,須什襲珍藏,不可輕示於人也。」繆賢曰:「雖然,良玉何以遂為無價?」玉工曰:「此玉置暗處,自然有光,能卻塵埃,辟邪魅,名曰『夜光之璧』。若置之座間,冬月則煖,可以代爐,夏月則涼,百步之內,蠅蚋不入。有此數般奇異,他玉不及,所以為至寶。」繆賢試之,果然。乃製為寶櫝,藏於內笥。早有人報知趙王,言:「繆中侍得和氏璧。」趙王問繆賢取之,賢愛璧不即獻。趙王怒,因出獵之便,突入賢家,搜其室,得寶櫝,收之以去。繆賢恐趙王治罪誅之,欲出走。其舍人藺相如牽衣問曰:「君今何往?」賢曰:「吾將奔燕。」相如曰:「君何以受知於燕王,而輕身往投也?」繆賢曰:「吾昔年嘗從大王與燕王相會於境上,燕王私握吾手曰:『願與君結交。』以此相知,故欲往。」相如諫曰:「君誤矣!夫趙強而燕弱,而君得寵於趙王,故燕王欲與君結交。非厚君也,因君以厚於趙王也。今君得罪於王,亡命走燕,燕畏趙王之討,必將束縛君以媚於趙王,君其危矣。」繆賢曰:「然則如何?」相如曰:「君無他大罪,惟不早獻璧耳!若肉袒負斧鑕,叩首請罪,王必赦君。」繆賢從其計,趙王果赦賢不誅。賢重相如之智,以為上客。

  再說玉工偶至秦國,秦昭襄王使之治玉,玉工因言及和氏之璧,今歸於趙。秦王問:「此璧有甚好處?」玉工如前誇獎。秦王想慕之甚,思欲一見其璧。時昭襄王之母舅魏冉為丞相,進曰:「王欲見和璧,何不以酉陽十五城易之?」秦王訝曰:「十五城,寡人所惜也,奈何易一璧哉?」魏冉曰:「趙之畏秦久矣!大王若以城易璧,趙不敢不以璧來,來則留之。是易城者名也,得璧者實也。王何患失城乎?」秦王大喜,即為書致趙王,命客卿胡傷為使。書略曰:

    寡人慕和氏璧有日矣,未得一見。聞君王得之,寡人不敢輕請,願以酉陽十五城奉酬。惟君王許之。

趙王得書,召大臣廉頗等商議。欲予秦,恐其見欺,璧去城不可得﹔欲勿予,又恐觸秦之怒。諸大臣或言不宜與,或言宜與,紛紛不決。李克曰:「遣一智勇之士,懷璧以往﹔得城則授璧於秦,不得城仍以璧歸趙,方為兩全。」趙王目視廉頗,頗俛首不語。宦者令繆賢進曰:「臣有舍人姓藺名相如,此人勇士,且有智謀。若求使秦,無過此人。」趙王即命繆賢召藺相如至,相如拜謁已畢,趙王問曰:「秦王請以十五城易寡人之璧,先生以為可許否?」相如曰:「秦強趙弱,不可不許。」趙王曰:「倘璧去城不可得,如何?」相如對曰:「秦以十五城易璧,價厚矣。如是趙不許璧,其曲在趙。趙不待入城而即獻璧,禮恭矣。如是而秦不予城,其曲在秦。」趙王曰:「寡人欲求一人使秦,保護此璧。先生能為寡人一行乎?」相如曰:「大王必無其人,臣願奉璧以往。若城入於趙,臣當以璧留秦﹔不然,臣請完璧歸趙。」趙王大喜,即拜相如為大夫,以璧授之。相如奉璧西入咸陽。

  秦昭襄王聞璧至,大喜,坐章臺之上,大集群臣,宣相如入見。相如留下寶櫝,只用錦袱包裹,兩手捧定,再拜奉上秦王。秦王展開錦袱觀看,但見純白無瑕,寶光閃爍,雕鏤之處,天成無跡,真希世之珍矣。秦王飽看了一回,嘖嘖嘆息。因付左右群臣遞相傳示,群臣看畢,皆羅拜稱「萬歲!」秦王命內侍重將錦袱包裹,傳與後宮美人玩之,良久送出,仍歸秦王案上。藺相如從旁伺候,良久,並不見說起償城之話。相如心生一計,乃前奏曰:「此璧有微瑕,臣請為大王指之。」秦王命左右以璧傳與相如。相如得璧在手,連退數步,靠在殿柱之上,睜開雙目,怒氣勃不可遏,謂秦王曰:「和氏之璧,天下之至寶也。大王欲得璧,發書至趙,寡君悉召群臣計議,群臣皆曰:『秦自負其強,以空言求璧,恐璧往,城不可得,不如勿許。』臣以為:『布衣之交,尚不相欺,況萬乘之君乎?奈何以不肖之心待人,而得罪於大王?』於是寡君乃齋戒五日,然後使臣奉璧拜送於庭,敬之至也。今大王見臣,禮節甚倨,坐而受璧,左右傳觀,復使後宮美人玩弄,褻瀆殊甚。以此知大王無償城之意矣,臣所以復取璧也。大王必欲迫臣,臣頭今與璧俱碎於柱,寧死不使秦得璧!」於是持其璧睨柱,欲以擊柱。秦王惜璧,恐其碎之,乃謝曰:「大夫無然,寡人豈敢失信於趙?」即召有司取地圖來,秦王指示,從某處至某處,共十五城予趙。相如心中暗想:「此乃秦王欲誑取璧,非真情。」乃謂秦王曰:「寡君不敢愛希世之寶,以得罪於大王,故臨遣臣時,齋戒五日,遍召群臣,拜而遣之。今大王亦宜齋戒五日,陳設車輅文物,具左右威儀,臣乃敢上璧。」秦王曰:「諾。」乃命齋戒五日,送相如於公館安歇。相如抱璧至館,又想道:「我曾在趙王面前誇口:『秦若不償城,願完璧歸趙。』今秦王雖然齋戒,倘得璧之後,仍不償城,何面目回見趙王?」乃命從者穿粗褐衣,裝作貧人模樣,將布袋纏璧於腰,從徑路竊走。附奏於趙王曰:「臣恐秦欺趙,無意償城,謹遣從者歸璧大王。臣待罪於秦,死不辱命!」趙王曰:「相如果不負所言矣。」

  再說秦王假說齋戒,實未必然,過五日。升殿陳設禮物,令諸侯使者皆會,共觀受璧,欲以誇示列國。使贊禮引趙國使臣上殿。藺相如從容徐步而入。謁見已畢,秦王見相如手中無璧,問曰:「寡人已齋戒五日,敬受和璧,今使者不持璧來,何故?」相如奏曰:「秦自穆公以來,共二十餘君,皆以詐術用事。遠則子欺鄭,孟明欺晉,近則商鞅欺魏,張儀欺楚,往事歷歷,從無信義。臣今者惟恐見欺於王,以負寡君,已令從者懷璧從間道還趙矣。臣當死罪!」秦王怒曰:「使者謂寡人不敬,故寡人齋戒受璧。使者以璧歸趙,是明欺寡人也!」叱左右前縛相如。相如面不改色,奏曰:「大王請息怒,臣有一言。今日之勢,秦強趙弱,但有秦負趙之事,決無趙負秦之理。大王真欲得璧,先割十五城予趙,隨一介之使,同臣往趙取璧,趙豈敢得城而留璧,負不信之名,以得罪於大王哉?臣自知欺大王之罪,罪當萬死,臣已寄奏寡君,不望生還矣。請就鼎鑊之烹,令諸侯皆知秦以欲璧之故,而誅趙使,曲直有所在矣。」秦王與群臣面面相覷,不能吐一語。諸侯使者旁觀,皆為相如危懼。左右欲牽相如去,秦王喝住,謂群臣曰:「即殺相如,璧未可得,徒負不義之名,絕秦趙之好。」乃厚待相如,禮而歸之。髯翁讀史至此,論秦人攻城取邑,列國無可奈何,一璧何足為重?相如之意,只恐被秦王欺趙得璧,便小覷了趙國,將來難以立國,倘索地索貢,不可復拒,故於此顯個力量,使秦王知趙國之有人也。

  藺相如既歸,趙王以為賢,拜上大夫。其後秦竟不予趙城,趙亦不與秦璧。秦王心中終不釋然於趙,復遣使約趙王於西河外澠池之地,共為好會。趙王曰:「秦以會欺楚懷王,錮之咸陽,至今楚人傷心未已。今又來約寡人為會,得無以懷王相待乎?」廉頗與藺相如計議曰:「王若不行,示秦以弱。」乃共奏曰:「臣相如願保駕前往。臣頗願輔太子居守。」趙王喜曰:「相如且能完璧,況寡人乎?」平原君趙勝奏曰:「昔宋襄公以乘車赴會,為楚所劫。魯君與齊會於夾谷,具左右司馬以從。今保駕雖有相如,請精選銳卒五千扈從,以防不虞。再用大軍,離三十里屯札,方保萬全。」趙王曰:「五千銳卒,何人為將?」趙勝對曰:「臣所知田部吏李牧(實為趙奢)者,真將才也。」趙王曰:「何以見之?」趙勝對曰:「李牧為田部吏,取租稅,臣家過期不納,牧以法治之,殺臣司事者九人。臣怒責之,牧謂臣曰:『國之所恃者,法也。今縱君家而不奉公,則法削,法削則國弱,而諸侯加兵,趙且不保其國,君安得保其家乎?以君之貴,奉公如法,法立而國強,長保富貴,豈不善耶?』此其識慮非常,臣是以知其可將也。」趙王即用李牧為中軍大夫,使率精兵五千扈從同行。平原君以大軍繼之。廉頗送至境上,謂趙王曰:「王入虎狼之秦,其事誠不測!今與王約:度往來道路,與夫會遇之禮畢,為期不過三十日耳。若過期不歸,臣請如楚國故事,立太子為王,以絕秦人之望。」趙王許諾。遂至澠池,秦王亦到,各歸館驛。

  至期,兩王以禮相見,置酒為歡。飲至半酣,秦王曰:「寡人竊聞趙王善於音樂,寡人有寶瑟在此,請趙王奏之。」趙王面赤,然不敢辭。秦侍者將寶瑟進於趙王之前,趙王為奏《湘靈》一曲,秦王稱善不已。鼓畢,秦王曰:「寡人聞趙之始祖烈侯好音,君王真得家傳矣。」乃顧左右召御史,使載其事。秦御史秉筆取簡,書曰:「某年月日,秦王與趙王會於澠池,令趙王鼓瑟。」藺相如前進曰:「趙王聞秦王善於秦聲,臣謹奉盆缶,請秦王擊之,以相娛樂。」秦王怒,色變不應。相如即取盛酒瓦器,跪請於秦王之前,秦王不肯擊。相如曰:「大王恃秦之強乎?今五步之內,相如得以頸血濺大王矣!」左右曰:「相如無禮!」欲前執之。相如張目叱之,鬚髮皆張,左右大駭,不覺倒退數步。秦王意不悅,然心憚相如,勉強擊缶一聲。相如方起,召趙御史亦書於簡曰:「某年月日,趙王與秦王會於澠池,令秦王擊缶。」秦諸臣意不平,當筵而立,請於趙王曰:「今日趙王惠顧,請王割十五城為秦王壽!」相如亦請於秦王曰:「禮尚往來,趙既進十五城於秦,秦不可不報。亦願以秦之咸陽為趙王壽!」秦王曰:「吾兩君為好,諸君不必多言。」乃命左右,更進酒獻酬,假意盡歡而罷。秦客卿胡傷﹍﹍等密勸拘留趙王及藺相如,秦王曰:「諜者言:『趙設備甚密。』萬一其事不濟,為天下笑。」乃益敬重趙王,約為兄弟,永不侵伐。使太子安國君之子,名異人者,為質於趙。群臣皆曰:「約好足矣,何必送質?」秦王笑曰:「趙方強,未可圖也。不送質,則趙不相信。趙信我,其好方堅,我乃得專事於韓矣。」群臣乃服。

  趙王辭秦王而歸,恰三十日。趙王曰:「寡人得藺相如,身安於泰山,國重於九鼎。相如功最大,群臣莫及。」乃拜為上相,班在廉頗之右。廉頗怒曰:「吾有攻城野戰之大功,相如徒以口舌微勞,位居吾上。且彼乃宦者舍人,出身微賤,吾豈甘為之下乎?今見相如,必擊殺之!」相如聞廉頗之言,每遇公朝,託病不往,不肯與頗相會。舍人俱以相如為怯,竊議之。偶一日,藺相如出外,廉頗亦出,相如望見廉頗前導,忙使御者引車避匿傍巷中去,俟廉頗車過方出。舍人等益忿,相約同見相如,諫曰:「臣等拋井里,棄親戚,來君之門下者,以君為一時之丈夫,故相慕悅而從之。今君與廉將軍同列,班況在右,廉君口出惡言,君不能報,避之於朝,又避之於市,何畏之甚也?臣等竊為君羞之!請辭去!」相如固止之曰:「吾所以避廉將軍者有故,諸君自不察耳!」舍人等曰:「臣等淺近無知,乞君明言其故。」相如曰:「諸君視廉將軍孰若秦王?」諸舍人皆曰:「不若也。」相如曰:「夫以秦王之威,天下莫敢抗,而相如廷叱之,辱其群臣。相如雖駑,獨畏一廉將軍哉?顧吾念之,強秦所以不敢加兵於趙者,徒以吾兩人在也。今兩虎共鬥,勢不俱生,秦人聞之,必乘間而侵趙。吾所以強顏引避者,國計為重,而私讎為輕也。」舍人等乃嘆服。未幾,藺氏之舍人,與廉氏之客,一日在酒肆中,不期而遇,兩下爭坐。藺氏舍人曰:「吾主君以國家之故,讓廉將軍﹔吾等亦宜體主君之意,讓廉氏客。」於是廉氏益驕。河東人虞卿遊趙,聞藺氏舍人述相如之語,乃說趙王曰:「王今日之重臣,非藺相如廉頗乎?」王曰:「然。」虞卿曰:「臣聞前代之臣,師師濟濟,同寅協恭,以治其國。今大王所恃重臣二人,而使自相水火,非社稷之福也。夫藺氏愈益讓,而廉氏不能諒其情。廉氏愈益驕,而藺氏不敢折其氣。在朝則有事不共議,為將則有急不相恤,臣竊為大王憂之!臣請合廉藺之交,以為大王輔。」趙王曰:「善。」虞卿往見廉頗,先頌其功,廉頗大喜。虞卿曰:「論功則無如將軍矣。論量則還推藺君。」廉頗勃然曰:「彼懦夫以口舌取功名,何量之有哉?」虞卿曰:「藺君非懦士也,其所見者大。」因述相如對舍人之言,且曰:「將軍不欲託身於趙則已,若欲託身於趙,而兩大臣一讓一爭,恐盛名之歸,不在將軍也。」廉頗大慚曰:「微先生之言,吾不聞過。吾不及藺君遠矣。」因使虞卿先道意於相如,頗肉袒負荊,自造於藺氏之門,謝曰:「鄙人志量淺狹,不知相國能寬容至此,死不足贖罪矣!」因長跪庭中。相如趨出引起曰:「吾二人比肩事主,為社稷臣,將軍能見諒,已幸甚,何煩謝為。」廉頗曰:「鄙性麤暴,蒙君見容,慚愧無地!」因相持泣下。相如亦泣。廉頗曰:「從今願結為生死之交,雖刎頸不變!」頗先下拜,相如答拜。因置酒筵款待,極歡而罷。後世稱刎頸之交,正謂此也。無名子有詩云:

    引車趨避量誠洪,肉袒將軍志亦雄﹔今日紛紛競門戶,誰將國計置胸中!

趙王賜虞卿黃金百鎰,拜為上卿。

  是時,秦大將軍白起擊破楚軍,收郢都。置南郡。楚頃襄王敗走,東保於陳。大將魏冉復攻取黔中,置黔中郡,楚益衰削。乃使太傅黃歇,侍太子熊完,入質於秦以求和。白起等復攻魏,至於大梁。梁遣大將暴鳶迎戰,敗績,斬首四萬,魏獻三城以和。秦封白起為武安君。未幾,客卿胡傷復攻魏,敗魏將芒卯,取南陽,置南陽郡。秦王以賜魏冉,號為穰侯。復遣胡傷帥師二十萬伐韓,圍閼與。韓釐王遣使求救於趙。趙惠文王聚集群臣商議:「韓可救與否?」藺相如、廉頗、樂乘皆言:「閼與道險且狹,救之不便。」平原君趙勝曰:「韓魏唇齒相蔽,不救則還戈即向趙矣!」趙奢嘿然無言。趙王獨問之,奢對曰:「道險且狹,譬如兩鼠鬥於穴中,將勇者勝。」趙王乃選軍五萬,使奢帥之救韓。出邯鄲東門三十里,傳令立壁壘下寨。安插已定,又出令曰:「有言及軍事者斬!」閉營高臥,軍中寂然。秦軍鼓噪勒兵,聲如震霆,閼與城中,屋瓦皆為振動。軍吏一人來報,秦兵如此恁般﹍﹍。趙奢以為犯令,立斬之以狥。留二十八日不行,日使人增壘濬溝,為自固計。秦將胡傷,聞有趙兵來救,不見其來,再使諜人探聽,報云:「趙果有救兵,乃大將趙奢也。出邯鄲城三十里,即立壘下寨不進。」胡傷未信,更使親近左右,直入趙軍,謂趙奢曰:「秦攻閼與,旦暮且下矣,將軍能戰,即速來!」趙奢曰:「寡君以鄰邦告急,遣某為備,某何敢與秦戰乎?」因具酒食厚款之,使周視壁壘。秦使者還報胡傷,胡傷大喜曰:「趙兵去國纔三十里,而堅壁不進,乃增壘自固,已無戰情,閼與必為吾有矣。」遂不為禦趙之備,一意攻韓。趙奢既遣秦使,約三日,度其可至秦軍,遂出令選騎兵善射慣戰者萬人為前鋒,大軍在後,銜枚卷甲,晝夜兼行。二日一夜及韓境,去閼與城十五里,復立軍壘。胡傷大怒,留兵一半圍城,悉起老營之眾,前來迎敵。趙營軍士許歷書一簡,上為「請諫」二字,跪於營前。趙奢異之,命刊去前令,召人曰:「汝欲何言?」許歷曰:「秦人不意趙師卒至,此其來氣盛。元帥必厚集其陣,以防沖突,不然必敗。」趙奢曰:「諾。」即傳令列陣以待。許歷又曰:「《兵法》:『得地利者勝。』閼與形勢,惟北山最高,而秦將不知據守,此留以待元帥也,宜速據之。」趙奢又曰:「諾。」即命許歷引軍萬人,屯據北山嶺上,凡秦兵行動,一望而知。胡傷兵到,便來爭山。山勢崎嶇,秦兵膽大的,有幾個上前,都被趙軍飛石擊傷。胡傷咆哮大怒,指揮軍將四下尋路。忽聞鼓聲大振,趙奢引軍殺到,胡傷命分軍拒敵。趙奢將射手萬人,分為二隊,左右各五千人,向秦軍亂射。許歷驅萬人,從山頂上趁勢殺下,喊聲如雷,前後夾攻。殺得秦軍如天崩地裂,沒處躲閃,大敗而奔。胡傷馬蹶墜下,幾為趙兵所獲,卻遇兵尉斯離引軍剛到,抵死救出。趙奢追至五十里,秦軍屯札不住,只得望西逃奔,遂解閼與之圍。韓釐王親自勞軍,致書稱謝趙王。趙王封奢為馬服君,位與藺相如廉頗相並。趙奢薦許歷之才,以為國尉。

  趙奢子趙括,自少喜談兵法,家傳《六韜》《三略》之書,一覽而盡﹔嘗與父奢論兵,指天畫地,目中無人,雖奢亦不能難也。其母喜曰:「有子如此,可謂將門出將矣!」奢蹴然不悅曰:「括不可為將。趙不用括,乃社稷之福耳!」母曰:「括盡讀父書,其談兵自以為天下莫及,子曰『不可為將。』何故?」奢曰:「括自謂天下莫及,此其所以不可為將也。夫兵者,死地,戰戰兢兢,博諮於眾,猶懼有遺慮﹔而括易言之!若得兵權,必果於自用,忠謀善策,無繇而入,其敗必矣。」母以奢之語告括,括曰:「父年老而怯,宜有是言也!」後二歲,趙奢病篤,謂括曰:「兵凶戰危,古人所戒。汝父為將數年,今日方免敗衂之辱,死亦瞑目。汝非將才,切不可妄居其位,自壞家門!」又囑括母曰:「異日若趙王召括為將,汝必述吾遺命辭之。喪師辱國,非細事也!」言訖而終。趙王念奢之功,以括嗣馬服君之職。未知後事如何,且看下回分解。

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