東周列國志第九十九回 武安君、冤を含んで杜郵に死す/呂不韋、巧計をもって異人を帰す (武安君含寃死杜郵 呂不韋巧計歸異人)
長平敗報と趙国の哀哭、蘇代の説得と和議
- 趙の孝成王は初め趙括の勝報を受け取り、心中大いに喜んでいた。その後、趙軍が長平で包囲されたと聞き、まさに援軍を送る算段を協議しようとしていた矢先、「趙括はすでに死に、趙軍四十余万は皆秦に降ったが、武安君に一夜のうちに生き埋めにされ、わずか二百四十人だけが趙へ帰された」との急報が入った。
- 趙王は大いに驚き、群臣は皆恐れおののいた。国中では子が父を哭き、父が子を哭き、兄が弟を哭き、弟が兄を哭き、祖父が孫を哭き、妻が夫を哭き、街々市中に哀哭の声が絶えなかった。
- ただ趙括の母だけは泣かず、こう言った。「括が将になった時から、わたくしはすでに彼を生きている者とは思っておりませんでした。」趙王は、括の母が以前(趙括の起用に反対した際、敗れても一家を連座させぬようにと願い出て許されていた)その約束があったため、罪に問わず、かえって粟や布帛を賜って慰めた。また人を遣わして廉頗にも(将を交代させた非を)詫びさせた。
- 趙国がまさに驚愕している最中、辺境の役人がさらに報告した。「秦兵は上党を攻め落とし、十七城は皆秦に降りました。今、武安君は自ら大軍を率いて進軍し、邯鄲を包囲すると公然と言い触らしております。」
- 趙王は群臣に問うた。「誰か秦兵を止められる者はいないか。」群臣は誰も応えなかった。平原君は帰宅し、賓客にあまねく問うたが、応える者はいなかった。
- たまたま蘇代が平原君のもとに客として身を寄せており、自ら言った。「代がもし咸陽へ赴けば、必ず秦兵が趙を攻めるのを止めてみせます。」平原君はこれを趙王に伝え、趙王は大いに金と幣帛を出し、蘇代に持たせて秦へ入らせた。
- 蘇代は応侯范睢に会いに行った。睢はこれを迎えて上座に座らせ、問うた。「先生は何のためにお越しになったのか。」蘇代は言った。「あなた様のために参ったのです。」范睢は言った。「何を教えてくださるのか。」
- 蘇代は言った。「武安君はすでに馬服君の子を殺しましたか。」睢は「そうだ」と応えた。代は言った。「今まさに邯鄲を包囲するおつもりですか。」睢はまた「そうだ」と応えた。
- 代は言った。「武安君は用兵神のごとく、身は秦の将として奪い取った城は七十余、斬った首は百万近くにのぼります。たとえ伊尹や呂望の功であっても、これに勝ることはございません。今また兵を挙げて邯鄲を囲めば、趙は必ず滅びましょう。趙が滅べば秦は帝業を成し遂げ、秦が帝業を成し遂げれば、武安君はその建国を助けた第一の功臣として、伊尹が商にあったように、呂望が周にあったように仰がれましょう。あなた様がもとより貴い身であっても、彼の下に立たざるを得なくなります。」
- 范睢は愕然として身を乗り出して言った。「それではどうすればよいのか。」蘇代は言った。「あなた様は、韓と趙に領土の割譲を許して秦と和議を結ばせるに越したことはございません。領土の割譲をあなた様の功とすれば、しかも武安君の兵権を解くこともでき、あなた様の地位はまさに泰山のように安定いたしましょう。」
- 范睢は大いに喜び、翌日すぐに秦王に言った。「秦の兵は長く外にあり、すでに疲弊しております。しばらく休息させるべきです。人を遣わして韓と趙に領土の割譲を求めて和議を結ばせるのがよろしいでしょう。」秦王は言った。「相国の裁断に任せよう。」
- そこで范睢はさらに大いに金や絹を出し、蘇代の旅費として贈り、韓と趙とを説かせに向かわせた。韓と趙の二王は秦を恐れ、皆蘇代の計に従った。韓は垣雍の一城を割くことを許し、趙は六城を割くことを許し、それぞれ使者を遣わして秦に和議を求めた。
- 秦王は初め韓がたった一城しか割かぬのを少なすぎると嫌ったが、使者は「上党の十七県は、いずれも韓の物でございます」と言った。秦王はそこで笑ってこれを受け入れた。武安君に兵を引き上げよとの命が下された。
- 白起は連戦連勝しており、まさに邯鄲を包囲しようとしていたところ、突然の兵を引き上げよとの詔を聞き、それが応侯の謀から出たことを知って、大いに恨んだ。
白起と范睢の確執、武安君の杜郵での死
- これ以来、白起と范睢は不和になった。白起は人々にこう吹聴した。「長平の敗北以来、邯鄲城中は一夜に十度も驚くありさまだった。もし勝ちに乗じて攻めれば、一月とかからず陥落しただろう。惜しいことに応侯は時勢を知らず、兵を引き上げることを主張してこの機会を逃してしまった。」
- 秦王はこれを聞き、大いに悔いて言った。「起がすでに邯鄲を陥落できると知っていたなら、なぜ早く奏上しなかったのか。」そこで再び起を将に任じ、趙を伐たせようとした。白起はたまたま病があって出陣できず、そこで秦王は命を改めて大将王陵を用いた。
- 陵は十万の軍を率いて趙を伐ち、邯鄲城を囲んだ。趙王は廉頗に防がせた。頗は非常に厳しく守り、さらに家財を出して死を覚悟した勇士を募り、しばしば夜、城壁を伝い降りて秦の陣営を襲わせた。王陵の軍はしばしば敗れた。
- 時に武安君の病はすでに癒えており、秦王は王陵に代えて彼を用いようとした。武安君は奏上した。「邯鄲はまことに攻めやすいものではございません。以前の大敗の後は、民衆が震え恐れて落ち着かず、それに乗じれば、彼らは守っても固めきれず、打って出ても力がなく、期日を定めて陥落させることができました。今は二年余りも経ち、その痛手はすでに癒えております。しかも廉頗は老練な将であり、趙括とは比べものになりません。諸侯は秦がまさに趙と和んだばかりで、また攻めていることを見て、皆秦を信じられぬと考え、必ず『合従』して救援に来るでしょう。臣は秦の勝利を見通せません。」
- 秦王は強いて出陣させようとしたが、白起は固く辞退した。秦王は再び応侯に彼を説かせに行かせた。武安君は応侯が以前自分の功を阻んだことを怒っており、そこで病と称した。
- 秦王は応侯に問うた。「武安君は本当に病なのか。」応侯は言った。「病が本当かどうかは分かりませんが、将にはなりたくないという心はすでに固いようでございます。」秦王は怒って言った。「起は秦に他に将がいないと思って、必ず自分でなければならぬと考えているのか。昔長平の勝利は、初めに用いた将は王齕であった。齕が起に劣るなどということがあろうか。」
- そこでさらに十万の兵を増し、王齕に王陵に代わらせた。王陵は帰国し、その官を免ぜられた。王齕は邯鄲を囲んだが、五か月経っても陥落させられなかった。武安君はこれを聞いて客に言った。「私はもとより邯鄲は攻めやすくないと言ったのに、王はわが言葉を聞かれなかった。今、果たしてどうなったか。」
- 客の中に応侯の客と親しい者がおり、この言葉を漏らした。応侯はこれを秦王に告げ、どうしても武安君を将にしようとした。武安君はそこで病が篤いと偽った。秦王は大いに怒り、武安君の爵位と領地を削り、一兵卒の身分に落とし、陰密に遷らせ、直ちに咸陽城を出るよう命じ、しばらくの猶予も許さなかった。
- 武安君は嘆いて言った。「范蠡の言に『狡兔死して走狗烹らる』とある。私は秦のために諸侯の城七十余りを攻め落とした。それゆえまさに煮られる番なのだろう。」そこで咸陽の西門を出て杜郵に至り、しばらく留まって荷物の到着を待った。
- 応侯はさらに秦王に言った。「白起の去るさまは、心中不服の様子で大いに怨言があります。病を称するのも真ではなく、恐らくは他国へ逃れて秦の害となるのではございませんか。」秦王はそこで使者を遣わし、剣を賜って自裁を命じた。
- 使者は杜郵に至り、秦王の命を伝えた。武安君は剣を手に取り、嘆いて言った。「私は天に何の罪があって、ここに至ったのか。」しばらくして言った。「私はもとより死すべきであった。長平の役で、趙卒四十余万が降ったとき、私は詐りをもって一夜のうちにこれをことごとく生き埋めにした。彼らに何の罪があったであろうか。私が死ぬのはまことに当然なのだ。」そして自ら首を刎ねて死んだ。
- 時に秦の昭襄王の五十年十一月、周の赧王の五十八年であった。秦人は白起が罪なく死んだことを思い、皆これを憐れみ、各地に彼のための祠が立てられた。後に唐の末年、天雷が牛一頭を打って殺したことがあり、牛の腹に「白起」の二字が現れた。論者は「白起は人を殺すこと甚だ多く、それゆえ数百年の後になお畜生としての雷震の報いを受けたのだ」と言った。殺生の罪の重さがかくのごとくである。将たる者は戒めずにいられようか。
毛遂の自薦と楚との従約の成立
- 秦王は白起を殺したのち、さらに精兵五万を発し、鄭安平にこれを率いさせ、王齕を助けさせ、必ず邯鄲を攻め落とさんとした。趙王は秦がさらに兵を増して攻めてくると聞き大いに恐れ、使者を諸方に分けて諸侯に救援を求めた。
- 平原君趙勝は言った。「魏はわが姻戚であり、しかも元来仲がよい、必ず救援が来よう。楚は大きく遠いので、『合従』の説得によらねば動くまい。私が自ら赴こう。」そこで門下の食客の中から文武を兼ね備えた者二十人を選んで共に赴こうとした。三千余人の中から選りすぐろうとしたが、文の者は武に欠け、武の者は文に欠け、選びに選んでもわずか十九人しか揃わず、二十人には足りなかった。
- 平原君は嘆いて言った。「勝が士を養うようになって数十年になるが、士を得ることがこれほど難しいとは。」その時、下座の客の一人が進み出て言った。「私のような者でも、その数に加えていただけましょうか。」
- 平原君はその姓名を問うと、答えた。「臣、姓は毛、名は遂、大梁の人でございます。あなた様の門下に身を寄せて三年になります。」平原君は笑って言った。「そもそも賢士が世に処すさまは、たとえば錐が袋の中にあるようなもので、その先はおのずと露見するものだ。今先生が勝の門下に三年おられるが、勝はまだ何も聞いたことがない。これは先生が文にも武にも何一つ長じるところがないということではないか。」
- 毛遂は言った。「臣は今日初めて袋の中に処することを請うたばかりです。もし早くから袋の中にいたなら、すべて突き抜けて出てしまったでしょう。ただ先が露出する程度で済むはずがございません。」平原君はその言葉に感じ入り、二十人の数に加えることとした。
- その日のうちに趙王に別れを告げ、陳都へ向けて進発した。到着すると、まず春申君黄歇に取り次いだ。歇はもとより平原君と交わりがあったので、これを楚の考烈王に取り次いでやった。
- 平原君は夜明けに朝廷へ入り、礼を交わし終えると、楚王は平原君と殿上に座り、毛遂と十九人は階下に整列した。平原君はゆっくりと「合従」して秦を退ける件について話し始めた。
- 楚王は言った。「『合従』の約は、趙が始めたものだが、後に張儀の遊説を聞いて、その約は堅固でなくなった。先の懐王は『従約長』となり、秦を伐って勝てなかった。斉の湣王も再び『従約長』となったが、諸侯はこれに背いた。今に至るまで列国は『従』を口にすることを憚る。この事は砂を丸めるようなもので、たやすく語れることではない。」
- 平原君は言った。「蘇秦が『合従』を唱えて以来、六国は兄弟の約を結び、洹水で盟を立てました。秦兵は十五年もの間函谷関からあえて出ませんでした。その後、斉と魏は犀首の欺きを受けて趙を伐とうとし、懐王は張儀の欺きを受けて斉を伐とうとしました。それゆえ従約はしだいに解けていったのです。もし三国が洹水の誓いを堅く守り、秦の欺きを受けなければ、秦はどうすることもできなかったはずです。斉の湣王は『合従』を名目としながら、実は併呑を望んでいました。それゆえ諸侯はこれに背いたのであって、どうして『合従』そのものが良くなかったのでございましょうか。」
- 楚王は言った。「今日の勢いでは、秦は強く列国はすべて弱い。ただそれぞれが自らを守る道を図るしかなく、どうして互いに助け合うことなどできようか。」
- 平原君は言った。「秦がいかに強くとも、分かれて六国を制するには足りません。六国がいかに弱くとも、合わさって秦を制すれば十分でございます。もしそれぞれ自らを守るばかりで互いに救おうとしなければ、一強一弱の勝敗はすでに定まっており、秦の軍勢が日ごとに進んでくるのを恐れます。」
- 楚王はさらに言った。「秦兵は一度動いて上党の十七城を陥落させ、趙卒四十余万を生き埋めにした。韓・趙の二国の力を合わせても、武安君一人に敵わなかった。今また邯鄲に迫っている。楚国は僻遠の地にある。この事に間に合うわけがなかろう。」
- 平原君は言った。「わが君は将の任用を誤り、長平の敗北を招きました。今、王陵・王齕の二十余万の軍が邯鄲の下に留まり、前後一年余りとなりますが、趙をわずかも損なうことができません。もし救援の軍が集えば、大いにその鋭鋒を挫くことができ、これは数年の安寧をもたらすことになりましょう。」
- 楚王は言った。「秦は最近楚と誼を通じたばかりだ。君は寡人に『合従』して趙を救わせようとするが、秦は必ずその怒りを楚に向けよう。これは趙に代わって恨みを受けることになる。」平原君は言った。「秦が楚と誼を通じているのは、もっぱら三晋に事を専らにするためです。三晋がすでに滅びれば、楚がどうして独り立ち続けられましょうか。」
- 楚王はなお秦を畏れる心があり、ためらって決めかねた。毛遂は階下で日時計を見ると、すでに正午になっていた。そこで剣を按じ階を踏んで上り、平原君に言った。「『従』の利害は、二言で決着がつくものです。今、日の出とともに参内されてから正午になっても、議はいまだ定まりません。どうしたことですか。」
- 楚王は怒って問うた。「あれは何者か。」平原君は言った。「これは臣の客、毛遂でございます。」楚王は言った。「寡人はお前の主君と議事をしているのだ。客がどうして多言できようか。」叱って退がらせようとした。
- 毛遂は数歩前に進み、剣を按じて言った。「『合従』は天下の大事、天下の人が皆これを議す資格がございます。我が主君が前におられるのに、私を叱るとはどういうことですか。」
- 楚王はやや色を和らげて問うた。「客に何の言い分があるのか。」毛遂は言った。「楚の地は五千余里、文王・武王が自ら王を号して以来、今に至るまで天下に雄視し、盟主と号してまいりました。ところが一朝にして秦人が興り、しばしば楚兵を破り、懐王は囚われて死にました。白起という小僧が一戦また一戦して、鄢郢がことごとく失われ、都遷りを強いられました。これは百世にわたる恨みであり、三尺の童子でさえこれを恥とするでしょう。大王はひとりお思いになりませんか。今日の『合従』の議は、楚のためであって、趙のためではございません。」
- 楚王は「はい、はい」とだけ言った。遂は言った。「大王のお心はすでに決まりましたか。」楚王は「寡人の心はすでに決まった」と言った。
- 毛遂は左右を呼び、血をすすって盟うための盤を取り寄せさせ、跪いて楚王の前に進めて言った。「大王が『従約長』となられます。まず大王が血をすすって盟われ、次にわが君、次に臣毛遂の順といたします。」こうして従約は定まった。
- 毛遂は血をすすって盟い終えると、左手に盤を持ち、右手で十九人を招いて言った。「諸公も堂下でともに血をすすって盟われるがよい。諸公はいわゆる『人によって事を成す』者たちです。」楚王はすでに「合従」を許し、すぐに春申君に八万の兵を率いさせ趙を救わせた。
- 平原君は帰国して嘆じて言った。「毛先生の三寸の舌は、百万の軍にも勝る。勝は多くの人を見てきたが、毛先生を見誤っていたとは。勝は今より二度と天下の士を軽々しく判じることはしまい。」これより毛遂を上客とした。まさにこうである。
- (詩:舟の帆柱は大きくても他人任せに回されるだけだが、秤の錘は小さくても千斤を押さえられる、鋭い錐にはついに袋の中の居場所が与えられず、文武を備えたという十九人ばかりが入り乱れて並んでいた、と平原君の人を見る目のなさを諷する趣旨)
魏・楚の援軍の足踏みと王孫異人の境遇
- 時に魏の安釐王は大将晋鄙に十万の兵を率いさせ趙を救わせた。秦王は諸侯の救援が来ると聞き、自ら邯鄲に至り督戦し、人を遣わして魏王に言わせた。「秦が邯鄲を攻めるのは、旦夕にして陥落せしめよう。諸侯であえて救援する者があれば、必ず先にこれを撃つ。」
- 魏王は大いに恐れ、使者を遣わして晋鄙の軍に追いつかせ、進軍しないよう戒めた。晋鄙はそこで鄴のあたりに駐屯して動かなかった。春申君もまた武関に留まり、進軍を控え様子をうかがった。この段の事はしばらく置く。
- さて秦の王孫異人は、秦と趙が澠池で会盟して以来、趙への人質となっていた。異人は安国君の次子であった。安国君、名は柱、字は子傒、昭襄王の太子であった。安国君には諸姫の生んだ二十余人の子がいたが、いずれも嫡子ではなかった。寵愛される楚出身の妃は華陽夫人と号したが、子はなかった。異人の母は夏姫といい寵愛を受けず、早くに死んでしまったため、異人は趙に人質として送られ、久しく音信が絶えていた。
- 王翦が趙を伐った際、趙王は人質の異人に怒りを向け、これを殺そうとした。平原君は諫めて言った。「異人には寵愛がございません。殺しても何の益もありません。ただ秦人に口実を与えるだけで、後日の通好の道を絶ってしまいます。」趙王の怒りはなお収まらず、そこで異人を叢台に置き、大夫公孫乾を館伴(宿館で客を接待する役)に任じて出入りを監視させ、さらにその俸禄を削った。異人は外出するにも共の車もなく、金銭も余りなく、終日鬱々として過ごしていた。
呂不韋の「奇貨居くべし」
- 時に陽翟の人で姓は呂、名は不韋という者がいた。父子とも商人であり、常日頃各国を行き来して安く買い高く売り、家産は千金を数えるほどであった。その頃たまたま邯鄲におり、道中でふと異人を見かけた。異人は顔は白粉を塗ったよう、唇は朱を塗ったように美しく、落魄の中にあってもなお貴人の気品を失っていなかった。不韋はひそかに驚嘆し、傍らの人に指さして問うた。「これは何者か。」
- 答えた。「これは秦王の太子安国君の子で、趙国に人質として送られている者だ。秦兵がしばしば国境を侵すので、我が王は幾度も彼を殺そうとされた。今はかろうじて死を免れているが、叢台に拘留され、費用も不足して、貧しい者と変わらない有様だ。」
- 不韋はひそかに嘆じて言った。「これはまさに奇貨、居くべきものだ。」そこで帰って父に問うた。「田を耕す利は幾倍か。」父は言った。「十倍だ。」また問うた。「珠玉を売買する利は幾倍か。」父は言った。「百倍だ。」また問うた。「もし一人を扶けて王に立て、山河を掌握させたら、その利は幾倍になろうか。」父は笑って言った。「どうして王を立てることなどできようか。もしできれば、その利は千万倍にもなり、計り知れぬものだ。」
- 不韋は百金をもって公孫乾に取り入った。往来を重ねるうちに次第に親しくなり、これによって異人と会うことができるようになった。あえて何も知らぬふりをして、その来歴を尋ねると、公孫乾は事実をありのままに告げた。
- ある日、公孫乾が酒宴を設けて呂不韋を招いた。不韋は言った。「席には他の客がおりません。せっかく秦の王孫がここにいらっしゃるのですから、お招きして共に座られてはいかがですか。」公孫乾はこの言葉に従い、異人を招いて不韋と会わせ、共に座って酒を酌み交わした。
- 酒が半ばまで進んだ頃、公孫乾が席を立って厠へ行くと、不韋は小声で異人に問うた。「秦王は今すでに老いておられます。太子が最も愛されているのは華陽夫人でございますが、夫人には子がございません。殿下にはご兄弟が二十余人おられますが、いまだ専らの寵を受ける者はございません。殿下はこの機に乗じて秦へ帰る道を求め、華陽夫人にお仕えし、その子となることを求められては、いかがでしょうか。他日、後継者として立てられる望みがございましょう。」
- 異人は涙を含んで答えた。「私にはとてもそこまで望むことなどできません。しかし故国のことに話が及ぶと、心は刀で刺されるようで、ただ脱出の計がないのが恨めしいだけです。」不韋は言った。「私の家は貧しいとはいえ、殿下のために千金を投じて西へ赴き、太子と夫人にお願いし、殿下を秦へ帰していただくよう説き申しましょう。いかがでしょうか。」異人は言った。「もしそのようにしていただき、富貴を得られるならば、必ずやあなたと共にそれを分かちましょう。」
- 言い終わらぬうちに公孫乾が戻ってきて問うた。「呂君、何を話しておられたのか。」不韋は言った。「私は王孫に秦の玉の相場を尋ねたのですが、王孫は存じないと仰せでした。」公孫乾は疑うこともなく、さらに酒を勧め合い、大いに歓を尽くして散会した。これより不韋と異人はしばしば会うようになり、不韋は五百金をひそかに異人に渡し、周囲の者に買収し賓客と交わらせた。公孫乾も上下ともに異人から金や絹を受け取り、まるで一家のようになり、もはや疑うことはなかった。
華陽夫人への工作
- 不韋はさらに五百金で珍しい宝物や玩具を買い求め、公孫乾に別れを告げ、そのまま咸陽へ向かった。華陽夫人には姉がおり、これもまた秦に嫁いでいることを探り当てると、まずその家の周囲の者に取り入り、夫人の姉に取り次がせて言った。「王孫異人は趙にあって太子と夫人を思慕され、孝順の礼をと、私に取り次ぐよう託されました。この些細な品も、王孫が姨母様に候する気持ちの表れでございます。」そして金珠を収めた箱を献上した。
- 姉は大いに喜び、自ら堂に出て簾の内から客に会い、不韋に言った。「これは王孫のご厚意とはいえ、尊客に遠路お運びいただき恐縮です。今、王孫は趙にあって、はたして故郷を思っておられるのでしょうか。」
- 不韋は答えた。「私は王孫と公館を隣にしておりまして、事あるごとに私に語ってくださいますので、そのお気持ちはよく存じております。日夜太子と夫人を思い、幼くして母を失われたので、夫人こそが嫡母であるとして、帰国してお仕えし、孝を尽くしたいと願っておられます。」
- 姉は言った。「王孫は近頃お変わりないでしょうか。」不韋は言った。「秦兵がしばしば趙を伐つため、趙王は幾度も王孫を斬ろうとされましたが、幸いにも臣民が皆保証を申し立て、命を保つことができました。それゆえ帰国の思いがますます切実なのです。」姉は言った。「臣民はなぜ彼を庇うのですか。」
- 不韋は言った。「王孫は賢孝にして並ぶ者なく、秦王太子と夫人のご誕生日や、元旦・朔望のたびに、必ず斎戒沐浴し、香を焚いて西を向いて拝み祝われます。趙の人でこれを知らぬ者はございません。しかも学を好み賢を重んじ、諸侯の賓客と広く交わり、天下皆その賢孝を称えております。それゆえ臣民は皆彼を保証したのです。」
- 不韋は言い終えると、さらに約五百金相当の金銀珠玉の宝物を献上して言った。「王孫は太子と夫人にお仕えして侍ることがかないません。せめてこの薄礼をもって孝順の心を表したく、どうか王親にお取り次ぎいただきたく存じます。」姉は門下の客に不韋を酒食でもてなさせ、自ら中へ入って華陽夫人に告げた。夫人は珍宝を見て「王孫はまことに私を思ってくれている」と思い、心中大いに喜んだ。
- 夫人の姉は呂不韋に返答した。不韋はこれによって姉に問うた。「夫人にはお子が何人おられますか。」姉は言った。「おられません。」不韋は言った。「私が聞くところ、『色をもって人に仕える者は、色が衰えれば愛も薄れる』と申します。今夫人は太子に大変愛されておられますが、お子がおられません。この時をもって諸子の中から賢孝な者を選んでお子となさるべきです。そうすれば、太子がお亡くなりになった後、その立てられた子が王となり、夫人は終生権勢を失うことがございません。そうでなければ、他日一朝にして色が衰え愛が薄れれば、悔いても及びません。今、異人は賢孝であり、自ら夫人に近づこうとしております。彼自身、次男である身では立てられぬことを知っています。夫人がまことに彼を抜擢して嫡子となされば、夫人は代々秦にお寵愛を受けられるのではございませんか。」
- 姉はまたこの言葉を華陽夫人に伝えた。夫人は「客の言葉はもっともだ」と言った。
- ある夜、夫人は安国君と酒を酌み交わし大いに楽しんでいたが、突然涙を流した。太子は不思議に思い問うた。夫人は言った。「妾は幸いに後宮に入ることができましたが、不幸にして子がございません。あなた様の諸子の中で異人が最も賢く、諸侯の賓客が行き来するたびに、口を極めて彼を称えます。もしこの子を後継ぎに得られれば、妾の身も託すところができましょう。」太子はこれを許した。
- 夫人は言った。「あなた様は今日妾にお許しになっても、明日には他の姫の言葉を聞いて、またお忘れになるでしょう。」太子は言った。「夫人がもし信じられないなら、玉の割り符に刻んで誓おう。」そこでその割り符を取り、「適嗣異人」の四字を刻んで、これを中で二つに割り、それぞれの半分を保管し、これを信としたのであった。
- 夫人は言った。「異人は趙にいますが、どうやって帰国させるのですか。」太子は言った。「機会を見て王に願い出よう。」
王后の弟・楊泉君を動かす
- 時に秦の昭襄王はまさに趙に怒りを抱いており、太子がこのことを王に言っても、王は聞き入れなかった。不韋は王后の弟楊泉君がその頃寵愛を受けていることを知り、さらにその門下に賄賂を贈り、楊泉君への謁見を求めた。
- 不韋は言った。「あなた様の罪は死に至るものです。ご存知ですか。」楊泉君は大いに驚いて言った。「私に何の罪があるのか。」不韋は言った。「あなた様の門下には、高官に就き厚禄を得ない者はなく、駿馬は外の厩を満たし、美女は屋敷の奥を埋め尽くしております。ところが太子の門下には、富貴を得て勢いある者がおりません。王のお年もすでに高く、一朝にして山陵が崩じれば、太子が位を嗣がれ、その門下はあなた様を深く恨むでしょう。あなた様の危亡はすぐそこに迫っています。」
- 楊泉君は言った。「今のところどうすればよいのか。」不韋は言った。「私に一計がございます。あなた様を百歳まで安泰にし泰山のごとくお守りするものです。お聞きになりますか。」楊泉君は跪いてその説を請うた。
- 不韋は言った。「王のお年は高く、子傒(安国君)にはまだ嫡子がございません。今、王孫異人は賢孝の誉れが諸侯にまで聞こえておりますが、趙に人質として捨て置かれたまま、日夜首を長くして帰国を願っております。あなた様が誠に王后に願って王にお話しいただき、異人を帰国させ、太子の嫡子として立てられれば、これは異人が国もないところから国を得、太子夫人が子もないところから子を得ることになります。太子と王孫が王后に感じる恩は代々尽きることがなく、あなた様の爵位も長く保たれましょう。」
- 楊泉君は拝礼して言った。「謹んでお教えに従いましょう。」その日のうちに不韋の言葉を王后に告げ、王后はこれによって秦王に語りかけた。秦王は言った。「趙人が和議を求めてくれば、その時この子を迎え帰そう。」
- 太子は呂不韋を召して問うた。「私は異人を秦に迎えて嫡子としたいのだが、父王がまだお許しにならない。先生に何か妙策はないだろうか。」不韋はぬかずいて言った。「太子がまことに王孫を嫡子に立てられるとおっしゃるなら、わたくしは千金の家業を惜しまず、趙の権力者に賄賂を贈り、必ずや救出してご覧に入れましょう。」
- 太子と夫人は共に大いに喜び、黄金三百鎰を呂不韋に渡し、これを王孫異人に転送させて交際費とした。王后もまた黄金二百鎰を出し、すべて不韋に託した。夫人はさらに異人のために衣服一箱を用意し、また不韋にも別に黄金あわせて百鎰を贈った。あらかじめ不韋を異人の太傅に任じ、異人に伝えさせた。「事は朝夕のうちに整うでしょう。お会いできる日も近いはずです。ご心配なさいますな。」
- 不韋は暇を告げて邯鄲へ帰り、まず父に会って一部始終を語った。父は大いに喜んだ。翌日、さっそく礼を整えて公孫乾に会いに行った。そのあと王孫異人に会い、王后と太子夫人が語った一連の話を詳しく述べた。さらに黄金五百鎰と衣服を献上した。
- 異人は大いに喜び、不韋に言った。「衣服は私が留めておこう。黄金は先生が持ち帰り、もし入り用の際があれば、遠慮なくお使いください。ただ私が帰国できるように取り計らってくださるなら、その恩は浅くありません。」
趙姫と異人の婚姻
- さて不韋はかねて邯鄲で美女を一人手に入れており、これを趙姫と号した。歌舞に長じ、すでに二か月の身重であることを知ると、不韋は一計を案じてこう考えた。「王孫異人が帰国すれば、必ず継嗣となる可能性がある。もしこの女を彼に献じ、万が一男児を産めば、これは私の血を継ぐ嫡血である。この男児が嗣を承けて王となれば、嬴氏の天下は、実は呂氏がこれを引き継ぐことになる。それでこそ家産を破ってこの一大事業をなした甲斐があるというものだ。」
- そこで異人と公孫乾を招いて自宅で酒宴を設けた。席には珍味百味が並び、笙の音と歌声が両側に流れたが、その様子はここでは述べない。酒が半ばまで進んだ頃、不韋は言った。「私はこのたび新たに小さな側室を迎えました。かなり歌舞に長じておりますので、この者にお二方へ一献お勧めさせたく存じます、失礼をお許しください。」そして二人の下女に趙姫を呼び出させた。
- 不韋は言った。「お前、お二人の貴人にご挨拶申し上げよ。」趙姫は蓮の花のような足取りで進み出て、毛織の敷物の上で二度ぬかずいて拝礼した。異人と公孫乾は慌てて礼を返した。
- 不韋は趙姫に金の盃を持たせ、進んで祝盃を捧げさせた。杯が異人に渡ると、異人は顔を上げて見た。果たして美しい女であった。その美しさはどのようであったか。(詩:黒髪の艶やかさ、眉の淡く美しい様子、朱唇の桜桃のような艶やかさ、白い歯の並び、微笑む顔は褒姒が幽王を惑わせたかのごとく、しなやかな歩みは西施が呉王を魅了したかのごとしと、その美しさを言葉に尽くせぬほど詠む趣旨)
- 趙姫は杯を勧め終えると、長い袖を広げ、毛織の敷物の上で大垂手・小垂手と呼ばれる舞を一つ舞った。その姿は遊龍のようで、袖は白い虹のよう、風に舞う羽毛のようにたおやかで、塵霧のように軽やかであった。公孫乾と異人はすっかり目を奪われ心を乱され、感嘆してやまなかった。趙姫は舞い終えると、不韋は趙姫に命じてさらに大杯を注がせて勧めさせ、二人は一気に飲み干した。趙姫は酒を勧め終えると内へ下がった。
- 主客はさらに酒を酌み交わし、大いに歓を尽くした。公孫乾は思わず大酔し、座席に横たわってしまった。異人は趙姫のことが忘れられず、酒の勢いを借りて厚かましくも、不韋に願い出た。「私は孤身でここに人質となっており、客館は寂しいものです。あなた様にこの姫を私の妻として求めたく、この上ない願いがかないます。まだその身の代金がいかほどか存じませんが、いずれお納めいたしましょう。」
- 不韋はわざと怒って言った。「私は好意でお招きし、妻や妾を献じるほどの敬意を示したのに、殿下は私の愛する者を奪おうとされるのか、これはどういう道理でしょうか。」異人はいたたまれず、跪いて言った。「私は客中の孤独な身の上から、あなた様に愛する者をお譲りいただきたいなどと、身の程知らずの望みを申しました。実は酔いに任せた放言でございます。どうかお咎めなさいませんように。」
- 不韋は慌てて彼を助け起こして言った。「私は殿下のために帰国の道を図り、千金の家産すら惜しまず投じております。今どうして女一人を惜しみましょうか。ただこの女は年若く恥ずかしがり屋ですので、従わないのではと心配です。彼女が承知すれば、すぐにお送りいたしますので、寝床を整え席を払うお側仕えの役にお使いください。」異人は再拝して感謝し、公孫乾が酔いから覚めるのを待って、共に車に乗って帰った。
- その夜、不韋は趙姫に言った。「秦の王孫はお前をたいそう気に入り、妻に望んでいる。お前の考えはどうか。」趙姫は言った。「妾はすでにあなた様に身を捧げ、しかも身重でございます。それなのにどうして妾をお捨てになり、他家にお仕えさせようとなさるのですか。」
- 不韋はひそかに告げた。「お前が私に生涯従っても、しょせん商人の妻に過ぎない。王孫はやがて秦王となる分がある。お前がその寵を得れば、必ず王后となれよう。もし天が幸いして腹の子が男児であれば、そのまま太子となる。私とお前とはすなわち秦王の父母となり、富貴は窮まりないものになる。お前は夫婦の情を思い、私の計にひとまず従ってくれ。決して漏らしてはならぬ。」
- 趙姫は言った。「あなた様の企ては大きなもの、妾がどうしてお受けせずにおられましょう。ただ夫婦の恩愛を、どうして断ち切れましょうか。」そう言い終えて涙を流した。不韋は彼女を撫でて言った。「お前がもしこの情を忘れずにいてくれれば、他日秦の天下を得た暁には、また夫婦となり、永遠に離れることはない。これほど喜ばしいことがあろうか。」二人はそこで天に誓いを立てた。
- その夜共に寝み、恩情はいつにも増して深かった。詳しくは述べない。翌日、不韋は公孫乾のもとへ行き、昨夜の粗略を詫びた。公孫乾は言った。「私こそまさに王孫と共に貴殿の府に赴き、厚いお心遣いに感謝申し上げようとしていたのに、かえってご足労をおかけしました。」
- ほどなく異人も到着し、互いに礼を交わした。不韋は言った。「殿下が拙妾の醜さを厭わず、身の回りのお世話をお受けいただけるとのこと、私は妾に幾度も言い聞かせ、ようやく仰せに従わせました。今日はよき日、すぐに寓所へ送らせ、お側にお仕えさせましょう。」異人は言った。「先生の高いご厚志、粉骨しても報いがたいものです。」公孫乾は言った。「このような良縁があるからには、私が仲人を務めましょう。」そこで左右に喜びの宴の用意を命じた。
- 不韋は辞去し、夜になると輼車(横になれる幌付きの車)に趙姫を乗せて異人のもとへ送り、成婚とした。髯翁に詩がある。
- (詩:新しい歓びが旧い愛に取って代わり、落魄の身で得た婚礼を詠み、世人は王孫が趣を得たと語るが、実は呂家の子をひそかに贈られていたことは誰も知らぬと詠む趣旨)
始皇帝誕生
- 異人は趙姫を得て、水を得た魚のように寵愛はひとかたならぬものであった。一月あまり過ぎた頃、趙姫は異人に言った。「妾は殿下にお仕えする幸いを得て、天の恵みですでに身ごもりました。」異人はその由来を知らず、ただ自分の子だと思い、ますます喜んだ。
- その趙姫は先に二か月の身重であってから異人に嫁いだので、嫁いでから八か月で十月満ちる出産の時期を迎えたが、腹の子はまったく動く気配がなかった。天下を統一する真の帝王を身ごもっていたため、通常とは違っていたのである。ついに十二か月の周年に至って、ようやく一人の子を産んだ。
- 産まれた時には紅い光が室に満ち、百鳥が飛び回った。その嬰児を見ると、豊かな鼻筋に長い目、方形の額に瞳が二重、口の中にはすでに数本の歯があり、背中と首には龍の鱗のような模様が一片あり、泣き声は大きく街まで響き渡った。その日は、秦の昭襄王四十八年正月朔日であった。
- 異人は大いに喜んで言った。「私が聞くところ、天命に応じる主には必ず異なる徴があるという。この子の骨相は並みではなく、しかも正月に生まれた。他日必ず天下を治める者となろう。」そこで趙姫の姓を用いて、名を趙政とした。後に政は秦王を嗣ぎ、六国を併合した。すなわち秦の始皇帝である。当時呂不韋は趙姫が男児を産んだと聞き、ひそかに自ら喜んだ。
邯鄲脱出
- 秦の昭襄王五十年に至り、趙政はすでに三歳になっていた。時に秦兵の邯鄲包囲はきわめて激しさを増しており、不韋は異人に言った。「趙王が万一また殿下に怒りを向けたらどうしましょう。秦国へ逃れて身を全うするに越したことはございません。」異人は言った。「この事はすべて先生のお計らいにお任せいたします。」
- 不韋はそこで黄金合わせて六百斤を出し、そのうち三百斤を南門の守将にあまねく賄賂として贈り、こう言い訳した。「私は一家で陽翟から来て、この地で商売をしておりましたが、不幸にも秦の敵軍が起こり、城の包囲が長引いております。私は故郷を思う気持ちが甚だ切実で、今蓄えた資本をすべて皆様に分けさせていただきますので、便宜をお図りいただき、家族を城外へ出し陽翟へ帰らせていただければ、この恩は忘れません。」守将はこれを許した。
- さらに百斤を公孫乾に献じ、すでに陽翟へ帰るつもりだという意図を述べ、逆に公孫乾から南門の守将に便宜を図ってもらうよう頼んだ。守将と軍卒は皆賄賂を受け取り、渡りに船とばかりに便宜を図ってやった。
- 不韋はあらかじめ異人に、趙姫母子を母の実家にひそかに預けさせておいた。その日、酒宴を設けて公孫乾を招き、言った。「私はこの三日のうちに城を出るつもりです。特に一杯差し上げて別れの言葉を交わしたく存じます。」宴席で公孫乾を泥酔させた。左右の軍卒も大いに酒と肉をふるまわれ、思う存分飲み食いして、皆酔いつぶれ眠り込んだ。
- 夜半に至り、異人は身をやつして従僕たちの中に紛れ込み、不韋父子に従って南門へ向かった。守将は真偽を確かめず、ひそかに鍵を開けて彼らを城外へ出させた。もともと王齕の大営は西門にあり、南門は陽翟へ通じる大道であったため、不韋がもとより故郷に帰ると言っていたので、南門を求めたのであった。
- 三人は従僕たちと共に隊を組み、夜通し駆けて大きく迂回しながら秦軍を目指した。夜明けになって、秦国の遊撃兵に捕らえられた。不韋は異人を指して言った。「これは秦国の王孫であり、以前は趙に人質となっていたが、今邯鄲を脱出して本国へ向かうところだ。お前たちは速やかに道案内をせよ。」
- 遊撃兵は馬を三人に与えて乗せ、王齕の大営へ案内した。王齕は来歴を尋ね終えると、招き入れて面会し、すぐに衣冠を異人に与えて着替えさせ、宴席を設けてもてなした。王齕は言った。「大王は自らここにおいでになり督戦しておられます。行宮はここから十里ほどのところです。」そこで車馬を用意し、行宮へ送った。
- 秦の昭襄王は異人を見て、この上なく喜んで言った。「太子は日夜お前を思っていた。今、天がわが孫を虎口から脱出させてくれたのだ。すぐに咸陽へ帰り、父母のお心を慰めるがよい。」異人は秦王に別れを告げ、不韋父子と共に車に乗り、咸陽へ向かった。父子がどのように再会したかは、まだ分からない。それは次回を見よ。
原文(底本)
話說趙孝成王初時接得趙括捷報,心中大喜;已後聞趙軍困於長平,正欲商量遣兵救援。忽報「趙括已死,趙軍四十餘萬,盡降於秦,被武安君一夜坑殺,止放二百四十人還趙。」趙王大驚,群臣無不悚懼。國中子哭其父,父哭其子,兄哭其弟,弟哭其兄,祖哭其孫,妻哭其夫,沿街滿市,號痛之聲不絕。惟趙括之母不哭,曰:「自括為將時,老妾已不看作生人矣。」趙王以趙母有前言,不加誅,反賜粟帛以慰之。又使人謝廉頗。趙國正在驚惶之際,邊吏又報道:「秦兵攻下上黨,十七城皆已降秦。今武安君親率大軍前進,聲言欲圍邯鄲。」趙王問群臣:「誰能止秦兵者?」群臣莫應。平原君歸家,遍問賓客,賓客亦無應者。適蘇代客於平原君之所,自言「代若至咸陽,必能止秦兵不攻趙。」平原君言於趙王,趙王大出金幣,資之入秦。蘇代往見應侯范睢,睢揖之上坐,問曰:「先生何為而來?」蘇代曰:「為君而來。」范睢曰:「何以教我?」蘇代曰:「武安君已殺馬服子乎?」睢應曰:「然。」代曰:「今且圍邯鄲乎?」睢又應曰:「然。」代曰:「武安君用兵如神,身為秦將,所收奪七十餘城,斬首近百萬,雖伊尹呂望之功,不加於此。今又舉兵而圍邯鄲,趙必亡矣!趙亡,則秦成帝業,秦成帝業,則武安君為佐命之元臣,如伊尹之於商,呂望之於周。君雖素貴,不能不居其下也!」范睢愕然前席曰:「然則如何?」蘇代曰:「君不如許韓趙割地以和於秦。夫割地以為君功,而又解武安君之兵柄,君之位,則安於泰山矣!」范睢大喜。明日即言於秦王曰:「秦兵在外日久,已勞苦,宜休息。不如使人諭韓趙,使割地以求和。」秦王曰:「惟相國自裁。」於是范睢復大出金帛,以贈蘇代之行,使之往說韓趙。韓趙二王懼秦,皆聽代計。韓許割垣雍一城,趙許割六城,各遣使求和於秦。秦王初嫌韓止一城太少,使者曰:「上黨十七縣,皆韓物也!」秦王乃笑而受之。召武安君班師。白起連戰皆勝,正欲進圍邯鄲,忽聞班師之詔,知出於應侯之謀,乃大恨。 自此白起與范睢有隙。白起宣言於眾曰:「自長平之敗,邯鄲城中,一夜十驚,若乘勝往攻,不過一月可拔矣。惜乎應侯不知時勢,主張班師,失此機會!」秦王聞之,大悔曰:「起既知邯鄲可拔,何不早奏?」乃復使起為將,欲使伐趙。白起適有病不能行,乃改命大將王陵。陵率軍十萬伐趙,圍邯鄲城。趙王使廉頗禦之。頗設守甚嚴,復以家財募死士,時時夜縋城往砍秦營。王陵兵屢敗。時武安君病已愈,秦王欲使代王陵。武安君奏曰:「邯鄲實未易攻也。前者大敗之後,百姓震恐不寧,因而乘之,彼守則不固,攻則無力,可剋期而下。今二歲餘矣,其痛已定,又廉頗老將,非趙括比。諸侯見秦之方和於趙,而復攻之,皆以秦為不可信,必將『合從』而來救,臣未見秦之勝也!」秦王強之行,白起固辭。秦王復使應侯往請。武安君怒應侯前阻其功,遂稱疾。秦王問應侯曰:「武安君真病乎?」應侯曰:「病之真否未可知,然不肯為將,其志已堅。」秦王怒曰:「起以秦別無他將,必須彼耶?昔長平之勝,初用兵者王齕也,齕何遽不如起?」乃益兵十萬,命王齕往代王陵。王陵歸國,免其官。王齕圍邯鄲,五月不能拔。武安君聞之,謂其客曰:「吾固言邯鄲未易攻,王不聽吾言,今竟如何?」客有與應侯客善者,洩其語。應侯言於秦王,必欲使武安君為將。武安君遂偽稱病篤。秦王大怒,削武安君爵土,貶為士伍,遷於陰密,立刻出咸陽城中,不許暫停。武安君嘆曰:「范蠡有言:『狡兔死,走狗烹。』吾為秦攻下諸侯七十餘城,故當烹矣!」於是出咸陽西門,至於杜郵,暫歇,以待行李。應侯復言於秦王曰:「白起之行,其心怏怏不服,大有怨言,其託病非真,恐適他國為秦害。」秦王乃遣使賜以利劍,令自裁。使者至杜郵,致秦王之命。武安君持劍在手,嘆曰:「我何罪於天,而至此!」良久曰:「我固當死!長平之役,趙卒四十餘萬來降,我挾詐一夜盡坑之,彼誠何罪?我死固其宜矣!」乃自剄而死。時秦昭襄王之五十年十一月,周赧王之五十八年也。秦人以白起死非其罪,無不憐之,往往為之立祠。後至大唐末年,有天雷震死牛一隻,牛腹有白起二字。論者謂白起殺人太多,故數百年後,尚受畜生雷震之報。殺業之重如此,為將者可不戒哉! 秦王既殺白起,復發精兵五萬,令鄭安平將之,往助王齕,必攻下邯鄲方已。趙王聞秦益兵來攻,大懼,遣使分路求救於諸侯。平原君趙勝曰:「魏,吾姻家,且素善,其救必至﹔楚大而遠,非以『合從』說之不可,吾當親往。」於是約其門下食客,欲得文武備具者二十人同往。三千餘人內,文者不武,武者不文,選來選去,止得一十九人,不足二十之數。平原君嘆曰:「勝養士數十年於茲矣,得士之難如此哉?」有下坐客一人,出言曰:「如臣者,不識可以備數乎?」平原君問其姓名,對曰:「臣姓毛名遂,大梁人,客君門下三年矣。」平原君笑曰:「夫賢士處世,譬如錐之處於囊中,其穎立露。今先生處勝門下三年,勝未有所聞,是先生於文武一無所長也。」毛遂曰:「臣今日方請處囊中耳!使早處囊中,將突然盡脫而出,豈特露穎而已哉?」平原君異其言,乃使湊二十人之數。即日辭了趙王,望陳都進發。既至,先通春申君黃歇。歇素與平原君有交,乃為之轉通於楚考烈王。平原君黎明入朝,相見禮畢,楚王與平原君坐於殿上,毛遂與十九人俱敘立於階下。平原君從容言及「合從」卻秦之事。楚王曰:「『合從』之約,始事者趙,後聽張儀遊說,其約不堅。先懷王為『從約長』,伐秦不克。齊湣王復為『從約長』,諸侯背之。至今列國以『從』為諱,此事如團沙,未易言也。」平原君曰:「自蘇秦倡『合從』之議,六國約為兄弟,盟於洹水,秦兵不敢出函谷關者十五年。其後,齊魏受犀首之欺,欲其伐趙,懷王受張儀之欺,欲其伐齊,所以從約漸解。使三國堅守洹水之誓,不受秦欺,秦其奈之何哉?齊湣王名為『合從』,實欲兼并,是以諸侯背之,豈『合從』之不善哉?」楚王曰:「今日之勢,秦強而列國俱弱,但可各圖自保,安能相為。」平原君曰:「秦雖強,分制六國則不足;六國雖弱,合制秦則有餘。若各圖自保,不思相救,一強一弱,勝負已分,恐秦師之日進也。」楚王又曰:「秦兵一出而拔上黨十七城,坑趙卒四十餘萬,合韓趙二國之力,不能敵一武安君。今又進逼邯鄲,楚國僻遠,能及於事乎?」平原君曰:「寡君任將非人,致有長平之失。今王陵王齕二十餘萬之眾,頓於邯鄲之下,先後年餘,不能損趙之分毫。若救兵一集,可以大挫其鋒,此數年之安也。」楚王曰:「秦新通好於楚,君欲寡人『合從』救趙,秦必遷怒於楚,是代趙而受怨矣。」平原君曰:「秦之通好於楚者,欲專事於三晉。三晉既亡,楚其能獨立哉?」楚王終有畏秦之心,遲疑不決。毛遂在階下顧視日晷,已當午矣。乃按劍歷階而上,謂平原君曰:「『從』之利害,兩言可決。今自日出入朝,日中而議猶未定,何也?」楚王怒問曰:「彼何人?」平原君曰:「此臣之客毛遂。」楚王曰:「寡人與汝君議事,客何得多言?」叱之使去。毛遂走上幾步,按劍而言曰:「『合從』乃天下大事,天下人皆得議之!吾君在前,叱者何也?」楚王色稍舒,問曰:「客有何言?」毛遂曰:「楚地五千餘里,自文武稱王,至今雄視天下,號為盟主。一旦秦人崛起,數敗楚兵,懷王囚死。白起小豎子,一戰再戰,鄢郢盡沒,被逼遷都。此百世之怨,三尺童子,猶以為羞,大王獨不念乎?今日『合從』之議,為楚,非為趙也!」楚王曰:「唯唯。」遂曰:「大王之意已決乎?」楚王曰:「寡人意已決矣!」毛遂呼左右,取歃血盤至,跪進於楚王之前曰:「大王為『從約長』,當先歃,次則吾君,次則臣毛遂。」於是從約遂定。毛遂歃血畢,左手持盤,右手招十九人曰:「公等宜共歃於堂下!公等所謂『因人成事』者也。」楚王既許「合從」,即命春申君將八萬人救趙。平原君歸國,嘆曰:「毛先生三寸之舌,強於百萬之師!勝閱人多矣,乃今於毛先生而失之,勝自今不敢復相天下士矣。」自是以遂為上客。正是: 櫓檣空大隨人轉,秤錘雖小壓千斤;利錐不與囊中處,文武紛紛十九人。 時魏安釐王遣大將晉鄙帥兵十萬救趙。秦王聞諸侯救至,親至邯鄲督戰,使人謂魏王曰:「秦攻邯鄲,旦暮且下矣。諸侯有敢救者,必移兵先擊之!」魏王大懼,遣使者追及晉鄙軍,戒以勿進。晉鄙乃屯於鄴下。春申君亦即屯兵於武關,觀望不進。此段事權且放過。 卻說秦王孫異人,自秦趙會澠池之後,為質於趙。那異人乃安國君之次子。安國君名柱,字子傒,昭襄王之太子也。安國君有子二十餘人,皆諸姬所出,非適子。所寵楚妃,號為華陽夫人,未有子。異人之母,曰夏姬,無寵,又早死,故異人質趙,久不通信。當王翦伐趙,趙王遷怒於質子,欲殺異人。平原君諫曰:「異人無寵,殺之何益?徒令秦人藉口,絕他日通和之路。」趙王怒猶未息,乃安置異人於叢臺,命大夫公孫乾為館伴,使出入監守,又削其廩祿。異人出無兼車,用無餘財,終日鬱鬱而已。 時有陽翟人姓呂,名不韋,父子為賈,平日往來各國,販賤賣貴,家累千金。其時適在邯鄲,偶於途中望見異人,生得面如傅粉,唇若塗朱,雖在落寞之中,不失貴介之氣。不韋暗暗稱奇,指問旁人曰:「此何人也?」答曰:「此乃秦王太子安國君之子,質於趙國,因秦兵屢次犯境,我王幾欲殺之。今雖免死,拘留叢臺,資用不給,無異窮人。」不韋私嘆曰:「此奇貨可居也!」乃歸問其父曰:「耕田之利幾倍?」父曰:「十倍。」又問:「販賣珠玉之利幾倍?」父曰:「百倍。」又問:「若扶立一人為王,掌握山河,其利幾倍?」父笑曰:「安得王而立之?其利千萬倍,不可計矣。」不韋乃以百金結交公孫乾。往來漸熟,因得見異人,佯為不知,問其來歷,公孫乾以實告。一日,公孫乾置酒請呂不韋,不韋曰:「座間別無他客,既是秦國王孫在此,何不請來同坐?」公孫乾從其命,即請異人與不韋相見,同席飲酒。至半酣,公孫乾起身如廁,不韋低聲而問異人曰:「秦王今老矣。太子所愛者華陽夫人,而夫人無子。殿下兄弟二十餘人,未有專寵,殿下何不以此時求歸秦國,事華陽夫人,求為之子,他日有立儲之望。」異人含淚對曰:「某豈望及此!但言及故國,心如刀刺,恨未有脫身之計耳。」不韋曰:「某家雖貧,請以千金為殿下西遊,往說太子及夫人,救殿下還朝,如何?」異人曰:「若如君言,倘得富貴,與君共之!」言甫畢,公孫乾到,問曰:「呂君何言?」不韋曰:「某問王孫以秦中之玉價,王孫辭我以不知也。」公孫乾更不疑惑,命酒更酌,盡歡而散。自此不韋與異人時常相會,遂以五百金密付異人,使之買囑左右,結交賓客。公孫乾上下俱受異人金帛,串做一家,不復疑忌。不韋復以五百金市買奇珍玩好,別了公孫乾,竟至咸陽。探得華陽夫人有姊,亦嫁於秦,先買囑其家左右,通話於夫人之姊,言:「王孫異人在趙,思念太子夫人,有孝順之禮,託某轉送。這些小之儀,亦是王孫奉候姨娘者。」遂將金珠一函獻上。姊大喜,自出堂,於簾內見客,謂不韋曰:「此雖王孫美意,有勞尊客遠涉。今王孫在趙,未審還想故土否?」不韋答曰:「某與王孫公館對居,有事罄與某說,某盡知其心事,日夜思念太子夫人,言自幼失母,夫人便是他嫡母,欲得回國奉養,以盡孝道。」姊曰:「王孫向來安否?」不韋曰:「因秦兵屢次伐趙,趙王每每欲將王孫來斬,喜得臣民盡皆保奏,幸存一命,所以思歸愈切。」姊曰:「臣民何故保他?」不韋曰:「王孫賢孝無比,每遇秦王太子及夫人壽誕,及元旦朔望之辰,必清齋沐浴,焚香西望拜祝,趙人無不知之。又且好學重賢,交結諸侯賓客,遍於天下,天下皆稱其賢孝。以此臣民,盡行保奏。」不韋言畢,又將金玉寶玩,約值五百金,獻上曰:「王孫不得歸侍太子夫人,有薄禮權表孝順,相求王親轉達!」姊命門下客款待不韋酒食,遂自入告於華陽夫人。夫人見珍玩,以為「王孫真念我!」心中甚喜。夫人姊回復呂不韋,不韋因問姊曰:「夫人有子幾人?」姊曰:「無有。」不韋曰:「吾聞『以色事人者,色衰而愛弛。』今夫人事太子甚愛而無子,及此時宜擇諸子中賢孝者為子,百歲之後,所立子為王,終不失勢。不然,他日一旦色衰愛弛,悔無及矣!今異人賢孝,又自附於夫人,自知中男不得立,夫人誠拔以為適子,夫人不世世有寵於秦乎?」姊復述其言於華陽夫人。夫人曰:「客言是也。」一夜,與安國君飲正歡,忽然涕泣,太子怪而問之。夫人曰:「妾幸得充後宮,不幸無子,君諸子中惟異人最賢,諸侯賓客來往,俱稱譽之不容口。若得此子為嗣,妾身有託。」太子許之。夫人曰:「君今日許妾,明日聽他姬之言,又忘之矣。」太子曰:「夫人倘不相信,願刻符為誓!」乃取玉符,刻「適嗣異人」四字,而中剖之,各留其半,以此為信。夫人曰:「異人在趙,何以歸之?」太子曰:「當乘間請於王也。」 時秦昭襄王方怒趙,太子言於王,王不聽。不韋知王后之弟楊泉君方貴幸,復賄其門下,求見楊泉君。說曰:「君之罪至死,君知之乎?」楊泉君大驚曰:「吾何罪?」不韋曰:「君之門下,無不居高官,享厚祿,駿馬盈於外廄,美女充於後庭﹔而太子門下,無富貴得勢者。王之春秋高矣,一旦山陵崩,太子嗣位,其門下怨君必甚,君之危亡可待也!」楊泉君曰:「為今之計當如何?」不韋曰:「鄙人有計,可以使君壽百歲,安於泰山,君欲聞否?」楊泉君跪請其說。不韋曰:「王年高矣,而子傒又無適男,今王孫異人賢孝聞於諸侯,而棄在於趙,日夜引領思歸,君誠請王后言於秦王,而歸異人,使太子立為適子,是異人無國而有國,太子之夫人無子而有子,太子與王孫之德王后者,世世無窮,君之爵位可長保也。」楊泉君下拜曰:「謹謝教!」即日以不韋之言告於王后,王后因為秦王言之。秦王曰:「俟趙人請和,吾當迎此子歸國耳。」太子召呂不韋問曰:「吾欲迎異人歸秦為嗣,父王未准,先生有何妙策?」不韋叩首曰:「太子果立王孫為嗣,小人不惜千金家業,賂趙當權,必能救回。」太子與夫人俱大喜,將黃金三百鎰付呂不韋,轉付王孫異人為結客之費。王后亦出黃金二百鎰,總付不韋。夫人又為異人製衣服一箱,亦贈不韋黃金共百鎰。預拜不韋為異人太傅,使傳語異人:「只在旦晚,可望相見,不必憂慮。」不韋辭歸,回至邯鄲,先見父親,說了一遍。父親大喜。次日,即備禮謁見公孫乾。然後見王孫異人,將王后及太子夫人一段說話,細細詳述。又將黃金五百鎰及衣服獻上。異人大喜,謂不韋曰:「衣服我留下,黃金煩先生收去,倘有用處,但憑先生使費,只要救得我歸國,感恩不淺!」 再說不韋向取下邯鄲美女,號為趙姬,善於歌舞,知其懷娠兩月,心生一計,想道:「王孫異人回國,必有繼立之分。若以此姬獻之,倘然生得一男,是我嫡血,此男承嗣為王,嬴氏的天下,便是呂氏接代,也不枉了我破家做下這番生意。」因請異人和公孫乾來家飲酒,席上珍羞百味,笙歌兩行,自不必說。酒至半酣,不韋開言:「卑人新納一小姬,頗能歌舞,欲令奉勸一盃,勿嫌唐突。」即命二青衣丫鬟,喚趙姬出來。不韋曰:「汝可拜見二位貴人。」趙姬輕移蓮步,在氍毹上叩了兩個頭。異人與公孫乾慌忙作揖還禮。不韋令趙姬手捧金巵,向前為壽。杯到異人,異人抬頭看時,果然標緻。怎見得? 雲鬢輕挑蟬翠,蛾眉淡掃春山,朱唇點一顆櫻桃,皓齒排兩行白玉。微開笑靨,似褒姒欲媚幽王;緩動金蓮,擬西施堪迷吳主。萬種嬌容看不盡,一團妖治畫難工。 趙姬敬酒已畢,舒開長袖,即在氍毹上舞一個大垂手小垂手。體若游龍,袖如素蜺,宛轉似羽毛之從風,輕盈與塵霧相亂。喜得公孫乾和異人目亂心迷,神搖魂蕩,口中贊嘆不已。趙姬舞畢,不韋命再斟大觥奉勸,二人一飲而盡。趙姬勸酒完了,入內去訖。賓主復互相酬勸,盡量極歡。公孫乾不覺大醉,臥於坐席之上。異人心念趙姬,借酒裝面,請於不韋曰:「念某孤身質此,客館寂寥,欲與公求得此姬為妻,足滿平生之願。未知身價幾何?容當奉納。」不韋佯怒曰:「我好意相請,出妻獻妾,以表敬意,殿下遂欲奪吾所愛,是何道理?」異人跼蹐無地,即下跪曰:「某以客中孤苦,忘想要先生割愛,實乃醉後狂言,幸勿見罪!」不韋慌忙扶起曰:「吾為殿下謀歸,千金家產尚且破盡,全無吝惜,今何惜一女子。但此女年幼害羞,恐其不從,彼若情願,即當奉送,備鋪床拂席之役。」異人再拜稱謝,候公孫乾酒醒,一同登車而去。其夜,不韋向趙姬言曰:「秦王孫十分愛你,求你為妻,你意若何?」趙姬曰:「妾既以身事君,且有娠矣,奈何棄之,使事他姓乎?」不韋密告曰:「汝隨我終身,不過一賈人婦耳。王孫將來有秦王之分,汝得其寵,必為王后。天幸腹中生男,即為太子,我與你便是秦王之父母,富貴俱無窮矣。汝可念夫婦之情,曲從吾計,不可洩漏!」趙姬曰:「君之所謀者大,妾敢不奉命!但夫妻恩愛,何忍割絕?」言訖淚下。不韋撫之曰:「汝若不忘此情,異日得了秦家天下,仍為夫婦,永不相離,豈不美哉。」二人遂對天設誓。當夜同寢,恩情倍常,不必細述。次日,不韋到公孫乾處,謝夜來簡慢之罪。公孫乾曰:「正欲與王孫一同造府,拜謝高情,何反勞枉駕?」少頃,異人亦到,彼此交謝。不韋曰:「蒙殿下不嫌小妾醜陋,取侍巾櫛,某與小妾再三言之,已勉從尊命矣。今日良辰,即當送至寓所陪伴。」異人曰:「先生高義,粉骨難報!」公孫乾曰:「既有此良姻,某當為媒。」遂命左右備下喜筵。不韋辭去,至晚,以溫車載趙姬與異人成親。髯翁有詩云: 新歡舊愛一朝移,花燭窮途得意時;盡道王孫能奪趣,誰知暗贈呂家兒! 異人得了趙姬,如魚似水,愛眷非常。約過一月有餘,趙姬遂向異人曰:「妾獲侍殿下,天幸已懷胎矣。」異人不知來歷,只道自己下種,愈加歡喜。那趙姬先有了兩月身孕,方嫁與異人,嫁過八個月,便是十月滿足,當產之期,腹中全然不動。因懷著個混一天下的真命帝王,所以比常不同,直到十二個月周年,方纔產下一兒。產時紅光滿室,百鳥飛翔。看那嬰兒,生得豐準長目,方額重瞳,口中含有數齒,背項有龍鱗一搭,啼聲洪大,街市皆聞。其日,乃秦昭襄王四十八年正月朔旦。異人大喜曰:「吾聞應運之主,必有異徵,是兒骨相非凡,又且生於正月,異日必為政於天下。」遂用趙姬之姓,名曰趙政。後來政嗣為秦王,兼并六國,即秦始皇也。當時呂不韋聞得趙姬生男,暗暗自喜。 至秦昭襄王五十年,趙政已長成三歲矣。時秦兵圍邯鄲甚急,不韋謂異人曰:「趙王倘復遷怒於殿下,奈何?不如逃奔秦國,可以自脫。」異人曰:「此事全仗先生籌畫。」不韋乃盡出黃金共六百斤,以三百斤遍賂南門守城將軍,託言曰:「某舉家從陽翟來,行賈於此,不幸秦寇生發,圍城日久,某思鄉甚切,今將所存資本,盡數分散各位,只要做個方便人情,放我一家出城,回陽翟去,感恩不淺!」守將許之。復以百斤獻於公孫乾,述已欲回陽翟之意,反央公孫乾與南門守將說個方便。守將和軍卒都受了賄賂,落得做個順水人情。不韋預教異人將趙氏母子,密寄於母家。是日,置酒請公孫乾說道:「某只在三日內出城,特具一杯話別。」席間將公孫乾灌得爛醉。左右軍卒,俱大酒大肉,恣其飲啖,各自醉飽安眠。至夜半,異人微服混在僕人之中,跟隨不韋父子行至南門,守將不知真假,私自開鑰,放他出城而去。論來王齕大營,在於西門,因南門是走陽翟的大路,不韋原說還鄉,所以只討南門。三人共僕從結隊連夜奔走,打大灣轉欲投秦軍。至天明,被秦國遊兵獲住。不韋指異人曰:「此秦國王孫,向質於趙,今逃出邯鄲,來奔本國,汝輩可速速引路!」遊兵讓馬匹與三人騎坐,引至王齕大營。王齕問明來歷,請入相見,即將衣冠與異人更換,設宴管待。王齕曰:「大王親在此督戰,行宮去此不過十里。」乃備車馬,轉送入行宮。秦昭襄王見了異人,不勝之喜,曰:「太子日夜想汝,今天遣吾孫脫於虎口也。便可先回咸陽,以慰父母之念。」異人辭了秦王,與不韋父子登車,竟至咸陽。不知父子相見如何,且看下回分解。
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