東周列國志第一百回 魯仲連、秦を帝とするを肯んじない/信陵君、符を窃んで趙を救う (魯仲連不肯帝秦  信陵君竊符救趙)

子楚と改名

  • 呂不韋は王孫異人と共に秦王に別れを告げ、そのまま咸陽へ向かった。すでに人が太子安国君に報せていた。安国君は華陽夫人に言った。「わが子がついに来たぞ。」そして安国君は夫人と表の広間に並んで座り、異人を待った。
  • 不韋は異人に言った。「華陽夫人は楚のお生まれです。殿下がすでにその子となられる以上、楚の服装で謁見なさるのがよろしいでしょう、慕い寄る心をお示しになるべきです。」異人はこれに従った。
  • そこで衣装を改め、東宮に至り、まず安国君を拝し、次いで夫人を拝した。涙ながらに言った。「不肖の子は久しく親のお顔から離れており、お仕えすることができませんでした。どうか両親には不孝の罪をお許しください。」
  • 夫人は異人が南方風の冠を頭に頂き、豹の履をはき、短い袍に革帯を締めているのを見て、驚いて問うた。「お前は邯鄲にいたのに、どうして楚人の装いをしているのか。」異人は跪いて答えた。「不孝の子は日夜慈母を思い続けておりましたので、特に楚の服を作り、憶念の情を表そうとしたのでございます。」
  • 夫人は大いに喜んで言った。「妾は楚の人である。今よりお前を自らの子とみなそう。」安国君は言った。「わが子は名を子楚と改めるがよい。」異人は拝謝した。
  • 安国君は子楚に「どのようにして帰れたのか」と問うた。子楚は趙王が先に彼を害しようとしたことと、呂不韋が家産を破ってまで賄賂を尽くしてくれたことを、詳しく述べた。安国君はすぐに不韋を召してねぎらって言った。「先生がいなければ、危うくわが賢孝の子を失うところであった。今、東宮の俸禄の田二百頃、及び屋敷一つ、黄金五十鎰を、当座の安住の資として与えよう。父王が国に帰られた後、さらに官位を加え、俸禄を増してやろう。」不韋は謝恩して退出した。子楚はそのまま華陽夫人の宮中に居を構えた。これはひとまず措く。

公孫乾の自刎

  • 一方、公孫乾は夜が明けて酒の酔いが覚めると、左右の者が「秦の王孫一家の行方が分かりません」と報告してきた。人を遣わして呂不韋にも問わせたが、「不韋もまた不在です」との返事であった。
  • 公孫乾は大いに驚いて言った。「不韋は三日のうちに出発すると言っていたのに、どうして夜半に発ったのか。」すぐに南門へ赴いて問い質した。守将は答えた。「不韋の家族はすでに久しく城を出ました。これは大夫の命によるものです。」
  • 公孫乾は問うた。「王孫異人はいたか。」守将は言った。「ただ呂氏父子と従僕数人だけを見ました。王孫はその中にはおりませんでした。」公孫乾は地団太を踏んで嘆いた。「従僕の中にこそ必ずや王孫がいたのだ。私は商人の計にはめられたのだ。」
  • そこで趙王に上表して言った。「臣乾は監督の任を怠り、人質の異人を逃してしまいました。臣の罪は逃れようがございません。」そして剣の上に身を投げ、自ら首を刎ねて死んだ。髯翁に嘆きの詩がある。
  • (詩:明け暮れの監視には万全を期すべきなのに、酒食と金銭ばかりを貪ったために、酔いから覚めた頃には王孫はすでに去っており、一振りの剣で九泉の下に悔いを知ることになったと詠む趣旨)

新垣衍の帝秦策と魯仲連

  • 秦王は王孫が秦へ逃げ帰って以来、趙への攻撃をますます急にした。趙は再び使者を遣わして魏に進軍を求めた。客将軍新垣衍が策を献じて言った。「秦がかくも急に趙を包囲するのには理由がございます。かつて斉の湣王と強さを争って帝を称え、後に帝号を取り消したことがございましたが、今湣王はすでに死に、斉はますます弱まり、ただ秦だけが独り雄となりながら、いまだ帝号を正しく称えておりません。その心中は慊たらぬものがあり、今なお兵を用いて侵伐をやめぬのは、その意図は帝号を求めることにあるのです。まことに趙に使いを出させ秦を帝と尊べば、秦は必ず喜んで兵を退くでしょう。これは虚名をもって実禍を免れるものです。」
  • 魏王はもとより趙を救うことを恐れており、深くこの策をもっともだと思った。すぐに新垣衍を使者に伴わせ邯鄲へ至らせ、この言葉を趙王に奏上させた。趙王は群臣とその可否を協議したが、議論は紛糾し決まらず、平原君も心が乱れ、まったく判断がつかなかった。
  • 時に斉人魯仲連という者がいた。十二歳の時、弁士田巴を論破し、当時の人は彼を「千里の駒」と呼んだ。田巴は言った。「これは飛兔(千里よりさらに速い名馬)だ、千里の駒どころではない。」成長してからは仕官を潔しとせず、もっぱら遠遊を好み、人のために困難を解き紛争を除くことを行っていた。
  • その頃たまたま趙の包囲された城中におり、魏の使いが秦を帝として尊ぶよう請うたと聞くと、憤然として不快に思い、平原君に会いに行って言った。「道行く人が、あなた様が秦を帝に立てることを謀っておられると言っています。本当ですか。」平原君は言った。「勝は弓に傷ついた鳥のようなもので、すでに魂を失っております。どうしてあえて事を語ろうとしましょう。これは魏王が新垣衍将軍を趙に遣わし、この件を申し出させたにすぎません。」
  • 魯仲連は言った。「あなた様は天下の賢公子です。それを魏の使者に運命を委ねるのですか。今、新垣衍将軍はどこにおられますか。私があなた様のために彼を責め、追い返して差し上げましょう。」平原君はこれを新垣衍に伝えた。衍はもとより魯仲連先生の名を聞いていたが、その弁舌の巧みなことを知っていたので、自分の建てた議を覆されることを恐れ、会うのを断った。
  • 平原君が強いてこれを求め、魯仲連を公館に招いて衍と対面させた。衍は目を上げて仲連を見ると、その容姿は清らかで気品に満ち、飄々として神仙のような風格があった。思わず肅然として敬意を抱き、言った。「私が先生のお姿を拝見するに、平原君に何かを求める者ではないようです。それなのになぜこの包囲された城中に長く留まり、去られないのですか。」
  • 魯仲連は言った。「私は平原君に求めるものはございません。ただ将軍にひとつお願いがあるのです。」衍は言った。「先生は何をお願いになるのか。」仲連は言った。「趙を助け、秦を帝としないようお願いします。」衍は言った。「先生はどうやって趙を助けるおつもりか。」仲連は言った。「私は魏と燕にこれを助けさせましょう。斉と楚はすでに助けております。」
  • 衍は笑って言った。「燕については私は分かりませんが、魏については私は大梁の人です。先生はどうして私に趙を助けさせることができましょうか。」仲連は言った。「魏はいまだ秦が帝を称える害を目にしていないだけです。もしその害を目にすれば、必ず趙を助けるでしょう。」衍は言った。「秦が帝を称えれば、その害はいかなるものか。」
  • 仲連は言った。「秦は礼儀を捨て、首級の功を貴ぶ国です。強さを頼み詐りを用い、民を虐殺しております。秦とて今はまだ諸侯と並ぶ一国にすぎないのに、それでなおこの有様です。もし恣に帝を称えれば、ますますその虐を増すでしょう。私はむしろ東海に身を投げて死んでも、その民となることは忍びません。それなのに魏は甘んじてその下に立とうというのですか。」
  • 衍は言った。「魏がどうして甘んじてその下に立とうとしましょうか。たとえば僕たる者が、十人でも一人の主人に従うのは、智力が主人に劣るからでしょうか。ただこれを畏れているだけなのです。」仲連は言った。「魏は自らを僕とみなしているのですか。私は秦王に魏王を煮殺したうえ醢(塩辛)にさせてみせましょう。」
  • 衍は憤然として言った。「先生はどうやって秦王に魏王を煮殺し醢にさせられるのか。」仲連は言った。「昔、九侯・鄂侯・文王は、紂の三公でした。九侯には美しい娘があり、これを紂に献じました。娘は淫を好まず紂の怒りに触れ、紂は娘を殺し九侯を醢にしました。鄂侯がこれを諫めると、共に鄂侯も煮殺されました。文王はこれを聞いてひそかに嘆きましたが、紂はさらに文王を羑里に幽閉し、危うく死を免れないところでした。この三公の智力が紂に劣っていたわけではございません。天子が諸侯に対する振る舞いとは、もとよりこのようなものなのです。秦が恣に帝を称えれば、必ず魏に入朝を求めるでしょう。一朝にして九侯・鄂侯のような誅を行われれば、誰がこれを止められましょうか。」
  • 新垣衍は考え込んで答えなかった。仲連はさらに言った。「これだけではございません。秦が恣に帝を称えれば、さらに諸侯の大臣を入れ替え、秦が憎む者からはその地位を奪い、気に入りの者をその地位に据えるでしょう。またその子女や讒言する妾を諸侯の後宮に送り込むでしょう。魏王がどうして安穏としていられましょうか。まして将軍、あなたはどうしてご自分の爵禄を保っていられましょうか。」
  • 新垣衍は思わず立ち上がり、再拝して謝った。「先生はまことに天下の士です。衍は帰ってわが君に復命いたします。二度と秦を帝とすることは申しません。」
  • 秦王は魏の使者が秦を帝と仰ぐ議のために来たと聞いて大いに喜び、攻撃を緩めてこれを待っていた。しかし帝の議が成らず、魏の使者が去ったと聞くと、嘆じて言った。「あの包囲された城中に人物がいるのだ、軽んじてはならぬ。」そこで軍を汾水に退かせ、王齕に用心して準備するよう戒めた。

信陵君、単身で趙へ赴く決意

  • さて新垣衍が去った後、平原君はさらに人を鄴の下に遣わし晋鄙に救援を求めたが、鄙は王命を理由に断った。平原君はそこで書を作り、信陵君無忌を責めた。「勝が公子に自ら婚姻を結んでいただいたのは、公子の高い義をもって、人の困難を急いで救ってくださると思ったからです。今、邯鄲は朝夕にも秦に降るというのに、魏の救援は進んで来ません。これが、勝が平生あなた様を頼みとして身を託してまいりました、その期待に応えるものでございましょうか。あなた様の姉君は城が破れることを憂え、日夜悲泣しておられます。公子は勝のことをお思いにならなくとも、姉君のことはお思いにならないのですか。」
  • 信陵君はこの書を受け取り、幾度も魏王に晋鄙に進軍を命じるよう求めたが、魏王は言った。「趙は自ら秦を帝とすることを拒んだのに、それを他人の力に頼って秦を退けようというのか。」ついに許さなかった。
  • 信陵君はさらに賓客弁士たちを遣わし、あらゆる巧みな説得を試みたが、魏王はどうしても従わなかった。信陵君は言った。「私は義において平原君を裏切るわけにはいかない。私は独りでも趙へ赴き、彼と生死を共にしよう。」そこで車馬百余乗を用意し、あまねく賓客を招き、直接秦軍に打ちかかり、平原君の危難に身を捧げて死のうとした。従いたいと願う賓客は千余人にのぼった。
  • 夷門を通り過ぎるとき、侯生に別れを告げた。侯生は言った。「公子、ご健闘を。臣は年老いて従うことができません、お許しください、お許しください。」信陵君はしきりに侯生に目を向けたが、侯生は他に何も言わなかった。信陵君は快からぬ思いで去った。
  • 十里余り行ったところで、心中自ら思った。「私が侯生に対してきた態度は、自ら礼を尽くしていると思っていた。今私は秦軍へ向かい、死地へ赴こうとしているのに、侯生はひとことの計も授けてくれず、また私の行くのを止めもしなかった。まことに不思議なことだ。」そこで賓客を留めさせ、独り車を戻して侯生に会いに行った。
  • 賓客たちは皆言った。「あれは半分死んだような老人です。役に立たないことは明らかなのに、公子はどうしてわざわざ会いに行かれるのですか。」信陵君は聞き入れなかった。

侯生の秘策、朱亥の推挙と侯生の自刎

  • さて侯生は門の外に立っており、信陵君の車騎を望み見て笑って言った。「嬴(侯生)はもとより公子が必ず戻ってこられると見込んでおりました。」信陵君は言った。「なぜですか。」侯生は言った。「公子は嬴を厚くもてなしてくださいました。公子が測りがたい死地へ入られようとしているのに、臣がお見送りもしないとなれば、必ず臣を恨まれるでしょう。それゆえ公子が必ず戻ってこられると知っていたのです。」
  • 信陵君はそこで再拝して言った。「無忌は初め自分に先生への至らなさがあったのではと疑い、それでお見捨てになったのかと恐れたので、戻って理由をお尋ねしたのです。」侯生は言った。「公子は数十年にわたり賓客を養われてきましたが、賓客から一つの奇計も出たとは聞いておりません。ただいたずらに公子に付き従って強秦の刃に身をさらすだけです。それではまるで肉を飢えた虎に投げ与えるようなもの、何の益がございましょうか。」
  • 信陵君は言った。「無忌も益がないことは分かっています。ただ平原君とは厚い交わりがあり、義において独り生きながらえることはできません。先生には何か計がございますか。」侯生は言った。「公子、まずお座りください、老臣にゆっくり計らせていただきましょう。」そして従者を退けさせ、ひそかに問うた。「如姫が王に寵愛されていると聞きますが、本当ですか。」信陵君は「そうです」と答えた。
  • 侯生は言った。「嬴はまた聞くところ、如姫の父が昔人に殺されたとき、如姫が王に父の仇を報いたいと願い、その仇を三年探しても得られませんでしたが、公子が食客に命じてその仇の首を斬らせ、如姫に献じられたとのこと。これは事実でしょうか。」信陵君は言った。「果たしてそのようなことがありました。」
  • 侯生は言った。「如姫は公子のご恩に感じ、公子のためなら死んでもよいと思うようになって、すでに一日ならずの時が経っております。今、晋鄙の兵符は王の寝室にございます。ただ如姫だけがこれを盗み出す力があります。公子がひとたび口を開いて如姫にお願いになれば、如姫は必ずお従いになりましょう。公子がこの符を得られれば、晋鄙の軍を奪い、これをもって趙を救い秦を退けることができます。これこそ五覇の功にも劣らぬものです。」
  • 信陵君は夢から覚めたような心地がし、再拝して謝した。そこで賓客を先に郊外で待たせ、独り車を戻して家に帰り、親しくしている内侍顔恩に、符を盗む件をひそかに如姫に頼ませた。如姫は言った。「公子のご命令とあれば、たとえ妾が煮え湯や火の中を踏むことになろうとも、どうして辞退いたしましょう。」
  • その夜、魏王は酒に酔い熟睡していた。如姫はすぐに虎符を盗み出し顔恩に授け、これを信陵君の手に届けさせた。信陵君は符を得ると、再び侯生のもとへ辞去の挨拶に行った。
  • 侯生は言った。「『将は外にあれば、君命の受けざるところあり』と申します。公子がすでに符を合わせても、晋鄙が信じず、あるいは自らの判断で王に再び請うようなことがあれば、事は成りません。臣の客に朱亥という者がおります。これは天下の力士です。公子は彼を伴って行かれるとよいでしょう。晋鄙が素直に従えばそれで良し、もし従わなければ、朱亥に命じて彼を打ち殺させるのです。」
  • 信陵君は思わず涙を流した。侯生は言った。「公子は畏れておられるのですか。」信陵君は言った。「晋鄙は老将であり罪もない者です。もし従わなければ打ち殺さねばなりません。それが悲しいのであって、他に畏れることはございません。」
  • そこで侯生と共に朱亥の家を訪ね、事情を語った。朱亥は笑って言った。「臣はただの市井の屠殺人でございます。公子には幾度も足を運んでいただきながら、それにお報いしなかったのは、ささやかな返礼などしても何の役にも立たないと考えていたからです。今、公子に急がございます、まさに亥が命を捧げる時でございます。」
  • 侯生は言った。「臣も義において従うべきですが、年老いて遠くまでは行けません。魂だけでも公子をお見送りいたしましょう。」そう言うとすぐに車の前で自ら首を刎ねた。信陵君は深く悲しみ悼み、その家に厚く手当てして殯を営ませ、自らはあえて留まることなく、そのまま朱亥と共に車に乗り北へ向かった。髯仙に詩がある。
  • (詩:魏王が敵を畏れたのはまことに勇ましからず、公子が命を捨てようとしたのもまた嗤うべきだと双方をそしり、三千の食客が誰も役に立たなかった中で、侯生の奇計だけが如姫の力を借りて実を結んだことを詠む趣旨)

魏王の追及と邯鄲の民の窮状

  • さて魏王は寝室で兵符を失って三日後、ようやくこれに気づき、心中大いに驚き怪しんだ。如姫を問い詰めたが、ただ知らぬふりを通した。宮中をあまねく捜索させたが、まったく手がかりはなかった。
  • そこで顔恩に、寝所に宿直していた宮女や内侍を一人一人拷問させたが、顔恩は事情をすべて心得ていたので、わざと問いただす真似をして一日を無駄に過ごした。
  • 魏王はふと公子無忌のことを思い出した。あの者はしつこく、晋鄙に進軍を命じよと自分にせがんできたし、その手下の賓客には鶏鳴狗盗の輩が多い、必ず彼の仕業だろうと。人を遣わして信陵君を召したが、返ってきた報告は「四、五日前にすでに賓客千余人、車百乗と共に城を出て、趙を救いに行ったと伝えられております」というものであった。魏王は大いに怒り、将軍衛慶に兵三千を率いさせ、夜を徹して信陵君を追わせた。
  • さて邯鄲城中では救援の兵を待ち望んだが、一人も来なかった。民は力尽き、投降の議が盛んに起こり、趙王はこれを憂えた。
  • 伝舎の吏の子李同という者が平原君に説いて言った。「民は日々城壁に登って守っているのに、あなた様は安穏と富貴を享受しておられる。これでは誰があなた様のために力を尽くしましょうか。あなた様がまことに夫人以下を軍列に編入し、役割を分担して働かせ、家中の金品をすべて出して将士に与えられれば、危難と苦しみの中にある将士たちは恩に感じやすく、必ずや秦に抵抗する力が高まりましょう。」
  • 平原君はこの計に従った。決死の士三千人を募り、李同にこれを率いさせ、城壁を伝って夜襲をかけさせ、秦兵千余人を殺した。王齕は大いに驚き、三十里退いて陣を張った。城中の人心はやや落ち着いた。李同は重傷を負い、城に戻って死んだ。平原君は慟哭し、厚く葬らせた。

晋鄙の殺害と邯鄲救援

  • さて信陵君無忌は鄴の下に至り、晋鄙に言った。「大王は将軍が久しく野外で風雨にさらされ陣を張り続けておられることを思い、無忌を遣わして代わりに労をとらせようとされました。」そして朱亥に虎符を捧げさせ晋鄙にこれを検分させた。
  • 晋鄙は符を手に取り、ためらいながら思った。「魏王は十万の兵を私に託され、私は不才ながら敗北の罪を犯してはいない。今、魏王からの手紙もなく、公子はただ符だけを手にして来られ、代わりの将になろうとされている。この事を軽々しく信じてよいものだろうか。」そこで信陵君に言った。「公子、しばらくお待ちいただき、私が軍籍を整理し名簿を作った上で、明白にお渡しするのはいかがでしょうか。」
  • 信陵君は言った。「邯鄲の情勢は今にも滅びる瀬戸際にある。夜を徹してでも救援に赴くべきなのに、どうしてこれ以上の時を費やすことができようか。」晋鄙は言った。「実を申せば、これは軍機の大事です。私はさらに改めて上奏を願わねば、あえて軍をお渡しするわけには参りません。」
  • 言い終わらぬうちに、朱亥が厳しい声で叫んだ。「元帥、王命に従わなければ反逆になるぞ。」晋鄙がやっと「お前は何者だ」と問うたところ、朱亥は袖の中から重さ四十斤の鉄鎚を取り出し、晋鄙の頭に一撃を加えた。脳漿が飛び散り、たちどころに息絶えた。
  • 信陵君は符を握って諸将に言った。「魏王の命により、無忌が晋鄙将軍に代わって趙を救うことになった。晋鄙は王命に従わなかったので、すでに誅殺した。三軍は安心して令に従うように。軽々しく動いてはならない。」陣営は粛然となった。
  • 衛慶が鄴の下に追いついた頃には、信陵君はすでに晋鄙を殺し、その軍を掌握していた。衛慶は信陵君の趙を救う意志がすでに定まっていることを知り、そのまま辞去しようとした。信陵君は言った。「あなたはすでにここまで来られたのだ。私が秦を破るのを見届けてから、わが王に報告なさるがよい。」衛慶はやむなく密かに報告を先に送り、軍中に留まった。
  • 信陵君は三軍を大いにねぎらい、さらに令を下した。「父子共に軍中にいる者は、父を帰す。兄弟共に軍中にいる者は、兄を帰す。一人っ子で兄弟のない者は、帰って親を養わせる。病のある者は留めて医薬を施す。」このとき帰りたいと申し出た者はおよそ十分の二であった。
  • こうして精兵八万を得て、隊伍を整え、軍法を明らかにした。信陵君は賓客を率い、自ら士卒の先頭に立って秦の陣営を攻めた。王齕は思いがけず魏兵が突然来たので、慌てて防戦した。魏兵は勇を奮って攻め寄せ、平原君もまた城を開いて呼応し、大戦が繰り広げられた。
  • 王齕は兵の半分を失い、汾水の大営へ逃げ帰った。秦王は包囲を解いて撤退するよう令を伝えた。鄭安平は二万の兵で東門に別営を張っていたが、魏兵に阻まれて帰ることができず、嘆いて言った。「私はもともと魏の人だったのだ。」そこで魏に降った。春申君は秦軍がすでに囲みを解いたと聞くと、これもまた兵を引き上げて帰った。韓王は機に乗じて再び上党を取り戻した。これは秦の昭襄王の五十年、周の赧王五十八年の出来事である。

信陵君の恭謙と魯仲連の辞退

  • 趙王は自ら牛や酒を携え軍をねぎらい、信陵君に再拝して言った。「趙国が滅びかけて再び存立できたのは、すべて公子のお力によるものです。古来賢人の中でも、公子に及ぶ者はございません。」
  • 平原君は弩と矢を背負い、信陵君の先導を務めた。信陵君はいくぶん誇らしげな様子を見せた。朱亥が進み出て言った。「人が公子に恩を施してくれたことは、公子は忘れてはなりません。しかし公子が人に恩を施したことは、公子はかえってお忘れにならねばなりません。公子は王命を偽って晋鄙の軍を奪い、趙を救われました。趙に対しては功があるとはいえ、魏に対しては罪なきとは申せません。それを公子は自らの功として誇っておられるのですか。」
  • 信陵君は大いに恥じて言った。「無忌、謹んでお教えを受けましょう。」邯鄲城に入る頃には、趙王は自ら宮室を清め整えて信陵君を迎え、主人としての礼を極めて丁重に尽くした。信陵君に西の階から上るよう揖したが、信陵君は謙って正客としての席を受けようとせず、はにかみながら細やかな足取りで東の階から進んだ。
  • 趙王は盃を捧げて祝寿し、公子が趙を存続させた功を称えた。信陵君は身をすくめて謙り謝して言った。「無忌は魏に対して罪あり、趙に対しては功はございません。」宴が終わり、信陵君が客館へ帰った後、趙王は平原君に言った。「寡人は五城をもって魏公子に封じようと思うのだが、公子の謙遜がここまで至っているのを見ると、寡人は自らを恥じ、口に出すことができない。どうか鄗を公子の湯沐の邑としてお贈りしたい。あなたから伝えていただきたい。」
  • 平原君は趙王の命を伝え、信陵君は幾度も辞退した末、ようやく受けた。信陵君は自らが魏王に罪を得たと考え、あえて帰国せず、兵符を将軍衛慶に託して軍を率いて魏へ帰させ、自分は趙国に留まった。魏に残っていた賓客たちも、魏を捨てて趙へ赴き、信陵君を頼った。
  • 趙王はまた魯仲連を大きな邑をもって封じようとしたが、仲連は固く辞退した。千金を贈っても受け取らず、こう言った。「富貴を得て人にへつらうよりは、貧賤であっても自由を得るほうがよい。」信陵君と平原君は共にこれを留めようとしたが、仲連は従わず、飄然として去って行った。まことに高士というべきである。史臣に賛がある。
  • (詩:魯仲連の品格の高さを千載にわたり称え、強秦を帝と認めず東海に身を投げても構わぬとした心意気を、困難を排して栄誉を辞退した逍遙自在の生き方として、蘇秦・張儀に十倍する人物と評する趣旨)

毛公・薛公との交わり

  • 時に趙には隠士がおり、毛公という者は博打打ちの中に隠れ、薛公という者は漿(甘酒や酢漿のたぐいの飲み物)を売る家に隠れていた。信陵君はかねてその賢名を聞いており、朱亥に命じて訪ねさせたが、二人は身を隠して会おうとしなかった。
  • ある日、信陵君は二人の消息を突き止め、毛公が薛公の家にいることを知ると、車馬を用いず、ただ朱亥一人を伴い、目立たぬ身なりのまま徒歩で、漿を買いに来た者を装ってその場所へ直接赴き、二人に対面した。
  • 二人はちょうど店先の罏(飲み物を売る台)に寄って共に飲んでいるところであった。信陵君はそのまま入り込み、自ら姓名を名乗り、これまでの慕う気持ちを述べた。二人は逃げるに逃げられず、やむなく対面し、四人は同席して酒を酌み交わし、大いに歓を尽くして散会した。これより信陵君はしばしば毛公・薛公と共に遊んだ。
  • 平原君はこれを聞き、夫人に言った。「以前私は、あなたの弟は天下の豪傑であり、公子の中に肩を並べる者はいないと聞いていた。それなのに今、日々博打打ちや漿売りの者たちと出歩き交わっているとは、その付き合いが相応しくない者たちであり、名誉を損なうのではないかと恐れる。」
  • 夫人は信陵君に平原君の言葉を伝えた。信陵君は言った。「私は以前平原君を賢者と思っていたからこそ、魏王に背いてまで兵を奪って救援に来たのだ。今、平原君の交わる賓客は、ただ豪奢を尊ぶばかりで、賢士を求めようとしない。無忌が国にいた頃、常々趙に毛公・薛公という者がいると聞き、共に遊ぶことができないのを残念に思っていた。今日彼らのために鞭を執ることさえ、なお彼らに軽んじられるのではないかと恐れているほどなのに、平原君はこれを恥とされる。どうしてこれで士を好むと言えようか。平原君は賢者ではない、私は留まるべきではない。」
  • その日のうちに賓客に荷造りを命じ、他国へ赴こうとした。平原君は信陵君が荷造りをしていると聞いて大いに驚き、夫人に言った。「勝はあえてあなたの弟に礼を失うようなことはしていないはずだが、どうして急に私を捨てて去ろうとされるのか。夫人はその理由をご存知か。」夫人は言った。「わが弟はあなた様を賢者ではないと思ったので、留まりたくないのです。」そして信陵君の言葉を語った。
  • 平原君は顔を覆って嘆じて言った。「趙に二人の賢人がいることを、信陵君はすでに知っておられたのに、私は知らなかった。私は信陵君にはるかに及ばない。これに照らせば、勝は人の類にすら比べられない者だ。」そこで自ら館舎を訪ね、冠を脱いで額を地につけて拝し、失言の罪を詫びた。信陵君はその後ようやく趙に留まった。
  • 平原君の門下の士たちはこの事を聞き、去って信陵君のもとへ投じる者が大半であった。四方から趙へ遊学に来る賓客も、皆信陵君に帰し、二度と平原君の名を聞くことはなくなった。髯翁に詩がある。
  • (詩:漿を売り博打を打つ貧しい者たちと交わることをどうして卑しいと嫌う必要があろうか、豪華な身分の公子が進んで身を低くして賤しい者と交わったことを称え、平原君の見識の狭さを笑い、富貴をもって賢人を軽んじたことを戒める趣旨)

如姫の弁明、魏王の赦しと信陵君の帰国不許可

  • さて魏王は衛慶の密報を受け取り、「公子無忌は果たして兵符を盗み、晋鄙を撃殺し、その軍勢を代わって率いて趙を救いに向かい、しかも臣を軍中に留めて帰国を許しません」との報告を聞いた。魏王は激怒し、信陵君の家族を捕らえようとし、さらに国内に残る賓客をことごとく誅そうとした。
  • 如姫は跪いて願い出た。「これは公子の罪ではございません、賤妾の罪でございます。妾は万死に値します。」魏王は激しく怒って問うた。「符を盗んだのはお前か。」如姫は言った。「妾の父は人に殺され、大王は一国の主でありながら妾のために仇を報いることができませんでしたが、公子はこれを果たしてくださいました。妾は公子の深い恩に感じ入り、自らこれに報いる術がないのを恨みに思っておりました。今、公子が姉君のことを思い日夜哀泣なさっているのを見て、賤妾は忍びず、そこでほしいままに虎符を盗み、晋鄙の軍を発せしめ、その志を成就させたのでございます。」
  • 如姫は続けて言った。「妾が聞くところ、『身内の者が争えば、髪も束ねぬまま冠をかぶり、その紐を結びながら駆けつけて助ける』と申します。趙と魏はなお身内のようなものでございます。大王が昔の義理をお忘れになっても、公子は身内の急に赴かれました。もし幸いにも秦を退け趙を全うできれば、大王の威名は遠近に広がり、義声は四海に轟くでしょう。妾はたとえ身を粉々に砕かれようとも、何を恨みましょうか。もし信陵君の家族を捕らえ、その賓客を誅されて、信陵君が兵に敗れれば、甘んじてその罪に服しますが、もし勝利を得られたら、どうなさるおつもりですか。」
  • 魏王はしばらく考え込み、怒りはやや和らいだが、なお問うた。「お前が符を盗んだといっても、必ず取り次いだ者がいるはずだ。」如姫は言った。「取り次いだのは顔恩でございます。」
  • 魏王は左右に命じて顔恩を縛って連れて来させ、問うた。「お前はどうしてあえて信陵君に兵符を送ったのか。」恩は言った。「奴婢は兵符のことなど何も存じませんでした。」
  • 如姫は顔恩に目配せして言った。「先日私はお前に花飾りを信陵夫人に届けさせたが、あの箱の中身こそが兵符だったのだ。」顔恩はその意を汲み取って大声で泣いて言った。「如姫様のご命令を、奴婢がどうしてお断りできましょうか。あの時はただ花飾りを届けるとだけ言われ、箱は幾重にも封じてございました。奴婢がどうしてその中身を知りましょうか。今日、奴婢は無実の罪で死ぬのでございます。」
  • 如姫もまた泣いて言った。「妾に罪があるのは当然でございます、他の者を巻き添えにしないでください。」魏王は左右に命じて顔恩の縛りを解かせ、獄に下した。如姫は幽閉の宮に落とし、一方で人を遣わして信陵君の勝敗の消息を探らせ、改めて処分を決めることとした。
  • およそ二月余り過ぎて、衛慶が兵を引き上げて朝廷に帰り、兵符を返上して奏上した。「信陵君は秦軍を大いに破りましたが、あえて帰国せず、すでに趙の都に留まっておられます。大王にくれぐれもよろしくとの拝礼の言伝がございました。『後日、罪をお受けいたします。』」魏王は交戦の様子を尋ね、衛慶は詳しく述べた。群臣は皆ひれ伏して祝賀を述べ、「万歳」と唱えた。
  • 魏王は大いに喜び、すぐに左右に命じて如姫を幽閉の宮から召し出させ、顔恩を獄から出させ、共にその罪を赦した。如姫は謁見して謝恩し、奏上した。「趙を救う功を成し、秦国に大王の威を畏れさせ、趙王に大王の徳を懐かせたのは、皆信陵君の功でございます。信陵君は国の長城であり、一門に伝わる祖廟の祭器にも等しいかけがえのない方です。どうして外国に捨て置けましょうか。どうか大王には使いを遣わして本国へお召し戻しになり、一つには親族の情を全うし、一つには賢を賢とする義をお示しになりますように。」
  • 魏王は言った。「彼は罪を免れただけで十分ではないか。どうして功と言えようか。」ただこう言い渡した。「信陵君の名義における領邑の俸禄は、これまで通り本邸へ送り家族に用いさせるが、帰国は許さぬ。」これより魏と趙は共に太平で事なく過ぎた。

范睢の連座

  • さて秦の昭襄王は敗戦して帰国すると、太子安国君は王孫子楚を伴って郊外に出迎え、皆呂不韋の賢を口を揃えて奏上した。秦王は不韋を客卿に封じ、千戸の食邑を与えた。
  • 秦王は鄭安平が魏に降ったと聞き、大いに怒り、その一族を滅ぼした。鄭安平はもともと丞相応侯范睢の推挙した者であった。秦の法では、推挙された者が期待に応えられなかった場合、推挙した者はその推挙された者と同罪とされる。鄭安平が敵に降り、すでに一族を誅されたからには、范睢もまたこれに連座すべき立場となった。そこで范睢は藁筵に座して罪を待つこととなった。范睢の命運がどうなるかは、まだ分からない。それは次回を見よ。
原文(底本)
話說呂不韋同著王孫異人,辭了秦王,竟至咸陽。先有人報知太子安國君。安國君謂華陽夫人曰:「吾兒至矣!」夫人並坐中堂以待之。不韋謂異人曰:「華陽夫人乃楚女,殿下既為之子,須用楚服入見,以表依戀之意。」異人從之。當下改換衣裝,來至東宮,先拜安國君,次拜夫人。泣涕而言曰:「不肖男久隔親顏,不能侍養,望二親恕兒不孝之罪!」夫人見異人頭頂南冠,足穿豹舄,短袍革帶,駭而問曰:「兒在邯鄲,安得效楚人裝束?」異人拜稟曰:「不孝男日夜思想慈母,故特製楚服,以表憶念。」夫人大喜曰:「妾,楚人也,當自子之!」安國君曰:「吾兒可改名曰子楚。」異人拜謝。安國君問子楚:「何以得歸?」子楚將趙王先欲加害,乃賴得呂不韋破家行賄之事,細述一遍。安國君即召不韋勞之曰:「非先生,險失我賢孝之兒矣。今將東宮俸田二百頃,及第宅一所,黃金五十鎰,權作安歇之資。待父王回國,加官贈秩。」不韋謝恩而出。子楚就在華陽夫人宮中居住。不在話下。

  再說公孫乾直至天明酒醒,左右來報:「秦王孫一家不知去向!」使人去問呂不韋,回報:「不韋亦不在矣。」公孫乾大驚曰:「不韋言三日內起身,安得夜半即行乎?」隨往南門詰問。守將答曰:「不韋家屬出城已久,此乃奉大夫之命也。」公孫乾曰:「可有王孫異人否?」守將曰:「但見呂氏父子,及僕從數人,並無王孫在內。」公孫乾跌足嘆曰:「僕從之內,必有王孫,吾乃墮賈人之計矣!」乃上表趙王,言:「臣乾監押不謹,致質子異人逃去,臣罪無所辭!」遂伏劍自刎而亡。髯翁有詩嘆曰:

    監守晨昏要萬全,只貪酒食與金錢;醉鄉回後王孫去,一劍須知悔九泉。

  秦王自王孫逃回秦國,攻趙益急。趙君再遣使求魏進兵。客將軍新垣衍獻策曰:「秦所以急圍趙者有故。前此與齊湣王爭強為帝,已而復歸帝不稱,今湣王已死,齊益弱,惟秦獨雄,而未正帝號,其心不慊,今日用兵侵伐不休,其意欲求為帝耳。誠令趙發使尊秦為帝,秦必喜而罷兵,是以虛名而免實禍也。」魏王本心憚於救趙,深以其謀為然。即遣新垣衍隨使者至邯鄲,以此言奏知趙王。趙王與群臣議其可否。眾議紛紛未決,平原君方寸已亂,亦漫無主裁。時有齊人魯仲連者,年十二歲時,曾屈辯士田巴,時人號為「千里駒」。田巴曰:「此飛兔也,豈止千里駒而已!」及年長,不屑仕宦,專好遠遊,為人排難解紛。其時適在趙國圍城之中,聞魏使請尊秦為帝,勃然不悅,乃求見平原君曰:「路人言君將謀帝秦,有之乎?」平原君曰:「勝乃傷弓之鳥,魄已奪矣,何敢言事。此魏王使將軍新垣衍來趙言之耳!」魯仲連曰:「君乃天下賢公子,乃委命於梁客耶?今新垣衍將軍何在?吾當為君責而歸之!」平原君因言於新垣衍。衍雖素聞魯仲連先生之名,然知其舌辯,恐亂其議,辭不願見。平原君強之,遂邀魯仲連俱至公館,與衍相見。衍舉眼觀看仲連,神清骨爽,飄飄乎有神仙之度,不覺肅然起敬,謂曰:「吾觀先生之玉貌,非有求於平原君者也,奈何久居此圍城之中,而不去耶?」魯仲連曰:「連無求於平原君,竊有請於將軍也。」衍曰:「先生何請乎?」仲連曰:「請助趙而勿帝秦。」衍曰:「先生何以助趙?」仲連曰:「吾將使魏與燕助之,若齊楚固已助之矣。」衍笑曰:「燕則吾不知,若魏,則吾乃大梁人也,先生又烏能使吾助趙乎?」仲連曰:「魏未睹秦稱帝之害也。若睹其害,則助趙必矣!」衍曰:「秦稱帝,其害如何?」仲連曰:「秦乃棄禮義而上首功之國也。恃強挾詐,屠戮生靈,彼並為諸侯,而猶若此,倘肆然稱帝,益濟其虐。連寧蹈東海而死,不忍為之民也!而魏乃甘為之下乎?」衍曰:「魏豈甘為之下哉?譬如僕者,十人而從一人,寧智力不若主人哉?誠畏之耳!」仲連曰:「魏自視若僕耶?吾將使秦王烹醢魏王矣!」衍咈然曰:「先生又惡能使秦王烹醢魏王乎?」仲連曰:「昔者九侯、鄂侯、文王,紂之三公也。九侯有女而美,獻之於紂。女不好淫,觸怒紂,紂殺女而醢九侯。鄂侯諫之,并烹鄂侯。文王聞之竊嘆,紂復拘之於羑里,幾不免於死。豈三公之智力不如紂耶?天子之行於諸侯,固如是也。秦肆然稱帝,必責魏入朝。一旦行九侯鄂侯之誅,誰能禁之?」新垣衍沉思未答,仲連又曰:「不特如此。秦肆然稱帝,又必將變易諸侯之大臣,奪其所憎,而樹其所愛。又將使其子女讒妾為諸侯之室,魏王安能晏然而已乎?即將軍又何以保其爵祿乎?」新垣衍乃蹶然而起,再拜謝曰:「先生真天下士也!衍請出復吾君,不敢再言帝秦矣。」秦王聞魏使者來議帝秦事,甚喜,緩其攻以待之。及聞帝議不成,魏使已去,嘆曰:「此圍城中有人,不可輕視!」乃退屯於汾水,戒王齕用心准備。

  再說新垣衍去後,平原君又使人至鄴下求救於晉鄙,鄙以王命為辭。平原君乃為書讓信陵君無忌曰:「勝所以自附為婚姻者,以公子高義,能急人之困耳!今邯鄲旦暮降秦,而魏救不前,豈勝平生所以相託之意乎?令姊憂城破,日夜悲泣。公子縱不念勝,獨不念姊耶?」信陵君得書,數請魏王求敕晉鄙進兵。魏王曰:「趙自不肯帝秦,乃仗他人力卻秦耶?」終不許。信陵君又使賓客辯士,百般巧說,魏王只是不從。信陵君曰:「吾義不可以負平原君。吾寧獨赴趙,與之俱死!」乃具車騎百餘乘,遍約賓客,欲直犯秦軍,以徇平原君之難,賓客願從者千餘人。行過夷門,與侯生辭別。侯生曰:「公子勉之!臣年老不能從行,勿怪,勿怪!」信陵君屢目侯生,侯生並無他語。信陵君快快而去。約行十餘里,心中自念:「吾所以待侯生者,自謂盡禮。今吾往奔秦軍,行就死地,而侯生無一言半辭為我謀,又不阻我之行,甚可怪也!」乃約住賓客,獨引車還見侯生。賓客皆曰:「此半死之人,明知無用,公子何必往見!」信陵君不聽。

  卻說侯生立在門外,望見信陵君車騎,笑曰:「嬴固策公子之必返矣。」信陵君曰:「何故?」侯生曰:「公子遇嬴厚,公子入不測之地,而臣不送,必恨臣,是以知公子必返。」信陵君乃再拜曰:「始無忌自疑有所失於先生,致蒙見棄,是以還請其故耳。」侯生曰:「公子養客數十年,不聞客出一奇計,而徒與公子犯強秦之鋒,如以肉投餓虎,何益之有?」信陵君曰:「無忌亦知無益,但與平原君交厚,義不獨生。先生何以策之?」侯生曰:「公子且入坐,容老臣徐計。」乃屏去從人,私叩曰:「聞如姬得幸於王,信乎?」信陵君曰:「然。」侯生曰:「嬴又聞如姬之父,昔年為人所殺,如姬言於王,欲報父仇,求其人,三年不得,公子使客斬其仇頭,以獻如姬。此事果否?」信陵君曰:「果有此事。」侯生曰:「如姬感公子之德,願為公子死,非一日矣。今晉鄙之兵符,在王臥內,惟如姬力能竊之。公子誠一開口,請於如姬,如姬必從。公子得此符,奪晉鄙軍,以救趙而卻秦,此五霸之功也。」信陵君如夢初覺,再拜稱謝。乃使賓客先待於郊外,而獨身迴車至家,使所善內侍顏恩,以竊符之事,私乞於如姬。如姬曰:「公子有命,雖使妾蹈湯火,亦何辭乎?」是夜,魏王飲酒酣臥,如姬即盜虎符授顏恩,轉致信陵君之手。信陵君既得符,復往辭侯生。侯生曰:「『將在外,君命有所不受。』公子即合符,而晉鄙不信,或從便宜,復請於魏王,事不諧矣。臣之客朱亥,此天下力士,公子可與俱行。晉鄙見從甚善,若不聽,即令朱亥擊殺之。」信陵君不覺泣下。侯生曰:「公子有畏耶?」信陵君曰:「晉鄙老將無罪,倘不從,便當擊殺,吾是以悲,無他畏也。」於是與侯生同詣朱亥家,言其故。朱亥笑曰:「臣乃市屠小人,蒙公子數下顧,所以不報者,謂小禮無所用。今公子有急,正亥效命之日也。」侯生曰:「臣義當從行,以年老不能遠涉,請以魂送公子!」即自剄於車前。信陵君十分悲悼,乃厚給其家,使為殯殮,自己不敢留滯,遂同朱亥登車望北而去。髯仙有詩云:

    魏王畏敵誠非勇,公子捐生亦可嗤!食客三千無一用,侯生奇計仗如姬。

  卻說魏王於臥室中失了兵符,過了三日之後,方纔知覺,心中好不驚怪。盤問如姬,只推不知。乃遍搜宮內,全無下落。卻教顏恩將宮娥內侍,凡直內寢者,逐一拷打。顏恩心中了了,只得假意推問,又亂了一日。魏王忽然想著公子無忌,屢次苦苦勸我敕晉鄙進兵,他手下賓客,雞鳴狗盜者甚多,必然是他所為。使人召信陵君,回報:「四五日前,已與賓客千餘,車百乘出城,傳聞救趙去矣。」魏王大怒,使將軍衛慶,率軍三千,星夜往追信陵去訖。

  再說邯鄲城中盼望救兵,無一至者,百姓力竭,紛紛有出降之議,趙王患之。有傳舍吏子李同,說平原君曰:「百姓日乘城為守,而君安享富貴,誰肯為君盡力乎?君誠能令夫人以下,編於行伍之間,分功而作,家中所有財帛,盡散以給將士,將士在危苦之鄉,易於感恩,拒秦必甚力。」平原君從其計。募得敢死之士三千人,使李同領之,縋城而出,乘夜斫營,殺秦兵千餘人。王齕大驚,亦退三十里下寨。城中人心稍定。李同身帶重傷,回城而死。平原君哭之慟,命厚葬之。

  再說信陵君無忌行至鄴下,見晉鄙曰:「大王以將軍久暴露於外,遣無忌特來代勞。」因使朱亥捧虎符與晉鄙驗之。晉鄙接符在手,心下躊躇,想道:「魏王以十萬之眾託我,我雖固陋,未有敗衂之罪,今魏王無尺寸之書,而公子徒手捧符,前來代將,此事豈可輕信?」乃謂信陵君曰:「公子暫請消停幾日,待某把軍伍造成冊籍,明白交付何如?」信陵君曰:「邯鄲勢在垂危,當星夜赴救,豈得復停時刻?」晉鄙曰:「實不相瞞,此軍機大事,某還要再行奏請,方敢交軍。」說猶未畢,朱亥厲聲喝曰:「元帥不奉王命,便是反叛了!」晉鄙方問得一句:「汝是何人?」只見朱亥袖中出鐵鎚,重四十斤,向晉鄙當頭一擊,腦漿迸裂,登時氣絕。信陵君握符謂諸將曰:「魏王有命,使某代晉鄙將軍救趙,晉鄙不奉命,今已誅死。三軍安心聽令,不得妄動!」營中肅然。比及衛慶追至鄴下,信陵君已殺晉鄙,將其軍矣。衛慶料信陵君救趙之志已決,便欲辭去。信陵君曰:「君已至此,看我破秦之後,可還報吾王也。」衛慶只得先打密報,回復魏王,遂留軍中。信陵君大犒三軍,復下令曰:「父子俱在軍中者,父歸;兄弟俱在軍中者,兄歸;獨子無兄弟者,歸養;有疾病者,留就醫藥。」是時告歸者約十分之二,得精兵八萬人,整齊步伍,申明軍法。信陵君率賓客,身為士卒先,進擊秦營。王齕不意魏兵卒至,倉卒拒戰。魏兵賈勇而前,平原君亦開城接應,大戰一場。王齕折兵一半,奔汾水大營。秦王傳令解圍而去。鄭安平以二萬人別營於東門,為魏兵所遏,不能歸,嘆曰:「吾原是魏人!」乃投降於魏。春申君聞秦師已解,亦班師而歸。韓王乘機復取上黨。此秦昭襄王之五十年,周赧王五十八年之事也。

  趙王親攜牛酒勞軍,向信陵君再拜曰:「趙國亡而復存,皆公子之力,自古賢人,未有如公子者也。」平原君負弩矢,為信陵君前驅。信陵君頗有自功之色。朱亥進曰:「人有德於公子,公子不可忘,公子有德於人,公子不可不忘也。公子矯王命,奪晉鄙軍以救趙,於趙雖有功,而於魏未為無罪,公子乃自以為功乎?」信陵君大慚曰:「無忌謹受教!」比入邯鄲城,趙王親掃除宮室,以迎信陵君,執主人之禮甚恭。揖信陵君就西階,信陵君謙讓不敢當客,踽踽然細步循東階而上。趙王獻觴為壽,頒公子存趙之功。信陵君跼蹐遜謝曰:「無忌有罪於魏,無功於趙。」宴畢歸館,趙王謂平原君曰:「寡人欲以五城封魏公子,見公子謹讓之至,寡人自愧,遂不能出諸口。請以鄗為公子湯沐之邑,煩為致之。」平原君致趙王之命,信陵君辭之再四,方纔敢受。信陵君自以得罪魏王,不敢歸國,將兵符付將軍衛慶,督兵回魏,而身留趙國。其賓客之留魏者,亦棄魏奔趙,依信陵君。趙王又欲封魯仲連以大邑,仲連固辭,贈以千金,亦不受,曰:「與其富貴而詘於人,寧貧賤而得自由也。」信陵君與平原君共留之。仲連不從,飄然而去,直高士矣!史臣有贊云:

    卓哉魯連,品高千載!不帝強秦,寧蹈東海。排難辭榮,逍遙自在;視彼儀秦,相去十倍!

  時趙有處士毛公者,隱於博徒;有薛公者,隱於賣漿之家。信陵君素聞其賢名,使朱亥傳命訪之,二人匿不肯見。忽一日,信陵君蹤跡二人,知毛公在薛公之家,不用車馬,單使朱亥一人跟隨,微服徒步,假作買漿之人,直造其所,與二人相見。二人方據罏共飲,信陵君遂直入,自通姓名,敘向來傾慕之意。二人走避不及,只得相見,四人同席而飲,盡歡方散。自此以後,信陵君時時與毛薛二公同遊。平原君聞之,謂其夫人曰:「向者吾聞令弟天下豪傑,公子中無與為比。今乃日逐從博徒賣漿者出遊,交非其類,恐損名譽!」夫人見信陵君述平原君之言。信陵君曰:「吾向以為平原君賢者,故寧負魏王,奪兵來救。今平原所與賓客,徒尚豪舉,不求賢士也。無忌在國時,常聞趙有毛公薛公,恨不得與之同遊。今日為之執鞭,尚恐其不屑於我,平原君乃以為羞,何云好士乎?平原君非賢者,吾不可留!」即日命賓客束裝,欲適他國。平原君聞信陵君束裝,大驚,謂夫人曰:「勝未敢失禮於令弟,為何陡然棄我而去?夫人知其故乎?」夫人曰:「吾弟以君非賢,故不願留耳。」因述信陵君之語。平原君掩面嘆曰:「趙有二賢人,信陵君且知之,而吾不知,吾不及信陵君遠矣!以彼形此,勝乃不得比於人類」。乃躬造館舍,免冠頓首,謝其失言之罪。信陵君然後復留於趙。平原君門下士聞知其事,去而投信陵君者大半。四方賓客來遊趙者,咸歸信陵,不復聞平原君矣。髯翁有詩云:

    賣漿縱博豈嫌貧,公子豪華肯辱身。可笑平原無遠識,卻將富貴壓賢人!

  再說魏王接得衛慶密報,言:「公子無忌果竊兵符,擊殺晉鄙,代領其眾,前行救趙,并留臣於軍中,不遣歸國。」魏王怒甚,便欲收信陵君家屬,又欲盡誅其賓客之在國者。如姬乃跪而請曰:「此非公子之罪,乃賤妾之罪,妾當萬死!」魏王咆哮大怒,問曰:「竊符者乃汝乎?」如姬曰:「妾父為人所殺,大王為一國之主,不能為妾報仇,而公子能報之。妾感公子深恩,恨無地自效!今見公子以念姊之故,日夜哀泣,賤妾不忍,故擅竊虎符,使發晉鄙之軍,以成其志。妾聞:『同室相鬥者,被髮纓冠而往救之。』趙與魏猶同室也。大王忘昔日之義,而公子赴同室之急,倘幸而卻秦全趙,大王威名揚於遠近,義聲騰於四海,妾雖碎屍萬段,亦何所恨乎?若收信陵君家屬,誅其賓客,信陵兵敗,甘服其罪,倘其得勝,將何以處之?」魏王沉吟半晌,怒氣稍定,問曰:「汝雖竊符,必有傳送之人。」如姬曰:「遞送者,顏恩也。」魏王命左右縛顏恩至,問曰:「汝何敢送兵符於信陵?」恩曰:「奴婢不曾曉得什麼兵符。」如姬目視顏恩曰:「向日我著你送花勝與信陵夫人,這盒內就是兵符了。」顏恩會意,乃大哭曰:「夫人吩咐,奴婢焉敢有違?那時只說送花勝去,盒子重重封固,奴婢豈知就裏?今日屈死奴婢也!」如姬亦泣曰:「妾有罪自當,勿累他人。」魏王喝教將顏恩放綁,下於獄中,如姬貶入冷宮,一面使人探聽信陵君勝負消息,再行定奪。約過了二月有餘,衛慶班師回朝,將兵符繳上,奏道:「信陵君大敗秦軍,不敢還國,已留身趙都,多多拜上大王:『改日領罪!』」魏王問交兵之狀,衛慶備細述了一遍,群臣皆羅拜稱賀,呼「萬歲!」魏王大喜,即使左右召如姬於冷宮,出顏恩於獄,俱恕其罪。如姬參見謝恩畢,奏曰:「救趙成功,使秦國畏大王之威,趙王懷大王之德,皆信陵君之功也。信陵君乃國之長城,家之宗器,豈可棄之於外邦?乞大王遣使召回本國,一以全『親親』之情,一以表『賢賢』之義。」魏王曰:「彼免罪足矣,何得云功乎?」但吩咐:「信陵君名下應得邑俸,仍舊送去本府家眷支用,不准迎歸。」自是魏趙俱太平無話。

  再說秦昭襄王兵敗歸國,太子安國君率王孫子楚出迎於郊,齊奏呂不韋之賢。秦王封為客卿,食邑千戶。秦王聞鄭安平降魏,大怒,族滅其家。鄭安平乃是丞相應侯范睢所薦,秦法凡薦人不效者,與所薦之人同罪,鄭安平降敵,既已族誅,范睢亦該連坐了;於是范睢席藁待罪。不知性命如何,且看下回分解。

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