殘唐五代史演義傳第二回 唐天子、科挙を開いて士を取る (唐天子開科取士)
僖宗の即位
- 唐の帝位は代々伝わって懿宗で十七代目となり、その後を僖宗が継いで位に即いた。僖宗は名を澴といい、懿宗の末子である。年は十三で、宦官の劉行深・韓文約によって立てられた。都は長安に置き、元号を改めて乾符元年とした。僖宗は朝を開いた(詩:朝儀の盛大な威容を詠む)。
田令孜の献策と招賢の榜
- 群臣の朝が終わると、僖宗は問うた。「天下はひどく荒れ、民は反乱している。これをどう治めればよいか」と。
- 言い終わらぬうちに佞臣の田令孜が進み出た。この男は三省六部を総督し、まさに文官の筆頭であり武将の頭目であった。
- 令孜は奏上した。「天下が荒れ乱れて賊寇が蜂のように起こり、男は刀槍を腰に挿したまま田を耕し、女は鎧を着たまま兵糧を運ぶありさまだと聞き及びます。それはひとえに文に清廉な官が無く、武に勇ましい将が少ないせいでございます。どうか主上、文と武の二つの選挙の場をお開きになり、天下の文人と勇士を選び取って、彼らを官とし将として、賊を討ち民を安んじさせていただきますよう。さすれば太子のことも、たちどころに成し遂げられましょう」と。
- 帝はこの奏を裁可し、ただちに翌日、賢を招く榜を出すよう命じた。天下の挙子はことごとく咸陽に集まった。この一事に英雄・傑士の心が奮い立ったと詠んだ(詩:英傑の奮起を詠む)。
- 科を開いて士を取ることがどうなるかは、次回に続く。
原文(底本)
卻說懿宗傳至十七代,僖宗即位,僖宗名澴,懿宗少子也。年十三,為宦官劉行深、韓文約所立,建都於長安,改元乾符元年,僖宗設朝,詩云: 絳幘雞人報曉籌,尚衣方進紫雲裘。 九天閶闔開宮殿,萬國衣冠拜冕旒。 日色才臨仙掌動,香煙欲傍袞龍福。 群臣朝罷歸來處,一派珂聲繞鳳樓。 眾臣朝畢,僖宗問:「天下甚荒,黎民反亂,何以治之?」 言未盡,閃出佞臣田令孜。此人總督三省六部,正是文官的班頭,武將的領袖。奏說:「臣聞天下荒亂,賊寇蠭起,男子插刀槍而種田,婦女披衣甲而饋餉,只因文無清官,武少勇將,乞我主開文武二選場,選取天下文人勇士,教他為官為將,討賊安民,則太子可立致矣。」帝准奏,即命次日出榜招賢,天下舉子,盡到咸陽。 只因招選諸賢士,竦動英雄杰士心。 欲知開科取士如何,且看下回分解。
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