殘唐五代史演義傳第八回 晋王、兵を起こして中原に入る (晉王起兵入中原)

要約

晋王は宴で敬思をもてなして十日余り出兵に触れず、問われると来春を待てと答えた。敬思が、救兵は火を救うに等しいと迫ると、正宮の劉媳が、丈夫を名乗りながらなぜぐずつくのか、女の身でも兵を率いて賊を滅ぼすと叱った。雁翎刀を使い軍中に敢戦並ぶ者のない妃は、国の重恩に早く報いよ、関外の諸侯のどこかが先に黄巣を滅ぼせば何の顔で朝廷にまみえるかと切り返し、晋王は折れて出発を号令した。

李嗣源は乾飯と炒り麦粉を調えて番漢二営を点呼し、四十余万に及んだ。翌日全軍は金蓮川を離れ、黒河に着いた。

敬思は黒河の故事を尋ね、漢の元帝の妃昭君が奸臣毛延寿の絵を単于主に献じられて和番に来たが、夷狄の地を嫌ってこの河に身を投げたと語り、木蘭花の詞と昭君を悼む詩を挙げた。惜しいと嘆じる晋王に、一人の女さえ夷狄に留まるのを拒んだ、まして大唐の天下ならなおさらだと言うと晋王は従った。

数里行くと漢の李陵台が見え、敬思は、元帝が李陵を遣わして蘇武を贖わせたが李陵はこの地で自刎し、後世の人が台を築いたと語った。なぜ知るかと訝る晋王に通鑑を読んでいると答え、さらに蘇武廟こそまことの忠臣だと言い、蘇武が単于に拘留され降らぬので北海で羊を牧させられ、牡羊が子を生めば帰すと言われつつ漢の節を手に雪を齧り氈を食い、十九年後に帰り、夷人が廟を立てたと語る。卓吾子は、李僕射に国に殉ずる志があり、劉氏が兵を催させたのは女中の丈夫だと評す。

現代語訳全文

出兵を渋る晋王と劉妃の叱咤

  • 晋王は宴を設けて敬思をもてなし、いつのまにか十日あまりが過ぎたが、出兵の話は一言も口にしなかった。ある日の宴席で、酒が半ば回ったころ、敬思は席を離れて「大王はいつ兵を動かされますか」と切り出した。
  • 晋王は答えた。「いまは天が寒く地は凍り、草木も枯れて人馬の行軍は難しい。来春、天気が和らぎ草が青み砂が温かくなるのを待ってこそ、ようやく渡り合えるのだ」と。
  • 敬思は「救兵は火を救うのと同じで急を要します。中原の百姓は大旱に雲や虹を待ち望むように大王を待っております。遅らせてはなりません、どうかよくお考えください」と迫った。
  • 言い終わるや、晋王の背後から一人の女が声を張り上げた。「あなたは丈夫の身でありながら無駄に丈夫を名乗っておられます。僖宗はまさに危急のさなかにあって救援ばかりを待ち望み、一日でも早く兵が到着することを願っておられますのに、なぜぐずぐずなさるのですか。わたくしは女の身ではございますが、あえて自ら兵を率いて出向き賊を滅ぼし、中原の期待に応えてご覧に入れます」と。
  • 敬思がその女を見ると、貂の裘に翠の帽をかぶり、塞を出た昭君そのままの姿であった。杏のような顔に桃のような頬は、前朝の賈氏にも劣らない。朱の唇をそっと動かせば一顆の櫻桃が開き、白い歯を軽く覗かせれば砕けた玉の二列が現れる。湘の薄絹の裳裾をきりりと締めた姿は呉宮の西子のようで、金蓮の足でゆるやかに歩めば蓬島の仙姑さながらであった。(詩:劉妃の容姿)
  • この女は晋王の正宮・劉媳であった。二口の雁翎刀を使いこなし、軍中では敢戦して並ぶ者がなかった。晋王は「お前は婦人の身、どれほどの高見があるというのか、なぜここで口数多く言い立てるのか」と退けた。
  • 劉妃は切り返した。「大王は国から重い恩を受けておられるのですから早く報いるべきです。なぜ来春まで待つのですか。しかも大唐の関外の各鎮の諸侯はみな好漢揃いでございます。もしどこか一路が先に黄巣を滅ぼしてしまえば、そのとき大王はどんな顔をして朝廷にまみえるおつもりですか」と。
  • 晋王は「お前の言うとおりだ」と折れ、ただちに人馬を調え出発の支度をすると言って、号令を下した。

四十余万の進発

  • 李嗣源は乾飯と炒り麦粉の兵糧を取りそろえ、番漢二営の人馬を点呼した。その数はおよそ四十余万にのぼった。
  • 翌日の辰の刻に太鼓が鳴り、全軍は金蓮川を離れて平原を目指して進発した。旌旗は日を覆い、剣戟は銀のように光り、人馬は先を争って駆け、まことに雄々しい大軍であった。行軍の途中、前方の物見が戻って、すでに黒河に着いたと報じた。

黒河と王昭君の故事

  • 敬思は腹の内で思案した。晋王という老漢は直北の富貴に安んじて中原へ上るのを億劫がっている、黒河の故事を詳しく語って聞かせ、どう出るか見てやろう、と。
  • そこで敬思は「大王はこの黒河の故事をご存じですか」と尋ねた。晋王は「わしはがさつな武辺者だ、そんなことが分かるものか」と答えた。
  • 敬思は語った。「この故事は史冊にはっきりと載っております。昔、漢の元帝の妃に昭君という名の、たいそう美しい女がおりました。奸臣の毛延寿がその真の容姿を絵に描いて北番の単于主に献じました。のちに昭君は和番としてここまで来ましたが、直北が夷狄の地界であるのを見て先へ進むことを拒み、この河に身を投げて死んだのでございます」と。
  • 敬思は「信じられぬなら証となる詞を覚えております」と言って、《木蘭花》一篇を挙げた。遠ざかる昭君を見送り琵琶を弾く相手も無くなった愁いを詠み、黒河に身を投げたことを結びとする。(詩:木蘭花の詞)
  • さらに証となる詩一首も挙げた。黒河の流れの音とともに、和番に従った紅粉の美人を悼む内容である。(詩:黒河の昭君)
  • 晋王は「世にこれほどの烈女がいて、こんな所に沈み埋もれたとは、まことに惜しいことだ」と嘆じた。敬思はすかさず「たかが一人の女でさえ中原の繁華の地を慕ってここに留まることを拒んだのです。まして大王の家の大唐の天下ともなればなおさらではございませんか」と言い、晋王は「お前の言うとおりだ」と応じた。

李陵台

  • さらに数里も行かぬうちに、天に接するほどの勢いで巍然とそびえる台が見えた。晋王が「あれは何という所か」と問うと、敬思は「あれは漢の李陵台でございます」と答えた。
  • 晋王が「なぜそんなものがここにあるのか」と重ねて問うと、敬思は語った。「昔、漢の元帝が李陵を直北へ遣わして蘇武を贖い、朝廷へ連れ帰らせようとしました。李陵は後にこの地で剣を抜いて自刎いたしました。後世の人が彼のためにこの台を築き、その事を記念したのでございます」と。
  • これにも証となる詩がある。節を持したまま故郷へ還った壮士を悲しみ、身を屈して虜に降った庸才を歎じ、賢愚は千載ののちの筆によって定まると詠む。(詩:李陵台の史論)
  • 晋王は「お前は自分で直北へ来たことがないのに、この直北の故事をどうして知っているのだ」と訝った。敬思は「臣は《通鑑》を読んでおります。知らぬはずがございましょうか」と答えた。晋王は「わしは兵法に精通し韜略に熟達することばかりを能事と思ってきた。どうしてこんな忠臣烈女の事など知っていようか」と言った。

蘇武廟

  • 敬思は言った。「いま話しましたものはいずれも先朝の遺蹟で、ただ事を記すためのものにすぎず、羨むに足りません。この先にある蘇武廟こそ、まことの忠臣のものでございます」と。
  • 晋王が「何をもってそう言えるのか」と問うと、敬思は語った。「蘇武もまた漢人で、漢の元帝が直北へ遣わして進貢を催促させましたところ、単于に拘留されました。降れと迫られても屈しませんでしたので、単于は蘇武を北海のほとりで羊を牧させ、『牡の羊が子を生んだら、お前を帰してやろう』と申しました。蘇武は漢の節を手にしたまま羊を牧し、雪を齧り氈を食って飢えをしのぎ、節の旄はすっかり落ち尽くしました。行って十九年、ようやく漢に帰ることができました。後に夷人が彼のために廟を立て、その忠烈を顕彰したのでございます」と。
  • これにも証となる詩がある。忠臣が北の果てで苦しんだことを憐れみ、氈を食い雪を齧りながら十九年を経てついに漢へ帰り着いたと詠む。(詩:蘇武の節)
  • この後どうなるかは、次回に続く。

評語

  • 卓吾子の評。李僕射は兵を起こして賊を討ち、国に殉ずる志を持っていた。その妻の劉氏は兵を催して救援に向かわせた。これもまた女中の丈夫と言ってよい、と評する。
原文(底本)
晉王設宴,款待敬思,不覺已過旬日,絕口不言起兵。一日會宴,酒至半酣,敬思避席言曰:「大王幾時動兵?」晉王曰:「目今天寒地凍,草木已枯,人馬難行,待等來春天氣融和,草青沙暖,才好相持。」敬思曰:「救兵如救火,中原百姓立待大王,如大旱之望雲霓也,不可遲緩,願熟思之。」言罷,只見晉王背後一女子高聲大言曰:「看汝枉為丈夫,僖宗正在危急之際,專望救援,恨不得一日兵到,何故遲滯耶?妾雖女流,敢領兵前去滅賊,以慰中原之望。」敬思視之,那女子:

    貂裘翠帽,一似出塞昭君;杏臉桃腮,不亞前朝賈氏。朱唇款動,開一顆櫻桃;皓齒輕掀,露兩行碎玉。湘裙緊係,恰像吳宮西子;金蓮緩步,渾如蓬島仙姑。

  這女子是誰?乃晉王正宮劉媳也,能使兩口雁翎刀,軍中敢戰無敵。晉王曰:「汝是婦人,有何高見,緣何在此多言?」劉妃曰:「大王受國重恩,早宜報效,何待來春?且大唐關外各鎮諸侯皆是好漢。倘有一路滅了黃巢,那時大王有何面目再見朝廷乎?」晉王曰:「汝言是也!吾即調遣人馬,準備起程。」於是,傳下號令。李嗣源收拾乾糧炒麵,點起兩營番漢人馬,約有四十餘萬,次日辰牌鼓響,眾兵離了金蓮川,望平原進發。但見旌旗蔽日,劍戟如銀,人馬爭馳,果然雄劍大軍正行,前面哨馬回報,已到黑河。敬思暗想:「晉王老漢,貪著直北富貴,懶上中原,待我將黑河的故事細說一番,看他如何?」敬思曰:「大王曾識這黑河故事否?」晉王曰:「吾乃粗略武夫,安能識此?」敬思曰:「此故事著於史冊明矣。昔漢元帝一妃,名曰昭君,大有姿色,被奸臣毛延壽圖了真容,獻上北番單于主。後來昭君和番到此,見直北是夷狄地界,不肯前去,遂投此河而死。大王不信,某記有詞一篇為證,名曰《木蘭花》:

    望昭君漸遠,流粉淚,濕征鞍,塞雁南飛,行人北渡,無限關山。煙花頓成消索,問琵琶,今後與誰彈?惟有清風明月,教人怨恨長安。梨花不奈風寒,葉落粉香散。問長安,彩鸞人去也,想神仙,何日到人間?試問他愁知多少?投黑河,流水潺潺。」

  又有詩一首為證:

    黑河流水響潺潺,不斷陰雲蔽玉關,

    紅粉無顏從北虜,琵琶死後向誰彈?

  晉王曰:「世間有此烈女,沉埋於此,良可惜也!」敬思曰:「只一女子,也想中原繁華之地,不肯留此,何況你家大唐天下乎?」晉王曰:「汝言是也!」

  又行不數里,只見一臺,巍然高聳,勢若接天。晉王曰:「此是何處?」敬思曰:「此漢李陵臺也。」晉王曰:「何為在此?」敬思曰:「昔漢元帝遣李陵來直北贖蘇武還朝,後在此處,拔劍自刎。後人與他立下此臺,以紀其事。」亦有詩為證:

    曠野雲低恨滿懷,長安西望李陵臺,

    關河萬里秋風起,黃葉一天鴻雁來。

    持節還鄉悲壯士,屈身降虜歎庸才,

    賢愚千載春秋筆,懶上雲摟酌酒杯。

  晉王曰:「汝自不曾到直北來,這直北的故事,汝何識之?」敬思曰:「臣看《通鑑》,有何不識?」晉王曰:「吾只知精通兵法,熟諳韜略,以為能事,豈識此忠臣烈女之事乎?」

  敬思曰:「此皆先朝遺蹟,特以記事,不足為羨,前面乃一蘇武廟,真忠臣耳!」晉王曰:「何以見之?」敬思曰:「蘇武亦是漢人,漢元帝遣來直北,催逼進貢,被單于拘留,令降不屈,使蘇武北海上牧羊,曰:『羝羊生子,即放汝還』,武持漢節牧羊,齧雪餐氈,旌旄盡落,去十九年,始得歸漢,後夷人為之立廟,以旌忠烈。」有詩為證:

    漠漠平沙際北天,忠臣困此實堪憐。

    餐氈齧雪終歸漢,持節曾經十九年。

  欲知後事如何,且看下回分解。

  卓吾子評:

  李僕射起兵討賊,有殉國之志,其妻劉氏,催兵救援,亦可謂女中丈夫。

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