殘唐五代史演義傳第十五回 存孝、孟絶海を生け捕る (存孝生擒孟絕海)
要約
存孝は班翻浪の首級を取ってまた挑んだ。怒った孟絶海は大紅の袍と偃月刀で陣を敷いた。韓鑒が孟絶海はあれだと教えると、存孝は生け捕ってお目にかけると応じて韓鑒を帰した。孟絶海は骨の痩せた存孝を見て配下の二人が討たれたのをいぶかしんだ。
存孝が腹帯を締め直すから冷や矢を放つなと言うと、絶海は、射殺すようでは好漢とは言えぬと答えた。存孝は期限を気にしつつ腹帯を締め、馬に乗って死を受けよと呼びかけた。怒った絶海の刀を存孝は押し返し、猿のような腕を伸ばして生け捕った。主を失った部下は黄河の方へ逃げ、総兵葛従周のもとへ走った。
存孝は七つの穴から血を噴く絶海を馬の背に横たえて帰り、午の刻を三刻過ぎていた。死にも生きもせぬ姿を問われた存孝は、暴れるのを一締め挟んだだけだと答え、朱温が検めて両脇の肋骨が折れていると言った。
晋王が玉帯を渡せと命じると、朱温は僖宗より賜った帯で渡しては朝廷に顔向けできぬと言った。怒った晋王は存孝に奪わせ、存孝は玉帯をひとひねりして二つに引き裂いた。恥辱に耐えぬ朱温は部隊を率いて河中府を出て背き、晋王は、あの程度の賊は疥癬の患いだと大笑した。卓吾子は、晋王が智謀に乏しいため朱温は唐に背き晋王も汴梁の計略に陥った、大梁が興る運ゆえに朱温を疥癬と見くびらせたのだろうと評した。
現代語訳全文
存孝、孟絶海と対峙する
- 存孝は馬を降り、班翻浪の首級を取ると、再び戦いを挑みに出た。
- 巣軍の兵は「班翻浪はあの男の畢燕撾に打たれて死んだ」と報告した。孟絶海は「腹立たしいことだ」と叫び、刀を手にして馬に乗り、兵を率いて陣を敷いた。その出で立ちは金の甲冑が日に輝き、大紅の袍には大鵬の刺繍が施され、千里を追う名馬に跨がり、三つに区切った造りの偃月刀を手にしていた(詩:孟絶海の出で立ち)。
- 韓鑒は「太保、あの大紅の袍を着け偃月刀を使っているのが孟絶海だ」と叫んだ(底本はここを「孟絕毎」に作る)。存孝は「韓殿、先にお戻りください。しばらくすれば孟絶海を生け捕ってお目にかけます」と大声で応じた。韓鑒は引き揚げた。
- 孟絶海は馬を躍らせて陣を出、大声で「来る将は誰だ」と問うた。存孝は「わしは大唐の飛虎将軍李存孝だ」と答えた。孟絶海は、李存孝の身の丈が七尺にも足らず、顔は病人のようで骨は柴のように痩せているのを見て、なぜ自分の配下の二人の勇士がこの男の手にかかって死んだのか、といぶかしんだ。
孟絶海の生け捕りと敗軍の逃散
- 存孝は孟絶海に向かって言った。「わしの馬の腹帯が少し緩んでいる。降りて締め直したいが、そちらは冷や矢を放たぬように願いたい。」孟絶海は「わしがもし冷や矢を放ってそなたを射殺すようでは、好漢とは言えぬ。早く馬を整えよ、待っていてやろう」と答えた。
- 存孝は馬を降りると、父王から命じられた午の刻の期限に遅れてはならぬと自分に言い聞かせつつ、腹帯を締め直し、身を翻して馬に乗り、「絶海、馬を降りて死を受けよ」と呼びかけた。
- 絶海は大いに怒り、両手で刀を振るって斬りかかったが、存孝はその刀を押し返し、「賊め、どこへ逃げる」と一喝すると、猿のような長い腕を伸ばして絶海を生け捕り、馬上へ引き取った。
- 孟絶海の部下は主を失って敗れ、黄河の方へ逃げ上り、総兵葛従周のもとへ身を投じた。
- 曲木子の詩がこれを称えた(詩:存孝の生け捕りを称えた)。
玉帯を賭けに敗れた朱温
- 存孝は孟絶海を馬の背に横たえ、その七つの穴から鮮血を噴かせたまま河中府へ連れ帰った。
- 晋王が時刻を問うと、陰陽生は「午の刻を三刻過ぎたところでございます」と答えた。晋王は楼上へ運び上げるよう命じ、存孝はそのとおり運んで下ろした。
- 晋王が見ると、孟絶海は死にもせず生きてもいない有様であった。急ぎ存孝を呼んで問うた。「生け捕ってきたと申すのに、なぜこのように死にかけた者を連れてきたのか。」
- 存孝は答えた。「陣上で捕らえて馬上に引き取った際、この者が虎狼のように暴れ、身をもがいて馬から降りようとしましたが、私がただ一締め挟みましたところ、どこを傷めたものか存じません。」
- 晋王は朱温に傷を検めるよう命じた。朱温は進み出て袍甲を開いて見ると、「両脇の肋骨がともに折れております」と言った。
- 晋王は朱温に、約束どおり玉帯を存孝に渡すよう命じた。朱温は「この帯は僖宗陛下より賜ったものでございます。今日これを賭けに負けて渡したとあっては、どうして朝廷に顔向けできましょう。何か他の金宝でお許しください」と言った。
- 晋王は大いに怒り、存孝に玉帯を奪い取らせた。存孝は進み出て玉帯をひとひねりし、二つに引き裂いてしまった。
- 朱温は恥辱に耐えず、すぐさま楼を降り、自らの部隊を率いて河中府を出て背いていった。
朱温、河中府を去る
- 左右の者が慌てて晋王に「朱温が背きました」と報告した。晋王は大笑いして「あの程度の賊は疥癬の患いにすぎぬ。気にかけるまでもない」と言った。朱温のその後は次回に語られる。
- 逸狂の詩がこれを詠み称えた(詩:讒臣の裏切りと晋王の浅慮を詠んだ)。
評語
卓吾子は評した。「この一節を見れば、晋王が智謀に乏しく、それゆえ朱温がのちに唐に背き、晋王自身は汴梁の計略に陥ることになったのがわかる。世に『人に遠い慮りがなければ、必ず近い憂いが生じる』と言うが、まさにこのことを言うのではないか。思いもよらず唐の命運が尽きようとするころ、存孝を若くして落命させ、彦璋を末の世に生ませた。その彦璋はのち、続けざまに二百余陣を破った。もしその時、存孝に追わせていたなら、朱温はこの時にきっと死んでいたであろう。そもそも大梁が興るべき運があり、それゆえにこそ晋王に朱温を疥癬のごとき軽い患いと見くびらせたのである。これは人の力によるものではなく、まことに天の意思であろう。」
原文(底本)
卻說存孝下馬,取班翻浪首級,又來搦戰。巢兵報說:「班翻浪被他畢燕檛打死了!」孟絕海叫聲:「氣殺我也!」綽刀上馬,領兵佈陣。怎生打扮: 金甲金盔耀日高,大紅袍織大鵬雕。 身騎千里追風馬,手執三停偃月刀。 韓鑒叫曰:「太保,那穿大紅袍、使偃月刀的,便是孟絕每。」存孝大叫:「韓大人先回,少待就擒孟絕海來見!」韓鑒去了。 卻說孟絕海躍馬出陣,高聲問曰:「來將是誰?」存孝曰:『吾是大唐飛虎將軍李存孝!」孟絕海見李存孝身不滿七尺,臉如病夫,骨瘦如柴,為何俺部下兩個好漢卻死於這人之手? 存孝對盂絕海曰:「我坐下馬肚帶懸了些,吾要下馬來扣備,不要放冷騎。」孟絕海曰:「我若放冷箭射死你,不為好漢,你快備馬,我等著你。」存孝下馬來,自思父王限我午牌時分,不可遲誤,把馬肚帶扣備了,翻身上馬,叫:「絕海下馬受死!」絕海大怒,兩手輪刀砍來,被存孝逼開刀,喝聲:「賊往那裡去?」展猿臂,活拿上馬。孟絕海部下,敗軍無主,逃上黃河,投總兵葛從周去了。 曲木子有詩贊曰: 展臂生擒絕海來,懷中似抱小嬰孩, 陣前借問時過未?報道方才掛午牌。 卻說存孝把孟絕海橫擔在馬上,七竅中鮮血噴出,拿進河中府來。晉王問:「是什麼時候?」陰陽生答報:「是午時正三刻。」晉王叫拿上樓來。」存孝即拿上樓放下。晉王看見是個不死不活的,急喚存孝問曰:「我看你活捉孟絕海來,怎拿一個不死不活的人來。」存孝答曰:「他在陣上,被兒拿過馬來,如虎狼一般,他要掙下馬去,被兒只一夾,就不知夾傷那裡?」晉王命朱溫驗傷,朱溫向前把袍甲開看,說:「兩邊脅骨都夾折了。」晉王叫朱溫把玉帶與存孝,朱溫說:「這帶是僖宗爺爺賜的,今日輸了此帶,有何面目見朝廷,別輸些金寶罷!」晉王大怒,叫存孝奪了玉帶,存孝向前把玉帶只一扭,扭做兩段。朱溫羞恥,即下樓來,領本部人馬,反出河中府去了。 左右慌報晉王說:「朱溫反了!」晉王大笑曰:「諒這賊疥癬之疾,何足介意?」欲知朱溫後事,且看下回分解。 逸狂有詩贊歎云: 讒臣賭帶藐英雄,擒將來時日正中, 金寶更償言不踐,令傳扭奪辱難容, 彼時反出違追策,異日誰當不軌鋒, 可笑晉王無遠慮,終身想仗勇南公。 卓吾子評: 觀此一節,可見晉王短於智謀,以致朱溫後來反唐,且陷於汴梁之計。語云: 人無遠慮,必有近憂。其斯之謂歟!詎意唐數將殘,殞存孝於少年,產彥璋於季世,其後連敗二百餘陣,當時若使存孝追之,則朱溫死於此時必矣!抑有大梁之興,故使晉王料朱溫如疥癬,豈人為哉,實天意耳!
訳文の誤りにお気づきの場合はお問い合わせからお知らせください。