殘唐五代史演義傳第二十二回 存孝、力ずくで王彦章を屈服させる (存孝力服王彥章)

要約

勇南公李存孝は晋王と別れて河北を巡視し、民から奪わぬので百姓は喜んだ。寿章県の淤泥河では、身の丈一丈で蓬髪裸足、渾鉄の篙を持ち船で略奪する王彦章が、渾鉄篙無敵大王と名乗って道を塞ぎ通行料を求めた。篙は百二十斤と聞いた存孝がそれならやる料はないと笑うと彦章は打ちかかる。存孝は篙を握り止めて彦章を岸へ引き上げ、篙ごと百十歩先の河へ投げ込み、河北へ渡った。

岸に上がった彦章が武装して追い槍で突くと、存孝は人馬ごと押さえつけ、槊で渾鉄の槍を桶の箍のように曲げ、大した腕でないから命は助けると言った。彦章は逃げて泣き、存孝が十年生きるなら十年出ぬ、存孝が死なぬかぎり名乗らぬと仲間を散らし、寿章県で姓名を隠した。

晋王は河南を巡狩して汴梁城の泥脱崗に営を構え、存孝を待った。汴梁節度使朱温は鴉館楼で帯を奪われた恨みを晴らそうとしたが、弟の朱義に存孝を怒らせれば汴梁に攻め込まれると諫められた。存孝が営中にいないと知ると、非礼を詫びて小宴に招く書状を朱義に持たせ、屈強の者を伏せ金杯を撃つ合図に剣舞で殺す段取りを立てた。晋王は喜んで翌日の来会を承知した。

周徳威は仇人の会に良い筵はないと諫め、故事を語った。呉王の子姫光が臨潼の宝比べに出た間に呉王が薨じ、百官は姫僚を位に就けた。姫光は孫武子と伍子胥を頼んで炙魚の会に姫僚を招き、専諸が木剣と偽って疑いを解き、炙魚の頭を放り上げて姫僚が仰ぐ隙に魚の腹の剣で鎧を貫き刺し殺し、姫光が位に就いた。今日の会もこれと変わらぬと徳威は結んだ。

現代語訳全文

淤泥河の王彦章、通行料を求める

勇南公李存孝は李晋王と別れ、兵を率いて河北を巡視した。通る先々で少しも民から奪わなかったので、百姓は喜んだ。やがて寿章県の淤泥河にさしかかる。ここには姓を王、名を彦章という土地の者がいた。身の丈一丈、蓬髪に裸足で、渾鉄の篙を武器とし、二十余人を集めて一艘の船を操り、道を塞いで略奪を生業にしていた。李存孝の軍が来ると聞いた彦章は「誰もが李存孝は勇猛だと言う。今日はその顔を見てやろう」と言って行く手を塞いだ。

小卒が「前方に十数人の荒くれ者が道を塞いでおります」と存孝に報じた。存孝は進み出て「お前は何者だ、わしの道を塞ぐとは」と問うと、「われは渾鉄篙無敵大王の王彦章だ。お前は何者だ。早く通行料を出せば通してやる」と答える。存孝が「われは大唐護国勇南公李存孝、誰が名を知らぬか」と名乗ると、彦章は「勇猛無敵と聞いていたがその程度か。さっさと通行料を置いていけ」と言った。存孝が「その渾鉄篙はどれほどの重さだ」と問うと、「百二十斤だ」と答える。存孝は笑って「たった百二十斤か。それならお前にやる通行料など持ち合わせがない」と言った。

怒った彦章は両手で篙を振り上げ、存孝の頭めがけて打ちかかる。存孝は手を伸ばして鉄篙を握り止めた。彦章は手を放そうとせず、存孝の手から自分の篙を取り返そうとしたが、それはとんぼが石柱を揺するようなものであった。存孝が手を引くと、彦章は篙ごと岸へ引き上げられてしまう。存孝は「わしは馬上、あれは馬下では好漢らしくない」と言い、彦章を篙ごと淤泥河へ投げ込んだ。その距離は百十歩ほどもあった。存孝はそのまま兵を率いて河北へ渡っていった。

彦章の敗北と隠遁

水中から頭を出して岸に這い上がった王彦章は、武装して馬に乗り追いかけてきた。進軍中の存孝は「水に投げ込んだ男がまた仲間を率いて追ってきます」との報せを受け、「あの船頭も好漢だ。手合わせしてどれほどの腕か試してやろう」と言って馬を返した。彦章は先頭に立って槍で存孝を突いてきたが、存孝は人馬ごと押さえつけ、手にした槊を軽く打ち下ろす。彦章は力を込めても受けきれず、渾鉄の槍を桶の箍のように丸く押し曲げられてしまった。存孝は「打ち殺してやろうと思ったが、大した腕でもない。この命は助けてやる」と言った。

彦章は馬を駆って命からがら逃げ、数里走ったところで声をあげて泣き、「みな散ってくれ。わしは死の淵から生き返った。存孝がこの世に十年あるなら、わしは十年出ない。存孝が死なぬかぎり、王彦章は名乗りを上げぬ」と言った。こうして彦章は寿章県に戻り、姓名を隠して暮らした。

汴梁の朱温、晋王暗殺を謀る

晋王は河南を巡狩し、大軍が汴梁城の泥脱崗まで来ると令を下して営を構え、存孝の兵の到着を待った。汴梁節度使の朱温は堂に座しているところへ「北門外の泥脱崗に今朝李晋王が着き、そこに営を構えています」との報せを受ける。朱温は「馬を引け、武器を持て。李克用の老賊を捕らえて、昔年鴉館楼で帯を奪われた恨みを晴らしてやる」と叫んだ。弟の朱義が進み出て「兄上、あの李存孝の恐ろしさをご存じないのか。あの者はひとたび怒って、五鳳楼の前まで斬り込んだ男だぞ。怒らせて汴梁城へ攻め込まれてからでは悔いても遅い」と諫める。

ためらっているところへ、ほどなく「李存孝は営中にいない」との報せが入った。存孝がいないと知った朱温は一計を立て、書状をしたためて朱義に持たせ、晋王を宴に招くことにした。来たならば両脇に屈強の者を伏せ、酒の間に金杯を撃つのを合図として剣舞にかこつけてあの老漢を殺す、という段取りであった。

招宴の書状

朱義は書状を持って泥脱崗へ赴き、晋王に叩頭して「汴梁節度使朱温が臣を遣わして書を奉ります」と言い、書状を差し出した。晋王が開いて読むと、欽差鎮守汴梁城節度使朱温が大唐の恩主たる大王に頓首百拝して申し上げる、という体裁で、鴉館楼では機嫌を取り結ぶことができず、逆鱗に触れて咎を得たのは面目なく、それゆえ再び帳下に伺うこともできず任地に戻った、大王には自分の小さな器量を咎めだてなさらぬなら幸いである、と詫びていた。続けて、近ごろ賊魁が誅され、帝の御車が再び都に戻り、天下の士馬は休息を得て万民が再び日の目を見た、大王こそ世にまたとない元勲である、その祝いも申し上げられずにいたところ、御駕が領内にお越しと知らず道端でお迎えもできなかった、そこで日を選んで小さな宴を設け、お供の行列をお迎えして旅塵を払っていただきたい、ささやかな真心をお汲み取りのうえご光臨を賜りたい、と結ばれていた。

周徳威の諫言

晋王は書を読み終えると喜びに堪えず、その場で翌日の来会を承知した。営を出た朱義は「この老漢、来たなら来る道はあっても帰る門はないぞ」と密かにつぶやいた。晋王は周徳威に一隊を率いて護衛させようとしたが、徳威は諫めて言った。「昔から仇人の会には良い筵も良い会もないと申します。一つ故事をお聞きください」。

そして語る。昔、秦の穆公が天下の諸侯を集め、臨潼県で宝比べを行った。当時、呉王には三人の子があり、正宮の子が姫光、側室の子が姫僚と慶忌であった。呉王は病にかかり、姫光に臨潼の宝比べへ行かせた。姫光がまだ戻らぬうちに呉王が薨じ、文武百官は姫僚を位に就けた。帰国した姫光は大位を狙い、姫僚はこれを警戒して、日々弓刀の通らぬ獅子の鎧を身につけ、執戟郎官三千人と驃騎大将五百人を従えて出入りした。のちに姫光は孫武子を師とし伍子胥を将として君臣で計を定め、炙魚の会を設けて姫僚を招いた。群臣は力を尽くして諫めたが姫僚は聞き入れなかった。そこへ専諸という臣が、左手に光る剣、右手に禍を孕んだ炙魚を持って姫僚の殿に駆け上がる。姫僚が「その者を捕らえよ、剣を帯びて殿に上るとは何事か」と叫ぶと、専諸は剣を二つに折って見せ、「どうして剣を帯びて殿に上りましょう。これは木剣に銀箔を貼って光らせたもの、魚を裂くためのものです」と奏した。そして姫僚の前で木剣で炙魚の頭を切り落とし、空へ放り上げた。魚の頭は風に舞って落ちてこず、姫僚が仰いで見上げた隙に、専諸は炙魚の腹から魚腸の剣を抜き出し、姫僚の首下から鎧を貫いて刺し殺した。こうして群臣は姫光を位に就けた。そもそも呉の姫光には天下を得るだけの福があり、その上に孫武子の世に並ぶ者のない謀に頼って、こうなったのである。

徳威は「今日大王が赴こうとなさるこの会は、この故事と変わりません」と結んだ。晋王の心がどう動いたかは次回に語られる。唐室が衰えて各鎮が強大になり、朱温は計略をめぐらせて賢良を害しようとする、晋王は出立に際して忠言の諫めを聞かず、酔ったのちに君臣は禍を受ける、と詠まれる(詩:忠言を聞かず)。

評語

もし存孝が死ななければ、王彦章は終生世に出なかったであろう。悲しいことだ。朱温は計を設けて宴に招き、周徳威は姫光の故事を引いてこれを諭したのだから、疑いを抱いてしかるべきなのに、克用はその諫めに従わなかった。まことにただの酒飲みである。

原文(底本)
卻說勇南公李存孝,與李晉王分別,領兵巡視河北,所過秋毫無犯,百姓歡悅。不覺早至壽章縣淤泥河經過,卻有本處一人,姓王名彥章,身長一丈,蓬頭跣足,手使一條渾鐵篙,聚集二十餘人,駕一支船,在此翦逕劫掠營生,當下聞得李存孝軍馬來到,乃曰:「人人說李存孝勇猛,今日要見他。」一面攔住去路。小卒來報存孝曰:「前面有十數猛漢阻路。」存孝向前問曰:「你是何人?敢阻吾路。」答曰:「吾渾鐵篙無敵大王王彥章!爾乃何人?速獻買路錢,放你過去。」存孝曰:「吾乃大唐護國勇南公李存孝,誰不知名?」彥章曰:「吾聞你勇猛無敵,原來只是如此,快留買路錢去!」存孝曰:「你渾鐵篙有多少重?」彥章曰:「一百二十斤。」存孝笑曰:「只一百二十斤,我哪得買路錢來與你。」彥章大怒,兩手舉篙,望存孝頭上打來,存孝伸手,攥住鐵篙,王彥章不肯放手,奪存孝的篙,恰似蜻蜒搖石柱一般,存孝用手一拖,把彥章連人帶篙,拖上岸來。存孝說:「我在馬上,他在馬下,不顯我是好漢,連人帶篙望淤泥河只一摔,有百十步遠,存孝領兵過河北去了。

  王彥章在水裡鑽出頭來,爬上岸,披掛上馬趕來。存孝正行,報說:「摔下水的人,又領眾趕來了。」存孝說:「這水手,也是個好漢,待我與他比手,試他本事如何?」勒回馬來,王彥章一馬當先,輪槍望存孝刺來,被存孝連人帶馬逼住了,將搠輕輕的打去,彥章用力架隔不住,把渾鐵槍逼得一似桶箍般圓。存孝曰:「本待打死你,見你沒甚本事,饒了你這一命罷!」彥章放馬逃生,跑去有數里之地,放聲大哭曰:「你眾人各散了罷,我在死裡復生,若存孝在世十年,我十年不出,存孝除非死了,我王彥章才敢出名。」自此彥章逕上壽章縣隱姓埋名去了不題。

  卻說晉王巡狩河南,大軍行到汴梁城泥脫崗,晉王傳令安營,等存孝的兵來到。且說汴梁節度使朱溫,正坐堂上,忽一人進報:「北門外泥脫崗,今早李晉王到了,在那裡安營。」

  朱溫大叫:「看馬取軍器來,拿這李克用老賊報昔年鴉館樓奪帶之仇,未為不可。」朱義向前說:「哥哥!豈不知那李存孝的利害?他一怒,直殺到五鳳樓前,你若惱了他,殺進汴梁城來,那時悔之已晚。」正在此疑惑,不移時,人報:「李存孝不在營裡。」朱溫聽得沒有存孝,就定一計,寫了一封書,叫朱義將書去請晉王來赴宴,等他來時,兩廂埋伏強壯,飲酒間擊金杯為號,托舞劍殺這老漢。

  朱義持書逕往泥脫崗來。見晉王叩頭道:「汴梁節度使朱溫,差臣上書。」將書呈上。晉王拆開來書觀,看其來意。書云:

    欽差鎮守汴梁城節度使朱溫,頓首百拜上大唐恩主大王麾下,臣自鴉館樓不能強效容悅,批鱗獲咎,誠有不堪,故弗敢再叩帳下,逕回信地。惟大王諒臣斗筲,弗屑較焉,則幸甚耳!

  近日,渠魁就戮,帝馭重旋,使天下士馬休息,黎民復見天日,大王誠不世之元勛也。正愧無以賀功,詎意駕臨封域,溫實不知,未獲拜趨道左,謹涓某日,肅具小筵,只迎隊仗,敬與拂塵,少傾葵藿,伏乞俯賜光臨。溫無任瞻仰之至。謹啟。

  晉王看書畢,喜不自勝,即許來日赴會。朱義出營,暗說:「你這老漢若來,教你來時有路去無門!」晉王叫周德威領一支兵馬保護赴會,周德威諫曰:「自古道,仇人相會,筵無好筵,會無好會。臣講一個故事,請大王聽著。昔日秦穆公,會天下諸侯,齊到臨潼縣鬥寶。當時,吳王生三子。正宮生一子,名姬光。偏富生二子,一名姬僚,一名慶忌。吳王染疾,命姬光去臨潼鬥寶。姬光奉父命,鬥寶未回,吳王薨,文武百官扶姬僚登位。姬光回國,欲圖大位,姬僚防之,每日披𤠯猊鎧甲,弓刀不能傷體,相隨出入,有三千執戟郎官,五百驃騎大將。後姬光拜孫武子為師,伍子胥為將,君臣定計,設一炙魚會,請姬僚赴會,眾臣力諫,姬僚不從;只見一臣姓專名諸,左手持一把明晃晃的劍,右手持一尾包禍胎的炙魚,奔上姬僚殿來。姬僚喚當駕官曰:『急與朕擒下此人,怎敢帶劍上殿!』專諸將劍拆為兩段,近前奏曰:『臣安敢帶劍上殿,原是木劍用銀箔貼得如此光耀,特用來拆魚耳!』遂向姬僚面前,用木劍把炙魚頭割下,望空中拋起,只見那魚頭,在半空中隨風飛舞。不下,姬僚仰首視之,不料專諸向炙魚腹中拔出一把魚腸劍,望姬僚項下,直刺透鎧甲而死,遂扶姬光登位。原來吳姬光有天下之福,亦賴孫武子有蓋世之謀,使之然耳!今日大王欲赴此會,與此故事無異。」未知晉王意下何如,且聽下回分解。

  逸狂詩云:

    唐室衰微各鎮強,朱溫設計害賢良,

    臨行不聽忠言諫,醉後君臣受禍殃。

  卓吾子評:

  假令存孝不死,則彥章終身不出矣。悲夫!朱溫設計請宴,周德威引姬光事以喻之,必有疑慮,克用不從其竦,真酒徒耳!

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