殘唐五代史演義傳第三十二回 五頭の牛が李存孝を裂き殺す (五牛掙死李存孝)

要約

存孝は勇はあっても謀がなく、君利の言を信じて元の旗を伏せ、城上に安景思の旗号を立てた。二人は賓州へ帰って存孝の謀反を告げた。晋王は忠義の存孝が謀反などするかと言ったが、姓も旗号も安景思だと聞くと、虎の子は養うべきでなかったと怒り、捕らえて殺せと命じた。

劉妃は、存孝は赤心で奇功を重ね、謀反の実情もなく、二人は存孝と隙があるから詐りを恐れると諫め、嗣源と沁州へ虚実を確かめに行った。城下は果たして安景思の旗号で、馬を返すところへ存孝が追ってきたため母子は命乞いをした。存孝は跪いて異志はないと述べ康君利の偽りを語り、劉妃は逆賊の計と知って三人は賓州へ向かった。

君利と存信は晋王の令と偽り、賊が黄河を犯したと称して劉妃と嗣源を出征させた。晋王が深く酔って明朝話せと言うと、君利は酔い臥すうちに存孝を殺そうと決め、父の令と偽って轅門の外へ引き出し、五輛の車に牛をつないで五方から駆けさせた。存孝は一度身をひねって二千五百石の車を身の下へ引き寄せた。何の罪で裂かれるのかと叫ぶと、中空に金甲の神人が現れ、千仏の牒文と玉皇の勅旨により、鉄石の精たるそなたの功行が満ちたので天へ迎えると告げた。存孝は召しに従うと言い、剣で手足の筋を断てば死ぬと自ら教えた。君利の令で五方から一斉に引かれ、体は五つに裂かれた。享年三十六、天復三年秋九月であった。史官と宋の賢人が存孝を弔う詩を残した。

現代語訳全文

旗号の付け替えと讒言

  • 存孝はもともと勇はあっても謀のない男であった。康君利の言葉を聞くとすぐに人を遣って元の旗を伏せさせ、号令一つで間もなく城の上には一面に安景思の旗号が立ち並んだ。二人はそれを見届けて辞去し、賓州へ帰った。
  • 康君利と李存信は晋王に会い、地に伏して拝した。晋王が「わが子らよ、狩りはどうであった」と問うと、二人は「狩りはできませんでしたが、父王のために一つの大事を聞き込んでまいりました」と答えた。「何事か」と問われて、「思いもよらず、沁州の存孝が謀反いたしました」と告げた。
  • 晋王は驚いて「存孝は忠義の人である。どうして謀反などしよう」と言った。君利は「我ら二人がこの目で見て確かめました。謀反でないなら、なぜ姓を改め、城上の旗号はことごとく安景思の姓字になっているのでしょうか」と言い返した。晋王は怒って「虎の子は養うべきではなかった。」
  • 続けて「まことに姓を出したのなら、急ぎこの賊を捕らえて殺せ」と命じた。

劉妃の諫言と沁州行

  • 言い終わらぬうちに劉妃が進み出て晋王に告げた。「妾が見るに、存孝は赤心をもって国に報い、たびたび奇功を建てました。だからこそ大王に沁州への封を勧めたのです。今なお謀反の実情は見えておりませんし、しかもこの二人はもとより存孝と隙がございます。その言葉を聞いただけでこの者を捕らえ殺そうとなさるのは、詐りが潜んでいるのではと恐れます。妾は嗣源とともに沁州へ行き、虚実を確かめてまいります。それから殺しても遅くはございません。」晋王はこれに従った。
  • そこで母子二人はただちに馬に乗り、沁州へまっすぐ向かった。数日行くと沁州の城下に着いた。母子が遠く城上を望むと、果たして一面が安景思の旗号である。劉妃は大いに驚いて言った。「事は本当のようです。旗号を本当に改めたのなら、この者は面を返して情を無くしたことになります。その計に落ちるのが恐ろしい。」
  • 母子は馬を返して立ち去ろうとした。このとき存孝は六将とともに城を巡っていたが、劉妃と嗣源が城下に来ているのを見つけ、しばらく様子を見てから急いで城を下りて追いかけ、大声で「老母、大兄、なぜお城に入らず、馬を返してお帰りになるのですか」と叫んだ。この時、母子はただ存孝が謀反したとばかり思い込み、馬から飛び降りて「勇南どの、母子二人の命ばかりはお助けください、昔日のよしみをお汲みください」と大声で言った。
  • 存孝は聞いて大いに驚き、急いで馬を下り、路傍に跪いて「この存孝に何の異志がありましょうか」と申し述べた。劉妃は「そなたは沁州にあって爵位も極まり、富貴も足りているのに、なぜ謀反したのか」と問うた。存孝は「誰がそう申したのですか」と問い返した。劉妃は「そなたが謀反していないのなら、どうして城上に安景思の旗号を掲げているのか」と言った。存孝はこれを聞いて、康君利のこれまでの経緯を詳しく語った。劉妃は驚いて「そなたは逆賊の計にはまったのだ。急ぎ父王の御前で申し開きをするがよい」と言った。そこで三人はともに馬に乗り、賓州の城へまっすぐ向かった。

偽令による母子の引き離し

  • 君利と存信は、母子三人が戻ってくるのを遠く望み見た。君利は存信に「事は成らなかった。もしこの賊が老父の御前で申し開きをして、この一件が漏れたらどうする」と言った。存信は「これは案ずるに及びません。私に一計がございます。父王の令と偽って、賊が黄河を犯したと言い、そなたたち母子二人に人馬を率いさせて行って討ち取らせ、遅れた者は斬首すると軍前に号令いたします。」
  • 「二人さえ行ってしまえば、私とそなたは無事です。」君利はこれをもっともとし、その言葉どおりにした。果たして劉妃と嗣源はこの令を聞くと留まることができず、二人は黄河へ賊を討ち取りに向かい、ただ存孝だけが晋王の御前で事情を申し述べるために残った。その日、日はすでに暮れ、晋王は深く酒に酔っていた。人が「存孝が沁州から参り、お目にかかりたいと申しております」と告げると、晋王は「わしは酔うた。酔ったあとに公事は語らぬ。わが子は遠路で心を労しただろう、まず後宮で休み、明朝あらためて話せ」と言った。
  • 君利は晋王のこの様子を知ると、ひそかに存信に言った。「老父が酔い臥して起きぬうちに、先に存孝を殺して後患を絶とう。」存信は「その計は妙だ、すぐに行おう」と応じた。

五牛の刑と存孝の最期

  • そこで君利は父の令と偽って「存孝が反叛した、轅門の外に引き出し、五輛の車で引き裂け」と伝えた。このとき存孝は宮に入って訴えようとしたが、四方はみな康君利の腹心の者ばかりで、入ることができなかった。存信は「老父はそなたに怒って、立ったまま返事を待っておられる。どうしてまた入れられようか」と言い放った。
  • 急いで軍人に存孝を縛らせ、五輛の車にそれぞれ一頭の牛をつなぎ、五隊に分けた。号令一声、五方から鞭を打って牛を駆けさせたが、存孝はただ一度身をひねっただけで、五輛の車はことごとくその身の下に引き寄せられてしまった。
  • もともと五輛の車は五五で二千五百石の重さがあり、五頭の牛の力も計り知れないものであったが、存孝は生まれつき力が強く、それゆえみなその身の下に引き込まれたのであった。これによって計れば、存孝の片腕には二万五千斤の力があり、両腕には四頭の象も及ばぬほどの勇があったことになる。
  • 存孝は「わしに何の罪があって、五頭の牛でわしを引き裂こうとするのか」と大声で叫んだ。言い終わらぬうちに、中空に金甲の神人が現れて呼ばわった。「存孝よ、もがくでない。私は千仏の牒文と玉皇の勅旨を奉じて来た。そなたはもともと上界の鉄石の精で、下界に降った身である。今日をもって功行が満ちたので、そなたを迎えて天へ連れ帰る。もし遅れれば、他の神人にその座を奪われるであろう。」存孝はこれを聞いて「天が私を呼ぶ以上、どうして従わずにおられようか」と言った。
  • そこで存孝は軍人たちに向かって「このようなやり方では、わしを引き裂いて殺すことはできぬ。剣でわしの手足の筋を断ち切れば、わしはすぐに死ぬのだ」と自ら告げた。ちょうどそのとき君利は令を伝え、大喝とともに五方から一斉に引き裂く音が響き渡り、存孝の体は五つに裂かれた。存孝は享年三十六、時に天復三年秋九月であった。

存孝を悼む詩

  • のちに史官が存孝を讃える詩を残した(詩:存孝への哀悼)。
  • さらにのちの世に、宋の賢人が存孝を弔う輓詩を作った(詩:宋賢の弔詩)。
原文(底本)
原來存孝實是有勇無謀,一聞此語,遂使人按倒原旗,一聲號令,不移時,城上豎起一派盡是安景思的旗號,二人辭別,還到賓州。卻說康君利與李存信來見晉王,拜伏於地。晉王曰:「吾兒打圍何如?」二人曰:「圍也不曾打得,倒與父王打聽一件大事來了!」晉王曰:「是何大事?」二人曰:「不料沁州已反了存孝矣!」晉王失驚曰:「存孝忠義之人,如何肯反?」君利曰:「吾二人眼見明白,他既不反,因何出了姓,城上一派旗號,盡是安景思的姓字?」晉王怒曰:「虎兒不可養也!

  果是出姓,急去擒此賊來殺之。」言未絕,閃出劉妃,向前告晉王曰:「妾見存孝赤心報國,累建奇功,故勸大王封出沁州,今反情未見,況是二人素與存孝有隙,聽聞其語,便欲擒殺此人,恐其中有詐,妾與嗣源逕上沁州,打聽虛實,然後殺亦未遲。」晉王從之。

  於是母子二人,即時上馬,逕投沁州進發。行了數日,已到沁州城下。母子遙望城上,果然盡是安景思的旗號,劉妃大驚曰:「事已實矣!果改旗號,此人反面無情,恐中其計。」

  母子勒馬便走。此時,存孝與六將正在巡城,忽見劉妃與嗣源到城下,看了一番,急下城來追趕,大叫:「老母、大兄緣何竟不進城來,勒馬便回,此是何意?」此時,母子只說反了存孝,遂跳下馬來,大叫:「勇南大人,乞饒母子二人性命,可看昔日薄面!」存孝聽聞大驚,急下馬來,跪於路側,告曰:「存孝有甚異志?」劉妃曰:「汝在沁州,爵位已極,富貴足矣!因何反了?」存孝曰:「是誰說來?」劉妃曰:「你既不反,如何城上打著安景思的旗號?」存孝聽言,遂將康君利前事,細說一番。劉妃駭然曰:「你中了逆賊之計,可急到父王面前分訴明白!」於是,三人一同上馬,逕投賓州城來。

  卻說君利、存信,望見母子三人回來。君利對存信曰:「事不諧矣!倘此賊到老父面前訴說明白,漏泄此事怎了?」存信曰:「此事不妨,吾有一計,假傳父王令言,說賊犯黃河,調你母子二人帶領人馬,前去截殺,去遲者斬首,軍前號令。

  二人若去,吾與你便無事矣!」君利然之,一依其言。果然劉妃與嗣源聞此語,不敢停止,二人遂往黃河截殺,只留下存孝到晉王面前分訴其事。是日,天色已晚,晉王深有酒意了,人報:「存孝自沁州來見。」晉王曰:「吾醉矣!醉後不言公事,吾兒遠路勞神,且向後宮睡去,來早再說。」

  君利知晉王之意,暗謂存信曰:「乘老父迷睡不起,先將存孝殺了,以絕後患。」存信曰:「此計其妙,便可行之!」

  於是,君利即假傳父令,言:「存孝反叛,擒出轅門,五車掙之!」此時,存孝欲進宮訴說,四下皆康君利心腹之人,不能得入。存信曰:「老父怒汝,立等回報,安敢再入?」急使軍人將存孝捆縛,用五輛車來各係一牛,分作五隊,號令一聲,五下鞭開牛去,只一掙,被存孝把身一縱,都縱到身底下來。

  原來五車上,有五五二千五百石重,五牛之力,不計多少,存孝一生力大,是以皆被縱到身底下來,以此較之,存孝一臂有二萬五千斤之力,兩臂有四象不過之勇。存孝大叫:「我得何罪?將五牛掙我!」言未絕,只見半空中一金甲神人,叫曰:「存孝不得掙挫,吾奉千佛牒文,玉皇敕旨,你原是上界鐵石之精,降臨凡世,今日功行完滿,取汝歸天,若是遲緩,神人奪了你的坐位。」存孝聽言曰:「既上天叫我,安敢不從?」

  遂叫軍人曰:「這等如何掙得我死,除非是將劍割斷我手足之筋,吾即死矣!」當下君利傳令,大喝五下裡掙響一聲,存孝軀分為五塊。存孝亡年三十六歲,時天復三年秋九月也。後來史官有詩贊云:

    兩岸西風起白楊,沁州存孝實堪傷,

    晉官花草埋幽逕,唐國山河繞夕陽,

    鴉谷滅巢皆寂寞,賓州塵路總荒涼,

    詩成不盡傷情處,一度行吟一斷腸。

  後來宋賢弔存孝輓詩云:

    鴉谷遺蹀跡,英雄有將聲。

    威容賽夏育,風味若陳平。

    常領三千士,破除百萬兵。

    賓州天命盡,誰不痛傷情。

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