殘唐五代史演義傳第三十四回 梁兵、勇南の柩を奪い去る (梁兵劫奪勇南柩)

要約

晋王は鄧瑞雲と六将に三千の人馬で存孝の霊柩を靈求峪へ葬らせた。汴梁の朱温は存孝が死んで憂いは無いと喜び、尚譲ら七将に霊柩を奪わせた。道中、紅旗の一隊が遮り、寿章の王彦章が躍り出た。彦章はかつて淤泥河で存孝に人馬もろとも打ち落とされ、存孝が死なねば名も名乗らぬと誓って隠れていたが、その死を知って梁王に身を寄せる途であった。彦章は、晋王が酒で死なせた好漢の屍を奪って益はないと説き、七将は従って汴梁へ向かった。

葛従周が屍は奪えなかったが前部の大将を得たと言って彦章を導くと、朱温は迎えて李克用を破滅させともに覇業を図ろうと述べた。彦章は、克用は存孝を失って疥癬ほどの病にすぎぬから、まず昭宗を得て後に晋王を擒えよと進言し、朱温は彦章を天下兵馬大元帥に封じて宴を設けた。彦章はさらに、官を売る貪欲な丞相の李英に金宝を贈り、長安は反乱の地、汴梁は興隆の邦と説けば必ず朝廷に奏するから、旨を得て皇宮を造り駕を迎えよと説いた。

翌日朱温は長安の李英邸で、黄金百錠、珠玉一斗と一日千里を走る玉聡という馬を献じ、李英は大いに喜んだ。朱温は報いは望まぬ、長安は汴梁に及ばぬと奏して旨意を下してほしいと頼み、李英は天下を図るのかと問いつつ、明日奏して旨意を出させ、やがて駕を汴梁へ移して位を譲らせると応じた。

翌日朱温は昭宗に皇城造営と遷都を奏し、李英も朱全忠の奏は金石の論と援けた。群臣は竜は海を離れぬと反対して長安を天下第一と詩に詠んだが、朱温も汴梁を讃える詩を引いた。昭宗は喜んで中書の曹達に旨意を書かせ、皇城造営と府庫の銭糧の汴梁搬送を許した。朱温は昏君が計にかかったと思い、民夫と良匠を集めて半年とたたぬうちに長安の十倍華麗な皇城を成し、王彦章に三万で灞陵川の境を固めさせて入朝した。昭宗は文武を集め、唐室は西都に二百余年で気数が衰え気色は汴梁にあると告げて東幸を命じた。学士の陳輝源が宗廟を損ない原陵を棄てれば乱が起こると諫め、平章事の朱樸も朱温の計にはまると諫めたが、李英が斬るべきと奏し、帝は二人の官を罷めて庶民に落とした。

現代語訳全文

霊柩の護送と劫奪の命

その日、晋王は鄧瑞雲と六将に三千の人馬を率いさせ、存孝の霊柩を護って靈求峪に葬り、霊を安んじて喪に服させることにした。六将は命を受けて出立した。

まもなく間者が汴梁に報じると、朱温は大いに喜び、李存孝が死んだ以上もう憂いは無いと言った。そのうえ軍士に護らせて靈求峪に葬るというので、尚譲ら七将に兵を率いさせ、存孝の霊柩を奪いに行かせた。七将は命を受けて発った。

王彦章の登場

道を行く途中、前方に紅旗ばかりを掲げた一隊の人馬が現れ、行く手を遮った。先頭に躍り出た豪傑は身の丈一丈、肩幅は常人の三つ分もあろうかという広さで、裸足で蓬髪、膂力は人に過ぎていた。寿章の人で姓を王、名を彦章という。かつて存孝が河北を巡行したとき淤泥河で行き会い、数合戦ったが、彦章は存孝に人馬もろとも岸下へ打ち落とされた。そこで彦章は、存孝が十年生きるなら自分は十年世に出ぬ、存孝が死ななければ名を名乗らぬと誓ったのである。

彦章は寿章に隠れて姓名を伏せていたが、存孝が死んだと探り知り、人馬を引き連れて梁王のもとへ身を寄せようとしていた。そこへちょうど七将の兵が来かかったので、彦章は遮って大声に、自分は渾鉄槍の王彦章である、来る人馬はどこへ行くのかと問うた。葛従周が、我らは梁王配下の七将、王命を奉じて兵を率い靈求峪へ行き、李存孝の霊柩を奪うのだと答えた。彦章は、それは間違いだ、君子は旧悪を念わず、人が死ねば古い恨みも数えない、存孝もまた好漢であり、晋王が酒に任せて誤らせて死なせたにすぎぬ、その屍を奪って何の益があるか、それより自分を梁王に会わせ、和解の筋を説かせてくれと言った。

七将はこれに従い、兵を合わせて汴梁城へ向かった。

朱温、彦章を元帥に

七将が入って見えると、朱温は李存孝の屍はどうしたかと問うた。葛従周は、奪えなかったが、そのかわり大王のために前部の大将を一人見つけてまいったと答えた。誰かと問われ、真定寿章の生まれ、姓は王、名は彦章と答えると、朱温は、名は久しく聞いている、まさにその人に会いたかったのだと言った。従周が彦章を殿の階下へ導くと、朱温は身を起こして迎え、彦章が拝すると半礼で答えた。朱温は、足下は近ごろ山東にいると聞き、人を遣って将に請おうとしていた、李克用を破滅させてともに覇業を図りたい、今日めぐり会えたのは三生の幸いだと述べた。彦章は、李克用は存孝を失ってすでに勢いは孤立し、自分の見るところ疥癬のような軽い病にすぎぬ、大王が天下を取るつもりなら、まず昭宗を手に入れてから晋王を擒えても遅くはないと進言した。

朱温は大いに喜び、彦章を天下兵馬大元帥に封じ、宴を設けて犒った。席上で昭宗の天下を図る計を問うと、彦章はこう説いた。昭宗の駕下に寵愛されている者がいる。姓は李、名は英、いま丞相の職にあり、長安で金を量って官を売っている。大王が自ら金宝を贈って賄賂し、長安は久しく反乱の起こる地、汴梁こそ興隆の邦だと説けば、李英は貪欲で利を見て義を忘れる男ゆえ、必ず朝廷に奏してこの話をまとめる。まず旨を頂いてここに皇宮を造営し、しかるのち計を用いて駕を汴梁へ迎えれば、そのとき昭宗を図るのは難しいことではない、と。朱温は、この計は実に妙である、自分が天下を得たら富貴は汝と共にしようと言った。

李英への贈賄

相談が決まると、翌日朱温は自ら金宝を取り揃え、数百騎の鉄騎に各々軽い刀と短い矢を帯びさせて長安へ上った。幾日もたたず李英の邸前で馬を下りると、小卒の知らせで李英は階を下りて迎え入れた。堂上に座を定め茶を終えると、朱温は別後の無事を問い、李英はご蔭で安穏に過ごしている、大王とは久しく会わず、わざわざのお運び痛み入ると答えた。

朱温は、元輔の職にあって社稷を支えておられるのは何より喜ばしいと述べ、黄金百錠、珠玉一斗、それに一日に千里を走り、水を渡り山に登ることも平地を歩むごとき良馬一匹を献じた。名を玉聡といい、自分などは恐れ多くてとても乗れぬので、丞相の虎威を助けるためにあわせて献じに持参したという。李英が引かせて見ると、その馬は身が炭火のように赤く、雑毛は半本も無い。頭から尾まで一丈、蹄から項の鬣まで八尺の高さがあり、いななき咆哮する様は空へ騰り海へ入ろうとするかのようであった。李英は大いに喜んだ。

玉聡馬を讃える詩は、千里を奔って塵を蹴立て、水を渡り山に登れば紫の霧が開き、糸の鞭を断ち切って玉の轡を揺らす姿は、火竜が九天から飛び下ったようだと詠む(詩:火竜飛下)。

李英がこれほどの金宝と竜駒を頂いて何をもって報いようかと礼を述べると、朱温は、些細な物に報いなど望まぬ、丞相にお願いしたいのはほんの数句の言葉だけだと答えた。わけを問われると、長安は久しく反乱の起こる地で、地広く人多く末永く栄える汴梁には及ばぬ、丞相が朝廷に奏して許しを得、自分に旨意を下してくださりさえすれば、自分が汴梁へ行って皇宮を造り、駕を請うて都を建てる、それが丞相の大功績になると説いた。

李英が、大王は主上が衰え時勢が去ったのを見て、天下を図ろうというのではないかと問うと、朱温はしばらく答えなかった。李英は、明日にも朝廷に奏して旨意を出させ、汴梁へ持たせて皇城を造らせよう、こちらはそのうち駕を汴梁へ連れ出して大王に位を譲らせる、それで何の差し支えがあろうかと言った。朱温は、まことにそうなれば丞相の富貴は比類なかろうと応じた。

昭宗への奏上と遷都の詔

相談が定まった翌日、昭宗が殿に上ると、近臣が梁王朱温が陛下に見えたいと願っていると告げた。帝が急ぎ召せと命じ、朱温は入って闕下に拝伏し万歳を称した。帝が何の奏上かと問うと、朱温は、長安は久しく反乱の起こる地で戦乱が絶えず休息が得られぬ、臣は長く汴梁を守って興隆の邦と知っている、旨を賜って皇城を造り、完成のうえは汴梁へ遷都していただきたいと奏した。帝は、それは文武と相談せねばなるまいと答えた。

その言葉が終わらぬうちに、列中から一人の臣が進み出た。顔は紅棗のごとく、目は突き出て髯は虯のよう、威風凛々として胆量は人に過ぎている。その者は殿に上って、大梁の朱全忠こそまことに忠君愛国の臣であると奏した。これが丞相の李英である。帝が李英にこの奏を容れてよいかと問うと、李英は、大梁王の奏は金石の論、これほど王室に忠実な人物は得難い、これほどの利があるのだから陛下は急ぎ従われるべきだと答えた。

帝が迷っていると、群臣は口々に不可と唱えた。竜は海を離れず虎は山を離れぬ、陛下は大位に安んじておられるのにどうして遠く離れられようか、汴梁は到底長安に及ばぬという。そして長安がいかに汴梁に勝るかを、古人の詩を引いて示した。いわく、古来の興隆の地で周・秦・漢の代に整えられ、三川の花は錦のようで八水は永く流れ、咸陽殿を起こし鳳闕は竜楼と向き合う、華夷の図の上で見ても天下第一である、と(詩:自古興隆地)。

朱温は、汝ら文武の説く長安の取り柄もその程度のもの、こちらの汴梁の取り柄も聴くがよいと言い、これも古人の詩を引いた。王気が騰って霞まで徹し、祥雲がたなびいて京華を照らし、宝で飾った楼閣は銀漢を侵し、玉の殿と亭台は絳の紗を包み護り、四季を通じて山川の景色は絶えず、八節にはいつも琪樹の花が開き、年ごとの三月に高きに登って望めば香りが梁園の百万家に満ちる、というものである(詩:香満梁園)。

昭宗は朱温の詩句を聴いて心中大いに喜び、中書の曹達を呼んで旨意を書かせ朱温に与えた。汴梁へ持ち帰って皇城を造れ、朕は官軍を遣わして長安の府庫の銭糧をことごとく汴梁へ運ばせよう、日を選んで朕に建都を請え、と。朱温は旨を受けて朝廷を出ると、密かに、この昏君めは吾が計にかかった、一盞の孤灯が薄暗い空の残月に晒されているようなもの、勘定してみれば生きている時も長くはあるまい、と思った。

皇城の造営と東幸の決定

朱温は数日行って汴梁に着くと、民夫を徴発して土木を運ばせ、良匠を呼んで皇城を造らせた。梁を彫り棟を刻み、鳳を絵に描き竜を描き出し、半年とたたぬうちに工事は成り、長安の宮室に比べて十倍も華麗であった。

造営を終えた朱温は、まず王彦章に人馬三万を率いさせて灞陵川の境まで進ませて後詰めに備えさせ、自分は長安へ上って入朝した。帝に皇城造営の首尾を問われると、旨を奉じて造り、すでに完備したので、陛下に汴梁へお越しいただき都を建てていただきたいと奏した。昭宗は大いに喜び、その日文武を朝堂に集めて言った。唐室が西都に在って二百余年、気数はすでに衰えた、朕が気色を観るに汴梁にある、そこで先に梁王を遣わして宮殿を造らせた、朕は遷都して東へ幸したいから、各々支度を急げ、と。

学士の陳輝源が諫めて、長安は久しく安楽の地、いま故もなく宗廟を損ない原陵を棄てれば、百姓が驚き騒いで必ず沸き返るような乱が起こる、天下は動かすのは至って易いが安んじるのは甚だ難い、明察を願うと述べた。帝は怒り、汝は国家の大計を阻むのかと叱った。平章事の朱樸も、陳学士の言こそ道理である、祖公たる神堯高祖皇帝が東を征し西を討って一統の天下を築き上げたのも容易ではなかった、いま陛下が汴梁へ行けば必ず朱温の計にはまると諫めた。李英が急いで、この者どもは君臣の礼を失している、斬るべきであると奏した。帝はその奏を聞き、その日のうちに朱樸と陳輝の官を罷め、庶民に落とした。この先どうなるかは、次回に語られる。

評語

卓吾子は、朱温が王彦章を元帥に得、李英を賄賂で腹心とし、駕を請うて汴梁に都を建てさせた、社稷はもはや危ういと評する。

原文(底本)
當日,晉王令鄧瑞雲同六將帶領三千人馬,保護存孝靈柩,葬於靈求峪,安靈守孝。六將領命,逕上去訖。早有細作報入汴梁,朱溫大喜曰:「李存孝已死,吾無憂矣!」今又令軍士護喪葬於靈求峪內,急遣尚讓七將,領兵前去劫奪存孝靈柩,七將領命。正行之次,忽見前面一彪人馬,盡打紅旗,當頭截住去路,為頭閃出英雄,身長一丈,膀闊三停,赤腳蓬頭,膂力過人,乃壽章人也,姓王名彥章。因存孝巡行河北之時,在淤泥河相遇,二人鬥了數合,被存孝連人帶馬打落岸下。彥章誓言,存孝若在十年,吾十年不出,除是死了存孝,才敢出名。

  逕上壽章隱姓埋名。今探聽存孝已死,引了人馬欲來投奔梁王,正值七將兵至,彥章攔住大呼曰:「吾乃渾鐵槍王彥章也!來的人馬何往?」葛從周曰:「吾等梁王手下七將,今奉我王命,領兵前去靈求峪,劫奪李存孝靈柩。」彥章曰:「汝等錯矣!君子不念舊惡,人死不計舊冤,存孝亦是好漢,只因晉王恃酒誤死,搶他屍首何益?不如引我去見梁王,陳說和解之事。」

  七將從之,合兵一處,逕到汴梁城來。

  七將入見,朱溫曰:「李存孝屍首如何?」葛從周曰:「不曾搶得,只與大王尋得一個前部大將。」溫問曰:「是誰?」從周曰:「此人真定壽章人氏,姓王名彥章 。」溫曰:「聞名久矣!吾正欲見此人。」從周引彥章至殿下,溫即欠身相迎,彥章下拜,溫答半禮。溫曰:「足下近在山東,正欲遣人來請為將,破滅李克用,共圖霸業,今日得遇,三生幸矣!」彥章曰:「李克用死了存孝,其勢已孤,臣視之,乃疥癬之疾,不足介意。大王欲取天下,不如先圖了昭宗,再擒晉王未遲。」

  溫大喜,即封彥章為天下兵馬大元帥,設宴犒勞。席間便問彥章圖昭宗天下之計。彥章曰:「臣見昭宗駕下,寵著一人,姓李名英,現任丞相之職,今在長安秤金賣官。大王親將金寶賄賂他,只說長安是久反之地,汴梁是興隆之邦,李英貪得,見利忘義,必奏准朝廷,贊成此事。先領旨到此蓋造皇宮,然後用計,把駕迎上汴梁,那時以圖昭宗,有何難處?」溫曰:「此計甚妙,我若得了天下,富貴與汝共之。」

  商議已定,次日朱溫即自收拾金寶,帶領數百鐵騎,各帶輕刀短箭,逕上長安。不日,已至李英宅前下馬,小卒人報,李英降階而接,到堂上坐定,敘茶已畢。溫曰:「丞相別來無恙!」英曰:「仰賴福蔭,略得清安。大王久不相見,有勞車顧。」溫曰:「恭惟大人!現居元輔之職,臣扶社稷,不勝至喜。今有黃金百錠,珠玉一斗,外有良馬一匹,日行千里,渡水登山,如履平地,名曰玉聰,某不敢乘坐,特來並獻與丞相,以助虎威!」英聽罷,便令帶過來看,果然那馬身上火炭般赤,無半根雜毛,頭尾長一丈,蹄帶項鬃高八尺,嘶喊咆哮,有騰空入海之狀。李英見了大喜。有詩單贊玉聰馬云:

    奔騰千里蕩塵埃,渡水登山紫霧開,

    掣斷絲鞭搖玉轡,火龍飛下九天來。

  英謝溫曰:「大王與此金寶龍駒,某將何報之?」溫曰:「些小微物,豈望報乎?丞相肯為,只在數句言語之間而已。」英曰:「請問其故?」溫曰:「某見長安是久反之地,不及汴梁是地廣人稠、永遠興隆之邦,丞相只須奏准朝廷,與吾領了旨意,到汴梁蓋造皇宮,請駕建都,便是丞相大功績也!」

  英曰:「大王見主上衰弱,時勢已去,莫非要圖天下否?」溫半晌不答。英曰:「明日便奏朝廷,發旨意與你,領上汴梁蓋造皇城。待吾指日把駕拐上汴梁,讓位與你,有何不可?」溫曰:「誠得如此,丞相富貴無比。」

  二人商議已定,次日,昭宗升殿,近臣報言,今有梁王朱溫,欲見陛下。帝曰:「可急宣來!」溫人見,拜伏闕下,口稱萬歲。帝曰:「卿到此,有何見奏?」溫曰:「臣見長安久反之地,干戈擾攘,不得休息。臣守汴梁已久,知是興隆之邦,奏過陛下,請旨蓋造皇城,完日請陛下遷都汴梁。」帝曰:「卿言須當與文武商議。」言尚未盡,只見班部中閃出一臣,面如紅棗,突眼虯髯,威風凜凜,膽量過人,上殿奏曰:「大梁朱全忠,真忠君愛國之臣也!」此人是誰?乃丞相李英也。帝問英曰:「此奏可乎?」英曰:「大梁王所奏,金石之論也!

  難得此人,忠於王室,既有如此好處,陛下急宜從之。」帝正在猶豫,群臣皆言:「不可!龍不離海,虎不離山,陛下安居大位,豈可遠離乎?臣料汴梁萬不及長安。怎見得長安好於汴梁,古人有詩為證:

    自古興隆地,周秦漢代修。

    三川花似錦,八水永長流。

    起蓋咸陽殿,鳳闕對龍樓。

    華夷圖上看,天下最為頭。」

  朱溫曰:「你眾文武說長安好處,也只如此。且聽我說汴梁好處。古人有詩為證:

    王氣騰騰徹比霞,祥雲繚繞照京華,

    寶妝樓閣侵銀漢,玉殿亭臺護絳紗,

    四時不絕山川景,八節常開琪樹花,

    年年三月登高望,香滿梁園百萬家。」

  昭宗聽罷朱溫詩句,心下萬千之喜,遂喚曹中書達填寫旨意與朱溫:「領去汴梁蓋造皇城,朕即遣官軍,將長安府庫錢糧,都攢運至汴梁,選日,請朕建都天下。」溫領旨出朝,暗思:「此等昏君,中了吾計,好似一盞孤燈,昏天曉月,算來活也不多時!」

  溫行了數日,已到汴梁,遂起民夫,搬運土木,喚良匠蓋造皇城,雕樑刻棟,繪鳳描龍,未及半載日期,工程已成,比長安宮室,華麗又加十倍。

  卻說朱溫,蓋造已完,便遣王彥章,先領人馬三萬,前至灞陵川界,以候接應,親自逕上長安,入朝見帝。帝曰:「朕差卿蓋造皇城如何?」溫曰:「臣領旨蓋造,今已完備,特請陛下到汴梁建都。」昭宗大喜,當日聚文武於朝堂。帝曰:「唐室西都二百餘年,氣數已衰,朕觀氣色在汴梁,先遣梁王蓋造宮殿,朕欲遷都東幸,汝等各宜促裝。」學士陳輝源曰:「長安久樂之地,今無故損宗廟,棄原陵,恐百姓驚動,必有靡沸之亂。天下動之至易,安之甚難,望陛下明鑒!」帝怒曰:「汝欲阻國家之大計耶?」平章事朱樸亦諫曰:「陳學士之言是也!想祖公神堯高祖皇帝,東征西蕩,掙成一統天下,亦不易得,今陛下至汴梁,必中朱溫之計矣!」李英急上言曰:「這一起臣僚,有失君臣之禮,可以斬之!」帝聞奏即日罷朱樸、陳輝之官,貶為庶民。未知後事如何,且聽下回分解。

  卓吾子評:

  朱溫得王彥章為元帥,賂李英為腹心,請駕建都汴梁,社援可危矣!

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