殘唐五代史演義傳第三十五回 唐昭宗、車駕を汴梁に遷す (唐昭宗遷駕汴梁)

要約

帝が車駕に乗ろうとすると尚書の周侃と左僕射の伍習が遷都を諫めたので、帝は怒って都門で斬首させた。金銀や愛玩の品を数千余輛に積んで出発し、灞陵川で一隊に遭う。王彦章が天子はどこかと問い、王搏に叱られて大梁王の前部先鋒と名乗り、御駕を守りに来たと答えて拝した。帝は汴梁城に入り、以後朱温は朝廷をほしいままにし内外の兵はその掌中に帰した。

朱温が昭宗を殺して自立したいと持ちかけると、李英は、宴を偏殿に設け屈強の者を伏せ、自ら剣を帯びて天下を寄越せと迫り、与えようと与えまいと殺せと授けた。翌日朱温は椒蘭殿を借り、回駕牌五百面を賜って鉄騎五百を殿下に置き、酒が数巡すると剣を帯びて上り、大位を我に譲れと言い放ち、諸官は黙ってうつむくばかりであった。

保駕大将軍の凌圭が、主上に過ちはない、汝の簒逆の心は承知だと叱って金の壺を投げつけたが、王彦章に斬り捨てられた。逃げようとした帝は彦章に止められ、考えさせてくれと言う。張文蔚は徳なき者が徳ある者に譲るのは古の例と説き、楊渉も唐朝は二百年で気運が極まったと言った。帝は酔っていると逃れ、朱温が斬ろうとしたのを右僕射が止め、昭宗は泣いて帰った。

翌日彦章が鉄騎を殿前に並べ、三度迫られて出た帝に蘇循が天下を渡すかと詰め、人君の福がないから四海が乱れた、徳も福もなく天位にあるのが残暴だと言って袍を掴み一決を迫った。王彦竜や葛従周らが剣を帯びて上り、殿下には甲と戈の数百人が控えていた。帝は血の涙を流し、残んの息を留めて天寿を全うさせてほしいと言って禅位を決め、楊渉に詔を草させた。

詔は、朕は在位二年で覆乱に遭い梁王が誠を尽くした、期運は去ったから朱全忠に禅位すると述べた。丹詔と玉璽が届くと李英は、昭宗自ら璽綬を捧げさせれば簒逆の議論を断てると言って璽を返し、帝は自ら国璽を捧げて梁王に授け、公服で群臣の先頭に立ち臣と称して再拝した。麗泉は、唐室を踏みにじった朱温もほどなく主を替えられると詠んだ。

現代語訳全文

諫臣の斬首と出発

帝が宮を出て車駕に乗ろうとすると、駕の前に二人がひれ伏した。見れば尚書の周侃と左僕射の伍習である。帝が何事かと問うと、周侃は、陛下が汴梁へ遷都なさると聞いたので諫めに参ったと答えた。帝は大いに怒り、朕は喜んで汴梁へ行こうというのに、なぜしつこく諫め立てるのかと言い、武士に命じて都門まで引き出し斬首させた。百姓で涙を落とさぬ者はなかった。遷都の令が下り、翌日には出発することになった。このとき金銀・絹織物・愛玩の品々を数千余輛の車に積み、汴梁へ向かった。

灞陵川の遭遇

昭宗が灞陵川に着いたところ、にわかに旌旗が日を蔽い土煙が天を遮って、一隊の人馬が近づいてきた。百官はみな顔色を失い、帝も大いに驚いた。大将軍の杜友年が馬を出して、来る者は何者か、聖駕を遮るとは何事かと誰何した。繍旗の影から王彦章が馬を出し、声を励まして天子はどこかと問うた。帝は戦慄して物も言えず、群臣も知らせを受けてなすすべを知らない。王搏が進み出て、来る者は何者かと叱ると、彦章は、大梁王の前部先鋒、王彦章であると名乗った。王搏が、御駕を襲いに来たのか、御駕をお守りしに来たのかと問うと、彦章は、梁王の旨を奉じてわざわざ御駕をお守りに参ったと答えた。王搏が、お守りに来たのなら天子はここにおわす、なぜ馬を下りぬのかと詰ると、彦章は大いに驚き、慌てて馬を下りて道の左に拝した。帝が言葉をかけて慰め、彦章は拝して謝した。こうして帝は汴梁城に入った。

その日殿に上ると、百官が朝賀し、それぞれ位次に従って侍立した。以後、朱温は朝廷をほしいままにし、異心を抱いていることは誰もが知るところとなり、内外の兵はことごとくその掌中に帰した。

李英の入れ知恵

朱温は丞相の李英に、自分は昭宗を殺して帝に自立したいがどうかと持ちかけた。李英は、やるならいまのうち、遅れれば変事が起こると答え、次のように授けた。明日、偏殿に宴席を設け、朝廷の道中の労をねぎらう宴という名目で帝に奏上する。その場所は宮門から遠くなく出入りしにくいから、通行の許可を取っておく。大王は屈強の者を選んで伏せておき、自ら剣を帯びて殿に上り、天下を寄越せと迫る。帝が与えようと与えまいと、その場で殺してしまえばよい、と。

朱温は大いに喜び、すぐ偏殿に宴席を設けさせ、翌日帝を招くことにした。

椒蘭殿の宴

翌日、昭宗が殿に上ると、朱温は、王府で宴を設けて陛下の旅塵を払いたいが、恐れ多くて願い出られぬ、偏殿を一つお借りしたいと奏した。帝は、その心づもりなら椒蘭殿で宴を設けよ、特に回駕牌五百面を通行の証として賜るゆえ、門の者も遮るまいと許した。朱温は旨を受けると鉄騎五百を選んで殿下を行き来させ、帝を殿上に請い、文武百官はそれぞれ尊卑の序に従い、近侍が盞を執った。

酒が数巡し、料理も五味を過ぎたころ、朱温が剣を帯びて殿に上った。帝はそれを見て魂も身に添わぬほど怯えた。朱温は楽を止め酒を止めさせ、今日の大事を諸官はよく聴けと言った。一同が立ち上がって耳を傾けると、朱温は、天子は万人の主として天下を治めるもの、威儀が無くては宗廟社稷を奉じられぬ、この昏君を留めて何の用がある、大位を我に譲れと言い放った。諸官は聴いても黙り込み、皆うつむいて地を見つめるばかりであった。

凌圭の死と帝の逡巡

そのとき宴席の一人が卓を押しのけて進み出、筵上に立って大声を上げた。ならぬ、梁王がどうしてそのような言葉を口にできようか、唐朝に人物がいないと侮るのか、主上には何の過ちも悪もない、無理を通せるものではない、汝が簒逆の心を抱いて久しいことは承知しているぞ、と。一同は大いに驚いた。朱温が見れば、保駕大将軍の姓は凌、名は圭という者で、卓の上から金の壺を掴むと朱温めがけて投げつけた。後ろにいた梁将の王彦章が大いに怒り、朝廷の大臣ですら口を出さぬのに、汝は何者でその大胆さかと叱り、佩いていた剣を抜いて凌圭を斬り捨てた。

帝は凌圭が殺されたのを見て殿を下りて逃げようとした。彦章が追いついて引き止め、陛下、肯うか否か早く決められよ、なぜ逃げられるのかと迫った。帝は土色の顔で、しばらく考えさせてくれと言った。

左僕射の張文蔚は、陛下はお間違いである、古の帝王は徳の無い者が徳ある者に位を譲る、それは昔からのならわしである、天下は一人の天下ではなく天下の人の天下である、陛下の祖宗が大昔から伝えてきたものでもない、よくお考えを、と説いた。中書門下の楊渉も、昔から興れば必ず廃れ、盛んになれば必ず衰える、滅びぬ国、敗れぬ家がどこにあろうか、唐朝は二百年伝わって気運は極まった、ご自分の一存で押し通して禍を招かれてはならぬと言った。帝は、今日は酒に酔っている、譲位を論じる場ではないと逃れた。朱温は剣を提げて自ら斬ろうとしたが、右僕射が、なりませぬ、陛下はすでに大王に許されたのです、いま一度議す余地を残され、軽はずみはなさいますなと止めた。朱温は怒りを収めた。昭宗は泣きながら後殿へ帰り、百官はみな嘲り笑って退出した。

蘇循の詰め寄りと禅位の決意

翌日、百官はまた大殿に集まった。王彦章は鉄騎を率いて殿前に並べ、宦官に召し出させた。昭宗は恐れて出ようとせず、朱温が三度も人を遣って迫ったので、慌てて衣を改め殿に出た。蘇循が、昨日陛下はすでに梁王に天下を許された、今日はお渡しになるかと奏した。帝は、卿らは唐の禄を食むこと久しく、その中には唐朝の子孫も多いのに、一人として朕の憂いを分かつ者がいないのかと嘆いた。蘇循は、陛下の御意は天下を梁王に禅る気が無いということか、昨日の有様をご覧にならなかったかと言った。帝が、汝ら大臣にはなぜ憐れむ心が無いのかと問うと、蘇循は、天下の人は皆、陛下に人君の福が無いから四海が大乱したと知っている、いま梁王は英雄で度々大功を建てているのに、陛下はなおその恩を知って徳に報いようとなさらぬ、だからこそ天下の人にこぞって陛下を討たせようというのだと言った。帝は、昔、桀紂は無道で生霊を残虐に扱ったからこそ天下の人が討ったのだ、朕は即位以来小心謹慎で、半点も非礼を行ったことはない、天下の誰が忍んで朕を討とうかと答えた。

蘇循は怒って、陛下は徳も福も無いのに天位にいる、それ自体が甚だしい残暴の道であると言い放った。帝が袖を払って立ち上がると、張文蔚が蘇循に目配せし、蘇循は歩を進めて昭宗の袍を掴み、陛下、肯うか否か早く一決を、と迫った。帝は震えて答えられない。そのとき階下から王彦章の弟の王彦竜、巣将七人のうち葛従周・尚譲・斉克譲らが各々剣を帯びて殿に上り、さらに殿階の下には甲を環らせ戈を持つ数百人、いずれも兵士が控えているのが見えた。

帝は血の混じる涙を流し、祖宗の天下をまさか今日自分の代で廃することになろうとは、九泉の下でどんな顔をして先帝に見えようか、と嘆いた。そして群臣に泣いて告げた、朕は天下を梁王に禅ろう、ただ残んの息を留めて天寿を全うさせてほしい、と。貽矩は、臣らがどうして陛下に背きましょう、事はここまで至ったのだから、急ぎ詔を草して衆心を安んじられよと言った。帝は楊渉に詔を草させ、国を梁に禅る旨を示した。

禅位の詔と国璽の授受

詔はこう述べる。人が生まれて以来、これを牧する者を立て、天の眷命の向かうところを大宝と呼ぶ。歴数が己に無ければ安逸を貪ってはならぬ。ゆえに舜と禹は至公の心で揖譲して興り、虞夏や湯武は干戈をも兼ね用いて殷周を定めた。道筋は異なっても功の成るところは一つで、後の創業者は皆これに則る。朕は在位二年、天下の覆乱に遭い、祖宗の霊のお蔭で梁王が誠を尽くし力を竭くして鋒鏑に先立ってくれた。いま仰ぎ見るに期運はすでに去り、天命の向かう先は定まった。よって位を退いて梁に禅る。いま臣を遣わして国璽を献上し、堯典に倣って朱全忠に禅位する、梁王よ辞退するには及ばぬ。

その日、百官が丹詔と玉璽を捧げて梁王の宮に献納すると、朱温はそのまま受けようとした。

李英は、なりませぬ、大王は軽々しく受けてはなりませぬ、詔と璽が届いたとはいえ、昭宗自ら璽綬を捧げて天下を大王に禅らせれば、簒逆だという世の議論を断ち切れますと言った。朱温は大いに喜び、謝蘭に璽を捧げ持たせて宮へ返した。帝がこれはどうしたことかと問うと、李英は、陛下が自ら持参して明白に禅位なされば、陛下の子孫は世々梁の恩を蒙りますと答えた。帝はもはや行かざるを得ず、自ら国璽を捧げて梁王の大殿に至り、梁王に授けた。そののち公服を着け、群臣の列の先頭に立って臣と称して再拝した。王彦章と巣将の葛従周らは各々剣を手にして左右に立ち並び、大小の文武も昭宗も皆北に向かって山呼し、声を揃えて万歳を唱えた。この後どうなるかは、次回に語られる。

麗泉の詩は、その日朱温が力ずくで李氏を併せ、唐室を赤子のように踏みにじったが、天地には私曲が無いと知るべきで、ほどなく同じように主を取り替えられることになると詠む(詩:不久換主)。

評語

卓吾子は、昭宗が忠良の諫めを聴かず、ついに国璽を捧げて朱温に禅る羽目になったと歎き、ただ一人身を挺した保駕の凌圭が斬られたことこそ深く痛惜すべきだと評する。

原文(底本)
帝出宮上車駕,駕前二人跪下,視之乃尚書周侃、左僕射伍習,帝問:「有何事?」侃曰:「今聞陛下欲遷都汴梁,故來源耳!」帝大怒,曰:「朕心喜上汴梁,如何苦諫?」即令武士拽出都門斬首,百姓莫不垂淚。下令遷都,來日便行。此時裝載金銀緞匹玩好之物,數千餘車,逕往汴梁去了。

  卻說昭宗方才到了灞陵川,忽見旌旗蔽日,塵土遮天,一陣人馬到來。百官盡皆失色,帝大驚。大將軍杜友年出馬曰:「來者何人?敢攔聖駕?」繡旗影裡,王彥章出馬,厲聲便問:「天子何在?」帝戰慄不能言。群臣聞知,皆無所措。王搏向前叱之曰:「來者何人?」彥章曰:「大梁王前部先鋒王彥章是也!」王搏曰:「汝來劫駕,是來保駕?」彥章曰:「奉梁王旨,特來保駕!」搏曰:「既來保駕,天子在此,何不下馬?」彥章大驚,慌忙下馬,拜於道左,帝以言慰撫,彥章拜謝,帝入汴梁城。

  是日登殿,百官朝賀,各依位次侍立。自是朱溫縱橫朝廷,謀立異志,盡人皆知,內外之兵,盡歸掌握。溫請丞相李英曰:「吾欲殺昭宗,自立為帝何如?」英曰:「可就此時行事,遲則有變矣!來日於偏殿排筵,只說與朝廷洗塵,再奏過帝,此離宮門不遠,不好出入,討個執照。大王可選下好漢,埋伏彼處,親自帶劍上殿,索取天下。帝與不與,只此殺之。」

  溫甚喜,即便教人排筵會於偏殿,來日請帝。

  次日,昭宗升殿,溫奏曰:「臣欲於王府安排筵宴,與陛下拂塵,臣不敢請,乞陛下借一偏殿,方好行樂。」帝曰:「汝有此意,可於椒蘭殿上設宴,特賜回駕牌五百面,與卿執照,門上不敢阻擋。」朱溫領旨,遂選五百鐵騎,來往於殿下,請帝於殿上,同文武百官,各依尊卑為序,近侍執盞。酒行數巡,食過五味,只見朱溫帶劍上殿,帝見了唬得魂不附體。溫叫止樂停酒。溫曰:「今日大事,眾官聽察!」眾皆起身側耳。溫曰:「天子為萬人之主,以治天下,無威儀不可以奉宗廟社稷,留此昏君何用?可將大位讓與我!」眾官聽罷,默然無語,各低頭覷地。

  忽宴上一人推桌直出,立於筵上大叫:「不可!梁王焉敢發此語,欺俺唐朝無人物耶?主上又無過惡,安敢無理!吾知汝懷篡逆之心久矣!」眾皆大驚。朱溫視之,此人乃保駕大將軍,姓凌名圭,遂向桌上綽起一把金壺,望朱溫即打將來。梁將王彥章在後面大怒,叱之曰:「朝廷大臣,尚不敢言,汝何等之人,敢如此大膽?」即拔所佩劍,將凌圭斬之。帝見殺了凌圭,下殿便走。彥章趕上,扯之曰:「陛下肯與不肯早決!何故走乎?」此時,帝驚得面如土色。帝曰:「容朕思之。」

  左僕射張文蔚曰:「陛下差矣!古之帝王,無德讓有德,自古皆然。天下者,非一人之天下,乃天下人之天下也。須不是陛下祖宗自古傳到今,請陛下思之。」中書門下楊涉曰:「自古以來,有興必有廢,有盛必有衰,豈有不亡之國,安有不敗之家?陛下唐朝相傳已二百年,氣運已極,不可自決而惹禍也!」帝曰:「今日酒醉,非推讓之處耳!」朱溫提劍自欲殺之,右僕射止之曰:「不可!陛下已許大王耳!尚容再議,不必造次。」溫怒乃止。昭宗哭回後殿,百官皆哂笑而退。

  次日,百官又聚於大殿。王彥章帶領鐵騎,布列殿前,召令宦官。昭宗懼不敢出,溫又遣人三次逼之,慌更衣出殿。蘇循奏曰:「昨日陛下已許梁王天下,今日肯傳否?」帝曰:「卿等食唐祿久矣!中間多有唐朝子孫,直無一人分朕之憂耳?」蘇循曰:「陛下之意,不欲以天下禪於梁王,曾見昨日之風景否?」帝曰:「汝眾大臣,何無見憐之心?」循曰:「天下之人,皆知陛下無人君之福,以致四海大亂。今梁王英雄,累建大功,尚不知恩以報德也,直欲令天下之人,共伐之。」帝曰:「昔桀紂無道,殘暴生靈,故天下人伐之,朕即位以來,小心謹慎,未嘗敢行半點非禮之事,天下之人,誰忍伐之。」

  循怒曰:「陛下無德無福,而居天位,甚有殘暴之道也!」帝拂袖而起,張文蔚目視蘇循,循縱步向前,扯住昭宗袍,曰:「陛下肯與不肯,乞早一決!」帝戰慄不能答。忽階下王彥章之弟王彥龍,巢將七人葛從周、尚讓、齊克讓等,各帶劍上殿,又見殿階之下,環甲持戈數百人,皆兵士也。

  帝乃流涕出血,歎曰:「祖宗天下,何期今日廢之,朕九泉之下,何面目見先帝乎?」泣告群臣曰:「朕天下願禪與梁王,幸留殘喘,以度天年。」貽矩曰:「臣等安有負陛下,事已至此,可急草詔,以安眾心。」帝乃令楊涉草詔,願禪國於梁。詔曰:

    制曰:

    伏以生人以來,樹之司牧,眷命所矚,謂之大寶。歷數弗在,罔或偷安,故舜禹至公,揖讓而興,虞夏湯武,兼濟干戈,以定殷周。事乃殊途,功成一致,後之創業,咸取則焉!朕今在位二年,遭天下蕩覆,賴祖宗之靈,得梁王竭誠盡力,率先鋒鏑,今仰瞻期運已去,天命有適,遜位而禪於梁。今蒞倍臣,獻上國璽,追則堯典,禪位於朱全忠,梁王無致辭焉!欽此。

  是日,百官齎丹詔並玉璽,至梁王宮獻納,朱溫便欲受之。

  李英曰:「不可!大王不可輕易,雖然詔璽已至,可令昭宗親捧璽綬,以禪天下於大王,可以絕人議論篡逆之言也!」溫大喜,令謝蘭捧璽還宮。帝曰:「此事若何?」李英曰:「陛下親自送去!明白禪位,則陛下子孫,世世蒙梁恩矣!」帝到此時,不容不行,親自送去。只得親捧國璽至梁王大殿,授與梁王去了。然後披公服於群臣班首,稱臣再拜。王彥章並巢將葛從周等,各掣劍在手,布列左右,大小文武,及昭宗皆北面山呼。於是同聲其口,齊呼萬歲。欲知後事如何,且看下回分解。

  麗泉詩云:

    當日朱溫強並李,欺凌唐室若嬰孩,

    誰知天地無私曲,不久依然換主來。

  卓吾子評:

  昭宗不聽忠良之諫,遂致捧國璽禪於朱溫,抑一保駕凌圭,深可痛惜!

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