殘唐五代史演義傳第三十七回 鶏宝山で存孝、霊験を現す (雞寶山存孝顯聖)

要約

彦章が挑む最中、八十四歳の晋王は甲冑を着け定唐刀を携えて出陣した。彦竜が、将はみな討ち尽くしたのにまだ出るのかと嘲ると、晋王は、奸賊が大唐の天下を奪ったのだ、自ら首を取ってやると罵って激闘となった。

だが晋王は年老いて数合で大敗して逃げ、彦竜が追う。追い詰められた晋王が、存孝よ、汴梁の会では汝が我を救った、今なぜ霊験を示さぬのかと叫ぶと、東南から風が起こって飛虎旗が巻き出し、畢燕檛を手にした生前のままの存孝が現れた。奸賊めここで待っていたと大喝されると、彦竜は馬から転げ落ちて息絶えた。存孝は雲霧の中から、父子の情を全うした、梁兵は勢いを失う、これで天へ昇ると告げて消え、晋王は泣いて彦竜の首を斬って帰った。

これを聞いた彦章は怯えて逃げ、梁兵も武器を捨てて踏み合い死ぬ者は数知れなかった。詠史の詩は、存孝が死してなお彦竜を戮して敵軍を破り、唐の社稷を失ったのは天意の分だと嘆じる。彦章は一夜走って唐営から二十里離れ、将を集めて営を構え直し、名将十六員を槍で落馬させた。

梁兵二十余万は諸郡の旱魃もあって対峙一年余りで糧が尽き、梁帝が送った十万斛も足りない。彦章は朱友珪に、炎暑の間は動かず自ら朝廷へ奏して糧米を送らせよと勧めた。友珪が渝丘で休むと、朱温は子の嫁を妻とし子の妻を妾にしていると人々が囁いており、友珪は帰れば害を受けると考えて本営へ戻った。逸狂は人倫を滅ぼした朱温にも天道の報いがあると詠む。

晋王は存孝が飛虎山の霊廟に残した六員の副将を呼ばせ北城に屯させた。彦章が攻めようとすると、李罕芝は城上に旗だけ並べて軍馬を城外へ出し、彦章は守兵がなく兵が腰に荷を括るのを見て逃げ支度と推して追撃した。安休休は十合とせず刺し落とされ、薛阿檀も十余合で刺し殺され、晋兵は大敗して西北へ去った。彦章は門の開いた北城へ数十騎を入れ自らも進んだが、弩が雨と放たれ、先を争った者は落とし穴にはまり、彦章も右腕に矢を受けた。司馬鄴と張存敬が城外へ救い出し、梁兵は大敗して尚譲の一軍が救い、彦章は鏃を抜いて療養した。

晋王が彦章に当たれる者を嘆くと、李嗣源は、存孝が捕らえて放免し山東で耕す高思継なら破れると言って遣わされた。思継は人と争わぬ誓いを立てたと断ったが、彦章が、思継が雞宝山へ来たら生け捕りにすると叫んだと嗣源が語ると、激して白竜馬を出せと叫び唐営へ向かった。晋王は喜んで助けを請い、思継はまず敵の動静を見たいと答えた。

現代語訳全文

晋王みずから出陣する

彦章が戦いを挑んでいる最中、晋王は馬を引け、自分が一度陣に出ると叫んだ。このとき晋王はすでに八十四歳であったが、甲冑を着けて馬に乗り、定唐刀を携えて兵を率い営を出た。彦章が望み見ると、二面の日月竜鳳旗が見え、その旗の下に、額に千条の糸を垂らし髪を一窩に結んだ将がいる。金の甲冑に翡翠の袍、玉帯、千里追風の馬、肩に横たえた定唐刀という出で立ちであった。(詩:金甲金盔の老将)

王彦章が迎え討とうとすると、彦竜が先に馬を進め、来るのは晋王かと問うた。晋王がそうだと答えると、彦竜は、お前の将はみな討ち尽くしたのにまだ自分から陣に出るのかと嘲った。晋王は、この奸賊どもが我が大唐の天下を奪ったのだ、天も神も憎んでいる、自ら陣に臨んでお前の首を取ってやると罵った。両馬が交わり双刀が打ち合う激闘となり、寒風と馬蹄と甲冑の音、死ぬか生きるか互いに降参せぬ意地の張り合い、行きつ戻りつ交わる戦馬、心を起こして槍は錦の戦袍を突き挑ね、意を決して刀は連環の甲を断ち割り、旗振りや太鼓の乱打までが描かれる。(詩:刀槍相打つ激戦)

存孝の顕聖と彦竜の死

しかし晋王は年老いて筋力衰え、数合も戦わぬうちに彦竜に大敗して馬を返して逃げた。すでに黄昏で、彦竜は左手から陣を降って追ってくる。逃げる者は猛風が枯葉を吹き散らすかのごとく、追う者は急雨が残花を打ちたたくかのごとくで、追い詰められた晋王は、我が子存孝よ、昔汴梁の会に赴いたとき汝は我を救ってくれた、今我が命は旦夕に迫っている、なぜ霊験を示さぬのかと叫んだ。

言い終わらぬうちに、東南から一陣の風が起こり、二面の飛虎旗が巻き出て、その下に生前そのままの姿の存孝が現れた。虎の額当ては世に類なく、虎皮の袍は天下に並びない。猊の鎧は槍にも刀にも怯まず、手にした畢燕檛は人の魂を奪う。馬上には総鉄造りの長矛を横たえ、乗る名馬は蛟竜にも勝るという姿である。(詩:存孝の姿)

晋王が勇南公よ早く助けよと呼ぶと、存孝は先頭に馬を進め、奸賊め、ここでお前を待っていたと大喝した。彦竜は驚いて苦しやと叫び、馬から転げ落ちて息絶えた。存孝はなお雲霧の中にあって、父上、こうして一度お目にかかり父子の情を全うしました、梁の兵はこれから勢いを失います、私はこれで別れを告げて天へ昇りますと告げた。晋王が振り返ると、風は清く月は明るく、存孝の姿は消え、ただ王彦竜の死体だけが地に横たわり、残りの兵は散り散りに逃げていた。晋王は声を放って泣き、死んだ後まで自分の命を救いに来てくれたかと我が子を何度も呼び、馬を下りて彦竜の首を斬って帰った。王子と諸侯が出迎え、晋王が泣いて事の次第を語ると、一同は嘆息してやまなかった。

彦章の敗走と梁兵の潰乱

李存孝が彦竜を矛で突き殺し、その人馬が後ろに迫っていると報が入ると、王彦章は魂も身に添わぬほど怯え、慌てて馬に乗り力の限り鞭を入れて逃げ去った。梁の陣の兵も肝をつぶし、槍を棄て刀を落とし兜を失い甲を投げ捨て、互いに踏み合って死ぬ者は数知れなかった。詠史の詩は、存孝が当年ひたすら討伐に勤め、忠義をもって先君に報いようとしたこと、虎を打ち黄巣の賊を追い、死してなお彦竜を戮して敵軍を敗ったことを詠み、そのうえで、唐の社稷が失われたのは戦の計策が足りなかったからではなく天意の定めた分によるのだと言い、では大唐の基業はいまどこにあるのか、残るのはただ将軍の古墳ひとつだけだと嘆じて結ぶ。(詩:存孝の忠義)

彦章は一夜走り通して唐営から二十里離れたが、道中は死骸が絶えなかった。彦章は残った将を集め直し、再び唐軍と向かい合って営を構えた。このとき彦章はひとたび怒って、名将十六員を槍で突いて落馬させ、残りはみな馬を飛ばして逃げ延びた。

糧食の窮乏と朱友珪の見聞

梁兵二十余万は糧の消費が大きく、しかも諸郡は旱魃で荒れて人が人を食らい、家屋は残らず壊され、兵は略奪をしない者がいないありさまであった。唐軍と対峙すること一年余りで糧が尽き、梁帝に上表して催促したところ、梁帝は十万斛を送ったが、兵への支給には足りなかった。彦章が朱友珪と、兵多く糧少ない事態をどうするかと相談すると、友珪も、糧食は兵家の大事であり、軍心が変われば収拾がつかぬと案じていると答えた。彦章は、今は炎暑だから兵を動かさずにおき、殿下自ら朝廷へ行って奏上し、将を遣わして糧米を手配させ、期日を切って軍前で支給できるようにすれば唐と対峙できる、と勧めた。

友珪は武装して馬に乗り、数人を連れて雞宝山を発ち、数日行って渝丘に至った。汴梁まであと一日の道のりである。友珪は商人のような身なりをしており、暑さのために垂楊の下で休んでいると、道を行き交う人々が三々五々、大梁王の朱温はひどく不仁で、舅でありながら子の嫁を妻とし、父でありながら子の妻を妾にしていると囁き合っている。友珪はひそかにこれを聞いて驚き、そんなことがあってよいものかと近隣の住民に尋ねると、人々はみな驚いた。友珪は内心、我が父は禽獣の類で、その不仁は虎狼よりひどい、朝廷へ帰ればきっと害を受ける、雞宝山へ戻って別の策を図るほうがよいと考えた。逸狂の詩は、朱温があまりに不仁で、舅の身で子の嫁を娶り人倫を滅ぼしたことを歎じ、椒蘭殿の上で幾度も振り返ることになろう、天道の報いが偏っているなどと誰が言えようか、と詠む。(詩:朱温の不仁)

友珪は馬を返して急ぎ本営に帰った。王彦章が出迎えると、友珪はこの一件を訴えた。彦章は別に良策があると説き、友珪はこれに従った。

北城の攻防と彦章の負傷

一方、李晋王は帳中で終日憂悶し、船頭あがりの彦章に押されて門を閉ざしたまま出られずにいたが、存孝がなお六員の副将を飛虎山の霊廟守りに残していたことを思い出し、急ぎ李嗣源を呼んでその一隊を呼び寄せさせた。嗣源が数日で六将を連れ帰り、北城に屯させると、間者の報でこれを知った彦章は兵を移して北城を攻めようとした。李罕芝は令を伝え、五鼓に飯を炊かせ、夜明けとともに大小の軍馬をすべて城外へ出し、城上には旗だけを虚しく並べて勢いを装わせ、軍を二門から出した。

王彦章が北門の外に陣を布いた当日、晋兵は三門から出た。彦章は自ら将台に上って城上を見ると、牆のあたりは張りぼての旗ばかりで守る人がなく、また兵たちが腰に荷物を括りつけているのを見て、晋兵は糧が尽き、孤立して兵力も乏しいので、まず逃げる支度をしているのだと推した。そこで台を下りて令を伝え、両軍を左右の翼とし、前後いずれで勝っても力の限り追撃し、鉦が鳴るまで退くことを許さぬとした。葛従周に後軍を押さえさせ、自身が進んだ。

陣を合わせると鼓が大いに鳴り、彦章が陣前へ出た。晋王も門旗の下に出て鞭で指しながら誰か前へと呼ばわると、安休休が応じて出たが、十合とせぬうちに彦章の槍に馬下へ刺し落とされた。彦章が名を呼ばわって挑むと、唐将の薛阿檀が出て十余合戦い、これも刺し殺された。唐の陣は乱れて兵が先に退き、李罕芝と傅存審の二人が殿を務めた。彦章が両翼の軍に突撃を指図すると晋兵は大敗し、彦章は自ら大軍を率いて北城の下まで追ったが、唐軍は城に入らずみな西北へ去っていった。

梁将の李思安と劉知俊が前部を挙げて追い、彦章は北城の門が大きく開いて城上に軍馬もないのを見て、中軍に城を奪えと指図し、数十騎を先に入れた。彦章自身も後ろから鞭を入れ、雍城の道端まで突き進んだ。城上の薛鉄山は彦章自ら先に入るのを見て密かに快哉を叫んだ。拍子木が一声鳴ると両側から弩が一斉に放たれ、矢は雨のように降り、先を争って門に入った者はみな馬を落とすために掘られた落とし穴にはまった。彦章が馬を返そうとしたところへ一矢が右腕に命中し、彦章は身をひるがえして馬を下りた。賀黒虎が門内から斬って出て彦章を討とうとしたが、司馬鄴と張存敬の二人が命がけで彦章を城外へ救い出した。兵が突き出ると梁兵は互いに踏み合い、堀や坑に落ちる者は数知れなかった。葛従周が急ぎ兵を収めようとするところへ李罕芝と傅存審が二手に分かれて斬り返し、梁兵は大敗したが、尚譲が一軍を率いて横合いから斬り出て救った。李罕芝は勝ち軍を率いて城に入った。

葛従周が敗軍を収拾してみると負傷者は多数であった。二将が彦章を帳中に運び、行軍の医者を呼んで鉄の鑷で弩の鏃を抜き取り、金瘡薬を傷口に詰めた。彦章はそのまま帳中で療養し、兵を動かさなかった。

高思継を招く

王彦章が安休休らを斬ったことで威名はいよいよ高まり、遠近の者が驚いて評判は絶えなかった。晋王は一同を集めて、彦章が北城まで拠って虎に翼が生えたようであり、しかも名将を次々に斬られて我が兵の鋭気は挫けている、この賊は今こそ兵を休めているが、傷が癒えて再び出て来たら誰が当たれようかと嘆いた。李嗣源が、一人だけこの賊を破れる者がいると言い、晋王が誰かと問うた。

それは、かつて五侯が太原に叛いたとき存孝が病中に脇挟んで捕らえた男で、姓を高、名を思継といい、山東鄆州東平府の人である。存孝が放免して家に帰したので、以来耕作して暮らしている。自分が行って呼び寄せれば賊は必ず破れる、と嗣源は言った。晋王は大いに喜び、嗣源を遣わした。

嗣源は旅装を整え、刀を佩いて馬に乗り、山東へ向かった。高思継の家の門前で馬を下り、二人は再会を喜んで、これまでの経緯をすべて語り合った。思継は、勇南公に捕らえられて命を助けられ山東に帰ってから、二度と人と争わぬと誓って数年になる、今は三頃の地を守って一張の犁を頼りに暮らし、武事は口にしないと断った。

嗣源は思継に従う気がないと見て、この男は言葉で激するほかないと考え、天下の王位にある諸鎮の諸侯はみな将軍の名を雷のように聞いて羨んでいる、自分は王彦章と戦って陣から追い落とされたとき、彦章よ、私を追うくらいは珍しくもない、好漢たらんとするなら兵を止めて待て、山東に総鉄の槍に白馬の高思継という世に並びなき万夫不当の英傑がいると聞く、呼んで来て相手をさせようと言ってやった、すると彦章は憤然として、もう挑みには行かぬ、呼びに行くがよい、来なければそれまでだが、この雞宝山へ来たなら必ず生け捕りにしてやると叫んだ、と語った。

これを聞いた高思継は激して胸に火が起こり口から煙が出るほどになり、左右に白竜馬を用意せよ、この賊を生け捕りにしてやると叫んだ。二人は武装して馬に乗り、山東を発って雞宝山へ向かった。日は長く歩みは急で、風は激しく道は斜めに、落ちぬ流星のごとく弦を離れた弩の矢のごとくに駆けたという。(詩:疾駆する二騎)

二人は幾日もかからず唐営に着き、晋王に謁した。晋王は大いに喜び、座を与えて労をねぎらった。晋王が、王彦章に斬られた首は数知れず兵は意気を失っている、将軍の助けを請うと述べると、思継は、まず敵の動静を見させていただきたいと答えた。晋王は酒宴を設けてもてなした。この後どうなるかは、次回に語られる。

評語

卓吾子は、彦章が晋兵を数知れず殺傷し、李晋王も勇南公の顕聖がなければ危うく命を落とすところであったと言う。そのうえまた梁兵が戦いを挑んできたので、晋の側が高思継を招いて当たらせたが、これも詮ない策にすぎぬようでもある、と評する。

この篇には、機械と人手の突き合わせを繰り返しても判断がつかなかった箇所が残っています。原文と読み比べてください。

  • 「馬上橫擔渾鐵搠,五名馬賽過蛟龍」底本は「五名馬」とあり、字の通りなら「五頭の名馬」となります。ただし対句の前半が「馬上橫擔(馬上に横たえる)」なので後半は「坐(下)名馬(名馬に乗る)」であるべきで、同じ回の詩も「坐下千里追風馬」となっています。底本の「五」は「坐」の誤刻と見て、頭数を立てずに訳しました。
原文(底本)
正值彥章搦戰,晉王大叫:「快備馬來,吾自出陣一遭!」此時晉王年已八十四歲,披掛上馬,綽定唐刀,領兵出營。

  彥章視之,見兩面日月龍風旗,旗下有一將,額垂千條線,發綰一窩絲。如何打扮?

    金甲金盔翡翠袍,腰間玉帶束鮫綃。

    坐下千里追風馬,肩上橫阻定唐刀。

  王彥章正欲迎戰,彥龍一馬當先,問曰:「來者莫非晉王否?」晉王曰:「然!」彥龍曰:「汝將已被吾殺盡,尚敢自臨陣耶!」晉王大罵曰:「這伙奸賊,奪吾大唐天下,天厭神怒,吾親臨陣取汝首級!」言罷,兩馬相交,雙刀並舉,怎見得?有詩為證:

    刮地寒風聲颯颯,硬戰征袍聲似擦。

    逼逼剝剝馬蹄鳴,叮叮噹噹袍槍甲。

    你死我活不伏輸,一往一來交戰馬。

    興心槍挑錦戰袍,舉意刀劈連環甲。

    摩旗小校手連顛,擂鼓軍郎槌亂打。

  時,晉王年老,筋力衰敗,戰不數合,被彥龍殺得大敗,撥馬而走。已近黃昏,左側彥龍趕下陣來。前走的,好似猛風吹敗葉;後追的,恰如急雨打殘花。追趕已無措手,大叫:「吾兒存孝!昔日汴梁赴會,汝曾救我,今吾死在須臾,汝何無靈!」言未絕,只見東南上一陣風,卷出兩面飛虎旗,旗下是存孝,結束如生:

    虎磕腦乾坤少有,虎皮袍蓋世無雙。猊鎧槍刀不懼,畢燕檛能取人魂。馬上橫擔渾鐵搠,五名馬賽過蛟龍。

  晉王叫:「勇南公吾兒!快來救我。」只見存孝一馬當先,厲聲大罵:「奸賊!吾在此等你多時。」彥龍大驚,叫聲「苦也!」跌下馬來,氣絕身死。此時存孝,猶在雲霧之中,叫聲:「老父!兒與你相會一面,以完父子之情,梁兵自此勢敗,兒今辭別,朝天去了。」晉王回頭看時,只見風清月朗,不見了存孝,獨有王彥龍死在地上,餘眾各散逃生。晉王放聲大哭,叫數聲吾兒,死後還來救我一命。下馬斬了彥龍首級而回。眾王子並諸侯接見,哭訴前事,眾皆嗟歎不已。

  早有人報知王彥章,言:「李存孝搠打死彥龍,現今後面人馬到了。」唬得王彥章魂不附體,慌忙上馬,盡力加鞭,望後而走。本陣軍兵,魂飛魄散,棄槍落刀,失盔拋甲,自相踐踏,死者不計其數。詠史詩曰:

    存孝當年弔伐勤,要將忠義報先君,

    只因打虎追巢賊,死戮彥龍敗敵軍。

    非是兵機無計策,只緣天意有攸分,

    大唐基業今何在?惟有將軍一古墳。

  彥章走了一夜,離唐營二十里,死屍不絕,彥章點聚餘將,復與唐家對面安營。此時,彥章一怒,槍挑名將一十六員落馬,餘皆放馬逃生。

  卻說梁兵二十餘萬,用糧浩大,況諸郡荒旱,人皆相食,屋宇盡皆拆毀,軍人無不擄掠,與唐軍相拒一載有餘,糧荊乃上表梁帝催糧。梁帝應付十萬斛,軍士支給不敷。彥章與朱友珪商議:「兵多糧少,如之奈何?」友珪曰:「吾正憂慮此事,糧食兵家大事,倘軍心有變,難以區處。」彥章曰:「今天氣炎熱,且宜按兵不動,殿下親往朝廷面奏,叫遣將應付糧米,剋日到軍前支給,才好與唐相拒。」

  友珪披掛上馬,帶領數人,離了雞寶山,行了數日,已至渝丘,到汴梁只隔一日程途。原來友珪結束,一如商賈相似,又值天氣炎熱,憩息於垂楊樹下,只見路上往來之人,三三兩兩,互相遞語曰:「大梁王朱溫,甚是不仁,翁婚兒婦為妻,父納子妻為妾。」友珪潛自聽之,駭然大驚,安有此等之言?

  遂自向前而問遠近居民,眾皆一驚。友珪暗思:「吾父禽獸之輩,不仁之心,甚於虎狼,吾若回朝,必遭其害,不如仍回雞寶山,別圖良策。」

  逸狂詩云:

    堪歎朱溫太不仁,翁婚兒婦滅人倫,

    椒蘭殿上頻回首,天道誰言報不均。

  友珪於是勒馬急回本營,王彥章接見,訴知此事,別有良圖,友珪從之。卻說李晉王在帳中,整日憂悶,被水手殺做個閉門不出,猛想存孝尚留六員副將,在飛虎山守靈,急喚李嗣源,調取這一支人馬前來助戰。嗣源去了數日,六將已到,屯於北城,細作報知彥章,便欲移兵來打北城。李罕芝傳令,叫五鼓造飯,平明大小軍馬都皆出城。城上虛插旌旗,遙張聲勢,軍分二門而出。

  卻說王彥章,引兵列陣於北門外。當日晉兵分三門而出。

  彥章親上將臺,看見城上,牆邊盡是虛糊旌旗,無人守護。又見軍士腰下,各束縛包裹。彥章心中暗忖:「晉兵必是糧盡,勢孤力寡,先準備走路。」遂下將臺傳令云:「令兩軍分左右為翼,如前後得勝,盡力追趕,直待鳴金,方許退步。」就叫葛從周領住後軍,親自進兵。當日對陣,鼓聲大振,彥章出馬,在陣前。晉王自至門旗下,揮鞭指點:「誰人向前?」一將應聲出馬,乃安休休也。與彥章交鋒,不十合,彥章槍刺安休休於馬下。彥章大呼姓名搦戰,唐將薛阿檀出馬與彥章戰十餘合,又被刺死。唐陣勢亂,眾軍先退。李罕芝、傅存審兩個押後,彥章指兩翼軍衝出,晉兵大敗,彥章自率大軍,追趕至北城下,唐軍皆不入城,皆望西北而去。

  梁將李思安、劉知俊引前部盡趕,彥章見北城門大開,城上又無軍馬,指點中軍搶城,數十騎當先而進。彥章在背後,加鞭縱馬,直叉到雍城道邊。城上薛鐵山竊見彥章親自先入,暗暗喝采。一聲梆子響,兩邊號弩齊發,箭如雨下,爭先入門者盡落陷馬坑去。彥章正勒馬回,一箭正射中右臂,彥章翻身下馬。賀黑虎從門內殺出,逕來殺彥章。卻得司馬鄴、張存敬兩個死命救出城去了。軍士突出,梁兵自相踐踏,落塹填坑者無數。葛從周急收軍時,李罕芝、傅存審分兩路殺回,梁兵大敗,卻得尚讓引一軍從側首截出救了。李罕芝引得勝軍進城。

  葛從周比及收拾敗軍,傷者數多。二將救彥章到帳中,喚行軍醫者,用鐵鑷鑷出弩箭頭,將金瘡藥塞掩瘡口,只在帳中養病,按兵不動。

  卻說王彥章又斬了安休休等,威聲大振,遠近皆驚,連絡不絕。晉王聚眾商議曰:「彥章又據北城,如虎生翼,況累斬名將,吾兵銳氣皆挫,此賊按兵不戰,若一旦瘡愈復出,誰能擋之。」李嗣源曰:「一人可破此賊。」晉王問:「是誰?」

  昔五侯反太原時,存孝病挾的那人,姓高名思繼,是山東鄆州東平府人氏,因存孝放他還家,耕鋤為活。兒去調取這人前來,破賊必矣!」晉王大喜,叫嗣源一行。

  卻說嗣源收拾行裝,跨刀上馬,直抵山東而來。訪至高思繼門首下馬,二人相見大喜,盡訴前事。思繼曰:「自勇南公擒我,饒了性命,回山東來,誓不與人相持,今已數年,自是善身三頃地,付首一張犁,不復再言武事。」嗣源見思繼苦無相從之意,暗想此人,只可以言激之。嗣源曰:「天下王位各鎮諸侯,皆聞將軍之名,如雷灌耳,稱羨不已。吾與王彥章交兵,被趕下陣來。我叫:『彥章,今來趕我,不足為奇,汝欲為好漢,且停兵不戰,吾聞山東渾鐵槍白馬高思繼,世之英杰,有萬夫不擋之勇,待我請來,與汝對敵。』王彥章聽吾陣前誇言,忿然大叫:『我再不來索戰,待汝去請來,不來便罷,若到這雞寶山來,我定擒住他!』」高思繼聽罷,激得心頭火起,口內生煙,大叫:「左右快備白龍馬宋,待我去擒此賊!」各披掛上馬,遂離了山東,望雞寶山進發。但見:

    日長步緊,風急行斜,好似流星不落地,猶如弩箭乍離弦。二人奔馳,不日已到唐營,來見晉王。晉王大喜,命坐慰勞了。晉王說:「王彥章斬首無算,軍士喪氣,請將軍相助。」思繼曰:「容吾觀其動靜。」晉王置酒待之。要知後事若何?且聽下回分解。

  卓吾子評

  彥章殺傷晉兵無算,而李晉王若非勇南公顯聖,幾乎不免。

  復又梁兵索戰,征請高思繼抵敵,似亦無聊之計耳!

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