十七史百將傳巻十 梁(五代) 劉鄩
現代語訳
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要約
劉鄩は密州安丘縣の人。兵略を好み、青州の王師範に事えた。師範が太祖の管内を襲わせると、鄩は密偵に覘わせた羅城下の水竇から歩兵五百で宵に入り、兗州を一夜で陥れた。
太祖が葛從周に攻めさせると、鄩は城中の從周の家族を撫し、母に城へ登らせて待遇の厚さを告げさせ、從周はすすり泣いて退いた。
王彥溫が城を越えて奔り守兵も従うと、鄩は彥溫に連れて出る人を少なくせよと告げさせ、衆には去る者は族滅すると揚言した。外の軍は彥溫を疑って戮した。
師範が降を告げると鄩も城を出て命を聴いた。太祖は李英公の風があると嘉して都押牙を授けた。
晉王が魏州に入ると、覘いに来た晉王を伏兵で囲み、晉王は身一つで免れた。太原へ趨ろうとしたときは芻の人形を驢に負わせて堞に沿わせ、晉人は数日して気づき、霖雨で旋って莘縣に軍した。
末帝が出戦を詔すと、鄩は機を伺っていると奏し、人ごとに糧十斛を給されれば糧の尽きるころに敵を破ると答えた。帝は怒って戦いを督させた。鄩は、主上は白面の児輩と謀られ大事を敗ると言ったが、諸将は戦おうとした。別の日、河の水を一器ずつ飲ませ、滔々たる流れを飲み尽くせようかと言うと、衆は色を失った。
一万余人で鎮定に薄って獲るところは多かったが、晉軍が至って退いた。魏州を襲い、故元城に戦って敗績し南へ奔った。洛に帰ると張宗が迫って飲ませ、卒した。
孫子はいう、不虞の道に由る、間を用いざる所無し、衆草の障る、と。水竇からの兗州攻め、外の軍に王彥溫を殺させたこと、芻の人形が、これである。
原文(底本)
劉鄩,密州安丘縣人也。幼有大志,好兵略,涉獵史傳,事青州王師範。唐昭宗幸鳳翔,太祖率師奉迎於岐下。師範遣腹心,乘虛襲取太祖管內州郡。鄩以偏裨陷兗州,遂據其城。初,鄩遣細入詐為鬻油者,覘城內虛實及出入所,視羅城下一水竇可以引眾而入,遂志之。鄩乃告師範,請步兵五百,宵自水竇銜枚而入,一夕而定。軍城晏然,市民無擾。太祖命大將葛從周攻之。時從周家屬在城中,鄩善撫其家,升堂拜從周之母。從周攻城,鄩以板輿請母登城告從周曰:"劉將軍待我甚至,新婦以下並不失所,爾其察之!"從周鄩欷而退。鄩料簡城中,凡不足當敵者悉出之於外。與將士同甘苦,分衣食,以抗外軍。戢兵禁暴,居人泰然。後從周攻圍既久,鄩無外援,一日副使王彥溫逾城而奔,守陴者從之,鄩禁之不可。鄩即遣人從容告彥溫曰:"請少將人出,非素遣者勿帶行。"又揚言於眾曰:"素遣從副使行者即勿禁,其擅去者族之。"守民聞之,奔逸者乃止。外軍果疑彥溫,即戮於城下。自是軍城遂固。及師範力窘,從周以禍福諭鄩。鄩報曰:"俟青州本使歸降,即以城池還納。"及師範告降,鄩即出城聽命。太祖嘉其節概,以為有李英公之風,尋授都押牙。太祖牙下諸將皆四鎮舊人,鄩一旦居眾人之右,及與諸將相見,並用階庭之禮,太祖尤奇重之。後晉王入魏州,鄩以精兵萬人自洹水移軍魏縣。晉王來覘,鄩設伏於河曲叢木間。俟晉王至,大噪而進,圍之數匝,殺獲甚眾,晉王僅以身免。後鄩潛師出黃澤西趨太原。將行,慮為晉軍所追,乃結芻為人,縛旗於上,以驢負之,循堞而行。數日,晉人方覺。會霖雨積旬,師不克進,鄩即整眾而旋。魏知臨清積粟之所,鄩引軍將據之。遇晉將周陽五自幽州率兵至,鄩乃趨貝州與晉軍遇於堂邑,鄩要擊卻之。遂軍於莘縣,增城壘,浚池隍,自莘及河築甬道,以通餉路。末帝詔鄩出戰,鄩奏曰:"臣深溝高壘,享士訓兵,日夜戒嚴,伺其進取。苟得機便,豈敢坐滋患難?"帝又遣使問鄩破敵之策,鄩曰:"臣無奇術,但人給糧十斛,糧盡則破敵。"帝大怒,誚鄩曰:"將軍蓄米,將療飢耶?將破賊耶?"乃遣中使督戰。鄩集諸校而謀曰:"主上深居宮禁,未曉兵家,與白面兒共謀,終敗大事。大將出征,君命有所不受。臨機制變,安可預謀?今揣敵人未可輕動,諸君更籌之。"時諸將皆欲戰,鄩默然。他日,復召諸將列坐軍門,人具河水一器,因命飲之。眾未測其旨,或飲或辭。鄩曰:"一器而難,若是滔滔河流可勝既乎?"眾皆失色。居數日,鄩率萬餘人薄鎮定之櫻呔僦粒瑣上下擾亂,殺獲甚多。少頃,晉軍繼至,乃退。鄩自莘引軍襲魏州,與晉王戰於故元城,王師敗績,鄩脫身南奔。及歸洛,張宗承旨逼令飲鄩而卒。 孫子曰:"由不虞之道。"鄩自水竇入攻兗州。又曰:"無所不用間。"鄩令外軍殺王彥溫。又曰:"眾草多障者,疑也。"鄩結芻為人,以驢負之是也。